土 長塚節 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)打ち遣《や》つた |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)夫|限《ぎり》に [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《ほのほ》へ /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)とう/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------         「土」に就て [#地から4字上げ]漱石 「土」が「東京朝日」に連載されたのは一昨年の事である。さうして其責任者は余であつた。所が不幸にも余は「土」の完結を見ないうちに病氣に罹つて、新聞を手にする自由を失つたぎり、又「土」の作者を思ひ出す機會を有たなかつた。  當初五六十囘の豫定であつた「土」は、同時に意外の長篇として發達してゐた。途中で話の緒口を忘れた余は、再びそれを取り上げて、矢鱈な區切から改めて讀み出す勇氣を鼓舞しにくかつたので、つい夫|限《ぎり》に打ち遣《や》つたやうなものゝ、腹のなかでは私かに作者の根氣と精力に驚ろいてゐた。「土」は何でも百五六十囘に至つて漸く結末に達したのである。  冷淡な世間と多忙な余は其後久しく「土」の事を忘れてゐた。所がある時此間亡くなつた池邊君に會つて偶然話頭が小説に及んだ折、池邊君は何故「土」は出版にならないのだらうと云つて、大分長塚君の作を褒めてゐた。池邊君は其當時「朝日」の主筆だつたので「土」は始から仕舞迄眼を通したのである。其上池邊君は自分で文學を知らないと云ひながら、其實摯實な批評眼をもつて「土」を根氣よく讀み通したのである。余は出版界の不景氣のために「土」の單行本が出る時機がまだ來ないのだらうと答へて置いた。其時心のうちでは、隨分「土」に比べると詰らないものも公けにされる今日だから、出來るなら何時か書物に纏めて置いたら作者の爲に好からうと思つたが、不親切な余は其日が過ぎると、又「土」の事を丸で忘れて仕舞つた。  すると此春になつて長塚君が突然尋ねて來て、漸く本屋が「土」を引受ける事になつたから、序を書いて呉れまいかといふ依頼である。余は其時自分の小説を毎日一囘づゝ書いてゐたので、「土」を讀み返す暇がなかつた。已を得ず自分の仕事が濟む迄待つてくれと答へた。すると長塚君は池邊君の序も欲しいから序でに紹介して貰ひたいと云ふので、余はすぐ承知した。余の名刺を持つて「土」の作者が池邊君の玄關に立つたのは、池邊君の母堂が死んで丁度三十五日に相當する日とかで、長塚君はたゞ立ちながら用事丈を頼んで歸つたさうであるが、それから三日して肝心の池邊君も突然亡くなつて仕舞つたから、同君の序はとう/\手に入らなかつたのである。  余は「彼岸過迄」を片付けるや否や前約を踏んで「土」の校正刷を讀み出した。思つたよりも長篇なので、前後半日と中一日を丸潰しにして漸く業を卒へて考へて見ると、中々骨の折れた作物である。余は元來が安價な人間であるから、大抵の人のものを見ると、すぐ感心したがる癖があるが、此「土」に於ても全くさうであつた。先づ何よりも先に、是は到底余に書けるものでないと思つた。次に今の文壇で長塚君を除いたら誰が書けるだらうと物色して見た。すると矢張誰にも書けさうにないといふ結論に達した。  尤も誰にも書けないと云ふのは、文を遣る技倆の點や、人間を活躍させる天賦の力を指すのではない。もし夫れ丈の意味で誰も長塚君に及ばないといふなら、一方では他の作家を侮辱した言葉にもなり、又一方では長塚君を擔ぎ過ぎる策略とも取れて、何方にしても作者の迷惑になる計である。余の誰も及ばないといふのは、作物中に書いてある事件なり天然なりが、まだ長塚君以外の人の研究に上つてゐないといふ意味なのである。 「土」の中に出て來る人物は、最も貧しい百姓である。教育もなければ品格もなければ、たゞ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同樣に憐れな百姓の生活である。先祖以來茨城の結城郡に居を移した地方の豪族として、多數の小作人を使用する長塚君は、彼等の獸類に近き、恐るべく困憊を極めた生活状態を、一から十迄誠實に此「土」の中に收め盡したのである。彼等の下卑で、淺薄で、迷信が強くて、無邪氣で、狡猾で、無欲で、強欲で、殆んど余等(今の文壇の作家を悉く含む)の想像にさへ上りがたい所を、あり/\と眼に映るやうに描寫したのが「土」である。さうして「土」は長塚君以外に何人も手を著けられ得ない、苦しい百姓生活の、最も獸類に接近した部分を、精細に直叙したものであるから、誰も及ばないと云ふのである。  人事を離れた天然に就いても、前同樣の批評を如何な讀者も容易に肯はなければ濟まぬ程、作者は鬼怒川沿岸の景色や、空や、春や、秋や、雪や風を綿密に研究してゐる。畠のもの、畔に立つ榛の木、蛙の聲、鳥の音、苟くも彼の郷土に存在する自然なら、一點一畫の微に至る迄悉く其地方の特色を具へて叙述の筆に上つてゐる。だから何處に何う出て來ても必ず獨特《ユニーク》である。其|獨特《ユニーク》な點を、普通の作家の手に成つた自然の描寫の平凡なのに比べて、余は誰も及ばないといふのである。余は彼の獨特《ユニーク》なのに敬服しながら、そのあまりに精細過ぎて、話の筋を往々にして殺して仕舞ふ失敗を歎じた位、彼は精緻な自然の觀察者である。  作としての「土」は、寧ろ苦しい讀みものである。決して面白いから讀めとは云ひ惡い。第一に作中の人物の使ふ言葉が余等には餘り縁の遠い方言から成り立つてゐる。第二に結構が大きい割に、年代が前後數年にわたる割に、周圍に平たく發達したがる話が、筋をくつきりと描いて深くなりつゝ前へ進んで行かない。だから全體として讀者に加速度《アクセレレーシヨン》の興味を與へない。だから事件が錯綜纏綿して縺れながら讀者をぐい/\引込んで行くよりも、其地方の年中行事を怠りなく丹念に平叙して行くうちに、作者の拵らへた人物が斷續的に活躍すると云つた方が適當になつて來る。其所に聊か人を魅する牽引力を失ふ恐が潛んでゐるといふ意味でも讀みづらい。然し是等は單に皮相の意味に於て讀みづらいので、余の所謂讀みづらいといふ本意は、篇中の人物の心なり行なりが、たゞ壓迫と不安と苦痛を讀者に與へる丈で、毫も神の作つてくれた幸福な人間であるといふ刺戟と安慰を與へ得ないからである。悲劇は恐しいに違ない。けれども普通の悲劇のうちには悲しい以外に何かの償ひがあるので、讀者は涙の犧牲を喜こぶのである。が、「土」に至つては涙さへ出されない苦しさである。雨の降らない代りに生涯照りつこない天氣と同じ苦痛である。たゞ土の下《した》へ心が沈む丈で、人情から云つても道義心から云つても、殆んど此壓迫の賠償として何物も與へられてゐない。たゞ土を掘り下げて暗い中へ落ちて行く丈である。 「土」を讀むものは、屹度自分も泥の中を引き摺られるやうな氣がするだらう。余もさう云ふ感じがした。或者は何故長塚君はこんな讀みづらいものを書いたのだと疑がふかも知れない。そんな人に對して余はたゞ一言、斯樣な生活をして居る人間が、我々と同時代に、しかも帝都を去る程遠からぬ田舍に住んで居るといふ悲慘な事實を、ひしと一度は胸の底に抱き締めて見たら、公等の是から先の人生觀の上に、又公等の日常の行動の上に、何かの參考として利益を與へはしまいかと聞きたい。余はとくに歡樂に憧憬する若い男や若い女が、讀み苦しいのを我慢して、此「土」を讀む勇氣を鼓舞する事を希望するのである。余の娘が年頃になつて、音樂會がどうだの、帝國座がどうだのと云ひ募る時分になつたら、余は是非此「土」を讀ましたいと思つて居る。娘は屹度厭だといふに違ない。より多くの興味を感ずる戀愛小説と取り換へて呉れといふに違ない。けれども余は其時娘に向つて、面白いから讀めといふのではない。苦しいから讀めといふのだと告げたいと思つて居る。參考の爲だから、世間を知る爲だから、知つて己れの人格の上に暗い恐ろしい影を反射させる爲だから我慢して讀めと忠告したいと思つて居る。何も考へずに暖かく生長した若い女(男でも同じである)の起す菩提心や宗教心は、皆此暗い影の奧から射《さ》して來るのだと余は固く信じて居るからである。  長塚君の書き方は何處迄も沈着である。其人物は皆有の儘である。話の筋は全く自然である。余が「土」を「朝日」に載せ始めた時、北の方のSといふ人がわざ/″\書を余のもとに寄せて、長塚君が旅行して彼と面會した折の議論を報じた事がある。長塚君は余の「朝日」に書いた「滿韓ところ/″\」といふものをSの所で一囘讀んで、漱石といふ男は人を馬鹿にして居るといつて大いに憤慨したさうである。漱石に限らず一體「朝日」新聞の記者の書き振りは皆人を馬鹿にして居ると云つて罵つたさうである。成程眞面目に老成した、殆んど嚴肅といふ文字を以て形容して然るべき「土」を書いた、長塚君としては尤もの事である。「滿韓|所々《ところ/″\》」抔が君の氣色を害したのは左もあるべきだと思ふ。然し君から輕佻の疑を受けた余にも、眞面目な「土」を讀む眼はあるのである。だから此序を書くのである。長塚君はたまたま「滿韓ところ/″\」の一囘を見て余の浮薄を憤つたのだらうが、同じ余の手になつた外のものに偶然眼を觸れたら、或は反對の感を起すかも知れない。もし余が徹頭徹尾「滿韓ところ/″\」のうちで、長塚君の氣に入らない一囘を以て終始するならば、到底長塚君の「土」の爲に是程言辭を費やす事は出來ない理窟だからである。  長塚君は不幸にして喉頭結核にかゝつて、此間迄東京で入院生活をして居たが、今は養生旁旅行の途にある。先達てかねて紹介して置いた福岡大學の久保博士からの來書に、長塚君が診察を依頼に見えたとあるから、今頃は九州に居るだらう。余は出版の時機に後れないで、病中の君の爲に、「土」に就いて是丈の事を云ひ得たのを喜こぶのである。余がかつて「土」を「朝日」に載せ出した時、ある文士が、我々は「土」などを讀む義務はないと云つたと、わざ/\余に報知して來たものがあつた。其時余は此文士は何の爲に罪もない「土」の作家を侮辱するのだらうと思つて苦々しい不愉快を感じた。理窟から云つて、讀まねばならない義務のある小説といふものは、其小説の校正者か、内務省の檢閲官以外にさうあらう筈がない。わざ/\斷わらんでも厭なら厭で默つて讀まずに居れば夫迄である。もし又名の知れない人の書いたものだから讀む義務はないと云ふなら、其人は唯名前丈で小説を讀む、内容などには頓着しない、門外漢と一般である。文士ならば同業の人に對して、たとひ無名氏にせよ、今少しの同情と尊敬があつて然るべきだと思ふ。余は「土」の作者が病氣だから、此場合には猶ほ更らさう云ひたいのである。 [#地から1字上げ](明治四十五年五月) [#改丁]          一  烈《はげ》しい西風《にしかぜ》が目《め》に見《み》えぬ大《おほ》きな塊《かたまり》をごうつと打《う》ちつけては又《また》ごうつと打《う》ちつけて皆《みな》痩《やせ》こけた落葉木《らくえふぼく》の林《はやし》を一|日《にち》苛《いぢ》め通《とほ》した。木《き》の枝《えだ》は時々《とき/″\》ひう/\と悲痛《ひつう》の響《ひゞき》を立《た》てゝ泣《な》いた。短《みじか》い冬《ふゆ》の日《ひ》はもう落《お》ちかけて黄色《きいろ》な光《ひかり》を放射《はうしや》しつゝ目叩《またゝ》いた。さうして西風《にしかぜ》はどうかするとぱつたり止《や》んで終《しま》つたかと思《おも》ふ程《ほど》靜《しづ》かになつた。泥《どろ》を拗切《ちぎ》つて投《な》げたやうな雲《くも》が不規則《ふきそく》に林《はやし》の上《うへ》に凝然《ぢつ》とひつゝいて居《ゐ》て空《そら》はまだ騷《さわ》がしいことを示《しめ》して居《ゐ》る。それで時々《とき/″\》は思《おも》ひ出《だ》したやうに木《き》の枝《えだ》がざわ/″\と鳴《な》る。世間《せけん》が俄《にはか》に心《こゝろ》ぼそくなつた。  お品《しな》は復《ま》た天秤《てんびん》を卸《おろ》した。お品《しな》は竹《たけ》の短《みじか》い天秤《てんびん》の先《さき》へ木《き》の枝《えだ》で拵《こしら》へた小《ちひ》さな鍵《かぎ》の手《て》をぶらさげてそれで手桶《てをけ》の柄《え》を引《ひ》つ懸《か》けて居《ゐ》た。お品《しな》は百姓《ひやくしやう》の隙間《すきま》には村《むら》から豆腐《とうふ》を仕入《しい》れて出《で》ては二三ヶ|村《そん》を歩《ある》いて來《く》るのが例《れい》である。手桶《てをけ》で持《も》ち出《だ》すだけのことだから資本《もとで》も要《いら》ない代《かはり》には儲《まうけ》も薄《うす》いのであるが、それでも百姓《ひやくしやう》ばかりして居《ゐ》るよりも日毎《ひごと》に目《め》に見《み》えた小遣錢《こづかひせん》が取《と》れるのでもう暫《しばら》くさうして居《ゐ》た。手桶《てをけ》一提《ひとさげ》の豆腐《とうふ》ではいつもの處《ところ》をぐるりと廻《まは》れば屹度《きつと》なくなつた。還《かへ》りには豆腐《とうふ》の壞《こは》れで幾《いく》らか白《しろ》くなつた水《みづ》を棄《す》てゝ天秤《てんびん》は輕《かる》くなるのである。お品《しな》は何時《いつ》でも日《ひ》のあるうちに夜《よ》なべに繩《なは》に綯《な》ふ藁《わら》へ水《みず》を掛《か》けて置《お》いたり、落葉《おちば》を攫《さら》つて見《み》たりそこらこゝらと手《て》を動《うご》かすことを止《や》めなかつた。天性《ね》が丈夫《ぢやうぶ》なのでお品《しな》は仕事《しごと》を苦《くる》しいと思《おも》つたことはなかつた。  それが此《この》日《ひ》は自分《じぶん》でも酷《ひど》く厭《いや》であつたが、冬至《とうじ》が來《く》るから蒟蒻《こんにやく》の仕入《しいれ》をしなくちや成《な》らないといつて無理《むり》に出《で》たのであつた。冬至《とうじ》といふと俄商人《にはかあきうど》がぞく/\と出來《でき》るので急《いそ》いで一|遍《ぺん》歩《ある》かないと、其《その》俄商人《にはかあきうど》に先《せん》を越《こ》されて畢《しま》ふのでお品《しな》はどうしても凝然《ぢつ》としては居《ゐ》られなかつた。蒟蒻《こんにやく》は村《むら》には無《な》いので、仕入《しいれ》をするのには田圃《たんぼ》を越《こ》えたり林《はやし》を通《とほ》つたりして遠《とほ》くへ行《ゆ》かねばならぬ。それでお品《しな》は其《その》途中《とちう》で商《あきなひ》をしようと思《おも》つて此《こ》の日《ひ》も豆腐《とうふ》を擔《かつ》いで出《で》た。生憎《あいにく》夜《よる》から冴《さ》え切《き》つて居《ゐ》た空《そら》には烈《はげ》しい西風《にしかぜ》が立《た》つて、それに逆《さから》つて行《ゆ》くお品《しな》は自分《じぶん》で酷《ひど》く足下《あしもと》のふらつくのを感《かん》じた。ぞく/\と身體《からだ》が冷《ひ》えた。さうして豆腐《とうふ》を出《だ》す度《たび》に水《みづ》へ手《て》を刺込《さしこ》むのが慄《ふる》へるやうに身《み》に染《し》みた。かさ/\に乾燥《かわ》いた手《て》が水《みづ》へつける度《たび》に赤《あか》くなつた。皹《ひゞ》がぴり/\と痛《いた》んだ。懇意《こんい》なそここゝでお品《しな》は落葉《おちば》を一燻《ひとく》べ焚《た》いて貰《もら》つては手《て》を翳《かざ》して漸《やつ》と暖《あたゝ》まつた。蒟蒻《こんにやく》を仕入《しい》れて出《で》た時《とき》はそんなこんなで暇《ひま》をとつて何時《いつ》になく遲《おそ》かつた。お品《しな》は林《はやし》を幾《いく》つも過《す》ぎて自分《じぶん》の村《むら》へ急《いそ》いだが、疲《つか》れもしたけれど懶《ものう》いやうな心持《こゝろもち》がして幾度《いくたび》か路傍《みちばた》へ荷《に》を卸《おろ》しては休《やす》みつゝ來《き》たのである。  お品《しな》は手桶《てをけ》の柄《え》へ横《よこ》たへた竹《たけ》の天秤《てんびん》へ身《み》を投《な》げ懸《か》けてどかりと膝《ひざ》を折《を》つた。ぐつたり成《な》つたお品《しな》はそれでなくても不見目《みじめ》な姿《すがた》が更《さら》に檢束《しどけ》なく亂《みだ》れた。西風《にしかぜ》の餘波《なごり》がお品《しな》の後《うしろ》から吹《ふ》いた。さうして西風《にしかぜ》は後《うしろ》で括《くゝ》つた穢《きたな》い手拭《てぬぐひ》の端《はし》を捲《まく》つて、油《あぶら》の切《き》れた埃《ほこり》だらけの赤《あか》い髮《かみ》の毛《け》を扱《こ》きあげるやうにして其《その》垢《あか》だらけの首筋《くびすぢ》を剥出《むきだし》にさせて居《ゐ》る。夫《それ》と共《とも》に林《はやし》の雜木《ざふき》はまだ持前《もちまへ》の騷《さわ》ぎを止《や》めないで、路傍《みちばた》の梢《こずゑ》がずつと繞《しな》つてお品《しな》の上《うへ》からそれを覗《のぞ》かうとすると、後《うしろ》からも/\林《はやし》の梢《こずゑ》が一|齊《せい》に首《くび》を出《だ》す。さうして暫《しばら》くしては又《また》一|齊《せい》に後《うしろ》へぐつと戻《もど》つて身體《からだ》を横《よこ》に動搖《ゆさぶり》ながら笑《わら》ひ私語《さゞめ》くやうにざわ/\と鳴《な》る。  お品《しな》は身體《からだ》に變態《へんたい》を來《きた》したことを意識《いしき》すると共《とも》に恐怖心《きようふしん》を懷《いだ》きはじめた。三四|日《か》どうもなかつたから大丈夫《だいぢやうぶ》だとは思《おも》つて見《み》ても、恁《か》う凝然《ぢつ》として居《ゐ》ると遠《とほ》くの方《ほう》へ滅入《めい》つて畢《しま》ふ樣《やう》な心持《こゝろもち》がして、不斷《ふだん》から幾《いく》らか逆上性《のぼせしやう》でもあるのだがさう思《おも》ふと耳《みゝ》が鳴《な》るやうで世間《せけん》が却《かへつ》て靜《しづ》かに成《な》つて畢《しま》つたやうに思《おも》はれた。不圖《ふと》氣《き》が付《つ》いた時《とき》お品《しな》ははき/\として天秤《てんびん》を擔《かつ》いだ。林《はやし》が竭《つ》きて田圃《たんぼ》が見《み》え出《だ》した。田圃《たんぼ》を越《こ》せば村《むら》で、自分《じふん》の家《いへ》は田圃《たんぼ》のとりつきである。青《あを》い煙《けぶり》がすつと騰《のぼ》つて居《ゐ》る。お品《しな》は二人《ふたり》の子供《こども》を思《おも》つて心《こゝろ》が跳《をど》つた。林《はやし》の外《はづ》れから田圃《たんぼ》へおりる處《ところ》は僅《わづ》かに五六|間《けん》であるが、勾配《こうばい》の峻《けは》しい坂《さか》でそれが雨《あめ》のある度《たび》にそこらの水《みづ》を聚《あつ》めて田圃《たんぼ》へ落《おと》す口《くち》に成《な》つて居《ゐ》るので自然《しぜん》に土《つち》が抉《ゑぐ》られて深《ふか》い窪《くぼみ》が形《かたちづく》られて居《ゐ》る。お品《しな》は天秤《てんびん》を斜《なゝめ》に横《よこ》へ向《む》けて、右《みぎ》の手《て》を前《まへ》の手桶《てをけ》の柄《え》へ左《ひだり》の手《て》を後《うしろ》の手桶《てをけ》の柄《え》へ掛《か》けて注意《ちうい》しつゝおりた。それでも殆《ほと》んど手桶《てをけ》一|杯《ぱい》に成《な》り相《さう》な蒟蒻《こんにやく》の重量《おもみ》は少《すこ》しふらつく足《あし》を危《あやう》く保《たも》たしめた。やつと人《ひと》の行《ゆ》き違《ちが》ふだけの狹《せま》い田圃《たんぼ》をお品《しな》はそろ/\と運《はこ》んで行《ゆ》く。お品《しな》は白茶《しらちや》けた程《ほど》古《ふる》く成《な》つた股引《もゝひき》へそれでも先《さき》の方《ほう》だけ繼《つ》ぎ足《た》した足袋《たび》を穿《は》いて居《ゐ》る。大《おほ》きな藁草履《わらざうり》は固《かた》めたやうに霜解《しもどけ》の泥《どろ》がくつゝいて、それがぼた/\と足《あし》の運《はこ》びを更《さら》に鈍《にぶ》くして居《ゐ》る。狹《せま》く連《つらな》つて居《ゐ》る田《た》を竪《たて》に用水《ようすゐ》の堀《ほり》がある。二三株《にさんかぶ》比較的《ひかくてき》大《おほ》きな榛《はん》の木《き》の立《た》つて居《ゐ》る處《ところ》に僅《わづか》一枚《いちまい》板《いた》の橋《はし》が斜《なゝめ》に架《か》けてある。お品《しな》は橋《はし》の袂《たもと》で一寸《ちよつと》立《た》ち止《どま》つた。さうして近《ちか》づいた自分《じぶん》の家《いへ》を見《み》た。村落《むら》は臺地《だいち》に在《あ》るのでお品《しな》の家《いへ》の後《うしろ》は直《すぐ》に斜《なゝめ》に田圃《たんぼ》へずり落《お》ち相《さう》な林《はやし》である。楢《なら》や雜木《ざふき》の間《あひだ》に短《みじか》い竹《たけ》が交《まじ》つて居《ゐ》る。いゝ加減《かげん》大《おほ》きくなつた楢《なら》の木《き》は皆《みな》葉《は》が落《お》ち盡《つく》して居《ゐ》るので、其《その》小枝《こえだ》を透《とほ》して凹《くぼ》んだ棟《やのむね》が見《み》える。白《しろ》い羽《はね》の鷄《にはとり》が五六|羽《ぱ》、がり/\と爪《つめ》で土《つち》を掻《か》つ掃《ぱ》いては嘴《くちばし》でそこを啄《つゝ》いて又《また》がり/\と土《つち》を掻《か》つ掃《ぱ》いては餘念《よねん》もなく夕方《ゆふがた》の飼料《ゑさ》を求《もと》めつゝ田圃《たんぼ》から林《はやし》へ還《かへ》りつゝある。お品《しな》は非常《ひじやう》な注意《ちうい》を以《もつ》て斜《なゝめ》な橋《はし》を渡《わた》つた。四足目《よあしめ》にはもう田圃《たんぼ》の土《つち》に立《た》つた。其《その》時《とき》は日《ひ》は疾《とう》に沒《ぼつ》して見渡《みわた》す限《かぎ》り、田《た》から林《はやし》から世間《せけん》は只《たゞ》黄褐色《くわうかつしよく》に光《ひか》つてさうしてまだ明《あか》るかつた。お品《しな》は田圃《たんぼ》からあがる前《まへ》に天秤《てんびん》を卸《おろ》して左《ひだり》へ曲《まが》つた。自分《じぶん》の家《いへ》の林《はやし》と田《た》との間《あひだ》には人《ひと》の足趾《あしあと》だけの小徑《こみち》がつけてある。お品《しな》は其《その》小徑《こみち》と林《はやし》との境界《さかひ》を劃《しき》つて居《ゐ》る牛胡頽子《うしぐみ》の側《そば》に立《たつ》た。鷄《にはとり》の爪《つめ》の趾《あと》が其處《そこ》の新《あた》らしい土《つち》を掻《か》き散《ち》らしてあつた。お品《しな》は土《つち》を手《て》で聚《あつ》めて草履《ざうり》の底《そこ》でそく/\とならした。お品《しな》の姿《すがた》が庭《には》に見《み》えた時《とき》には西風《にしかぜ》は忘《わす》れたやうに止《や》んで居《ゐ》て、庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》にぶつ懸《か》けた大根《だいこ》の乾《から》びた葉《は》も動《うご》かなかつた。白《しろ》い鷄《にはとり》はお品《しな》の足《あし》もとへちよろ/\と駈《か》けて來《き》て何《なに》か欲《ほ》し相《さう》にけろつと見上《みあげ》た。お品《しな》は平常《いつも》のやうに鷄《にはとり》抔《など》へ構《かま》つては居《ゐ》られなかつた。お品《しな》は戸口《とぐち》に天秤《てんびん》を卸《おろ》して突然《いきなり》 「おつう」と喚《よ》んだ。 「おつかあか」と直《すぐ》におつぎの返辭《へんじ》が威勢《ゐせい》よく聞《きこ》えた。それと同時《どうじ》に竈《かまど》の火《ひ》がひら/\と赤《あか》くお品《しな》の目《め》に映《うつ》つた。朝《あさ》から雨戸《あまど》は開《あ》けないので内《うち》はうす闇《くら》くなつて居《ゐ》る。外《そと》の光《ひかり》を見《み》て居《ゐ》たお品《しな》の目《め》には直《す》ぐにはおつぎの姿《すがた》も見《み》えなかつたのである。戸口《とぐち》からではおつぎの身體《からだ》は竈《かまど》の火《ひ》を掩《おほ》うて居《ゐ》た。返辭《へんじ》すると共《とも》に身體《からだ》を捩《ねぢ》つたので其《その》赤《あか》い火《ひ》が見《み》えたのである。  おつぎの脊《せ》に居《ゐ》た與吉《よきち》はお品《しな》の聲《こゑ》を聞《き》きつけると 「まん/\ま」と兩手《りやうて》を出《だ》して下《お》りようとする。お品《しな》はおつぎが帶《おび》を解《と》いてる間《あひだ》に壁際《かべぎは》の麥藁俵《むぎわらだはら》の側《そば》へ蒟蒻《こんにやく》の手桶《てをけ》を二つ並《なら》べた。與吉《よきち》はお袋《ふくろ》の懷《ふところ》に抱《だ》かれて碌《ろく》に出《で》もしない乳房《ちぶさ》を探《さぐ》つた。お品《しな》は竈《かまど》の前《まへ》へ腰《こし》を掛《か》けた。白《しろ》い鷄《にはとり》は掛梯子《かけばしご》の代《かはり》に掛《か》けてある荒繩《あらなは》でぐる/\捲《まき》にした竹《たけ》の幹《みき》へ各自《てんで》に爪《つめ》を引《ひ》つ掛《か》けて兩方《りやうはう》の羽《はね》を擴《ひろ》げて身體《からだ》の平均《へいきん》を保《たも》ちながら慌《あわ》てたやうに塒《とや》へあがつた。さうして青《あを》い煙《けむり》の中《なか》に凝然《ぢつ》として目《め》を閉《と》ぢて居《ゐ》る。  お品《しな》は家《いへ》に歸《かへ》つて幾《いく》らか暖《あたゝ》まつたがそれでも一|日《にち》冷《ひ》えた所爲《せい》かぞく/\するのが止《や》まなかつた。さうして後《のち》に近所《きんじよ》で風呂《ふろ》を貰《もら》つてゆつくり暖《あつた》まつたら心持《こゝろもち》も癒《なほ》るだらうと思《おも》つた。竈《かまど》には小《ちひ》さな鍋《なべ》が懸《かゝ》つて居《ゐ》る。汁《しる》は葢《ふた》を漂《たゞよ》はすやうにしてぐら/\と煮立《にた》つて居《ゐ》る。外《そと》もいつかとつぷり闇《くら》くなつた。おつぎは竈《かまど》の下《した》から火《ひ》のついてる麁朶《そだ》を一《ひと》つとつて手《て》ランプを點《つ》けて上《あが》り框《がまち》の柱《はしら》へ懸《か》けた。お品《しな》はおつぎが單衣《ひとへ》へ半纏《はんてん》を引《ひ》つ掛《か》けた儘《まゝ》であるのを見《み》た。平常《いつも》ならそんなことはないのだが自分《じぶん》が酷《ひど》くぞく/\として心持《こゝろもち》が惡《わる》いのでつい氣《き》になつて 「おつう、そんな姿《なり》で汝《わり》や寒《さむ》かねえか」と聞《き》いた。それから手拭《てぬぐひ》の下《した》から見《み》えるおつぎのあどけない顏《かほ》を凝然《ぢつ》と見《み》た。 「寒《さむ》かあんめえな」おつぎは事《こと》もなげにいつた。與吉《よきち》は懷《ふところ》の中《なか》で頻《しき》りにせがんで居《ゐ》る。お品《しな》は平常《いつも》のやうでなく何《なに》も買《か》つて來《こ》なかつたので、ふと困《こま》つた。 「おつう、そこらに砂糖《さたう》はなかつたつけゝえ」お品《しな》はいつた。おつぎは默《だま》つて草履《ざうり》を脱棄《ぬぎす》てゝ座敷《ざしき》へ駈《か》けあがつて、戸棚《とだな》から小《ちひ》さな古《ふる》い新聞紙《しんぶんし》の袋《ふくろ》を探《さが》し出《だ》して、自分《じぶん》の手《て》の平《ひら》へ少《すこ》し砂糖《さたう》をつまみ出《だ》して 「そら/\」といひながら、手《て》を出《だ》して待《ま》つて居《ゐ》る與吉《よきち》へ遺《や》つた。おつぎは砂糖《さたう》の附《つ》いた自分《じぶん》の手《て》を嘗《な》めた。與吉《よきち》は其《その》砂糖《さたう》をお袋《ふくろ》の懷《ふところ》へこぼしながら危《あぶ》な相《さう》につまんでは口《くち》へ入《い》れる。砂糖《さたう》が竭《つ》きた時《とき》與吉《よきち》は其《その》べとついた手《て》をお袋《ふくろ》の口《くち》のあたりへ出《だ》した。お品《しな》は與吉《よきち》の兩手《りやうて》を攫《つかま》へて舐《ねぶ》つてやつた。お品《しな》は鍋《なべ》の蓋《ふた》をとつて麁朶《そだ》の焔《ほのほ》を翳《かざ》しながら 「こりや芋《いも》か何《なん》でえ」と聞《き》いた。 「うむ、少《すこ》し芋《いも》足《た》して暖《あつた》め返《けえ》したんだ」 「おまんまは冷《つめ》たかねえけ」 「それから雜炊《おぢや》でも拵《こせ》えべと思《おも》つてたのよ」  お品《しな》は熱《あつ》い物《もの》なら身體《からだ》が暖《あたゝ》まるだらうと思《おも》ひながら、自分《じぶん》は酷《ひど》く懶《ものう》いので何《なん》でもおつぎにさせて居《ゐ》た。おつぎは粘《ねば》り氣《け》のない麥《むぎ》の勝《か》つたぽろ/\な飯《めし》を鍋《なべ》へ入《い》れた。お品《しな》は麁朶《そだ》を一燻《いとく》べ突《つ》つ込んだ。おつぎは鍋《なべ》を卸《おろ》して茶釜《ちやがま》を懸《か》けた。ほうつと白《しろ》く蒸氣《ゆげ》の立《た》つ鍋《なべ》の中《なか》をお玉杓子《たまじやくし》で二三|度《ど》掻《か》き立《た》てゝおつぎは又《また》葢《ふた》をした。おつぎは戸棚《とだな》から膳《ぜん》を出《だ》して上《あが》り框《がまち》へ置《お》いた。柱《はしら》に點《つ》けてある手《て》ランプの光《ひかり》が屆《とゞ》かぬのでおつぎは手探《てさぐ》りでして居《ゐ》る。お品《しな》は左手《ひだりて》に抱《だ》いた與吉《よきち》の口《くち》へ箸《はし》の先《さき》で少《すこ》しづ[#「づ」に「ママ」の注記]ゝ含《ふく》ませながら雜炊《ざふすゐ》をたべた。お品《しな》は芋《いも》を三つ四つ箸《はし》へ立《た》てゝ與吉《よきち》へ持《も》たせた。與吉《よきち》は芋《いも》を口《くち》へ持《も》つていつて直《す》ぐに熱《あつ》いというて泣《な》いた。お品《しな》は與吉《よきち》の頻《ほゝ》をふう/\と吹《ふ》いてそれから芋《いも》を自分《じぶん》の口《くち》で噛《か》んでやつた。お品《しな》の茶碗《ちやわん》は恁《か》うして冷《ひ》えた。おつぎは冷《つめ》たくなつた時《とき》鍋《なべ》のと換《かへ》てやつた。お品《しな》は欲《ほ》しくもない雜炊《ざふすゐ》を三|杯《ばい》までたべた。幾《いく》らか腹《はら》の中《なか》の暖《あたゝ》かくなつたのを感《かん》じた。さうして漸《やうや》く水離《みづばな》れのした茶釜《ちやがま》の湯《ゆ》を汲《く》んで飮《の》んだ。おつぎは庭先《にはさき》の井戸端《ゐどばた》へ出《で》て鍋《なべ》へ一|杯《ぱい》釣瓶《つるべ》の水《みづ》をあけた。おつぎが戻《もど》つた時《とき》 「おつう、今夜《こんや》でなくつてもえゝや」とお品《しな》はいつた。おつぎは默《だま》つて俵《たわら》の側《そば》の手桶《てをけ》へ手《て》を掛《か》けて 「此《これ》へも水《みづ》入《せえ》て置《お》かなくつちやなんめえな」 「さうすればえゝが大變《たえへん》だらえゝぞ」  お品《しな》がいひ切《き》らぬうちにおつぎは庭《には》へ出《で》た。直《す》ぐに洗《あら》つた鍋《なべ》と手桶《てをけ》を持《も》つて暗《くら》い庭先《にはさき》からぼんやり戸口《とぐち》へ姿《すがた》を見《み》せた。閾《しきゐ》へ一寸《ちよつと》手桶《てをけ》を置《お》いてお品《しな》と顏《かほ》を見合《みあは》せた。手桶《てをけ》の水《みづ》は半分《はんぶん》で兩方《りやうはう》の蒟蒻《こんにやく》へ水《みづ》が乘《の》つた。  お品《しな》は三|人連《にんづれ》で東隣《ひがしどなり》へ風呂《ふろ》を貰《もら》ひに行《い》つた。東隣《ひがしどなり》といふのは大《おほ》きな一構《ひとかまへ》で蔚然《うつぜん》たる森《もり》に包《つゝ》まれて居《ゐ》る。  外《そと》は闇《やみ》である。隣《となり》の森《もり》の杉《すぎ》がぞつくりと冴《さ》えた空《そら》へ突《つ》つ込《こ》んで居《ゐ》る。お品《しな》の家《いへ》は以前《いぜん》から此《こ》の森《もり》の爲《た》めに日《ひ》が餘程《よほど》南《みなみ》へ廻《まは》つてからでなければ庭《には》へ光《ひかり》の射《さ》すことはなかつた。お品《しな》の家族《かぞく》は何處《どこ》までも日蔭者《ひかげもの》であつた。それが後《のち》に成《な》つてから方方《はう/″\》に陸地測量部《りくちそくりやうぶ》の三|角測量臺《かくそくりやうだい》が建《た》てられて其《その》上《うへ》に小《ちひ》さな旗《はた》がひら/\と閃《ひらめ》くやうに成《な》つてから其《その》森《もり》が見通《みとほ》しに障《さは》るといふので三四|本《ほん》丈《だけ》伐《き》らせられた。杉《すぎ》の大木《たいぼく》は西《にし》へ倒《たふ》したのでづしんとそこらを恐《おそ》ろしく搖《ゆる》がしてお品《しな》の庭《には》へ横《よこ》たはつた。枝《えだ》は挫《くぢ》けて其《その》先《さき》が庭《には》の土《つち》をさくつた。それでも隣《となり》では其《その》木《き》の始末《しまつ》をつける時《とき》にそこらへ散《ち》らばつた小枝《こえだ》や其《その》他《た》の屑物《くづもの》はお品《しな》の家《いへ》へ與《あた》へたので思《おも》ひ掛《が》けない薪《たきゞ》が出來《でき》たのと、も一《ひと》つは幾《いく》らでも東《ひがし》が隙《す》いたのとで、隣《となり》では自分《じぶん》の腕《うで》を斬《き》られたやうだと惜《を》しんだにも拘《かゝは》らずお品《しな》の家《いへ》では竊《ひそか》に悦《よろこ》んだのであつた。それからといふものはどんな姿《なり》にも日《ひ》が朝《あさ》から射《さ》すやうになつた。それでも有繋《さすが》に森《もり》はあたりを威壓《ゐあつ》して夜《よる》になると殊《こと》に聳然《すつくり》として小《ちひ》さなお品《しな》の家《いへ》は地《ぢ》べたへ蹂《ふみ》つけられたやうに見《み》えた。  お品《しな》は闇《やみ》の中《なか》へ消《き》えた。さうして隣《となり》の戸口《とぐち》に現《あら》はれた。隣《となり》の雇人《やとひにん》は夜《よ》なべの繩《なは》を綯《な》つて居《ゐ》た。板《いた》の間《ま》の端《はし》へ胡坐《あぐら》を掻《か》いて足《あし》で抑《おさ》へた繩《なは》の端《はし》へ藁《わら》を繼《つ》ぎ足《た》し/\[#「/\」に「ママ」の注記]してちより/\と額《ひたひ》の上《うへ》まで揉《も》み擧《あげ》ては右《みぎ》の手《て》を臀《しり》へ廻《まは》してくつと繩《なは》を後《うしろ》へ扱《こ》く。繩《なは》は其《その》度《たび》に土間《どま》へ落《お》ちる。お品《しな》は板《いた》の間《ま》に小《ちひ》さくなつて居《ゐ》た。軈《やが》て藁《わら》が竭《つ》きると傭人《やとひにん》は各自《てんで》に其《その》繩《なは》を足《あし》から手《て》へ引《ひ》つ掛《か》けて迅速《じんそく》に數《かず》を計《はか》つては土間《どま》から手繰《たぐ》り上《あ》げながら、繼《つな》がつた儘《まゝ》一|房《ばう》づ[#「づ」に「ママ」の注記]ゝに括《くゝ》つた。やがて彼等《かれら》は板《いた》の間《ま》の藁屑《わらくづ》を土間《どま》へ掃《は》きおろしてそれから交代《かうたい》に風呂《ふろ》へ這入《はひ》つた。お品《しな》はそれを見《み》ながら默《だま》つて待《ま》つて居《ゐ》た。お品《しな》は此處《こゝ》へ來《く》ると恁《か》ういふ遠慮《ゑんりよ》をしなければならぬので、少《すこ》しは遠《とほ》くても風呂《ふろ》は外《ほか》へ貰《もら》ひに行《ゆ》くのであつたが其《その》晩《ばん》はどこにも風呂《ふろ》が立《た》たなかつた。お品《しな》は二三|軒《けん》そつちこつちと歩《ある》いて見《み》てから隣《となり》の門《もん》を潜《くゞ》つたのであつた。傭人《やとひにん》は大釜《おほがま》の下《した》にぽつぽと火《ひ》を焚《た》いてあたつて居《ゐ》る。風呂《ふろ》から出《で》ても彼等《かれら》は茹《ゆだ》つたやうな赤《あか》い腿《もゝ》を出《だ》して火《ひ》の側《そば》へ寄《よ》つた。 「どうだね、一燻《ひとく》べあたつたらようがせう、今《いま》直《すぐ》に明《あ》くから」と傭人《やとひにん》がいつてくれてもお品《しな》は臀《しり》から冷《ひ》えるのを我慢《がまん》して凝然《ぢつ》と辛棒《しんぼう》して居《ゐ》た。懷《ふところ》で眠《ねむ》つた與吉《よきち》を騷《さわ》がすまいとしては足《あし》の痺《しび》れるので幾度《いくど》か身體《からだ》をもぢ/\動《うご》かした。漸《やうや》く風呂《ふろ》の明《あ》いた時《とき》はお品《しな》は待遠《まちどほ》であつたので前後《ぜんご》の考《かんがへ》もなく急《いそ》いで衣物《きもの》をとつた。與吉《よきち》は幸《さいは》ひにぐつたりと成《な》つてお袋《ふくろ》の懷《ふところ》から離《はな》れるのも知《し》らないのでおつぎが小《ちひ》さな手《て》で抱《だ》いた。お品《しな》は段々《だん/\》と身體《からだ》が暖《あたゝ》まるに連《つ》れて始《はじ》めて蘇生《いきかへ》つたやうに恍惚《うつとり》とした。いつまでも沈《しづ》んで居《ゐ》たいやうな心持《こゝろもち》がした。與吉《よきち》が泣《な》きはせぬかと心付《こゝろづ》いた時《とき》碌《ろく》に洗《あら》ひもしないで出《で》て畢《しま》つた。それでも顏《かほ》がつや/\として髮《かみ》の生際《はえぎは》が拭《ぬぐ》つても/\汗《あせ》ばんだ。さうしてしみ/″\と快《こゝろよ》かつた。お品《しな》は衣物《きもの》を引《ひ》つ掛《か》けると直《す》ぐと與吉《よきち》を内懷《うちふところ》へ入《い》れた。お品《しな》の後《あと》へは下女《げぢよ》が這入《はひ》つたので、おつぎは其《その》間《あひだ》待《ま》たねばならなかつた。おつぎが出《で》た時《とき》はお品《しな》の身體《からだ》は冷《さ》め掛《か》けて居《ゐ》た。お品《しな》は自分《じぶん》が後《あと》ではい[#「い」に「ママ」の注記]ればよかつたのにと後悔《こうくわい》した。  お品《しな》が自分《じぶん》の股引《もゝひき》と足袋《たび》とをおつぎに提《さ》げさせて歸《かへ》つた時《とき》に月《つき》は竊《ひそか》に隣《となり》の森《もり》の輪郭《りんくわく》をはつきりとさせて其《その》森《もり》の隙間《すきま》が殊《こと》に明《あか》るく光《ひか》つて居《ゐ》た。世間《せけん》がしみ/″\と冷《ひ》えて居《ゐ》た。お品《しな》は薄《うす》い垢《あか》じみた蒲團《ふとん》へくるまると、身體《からだ》が又《また》ぞく/\として膝《ひざ》か[#「か」に「ママ」の注記]しらが氷《こほ》つたやうに成《な》つて居《ゐ》たのを知《し》つた。          二  次《つぎ》の朝《あさ》お品《しな》はまだ戸《と》の隙間《すきま》から薄《うす》ら明《あか》りの射《さ》したばかりに眼《め》が覺《さ》めた。枕《まくら》を擡《もた》げて見《み》たが頭《あたま》の心《しん》がしく/\と痛《いた》むやうでいつになく重《おも》かつた。狹《せば》い家《いへ》の内《うち》に羽叩《はばた》く鷄《にはとり》の聲《こゑ》がけたゝましく耳《みゝ》の底《そこ》へ響《ひゞ》いた。おつぎはまだすや/\として眠《ねむ》つて居《ゐ》る。戸《と》の隙間《すきま》が瞼《まぶた》を開《ひら》いたやうに明《あか》るくなつた時《とき》鷄《にはとり》が復《ま》た甲走《かんばし》つて鳴《な》いた。お品《しな》はおつぎを今朝《けさ》は緩《ゆつ》くりさせてやらうと思《おも》つて居《ゐ》た。それでもおつぎは鷄《にはとり》が又《また》鳴《な》いた時《とき》むつくり起《お》きた。いつもと違《ちが》つて餘《あま》りひつそりして居《ゐ》るので驚《おどろ》いたやうにあたりを見《み》た。さうしてお袋《ふくろ》がまだ自分《じぶん》の傍《そば》に蒲團《ふとん》へくるまつてるのを見《み》た。 「おつう、せかねえでもえゝぞ、俺《お》ら今朝《けさ》少《すこ》し工合《ぐえゝ》が惡《わり》いから緩《ゆつ》くりすつかんなよ」お品《しな》はいつた。おつぎは暫《しばら》くもぢ/\しながら帶《おび》を締《しめ》て大戸《おほど》を一|枚《まい》がら/\と開《あ》けて目《め》をこすりながら庭《には》へ出《で》た。井戸端《ゐどばた》の桶《をけ》には芋《いも》が少《すこ》しばかり水《みづ》に浸《ひた》してあつて、其《その》水《みづ》には氷《こほり》がガラス板《いた》位《ぐらゐ》に閉《と》ぢて居《ゐ》る。おつぎは鍋《なべ》をいつも磨《みが》いて居《ゐ》る砥石《といし》の破片《かけ》で氷《こほり》を叩《たゝ》いて見《み》た。おつぎは大戸《おほど》を開《あ》け放《はな》して置《お》いたので朝《あさ》の寒《さむ》さが侵入《しんにふ》したのに氣《き》がついて 「おつかあ、寒《さむ》かなかつたか、俺《お》ら知《し》らねえで居《ゐ》た」いひながら大戸《おほど》をがら/\と閉《し》めた。闇《くら》くなつた家《いへ》の内《うち》には竈《かまど》の火《ひ》のみが勢《いきほ》ひよく赤《あか》く立つた。おつぎは 「おゝ冷《つめ》てえ」といひながら竈《かまど》の口《くち》から捲《まく》れて出《で》る※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《ほのほ》へ手《て》を翳《かざ》して 「今朝《けさ》は芋《いも》の水《みづ》氷《こほ》つたんだよ」とお袋《ふくろ》の方《はう》を向《む》いていつた。 「うむ、霜《しも》も降《ふ》つたやうだな」お品《しな》は力《ちから》なくいつた。戸口《とぐち》を後《うしろ》にしてお品《しな》は竈《かまど》の火《ひ》のべろ/\と燃《も》え上《あが》るのを見《み》た。 「何處《どこ》でも眞白《まつしろ》だよ」おつぎは竹《たけ》の火箸《ひばし》で落葉《おちば》を掻《か》き立《た》てながらいつた。 「夜明《よあけ》にひどく冷々《ひや/\》したつけかんな」お品《しな》はいつて一寸《ちよつと》首《くび》を擡《もた》げながら 「俺《お》ら今朝《けさ》はたべたかねえかんな、汝《われ》構《かま》あねえで出來《でき》たらたべた方《はう》がえゝぞ」お品《しな》はいつた。又《また》氷《こほ》つた飯《めし》で雜炊《ざふすゐ》が煮《に》られた。 「おつかあ、ちつとでもやらねえか」おつぎは茶碗《ちやわん》をお袋《ふくろ》の枕元《まくらもと》へ出《だ》した。雜炊《ざふすゐ》の焦《こ》げついたやうな臭《にほ》ひがぷんと鼻《はな》を衝《つ》いた時《とき》お品《しな》は箸《はし》を執《と》つて見《み》ようかと思《おも》つて俯伏《うつぶ》しになつて見《み》たが、直《すぐ》に壓《いや》になつて畢《しま》つた。お品《しな》が動《うご》いたので懷《ふところ》の與吉《よきち》は泣《な》き出《だ》した。お品《しな》は俯伏《うつぶ》した儘《まゝ》乳房《ちぶさ》を含《ふく》ませた。さうして又《また》芋《いも》の串《くし》を拵《こしら》へて持《も》たせた。  お品《しな》が表《おもて》の大戸《おほど》を開《あ》けさせた時《とき》は日《ひ》がきら/\と東隣《ひがしどなり》の森《もり》越《ご》しに庭《には》へ射《さ》し掛《か》けてきつかりと日蔭《ひかげ》を限《かぎ》つて解《と》け殘《のこ》つた霜《しも》が白《しろ》く見《み》えて居《ゐ》た。庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》の枯葉《かれは》からも、枝《えだ》へ掛《か》けた大根《だいこ》の葉《は》からも霜《しも》が解《と》けて雫《しづく》がまだぽたり/\と垂《た》れて居《ゐ》る。庭《には》へ敷《し》いてある庭葢《にはぶた》の藁《わら》も只《たゞ》ぐつしりと濕《しめ》つて居《ゐ》る。冬《ふゆ》になると霜柱《しもばしら》が立《た》つので庭《には》へはみんな藁屑《わらくづ》だの蕎麥幹《そばがら》だのが一|杯《ぱい》に敷《し》かれる。それが庭葢《にはぶた》である。霜柱《しもばしら》が庭《には》から先《さき》の桑畑《くはばたけ》にぐらり/\と倒《たふ》れつゝある。  お品《しな》は蒲團《ふとん》の中《なか》でも滅切《めつきり》暖《あたゝ》かく成《な》つたことを感《かん》じた。時々《とき/″\》枕《まくら》を擡《もた》げて戸口《とぐち》から外《そと》を見《み》る。さうしては麥藁俵《むぎわらだはら》の側《そば》に置《お》いた蒟蒻《こんにやく》の手桶《てをけ》をどうかすると無意識《むいしき》に見《み》つめる。横《よこ》に成《な》つて居《ゐ》る目《め》からは東隣《ひがしどなり》の森《もり》の梢《こずゑ》が妙《めう》に變《かは》つて見《み》えるので凝然《ぢつ》と見《み》つめては目《め》が疲《つか》れるやうに成《な》るので又《また》蒟蒻《こんにやく》の手桶《てをけ》へ目《め》を移《うつ》したりした。お品《しな》はどうかして少《すこ》しでも蒟蒻《こんにやく》を減《へ》らして置《お》きたいと思《おも》つた。お品《しな》は其《その》内《うち》に起《お》きられるだらうと考《かんが》へつゝ時々《とき/″\》うと/\と成《な》る。 「切干《きりぼし》でも切《き》つたもんだかな」おつぎが庭《には》から大《おほ》きな聲《こゑ》でいつた時《とき》お品《しな》はふと枕《まくら》を擡《もた》げた。それでおつぎの聲《こゑ》は意味《いみ》も解《わか》らずに微《かす》かに耳《みゝ》に入《い》つた。  暫《しばら》くたつてからお品《しな》は庭《には》でおつぎがざあと水《みづ》を汲《く》んでは又《また》間《あひだ》を隔《へだ》てゝざあと水《みづ》を汲《く》んで居《ゐ》るのを聞《き》いた。おつぎは大根《だいこ》を洗《あら》つた。おつぎは庭葢《にはぶた》の上《うへ》に筵《むしろ》を敷《し》いて暖《あたゝ》かい日光《につくわう》に浴《よく》しながら切干《きりぼし》を切《き》りはじめた。大根《だいこ》を横《よこ》に幾《いく》つかに切《き》つて、更《さら》にそれを竪《たて》に割《わ》つて短册形《たんざくがた》に刻《きざ》む。おつぎは飯臺《はんだい》へ渡《わた》した爼板《まないた》の上《うへ》へとん/\と庖丁《はうちやう》を落《おと》しては其《その》庖丁《はうちやう》で白《しろ》く刻《きざ》まれた大根《だいこ》を飯臺《はんだい》の中《なか》へ扱《こ》き落《おと》す。お品《しな》は切干《きりぼし》を刻《きざ》む音《おと》を聞《き》いた時《とき》先刻《さつき》のは大根《だいこ》を洗《あら》つて居《ゐ》たのだなと思《おも》つた。お品《しな》は二三|日《にち》此《この》來《かた》もう切干《きりぼし》も切《き》らなければならないと自分《じぶん》が口《くち》について云《い》つて居《ゐ》たことを思《おも》ひ出《だ》して、おつぎが能《よ》く機轉《きてん》を利《き》かしたと心《こゝろ》で悦《よろこ》んだ。庖丁《はうちやう》の音《おと》が雨戸《あまど》の外《そと》に近《ちか》く聞《きこ》える。お品《しな》は身體《からだ》を半分《はんぶん》蒲團《ふとん》からずり出《だ》して見《み》たら、手拭《てぬぐひ》で髮《かみ》を包《つゝ》んで少《すこ》し前屈《まへかゞ》みになつて居《ゐ》るおつぎの後姿《うしろすがた》が見《み》えた。 「大根《だいこ》は分《わか》つたのか」お品《しな》は聞《き》いた。 「分《わか》つてるよ」おつぎは庖丁《はうちやう》の手《て》を止《とゞ》めて横《よこ》を向《むい》て返辭《へんじ》した。お品《しな》は又《また》蒲團《ふとん》へくるまつた。さうしてまだ下手《へた》な庖丁《はうちやう》の音《おと》を聞《き》いた。お品《しな》の懷《ふところ》に居《ゐ》た與吉《よきち》は退屈《たいくつ》してせがみ出《だ》した。おつぎは夫《それ》を聞《き》いて 「そうら、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、24-7]《ねえ》が處《とこ》へでも來《き》て見《み》ろ」といひながら忙《せは》しくぽつと一燻《ひとく》べ落葉《おちば》を燃《もや》して衣物《きもの》を灸《あぶ》つて與吉《よきち》へ着《き》せた。 「よき[#「よき」に傍点]は利口《りこう》だから※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、24-9]《ねえ》が處《とこ》に居《ゐ》るんだぞ」お品《しな》はいつた。おつぎは自分《じぶん》の筵《むしろ》の上《うへ》へ抱《だ》いて行《い》つた。おつぎの手《て》は落葉《おちば》の埃《ほこり》で汚《よご》れて居《ゐ》た。再《ふたゝ》び庖丁《はうちやう》を持《も》つた時《とき》大根《だいこ》には指《ゆび》の趾《あと》がついた。おつぎは其《その》手《て》を半纏《はんてん》で拭《ぬぐ》つた。與吉《よきち》は側《そば》で刻《きざ》まれた大根《だいこ》へ手《て》を出《だ》す。 「危險《あぶねえ》よ、さあ此《これ》でも持《も》つて居《ゐ》ろ」おつぎは切《き》り掛《か》けの大根《だいこ》をやつた。與吉《よきち》は直《すぐ》にそれを噛《か》ぢつた。 「辛《から》くて仕《し》やうあんめえなよき[#「よき」に傍点]は」おつぎは甘《あま》やかすやうにいつた。お品《しな》にはそれが能《よ》く聞《きこ》えて二人《ふたり》がどんなことをして居《ゐ》るのかゞ分《わか》つた。お品《しな》の耳《みゝ》には續《つゞ》いて 「ぽうんとしたか、そらそつちへ行《い》つちやつた」といふ聲《こゑ》がしたかと思《おも》ふと 「こんだはぽうんとすんぢやねえかんな」といふ聲《こゑ》やそれから又《また》 「それ持《も》ち出《だ》すんぢやねえ、聽《き》かねえと此《これ》で切《き》つてやんぞ、赤《あか》まんまが出《で》るぞおゝ痛《いて》え」抔《など》とおつぎのいふのが聞《きこ》えた。其《その》度《たび》に庖丁《はうちやう》の音《おと》が止《や》む。お品《しな》には與吉《よきち》が惡戯《いたづら》をしたり、おつぎが痛《いた》いといつて指《ゆび》を啣《くは》へて見《み》せれば與吉《よきち》も自分《じぶん》の手《て》を口《くち》へ當《あて》て居《ゐ》るのが目《め》に見《み》えるやうである。お品《しな》はおつぎを平常《ふだん》から八釜敷《やかましく》して居《ゐ》たので餘所《よそ》の子《こ》よりも割合《わりあひ》に動《うご》けると思《おも》つて居《ゐ》るけれど、與吉《よきち》と巫山戯《ふざけ》たりして居《ゐ》るのを見《み》るとまだ子供《こども》だといふことが念頭《ねんとう》に浮《うか》ぶ。自分《じぶん》が勘次《かんじ》と相《あひ》知《し》つたのは十六の秋《あき》である。おつぎは恁《か》うして大人《おとな》らしく成《な》るであらうかと何時《いつ》になくそんなことを思《おも》つた。おつぎは十五であつた。  午餐《ひる》もお品《しな》は欲《ほ》しくなかつた。自分《じぶん》でも今日《けふ》は商《あきなひ》に出《で》られないと諦《あきら》めた。明日《あす》に成《な》つたらばと思《おも》つて居《ゐ》た。然《しか》しそれは空頼《そらだのみ》であつた。お品《しな》は依然《いぜん》として枕《まくら》を離《はな》れられない。有繋《さすが》に不安《ふあん》の念《ねん》が先《さき》に立《た》つた。お品《しな》はつい近頃《ちかごろ》行《い》つた勘次《かんじ》の事《こと》が頻《しき》りに思《おも》ひ出《だ》されて、こつちであれ程《ほど》働《はたら》いて行《い》つたのに屹度《きつと》休《やす》みもしないで錢取《ぜにとり》をして居《ゐ》るのだらうと思《おも》ふと、寒《さむ》くてもシヤツ一《ひと》つになつて、後《のち》には其《その》シヤツの端《はし》が拔《ぬ》け出《だ》して能《よ》く臍《へそ》が出《で》ることや、夜《よる》になると能《よ》く骨《ほね》がみり/\する樣《やう》だといつたことが目《め》の前《まへ》にあるやうで何《なん》だか逢《あ》ひたくて堪《たま》らぬやうな心持《こゝろもち》がするのであつた。  勘次《かんじ》は利根川《とねがは》の開鑿工事《かいさくこうじ》へ行《い》つて居《ゐ》た。秋《あき》の頃《ころ》から土方《どかた》が勸誘《くわんいう》に來《き》て大分《だいぶ》甘《うま》い噺《はなし》をされたので此《こ》の近村《きんそん》からも五六|人《にん》募集《ぼしふ》に應《おう》じた。勘次《かんじ》は工事《こうじ》がどんなことかも能《よ》く知《し》らなかつたが一|日《にち》の手間《てま》が五十|錢《せん》以上《いじやう》にもなるといふので、それが其《その》季節《きせつ》としては法外《はふぐわい》な値段《ねだん》なのに惚《ほ》れ込《こ》んで畢《しま》つたのである。工事《こうじ》の場所《ばしよ》は霞《かすみ》ヶ|浦《うら》に近《ちか》い低地《ていち》で、洪水《こうずゐ》が一|旦《たん》岸《きし》の草《くさ》を沒《ぼつ》すと湖水《こすゐ》は擴大《くわくだい》して川《かは》と一《ひと》つに只《たゞ》白々《しら/″\》と氾濫《はんらん》するのを、人工《じんこう》で築《きづ》かれた堤防《ていばう》が僅《わづか》に湖水《こすゐ》と川《かは》とを區別《くべつ》するあたりである。勘次《かんじ》は自分《じぶん》の土地《とち》と比較《ひかく》して茫々《ばう/\》たるあたりの容子《ようす》に呑《の》まれた。さうして工夫等《こうふら》に權柄《けんぺい》にこき使《つか》はれた。  勘次《かんじ》は愈《いよ/\》傭《やと》はれて行《ゆ》くとなつた時《とき》收穫《とりいれ》を急《いそ》いだ。冬至《とうじ》が近《ちか》づく頃《ころ》には田《た》はいふまでもなく畑《はたけ》の芋《いも》でも大根《だいこ》でもそれぞれ始末《しまつ》しなくてはならぬ。勘次《かんじ》はお品《しな》が起《お》きて竈《かまど》の火《ひ》を點《つ》けるうちには庭葢《にはぶた》へ籾《もみ》の筵《むしろ》を干《ほ》したりそれから獨《ひと》りで磨臼《すりうす》を挽《ひ》いたりして、それから大根《だいこ》も干《ほ》したり土《つち》へ活《い》けたりして闇《くら》いから闇《くら》いまで働《はたら》いた。それでも籾《もみ》が少《すこ》しと畑《はたけ》が少《すこ》し殘《のこ》つたのをお品《しな》がどうにかするといつたので出《で》て行《い》つたのである。  工事《こうじ》の箇所《かしよ》へは廿|里《り》もあつた。勘次《かんじ》は行《ゆ》けば直《すぐ》に錢《ぜに》になると思《おも》つたので漸《やうや》く一|圓《ゑん》ばかりの財布《さいふ》を懷《ふところ》にした。辨當《べんたう》をうんと背負《しよ》つたので目的地《もくてきち》へつくまでは渡錢《わたしせん》の外《ほか》には一|錢《せん》も要《い》らなかつた。  勘次《かんじ》は夜《よる》ついて其《その》次《つぎ》の日《ひ》には疲《つか》れた身體《からだ》で仕事《しごと》に出《で》た。彼《かれ》は半日《はんにち》でも無駄《むだ》な飯《めし》を喰《く》ふことを恐《おそ》れた。然《しか》し其《そ》の次《つぎ》の日《ひ》は過激《くわげき》な勞働《らうどう》から俗《ぞく》にそら手[#「そら手」に傍点]というて手《て》の筋《すぢ》が痛《いた》んだので二三|日《にち》仕事《しごと》に出《で》られなかつた。それから六七|日《にち》たつて烈《はげ》しい西風《にしかぜ》が吹《ふ》いた。勘次《かんじ》は薄《うす》い蒲團《ふとん》へくるまつて日《ひ》の中《うち》から冷《ひ》えてた足《あし》が暖《あたゝま》らなかつた。うと/\と熟睡《じゆくすゐ》することも出來《でき》ないで輾轉《ごろ/\》して長《なが》い夜《よ》を漸《やうや》く明《あか》した。  其《そ》の次《つぎ》の日《ひ》彼《かれ》は硬《こは》ばつたやうに感《かん》ずる手《て》を動《うご》かして冷《つめ》たいシヤブルの柄《え》を執《と》つて泥《どろ》にくるまつて居《ゐ》た。さうして居《ゐ》る處《ところ》へ村《むら》の近所《きんじよ》のものがひよつこり尋《たづ》ねて來《き》たので彼《かれ》は狐《きつね》にでも魅《つま》まれたやうに只《たゞ》驚《おどろ》いた。近所《きんじよ》の者《もの》は大勢《おほぜい》が只《たゞ》泥《どろ》のやうになつて動《うご》いて居《ゐ》るのでどれがどうとも識別《みわけ》がつかないで困《こま》つたといつて、勘次《かんじ》に逢《あ》うたことを反覆《くりかへ》して只《たゞ》悦《よろこ》んだ。途中《とちゆう》へ一晩《ひとばん》泊《とま》つたといふやうなことをいつて勘次《かんじ》が心《こゝろ》忙《せは》しく聞《き》く迄《まで》は理由《わけ》をいはなかつた。勘次《かんじ》は漸《やうや》くお品《しな》に頼《たの》まれて來《き》たのだといふことを知《し》つた。勘次《かんじ》はお品《しな》が病氣《びやうき》に罹《かゝ》つたのだといふのを聞《き》いて萬一《もし》かといふ懸念《けねん》がぎつくり胸《むね》にこたへた。さうして反覆《くりかへ》してどんな鹽梅《あんばい》だと聞《き》いた。噺《はなし》の容子《ようす》ではそれ程《ほど》でもないのかと思《おも》つても見《み》たが、それでも勘次《かんじ》は口《くち》を利《き》くにも唾《つば》が喉《のど》からぐつと突《つ》つ返《かへ》して來《く》るやうで落付《おちつ》かれなかつた。  其《そ》の日《ひ》の夜中《よなか》に彼等《かれら》は立《た》つた。勘次《かんじ》は自分《じぶん》も急《いそ》ぐし使《つかひ》を疲《つか》れた足《あし》で歩《ある》かせることも出來《でき》ないので霞《かすみ》ヶ|浦《うら》を汽船《きせん》で土浦《つちうら》の町《まち》へ出《で》た。夜《よる》は汽船《きせん》で明《あ》けたがどうしたのか途中《とちう》で故障《こしやう》が出來《でき》たので土浦《つちうら》へ着《つ》いたのは豫定《よてい》の時間《じかん》よりは遙《はろか》に後《おく》れて居《ゐ》た。土浦《つちうら》の町《まち》で勘次《かんじ》は鰯《いわし》を一包《ひとつゝ》み買《か》つて手拭《てねぐひ》で括《くゝ》つてぶらさげた。土浦《つちうら》から彼《かれ》は疲《つか》れた足《あし》を後《あと》に捨《す》てゝ自分《じぶん》は力《ちから》の限《かぎ》り歩《ある》いた。それでも村《なら》へはひつた時《とき》は行《ゆ》き違《ちが》ふ人《ひと》がぼんやり分《わか》る位《くらゐ》で自分《じぶん》の戸口《とぐち》に立《た》つた時《とき》は薄暗《うすくら》い手《て》ランプが柱《はしら》に懸《かゝ》つて燻《くす》ぶつて居《ゐ》た。勘次《かんじ》はひつそりとした家《いへ》のなかに直《すぐ》に蒲團《ふとん》へくるまつて居《ゐ》るお品《しな》の姿《すがた》を見《み》た。それからお品《しな》の足《あし》を揣《さす》つて居《ゐ》るおつぎに目《め》を移《うつ》した。  勘次《かんじ》は大戸《おほど》をがらりと開《あ》けて閾《しきゐ》を跨《また》いだ時《とき》何《なに》もいはずに只《たゞ》 「どうしてえ」といふのが先《さき》であつた。お品《しな》は勘次《かんじ》の聲《こゑ》を聞《き》いて思《おも》はず枕《まくら》を動《うご》かして 「勘次《かんじ》さんか」といつて更《さら》に 「南《みなみ》のおとつゝあは行《ゆ》き違《ちげえ》にでもならなかつたんべかな」といつた。 「行逢《いきや》つたよ。そんだがお前《めえ》どんな鹽梅《あんべえ》なんでえ」 「俺《お》らそれ程《ほど》でねえと思《おも》つて居《ゐ》たが三四日《さんよつか》横《よこ》に成《な》つた切《きり》でなあ、それでも今日等《けふら》はちつたあえゝやうだから此《この》分《ぶん》ぢや直《すぐ》に吹《ふ》つ返《けえ》すかとも思《おも》つてんのよ」 「そんぢやよかつた、俺《お》ら只《たゞ》ぢや歩《ある》いてもよかつたが、南《みなみ》こと又《また》歩《ある》かせちや濟《す》まねえから同志《どうし》に土浦《つちうら》まで汽船《じようき》で乘《の》つ着《つ》けたんだが、南《みなみ》は草臥《くたび》れたもんだから俺《お》ら先《さき》へ出《で》たんだがな、南《みなみ》もあの分《ぶん》ぢや今夜《こんや》もなか/\容易《ようい》ぢやあんめえよ、それに汽舩《じようき》が又《また》後《おく》れつちやつてな」  勘次《かんじ》はいひながら草鞋《わらじ》をとつた。手拭《てぬぐひ》の端《はし》へ括《くゝ》つて來《き》た鰯《いわし》の包《つゝ》みをかさりとお品《しな》の枕元《まくらもと》へ投《な》げて、首《くび》へつけて居《ゐ》た風呂敷《ふろしき》包をどさりと置《お》いて勘次《かんじ》は庭《には》へ出《で》て足《あし》を洗《あら》つた。勘次《かんじ》はお品《しな》の枕元《まくらもと》へ座《ざ》を占《し》めた。 「そんなに惡《わる》くなくつちやそれでもよかつた、俺《お》らどうしたかと思《おも》つてな」勘次《かんじ》は改《あらた》めて又《また》いつた。 「お品《しな》おまんまは喰《た》べてか」勘次《かんじ》はつけ足《た》した。 「先刻《さつき》おつうに米《こめ》のお粥《けえ》炊《た》いて貰《もら》つてそれでもやつと掻《か》つ込《こ》んだところだよ」 「それぢやどうした、途中《とちゆう》で見付《みつ》けて來《き》たんだから一|疋《ぴき》やつて見《み》ねえか」勘次《かんじ》は手《て》ランプをお品《しな》の枕元《まくらもと》へ持《も》つて來《き》て鰯《いわし》の包《つゝみ》を解《と》いた。鰯《いわし》は手《て》ランプの光《ひかり》できら/\と青《あを》く見《み》えた。 「ほんによなあ」お品《しな》は俯伏《うつぶ》しになつて恁《か》ういつた。 「おつう、其處《そこ》へ火《ひ》でも吹《ふ》つたけて見《み》ねえか」勘次《かんじ》はいつた。 「勘次《かんじ》さんそら大變《たいへん》だつけな、俺《お》らそんなにや要《え》らなかつたな」 「今《いま》だから何時《いつ》までも保《も》つよ、さうしてお前《めえ》も力《ちから》つけろな」 「汽船《じようき》に乘《の》つて來《き》たつて餘《よ》つ程《ぽど》費用《かゝり》も掛《かゝ》つたんべな」 「さうよ、二人《ふたり》で六十|錢《せん》ばかりだが此《これ》は俺《おれ》出《だ》したのよ、南《みなみ》に出《だ》させる譯《わけ》にも行《え》かねえかんな」 「それぢや稼《かせ》えだ錢《ぜね》それだけ立投《たてなげ》にしつちやつたな」 「そんでも財布《せえふ》にやまあだ有《あ》るよ、七日《なぬか》ばかり働《はたら》えてそれでも二|兩《りやう》は殘《のこ》つたかんな、そんで又《また》行《い》く筈《はず》で前借《さきがり》少《すこ》しして來《き》たんだ、こつちの方《はう》から行《い》つてる連中《れんぢう》が保證《ほしよう》してくれてな」勘次《かんじ》は誇《ほこ》り顏《がほ》にいつた。 「俺《お》ら今日《けふ》見《み》てえだらえゝが、酷《ひど》く行逢《いきや》ひたくなつてなあ」お品《しな》は俯伏《うつぶ》した額《ひたひ》を枕《まくら》につけた。 「どうせ此處《ここ》らの始末《しまつ》もしねえで行《い》つたんだから、一遍《いつぺん》は途中《とちう》で歸《けえ》つて見《み》なくつちや成《な》らねえのがだから同《おな》じ事《こと》だよ」勘次《かんじ》はお品《しな》を覗《のぞ》き込《こむ》やうにしていつた。 「それでも俵《たはら》にしちや置《お》いたな」勘次《かんじ》は壁際《かべぎは》の麥藁俵《むぎわらだはら》を見《み》ていつた。お品《しな》はまだ俯伏《うつぶ》した儘《まゝ》である。 「あつちに居《ゐ》ちや錢《ぜに》は要《え》らねえな、煙草《たばこ》一|服《ぷく》吸《す》ふべえぢやなし、十五|日目《にちめ》が晦日《みそか》でそれまでは勘定《かんぢやう》なしで其《その》間《あひだ》は米《こめ》でも薪《まき》でもみんな通帳《かよひ》で借《か》りて置《お》く位《くれえ》なんだから、十五|日目《にちめ》に成《な》らなくつちや財布《せえふ》も膨《ふく》れねえが、又《また》百《ひやく》でも出《で》つこはねえかんな」勘次《かんじ》は更《さら》に出先《でさき》のことをお品《しな》へ聞《き》かせた。 「米《こめ》ばかり炊《た》えても毎日《まいにち》一|升《しよう》づゝは要《え》る位《くれえ》だから骨《ほね》も隨分《ずゐぶん》折《を》れんが出《で》せえすりや二|貫《くわん》と三|貫《ぐわん》は殘《のこ》せつから、歸《けえ》るまでにや俺《おれ》もどうにか成《な》ると思《おも》つてんのよ、さうすりや鹽鮭《しほびき》位《ぐれえ》は買《か》あことも出來《でき》らな」 「そんぢやよかつた、土方《どかた》なんちや碌《ろく》な奴等《やつら》は居《え》ねえつていふからどうしたかと思《おも》つてな」お品《しな》は首《くび》を擡《もた》げた。 「そんな奴等《やつら》と交際《つきえゝ》した日《ひ》にや限《かぎり》はねえが、隅《すみ》の方《はう》にちゞまつてりや何《なん》ともゆはねえな」勘次《かんじ》がついて居《ゐ》る間《あひだ》におつぎは枯粗朶《かれそだ》を折《をつ》て火鉢《ひばち》へ火《ひ》を起《おこ》した。勘次《かんじ》は火箸《ひばし》を渡《わた》して鰯《いわし》を三《み》つばかり乘《の》せた。鰯《いわし》の油《あぶら》がぢり/\と垂《た》れて青《あを》い焔《ほのほ》が立《た》つた。鰯《いわし》の臭《にほひ》が薄《うす》い煙《けむり》と共《とも》に室内《しつない》に滿《み》ちた。さうして其《その》臭《にほひ》がお品《しな》の食慾《しよくよく》を促《うなが》した。お品《しな》は俯伏《うつぶ》したなりで煙臭《けぶりくさ》くなつた鰯《いわし》を喰《た》べた。 「どうした鹽辛《しよつぱ》かあ有《あ》んめえ」 「有繋《まさか》佳味《うめ》えな」 「此《これ》でもこゝらの商人《あきんど》は持《も》つちや來《き》ねえぞ」勘次《かんじ》は一心《いつしん》に見《み》ながらいつた。  お品《しな》は二匹《にひき》へ手《て》をつけて箸《はし》を置《お》きながら懷《ふところ》で眠《ねむ》つて居《ゐ》る與吉《よきち》を覗《のぞ》いて 「起《お》きて居《ゐ》たら大騷《おほさわ》ぎだんべ」といつた。 「いまつとたべろな」勘次《かんじ》はいつた。 「澤山《たくさん》だよ、おつうげもやつてくろうな」 「俺《おれ》も飯《めし》でも食《く》はうかえ」勘次《かんじ》は風呂敷包《ふろしきづゝみ》から辨當《べんたう》の殘《のこり》を出《だ》して冷《つめ》たい儘《まゝ》ぷす/\と噛《かぢ》つた。 「おうつ、お茶《ちや》は冷《つ》めたくなつたつけかな」お品《しな》はいつた。 「要《えら》ねえぞ仕事《しごと》に出《で》りや毎日《まえんち》かうだ」勘次《かんじ》は梅干《うめぼし》を少《すこ》しづゝ嘗《な》め減《へ》らした。辨當《べんたう》が盡《つ》きてから勘次《かんじ》は鰯《いわし》をおつぎへ挾《はさ》んでやつた。さうして自分《じぶん》でも一|口《くち》たべた。 「此《こ》りや佳味《うめ》えこたあ佳味《うめ》えが餘《あんま》りあまくつて俺《おら》がにや胸《むね》が惡《わる》くなるやうだな」勘次《かんじ》は冷《さ》めた湯《ゆ》を幾杯《いくはい》か傾《かたぶ》けた。勘次《かんじ》は風呂敷《ふろしき》から袋《ふくろ》を出《だ》してお品《しな》の枕元《まくらもと》へ置《お》いて 「米《こめ》これだけ殘《のこ》つたから持《も》つて來《き》たんだ、あつちに居《ゐ》ればえゝが幾日《いつか》でも明《あ》けると炊《た》かれつちやつても仕《し》やうねえかんな、そんぢや此《こ》りやおつうげやつて置《お》くんだ」  勘次《かんじ》は米《こめ》の小《ちひ》さな袋《ふくろ》をおつぎへ渡《わた》した。 「袋《ふくろ》なんぞ又《また》何《なん》だと思《おも》つたよ」お品《しな》は輕《かる》くいつた。 「それでも薪《まき》は持《も》つて來《く》る譯《わけ》にも行《い》かねえから置《お》いて來《き》つちやつた」勘次《かんじ》は自《みづか》ら嘲《あざけ》るやうに目《め》から口《くち》へ掛《か》けて冷《つめ》たい笑《わらひ》が動《うご》いた。 「お品《しな》、足《あし》でもさすつてやんべぢやねえか」勘次《かんじ》はお品《しな》の裾《すそ》の方《はう》へ行《い》つた。 「えゝよ勘次《かんじ》さん、俺《お》ら今日《けふ》は日《ひ》のうちから心持《こゝろもち》えゝんだから、先刻《さつき》もおつうが揣《さす》つてやんべなんていふもんだから少しもやつてくろつて云《ゆ》つた處《ところ》だよ、こんぢや二三日《にさんち》も過《す》ぎたら勘次《かんじ》さんは又《また》行《い》けべえよ」お品《しな》は快《こゝろ》よげにいつた。 「今夜《こんや》はひどく心持《こゝろもち》えゝんだよ、えゝよ本當《ほんたう》だよ勘次《かんじ》さん、お前《めえ》草臥《くたびれ》たんべえな」更《さら》にお品《しな》は威勢《ゐせい》がついていつた。  夜《よ》は深《ふ》けた。外《そと》の闇《やみ》は氷《こほ》つたかと思《おも》ふやうに只《たゞ》しんとした。蒟蒻《こんにやく》の水《みづ》にも紙《かみ》の如《ごと》き氷《こほり》が閉《と》ぢた。          三  次《つぎ》の朝《あさ》霜《しも》は白《しろ》く庭葢《にはぶた》の藁《わら》におりた。切干《きりぼし》の筵《むしろ》は三枚《さんまい》ばかり其《その》庭葢《にはぶた》の上《うへ》に敷《し》いた儘《まゝ》で、切干《きりぼし》には氷《こほり》を粉末《ふんまつ》にしたやうな霜《しも》が凝《こ》つて居《ゐ》て、東《ひがし》の森《もり》の隙間《すきま》から射《さ》し透《とほ》す朝日《あさひ》にきら/\と光《ひか》つた。白《しろ》い切干《きりぼし》は蒸《む》さずに干《ほ》したのであつた。切干《きりぼし》は雨《あめ》が降《ふ》らねば埃《ほこり》だらけに成《な》らうが芥《ごみ》が交《まじ》らうが晝《ひる》も夜《よる》も筵《むしろ》は敷《し》き放《はな》しである。  勘次《かんじ》は霜柱《しもばしら》の立《たつ》てる小徑《こみち》を南《みなみ》へ行《い》つた。昨夜《ゆうべ》遲《おそ》かつたことやら何《なに》やら噺《はなし》をして暇《ひま》どつた。庭先《にはさき》から續《つゞ》く小《ちひ》さな桑畑《くはばたけ》の向《むかふ》に家《いへ》が見《み》えるので、平生《へいぜい》それを勘次《かんじ》の家《いへ》でも唯《たゞ》南《みなみ》とのみいつて居《ゐ》る。彼《かれ》が薦《こも》つくこ[#「薦《こも》つくこ」に傍点]を擔《かつ》いで歸《かへ》つて來《き》た時《とき》は日向《ひなた》の霜《しも》が少《すこ》し解《と》けて粘《ねば》ついて居《ゐ》た。お品《しな》は勘次《かんじ》が一寸《ちよつと》の間《ま》居《ゐ》なく成《な》つたので酷《ひど》く寂《さび》しかつた。此《こ》の朝《あさ》になつてからもお品《しな》の容態《ようだい》がいゝので勘次《かんじ》はほつと安心《あんしん》した。さうして斜《なゝめ》に遠《とほ》くから射《さ》す冬《ふゆ》の日《ひ》を浴《あ》びながら庭葢《にはぶた》の上《うへ》に筵《むしろ》を敷《し》いて俵《たはら》を編《あ》みはじめた。薦《こも》つくこは兩端《りやうたん》に足《あし》が附《つ》いて居《い》る。丁度《ちやうど》荷鞍《にぐら》の骨《ほね》のやうな簡單《かんたん》な道具《だうぐ》である。其《その》足《あし》から足《あし》へ渡《わた》した棒《ぼう》へ藁《わら》を一掴《ひとつか》みづゝ當《あ》てゝは八人坊主《はちにんばうず》をあつちへこつちへ打《ぶ》つ違《ちが》ひながら繩《なは》を締《し》めつゝ編《あ》むのである。八人坊主《はちにんばうず》といふのは其《その》繩《なは》を捲《ま》いたいはゞ小《ちひ》さな錘《おもり》である、八《やつ》つあるので八人坊主《はちにんばうず》といつて居《ゐ》る。小作米《こさくまい》を入《い》れる藁俵《わらだはら》を四五|俵分《へうぶん》作《つく》らねば成《な》らぬことが稼《かせ》ぎに出《で》る時《とき》から彼《かれ》には心掛《こころがか》りであつた。すぐつた藁《わら》も繩《なは》も別《べつ》に取《と》つて置《お》きながら只《たゞ》忙《せは》しくて放棄《うつちや》つて出《で》て行《い》つたのである。  お品《しな》は毎日《まいにち》閉《し》め切《き》つて居《ゐ》た表《おもて》の雨戸《あまど》を一|枚《まい》だけ開《あ》けさせた。からりとした蒼《あを》い空《そら》が見《み》えて日《ひ》が自分《じぶん》の居《ゐ》る蒲團《ふとん》に近《ちか》くまで偃《は》つた。お品《しな》は此《こ》れまでは明《あか》るい外《そと》を見《み》ようと思《おも》ふには餘《あま》りに心《こゝろ》が鬱《うつ》して居《ゐ》た。お品《しな》は庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》から垂《た》れた大根《だいこ》が褐色《かつしよく》に干《ひ》て居《ゐ》るのを見《み》た。おつぎも勘次《かんじ》の横《よこ》へ筵《むしろ》を敷《し》いて又《また》大根《だいこ》を切《き》つて居《ゐ》る。其《その》庖丁《はうちやう》のとん/\と鳴《な》る間《あひだ》に忙《せは》しく八人坊主《はちにんばうず》を動《うご》かしてはさらさらと藁《わら》を扱《しご》く音《おと》が微《かす》かに交《まじ》つて聞《きこ》える。お品《しな》は二人《ふたり》の姿《すがた》を前《まへ》にして酷《ひど》く心強《こゝろづよ》く感《かん》じた。其《そ》の日《ひ》は栗《くり》の木《き》に懸《か》けた大根《だいこ》の動《うご》かぬ程《ほど》穩《おだや》かな日《ひ》であつた。お品《しな》は此《こ》の分《ぶん》で行《ゆ》けば一枚紙《いちまいがみ》を剥《は》がすやうに快《こゝろ》よくなることゝ確信《かくしん》した。勘次《かんじ》は藁俵《わらだはら》を編《あ》み了《を》へて、さうして端《はし》を縛《しば》つた小《ちひ》さな藁《わら》の束《たば》を丸《まる》く開《ひら》いて、それを足《あし》の底《そこ》に踏《ふ》んで踵《かゝと》を中心《ちうしん》に手《て》と足《あし》とを筆規《ぶんまはし》のやうにしてぐる/\と廻《まは》りながら丸《まる》い俵《たはら》ぼつちを作《つく》つた。勘次《かんじ》はお品《しな》がどうにか始末《しまつ》をして置《お》いた麥藁俵《むぎわらだはら》を明《あ》けて仕上《しあ》げた計《ばか》りの藁俵《わらだはら》へ米《こめ》を量《はか》り込《こ》んだ。米《こめ》には赤《あか》い粒《つぶ》もあつたが籾《あら》が少《すこ》し交《まじ》つて居《ゐ》てそれが目《め》に立《た》つた。 「籾《あら》が少《すこ》したかゝつたな[#「たかゝつたな」に傍点]」勘次《かんじ》はふとさういつた。 「さうだつけかな、それでも俺《お》ら唐箕《たうみ》は強《つよ》く立《た》てた積《つもり》なんだがなよ、今年《ことし》は赤《あか》も夥多《しつかり》だが磨臼《するす》の切《き》れ方《かた》もどういふもんだか惡《わり》いんだよ」とお品《しな》は少《すこ》し身《み》を動《うご》かして分疏《いひわけ》するやうにいつた。 「尤《もつと》も此《この》位《くれえ》ぢや旦那《だんな》も大目《おほめ》に見《み》てくれべえから心配《しんぺえ》はあんめえがなよ」勘次《かんじ》は直《すぐ》にお品《しな》の病氣《びやうき》に心付《こゝろづ》いて恁《か》ういつた。壁際《かべぎは》には藁《わら》の器用《きよう》な俵《たはら》が規則正《きそくたゞ》しく積《つ》み換《かへ》られた。お品《しな》はそれを一|心《しん》に見《み》た。それもお品《しな》を快《こゝろ》よくする一《ひと》つであつた。勘次《かんじ》は俵《たはら》の側《そば》な[#「な」に「ママ」の注記]手桶《てをけ》の蓋《ふた》をとつて 「此《こ》りや蒟蒻《こんにやく》だな」といつた。 「俺《お》らそれ仕入《しいれ》たつきり起《おき》られねえんだよ」お品《しな》は枕《まくら》を手《て》で動《うご》かしていつた。勘次《かんじ》は又《また》葢《ふた》をした。  靜《しづ》かな空《そら》をぢり/\と移《うつ》つて行《ゆ》く日《ひ》が傾《かたぶ》いたかと思《おも》ふと一|散《さん》に落《お》ちはじめた。冬《ふゆ》の日《ひ》はもう短《みじか》い頂點《ちやうてん》に達《たつ》して居《ゐ》るのである。勘次《かんじ》はまだ日《ひ》が有《あ》るからといつて鍬《くは》を擔《かつ》いで麥畑《むぎばたけ》へ出《で》た。然《しか》し幾《いく》らも耕《たがや》さぬうちに日《ひ》は落《お》ちて俄《には》かに冷《つめ》たく成《な》つた世間《せけん》は暗澹《あんたん》として來《き》た。お品《しな》は勘次《かんじ》を出《だ》して酷《ひど》く遣瀬《やるせ》ないやうな心持《こゝろもち》になつて、雨戸《あまど》を引《ひか》せて闇《くら》い方《はう》へ向《むい》て目《め》を閉《と》ぢた。  冬至《とうじ》はもう間《あひだ》が二日しか無《な》くなつた。朝《あさ》の内《うち》に勘次《かんじ》は蒟蒻《こんにやく》の葢《ふた》をとつて見《み》て 「どうしたもんだかな、俺《おれ》でも擔《かつ》いて歩《ある》つてんべかな、恁《かう》して置《お》いたんぢや仕《し》やうねえかんな」お品《しな》へ相談《さうだん》して見《み》た。 「さうよな、それよりか俺《お》らどつちかつちつたら大根《だいこ》でも漬《つけ》て貰《もれ》へてえな、毎日《まいんち》栗《くり》の木《き》見《み》て居《ゐ》て干過《ほしす》ぎやしめえかと思《おも》つて心配《しんぺえ》してんだからよ」お品《しな》は訴《うつた》へるやうにいつてさうして更《さら》に 「自分《じぶん》で丈夫《ぢやうぶ》でせえありや疾《とつ》くにやつちまつたんだが」と小聲《こごゑ》でいつた。お品《しな》はどうも勘次《かんじ》を出《だ》すのが厭《いや》であつた。然《しか》し何《なん》だかさう明白地《あからさま》にもいはれないので恁《か》ういつたのであつた。 「勘次《かんじ》さん鹽《しほ》見《み》てくんねえか、俺《お》ら大丈夫《だえぢよぶ》有《あ》ると思《おも》つてたつけがなよ、それからこつちの桶《をけ》の糠《ぬか》がえゝんだよ、そつちのがにや房州砂《ばうしうずな》交《まじ》つてんだから」お品《しな》はいつた。 「おうい」勘次《かんじ》はいつて、 「房州砂《ばうしうずな》でも何《なん》でも構《かま》あめえ、どうで糠《ぬか》喰《く》ふんぢやあんめえし、それにこつちなちつと凝結《こご》つてら」 「勘次《かんじ》さんそんでも入《せ》えんなよ、毒《どく》だつちんだから、俺《おれ》折角《せつかく》別《べつ》にしてたんだから」お品《しな》は少《すこ》し身《み》を起《おこ》し掛《か》けていつた。 「さうかそんぢやさうすべよ」それから鹽《しほ》を改《あらた》めて見《み》て 「どうして此《こ》れだけ使《つか》へ切《き》れるもんけえ」と勘次《かんじ》はいつた。お品《しな》は勘次《かんじ》が梯子《はしご》を掛《か》けて一《ひと》つ/\に大根《だいこ》を外《はず》すのも小糠《こぬか》を筵《むしろ》へ量《はか》るのも白《しろ》い鹽《しほ》を小糠《こぬか》へ交《ま》ぜるのも滿足氣《まんぞくげ》に見《み》て居《ゐ》た。  お品《しな》は勘次《かんじ》を外《ほか》へ遣《や》るのが厭《いや》なのでさうはいはずに時々《とき/″\》おつぎに足《あし》をさすらせた。さうすると勘次《かんじ》は 「どうした幾《いく》らか惡《わる》いのか」と自分《じぶん》も一|心《しん》に蒲團《ふとん》の裾《すそ》へ手《て》を掛《か》ける。勘次《かんじ》は庭《には》から外《そと》へは出《で》られなかつた。  それでも冬至《とうじ》が明日《あす》と迫《せま》つた日《ひ》に勘次《かんじ》は蒟蒻《こんにやく》を持《も》つて出《で》た。お品《しな》もそれは止《と》めなかつた。もう幾人《いくにん》か歩《ある》いた後《あと》なので、思《おも》ふやうには捌《は》けなかつたがそれでも勘次《かんじ》はお品《しな》にひかされて、まだ殘《のこ》つて居《ゐ》る蒟蒻《こんにやく》を擔《かつ》いで歸《かへ》つて來《き》て畢《しま》つた。 「蒟蒻《こんにやく》はお品《しな》がもんだから、錢《ぜに》はみんなおめえげ遣《や》つて置《お》くべ」勘次《かんじ》は銅貨《どうくわ》をぢやら/\とお品《しな》の枕元《まくらもと》へ明《あ》けた。お品《しな》は銅貨《どうくわ》を一つ/\勘定《かんぢやう》した。さうして資本《もとで》を引《ひ》いても幾《いく》らかの剩餘《あまり》があつたので 「勘次《かんじ》さん思《おも》ひの外《ほか》だつけな、まあだあと餘程《よつぽど》あんべえか」といつた。 「幾《いく》らでもねえな、はあ此丈《これだけ》ぢや又《また》出《で》る程《ほど》のこつてもあんめえよ」勘次《かんじ》はいつた。お品《しな》は自分《じぶん》の手《て》で錢《ぜに》を蒲團《ふとん》の下《した》へ入《い》れた。其《そ》の日《ひ》お品《しな》は勘次《かんじ》を出《だ》して情《なさけ》ないやうな心持《こゝろもち》がして居《ゐ》たのであるが、思《おも》つたよりは商《あきなひ》をして來《き》て呉《く》れたので一|日《にち》の不足《ふそく》が全《まつた》く恢復《くわいふく》された。さうして 「菜《な》は畑《はたけ》へ置《お》きつ放《ぱな》しだつけべな」勘次《かんじ》がいつた時《とき》お品《しな》も驚《おどろ》いたやうに 「ほんにさうだつけなまあ、後《おく》れつちやつたつけなあ、俺《お》ら忘《わす》れてたつけが大丈夫《だえぢよぶ》だんべかなあ」といつた。 「そんぢや俺《お》ら今《いま》つからでも曳《ひ》ける丈《だけ》曳《ひ》くべ」勘次《かんじ》はおつぎを連《つ》れて出《で》た。冬至《とうじ》になるまで畑《はたけ》の菜《な》を打棄《うつちや》つて置《お》くものは村《むら》には一人《ひとり》もないのであつた。勘次《かんじ》は荷車《にぐるま》を借《か》りて黄昏《ひくれ》までに二|車《くるま》挽《ひ》いた。青菜《あをな》の下葉《したば》はもうよく/\黄色《きいろ》に枯《か》れて居《ゐ》た。お品《しな》は二人《ふたり》を出《だ》し薄暗《うすぐら》くなつた家《いへ》にぼつさりして居《ゐ》ても畑《はたけ》の收穫《しうくわく》を思案《しあん》して寂《さび》しい不足《ふそく》を感《かん》じはしなかつた。  夏季《かき》の忙《いそが》しいさうして野菜《やさい》の缺乏《けつばふ》した時《とき》には彼等《かれら》の唯一《ゆゐいつ》の副食物《ふくしよくぶつ》が鹽《しほ》を噛《か》むやうな漬物《つけもの》に限《かぎ》られて居《ゐ》るので、大根《だいこ》でも青菜《あをな》でも比較的《ひかくてき》餘計《よけい》な蓄《たくは》へをすることが彼等《かれら》には重大《ぢゆうだい》な條件《でうけん》の一《ひと》つに成《な》つてるのである。  冬至《とうじ》の日《ひ》も靜《しづ》かであつた。此《こ》の頃《ごろ》になつてから此處《ここ》ばかりは忘《わす》れたかと思《おも》ふやうに西風《にしかぜ》が止《や》んで居《ゐ》る。晝《ひる》の一《ひと》しきりは冷《つめ》たい空氣《くうき》を透《とほ》して日《ひ》が暖《あたゝ》かに射《さ》し掛《か》けた。お品《しな》は朝《あさ》から心持《こゝろもち》が晴々《はれ/″\》して日《ひ》が昇《のぼ》るに連《つ》れて蒲團《ふとん》へ起《お》き直《なほ》つて見《み》たが、身體《からだ》が力《ちから》の無《な》いながらに妙《めう》に輕《かる》く成《な》つたことを感《かん》じた。自分《じぶん》の蒲團《ふとん》の側《そば》まで射《さ》し込《こ》む日《ひ》に誘《さそ》ひ出《だ》されたやうに、雨戸《あまど》の閾際《しきゐぎは》まで出《で》て與吉《よきち》を抱《だ》いては倒《たふ》して見《み》たり、擽《くすぐ》つて見《み》たりして騷《さわ》がした。  勘次《かんじ》はおつぎを相手《あひて》に井戸端《ゐどばた》で青菜《あをな》の始末《しまつ》をして居《ゐ》る。根《ね》を切《き》つて桶《をけ》で洗《あら》つた青菜《あをな》は、地《ち》べたへ横《よこた》へた梯子《はしご》の上《うへ》に一|枚《まい》外《はづ》して行《い》つて載《の》せた其《その》戸板《といた》へ積《つ》まれた。菜《な》が洗《あら》ひ畢《をは》つた時《とき》枯葉《かれは》の多《おほ》いやうなのは皆《みな》釜《かま》で茹《ゆ》でゝ後《うしろ》の林《はやし》の楢《なら》の幹《みき》へ繩《なは》を渡《わた》して干菜《ほしな》に掛《か》けた。自分等《じぶんら》の晝餐《ひる》の菜《さい》にも一釜《ひとかま》茹《ゆ》でた。お品《しな》は僅《わづか》な日數《ひかず》を横《よこ》に成《な》つて居《ゐ》たばかりに目《め》が衰《おとろ》へたものか日《ひ》の稍《やゝ》眩《まぶし》いのを感《かん》じつゝ其《そ》の日《ひ》の光《ひかり》を全身《ぜんしん》に浴《あ》びながら二人《ふたり》のするのを見《み》て居《ゐ》た。さうして茹菜《ゆでな》の一皿《ひとさら》が幾《いく》らか渇《かつ》を覺《おぼ》えた所爲《せゐ》か非常《ひじやう》に佳味《うま》く感《かん》じた。  青菜《あをな》の水《みず》が切《き》れたので勘次《かんじ》は桶《をけ》へ鹽《しほ》を振《ふ》つては青菜《あをな》を足《あし》でぎり/\と蹂《ふ》みつけて又《また》鹽《しほ》を振《ふ》つては蹂《ふ》みつける。お品《しな》は鹽《しほ》の加減《かげん》やら何《なに》やら先刻《さつき》から頻《しき》りに口《くち》を出《だ》して居《ゐ》る。勘次《かんじ》はお品《しな》のいふ通《とほ》りに運《はこ》んで居《ゐ》る。  お品《しな》は起《お》きて居《ゐ》ても別《べつ》に疲《つか》れもしないのでそつと草履《ざうり》を穿《は》いて後《うしろ》の戸口《とぐち》から出《で》て楢《なら》の木《き》へ引《ひ》つ張《ぱ》つた干菜《ほしな》を見《み》た。それから林《はやし》を斜《なゝめ》に田《た》の端《はた》へおりて又《また》牛胡頽子《うしぐみ》の側《そば》に立《た》つて其處《そこ》をそつと踏《ふ》み固《かた》めた。それから暫《しばら》く周圍《あたり》を見《み》て立《た》つて居《ゐ》た。お品《しな》は庭先《にはさき》から喚《よ》ぶ勘次《かんじ》の大《おほ》きな聲《こゑ》を聞《き》いた。竹《たけ》や木《き》の幹《みき》に手《て》を掛《か》けながら斜《なゝ》めに林《はやし》をのぼつて後《うしろ》の戸口《とぐち》から家《うち》へもどつた時《とき》更《さら》に叫《さけ》んだ勘次《かんじ》の聲《こゑ》を聞《き》くと共《とも》に、天秤《てんびん》を擔《かつ》いだ儘《まゝ》ぼんやり立《た》つて居《ゐ》る商人《あきんど》の姿《すがた》を庭葢《にはぶた》の上《うへ》に見《み》た。 「お品《しな》卵《たまご》欲《ほ》しいと」勘次《かんじ》は次《つぎ》の桶《をけ》の青菜《あをな》に鹽《しほ》を振《ふ》り掛《か》けながらいつた。 「幾《いく》らか有《あ》つたつけな」お品《しな》は戸棚《とだな》の抽斗《ひきだし》から白《しろ》い皮《かは》の卵《たまご》を廿ばかり出《だ》した。 「おつう、四五日|見《み》ねえで居《ゐ》たつけが塒《とや》にも幾《いく》らか有《あ》つたつけべ、あがつて見《み》ねえか」おつぎに吩附《いひつ》けた。おつぎは米俵《こめだはら》へ登《のぼ》つて其《その》上《うへ》に低《ひく》く釣《つ》つた竹籃《たけかご》の塒《とや》を覗《のぞ》いた時《とき》、牝※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《めんどり》が一|羽《は》けたゝましく飛《と》び出《だ》して後《うしろ》の楢《なら》の木《き》の中《なか》へ鳴《な》き込《こ》んだ。他《た》の鷄《にはとり》も一しきり共《とも》に喧《やかま》しく鳴《な》いた。おつぎは手《て》を延《の》ばしては卵《たまご》を一つ/\に取《と》つて袂《たもと》へ入《い》れた。おつぎは袂《たもと》をぶら/\させて危相《あぶなさう》に米俵《こめだはら》を降《お》りた。其處《そこ》にも卵《たまご》は六つばかりあつた。商人《あきんど》は卸《おろ》した四|角《かく》なぼて笊《ざる》から眞鍮《しんちう》の皿《さら》と鍵《かぎ》が吊《つる》された秤《はかり》を出《だ》した。 「掛《かけ》は幾《いく》らだね」お品《しな》は聞《き》いた。 「十一|半《はん》さ、近頃《ちかごろ》どうも安《やす》くつてな」商人《あきんど》はいひながら淺《あさ》い目笊《めざる》へ卵《たまご》を入《い》れて萠黄《もえぎ》の紐《ひも》のたどり[#「たどり」に傍点]を持《も》つて秤《はかり》の棹《さを》を目《め》八|分《ぶ》にして、さうして分銅《ふんどう》の絲《いと》をぎつと抑《おさ》へた儘《まゝ》銀色《ぎんいろ》の目《め》を數《かぞ》へた。玩具《おもちや》のやうな小《ちひ》さな十露盤《そろばん》を出《だ》して商人《あきんど》は 「皆掛《みながけ》が四百廿三|匁《もんめ》二|分《ぶ》だからなそれ」秤《はかり》の目《め》をお品《しな》に見《み》せて十露盤《そろばん》の玉《たま》を彈《はじ》いた。 「風袋《ふうたい》を引《ひ》くと四百八|匁《もんめ》二|分《ぶ》か、どうした幾《いく》つだ廿六かな、さうすると一《ひと》つが」商人《あきんど》のいひ畢《をは》らぬうちにお品《しな》は 「幾《いく》らなんでえ、此《こ》の風袋《ふうたい》は」と聞《き》いた。 「十五|匁《もんめ》だな」 「大概《てえげえ》十|匁《もんめ》ぢやねえけえ」 「そんだら見《み》さつせえそれ、十五|匁《もんめ》だんべ、俺《おら》がな他人《たにん》のがよりや大《え》けえんだかんな」商人《あきんど》は目笊《めざる》の目《め》を掛《か》けて見《み》せて 「はて、一つ十五|匁《もんめ》七|分《ぶ》づゝだ、粒《つぶ》は小《ちひ》せえ方《はう》だな」商人《あきんど》はゆつくり十露盤《そろばん》の玉《たま》を彈《はじ》いて 「四十六|錢《せん》八|厘《りん》六|毛《まう》三|朱《しゆ》と成《な》るんだが、此《こ》りや八|厘《りん》として貰《もら》つてな」と商人《あきんど》は財布《さいふ》から自分《じぶん》の手《て》へ錢《ぜに》を明《あ》けた。 「お品《しな》おめえ自分《じぶん》でも喰《く》つたらよかねえけ、幾《いく》つでも取《と》つて置《お》けな」勘次《かんじ》は鹽《しほ》だらけにした手《て》を止《と》めて遠《とほ》くから呶鳴《どな》つた。 「此《こ》の錢《ぜに》で外《ほか》の物《もの》買《か》つて喰《く》つた方《はう》がえゝから此《こ》れ丈《だけ》は遣《や》るとすべえよ、折角《せつかく》勘定《かんぢやう》もしたもんだからよ、俺《お》ら大層《たえそ》よくなつたんだから大丈夫《だえぢよぶ》だよ」お品《しな》はいつた。 「そんなこといはねえで幾《いく》つでも取《と》つて置《お》けよ、癒《なほ》り際《ぎは》が氣《き》を附《つ》けねえぢやえかねえもんだから」勘次《かんじ》は漬菜《つけな》の手《て》を放《はな》して檐下《のきした》へ來《き》た。手《て》も足《あし》も茹《ゆ》でたやうに赤《あか》くなつて居《ゐ》る。 「それぢやちつとも殘《のこ》したものかな」お品《しな》は小《ちひ》さなのを二つ取《と》つた。 「そんなんぢやねえのとれな」勘次《かんじ》は大《おほ》きなのを選《えら》んで三つとつた。卵《たまご》の皮《かは》には手《て》の鹽《しほ》が少《すこ》し附《つ》いた。 「そんぢやそれ掛《か》けてんべ」商人《あきんど》は今度《こんど》は眞鍮《しんちう》の皿《さら》へ卵《たまご》を乘《の》せて 「こつちなんぞぢや、後《あと》幾《いく》らでも出來《でき》らあな」といひながらたどり[#「たどり」に傍点]を持《も》つた。卵《たまご》が少《すこ》し動《うご》くと秤《はかり》の棹《さを》がぐら/\と落付《おちつ》かない。 「誤魔化《ごまくわ》しちや厭《や》だぞ」お品《しな》は寂《さび》しく笑《わら》ひながらいつた。 「どうしておめえ、此《こ》の秤《はかり》なんざあ檢査《けんさ》したばかりだもの一|分《ぶ》でも此《こ》の通《とほ》り跳《は》ねたり垂《た》れたりして、どうして飛《と》んだ噺《はなし》だ」商人《あきんど》は分銅《ふんどう》の手《て》を抑《おさ》へて又《また》目《め》を讀《よ》んだ。 「五十|匁《もんめ》一|分《ぶ》だな、さうすつと一《ひと》つ十六|匁《もんめ》七|分《ぶ》づゝだ、大《え》けえからな」 「鹽《しほ》がくつゝいてつから鹽《しほ》の目方《めかた》もあんぞ」勘次《かんじ》は側《そば》からいつて笑《わら》つた。商人《あきんど》は平然《へいぜん》として居《ゐ》る。 「五|錢《せん》五|厘《りん》六|毛《まう》幾《いく》らつていふんだ、さうすつと先刻《さつき》のは幾《いく》らの勘定《かんぢやう》だつけな」 「四十六|錢《せん》八|厘《りん》幾《いく》らとか言《いつ》たつけな」お品《しな》は直《すぐ》にいつた。 「それぢや差引《さしひき》四十一|錢《せん》三|厘《りん》小端《こばし》か、こつちのおつかさま自分《じぶん》でも商《あきねえ》してつから記憶《おべえ》がえゝやな」商人《あきんど》は十露盤《そろばん》を持《も》つて 「どうしたえ、鹽梅《あんべえ》でも惡《わり》いやうだが風邪《かぜ》でも引《ひ》いたんぢやあんめえ」といつた。 「うむ、少《すこ》し惡《わる》くつて仕《し》やうねえのよ」お品《しな》はいつて 「小端《こばし》は幾《いく》らになんでえ」と更《さら》に聞《き》いた。 「勘定《かんぢやう》にや成《な》んねえなどうも、近頃《ちかごろ》は仕《し》やうねえよ文久錢《ぶんきうせん》だの青錢《あをせん》だのつちうのが薩張《さつぱり》出《で》なくなつちやつてな、それから何處《どこ》へ行《い》つても恁《かう》して置《お》くんだ」商人《あきんど》がぼて笊《ざる》から燐寸《マツチ》を出《だ》さうとすると 「又《また》燐寸《マツチ》ぢやあんめえ」お品《しな》は微笑《びせう》した。 「こまけえ勘定《かんぢやう》にや近頃《ちかごろ》燐寸《マツチ》と極《き》めて置《お》くんだが、何處《どこ》の商人《あきんど》もさうのやうだな」商人《あきんど》は卵《たまご》を笊《ざる》へ入《い》れながらいひ續《つゞ》けた。 「酷《ひど》く安《やす》くなつちやつたな、寒《さむ》く成《な》つちや保存《もち》がえゝのに却《けえつ》て安《やす》いつちうんだから丸《まる》で反對《あべこべ》になつちやつたんだな」勘次《かんじ》は青菜《あをな》を桶《をけ》へ並《なら》べつゝいつた。 「上海《シヤンハイ》がへえつちやぐつと値《ね》が下《さが》つちやつてな、あつちぢやどれ程《ほど》安《やす》いもんだかよ、品《しな》が少《すく》ねえ時《とき》に安《やす》くなるつちうんだから商人《あきんど》も儲《まう》からねえ」天秤《てんびん》を擔《かつ》いで彼《かれ》は又《また》更《さら》に 「相場《さうば》が下《さ》げ氣味《ぎみ》の時《とき》にやうつかりすつと損物《そんもの》だかんな、なんでも百姓《ひやくしやう》して穀《こく》積《つ》んで置《お》く者《もの》が一|等《とう》だよ、卵拾《たまごひろ》ひもなあ、赤痢《せきり》でも流行《はや》つて來《き》てな、看護婦《かんごふ》だの巡査《じゆんさ》だの役場員《やくばゐん》だのつちう奴等《やつら》病人《びやうにん》の口《くち》でもひねつてみつしり喰《く》つてゞも呉《く》んなくつちや商人《あきんど》は駄目《だめ》だよ」商人《あきんど》は行《ゆ》き掛《か》けて 「また溜《た》めて置《お》いておくんなせえ」今度《こんど》は少《すこ》し叮寧《ていねい》にいひ捨《す》てゝ去《さ》つた。  お品《しな》は錢《ぜに》を蒲團《ふとん》の下《した》の巾着《きんちやく》へ入《い》れた。さうして※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2-83-82]棚《わくだな》からまるめ[#「まるめ」に傍点]箱を卸《おろ》して三つの白《しろ》い卵《たまご》を入《い》れた。以前《いぜん》は此《こ》の土地《とち》でも綿《わた》が採《と》れたので、夜《よ》なべには女《をんな》が皆《みな》竹※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2-83-82]《たかわく》で絲《いと》を引《ひ》いた。綿打弓《わたうちゆみ》でびんびんとほかした綿《わた》は箸《はし》のやうな棒《ぼう》を心《しん》にして蝋燭《らふそく》位《ぐらゐ》の大《おほ》きさにくる/\と丸《まる》める。それがまるめ[#「まるめ」に傍点]である。此《こ》のまるめ[#「まるめ」に傍点]から不器用《ぶきよう》な百姓《ひやくしやう》の手《て》が自在《じざい》に絲《いと》を引《ひ》いた。此《こ》の頃《ごろ》では綿《わた》がすつかり採《と》れなくなつたので、まるめ[#「まるめ」に傍点]箱《ばこ》も煤《すゝ》けた儘《まゝ》稀《まれ》に保存《ほぞん》されて居《ゐ》るのも絲屑《いとくづ》や布《ぬの》の切端《きれはし》が入《い》れてある位《くらゐ》に過《す》ぎないのである。お品《しな》はそれから膨《ふく》れた巾着《きんちやく》の爲《た》めに跳《は》ねあげられた蒲團《ふとん》の端《はし》を手《て》で抑《おさ》へた。それから又《また》横《よこ》になつた。先刻《さつき》から疲勞《ひらう》したやうな心持《こゝろもち》に成《な》つて居《ゐ》たが横《よこ》になると身體《からだ》が溶《と》けるやうにぐつたりして微《かす》かに快《こゝろ》よかつた。  其《そ》の晩《ばん》一|年中《ねんぢう》の臟腑《ざうふ》の砂拂《すなはらひ》だといふ冬至《とうじ》の蒟蒻《こんにやく》を皆《みんな》で喰《た》べた。お品《しな》は喰《そ》の日《ひ》は明日《あす》からでも起《お》きられるやうに思《おも》つて居《ゐ》た。さうして勘次《かんじ》は仕事《しごと》の埓《らち》が明《あ》いたので又《また》利根川《とねがは》へ行《ゆ》かれることゝ心《こゝろ》に期《き》して居《ゐ》た。          四  お品《しな》の容態《ようだい》は其《そ》の夜《よ》から激變《げきへん》した。勘次《かんじ》が漸《やうや》く眠《ねむり》に落《お》ちた時《とき》お品《しな》は 「口《くち》が開《あ》けなく成《な》つて仕《し》やうねえよう」と情《なさけ》ない聲《こゑ》でいつた。お品《しな》は顎《あご》が釘附《くきづけ》にされたやうに成《な》つて、唾《つば》を飮《の》むにも喉《のど》が狹《せば》められたやうに感《かん》じた。それで自分《じぶん》にもどうすることも出來《でき》ないのに驚《おどろ》いた。勘次《かんじ》も吃驚《びつくり》して起《お》きた。 「どうしたんだよ大層《たえそ》惡《わり》いのか、朝《あさ》までしつかりしてろよ」と力《ちから》をつけて見《み》たが、自分《じぶん》でもどうしていゝのか解《わか》らないので只《たゞ》はら/\しながら夜《よ》を明《あか》した。勘次《かんじ》は只《たゞ》お品《しな》が心配《しんぱい》になるので、近所《きんじよ》の者《もの》を頼《たの》んで取《と》り敢《あへ》ず醫者《いしや》へ走《はし》らせた。さうして自分《じぶん》は枕元《まくらもと》へくつゝいて居《ゐ》た。彼等《かれら》は容易《ようい》なことで醫者《いしや》を聘《よ》ぶのではなかつた。然《しか》し其《その》最《もつと》も恐《おそ》れを懷《いだ》くべき金錢《きんせん》の問題《もんだい》が其《その》心《こゝろ》を抑制《よくせい》するには勘次《かんじ》は餘《あま》りに慌《あわ》てゝ且《かつ》驚《おどろ》いて居《ゐ》た。醫者《いしや》は鬼怒川《きぬがは》を越《こ》えて東《ひがし》に居《ゐ》る。  勘次《かんじ》は草臥《くたぶ》れやしないかといつてはお品《しな》の足《あし》をさすつた。それでもお品《しな》の大儀相《たいぎさう》な容子《ようす》が彼《かれ》の臆《おく》した心《こゝろ》にびり/\と響《ひゞ》いて、迚《とて》も午後《ごゞ》までは凝然《ぢつ》として居《ゐ》ることが出來《でき》なくなつた。近所《きんじよ》の女房《にようばう》が見《み》に來《き》て呉《く》れたのを幸《さいは》ひに自分《じぶん》も後《あと》から走《はし》つて行《い》つた。鬼怒川《きぬがは》の渡《わたし》の船《ふね》で先刻《さつき》の使《つか》ひと行違《ゆきちがひ》に成《な》つた。船《ふね》から詞《ことば》が交換《かうくわん》された。勘次《かんじ》は醫者《いしや》と一|緒《しよ》に歸《かへ》るからさういつてお品《しな》に安心《あんしん》させて呉《く》れといつて醫者《いしや》の門《もん》を叩《たゝ》いた。醫者《いしや》は丁度《ちやうど》そつちへ行《ゆ》く序《ついで》も有《あ》つたからと悠長《いうちやう》である。屹度《きつと》行《い》つては呉《く》れるにしても其《そ》の後《あと》に跟《つ》いて行《ゆ》くのでなくては勘次《かんじ》には不安《ふあん》で堪《たま》らないのである、さうして彼《かれ》はぽつさりと玄關《げんくわん》に踞《うづくま》つて待《ま》つて居《ゐ》ることがせめてもの氣安《きやす》めであつた。醫者《いしや》は小《ちひ》さな手鞄《てかばん》を一つ持《も》つて古《ふる》い帽子《ばうし》をちよつぽり載《いたゞ》いて出《で》た。手鞄《てかばん》は勘次《かんじ》が大事相《だいじさう》に持《も》つた。醫者《いしや》は特別《とくべつ》の出來事《できごと》がなければ俥《くるま》には乘《の》らないので、いつも朴齒《ほうば》の日和下駄《ひよりげた》で短《みじか》い體躯《からだ》をぽく/\と運《はこ》んで行《ゆ》く。それで車錢《くるません》だけでも幾《いく》ら助《たす》かるか知《し》れないといふので貧乏《びんばふ》な百姓《ひやくしやう》から能《よ》く聘《よば》れて居《ゐ》るのであつた。勘次《かんじ》は途次《みち/\》お品《しな》の容態《ようだい》を語《かた》つて醫者《いしや》の判斷《はんだん》を促《うなが》して見《み》た。醫者《いしや》は一|應《おう》見《み》なければ分《わか》らぬといつて五月蠅《うるさ》い勘次《かんじ》に返辭《へんじ》しなかつた。お品《しな》の病體《びやうたい》に手《て》を掛《か》けると醫者《いしや》は有繋《さすが》に首《くび》を傾《かたぶ》けた。それが破傷風《はしやうふう》の徴候《てうこう》であることを知《し》つて恐怖心《きようふしん》を懷《いだ》いた。さうして自分《じぶん》は注射器《ちうしやき》を持《も》たないからといつて辭退《じたい》して畢《しま》つた。勘次《かんじ》は又《また》慌《あわ》てゝ他《た》の醫者《いしや》へ駈《か》けつけた。其《そ》の醫者《いしや》は鉛筆《えんぴつ》で手帖《ててふ》の端《はし》へ一寸《ちよつと》書《か》きつけて、それでは直《すぐ》に此《これ》を藥舖《くすりや》で買《か》つて來《く》るのだといつた。それから自分《じぶん》の家《うち》へ此《これ》を出《だ》せば渡《わた》して呉《く》れるものがあるからと此《これ》も手帖《ててふ》の端《はし》を裂《さ》いた。勘次《かんじ》は又《また》川《かは》を越《こ》えて走《はし》つた。藥舖《くすりや》では罎《びん》へ入《い》れた藥《くすり》を二包《ふたつゝみ》渡《わた》して呉《く》れた。一罎《ひとびん》が七十五|錢《せん》づゝだといはれて、勘次《かんじ》は懷《ふところ》が急《きふ》にげつそりと減《へ》つた心持《こゝろもち》がした。彼《かれ》は蜻蛉返《とんぼがへ》りに歸《かへ》つて來《き》た。醫者《いしや》の家《うち》からは注射器《ちうしやき》を渡《わた》してくれた。他《ほか》の病家《びやうか》を診《み》て醫者《いしや》は夕刻《ゆふこく》に來《き》た。醫者《いしや》はお品《しな》の大腿部《だいたいぶ》を濕《しめ》したガーゼで拭《ぬぐ》つてぎつと肉《にく》を抓《つま》み上《あ》げて針《はり》をぷつりと刺《さ》した。暫《しばら》くして針《はり》を拔《ぬ》いて指《ゆび》の先《さき》で針《はり》の趾《あと》を抑《おさ》へて其處《そこ》へ絆創膏《ばんさうかう》を貼《は》つた。それが凡《すべ》て薄闇《うすくら》い手《て》ランプの光《ひかり》で行《おこな》はれた。勘次《かんじ》に手《て》ランプを近《ちか》づけさせて醫者《いしや》はやつと注射《ちうしや》を畢《をは》つた。  翌日《よくじつ》の午前《ごぜん》に來《き》て醫者《いしや》は復《また》注射《ちうしや》をして大抵《たいてい》此《こ》れでよからうといつて去《さ》つた。然《しか》しお品《しな》の容態《ようだい》は依然《いぜん》として恢復《くわいふく》の徴候《ちようこう》がないのみでなく次第《しだい》に大儀相《たいぎさう》に見《み》えはじめた。お品《しな》は其《そ》の夕刻《ゆふこく》から俄《には》かに痙攣《けいれん》が起《おこ》つた。身體《からだ》がびり/\と撼《ゆる》ぎながら手《て》も足《あし》も引《ひ》き緊《し》められるやうに後《うしろ》へ反《そ》つた。痙攣《けいれん》は時々《ときどき》發作《ほつさ》した。其《その》度《たび》毎《ごと》に病人《びやうにん》は見《み》て居《ゐ》られない程《ほど》苦惱《くなう》する。顏《かほ》が妙《めう》に蹙《しが》んで口《くち》が無理《むり》に横《よこ》へ引《ひ》き吊《つ》られるやうに見《み》える。勘次《かんじ》はたつた一人《ひとり》のおつぎを相手《あひて》に手《て》の出《だ》しやうもなかつた。さうしてしら/\明《あ》けといふと直《すぐ》に又《また》醫者《いしや》へ駈《か》けつけた。醫者《いしや》は復《また》藥舖《くすりや》へ行《い》つて來《こ》いといつた。勘次《かんじ》は又《また》飛《と》んで行《い》つた。然《しか》し其《そ》の二|號《がう》の血清《けつせい》は何處《どこ》にも品切《しなぎれ》であつた。それは或《ある》期間《きかん》を經過《けいくわ》すれば効力《かうりよく》が無《な》くなるので餘計《よけい》な仕入《しいれ》もしないのだと藥舖《くすりや》ではいつた。それに値段《ねだん》が不廉《たかい》ものだからといふのであつた。勘次《かんじ》はそれでも幾《いく》ら位《ぐらゐ》するものかと思《おも》つて聞《き》いたら一罎《ひとびん》が三|圓《ゑん》だといつた。勘次《かんじ》は例令《たとひ》品物《しなもの》が有《あ》つた處《ところ》で、自分《じぶん》の現在《いま》の力《ちから》では到底《たうてい》それは求《もと》められなかつたかも知《し》れぬと今更《いまさら》のやうに喫驚《びつくり》して懷《ふところ》へ手《て》を入《い》れて見《み》た。  醫者《いしや》は更《さら》に勘次《かんじ》を藥舖《くすりや》へ走《はし》らせた。勘次《かんじ》は只《たゞ》醫者《いしや》のいふが儘《まゝ》に息《いき》せき切《き》つて駈《か》けて歩《ある》く間《あひだ》が、屹度《きつと》どうにか防《ふせ》ぎをつけてくれるだらうとの恃《たのみ》もあるので僅《わづか》に自分《じぶん》の心《こゝろ》を慰《なぐさ》め得《う》る唯《ゆゐ》一の機會《きくわい》であつた。醫者《いしや》は一|號《がう》の倍量《ばいりやう》を注射《ちうしや》した。然《しか》しそれは徒勞《とらう》であつた。病人《びやうにん》の發作《ほつさ》は間《あひだ》が短《みじか》くなつた。病人《びやうにん》は其《その》度《たび》に呼吸《こきふ》に壓迫《あつぱく》を感《かん》じた。近所《きんじよ》の者《もの》も三四|人《にん》で苦惱《くなう》する枕元《まくらもと》に居《ゐ》て皆《みな》憂愁《いうしう》に包《つゝ》まれた。お品《しな》は突然《とつぜん》 「野田《のだ》へは知《し》らせてくれめえか」と聞《き》いた。勘次《かんじ》も近所《きんじよ》の者《もの》も卯平《うへい》へ知《し》らせることも忘《わす》れて只《たゞ》苦惱《くなう》する病人《びやうにん》を前《まへ》に控《ひか》へて困《こま》つて居《ゐ》るのみであつた。 「明日《あした》は屹度《きつと》來《く》るやうにいつて遣《や》つたよ」勘次《かんじ》はお品《しな》の耳《みゝ》へ口《くち》を當《あて》ていつた。今更《いまさら》のやうに近所《きんじよ》の者《もの》が頼《たの》まれて夜通《よどほ》しにも行《ゆ》くといふことに成《な》つた。  次《つぎ》の日《ひ》の午餐過《ひるすぎ》に卯平《うへい》は使《つかひ》と共《とも》にのつそりと其《そ》の長大《ちやうだい》な躯幹《からだ》を表《おもて》の戸口《とぐち》に運《はこ》ばせた。彼《かれ》は閾《しきゐ》を跨《また》ぐと共《とも》に、其《その》時《とき》はもう只《たゞ》痛《いた》い/\というて泣訴《きふそ》して居《ゐ》る病人《びやうにん》の聲《こゑ》を聞《き》いた。 「何處《どこ》が痛《いた》いんだ、少《すこ》しさすらせて見《み》つか」勘次《かんじ》が聞《き》いても 「背中《せなか》が仕《し》やうがねえんだよ」と病人《びやうにん》はいふのみである。 「お品《しな》さん、おとつゝあ來《き》たよ、確乎《しつかり》しろよ」と近所《きんじよ》の女房《にようばう》がいつた。それを聞《き》いてお品《しな》は暫時《しばし》靜《しづ》かに成《な》つた。 「品《しな》どうしたえ、大儀《こは》えのか」寡言《むくち》な卯平《うへい》は此《これ》だけいつた。 「おとつゝあ待《ま》つてたよ、俺《お》ら仕《し》やうねえよ」お品《しな》は情《なさけ》なさ相《さう》にいつた。 「うむ、困《こま》つたなあ」卯平《うへい》は深《ふか》い皺《しわ》を蹙《しが》めていつた。さうして後《あと》は一|言《ごん》もいはない。お品《しな》の病状《びやうじやう》は段々《だん/\》險惡《けんあく》に陷《おちい》つた。醫者《いしや》はモルヒネの注射《ちうしや》をして僅《わづか》に睡眠《すゐみん》の状態《じやうたい》を保《たも》たせて其《そ》の苦痛《くつう》から遁《のが》れさせようとした。それでも暫《しばら》くすると病人《びやうにん》は復《ま》た意識《いしき》を恢復《くわいふく》して、びり/\と身體《からだ》を撼《ふる》はせて、太《ふと》い繩《なは》でぐつと吊《つる》されたかと思《おも》ふやうに後《うしろ》へ反《そりかへ》つて、其《その》劇烈《げきれつ》な痙攣《けいれん》に苦《くる》しめられた。 「先生《せんせい》さん、わたしや此《こ》れでもどうしたものでがせうね」お品《しな》は突然《とつぜん》に聞《き》いた。醫者《いしや》は只《たゞ》口髭《くちひげ》を捻《ひね》つて默《だま》つて居《ゐ》た。 「どうでせうね先生《せんせい》さん」勘次《かんじ》も聞《き》いた。 「まあ大丈夫《だいぢやうぶ》だらうつて病人《びやうにん》へだけはいつて居《ゐ》たらいゝでせう」醫者《いしや》は耳語《さゝや》いた。 「お品《しな》、大丈夫《だいぢやうぶ》だとよ、夫《それ》から我慢《がまん》して確乎《しつかり》してろとよ」勘次《かんじ》は病人《びやうにん》の耳《みゝ》で呶鳴《どな》つた。 「そんでも俺《お》ら明日《あす》の日《ひ》まではとつても持《も》たねえと思《おも》ふよ。本當《ほんたう》に俺《お》ら大儀《こは》い[#「い」に「ママ」の注記]ゝなあ」お品《しな》は切《せつ》な相《さう》にいつた。齒《は》の間《あひだ》を漸《やうや》くに洩《も》れる聲《こゑ》は悲《かな》しい響《ひゞき》を傳《つた》へて然《し》かも意識《いしき》は明瞭《めいれう》であることを示《しめ》した。醫者《いしや》は遂《つひ》に極量《きよくりやう》のモルヒネを注射《ちうしや》して去《さ》つた。  夜《よ》になつて痙攣《けいれん》は間斷《かんだん》なく發作《ほつさ》した。熱度《ねつど》は非常《ひじやう》に昂進《かうしん》した。液體《えきたい》の一|滴《てき》をも攝取《せつしゆ》することが出來《でき》ないにも拘《かゝは》らず、亂《みだ》れた髮《かみ》の毛《け》毎《ごと》に傳《つた》ひて落《おち》るかと思《おも》ふやうに汗《あせ》が玉《たま》をなして垂《た》れた。蒲團《ふとん》を濕《ぬら》す汗《あせ》の臭《くさみ》が鼻《はな》を衝《つ》いた。 「勘次《かんじ》さん此處《ここ》に居《ゐ》てくろうよ」お品《しな》は苦《くる》しい内《うち》にも只管《ひたすら》勘次《かんじ》を慕《した》つた。 「おうよ、こゝに居《ゐ》たよ、何處《どこ》へも行《ゆき》やしねえよ」勘次《かんじ》は其《その》度《たび》に耳《みゝ》へ口《くち》を當《あて》ていつた。 「勘次《かんじ》さん」お品《しな》は又《また》喚《よ》んた。 「怎的《どう》したよ」勘次《かんじ》のいつたのはお品《しな》に通《つう》じなかつたのか 「おとつゝあ、俺《お》らとつてもなあ」とお品《しな》は少時《しばし》間《あひだ》を措《お》いて、さうして勘次《かんじ》の手《て》を執《と》つた。 「おつう汝《われ》はなあ、よき[#「よき」に傍点]もなあ」といつて又《また》發作《ほつさ》の苦惱《くなう》に陷《おちい》つた。 「勘次《かんじ》さん、俺《おら》死《し》んだらなあ、棺桶《くわんをけ》へ入《い》れてくろうよ……」勘次《かんじ》は聞《き》かうとすると暫《しばら》く間《あひだ》を隔《へだ》てて 「後《うしろ》の田《た》の畔《くろ》になあ、牛胡頽子《うしぐみ》のとこでなあ」お品《しな》は切《き》れ/″\にいつた。勘次《かんじ》は略《ほゞ》其《そ》の意《い》を了解《れうかい》した。  お品《しな》はそれから劇烈《げきれつ》な發作《ほつさ》に遮《さへ》ぎられてもういはなかつた。突然《とつぜん》 「風呂敷《ふろしき》、/\」 と理由《わけ》の解《わか》らぬ囈語《うはごと》をいつて、意識《いしき》は全《まつた》く不明《ふめい》に成《な》つた。遂《つひ》には異常《いじやう》な力《ちから》が加《くは》はつたかと思《おも》ふやうにお品《しな》の足《あし》は蒲團《ふとん》を蹴《けつ》て身體《からだ》が激動《げきどう》した。枕元《まくらもと》に居《ゐ》た人々《ひと/″\》は各自《てんで》に苦《くる》しむお品《しな》の足《あし》を抑《おさ》へた。恁《か》うして人々《ひと/″\》は刻々《こく/\》に死《し》の運命《うんめい》に逼《せま》られて行《ゆ》くお品《しな》の病體《びやうたい》を壓迫《あつぱく》した。お品《しな》の發作《ほつさ》が止《や》んだ時《とき》は微《かす》かな其《そ》の呼吸《こきふ》も止《とま》つた。  夜《よ》は森《しん》として居《ゐ》た。雨戸《あまど》が微《かす》かに動《うご》いて落葉《おちば》の庭《には》を走《はし》るのもさら/\と聞《き》かれた。お品《しな》の身體《からだ》は足《あし》の方《はう》から冷《つめ》たくなつた。お品《しな》が死《し》んだといふことを意識《いしき》した時《とき》に勘次《かんじ》もおつぎもみんな怺《こら》へた情《じやう》が一|時《じ》に激發《げきはつ》した。さうして遠慮《ゑんりよ》をする餘裕《よゆう》を有《も》たない彼等《かれら》は聲《こゑ》を放《はな》つて泣《な》いた。枕元《まくらもと》のものは皆《みな》共《とも》に泣《な》いた。與吉《よきち》は獨《ひと》り死《し》んだお品《しな》の側《そば》に熟睡《じゆくすゐ》して居《ゐ》た。卯平《うへい》は取《と》り取《あへ》ずお品《しな》の手《て》を胸《むね》で合《あは》せてやつた。さうして機《はた》の道具《だうぐ》の一《ひと》つである杼《ひ》を蒲團《ふとん》へ乘《の》せた。猫《ねこ》が死人《しにん》を越《こ》えて渡《わた》ると化《ば》けるといつて杼《ひ》は猫《ねこ》の防禦《ばうぎよ》であつた。杼《ひ》を乘《の》せて置《お》けば猫《ねこ》は渡《わた》らないと信《しん》ぜられて居《ゐ》るのである。  夜《よ》は益《ます/\》深《ふ》けて冷《ひ》え切《き》つて居《ゐ》た。家《いへ》の内《うち》には一|塊《くわい》の※[#「火+畏」、第3水準1-87-57]《おき》も貯《たくは》へてはなかつた。枕元《まくらもと》に居《ゐ》た近所《きんじよ》の人々《ひと/″\》は勘次《かんじ》とおつぎの泣《な》き止《や》むまでは身體《からだ》を動《うご》かすことも出來《でき》ないで凝然《ぢつ》と冷《つめ》たい手《て》を懷《ふところ》に暖《あたゝ》めて居《ゐ》た。おつぎは漸《やうや》く竈《かまど》へ落葉《おちば》を燻《く》べて茶《ちや》を沸《わか》した、みんな只《たゞ》ぽつさりとして茶《ちや》を啜《すゝ》つた。 「勘次《かんじ》もかせえて[#「かせえて」に傍点]知《し》らせやがればえゝのに」卯平《うへい》がぶすりと呟《つぶや》く聲《こゑ》は低《ひく》くしかもみんなの耳《みゝ》の底《そこ》に響《ひゞ》いた。卯平《うへい》は其《そ》の日《ひ》の未明《みめい》に使《つかひ》の來《く》るまではお品《しな》の病氣《びやうき》はちつとも知《し》らずに居《ゐ》た。驚《おどろ》いて來《き》て見《み》ればもうこんな始末《しまつ》である。卯平《うへい》も泣《な》いた。彼《かれ》は煙管《きせる》を噛《か》んでは只《たゞ》舌皷《したつゞみ》を打《う》つて唾《つば》を嚥《の》んだ。勘次《かんじ》は只《たゞ》泣《な》いて居《ゐ》た。彼《かれ》はお品《しな》の發病《はつびやう》からどれ程《ほど》苦心《くしん》して其《その》身《み》を勞《らう》したか知《し》れぬ。お品《しな》の病氣《びやうき》を案《あん》ずる外《ほか》彼《かれ》の心《こゝろ》には何《なに》もなかつた。其《その》當時《たうじ》には卯平《うへい》に不平《ふへい》をいはれやうといふやうな懸念《けねん》は寸毫《すこし》も頭《あたま》に起《おこ》らなかつたのである。  お品《しな》の死《し》は卯平《うへい》をも痛《いた》く落膽《らくたん》せしめた。卯平《うへい》は七十一の老爺《おやぢ》であつた。一昨年《をととし》の秋《あき》から卯平《うへい》は野田《のだ》の醤油藏《しやうゆぐら》へ火《ひ》の番《ばん》に傭《やと》はれた。卯平《うへい》はお品《しな》が三つの時《とき》に、死《し》んだお袋《ふくろ》の處《ところ》へ入夫《にふふ》になつたのである。五つの時《とき》から甘《あま》へたのでお品《しな》は卯平《うへい》に懷《なづ》いて居《ゐ》た。お袋《ふくろ》の生《い》きて居《ゐ》るうちは卯平《うへい》もまだ壯《さかり》であつたが、お袋《ふくろ》が亡《な》くなつて卯平《うへい》の皺《しわ》が深《ふか》く刻《きざ》まれてからは以前《いぜん》から善《よ》くなかつた勘次《かんじ》との間《あひだ》が段々《だん/\》隔《へだ》つて、お品《しな》もそれには困《こま》つた。到頭《たうとう》村《むら》の紹介業《せうかいげふ》をして居《ゐ》る者《もの》の勸《すゝ》めに任《まかせ》て卯平《うへい》がいふ儘《まゝ》に奉公《ほうこう》に出《だ》したのであつた。  病人《びやうにん》の枕元《まくらもと》に居《ゐ》た近所《きんじよ》の者《もの》は一|杯《ぱい》の茶《ちや》を啜《すゝ》つて村《むら》の姻戚《みより》へ知《し》らせに出《で》るものもあつた。それから葬式《さうしき》のことに就《つ》いて相談《さうだん》をした。葬式《さうしき》はほんの姻戚《みより》と近所《きんじよ》とだけで明日《あす》の内《うち》に濟《すま》すといふことに極《き》めた。夜《よ》があけると近所《きんじよ》の人々《ひとびと》は寺《てら》へ行《い》つたり無常道具《むじやうだうぐ》を買《か》ひに行《い》つたり、他村《たそん》の姻戚《みより》への知《し》らせに行《い》つたりして家《いへ》には近所《きんじよ》の女房《にようばう》が二三|人《にん》義理《ぎり》をいひに來《き》て居《ゐ》た。姻戚《みより》といつてもお品《しな》の爲《た》めには待《ま》たなくては成《な》らぬといふものはないので勘次《かんじ》はおつぎと共《とも》に筵《むしろ》を捲《まく》つて、其處《そこ》へ盥《たらひ》を据《す》ゑてお品《しな》の死體《したい》を淨《きよ》めて遣《や》つた。劇烈《げきれつ》な病苦《びやうく》の爲《た》めに其《その》力《ちから》ない死體《したい》はげつそりと酷《ひど》い窶《やつ》れやうをして居《ゐ》た。卯平《うへい》は只《たゞ》ぽつさりとしてそれを見《み》て居《ゐ》た。死體《したい》は復《また》其《そ》の穢《きたな》い夜具《やぐ》へ横《よこた》へられた。盥《たらひ》の汚《けが》れた微温湯《ぬるまゆ》は簀《す》の子《こ》の上《うへ》から土《つち》に注《そゝ》がれた。さうして其《そ》の沾《ぬ》れた簀《す》の子《こ》には捲《ま》くつた筵《むしろ》が又《また》敷《し》かれた。朝《あさ》から雨戸《あまど》は開《あ》け放《はな》たれて歩《ある》けばぎし/\と鳴《な》る簀《す》の子《こ》の上《うへ》の筵《むしろ》は草箒《くさばうき》で掃《は》かれた。さうして東隣《ひがしどなり》から借《か》りて來《き》た蓙《ござ》が五六|枚《まい》敷《し》かれた。それから土地《とち》の習慣《しふくわん》で勘次《かんじ》は淨《きよ》めてやつたお品《しな》の死體《したい》は一|切《さい》を近所《きんじよ》の手《て》に任《まか》せた。  近所《きんじよ》の女房等《にようばうら》は一|反《たん》の晒木綿《さらしもめん》を半分《はんぶん》切《きつ》てそれで形《かた》ばかりの短《みじか》い經帷子《きやうかたびら》と死相《しさう》を隱《かく》す頭巾《づきん》とふんごみとを縫《ぬ》つてそれを着《き》せた。ふんごみは只《たゞ》三|角《かく》にして足袋《たび》の代《かはり》に爪先《つまさき》へ穿《は》かせるのであつた。脚絆《きやはん》は切《きれ》の儘《まゝ》麻《あさ》で足《あし》へ括《くゝ》り附《つ》けた。此《こ》れも其《そ》の木綿《もめん》で縫《ぬ》つた頭陀袋《づだぶくろ》を首《くび》から懸《か》けさせて三|途《づ》の川《かは》の渡錢《わたしせん》だといふ六|文《もん》の錢《ぜに》を入《い》れてやつた。髮《かみ》は麻《あさ》で結《むす》んで白櫛《しろぐし》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》して遣《や》つた。お品《しな》の硬着《かうちやく》した身體《からだ》は曲《ま》げて立膝《たてひざ》にして棺桶《くわんをけ》へ入《い》れられた。首《くび》が葢《ふた》に觸《さは》るので骨《ほね》の挫《くぢ》けるまで抑《おさ》へつけられてすくみが掛《か》けられた。すくみといふのは蹙《ちゞ》めた儘《まゝ》の形《かたち》が保《たも》たれるやうに死體《したい》の下《した》から荒繩《あらなは》を廻《まは》して置《お》いて首筋《くびすぢ》の處《ところ》でぎつしりと括《くゝ》ることである。麁末《そまつ》な松板《まついた》で拵《こしら》へた出來合《できあひ》の棺桶《くわんをけ》はみり/\と鳴《な》つた。恁《か》ういふ無残《むざん》な扱《あつかひ》はどうしても他人《たにん》の手《て》に任《まか》せられねばならなかつた。板《いた》の儘《まゝ》ばら/\に成《な》つて居《ゐ》る棺臺《くわんだい》は買《か》つて來《き》てから近所《きんじよ》の手《て》で釘付《くぎづけ》にされた。其處《そこ》には淺《あさ》い箱《はこ》の倒《さかさ》にしたものが出來《でき》た。其《そ》の棺臺《くわんだい》の上《うへ》には死體《したい》を入《い》れた棺桶《くわんをけ》が載《の》せられた。  勘次《かんじ》は其《その》朝《あさ》未明《みめい》にそつと家《いへ》の後《うしろ》の楢《なら》の木《き》の間《あひだ》を田《た》の端《はし》へおりて境木《さかひぎ》の牛胡頽子《うしぐみ》の傍《そば》を注意《ちうい》して見《み》た。唐鍬《たうぐは》か何《なに》かで動《うご》かした土《つち》の跡《あと》が目《め》に附《つ》いた。勘次《かんじ》は手《て》にして行《い》つた草刈鎌《くさかりがま》でそく/\と土《つち》をつゝくやうにして掘《ほ》つた。さうして其《その》軟《やはら》かに成《な》つた土《つち》を手《て》で浚《さら》つた。襤褸《ぼろ》の包《つゝみ》が出《で》た。彼《かれ》は其處《そこ》に小《ちひ》さな一|塊肉《くわいにく》を發見《はつけん》したのである。勘次《かんじ》はそれを大事《だいじ》に懷《ふところ》へ入《い》れた。惡事《あくじ》の發覺《はつかく》でも恐《おそ》れるやうな容子《ようす》で彼《かれ》は周圍《あたり》を見廻《みまは》した。彼《かれ》は更《さら》に古《ふる》い油紙《あぶらがみ》で包《つゝ》んで片付《かたづ》けて置《お》いて、お品《しな》の死體《したい》が棺桶《くわんをけ》に入《い》れられた時《とき》彼《かれ》はそつとお品《しな》の懷《ふところ》に抱《いだ》かせた。お品《しな》の痩《や》せ切《き》つた手《て》が勘次《かんじ》のする儘《まゝ》にそれを確乎《しつか》と抱《だ》き締《し》めて、其《そ》の骨《ほね》ばかりの頬《ほゝ》が、ぴつたりと擦《す》りつけられた。葬式《さうしき》の日《ひ》は赤口《しやくこう》といふ日《ひ》であつた。  勘次《かんじ》は近所《きんじよ》と姻戚《みより》との外《ほか》には一|飯《ぱん》も出《だ》さなかつたがそれでも村《むら》のものは皆《みな》二|錢《せん》づゝ持《も》つて弔《くや》みに來《き》た。さうしてさつさと歸《かへ》つて行《い》つた。遠《とほ》く離《はな》れた寺《てら》からは住職《ぢうしよく》と小坊主《こばうず》とが、褪《さ》めた萠黄《もえぎ》の法被《はつぴ》を着《き》た供《とも》一人《ひとり》連《つ》れて挾箱《はさみばこ》を擔《かつ》がせて歩《ある》いて來《き》た。小坊主《こばうず》は直《すぐ》に棺桶《くわんをけ》の葢《ふた》をとつて白《しろ》い木綿《もめん》を捲《ま》くつて窶《やつ》れた頬《ほゝ》へ剃刀《かみそり》を一寸《ちよつと》當《あ》てた。此《こ》の形式的《けいしきてき》の顏剃《かほそり》が濟《す》んでから葢《ふた》は釘《くぎ》で打《う》ち附《つ》けられた。荒繩《あらなは》が十|文字《もんじ》に掛《か》けられた。晒木綿《さらしもめん》の残《のこ》つた半反《はんだん》でそれがぐる/\と捲《ま》かれた。桶《をけ》には更《さら》に天葢《てんがい》が載《の》せられた。天葢《てんがい》というても兩端《りやうたん》が蕨《わらび》のやうに捲《まか》れた狹《せま》い松板《まついた》を二|枚《まい》十|字《じ》に合《あは》せたまでのものに過《すぎ》ない簡單《かんたん》なものである。煤《すゝ》けた壁《かべ》には此《こ》れも古《ふる》ぼけた赤《あか》い曼荼羅《まんだら》の大幅《おほふく》が飾《かざり》のやうに掛《か》けられた。棺《くわん》は僅《わづか》な人《ひと》で葬《はうむ》られた。それでも白提灯《しろぢやうちん》が二張《ふたはり》翳《かざ》された。裂《さ》き竹《だけ》を格子《かうし》の目《め》に編《あ》んでいゝ加減《かげん》の大《おほ》きさに成《な》るとぐるりと四|方《はう》を一つに纏《まと》めて括《くゝ》つた花籠《はなかご》も二つ翳《かざ》された。孰《ど》れも青竹《あをだけ》の柄《え》が附《つ》けられた。其《そ》の籠《かご》へは髭《ひげ》のやうに裂《さ》き竹《だけ》を立《た》てゝ其《そ》の裂《さ》き竹《だけ》には赤《あか》や黄《き》や青《あを》や其《そ》の他《た》の色紙《いろがみ》で刻《きざ》んだ花《はな》を飾《かざ》つた。其《そ》の花籠《はなかご》は又《また》底《そこ》へ紙《かみ》を敷《し》いて死《し》んだものゝ年齡《とし》の數《かず》だけ小錢《こぜに》を入《い》れて、それを翳《かざ》した人《ひと》が時々《ときどき》ざら/\と振《ふ》つては籠《かご》の目《め》から其《そ》の小錢《こぜに》を振《ふ》り落《おと》した。村《むら》の小供《こども》が爭《あらそ》つてそれを拾《ひろ》つた。提灯《ちやうちん》と花籠《はなかご》は先《さき》に立《た》つた。後《あと》からは村《むら》の念佛衆《ねんぶつしう》が赤《あか》い胴《どう》の太皷《たいこ》を首《くび》へ懸《か》けてだらりだらりとだらけた叩《たゝ》きやうをしながら一|同《どう》に聲《こゑ》を擧《あげ》て跟《つ》いて行《い》つた。柩《ひつぎ》は小徑《こみち》を避《さ》けて大道《わうらい》を行《い》つた。村《むら》の者《もの》は自分《じぶん》の門《かど》からそれを覗《のぞ》いた。棺桶《くわんをけ》は据《すわ》りが惡《わる》い所爲《せゐ》か途中《とちう》で止《や》まずぐらり/\と動搖《どうえう》した。勘次《かんじ》はそれでも羽織《はおり》袴《はかま》で位牌《ゐはい》を持《も》つた。それは皆《みな》借《か》りたので羽織《はおり》の紐《ひも》には紙撚《こより》がつけてあつた。  墓《はか》の穴《あな》は燒《や》けた樣《やう》な赤土《あかつち》が四|方《はう》へ堆《うづたか》く掻《か》き上《あ》げられてあつた。其處《そこ》には從來《これまで》隙間《すきま》のない程《ほど》穴《あな》が掘《ほ》られて、幾多《いくた》の人《ひと》が埋《うづ》められたので手《て》の骨《ほね》や足《あし》の骨《ほね》がいつものやうに掘《ほ》り出《だ》されて投《な》げられてあつた。法被《はつぴ》を着《き》た寺《てら》の供《とも》が棺桶《くわんをけ》を卷《ま》いた半反《はんだん》の白木綿《しろもめん》をとつて挾箱《はさんばこ》に入《いれ》た。軈《やが》て棺桶《くわんをけ》は荒繩《あらなは》でさげて其《そ》の赤《あか》い土《つち》の底《そこ》に踏《ふ》みつけられた。麁末《そまつ》な棺臺《くわんだい》は少《すこ》し堆《うづたか》く成《な》つた土《つち》の上《うへ》に置《お》かれて、二《ふた》つの白張提灯《しらはりちやうちん》と二《ふた》つの花籠《はなかご》とが其《その》傍《そば》に立《た》てられた。お品《しな》は生來《せいらい》土《つち》を踏《ふ》まない日《ひ》はないといつていゝ位《ぐらゐ》であつた。さうしてそれは凍《い》てる冬《ふゆ》の季節《きせつ》を除《のぞ》いては大抵《たいてい》は直接《ちよくせつ》に足《あし》の底《そこ》が土《つち》について居《ゐ》た。お品《しな》は恁《かう》して冷《つめ》たい屍《かばね》に成《な》つてからも其《そ》の足《あし》の底《そこ》は棺桶《くわんをけ》の板《いた》一|枚《まい》を隔《へだ》てただけで更《さら》に永久《えいきう》に土《つち》と相《あひ》接《せつ》して居《ゐ》るのであつた。  小《ちひ》さな葬式《さうしき》ながら柩《ひつぎ》が出《で》た後《あと》は旋風《つむじかぜ》が埃《ほこり》を吹《ふ》つ拂《ぱら》つた樣《やう》にからりとして居《ゐ》た。手傳《てつだひ》に來《き》て居《ゐ》た女房等《にようばうら》はそれでなくても膳立《ぜんだて》をする客《きやく》が少《すくな》くて暇《ひま》であつたから滅切《めつきり》手持《てもち》がなくなつた。それでも立《た》ちながら椀《わん》と箸《はし》とを持《も》つて口《くち》を動《うご》かして居《ゐ》るものもあつた。膳部《ぜんぶ》は極《きま》つた通《とほ》り皿《さら》も平《ひら》も壺《つぼ》もつけられた。それでも切昆布《きりこぶ》と鹿尾菜《ひじき》と油揚《あぶらげ》と豆腐《とうふ》との外《ほか》は百姓《ひやくしやう》の手《て》で作《つく》つたものばかりで料理《れうり》された。皿《さら》には細《こま》かく刻《きざ》んで鹽《しほ》で揉《も》んだ大根《だいこ》と人參《にんじん》との膾《なます》がちよつぽりと乘《の》せられた。さういふ残物《のこりもの》と冷《つめ》たく成《な》つた豆腐汁《とうふじる》とをつゝいても麥《むぎ》の交《まじ》らぬ飯《めし》が其《そ》の口《くち》には此《こ》の上《うへ》もない滋味《じみ》なので、女房等《にようばうら》は其《そ》の強健《きやうけん》で且《かつ》擴大《くわくだい》された胃《ゐ》の容《い》れる限《かぎ》りは口《くち》が之《これ》を貪《むさぼ》つて止《や》まないのである。彼等《かれら》は裏戸《うらど》の陰《かげ》に聚《あつ》まつて雜談《ざつだん》に耽《ふけ》つた。 「どうしたつけまあ、酷《ひど》く棺桶《くわんをけ》ぐら/\したんぢやなかつたつけゝえ」 「其《その》筈《はず》だんべな、後《あと》が心配《しんぺえ》で仕《し》やうねえ佛《ほとけ》はあゝえに動《いご》くんだつちぞおめえ」 「勘次《かんじ》さんこと欲《ほ》しくつて後《あと》へ残《のこ》してくのが辛《つれ》えんだごつさら」 「そんだがよ、餘《あんま》り欲《ほ》しがられつと遂《しめえ》にや迎《むけえ》に來《き》て連《つ》れ行《ゆ》かれつとよ」 「おゝ厭《や》だ俺《お》ら」 「連《つ》れてつてくろつちつたつておめえ等《ら》こた迎《むけえ》に來《く》るものもあんめえな」  口々《くちぐち》に恁《こ》んなことが遠慮《ゑんりよ》もなく反覆《くりかへ》された。間《あひだ》が少時《しばし》途切《とぎ》れた時《とき》 「お品《しな》さんも可惜《あつたら》命《いのち》をなあ」と一人《ひとり》が思《おも》ひ出《だ》したやうにいつた。 「本當《ほんたう》だ他人《ひと》のやらねえこつてもありやしめえし」他《た》の女房《にようばう》が相槌《あひづち》を打《う》つた。 「風邪《かぜ》引《ひ》いたなんてか、今度《こんだ》の風邪《かぜ》は強《つえ》えから起《お》きらんねえなんて、しらばつくれてな」 「死《し》ぬ者《もの》貧乏《びんばふ》なんだよ」 「そんだがお品《しな》さんは自分《じぶん》のがばかりぢやねえつちんぢやねえけ」 「さうだとよ、大《え》けえ聲《こゑ》ぢやゆはんねえが、五十錢《ごくわん》とか八十錢《はちくわん》とか取《と》つて他人《ひと》のがも行《や》つたんだとよ」 「八十錢《はちくわん》づゝも取《と》つちやおめえ、女《をんな》の手《て》ぢやたえしたもんだがな、今度《こんだ》自分《じぶん》で死《し》んちまあなんて、行《や》んねえこつたなあ」 「罪《つみ》作《つく》つた罰《ばつ》ぢやねえか」  遠慮《ゑんりよ》もなくそれからそれと移《うつる》のである。 「そんなことゆつて、今《いま》出《で》た佛《ほとけ》のことをおめえ等《ら》、とつゝかれつから見《み》ろよ」  他《た》の一人《ひとり》の女房《にようばう》がいつた時《とき》噺《はなし》が暫時《しばらく》途切《とぎ》れて靜《しづ》まつた。一人《ひとり》の女房《にようばう》が皿《さら》の大根《だいこ》を手《て》で撮《つま》んで口《くち》へ入《い》れた。 「さうえ處《とこ》他人《ひと》に見《み》られたらどうしたもんだえ」側《そば》からいはれて 「見《み》てやあしめえな」と其《その》女房《にようばう》は裏戸《うらど》の口《くち》から庭《には》の方《はう》を見《み》た。さうして 「俺《お》ら見《み》てえな婆《ばゞあ》はどうで此《こ》れから娶《よめ》にでも行《い》くあてがあんぢやなし、構《かま》あねえこたあ構《かま》あねえがな」といつて笑《わら》つた。  一同《みんな》どつと笑聲《わらひごゑ》を發《はつ》した。  柩《ひつぎ》を送《おく》つた人々《ひとびと》が離れ/″\に歸《かへ》つて來《く》るまでは雜談《ざつだん》がそれからそれと止《や》まなかつた。平日《へいじつ》何等《なんら》の慰藉《ゐしや》を與《あた》へらるゝ機會《きくわい》をも有《いう》して居《ゐ》ないで、然《しか》も聞《き》きたがり、知《し》りたがり、噺《はなし》たがる彼等《かれら》は三|人《にん》とさへ聚《あつま》れば膨脹《ばうちやう》した瓦斯《ガス》が袋《ふくろ》の破綻《はたん》を求《もと》めて遁《に》げ去《さ》る如《ごと》く、遂《つひ》には前後《ぜんご》の分別《ふんべつ》もなく其《その》舌《した》を動《うご》かすのである。偶《たま/\》抽斗《ひきだし》から出《だ》した垢《あか》の附《つ》かぬ半纏《はんてん》を被《き》て、髮《かみ》にはどんな姿《なり》にも櫛《くし》を入《い》れて、さうして弔《くや》みを濟《すま》すまでは彼等《かれら》は平常《いつも》にないしほらしい容子《ようす》を保《たも》つのである。それは改《あらた》まつて不馴《ふなれ》な義理《ぎり》を述《の》べねばならぬといふ懸念《けねん》が、僅《わづか》ながら彼等《かれら》の心《こゝろ》を支配《しはい》して居《ゐ》るからである。然《しか》し土間《どま》へおりて、襷《たすき》が掛《か》けられて、膳《ぜん》や椀《わん》を洗《あら》つたり拭《ふ》いたり其《その》手《て》を忙《いそが》しく動《うご》かすやうに成《な》れば、彼等《かれら》の心《こゝろ》はそれに曳《ひ》かされて其《そ》の聞《き》きたがり、知《し》りたがり、噺《はな》したがる性情《せいじやう》の自然《しぜん》に歸《かへ》るのである。假令《たとひ》他人《たにん》の爲《ため》には悲《かな》しい日《ひ》でも其《そ》の一|日《じつ》だけは自己《じこ》の生活《せいくわつ》から離《はな》れて若干《じやくかん》の人々《ひとびと》と一|緒《しよ》に集合《しふがふ》することが彼等《かれら》には寧《むし》ろ愉快《ゆくわい》な一|日《にち》でなければならぬ。間斷《かんだん》なく消耗《せうまう》して行《ゆ》く肉體《にくたい》の缺損《けつそん》を補給《ほきふ》するために攝取《せつしゆ》する食料《しよくれう》は一|椀《わん》と雖《いへど》も悉《こと/″\》く自己《じこ》の慘憺《さんたん》たる勞力《らうりよく》の一|部《ぶ》を割《さ》いて居《ゐ》るのである。然《しか》し他人《たにん》を悼《いた》む一|日《にち》は其處《そこ》に自己《じこ》のためには何等《なんら》の損失《そんしつ》もなくて十|分《ぶん》に口腹《こうふく》の慾《よく》を滿足《まんぞく》せしめることが出來《でき》る。他人《たにん》の悲哀《ひあい》はどれ程《ほど》痛切《つうせつ》でもそれは自己《じこ》當面《たうめん》の問題《もんだい》ではない。如斯《かくのごとく》にして彼等《かれら》の聚《あつま》る處《ところ》には常《つね》に笑聲《せうせい》を絶《た》たないのである。  お品《しな》も恁《か》ういふ伴侶《なかま》の一人《ひとり》であつた。それが今日《けふ》は其《そ》の笑聲《せうせい》を後《あと》にして冷《つめ》たい土《つち》に歸《き》したのである。          五  お品《しな》は自分《じぶん》の手《て》で自分《じぶん》の身《み》を殺《ころ》したのである。お品《しな》は十九の暮《くれ》におつぎを産《う》んでから其《その》次《つぎ》の年《とし》にも亦《また》姙娠《にんしん》した。其《そ》の時《とき》は彼等《かれら》は窮迫《きうはく》の極度《きよくど》に達《たつ》して居《ゐ》たので其《そ》の胎兒《たいじ》は死《し》んだお袋《ふくろ》の手《て》で七月|目《め》に墮胎《だたい》して畢《しま》つた。それはまだ秋《あき》の暑《あつ》い頃《ころ》であつた。強健《きやうけん》なお品《しな》は四五|日《にち》經《た》つと林《はやし》の中《なか》で草刈《くさかり》をして居《ゐ》た。それでも無理《むり》をした爲《ため》に其《その》後《ご》大煩《おほわづら》ひはなかつたが恢復《くわいふく》するまでには暫《しばら》くぶら/\して居《ゐ》た。それからといふものはどういふものかお品《しな》は姙娠《にんしん》しなかつた。おつぎが十三の時《とき》與吉《よきち》が生《うま》れた。此《こ》の時《とき》は勘次《かんじ》もお品《しな》も腹《はら》の子《こ》を大切《たいせつ》にした。女《をんな》の子《こ》が十三といふともう役《やく》に立《た》つので、與吉《よきち》を育《そだ》てながら夫婦《ふうふ》は十|分《ぶん》に働《はたら》くことが出來《でき》た。與吉《よきち》が三つに成《な》つたのでおつぎは他《よそ》へ奉公《ほうこう》に出《だ》すことに夫婦《ふうふ》の間《あひだ》には決定《けつてい》された。其《そ》の頃《ころ》十五の女《をんな》の子《こ》では一|年《ねん》の給金《きふきん》は精々《せい/″\》十|圓《ゑん》位《ぐらゐ》のものであつた。それでもそれ丈《だけ》の收入《しうにふ》の外《ほか》に食料《しよくれう》の減《げん》ずることが貧乏《びんばふ》な世帶《しよたい》には非常《ひじやう》な影響《えいきやう》なのである。それが稻《いね》の穗首《ほくび》の垂《た》れる頃《ころ》からお品《しな》は思案《しあん》の首《くび》を傾《かし》げるやうになつた。身體《からだ》の容子《ようす》が變《へん》に成《な》つたことを心付《こゝろづ》いたからである。十|年《ねん》餘《あまり》も保《も》たなかつた腹《はら》は與吉《よきち》が止《とま》つてから癖《くせ》が附《つ》いたものと見《み》えて又《また》姙娠《にんしん》したのである。お品《しな》も勘次《かんじ》もそれには當惑《たうわく》した。おつぎを奉公《ほうこう》に出《だ》して畢《しま》へば、二人《ふたり》の子《こ》を抱《だ》いてお品《しな》は從來《これまで》のやうに働《はたら》くことが出來《でき》ない、僅《わづか》な稼《かせぎ》でもそれが停止《ていし》されることは彼等《かれら》の生活《せいくわつ》の爲《ため》には非常《ひじやう》な打撃《だげき》でなければならぬ。其《そ》の内《うち》に稻《いね》を刈《か》つたり、籾《もみ》を干《ほ》したり忙《いそが》しい收穫《しうくわく》の季節《きせつ》が來《き》て、冴《さ》えた空《そら》の下《した》に夫婦《ふうふ》は毎日《まいにち》埃《ほこり》を浴《あ》びて居《ゐ》た。有繋《さすが》に罪《つみ》なやうな心持《こゝろもち》もするので夫婦《ふうふ》は只《たゞ》困《こま》つて其《そ》の日《ひ》を過《すご》して居《ゐ》た。それも夜《よる》に成《な》つて疲《つか》れた身體《からだ》を横《よこ》にし甘睡《かんすゐ》に陷《おちい》るまでの少時間《せうじかん》彼等《かれら》は互《たがひ》に決《けつ》し難《がた》い思案《しあん》を交換《かうくわん》するのであつた。從來《これまで》も夫婦《ふうふ》の間《あひだ》は孰《いづ》れが本位《ほんゐ》であるか分《わか》らぬ程《ほど》勘次《かんじ》には決斷《けつだん》の力《ちから》が缺乏《けつばふ》して居《ゐ》た。 「どうでもおめえの腹《はら》だから好《す》きにした方《はう》がえゝやな」勘次《かんじ》は恁《か》ういふのである。然《しか》しそれは怎的《どう》でもいゝといふ云《い》ひ擲《なぐ》りではなくて、凡《すべ》てがお品《しな》に對《たい》して命令《めいれい》をするには勘次《かんじ》の心《こゝろ》は餘《あま》り憚《はばか》つて居《ゐ》たのである。 「そんでも、俺《おれ》がにも困《こま》んべな」お品《しな》は投《な》げ掛《か》けるやうにいふのである。勘次《かんじ》はお品《しな》が恁《か》うする積《つもり》だときつぱりいつて畢《しま》へば決《けつ》して反對《はんたい》をするのではない。といつてお品《しな》は獨斷《どくだん》で決行《けつかう》するのには餘《あま》り大事《だいじ》であつたのである。さうしてそれは決定《けつてい》される機會《きくわい》もなくて夫婦《ふうふ》は依然《いぜん》として農事《のうじ》に忙殺《ばうさつ》されて居《ゐ》た。  其《そ》の間《あひだ》に空《そら》を渡《わた》る凩《こがらし》が俄《にはか》に哀《かな》しい音信《おどづれ》を齎《もたら》した。欅《けやき》の梢《こずゑ》は、どうでもう此《こ》れまでだといふやうに慌《あわたゞ》しく其《そ》の赭《あか》く成《な》つた枯葉《かれは》を地上《ちじやう》に投《な》げつけた。其《そ》の棄《す》て去《さ》られた輕《かろ》い小《ちひ》さな落葉《おちば》は、自分《じぶん》を引《ひ》き止《と》めて呉《く》れる蔭《かげ》を求《もと》めて轉々《ころ/\》と走《はし》つては干《ほ》した藁《わら》の間《あひだ》でも籾《もみ》の筵《むしろ》でも何處《どこ》でも其《そ》の身《み》を託《たく》した。周圍《あたり》は凡《すべ》てが只《たゞ》騷《さわ》がしく且《か》つ混雜《こんざつ》した。其《そ》の内《うち》に勘次《かんじ》は秋《あき》から募集《ぼしふ》のあつた開鑿工事《かいさくこうじ》へ人《ひと》に任《まか》せて行《い》つたのである。 「只《たゞ》かうしてぐづ/\して居《ゐ》ても仕《し》やうあんめえな」お品《しな》は其《そ》の時《とき》も勘次《かんじ》の判斷《はんだん》を促《うなが》して見《み》た。 「俺《おれ》もさうゆはれても困《こま》つから、おめえ好《す》きにしてくろうよ」勘次《かんじ》は只《たゞ》恁《か》ういつた。  勘次《かんじ》が去《さ》つてからお品《しな》は其《その》混雜《こんざつ》した然《しか》も寂《さび》しい世間《せけん》に交《まじ》つて遣瀬《やるせ》のないやうな心持《こゝろもち》がして到頭《たうとう》罪惡《ざいあく》を決行《けつかう》して畢《しま》つた。お品《しな》の腹《はら》は四|月《つき》であつた。其《そ》の頃《ころ》の腹《はら》が一|番《ばん》危險《きけん》だといはれて居《ゐ》る如《ごと》くお品《しな》はそれが原因《もと》で斃《たふ》れたのである。胎兒《たいじ》は四|月《つき》一|杯《ぱい》籠《こも》つたので兩性《りやうせい》が明《あきら》かに區別《くべつ》されて居《ゐ》た。小《ちひ》さい股《また》の間《あひだ》には飯粒程《めしつぶほど》の突起《とつき》があつた。お品《しな》は有繋《さすが》に惜《を》しい果敢《はか》ない心持《こゝろもち》がした。第《だい》一に事《こと》の發覺《はつかく》を畏《おそ》れた。それで一|旦《たん》は能《よ》く世間《せけん》の女《をんな》のするやうに床《ゆか》の下《した》に埋《うづ》めたのをお品《しな》は更《さら》に田《た》の端《はた》の牛胡頽子《うしぐみ》の側《そば》に襤褸《ぼろ》へくるんで埋《うづ》めたのである。  お品《しな》は身體《からだ》の恢復《くわいふく》するまで凝然《ぢつ》として蒲團《ふとん》にくるまつて居《ゐ》れば或《あるひ》はよかつたかも知《し》れぬ。十|幾年前《いくねんまへ》には一|切《さい》を死《し》んだお袋《ふくろ》が處理《しより》してくれたのであつたが、今度《こんど》は勘次《かんじ》も居《ゐ》ないしでお品《しな》は生計《くらし》の心配《しんぱい》もしなくては居《ゐ》られなかつた。一《ひと》つにはそれを世間《せけん》に隱蔽《いんぺい》しようといふ念慮《ねんりよ》から知《し》らぬ容子《ようす》を粧《よそほ》ふ爲《ため》に強《し》ひても其《そ》の身《み》を動《うご》かしたのであつた。然《しか》しながら其《そ》の身《み》を殺《ころ》した黴菌《ばいきん》がどうして侵入《しんにふ》したであつたらうか。お品《しな》は卵膜《らんまく》を破《やぶ》る手術《しゆじゆつ》に他人《たにん》を煩《わずら》はさなかつた。さうして其《その》※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]入《さうにふ》した酸漿《ほゝづき》の根《ね》が知覺《ちかく》のないまでに輕微《けいび》な創傷《さうしやう》を粘膜《ねんまく》に與《あた》へて其處《そこ》に黴菌《ばいきん》を移植《いしよく》したのであつたらうか、それとも毎日《まいにち》煙《けぶり》の如《ごと》く浴《あび》せ掛《か》けた埃《ほこり》から來《き》たのであつたらうか、それを明《あき》らめることは不可能《ふかのう》でなければならぬ。然《しか》し孰《いづ》れにしても病毒《びやうどく》は土《つち》が齎《もたら》したのでなければならなかつた。  葬式《さうしき》の次《つぎ》の日《ひ》は又《また》近所《きんじよ》の人《ひと》が來《き》た。勘次《かんじ》は其《そ》の借《か》りた羽織《はおり》と袴《はかま》を着《き》て村中《むらぢう》へ義理《ぎり》に廻《まは》つた。土瓶《どびん》へ入《い》れた水《みづ》を持《も》つて墓參《はかまゐ》りに行《い》つて、それから膳椀《ぜんわん》も皆《みな》返《かへ》して近所《きんじよ》の人々《ひと/″\》も歸《かへ》つた後《のち》勘次《かんじ》は※[#「煢−冖」、第4水準2-79-80]然《けいぜん》として古《ふる》い机《つくゑ》の上《うへ》に置《お》かれた白木《しらき》の位牌《ゐはい》に對《たい》して堪《たま》らなく寂《さび》しい哀《あは》れつぽい心持《こゝろもち》になつた。二三|日《にち》の間《あひだ》は片口《かたくち》や摺鉢《すりばち》に入《い》れた葬式《さうしき》の時《とき》の残物《ざんぶつ》を喰《た》べて一|家《か》は只《たゞ》ばんやりとして暮《くら》した。雨戸《あまど》はいつものやうに引《ひ》いた儘《まゝ》で陰氣《いんき》であつた。卯平《うへい》を加《くは》へて四|人《にん》はお互《たがひ》が只《たゞ》冷《ひやゝ》かであつた。卯平《うへい》は其《そ》の薄暗《うすぐら》い家《うち》の中《なか》に只《たゞ》煙草《たばこ》を吹《ふ》かしては大《おほ》きな眞鍮《しんちう》の煙管《きせる》で火鉢《ひばち》を叩《たゝ》いて居《ゐ》た。卯平《うへい》と勘次《かんじ》とは其《そ》の間《あひだ》碌《ろく》に口《くち》も利《きか》なかつた。勘次《かんじ》は自分《じぶん》の身體《からだ》と自分《じぶん》の心《こゝろ》とが別々《べつ/\》に成《な》つたやうな心持《こゝろもち》で自分《じぶん》が自分《じぶん》をどうする事《こと》も出來《でき》なかつた。それでも小作米《こさくまい》のことは其《そ》の念頭《ねんとう》から沒《ぼつ》し去《さ》ることはなかつた。貧乏《びんばふ》な小作人《こさくにん》の常《つね》として彼等《かれら》は何時《いつ》でも恐怖心《きようふしん》に襲《おそ》はれて居《ゐ》る。殊《こと》に其《そ》の地主《ぢぬし》を憚《はゞか》ることは尋常《じんじやう》ではない。さうして自分《じぶん》の作《つく》り來《きた》つた土地《とち》は死《し》んでも噛《かぢ》り附《つ》いて居《ゐ》たい程《ほど》それを惜《をし》むのである。彼等《かれら》の最初《さいしよ》に踏《ふ》んだ土《つち》の強大《きやうだい》な牽引力《けんいんりよく》は永久《えいきう》に彼等《かれら》を遠《とほ》く放《はな》たない。彼等《かれら》は到底《たうてい》其《そ》の土《つち》に苦《くる》しみ通《とほ》さねばならぬ運命《うんめい》を持《も》つて居《ゐ》るのである。  勘次《かんじ》はお品《しな》の葬式《さうしき》が濟《す》むと直《すぐ》に新《あたら》しい俵《たはら》へ入《い》れた小作米《こさくまい》を地主《ぢぬし》へ運《はこ》んで行《ゆ》かねば成《な》らぬとそれが心《こゝろ》を苦《くる》しめて居《ゐ》た。然《しか》し其《そ》の時《とき》は其《そ》の新《あたら》しい俵《たはら》の一つは輪《わ》に成《な》つた繩《なは》から拔《ぬ》けて、米《こめ》は叩《たゝ》いても幾《いく》らも出《で》なかつた。勘次《かんじ》は次《つぎ》の年《とし》には殆《ほとん》ど自分《じぶん》一人《ひとり》の手《て》で農事《のうじ》を勵《はげ》まなくてはならぬ。例年《れいねん》のやうに忙《いそが》しい季節《きせつ》に日傭《ひよう》に行《ゆ》くことも出來《でき》まいし、それにはお袋《ふくろ》に捨《す》てられた二人《ふたり》の子供《こども》も有《あ》ることだし、今《いま》から穀《こく》の用意《ようい》もしなくては成《な》らぬと思《おも》ふと自分《じぶん》の身上《しんしやう》から一|俵《ぺう》の米《こめ》を減《げん》じては到底《たうてい》立《た》ち行《ゆ》けぬことを深《ふか》く思案《しあん》して彼《かれ》は眠《ねむ》らないこともあつた。然《しか》し他《た》に方法《はうはふ》もないので彼《かれ》は地主《ぢぬし》へ哀訴《あいそ》して小作米《こさくまい》の半分《はんぶん》を次《つぎ》の秋《あき》まで貸《か》して貰《もら》つた。地主《ぢぬし》は東隣《ひがしどなり》の舊主人《きうしゆじん》であつたのでそれも承諾《しようだく》された。彼《かれ》は更《さら》に其《そ》の僅《わづか》な米《こめ》の一|部《ぶ》を割《さ》いて錢《ぜに》に換《か》へねばならぬ程《ほど》懷《ふところ》が窮《きう》して居《ゐ》たのである。  勘次《かんじ》はそれから復《ま》た利根川《とねがは》の工事《こうじ》へ行《ゆ》かねばならないと思《おも》つて居《ゐ》た。それは彼《かれ》が僅《わづか》の間《あひだ》に見《み》た放浪者《はうらうしや》の怖《おそ》ろしさを思《おも》つて、假令《たとひ》どうしても其《その》統領《とうりやう》を欺《あざむ》いて其《そ》の僅少《きんせう》な前借《ぜんしやく》の金《かね》を踏《ふ》み倒《たふ》す程《ほど》の料簡《れうけん》が起《おこ》されなかつたのである。其《そ》の内《うち》に張元《ちやうもと》から葉書《はがき》が來《き》た。彼《かれ》は只管《ひたすら》恐怖《きようふ》した。然《しか》し二人《ふたり》の子《こ》を見棄《みす》てゝ行《ゆ》くことが出來《でき》ないので、どうしていゝか判斷《はんだん》もつかなかつた。さうする内《うち》にお品《しな》の七日も過《す》ぎた。彼《かれ》は煩悶《はんもん》した。唯《たゞ》一つ卯平《うへい》が野田《のだ》へ行《ゆ》くのを暫《しばら》く猶豫《いうよ》して貰《もら》つて自分《じぶん》は其《そ》の間《あひだ》に少《すこ》しでも小遣錢《こづかひせん》を稼《かせ》いで來《き》たいと思《おも》つた。然《しか》しそれも直接《ちよくせつ》には云《い》ひ出《だ》せないので、例《れい》の桑畑《くはばたけ》一|枚《まい》隔《へだ》てた南《みなみ》へ頼《たの》んだ。數日來《すうじつらい》彼《かれ》は卯平《うへい》が其《そ》の大《おほ》きな體躯《からだ》を火鉢《ひばち》の側《そば》に据《す》ゑて煙管《きせる》を噛《か》んではむつゝりとして居《ゐ》るのを見《み》ると、何《なん》となく憚《はゞか》つて成《な》るべく其《そ》の視線《しせん》を避《さ》けるやうに遠《とほ》ざかつて居《ゐ》ることを餘儀《よぎ》なくされるのであつた。  勘次《かんじ》とお品《しな》は相思《さうし》の間柄《あひだがら》であつた。勘次《かんじ》が東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》に傭《やと》はれたのは十七の冬《ふゆ》で十九の暮《くれ》にお品《しな》の婿《むこ》に成《な》つてからも依然《いぜん》として主人《しゆじん》の許《もと》に勤《つと》めて居《ゐ》た。彼《かれ》は其《その》當時《たうじ》お品《しな》の家《うち》へは隣《となり》づかりといふので能《よ》く出入《でい》つた。一《ひと》つには形《かたち》づくつて來《き》たお品《しな》の姿《すがた》を見《み》たい所爲《せゐ》でもあつた。彼《かれ》は秋《あき》の大豆打《だいづうち》といふ日《ひ》の晩《ばん》などには、唐箕《たうみ》へ掛《か》けたり俵《たはら》に作《つく》つたりする間《あひだ》に二|升《しよう》や三|升《じよう》の大豆《だいづ》は竊《ひそか》に隱《かく》して置《お》いてお品《しな》の家《うち》へ持《も》つて行《い》つた。さうして豆熬《まめいり》を噛《かじ》つては夜更《よふけ》まで噺《はなし》をすることもあつた。お品《しな》の家《うち》からは近所《きんじよ》に風呂《ふろ》の立《た》たぬ時《とき》は能《よ》く來《き》た。忙《いそが》しい仕事《しごと》には傭《やと》はれても來《き》た。さういふ間《あひだ》に彼等《かれら》の關係《くわんけい》が成立《なりた》つたのである。それはお品《しな》が十六の秋《あき》である。それから足掛《あしかけ》三|年《ねん》經《た》つた。勘次《かんじ》には主人《しゆじん》の家《うち》が愉快《ゆくわい》に能《よ》く働《はたら》くことが出來《でき》た。彼《かれ》の體躯《からだ》は寧《むし》ろ矮小《こつぶ》であるが、其《その》きりつと緊《しま》つた筋肉《きんにく》が段々《だん/″\》仕事《しごと》を上手《じやうず》にした。  假令《たとひ》どんな物《もの》が彼等《かれら》の間《あひだ》を隔《へだ》てようとしても彼等《かれら》が相《あひ》近《ちか》づく機會《きくわい》を見出《みいだ》したことは鬱蒼《うつさう》として遮《さへぎ》つて居《ゐ》る密樹《みつじゆ》の梢《こずゑ》を透《とほ》してどこからか日《ひ》が地上《ちじやう》に光《ひかり》を投《な》げて居《ゐ》るやうなものであつた。彼等《かれら》の心《こゝろ》は唯《たゞ》明《あか》るかつたのである。  お品《しな》は十九の春《はる》に懷胎《くわいたい》した。自分《じぶん》でもそれは暫《しばら》く知《し》らずに居《ゐ》た。季節《きせつ》が段々《だん/\》ぽかついて、仕事《しごと》には單衣《ひとへもの》でなければならぬ頃《ころ》に成《な》つたので女同士《をんなどうし》の目《め》は隱《かく》しおほせないやうに成《な》つた。お袋《ふくろ》はお品《しな》をまだ子供《こども》のやうに思《おも》つて迂濶《うくわつ》にそれを心付《こゝろづ》かなかつた。本當《ほんたう》にさうだと思《おも》つた時《とき》はお品《しな》は間《ま》もなく肩《かた》で息《いき》するやうに成《な》つた。さうして身體《からだ》がもう棄《す》てゝ置《お》けない場合《ばあひ》に成《な》つたので兩方《りやうはう》の姻戚《みより》の者《もの》でごた/\と協議《けふぎ》が起《おこ》つた。勘次《かんじ》もお品《しな》も其《その》時《とき》互《たがひ》に相《あひ》慕《した》ふ心《こゝろ》が鰾膠《にべ》の如《ごと》く強《つよ》かつた。彼等《かれら》は惡戲者《いたづらもの》に水《みづ》をさゝれて慌《あわ》てた機會《はづみ》に或《ある》夜《よ》遁《に》げ出《だ》して畢《しま》つた。それは、此《こ》の儘《まゝ》では二人《ふたり》は迚《と》ても添《そ》はされぬ容子《ようす》だからどうしても一《ひと》つに成《な》らうといふのならば何處《どこ》へか二人《ふたり》で身《み》を隱《かく》すのである。さうして愈《いよ/\》となれば俺《おれ》がどうにでも其處《そこ》は始末《しまつ》をつけて遣《や》るから、何《なん》でも愚圖《ぐづ》/\して居《ゐ》ちや駄目《だめ》だとお品《しな》の心《こゝろ》を教唆《そゝ》つたのであつた。お品《しな》から一|心《しん》に勘次《かんじ》へ迫《せま》つた。勘次《かんじ》は其《そ》の頃《ころ》からお品《しな》のいふなりに成《な》るのであつた。二人《ふたり》は遠《とほ》くは行《ゆ》けないので、隣村《となりむら》の知合《しりあひ》へ身《み》を投《とう》じた。兩方《りやうはう》の姻戚《みより》が騷《さわ》ぎ出《だ》した。恁《か》ういふ同志《どうし》へのこんな惡戲《いたづら》は何處《どこ》でも能《よ》く反覆《くりかへ》されるのであつた。さうして成功《せいこう》した惡戲者《いたづらもの》は 「仕事《しごと》は何《なん》でも牝鷄《めんどり》でなくつちや甘《うま》く行《い》かねえよ」といつては陰《かげ》で笑《わら》ふのである。 「外聞《げえぶん》曝《さら》しやがつて」と卯平《うへい》は怒《おこ》つたがそれが爲《ため》に事《こと》は容易《ようい》に運《はこ》ばれた。勘次《かんじ》は婿《むこ》に成《な》つたのである。簡單《かんたん》な式《しき》が行《おこな》はれた。俄《にはか》に媒妁人《ばいしやくにん》と定《さだ》められたものが一人《ひとり》で勘次《かんじ》を連《つ》れて行《い》つた。卯平《うへい》はむつゝりとしてそれを受《う》けた。平生《へいぜい》行《ゆ》きつけた家《うち》なので勘次《かんじ》は極《きま》り惡相《わるさう》に坐《すわ》つた。お品《しな》は不斷衣《ふだんぎ》の儘《まゝ》襷掛《たすきがけ》で大儀相《たいぎさう》な體躯《からだ》を動《うご》かして居《ゐ》て勘次《かんじ》の側《そば》へは坐《すわ》らなかつた。媒妁人《ばいしやくにん》が只《たゞ》酒《さけ》を飮《の》んで騷《さわ》いだ丈《だけ》であつた。お品《しな》は間《ま》もなく女《をんな》の子《こ》を産《う》んだ。それがおつぎであつた。季節《きせつ》は暮《くれ》の押《お》し詰《つま》つた忙《いそが》しい時《とき》であつた。お袋《ふくろ》はお品《しな》が好《す》いて居《ゐ》るので、勘次《かんじ》を不足《ふそく》な婿《むこ》と思《おも》つては居《ゐ》なかつた。勘次《かんじ》は其《その》暮《くれ》も亦《また》主人《しゆじん》へ身《み》を任《まか》せる筈《はず》で前借《ぜんしやく》した給金《きふきん》を、お品《しな》の家《うち》へ注《つ》ぎ込《こ》んだのでお袋《ふくろ》は却《かへつ》て悦《よろこ》んで居《ゐ》た。卯平《うへい》は唯《たゞ》勘次《かんじ》を蟲《むし》が好《すか》なかつた。自分《じぶん》は其《その》大《おほ》きな體躯《からだ》でぐい/\と仕事《しごと》をしつけたのに勘次《かんじ》が小《ちひ》さな體躯《からだ》でちよこ/\と駈《か》け歩《ある》いたり、ただ吩咐《いひつけ》ばかり聞《き》いて居《ゐ》るので自分《じぶん》の機轉《きてん》といふものが一|向《かう》なかつたりするので酷《ひど》く齒痒《はがゆ》く思《おも》つて居《ゐ》た。然《しか》し自分《じぶん》は入夫《にふふ》といふ關係《くわんけい》もあるしそれに生來《せいらい》の寡言《むくち》なので姻戚《みより》の間《あひだ》の協議《けふぎ》にも彼《かれ》は 「どうでもわしはようがすからえゝ鹽梅《あんべい》に極《き》めておくんなせえ」とのみいふのであつた。  勘次《かんじ》は百姓《ひやくしやう》の尤《もつと》も忙《せは》しい其《そ》の頃《ころ》の五|月《ぐわつ》に病氣《びやうき》に成《な》つた。彼《かれ》は轡《くつわ》へ附《つ》けた竹竿《たけざを》の端《はし》を執《と》つて馬《うま》を馭《ぎよ》しながら、毎日《まいにち》泥《どろ》だらけになつて田《た》の代掻《しろかき》をした。どうかするとそんな季節《きせつ》に東南風《いなさ》が吹《ふ》いて慄《ふる》へる程《ほど》冷《ひ》えることがある。勘次《かんじ》は其《そ》の冷《ひ》えが障《さは》つたのであつたらうか心持《こゝろもち》が惡《わる》いというて田《た》から戻《もど》つて來《く》るとそれつ切《き》り枕《まくら》も上《あが》らぬやうになつた。能《よ》く馬《うま》の病氣《びやうき》に飮《の》ませる赤玉《あかだま》といふ藥《くすり》を幾粒《いくつぶ》か嚥《の》んで彼《かれ》は蒲團《ふとん》へくるまつて居《ゐ》た。彼《かれ》はどうにか病氣《びやうき》の凌《しの》ぎがつけば卯平《うへい》の側《そば》へは行《ゆ》きたくなかつた。それと一《ひと》つには我慢《がまん》して仕事《しごと》に出《で》れば碌《ろく》には働《はたら》けなくても一|日《にち》の勤《つと》めを果《はた》したことに成《な》るけれども、丸《まる》で休《やす》んで畢《しま》へば其《そ》の日《ひ》だけの割當勘定《わりあてかんぢやう》が給金《きふきん》から差引《さしひ》かれなければ成《な》らぬので彼《かれ》はそれを畏《おそ》れた。然《しか》し病氣《びやうき》は馬《うま》に飮《の》ませる藥《くすり》の赤玉《あかだま》では直《すぐ》には癒《なほ》らなかつた。それで彼《かれ》はお品《しな》の厄介《やくかい》に成《な》る積《つもり》で、次《つぎ》の朝《あさ》早《はや》く朋輩《ほうばい》の背《せ》に運《はこ》ばれた。卯平《うへい》は澁《しぶ》り切《き》つた顏《かほ》で迎《むか》へた。お品《しな》が蒲團《ふとん》を敷《し》いて遣《や》つたので勘次《かんじ》はそれへごろりと俯伏《うつぶ》しになつて其《そ》の額《ひたひ》を交叉《かうさ》した手《て》に埋《うづ》めた。家《うち》の者《もの》は皆《みな》田《た》へ出《で》なければならなかつた。病人《びやうにん》に構《かま》つて居《ゐ》ることは仕事《しごと》が許《ゆる》さなかつた。お袋《ふくろ》は出《で》る時《とき》に表《おもて》の大戸《おほど》も閉《た》てながら 「腹《はら》減《へ》つたら此處《こゝ》にあんぞ」といつてばたりと飯臺《はんだい》の蓋《ふた》をした。後《あと》で勘次《かんじ》は蒲團《ふとん》からずり出《だ》して見《み》たら、麥《むぎ》ばかりのぽろ/\した飯《めし》であつた。其《そ》の時分《じぶん》お品《しな》の家《うち》ではさういふ食料《しよくれう》で生命《いのち》を繋《つな》いで居《ゐ》たのである。勘次《かんじ》は奉公《ほうこう》にばかり出《で》て居《ゐ》たのでそれ程《ほど》麁末《そまつ》な物《もの》を口《くち》にしたことはない。それでどうしても手《て》を出《だ》さうといふ心《こゝろ》が起《おこ》らなかつた。午餐《ひる》に家《うち》の者《もの》は田《た》から戻《もど》つて其《そ》の飯《めし》を喰《た》べた。ちつとはどうだとお袋《ふくろ》に勸《すゝ》められても勘次《かんじ》は唯《たゞ》俯伏《うつぶし》に成《な》つて居《ゐ》た。 「此《こ》の野郎《やらう》こんな忙《せは》しい時《とき》に轉《ころ》がり込《こ》みやがつてくたばる積《つもり》でもあんべえ」と卯平《うへい》は平生《へいぜい》になく恁《こ》んなことをいつた。勘次《かんじ》は後《あと》で獨《ひと》り泣《な》いた。彼《かれ》はお品《しな》がこつそり蒲團《ふとん》の下《した》へ入《いれ》て呉《く》れた煎餅《せんべい》を噛《かぢ》つたりして二三|日《にち》ごろ/\して居《ゐ》た。其《そ》の頃《ころ》は駄菓子店《だぐわしみせ》も滅多《めつた》に無《な》かつたので此《こ》れ丈《だけ》のことがお品《しな》には餘程《よほど》の心竭《こゝろづく》しであつたのである。勘次《かんじ》はどうも卯平《うへい》が厭《いや》で且《か》つ怖《おそ》ろしくつて仕《し》やうがないので少《すこ》し身體《からだ》が恢復《くわいふく》しかけると皆《みんな》が田《た》へ出《で》た後《あと》でそつと拔《ぬ》けて村《むら》の中《うち》の姻戚《みより》の處《ところ》へ行《い》つて板藏《いたぐら》の二|階《かい》へ隱《かく》れて寢《ね》て居《ゐ》た。夜《よ》になつたらどうして知《し》つたかお品《しな》はおつぎを背負《せお》つて鷄《にはとり》を一|羽《は》持《も》つて來《き》た。 「勘次《かんじ》さん惡《わる》く思《おも》はねえでくろうよ、俺《おら》惡《わる》くする積《つもり》はねえが、仕《し》やうねえからよ」とお品《しな》は訴《うつた》へるやうにいふのであつた。お品《しな》は毎晩《まいばん》のやうに來《き》て板藏《いたぐら》のさる[#「さる」に傍点]を内《うち》から卸《おろ》して泊《とま》つて行《い》つた。それでも勘次《かんじ》は卯平《うへい》の側《そば》が厭《いや》なので戻《もど》らないといふ積《つもり》で他《た》の村落《むら》へ漂泊《へうはく》した。復《また》土地《とち》へ歸《かへ》つて來《く》ると、畑《はたけ》に居《ゐ》ても田《た》に居《ゐ》てもお品《しな》が迫《せま》つて來《く》るので、彼《かれ》は農具《のうぐ》を棄《す》てゝ遁《に》げることさへあつた。それが如何《どう》したものか何時《いつ》の間《ま》にやら酷《ひど》く自分《じぶん》からお品《しな》の側《そば》へ行《ゆ》きたく成《な》つて畢《しま》つて、他人《たにん》から却《かへつ》て揶揄《からか》はれるやうに成《た》つたのである。  勘次《かんじ》は奉公《ほうこう》の年季《ねんき》を勤《つと》めあげて歸《かへ》つたと成《な》つた時《とき》、卯平《うへい》とは一《ひと》つ家《うち》で竈《かまど》を別《べつ》にすることに成《な》つた。夫婦《ふうふ》と乳呑兒《ちのみご》と三|人《にん》の所帶《しよたい》で彼等《かれら》は卯平《うへい》から殼蕎麥《からそば》が一|斗《と》五|升《しよう》と麥《むぎ》が一|斗《と》と、後《あと》にも先《さき》にもたつた此《こ》れ丈《だけ》が分《わ》けられた。正月《しやうぐわつ》の饂飩《うどん》も打《う》てなかつた。有繋《さすが》にお袋《ふくろ》は小麥粉《こむぎこ》を隱《かく》してお品《しな》へ遣《や》つた。それでも勘次《かんじ》は怖《おそ》ろしい卯平《うへい》と一《ひと》つ竈《かまど》であるよりも却《かへつ》て本意《ほんい》であつた。お袋《ふくろ》が死《し》んでから老《お》いた卯平《うへい》は勘次《かんじ》と一《ひと》つに成《な》らなければならなかつた。其《その》時《とき》はもう勘次《かんじ》が主《あるじ》であつた。さうして疾《とう》に自分《じぶん》の住《す》んで居《ゐ》る土地《とち》までが自分《じぶん》の所有《もの》ではなかつた。それは借錢《しやくせん》の極《きま》りをつける爲《ため》に人《ひと》が立《た》つて東隣《ひがしどなり》へ格外《かくぐわい》な値《ね》で持《も》たせたのである。それ程《ほど》彼《かれ》の家《いへ》は窮《きう》して居《ゐ》た。勘次《かんじ》には卯平《うへい》は畏《おそ》ろしいよりも其《その》時《とき》では寧《むし》ろ厭《いや》な老爺《おやぢ》に成《な》つて居《ゐ》た。二人《ふたり》は滅多《めつた》に口《くち》も利《き》かぬ。それを見《み》て居《ゐ》なければ成《な》らぬお品《しな》の苦心《くしん》は容易《ようい》なものではなかつたのである。  勘次《かんじ》に頼《たの》まれて南《みなみ》の亭主《ていしゆ》が話《はなし》をした時《とき》に卯平《うへい》はどうしたものかと案《あん》じた程《ほど》でもなく「子奴等《こめら》が困《こま》るといへばどうでも仕《し》ざらによ、仕《し》ねえでどうするもんか」と煙管《きせる》を手《て》に持《も》つて其《そ》の癖《くせ》の舌皷《したつゞみ》を打《う》ちながらいつた。南《みなみ》に居《ゐ》て案《あん》じながら挨拶《あいさつ》を待《ま》つて居《ゐ》た勘次《かんじ》は勢《いきほ》ひづいて 「そんぢや、おとつゝあ俺《おれ》行《い》つ來《く》つから」といつた。此《こ》の時《とき》ばかりは穩《おだや》かな挨拶《あいさつ》が交換《かうくわん》された。  勘次《かんじ》が居《ゐ》なく成《な》つてから卯平《うへい》はむつゝりした顏《かほ》に微笑《びせう》を浮《う》かべては與吉《よきち》を抱《だ》いて泣《な》かれることもあつた。與吉《よきち》は夜《よる》俄《にはか》に泣《な》き出《だ》して止《や》まぬことがある。お品《しな》が死《し》ぬまで被《き》て居《ゐ》た蒲團《ふとん》の中《なか》におつぎは與吉《よきち》を抱《だ》いてくるまるのであつた。與吉《よきち》が夜泣《よな》きをする時《とき》卯平《うへい》は枕元《まくらもと》の燐寸《マツチ》をすつて煙草《たばこ》へ火《ひ》を移《うつ》しては燃《も》えさしを手《て》ランプへ點《つ》けて 「おつかあが見《め》えんだかも知《し》んねえ、さうら明《あか》るく成《な》つた。汝《わ》りや※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、69-12]《ねえ》に抱《だ》かさつてんだ。可怖《おつかねえ》ことあるもんか」卯平《うへい》は重《おも》い調子《てうし》でいふのである。與吉《よきち》は壁《かべ》の何處《どこ》ともなく見《み》ては火《ひ》の附《つ》いたやうに身《み》を慄《ふる》はして泣《な》いて犇《ひし》とおつぎへ抱《だ》きつく。おつぎは與吉《よきち》を膝《ひざ》へ抱《だ》いて泣《な》き止《や》むまでは兩手《りやうて》で掩《おほ》うて居《ゐ》る。それが泣《な》き出《だ》したら毎夜《まいよ》のやうなのでおつぎは、玉砂糖《たまざたう》を蒲團《ふとん》の下《した》へ入《い》れて置《お》いて泣《な》く時《とき》には甞《な》めさせた。それでも泣《な》き募《つの》つた時《とき》は口《くち》へ入《い》れた砂糖《さたう》を吐《は》き出《だ》しては愈《いよ/\》烈《はげ》しく泣《な》くのである。おつぎは焦《ぢ》れて邪險《じやけん》に與吉《よきち》をゆさぶることもあつた。それで與吉《よきち》は遂《しまひ》には砂糖《さたう》を口《くち》にしながらすや/\と眠《ねむ》る。卯平《うへい》は與吉《よきち》が靜《しづ》かに成《な》るまでは横《よこ》に成《な》つた儘《まゝ》おつぎの方《はう》を向《む》いて薄闇《うすぐら》い手《て》ランプに其《そ》の目《め》を光《ひか》らせて居《ゐ》る。  與吉《よきち》はおつぎに抱《だ》かれる時《とき》いつも能《よ》くおつぎの乳房《ちぶさ》を弄《いぢ》るのであつた。五月蠅《うるさ》がつて邪險《じやけん》に叱《しか》つて見《み》ても與吉《よきち》は甘《あま》えて笑《わら》つて居《ゐ》る。それでも泣《な》く時《とき》にお品《しな》のしたやうに懷《ふところ》を開《あ》けて乳房《ちぶさ》を含《ふく》ませて見《み》ても其《そ》の小《ちひ》さな乳房《ちぶさ》は間違《まちが》つても吸《す》はなかつた。砂糖《さたう》を附《つ》けて見《み》ても欺《あざむ》けなかつた。おつぎは與吉《よきち》が腹《はら》を減《へ》らして泣《な》く時《とき》には米《こめ》を水《みづ》に浸《ひた》して置《お》いて摺鉢《すりばち》ですつて、それをくつ/\と煮《に》て砂糖《さたう》を入《いれ》て嘗《な》めさせた。與吉《よきち》は一箸《ひとはし》嘗《な》めては舌鼓《したつゞみ》を打《う》つて其《その》小《ちひ》さな白《しろ》い齒《は》を出《だ》して、頭《あたま》を後《うしろ》へひつゝける程《ほど》身《み》を反《そ》らしておつぎの顏《かほ》を凝然《ぢつ》と見《み》ては甘《あま》えた聲《こゑ》を立《たて》て笑《わら》ふのである。與吉《よきち》はそれが欲《ほし》くなれば小《ちひ》さな手《て》で煤《すゝ》けた※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2-83-82]棚《わくだな》を指《さ》した。其處《そこ》には彼《かれ》の好《この》む砂糖《さたう》の小《ちひ》さな袋《ふくろ》が載《の》せてあるのであつた。  おつぎは勘次《かんじ》が吩咐《いひつ》けて行《い》つた通《とほ》り桶《をけ》へ入《い》れてある米《こめ》と麥《むぎ》との交《ま》ぜたのを飯《めし》に炊《た》いて、芋《いも》と大根《だいこ》の汁《しる》を拵《こしら》へる外《ほか》どうといふ仕事《しごと》もなかつた。其《そ》の間《あひだ》には與吉《よきち》を背負《せお》つて林《はやし》の中《なか》を歩《ある》いて竹《たけ》の竿《さを》で作《つく》つた鍵《かぎ》の手《て》で枯枝《かれえだ》を採《と》つては麁朶《そだ》を束《たば》ねるのが務《つとめ》であつた。おつぎは麥藁《むぎわら》で田螺《たにし》のやうな形《かたち》に捻《よぢ》れた籠《かご》を作《つく》つてそれを與吉《よきち》へ持《も》たせた。卯平《うへい》はぶらりと出《で》て行《い》つては歸《かへ》りには駄菓子《だぐわし》を少《すこ》し袂《たもと》へ入《い》れて來《く》る。さうして卯平《うへい》は菓子《くわし》を持《も》つた右《みぎ》の手《て》を左《ひだり》の袖口《そでくち》から出《だ》して與吉《よきち》へ見《み》せる、與吉《よきち》はふら/\と漸《やうや》く歩《ある》いて行《い》つては、衝《つ》き當《あた》り相《さう》に卯平《うへい》へ捉《つかま》つて袂《たもと》を探《さが》す。さうすると菓子《くわし》を持《も》つた手《て》が更《さら》に卯平《うへい》の左《ひだり》の袂《たもと》から出《で》る。與吉《よきち》は危《あぶ》な相《さう》に卯平《うへい》の身體《からだ》を傳《つた》ひつゝ左《ひだり》へ廻《まは》つて行《ゆ》く。さうすると卯平《うへい》の手《て》が與吉《よきち》の頭《あたま》の上《うへ》に乘《の》つて菓子《くわし》が頭《あたま》へ落《おと》される。與吉《よきち》が頭《あたま》へ手《て》をやる時《とき》に菓子《くわし》は足下《あしもと》へぽたりと落《お》ちる。與吉《よきち》は慌《あわ》てゝ菓子《くわし》を拾《ひろ》つては聲《こゑ》を立《た》てゝ笑《わら》ふのである。菓子《くわし》は何時《いつ》までも減《へ》らないやうに砂糖《さたう》で固《かた》めた黒《くろ》い鐵砲玉《てつぱうだま》が能《よ》く與《あた》へられた。頭《あたま》から落《お》ちてころ/\と鐵砲玉《てつぱうだま》が遠《とほ》く轉《ころ》がつて行《ゆ》くのを、倒《たふ》れながら逐《お》ひ掛《か》けて行《い》く與吉《よきち》を見《み》て卯平《うへい》のむつゝりとした顏《かほ》が溶《と》けるのである。與吉《よきち》は躓《つまづ》いて倒《たふ》れても其《その》時《とき》は決《けつ》して泣《な》くことがない。鐵砲玉《てつぱうだま》は麥藁《むぎわら》の籠《かご》へも入《い》れられた。與吉《よきち》はそれを大事相《だいじさう》に持《も》つては時ゝ《とき/″\》覗《のぞ》きながら、おつぎが炊事《すゐじ》の間《あひだ》を大人《おとな》しくして坐《すわ》つて居《ゐ》るのであつた。          六  春《はる》は空《そら》からさうして土《つち》から微《かすか》に動《うご》く。毎日《まいにち》のやうに西《にし》から埃《ほこり》を捲《ま》いて來《く》る疾風《しつぷう》がどうかするとはたと止《とま》つて、空際《くうさい》にはふわ/\とした綿《わた》のやうな白《しろ》い雲《くも》がほつかりと暖《あたゝ》かい日光《につくわう》を浴《あ》びようとして僅《わづか》に立《た》ち騰《のぼ》つたといふやうに、動《うご》きもしないで凝然《ぢつ》として居《ゐ》ることがある。水《みづ》に近《ちか》い濕《しめ》つた土《つち》が暖《あたゝ》かい日光《につくわう》を思《おも》ふ一|杯《ぱい》に吸《す》うて其《その》勢《いきほ》ひづいた土《つち》の微《かす》かな刺戟《しげき》を根《ね》に感《かん》ぜしめるので、田圃《たんぼ》の榛《はん》の木《き》の地味《ぢみ》な蕾《つぼみ》は目《め》に立《た》たぬ間《ま》に少《すこ》しづゝ延《の》びてひら/\と動《うご》き易《やす》くなる。其《そ》の刺戟《しげき》から蛙《かへる》はまだ蟄居《ちつきよ》の状態《じやうたい》に在《あ》りながら、稀《まれ》にはそつちでもこつちでもくゝ/\と鳴《な》き出《だ》すことがある。空《そら》から射《さ》す日《ひ》の光《ひかり》はそろ/\と熱度《ねつど》を増《ま》して、土《つち》はそれを幾《いく》らでも吸《す》うて止《や》まぬ。土《つち》は凡《すべ》てを段々《だん/\》と刺戟《しげき》して堀《ほり》の邊《ほとり》には蘆《あし》やとだしばや其《そ》の他《た》の草《くさ》が空《そら》と相《あひ》映《えい》じてすつきりと其《そ》の首《くび》を擡《もた》げる。軟《やはら》かさに滿《み》たされた空氣《くうき》を更《さら》に鈍《にぶ》くするやうに、榛《はん》の木《き》の花《はな》はひら/\と止《や》まず動《うご》きながら煤《すゝ》のやうな花粉《くわふん》を撒《ま》き散《ち》らして居《ゐ》る。蛙《かへる》は假死《かし》の状態《じやうたい》から離《はな》れて軟《やはら》かな草《くさ》の上《うへ》に手《て》を突《つ》いては、驚《おどろ》いたやうな容子《ようす》をして空《そら》を仰《あふ》いで見《み》る。さうして彼等《かれら》は慌《あわ》てたやうに聲《こゑ》を放《はな》つて其《その》長《なが》い睡眠《すゐみん》から復活《ふくくわつ》したことを空《そら》に向《むか》つて告《つ》げる。それで遠《とほ》く聞《き》く時《とき》は彼等《かれら》の騷《さわ》がしい聲《こゑ》は只《たゞ》空《そら》にのみ響《ひゞ》いて快《こゝろよ》げである。  彼等《かれら》は更《さら》に春《はる》の到《いた》つたことを一|切《さい》の生物《せいぶつ》に向《むか》つて促《うなが》す。草《くさ》や木《き》が心《こゝろ》づいて其《そ》の活力《くわつりよく》を存分《ぞんぶん》に發揮《はつき》するのを見《み》ないうちは鳴《な》くことを止《や》めまいと努《つと》める。田圃《たんぼ》の榛《はん》の木《き》は疾《とう》に花《はな》を捨《す》てゝ自分《じぶん》が先《さき》に嫩葉《わかば》の姿《すがた》に成《な》つて見《み》せる。黄色味《きいろみ》を含《ふく》んだ嫩葉《わかば》が爽《さわや》かで且《か》つ朗《ほがら》かな朝日《あさひ》を浴《あ》びて快《こゝろよ》い光《ひかり》を保《たも》ちながら蒼《あを》い空《そら》の下《した》に、まだ猶豫《たゆた》うて居《ゐ》る周圍《しうゐ》の林《はやし》を見《み》る。岬《みさき》のやうな形《かたち》に偃《は》うて居《ゐ》る水田《すゐでん》を抱《かゝ》へて周圍《しうゐ》の林《はやし》は漸《やうや》く其《そ》の本性《ほんしやう》のまに/\勝手《かつて》に白《しろ》つぽいのや赤《あか》つぽいのや、黄色《きいろ》つぽいのや種々《いろ/\》に茂《しげ》つて、それが氣《き》が付《つ》いた時《とき》に急《いそ》いで一《ひと》つの深《ふか》い緑《みどり》に成《な》るのである。雜木林《ざふきばやし》の其處《そこ》ら此處《こゝ》らに散在《さんざい》して居《ゐ》る開墾地《かいこんち》の麥《むぎ》もすつと首《くび》を出《だ》して、蠶豆《そらまめ》の花《はな》も可憐《かれん》な黒《くろ》い瞳《ひとみ》を聚《あつ》めて羞《はづ》かし相《さう》に葉《は》の間《あいだ》からこつそりと四|方《はう》を覗《のぞ》く。雜木林《ざふきばやし》の間《あひだ》には又《また》芒《すゝき》の硬直《かうちよく》な葉《は》が空《そら》を刺《さ》さうとして立《た》つ。其《その》麥《むぎ》や芒《すゝき》の下《した》に居《きよ》を求《もと》める雲雀《ひばり》が時々《とき/″\》空《そら》を占《し》めて春《はる》が深《ふ》けたと喚《よ》びかける。さうすると其《その》同族《どうぞく》の聲《こゑ》のみが空間《くうかん》を支配《しはい》して居可《ゐべ》き筈《はず》だと思《おも》つて居《ゐ》る蛙《かへる》は、其《その》囀《さへづ》る聲《こゑ》を壓《あつ》し去《さ》らうとして互《たがひ》の身體《からだ》を飛《と》び越《こ》え飛び越え鳴《な》き立《た》てるので小勢《こぜい》な雲雀《ひばり》はすつとおりて麥《むぎ》や芒《すゝき》の根《ね》に潜《ひそ》んで畢《しま》ふ。さうしては蛙《かへる》の鳴《な》かぬ日中《につちう》にのみ、之《これ》を仰《あふ》げば眩《まば》ゆさに堪《た》へぬやうに其《そ》の身《み》を遙《はるか》に煌《きら》めく日《ひ》の光《ひかり》の中《なか》に沒《ぼつ》して其《その》小《ちひ》さな咽《のど》の拗切《ちぎ》れるまでは劇《はげ》しく鳴《な》らさうとするのである。蛙《かへる》は愈《いよ/\》益《ます/\》鳴《な》き矜《ほこ》つて樫《かし》の木《き》のやうな大《おほ》きな常緑木《ときはぎ》の古葉《ふるは》をも一|時《じ》にからりと落《おと》させねば止《や》まないとする。  此《こ》の時《とき》凡《すべ》ての樹木《じゆもく》やそれから冬季《とうき》の間《あひだ》にはぐつたりと地《ち》に附《つ》いて居《ゐ》た凡《すべ》ての雜草《ざつさう》が爪立《つまだて》して只《たゞ》空《そら》へ/\と暖《あたゝ》かな光《ひかり》を求《もと》めて止《や》まぬ。土《つち》がそれを凝然《ぢつ》と曳《ひ》きとめて放《はな》さない。それで一|切《さい》の草木《さうもく》は土《つち》と直角《ちよくかく》の度《ど》を保《たも》つて居《ゐ》る、冬季《とうき》の間《あひだ》は土《つち》と平行《へいかう》することを好《この》んで居《ゐ》た人《ひと》も鐵《てつ》の針《はり》が磁石《じしやく》に吸《す》はれる如《ごと》く土《つち》に直立《ちよくりつ》して各自《てんで》に手《て》に農具《のうぐ》を執《と》る。紺《こん》の股引《ももひき》を藁《わら》で括《くゝ》つて皆《みな》田《た》を耕《たがや》し始《はじ》める。水《みづ》が欲《ほ》しいと人《ひと》が思《おも》ふ時《とき》蛙《かへる》は一|齊《せい》に裂《さ》けるかと思《おも》ふ程《ほど》喉《のど》の袋《ふくろ》を膨脹《ばうちやう》させて身《み》を撼《ゆる》がしながら殊更《ことさら》に鳴《な》き立《た》てる。白《しろ》い※[#「糸+圭」、第3水準1-90-3]絲《すがいと》のやうな雨《あめ》は水《みづ》が田《た》に滿《み》つるまでは注《そゝ》いで又《また》注《そゝ》ぐ。鳴《な》くべき時《とき》に鳴《な》く爲《ため》にのみ生《うま》れて來《き》た蛙《かへる》は苅株《かりかぶ》を引《ひ》つ返《かへ》し/\働《はたら》いて居《ゐ》る人々《ひと/″\》の周圍《しうゐ》から足下《あしもと》から逼《せま》つて敏捷《びんせう》に其《そ》の手《て》を動《うご》かせ/\と促《うなが》して止《や》まぬ。蛙《かへる》がぴつたりと聲《こゑ》を呑《の》む時《とき》には日中《につちう》の暖《あたゝ》かさに人《ひと》もぐつたりと成《な》つて田圃《たんぼ》の短《みじか》い草《くさ》にごろりと横《よこ》に成《な》る。更《さら》に蛙《かへる》はひつそりと靜《しづ》かな夜《よる》になると如何《いか》に自分《じぶん》の聲《こゑ》が遠《とほ》く且《かつ》遙《はるか》に響《ひゞ》くかを矜《ほこ》るものゝ如《ごと》く力《ちから》を極《きは》めて鳴《な》く。雨戸《あまど》を閉《と》づる時《とき》蛙《かへる》の聲《こゑ》は滅切《めつきり》遠《とほ》く隔《へだ》つてそれがぐつたりと疲《つか》れた耳《みゝ》を擽《くすぐ》つて百姓《ひやくしやう》の凡《すべ》てを安《やす》らかな眠《ねむ》りに誘《いざな》ふのである。熟睡《じゆくすゐ》することによつて百姓《ひやくしやう》は皆《みな》短《みじか》い時間《じかん》に肉體《にくたい》の消耗《せうまう》を恢復《くわいふく》する。彼等《かれら》が雨戸《あまど》の隙間《すきま》から射《さ》す夜明《よあけ》の白《しろ》い光《ひかり》に驚《おどろ》いて蒲團《ふとん》を蹴《け》つて外《そと》に出《で》ると、今更《いまさら》のやうに耳《みゝ》に迫《せま》る蛙《かへる》の聲《こゑ》に其《そ》の覺醒《かくせい》を促《うなが》されて、井戸端《ゐどばた》の冷《つめ》たい水《みづ》に全《まつた》く朝《あさ》の元氣《げんき》を喚《よ》び返《かへ》すのである。草木《くさき》は遠《とほ》く遙《はるか》に響《ひゞ》けと鳴《な》く其《そ》の聲《こゑ》に撼《ゆす》られつゝ夜《よる》の間《あひだ》に生長《せいちやう》する。櫟《くぬぎ》や楢《なら》や其《その》他《た》の雜木《ざふき》は蛙《かへる》が鳴《な》けば鳴《な》く程《ほど》さうしてそれが鳴《な》き止《や》む季節《きせつ》までは幾《いく》らでも繁茂《はんも》することを繼續《けいぞく》しようとする。其處《そこ》には毛蟲《けむし》や其《そ》の他《た》の淺猿《あさま》しい損害《そんがい》が或《あるひ》は有《あ》るにしても、しと/\と屡《しば/\》梢《こずゑ》を打《う》つ雨《あめ》が空《そら》の蒼《あを》さを移《うつ》したかと思《おも》ふやうに力強《ちからづよ》い深《ふかい》い緑《みどり》が地上《ちじやう》を掩《おほ》うて爽《さわや》かな冷《すゞ》しい陰《かげ》を作《つく》るのである。  鬼怒川《きぬがは》の西岸《せいがん》一|部《ぶ》の地《ち》にも恁《か》うして春《はる》は來《きた》り且《かつ》推移《すゐい》した。憂《うれ》ひあるものも無《な》いものも等《ひと》しく耒※[#「耒+巨」、74-15]《らいし》を執《と》つて各《おの/\》其《そ》の處《ところ》に就《つ》いた。勘次《かんじ》も其《そ》の一人《ひとり》である。  勘次《かんじ》は春《はる》の間《あひだ》にお品《しな》の四十九|日《にち》も過《すご》した。白木《しらき》の位牌《ゐはい》に心《こゝろ》ばかりの手向《たむけ》をしただけで一|錢《せん》でも彼《かれ》は冗費《じようひ》を怖《おそ》れた。彼《かれ》が再《ふたゝ》び利根川《とねがは》の工事《こうじ》へ行《い》つた時《とき》は冬《ふゆ》は漸《やうや》く險惡《けんあく》な空《そら》を彼等《かれら》の頭上《づじやう》に表《あら》はした。霙《みぞれ》や雪《ゆき》や雨《あめ》が時《とき》として彼等《かれら》の勞働《らうどう》に怖《おそ》るべき障害《しやうがい》を與《あた》へて彼等《かれら》を一|日《にち》其《その》寒《さむ》い部屋《へや》に閉《と》ぢ込《こ》めた。一|日《にち》の工賃《こうちん》は非常《ひじやう》な節約《せつやく》をしても次《つぎ》の日《ひ》に仕事《しごと》に出《で》なければ一|錢《せん》も自分《じぶん》の手《て》には残《のこ》らなくなる。それは食料《しよくれう》と薪《まき》との不廉《ふれん》な供給《きようきふ》を仰《あふ》がねばならぬからである。勘次《かんじ》はお品《しな》の發病《はつびやう》から葬式《さうしき》までには彼《かれ》にしては過大《くわだい》な費用《ひよう》を要《えう》した。それでも葬具《さうぐ》や其《そ》の他《た》の雜費《ざつぴ》には二|錢《せん》づつでも村《むら》の凡《すべ》てが持《も》つて來《き》た香奠《かうでん》と、お品《しな》の蒲團《ふとん》の下《した》に入《いれ》てあつた蓄《たくはへ》とでどうにかすることが出來《でき》た。それでも醫者《いしや》への謝儀《しやぎ》や其《そ》の他《た》で彼自身《かれじしん》の懷中《ふところ》はげつそりと減《へ》つて畢《しま》つた。さうして小作米《こさくまい》を賣《う》つた苦《くる》しい懷《ふところ》からそれでも彼《かれ》は自分《じぶん》の居《ゐ》ない間《あひだ》の手當《てあて》に五十|錢《せん》を託《たく》して行《い》つた。それも卯平《うへい》へ直接《ちよくせつ》ではなくて南《みなみ》へ頼《たの》んで卯平《うへい》へ渡《わた》して貰《もら》つた。勘次《かんじ》が行《い》つてから其《そ》の錢《ぜに》を出《だ》された時《とき》卯平《うへい》は 「さう疑《うた》ぐるならわしは預《あづ》かりますめえ」といつて拒絶《きよぜつ》した。 「まあ其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》ことゆはねえで折角《せつかく》のことに、勘次《かんじ》さんも惡《わる》い料簡《れうけん》でしたんでもなかんべえから」と宥《なだ》めても到頭《たうとう》卯平《うへい》は聽《き》かなかつた。  勘次《かんじ》はどうにか稼《かせ》ぎ出《だ》して歸《かへ》りたいと思《おも》つて一|生懸命《しやうけんめい》になつたがそれは僅《わづか》に生命《せいめい》を繋《つな》ぎ得《え》たに過《すぎ》ないのであつた。近所《きんじよ》の村落《むら》から行《い》つたものは凌《しの》ぎ切《き》れないで夜遁《よにげ》して畢《しま》つたものもあつた。それでも勘次《かんじ》は僅《わづか》に持《も》つて出《で》た財布《さいふ》の錢《ぜに》を減《へ》らさなかつたといふ丈《だけ》のことに繋《つな》ぎ止《と》めた。 「おとつゝあ居《ゐ》て呉《く》れたなあ」と媚《こ》びるやうにいつて自分《じぶん》の家《うち》の閾《しきゐ》を跨《また》いだ時《とき》は足《あし》に知覺《ちかく》のない程《ほど》に彼《かれ》は草臥《くたび》れて夜《よる》は闇《くら》くなつて居《ゐ》た。有繋《さすが》に二人《ふたり》の子《こ》は悦《よろこ》んで與吉《よきち》は勘次《かんじ》の手《て》に縋《すが》つた。卯平《うへい》がしたやうに鐵砲玉《てつぽうだま》が勘次《かんじ》の手《て》から出《で》ることゝ思《おも》つたらしかつた。勘次《かんじ》は苦《くる》しい懷《ふところ》から何《なに》も買《か》つては來《こ》なかつた。彼《かれ》は什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》にしても無邪氣《むじやき》な子《こ》の爲《ため》に小《ちひ》さな菓子《くわし》の一袋《ひとふくろ》も持《も》つて來《こ》なかつたことを心《こゝろ》に悔《く》いた。 「まんま」というて小《ちひ》さな與吉《よきち》は勘次《かんじ》に求《もと》めた。 「そんぢや爺《ぢい》が砂糖《さたう》でも嘗《な》めろ」とおつぎは與吉《よきち》を抱《だい》て※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2-83-82]棚《わくだな》の袋《ふくろ》をとつた。寡言《むくち》な卯平《うへい》は一寸《ちよつと》見向《みむ》いたきりで歸《かへ》つたかともいはない。勘次《かんじ》が草臥《くたび》れた容子《ようす》をして居《ゐ》るのが態《わざ》とらしいやうに見《み》えるので卯平《うへい》は苦《にが》い顏《かほ》をして、火《ひ》の消《き》えた煙管《きせる》をぎつと噛《か》みしめては思《おも》ひ出《だ》したやうに雁首《がんくび》を火鉢《ひばち》へ叩《たゝ》き付《つ》けた。吸穀《すひがら》がひつゝいてるので彼《かれ》は力《ちから》一|杯《ぱい》に叩《たゝ》きつけた。勘次《かんじ》にはそれが當《あ》てつけにでもされるやうに心《こゝろ》に響《ひゞ》いた。 「おつぎみんなでも嘗《な》めさせろ、さうして汝《われ》も嘗《な》めつちめえ、おとつゝあ稼《かせ》えで來《き》たから汝等《わつら》も此《こ》れからよかんべえ」卯平《うへい》はいつた。勘次《かんじ》は漸《やうや》く歸《かへ》つた其《そ》の箭先《やさき》にかういふことで自分《じぶん》の家《うち》でも酷《ひど》く落付《おちつ》かない、こそつぱくて成《な》らない心持《こゝろもち》がするので彼《かれ》は足《あし》も洗《あら》はずに近所《きんじよ》へ義理《ぎり》も足《た》すからといつて出《で》て行《い》つた。 「明日《あした》だつてえゝのに」卯平《うへい》は後《あと》で呟《つぶや》いた。彼《かれ》はぶすり/\と口《くち》は利《き》くのであつたがそれでも先刻《さつき》からのやうにひねくれ曲《まが》つたことは此《こ》れまではいつたことはなかつた。  彼《かれ》は死《し》んだお品《しな》のことを思《おも》つて二人《ふたり》の子《こ》が憐《あは》れになつて勘次《かんじ》の居《ゐ》ない間《あひだ》の面倒《めんだう》を見《み》る氣《き》に成《な》つた。彼《かれ》は僅《わづか》な菓子《くわし》の袋《ふくろ》から小《ちひ》さな與吉《よきち》に慕《した》はれて見《み》ると有繋《さすが》に憎《にく》い心持《こゝろもち》も起《おこ》らなかつた。其《そ》の間《あひだ》彼《かれ》は何《なん》にも不足《ふそく》に思《おも》つては居《ゐ》なかつた。それを勘次《かんじ》が歸《かへ》つて見《み》ると性來《しやうらい》好《す》きでない勘次《かんじ》へ忽《たちま》ちに二人《ふたり》の子《こ》は靡《なび》いて畢《しま》つた。彼《かれ》は此《これ》までの心竭《こゝろづく》しを勘次《かんじ》に奪《うば》はれたやうで、ふつと不快《ふくわい》な感《かん》じを起《おこ》したのである。それもどんな姿《なり》にも勘次《かんじ》が義理《ぎり》を述《のべ》ればそれでもまだよかつたが、勘次《かんじ》は妙《めう》に身《み》がひけ[#「ひけ」に傍点]てそれが喉《のど》まで出《で》ても抑《おさ》へつけられたやうで聲《こゑ》に發《はつ》することが出來《でき》なかつたのである。  懷《ふところ》のさむしい勘次《かんじ》はさうして身《み》がひけるのを卯平《うへい》には却《かへつ》て餘所《よそ》/\しくされるやうな感《かん》じを與《あた》へた。勘次《かんじ》は卯平《うへい》にも子供《こども》にも濟《すま》ぬやうな氣《き》がしたので近所《きんじよ》へ義理《ぎり》を足《た》すというて出《で》て菓子《くわし》の一袋《ひとふくろ》を懷《ふところ》へ入《い》れて來《き》た。其《そ》の時《とき》與吉《よきち》はもう眠《ねむ》つて居《ゐ》た。卯平《うへい》は變《へん》なことをすると思《おも》つて見《み》て居《ゐ》た。さうして又《また》更《さら》に自分《じぶん》が酷《ひど》く隔《へだ》てられるやうに思《おも》つた。彼《かれ》は五十|錢《せん》の錢《ぜに》のことを思《おも》ひ出《だ》して忌々敷《いま/\しく》なつた。 「勘次等《かんじら》懷《ふところ》はよかつぺ」卯平《うへい》はぶつゝりと聞《き》いた。 「おとつゝあ、俺《お》らえゝ所《ところ》なもんぢやねえ、やつとのことで逃《に》げるやうにして來《き》たんだ、あんな所《ところ》へなんざあ決《けつ》して行《い》くもんぢやねえ、とつても駄目《だめ》なこつた、俺《おら》も懲《こ》りつちやつたよ」勘次《かんじ》は慌《あわ》てゝいつた。彼《かれ》は逢《あ》ふ人《ひと》毎《ごと》に必《かなら》ずよからう/\といはれるのを非常《ひじやう》に怖《おそ》れて居《ゐ》た。 「うむ、さうかなあ」卯平《うへい》は氣《き》のないやうにいつた。 「どうで俺《お》ら餘計者《よけいもの》だ、居《ゐ》やしねえからえゝや、幾《いく》ら持《もつ》てたつて構《かま》やしねえ」彼《かれ》は更《さら》に獨語《つぶや》いた。勘次《かんじ》は蒼《あを》くなつた。卯平《うへい》は勘次《かんじ》が屹度《きつと》錢《ぜに》を隱《かく》して居《ゐ》るのだと思《おも》つたのである。彼《かれ》はそんなこんなが不快《ふくわい》に堪《た》へないので次《つぎ》の日《ひ》野田《のだ》へ立《た》つて畢《しま》つた。  野田《のだ》で卯平《うへい》の役目《やくめ》といへば夜《よる》になつて大《おほ》きな藏々《くら/″\》の間《あひだ》を拍子木《ひやうしぎ》叩《たゝ》いて歩《ある》く丈《だけ》で老人《としより》の體《からだ》にもそれは格別《かくべつ》の辛抱《しんぼう》ではなかつた。晝《ひる》は午睡《ひるね》が許《ゆる》されてあるので其《そ》の時間《じかん》を割《さ》いて器用《きよう》な彼《かれ》には内職《ないしよく》の小遣取《こづかひどり》も少《すこ》しは出來《でき》た。好《す》きな煙草《たばこ》とコツプ酒《ざけ》に渇《かつ》することはなかつた。暑《あつ》い時《とき》にはさつぱりした浴衣《ゆかた》を引《ひ》つ掛《か》けて居《ゐ》ることも出來《でき》た。其處《そこ》は彼《かれ》には住《す》み辛《づら》い處《ところ》でもなかつた。只《たゞ》凍《い》ての酷《ひど》い冬《ふゆ》の夜《よ》などには以前《いぜん》からの持病《ぢびやう》である疝氣《せんき》でどうかすると腰《こし》がきや/\と痛《いた》むこともあつたが、其《そ》の時《とき》丈《だけ》は勘次《かんじ》とまづくなければお品《しな》の側《そば》でおとつゝあといはれて居《ゐ》たい心持《こゝろもち》もするのであつた。生來《せいらい》子《こ》を持《も》つたことのない彼《かれ》はお品《しな》一人《ひとり》が手頼《てたのみ》であつた。お品《しな》に死《し》なれて彼《かれ》は全《まつた》く孤立《こりつ》した。さうして老後《らうご》は到底《たうてい》勘次《かんじ》の手《て》に託《たく》さねばならぬことに成《な》つて畢《しま》つたのである。それでも不見目《みじめ》な貧相《ひんさう》な勘次《かんじ》は依然《いぜん》として彼《かれ》には蟲《むし》が好《す》かなかつた。彼《かれ》は野田《のだ》へ行《い》けば比較的《ひかくてき》に不自由《ふじいう》のない生活《せいくわつ》がして行《い》かれるので汝等《わつら》が厄介《やくかい》には成《な》らねえでも俺《おれ》はまだ立《たつ》て行《い》かれると、恁《か》うして哀愁《あいしう》に掩《おほ》はれた心《こゝろ》の一|方《ぱう》には老人《としより》の僻《ひが》みと愚癡《ぐち》とが起《おこ》つたのであつた。卯平《うへい》は心《こゝろ》に涙《なみだ》を呑《の》んだ。  勘次《かんじ》は悄然《せうぜん》として居《ゐ》た。與吉《よきち》が泣《な》く度《たび》に彼《かれ》は困《こま》つた。さうして毎日《まいにち》お品《しな》のことを思《おも》ひ出《だ》しては、天秤《てんびん》で手桶《てをけ》を擔《かつ》いだ姿《すがた》が庭《には》にも戸口《とぐち》にも時《とき》としては座敷《ざしき》にも見《み》えることがあつた。側《そば》に居《ゐ》るやうな氣《き》がして思《おも》はず顧《かへり》みることもあるのであつた。彼《かれ》はお品《しな》を思《おも》ひ出《だ》すと與吉《よきち》を抱《だ》いては「なあ、おつかあは居《ゐ》ねえんだぞ、おつかあが乳房《ちつこ》欲《ほ》しがんねえんだぞ」と始終《しじう》いつて聞《き》かせた。お品《しな》が居《ゐ》ないと殊更《ことさら》にいふのはそれは一つには彼自身《かれじしん》の斷念《あきらめ》の爲《ため》でもあつたのである。  お品《しな》は豆腐《とうふ》を擔《かつ》いで居《ゐ》る時《とき》は能《よ》く麥酒《ビール》の明罎《あきびん》を手桶《てをけ》へ括《くゝ》つて行《い》つた。それで歸《かへ》りの手桶《てをけ》が輕《かる》くなつた時《とき》は勘次《かんじ》の好《す》きな酒《さけ》がこぼ/\と罎《びん》の中《なか》で鳴《な》つて居《ゐ》た。お品《しな》は酒店《さかだな》へ豆腐《とうふ》を置《お》いては其《その》錢《ぜに》だけ酒《さけ》を入《い》れて貰《もら》ふので豆腐《とうふ》の儲《まう》けだけ廉《やす》い酒《さけ》を買《か》つて勘次《かんじ》を悦《よろこ》ばせるのであつた。それはお品《しな》の死《し》ぬ年《とし》のことだけである。お品《しな》は漸《やうや》く商《あきなひ》を覺《おぼ》えたといつて居《ゐ》たのはまだ其《そ》の夏《なつ》の頃《ころ》からである。初《はじ》めは極《きま》りが惡《わる》くて他人《たにん》の閾《しきゐ》を跨《また》ぐのを逡巡《もぢ/\》して居《ゐ》た。其《そ》の位《くらゐ》だから變《へん》な赤《あか》い顏《かほ》もして餘計《よけい》に不愛想《ぶあいさう》にも見《み》えるのであつたが、後《のち》には相應《さうおう》に時候《じこう》の挨拶《あいさつ》もいへるやうに成《な》つたとお品《しな》は能《よ》く勘次《かんじ》へ語《かた》つたのである。勘次《かんじ》は追憶《つゐおく》に堪《た》へなくなつてはお品《しな》の墓塋《はか》に泣《な》いた。彼《かれ》は紙《かみ》が雨《あめ》に溶《と》けてだらりとこけた白張提灯《しらはりちやうちん》を恨《うら》めし相《さう》に見《み》るのであつた。  勘次《かんじ》は悄《しを》れた首《くび》を擡《もた》げて三|人《にん》の口《くち》を糊《のり》するために日傭《ひよう》に出《で》た。彼《かれ》は能《よ》く隣《となり》の主人《しゆじん》に使《つか》つて貰《もら》つた。米《こめ》は屹度《きつと》彼《かれ》が搗《つ》かせられた。上手《じやうず》な彼《かれ》は減《へ》らさないでさうして白《しろ》く搗《つ》いた。彼《かれ》は時《とき》としては主人《しゆじん》のうつかりして居《ゐ》る間《ま》に藏《くら》から餘計《よけい》な米《こめ》を量《はか》り出《だ》して、そつと隱《かく》して置《お》いて夜《よる》自分《じぶん》の家《いへ》に持《も》つて來《く》ることがあつた。それも僅《わづ》か二|升《しよう》か三|升《じよう》に過《す》ぎない。其《そ》の位《くらゐ》では主人《しゆじん》の注意《ちうい》を惹《ひ》くには足《た》らなかつた。さうして其《そ》の米《こめ》は窮迫《きうはく》した彼《かれ》の厨《くりや》を少時《しばし》濕《うるほ》すのである。或《あ》る時《とき》彼《か》れは復《ま》た主人《しゆじん》の米《こめ》をそつと掠《かす》めて股引《もゝひき》へ入《い》れて目《め》につかぬやうに薪《たきゞ》の積《つ》んだ間《あひだ》へ押《お》し込《こ》んで置《お》いた。傭人《やとひにん》がそれを發見《はつけん》して竊《ひそか》に主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんに告《つ》げた。内儀《かみ》さんは僅《わづ》かなことだから棄《す》てゝ置《お》いて遣《や》れといつたが然《しか》し傭人《やとひにん》は一つには惡戯《いたづら》から米《こめ》を明《あ》けて其《そ》の代《かはり》に一|杯《ぱい》に土《つち》を入《い》れて置《お》いた。勘次《かんじ》は發覺《はつかく》したことを怖《おそ》れ且《か》つ恥《は》ぢて次《つぎ》の日《ひ》には來《こ》なかつた。それから數日間《すうじつかん》は主人《しゆじん》の家《うち》に姿《すがた》を見《み》せなかつた。内儀《かみ》さんは傭人《やとひにん》の惡戯《いたづら》を聞《き》いて寧《むし》ろ憐《あはれ》になつて又《また》こちらから仕事《しごと》を吩咐《いひつ》けてやつた。更《さら》に袋《ふくろ》へ米《こめ》と挽割麥《ひきわりむぎ》とを交《ま》ぜたのを入《い》れて、それから此《こ》れは傭人《やとひにん》にも炊《た》いてやれないのだからお前《まへ》がよければ持《も》つて行《い》つて秋《あき》にでもなつたら糯粟《もちあは》の少《すこ》しも返《かへ》せと二三|斗《ど》入《はひ》つた粳粟《うるちあは》の俵《たわら》とを一つに遣《や》つた。勘次《かんじ》は主人《しゆじん》の爲《ため》に一|所懸命《しよけんめい》働《はたら》いた。其《そ》の以前《いぜん》からも彼《かれ》は只《たゞ》隣《となり》の主人《しゆじん》から見棄《みす》てられないやうと心《こゝろ》には思《おも》つて居《ゐ》るのであつた。然《しか》し非常《ひじやう》な勞働《らうどう》は傭人《やとひにん》の仲間《なかま》には忌《い》まれた。それは傭人《やとひにん》も彼《かれ》に倣《なら》つて自分《じぶん》も其《そ》の勞力《らうりよく》を偸《ぬす》むことが出來《でき》ないからである。  さうする内《うち》に世間《せけん》は復《また》春《はる》が移《うつ》つて雨《あめ》が忙《いそが》しく田畑《たはた》へ水《みづ》を供給《きようきふ》した。勘次《かんじ》は自分《じぶん》の後《うしろ》の田《た》へ出《で》て刈株《かりかぶ》を引《ひ》つ返《かへ》しては耕《たがや》した。おつぎも萬能《まんのう》を持《も》つて勘次《かんじ》の後《あと》に跟《つ》いた。勘次《かんじ》はお品《しな》の手《て》が減《へ》つた丈《だけ》はおつぎを使《つか》つてどうにか從來《これまで》作《つく》つた土地《とち》は始末《しまつ》をつけようと思《おも》つた。殊《こと》に田《た》は直《すぐ》後《うしろ》なので什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》にしても手放《てばな》すまいとした。一|且《たん》地主《ぢぬし》へ還《かへ》して畢《しま》つたら再《ふたゝ》び自分《じぶん》が欲《ほ》しくなつても容易《ようい》に手《て》に入《い》れることが出來《でき》ないのを怖《おそ》れたからである。今《いま》におつぎを一|人前《にんまへ》に仕込《しこ》んで見《み》ると勘次《かんじ》は心《こゝろ》に思《おも》つて居《ゐ》る。勘次《かんじ》は萬能《まんのう》をぶつりと打《う》ち込《こ》んではぐつと大《おほ》きな土《つち》の塊《かたまり》を引返《ひきかへ》す。おつぎは漸《やうや》く小《ちひ》さな塊《かたまり》を起《おこ》す。勘次《かんじ》の手《て》は速《すみや》かに運動《うんどう》してずん/\と先《さき》へ進《すゝ》む。おつぎは段々《だん/\》後《おく》れて小《ちひ》さな塊《かたまり》を淺《あさ》く起《おこ》して進《すゝ》んで行《ゆ》く。さうすると 「そんなに可怖《おつかな》びつくりやんぢやねえかうすんだ」勘次《かんじ》は遲緩《もどか》し相《さう》におつぎの萬能《まんのう》をとつて打《う》ち込《こ》んで見《み》せる。 「そんでもおとつゝあ、俺《おら》がにやさういにや出來《でき》ねえんだもの」 「そんな料簡《れうけん》だから汝等《わツら》駄目《だめ》だ、本當《ほんたう》にやつて見《み》る積《つもり》でやつて見《み》ろ」  おつぎは勘次《かんじ》に後《おく》れつゝ手《て》の力《ちから》の及《およ》ぶ限《かぎ》り働《はたら》いた。  與吉《よきち》は田圃《たんぼ》の堀《ほり》の邊《ほとり》に筵《むしろ》を敷《し》いて其處《そこ》に置《お》いてある。 「えんとして居《ゐ》ろ、動《いご》くんぢやねえぞ動《いご》くとぽかあんと堀《ほり》の中《なか》さ落《おつ》こちつかんな、そうら蛙《けえる》ぽかあんと落《おつ》こつた。動《いご》くなあ、此處《こゝ》に棒《ぼう》あつた、そうら此《これ》でも持《も》つてろ、泣《な》くんぢやねえぞ、姉《ねえ》は此《こ》の田《た》ン中《なか》に居《ゐ》んだかんな、泣《な》くとおとつゝあにあつぷつて怒《おこ》られつかんな」おつぎは頬《ほゝ》を擦《す》りつけて能《よ》くいひ含《ふく》めた。與吉《よきち》は土《つち》だらけの短《みぢか》い棒《ぼう》で岸《きし》の土《つち》を叩《たゝ》いて居《ゐ》る。さうして時々《とき/″\》後《あと》を向《む》いては姉《あね》の姿《すがた》を見《み》て安心《あんしん》して棒《ぼう》でぴた/\と叩《たゝ》いて居《ゐ》る。棒《ぼう》の先《さき》が水《みづ》を打《う》つので與吉《よきち》は悦《よろこ》んだ。それも少時《しばし》の間《あひだ》に飽《あ》いた。おつぎは與吉《よきち》がまた見《み》た時《とき》には田《た》の向《むかふ》の端《はし》に行《い》つて居《ゐ》た。 「姉《ねえ》よう」と與吉《よきち》は喚《よ》んだ。おつぎは返辭《へんじ》しなかつた。與吉《よきち》は又《また》喚《よ》んだ。さうして泣《な》き出《だ》した。おつぎは立《た》つて行《い》かうとすると 「構《かま》あねえで置《お》け、耕《うな》つてあつちへ行《い》つてからにしろ」勘次《かんじ》は性急《せいきふ》に嚴《きび》しくおつぎを止《と》めた。おつぎは仕方《しかた》なく泣《な》くのも構《かま》はずに耕《たがや》した。  勘次《かんじ》は先《さき》へ/\と耕《たがや》して堀《ほり》の側《そば》まで來《き》た。 「泣《な》くな、今《いま》姉《ねえ》が後《あと》から來《く》らあ」勘次《かんじ》はかういつて、與吉《よきち》に一|瞥《べつ》を與《あた》へたのみで一|心《しん》に其《そ》の手《て》を動《うご》かして居《ゐ》る。與吉《よきち》はおつぎが漸《やうや》く近《ちか》づいた時《とき》一しきり又《また》泣《な》いた。 「よき[#「よき」に傍点]はどうしたんだ」おつぎは岸《きし》へ上《あが》つて泥《どろ》だらけの足《あし》で草《くさ》の上《うへ》に膝《ひざ》を突《つい》た。與吉《よきち》は笑交《わらひまじ》りに泣《な》いて兩手《りやうて》を出《だ》して抱《だ》かれようとする。 「姉《ねえ》は泥《どろ》だらけで仕《し》やうあんめえな、汚《よご》れてもえゝのかよき[#「よき」に傍点]は」いひながらおつぎは與吉《よきち》を抱《だ》いた。 「どうした、蛙奴《けえるめ》居《ゐ》ねえか、此《こ》の棒《ぼう》でばた/″\と叩《はた》いてやれ、さうしたら痛《いて》えようつて蛙奴《けえるめ》が泣《な》くべえな、泣《な》くな蛙《けえる》だよう、よき[#「よき」に傍点]は泣《な》かねえようつてなあ」おつぎは與吉《よきち》を抱《だ》いた儘《まゝ》勘次《かんじ》の方《ほう》を見《み》て 「おとつゝあ、あつちへ行《え》つちやつた、姉《ねえ》も行《え》かなくつちやなんねえ、おとつゝあに怒《おこ》られつかんな、又《また》えんとして居《ゐ》ろ」おつぎはそつと與吉《よきち》を筵《むしろ》へ卸《おろ》した。 「かせえてやれ、何《なに》してんだ、えゝ加減《かげん》にしろ」勘次《かんじ》は後《うしろ》を向《む》いて呶鳴《どな》つた。 「それ見《み》ろな怒《おこ》られつから、そら此處《こゝ》にえゝものが有《あ》つた」おつぎは田圃《たんぼ》にある鼠麹草《はゝこぐさ》の花《はな》を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《むし》つて筵《むしろ》へ載《のせ》て遣《や》つた。さうして又《また》危《あぶな》いやうにそうつと田《た》へおりた。與吉《よきち》は只《たゞ》鼠麹草《はゝこぐさ》の花《はな》を弄《いぢ》つて居《ゐ》た。  堀《ほり》は雨《あめ》の後《あと》の水《みづ》を聚《あつ》めてさら/\と岸《きし》を浸《ひた》して行《ゆ》く。青《あを》く茂《しげ》つて傾《かたむ》いて居《ゐ》る川楊《かはやなぎ》の枝《えだ》が一つ水《みづ》について、流《なが》れ去《さ》る力《ちから》に輕《かる》く動《うご》かされて居《ゐ》る。水《みづ》は僅《わづか》に觸《ふ》れて居《ゐ》る其《その》枝《えだ》の爲《ため》に下流《かりう》へ放射線状《はうしやせんじやう》を描《ゑが》いて居《ゐ》る。蘆《あし》のやうで然《しか》も極《きは》めて細《ほそ》い可憐《かれん》なとだしばがびり/\と撼《ゆる》がされながら岸《きし》の水《みづ》に立《た》つて居《ゐ》る。お玉杓子《たまじやくし》が水《みづ》の勢《いきほ》ひに怺《こら》へられぬやうにしては、俄《にはか》に水《みづ》に浸《ひた》されて銀《ぎん》のやうに光《ひか》つて居《ゐ》る岸《きし》の草《くさ》の中《なか》に隱《かく》れやうとする。さうしては又《また》凡《すべ》ての幼《をさな》いものゝ特有《もちまへ》で凝然《ぢつ》として居《を》られなくて可憐《かれん》な尾《を》をひら/\と動《うご》かしながら、力《ちから》に餘《あま》る水《みづ》の勢《いきほひ》にぐつと持《も》ち去《さ》られつゝ泳《およ》いで居《ゐ》る。與吉《よきち》は鼠麹草《はゝこぐさ》の花《はな》を水《みづ》へ投《な》げた。花《はな》が上流《じやうりう》に向《む》いて落《お》ちると、ぐるりと下流《かりう》へ押《お》し向《む》けられてずんずんと運《はこ》ばれて行《ゆ》く。岸《きし》の草《くさ》の中《なか》に居《ゐ》た蛙《かはづ》は剽輕《へうきん》に其《その》花《はな》へ飛《と》び付《つ》いて、それからぐつと後《うしろ》の足《あし》で水《みづ》を掻《か》いて向《むかふ》の岸《きし》へ着《つ》いてふわりと浮《う》いた儘《まゝ》大《おほ》きな目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つてこちらを見《み》る。鼠麹草《はゝこぐさ》の花《はな》が皆《みな》投《な》げ竭《つく》されて與吉《よきち》は又《また》おつぎを喚《よ》んだ。 「おうい」とおつぎの情《じやう》を含《ふく》んだ聲《こゑ》が遠《とほ》くからいつた。おつぎの返辭《へんじ》を聞《き》いては與吉《よきち》は口癖《くちぐせ》のやうに姉《ねえ》よと喚《よ》ぶ。其《その》度《たび》毎《ごと》におつぎは忙《いそが》しい手《て》を動《うご》かしながらそれに應《おう》ずるのである。  正午《ひる》にはまだ間《ま》があるうちに午餐《ひる》の支度《したく》を急《いそ》いでおつぎは田圃《たんぼ》から茶《ちや》を沸《わか》しにのぼる。與吉《よきち》は悦《よろこ》んでおつぎの背《せ》に噛《かぢ》りついた。勘次《かんじ》は後《あと》で獨《ひと》り耕《たがや》した。青《あを》い煙《けむり》が楢《なら》の木《き》から立《た》つて軈《やが》て 「沸《わ》いたぞう」とおつぎの聲《こゑ》で喚《よ》ばれるまでは勘次《かんじ》は忙《いそが》しい其《そ》の手《て》を止《と》めなかつた。  午餐過《ひるすぎ》からおつぎは縫針《ぬひばり》へ絲《いと》を透《とほ》して竿《さを》へ附《つ》けて與吉《よきち》に持《も》たせた。與吉《よきち》は外《ほか》の子供《こども》のするやうに其《そ》の針《はり》を擧《あ》げて見《み》ては又《また》水《みづ》へ投《な》げて大人《おとな》しくして居《ゐ》る。暫《しばら》く時間《じかん》が經《た》つと又《また》姉《ねえ》ようと喚《よ》ぶ。おつぎは堀《ほり》の近《ちか》くへ耕《たがや》して來《き》た時《とき》に見《み》ると與吉《よきち》の竿《さを》は絲《いと》がとれて居《ゐ》た。おつぎは岸《きし》へ上《あが》つた。 「どうしたんでえ、よき[#「よき」に傍点]は」おつぎは見《み》ると針《はり》が向《むかふ》の岸《きし》から出《で》た低《ひく》い川楊《かはやなぎ》の枝《えだ》に纏《まつは》つて絲《いと》の端《はし》が水《みづ》について下流《かりう》へ向《む》いて居《ゐ》る。おつぎは二|町《ちやう》ばかり上流《じやうりう》の板橋《いたばし》を渡《わた》つて行《い》つて、漸《やうや》くのことで枝《えだ》を曲《ま》げて其《その》針《はり》をとつた。さうして又《また》與吉《よきち》の棒《ぼう》へ附《つ》けてやつた。 「はあ引《ひ》つ懸《か》けんぢやねえぞ大變《たえへん》だかんな」おつぎは極《きは》めて輕《かる》く叱《しか》つて又《また》田《た》へおりた。勘次《かんじ》は又《また》呶鳴《どな》つた。 「そんでもよき[#「よき」に傍点]は絲《いと》切《き》つちまつたんだもの」  おつぎは危《あや》ぶむやうにして控《ひか》へ目《め》に聲《こゑ》を立《た》てゝいつた。おつぎは默《だま》つて其《そ》の手《て》を動《うご》かして居《ゐ》る。與吉《よきち》は返辭《へんじ》がなくても懷《なつ》かし相《さう》に姉《ねえ》ようと數次《しば/\》喚《よ》び掛《か》けた。おつぎの姿《すがた》が遠《とほ》くなれば筵《むしろ》へ口《くち》のつく程《ほど》屈《かゞ》んで聲《こゑ》を限《かぎ》りに喚《よ》んだ。  其《そ》の晩《ばん》勘次《かんじ》は二人《ふたり》を連《つ》れて近所《きんじよ》へ風呂《ふろ》を貰《もら》ひに行《い》つた。おつぎは其處《そこ》へ聚《あつま》つた近所《きんじよ》の女房《にようばう》に自分《じぶん》の手《て》を見《み》せて 「俺《お》らこんなに肉刺《まめ》出《で》つちやつたんだよ」と呟《つぶや》いた。 「ほんによな、痛《いた》かつぺえなそりや、そんでもおつかあが居《ゐ》ねえから働《はたら》かなくつちやなんねえな」女房《にようばう》は慰《なぐさ》めるやうにいつた。 「おつかあのねえものは厭《や》だな」おつぎはいつて勘次《かんじ》を見《み》ると直《すぐ》に首《くび》を俛《たれ》た。勘次《かんじ》は側《そば》で凝然《ぢつ》とそれを聞《き》いて居《ゐ》た。 「おつう等《ら》だつて今《いま》に善《え》えこともあらな、そんだがおつかゞ無《な》くつちや衣物《きもの》欲《ほ》しくつても此《これ》ばかりは仕《し》やうがねえのよな」女房《にようばう》はいつた。勘次《かんじ》は其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》ことは云《い》はずに居《ゐ》て呉《く》れゝばいゝのにと思《おも》ひながら六《むづ》か敷《し》い顏《かほ》をして默《だま》つて居《ゐ》た。 「此《こ》の肉刺《まめ》はとがめ[#「とがめ」に傍点]めえか」おつぎは手《て》の平《ひら》の處々《ところ/″\》に出《で》た肉刺《まめ》を見《み》て心配相《しんぱいさう》にいつた。 「何《なん》でとがめるもんか」勘次《かんじ》は抑制《よくせい》した或《ある》物《もの》が激發《げきはつ》したやうに直《すぐ》に打消《うちけ》した。  勘次《かんじ》は家《いへ》に戻《もど》ると飯臺《はんだい》の底《そこ》にくつゝいて居《ゐ》る飯《めし》の中《なか》から米粒《こめつぶ》ばかり拾《ひろ》ひ出《だ》してそれを煙草《たばこ》の吸殼《すひがら》と煉合《ねりあは》せた。さうして針《はり》の先《さき》でおつぎの湯《ゆ》から出《で》たばかりで軟《やはら》かく成《な》つた手《て》の肉刺《まめ》をついて汁液《みづ》を出《だ》して其處《そこ》へそれを貼《は》つて遣《や》つた。 「しく/\すんな」おつぎは貼《は》つた箇所《かしよ》を見《み》ていつた。 「液汁《みづ》出《だ》したばかりにやちつた痛《えて》えとも、その代《けえし》すぐ癒《なほ》つから」勘次《かんじ》はおつぎを凝然《ぢつ》と見《み》てそれからもう鼾《いびき》をかいて居《ゐ》る與吉《よきち》を見《み》た。 「肉刺《まめ》なんぞ出《で》たらば出《で》たつておとつゝあげいふもんだ、他人《ひと》のげなんぞ見《み》せたりなにつかするもんぢやねえ、汝等《わツら》なんにも知《し》らねえから仕《し》やうねえ、田耕《たうね》え始《はじ》まりにやおとつゝあ等《ら》見《み》てえな手《て》だつてかうえに出《で》んだか見《み》ろ。それ痛《いて》えの我慢《がまん》しい/\行《や》りせえすりや固《かた》まつちあんだ」勘次《かんじ》は自分《じぶん》の手《て》をおつぎへ示《しめ》した。 「おつかゞ無《な》くなつて困《こま》んな汝《われ》ばかしぢやねえんだから」勘次《かんじ》は暫《しばら》く間《あひだ》を置《おい》てぽつさりとしていつた。 「身上《しんしやう》の爲《ため》だから汝《われ》も我慢《がまん》するもんだ、見《み》ろ汝等處《わツらとこ》ぢやねえ、武州《ぶしう》の方《はう》へなんぞ遣《や》られて泣《な》き拔《ぬ》いてるものせえあら」と彼《かれ》は又《また》辛《から》うじていつた。大人《おとな》しく默《だま》つて居《ゐ》たおつぎは 「武州《ぶしう》ツちやどつちの方《はう》だんべ」寧《むし》ろあどけなく聞《き》いた。 「あつちの方《はう》よ、汝《われ》が足《あし》ぢや一日にや歩《ある》けねえ處《ところ》だ」勘次《かんじ》は雨戸《あまど》の方《はう》を向《む》いて西南《せいなん》を示《しめ》した。 「遠《とほ》いんだな、其處《そこ》へ行《い》つたらどうすんだんべ」 「機織《はたおり》するものもあれば百姓《ひやくしやう》するものもあんのよ」 「機教《はたをさ》れぢやよかんべな」 「何《なん》でえゝことあるもんか、家《うち》へなんざあ滅多《めつた》に來《き》られやしねえんだぞ、そんで朝《あさ》から晩迄《ばんまで》みつしら使《つか》あれて、それ處《どこ》ぢやねえ病氣《びやうき》に成《な》つたつて餘程《よつぽど》でなくつちや葉書《はがき》もよこさせやしねえ」 「そんぢや、さうえ處《とこ》へ行《い》つちやひでえな、逃《に》げて來《く》ることも出來《でき》ねえんだんべか」 「直《す》ぐ捉《つか》めえられつちあからそんなに遁《に》げられつかえ」 「巡査《じゆんさ》に捉《つか》まんだんべか」 「さうなもんか、巡査《じゆんさ》でなくつたつて遁《に》げ出《だ》せば直《す》ぐ捉《つか》めえるやうに人《ひと》が番《ばん》してんのよ、なあ、そんでもなくつちや遠《とほ》くの者《もの》ばかり頼《たの》んで置《お》くんだもの仕《し》やうあるもんか」 「そんでも厭《や》だつちつたらどうすんだんべ」 「厭《や》だなんていつた位《くれえ》ひでえとも立金《たてきん》しなくつちやなんねえから」 「どういにすんだんべそら」 「そらなあ、幾《いく》ら勤《つと》めたつて途中《とちう》で厭《や》だからなんて出《で》つちめえば、借《か》りた丈《だけ》の給金《きふきん》はみんな取《と》つくる返《け》えされんのよ、なあ、それから泣《な》き/\も居《ゐ》なくつちやなんねえのよ」 「そんぢや俺《お》らさうえ處《とこ》へ行《い》かねえでよかつたつけな」おつぎは熱心《ねつしん》にいつた。 「そんだから汝等《わツら》こた遣《や》りやしねえ。汝《われ》こと奉公《ほうこう》にやれば其《そ》の錢《ぜね》で俺《お》ら借金《しやくきん》も無《な》くなるし、よき[#「よき」に傍点]ことだつて輕業師《かるわざ》げでも出《だ》しつちめえばそれこそ樂《らく》になつちあんだが、おつかゞ無《な》くつちや辛《つれ》えつて後《あと》で泣《な》かれんの厭《や》だから俺《お》ら土《ちゝ》噛《かぢ》つてもそんな料簡《れうけん》は出《だ》さねんだ」 「おとつゝあ、奉公《ほうこう》すれば借金《しやくきん》なくなんだんべか」 「おつかせえ居《え》れば汝《われ》ことも奉公《ほうこう》に出《だ》して、おとつゝあ等《ら》もえゝ錢《ぜね》捉《つか》めえんだが、おつかゞ無《な》くなつておとつゝあだつて困《こま》つてんだ、それから汝《われ》だつて奉公《ほうこう》に行《い》つた積《つもり》で辛抱《しんばう》するもんだ、なあ、俺《お》ら汝等《わツら》げみじめ見《み》せてえこたあ有《あ》りやしねんだから」  勘次《かんじ》はしみ/″\と反覆《くりかへ》した。  勘次《かんじ》はおつぎに身體《からだ》不相應《ふさうおう》な仕事《しごと》をさせて居《ゐ》ることを知《し》つて居《ゐ》る。それで自分《じぶん》が朝《あさ》は屹度《きつと》先《さき》へ起《お》きて竈《かまど》の下《した》へ火《ひ》を點《つ》ける。其《そ》の時《とき》疲《つか》れた少女《せうぢよ》はまだぐつたりと正體《しやうたい》もなく枕《まくら》からこけて居《ゐ》る。白《しろ》い蒸氣《ゆげ》が釜《かま》の蓋《ふた》から勢《いきほ》ひよく洩《も》れてやがて火《ひ》が引《ひ》かれてからおつぎは起《おこ》される。帯《おび》を締《しめ》た儘《まゝ》横《よこ》になつたおつぎは容易《ようい》に開《あ》かない目《め》をこすつて井戸端《ゐどばた》へ行《ゆ》く。蓬々《ぼう/\》と解《と》けた髮《かみ》へ櫛《くし》を入《い》れて冷《つめ》たい水《みづ》へ手《て》を入《い》れた時《とき》おつぎは漸《やうや》く蘇生《いきかへ》つたやうになる。それでも目《め》はまだ赤《あか》くて態度《たいど》がふら/\と懶相《だるさう》である。 「さあ、飯《おまんま》出來《でき》たぞ」勘次《かんじ》は釜《かま》から茶碗《ちやわん》へ飯《めし》を移《うつ》す。さうして自分《じぶん》で農具《のうぐ》を執《と》つておつぎへ持《も》たせてそれからさつさと連《つ》れ出《だ》すのである。  籾種《もみだね》がぽつちりと水《みづ》を突《つ》き上《あ》げて萌《も》え出《だ》すと漸《やうや》く強《つよ》くなつた日光《につくわう》に緑《みどり》深《ふか》くなつた嫩葉《わかば》がぐつたりとする。軟《やはら》かな風《かぜ》が凉《すゞ》しく吹《ふ》いて松《まつ》の花粉《くわふん》が埃《ほこり》のやうに濕《しめ》つた土《つち》を掩《おほ》うて、小麥《こむぎ》の穗《ほ》にもびつしりと黴《かび》のやうな花《はな》が附《つ》いた。百姓《ひやくしやう》は皆《みな》自分《じぶん》の手足《てあし》に不足《ふそく》を感《かん》ずる程《ほど》忙《いそが》しくなる。勘次《かんじ》は一|意《い》只《たゞ》仕事《しごと》の手後《ておく》れになるのを怖《おそ》れた。草臥《くたび》れても疲《つか》れても彼《かれ》は毎日《まいにち》未明《みめい》に起《お》きて夜《よ》まで其《そ》の手足《てあし》を動《うご》かして止《や》まぬ。おつぎも其《そ》の後《あと》に跟《つ》いて草臥《くたび》れた身體《からだ》を引《ひ》きずられた。晩餐《ゆふめし》の支度《したく》に與吉《よきち》を負《お》うて先《さき》へ歸《かへ》るのがおつぎにはせめてもの骨休《ほねやす》めであつた。  勘次《かんじ》は麥《むぎ》の間《あひだ》へ大豆《だいづ》を蒔《ま》いた。畦間《うねま》へ淺《あさ》く堀《ほり》のやうな凹《くぼ》みを拵《こしら》へてそこへぽろ/\と種《たね》を落《おと》して行《ゆ》く。勘次《かんじ》はぐい/\と畦間《うねま》を掘《ほ》つて行《ゆ》く。後《あと》からおつぎが種《たね》を落《おと》した。おつぎのまだ短《みじか》い身體《からだ》は麥《むぎ》の出揃《でそろ》つた白《しろ》い穗《ほ》から僅《わづか》に其《そ》の被《かぶ》つた手拭《てぬぐひ》と肩《かた》とが表《あら》はれて居《ゐ》る。與吉《よきち》は道《みち》の側《はた》の薦《こも》の上《うへ》に大人《おとな》しくして居《ゐ》る。おつぎの白《しろ》い手拭《てぬぐひ》が段々《だん/\》麥《むぎ》の穗《ほ》に隱《かく》れると與吉《よきち》は姉《ねえ》ようと喚《よ》ぶ。おつぎはおういと返辭《へんじ》をする。おつぎの聲《こゑ》が聞《きこ》えると與吉《よきち》は凝然《ぢつ》として居《ゐ》る。勘次《かんじ》は畦間《うねま》を作《つく》りあげてそれから自分《じぶん》も忙《いそが》しく大豆《だいづ》を落《おと》し初《はじ》めた。勘次《かんじ》は間懶《まだる》つこいおつぎの手《て》もとを見《み》て其《そ》の畝《うね》をひよつと覗《のぞ》いた。種《たね》と種《たね》との間隔《かんかく》が不平均《ふへいきん》で四|粒《つぶ》も五|粒《つぶ》も一つに落《お》ちてる處《ところ》があつた。 「此《こ》のざまはどうしたんだ、こんなこつて生計《くらし》が出來《でき》つか」と呶鳴《どな》りながら彼《かれ》は突然《とつぜん》おつぎを擲《なぐ》つた。おつぎは麥《むぎ》の幹《から》と共《とも》に倒《たふ》れた。おつぎは倒《たふ》れた儘《まゝ》しく/\と泣《な》いた。 「大概《てえげえ》解《わか》り相《さう》なもんぢやねえか、こんなざまぢや種《たね》ばかし要《い》つて仕《し》やうありやしねえ」勘次《かんじ》は後《あと》を呟《つぶや》いた。隣《となり》の畑《はたけ》に此《これ》も大豆《だいづ》を蒔《ま》いて居《ゐ》た百姓《ひやくしやう》は駈《か》けて來《き》た。 「勘次《かんじ》さんどうしたもんだいまあ、其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》荒《あら》つぺえことして」と勘次《かんじ》を抑《おさ》へた。 「おつぎ泣《な》かねえでさあ起《お》きて仕事《しごと》しろ、おとつゝあげは俺《おれ》謝罪《あやま》つてやつかんなあ、與吉《よきち》が泣《ねえ》てら、さあ行《い》つて見《み》さつせ」百姓《ひやくしやう》は更《さら》におつぎを賺《すか》した。與吉《よきち》はおつぎの姿《すがた》が見《み》えないので頻《しき》りに喚《よ》んだ。それでもおつぎの聲《こゑ》は聞《きこ》えないので火《ひ》の點《つ》いたやうに泣《な》き出《だ》したのである。おつぎは啜《すゝ》り泣《な》きしながら與吉《よきち》を抱《だ》いた。 「お袋《ふくろ》もねえのにおめえいゝ加減《かげん》にしろよ、可哀想《かあいさう》ぢやねえか、そんなことしておめえ幾《いく》つだと思《おも》ふんだ、さう自分《じぶん》の氣《き》のやうに出來《でき》るもんぢやねえ、佛《ほとけ》の障《さはり》にも成《な》んべぢやねえか」隣畑《となりばたけ》の百姓《ひやくしやう》はいつた。勘次《かんじ》は默《だま》つて畢《しま》つて何《なん》ともいはなかつた。與吉《よきち》はおつぎに抱《だ》かれたので、おつぎの目がまだ濕《うる》うて居《ゐ》るうちに泣《な》き止《やん》だ。  勘次《かんじ》は其《そ》の日《ひ》の夕方《ゆふがた》おつぎが晩餐《ゆふめし》の支度《したく》に立《た》つた時《とき》自分《じぶん》も一《ひと》つに家《うち》へ戻《もど》つた。  彼《かれ》は膝《ひざ》がしらで四《よ》つ偃《ばひ》に歩《ある》きながら座敷《ざしき》へあがつて財布《さいふ》を懷《ふところ》へ捩《ね》ぢ込《こ》んでふいと出《で》た。彼《かれ》は風呂敷包《ふろしきづゝみ》を持《も》つて歸《かへ》つた。彼《かれ》が戸口《とぐち》に立《た》つた時《とき》は家《うち》の内《なか》は眞闇《まつくら》で一寸《ちよつと》は物《もの》の見分《みわけ》もつかなかつた。  草臥《くたび》れ切《き》つた身體《からだ》で彼《かれ》は其《その》夜《よ》も二人《ふたり》を連《つ》れて、自分《じぶん》の所有《もの》ではない其《その》茂《しげ》つた小《ちひ》さな桑畑《くはばたけ》を越《こ》えて南《みなみ》の風呂《ふろ》へ行《い》つた。其處《そこ》にはいつものやうに風呂《ふろ》を貰《もら》ひに女房等《にようばうら》が聚《あつま》つて居《ゐ》た。 「能《よ》くなあ、おつうはよき[#「よき」に傍点]こと面倒《めんだう》見《み》んな、女《をんな》の子《こ》は斯《か》うだからいゝのさな、直《す》ぐ役《やく》に立《た》つかんな」女房《にようばう》の一人《ひとり》がいつた。 「おつぎはどうしたんでえ、今夜《こんや》ひどく威勢《ゐせえ》惡《わり》いな」他《た》の女房《にようばう》がいつた。 「先刻《さつき》俺《おれ》に打《ぶ》つとばされたかんでもあんべえ」勘次《かんじ》は苦笑《くせう》しながらいつた。 「何《なん》でだつぺなまあ、おめえそんなに仕《し》ねえで面倒《めんだう》見《み》てやらつせえよ、此《こ》れがおめえ女《をんな》つ子《こ》でもなくつて見《み》さつせえ、こんな小《ちひせ》えの抱《だけ》えて仕《し》やうあるもんぢやねえな」 「さうだともよ、こらおつうでも無《な》くつちや育《そだ》たなかつたかも知《し》んねえぞ、それこそ因果《いんぐわ》見《み》なくつちやなんねえや、なあおつう」女房等《にようばうら》はいつた。 「俺《おら》がとこちつともこら離《はな》んねえんだよ仕《し》やうねえやうだよ本當《ほんたう》に」おつぎはもう段々《だん/\》手《て》に餘《あま》つて來《き》た與吉《よきち》を膝《ひざ》にしていつた。 「今《いま》ぢや、まるつきしおつかのやうな氣《き》がしてんだな、屹度《きつと》」女房《にようばう》らはまた與吉《よきち》を見《み》ていつた。勘次《かんじ》は側《そば》で只《たゞ》目《め》を屡叩《しばたゝ》いた。  家《うち》へ戻《もど》つてから勘次《かんじ》は 「おつう、手《て》ランプ持《も》つて來《き》て見《み》せえ、汝《われ》げ見《み》せるものあんだから」  おつぎは出《で》る時《とき》に吹消《ふつけし》たブリキの手《て》ランプを點《つ》けて、まだ容子《ようす》がはき/\としなかつた。勘次《かんじ》は先刻《さつき》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を解《と》いた。小《ちひ》さく疊《たゝ》んだ辨慶縞《べんけいじま》の單衣《ひとへ》が出《で》た。 「汝《われ》げ此《これ》遣《や》んべと思《おも》つて持《も》つて來《き》たんだ。此《こ》んでもなよ、おつかゞ地絲《ぢいと》で織《お》つたんだぞ、今《いま》ぢや絲《いと》なんぞ引《ひ》くものなあねえが、おつか等《ら》毎晩《まいばん》のやうに引《ひ》いたもんだ、紺《こん》もなあ能《よ》うく染《そ》まつてつから丈夫《ぢやうぶ》だぞ、おつかは幾《いく》らも引《ひ》つ掛《かけ》ねえつちやつたから、まあだまるつきり新《あたら》しいやうだ見《み》ろ、どうした手《て》ランプまつとこつちへ出《だ》して見《み》せえまあ」勘次《かんじ》は單衣《ひとへ》を少《すこ》し開《ひら》いて鼻《はな》へ當《あて》て臭《にほひ》を嗅《か》いで見《み》た。 「ちつたあ黴臭《かびくさ》くなつたやうだが、そんでも此《この》位《くれえ》ぢや一日《いちんち》干《ほ》せば臭《くさ》えな直《なほ》つから」勘次《かんじ》は分疏《いひわけ》でもするやうにいつた。  おつぎは左手《ひだりて》に持《も》ち換《かへ》た手《て》ランプを翳《かざ》して單衣《ひとへ》を弄《いぢ》つては浴後《よくご》のつやゝかな顏《かほ》に微笑《びせう》を含《ふく》んだ。勘次《かんじ》はおつぎの顏《かほ》ばかり見《み》て居《ゐ》た。さうして其《そ》の機嫌《きげん》が恢復《くわいふく》しかけたのを見《み》て 「どうした、それでも汝《わ》りや氣《き》につたか、おつかゞ物《もの》はみんな汝《われ》がもんだかんな、俺《お》ら汝《わ》ツ等《ら》がだとなりや幾《いく》ら困《こま》つたつて、はあ決《けつ》して質《しち》になんざ置《お》かねえから、大事《でえじ》にして汝《われ》能《よ》うく藏《しま》つて置《お》いたえ」と彼《かれ》は滿足《まんぞく》らしく見《み》えた。おつぎは手《て》ランプを置《お》いて勘次《かんじ》がしたやうに鼻《はな》へ當《あ》てゝ臭《にほひ》を嗅《か》いで見《み》たり、左《ひだり》の手《て》だけを袖《そで》へ透《とほ》して見《み》たりした。 「俺《おら》がにや此《こ》んぢや引《ひ》きじるやうぢやあんめえか」おつぎはそれから手《て》で釣《つ》るして見《み》たりした。 「藏《しま》つて置《お》いて、俺《お》らいまつと大《えか》く成《な》つてから着《き》べかな」 「どうでも汝《われ》がもんだから汝《われ》が好《す》きにしろな」勘次《かんじ》はおつぎの手《て》が動《うご》くに從《したが》つて目《め》を移《うつ》した。手《て》ランプのぼうと立《た》つ油煙《ゆえん》がほぐれた髮《かみ》へ靡《なび》き掛《かゝ》るのも知《し》らずにおつぎはそつちこつちへ單衣《ひとへ》を弄《いぢ》つて居《ゐ》た。 「汝《われ》うつかりして、そうれ燃《も》えつちまあぞ」勘次《かんじ》は油煙《ゆえん》が復《ま》た傾《かたむ》いた時《とき》慌《あわ》てゝおつぎの髮《かみ》へ手《て》を當《あ》てゝいつた。          七  勘次《かんじ》の田畑《たはた》は晩秋《ばんしう》の收穫《しうくわく》がみじめなものであつた。それは氣候《きこう》が惡《わる》いのでもなく、又《また》土地《とち》が惡《わる》いのでもない。耕耘《かううん》の時期《じき》を逸《いつ》して居《ゐ》るのと、肥料《ひれう》の缺乏《けつばふ》とで幾《いく》ら焦慮《あせ》つても到底《たうてい》滿足《まんぞく》な結果《けつくわ》が得《え》られないのである。貧乏《びんばふ》な百姓《ひやくしやう》はいつでも土《つち》にくつゝいて食料《しよくれう》を獲《う》ることにばかり腐心《ふしん》して居《ゐ》るにも拘《かゝ》はらず、其《そ》の作物《さくもつ》が俵《たはら》になれば既《すで》に大部分《だいぶぶん》は彼等《かれら》の所有《しよいう》ではない。其《そ》の所有《しよいう》であり得《う》るのは作物《さくもつ》が根《ね》を以《もつ》て田《た》や畑《はた》の土《つち》に立《た》つて居《ゐ》る間《あひだ》のみである。小作料《こさくれう》を拂《はら》つて畢《しま》へば既《すで》に手《て》をつけられた短《みじか》い冬季《とうき》を凌《しの》ぐ丈《だ》けのことがともすれば漸《やうや》くのことである。彼等《かれら》は自分《じぶん》で田畑《たはた》が忙《いそが》しい時《とき》にも其《そ》の日《ひ》に追《おは》れる食料《しよくれう》を求《もとめ》る爲《ため》に比較的《ひかくてき》收入《みいり》のいゝ日傭《ひよう》に行《ゆ》く。百姓《ひやくしやう》といへば什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》に愚昧《ぐまい》でも凡《すべ》ての作物《さくもつ》を耕作《かうさく》する季節《きせつ》を知《し》らないことはない。村落《むら》の端《はし》から端《はし》まで皆《みな》同《どう》一の仕事《しごと》に屈託《くつたく》して居《ゐ》るのだから其《そ》の季節《きせつ》を假令《たとひ》自分《じぶん》が忘《わす》れたとしても全《まつた》く忘《わす》れ去《さ》ることの出來《でき》るものではない。然《しか》しもう季節《きせつ》だと知《し》つて見《み》ても其《そ》の日《ひ》/\の食料《しよくれう》を求《もと》める爲《た》めに勞力《らうりよく》を割《さ》くのと、肥料《ひれう》の工夫《くふう》がつかなかつたりするのとで作物《さくもつ》の生育《せいいく》からいへば三日《みつか》を爭《あらそ》ふやうな時《とき》でも思《おも》ひながら手《て》が出《で》ないのである。以前《いぜん》のやうに天然《てんねん》の肥料《ひれう》を獲《う》ることが今《いま》では出來《でき》なくなつて畢《しま》つた。何處《どこ》の林《はやし》でも落葉《おちば》を掻《か》くことや青草《あをぐさ》を刈《か》ることが皆《みな》錢《ぜに》に餘裕《よゆう》のあるものゝ手《て》に歸《き》して畢《しま》つた。それと共《とも》に林《はやし》は封鎖《ふうさ》されたやうな姿《すがた》に成《な》つて居《ゐ》る。冬《ふゆ》毎《ごと》に熊手《くまで》の爪《つめ》の及《およ》ぶ限《かぎ》り掻《か》いて行《ゆ》くので、草《くさ》も隨《したが》つて短《みじか》くなつて腰《こし》を沒《ぼつ》するやうな處《ところ》は滅多《めつた》にない。其《そ》の草《くさ》も更《さら》に土《つち》から刈《か》つて行《ゆ》くので次第《しだい》に土《つち》が痩《や》せて行《ゆ》く。だから空手《からて》では何處《どこ》へ行《い》つても竊取《せつしゆ》せざる限《かぎり》は存分《ぞんぶん》に軟《やはら》かな草《くさ》を刈《か》ることは出來《でき》ない。貧乏《びんばう》な百姓《ひやくしやう》は落葉《おちば》でも青草《あをぐさ》でも、他人《ひと》の熊手《くまで》や鎌《かま》を入《い》れ去《さ》つた後《あと》に求《もと》める。さうして瘠《や》せて行《ゆ》く土《つち》を更《さら》に骨《ほね》まで噛《か》むやうなことをして居《ゐ》るのである。一|般《ぱん》には落葉《おちば》や青草《あをぐさ》の缺乏《けつばふ》を感《かん》ずると共《とも》に便利《べんり》な各種《かくしゆ》の人造肥料《じんざうひれう》が供給《きようきふ》される。然《しか》しそれも依然《いぜん》として金錢《きんせん》に幾《いく》らでも餘裕《よゆう》のある人《ひと》にのみ便利《べんり》なのであつて、貧乏《びんばふ》な百姓《ひやくしやう》には牛《うし》や馬《うま》が馬塞棒《ませぼう》で遮《さへぎ》られたやうな形《かたち》でなければならぬ。さうかといつて其《そ》れ等《ら》の肥料《ひれう》なしには到底《たうてい》一|般《ぱん》に定《さだ》められてある小作料《こさくれう》を支拂《しはら》ふ丈《だけ》の收穫《しうくわく》は得《え》られないので慘憺《さんたん》たる工夫《くふう》が彼等《かれら》の心《こゝろ》を往來《わうらい》する。さうして又《また》食料《しよくれう》を求《もと》める爲《ため》に勞力《らうりよく》を他《た》に割《さ》くことによつて、作物《さくもつ》の畦間《うねま》を耕《たがや》すことも雜草《ざつさう》を除《のぞ》くことも一|切《さい》が手後《ておく》れに成《な》る。季節《きせつ》が暑《あつ》くなれば雨《あめ》があつて三|日《か》も見《み》ないうちには雜草《ざつさう》は驚《おどろ》くべき迅速《じんそく》な發育《はついく》を遂《と》げる。それが著《いちじる》しく作物《さくもつ》の勢力《せいりよく》を阻害《そがい》する。それだけ收穫《しうくわく》の減少《げんせう》を來《きた》さねばならぬ筈《はず》である。要《えう》するに勤勉《きんべん》な彼等《かれら》は成熟《せいじゆく》の以前《いぜん》に於《おい》て既《すで》に青々《せい/\》たる作物《さくもつ》の活力《くわつりよく》を殺《そ》いで食《く》つて居《ゐ》るのである。收穫《しうくわく》の季節《きせつ》が全《まつた》く終《をは》りを告《つ》げると彼等《かれら》は草木《さうもく》の凋落《てうらく》と共《とも》に萎靡《ゐび》して畢《しま》はねばならぬ。草木《さうもく》の眠《ねむ》りに落《お》ち去《さ》る少《すくな》くとも五六十|日《にち》の間《あひだ》は、彼等《かれら》は稀《まれ》に冬懇《ふゆばり》というて麥《むぎ》の畦間《うねま》を耕《たがや》すことや林《はやし》の間《あひだ》に落葉《おちば》や薪《たきゞ》を求《もと》めることがあるに過《す》ぎぬ。自分《じぶん》の食料《しよくれう》に換《かへ》る丈《だけ》の錢《ぜに》を獲《う》ることが其《そ》の期間《きかん》の仕事《しごと》に於《おい》ては見出《みいだ》されないのである。蛇《へび》や蛙《かへる》や其《そ》の他《た》の蟲類《むしるゐ》が假死《かし》の状態《じやうたい》に在《あ》る間《あひだ》に彼等《かれら》は目前《もくぜん》に逼《せま》つて居《を》る未來《みらい》の苦《くる》しみを招《まね》く爲《ため》に、過去《くわこ》の苦《くる》しかつた記念《きねん》である其《そ》の缺乏《けつばふ》した米《こめ》や麥《むぎ》を日《ひ》毎《ごと》に消耗《せうまう》して行《ゆ》くのである。彼等《かれら》は手《て》に内職《ないしよく》を持《も》つて居《を》らぬ。自分《じぶん》の使用《しよう》すべき爲《ため》にのみは筵《むしろ》も草履《ざうり》も畚《もつこ》も草鞋《わらぢ》も其《そ》の他《た》のものも藁《わら》で作《つく》ることを知《し》つて居《を》れども、大抵《たいてい》は刈《か》り後《おく》れになつた藁《わら》では立派《りつぱ》な製作《せいさく》は得《え》られないのである。それであるのに彼等《かれら》は肥料《ひれう》の缺乏《けつばふ》を訴《うつた》へつゝ其《そ》の藁屑《わらくづ》や粟幹《あはがら》や其《そ》の他《た》のものが庭《には》に散《ち》らばつて居《ゐ》ても容易《ようい》にそれを始末《しまつ》しようとしない。他人《ひと》の注意《ちうい》を受《う》けてもそれでも改《あらた》めることをしない。彼等《かれら》は苦《くる》しい時《とき》に苦《くる》しむことより外《ほか》に何《なん》にも知《し》ることがないのである。  勘次《かんじ》も彼等《かれら》の仲間《なかま》である。然《しか》しながら彼《かれ》は境遇《きやうぐう》の異常《いじやう》な刺戟《しげき》から寸時《すんじ》も其《そ》の身《み》を安住《あんぢゆう》せしむる餘裕《よゆう》を有《も》たなかつた。彼《かれ》も他《た》の貧乏《びんばふ》な百姓《ひやくしやう》のするやうに冬《ふゆ》の季節《きせつ》になれば薪《たきゞ》を採《と》つて壁《かべ》に積《つ》んで置《お》くことをした。彼《かれ》は近來《きんらい》に成《な》つてから隣《となり》の主人《しゆじん》が林《はやし》を改良《かいりやう》する爲《ため》に雜木林《ざふきばやし》を一|旦《たん》開墾《かいこん》して畑《はたけ》にするといふことに成《な》つたので其《そ》の一|部《ぶ》を擔當《たんたう》した。彼《かれ》は小《ちひ》さな身體《からだ》である。然《しか》し彼《かれ》は重量《ぢうりやう》ある唐鍬《たうぐは》を振《ふ》り翳《かざ》して一|鍬《くは》毎《ごと》にぶつりと土《つち》をとつては後《うしろ》へそつと投《な》げつゝ進《すゝ》む。彼《かれ》は其《その》開墾《かいこん》の仕事《しごと》が上手《じやうず》で且《か》つ好《す》きである。其《そ》のきりつと緊《しま》つた身體《からだ》は小《ちひ》さいにしてもそれが各部《かくぶ》の平均《へいきん》を保《たも》つて唐鍬《たうぐは》を執《と》るときには彼《かれ》と唐鍬《たうぐは》とは唯《たゞ》一|體《たい》である。唐鍬《たうぐは》の廣《ひろ》い刄先《はさき》が木《き》の根《ね》に切《き》り込《こ》む時《とき》には彼《かれ》の身體《からだ》も一《ひと》つにぐざりと其《そ》の根《ね》を切《き》つて透《とほ》るかと思《おも》ふやうである。土《つち》を切《き》り起《おこ》すことの上手《じやうず》なのは彼《かれ》の天性《てんせい》である。それで彼《かれ》は遠《とほ》く利根川《とねがは》の工事《こうじ》へも行《い》つたのであつた。彼《かれ》は自分《じぶん》の伎倆《うで》を恃《たの》んで居《ゐ》る。彼《かれ》は以前《いぜん》からも少《すこ》しづつ開墾《かいこん》の仕事《しごと》をした。其《そ》の賃錢《ちんせん》によつて其《そ》の土地《とち》を深《ふか》くも淺《あさ》くも速《はや》くも遲《おそ》くも仕上《しあ》げることを知《し》つて居《ゐ》た。竹林《ちくりん》を開墾《かいこん》した時《とき》彼《かれ》は根《ね》の閉《と》ぢた儘《まゝ》一|坪《つぼ》の大《おほ》きさを只《たゞ》四《よ》つの塊《かたまり》に掘《ほ》り起《おこ》したことがある。それでも其《そ》の頃《ころ》まではさういふ仕事《しごと》が幾《いく》らも無《な》かつたので、其《そ》の賃錢《ちんせん》は仕事《しごと》を始《はじ》める時《とき》其《そ》の研《と》ぎ減《へ》らした唐鍬《たうぐは》の刄先《はさき》を打《う》たせる鍛冶《かぢ》の手間《てま》と、異常《いじやう》な勞働《らうどう》の爲《ため》に費《つひや》す其《そ》の食料《しよくれう》を除《のぞ》いては幾《いく》らもなかつたのである。  彼《かれ》は主人《しゆじん》の開墾地《かいこんち》が春《はる》一|杯《ぱい》の仕事《しごと》には十|分《ぶん》であることを悦《よろこ》んだ。錢《ぜに》の外《ほか》に彼《かれ》は米《こめ》と麥《むぎ》との報酬《ほうしう》を受《う》けることにした。おつぎは別《べつ》に仕事《しごと》といつてはなかつたが彼《かれ》はおつぎを一人《ひとり》では家《うち》に置《お》かなかつた。與吉《よきち》を連《つ》れておつぎは開墾地《かいこんち》へ行《い》つて居《ゐ》た。勘次《かんじ》が其《そ》の鍛錬《たんれん》した筋力《きんりよく》を奮《ふる》つて居《ゐ》る間《ま》におつぎはそこらの林《はやし》から雀枝《すゞめえだ》を採《と》つて小《ちひ》さな麁朶《そだ》を作《つく》つて居《ゐ》る。小《ちひ》さな枝《えだ》は土地《とち》では雀枝《すゞめえだ》といはれて居《ゐ》る。枯《かれ》た雀枝《すゞめえだ》を採《と》ることは何處《どこ》の林《はやし》でも持主《もちぬし》が八釜敷《やかましく》いはなかつた。  勘次《かんじ》は雨《あめ》でも降《ふ》らねば毎日《まいにち》必《かなら》ず唐鍬《たうぐは》を擔《かつ》いで出《で》た。或《ある》日《ひ》彼《かれ》は木《き》の株《かぶ》へ唐鍬《たうぐは》を強《つよ》く打込《うちこ》んでぐつとこじ扛《あ》げようとした時《とき》鍛《きた》へのいゝ刃《は》と白橿《しらかし》の柄《え》とは強《つよ》かつたのでどうもなかつたが、鐵《てつ》の楔《くさび》で柄《え》の先《さき》を締《し》めた其《そ》の唐鍬《たうぐは》の四|角《かく》な穴《あな》の處《ところ》が俄《にはか》に緩《ゆる》んだ。其處《そこ》はひつといはれて居《ゐ》る。ひつに大《おほ》きな罅《ひゞ》が入《い》つたのである。柄《え》がやがてがた/\に動《うご》いた。 「えゝ、箆棒《べらぼう》、一日《いちんち》の手間《てま》鍛冶屋《かぢや》へ打《ぶ》つ込《こ》んちあなくつちやなんねえ」彼《かれ》は呟《つぶや》いた。  次《つぎ》の朝《あさ》彼《かれ》は未明《みめい》に鍛冶《かぢ》へ走《はし》つた。 「わし行《い》つて來《き》あんすから、此等《こつら》こと見《み》てゝおくんなせえ」おつぎと與吉《よきち》とを南《みなみ》の女房《にようばう》へ頼《たの》んだ。 「他《ほか》へは行《い》くんぢやねえぞ、えゝか、よきは泣《な》かさねえやうにしてんだぞ」彼《かれ》はおつぎへもいつて出《で》た。おつぎは其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》注意《ちうい》を人前《ひとまへ》でされることがもう耻《はづ》かしく厭《いや》な心持《こゝろもち》がするやうに成《なつ》て居《ゐ》た。  勘次《かんじ》は鬼怒川《きぬがは》の渡《わたし》を越《こ》えて土手《どて》を傳《つた》ひて、柄《え》のない唐鍬《たうぐは》を持《も》つて行《い》つた。鍛冶《かぢ》は其《そ》の時《とき》仕事《しごと》が支《つか》へて居《ゐ》たが、それでも恁《か》ういふ職業《しよくげふ》に缺《か》くべからざる道具《だうぐ》といふと何處《どこ》でもさういふ例《れい》の速《すみやか》に拵《こしら》へてくれた。 「隨分《ずゐぶん》荒《あれ》えことしたと見《め》えつけな、俺《お》らも近頃《ちかごろ》になつて此《こ》の位《くれ》えな唐鍬《たうぐは》滅多《めつた》打《ぶ》つたこたあねえよ、」鍛冶《かぢ》は赤《あか》く熱《ねつ》した其《そ》の唐鍬《たうぐは》を暫《しばら》く槌《つち》で叩《たゝ》いて、それから土中《どちう》へ据《す》ゑた桶《をけ》の泥《どろ》を溶《と》いたやうな水《みづ》へぢうと浸《ひた》して、更《さら》に又《また》小《ちひ》さな槌《つち》でちん/\と叩《たゝ》いて 「こんだこさ大丈夫《だいぢようぶ》だ、先《せん》にやどうして罅《ひゞ》なんぞいつたけかよ」鍛冶《かぢ》は汗《あせ》の額《ひたひ》を勘次《かんじ》に向《む》けて 「柄《え》が折《を》つちよれねえうちは動《いご》きつこねえから」といつて又《また》 「身體《からだ》の割《わり》にしちや圖《づ》無《ね》えな」と鍛冶《かぢ》は微笑《びせう》した。鐵《てつ》の臭《にほひ》のする唐鍬《たうぐは》を提《さ》げて勘次《かんじ》は復《また》土手《どて》を走《はし》つた。  其《そ》の日《ひ》も西風《にしかぜ》が枯木《かれき》の林《はやし》から麥畑《むぎばたけ》からさうして鬼怒川《きぬがは》を渡《わた》つて吹《ふ》いた。鬼怒川《きぬがは》の水《みづ》は白《しろ》い波《なみ》が立《た》つて、遠《とほ》くからはそれが粟《あは》を生《しやう》じた肌《はだへ》のやうに只《たゞ》こそばゆく見《み》えた。西風《にしかぜ》は川《かは》に吹《ふ》き落《お》ちる時《とき》西岸《せいがん》の篠《しの》をざわ/\と撼《ゆる》がす。更《さら》に東岸《とうがん》の土手《どて》を傳《つた》うて吹《ふ》き上《あ》げる時《とき》、土手《どて》の短《みじか》い枯芝《かれしば》の葉《は》を一葉《ひとは》づゝ烈《はげ》しく靡《なび》けた。其《そ》の枯芝《かれしば》の間《あひだ》にどうしたものか氣《き》まぐれな蒲公英《たんぽ》の黄色《きいろ》な頭《あたま》がぽつ/\と見《み》える。どうかすると土手《どて》は靜《しづ》かで暖《あたゝ》かなことがあるので、遂《つひ》騙《だま》されて蒲公英《たんぽ》がまだ遠《とほ》い春《はる》を遲緩《もどか》しげに首《くび》を出《だ》して見《み》ては、また寒《さむ》く成《な》つたのに驚《おどろ》いて蹙《ちゞ》まつたやうな姿《すがた》である。  勘次《かんじ》は唐鍬《たうぐは》を持《も》つて復《ま》た自分《じぶん》の活力《くわつりよく》を恢復《くわいふく》し得《え》たやうに、それから又《また》一|日《にち》仕事《しごと》を怠《おこた》れば身内《みうち》がみり/\して何《なん》だか知《し》らぬが其《そ》の仕事《しごと》に催促《さいそく》されて成《な》らぬやうな心持《こゝろもち》がした。  鬼怒川《きぬがは》の水《みづ》は落《お》ちて此方《こちら》の土手《どて》から連《つらな》つて居《ゐ》る大《おほ》きな洲《す》が其《そ》の流《なが》れを西岸《せいがん》の篠《しの》の下《した》まで蹙《ちゞ》めて居《ゐ》る。廣《ひろ》く且《かつ》遠《とほ》い洲《す》には只《たゞ》西風《にしかぜ》が僅《わづか》に乾《かわ》いた砂《すな》をさら/\と掃《は》くやうにして吹《ふ》いて居《ゐ》る。それで白《しろ》く乾燥《かんさう》した洲《す》は只《たゞ》からりと清潔《せいけつ》に見《み》える。さういふ間《あひだ》にどうしたものか此《こ》れも氣《き》まぐれな人《ひと》が、遠《とほ》くは其《そ》の砂《すな》から生《は》えたやうに見《み》えてちらほらと散《ち》らばつて少《すこ》しづゝ動《うご》いて居《ゐ》る。勘次《かんじ》は土手《どて》からおりて見《み》た。動《うご》いて居《ゐ》る人々《ひと/″\》は萬能《まんのう》で其《そ》の砂《すな》を掘《ほ》つて居《ゐ》るのであつた。西風《にしかぜ》が乾《かわ》かしてはさらさらと掃《は》いて居《ゐ》ても洲《す》には猶《なほ》幾《いく》らか波《なみ》の趾《あと》がついて居《ゐ》る。其《その》砂《すな》の中《なか》からは短《みじか》い木片《もくへん》が出《で》る。二三|寸《すん》から五六|寸《すん》位《ぐらゐ》な稀《まれ》には一|尺《しやく》位《ぐらゐ》なものも掘《ほ》り起《おこ》される。皆《みな》研《と》ぎ減《へら》したやうな木片《もくへん》のみである。人々《ひと/″\》は冷《つめ》たく成《な》つた手《て》を口《くち》へ當《あ》てゝ白《しろ》い暖《あたゝ》かい息《いき》を吹《ふ》つ掛《か》けながら一|心《しん》に先《さき》へ先《さき》へと掘《ほ》り起《おこ》しつゝ行《ゆ》く。 「どうするんだね」勘次《かんじ》は一人《ひとり》の側《そば》へ立《た》つて聞《き》いた。ひよつと首《くび》を擡《もた》げたのは婆《ばあ》さんであつた。婆《ばあ》さんは腰《こし》をのして強《つよ》い西風《にしかぜ》によろける足《あし》を踏《ふみ》しめて 「此《こ》れ干《ほ》して置《お》いて燃《も》すのさ」と穢《きたな》い白髮《しらが》と手拭《てぬぐひ》とを吹《ふ》かれながら目《め》を蹙《しか》めていつた。 「どうしても斯《か》う成《な》つちやべろ/\燃《も》えて飽氣《あつけ》なかんべえね」勘次《かんじ》は聞《き》いた。 「赤《あけ》え灰《はひ》に成《な》つてな、火《ひ》も弱《よ》えのさ、そんでも麁朶《そだ》買《か》あよりやえゝかんな、松麁朶《まつそだ》だちつたつてこつちの方《はう》へ來《き》ちや生《なま》で卅五|把《は》だの何《なん》だのつて、ちつちえ癖《くせ》にな、俺《お》らやうな婆《ばゝあ》でも十|把《ぱ》位《ぐれえ》は背負《しよ》へんだもの、近頃《ちかごろ》ぢや燃《もう》す物《もの》が一|番《ばん》不自由《ふじよう》で仕《し》やうねえのさな」婆《ばあ》さんはいつた。 「松麁朶《まつそだ》で卅五|把《は》ぢや相場《さうば》はさうでもねえが、商人《あきんど》がまるき直《なほ》すんだから小《ちひ》さくもなる筈《はず》だな」勘次《かんじ》は首《くび》を傾《かたむ》けていつた。 「さうだごつさらよなあ、そりやさうとおめえさん何處《どこ》だね」萬能《まんのう》を杖《つゑ》にして婆《ばあ》さんはいつた。 「俺《お》ら川向《かはむかう》さ」 「そんぢや燃《もう》す木《き》は有《あ》つ處《とこ》だね」婆《ばあ》さんは更《さら》に勘次《かんじ》の唐鍬《たうぐは》を見《み》て 「たいした唐鍬《たうぐは》だが餘《よ》つ程《ぽど》すんだつぺな」 「さうさ今《いま》打《ぶ》たせちや三十掛《さんじふがけ》は屹度《きつと》だな」 「三十掛《さんじふがけ》ツちや幾《いく》らするごつさら、目方《めかた》もしつかり掛《かゝ》んべな」 「一貫目《いつくわんめ》もねえがな」勘次《かんじ》は自慢《じまん》らしく婆《ばあ》さんへ唐鍬《たうぐは》を持《も》たせた。 「おういや、俺《お》らがにや引《ひ》つたゝねえやうだ、おめえさん自分《じぶん》で使《つか》あのけまあ、何《なに》したごつさらよ此《こ》んな道具《だうぐ》なあ」 「毎日《まいんち》木根《きね》つ子《こ》起《おこ》してたんだが、唐鍬《たうぐは》のひつ痛《いため》つちやつたから直《なほ》し來《き》た處《とこ》さ」 「そんぢやおめえさん燃《もう》す物《もの》にや不自由《ふじいう》なしでえゝな」婆《ばあ》さんは羨《うらや》まし相《さう》にいつた。さうして小《ちひ》さな木片《もくへん》を入《いれ》る爲《ため》に持《もつ》て來《き》た麻《あさ》の穢《きたな》い袋《ふくろ》を草刈籠《くさかりかご》から出《だ》した。  僅《わづか》に鬼怒川《きぬがは》の水《みづ》を隔《へだ》てゝ西《にし》は林《はやし》が連《つらな》つて居《ゐ》る。村落《むら》も田《た》も畑《はたけ》も其《そ》の林《はやし》に包《つゝ》まれて居《ゐ》る。東《ひがし》は只《たゞ》低《ひく》い水田《すゐでん》と畑《はたけ》とで村落《むら》が其《そ》の間《あひだ》に點在《てんざい》して居《ゐ》る。其處《そこ》に家《いへ》を圍《かこ》んで僅《わづ》かな木立《こだち》が有《あ》るばかりである。隨《したが》つて薪《たきゞ》の缺乏《けつばふ》から豆幹《まめがら》や藁《わら》のやうなものも皆《みな》燃料《ねんれう》として保存《ほぞん》されて居《ゐ》ることは勘次《かんじ》も能《よ》く知《し》つて居《ゐ》た。然《しか》し其《そ》の薪《たきゞ》の缺乏《けつばふ》から自然《しぜん》にかういふ砂《すな》の中《なか》に洪水《こうずゐ》が齎《もたら》した木片《もくへん》の埋《うづ》まつて居《ゐ》るのを知《し》つて之《これ》を求《もと》めて居《ゐ》るのだといふことは彼《かれ》は始《はじ》めて見《み》て始《はじ》めて知《し》つた。彼《かれ》は滅多《めつた》に川《かは》を越《こ》えて出《で》ることはなかつたのである。  勘次《かんじ》は自分《じぶん》の壁際《かべぎは》には薪《たきゞ》が一|杯《ぱい》に積《つ》まれてある。其《その》上《うへ》に開墾《かいこん》の仕事《しごと》に携《たづさ》はつて何《なん》といつても薪《たきゞ》は段々《だんだん》殖《ふ》えて行《ゆ》くばかりである。更《さら》に其《そ》の開墾《かいこん》に第《だい》一の要件《えうけん》である道具《だうぐ》が今《いま》は完全《くわんぜん》して自分《じぶん》の手《て》に提《さ》げられてある。彼《かれ》は恁《か》ういふ辛苦《しんく》をしてまでも些少《させう》な木片《もくへん》を求《もと》めて居《ゐ》る人々《ひとびと》の前《まへ》に矜《ほこり》を感《かん》じた。彼《かれ》は自分《じぶん》の境遇《きやうぐう》が什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》であるかは思《おも》はなかつた。又《また》恁《か》ういふ人々《ひとびと》の憐《あは》れなことも想《おも》ひやる暇《いとま》がなかつた。さうして彼《かれ》は自分《じぶん》の技倆《うで》が愉快《ゆくわい》になつた。彼《かれ》は再《ふたゝ》び土手《どて》から見《み》おろした。萬能《まんのう》を持《も》つて居《ゐ》るのは皆《みな》女《をんな》で十三四の子《こ》も交《まじ》つて居《ゐ》るのであつた。人々《ひと/″\》の掘《ほ》り起《おこ》した趾《あと》は畑《はたけ》の土《つち》を蚯蚓《みゝず》が擡《もた》げたやうな形《かたち》に、濕《しめ》つた砂《すな》のうね/\と連《つらな》つて居《ゐ》るのが彼《かれ》の目《め》に映《うつ》つた。  彼《かれ》は家《うち》に歸《かへ》ると共《とも》に唐鍬《たうぐは》の柄《え》を付《つけ》た。鉈《なた》の刀背《みね》で鐵《てつ》の楔《くさび》を打《う》ち込《こ》んでさうして柄《え》を執《と》つて動《うご》かして見《み》た。次《つぎ》の朝《あさ》からもう勘次《かんじ》の姿《すがた》は林《はやし》に見出《みいだ》された。  主人《しゆじん》から與《あた》へられた穀物《こくもつ》は彼《かれ》の一|家《か》を暖《あたゝ》めた。彼《かれ》は近來《きんらい》にない心《こころ》の餘裕《よゆう》を感《かん》じた。然《しか》しさういふ僅《わづか》な彼《かれ》に幸《さいは》ひした事柄《ことがら》でも幾《いく》らか他人《たにん》の嫉妬《しつと》を招《まね》いた。他《た》の百姓《ひやくしやう》にも悶躁《もが》いて居《ゐ》る者《もの》は幾《いく》らもある。さういふ伴侶《なかま》の間《あひだ》には僅《わづか》に五|圓《ゑん》の金錢《かね》でもそれは懷《ふところ》に入《はひ》つたとなれば直《すぐ》に世間《せけん》の目《め》に立《た》つ。彼等《かれら》は幾《いく》らづゝでも自分《じぶん》の爲《ため》になることを見出《みいだ》さうといふことの外《ほか》に、目《め》を峙《そばた》てゝ周圍《しうゐ》に注意《ちうい》して居《ゐ》るのである。彼等《かれら》は他人《ひと》が自分《じぶん》と同等《どうとう》以下《いか》に苦《くるし》んで居《ゐ》ると思《おも》つて居《ゐ》る間《あひだ》は相互《さうご》に苦《くるし》んで居《ゐ》ることに一|種《しゆ》の安心《あんしん》を感《かん》ずるのである。然《しか》し其《そ》の一人《ひとり》でも懷《ふところ》のいゝのが目《め》につけば自分《じぶん》は後《あと》へ捨《す》てられたやうな酷《ひど》く切《せつ》ないやうな妙《めう》な心持《こゝろもち》になつて、そこに嫉妬《しつと》の念《ねん》が起《おこ》るのである。それだから彼等《かれら》は他《た》の蹉跌《つまづき》を見《み》ると其《その》僻《ひが》んだ心《こゝろ》の中《うち》に竊《ひそか》に痛快《つうくわい》を感《かん》ぜざるを得《え》ないのである。  勘次《かんじ》の家《いへ》には薪《たきゞ》が山《やま》のやうに積《つ》まれてある。それが彼等《かれら》の伴侶《なかま》の注目《ちうもく》を惹《ひ》いた。それとはなしに數次《しばしば》彼《かれ》の主人《しゆじん》に告《つ》げられた。開墾地《かいこんち》で木《き》を焚《た》いた其《その》灰《はひ》をも家《いへ》に運《はこ》んだといふことまで主人《しゆじん》の耳《みゝ》に入《はひ》つた。勘次《かんじ》は開墾《かいこん》の手間賃《てまちん》を比較的《ひかくてき》餘計《よけい》に與《あた》へられる代《かは》りには櫟《くぬぎ》の根《ね》は一つも運《はこ》ばない筈《はず》であつた。彼等《かれら》の伴侶《なかま》はさういふことをも知《し》つて居《ゐ》た。晝餐《ひる》の後《あと》や手《て》の冷《つめ》たく成《な》つた時《とき》などには彼《かれ》はそこらの木《き》を聚《あつ》めて燃《も》やす。木《き》の根《ね》が燻《くす》ぶつていつでも青《あを》い煙《けむり》が少《すこ》しづゝ立《た》つて居《ゐ》る。彼《かれ》は其《その》煙《けむり》に段々《だんだん》遠《とほ》ざかりつゝ唐鍬《たうぐは》を打《う》ち込《こ》んで居《ゐ》る。毎日《まいにち》火《ひ》は別《べつ》な處《ところ》で焚《た》かれた。彼《かれ》は屹度《きつと》其《そ》の灰《はひ》を掻《か》つ掃《ぱ》いで去《さ》つたのである。然《しか》し壁際《かべぎは》に積《つ》んだ木《き》の根《ね》はそこには不正《ふせい》なものが交《まじ》つて居《ゐ》るにしても、大部分《だいぶぶん》は彼《かれ》の非常《ひじやう》な勞苦《らうく》から獲《え》たものである。彼《かれ》は林《はやし》の持主《もちぬし》に請《こ》うて掘《ほ》つたのである。それでも餘《あま》りに人《ひと》の口《くち》が八釜敷《やかましい》ので主人《しゆじん》は只《たゞ》幾分《いくぶん》でも將來《しやうらい》の警《いまし》めをしようと思《おも》つた。其《そ》の以前《いぜん》から勘次《かんじ》は秋《あき》になれば掛稻《かけいね》を盜《ぬす》むとかいふ蔭口《かげぐち》を利《き》かれて巡査《じゆんさ》の手帖《ててふ》にも載《の》つて居《ゐ》るのだといふやうなことがいはれて居《ゐ》たのであつた。主人《しゆじん》はそれでも竊《ひそか》に人《ひと》を以《もつ》て木《き》の根《ね》を運《はこ》んだかどうかといふことを聞《き》かせて見《み》た。彼《かれ》が心《こゝろ》づいて謝罪《しやざい》するならばそれなりにして遣《や》らうと思《おも》つたからである。彼《かれ》は主人《しゆじん》の心《こゝろ》を知《し》る由《よし》はなかつた。 「何處《どこ》でも見《み》た方《はう》がようがす、わしは決《けつ》して運《はこ》んだ覺《おぼ》えなんざねえから」彼《かれ》は恐《おそ》ろしい權幕《けんまく》できつぱり斷《ことわ》つた。  主人《しゆじん》は村《むら》の駐在所《ちうざいしよ》の巡査《じゆんさ》へ耳打《みゝう》ちをした。巡査《じゆんさ》は或《ある》日《ひ》ぶらつと勘次《かんじ》の家《うち》へ行《い》つた。其《そ》の日《ひ》は朝《あさ》から雨《あめ》なので勘次《かんじ》は仕事《しごと》にも出《で》られず、火鉢《ひばち》へ少《すこ》しづゝ木《き》の根《ね》を燻《く》べてあたつて居《ゐ》た。 「雨《あめ》で困《こま》つたな、勘次《かんじ》は大分《だいぶ》勉強《べんきやう》する相《さう》だな」巡査《じゆんさ》は帶劍《たいけん》の鞘《さや》を掴《つか》んでいつた。 「へえ」勘次《かんじ》は急《きふ》に膝《ひざ》を立《た》て直《なほ》した。表《おもて》の戸口《とぐち》へひよつこり現《あらは》れた巡査《じゆんさ》の、外套《ぐわいたう》の頭巾《づきん》を深《ふか》く被《かぶ》つて居《ゐ》る顏《かほ》が勘次《かんじ》には只《たゞ》恐《おそ》ろしく見《み》えた。さうして其《そ》の聲《こゑ》が刺《とげ》を含《ふく》んで響《ひゞ》いた。巡査《じゆんさ》はぶらりと家《いへ》の横手《よこて》へ行《い》つて壁際《かべぎは》の木《き》の根《ね》を見《み》た。勘次《かんじ》は巡査《じゆんさ》の後《あと》から跟《つ》いて行《い》つた。 「大分《だいぶ》有《あ》るな、此《こ》れは又《また》わしの來《く》るまで動《うご》かしちやならないからな」巡査《じゆんさ》はいつた。勘次《かんじ》は蒼《あを》くなつた。 「此《こ》らわしが貰《もら》つて掘《ほ》つたんでがすから何處《どこ》と何處《どこ》つて穴《あな》つ子《こ》までちやんと分《わか》つてんでがすから」彼《かれ》は慌《あわ》てゝいつた。 「そんなことはどうでもいゝんだ、動《うご》かすなといつたら動《うご》かさなけりやいゝんだ」  巡査《じゆんさ》は呼吸《いき》で霧《きり》のやうに少《すこ》し霑《ぬ》れた口髭《くちひげ》を撚《ひね》りながら 「櫟《くぬぎ》の根《ね》が大分《だいぶ》あるやうだな」といひ棄《す》てゝ去《さ》つた。勘次《かんじ》は雨《あめ》に打《う》たれつゝ喪心《さうしん》したやうに庭《には》に立《た》つて居《ゐ》る。戸口《とぐち》の蔭《かげ》に隱《かく》れて聞《き》いて居《ゐ》たおつぎは巡査《じゆんさ》の去《さ》つた後《のち》漸《やうや》く姿《すがた》を表《あら》はした。 「おとつゝあ」と小聲《こごゑ》で喚《よ》んだ。 「そんだから俺《お》ら持《も》つて來《く》んなつてゆつたのに」更《さら》に小聲《こごゑ》でおつぎはいつた。 「おとつゝあ、どうしたもんだべな」おつぎは聞《き》いた。 「俺《お》ら旦那《だんな》に見放《みはな》されちや、迚《とつて》も助《たす》かれめえ」勘次《かんじ》は漸《やうや》く此《こ》れだけいつた。 「おとつゝあ、それぢや旦那《だんな》げ謝罪《あやま》つたらどうしたもんだんべ」 「そんなことゆつたつて、聽《き》くか聽《き》かねえか分《わか》るもんか」 「南《みなみ》のおとつゝあげでも頼《たの》んで見《み》たらどうしたもんだんべ」 「汝等《わつら》頼《たの》まなくつたつてえゝから」 「そんぢやおとつゝあ、櫟《くぬぎ》の根《ね》つ子《こ》せえなけりやえゝんだんべか」 「そんだつて汝《われ》は駐在所《ちうざいしよ》に見《み》られつちやつたもの仕《し》やうあるもんか」  勘次《かんじ》はそれでも他《た》に分別《ふんべつ》もないので仕方《しかた》なしに桑畑《くはばたけ》を越《こえ》て南《みなみ》へ詑《わび》を頼《たの》みに行《い》つた。彼《かれ》は古《ふる》い菅笠《すげがさ》を一寸《ちよつと》頭《あたま》へ翳《かざ》して首《くび》を蹙《ちゞ》めて行《い》つた。主人《しゆじん》の挨拶《あいさつ》は兎《と》に角《かく》明日《あす》のことにするからといつた丈《だけ》だといふ返辭《へんじ》である。勘次《かんじ》はげつそりとして家《うち》へ歸《かへ》ると蒲團《ふとん》を被《かぶ》つて畢《しま》つた。おつぎは自分《じぶん》も毎日《まいにち》行《い》つて居《ゐ》たので開墾地《かいこんち》から運《はこ》んだ櫟《くぬぎ》の根《ね》は皆《みな》知《し》つて居《ゐ》る。おつぎは其《そ》の櫟《くぬぎ》の根《ね》を獨《ひと》りで竊《ひそか》に引《ひ》き出《だ》した。さうして黄昏時《たそがれどき》におつぎはそれを草刈籠《くさかりかご》へ入《い》れて後《うしろ》の竹藪《たけやぶ》の中《なか》の古井戸《ふるゐど》へ投《な》げ落《おと》した。古井戸《ふるゐど》は暗《くら》くして且《かつ》深《ふか》い。おつぎは冷《つめ》たい雨《あめ》に沾《ぬ》れてさうして少《すこ》し縮《ちゞ》れた髮《かみ》が亂《みだ》れてくつたりと頬《ほゝ》に附《つ》いて足《あし》には朽《く》ちた竹《たけ》の葉《は》がくつゝいて居《ゐ》る。 「おとつゝあ」おつぎは勘次《かんじ》を喚《よ》び起《おこ》した。 「俺《お》ら櫟《くぬぎ》根《ね》つ子《こ》うつちやつたぞ」おつぎは更《さら》に聲《こゑ》を殺《ころ》していつた。勘次《かんじ》はひよつこり起《お》きて何《なに》もいはずにおつぎの顏《かほ》を凝然《ぢつ》と見《み》つめた。暗《くら》い家《うち》の中《なか》には漸《やうや》く手《て》ランプが點《とも》された。勘次《かんじ》もおつぎも唯《たゞ》其《そ》の目《め》が光《ひか》つて見《み》えた。  次《つぎ》の日《ひ》巡査《じゆんさ》は隣《となり》の傭人《やとひにん》を連《つ》れて來《き》て壁際《かべぎは》の木《き》の根《ね》を檢《しら》べさせたが櫟《くぬぎ》の根《ね》は案外《あんぐわい》に少《すくな》かつた。それでもおつぎの手《て》では棄《す》て切《き》れなかつたのである。 「此《こ》りや櫟《くぬぎ》がもつと有《あ》つた筈《はず》ぢやないか勘次《かんじ》はどうかしやしないか」巡査《じゆんさ》は恁《か》ういつてあたりを見《み》たが勘次《かんじ》の小《ちひ》さな建物《たてもの》の何處《どこ》にもそれは發見《はつけん》されなかつた。さういつても實際《じつさい》に巡査《じゆんさ》の目《め》には櫟《くぬぎ》と他《ほか》の雜木《ざふき》とを明瞭《めいれう》に識別《しきべつ》し得《え》なかつたのである。 「勘次《かんじ》、それぢや此《こ》れを持《も》つて跟《つ》いて來《く》るんだ」巡査《じゆんさ》はいつた。勘次《かんじ》は顫《ふる》へた。 「草刈籠《くさかりかご》でも何《なん》でもいゝ、此《こ》れを入《い》れて後《あと》から跟《つ》いて」 「へえ、何處《どこ》まで持《も》つて行《い》くんでがせう」勘次《かんじ》は逡巡《ぐつ/\》して居《ゐ》る。 「何處《どこ》までゝもいゝんだ」巡査《じゆんさ》は呶鳴《どな》つてぴしやりと横手《よこて》で勘次《かんじ》の頬《ほゝ》を叩《たゝ》いた。  勘次《かんじ》は草刈籠《くさかりかご》を脊負《せお》つて巡査《じゆんさ》の後《あと》に跟《つ》いて主人《しゆじん》の家《いへ》の裏庭《うらには》へ導《みちび》かれた。巡査《じゆんさ》が縁側《えんがは》の坐蒲團《ざぶとん》へ腰《こし》を掛《か》けた時《とき》勘次《かんじ》は籠《かご》を脊負《せお》つた儘《まゝ》首《くび》を俛《た》れて立《た》つた。それは餘《あま》りに見《み》え透《す》いた仕事《しごと》なので有繋《さすが》に分別盛《ふんべつざかり》の主人《しゆじん》は出《で》なかつた。内儀《かみ》さんが出《で》た。勘次《かんじ》は益《ます/\》萎《しほ》れた。 「勘次《かんじ》、お前《まへ》まあそれを置《お》いて此處《こゝ》へ掛《か》けて見《み》たらどうだね」内儀《かみ》さんはいつた。勘次《かんじ》はそれでも只《たゞ》立《た》つて居《ゐ》る。 「品物《しなもの》は此《これ》だけなんでしたらうか」内儀《かみ》さんは巡査《じゆんさ》に聞《き》いた。 「此《こ》の位《くらゐ》のものらしいやうでしたな、案外《あんぐわい》少《すくな》かつたんですな」巡査《じゆんさ》は手帖《ててふ》を反覆《くりかへ》しながらいつた。 「さうでございますか」内儀《かみ》さんは巡査《じゆんさ》に會釋《ゑしやく》してさうして 「どうしたね勘次《かんじ》、恁《か》うして連《つ》れて來《こ》られてもいゝ心持《こゝろもち》はすまいね」といつた。藁草履《わらざうり》を穿《は》いた勘次《かんじ》の爪先《つまさき》に涙《なみだ》がぽつりと落《お》ちた。 「こんなことでお前《まへ》世間《せけん》が騷《さわ》がしくて仕《し》やうがないのでね、私《わたし》の處《ところ》でも本當《ほんたう》に困《こま》つて畢《しま》ふんだよ」内儀《かみ》さんは巡査《じゆんさ》を一寸《ちよつと》見《み》てさうして 「此《こ》れから屹度《きつと》やらないなら今日《けふ》の處《ところ》だけは大目《おほめ》に見《み》て戴《いたゞ》いて警察《けいさつ》へ連《つ》れて行《ゆ》かれないやうに伺《うかゞ》つて見《み》てあげるがね、どうしたもんだね」と勘次《かんじ》へいつた。 「何卒《どうぞ》はあ、決《けつ》してやりませんから、へえお内儀《かみ》さんどうぞ」勘次《かんじ》は草刈籠《くさかりかご》を脊負《せお》うて前屈《まへかゞみ》になつた身體《からだ》を幾度《いくど》か屈《かゞ》めていつた。涙《なみだ》が又《また》ぼろ/\と衣《きもの》の裾《すそ》から跳《は》ねてほつ/\と庭《には》の土《つち》に點《てん》じた。 「如何《いかゞ》なもんでござんせうね此《こ》れは」内儀《かみ》さんは微笑《びせう》を含《ふく》んで巡査《じゆんさ》に向《むか》つていつた。 「さうですなあ」巡査《じゆんさ》は首《くび》を傾《かたむ》けていつて更《さら》に帶劍《たいけん》の鞘《さや》を膝《ひざ》へとつて 「どうだ勘次《かんじ》、以來《いらい》愼《つゝし》めるか、此《こ》の次《つぎ》にこんなことが有《あ》つたら枯枝《かれえだ》一つでも赦《ゆる》さないからな、今日《けふ》はまあ此《こ》れで歸《かへ》れ、其《そ》の櫟《くぬぎ》の根《ね》は此處《こゝ》へ置《お》いて行《ゆ》くんだぞ」勘次《かんじ》は草刈籠《くさかりかご》を卸《おろ》さうとした。 「そんなもの此《こ》の庭《には》へ置《お》けといふんぢやないんだ、置《お》く處《ところ》は知《し》つてるんだろう、解《わか》らない奴《やつ》だな、それうつかりしないで足下《あしもと》を氣《き》をつけるんだ」巡査《じゆんさ》は叱《しか》つた。勘次《かんじ》はそつと土《つち》を踏《ふ》んで庭《には》を出《で》た。  門《もん》の外《そと》にはおつぎが與吉《よきち》を連《つ》れて歔欷《すゝりなき》して居《ゐ》る。與吉《よきち》はおつぎの泣《な》くのを見《み》て自分《じぶん》も聲《こゑ》を放《はな》つ。おつぎは聲《こゑ》の洩《も》れぬやうに袂《たもと》でそれを掩《おほ》うて居《ゐ》る。 「よき泣《な》かねえで歸《け》えれ」勘次《かんじ》は與吉《よきち》の手《て》を執《と》つた。三|人《にん》は默《だま》つて歩《ある》いた。傭人等《やとひにんら》は笑《わら》つて勘次《かんじ》の容子《ようす》を見《み》て居《ゐ》た。 「おとつゝあ、どうしたつけ」おつぎは家《うち》に歸《かへ》ると共《とも》に聞《き》いた。 「そんでもまあ大丈夫《だいぢやうぶ》になつた、櫟《くぬぎ》根《ね》つ子《こ》なくつて助《たす》かつた」勘次《かんじ》はげつそりと力《ちから》なくいつた。 「俺《お》ら昨日《きにやう》は重《おも》たくつて酷《ひど》かつたつけぞ、其《そ》の所爲《せゐ》か今日《けふ》は肩《かた》痛《いて》えや」おつぎは悦《よろこ》ばしげにいつた。 「俺《おら》こゝで居《ゐ》なくなつちや汝等《わツら》も大變《たえへん》だつけな」勘次《かんじ》は間《あひだ》を暫《しばら》く措《お》いてぽさ/\としていつた。  此《こ》の事《こと》があつてからも勘次《かんじ》の姿《すがた》は直《すぐ》に唐鍬《たうぐは》持《も》つて林《はやし》の中《なか》に見出《みいだ》された。  五六|日《にち》經《た》つて勘次《かんじ》は針立《はりだて》と針箱《はりばこ》とを買《か》つて來《き》た。 「おつう、汝《われ》も此《こ》れからお針《はり》にいけつかんな、そら此《こ》れ持《も》つて行《え》ぐんだ、おつかゞ持《も》つてた古《ふる》いのなんざあ外聞《げえぶん》惡《わる》くつて厭《や》だなんていふから、此《こ》んでもおとつゝあ等《ら》酷《ひで》え錢《ぜね》で買《か》つて來《き》たんだぞ、それから善《え》えだの惡《わり》いだのつて膨《ふく》れたり何《なに》つかすんぢやねえぞ、なあ」勘次《かんじ》は又《また》 「よき汝《われ》はおとつゝあが側《そば》に居《ゐ》る[#「る」に「ママ」の注記]んだぞ、えゝか、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、109-8]《ねえ》は此《これ》から汝《われ》が衣物《きもの》拵《こせ》えんでお針《はり》に行《え》くんだかんな、聽《き》かねえと酷《ひで》えぞ」と與吉《よきち》を抱《だ》いて能《よ》くいひ含《ふく》めた。  おつぎはそれから村内《そんない》へ近所《きんじよ》の娘《むすめ》と共《とも》に通《かよ》つた。おつぎは與吉《よきち》の小《ちひ》さな單衣《ひとへもの》を仕上《しあ》げた時《とき》其《そ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を抱《かゝ》へていそ/\と歸《かへ》つて來《き》た。おつぎは針《はり》持《も》つやうに成《な》つてからはき/\として俄《にはか》にませて來《き》たやうに見《み》えた。おつぎはもう十六である。辛苦《しんく》の間《あひだ》に在《あ》る丈《だけ》に去年《きよねん》からでは何《ど》れ程《ほど》大人《おとな》びて勘次《かんじ》の助《たすけ》に成《な》るか知《し》れない。殊《こと》に秋《あき》の頃《ころ》に成《な》つてからは滅切《めつきり》機轉《きてん》も利《き》くやうになつて、死《し》んだお品《しな》に似《に》て來《き》たと他人《ひと》にはいはれるのであるが、毎日《まいにち》一《ひと》つに居《ゐ》る自分《じぶん》にもさういへば身體《からだ》の恰好《かつかう》までどうやらさう見《み》えて來《き》たと勘次《かんじ》も心《こゝろ》で思《おも》つた。おつぎは今《いま》が遊《あそ》びたい盛《さか》りに這入《はひ》つたのであるが、勘次《かんじ》からは一日《いちにち》でも唯《たゞ》一人《ひとり》で放《はな》されたことがない。村《むら》の休日《ものび》には近所《きんじよ》の女房《にようばう》に連《つ》れられて出《で》て見《み》ることもあるが、屹度《きつと》與吉《よきち》がくつゝいて居《ゐ》るのと、自分《じぶん》は炊事《すゐじ》の間《ま》を缺《か》かすことが出來《でき》ないのとで晝餐《ひる》でも晩餐《ばん》でも他人《ひと》より早《はや》く歸《かへ》つて來《こ》なければならない。 「俺《お》らいつそもの日《び》なんざ無《ね》え方《はう》がえゝ、さうでせえなけりや出《で》てえた思《おも》はねえから」おつぎは熟《つく/″\》呟《つぶや》くことがあつた。 「どうにか俺《お》らだつて成《な》つから」おつぎの呟《つぶや》くのを聞《き》いて勘次《かんじ》は有繋《さすが》に心《こゝろ》が切《せつ》なくなる。それで云《い》ひやうが無《な》くては恁《か》うぶすりと云《い》つて畢《しま》ふのであつた。  與吉《よきち》は四《よつ》つに成《な》つた。惡戯《いたづら》も知《し》つて來《き》てそれ丈《だけ》おつぎの手《て》は省《はぶ》かれた。それでも與吉《よきち》の衣物《きもの》はおつぎの手《て》には始末《しまつ》が出來《でき》ないので、近所《きんじよ》の女房《にようばう》へ頼《たの》んではどうにかして貰《もら》つた。お品《しな》が生《い》きて居《ゐ》ればそんな心配《しんぱい》はまだ十六のおつぎがするのではない。おつぎは更《さら》に自分《じぶん》の衣物《きもの》に困《こま》つた。短《みじか》くなるばかりではなく綻《ほころ》びにさへおつぎは當惑《たうわく》するのである。 「お針《はり》出來《でき》なくつちや仕樣《しやう》ねえなあ」おつぎは何時《いつ》でも嘆息《たんそく》するのであつた。 「お針《はり》にでも何《なん》でも遣《や》れる時《とき》にや遣《や》つから、奉公《ほうこう》にでも行《い》つて見《み》ろ、幾《いく》つに成《な》つたつて碌《ろく》なこと出來《でき》るもんか、十六|位《ぐれえ》ぢや貧乏人《びんばふにん》はまあだ行《い》けねえたつて仕《し》やうがあるもんか、さう汝《われ》見《み》てえに痩虱《やせじらみ》たかつたやうにしつきりなし云《い》ふもんぢやねえ」 「おとつゝあはそんだつて奉公《ほうこう》にでも行《い》つてるものげは家《うち》で拵《こせ》えてやんだんべな」 「そんだつてなんだつて遣《や》れつ時《とき》でなくつちや遣《や》れねえから」  十六ではまだ針《はり》を持《も》たなくつてもいゝといふのはそれは無理《むり》ではない。然《しか》し勘次《かんじ》の家《いへ》でおつぎの一|向《かう》針《はり》を知《し》らぬことは不便《ふべん》であつた。勘次《かんじ》もそれを知《し》らないのではないが、今《いま》の處《ところ》自分《じぶん》には其《そ》の餘裕《よゆう》がないのでおつぎがさういふ度《たび》に彼《かれ》の心《こゝろ》は堪《た》へず苦《くる》しむので態《わざ》と邪慳《じやけん》にいつて畢《しま》ふのであつた。其《そ》の冬《ふゆ》になつてからもおつぎは十六だといふ内《うち》に直《すぐ》十七になつて畢《しま》ふと呟《つぶや》いたのであつた。 「春《はる》にでもなつたらやれつかも知《し》んねえから」と勘次《かんじ》は其《そ》の度《たび》にいつて居《ゐ》た。おつぎは到底《たうてい》當《あて》にはならぬと心《こゝろ》に斷念《あきら》めて居《ゐ》たのであつた。それだけおつぎの滿足《まんぞく》は深《ふか》かつた。  或《ある》晩《ばん》どうして記憶《きおく》を復活《ふくくわつ》させたかおつぎはふいといつた。 「井戸《ゐど》へ落《おつこと》した櫟《くぬぎ》根《ね》つ子《こ》は梯子《はしご》掛《か》けても取《と》れめえか」 「何故《なぜ》そんなこといふんだ」勘次《かんじ》は驚《おどろ》いて目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つた。 「そんでも可惜《あつたら》もんだからよ」 「汝《われ》自分《じぶん》で梯子《はしご》掛《か》けて這入《へえ》んのか」 「俺《お》ら可怖《おつかねえ》から厭《や》だがな」 「そんなこといふもんぢやねえ、又《また》拘引《つゝてか》れたらどうする、そん時《とき》は汝《われ》でも行《え》くのか」勘次《かんじ》は恁《か》ういつて苦笑《くせう》した。  其《その》晩《ばん》は其《そ》れつ切《き》り二人《ふたり》の間《あひだ》に噺《はなし》はなかつた。          八  與吉《よきち》が五《いつ》つの春《はる》に成《な》つた。ずん/\と生長《せいちやう》して行《ゆ》く彼《かれ》の身體《からだ》はおつぎの手《て》に重量《ぢうりやう》が過《す》ぎて居《ゐ》る。しがみ附《つ》いて居《ゐ》た筍《たけのこ》の皮《かは》が自然《しぜん》に其《そ》の幹《みき》から離《はな》れるやうに、與吉《よきち》は段々《だん/\》おつぎの手《て》から除《のぞ》かれるやうに成《な》つた。それでも筍《たけのこ》の皮《かは》が竹《たけ》の幹《みき》に纏《まつは》つては横《よこ》たはつて居《ゐ》るやうに、與吉《よきち》がおつぎを懷《なつか》しがることに變《かは》りはなかつた。  與吉《よきち》は近所《きんじよ》の子供《こども》と能《よ》く田圃《たんぼ》へ出《で》た。暖《あたゝ》かい日《ひ》には彼《かれ》は單衣《ひとへ》に換《かへ》て、袂《たもと》を後《うしろ》でぎつと縛《しば》つたり尻《しり》をぐるつと端折《はしよ》つたりして貰《もら》ふ間《ま》も待遠《まちどほ》で跳《は》ねて居《ゐ》る。 「堀《ほり》の側《そば》へは行《え》ぐんぢやねえぞ、衣物《きもの》汚《よご》すと聽《き》かねえぞ」おつぎがいふのを耳《みゝ》へも入《い》れないで小笊《こざる》を手《て》にして走《はし》つて行《ゆ》く。田圃《たんぼ》の榛《はん》の木《き》はだらけた花《はな》が落《お》ちて嫩葉《わかば》にはまだ少《すこ》し暇《ひま》があるので手持《てもち》なさ相《さう》に立《た》つて居《ゐ》る季節《きせつ》である。田《た》は僅《わづか》に濕《うるほ》ひを含《ふく》んで足《あし》の底《そこ》に暖味《あたゝかみ》を感《かん》ずる。耕《たがや》す人《ひと》はまだ下《お》り立《た》たぬ。白《しろ》つぽく乾《かわ》いた刈株《かりかぶ》の間《あひだ》には注意《ちうい》して見《み》れば處々《ところ/″\》に極《きは》めて小《ちひ》さな穴《あな》がある。子供等《こどもら》は其《そ》の穴《あな》を探《さが》して歩《ある》くのである。彼等《かれら》は小《ちひ》さな手《て》を粘《ねば》る土《つち》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]込《さしこ》んでは兩手《りやうて》の力《ちから》を籠《こ》めて引《ひ》つ返《かへ》す。其處《そこ》には鰌《どぜう》がちよろ/\と跳返《はねかへ》りつゝ其《その》身《み》を慌《あわたゞ》しく動《うご》かして居《ゐ》る。さうすると彼等《かれら》は孰《いづれ》も聲《こゑ》を立《た》てゝ騷《さわ》ぎながら、其《そ》の小《ちひ》さな泥《どろ》だらけの手《て》で捉《とら》へようとしては遁《に》げられつゝ漸《やうや》くのことで笊《ざる》へ入《い》れる。鰌《どぜう》は其《そ》のこそつぱい笊《ざる》の中《なか》で暫《しばら》く其《そ》の身《み》を動《うご》かしては落付《おちつ》く。他《た》の鰌《どぜう》が又《また》入《い》れられる時《とき》先刻《さつき》の鰌《どぜう》が一つに騷《さわ》いでは落付《おちつ》く。彼等《かれら》は斯《か》うして其《その》小《ちひ》さな穴《あな》を求《もと》めて田《た》から田《た》へ移《うつ》つて歩《ある》く。土地《とち》ではそれを目掘《めぼ》りというて居《ゐ》る。與吉《よきち》には幾《いく》ら泥《どろ》になつても鰌《どぜう》は捕《と》れなかつた。仲間《なかま》の大《おほ》きな子《こ》はそれでも一|匹《ぴき》位《ぐらゐ》づつ與吉《よきち》の笊《ざる》にも入《い》れて遣《や》るのであつた。それで彼《かれ》は後《おく》れながらも他《た》の子供《こども》に跟《つ》いて歩《ある》かずには居《を》られなかつたのである。  堀《ほり》には動《うご》かない水《みづ》が空《そら》を映《うつ》して湛《たゝ》へて居《ゐ》る處《ところ》がある。さうかと思《おも》へば或《あるひ》は水《みづ》は一|滴《てき》もなくて泥《どろ》の上《うへ》を筋《すぢ》のやうに流《なが》れた砂《すな》の趾《あと》がちら/\と春《はる》の日《ひ》を僅《わづか》に反射《はんしや》して居《ゐ》る處《ところ》がある。子供等《こどもら》は疎《まば》らな枯蘆《かれあし》の邊《ほとり》からおりて其處《そこ》にも目掘《めぼ》りを試《こゝろ》みる。大《おほ》きな子供《こども》は大事《だいじ》な笊《ざる》をそつと持《もつ》ておりる。小《ちひ》さな子供《こども》は堀《ほり》へおりながら笊《ざる》を傾《かたぶ》けて鰌《どぜう》を滾《こぼ》すことがある。大《おほ》きな子供《こども》はそれつといつて惡戯《いたづら》に其《それ》を捕《とら》うとする。子供等《こどもら》は順次《じゆんじ》に皆《みな》それに傚《なら》はうとする。さうすると小《ちひ》さな小供《こども》は唯《たゞ》火《ひ》の點《つ》いたやうに泣《な》く。それと同時《どうじ》に鰌《どぜう》が小《ちひ》さな子供《こども》の笊《ざる》に返《かへ》されて子供《こども》は其《その》鰌《どぜう》を覗《のぞ》くと共《とも》に其《そ》の泣《な》く聲《こゑ》がはたと止《とま》つて畢《しま》ふのである。堀《ほり》の粘《ねば》ついた泥《どろ》はうつかりすると小《ちひ》さな足《あし》を吸《す》ひ附《つ》けて放《はな》さない。さうするとみんなが遁《に》げるやうに岸《きし》へ上《あが》つて指《ゆび》を出《だ》して其《そ》の先《さき》を屈曲《くつきよく》させながら騷《さわ》ぐ。小《ちひ》さな子供《こども》は笊《ざる》を手《て》にした儘《まゝ》目《め》には手《て》も當《あて》ずに聲《こゑ》を放《はな》つて泣《な》く。與吉《よきち》は恁《か》うして能《よ》く泣《な》かされた。彼《かれ》には寸毫《すこし》も父兄《ふけい》の力《ちから》が被《かうぶ》つて居《ゐ》ない。頑是《ぐわんぜ》ない子供《こども》の間《あひだ》にも家族《かぞく》の力《ちから》は非常《ひじやう》な勢《いきほ》ひを示《しめ》して居《ゐ》る。其《その》家族《かぞく》が一|般《ぱん》から輕侮《けいぶ》の眼《め》を以《もつ》て見《み》られて居《ゐ》るやうに、子供《こども》の間《あひだ》にも亦《また》小《ちひ》さい與吉《よきち》は侮《あなど》られて居《ゐ》た。それでも與吉《よきち》は歸《かへ》りには小笊《こざる》の底《そこ》に鰌《どぜう》があるので悦《よろこ》んで居《ゐ》た。泣《な》いた當座《たうざ》は萎《しを》れても彼《かれ》は直《すぐ》に機嫌《きげん》が出《で》て、其《その》僅《わづか》な獲物《えもの》の笊《ざる》を誇《ほこ》つておつぎの側《そば》に來《く》る時《とき》は何時《いつ》もの甘《あま》えた與吉《よきち》である。彼《かれ》は何處《どこ》へでもべたりと坐《すわ》るので臀《しり》を丸出《まるだ》しに※[#「塞」の「土」に代えて「衣」、第3水準1-91-84]《かか》げてやつても衣物《きもの》は泥《どろ》だらけにした。それで叱《しか》られても泥《どろ》の乾《かわ》いた其《その》臀《しり》を叩《たゝ》かれても、おつぎにされるのは彼《かれ》にはちつとも怖《おそ》ろしくなかつた。彼《かれ》は小言《こごと》は耳《みゝ》へも入《い》れないで「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、114-8]《ねえ》よう見《み》ろよう」と小笊《こざる》を枉《ま》げてはちよこ/\と跳《は》ねるやうにして小刻《こきざ》みに足《あし》を動《うご》かしながらおつぎの譽《ほ》める詞《ことば》を促《うなが》して止《や》まない。  彼《かれ》は餘《あま》りに悦《よろこ》んで騷《さわ》いでひよつとすると危《あぶな》い手《て》もとで鰌《どぜう》を庭《には》へ落《おと》す事《こと》がある。鰌《どぜう》は乾《かわ》いた庭《には》の土《つち》にまぶれて苦《くる》しさうに動《うご》く。與吉《よきち》が抑《おさ》へようとする時《とき》鷄《にはとり》がひよつと來《き》て嘴《くちばし》で啄《つゝ》いて駈《か》けて行《い》つて畢《しま》ふ。他《た》の鷄《にはとり》がそれを追《お》ひ掛《か》ける。與吉《よきち》はさうすると又《また》一《ひと》しきり泣《な》くのである。 「汝《われ》あんまりうつかりしてつかんだわ」おつぎは笑《わら》ひながら、立《た》つてる與吉《よきち》の頭《あたま》を抱《だ》いてそれから手水盥《てうづだらひ》へ水《みづ》を汲《く》んで鰌《どぜう》を入《い》れて遣《や》る。與吉《よきち》は水《みづ》へ手《て》を入《い》れては鰌《どぜう》の騷《さわ》ぐのを見《み》て直《すぐ》に聲《こゑ》を立《た》てて笑《わら》ふ。おつぎはさうして置《お》いて泥《どろ》だらけの手足《てあし》を洗《あら》つてやる。  與吉《よきち》は時々《とき/″\》鰌《どぜう》を持《も》つて來《き》た。おつぎは衣物《きもの》の泥《どろ》になるのを叱《しか》りながらそれでも威勢《ゐせい》よく田圃《たんぼ》へ出《だ》してやつた。其《そ》の度《たび》に他《ほか》の子供等《こどもら》の後《うしろ》から 「泣《な》かさねえでよきことも連《つ》れでつてくろうな」といふおつぎの聲《こゑ》が追《お》ひ掛《か》けるのであつた。僅《わづか》な鰌《どぜう》は味噌汁《みそしる》へ入《い》れて箸《はし》で骨《ほね》を扱《しご》いて與吉《よきち》へやつた。自分《じぶん》では骨《ほね》と頭《あたま》とを暫《しばら》く口《くち》へ含《ふく》んでそれから捨《す》てた。  田《た》がそろ/\と耕《たがや》されるやうに成《なつ》た。子供等《こどもら》は又《また》一《ひと》つ/\の塊《かたまり》に耕《たがや》された田《た》を渡《わた》つて、其《その》塊《かたまり》の上《うへ》を辷《すべ》りながら越《こ》えながら、極《きは》めて小《ちひ》さい慈姑《くわゐ》のやうなゑぐの根《ね》をとつた。それは土地《とち》では訛《なま》つてゑごと喚《よ》ばれて居《ゐ》る。そこらの田《た》にはゑぐが多《おほ》いので秋《あき》の頃《ころ》に成《な》ると茂《しげ》つた稻《いね》の陰《かげ》に小《ちひ》さな白《しろ》い花《はな》が咲《さ》く。與吉《よきち》も他《た》の子供《こども》のするやうに小笊《こざる》を持《もつ》て出《で》た。鰌《どぜう》とは違《ちが》つて此《こ》れは彼《かれ》の手《て》にも僅《わづか》づゝは採《と》ることが出來《でき》た。少《すこ》しづゝ採《とつ》ては毎日《まいにち》のやうに蓄《たくは》へた。おつぎは茶《ちや》を沸《わか》す度《たび》にそれを灰《はひ》の中《なか》へ投《な》げ込《こ》んで燒《や》いてやる。火《ひ》を弄《いぢ》ることが危《あぶな》いので與吉《よきち》は獨《ひと》りで竈《かまど》へ手《て》をつけることは禁《きん》ぜられて居《ゐ》る。灰《はひ》の中《なか》へ入《い》れたばかりで與吉《よきち》は 「よう/\」といつておつぎに迫《せま》る。與吉《よきち》は燒《や》ける間《あひだ》が遲緩《もどか》しいのである。 「そんなに燒《や》けめえな、そんぢや※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、115-14]《ねえ》は構《かま》あねえぞ」とおつぎはゑぐを掻《か》き出《だ》して遣《や》る。與吉《よきち》は口《くち》へ入《い》れてもまだがり/\で且《かつ》苦《にが》いので吐《は》き出《だ》して畢《しま》ふ。 「そうら見《み》ろ、大《え》けえ姿《なり》していふこと聽《き》かねえから」おつぎは怒《おこ》つたやうな容子《ようす》をして見《み》せる。 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、116-2]《ねえ》よ、よう」と與吉《よきち》は又《また》強請《せが》む。其《そ》の時《とき》はもう皮《かは》に皴《しわ》が寄《よ》つて燒《や》けたゑぐが與吉《よきち》の手《て》に載《の》せられる。 「汝《われ》熱《あつ》えぞ」とおつぎがいへば與吉《よきち》は手《て》を引《ひ》いてゑぐは土間《どま》へ落《お》ちる。それを又《また》手《て》に載《の》せてやると與吉《よきち》はおつぎがするやうにふう/\と灰《はひ》を吹《ふ》く。與吉《よきち》は後《あと》も後《あと》もとおつぎにせがんで、勘次《かんじ》に呶鳴《どな》られては止《や》めるのである。  蓄《たくは》へられたゑぐが小笊《こざる》に一|杯《ぱい》に成《な》つた時《とき》おつぎは小笊《こざる》を手《て》に持《も》つて 「よきげ此《これ》煮《に》てやつぺか、砂糖《さたう》でも入《せえ》たら佳味《うま》かつぺな」獨語《ひとりごと》のやうにいつた。 「煮《に》てくろうよう」與吉《よきち》はそれを聞《き》いて又《また》せがんでおつぎへ飛《と》びついて、被《かぶ》つて居《ゐ》る手拭《てぬぐひ》を引《ひ》つ張《ぱ》つた。おつぎは 「おゝ痛《いて》えまあ」と顏《かほ》を蹙《しか》めて引《ひ》かれる儘《まゝ》に首《くび》を傾《かたぶ》けていつた。亂《みだ》れた髮《かみ》の三筋《みすぢ》四筋《よすぢ》が手拭《てぬぐひ》と共《とも》に強《つよ》く引《ひ》かれたのである。 「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》もの鹽《しほ》でゞも茹《ゆで》てやれ」勘次《かんじ》は俄《にはか》に呶鳴《どな》つた。 「砂糖《さたう》だなんて、默《だま》つてれば知《し》らねえでるもの、泣《な》かれたらどうすんだ、砂糖《さたう》だの醤油《しやうゆ》だのつてそんなことしたつ位《くれえ》なんぼ損《そん》だか知《し》れやしねえ、おとつゝあ等《ら》そんな錢《ぜね》なんざ一錢《ひやく》だつて持《も》つてねえから、鹽《しほ》だつて容易《ようい》なもんぢやねえや、そんな餘計《よけい》なもの何《なん》になるもんぢやねえ」勘次《かんじ》は反覆《くりかへ》して叱《しか》つた。與吉《よきち》はおつぎの陰《かげ》へ廻《まは》つて抱《だ》きついた。 「どうしたもんだんべまあ、ぢつき怒《おこ》んだから」おつぎは小言《こごと》を聞《き》いて呟《つぶや》いた。 「そんだつて、おとつゝあ等《ら》そんな處《とこ》ぢやねえから」勘次《かんじ》はがつかり聲《こゑ》を落《おと》していつた。さうして沈默《ちんもく》した。  おつぎもお品《しな》が死《し》んでから苦《くる》しい生活《せいくわつ》の間《あひだ》に二たび春《はる》を迎《むか》へた。おつぎは餘儀《よぎ》なくされつゝ生活《せいくわつ》の壓迫《あつぱく》に對《たい》する抵抗力《ていかうりよく》を促進《そくしん》した。餘所《よそ》の女《をんな》の子《こ》のやうに長閑《のどか》な春《はる》は知《し》られないでおつぎは生理上《せいりじやう》にも著《いちじ》るしい變化《へんくわ》を遂《と》げた。お品《しな》が死《し》んだ時《とき》はおつぎはまだ落葉《おちば》を燻《く》べるとては竹《たけ》の火箸《ひばし》の先《さき》を直《す》ぐに燃《も》やして畢《しま》ふ程《ほど》下手《へた》な子《こ》であつた。それが横《よこ》にも竪《たて》にも大《おほ》きくなつて、肌膚《はだ》もつやゝかに見《み》えて髮《かみ》も長《なが》くなつた。おつぎの家《いへ》の後《うしろ》の崖《がけ》のやうに成《な》つた處《ところ》からは村《むら》のものが能《よ》く黄色《きいろ》な粘土《ねんど》を採《と》つた。髮《かみ》が黏《ねば》るやうになるとおつぎは其《そ》の粘土《ねんど》をこすりつけて、肌《はだ》ぬぎになつた儘《まゝ》黄色《きいろ》く染《そ》まつた頭《あたま》を井戸《ゐど》の側《そば》で洗《あら》ふのである。さうして其《そ》のふつさりとした髮《かみ》は二|度《ど》梳《す》く處《ところ》は三|度《ど》梳《す》くやうに成《な》つた。おつぎは又《また》髮《かみ》へつける胡麻《ごま》の油《あぶら》を元結《もとゆひ》で縛《しば》つた小《ちひ》さな罎《びん》へ入《い》れて大事《だいじ》に藏《しま》つて置《お》くのである。短《みじか》い期間《きかん》ではあるが針《はり》持《も》つやうになつてからは赤《あか》い襷《たすき》も絎《く》けた。半纏《はんてん》も洗濯《せんたく》した。どうにか自分《じぶん》の手《て》で仕上《しあ》げた身丈《みたけ》に足《た》りる衣物《きもの》を着《き》ておつぎは俄《にはか》に大人《おとな》びたやうに成《な》つた。田《た》や畑《はたけ》に出《で》る時《とき》にはまだ糊《のり》のぬけない半纏《はんてん》へ赤《あか》い襷《たすき》を肩《かた》から掛《か》けて勘次《かんじ》の後《うしろ》に跟《つ》いて行《ゆ》く。おつぎは仕事《しごと》にかゝる時《とき》には其《そ》の半纏《はんてん》はとつて木《き》の枝《えだ》へ懸《か》ける。おつぎの姿《すがた》は漸《やうや》く村《むら》の注目《ちうもく》に値《あたひ》した。  春《はる》の野《の》を飾《かざ》つて黄色《きいろ》な布《ぬの》を掩《おほ》うたやうな菜《な》の花《はな》も、春《はる》らしい雨《あめ》がちら/\と降《ふ》つて霜《しも》に燒《や》けたやうな葉《は》が滅切《めつきり》と青《あを》みを加《くは》へて來《き》た頃《ころ》は其《その》開《ひら》いた葉《は》の心部《しんぶ》には只《たゞ》僅《わづか》な突起《とつき》を見出《みいだ》す。然《しか》しそこには蕾《つぼみ》が明《あきら》かに形《かたち》を成《な》して居《ゐ》るのである。空《そら》からは暖《あたゝ》かい日光《につくわう》が招《まね》いて土《つち》からは長《なが》い手《て》がずん/\とさし扛《あ》げては更《さら》に長《なが》くさし扛《あ》げるので其《そ》の派手《はで》な花《はな》が麥《むぎ》や小麥《こむぎ》の穗《ほ》にも沒却《ぼつきやく》されることなく廣《ひろ》い野《の》を占《し》めるのである。おつぎも其《そ》の心部《しんぶ》に見《み》える蕾《つぼみ》であつた。然《しか》し其《その》蕾《つぼみ》はさし扛《あ》げられないのみではなく壓《おさ》へる手《て》の強《つよ》い力《ちから》が加《くは》へられてある。勘次《かんじ》は寸時《すんじ》もおつぎを自分《じぶん》の側《そば》から放《はな》すまいとして居《ゐ》る。隨《したが》つて空《そら》の日光《につくわう》が招《まね》くやうに女《をんな》の心《こゝろ》を促《うなが》すべき村《むら》の青年《せいねん》との間《あひだ》にはおつぎは何《なん》の關係《くわんけい》も繋《つな》がれなかつた。おつぎが十七といふ年齡《とし》を聞《き》いて孰《いづ》れも今更《いまさら》のやうに其《そ》の注意《ちうい》を惹起《ひきおこ》したのである。冬《ふゆ》の季節《きせつ》に埃《ほこり》を捲《ま》いて來《く》る西風《にしかぜ》は先《ま》づ何處《どこ》よりもおつぎの家《いへ》の雨戸《あまど》を今日《けふ》も來《き》たぞと叩《たゝ》く。それは村《むら》の西端《せいたん》に在《あ》るからである。位置《ゐち》がさういふ逐《お》ひやられたやうな形《かたち》に成《な》つて居《ゐ》る上《うへ》に、生活《せいくわつ》の状態《じやうたい》から自然《しぜん》に或《ある》程度《ていど》までは注意《ちうい》の目《め》から逸《そ》れて日陰《ひかげ》に居《ゐ》ると等《ひと》しいものがあつたのである。勘次《かんじ》の監督《かんとく》の手《て》は蕾《つぼみ》の成長《せいちやう》を止《とゞ》める冷《ひやゝ》かな空氣《くうき》で、さうして之《これ》を覗《ねら》ふものを防遏《ばうあつ》する堅固《けんご》な牆壁《しやうへき》である。然《しか》し春《はる》の季節《きせつ》を地上《ちじやう》の草木《さうもく》が知《し》つた時、どれ程《ほど》白《しろ》く霜《しも》が結《むす》んでも草木《さうもく》の活力《くわつりよく》は動《うご》いて止《や》まぬ如《ごと》く、おつぎの心《こゝろ》は外部《ぐわいぶ》から加《くは》へる監督《かんとく》の手《て》を以《もつ》て奪《うば》ひ去《さ》ることは出來《でき》ない。  おつぎは勘次《かんじ》の後《あと》へ跟《つ》いて畑《はたけ》へ往來《わうらい》する途上《とじやう》で紺《こん》の仕事衣《しごとぎ》に身《み》を堅《かた》めた村《むら》の青年《せいねん》に逢《あ》ふ時《とき》には有繋《さすが》に心《こゝろ》は惹《ひ》かされた。肩《かた》にした鍬《くは》の柄《え》へおつぎは兩手《りやうて》を掛《か》けて居《ゐ》る。其《その》握《にぎ》つた手《て》に頬《ほゝ》を持《も》たせるやうにして、おつぎは幾《いく》らか首《くび》を傾《かたむ》けつゝ手拭《てぬぐひ》の下《した》から黒《くろ》い瞳《ひとみ》で青年《せいねん》を見《み》るのであつた。勘次《かんじ》は後《あと》から跟《つ》いて來《く》るおつぎの態度《たいど》まで知《し》ることは出來《でき》なかつた。おつぎは數次《しば/\》さうして村《むら》の青年《せいねん》を見《み》た。然《しか》し一|語《ご》も交換《かうくわん》する機會《きくわい》を有《も》たなかつた。おつぎはどうといふこともなく寧《むし》ろ殆《ほとん》ど無意識《むいしき》に行《ゆ》き交《か》ふ青年《せいねん》を見《み》るのであつたが、手拭《てぬぐひ》の下《した》に光《ひか》る暖《あたゝ》かい二《ふた》つの瞳《ひとみ》には情《じやう》を含《ふく》んで居《ゐ》ることが青年等《せいねんら》の目《め》にも微妙《びめう》に感應《かんおう》した。恁《か》うしておつぎもいつか口《くち》の端《は》に上《のば》つたのである。それでも到底《たうてい》青年《せいねん》がおつぎと相《あひ》接《せつ》するのは勘次《かんじ》の監督《かんとく》の下《もと》に白晝《はくちう》往來《わうらい》で一|瞥《べつ》して行《ゆ》き違《ちが》ふ其《その》瞬間《しゆんかん》に限《かぎ》られて居《ゐ》た。それ故《ゆゑ》一|般《ぱん》の子女《しぢよ》のやうではなくおつぎの心《こゝろ》にも男《をとこ》に對《たい》する恐怖《きようふ》の幕《まく》を無理《むり》に引拂《ひきはら》はれる機會《きくわい》が嘗《かつ》て一度《ひとたび》も與《あた》へられなかつた。おつぎは往來《わうらい》を行《ゆ》くとては手拭《てぬぐひ》の被《かぶ》りやうにも心《こゝろ》を配《くば》る只《たゞ》の女《をんな》である。それが家《いへ》に歸《かへ》れば直《たゞち》に苦《くる》しい所帶《しよたい》の人《ひと》に成《な》らねばならぬ。そこにおつぎの心《こゝろ》は別人《べつにん》の如《ごと》く異常《いじやう》に引《ひ》き緊《し》められるのであつた。  復《また》爽《さわや》かな初夏《しよか》が來《き》て百姓《ひやくしやう》は忙《せは》しくなつた。おつぎは死《し》んだお品《しな》が地機《ぢばた》に掛《か》けたのだといふ辨慶縞《べんけいじま》の單衣《ひとへ》を着《き》て出《で》るやうに成《な》つた。針《はり》を持《も》つやうに成《な》つた時《とき》おつぎは此《これ》も自分《じぶん》の手《て》で仕上《しあげ》たのであつた。夫《それ》は傍《そば》で見《み》て居《ゐ》ては危《あぶ》な相《さう》な手《て》もとで幾度《いくたび》か針《はり》の運《はこ》びやうを間違《まちが》つて解《と》いたこともあつたが、遂《しまひ》には身體《からだ》にしつくり合《あ》ふやうに成《な》つて居《ゐ》た。死《し》んだお品《しな》はおつぎが生《うま》れたばかりに直《すぐ》に竈《かまど》を別《べつ》にして、不見目《みじめ》な生計《くらし》をしたので當時《たうじ》は晴《はれ》の衣物《きもの》であつた其《そ》の單衣《ひとへ》に身《み》を包《つゝ》んで見《み》る機會《きくわい》もなく空《むな》しく藏《しま》つた儘《まゝ》になつて居《ゐ》たのである。それに其《そ》の頃《ころ》は紺《こん》が七日《なぬか》からも經《た》たねば沸《わか》ないやうな藍瓶《あゐがめ》で染《そめ》られたので、今《いま》の普通《ふつう》の反物《たんもの》のやうな水《みづ》で落《お》ちないかと思《おも》へば日《ひ》に褪《さ》めるといふのではなく、勘次《かんじ》がいつたやうに洗濯《せんたく》しても却《かへつ》て冴《さ》えるやうなので、それに地質《ぢしつ》もしつかりと丈夫《ぢやうぶ》なものであつた。おつぎが洗《あら》ひ曝《ざら》しの袷《あはせ》を棄《す》てゝ辨慶縞《べんけいじま》の單衣《ひとへ》で出《で》るやうに成《な》つてからは一際《ひときは》人《ひと》の注目《ちうもく》を惹《ひ》いた。例《れい》の赤《あか》い襷《たすき》が後《うしろ》で交叉《かうさ》して袖《そで》を短《みじか》く扱《こき》あげる。其《その》扱《こ》きあげられた肩《かた》は衣物《きもの》の皴《しわ》で少《すこ》し張《は》つて身體《からだ》を確乎《しつか》とさせて見《み》せる。現《あらは》れた腕《うで》には紺《こん》の手刺《てさし》が穿《うが》たれてある。漸《やうや》く暑《あつ》い日《ひ》を厭《いと》うておつぎは白《しろ》い菅笠《すげがさ》を戴《いたゞ》いた。白《しろ》い菅笠《すげがさ》は雨《あめ》に曝《さら》されゝばそれで破《やぶ》れて畢《しま》ふので、夏《なつ》のはじめには屹度《きつと》何處《どこ》でも新《あたら》しいのに換《かへ》られるのである。おつぎは勘次《かんじ》に引《ひ》かれて麥《むぎ》の畦間《うねま》を耕《たがや》した。鍬《くは》を入《い》れるのが手後《ておく》れになつた麥《むぎ》は穗《ほ》が白《しろ》く出《で》て居《ゐ》る。時々《とき/″\》立《た》つて鍬《くは》に附《つ》いた土《つち》を足《あし》の底《そこ》で扱《こ》きおろすおつぎの姿《すがた》がさや/\と微《かす》かな響《ひゞき》を立《た》てゝ動《うご》く白《しろ》い穗《ほ》の上《うへ》に見《み》える。餘所《よそ》を一寸《ちよつと》見《み》る度《たび》に大《おほ》きな菅笠《すげがさ》がぐるりと動《うご》く。菅笠《すげがさ》は日《ひ》を避《さ》けるのみではなく女《をんな》の爲《ため》には風情《ふぜい》ある飾《かざり》である。髮《かみ》には白《しろ》い手拭《てぬぐひ》を被《かぶ》つて笠《かさ》の竹骨《たけぼね》が其《そ》の髮《かみ》を抑《おさ》へる時《とき》に其處《そこ》には小《ちひ》さな比較的《ひかくてき》厚《あつ》い蒲團《ふとん》が置《お》かれてある。さういふ間隔《かんかく》を保《たも》つて菅笠《すげがさ》は前屈《まへかゞ》みに高《たか》く据《す》ゑられるのである。女等《をんなら》は皆《みな》少時《しばし》の休憩時間《きうけいじかん》にも汗《あせ》を拭《ぬぐ》ふには笠《かさ》をとつて地上《ちじやう》に置《お》く。一《ひと》つには紐《ひも》の汚《よご》れるのを厭《いと》うて屹度《きつと》倒《さかさ》にして裏《うら》を見《み》せるのである。さうして厚《あつ》い笠蒲團《かさぶとん》の赤《あか》い切《きれ》が丸《まる》く白《しろ》い笠《かさ》の中央《まんなか》に黒《くろ》い絎紐《くけひも》と調和《てうわ》を保《たも》つのである。おつぎの笠蒲團《かさぶとん》は赤《あか》や黄《き》や青《あを》の小《ちひ》さな切《きれ》を聚《あつ》めて縫《ぬ》つたのであつた。然《しか》しおつぎの帶《おび》だけは古《ふる》かつた。餘所《よそ》の女《をんな》の子《こ》は大抵《たいてい》は綺麗《きれい》な赤《あか》い帶《おび》を締《し》めて、ぐるりと※[#「塞」の「土」に代えて「衣」、第3水準1-91-84]《から》げた衣物《きもの》の裾《すそ》は帶《おび》の結《むす》び目《め》の下《した》へ入《い》れて只管《ひたすら》に後姿《うしろすがた》を氣《き》にするのである。一杯《いつぱい》に青《あを》く茂《しげ》つた桑畑《くはばたけ》抔《など》に白《しろ》い大《おほ》きな菅笠《すげがさ》と赤《あか》い帶《おび》との後姿《うしろすがた》が、殊《こと》には空《そら》から投《な》げる強《つよ》い日光《につくわう》に反映《はんえい》して其《そ》の赤《あか》い帶《おび》が燃《も》えるやうに見《み》えたり、菅笠《すげがさ》が更《さら》に大《おほ》きく白《しろ》く光《ひか》つたりする時《とき》には有繋《さすが》に人《ひと》の目《め》を惹《ひ》かねばならぬ。彼等《かれら》の姿《すがた》は斯《か》くして遠《とほ》く隔《へだ》てゝ見《み》るべきものであるが然《しか》しながら其《そ》の近《ちか》づいた時《とき》でも、跳《は》ねあげられた笠《かさ》の後《うしろ》には兩頬《りやうほほ》へ垂《た》れてさうして其《そ》の黒《くろ》い絎紐《くけひも》で締《し》められた手拭《てぬぐひ》の隙間《すきま》から少《すこ》し亂《みだ》れた髮《かみ》が覗《のぞ》いて居《ゐ》て其處《そこ》にも一|種《しゆ》の風情《ふぜい》が發見《はつけん》されねばならぬ。  雨《あめ》を含《ふく》んだ雲《くも》が時々《とき/″\》遮《さへぎ》るとはいへ、暑《あつ》い日《ひ》のもとに黄熟《くわうじゆく》した麥《むぎ》が刈《か》られた時《とき》畑《はたけ》はからりと成《な》つて境木《さかひぎ》に植《うゑ》られてある卯木《うつぎ》のびつしりと附《つ》いた白《しろ》い花《はな》が其處《そこ》にも此處《こゝ》にも目《め》に立《た》つて、俄《にはか》に濶々《ひろ/″\》としたことを感《かん》ずると共《とも》に支《さゝ》へるものが無《な》くなる丈《だけ》目《め》に入《い》る女《をんな》の姿《すがた》が殖《ふ》えるのである。彼等《かれら》は少時《しばし》の休憩《きうけい》にも必《かなら》ず刈《か》り倒《たふ》した麥《むぎ》を臀《しり》に敷《し》いて其《そ》の白《しろ》い卯木《うつぎ》の下《した》に僅《わづか》でも日《ひ》を避《さ》ける。  到底《たうてい》彼等《かれら》の白《しろ》い菅笠《すげがさ》と赤《あか》い帶《おび》とは廣《ひろ》い野《の》を飾《かざ》る大輪《たいりん》の花《はな》でなければならぬ。其《そ》の一《ひと》つの要件《えうけん》がおつぎには缺《か》けて居《ゐ》た。  暑《あつ》い氣候《きこう》は百姓《ひやくしやう》の凡《すべ》てを其《その》狹苦《せまくるし》い住居《すまゐ》から遠《とほ》く野《の》に誘《さそ》うて、相互《さうご》に其《その》青春《せいしゆん》のつやゝかな俤《おもかげ》に憧憬《あこがれ》しめるのに、さうして刺《とげ》の生《は》えた野茨《のばら》さへ白《しろ》い衣《ころも》を飾《かざ》つて快《こゝろ》よいひた/\と抱《だ》き合《あふ》ては互《たがひ》に首肯《うなづ》きながら竭《つ》きない思《おもひ》を私語《さゝや》いて居《ゐ》るのに、おつぎは嘗《かつ》て青年《せいねん》との間《あひだ》に一|語《ご》を交《まじ》へることさへ其《その》權能《けんのう》を抑《おさ》へられて居《ゐ》た。孰《いづ》れにしてもおつぎの心《こゝろ》には有繋《さすが》に微《かす》かな不足《ふそく》を感《かん》ずるのであつた。勘次《かんじ》は洗《あら》ひ曝《ざら》しの襦袢《じゆばん》を褌《ふんどし》一つの裸《はだか》へ引《ひ》つ掛《かけ》て、船頭《せんどう》が被《かぶ》るやうな藺草《ゐぐさ》の編笠《あみがさ》へ麻《あさ》の紐《ひも》を附《つ》けて居《ゐ》る。  勘次《かんじ》に導《みちび》かれておつぎは仕事《しごと》が著《いちじ》るしく上手《じやうず》になつた。おつぎが畑《はたけ》へ往來《わうらい》する時《とき》は村《むら》の女房等《にようばうら》は能《よ》くいつた。 「何《なん》ちう、おつかさまに似《に》て來《き》たこつたかな、歩《ある》きつきまでそつくりだ」 「雀斑《そばかす》がぽち/\してつ處《とこ》までなあ」お品《しな》には目《め》と鼻《はな》のあたりに雀斑《そばかす》が少《すこ》しあつたのである。おつぎにも其《そ》れがその儘《まゝ》で嫣然《にこり》とする時《とき》にはそれが却《かへつ》て科《しな》をつくらせた。 「勘次《かんじ》さん譯《わけ》のねえもんだな、まあだ此間《こねえだ》だと思《おも》つてたのにな、嫁《よめ》にやつてもえゝ位《くれえ》ぢやねえけえ、お品《しな》さんもおめえ此《この》位《くれえ》の時《とき》ぢやなかつたつけかよ」女房等《にようばうら》は又《また》揶揄半分《からかひはんぶん》に恁《か》ういふこともいつた。おつぎは勘次《かんじ》がさういはれる時《とき》何時《いつ》も赤《あか》い顏《かほ》をして餘所《よそ》を向《む》いて畢《しま》ふのである。勘次《かんじ》はお品《しな》のことをいはれる度《たび》に、おつぎの身體《からだ》をさう思《おも》つては熟々《つく/″\》と見《み》る度《たび》に、お品《しな》の記憶《きおく》が喚返《よびかへ》されて一|種《しゆ》の堪《た》へ難《がた》い刺戟《しげき》を感《かん》ぜざるを得《え》ない。それと同時《どうじ》に女房《にようばう》が欲《ほ》しいといふ切《せつ》ない念慮《ねんりよ》を湧《わ》かすのである。遠慮《ゑんりよ》の無《な》い女房等《にようばうら》にお品《しな》の噺《はなし》をされるのは徒《いたづ》らに哀愁《あいしう》を催《もよほ》すに過《す》ぎないのであるが、又《また》一|方《ぼう》には噺《はなし》をして見《み》て貰《もら》ひたいやうな心持《こゝろもち》もしてならぬことがあつた。 「勘次《かんじ》さんどうしたい、えゝ鹽梅《あんべえ》のが有《あ》んだが後《あと》持《も》つてもよかねえかえ」と彼《かれ》に女房《にようばう》を周旋《しうせん》しようといふ者《もの》はお品《しな》が死《し》んでから間《ま》もなく幾《いく》らもあつた。勘次《かんじ》は只《たゞ》お品《しな》にのみ焦《こが》れて居《ゐ》たのであるが、段々《だん/\》日數《ひかず》が經《た》つて不自由《ふじいう》を感《かん》ずると共《とも》に耳《みゝ》を聳《そばだ》てゝさういふ噺《はなし》を聞《き》くやうに成《な》つた。然《しか》し其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》噺《はなし》をして聞《き》かせる人々《ひと/″\》は勘次《かんじ》の酷《ひど》い貧乏《びんばふ》なのと、二人《ふたり》の子《こ》が有《あ》るのとで到底《たうてい》後妻《ごさい》は居《ゐ》つかれないといふ見越《みこし》が先《さき》に立《た》つて、心底《しんそこ》から周旋《しうせん》を仕《し》ようといふのではない。唯《たゞ》暇《ひま》を惜《を》しがる勘次《かんじ》が何處《どこ》へでも鍬《くは》や鎌《かま》を棄《す》てゝ釣込《つりこ》まれるので遂《つひ》惡戯《いたづら》にじらして見《み》るのである。殊《こと》におつぎが大《おほ》きくなればなる程《ほど》、其《そ》の働《はたら》きが目《め》に立《た》てば立《た》つ程《ほど》後妻《ごさい》には居憎《ゐにく》い處《ところ》だと人《ひと》は思《おも》つた。貧乏世帶《びんばふじよたい》へ後妻《ごさい》にでもならうといふものには實際《じつさい》碌《ろく》な者《もの》は無《な》いといふのが一|般《ぱん》の斷案《だんあん》であつた。他人《ひと》は只《たゞ》彼《かれ》の心《こゝろ》を苛立《いらだ》たせた。さうして彼《かれ》の尋常外《なみはず》れた態度《たいど》が、却《かへつ》て惡戯好《いたづらず》きの心《こゝろ》を挑發《てうはつ》するのみであつた。 「まゝよう、まゝようでえ、まゝあな、ら、ぬう」 勘次《かんじ》は小聲《こごゑ》で唄《うた》うて行《ゆ》くのがどうかすると人《ひと》の耳《みゝ》にも響《ひゞ》くやうに成《な》つた。  其《そ》の頃《ころ》は勘次《かんじ》の庭《には》の栗《くり》の梢《こずゑ》も、それへ繁殖《はんしよく》して残酷《ざんこく》に葉《は》を喰《く》ひ荒《あら》す栗毛蟲《くりけむし》のやうな毒々《どく/\》しい花《はな》が漸《やうや》く白《しろ》く成《な》つて、何處《どこ》の村落《むら》にもふつさりとした青葉《あをば》の梢《こずゑ》から栗《くり》の木《き》が比較的《ひかくてき》に多《おほ》いことを示《しめ》して其《そ》の白《しろ》い花《はな》が目《め》についた。村落《むら》を埋《うづ》めて居《ゐ》る梢《こずゑ》からふわ/\と蒸氣《ゆげ》が立《た》ち騰《あが》らうといふ形《かたち》に栗《くり》の花《はな》は一|杯《ぱい》である。空《そら》は降《ふ》らないながらに低《ひく》い雲《くも》が蟠《わだかま》つて、時々《とき/″\》目《め》に鮮《あざや》かで且《かつ》黒《くろ》ずんだ青葉《あをば》の上《うへ》にかつと黄色《きいろ》な明《あか》るい光《ひかり》を投《な》げる。何處《どこ》となく濕《しめ》つぽく頭《あたま》を抑《おさ》へるやうに重苦《おもくる》しい感《かん》じがする。  悉《こと/″\》く畑《はた》へ走《はし》つた村落《むら》の内《うち》には稀《まれ》にさういふ青葉《あをば》の間《あひだ》に鯉幟《こひのぼり》がばさ/\と飜《ひるがへ》つてはぐたりと成《な》つて、それが朝《あさ》から永《なが》い日《ひ》を一|日《にち》、さうして其《そ》の家族《かぞく》が日《ひ》は沒《ぼつ》したにしても何時《いつ》になくまだ明《あか》るい内《うち》に浴《ゆあ》みをして女《をんな》までが裂《さ》いた菖蒲《しやうぶ》を髮《かみ》に卷《ま》いて、忙《せは》しい日《ひ》と日《ひ》の間《あひだ》をそれでも晴衣《はれぎ》の姿《すがた》になる端午《たんご》の日《ひ》の來《く》るのを懶《ものう》げに待《ま》つて居《ゐ》る。さういふ青葉《あをば》の村落《むら》から村落《むら》を女《をんな》の飴屋《あめや》が太皷《たいこ》を叩《たゝ》いて歩《ある》いた。明屋《あきや》ばかりの村落《むら》を雨《あめ》が降《ふ》らねば女《をんな》は端《はし》から端《はし》と唄《うた》うて歩《ある》く。勘次《かんじ》が唄《うた》うたのは其《そ》の女《をんな》の唄《うた》である。女《をんな》は聲《こゑ》を高《たか》く唄《うた》うては又《また》聲《こゑ》を低《ひく》くして其《そ》の句《く》を反覆《はんぷく》する。其《そ》の唄《うた》ふ處《ところ》は毎日《まいにち》唯《たゞ》此《こ》の一|句《く》に限《かぎ》られて居《ゐ》た。女《をんな》は年増《としま》で一人《ひとり》の子《こ》を負《お》うて居《ゐ》る。鬼怒川《きぬがは》を徃復《わうふく》する高瀬船《たかせぶね》の船頭《せんどう》が被《かぶ》る編笠《あみがさ》を戴《いたゞ》いて、洗《あら》ひ曝《ざら》しの單衣《ひとへ》を裾《すそ》は左《ひだり》の小褄《こづま》をとつて帶《おび》へ挾《はさ》んだ丈《だけ》で、飴《あめ》は箱《はこ》へ入《い》れて肩《かた》から掛《か》けてある。暮《あつ》い日《ひ》は笠《かさ》の編目《あみめ》を透《とほ》して女《をんな》の顏《かほ》に細《ほそ》い強《つよ》い線《せん》を描《ゑが》く。女《をんな》の顏《かほ》は窶《やつ》れて居《ゐ》た。子《こ》は概《おほむ》ね眠《ねむ》つて居《ゐ》た。耳《みゝ》もとで鳴《な》る太皷《たいこ》の喧《やかま》しい音《おと》とお袋《ふくろ》の唄《うた》ふ聲《こゑ》とがいつとはなしに誘《さそ》つたのであつたかも知《し》れぬ。首《くび》は寧《むし》ろ倒《さかさま》に垂《た》れて額《ひたひ》がいつでも暑《あつ》い日《ひ》に照《て》られて汗《あせ》ばんで居《ゐ》た。百姓《ひやくしやう》は皆《みな》此《こ》の見窄《みすぼら》しい女《をんな》を顧《かへり》みなかつた。村落《むら》から村落《むら》へ野《の》を渡《わた》る時《とき》女《をんな》の姿《すがた》は人目《ひとめ》を惹《ひ》くべき要點《えうてん》が一つも備《そな》はつて居《ゐ》なかつた。然《しか》しいつの間《ま》にか人《ひと》が遠《とほ》くより見《み》るやうに成《な》つた。行《ゆ》き違《ちが》ふ女房等《にようばうら》は額《ひたひ》に照《て》ら[#「ら」に「ママ」の注記]れて眠《ねむ》つて居《ゐ》る子《こ》を見《み》て痛々敷《いた/\しい》と思《おも》ふのであつた。女《をんな》は唄《うた》はなくても太皷《たいこ》の音《ね》が村落《むら》の子《こ》を遠《とほ》くから誘《さそ》ふのに氣《き》の乘《の》らぬ唄《うた》ひやうをして只《たゞ》其《そ》の一|句《く》を反覆《くりかへす》のである。女《をんな》は背中《せなか》の子《こ》が眠《ねむ》つて居《ゐ》るのを悦《よろこ》んで其《そ》の子《こ》が什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》姿《なり》であるかは心付《こゝろづ》かない。只《たゞ》小《ちひ》さな銅貨《どうくわ》を持《も》つて走《はし》つて來《く》る村落《むら》の子《こ》を待《ま》ちつゝ誘《さそ》ひつゝ歩《ある》くのである。女《をんな》は何處《どこ》から出《で》てどう行《ゆ》くといふことも忙《せは》しく只《たゞ》田畑《たはた》に勞働《らうどう》して居《ゐ》る百姓《ひやくしやう》の間《あひだ》には知《し》られなかつた。毎日《まいにち》さうして歩《ある》いて居《ゐ》た女《をんな》が知《し》りたがり聞《き》きたがる女房等《にようばうら》の間《あひだ》に、各自《てんで》に口喧《くちやかま》しい陰占《かげうらなひ》を逞《たくま》しくされると間《ま》もなく、或《ある》日《ひ》村外《むらはず》れの青葉《あをば》の中《なか》へ太皷《たいこ》の音《おと》と唄《うた》の聲《こゑ》とが遠《とほ》く微《かす》かに沒《ぼつ》し去《さ》つた切《き》り、軈《やが》て梅雨《つゆ》が夥《おびたゞ》しく且《か》つ毒々《どく/\》しい其《そ》の栗《くり》の花《はな》の腐《くさ》るまではと降《ふ》り出《だ》したので其《そ》の女《をんな》の穢《きたな》げな窶《やつ》れた姿《すがた》は再《ふたゝ》び見《み》られなかつた。  勘次《かんじ》は耳《みゝ》の底《そこ》に響《ひゞ》いた其《そ》の句《く》を獨《ひと》り感《かん》に堪《た》へたやうに唄《うた》うては行《ゆ》くのである。彼《かれ》は自分《じぶん》の聲《こゑ》が高《たか》いと思《おも》つた時《とき》他人《ひと》に聞《き》かれることを恥《は》づるやうに突然《とつぜん》あたりを見《み》ることがあつた。曲《まが》り角《かど》でひよつと逢《あ》ふ時《とき》それが口輕《くちがる》な女房《にようばう》であれば二三|歩《ぽ》行《や》り過《すご》しては 「どうしたえ、勘次《かんじ》さん彼女《あれ》げ焦《こが》れたんぢやあんめえ、尤《もつと》も年頃《としごろ》は持《も》つゝけだから連《つれ》つ子《こ》の一人《ひとり》位《ぐれえ》は我慢《がまん》も出來《でき》らあな、そんだがあれつ切《き》り來《き》なくなつちやつて困《こま》つたな」と遠慮《ゑんりよ》もなく揶揄《からか》うては、少《すこ》し隔《へだ》たると態《わざ》と聲《こゑ》を立《た》てゝ其《そ》の句《く》を唄《うた》つたりする。さうすると勘次《かんじ》は家《うち》に歸《かへ》るまで一|句《く》も唄《うた》はない。然《しか》し彼《かれ》は暫《しばら》くそれを唄《うた》ふことを止《や》めなかつた。  彼《かれ》は只《たゞ》女房《にようばう》が欲《ほし》い/\とのみ思《おも》つた。          九  勘次《かんじ》は依然《いぜん》として苦《くる》しい生活《せいくわつ》の外《そと》に一|歩《ぽ》も遁《のが》れ去《さ》ることが出來《でき》ないで居《ゐ》る。お品《しな》が死《し》んだ時《とき》理由《わけ》をいうて借《か》りた小作米《こさくまい》の滯《とゞこほ》りもまだ一|粒《つぶ》も返《かへ》してない。大暑《たいしよ》の日《ひ》が井戸《ゐど》の水《みづ》まで減《へ》らして炒《い》りつける頃《ころ》はそれまでに幾度《いくたび》か勘次《かんじ》の※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、126-10]桶《こくをけ》は空《から》に成《な》るのである。彼《かれ》は一|般《ぱん》の百姓《ひやくしやう》がすることは仕《し》なくては成《な》らないので、殊《こと》には副食物《ふくしよくぶつ》として必要《ひつえう》なので茄子《なす》や南瓜《たうなす》や胡瓜《きうり》やさういふ物《もの》も一通《ひととほ》りは作《つく》つた。彼《かれ》は村外《むらはづ》れの櫟林《くぬぎばやし》の側《そば》に居《ゐ》たので自分《じぶん》の家《いへ》の近《ちか》くにはさういふ物《もの》を作《つく》る畑《はたけ》が一|枚《まい》もなかつた。それでも胡瓜《きうり》だけは垣根《かきね》の内側《うちがは》へ一|列《れつ》に植《う》ゑて後《うしろ》の林《はやし》に交《まじ》つた短《みじか》い竹《たけ》を伐《き》つて手《て》に立《た》てた。竹《たけ》の立《た》つてる林《はやし》は彼《かれ》の所有《しよいう》ではないけれど、彼《かれ》は恁《か》うして必要《ひつえう》の度《たび》毎《ごと》に強《し》ひては隱《かく》さない盜《ぬす》みを敢《あへ》てするのである。南瓜《たうなす》も庭《には》の隅《すみ》へ粟幹《あはがら》で圍《かこ》うた厠《かはや》の側《そば》へ植《う》ゑた。それから庭《には》の栗《くり》の木《き》へも絡《から》ませた。茄子《なす》だけは遠《とほ》い畑《はたけ》の麥《むぎ》の畦間《うねま》へ植《う》ゑた。彼《かれ》は甘藷《さつまいも》の外《ほか》には到底《たうてい》さういふ凡《すべ》ての苗《なへ》を仕立《した》てることが出來《でき》ないので、又《また》立派《りつぱ》な苗《なへ》を買《か》ひに行《ゆ》く丈《だけ》の餘裕《よゆう》もないので、容子《ようす》から見《み》れば近村《きんそん》ではあるが何處《どこ》とも確乎《しか》とは知《し》れない天秤商人《てんびんあきうど》からそれを求《もと》めた。天秤商人《てんびんあきうど》の持《も》つて來《く》るのは大抵《たいてい》屑《くづ》ばかりである。それでも勘次《かんじ》は廉《やす》いのを悦《よろこ》んだ。彼《かれ》は其《そ》の僅《わづか》な錢《ぜに》を幾度《いくたび》か勘定《かんぢやう》して渡《わた》した。  麥《むぎ》が刈《か》られて其《そ》の束《たば》が兩端《りやうはし》を切《き》つ殺《そ》いだ竹《たけ》の棒《ぼう》へ透《とほ》して畑《はたけ》の外《そと》へ擔《かつ》ぎ出《だ》された時《とき》、趾《あと》には陸稻《をかぼ》や大豆《だいづ》がひよろ/\と青《あを》ばんだ畑《はたけ》に勘次《かんじ》の茄子《なす》は短《みじか》い畝《うね》が五|畝《うね》ばかりになつて立《た》つて居《ゐ》た。下葉《したは》は黄色《きいろ》くなつて居《ゐ》たがそれでも麥《むぎ》が暫《しばら》く日《ひ》を掩《おほ》うたので皆《みな》根《ね》づいて生長《せいちやう》しかけて居《ゐ》た。假令《たとひ》痩《や》せさせないまでも肥《こや》して行《ゆ》くことをしない畑《はたけ》の土《つち》に茄子《なす》は干稻《ひね》びてそれで處々《ところ/″\》に一《ひと》つ宛《づゝ》花《はな》を持《も》つて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は朝《あさ》のまだ凉《すゞ》しい、葉《は》に濕《しめ》りのある間《あひだ》に竈《かまど》の灰《はひ》を持《も》つて行《い》つて其《そ》の葉《は》に掛《か》けて遣《や》る丈《だけ》の手數《てすう》は竭《つく》したのである。それで幾《いく》らでも活溌《くわつぱつ》に運動《うんどう》する瓜葉蟲《うりはむし》は防《ふせ》がれた。それは羽《はね》が赤《あか》いので赤蠅《あかばへ》と土地《とち》ではいつて居《ゐ》る。木《き》の灰《はひ》では油蟲《あぶらむし》の湧《わ》くのはどうも出來《でき》なかつた。それから又《また》根切蟲《ねきりむし》が残酷《ざんこく》に堅《かた》い莖《くき》を根《ね》もとからぷきりと噛《か》み倒《たふ》して植《うゑ》た數《かず》の減《へ》るにも拘《かゝは》らず、彼《かれ》は遠《とほ》く畑《はたけ》に出《で》て土《つち》に潜伏《せんぷく》して居《ゐ》る其《その》憎《にく》むべき害蟲《がいちう》を探《さが》し出《だ》して其《その》丈夫《ぢやうぶ》な體《からだ》をひしぎ潰《つぶ》して遣《や》る丈《だけ》の餘裕《よゆう》を身體《からだ》にも心《こゝろ》にも持《も》つて居《ゐ》ない。垣根《かきね》の胡瓜《きうり》は季節《きせつ》の南《みなみ》が吹《ふ》いて、朝《あさ》の靄《もや》がしつとりと乾《かわ》いた庭《には》の土《つち》を濕《しめ》しておりると何《なに》を僻《ひが》んでか葉《は》の陰《かげ》に下《さが》る瓜《うり》が、萎《しぼ》んだ花《はな》のとれぬうちに尻《しり》が曲《まが》つて忽《たちま》ちに蔓《つる》も葉《は》もがら/\に枯《かれ》て畢《しま》つたのであつた。只《たゞ》南瓜《たうなす》だけは其《そ》の特有《もちまへ》の大《おほ》きな葉《は》をずん/\と擴《ひろ》げて蔓《つる》の先《さき》が忽《たちま》ちに厠《かはや》の低《ひく》い廂《ひさし》から垂《た》れた。殊《こと》に栗《くり》の木《き》に絡《から》んだのは白晝《ひるま》の忘《わす》れる程《ほど》長《なが》い間《あひだ》雨戸《あまど》は閉《と》ぢた儘《まゝ》で、假令《たとひ》油蝉《あぶらぜみ》が炒《い》りつけるやうに其處《そこ》らの木《き》毎《ごと》にしがみ附《つ》いて聲《こゑ》を限《かぎ》りに鳴《な》いたにした處《ところ》で、凡《すべ》てが暑《あつ》さに疲《つか》れたやうで寧《むし》ろ極《きは》めて閑寂《かんじやく》な庭《には》を覗《のぞ》いては、葉《は》の陰《かげ》ながら段々《だん/\》に日《に》に燒《や》けつゝ太《ふと》りつゝ臀《しり》の臍《へそ》を剥《む》き出《だ》してどつしりと枝《えだ》から垂《た》れ下《さが》つた。それが僅《わづか》に庭《には》に威勢《ゐせい》をつけて居《ゐ》る。  一|般《ぱん》にさうではあるが殊《こと》に勘次《かんじ》の手《て》に作《つく》られた蔬菜《そさい》は凡《すべ》て其《そ》の成熟《せいじゆく》が後《おく》れた。それで其《そ》の蔬菜《そさい》が庖丁《はうちやう》にかゝる間《あひだ》は口《くち》にこそつぱい干菜《ほしな》や切干《きりぼし》やそれも缺乏《けつばう》を告《つ》げれば、此《こ》れでも彼等《かれら》の果敢《はか》ない貯蓄心《ちよちくしん》を最《もつと》も發揮《はつき》した菜《な》や大根《だいこん》の鹽辛《しほから》い漬物《つけもの》の桶《をけ》にのみ其《そ》の副食物《ふくしよくぶつ》を求《もと》めるのである。彼等《かれら》は勞働《らうどう》から來《く》る空腹《くうふく》を意識《いしき》する時《とき》は一寸《いつすん》も動《うご》くことの出來《でき》ない程《ほど》俄《にはか》に疲勞《ひらう》を感《かん》ずることさへある。什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》麁末《そまつ》な物《もの》でも彼等《かれら》の口《くち》には問題《もんだい》ではない。彼等《かれら》は味《あじは》ふのではなくて要《えう》するに咽喉《のど》の孔《あな》を埋《うづ》めるのである。冷水《れいすゐ》を注《そゝ》いで其《そ》のぼろ/\な麥飯《むぎめし》を掻《か》き込《こ》む時《とき》彼等《かれら》の一人《ひとり》でも咀嚼《そしやく》するものはない。彼等《かれら》は只《たゞ》多量《たりやう》に嚥下《えんげ》することによつて其《そ》の精力《せいりよく》を恢復《くわいふく》し滿足《まんぞく》するのである。牛《うし》や馬《うま》でも地上《ちじやう》に軟《やはら》かな草《くさ》の繁茂《はんも》する季節《きせつ》が來《く》れば自然《しぜん》に乾草《ほしぐさ》や藁《わら》を厭《いと》ふやうになる。それが貧《まづ》しい生活《せいくわつ》の人人《ひと/″\》のみは恁《か》うして甘《あま》んじて居《ゐ》ることを餘儀《よぎ》なくされつゝあるのである。  然《しか》し孰《いづ》れも發汗《はつかん》に伴《ともな》うて渇《かつ》した口《くち》に爽《さわや》かな蔬菜《そさい》の味《あぢ》を欲《ほつ》しないものはない。貧苦《ひんく》に惱《なや》んでさうして其《そ》の蔬菜《そさい》の缺乏《けつばふ》を感《かん》じて居《ゐ》るものは勘次《かんじ》のみではない。さういふ伴侶《なかま》の殊《こと》に女《をんな》は人目《ひとめ》の少《すくな》い黄昏《たそがれ》の小徑《こみち》につやゝかな青物《あをもの》を見《み》ると遂《つひ》した料簡《れうけん》からそれを拗切《ちぎ》つて前垂《まへだれ》に隱《かく》して來《く》ることがある。畑《はたけ》の作主《さくぬし》が其《その》損失《そんしつ》以外《いぐわい》にそれを惜《をし》む心《こゝろ》から蔭《かげ》で勢《いきほ》ひ激《はげ》しく怒《おこ》らうともそれは顧《かへり》みる暇《いとま》を有《も》たない。勘次《かんじ》の痩《や》せた茄子畑《なすばたけ》もさうして襲《おそ》はれた。其《そ》の莖《くき》を痛《いた》めても構《かま》はぬ拗切《ちぎ》りやうを見《み》て失望《しつばう》と憤懣《ふんまん》の情《じやう》とを自然《しぜん》に經驗《けいけん》せざるを得《え》なかつた。然《しか》しながら彼《かれ》はつく/″\と忌々敷《いま/\し》い其《その》心持《こゝろもち》に熟《じゆく》して居《ゐ》ながら自分《じぶん》も亦《また》他《た》の虚《きよ》に乘《じよう》ずることを敢《あへ》てするのであつた。一《ひと》つにはどうで他人《ひと》にも盜《と》られるのだからといふ自暴自棄《やけ》の理窟《りくつ》が心《こゝろ》のうちに捏造《ねつざう》されるのである。一《ひと》つには良心《りやうしん》の苛責《かしやく》を餘所《よそ》にしてさうして又《また》それが何處《どこ》までも發見《はつけん》せられないものであるならば他人《ひと》の物《もの》を盜《と》ることは口腹《こうふく》の慾《よく》を滿足《まんぞく》せしむるには容易《ようい》で且《かつ》輕便《けいべん》な手段《しゆだん》でなければならぬ筈《はず》である。恁《か》ういふ理由《わけ》で比較的《ひかくてき》餘裕《よゆう》のある百姓《ひやくしやう》よりも貧乏《びんばふ》な百姓《ひやくしやう》は十|分《ぶん》早《はや》く然《し》かも數次《しば/″\》其《そ》の新鮮《しんせん》な蔬菜《そさい》を味《あぢあ》ふのである。偶《たま/\》市場《しぢやう》に遠《とほ》く馬《うま》の脊《せ》で運《はこ》ぶ者《もの》は其《そ》の成熟《せいじゆく》の期《き》を早《はや》めたつやゝかな數《かず》が幾《いく》ら有《あ》つても自分《じぶん》の口《くち》には入《い》れない。少《すこ》しづゝでも他《ほか》の必要品《ひつえうひん》を求《もと》める爲《ため》に錢《ぜに》に換《か》へようとするのである。季節《きせつ》が熟《じゆく》さねば收穫《しうくわく》の多量《たりやう》を望《のぞ》むことが出來《でき》ないので、彼等《かれら》が食料《しよくれう》として畑《はたけ》へ手《て》をつけるのは凡《すべ》てが存分《ぞんぶん》の生育《せいいく》を遂《と》げた後《あと》でなければならぬ。其處《そこ》が相互《さうご》に盜《ぬす》むものをして乘《じよう》ぜしめる機會《きくわい》である。  與吉《よきち》は能《よ》く貧乏《びんばふ》な伴侶《なかま》の子《こ》が佳味相《うまさう》に青物《あをもの》を噛《かじ》つて居《ゐ》るのを見《み》ておつぎに強請《せが》むことがあつた。勘次《かんじ》の家《うち》ではどうかすると朝《あさ》に成《な》つて大《おほ》きな南瓜《たうなす》が土間《どま》に轉《ころ》がつて居《ゐ》ることがある。それで庭《には》の南瓜《たうなす》は一《ひと》つも減《へ》つて居《ゐ》ない。 「こらどうしたんでえおとつゝあ」與吉《よきち》は悦《よろこ》んで危《あぶ》な相《さう》に抱《だ》いては聞《き》く。 「弄《いぢ》んぢやねえ」勘次《かんじ》は只《たゞ》恐《おそ》ろしい目《め》をして叱《しか》るやうに抑《おさ》へる。勘次《かんじ》はまだ肌《はだ》の白《しろ》く且《かつ》薄赤味《うすあかみ》を帶《お》びた人形《にんぎやう》の手足《てあし》のやうな甘藷《さつまいも》を飯《めし》へ炊《た》き込《こ》むことがあつた。 「佳味《うめ》えな」とおつぎがいつた時《とき》 「〆粕《しめかす》で作《つく》つからよ」勘次《かんじ》はいつた。 「旦那《だんな》ぢや、〆粕《しめかす》許《ばか》り使《つか》あんだつぺか」おつぎは自分《じぶん》の知《し》らぬ不廉《ふれん》な肥料《ひれう》のことに就《つ》いて聞《き》いた。勘次《かんじ》は氣《き》がついて 「甘藷《さつま》喰《くつ》たなんていふんぢやねえぞ」與吉《よきち》を警《いまし》めた。勘次《かんじ》は彼《かれ》の大豆畑《だいづばたけ》の近《ちか》くに隣《となり》の主人《しゆじん》の甘藷畑《さつまばたけ》とそれから其《そ》の途中《とちう》に南瓜畑《たうなすばたけ》があつたので、他《た》の畑《はたけ》のものよりも自然《しぜん》にそれを盜《と》つた。少《すこ》しづつ盜《と》つた。南瓜《たうなす》は晝間《ひるま》見《み》て置《お》いて夜《よる》になるとそつと蔓《つる》を曳《ひ》いて所在《ありか》を探《さが》すのである。甘藷《さつまいも》は土《つち》を掻《か》つ掃《ぱ》いて探《さが》し掘《ぼ》りにするのは心《こゝろ》が忙《せは》し過《す》ぎるのでぐつと引《ひ》き拔《ぬ》く。彼《かれ》は日中《につちう》甘藷畑《さつまいもばたけ》の側《そば》を過《す》ぎては自分《じぶん》の荒《あら》した趾《あと》を見《み》て心《こゝろ》に酷《ひど》いとは思《おも》ふのであるがそれを埋《うめ》て置《お》くには心《こゝろ》が咎《とが》めた。恁《か》ういふ伴侶《なかま》は千菜荒《せんざいあら》しといふ名稱《めいしよう》の下《もと》に喚《よ》ばれた。  與吉《よきち》は獨《ひとり》で村《むら》を遊《あそ》んで歩《ある》いた。秋《あき》が深《ふ》けて甘藷《さつまいも》が蒸《む》されるやうに成《な》つた。與吉《よきち》は能《よ》くさういふ處《ところ》へ行《い》つては欲《ほ》し相《さう》な顏《かほ》をして默《だま》つて見《み》て居《ゐ》るので何處《どこ》でも熱《あつ》い甘藷《さつまいも》が與《あた》へられるのであつた。或《ある》時《とき》彼《かれ》は 「俺《お》らあ家《うち》で甘藷《さつま》くつたなんてゆはねえんだ」甘藷《さつまいも》を手《て》に持《も》つて怖《お》づ/\いつた。彼《かれ》は只《たゞ》嬉《うれ》しかつたのである。 「何故《なぜ》ゆはねえんだ」與《あた》へた人《ひと》は聞《き》いた。 「何故《なぜ》でもだ」 「そんぢやえゝ、其《その》甘藷《さつま》取《と》つ返《けえ》しつちまあから」と驚《おどろ》かされて 「そんでも俺家《おらぢ》のおとつゝあ甘藷《さつま》喰《く》つたなんてゆふんぢやねえぞつて云《ゆ》つたんだ」與吉《よきち》は媚《こ》びるやうな容子《ようす》でいつた。 「よきら家《へ》の甘藷《さつま》うめえか」 「旦那《だんな》のがはうめえつて云《ゆ》つたんだ」 「おとつゝあ云《ゆつ》たのか※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、131-15]《ねえ》云《ゆつ》たのか」 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、132-1]《ねえ》ぢやねえ、おとつゝあだ」 「おとつゝあは家《うち》で甘藷《さつま》くつて旦那《だんな》のがうめえつちつたのか」 「さうなんだわ」無心《むしん》な與吉《よきち》は誘《さそ》ひ出《だ》されるまゝにいつて畢《しま》つた。然《しか》し相互《さうご》に畑《はたけ》を荒《あら》しては、痩《や》せた骨身《ほねみ》を噛《かじ》り合《あ》うて居《ゐ》るやうな彼等《かれら》の間《あひだ》にこんなことが無《な》ければ殊更《ことさら》に勘次《かんじ》ばかりが注目《ちうもく》されるのではなかつたのである。          一〇  秋《あき》も朝《あさ》は冷《ひやゝ》かに成《な》つた。稻《いね》の穗《ほ》は北《きた》が吹《ふ》けば南《みなみ》へ向《む》いたり、南《みなみ》が吹《ふ》けば北《きた》へ向《む》いたりして其《そ》の重相《おもさう》な首《くび》を止《や》まず動《うご》かしてはさら/\と寂《さび》しく笑《わら》ひはじめた。強《つよ》い秋《あき》の雨《あめ》が一|夜《や》ざあ/\と降《ふ》つた。次《つぎ》の日《ひ》には空《そら》は些《いさゝか》の微粒物《びりふぶつ》も止《とゞ》めないといつたやうに凄《すご》い程《ほど》晴《は》れて、山《やま》も滅切《めつき》り近《ちか》く成《な》つて居《ゐ》た。しつとりと落付《おちつ》いた空氣《くうき》を透《とほ》して、日光《につくわう》が妙《めう》に肌膚《はだ》へ揉《も》み込《こ》むやうに暖《あたゝ》かで且《か》つ暑《あつ》かつた。春《はる》のやうな日《ひ》に騙《だま》されて雲雀《ひばり》は、そつけない三|稜形《りようけい》の種《たね》が膨《ふく》れつゝまだ一|杯《ぱい》に白《しろ》い蕎麥畑《そばばたけ》やそれから陸稻畑《をかぼばたけ》の上《うへ》に囀《さへづ》つた。それでも幾《いく》らか羽《はね》の運動《うんどう》が鈍《にぶ》く成《な》つて居《ゐ》るのか春《はる》のやうではなく低《ひく》く徘徊《さまよ》うて皺嗄《しやが》れた喉《のど》を鳴《な》らして居《ゐ》る。周圍《しうゐ》の臺地《だいち》からは土瓶《どびん》の蓋《ふた》をとつて釣瓶《つるべ》をごつと傾《かたむ》けたやうに雨水《あまみづ》が一|杯《ぱい》に田《た》に聚《あつま》つて稻《いね》の穗首《ほくび》が少《すこ》し浸《ひた》つた。田圃《たんぼ》も堀《ほり》も一《ひと》つに成《な》つた水《みづ》は土瓶《どびん》の口《くち》から吐《は》き出《だ》すやうに徐《おもむろ》に低《ひく》い田《た》へと落《おち》る。村落《むら》の子供等《こどもら》は「三|平《ぺい》ぴいつく/\」と雲雀《ひばり》の鳴聲《なきごゑ》を眞似《まね》しながら、小笊《こざる》を持《も》つたり叉手《さで》を持《も》つたりしてぢやぶ/\と快《こゝろ》よい田圃《たんぼ》の水《みづ》を渉《わた》つて歩《ある》いた。其處《そこ》には又《また》此《こ》れも春《はる》のやうな日《ひ》に騙《だま》されて、疾《とう》から鳴《な》かなく成《な》つて居《ゐ》た蛙《かへる》がふわりと浮《う》いてはこそつぱい稻《いね》の穗《ほ》に捉《つかま》りながらげら/\と鳴《な》いた。一|杯《ぱい》に塞《ふさ》がつて居《ゐ》る稻《いね》の穗《ほ》の下《した》をそろ/\と偃《は》ひながら水《みづ》が低《ひく》く成《な》つた時《とき》秋《あき》の日《ひ》は落《お》ち掛《か》けた。さうして什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》時《とき》でも其《そ》の本能《ほんのう》を衝動《そゝ》る機會《きくわい》があれば鳴《な》くのだといつて待《ま》つて居《ゐ》る其《そ》の蛙《かへる》もひつそりとした。大雨《おほあめ》の後《あと》の畑《はたけ》へは百姓《ひやくしやう》は大抵《たいてい》控《ひか》へ目《め》にして出《で》なかつた。  勘次《かんじ》は黄昏《たそがれ》近《ちか》くなつてから獨《ひとり》で草刈籠《くさかりかご》を背負《せお》つて出《で》た。彼《かれ》は何時《いつ》もの道《みち》へは出《で》ないで後《うしろ》の田圃《たんぼ》から林《はやし》へ、それから遠《とほ》く迂廻《うくわい》して畑地《はたち》へ出《で》た。日《ひ》はまだほんのりと明《あか》るかつたので勘次《かんじ》はそつちこつちと空《から》な草刈籠《くさかりかご》を背負《せお》つた儘《まゝ》歩《ある》いた。彼《かれ》は其《そ》れでも良心《りやうしん》の苛責《かしやく》に對《たい》して編笠《あみがさ》で其《そ》の顏《かほ》を隔《へだ》てた。日《ひ》がとつぷりと暮《く》れた時《とき》彼《かれ》は道端《みちばた》へ草刈籠《くさかりかご》を卸《おろ》した。其處《そこ》には畑《はたけ》の周圍《まはり》に一畝《ひとうね》づつに作《つく》つた蜀黍《もろこし》が丈《たけ》高《たか》く突《つ》つ立《た》つて居《ゐ》る。草刈籠《くさかりかご》がすつと地上《ちじやう》にこける時《とき》蜀黍《もろこし》の大《おほき》な葉《は》へ觸《ふ》れてがさりと鳴《な》つた。更《さら》に其《その》葉《は》は何處《どこ》にも感《かん》じない微風《びふう》に動搖《どうえう》して自分《じぶん》のみが怖《おぢ》たやうに騷《さわ》いで居《ゐ》る。穗《ほ》は何《なに》を騷《さわ》ぐのかと訝《いぶか》るやうに少《すこ》し俯目《ふしめ》に見《み》おろして居《ゐ》る。勘次《かんじ》は菜切庖丁《なきりばうちやう》を取出《とりだ》して、其《その》高《たか》い蜀黍《もろこし》の幹《みき》をぐつと曲《まげ》ては穗首《ほくび》に近《ちか》く斜《なゝめ》に伐《き》つた。穗《ほ》は勘次《かんじ》の手《て》に止《とま》つて幹《みき》は急《きふ》に跳《は》ね返《かへ》つた。さうして戰慄《せんりつ》した。勘次《かんじ》は重《おも》く成《な》つた草刈籠《くさかりかご》を背負《せお》つて今度《こんど》は野《の》らの道《みち》を一散《いつさん》に自分《じぶん》の家《うち》へ歸《かへ》つた。次《つぎ》の朝《あさ》勘次《かんじ》は軒端《のきばた》へ横《よこ》に竹《たけ》を渡《わた》して、ゆつさりとする其《そ》の穗《ほ》を縛《しば》つて打《ぶ》つ違《ちが》ひに掛《か》けた。南《みなみ》へ低《ひく》くなつた日《ひ》が其《そ》れを覗《のぞ》くやうに射《さ》し掛《か》けた。  其《そ》の日《ひ》は孰《いづ》れもいひ合《あは》せたやうに畑《はたけ》へ出《で》た。一|日《にち》照《て》つたので畑《はたけ》は大抵《たいてい》ぱさ/\に乾《かわ》いて居《ゐ》る。蜀黍《もろこし》の穗《ほ》を伐《き》りに出《で》た村《むら》の一人《ひとり》は自分《じぶん》の畑《はたけ》がぞつくりと荒《あら》されて居《ゐ》るのを發見《はつけん》して驚《おどろ》いた。彼《かれ》は畑《はたけ》へ來《き》たなり穗《ほ》は一|本《ぽん》も伐《き》らないで其《そ》の儘《まゝ》駐在所《ちうざいしよ》へ驅《か》けつけた。巡査《じゆんさ》はそれでも直《す》ぐに官服《くわんぷく》を着《き》て被害者《ひがいしや》と一|緒《しよ》に現場《げんぢやう》へ來《き》て見《み》て伐《き》られた穗《ほ》の數《かず》を改《あらた》めて手帖《ててふ》へ止《と》めた。被害者《ひがいしや》が駐在所《ちうざいしよ》へ驅《か》けつける間《ま》に、畑《はたけ》の遠《とほ》くに離《はな》れ/″\に散《ち》らばつて居《ゐ》る百姓等《ひやくしやうら》は悉《ことごと》く其《そ》れを知《し》つた。被害者《ひがいしや》は途次《みちみち》大聲《おほごゑ》を出《だ》して呶鳴《どな》つて行《い》つたからである。なんでも昨夜《さくや》遲《おそ》く野《の》らから歸《かへ》るものが有《あ》つたといふがそれぢや其《そ》れに相違《さうゐ》ないだらうといふことが傳《つた》へられた。勘次《かんじ》も畑《はたけ》へ出《で》て居《ゐ》て騷《さわ》ぎに成《な》りはじめたのを知《し》つた。彼《かれ》は直《すぐ》に飛《と》んで歸《かへ》つて悉《ことごと》く蜀黍《もろこし》の穗《ほ》を外《はづ》して、そつと近《ちか》くの林《はやし》へ隱《かく》して筵《むしろ》を二|枚《まい》ばかり掩《おほ》うた。 「癖《くせ》になつから、みつしら懲《こ》りらかした方《はう》がえゝ、俺方《おらはう》は畑《はたけ》が五月蠅《うるさ》くつて本當《ほんたう》に仕《し》やうねえ」 「見《み》せしめに行《や》つ時《とき》にや、こつぴどく行《や》んなくつちやえかねえよ」 「村落《むら》の内《うち》ようく見《み》せえすりや直《すぐ》に分《わか》らな、蜀黍《もろこし》なんぞ何處《どこ》へ隱《かく》せるもんぢやねえ」 抔《など》と近《ちか》い畑同士《はたけどうし》は呶鳴《どな》り合《あ》つた。其《そ》の聲《こゑ》は被害者《ひがいしや》の耳《みゝ》にも這入《はひ》つてむか/\と激《げき》した其《そ》の心《こゝろ》に勢《いきほ》ひを附《つ》けた。 「數《かず》が分《わか》つたらもう後《あと》へ手《て》を附《つ》けてもえゝ」巡査《じゆんさ》は畑《はたけ》を去《さ》つた。 「わしも行《い》つて見《み》あんせう、自分《じぶん》の畑《はたけ》のがは一目《ひとめ》見《み》りや分《わか》りあんすから」恁《か》ういつて被害者《ひがいしや》は蜀黍《もろこし》の穗《ほ》を二三|本《ぼん》持《も》つて村落《むら》へ戻《もど》つた。巡査《じゆんさ》は其處《そこ》ら此處《ここ》らと二三|軒《げん》見《み》て歩《ある》いて勘次《かんじ》の庭《には》へ立《た》つた。それは勘次《かんじ》は二三の者《もの》と共《とも》に巡査《じゆんさ》の注意人物《ちういじんぶつ》であつたからである。然《しか》し彼《かれ》の貧《まづ》しい建物《たてもの》の何處《どこ》にも隱匿《いんとく》される餘地《よち》を發見《はつけん》することが出來《でき》なかつた。其《そ》の時《とき》は勘次《かんじ》が餘所《よそ》へ運《はこ》んだ後《あと》なのである。巡査《じゆんさ》は檐《のき》に渡《わた》した竹《たけ》の棒《ぼう》を見《み》て 「此《こ》りやどうするんだい」と聞《き》いた。被害者《ひがいしや》は先刻《さつき》から雨垂《あまだれ》の水《みづ》で土《つち》の窪《くぼ》んだあたりを見《み》て居《ゐ》たが 「はてな」と首《くび》を傾《かたぶ》けて 「蜀黍粒《もろこしつぶ》落《おつこ》つてあんすぞ、さうすつと此處《ここ》へ引《ひ》つ懸《か》けたの又《また》何處《どこ》へか持《も》つてつちやつたな」被害者《ひがいしや》はいつた。巡査《じゆんさ》は首肯《うなづ》いた。 「此《こ》の粒《つぶ》でがすから、わしがに相違《さうゐ》ありあんせん、彼等《あつら》がな此《こ》んなに出來《でき》つこねえんですから、それ證據《しようこ》にや屹度《きつと》自分《じぶん》の畑《はたけ》のがな一《ひと》つ穗《ぽ》でも伐《と》つちやねえから見《み》さつせ、わしが此《こ》んでも〆粕《しめかす》入《せ》えて作《つく》つたんでがすから」被害者《ひがいしや》は熱心《ねつしん》にいつた。勘次《かんじ》は其《その》時《とき》不安《ふあん》な態度《たいど》でぽつさりと自分《じぶん》の庭《には》に立《た》つた。彼《かれ》は既《すで》に巡査《じゆんさ》の檐下《のきした》に立《た》つてるのを見《み》て悚然《ぞつ》とした。 「勘次《かんじ》、此《こ》の竹《たけ》はどうしたんだな」巡査《じゆんさ》は横目《よこめ》に勘次《かんじ》を見《み》ていつた。 「わし此《こ》らあ、蜀黍《もろこし》伐《き》つて引《ひ》つ懸《か》けべと思《おも》つたんでがす」 「うむ、此《こ》の粒《つぶ》の零《こぼ》れたのはどうしたんだ、蜀黍《もろこし》なんだらう此《こ》れは」 「へえ、なに、わしが一攫《ひとつか》み引《ひ》つ扱《こ》いて來《き》て見《み》たの打棄《うつちや》つたんでがした」勘次《かんじ》は恁《か》ういつて蒼《あを》く成《な》つた。巡査《じゆんさ》は更《さら》に被害者《ひがいしや》に勘次《かんじ》の畑《はたけ》を案内《あんない》させた。悄然《せうぜん》として後《あと》に跟《つ》いて來《く》る勘次《かんじ》を要《えう》はないからと巡査《じゆんさ》は邪慳《じやけん》に叱《しか》つて逐《お》ひやつた。勘次《かんじ》の畑《はたけ》の蜀黍《もろこし》は被害者《ひがいしや》がいつたやうに、情《なさけ》ないやうな見窄《みすぼ》らしい穗《ほ》がさらりと立《た》つてそれでも其《そ》の恐怖心《きようふしん》に驅《か》られたといふやうに特有《もちまへ》な一|種《しゆ》の騷《さわ》がしい響《ひゞき》を立《た》てつゝあつた。穗《ほ》は一《ひと》つも伐《き》つてはなかつた。 「此《こ》れだからわし云《い》つたんでがす、ねえそれ、此《こ》の粒《つぶ》でがすかんね」被害者《ひがいしや》は威勢《ゐせい》が出《で》た。 「稻《いね》つ束《たば》擔《かつ》ぐんだつて、わし等《ら》口《くち》へ出《だ》しちや云《ゆ》はねえが、ちやんと知《し》つてんでがすから、さう云《い》つちや何《なん》だが其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》ことするもなあ、極《きま》つたやうなもんですかんね」被害者《ひがいしや》は更《さら》に手柄《てがら》でもしたやうにいつた。 「もう解《わか》つたから、それぢや自分《じぶん》の仕事《しごと》をするがいい、後《のち》にわしが申報書《しんぱうしよ》を拵《こしら》へて來《き》て遣《や》るから、それへ印形《いんぎやう》を捺《お》せばそれで手續《てつゞき》は濟《す》むんだからな」巡査《じゆんさ》はさういつてさうして被害者《ひがいしや》が 「そんぢや、わし蜀黍《もろこし》隱《かく》して置《お》く處《とこ》見出《めつけ》あんすから、屹度《きつと》有《あ》んに極《きま》つてんだから」といふ聲《こゑ》を後《あと》にして畑《はたけ》の小徑《こみち》をうねりつゝ行《い》つた。 「今度《こんだ》こさあ、捕縛《つかま》つちや一杯《いつぺえ》に引《ひ》つ喰《く》らあんだんべ」畑同士《はたけどうし》は痛快《つうくわい》に感《かん》じつゝ口々《くち/″\》に恁《か》ういふことをいつた。 「おつう俺《お》らとつても今度《こんだあ》駄目《だめ》だよ」勘次《かんじ》は果敢《はか》ない自分《じぶん》の心持《こゝろもち》を唯《ゆゐ》一の家族《かぞく》であるおつぎの身體《からだ》へ投《な》げ掛《か》けるやうに萎《しを》れ切《き》つていつた。勘次《かんじ》は衷心《ちうしん》から恐怖《きようふ》したのである。其《そ》れ程《ほど》ならば何故《なぜ》彼《かれ》は蜀黍《もろこし》の穗《ほ》を伐《き》ることを敢《あへ》てしたのであつたらうか。彼《かれ》は此《こ》れまでも畑《はたけ》の物《もの》を盜《と》つたのは一|度《ど》や二|度《ど》ではない。其《そ》れは些少《させう》であつたが彼《かれ》は盜《と》りたくなつた時《とき》機會《きくわい》さへあれば何時《いつ》でも盜《と》りつゝあつたのである。彼《かれ》は身《み》を殺《ころ》さうとまで其《そ》の薄弱《はくじやく》な意思《いし》が少《すこ》しのことにも彼《かれ》を苦《くる》しめる時《とき》、彼《かれ》を衝動《そそ》つて盜性《たうせい》がむか/\と首《くび》を擡《もた》げつゝあつたのである。勘次《かんじ》はもう仕事《しごと》をする處《どころ》ではない。彼《かれ》は到底《たうてい》寸時《すんじ》も其《そ》の家《いへ》に堪《た》へられなく成《な》つて、隣《となり》の彼《かれ》の主人《しゆじん》に縋《すが》らうとした。其《そ》の閾《しきゐ》を越《こ》すことが彼《かれ》にはどれ程《ほど》辛《つら》かつたか知《し》れぬ。主人《しゆじん》は不在《ふざい》であつた。 「お内儀《かみ》さん、わしも又《また》間違《まちがえ》しあんしてどうも此《こ》れお内儀《かみ》さん處《とこ》へは閾《しきゐ》が高《たか》くつて何《なん》でがすが、わし居《ゐ》なくでも成《な》つちや子奴等《こめら》仕《し》やうがあせんから、助《たす》かれるもんならわしもはあ……」と彼《かれ》はぐつたり首《くび》を俛《た》れた。  主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんは勘次《かんじ》が蜀黍《もろこし》を伐《き》つたことはもう知《し》つて居《ゐ》た。まだ癖《くせ》が止《や》まないかと一|度《ど》は腹《はら》を立《たて》ても見《み》たり惘《あき》れもしたりしたが、然《しか》し何處《どこ》といつて庇護《かば》つてくれるものが無《な》いので恁《か》うして來《く》るのだと、目前《もくぜん》に其《その》萎《しを》れた姿《すがた》を見《み》ると有繋《さすが》に憐《あはれ》に成《な》つて叱《しか》る處《どころ》ではなかつた。それではどうか心配《しんぱい》して見《み》てやらうといはれて勘次《かんじ》は顏《かほ》が蘇生《いきかへ》つたやうに成《な》つた。彼《かれ》は何《なん》でも主人《しゆじん》が盡力《じんりよく》して呉《く》れゝば成就《じやうじゆ》すると思《おも》つて居《ゐ》るのである。それでも自分《じぶん》の家《いへ》には居《を》られないので、どうか隱《かく》してくれと彼《かれ》は土藏《どざう》へ入《い》れて貰《もら》つた。勘次《かんじ》は其處《そこ》でも不安《ふあん》に堪《た》へないので其處《そこ》に暫《しばら》く使《つか》はずに藏《しま》つてある四|尺桶《しやくをけ》へこつそりと潜《もぐ》つて居《ゐ》た。  巡査《じゆんさ》は午後《ごご》に申報書《しんぱうしよ》の印《いん》を取《と》りに來《き》て勘次《かんじ》の家《いへ》へ行《い》つて見《み》た。勘次《かんじ》は何處《どこ》へ行《い》つたと巡査《じゆんさ》に聞《き》かれておつぎは只《たゞ》知《し》らないといつた。さうして巡査《じゆんさ》の後姿《うしろすがた》が垣根《かきね》を出《で》た時《とき》竊《ひそか》に泣《な》いた。  被害者《ひがいしや》は到頭《たう/\》隱匿《いんとく》した箇處《かしよ》を發見《はつけん》して巡査《じゆんさ》を導《みちび》いた。雜木林《ざふきばやし》の繁茂《はんも》した間《あひだ》の、もう硬《こは》く成《な》つた草《くさ》の中《なか》へ蜀黍《もろこし》の穗《ほ》は縛《しば》つた儘《まゝ》どさりと置《お》いてあつたのである。其處《そこ》にはもうそつけなくなつた女郎花《をみなへし》の莖《くき》がけろりと立《た》つて、枝《えだ》まで折《を》られた栗《くり》が低《ひく》いながらに梢《こずゑ》の方《はう》にだけは僅《わづか》に笑《ゑ》んで居《ゐ》る。其《そ》の小《ちひ》さな芝栗《しばぐり》が偶然《ひよつくり》落《お》ちてさへ驚《おどろ》いて騷《さわ》ぐだらうと思《おも》ふやうに薄弱《はくじやく》な蟋蟀《こほろぎ》がそつちこつちで微《かす》かに鳴《な》いて居《ゐ》る。一寸《ちよつと》他人《ひと》の目《め》には觸《ふ》れぬ場所《ばしよ》であつた。穗《ほ》を掩《おほ》うた其《そ》の筵《むしろ》が勘次《かんじ》の所業《しわざ》であることを的確《てきかく》に證據立《しようこだ》てゝ居《ゐ》た。  主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんは一|應《おう》被害者《ひがいしや》へ噺《はなし》をつけて見《み》た。被害者《ひがいしや》の家族《かぞく》は律義者《りちぎもの》で皆《みな》激《げき》し切《き》つて居《ゐ》る。七十ばかりに成《な》る被害者《ひがいしや》の老人《ぢいさん》が殊《こと》に頑固《ぐわんこ》に主張《しゆちやう》した。 「泥棒《どろぼう》なんぞする奴《やざ》あ、わし大嫌《だえきれえ》でがすから、わし等《ら》畑《はたけ》の茄子《なす》引《ひ》ん※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《もぎ》つたんだつてちやんと知《し》つちや居《ゐ》んでがすから、いや全《まつた》くでがす、お内儀《かみ》さん處《とこ》の甘藷《さつま》も盜《と》りあんしたとも、ぐうづら蔓《つる》引《ひ》つこ拔《ぬ》いて打棄《うつちや》つて、いや本當《ほんたう》でがす、わしや嘘《ちく》なんざあいふな嫌《きれえ》でがすから、其《そ》れ處《どこ》ぢやがあせんお内儀《かみ》さん、夜《よる》伐《き》つて來《き》て、朝《あさ》つぱらに成《な》つたらはあ引《ひ》つ懸《か》けたに相違《さうゐ》ねえつちんでがすから、なにわしも筵《むしろ》打《ぶ》つ掛《か》けた處《ところ》見《み》あんした、筵《むしろ》で分《わか》るから駄目《だめ》でがす、いや全《まつた》く酷《ひで》え野郎《やらう》でがすどうも」内儀《かみ》さんは其《そ》れは豫期《よき》して居《ゐ》た。 「そりやさうさね、此《こ》の前《まへ》も私《わたし》の處《ところ》で救《すく》つて遣《や》つたのにそれに復《ま》たかうなんだから、まあ病氣《びやうき》さね此《これ》も、困《こま》つたもんだが然《しか》しあれを懲役《ちやうえき》に遣《や》つて見《み》た處《ところ》で子供等《こどもら》が泣《な》くばかりだからね、それにまあ本當《ほんたう》いへば一《ひと》つ村落《むら》に斯《か》うして居《ゐ》るんだから先《さき》が困《こま》り切《き》つてる内《うち》に勘辨《かんべん》して遣《や》つたと成《な》ると一|生《しやう》先《さき》は身《み》がひけて居《ゐ》る道理《だうり》だがそれが一|杯《ぱい》の罪《つみ》にでも落《おと》して見《み》ると、先《さき》では帳消《ちやうけ》しにでも成《な》つたやうな積《つもり》で居《ゐ》まいものでもなし、さうすると敵《かたき》一人《ひとり》拵《こしら》へて置《お》くやうなものだしね、他人《ひと》に叩《たゝ》かれたのでは眠《ねむ》れるが、叩《たゝ》いたのでは眠《ねむ》れないとさへいふんだから、何《なん》でも後腹《あとばら》の病《や》めない方《はう》が善《い》いやうだがどうだね」 「そんでもお内儀《かみ》さん、わしや卯平《うへい》ことみじめ見《み》せてんのが他人《ひと》のこつても忌々敷《いめえましい》んでさ、わしや血氣《けつき》の頃《ころ》から卯平《うへい》たあ棒組《ぼうぐみ》で仕事《しごと》もしたんでがすが、卯平《うへい》はあんでもあれが嚊等《かゝあら》育《そだ》つ時分《じぶん》の事《こと》なんぞ思《おも》つちや疎末《そまつ》にや成《な》んねえんでがすかんね、それお内儀《かみ》さん卯平《うへい》は幾《いく》つに成《な》りあんすね、わし等《ら》だらなあに、あゝた野郎《やらう》なんざあ槍《やり》でゝも何《なん》でも突《つ》つ刺《ぷ》しつちあんでがすがね」老人《ぢいさん》は憤慨《ふんがい》に堪《た》へぬやうに固《かた》めた拳《こぶし》を膝《ひざ》がしらへ當《あ》てゝいつた。 「尤《もつと》もさねそりや、それだが腹《はら》の立《た》つ時分《じぶん》は憎《にく》い奴《やつ》だと思《おも》つても後悔《こうくわい》する時《とき》が無《な》いともい[#「い」に「ママ」の注記]ひないしね、少《すこ》しのことで二|代《だい》も三|代《だい》も仲直《なかなほ》りが出來《でき》ないやうな實例《ためし》が幾《いく》らも世間《せけん》には有《あ》るもんだからね」内儀《かみ》さんは反覆《くりかへ》していつた。然《しか》し容易《ようい》に彼等《かれら》の心《こゝろ》は落居《おちゐ》ない。暫《しばら》く噺《はなし》は途切《とぎれ》て居《ゐ》た。 「遠《とほ》くの方《はう》へ遣《や》つたなんていつたつけがおりせは又《また》孫《まご》が出來《でき》た相《さう》だね、今度《こんど》のは男《をとこ》だつてそれでも善《よ》かつたねえ」  内儀《かみ》さんは側《そば》に居《ゐ》た老母《ばあさん》へ向《む》いて突然《とつぜん》恁《か》ういひ掛《か》けた。さうして内儀《かみ》さんは冷《つめ》たく成《な》つて居《ゐ》た茶碗《ちやわん》を手《て》にした。其《そ》れを見《み》て被害者《ひがいしや》の女房《にようばう》は土間《どま》へ駈《か》けおりて竈《かまど》の口《くち》へ火《ひ》を點《つ》けてふう/\と火吹竹《ひふきだけ》を吹《ふ》いた。 「はあいさうでござりますよ、お内儀《かみ》さんの厄介《やつけえ》に成《な》りあんしたつけが、あれも今《いま》ぢや大層《たえそう》えゝ鹽梅《あんべい》でがしてない、四人目《よつたりめ》漸《やつ》とそんでも男《をとこ》でがすよ、お内儀《かみ》さんに云《や》あれた時《とき》にやわし等《ら》もはあ澁《しび》れえて居《ゐ》たんでがしたが、身上《しんしやう》もあん時《とき》かんぢやよくなるしね、兄弟中《きやうでえぢう》で今《いま》ぢやりせが一|番《ばん》だつて云《ゆ》つてつ處《とこ》なのせ、お内儀《かみ》さんあれなら大丈夫《でえぢよぶ》だからつて云《ゆつ》て呉《く》れあんしたつけが婿《むこ》も心底《しんてい》が善《よ》くつてね、爺婆《ぢゝばゝあ》げつて、わし等《ら》げ斯《か》うた物《もの》遣《よこ》しあんしたよ」老母《ばあさん》は待《ま》ち構《かま》へてゞも居《ゐ》たやうに小風呂敷《こぶろしき》の包《つゝみ》を解《と》いて手織《ており》のやうに見《み》える疎末《そまつ》な反物《たんもの》を出《だ》して手柄相《てがらさう》に見《み》せた。内儀《かみ》さんは仕方《しかた》ないといふ容子《ようす》で反物《たんもの》へ手《て》を掛《か》けて 「それでも孫《まご》抱《だ》きには行《い》つたかね」 「ほんに、わしや今日《けふ》らお内儀《かみ》さん處《とこ》さ行《え》くべと思《おも》つて居《ゐ》たら、何《なん》ちこつたか恁《こ》んな騷《さわ》ぎではあ行《い》くも出來《でき》ねえで、わしや昨日《きのふ》歸《けえ》つて來《き》た處《ところ》なのせえ、お内儀《かみ》さん」老母《ばあさん》は幾《いく》らでも勢《いきほ》ひづいて饒舌《しやべ》らうとする。熱《あつ》い茶《ちや》が漸《やうや》く内儀《かみ》さんの前《まへ》に汲《く》まれた。被害者《ひがいしや》は老父《ぢいさん》と座敷《ざしき》の隅《すみ》で先刻《さつき》からこそ/\と噺《はなし》をして居《ゐ》る。さうして更《さら》に老母《ばあさん》を喚《よ》んだ。 「うむ、さうだともよ」といふ老母《ばあさん》の聲《こゑ》がすると皆《みな》坐《ざ》に直《なほ》つて 「それぢや、お内儀《かみ》さん、先刻《さつき》のがなお内儀《かみ》さんえゝやうに行《や》つて見《み》ておくんなせえ」被害者《ひがいしや》はいつた。 「わしや、一剋者《いつこくもの》だからお内儀《かみ》さん惡《わる》く思《おも》はねえでおくんなせえ」老父《ぢいさん》もいつた。 「どうぞねえお内儀《かみ》さん」老母《ばあさん》もいつた。内儀《かみ》さんはそれから又《また》暫《しばら》く雜談《ざふだん》をして皆《みんな》で笑《わら》つて歸《かへ》つた。腹《はら》に在《あ》るだけのことをいはして畢《しま》へば彼等《かれら》はそれだけ心《こゝろ》が晴々《せいせい》として勢《いきほひ》が段々《だん/\》鈍《にぶ》つて來《く》るので、其《その》間《あひだ》は機嫌《きげん》もとつて見《み》て、さうして極《きま》り切《き》つた理窟《りくつ》も反覆《はんぷく》して聞《き》かせて居《ゐ》るうちにはころりと落《お》ちて畢《しま》ふといふ其《そ》の呼吸《こきふ》を内儀《かみ》さんは能《よ》く知《し》つて居《ゐ》るのである。  其《そ》の夜《よ》おつぎは内儀《かみ》さんに喚《よ》ばれて隣《となり》へ泊《とま》つた。内儀《かみ》さんはおつぎと與吉《よきち》を只《たゞ》二人《ふたり》其《そ》の家《いへ》に置《お》くには忍《しの》びなかつたのである。夜《よ》になつてから勘次《かんじ》は土藏《どざう》から出《だ》されて傭人《やとひにん》の側《そば》に一|夜《や》を明《あか》した。彼《かれ》は未明《みめい》に復《また》土藏《どざう》へ隱《かく》れた。内儀《かみ》さんは傭人《やとひにん》の口《くち》を堅《かた》く警《いまし》めて外《そと》へ洩《も》れないやうと苦心《くしん》をした。其《そ》の日《ひ》も巡査《じゆんさ》は勘次《かんじ》の家《いへ》のあたりを徘徊《はいくわい》したがそれでも其《そ》の東隣《ひがしどなり》の門《もん》を叩《たゝ》いて穿鑿《せんさく》するまでには至《いた》らなかつた。内儀《かみ》さんは什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》にしても救《すく》つて遣《や》りたいと思《おも》ひ出《だ》したら其處《そこ》に障害《しやうがい》が起《おこ》れば却《かへつ》てそれを破《やぶ》らうと種々《しゆじゆ》に工夫《くふう》も凝《こら》して見《み》るのであつた。それで被害者《ひがいしや》の方《はう》の噺《はなし》も極《きま》つたのだから此《こ》の上《うへ》は警察《けいさつ》の手加減《てかげん》に俟《ま》つより外《ほか》に道《みち》は無《な》いのであるが、不在《ふざい》であつた主人《しゆじん》は其《そ》の日《ひ》も歸《かへ》らない。勘次《かんじ》は只管《ひたすら》に主人《しゆじん》の力《ちから》に倚《よ》つてのみ救《すく》はれるものと念《ねん》じて居《ゐ》る。内儀《かみ》さんも主人《しゆじん》を待《ま》ちあぐんで居《ゐ》る。さうして復《また》夜《よる》が來《き》た。内儀《かみ》さんはもう凝然《ぢつ》としては居《ゐ》られない。それでおつぎを連《つ》れて、提灯《ちやうちん》を點《つ》けて竊《ひそか》に土藏《どざう》の二|階《かい》へ昇《のぼ》つた。 「おとつゝあ」おつぎは聲《こゑ》を殺《ころ》しながら力《ちから》を入《い》れていつた。勘次《かんじ》は返辭《へんじ》がない。おつぎは更《さら》に幾度《いくたび》か喚《よ》んでそれからお内儀《かみ》さんが喚《よ》んだ時《とき》汚《よご》れた身體《からだ》を桶《をけ》の中《なか》から現《あら》はした。 「旦那《だんな》がまだ歸《かへ》らないのでね、警察《けいさつ》の方《はう》の噺《はなし》が出來《でき》ないで困《こま》つて居《ゐ》るんだが、どうだねお前《まへ》警察《けいさつ》へ出《で》ても盜《と》らないといひ切《き》れるかね、さうすりや私《わたし》が始末《しまつ》をして遣《や》るがね」内儀《かみ》さんはいつて聞《き》かせた。 「へえ」勘次《かんじ》は只《たゞ》首《くび》を俛《た》れて居《ゐ》る。 「どうだね」内儀《かみ》さんは反覆《くりかへ》した。 「わしがにや、とつても持《も》ち切《き》れあんせん」勘次《かんじ》は萎《しを》れて顫《ふる》へて居《ゐ》る。 「おとつゝあは何《なん》ちんだんべな」おつぎは齒痒相《はがいさう》にいつて一|聲《せい》更《さら》に 「おとつゝあ」と力《ちから》を入《い》れて 「盜《と》らねえつて云《ゆ》へよ、おとつゝあ」  おつぎは熱心《ねつしん》に勘次《かんじ》を見《み》た。 「そんでも俺《おら》、あすこへ出《で》ちや、とつても白状《はくじやう》しねえ譯《わけ》にや行《ゆ》かねえよ」 「そんな料簡《れうけん》でなく私《わたし》は自分《じぶん》のが伐《き》つたんですつていへば、そんでいゝやうに始末《しまつ》してやるだから」内儀《かみ》さんが力《ちから》を附《つ》けて見《み》ても勘次《かんじ》は只《ただ》首《くび》を俛《た》れて居《ゐ》る。 「さう云《ゆ》へせえすりやえゝつちのになあ、おとつゝあは」おつぎは落膽《がつかり》したやうにいつた。内儀《かみ》さんとおつぎは恁《か》うして熟睡《じゆくすゐ》した身體《からだ》を直立《ちよくりつ》せしめやうと苦心《くしん》する程《ほど》の徒《むだ》な力《ちから》を盡《つく》したのであつた。  傭人《やとひにん》もすつかり眠《ねむ》りに落《お》ちたと思《おも》ふ頃《ころ》内儀《かみ》さんとおつぎとの黒《くろ》い姿《すがた》が竊《ひそか》に裏《うら》の竹藪《たけやぶ》に動《うご》いた。落《お》ちて居《ゐ》る竹《たけ》の枝《えだ》が足《あし》の下《した》にぽち/\と折《を》れて鳴《な》つた。乾《いぬゐ》の方《はう》の垣根《かきね》の側《そば》へ來《き》た時《とき》に内儀《かみ》さんは、垣根《かきね》の土《つち》に附《つ》いた處《ところ》を力任《ちからまか》せにぼり/\と破《やぶ》つた。おつぎも兩手《りやうて》を掛《か》けて破《やぶ》つた。幾年《いくねん》となしに隙間《すきま》を生《しやう》ずれば小笹《をざさ》を繼《つ》ぎ足《た》し/\しつゝあつた竹《たけ》の垣根《かきね》は、土《つち》の處《ところ》がどす/\に朽《く》ちて居《ゐ》るので直《すぐ》に大《おほ》きな穴《あな》が明《あ》いた。おつぎは其處《そこ》から潜《くぐ》つて出《で》た。突然《とつぜん》ぱた/\とけたゝましい羽音《はおと》が直《すぐ》頭《あたま》の上《うへ》で騷《さわ》いだ。竹《たけ》の梢《こずゑ》に泊《とま》つて居《ゐ》た鳩《はと》が俄《にはか》に驚《おどろ》いて遠《とほ》く逃《に》げたのである。 「さむしかないかい」内儀《かみ》さんは垣根越《かきねご》しに聞《き》いた。 「大丈夫《だいぢやうぶ》ですよ、お内儀《かみ》さん」おつぎは少《すこ》し歩《ある》き掛《か》けていつた。 「おやもうそつちの方《はう》へ行《い》つたのかい、それぢや彼處《あすこ》を叩《たゝ》くんだよ」内儀《かみ》さんはいつて分《わか》れた。おつぎは直《すぐ》に自分《じぶん》の裏戸口《うらどぐち》に立《た》つた。そつと開《あ》けて這入《はひ》つて見《み》ると、自分《じぶん》の家《うち》ながらおつぎはひやりとした。塒《とや》の鷄《にはとり》は闇《くら》い中《なか》で凝然《ぢつ》として居《ゐ》ながらくゝうと細《ほそ》い長《なが》い妙《めう》な聲《こゑ》を出《だ》した。鼠《ねずみ》が二三|匹《びき》がた/\と騷《さわ》いで、何《なに》かで壓《おさ》へつけられたかと思《おも》ふやうにちう/\と苦《くる》しげな聲《こゑ》を立《たて》て鳴《な》いた。おつぎは手探《てさぐ》りに壁際《かべぎは》の草刈鎌《くさかりがま》を執《と》つた。又《また》そつと戸《と》を閉《た》てゝ出《で》る時《とき》頸筋《くびすぢ》の髮《かみ》の毛《け》をこそつぱい手《て》で一攫《ひとつか》みにされるやうに感《かん》じた。おつぎは外《そと》の壁際《かべぎは》の草刈籠《くさかりかご》を脊負《せお》つた。どうした機會《はずみ》であつたか此《これ》も壁際《かべぎは》に立《た》て掛《か》けた竹箒《たけばうき》が倒《たふ》れて柄《え》がかちつと草刈籠《くさかりかご》を打《う》つた。おつぎはひよつと顧《かへり》みた。  夜《よる》は闇《やみ》である。凄《すご》く冴《さ》えた空《そら》へぞつくりと立《た》つた隣《となり》の森《もり》の梢《こずゑ》にくつゝいて天《あま》の川《がは》が低《ひく》く西《にし》へ傾《かたぶ》きつゝ流《なが》れて居《ゐ》る。  暫《しばら》くしておつぎは自分等《じぶんら》の手《て》で作《つく》つた蜀黍《もろこし》の側《そば》に立《た》つた。痩《や》せた蜀黍《もろこし》は眠《ねむ》つたかと思《おも》ふやうにしつとりとして居《ゐ》ては、軈《やが》てざわ/\と鳴《な》つた。おつぎは草刈鎌《くさかりがま》でざくり/\と其《そ》の穗《ほ》を伐《き》つた。さうしてぎつと押《お》し込《こ》んで重《おも》く成《な》つた草刈籠《くさかりかご》を脊負《せお》つた。其處《そこ》らの畑《はたけ》には土《つち》が眼《め》を開《ひら》いたやうに處々《ところ/″\》ぽつり/\と秋蕎麥《あきそば》の花《はな》が白《しろ》く見《み》えて居《ゐ》る。おつぎは足速《あしばや》に臺地《だいち》の畑《はたけ》から蜀黍《もろこし》の葉《は》のざわつく小徑《こみち》を低地《ていち》の畑《はたけ》へおりて漸《やうや》くのことで鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》へ出《で》た。おつぎは四《よ》つ偃《ばひ》に成《な》つて芝《しば》に捉《つかま》りながら登《のぼ》つた。其《そ》の時《とき》おつぎの心《こゝろ》には斜《なゝめ》に土手《どて》の中腹《ちうふく》へつけられた小徑《こみち》を見出《みいだ》して居《ゐ》る程《ほど》の餘裕《よゆう》がなかつたのである。土手《どて》の内側《うちがは》は水際《みづぎは》から篠《しの》が一|杯《ぱい》に繁茂《はんも》して夜目《よめ》にはそれがごつしやりと自分《じぶん》を壓《あつ》して見《み》える。篠《しの》の間《あひだ》から水《みづ》がしら/\と見《み》えて、篠《しの》の根《ね》を洗《あら》つて行《ゆ》く水《みづ》の響《ひゞき》がちろ/\と耳《みゝ》に近《ちか》く聞《きこ》える。おつぎは汀《みぎは》へおりようと思《おも》つて篠《しの》を分《わ》けて見《み》ると其處《そこ》は崖《がけ》に成《な》つて居《ゐ》て爪先《つまさき》から落《お》ちた小《ちひ》さな土《つち》の塊《かたまり》がぽち/\と水《みづ》に鳴《な》つた。おつぎは更《さら》に篠《しの》を分《わ》けておりようとすると、其處《そこ》も崖《がけ》で目《め》の前《まへ》にひよつこりと高瀬船《たかせぶね》の帆柱《ほばしら》が闇《やみ》を衝《つ》いて立《たつ》て居《ゐ》る。水《みづ》に近《ちか》くこそ/\と人《ひと》の噺聲《はなしごゑ》が聞《きこ》える。黄昏《たそがれ》に漸《やうや》く其處《そこ》へ繋《かゝ》つた高瀬船《たかせぶね》が、其處《そこ》らで食料《しよくれう》を求《もと》め歩《ある》いて遲《おそ》く晩餐《ばんさん》を濟《すま》してまだ眠《ねむ》らずに居《ゐ》たのであつたらう。それは高瀬船《たかせぶね》の船頭夫婦《せんどうふうふ》が、足《た》りても足《た》りなくても自分《じぶん》の家族《かぞく》の唯一《ゆゐいつ》の住居《すまゐ》である其《そ》の舳《へさき》に造《つく》られた箱《はこ》のやうな狹《せば》いせえじの中《なか》で噺《はな》して居《ゐ》る聲《こゑ》であつた。乳呑兒《ちのみご》の泣《な》く聲《こゑ》も交《まじ》つて聞《きこ》えた。おつぎは後《あと》へ退去《すさ》つた。おつぎは殆《ほと》んど無意識《むいしき》に土手《どて》を南《みなみ》へ走《はし》つた。處々《ところ/″\》誰《だれ》かゞ道芝《みちしば》の葉《は》を縛《しば》り合《あは》せて置《お》いたので、おつぎは幾度《いくたび》かそれへ爪先《つまさき》を引《ひ》つ掛《か》けて蹶《つまづ》いた。  土手《どて》の篠《しの》は段々《だん/\》に疎《まば》らに成《な》つて水《みづ》が一|杯《ぱい》に見《み》えて來《き》た。鬼怒川《きぬがは》の水《みづ》は土手《どて》より遙《はるか》に低《ひく》く闇《やみ》の底《そこ》にしら/\と薄《うす》く光《ひか》つて居《ゐ》る。夜《よる》の手《て》は對岸《たいがん》の松林《まつばやし》の陰翳《かげ》を其《そ》の水《みづ》に投《な》げて、川幅《かわはゞ》は僅《わづか》に半分《はんぶん》に蹙《せば》められて見《み》える。蟋蟀《こほろぎ》は其處《そこ》らあたり一|杯《ぱい》に鳴《な》きしきつて、其《そ》の聚《あつま》つた聲《こゑ》は空《そら》にまで響《ひゞ》かうとしては沈《しづ》みつゝ/\、それがゆつたりと大《おほ》きな波動《はどう》の如《ごと》く自然《しぜん》に抑揚《よくやう》を成《な》しつゝある。おつぎは到頭《たうとう》渡船場《とせんば》まで來《き》た。おつぎはそれから水際《みづぎは》へおりようとすると水《みづ》を渡《わた》つて靜《しづ》かに然《しか》も近《ちか》く人《ひと》の聲《こゑ》がして、時々《ときどき》しやぶつといふ響《ひゞき》が水《みづ》に起《おこ》る。不審《ふしん》に思《おも》つて躊躇《ちうちよ》して居《ゐ》ると突然《とつぜん》目《め》の前《まへ》に對岸《たいがん》の松林《まつばやし》の陰翳《かげ》から白《しろ》く光《ひか》つて居《ゐ》る水《みづ》の上《うへ》へ舳《へさき》が出《で》て船《ふね》が現《あら》はれた。渡《わた》し船《ぶね》が深夜《しんや》に人《ひと》を乘《の》せたのでしやぶつといふ響《ひゞき》は舟棹《ふなさを》が水《みづ》を掻《か》つ切《き》る度《たび》に鳴《な》つたのである。おつぎは又《また》土手《どて》へ戻《もど》つて大《おほ》きな川柳《かはやなぎ》の傍《そば》に身《み》を避《さ》けた。二三|語《ご》を交換《かうくわん》して人《ひと》は去《さ》つたやうである。船頭《せんどう》は闇《くら》い小屋《こや》の戸《と》をがらつと開《あ》けて又《また》がらつと閉《と》ぢた。おつぎは暫《しばら》く待《ま》つて居《ゐ》てそれからそく/\と船《ふね》を繋《つな》いだあたりへ下《お》りた。おつぎは直《す》ぐ側《そば》でかさ/\と何《なに》かが動《うご》くのを聞《き》くと共《とも》に、ゐい/\と豚《ぶた》らしい鳴聲《なきごゑ》のするのを聞《き》いた。 「行《え》くのかあ」とまだ眠《ねむ》らなかつた船頭《せんどう》は突然《とつぜん》特有《もちまへ》の大聲《おほごゑ》で呶鳴《どな》つた。おつぎは驚《おどろ》いて又《また》一|散《さん》に土手《どて》を走《はし》つた。船頭《せんどう》はがらつと戸《と》を開《あ》けて、人《ひと》の走《はし》つたやうな響《ひゞ》きが明《あきら》かに耳《みゝ》に感《かん》じたので、遙《はるか》に闇《くら》い土手《どて》を透《すか》して見《み》てぶつ/\いひながら彼《かれ》は更《さら》に豚小屋《ぶたごや》に近《ちか》づいて燐寸《マツチ》をさつと擦《す》つて見《み》て「油斷《ゆだん》なんねえ」と呟《つぶや》いて又《また》戸《と》を閉《と》ぢた。彼《かれ》は内職《ないしよく》に飼《か》つた豚《ぶた》が近頃《ちかごろ》子《こ》を生《う》んだので他人《たにん》が覘《ねらひ》はせぬかと懸念《けねん》しつゝあつたのである。おつぎは何處《どこ》でも構《かま》はぬと土手《どて》の篠《しの》を分《わ》けて一《ひと》つ/\に蜀黍《もろこし》の穗《ほ》を力《ちから》の限《かぎ》り水《みづ》に投《とう》じた。おつぎは空《から》な草刈籠《くさかりかご》を脊負《せお》つて急《いそ》いで歸《かへ》つた。  おつぎがこと/\と叩《たゝ》いた時《とき》内儀《かみ》さんは直《すぐ》に戸《と》を開《あ》けて 「どうしたい、大變《たいへん》遲《おそ》かつたね」と聞《き》いた。 「お内儀《かみ》さんいふ通《とほり》にしあんしたよ」 「其《そ》の蜀黍《もろこし》は何處《どこ》へ遣《や》つたい」 「わたしやどうしてえゝか知《し》んねえから川《かは》へ持《も》つて行《い》つて打棄《うつちや》りあんした」 「さうかい、能《よ》く行《や》つて來《き》たね、まあ上《あが》りな」内儀《かみ》さんはランプを自分《じぶん》の頭《あたま》の上《うへ》に上《あ》げて凝然《ぢつ》と首《くび》を低《ひく》くしておつぎの容子《ようす》を見《み》た。 「どうしたんだえ、おつぎはまあ、其《そ》の衣物《きもの》は」 「本當《ほんたう》にまあ」おつぎは始《はじ》めて心付《こゝろづ》いたやうで 「先刻《さつき》土手《どて》さ行《え》く時《とき》、堀《ほり》つ子《こ》ん處《とこ》へ辷《すべ》つたんですが、其《そ》ん時《とき》かうえに汚《よご》したんでせうよ」とおつぎは泥《どろ》に成《な》つた腰《こし》のあたりへ手《て》を當《あ》てた。 「お内儀《かみ》さん、わたしや飛《と》んだことを仕《し》あんした」おつぎは又《また》いつた。 「どうしたんだえ」 「わたしや、鎌《かま》何處《どこ》へ遣《や》つちやつたか分《わか》んなく仕《し》つちやつたんでさ」 「今夜《こんや》持《も》つてつたのかえ」 「さうなんでさ、わたしや蜀黍《もろこし》打棄《うつちや》つ時《とき》まで有《あ》つと思《おも》つてたら見《め》えねえんでさ、私等家《わたしらぢ》のおとつつあは道具《だうぐ》つちと酷《ひど》く怒《おこ》んですから」 「草刈鎌《くさかりがま》の一|挺《ちやう》や二|挺《ちやう》お前《まへ》どうするもんぢやない、あつちへ廻《まは》つて足《あし》でも洗《あら》つてさあ」内儀《かみ》さんの口《くち》もとには微《かす》かな笑《わら》ひが浮《うか》んだ。  次《つぎ》の日《ひ》に漸《やうや》く主人《しゆじん》は歸《かへ》つた。巡査《じゆんさ》へ噺《はなし》をして見《み》たが其《そ》の時《とき》はもう被害者《ひがいしや》からの申報書《しんぱうしよ》が分署《ぶんしよ》へ提出《ていしゆつ》されてあつたので更《さら》に分署長《ぶんしよちやう》へ懇請《こんせい》して見《み》た。さうして被害者《ひがいしや》から事實《じじつ》が相違《さうゐ》したといふ意味《いみ》の取消《とりけし》を出《だ》せばそれで善《い》いといふことにまで運《はこ》びがついた。微罪《びざい》といふので其《その》筋《すぢ》の手加減《てかげん》が出來《でき》たのである。内儀《かみ》さんは復《ま》た被害者《ひがいしや》の家《うち》へ行《い》つて其《そ》れ丈《だけ》の筋道《すぢみち》を聞《き》かせたが、どうしても今度《こんど》はうんといはない。 「どうもわし等《ら》分署《ぶんしよ》へなんぞ出《で》んな、なんぼにも厭《や》でがすかんね、屹度《きつと》怒《おこ》られんでがすからはあ」とのみいふのである。 「さうだがね、此處《ここ》まで噺《はなし》がついて居《ゐ》るんだから此方《こつち》でそれだけのことは仕《し》て呉《く》れなくつちや此《こ》れまでのことが水《みづ》の泡《あわ》なんだからね」と道理《だうり》を聞《き》かせても 「盜《と》らつた上《うへ》に恁《か》うして暇《ひま》潰《つぶ》して、おまけに分署《ぶんしよ》へ出《で》て怒《おこ》られたり何《なに》つかすんぢや、こんな詰《つま》んねえこたあ滅多《めつた》ありあんせんかんね、それに書付《かきつけ》だつてどうしてえゝんだか分《わか》んねえし」彼《かれ》は只《たゞ》嚴《いか》めしく見《み》える警察官《けいさつくわん》が恐《おそ》ろしくてどうしても足《あし》が進《すゝ》まないのである。 「そりや書付《かきつけ》なんぞは、旦那《だんな》が書《か》いて遣《や》るから心配《しんぱい》にや成《な》らないがね」内儀《かみ》さんは漸《やうや》く近所《きんじよ》の者《もの》を一人《ひとり》跟《つ》いてくやうにして遣《や》るといふことにしたので被害者《ひがいしや》も思《おも》ひ切《き》つて出《で》ることに成《な》つた。彼等《かれら》が歸《かへ》つた時《とき》は反對《あべこべ》に威勢《ゐせい》がよかつた。 「どうしたつけね」聞《き》かれて 「髭《ひげ》のかう生《は》えた部長《ぶちやう》さんだつていふ可怖《おつかね》え人《ひと》でがしたがね、盜《ぬす》まつたなんて屆《とゞ》けしてゝさうして警察《けいさつ》へ餘計《よけい》な手間《てま》掛《か》けて不埓《ふらち》な奴《やつ》だなんて呶鳴《どな》らつた時《とき》にやどうすべかと思《おも》つて、そんぢや其《そ》の書付《かきつけ》持《も》つて歸《けえ》りますべつて云《い》ふべかと思《おも》ひあんしたつけ、さうしたら暫《しばら》く書付《かきつけ》見《み》てたつけが此《これ》は誰《た》れが書《か》いたつて聞《き》くから、わし等《ら》方《はう》の旦那《だんな》でがすつて云《ゆ》つたら、さうかそんぢやよし/\歸《けえ》れなんていふもんだからほつと息《いき》つきあんした、瘧《おこり》落《お》ちたやうでさあはあ、そんだからわし等《ら》なんぼにもあゝい處《ところ》へは出《で》んな厭《や》で」  彼《かれ》は少時《しばし》間《あひだ》を措《お》いて 「そんだが、旦那《だんな》はたいしたもんでがすね、旦那《だんな》書《か》いたんだつて云《ゆ》つたらなあ」と彼《かれ》は更《さら》に跟《つ》いて行《い》つた近所《きんじよ》の者《もの》を顧《かへり》みていつた。  事件《じけん》は如此《かくのごとく》にして一|見《けん》妙《めう》な然《しか》も最《もつと》も普通《ふつう》な方法《はうはふ》を踏《ふ》んで終局《しうきよく》が告《つ》げられた。被害者《ひがいしや》の損害《そんがい》に對《たい》する賠償《ばいしやう》は僅《わづか》であるとはいひながら一|時《じ》主人《しゆじん》の手《て》から出《で》てそれが被害者《ひがいしや》に渡《わた》された。 「わしも此《こ》れからは決《けつ》して他人《たにん》の物《もの》は塵《ちり》つ葉《ぱ》一|本《ぽん》でも盜《と》りませんからどうぞ」  と勘次《かんじ》は有繋《さすが》に泣《な》いた。彼《かれ》はまだお品《しな》が死《し》んだ年《とし》の小作米《こさくまい》の滯《とゞこほ》りも拂《はら》つてはないし、加之《それのみでなく》卯平《うへい》から譲《ゆづ》られた借財《しやくざい》の残《のこ》りもちつとも極《きま》りがついて無《な》いのに又《また》今度《こんど》の間違《まちがひ》から僅《わづか》ながら新《あらた》な負擔《ふたん》が加《くは》はつたのである。彼《かれ》が懸命《けんめい》の勞働《らうどう》は舊《きう》に倍《ばい》して著《いちじ》るしく人《ひと》の目《め》に立《た》つた。  或《ある》日《ひ》主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんは偶然《ひよつ》とした機會《はづみ》があつて勘次《かんじ》に噺《はなし》をした。 「あれでなか/\おつぎにも驚《おどろ》いたもんだね」内儀《かみ》さんはいつた。 「はあどうか仕《し》あんしたんべか、お内儀《かみ》さん」勘次《かんじ》は怪訝《けげん》な容子《ようす》をして且《かつ》辛《つら》い厭《いや》なことでもいひ出《だ》されるかと案《あん》ずるやうに怖《お》づ/\いつた。 「どうしたつていふんぢやないが、此《こ》の間《あひだ》の晩《ばん》のことを知《し》つてるかね」 「何《なん》でがせうね、お内儀《かみ》さん」 「夜中《よなか》にあの蜀黍《もろこし》伐《き》らせたことだがね、實《じつ》はあの時《とき》はね、警察《けいさつ》の方《はう》が間《ま》に合《あ》はなければお前《まへ》に盜《と》らないと何處《どこ》までもいはして置《お》いて、さうして旦那《だんな》が歸《かへ》つてからのことと思《おも》つたもんだから、それにやお前《まへ》が白状《はくじよう》して畢《しま》つても困《こま》るし、自分《じぶん》の畑《はたけ》がそつくりして居《ゐ》ても不味《まづ》いからね、それも今《いま》に成《な》つちや何《なに》もそんなこと仕《し》なくつても善《よ》かつたやうなものだが、其《そ》の時《とき》は私《わたし》もどうかしてと思《おも》つてね、それだがおつぎが度胸《どきよう》のあるのぢや私《わたし》も喫驚《びつくり》したよ」内儀《かみ》さんはいつた。 「へえわしもおつうに聞《き》きあんした、鎌《かま》一|挺《ちやう》見《め》えねえもんだからどうしたつちつたら、お内儀《かみ》さんいふから伐《き》つたんだなんて、そんでも鎌《かま》は笹《さゝ》ん中《なか》に有《あ》りあんしたつけや」 「さうかい、どんな鎌《かま》だかおつぎは心配《しんぱい》して居《ゐ》たからね」 「なあにはあ、減《へ》つちやつた鎌《かま》だから惜《を》しかあねえんですがね」 「おつぎのことはそんなことでは無闇《むやみ》に怒《おこ》らないやうにしなよ、面倒《めんだう》見《み》てね」 「それからわしもお内儀《かみ》さん、恁《か》うして獨《ひとり》で辛抱《しんばう》してんでがすが、わし等《ら》嚊《かゝあ》も死《し》ぬ時《とき》にや子奴等《こめら》こたあ心配《しんぺえ》したんでがすかんね、夫《それ》からわしもおつうが行《い》きてえつちもんだからお針《はり》にも遣《や》りあんすしね、襷《たすき》なんぞも欲《ほし》い/\つちもんだからわし等《ら》見《み》てえな貧乏人《びんばふにん》にや餘計《よけい》なもんぢやありあんすが赤《あけ》えの買《か》つて遣《や》つたんでがさ、此《これ》さうだことしてお内儀《かみ》さん處《とこ》へも小作《こさく》の借《さがり》も持《も》つて來《き》ねえで濟《す》まねえんですが、嚊《かゝあ》が單衣物《ひてえもの》も質《しち》に入《せ》えてたの出《だ》して遣《や》つたんでがすがね、畑《はたけ》へなんぞ出《で》んのにや餘《あんま》り過《す》ぎ物《もの》なんだが、それ一|枚《めえ》切《き》りだからわしも構《かま》あねえで見《み》てんのせ、そんだがお内儀《かみ》さん奇態《きたえ》に汚《よご》しあんせんかんね」勘次《かんじ》は最後《さいご》の一|語《ご》に力《ちから》を入《い》れていつた。 「さうだよ、さうして遣《や》れば勵《はげ》みが違《ちが》ふからね」内儀《かみ》さんはいつて又《また》 「おつぎも能《よ》く働《はたら》けるやうに成《な》つたね、それだが此《こ》の間《あひだ》のやうな處《ところ》を見《み》ると死《し》んだお品《しな》が乘《の》り移《うつ》つたかと思《おも》ふやうさね」 「わしもはあ、あれがこたあ魂消《たまげ》てつことあんでがすがね」 「さういつちや何《なん》だがお品《しな》も隨分《ずゐぶん》お前《まへ》ぢや意地《いぢ》燒《や》いて苦勞《くらう》したことも有《あ》るからね」 「へえ、わしやはあ可怖《おつかな》くつて仕《し》やうねえんですから、わし出《で》らんねえ處《ところ》へは嚊《かゝあ》ばかり出《で》え/\仕《し》たんでがすから」 「さうだつけねえ」内儀《かみ》さんは微笑《びせう》して 「おつぎは心持《こゝろもち》までお袋《ふくろ》の方《はう》だね、お前《まへ》の※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、153-2]《あね》だがおつたはあゝいふ性質《たち》なのに一つ腹《はら》から出《で》ても違《ちが》ふもんだね」 「わし等《ら》※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、153-4]《あね》はお内儀《かみ》さん、碌《ろく》でなしですかんね」彼《かれ》は恥《は》ぢてさうして自分《じぶん》を庇護《かば》ふやうに其《そ》の※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、153-4]《あね》といふのを卑下《くさ》して僻《ひが》んだやうな苦笑《くせう》を敢《あへ》てした。 「おつたは今《いま》何處《どこ》に居《ゐ》るね」 「下《しも》の方《ほう》に居《ゐ》あんすがね、わしは往來《いきゝ》なしでさ、同胞《きやうでえ》だたあ思《おも》はねえからつてわし斷《ことわ》つたんでがすから、わし等《ら》嚊《かゝあ》死《し》んだ時《とき》だつて來《き》もしねえんですかんね、お内儀《かみ》さんさうえ者《もな》あ有《あ》りあんすめえね」 「さうだつけかね」 「わしや、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、153-11]《あね》にや到頭《たうとう》小作《こさく》に持《も》つてくべと思《おも》つてたの一|俵《ぺう》ぺてんに掛《か》けられたことあんですから、自分《じぶん》のが始末《しまつ》すれば直《すぐ》返《けえ》すからつて持《も》つて行《い》つてそれつ切《き》りなんでさ、わし等《ら》嚊《かゝあ》生《い》きてる頃《ころ》なもんだから、嚊《かゝあ》とろつぴ催促《せえそく》に行《い》き/\したんだが、無《な》くつちや遣《や》らんねえからつて喧嘩《けんくわ》吹《ふ》つ掛《かけ》るつちんだから嚊《かゝあ》も忌々敷《えめえがし》がつて居《ゐ》たが先《さき》が不法《ふはふ》なんだから駄目《だめ》でさね、それ處《どこ》ぢやねえ、盲目《めくら》に成《な》つた自分《じぶん》の餓鬼《がき》の錢《ぜに》せえ騙《だま》して叩《はた》くんだから」 「盲目《めくら》といふのはどうしたんだねそれは」 「野田《のだ》へ醤油屋奉公《しやうゆやばうこう》に行《い》つてゝ餘《あんま》り飯《めし》食《く》ひ過《す》ぎたの原因《もと》で眼《め》へ出《で》たなんていふんですが、廿位《はたちぐれえ》で潰《つぶ》れつちやつたんでさ、さうしたらそれ打棄《うつちや》つて夜遁《よに》げ見《み》てえせまるで、自分《じぶん》の村落《むら》にだつて居《ゐ》らんなく成《な》つたんでがすから」 「さういふことがねえ、能《よ》く出來《でき》たもんだね、自分《じぶん》の本當《ほんたう》の子《こ》をねえまあ、おつたは酷《ひど》いといふことは聞《き》いちや居《ゐ》たがねえ」内儀《かみ》さんは驚《おどろ》いた容子《ようす》でいつた。 「そんだがお内儀《かみ》さん其《その》盲目《めぐら》奇態《きたえ》で、麥搗《むぎつき》でも米搗《こめつき》でも畑耕《はたけうねえ》でも何《なん》でも百姓仕事《ひやくしやうしごと》は行《や》んでさ、薄《うす》ら明《あか》りにや見《め》えんだなんていふんだがそんでも奇態《きたえ》なのせどうも、そんで極《ご》く堅《か》てえもんだから他人《ひと》にも面倒《めんどう》見《み》られて其《そ》の位《くれえ》だから錢《ぜに》も持《も》つてんでさ、さうしたら何處《どこ》で聞《き》いたか來《き》て騙《だま》して連《つ》れてつてね、えゝわしら等《ら》※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、154-10]《あね》せお内儀《かみ》さん」彼《かれ》は目《め》を峙《そばだ》てた。 「盲目《めくら》も有繋《まさか》お袋《ふくろ》だから畸形《かたわ》に成《な》つちや他人《ひと》の處《とこ》なんぞよりやえゝと思《おも》つたんでがせうね、さうしたらお内儀《かみ》さん盲目《めくら》が錢《ぜに》叩《はた》いつちやつたら又《また》打棄《うつちや》つて、聞《き》いて見《み》ちや酷《ひ》でえ噺《はなし》なのせ本當《ほんたう》に、そん時《とき》にや盲目《めくら》もわしが處《とこ》へ泣《な》きついて來《き》て、わしもはあ、二十先《はたちさき》にも成《な》つて幾《いく》らなんだつて騙《だま》さつるなんて盲目《めくら》ことも忌々敷《えめえましい》やうでがしたが、わしも其《そ》ん時《とき》や嚊《かゝあ》に死《し》なれた當座《たうざ》なもんだからさう薄情《はくじやう》なことも出來《でき》ねえと思《おも》つて、そんでも一|晩《ばん》泊《と》めて、わしも困《こま》つちや居《ゐ》たが※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、154-15]《こく》もちつたあ遣《や》つたのせ、わしやお内儀《かみ》さん嚊《かゝあ》おつ殺《ころ》してからつちものは乞食《こじき》げだつて手攫《てづか》みで物《もの》出《だ》したこたあねえんでがすかんね、そらおつうげもはあ斷《ことわ》つて置《お》くんでがすから、わしやお内儀《かみ》さん其《そ》れ丈《だけ》は心掛《こゝろがけ》てんでがすよ」勘次《かんじ》は内儀《かみ》さんの心裡《こゝろ》に伏在《ふくざい》して居《ゐ》る何物《なにもの》かを求《もと》めるやうな態度《たいど》でいつた。 「さうだともさね、さういふ心掛《こゝろがけ》で居《ゐ》さへすりや決《けつ》して間違《まちがひ》はないからね」内儀《かみ》さんはいつて更《さら》に以前《いぜん》からの噺《はなし》に幾《いく》らか釣《つ》り込《こ》まれて居《ゐ》るやうで 「そりやさうと其《その》盲目《めくら》はどうしたね」 「村落《むら》に居《ゐ》あんさ、何處《どこ》つちつたつて行《ゆ》き場所《ばしよ》はねえんですから、なあに獨《ひと》りでせえありや却《けえ》つて懷《ふところ》はえゝんでがすから」 「それはまあ、おつたはさうとしても、それがさ、彦次《ひこじ》はどうしたんだね、私《わたし》もおつたのことは暫《しばら》く前《まへ》に見《み》たつ切《きり》だが」 「お内儀《かみ》さん、夫婦《ふうふ》揃《そろ》つてなくつちや行《や》れるもんぢやありあんせんぞ、親爺《おやぢ》だつてお内儀《かみ》さん自分《じぶん》の女《あま》つ子《こ》女郎《ぢよらう》に賣《う》つて百五十|兩《りやう》とかだつていひあんしたつけがそれ歸《けえ》りに軍鷄喧嘩《しやもげんくわ》へ引《ひ》つ掛《かゝ》つて、七十|兩《りやう》も奪《と》られて來《き》たつちんでがすから噺《はなし》にや成《な》んねえですよ、そつからわしや※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、155-13]等夫婦《あねらふうふ》のこたあ大嫌《だえきれえ》なんでさあ」 「本當《ほんたう》とは思《おも》へないやうなことだね」 「お内儀《かみ》さん本當《ほんたう》ですともね、わしあ嘘《ちく》なんざお[#「お」に「ママ」の注記]内儀《かみ》げいひあんせんから」 「そりや本當《ほんたう》にや相違《さうゐ》ないだらうがね」 「そんだがお内儀《かみ》さん、其《その》女《あま》つ子《こ》も直《すぐ》遁《に》げて來《き》つちめえあんしたね、今《いま》ぢや何《なん》とか云《い》つて厭《や》だら構《かま》あねえ相《さう》でがすね」 「私《わたし》もそんなことは知《し》らないが、新聞《しんぶん》で騷《さわ》ぎはあつたやうだつけね」内儀《かみ》さんは何處《どこ》かさういふ噺《はなし》には氣《き》が乘《のら》ぬやうで 「おつたも見《み》た處《ところ》ぢや體裁《ていさい》がよくてね」 「さうなんでさ、うまいもんだからわしも到頭《たうとう》米《こめ》一|俵《ぺう》損《そん》させられちやつて」勘次《かんじ》はそれをいふ度《たび》に惜《を》し相《さう》な容子《ようす》が見《み》えるのである。 「さういつちやお前《まへ》の※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、156-10]《あね》のこと惡《わる》くばかりいふやうだが、舅《しうと》が鬼怒川《きぬがは》へ落《お》ちて死《し》んだなんて大騷《おほさわ》ぎしたことが有《あ》つたつけねえ」 「さうでさ、餘《よ》つ程《ぽど》に成《な》りあんすがね、ありや鬼怒川《きぬがは》へ蚤《のみ》叩《はた》くつて行《い》つてそれつ切《き》りに成《な》つちやつたのせ」 「彦次《ひこじ》は實子《じつし》なんだね」 「えゝ、暫《しばら》く目《め》が不自由《ふじいう》で別《べつ》に小《ちひ》さく作《つく》つて隱居《いんきよ》してたんですが、蚤《のみ》は居《ゐ》た容子《ようす》なんでがすね、一|度《ど》なんざあ畑《はたけ》の側《そば》で叩《たて》えたら其處《そこ》ら通《とほ》つた人《ひと》みんなぞよ/\偃《は》ひ上《あが》られて酷《ひ》でえ目《め》に逢《あ》つたちんですから、そんで其處《そこ》らで叩《たて》えちや仕《し》やうねえからなんて云《い》はれたんでがせうね、それから何《なん》でも蓙《ござ》持《も》つて鬼怒川《きぬがは》さ行《ゆ》く積《つもり》に成《な》つたんでがすね、鬼怒川《きぬがは》までは有繋《まさが》餘《よ》つ程《ぽど》ありあんさね、足《あし》もとが本當《ほんたう》ぢやねえからずんぶらのめつちやつたもんでさ、本當《ほんたう》に飽氣《あつけ》ねえ噺《はなし》で、それお内儀《かみ》さんわし等《ら》※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、157-5]《あね》は他人《ひと》が死骸《しげえ》見付《めつ》けて大騷《おほさわ》ぎして知《し》らせに來《き》たら、直《すぐ》はあ死人《しにん》の衣物《きもの》から始末《しまつ》して掛《かゝ》つたつちんですから」 「自分《じぶん》で取《と》つて畢《しま》ふ積《つもり》なんだね」 「兄弟等《きやうでえら》げ分《わ》けてなんざあ遣《や》んねえ積《つむり》なんでさね」 「衣物《きもの》だつて幾《いく》らも無《な》いんだらうがね、それにまあどうして川《かは》へなんて其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》遠《とほ》くへ蓙《ござ》ばかり持《も》つてね、行《ゆ》くうちにや居《ゐ》た蚤《のみ》もみんな飛《と》んで了《しま》ふだらうがね、まあさういのも運《めぐ》り合《あは》せだね」 「はあ耄碌《まうろく》してたんでがすから、餘《あん》まり耄碌《まうろく》しちや厭《や》がられあんすかんね」 「厭《いや》がられるつてお前《まへ》そんなものぢやないよ、舅《しうと》だもの、婿《むこ》だの娘《むすめ》だのといふものは餘計《よけい》氣《き》をつけなくちや成《な》らないものなんだね」内儀《かみ》さんは窘《たしな》める樣《やう》にいつた。 「そりやさうですがね、お内儀《かみ》さん」勘次《かんじ》は何《なん》だが隱事《いんじ》でも發《あば》かれたやうに慌《あわ》てゝいつてさうして苦笑《くせう》した。 「おつたは本當《ほんたう》に舅《しうと》は善《よ》くしなかつた相《さう》だな、自分等《じぶんら》の方《はう》の※[#「滔」の「さんずい」に代えて「飮のへん」、第4水準2-92-68]《あん》へは砂糖《さたう》を入《い》れても舅《しうと》の方《はう》へは砂糖《さたう》を入《い》れなかつたなんて暫《しばら》く前《まへ》に聞《き》いたつけが」内儀《かみ》さんは獨《ひとり》で低聲《こごゑ》にいつた。 「どうでがしたかねそれは」勘次《かんじ》は先刻《さつき》の容子《ようす》とは違《ちが》つて、俄《にはか》に庇護《かば》ひでもするやうな態度《たいど》でいつた。 「そんなに仕《し》なくつたつて幾《いく》らも生《い》きやしない老人《としより》のことをな」内儀《かみ》さんは熟《つくづく》と復《また》いつた。勘次《かんじ》は餘計《よけい》に萎《しを》れた。 「勘次《かんじ》も錢《ぜに》は自分《じぶん》の手《て》から湧《わか》すやうにして辛抱《しんばう》してりや辛《つら》いことばかり無《な》いから、何《なん》でも人間《にんげん》は子供次第《こどもしだい》だよ、後《あと》で厄介《やくかい》に成《な》らなくちや成《な》らないんだから子供《こども》の面倒《めんだう》は見《み》ないな間違《まちがひ》だよ」内儀《かみ》さんは勵《はげま》すやうにさうしてしんみりといつた。暫《しばら》く噺《はなし》が途切《とぎ》れた時《とき》勘次《かんじ》は突然《とつぜん》 「お内儀《かみ》さん變《へん》なこと聞《き》くやうでがすが帶《おび》にする布片《きれ》はどの位《くれえ》有《あ》つたらえゝもんでがせうね」と聞《き》いた。 「おつぎにでも締《し》めさせるのかい」 「へえ、今《いま》のが古《ふる》くつて厭《や》だなんて強請《ねだ》れんで、何時《いつ》でもわし怒《おこる》んでがすが、お内儀《かみ》さん處《とこ》へも不義理《ふぎり》ばかりしてそんな處《ところ》ぢやねえつて云《ゆ》つて聞《き》かせても、みんな赤《あけ》えの締《し》めてるもんだから欲《ほ》しくつて仕《し》やうねえんでさ」 「さうだね、帶《おび》はまあ一|丈《ぢやう》つていふんだが、其處《そこ》らの子《こ》の締《し》めるのは什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》ものだかさね」 「わしらおつうはそれ四|尺《しやく》もあればえゝつちんですがね、それだからわしお内儀《かみ》さんにでも聞《き》かねえぢや分《わか》んねえと思《おも》つて」 「さうさ成程《なるほど》、外《そと》へ出《で》る處《ところ》だけ有《あ》れば善《い》いんだから、それにや四|尺《しやく》もあつたら澤山《たくさん》だね、斯《か》うこつちばかり附《つ》ければね」内儀《かみ》さんは自分《じぶん》の帶《おび》へ手《て》を當《あ》てゝ見《み》ていつた。 「それお内儀《かみ》さん、兩方《りやうはう》へ附《つ》けんだつて恁《か》ういに縛《しば》つて中《なか》へたぐめた端《はじ》つ子《こ》が赤《あか》くなくつちや見《み》つともねえつてね、そんな處《ところ》どうでもよかんべと思《おも》ふんだが、尤《もつと》も其處《そこ》は一|尺《しやく》でえゝなんて云《いふ》んでさ」 「成程《なるほど》ね、私等《わたしら》今《いま》までさういふことにや氣《き》が附《つ》かなかつたが、結《むす》び目《め》も仕事《しごと》するんだから其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》に大《おほ》きくなくつたつて構《かま》はないし、四|尺《しやく》五|寸《すん》もあれば丸《まる》で新《あたら》しいやうに見《み》えるんだね」 「そんでお内儀《かみ》さん、どの位《くれえ》したもんでがせうね錢《ぜに》は、たんと出《で》んぢやはあ仕《し》やうねえが」勘次《かんじ》は危《あやぶ》むやうにいつた。 「幾《いく》らもしないね、其《そ》れ丈《だけ》ぢや」 「そんでも大凡《おほよそ》まあどの位《くれえ》したもんでがせうね」勘次《かんじ》は又《また》反覆《くりかへ》して促《うなが》した。 「唐縮緬《たうちりめん》も近頃《ちかごろ》ぢや廉《やす》くなつたから一|尺《しやく》十二三|錢位《せんぐらゐ》のものかね、上等《じやうとう》で十四五|錢《せん》しかしないだらうね」 「さうでがすか、わしやまた大變《たいへん》出《で》んだとばかし思《おも》つてあんした」 「それも反物《たんもの》に成《な》つてるのを切《き》らしてさうだよ、それからもつと廉《やす》くも出來《でき》るのさ、村《むら》の店《みせ》なんぞぢや錢《ぜに》ばかりとつて虱《しらみ》が潜《もぐ》り相《さう》なのでね」内儀《かみ》さんは微笑《びせう》した。 「さういふ短《みじか》いのは端布片《はしぎれ》で買《か》ふに限《かぎ》るのさ、幾《いく》らにもつかないもんだよ、私《わたし》が近頃《ちかごろ》出《で》る序《ついで》もあるから買《か》つて來《き》て遣《や》つても善《い》いよ」 「さうですか、そんぢやお内儀《かみ》さんどうかさうしておくんなせえ、お内儀《かみ》さんに見《み》て貰《もれ》えせえすりや大丈夫《だえぢようぶ》でがすから、なあに赤《あか》くせえありや什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》んでも構《かま》あねえんでがすがね」 「一|日《にち》お前《まへ》が日傭《ひよう》に來《き》さへすりやそれ丈《だけ》は出《で》て畢《しま》ふから、欲《ほ》しいといふものなら拵《こしら》へて遣《や》るが善《い》いよ、そりや欲《ほ》しい筈《はず》さおつぎも明《あ》ければ十八に成《な》るんだつけね」内儀《かみ》さんは同情《どうじやう》していつた。 「わしに怒《おこ》らつるもんだから蔭《かげ》でぐず/\云《ゆ》つて困《こま》んでさ」勘次《かんじ》は更《さら》に 「そんぢやまあ善《よ》かつた、わし等《ら》そんなこたあちつとも分《わか》んねえから、夫《それ》からはあお内儀《かみ》さんに聞《き》いてんべと思《おも》つてたのせ」といつて何處《どこ》となくそわ/\と悦《よろこ》ばしさを禁《きん》じ得《え》ないものゝ如《ごと》くである。 「女《をんな》の子《こ》は此《こ》れで飾《かざり》だから他人《ひと》にも見《み》られるからね」内儀《かみ》さんは懇《ねんごろ》にいつた。 「わし等《ら》自分《じぶん》ぢや什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》襤褸《ぼろ》だつて構《かま》あねえが此《こ》れで女《あま》つ子《こ》にやねえ、わしもこんでお内儀《かみ》さんに聞《き》く迄《まで》にや心配《しんぺえ》しあんしたよ」勘次《かんじ》は僅《わづか》な帶《おび》のことが大《おほ》きな事件《じけん》の解決《かいけつ》でも與《あた》へられたやうに心《こゝろ》の底《そこ》から勢《いきほ》ひづいて内儀《かみ》さんの前《まへ》に感謝《かんしや》した。          一一  勘次《かんじ》は極《きは》めて狹《せま》い周圍《しうゐ》を有《いう》して居《ゐ》る。然《しか》し彼《かれ》の痩《や》せた小《ちひ》さな體躯《からだ》は、其《そ》の狹《せま》い周圍《しうゐ》と反撥《はんぱつ》して居《ゐ》るやうな關係《くわんけい》が自然《しぜん》に成立《なりた》つて居《ゐ》る。彼《かれ》は決《けつ》して他人《たにん》と爭鬪《さうとう》を惹《ひ》き起《おこ》した例《ためし》もなく、寧《むし》ろ極《きは》めて平穩《へいをん》な態度《たいど》を保《たも》つて居《ゐ》る。唯《たゞ》彼等《かれら》のやうな貧《まづ》しい生活《せいくわつ》の者《もの》は相互《さうご》に猜忌《さいぎ》と嫉妬《しつと》との目《め》を峙《そばだ》てゝ居《ゐ》る。勘次《かんじ》は異常《いじやう》な勞働《らうどう》によつて報酬《はうしう》を得《え》ようとする一|方《ぱう》に一|錢《せん》と雖《いへど》も容易《ようい》に其《そ》の懷《ふところ》を減《げん》じまいとのみ心懸《こゝろが》けて居《ゐ》る。彼等《かれら》のやうな低《ひく》い階級《かいきふ》の間《あひだ》でも相互《さうご》の交誼《かうぎ》を少《すこ》しでも破《やぶ》らないやうにするのには、其處《そこ》には必《かなら》ず其《それ》に對《たい》して金錢《きんせん》の若干《じやくかん》が犧牲《ぎせい》に供《きよう》されねばならぬ。絶對《ぜつたい》に其《その》犧牲《ぎせい》を惜《をし》むものは他《た》の憎惡《ぞうを》を買《か》ふに至《いた》らないまでも、相互《さうご》の間《あひだ》は疎略《そりやく》にならねばならぬ。然《しか》し其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》ことは勘次《かんじ》を苦《くるし》めて其《そ》のさもしい心《こゝろ》の或《ある》物《もの》を挽囘《ばんくわい》させる力《ちから》を有《いう》して居《ゐ》ないのみでなく、殆《ほと》んど何《なん》の響《ひゞき》をも彼《かれ》の心《こゝろ》に傳《つた》ふるものではない。彼《かれ》は只《たゞ》其《そ》の日《ひ》/\の生活《せいくわつ》が自分《じぶん》の心《こゝろ》に幾《いく》らでも餘裕《よゆう》を與《あた》へて呉《く》れればとのみ焦慮《あせ》つて居《ゐ》るのである。彼《かれ》の心《こゝろ》を滿足《まんぞく》せしめる程度《ていど》は、譬《たと》へば目前《もくぜん》に在《あ》る低《ひく》い竹《たけ》の垣根《かきね》を破壤《はくわい》して一|歩《ぽ》足《あし》を其《その》域内《ゐきない》に趾《あと》つけるだけのことに過《す》ぎないのである。然《しか》も竹《たけ》の垣根《かきね》は朽《く》ちて居《ゐ》る。朽《く》ちた低《ひく》い竹《たけ》の垣根《かきね》は其《そ》の強《つよ》い手《て》の筋力《きんりよく》を以《もつ》て破壤《はくわい》するに何《なん》の造作《ざうさ》もない筈《はず》であるが、手《て》の先端《せんたん》を觸《ふ》れしめることさへ出來《でき》ないで居《ゐ》るのである。彼《かれ》は長《なが》い時間《じかん》氷雪《ひようせつ》の間《あひだ》を渉《わた》つた後《のち》、一|杯《ぱい》の冷《つめ》たい釣瓶《つるべ》の水《みづ》を注《そゝ》ぐことによつて快《こゝよ》よい暖氣《だんき》を其《そ》の赤《あか》く成《な》つた足《あし》に感《かん》ずる樣《やう》に、僅少《きんせう》な或《ある》物《もの》が彼《かれ》の顏面《がんめん》の僻《ひが》んだ筋《すぢ》を伸《のべ》るに十|分《ぶん》であるのに、彼《かれ》は其《そ》の冷水《れいすゐ》の一|杯《ぱい》をさへ空《むな》しく求《もと》めつゝあつたのである。自然《しぜん》に形《かたちづく》られて居《ゐ》る階級《かいきふ》の相違《さうゐ》を有《いう》して居《ゐ》る者《もの》又《また》は長《なが》い間《あひだ》彼《かれ》の生活《せいくわつ》の内情《ないじやう》を知悉《ちしつ》して居《ゐ》る者《もの》からは彼《かれ》は同情《どうじやう》の眼《まなこ》を以《もつ》て視《み》られて居《ゐ》るけれども、こせ/\とした其《そ》の態度《たいど》と、狐疑《こぎ》して居《ゐ》るやうな其《その》容貌《ようばう》とは其處《そこ》に敢《あへ》て憎惡《ぞうを》すべき何物《なにもの》も存在《そんざい》して居《ゐ》ないにしても到底《たうてい》彼等《かれら》の伴侶《なかま》の凡《すべ》てと融和《ゆうわ》さるべき所以《ゆゑん》のものではない。彼《かれ》は彼等《かれら》の伴侶《なかま》に在《あ》つては、幾度《いくたび》かいひふらされて居《ゐ》る如《ごと》く水《みづ》に落《おと》した菜種油《なたねあぶら》の一|滴《てき》である。水《みづ》が動《うご》く時《とき》油《あぶら》は隨《したが》つて動《うご》かねば成《な》らぬ。水《みづ》が傾《かたむ》く時《とき》油《あぶら》は亦《また》傾《かたむ》かねば成《な》らぬ。併《しか》し水《みづ》が平靜《へいせい》の度《ど》を保《たも》つ時《とき》油《あぶら》は更《さら》に怖《おそ》れたやうに一|所《しよ》に凝集《ぎようしふ》する。兩者《りやうしや》の間《あひだ》には何等《なんら》其《そ》の性質《せいしつ》を變化《へんくわ》せしむべき作用《さよう》の起《おこ》るでもなく、其《そ》れは水《みづ》が油《あぶら》を疎外《そぐわい》するのか、油《あぶら》が水《みづ》を反撥《はんぱつ》するのか遂《つひ》に溶《と》け合《あ》ふ機會《きくわい》が無《な》いのである。之《これ》を攪亂《かうらん》する他《た》の力《ちから》が加《くは》へられねば兩者《りやうしや》は唯《たゞ》平靜《へいせい》である。村落《むら》の空氣《くうき》が平靜《へいせい》である如《ごと》く、勘次《かんじ》と他《た》の凡《すべ》てとの間《あひだ》も極《きは》めて平靜《へいせい》でそれで相《あひ》容《いれ》ないのである。勘次《かんじ》は其《そ》の菜種油《なたねあぶら》のやうに櫟林《くぬぎばやし》と相《あひ》接《せつ》しつゝ村落《むら》の西端《せいたん》に僻在《へきざい》して親子《おやこ》三|人《にん》が只《たゞ》凝結《ぎようけつ》したやうな状態《じやうたい》を保《たも》つて落付《おちつい》て居《ゐ》るのである。  偶然《ぐうぜん》に起《おこ》つた彼《かれ》の破廉耻《はれんち》な行爲《かうゐ》が俄《にはか》に村落《むら》の耳目《じもく》を聳動《しようどう》しても、兎《と》にも角《かく》にも一|家《か》を處理《しより》して行《ゆ》かねばならぬ凡《すべ》ての者《もの》は、彼等《かれら》に共通《きようつう》な聞《き》きたがり知《し》りたがる性情《せいじやう》に驅《か》られつゝも、寧《むし》ろ地味《ぢみ》で移氣《うつりぎ》な心《こゝろ》が際限《さいげん》もなく一《ひと》つを逐《お》ふには年齡《ねんれい》が餘《あまり》に彼等《かれら》を冷靜《れいせい》な方向《はうかう》に傾《かたむ》かしめて居《ゐ》る。それでなくても其《そ》の知《し》りたがり聞《き》きたがる性情《せいじやう》を刺戟《しげき》すべきことは些細《ささい》であるとはいひながら相《あひ》尋《つい》で彼等《かれら》の耳《みゝ》に聞《きこ》えるので勘次《かんじ》のみが問題《もんだい》では無《な》くなるのである。然《しか》しながら若《わか》い衆《しゆ》と稱《しよう》する青年《せいねん》の一|部《ぶ》は勘次《かんじ》の家《いへ》に不斷《ふだん》の注目《ちうもく》を怠《おこた》らない。其《そ》れはおつぎの姿《すがた》を忘《わす》れ去《さ》ることが出來《でき》ないからである。苟且《かりそめ》にも血液《けつえき》の循環《じゆんくわん》が彼等《かれら》の肉體《にくたい》に停止《ていし》されない限《かぎ》りは、一|旦《たん》心《こゝろ》に映《うつ》つた女《をんな》の容姿《かたち》を各自《かくじ》の胸《むね》から消滅《せうめつ》させることは不可能《ふかのう》でなければならぬ。然《しか》し彼等《かれら》は一|方《ぱう》に有《いう》して居《ゐ》る矛盾《むじゆん》した羞耻《しうち》の念《ねん》に制《せい》せられて燃《も》えるやうな心情《しんじやう》から竊《ひそか》に果敢《はか》ない目《め》の光《ひかり》を主《しゆ》として夜《よ》に向《むか》つて注《そゝ》ぐのである。  夜《よ》は彼等《かれら》の世界《せかい》である。  熟練《じゆくれん》な漁師《れふし》は大洋《たいやう》の波《なみ》に任《まか》せて舷《こべり》から繩《なは》に繼《つ》いだ壺《つぼ》を沈《しづ》める。其《そ》の繩《なは》を探《さぐ》つて沈《しづ》めた赤《あか》い土燒《どやき》の壺《つぼ》が再《ふたゝ》び舷《こべり》に引《ひ》きつけられる時《とき》、其處《そこ》には凝然《ぢつ》として蛸《たこ》が足《あし》の疣《いぼ》を以《もつ》て内側《うちがは》に吸《す》ひついて居《ゐ》る。恁《か》うして漁師《れふし》は烱眼《けいがん》を以《もつ》て獲物《えもの》を過《あやま》たぬ道《みち》を波《なみ》の間《あひだ》に窮《きは》めて居《ゐ》るのである。僅《わづか》な村落《むら》の内《うち》で毎日《まいにち》凡《すべ》ての目《め》に熟《じゆく》して居《ゐ》る女《をんな》の所在《ありか》を覘《ねら》ふことは、蛸壺《たこつぼ》を沈《しづ》めるやうな其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》寧《むし》ろあてどもないものではない。木《こ》の葉《は》が陰翳《かげ》を落《お》として呉《く》れぬ冬《ふゆ》の夜《よ》には覘《ねら》うて歩《ある》く彼等《かれら》は自分《じぶん》の羞耻心《しうちしん》を頭《あたま》から褞袍《どてら》で被《おほ》うて居《ゐ》る。短《みじか》い夜《よ》の頃《ころ》でも、朝《あさ》の眠《ねむ》たさが覿面《てきめん》に自分《じぶん》を窘《たしな》めるにも拘《かゝ》はらずうそ/\と歩《ある》いて見《み》ねば臭《くさ》い古《ふる》ぼけた蚊帳《かや》の中《なか》に諦《あきら》めて其《その》身《み》を横《よこ》たへることが出來《でき》ないのである。彼等《かれら》が女《をんな》の所在《ありか》を覘《ねら》ふのは極《きは》めて容易《ようい》なものの樣《やう》ではありながら蛸壺《たこつぼ》が少《すこ》しの妨《さまた》げもなく沈《しづ》められる樣《やう》ではなく、父母《ふぼ》の目《め》が闇《やみ》の夜《よ》にさへ光《ひかり》を放《はな》つて女《をんな》を彼等《かれら》から遮斷《しやだん》しようとして居《ゐ》る。彼等《かれら》はそれで目《め》の光《ひかり》の及《およ》ぶ範圍内《はんゐない》には自分《じぶん》の身《み》を表《あら》はさないで目的《もくてき》を遂《と》げようと苦心《くしん》する。譬《たとへ》て見《み》れば彼等《かれら》は狹《せば》いとはいひながら跳《はね》ては越《こ》せぬ堀《ほり》を隔《へだ》てゝ、然《し》かも繁茂《はんも》した野茨《のばら》や川楊《かはやなぎ》に身《み》を沒《ぼつ》しつゝ女《をんな》の軟《やはら》かい手《て》を執《と》らうとするのである。其《そ》れは到底《たうてい》相《あひ》觸《ふ》れることさへ不可能《ふかのう》である。焦燥《あせ》つて堀《ほり》を飛《と》び越《こ》えようとしては野茨《のばら》の刺《とげ》に肌膚《はだ》を傷《きずつ》けたり、泥《どろ》に衣物《きもの》を汚《よご》したり苦《にが》い失敗《しつぱい》の味《あぢ》を嘗《な》めねばならぬ。其《そ》れ故《ゆゑ》彼等《かれら》は隱約《いんやく》の間《あひだ》に巧妙《かうめう》な手段《しゆだん》を施《ほどこ》さうとして其處《そこ》に工夫《くふう》が凝《こら》されるのである。  既《すで》に漁師《れふし》の手《て》に生命《せいめい》を握《にぎ》られて居《ゐ》る蛸《たこ》は力《ちから》を極《きは》めて壺《つぼ》の内側《うちがは》に緊着《きんちやく》すれば什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》強《つよ》い手《て》の力《ちから》が袋《ふくろ》のやうな其《そ》の頭《あたま》を持《も》つて曳《ひ》かうとも、蛇《へび》が身體《からだ》の一|部《ぶ》を穴《あな》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]入《さうにう》したやうに拗切《ちぎれ》るまでも離《はな》れない。刄物《はもの》を以《もつ》て突《つ》つ刺《つあ》しても同《どう》一である。蛸壺《たこつぼ》の底《そこ》には必《かなら》ず小《ちひ》さな穴《あな》が穿《うが》たれてある。臀《しり》からふつと息《いき》を吹《ふ》つ掛《か》けると蛸《たこ》は驚《おどろ》いてすると壺《つぼ》から逃《に》げる。それでも猶旦《やつぱり》騙《だま》されぬ時《とき》は小《ちひ》さな穴《あな》から熱湯《ねつたう》をぽつちりと臀《しり》に注《そゝ》げば蛸《たこ》は必《かなら》ず慌《あわ》てゝ漁師《れふし》の前《まへ》に跳《をど》り出《だ》す。熱《あつ》い一|滴《てき》によつて容易《ようい》に蛸《たこ》は騙《だま》されるのである。假令《たとひ》監視《かんし》の目《め》から※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《のが》れて女《をんな》に接近《せつきん》したとしても、打《う》ち込《こ》んだ女《をんな》の情《じやう》が強《こは》ければ蛸壺《たこつぼ》の蛸《たこ》が騙《だま》される樣《やう》にころりと落《おと》す工夫《くふう》のつくまでは男《をとこ》は忍耐《にんたい》と寧《むし》ろ危險《きけん》とを併《あわ》せて凌《しの》がねば成《な》らぬ。さうして纔《わづか》に相《あひ》接《せつ》した兩性《りやうせい》が心《こゝろ》から相《あひ》曳《ひ》く時《とき》相《あひ》互《たがひ》に他《た》の凡《すべ》てに對《たい》して恐怖《きようふ》の念《ねん》を懷《いだ》きはじめるのである。  空《そら》が夕日《ゆふひ》の消《き》え行《ゆ》く光《ひかり》を西《にし》の底《そこ》深《ふか》く鎖《とざ》して畢《しま》つて、薄《うす》い宵《よひ》が地《ち》を低《ひく》く掩《おほ》うて夜《よ》が到《いた》つた時《とき》女《をんな》は井戸端《ゐどばた》で愉快《ゆくわい》に唄《うた》ひながら一|種《しゆ》の調子《てうし》を持《も》つた手《て》の動《うご》かし樣《やう》をして米《こめ》を研《と》ぐ。女《をんな》は研桶《とぎをけ》と唄《うた》との二つの聲《こゑ》が錯綜《さくそう》しつゝある間《あひだ》にも木陰《こかげ》に佇《たゝず》む男《をとこ》のけはひを悟《さと》る程《ほど》耳《みゝ》の神經《しんけい》が興奮《こうふん》して居《ゐ》る。其《そ》れが凉《すゞ》しい夏《なつ》の夜《よ》で女《をんな》が男《をとこ》を待《ま》つ時《とき》には毎日《まいにち》汗《あせ》に汚《よご》れ易《やす》いさうして其《そ》の飾《かざ》りでなければ成《な》らぬ手拭《てぬぐひ》の洗濯《せんたく》に暇《ひま》どるのである。庭《には》の木陰《こかげ》に身《み》を避《さ》けてしんみりと互《たがひ》の胸《むね》を反覆《くりかへ》す時《とき》繁茂《はんも》した※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》や栗《くり》の木《き》は彼等《かれら》が唯《ゆゐ》一の味方《みかた》で月夜《つきよ》でさへ深《ふか》い陰翳《かげ》が安全《あんぜん》に彼等《かれら》を包《つゝ》む。空《そら》に冴《さ》えた月《つき》は放棄《はうき》してある手水盥《てうづだらひ》を覗《のぞ》いては冷《ひやゝ》かに笑《わら》うて居《ゐ》る。彼等《かれら》が餘《あま》りに暇《ひま》どつて居《ゐ》れば月《つき》はこつそりと首《くび》を傾《かたむ》けて木《こ》の葉《は》の間《あひだ》から覗《のぞ》いて見《み》る。其《そ》れでも猶《なほ》彼等《かれら》が屈託《くつたく》して居《を》れば、彼等《かれら》を庇護《ひご》して居《ゐ》る木《き》が※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》であれば梢《こずゑ》からまだ青《あを》い實《み》を投《な》げて、其《そ》の瞬間《しゆんかん》驚《おどろ》き易《やす》い彼等《かれら》が欺《あざむ》かれて、彼等《かれら》の伴侶《なかま》の惡戯《あくぎ》であるかを疑《うたが》うては慌《あわ》てゝ周圍《しうゐ》を見《み》る時《とき》、繁茂《はんも》した大《おほ》きな葉《は》が凉《すゞ》しい風《かぜ》にさや/\と微笑《びせう》する。彼等《かれら》はかうして家《いへ》の内《うち》から聲《こゑ》を立《た》てゝ劇《はげ》しく呼《よ》ばれるまでは怖《おそ》れ/\も際限《さいげん》のない噺《はなし》に耽《ふけ》るのである。  彼等《かれら》がさういふ苦辛《くしん》の間《あひだ》に次《つぎ》の日《ひ》の身體《からだ》の疲《つか》れを犧牲《ぎせい》にしてまでも僅《わづか》な時間《じかん》を相《あひ》對《たい》して居《ゐ》ながら互《たがひ》の顏《かほ》も見《み》ることが出來《でき》ないで低《ひく》く殺《ころ》した聲《こゑ》にのみ滿足《まんぞく》する外《ほか》に、彼等《かれら》は林《はやし》の中《なか》に放《はな》たれた時《とき》想《おも》ひ想《おも》はぬ凡《すべ》てが只管《ひたすら》に甘《あま》い味《あぢ》を貪《むさぼ》るのである。林《はやし》は彼等《かれら》の天地《てんち》である。落葉《おちば》を掻《か》くとて熊手《くまで》を入《い》れる時《とき》彼等《かれら》は相《あひ》伴《ともな》うて自在《じざい》に※[#「彳+尚」、第3水準1-84-33]※[#「彳+羊」、第3水準1-84-32]《さまよ》ふことが默託《もくきよ》されてある。然《しか》し熊手《くまで》の爪《つめ》が速《すみや》かに木陰《こかげ》の土《つち》に趾《あと》つける其《そ》の運動《うんどう》さへ一|度《ど》は一|度《ど》と短《みじか》い日《ひ》を刻《きざ》んで行《ゆ》く樣《やう》な冬《ふゆ》の季節《きせつ》は餘《あま》りに冷《つめ》たく彼等《かれら》の心《こゝろ》を引《ひ》き緊《し》めて居《ゐ》る。  到《いた》る處《ところ》畑《はたけ》の玉蜀黍《たうもろこし》が葉《は》の間《あひだ》からもさ/\と赤《あか》い毛《け》を吹《ふ》いて、其《そ》の大《おほ》きな葉《は》がざわ/\と人《ひと》の心《こゝろ》を騷《さわ》がす樣《やう》に成《な》ると、男女《なんによ》の群《むれ》が霖雨《りんう》の後《あと》の繁茂《はんも》した林《はやし》の下草《したぐさ》に研《と》ぎすました草刈鎌《くさかりがま》の刄《は》を入《い》れる。初《はじめ》は朝《あさ》まだきに馬《うま》の秣《まぐさ》の一|籠《かご》を刈《か》るに過《すぎ》ないけれど、燬《や》くやうな日《ひ》のもとに畑《はた》も漸《やうや》く極《きまり》がついて村落《むら》の凡《すべ》てが皆《みな》草刈《くさかり》に心《こゝろ》を注《そゝ》ぐ樣《やう》に成《な》れば、若《わか》い同志《どうし》が相《あひ》誘《さそ》うては遠《とほ》く林《はやし》の小徑《こみち》を分《わけ》て行《ゆ》く。さうして自分《じぶん》の天地《てんち》に其《その》羽《はね》を一|杯《ぱい》に擴《ひろ》げる。何處《どこ》を見《み》ても只《たゞ》深《ふか》い緑《みどり》に鎖《とざ》された林《はやし》の中《なか》に彼等《かれら》は唄《うた》ふ聲《こゑ》に依《よ》つて互《たがひ》の所在《ありか》を知《し》つたり知《し》らせたりする。彼等《かれら》のしをらしい者《もの》はそれでも午前《ごぜん》の幾時間《いくじかん》を懸命《けんめい》に働《はたら》いて父《ちゝ》なるものゝ小言《こごと》を聞《き》かぬまでに厩《うまや》の傍《そば》に草《くさ》を積《つ》んでは、午後《ごご》の幾時間《いくじかん》を勝手《かつて》に費《つひや》さうとする。一|度《ど》でもしめやかに語《かた》り合《あ》うた兩性《りやうせい》が邂逅《であ》へば彼等《かれら》は一|切《さい》を忘《わす》れて、それでも有繋《さすが》に人目《ひとめ》をのみは厭《いと》うて小徑《こみち》から一|歩《ぽ》木《き》の間《あひだ》に身《み》を避《さ》ける。繁茂《はんも》した青草《あをぐさ》が側《そば》行《ゆ》く人《ひと》にも知《し》られぬ樣《やう》に屈《かゞ》んだ彼等《かれら》を幾《いく》らでも掩《おほ》ひ隱《かく》す。彼等《かれら》は極《きま》つた何《なん》の噺《はなし》も持《も》つて居《ゐ》ないのに快《こゝろ》よく冷《つめ》たい土《つち》に坐《すわ》つて、遂《つひ》には手《て》にした鎌《かま》の刄先《はさき》で少《すこ》しづゝ土《つち》をほじくりつゝ女《をんな》は白《しろ》い手拭《てぬぐひ》の端《はし》を微動《びどう》させては俯伏《つゝぷ》しなから微笑《びせう》しながら際限《さいげん》もなく其處《そこ》に凝然《ぢつ》として居《ゐ》ようとする。熬《い》りつける樣《やう》な油蝉《あぶらぜみ》の聲《こゑ》が彼等《かれら》の心《こゝろ》を撼《ゆる》がしては鼻《はな》のつまつたやうなみん/\蝉《ぜみ》の聲《こゑ》が其《そ》の心《こゝろ》を溶《とろ》かさうとする。藪蚊《やぶか》が彼等《かれら》の日《ひ》に燒《や》けた赤《あか》い足《あし》へ針《はり》を刺《さ》して、臀《しり》がたはら胡頽子《ぐみ》の樣《やう》に血《ち》を吸《す》うて膨《ふく》れても、彼等《かれら》はちくりと刺戟《しげき》を與《あた》へられた時《とき》に慌《あわ》てゝはたと叩《たゝ》くのみで蚊《か》が逃《に》げようとも知《し》らぬ顏《かほ》である。暑《あつ》い日《ひ》が草《くさ》いきれで汗《あせ》びつしりに成《な》つて居《ゐ》る彼等《かれら》の身體《からだ》に時刻《じこく》が過《す》ぎたと枝《えだ》の間《あひだ》から強《つよ》い光《ひかり》を投掛《なげか》けて促《うなが》す迄《まで》は、稀《まれ》には痺《しび》れた足《あし》を投出《なげだ》して聞《き》きも聞《き》かせもしなくて善《い》い噺《はなし》を反覆《はんぷく》してのみ居《ゐ》るのである。彼等《かれら》は恁《か》うして時間《じかん》を空《むな》しく費《つひや》しては遠《とほ》く近《ちか》く蜩《ひぐらし》の聲《こゑ》が一|齊《せい》に忙《いそが》しく各自《かくじ》の耳《みゝ》を騷《さわ》がして、大《おほ》きな紗《しや》で掩《おほ》うたかと思《おも》ふ樣《やう》に薄《うす》い陰翳《かげ》が世間《せけん》を包《つゝ》むと彼等《かれら》は慌《あわ》てゝ皆《みな》家路《いへぢ》に就《つ》く。どうかして餘《あま》りに後《おく》れると空《から》な草刈籠《くさかりかご》を倒《さかしま》に脊負《せお》つて、歩《ある》けばざわ/\と鳴《な》る樣《やう》に、大《おほ》きな籠《かご》の目《め》へ楢《なら》や雜木《ざふき》の枝《えだ》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》して黄昏《たそがれ》の庭《には》に身《み》を運《はこ》んで刈積《かりつ》んだ青草《あをくさ》に近《ちか》く籠《かご》を卸《おろ》す。父《ちゝ》なるものは蚊柱《かばしら》の立《たつ》てる厩《うまや》の側《そば》でぶる/\と鬣《たてがみ》を撼《ゆる》がしながら、ぱさり/\と尾《を》で臀《しり》の邊《あたり》を叩《たゝ》いて居《ゐ》る馬《うま》に秣《まぐさ》を與《あた》へて居《ゐ》る。母《はゝ》なるものは青《あを》い烟《けぶり》に滿《みち》た竈《かまど》の前《まへ》に立《た》つては裾《うづくま》りつゝ、燈火《ともしび》を點《つ》ける餘裕《よゆう》もなく我《わ》が子《こ》をぶつ/\と待《ま》つて居《ゐ》る。恁《か》うして忙《いそが》しさに楢《なら》や雜木《ざふき》の枝《えだ》で欺《あざむ》いた手段《しゆだん》が發見《はつけん》されないのである。うしろめたい女《をんな》は默《だま》つて何《なに》よりも先《ま》づ空《から》な手桶《てをけ》を持《も》つて井戸端《ゐどばた》へ驅《か》けて行《い》つてはざあと水《みづ》を汲《く》んでそれから汁《しる》の身《み》でも切《き》れてなければ慌《あわたゞ》しくとん/\と庖丁《はうちやう》の響《ひゞき》を立《た》てゝ、少《すこ》しづゝでも母《はゝ》なるものゝ小言《こごと》から遁《のが》れようとする。狹《せま》い庭《には》の垣根《かきね》に黄色《きいろ》な蝶《てふ》が幾《いく》つも止《とま》つて頻《しき》りに羽《はね》を動《うご》かして居《ゐ》るやうに一つ/\にひらり/\と開《ひら》いては夜目《よめ》にもほつかりと匂《にほ》うて居《ゐ》る月見草《つきみさう》は自分等《じぶんら》の夜《よる》が來《き》たと、駈《か》け歩《ある》いて居《ゐ》る女《をんな》に對《たい》して懷《なつか》し相《さう》に目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》るのである。彼等《かれら》の或《ある》者《もの》は更《さら》に夜《よる》の眠《ねむ》りに就《つ》く前《まへ》に戸口《とぐち》に近《ちか》く蚊帳《かや》の裾《すそ》にくるまつては竊《ひそか》に雨戸《あまど》の外《そと》に訪《おとづ》るゝ男《をとこ》を待《ま》たうとさへするのである。男《をとこ》は雨戸《あまど》を開《あ》けて忍《しの》ぶ時《とき》月《つき》が冴《さ》え居《ゐ》てさへ躊躇《ちうちよ》せぬ。彼《かれ》はそれでも疊《た々み》の上《うへ》に射《さ》し込《こ》む光《ひかり》を厭《いと》うて廂《ひさし》に近《ちか》く筵《むしろ》を吊《つ》る。歪《ゆが》んだ戸《と》がぎし/\と鳴《な》るのにそれが彼等《かれら》の西瓜《すゐくわ》や瓜《うり》の畑《はたけ》を襲《おそ》ふ頃《ころ》であれば道端《みちばた》の草村《くさむら》から轡蟲《くつわむし》を捕《と》つて行《い》つて雨戸《あまど》の隙間《すきま》から放《はな》つ。轡蟲《くつわむし》は闇《くら》いなかへ放《はな》たれゝば、直《たゞち》に聲《こゑ》を揃《そろ》へて鳴《な》く。土地《とち》で其《そ》れが一|般《ぱん》にがしや/\といふ名稱《めいしよう》を與《あた》へられて居《ゐ》るだけ喧《やかま》しく只《たゞ》がしや/\と鳴《な》く。がしや/\が鳴《な》き出《だ》せば彼等《かれら》は安《やす》んじて雨戸《あまど》をこじるのである。それから又《また》箱《はこ》を轉《ころが》したやうな、隔《へだ》ての障子《しやうじ》さへ無《な》い小《ちひ》さな家《いへ》で女《をんな》が男《をとこ》を導《みちび》くとて、如何《どう》しても父母《ちゝはゝ》の枕元《まくらもと》を過《す》ぎねば成《な》らぬ時《とき》は、踏《ふ》めばぎし/\と鳴《な》る床板《ゆかいた》に二人《ふたり》の足音《あしおと》を憚《はゞか》つて女《をんな》は闇《やみ》に男《をとこ》を脊負《せお》ふのである。其處《そこ》には假令《たとへ》重量《ぢゆうりやう》が加《くは》へられても、それは巧《たくみ》に疲《つか》れて眠《ねむ》い父母《ちゝはゝ》の耳《みゝ》を欺《あざむ》くのである。  一|般《ぱん》の子女《しぢよ》の境涯《きやうがい》は如此《かくのごとく》にして稀《まれ》には痛《いた》く叱《しか》られることもあつて其《その》時《とき》のみは萎《しを》れても明日《あす》は忽《たちま》ち以前《いぜん》に還《かへ》つて其《その》性情《せいじやう》の儘《まゝ》に進《すゝ》んで顧《かへり》みぬ。おつぎは其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》伴侶《なかま》と一|日《にち》でも一つに其《その》身《み》を放《はな》たれたことがないのである。  勘次《かんじ》が什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》に八釜敷《やかましく》おつぎを抑《おさ》へてもおつぎがそれで制《せい》せられても、勘次《かんじ》は村《むら》の若者《わかもの》がおつぎに想《おもひ》を懸《か》けることに掣肘《せいちう》を加《くは》へる些《さ》の力《ちから》をも有《いう》して居《を》らぬ。凡《すべ》ての村落《むら》の若者《わかもの》が女《をんな》を覘《ねら》はうとする時《とき》は隨分《ずゐぶん》執念《しふね》く其《そ》れは丁度《ちやうど》、追《お》へば忽《たちま》ちに遁《に》げる鷄《とり》がどうかして狹《せま》く戸口《とぐち》を開《ひら》いてある※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、169-5]倉《こくぐら》に好《この》む餌料《ゑさ》を見出《みいだ》して這入《はひ》らうとする時《とき》に其《そ》の狹《せま》い戸口《とぐち》が身《み》を入《い》るゝに足《た》りなければ徒《いたづ》らに首《くび》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》し込《こ》んでは足掻《あが》いて/\さうして他《ほか》へ行《い》つて畢《しま》ふ。其《そ》れが一|度《ど》で斷念《だんねん》すれば其《そ》れ迄《まで》であるけれど、二度《ふたたび》三度《みたび》戸口《とぐち》に立《た》つて足掻《あが》き始《はじ》めれば、去《さ》つては來《きた》り、去《さ》つては來《きた》り、首筋《くびすぢ》の皮《かは》が擦《す》り剥《む》けて戸口《とぐち》に夥《したゝ》か血《ち》の趾《あと》を印《いん》しても執念《しふね》く餌料《ゑさ》を求《もと》めて止《や》まぬやうな形《かたち》でなければならぬ。各自《かくじ》の心《こゝろ》におつぎを何《ど》れ程《ほど》深《ふか》く思《おも》はうともそれは各自《かくじ》が有《いう》する權能《けんのう》に屬《ぞく》して居《ゐ》る。然《しか》しながらおつぎへ加《くは》へようとする其《その》手《て》を極端《きよくたん》に防遏《ばうあつ》しようとすることも勘次《かんじ》が有《いう》する權能《けんのう》である。相互《さうご》に其《そ》の權能《けんのう》を越《こ》えて他《た》の領域《りやうゐき》を冒《をか》す時《とき》其處《そこ》には必《かなら》ず葛藤《かつとう》が伴《ともな》はれる筈《はず》でなければ成《な》らぬ。若者《わかもの》は相《あひ》聚《あつ》まれば皆《みな》不平《ふへい》の情《じやう》を語《かた》り合《あ》うて、勝手《かつて》に勘次《かんじ》を邪魔《じやま》なこそつぱい者《もの》にして居《ゐ》た。其《その》癖《くせ》彼等《かれら》は皆《みな》互《たがひ》に自分《じぶん》獨《ひと》りのみがおつぎを獲《え》ようとして及《およ》ばぬ手《て》を延《の》ばして居《を》るのである。萬《まん》一|目的《もくてき》が遂《と》げられたことが有《あ》つたとしても其《そ》れは只《たゞ》一|人《にん》に限《かぎ》られて居《ゐ》て、爾餘《じよ》の幾人《いくにん》は空《むな》しく然《しか》も極《きは》めて輕《かる》い不快《ふくわい》と嫉妬《しつと》とから口々《くちぐち》に其《その》一|人《にん》に向《むか》つて厭味《いやみ》をいうて止《や》まねば成《な》らぬ。然《しか》しながら遂《つひ》に其《その》一|人《にん》が彼等《かれら》の間《あひだ》に發見《はつけん》されなかつた。彼等《かれら》の怨恨《うらみ》が凡《すべ》て勘次《かんじ》の一|身《しん》に聚《あつま》つた。それでも淡白《たんぱく》な彼等《かれら》の怨恨《うらみ》は三|人《にん》以上《いじやう》が聚《あつま》つて口《くち》を開《ひら》けば必《かなら》ず笑聲《せうせい》を絶《た》たぬ程《ほど》のものであつた。怨恨《うらみ》といふよりも焦燥《じれ》つたさであつた。おつぎの身體《からだ》には恁《か》うして事件《じけん》を惹《ひ》き起《おこ》すべき機會《きくわい》が與《あた》へられなかつた。それでも只《たつた》一人《ひとり》おつぎと手《て》を執《と》つて語《かた》ることにまで近《ちか》づき得《え》たものがあつた。勘次《かんじ》はどれ程《ほど》嚴重《げんぢう》にしてもおつぎが厠《かはや》に通《かよ》ふ時間《じかん》をさへ狹《せま》い庭《には》の夜《よ》の中《なか》へ放《はな》つことを拒《こば》むことは出來《でき》なかつた。執念深《しふねんぶか》い一|人《にん》が偶然《ぐうぜん》さういふ機會《きくわい》を發見《はつけん》した。彼《かれ》は、まだ羞恥《はぢ》と恐怖《おそれ》とが全身《ぜんしん》を支配《しはい》して居《ゐ》るおつぎを捕《とら》へて只《たゞ》凝然《ぢつ》と動《うご》かさないまでには幾度《いくたび》か手《て》を換《かへ》て苦心《くしん》した。勘次《かんじ》が戸《と》の内《うち》から呼《よ》んでも厠《かはや》の側《そば》で返辭《へんじ》をするおつぎの聲《こゑ》は最初《さいしよ》の間《あひだ》は疑念《ぎねん》を懷《いだ》かせるまでには至《いた》らなかつた。其《そ》れでも彼等《かれら》が心《こゝろ》に深《ふか》く互《たがひ》の情《じやう》を刻《きざ》むまで猜忌《さいぎ》の目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つて居《ゐ》る勘次《かんじ》を欺《あざむ》きおほせることは出來《でき》なかつた。  或《ある》晩《ばん》勘次《かんじ》はがらつと戸《と》を開《あ》けて出《で》た。劇《はげ》しく開《あ》けた戸《と》が稍《やゝ》朽《く》ち掛《か》けた閾《しきゐ》の溝《みぞ》を外《はづ》れようとしてぎつしりと固着《こちやく》した。彼《かれ》は苛立《いらだ》つて戸《と》を叩《たゝ》いて溝《みぞ》に復《ふく》すと其《そ》の儘《まゝ》飛《と》び出《だ》した。彼《かれ》は直《すぐ》自分《じぶん》に近《ちか》く手拭《てぬぐひ》被《かぶ》つたおつぎの姿《すがた》が徐《おもむ》ろに動《うご》いて來《く》るのを見《み》た。其《それ》と同時《どうじ》に竊《ひそか》に落《お》ち行《ゆ》く草履《ざうり》の音《おと》が勘次《かんじ》の耳《みゝ》に響《ひゞ》いた。彼《かれ》は其《それ》を耳《みゝ》に感《かん》ずる瞬間《しゆんかん》右《みぎ》の手《て》が壁際《かべぎは》の木《き》の根《ね》に掛《かゝ》つて、木《き》の根《ね》は彼《かれ》の力《ちから》一|杯《ぱい》に木陰《こかげ》の闇《やみ》に投《とう》ぜられた。木《き》の根《ね》はどさりと遠《とほ》く落《お》ちて庭《には》の土《つち》をさくつて餘勢《よせい》が幾度《いくど》かもんどりを打《う》つた。勘次《かんじ》は續《つゞ》いて擲《なげう》つた。曲者《くせもの》は既《すで》に遁《に》げ落《お》ちたけれど彼《かれ》の不意《ふい》の襲撃《しふげき》に慌《あわ》てゝ節《ふし》くれ立《だ》つた※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の根《ね》に蹶《つまづ》いて倒《たふ》れた。彼《かれ》は次《つき》の日《ひ》足《あし》を引《ひき》ずらねば歩《ある》けぬ程《ほど》足首《あしくび》の關節《くわんせつ》に疼痛《とうつう》を感《かん》じたのであつた。勘次《かんじ》はぽつさりと立《た》つて居《ゐ》るおつぎを突《つ》きのめす樣《やう》に戸口《とぐち》に送《おく》つてがらりと戸《と》を閉《と》ぢて掛金《かけがね》を掛《か》けた。  其《その》夜《よ》はまだ各《おの/\》が一つ加《くは》はつた年齡《ねんれい》の數《かず》程《ほど》の熬豆《いりまめ》を噛《かじ》つて鬼《おに》をやらうた夜《よ》から、幾《いく》らも隔《へだ》たらないので、鹽鰮《しほいわし》の頭《あたま》と共《とも》に戸口《とぐち》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》した柊《ひゝらぎ》の葉《は》も一向《いつかう》に乾《かわ》いた容子《やうす》の見《み》えない程《ほど》のことであつた。おつぎは十八《じふはち》というても其《そ》の年齡《とし》に達《たつ》したといふばかりで、恁《こ》んな場合《ばあひ》を巧《たくみ》に繕《つく》らふといふ料簡《れうけん》さへ苟且《かりそめ》にも持《も》つて居《ゐ》ない程《ほど》一|面《めん》に於《おい》ては濁《にごり》のない可憐《かれん》な少女《せうぢよ》であつた。おつぎは萎《しを》れて只《たゞ》ぽつさりと立《た》つて居《ゐ》る。勘次《かんじ》の目《め》は薄闇《うすくら》い手《て》ランプに光《ひか》つた。 「おつう」と一|聲《せい》呶鳴《どな》つて情《じやう》の激《げき》した勘次《かんじ》は咄嗟《とつさ》に次《つぎ》の語《ことば》が出《だ》せなかつた。 「何《なに》してけつかつたんだ」勘次《かんじ》はおつぎを睨《にら》みつけた。おつぎは俯向《うつむ》いて默《だま》つて居《ゐ》る。 「さあ云《ゆ》つて見《み》ろ、嘘《ちく》云《ゆ》つたつて知《し》つてつゝお」勘次《かんじ》は猶《なほ》も激《はげ》しく訊《たず》ねた。 「汝《わ》りや何時《いつ》でも何《なん》ちつた、おとつゝあげは決《けつ》して心配《しんぺえ》掛《か》けねえからつて云《ゆ》つたんぢやねえか、そんでも汝《わ》りや心配《しんぺえ》掛《か》けねえのか、掛《か》けねえつちんだら云《ゆ》つて見《み》ろ」彼《かれ》は忌々敷相《いま/\しさう》に且《か》つ刄《やいば》を以《もつ》て心部《むね》を突《つ》き通《とほ》される苦《くる》しさを忍《しの》んだかと思《おも》ふやうな容子《ようす》でわく/\する胸《むね》から聲《こゑ》を絞《しぼ》つていつた。彼《かれ》は暫《しばら》く間《あひだ》を措《お》いては又《また》、噛《か》んで/\噛締《かみし》めても噛《か》み切《き》れぬ或《ある》物《もの》に對《たい》するやうな焦燥《じれ》つたさと、期待《きたい》して居《ゐ》た或《ある》物《もの》を俄《にはか》に奪《うば》ひ去《さ》られた樣《やう》な絶望《ぜつばう》とが混淆《こんかう》し紛糾《ふんきう》した自暴自棄《やけ》の態度《たいど》を以《もつ》ておつぎを責《せ》めた。彼《かれ》の擧動《きよどう》は殆《ほとん》ど發作的《ほつさてき》であつた。おつぎの聲《こゑ》を殺《ころ》して泣《な》く聲《こゑ》は隙間《すきま》だらけな戸《と》の外《そと》に絶《た》え/″\に漏《も》れた。  從來《これまで》とてもおつぎは假令《たとひ》異性《いせい》を慕《した》ふ性情《せいじやう》が漸《やうや》く發達《はつたつ》して來《き》たとはいひながら、竊《ひそか》に其《その》手《て》を執《と》られた時《とき》は、後《あと》では寧《むし》ろ悔《く》いるまでも羞恥《はぢ》と恐怖《おそれ》とそれから勘次《かんじ》を憚《はゞか》ることから由《よ》つて來《きた》る抑制《よくせい》の念《ねん》とが慌《あわ》てゝ其《そ》の手《て》を振《ふ》り※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《もき》らせるのであつた。其《そ》れが段々《だん/\》厭《いや》でない誘惑《いうわく》の手《て》に乘《の》つて甘《あま》い味《あぢ》を僅《わづか》に感《かん》ずる程度《ていど》まで近《ちか》づいた刹那《せつな》一|切《さい》が破壞《はくわい》し去《さ》られたのである。おつぎは以前《いぜん》に還《かへ》つて恐怖《きようふ》の手《て》に深《ふか》く其《そ》の身《み》を沒却《ぼつきやく》せねばならなく成《な》つた。深《ふか》い罪惡《ざいあく》を包藏《はうざう》して居《ゐ》ない其《そ》の夜《よ》の事件《じけん》はそれで濟《す》んだ。勘次《かんじ》は依然《やつぱり》おつぎには只《たゞ》一《ひと》つしか無《な》い大樹《たいじゆ》の陰《かげ》であつた。然《しか》し勘次《かんじ》自身《じしん》には如何《どん》な種類《しゆるゐ》の物《もの》でも現在《げんざい》彼《かれ》の心《こゝろ》に與《あた》へ得《う》る滿足《まんぞく》の程度《ていど》は、失《うしな》うたお品《しな》を追憶《つゐおく》することから享《う》ける哀愁《あいしう》の十|分《ぶん》の一にも及《およ》ばない。彼《かれ》は最早《もはや》それ以上《いじやう》彼《かれ》の心裏《しんり》に残存《ざんぞん》して居《ゐ》る或《あ》る物《もの》をまで奪《うば》ひ去《さ》られることには堪《た》へないのである。彼《かれ》は僅《わづか》に三|人《にん》の家族《かぞく》が油《あぶら》の如《ごと》く水《みづ》に彈《はじ》かれても疎外《そぐわい》されても只《たゞ》凝結《ぎようけつ》して居《ゐ》ることにのみ、假令《たとひ》慰藉《ゐしや》されないまでも不安《ふあん》を感《かん》ずることなしに其《そ》の日《ひ》/\と刻《きざ》んで暮《くら》して行《ゆ》くことが出來《でき》るのである。彼《かれ》は一|度《ど》でもおつぎが自分《じぶん》を離《はな》れたことを發見《はつけん》し或《あるひ》は意識《いしき》しては一|種《しゆ》の嫉妬《しつと》を感《かん》ぜずには居《を》られなかつた。彼《かれ》はさうして悲痛《ひつう》の感《かん》に責《せ》め訶《さいな》まれた。村落《むら》の若者《わかもの》は彼《かれ》の爲《ため》には仇敵《きうてき》である。それと同時《どうじ》に若者《わかもの》の爲《ため》には彼《かれ》は蝮蛇《まむし》の毒牙《どくが》の如《ごと》きものでなければ成《な》らぬ。其《そ》れでありながら些《さ》の威嚴《ゐげん》も勢力《せいりよく》もない彼《かれ》は凡《すべ》ての若者《わかもの》から彼《かれ》を苛立《いらだ》たしめる惡戯《いたづら》を以《もつ》て報《むく》いられた。青草《あをくさ》の中《なか》に身《み》を沒《ぼつ》して居《ゐ》る毒蛇《どくじや》に直接《ちよくせつ》手《て》を觸《ふ》れようとするものは一|人《にん》もないけれど、遠《とほ》くから土塊《どくわい》を擲《ほ》つたり、棒《ぼう》の先《さき》でつゝいたり徒《いたづ》らに怒《おこ》る牙《きば》を振《ふる》はせることは彼等《かれら》の好《この》んでする處《ところ》であつた。勘次《かんじ》の削《けづ》つたやうな痩《や》せた顏《かほ》が何時《いつ》でも僻《ひが》んでさうして怒《おこ》り易《やす》いのを彼等《かれら》は嘲笑《てうせう》の眼《まなこ》を以《もつ》て遠《とほ》くから覗《のぞ》くのである。彼等《かれら》は夜《よる》垣根《かきね》の側《そば》に立《た》つて指《ゆび》を口《くち》に啣《くは》へてぴゆう/\と劇《はげ》しく鳴《な》らして見《み》たり、戸口《とぐち》に近《ちか》く竊《ひそか》に下駄《げた》の齒《は》の趾《あと》を附《つ》けて置《お》いたり、勘次《かんじ》が眠《ねむり》に落《お》ちようとする頃《ころ》假聲《こはいろ》を使《つか》つておつぎを喚《よ》んだりした。勘次《かんじ》は其《そ》の度《たび》に心《こゝろ》が苛立《いらだ》つたけれど、霧《きり》でも捉《つか》む樣《やう》な、誰《たれ》の所爲《しよゐ》とも判明《はんめい》しない惡戯《いたづら》をどうすることも出來《でき》なかつた。然《しか》し表面《へうめん》に現《あらは》れた影響《えいきやう》の無《な》い惡戯《いたづら》は永《なが》く持續《ぢぞく》しなかつた。  春《はる》は冬《ふゆ》に遠《とほ》くして又《また》冬《ふゆ》と相《あひ》隣《となり》して居《ゐ》る。季節《きせつ》の變化《へんくわ》を反覆《くりかへ》しつゝ月日《つきひ》は容赦《ようしや》なく推移《すゐい》した。          一二  冬《ふゆ》は低《ひく》く地《ち》を偃《は》うて沈《しづ》んだ。舊暦《きうれき》の暮《くれ》が近《ちか》く成《な》つて婚姻《こんいん》の多《おほ》く行《おこな》はれる季節《きせつ》が來《き》た。町《まち》の建具師《たてぐし》の店先《みせさき》に据《す》ゑられた簟笥《たんす》や長持《ながもち》から疎末《そまつ》な金具《かなぐ》が光《ひか》るのを見《み》るやうに成《な》つた。おつぎが通《かよ》うた針《はり》の師匠《ししやう》の家《うち》でも嫁《よめ》が極《きま》つた。其《そ》の當日《たうじつ》に成《な》ると針子《はりこ》は孰《いづ》れも藏《しま》つて置《お》いた半纏《はんてん》へ赤《あか》い襷《たすき》を掛《か》けて、其處《そこ》らの掃除《さうぢ》やら、芋《いも》や大根《だいこん》を洗《あら》ふことやら朝《あさ》から大騷《おほさわ》ぎをして笑《わら》ひながら手傳《てつだひ》をした。おつぎも行《い》つて皆《みんな》と一|緒《しよ》に働《はたら》いた。おつぎは赤絲大名《あかいとだいみやう》の半纏《はんてん》で萌黄《もえぎ》の襷《たすき》を掛《か》けて居《ゐ》た。針子等《はりこら》は毎年《まいねん》春《はる》が漸《やうや》く暖《あたゝ》かく成《な》つて百姓《ひやくしやう》の仕事《しごと》が忙《いそが》しくなると又《また》の冬《ふゆ》まで暇《ひま》をとるとて一|日《にち》皆《みんな》で鍬《くは》を持《も》つて畑《はたけ》の仕事《しごと》の手傳《てつだひ》に行《ゆ》く。廣《ひろ》くもない畑《はたけ》へ残《のこ》らずが一|度《ど》に鍬《くは》を入《い》れるので各《おの/\》が互《たがひ》に邪魔《じやま》に成《な》りつゝ人數《にんず》の半《なかば》は始終《しじう》鍬《くは》の柄《え》を杖《つゑ》に突《つ》いては立《た》つて遠《とほ》くへ目《め》を配《くば》りつゝ笑《わら》ひさゞめく。彼等《かれら》の白《しろ》い手拭《てぬぐひ》が聚《あつま》つて遙《はるか》に人《ひと》の目《め》を惹《ひ》く外《ほか》師匠《ししやう》の家《うち》に格別《かくべつ》の利益《りえき》もなく彼等《かれら》自分等《じぶんら》のみが一|日《にち》を樂《たのし》く暮《くら》し得《う》るのである。其《そ》れだから彼等《かれら》は婚姻《こんいん》の當日《たうじつ》にも仕事《しごと》の割合《わりあひ》にしては餘《あま》りに多人數《たにんず》に過《す》ぎるので、一《ひと》つ仕事《しごと》に集《あつま》つては屈託《くつたく》ない容子《ようす》をして饒舌《しやべ》るのであつた。 「どうえ嫁樣《よめさま》だんべな」 「善《え》え女《をんな》だんべえな」 「早《はや》く來《く》ればえゝな、俺《お》ら見《み》てえな」  彼等《かれら》はさういふことをすら口々《くち/″\》に反覆《くりかへ》しつゝ密々《ひそ/\》と耳語《さゝや》いた。 「白粉《おしろい》附《つ》けて來《く》んだな」一|番《ばん》年《とし》の少《すくな》い子《こ》がいつた。 「どうしたもんだえ、白粉《おしろい》附《つ》けんだんべかとまあ」年嵩《としかさ》が笑《わら》つた。 「水白粉《みづおしろい》持《も》つて來《く》んだか知《し》んねえぞ」 「只《たゞ》の水《みづ》見《み》てえな白粉《おしろい》も有《あ》んだつて云《ゆ》つけぞ」  彼等《かれら》はさういふ罪《つみ》のない穿鑿《せんさく》からそれから 「俺《お》らお給仕《きふじ》に出《で》なくつちや成《な》んねえか知《し》んねえが、耻《はづ》かしくつて厭《や》だな」 「嫁樣《よめさま》まつと耻《はづ》かしかつぺな」 「そんだが俺《お》ら嫁樣《よめさま》の衣物《きもの》どういんだか見《み》てえもんだな」半分《はんぶん》は望《のぞ》むやうな半分《はんぶん》は氣遺《きづか》ふやうな互《たがひ》の心《こゝろ》を語《かた》るのであつた。  夜《よ》に成《な》つて板《いた》の間《ま》の娘等《むすめら》が座敷《ざしき》の方《はう》へ引《ひ》かれた頃《ころ》勝手口《かつてぐち》に村落《むら》の若者《わかもの》が五六|人《にん》立《た》つた。彼等《かれら》は婚姻《こんいん》の夜《よ》には屹度《きつと》極《きま》つた例《ためし》の饂飩《うどん》を貰《もら》ひに來《き》たのである。晝《ひる》の間《あひだ》に用意《ようい》された饂飩《うどん》が彼等《かれら》に與《あた》へられた。彼等《かれら》の手《て》には饂飩《うどん》の大《おほ》きな笊《ざる》と二|升樽《しようだる》とそれから醤油《しやうゆ》の容器《いれもの》である麥酒罎《ビールびん》とが提《さ》げられた。垣根《かきね》の外《そと》へ出《で》た時《とき》彼等《かれら》は假聲《こわいろ》を出《だ》してどつと囃《はや》し立《た》てゝ又《また》囃《はや》した。彼等《かれら》は途次《みちみち》も騷《さわ》ぐことを止《や》めないで到頭《たうとう》村落《むら》の念佛寮《ねんぶつれう》へ引《ひき》とつた。其處《そこ》には此《これ》も褞袍《どてら》を被《はお》つた彼等《かれら》の伴侶《なかま》が圍爐裏《ゐろり》へ麁朶《そだ》を燻《く》べて暖《あたゝ》まりながら待《ま》つて居《ゐ》た。念佛衆《ねんぶつしゆう》の使《つか》つて居《ゐ》る鍋《なべ》や土瓶《どびん》や茶碗《ちやわん》が只《たゞ》ごた/\と投《な》げ出《だ》されてあつた。臺《だい》つきの手《て》ランプは近所《きんじよ》から借《か》りて來《き》たのであつた。麁朶《そだ》の焔《ほのほ》が手《て》ランプに光《ひかり》を添《そ》へて居《ゐ》た。婚姻《こんいん》の席上《せきじやう》では酒《さけ》の後《あと》には長《なが》く繼《つな》がる樣《やう》といふ縁起《えんぎ》を祝《いは》うて、一《ひと》つには膳部《ぜんぶ》の簡單《かんたん》なのとで饂飩《うどん》を饗《もてな》すのである。蕎麥《そば》は短《みじか》く切《き》れるとて何處《どこ》でも厭《いと》うた。どんな婚姻《こんいん》でもそれを若《わか》い衆《しゆ》が貰《もら》ひに行《ゆ》く。貧乏《びんばふ》な所帶《しよたい》であれば彼等《かれら》は幾《いく》ら少量《せうりやう》でも不足《ふそく》をいはぬ。然《しか》し多少《たせう》の財産《ざいさん》を有《いう》して居《ゐ》ると彼等《かれら》が認《みと》めて居《ゐ》る家《うち》でそれを惜《をし》めば彼等《かれら》は不平《ふへい》を訴《うつた》へて止《や》まぬ。どうかすると闇《くら》い木陰《こかげ》に潜伏《せんぷく》して居《ゐ》て嫁《よめ》の車《くるま》が近《ちか》づいた時《とき》突然《とつぜん》、其《そ》の車《くるま》を顛覆《てんぷく》させてやれといふやうな威嚇的《ゐかくてき》の暴言《ばうげん》をすら吐《は》くことがある。然《しか》し從來《じゆうらい》其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》ことは滅多《めつた》になく、別段《べつだん》に認《みと》むべき弊害《へいがい》が伴《ともな》ふのでもないのであつた。それで普通《ふつう》どの家《うち》でも彼等《かれら》が滿足《まんぞく》を買《か》ひ得《う》る分量《ぶんりやう》を前以《まへもつ》て用意《ようい》して居《ゐ》るのである。  彼等《かれら》はさういふ夜《よ》に褞袍《どてら》を被《かぶ》つて他人《たにん》の裏戸口《うらどぐち》に立《た》たねば成《な》らぬ必要《ひつえう》な條件《でうけん》を一《ひと》つも有《も》つて居《ゐ》ない。只《たゞ》彼等《かれら》の凡《すべ》ては藁《わら》を打《う》つて繩《なは》を綯《な》ふべき夜《よる》の務《つと》めを捨《すて》て公然《こうぜん》一|所《しよ》に集合《しふがふ》する機會《きくわい》を見出《みいだ》すことを求《もと》めて居《ゐ》る。集合《しふがふ》することが直《たゞち》に彼等《かれら》に娯樂《ごらく》を與《あた》へるからである。兩性《りやうせい》が然《しか》も他人《たにん》の手《て》を藉《か》りて一《ひと》つに成《な》る婚姻《こんいん》の事實《じじつ》を聯想《れんさう》することから彼等《かれら》の心《こゝろ》が微妙《びめう》に刺戟《しげき》される。彼等《かれら》の凡《すべ》ては悉《ことごと》く異性《いせい》を知《し》り又《また》知《し》らんとして居《ゐ》る。彼等《かれら》は他人《たにん》の目《め》を偸《ぬす》むのには幾多《いくた》の支障《さはり》、それは其《そ》の爲《ため》に相《あひ》慕《した》ふ念慮《ねんりよ》が寧《むし》ろ却《かへつ》て熾《さかん》に且《か》つ永續《えいぞく》することすら有《あ》りながら、當事者《たうじしや》たる彼等《かれら》には五月繩《うるさ》い其《そ》の支障《さはり》をこつそりと拂《はら》ひ退《の》けねば成《な》らぬ焦燥《じれ》つたい感《かん》が止《や》まないのに、周圍《しうゐ》の凡《すべ》てが杯《さかづき》を擧《あ》げてくれる其《そ》の夜《よ》の當人同士《たうにんどうし》を念頭《ねんとう》に浮《うか》べる時《とき》彼等《かれら》は淡《あは》い嫉妬《しつと》を沸《わ》かさねば成《な》らぬ。それで彼等《かれら》の心《こゝろ》には喰《く》つてやれ、飮《の》んでやれ、さうして遣《や》らねば腹《はら》が癒《い》えぬといふ觀念《くわんねん》が期《き》せずして一致《いつち》するのである。笊《ざる》で運《はこ》んだ饂飩《うどん》が多人數《たにんずう》の彼等《かれら》に到底《たうてい》十|分《ぶん》の滿足《まんぞく》を與《あた》へ得《う》るものではない。然《しか》し彼等《かれら》は其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》ことに頓着《とんぢやく》を持《も》たぬ。  酒《さけ》が煤《すゝ》けた土瓶《どびん》で沸《わ》かされた。彼等《かれら》は各自《かくじ》に茶碗《ちやわん》へ注《つ》いでぐいと飮《の》んだ。其處《そこ》には燗《かん》の加減《かげん》も何《なに》も無《な》かつた。各自《かくじ》の喉《のど》がそれを要求《えうきう》するのではなくて一|種《しゆ》の因襲《いんしふ》が彼等《かれら》にそれを強《し》ひるのである。彼等《かれら》はじり/\と喉《のど》が焦《こ》げる樣《やう》に感《かん》じても苦《にが》い顏《かほ》を蹙《しか》めつゝ飮《の》んで見《み》る者《もの》さへある。比較的《ひかくてき》少量《せうりやう》な酒《さけ》が注《つ》ぐ度《たび》に手《て》にする度《たび》に筵《むしろ》の上《うへ》に滾《こぼ》れても彼等《かれら》は惜《をし》まない。彼等《かれら》はそれから茶碗《ちやわん》も箸《はし》もべたりと筵《むしろ》の上《うへ》へ置《お》いて、單純《たんじゆん》に水《みづ》へ醤油《しようゆ》を注《さ》した液汁《したぢ》に浸《ひた》して騷々敷《さう/″\しく》饂飩《うどん》を啜《すゝ》つた。  彼等《かれら》は平生《へいぜい》でもさうであるのに酒《さけ》の爲《ため》に幾分《いくぶん》でも興奮《こうふん》して居《ゐ》るので、各自《かくじ》の口《くち》から更《さら》に聞《き》くに堪《た》へぬ雜言《ざふごん》が吐《は》き出《だ》された。不作法《ぶさはふ》な言辭《げんじ》に麻痺《まひ》して居《ゐ》る彼等《かれら》はどうしたら相互《さうご》に感動《かんどう》を與《あた》へ得《う》るかと苦心《くしん》しつゝあつたかと思《おも》ふ樣《やう》な卑猥《ひわい》な一|句《く》が唐突《だしぬけ》に或《ある》一|人《にん》の口《くち》から出《で》ると他《た》の一|人《にん》が又《また》それに應《おう》じた。彼等《かれら》の間《あひだ》には異分子《いぶんし》を交《まじ》へて居《を》らぬ。彼等《かれら》は時《とき》によつては怖《おそ》れて控目《ひかへめ》にしつゝ身體《からだ》が萎縮《すく》んだやうに成《な》つて居《ゐ》る程《ほど》物《もの》に臆《おく》する習慣《しふくわん》がある。然《しか》し恁《か》うして儕輩《さいはい》のみが聚《あつ》まれば殆《ほと》んど別人《べつじん》である。饂飩《うどん》が竭《つ》きて茶碗《ちやわん》が亂雜《らんざつ》に投《な》げ出《だ》された時《とき》夜《よる》の遲《おそ》いことに無頓着《むとんぢやく》な彼等《かれら》はそれから暫《しばら》く止《と》めどもなく雜談《ざつだん》に耽《ふけ》つた。彼等《かれら》は遂《つひ》に自分《じぶん》の村落《むら》に野合《やがふ》の夫婦《ふうふ》が幾組《いくくみ》あるかといふことをさへ數《かぞ》へ出《だ》した。そつちからもこつらからも其《そ》れが數《かぞ》へられた。左手《さしゆ》の指《ゆび》が二|度《ど》曲《ま》げて二|度《ど》起《おこ》されても盡《つく》せなかつた。勿論《もちろん》畢《しまひ》には配偶《はいぐう》の缺《か》けたものまで僂指《るし》された。其《そ》れ等《ら》の夫婦《ふうふ》の間《あひだ》に生《うま》れた者《もの》も幾人《いくにん》か彼等《かれら》の間《あひだ》に介在《かいざい》して居《ゐ》た。有繋《さすが》に其《そ》の幾人《いくにん》は自分《じぶん》の父母《ふぼ》が喚《よ》ばれるので苦《にが》い笑《わらひ》を噛《か》んで控《ひか》へて居《ゐ》る。さうすると他《た》の者《もの》はそれを興《きよう》あることにがや/\と囃《はや》し立《た》てた。  噺《はなし》が少《すこ》しだれた時《とき》 「勘次《かんじ》さん等《ら》見《み》てえなゝ、ありや勘定《かんぢやう》にやへえんねえもんだんべか」と呶鳴《どな》つたものがあつた。此《こ》の唐突《たうとつ》な發言《はつげん》で暫《しばら》く靜止《せいし》して居《ゐ》た彼等《かれら》は俄《にはか》に威勢《ゐせい》が出《で》て拍手《はくしゆ》した。 「勘次《かんじ》さんに聞《き》いて見《み》ろ」といふ聲《こゑ》が隅《すみ》の方《はう》から出《で》た。 「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》こと云《ゆ》つたつ位《くれえ》、打《ぶ》ん擲《なぐ》らつら篦棒臭《べらぼうくせ》え」打《う》ち消《け》す聲《こゑ》が聞《きこ》えた。 「そんぢや、おつぎに聞《き》いて見《み》ろ」 「足《あし》でも打折《ぶつちよ》られんなえ」 「薪雜棒《まきざつぽう》ふられてか」  笑聲《せうせい》が雜然《ざつぜん》として寮《れう》の内《うち》は一|層《そう》騷《さわ》がしく成《な》つた。 「今日《けふ》らも見《み》ろ、角《かど》の店《みせ》で自棄酒《やけざけ》飮《の》んで怒《おこ》つてたつけぞ」一人《ひとり》が自慢《じまん》らしく新《あらた》な事實《じじつ》を提供《ていきよう》した。 「どうしてよ」一|同《どう》が耳《みゝ》を峙《そばだ》てた。 「おつぎことお針《はり》つ子等《こら》と一|緒《しよ》に手傳《てづでえ》に遣《や》つたの知《し》つてべな」 「知《し》つてらなそら」 「そんでよ、手傳《てづでえ》に遣《や》つてゝも、はあ、日暮《ひぐれ》に成《な》つたら、あつかもつかして凝然《ぢつ》としちや居《ゐ》らんねえんだ、そんで愚圖《ぐづ》/\云《ゆ》つてんの面白《おもしれ》えから俺《お》ら聞《き》いてたな、丁度《ちやうど》えゝ鹽梅《あんべえ》に俺《おれ》草履《ざうり》買《か》ひに行《い》つて出《で》つかせてな」 「毎日暮《まいひぐれ》ぢやねえけ徳利《とつくり》おつ立《た》てゝんな」 「さうなんだ、近頃《ちかごろ》唐鍬《たうぐは》使《つけ》え骨《ほね》折《おれ》つからつて仕事《しごと》畢《しま》つちや一|合《がふ》位《ぐれえ》引《ひ》つ掛《か》けて直《す》ぐ行《い》つちやあんだつちけが、それ今日《けふ》は早《はや》くから來《き》てたんだつちきや、店《みせ》のおとつゝあに聞《き》いたな俺《お》ら」噺手《はなして》は自分《じぶん》が先《ま》づ興《きよう》に入《い》つた樣《やう》に又《また》いつた。 「俺《お》ら今日《けふ》うめえ處《とこ》聞《き》いつちやつたな」 「何《なん》だつて云《ゆ》つけ」 「酷《ひ》でえ阿魔《あま》だ、夕飯《ゆふめし》も何《なに》も仕《し》やうありやしねえなんてな、獨《ひと》りでぐうづ/″\云《ゆ》つてな、そんで與吉《よきち》こと何遍《なんべん》も迎《むけえ》に遣《や》つてな、さうすつとあの與吉《よきち》の野郎《やらう》また、今《いま》直《すぐ》に饂飩《うどん》饗《ふるま》つてよこすとう、なんてのたくり/\歸《けえ》つて來《く》んだ、さうすつと又《また》駄目《だめ》だ汝《わ》りや復《ま》た行《い》つて來《こ》う、直《すぐ》に來《こ》うつて云《ゆ》ふんだぞなんて怒《おこ》つた見《み》てえになあ、俺《お》ら可笑《をか》しくつて仕樣《しやう》無《な》かつたつけぞ」噺手《はなして》は左右《さいう》を向《む》きつゝいつた。皆《みな》復《ま》た拍子《ひやうし》して囃《はや》し立《た》てた。 「そんぢや直《す》ぐよこしたつぺ」 「うむ、途中《とちう》で行逢《いきや》つたんだんべ、直《す》ぐ來《き》たつきや」 「あつちだつて其《そ》の位《くれえ》知《し》つてらな」 「おつぎは店《みせ》へよつたつけか」二人《ふたり》が一|度《ど》にいつた。 「寄《よ》んねえや、さうしたらおつう、なんておとつゝあ喚《よ》ばつたんだ、たいした聲《こゑ》してな、そんでもおつうは行《い》つちまあのよ、さうしたら又《また》、おつうなんて呶鳴《どな》つてな、勘定《かんぢやう》すんのにも慌《あわ》くつて錢《ぜに》落《お》つことしたり何《なん》かして後《あと》から駈《か》けてつたんだ、五|合《がふ》も飮《の》んだつぺつちけな、可怖《おつかね》え目《め》つきしつちやつてな、そんだがおつぎは聽《き》かねえぞなか/\、つツ/\と行《い》つちやつてな」噺手《はなして》は暫時《しばし》口《くち》を鎖《とざ》した。 「今日《けふ》は若《わけ》え衆等《しら》行《い》くと思《おも》つてはあ、夜《よる》まで置《お》けねえんだな」 「極《きま》つてらあな」 「そんだつて箆棒《べらぼう》、若《わけ》え衆等《しら》だつてさうだことばかりするものぢやねえ、詰《つま》んねえ」憤慨《ふんがい》してかういふものも 「外聞《げえぶん》惡《わり》いも何《なん》にも知《し》んねえんだな」嘲笑《てうせう》の意味《いみ》ではあるが何處《どこ》となく沈《しづ》んで又《また》斯《か》ういふ者《もの》も有《あ》つた。 「おつぎはそんだが頭髮《あたま》てか/\光《ひか》らかせた處《とこ》ら善《よ》く成《な》つちやつたつけぞ」俄《にはか》に思《おも》ひ出《だ》した樣《やう》に先刻《せんこく》の噺手《はなして》がいつた。 「そんで、おとつゝあ餘計《よけい》仕《し》やう無《な》くなつちやつたんだんべえ」臀《しり》へ釘《くぎ》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》して臺《だい》に乘《の》つて居《ゐ》る手《て》ランプの油煙《ゆえん》がそつちへこつちへ靡《なび》く光《ひかり》の下《もと》に茶碗《ちやわん》を箸《はし》で叩《たゝ》きながら又《また》わあつと騷《さわ》ぎ出《だ》した。  勘次《かんじ》は今《いま》開墾《かいこん》の仕事《しごと》の爲《ため》に春《はる》までには主人《しゆじん》の手《て》から三四十|圓《ゑん》の金《かね》を與《あた》へられる樣《やう》にまで成《な》つた。大部分《だいぶぶん》は借財《しやくざい》の舊《ふる》い穴《あな》へ埋《う》めても彼《かれ》は懷《ふところ》に窮屈《きうくつ》を感《かん》じない程度《ていど》に進《すゝ》んだ。一|圓《ゑん》の錢《ぜに》が絶《た》えず財布《さいふ》に在《あ》り得《う》るならば彼等《かれら》は嘆《なげ》く處《ところ》は無《な》いのである。彼《かれ》は只《たゞ》主人《しゆじん》に倚《よ》つて居《ゐ》さへすれば善《よ》いと思《おも》つて居《ゐ》る。恁《か》ういふ遠慮《ゑんりよ》のない蔭口《かげぐち》を利《き》かれるまでには苦《くる》しい間《あひだ》の三四|年《ねん》を過《すご》して來《き》たのである。彼《かれ》の生活《せいくわつ》はほつかりと夜明《よあけ》の光《ひかり》を見《み》たのであつた。おつぎは此《この》時《とき》廿《はたち》の聲《こゑ》を聞《き》いて居《ゐ》たのである。          一三  初秋《しよしう》の風《かぜ》が吊放《つりはな》しの蚊帳《かや》の裾《すそ》をさら/\と吹《ふ》いて、疾《とう》から玉蜀黍《たうもろこし》が竈《かまど》の灰《はひ》の中《なか》でぱり/\と威勢《ゐせい》よく燃《も》える麥藁《むぎわら》の火《ひ》に燒《や》かれて、其《そ》の殼《から》がそつちにもこつちにも捨《す》てられる。畑《はたけ》の仕事《しごと》が暫時《ざんじ》極《きま》りがついて百姓《ひやくしやう》の家《いへ》には盆《ぼん》が來《き》た。其《そ》の日《ひ》も晝過迄《ひるすぎまで》仕事《しごと》をして居《ゐ》た勘次《かんじ》はそれでも慌《あわたゞ》しく庭《には》へ箒《はうき》を入《い》れて目《め》に立《た》つ草《くさ》は鎌《かま》の刄先《はさき》で掻《か》つ切《き》つた。戸《と》も障子《しやうじ》もない煤《すゝ》け切《き》つた佛壇《ぶつだん》はおつぎを使《つか》つて佛器《ぶつき》や其《その》他《た》の掃除《さうぢ》をして、賽《さい》の目《め》に刻《きざ》んだ茄子《なす》を盛《も》つた芋《いも》の葉《は》と、寂《さび》しいみそ萩《はぎ》の短《みじか》い小《ちひ》さな花束《はなたば》とを供《そな》へた。みそ萩《はぎ》の側《そば》には茶碗《ちやわん》へ一|杯《ぱい》に水《みづ》が沒《く》まれた。夕方《ゆふがた》近《ちか》く成《な》つてから三|人《にん》は雨戸《あまど》を締《しめ》て、火《ひ》のない提灯《ちやうちん》を持《も》つて田圃《たんぼ》を越《こ》えて墓地《ぼち》へ行《い》つた。お品《しな》の塔婆《たふば》の前《まへ》にそれから其處《そこ》ら一|杯《ぱい》の卵塔《らんたふ》の前《まへ》に線香《せんかう》を少《すこ》しづゝ手向《たむ》けて、火《ひ》を點《つ》けてほつかりと赤《あか》く成《な》つた提灯《ちやうちん》を提《さ》げて戻《もど》つた。冥途《めいど》から來《き》た佛《ほとけ》が其《そ》の火《ひ》に宿《やど》つたしるしだといつて必《かなら》ず提灯《ちやうちん》が墓地《ぼち》から點《つ》けられるのである。おつぎは勘次《かんじ》の懷《ふところ》が幾《いく》らか暖《あたゝ》かに成《な》つたので、廉物《やすもの》ではあるが中形《ちうがた》の浴衣地《ゆかたぢ》も拵《こしら》へて貰《もら》つた。おつぎはもう十九の秋《あき》であつた。おつぎは其《そ》の浴衣地《ゆかたぢ》を着《き》てお品《しな》の墓《はか》へ行《い》つたのである。髮《かみ》は晝《ひる》の内《うち》に近所《きんじよ》の娘同士《むすめどうし》が汗染《あせじ》みた襦袢《じゆばん》一《ひと》つの姿《すがた》で互《たがひ》に結《ゆ》ひ合《あ》うたのである。おつぎは浴衣地《ゆかたぢ》へ赤《あか》い帶《おび》を締《し》めた。勘次《かんじ》は紺《こん》の筒袖《つゝそで》の單衣《ひとへ》で日《ひ》に燒《やけ》た足《あし》が短《みじか》い裾《すそ》から出《で》て居《ゐ》た。おつぎの裝《よそほ》ひは側《そば》では疎末《そまつ》であつても、處々《ところ/″\》ちらり/\と白《しろ》い穗先《ほさき》が覗《のぞ》いて大抵《たいてい》はまだ冴《さ》え/″\として只《たゞ》一|枚《まい》の青疊《あをだゝみ》を敷《し》いた樣《やう》な田圃《たんぼ》の間《あひだ》をくつきりと際立《きはだ》つて目《め》に立《た》つのであつた。三|人《にん》が田甫《たんぼ》を往復《わうふく》してから暫《しばら》く經《た》つて村落《むら》の内《うち》からは何處《どこ》の家《いへ》からも提灯《ちやうちん》持《もつ》て田甫《たんぼ》の道《みち》を老人《としより》と子供《こども》とがぞろ/″\通《とほ》つた。勘次《かんじ》は提灯《ちやうちん》の火《ひ》を佛壇《ぶつだん》の燈明皿《とうみやうざら》へ移《うつ》した。煤《すゝ》け切《き》つた佛壇《ぶつだん》の菜種油《なたねあぶら》の明《あか》りは遠《とほ》い國《くに》からでも光《ひか》つて來《く》るやうにぽつちりと微《かす》かに見《み》えた。お袋《ふくろ》のよりも先《ま》づ白木《しらき》の儘《まゝ》のお品《しな》の位牌《ゐはい》に心《こゝろ》からの線香《せんかう》の煙《けぶり》が靡《なび》いた。勘次《かんじ》もおつぎもみそ萩《はぎ》の小《ちひ》さな花束《はなたば》の先《さき》を茶碗《ちやわん》の水《みづ》に浸《ひた》して其《そ》の水《みづ》をはらりと芋《いも》の葉《は》へ盛《も》つた茄子《なす》へ振《ふ》り掛《かけ》けた。勘次《かんじ》は雨戸《あまど》を一|杯《ぱい》に開《あ》けた。おつぎは浴衣《ゆかた》をとつて襦袢《じゆばん》一《ひと》つに成《な》つて、笊《ざる》に水《みづ》を切《き》つて置《お》いた糯米《もちごめ》を竈《かまど》で蒸《む》し始《はじ》めた。勘次《かんじ》は裸《はだか》で臼《うす》や杵《きね》を洗《あら》うて檐端《のきば》に据《す》ゑた。彼等《かれら》はさういふ仕事《しごと》があるので墓《はか》へ行《ゆ》くにも人《ひと》よりも先立《さきだ》つて非常《ひじやう》に急《いそ》いだのであつたが、それでも米《こめ》が蒸《む》せるまでには家《いへ》の内《うち》は薄闇《うすくら》く成《な》つて居《ゐ》た。日《ひ》のまだ落《お》ちない内《うち》から庭《には》を覗《のぞ》いて居《ゐ》た月《つき》が白《しろ》く、軈《やが》てそれが稍《やゝ》黄色味《きいろみ》を帶《お》びて來《き》て庭《には》の茂《しげ》つた柿《かき》の木《き》や栗《くり》の木《き》にほつかりと陰翳《かげ》を投《な》げた。おつぎが忙《いそが》しくどさりと臼《うす》へ落《おと》したふかし[#「ふかし」に傍点]からぼうつと白《しろ》い蒸氣《ゆげ》が立《た》つた。其《そ》の蒸氣《ゆげ》の中《なか》に月《つき》が一|瞬間《しゆんかん》目《め》を蹙《しか》めて直《すぐ》につやゝかな姿《すがた》に成《な》つた。おつぎは熱《あつ》いふかし[#「ふかし」に傍点]を蒸籠《せいろう》から杓子《しやくし》で臼《うす》へ扱《こ》き落《おと》しながら側《そば》に立《た》つて居《ゐ》る與吉《よきち》へ少《すこ》し遣《や》つた。程《ほど》よく蒸《む》した其《その》ふかし[#「ふかし」に傍点]を與吉《よきち》は甘相《うまさう》にたべた。おつぎも指《ゆび》に附《つ》いたのを前齒《まへば》で噛《か》むやうにして口《くち》へ入《い》れた。蒸氣《ゆげ》の立《た》つ臼《うす》を勘次《かんじ》は暫《しばら》く杵《きね》の先《さき》で捏《こ》ねた。杵《きね》の先《さき》が粘《ねば》つて離《はな》れなく成《な》る。おつぎは米研桶《こめとぎをけ》へ水《みづ》を汲《く》んでそれへ浮《うか》べた杓子《しやくし》で杵《きね》の先《さき》を扱落《こきおと》して臼《うす》の中《なか》を丸《まる》い形《かたち》に直《なほ》す。さうすると勘次《かんじ》は力《ちから》を極《きは》めて臼《うす》の中央《ちうあう》を打《う》つ。それが幾度《いくど》も反覆《はんぷく》された。庭《には》の木立《こだち》の陰翳《かげ》が濃《こ》く成《な》つて月《つき》の光《ひかり》はきら/\と臼《うす》から反射《はんしや》した。蒸暑《むしあつ》い中《うち》にも凡《すべ》てが水《みづ》の樣《やう》な月《つき》の光《ひかり》を浴《あ》びて凉《すゞ》しい微風《びふう》が土《つち》に觸《ふ》れて渡《わた》つた。おつぎは臼《うす》から餅《もち》を拗切《ねぢき》つて茗荷《めうが》の葉《は》に乘《の》せて一《ひと》つ/\膳《ぜん》へ並《なら》べた。少《すこ》し丸《まる》みを缺《か》いた十三|日《にち》の月《つき》が白《しろ》く其《そ》の一つ/\の茗荷《めうが》の葉《は》の上《うへ》に光《ひか》つた。冷水《れいすゐ》を打《う》つた樣《やう》な※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の葉《は》がゆら/\と動《うご》いて後《うしろ》の林《はやし》の竹《たけ》の梢《こずゑ》もさら/\と鳴《な》つた。  それでも忙《いそが》しいおつぎは汗《あせ》を流《なが》しながら先《ま》づ茗荷《めうが》の餅《もち》を佛壇《ぶつだん》に供《そな》へた。それから別《べつ》に拗切《ねぢき》つた餅《もち》が豆粉《きなこ》と共《とも》に手《て》ランプの下《もと》に置《お》かれた。與吉《よきち》は直《すぐ》に座敷《ざしき》へ坐《すわ》つて待《ま》つた。晩餐《ばんさん》が畢《をは》ると踊子《をどりこ》を誘《さそ》ふ太鼓《たいこ》の音《おと》が漸《やうや》く沈《しづ》み掛《か》けた夜氣《やき》を騷《さわ》がして聞《きこ》え始《はじ》めた。檐《のき》に立《た》つた蚊柱《かばしら》が崩《くづ》れて軈《やが》て座敷《ざしき》を襲《おそ》うた。勘次《かんじ》は麥藁《むぎわら》を一捉《ひとつか》み軒端《のきば》へ投《な》げて、刈《か》つた青草《あをぐさ》をそれへ打《ぶ》つ掛《か》けて、燐寸《マツチ》の火《ひ》を點《つ》けてさうして抑《おさ》へつけた。ぷす/\と燻《いぶ》る煙《けぶり》が蚊《か》を遠《とほ》く散亂《さんらん》せしめる。ぽつと焔《ほのほ》が立《た》つて燃《も》えあがれば水《みづ》を打《う》つた。彼等《かれら》は目鼻《めはな》にしみる青《あを》い煙《けぶり》の中《なか》に裸體《はだか》の儘《まゝ》凝然《ぢつ》として居《ゐ》る。煙《けぶり》が餘所《よそ》へ逸《そ》れゝば箕《み》で煽《あふ》つて家《いへ》の内《うち》へ向《むか》はせた。おつぎは勝手《かつて》の始末《しまつ》をしてそれから井戸端《ゐどばた》で、だら/\と垂《た》れる汗《あせ》を水《みづ》で拭《ぬぐ》つた。手拭《てぬぐひ》を浸《ひた》す度《たび》に小《ちひ》さな手水盥《てうずだらひ》の水《みづ》に月《つき》が全《まつた》く其《そ》の影《かげ》を失《うしな》つて暫《しばら》くすると手水盥《てうずだらひ》の周圍《しうゐ》から聚《あつま》る樣《やう》に段々《だん/\》と月《つき》の形《かたち》が纏《まと》まつて見《み》えて來《く》る。踊子《をどりこ》を誘《さそ》ふ太鼓《たいこ》の音《おと》が自分《じぶん》の村落《むら》のは直《すぐ》垣根《かきね》の外《そと》の樣《やう》に、遠《とほ》い村落《むら》のは繁茂《はんも》して居《ゐ》る林《はやし》の彼方《あなた》に空《そら》に響《ひゞ》いて聞《きこ》える。それが井戸端《ゐどばた》に立《た》つて居《ゐ》るおつぎの心《こゝろ》を誘導《そゝ》つた。同年輩《どうねんぱい》の子《こ》は皆《みな》踊《をどり》に行《ゆ》くのである。おつぎには幾分《いくぶん》それが羨《うらや》ましくぼうつとして太鼓《たいこ》に聞《き》き惚《ほ》れて居《ゐ》た。軟《やはら》かな月《つき》の光《ひかり》におつぎの肌膚《はだ》は白《しろ》く見《み》えて居《ゐ》た。おつぎは耳《みゝ》に響《ひゞ》く太鼓《たいこ》の音《おと》を聞《き》きながら、まだ縺《ほつ》れぬ髮《かみ》を少《すこ》し首《くび》を傾《かたむ》けつゝ兩方《りやうはう》の拇指《おやゆび》の股《また》で代《かは》り代《がは》りに髱《たぼ》を輕《かる》く後《うしろ》へ扱《こ》いた。おつぎは汗《あせ》を拭《ぬぐ》つてさつぱりとした身體《からだ》へ復《ま》た浴衣《ゆかた》を着《き》た。 「おとつゝあ、あの太鼓《たいこ》は何處《どこ》だんべ」おつぎは帶《おび》の端《はし》を氣《き》にして後《うしろ》へ手《て》を廻《まは》しながら聞《き》いた。 「どれ、あの遠《とほ》くのがゝ、分《わか》るもんか何處《どこ》だか」勘次《かんじ》は燃《も》えた處《ところ》だけがつくりと減《へ》つた蚊燻《かいぶ》しの青草《あをくさ》に目《め》を注《そゝ》ぎながら氣乘《きのり》のしない樣《やう》にいつた。 「俺《お》ら方《はう》へはまあだ、他村《ほかむら》から來《く》る頃《ころ》ぢやあんめえな」 「おとつゝあ等《ら》がにや分《わか》るもんかよ、そんなこと」 「そんでも、他村《ほかむら》から來《く》んだつて云《ゆ》つけぞ、支度《したく》して來《く》んだつて俺《お》ら今日《けふ》頭髮《あたま》結《ゆ》つてゝ聞《き》いたんだぞ」 「さうえ者《も》な、さうえ者《もの》よ」 「俺《お》ら行《い》つてんべ、よきも行《い》つて見《み》ろなあ、姉《ねえ》と一|緒《しよ》に」おつぎは獨語《ひとりごと》した。 「汝《わ》ツ等《ら》ことばかし遣《や》れつかえ」勘次《かんじ》は突然《とつぜん》呶鳴《どな》つた。 「そんでも、南《みなみ》のおつかさん行《ゆ》きたけりや連《つ》れてくつちつたんだぞ」 「箆棒《べらぼう》、そんなことされつかえ、踊《をどり》なんざあ後《あと》幾日《いくか》だつてあらあ、今夜《こんや》らつから行《え》かねえつたつてえゝから、他人《ひと》に云《ゆ》はれつとはあ、其《そ》れに乘《の》つてあふり/\出《て》たがんだから」勘次《かんじ》は一|概《がい》に叱《しか》りつけた。おつぎは締《し》め掛《か》けた帶《おび》を解《と》いて傍《そば》へ投《な》げ棄《す》てた。  次《つぎ》の日《ひ》の晩餐《ばんさん》には例年《れいねん》の如《ごと》く饂飩《うどん》が打《う》たれた。小麥粉《こむぎこ》を少《すこ》し鹽《しほ》を入《い》れた水《みづ》で捏《こ》ねて、それを玉《たま》にして、筵《むしろ》の間《あひだ》へ入《い》れて足《あし》で蹂《ふ》んで、棒《ぼう》へ卷《ま》いては薄《うす》く延《の》ばして、更《さら》に幾《いく》つかに疊《たゝ》んでそく/\と庖丁《はうちやう》で斷《た》つた。饂飩《うどん》の切《き》り端《はし》は皆《みな》一寸《ちよつと》一|箇所《かしよ》を撮《つま》んで三|角形《かくけい》に拵《こしら》へて膳《ぜん》へ並《なら》べて佛壇《ぶつだん》へ供《そな》へた。其《そ》の切《き》り端《はし》は其《そ》の翌朝《よくあさ》各自《かくじ》が自分《じぶん》の田畑《たはた》をぐるりと廻《まは》つては菽《まめ》や稻《いね》の穗《ほ》や其《そ》の他《た》の作物《さくもつ》を佛《ほとけ》へ供《そな》へるのであるが、佛《ほとけ》も其《そ》の朝《あさ》野廻《のまは》りに出《で》るのだといふので其《その》佛《ほとけ》の笠《かさ》に供《そな》へるのだといふのである。  踊子《をどりこ》を誘《さそ》ふ太鼓《たいこ》の音《おと》は夜《よ》を待《ま》ち兼《か》ねて鳴《な》り出《だ》した。勘次《かんじ》は其《そ》の夜《よ》蚊燻《かいぶ》しの支度《したく》もしないで紺《こん》の單衣《ひとへ》へぐる/\と無造作《むざうさ》に三|尺帶《じやくおび》を卷《ま》いて、雨戸《あまど》をがら/\と閉《た》て始《はじ》めた。さうして 「おつう支度《したく》して見《み》ろ、俺《おれ》連《つ》れてんから」勘次《かんじ》は性急《せいきふ》におつぎを促《うなが》し立《た》てた。大戸《おほど》の鍵《かぎ》を外《そと》から掛《か》けて三|人《にん》が庭《には》に立《た》つた時《とき》月《つき》は雲翳《うんえい》を遠《とほ》ざかつて靜《しづ》かに※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》の上《うへ》に懸《かゝ》つて居《ゐ》た。  毎年《まいねん》極《きま》つた踊《をどり》の場所《ばしよ》は村《むら》の社《やしろ》の大《おほ》きな樅《もみ》の木陰《こかげ》である。勘次等《かんじら》三|人《にん》が行《い》つた時《とき》は踊子《をどりこ》はもう大分《だいぶ》集《あつま》つて居《ゐ》た。一足《ひとあし》森《もり》に入《はひ》れば劇《はげ》しく叩《たゝ》く太鼓《たいこ》の音《おと》が、その急《いそ》いで遠《とほ》くへ響《ひゞ》き去《さ》るのを周圍《しうゐ》から遮《さへぎ》り止《と》めようとして錯雜《さくざつ》して茂《しげ》つて居《ゐ》る幹《みき》や小枝《こえだ》に打當《ぶツつか》つて紛糾《こぐらか》つて居《ゐ》るやうに、森《もり》一杯《いつぱい》に鳴《な》り響《ひゞ》いて上《うへ》へ/\と恐《おそ》ろしく人々《ひと/″\》の心《こゝろ》を誘導《そゝ》つた。男女《なんによ》が入《い》り交《まじ》つて太鼓《たいこ》を中央《ちうあう》に輪《わ》を描《ゑが》いて居《ゐ》る。それが一|定《てい》の間隔《かんかく》を措《お》いては一|同《どう》が袋《ふくろ》の口《くち》の紐《ひも》を引《ひ》いた樣《やう》に輪《わ》が蹙《しぼ》まつて、ぱらり/\と手拍子《てびやうし》をとつて、復《また》以前《いぜん》のやうに擴《ひろ》がる。さうしては其《そ》の踊《をどり》の手《て》を反覆《はんぷく》しつゝ徐《おもむ》ろに太鼓《たいこ》の周圍《しうゐ》を廻《めぐ》る。女《をんな》は袖《そで》を長《なが》く見《み》せる爲《ため》に手拭《てぬぐひ》を折《を》つて兩方《りやうはう》の袂《たもと》の先《さき》へ縫《ぬひ》つけて、それから扱帶《しごき》を襷《たすき》にして結《むす》んだ長《なが》い端《はし》を後《うしろ》へだらりと垂《た》れて居《ゐ》る。扱帶《しごき》は踊《をどり》の手《て》を描《ゑが》く度《たび》毎《ごと》に袂《たもと》と共《とも》にゆらり/\と搖《ゆ》れる。男《をとこ》は少《すこ》し亂暴《らんばう》に女《をんな》の身體《からだ》にこすりつきながら踊《をど》る。女《をんな》は五月繩《うるさ》い時《とき》には一時《ちよつと》踊《をどり》の手《て》を止《や》めて對手《あひて》を叱《しか》つたり叩《たゝ》いたり、然《しか》も其《その》特性《とくせい》のつゝましさを保《たも》つて拍子《ひやうし》を合《あは》せ乍《なが》ら多勢《おほぜい》の間《あひだ》に揉《も》まれつゝ同《どう》一|線《せん》を反覆《はんぷく》しつゝ踊《をど》る。漸次《ぜんじ》に人勢《にんず》が殖《ふ》えて大《おほ》きな輪《わ》の内側《うちがは》に更《さら》に小《ちひさ》な輪《わ》が描《ゑが》かれた。太鼓《たいこ》が倦怠《だれ》れば 「太鼓《たいこ》が疎《おろ》かぢや踊《をどり》もおろかだ」と口々《くち/″\》に促《うなが》し促《うなが》し交互《たがひ》に唄《うた》の聲《こゑ》を張《は》り揚《あ》げて踊《をど》る。太鼓《たいこ》の手《て》は疲《つか》れゝば更《さら》に人《ひと》が交代《かうたい》して撥《ばち》も折《を》れよと鳴《な》らす。踊子《をどりこ》は皆《みな》一|杯《ぱい》に裝飾《さうしよく》した笠《かさ》を戴《いたゞ》いて居《ゐ》る。裝飾《さうしよく》といつても夜目《よめ》に鮮《あざ》やかな樣《やう》に、饅頭《まんぢう》や其《そ》の他《た》の物《もの》を包《つゝ》む白《しろ》いへぎ[#「へぎ」に傍点]皮《かは》を夥《おびたゞ》しく括《くゝ》り附《つ》けて置《お》くのである。其《そ》れが月光《げつくわう》を遮《さへぎ》つて居《ゐ》る樅《もみ》の木陰《こかげ》に著《いちじ》るしく目《め》に立《た》つて、身《み》を動《うご》かす度《たび》に一|齊《せい》にがさがさと鳴《な》りながら波《なみ》の如《ごと》く動《うご》いて彼等《かれら》の風姿《ふうし》を添《そ》へて居《ゐ》る。彼等《かれら》が幾夜《いくよ》も踊《をど》つて不用《ふよう》に歸《き》した時《とき》には、それが彼等《かれら》の歩《ある》いた路《みち》の傍《はた》に埃《ほこり》に塗《まみ》れながら到《いた》る處《ところ》に抛棄《はうき》せられて散亂《さんらん》して居《ゐ》るのを見《み》るのである。  其《そ》の踊《をどり》の周圍《しうゐ》には漸《やうや》く村落《むら》の見物《けんぶつ》が聚《あつま》つた。混雜《こんざつ》して群集《ぐんしふ》と少《すこ》し離《はな》れて村落《むら》の俄商人《にはかあきんど》が筵《むしろ》を敷《し》いて駄菓子《だぐわし》や梨《なし》や甜瓜《まくはうり》や西瓜《すゐくわ》を並《なら》べて居《ゐ》る。油煙《ゆえん》がぼうつと騰《あが》るカンテラの光《ひかり》がさういふ凡《すべ》てを凉《すゞ》しく見《み》せて居《ゐ》る。殊《こと》に斷《た》ち割《わ》つた西瓜《すゐくわ》の赤《あか》い切《きれ》は小《ちひ》さな店《みせ》の第《だい》一の飾《かざ》りである。踊子《をどりこ》の渇《かつ》した喉《のど》には自分等《じぶんら》が立《た》てる埃《ほこり》の掛《かゝ》るのも頓着《とんちやく》なく只管《ひたすら》それを佳味《うま》く感《かん》ずるのである。それが少女《せうぢよ》であれば少《すくな》くとも三四|人《にん》が群《む》れて飾《かざ》られた花笠《はながさ》深《ふか》く顏《かほ》が掩《おほ》はれて居《ゐ》るのにそれでも猶且《やつぱり》知《し》られることを恥《はぢ》らうて漸《やうや》く手《て》の及《およ》ぶ程度《ていど》にカンテラの光《ひかり》の範圍《はんゐ》から遠《とほ》ざからうとしつゝ西瓜《すゐくわ》の一|片《きれ》づつを求《もと》める。俄商人《にはかあきんど》はカンテラの光明《くわうみやう》と木陰《こかげ》の薄《うす》い闇《やみ》との間《あひだ》に立《た》つた其《そ》の姿《すがた》が明瞭《はつきり》と見極《みきは》め難《がた》いので、頻《しき》りに目《め》を蹙《しか》めつゝ求《もと》められる儘《まゝ》に筵《むしろ》の端《はし》に立《た》つて西瓜《すゐくわ》を出《だ》して遣《や》る。踊子《をどりこ》は其《そ》れを手《て》にして慌《あわたゞ》しく木陰《こかげ》に隱《かく》れる。其處《そこ》には必《かなら》ず各《おの/\》の口《くち》から發《はつ》する笑聲《わらひごゑ》が聞《き》かれるのである。カンテラの光《ひかり》の爲《ため》に却《かへつ》て眼界《がんかい》を狹《せば》められた商人《あきんど》は木陰《こかげ》の闇《やみ》から見《み》れば滑稽《こつけい》な程《ほど》絶《た》えず其《そ》の眼《め》を蹙《しか》めつゝ外《そと》の闇《やみ》を透《すか》して騷《さわ》がしい群集《ぐんしふ》を見《み》て居《ゐ》る。  勘次《かんじ》は與吉《よきち》の求《もと》める儘《まゝ》に西瓜《すゐくわ》の一|片《きれ》を與《あた》へて自分《じぶん》は商人《あきんど》の狹《せま》い筵《むしろ》の端《はし》へ腰《こし》を卸《おろ》した。おつぎは暫《しばら》く店《みせ》の側《そば》に立《た》つて居《ゐ》たが、明《あか》るい光《ひかり》を厭《いと》うて軈《やが》て樅《もみ》の木《き》の下《した》に與吉《よきち》と共《とも》に身《み》を避《さ》けた。勘次《かんじ》は俄《にはか》に眼《め》を聳《そびや》かすやうにして木陰《こかげ》の闇《やみ》を見《み》た。彼《かれ》は其處《そこ》におつぎの浴衣姿《ゆかたすがた》が凝然《じつ》として居《ゐ》るのを見《み》て筵《むしろ》から離《はな》れることは仕《し》なかつた。 「おつぎさん能《よ》く來《き》たつけな」列《れつ》を離《はな》れた踊子《をどりこ》が汗《あせ》の胸《むね》を少《すこ》し開《ひら》いて、袂《たもと》で頻《しき》りに煽《あふ》ぎながら樅《もみ》の木《き》の側《そば》に立《た》つていひ掛《か》けた。 「おゝ暑《あつ》いやまあ、咽《むせ》つ返《けえ》る樣《やう》だ」と、袂《たもと》の端《はし》で汗《あせ》を拭《ふ》きながら 「おつぎさん、踊《をど》んねえか」と他《ほか》の一人《ひとり》がいつた。 「俺《お》ら厭《や》だよ、おとつゝあ居《え》つから」おつぎは小聲《こごゑ》でいつた。誘《さそ》うた踊子《をどりこ》は目《め》を蹙《しか》めて居《ゐ》る勘次《かんじ》の容子《ようす》を見《み》て自分《じぶん》が睨《にら》みつけられて居《ゐ》る樣《やう》に感《かん》じたので、他《た》へ孤鼠々々《こそ/\》と身《み》を避《さ》けた。女同士《をんなどうし》の眼《め》には姿《すがた》を變《へん》じた踊子《をどりこ》が皆《みな》一|見《けん》して了解《れうかい》されるのであつた。  踊《をどり》を見《み》ながら輪《わ》の周圍《しうゐ》に立《た》つて居《ゐ》る村落《むら》の女等《をんなら》は手《て》と手《て》を突《つゝ》き合《あ》うて勘次《かんじ》の容子《ようす》を見《み》てはくすくすと竊《ひそか》に冷笑《れいせう》を浴《あび》せ掛《か》けるのであつた。カンテラの光《ひかり》は樅《もみ》の木陰《こかげ》の何處《いづこ》からでも明瞭《はつきり》と勘次《かんじ》の容子《ようす》を目《め》に立《た》たせる樣《やう》にぼう/\と油煙《ゆえん》を立《た》てながら、周圍《しうゐ》の眼《まなこ》と首肯《うなづ》き合《あ》うて赤《あか》い舌《した》をべろべろと吐《は》きつゝゆらめいた  おつぎの姿《すがた》が五六|人《にん》立《た》つた中《なか》に見《み》えなく成《な》つた時《とき》勘次《かんじ》は商人《あきんど》の筵《むしろ》を立《た》つてすつと樅《もみ》の木《き》の側《そば》へ行《い》つた。おつぎは一二|歩《ほ》位置《ゐち》を變《か》へた丈《だけ》であつたので、彼《かれ》は直《すぐ》におつぎの白《しろ》い姿《すがた》と相《あひ》接《せつ》して立《た》つた。女同士《をんなどうし》は勘次《かんじ》の姿《すがた》を見《み》て少《すこ》し身《み》を避《さ》けた。五六|本《ぽん》屹立《きつりつ》した樅《もみ》の木《き》は引《ひ》つ扱《こ》いた樣《やう》な梢《こずゑ》が相《あひ》倚《よ》つて、先刻《さつき》から明《あ》かるい光《ひかり》を厭《いと》ふ踊子《をどりこ》を掩《おほ》うて一|杯《ぱい》に陰翳《かげ》を投《な》げて居《ゐ》たのであるが、凝然《ぢつ》とした靜《しづ》かな月《つき》が幾《いく》らか首《くび》を傾《かたむ》けたと思《おも》つたら樅《もみ》の梢《こずゑ》の間《あひだ》から少《すこ》し覗《のぞ》いて、踊子《をどりこ》が形《かたち》づくつて居《ゐ》る輪《わ》の一|端《たん》をかつと明《あ》かるくした。彼等《かれら》の戴《いたゞ》いて居《ゐ》る裝飾《さうしよく》が其《その》光《ひかり》に觸《ふ》れゝば悉《ことごと》く目《め》を射《い》るやうにはつきりと白《しろ》く見《み》え出《だ》した。殆《ほと》んど疲勞《ひらう》といふことを感《かん》じないであらうかと怪《あや》しまれる彼等《かれら》は益々《ます/\》興《きよう》に乘《じよう》じて少《すこ》し亂雜《らんざつ》に成《な》り掛《か》けた。白《しろ》いシヤツの上《うへ》に浴衣《ゆかた》を肩《かた》まで捲《ま》くつて、臀《しり》を※[#「塞」の「土」に代えて「衣」、第3水準1-91-84]《から》げて草鞋《わらぢ》を穿《はい》た幾人《いくにん》が列《れつ》から離《はな》れたと思《おも》つたら、其處《そこ》らに立《た》つて見物《けんぶつ》して居《ゐ》る女等《をんなら》に向《むか》つて海嘯《つなみ》の如《ごと》く襲《おそ》うた。女同士《をんなどうし》はわあと只《たゞ》笑《わら》ひ聲《ごゑ》を發《はつ》して各自《てんで》に對手《あひて》を突《つ》いたり叩《たゝ》いたりして亂《みだ》れつゝ騷《さわ》いだ。突然《とつぜん》一人《ひとり》がおつぎの髮《かみ》へひよつと手《て》を掛《か》けた。 「此《こ》らまあ、どうしたもんだ」おつぎが驚《おどろ》いて叫《さけ》んだ時《とき》、對手《あひて》はおつぎの櫛《くし》を奪《うば》つて混雜《こんざつ》した群集《ぐんしふ》の中《なか》へ身《み》を沒《ぼつ》した。おつぎは髮《かみ》へ惡戯《いたづら》されたことを嫌《きら》つて思《おも》はず手《て》を當《あて》て見《み》て櫛《くし》の無《な》くなつたのを知《し》つた。 「他人《ひと》の櫛《くし》まあ」おつぎは其《そ》れを追《お》はうとして覺《おぼ》えず足《あし》を蹂《ふ》み出《だ》すと、一|歩《ぽ》運《はこ》んだ勘次《かんじ》の手《て》がむづとおつぎの首筋《くびすぢ》を捉《とら》へた。彼《かれ》は同時《どうじ》におつぎの小鬢《こびん》を横《よこ》に打《う》つた。おつぎが慌《あわ》てゝ後《うしろ》を向《む》かうとする時《とき》、復《ふたゝ》び劇《はげ》しく打《う》つた手《て》がおつぎの鼻《はな》に當《あた》つた。おつぎは兩手《りやうて》で鼻《はな》を抑《おさ》へて縮《ちゞ》まつた。女同士《をんなどうし》は樅《もみ》の木陰《こかげ》に身《み》を峙《そば》めて手《て》の出《だ》し樣《やう》もなかつた。  一《ひと》つには平生《ふだん》からおつぎに對《たい》する勘次《かんじ》の態度《たいど》を知《し》つて居《ゐ》て其處《そこ》に一|種《しゆ》の恐怖《きようふ》を感《かん》じて居《ゐ》たからでもあつた。 「どうして汝《わ》りや、櫛《くし》なんぞ取《と》らつたんだ」勘次《かんじ》はからびた喉《のど》から絞《しぼ》り出《だ》す樣《やう》な聲《こゑ》で詰問《きつもん》した。 「こうれ、此《この》阿魔奴《あまめ》、しらばくれやがつて、どうしたんだよ」勘次《かんじ》は屈《かゞ》んだ儘《まゝ》のおつぎをぐいと突《つ》いた。おつぎは轉《ころ》がり相《さう》にして漸《やうや》く土《つち》へ手《て》を突《つ》いた。 「何《なに》爲《す》んだな、おとつゝあ」おつぎは慌《あわ》てゝ顏《かほ》を捩《ね》ぢ向《む》けて少《すこ》し泣《な》き聲《ごゑ》で寧《むし》ろ鋭《するど》くいつた。 「何《なに》爲《す》んだとう、づう/\しい阿魔《あま》だ、櫛《くし》何故《どう》して取《と》らつたんだか云《ゆ》つて見《み》ろつちんだ、此《こ》んでも分《わか》んねえのか、云《ゆ》つて見《み》ろよ」勘次《かんじ》は暫《しばら》く間《あひだ》を措《お》いて、又《また》かつと忌々敷《いま/\しく》なつたやうに 「云《ゆ》つて見《み》ろつちのに、云《ゆ》つて見《み》ろよ」と反覆《くりかへ》しておつぎを責《せ》めた。 「どうしてつちつたつて、俺《お》らがにや分《わか》んねえよ」おつぎは恨《うら》めし相《さう》に然《しか》しながら周圍《しうゐ》に憚《はゞか》る樣《やう》にして小聲《こごゑ》でいつた。袂《たもと》は顏《かほ》を掩《おほ》うた儘《まゝ》である。 「分《わか》んねえとう、何《なん》にも知《し》らねえ者《もの》で他人《ひと》の櫛《くし》なんぞ取《と》つか」勘次《かんじ》は苦《くる》しい息《いき》を吐《つ》くやうにして 「そんだら汝《わ》りや」と齒《は》でぎつと噛《か》み殺《ころ》した樣《やう》な聲《こゑ》でいつた。暫時《しばらく》凝然《ぢつ》と見《み》て居《ゐ》た彼《かれ》はおつぎを蹴《け》つた。おつぎは前《まへ》へのめつた。然《しか》しおつぎは泣《な》かなかつた。「おゝ痛《い》てえまあ」群集《ぐんしふ》の中《なか》から假聲《こわいろ》でいつた。踊《をどり》の列《れつ》は先刻《さつき》から崩《くづ》れて堵《と》の如《ごと》く勘次《かんじ》とおつぎの周圍《まはり》に集《あつ》まつたのである。おつぎは此《この》聲《こゑ》を聞《き》くと共《とも》に亂《みだ》れ掛《か》けた衣物《きもの》の合《あは》せ目《め》を繕《つくろ》うた。 「櫛《くし》とつたな此處《ここ》に居《ゐ》たよう」と此《こ》れも喉《のど》の底《そこ》からかすれて出《で》るやうな聲《こゑ》が群集《ぐんしふ》の中《なか》から發《はつ》せられた。 「持《も》つてたら、やつちめえ」 「厭《や》だよう、おとつゝあに打《ぶ》ん擲《なぐ》られつから、おとつゝあ勘辨《かんべん》してくろよう」と歔欷《すゝりな》くやうな假聲《こわいろ》が更《さら》に聞《きこ》えた。惘然《ばうぜん》として見《み》て居《ゐ》た凡《すべ》てがどよめいた。 「おとつゝあ明《あか》り點《つ》けべえかあ」と群集《ぐんしふ》の後《あと》から呶鳴《どな》ると共《とも》に凡《すべ》てが復《ま》たどつと笑《わら》つた。  おつぎはむつくり起《お》きてさつさと行《ゆ》き掛《か》けた。 「汝《われ》何處《どこ》さ行《え》くんだ。こうれ」勘次《かんじ》は引《ひ》つ捉《つか》まうとしたがおつぎは身《み》を捩《ねぢ》つてさつさと行《ゆ》く。勘次《かんじ》は慌《あわ》てゝ草履《ざうり》の爪先《つまさき》が蹶《つまづ》きつゝおつぎの後《あと》に跟《つ》いた。 「おつう」彼《かれ》は心《こゝろ》もとなげに喚《よ》んだ。與吉《よきち》はどうした理由《わけ》とも分《わか》らないので先刻《さつき》から只《たゞ》泣《な》いて居《ゐ》た。  太鼓《たいこ》が止《や》んで踊《をどり》は全《まつた》く亂《みだ》れて畢《しま》つた。それでなくても彼等《かれら》は一しきり踊《をど》れば田圃《たんぼ》を越《こ》えて三々五々《さんさんごゝ》と男《をとこ》は女《をんな》を伴《ともな》うて、畑《はた》の小徑《こみち》から林《はやし》を過《す》ぎて村落《むら》から村落《むら》へと太鼓《たいこ》の音《おと》を尋《たづ》ねて行《ゆ》くのである。  勘次《かんじ》の後《うしろ》から彼等《かれら》はぞろ/\と跟《つ》いて行《い》つた。或《ある》者《もの》は足速《あしばや》に駈《か》け拔《ぬ》けては 「燒餅《やきもち》燒《や》くとて手《て》を燒《や》いてえ、其《そ》の手《て》でお釋迦《しやか》の團子《だんご》捏《こ》ねたあ」と當《あ》てつけに唄《うた》うてずん/\行《い》つて畢《しま》ふ。後《うしろ》の群集《ぐんしふ》はそれに應《おう》じて指《ゆび》を啣《くは》へてぴう/\と鳴《な》らしながら勘次《かんじ》の心《こゝろ》を苛立《いらだ》たせた。勘次《かんじ》は何《ど》れ程《ほど》それが激《げき》した心《こゝろ》に忌々敷《いま/\しく》くても其《そ》れを窘《たしな》めて叱《しか》つて遣《や》る何《なん》の手《て》がかりも有《も》つて居《を》らぬ。三|人《にん》は只《たゞ》默《だま》つて歩《ある》いた。  社《やしろ》の森《もり》の外《そと》は白《しろ》い月夜《つきよ》である。勘次《かんじ》が村落外《むらはづ》れの家《いへ》に歸《かへ》つた時《とき》は踊子《をどりこ》は皆《みな》自分《じぶん》の嚮《むか》ふ處《ところ》に赴《おもむ》いて三|人《にん》のみが靜《しづか》に深《ふ》け行《ゆ》く庭《には》にぽつさりと立《た》つたのであつた。各所《かくしよ》の太鼓《たいこ》の音《おと》が興味《きようみ》は却《かへつ》て此《こ》れからだといふ樣《やう》に沈《しづ》んだ夜《よ》を透《とほ》して一|直線《ちよくせん》に響《ひゞ》いて來《く》る。唄《うた》の聲《こゑ》は遠《とほ》く近《ちか》く聞《きこ》える。夜《よる》は全《まつた》く踊《をど》るものゝ領域《りやうゐき》に歸《き》した。彼等《かれら》は玉蜀黍《たうもろこし》の葉《は》がざわ/\と妙《めう》に心《こゝろ》を騷《さわ》がせて、花粉《くわふん》の臭《にほ》ひが更《さら》に心《こゝろ》の或《ある》物《もの》を衝動《そゝ》る畑《はたけ》の間《あひだ》を行《ゆ》くとては、踊《をど》つて唄《うた》うて渇《かつ》した喉《のど》に其處《そこ》に瓜《うり》が作《つく》つてあるのを知《し》れば竊《ひそか》に瓜《うり》や西瓜《すゐくわ》を盗《ぬす》んで路傍《みちばた》の草《くさ》の中《なか》に打《う》ち割《わ》つた皮《かは》を投《な》げ棄《す》てゝ行《ゆ》くのである。彼等《かれら》の間《あひだ》に惡戯《いたづら》の好《す》きな五六|人《にん》が夜《よ》が深《ふ》けてからそつと勘次《かんじ》の庭《には》へ立《た》つて見《み》た。其《そ》の時《とき》は只《たゞ》自分等《じぶんら》の陰翳《かげ》が稍《やゝ》長《なが》く庭《には》の土《つち》に映《えい》じて、月《つき》は隙間《すきま》だらけの古《ふる》ぼけた雨戸《あまど》をほのかに白《しろ》く見《み》せて居《ゐ》た。周圍《しうゐ》は泣《な》き止《や》んだ後《あと》のやうに餘《あま》りに寂《さび》しかつた。五六|人《にん》は只《たゞ》ぽつさりと歸《かへ》つて畢《しま》つた。  おつぎは次《つき》の朝《あさ》櫛《くし》を探《さが》しに出《で》た。同《おな》じ年輩《ねんぱい》の間《あひだ》には誰《たれ》の惡戯《いたづら》であるかが其《そ》の場《ば》で凡《すべ》ての耳《みゝ》に知《し》れ渡《わた》つて居《ゐ》た。 「櫛《くし》なんざ持《も》つてゐねえぞはあ、それよりやあ、歸《けえ》つて※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》のざく股《また》でも見《み》た方《はう》がえゝと」朋輩《ほうばい》の一人《ひとり》がおつぎへいつた。おつぎは自分《じぶん》の庭《には》の※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]木《かきのき》の幹《みき》が二|股《また》に成《な》つた處《ところ》に櫛《くし》がそつと載《の》せてあるのを發見《はつけん》した。櫛《くし》は鼈甲模擬《べつかふまがひ》のゴムの櫛《くし》であつた。齒《は》が二|枚《まい》ばかり缺《か》けて居《ゐ》た。おつぎは損所《そんしよ》を凝然《ぢつ》と見《み》て直《すぐ》に髮《かみ》へ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》した。  櫛《くし》の事件《じけん》は其《そ》れつ切《きり》で畢《をは》つた。勘次《かんじ》は何《なに》かにつけてはおつう/\と懷《なつ》かしげに喚《よ》んで一|家《か》は人《ひと》の目《め》に立《た》つ程《ほど》極《きは》めて睦《むつ》ましかつた。然《しか》しかういふ事件《じけん》は村落《むら》の凡《すべ》ての口《くち》を久《ひさ》しく防《ふせ》ぐことは出來《でき》なかつた。殊《こと》に女房等《にようばうら》の間《あひだ》には 「勘次《かんじ》さんもどうしたつちんだんべ、俺《お》ら可怖《おつかね》えやうだつけぞ」 「本當《ほんたう》によ、丸《まる》つきり狂氣《きちげえ》のやうだものなあ」といふ驚異《きやうい》の聲《こゑ》が到《いた》る處《ところ》に反覆《はんぷく》された。 「唯《たゞ》たあ思《おも》へねえよ、勘次《かんじ》さんもあゝいに仕《し》ねえでもよかんべと思《おも》ふのになあ」嘆聲《たんせい》を發《はつ》しては各自《かくじ》の心《こゝろ》に伏在《ふくざい》して居《ゐ》る或《ある》物《もの》を口《くち》には明白地《あからさま》に云《い》ふことを憚《はゞか》る樣《やう》に眼《め》と眼《め》を見合《みあは》せて互《たがひ》に笑《わら》うては僅《わづか》に 「厭《や》だ/\」といふ底《そこ》に一|種《しゆ》の意味《いみ》を含《ふく》んだ一|語《ご》を投《な》げ棄《す》てゝ別《わか》れるのである。殊《こと》には村落《むら》の若者《わかもの》の間《あひだ》へは寸毫《すんがう》も遠慮《ゑんりよ》の無《な》い想像《さうざう》に伴《ともな》ふ陰口《かげぐち》を逞《たくま》しくせしめる好箇《かうこ》の材料《ざいれう》を提供《ていきよう》したのであつた。          一四  夏《なつ》が循環《じゆんくわん》した。  暑《あつ》い日《ひ》の刺戟《しげき》が驚《おどろ》くべき活動力《くわつどうりよく》を百姓《ひやくしやう》の手足《てあし》に與《あた》へる。百姓《ひやくしやう》は馬《うま》や荷車《にぐるま》を駈《か》つて刈《か》り倒《たふ》した麥《むき》をせつせと運《はこ》ぶ。永《なが》い日《ひ》は僅《わづか》な日數《ひかず》の内《うち》に目《め》に渺々《べうべう》たる畑《はたけ》をからりとさせて、暫《しばら》くすると天候《てんこう》は極《きはま》りない變化《へんくわ》の手《て》を一|杯《ぱい》に擴《ひろ》げて、黄色《きいろ》に熟《じゆく》する梅《うめ》の小枝《こえだ》を苦《くるし》めて居《ゐ》る※[#「虫+牙」、第4水準2-87-34]蟲《あぶらむし》も滅亡《めつばう》して畢《しま》ふ程《ほど》の霖雨《りんう》が惘《あき》れもしないで降《ふ》り續《つゞ》く。さうすると麥《むき》を刈《か》つた跟《あと》の菽《まめ》や陸穗《をかぼ》が渇《かつ》した口《くち》へ冷《つめ》たい水《みづ》を獲《え》た樣《やう》に勢《いきほひ》づいて、四五|日《にち》の内《うち》に青《あを》い葉《は》を以《もつ》て畑《はたけ》の土《つち》が寸隙《すんげき》もなく掩《おほ》はれる。雨《あめ》は蹂《ふ》み固《かた》めてある百姓《ひやくしやう》の庭《には》の土《つち》にも※[#「くさかんむり/(火+旱)」、195-5]菜《いぬがしら》や石龍※[#「くさかんむり/内」、第3水準1-90-67]《たがらし》の黄色《きいろ》い小粒《こつぶ》な花《はな》を持《も》たせて、棟《やのむね》にさへ長《なが》い短《みじか》い草《くさ》を生《しやう》ぜしめる。自然《しぜん》の意志《いし》は只管《ひたすら》に地上《ちじやう》の到《いた》る處《ところ》に軟《やはら》かな青《あを》い葉《は》を以《もつ》て掩《おほ》ひ隱《かく》さうとのみ力《ちから》を注《そゝ》いで居《ゐ》るのである。其《そ》の意志《いし》に逆《さか》らうて猶豫《たゆた》うて居《ゐ》るのは百姓《ひやくしやう》の手《て》で丁寧《ていねい》に捏《こ》ねられた水田《すゐでん》のみである。夏《なつ》が漸《やうや》く深《ふ》けると自然《しぜん》は其《そ》の心《こゝろ》を焦燥《あせ》らせて、霖雨《りんう》が低《ひく》い田《た》に水《みづ》を滿《み》たしめて、堀《ほり》にも茂《しげ》つた草《くさ》を沒《ぼつ》して岸《きし》を越《こ》えしめる。稻草《いなぐさ》を以《もつ》て田《た》の空地《くうち》を埋《うづ》めることが一|日《にち》でも速《すみや》かなればそれだけ餘計《よけい》な報酬《はうしう》を晩秋《ばんしう》の收穫《しうくわく》に於《おい》て與《あた》へるからと教《をし》へて自然《しぜん》は百姓《ひやくしやう》の體力《たいりよく》の及《およ》ぶ限《かき》り活動《くわつどう》せしめる。さうすると百姓《ひやくしやう》は田《た》のやうにどろ/\と往來《わうらい》の土《つち》をも捏《こ》ねて馬《うま》と共《とも》に泥《どろ》に塗《まみ》れながら田植《たうゑ》にのみ屈託《くつたく》する。彼等《かれら》は雨《あめ》を藁《わら》の蓑《みの》に避《さ》けて左手《ひだりて》に持《も》つた苗《なへ》を少《すこ》しづつ取《と》つて後退《あとずさ》りに深《ふか》い泥《どろ》から股引《もゝひき》の足《あし》を引《ひ》き拔《ぬ》き引《ひ》き拔《ぬ》き植《う》ゑ退《の》く。恁《か》うして宏濶《くわうくわつ》な水田《すゐでん》は、一|日《にち》泥《どろ》に浸《ひた》つた儘《まゝ》でも愉快相《ゆくわいさう》に唄《うた》ふ聲《こゑ》がそつちからもこつちからも響《ひゞ》くと共《とも》に、段々《だん/\》に淺《あさ》い緑《みどり》が掩《おほ》うて、多忙《たばう》で且《かつ》活溌《くわつぱつ》な夏《なつ》の自然《しぜん》は先《さき》に植《う》ゑられた田《た》から漸次《ぜんじ》に深《ふか》い緑《みどり》を染《そ》めて行《ゆ》く。田《た》が凡《すべ》て植《う》ゑ畢《をは》つた時《とき》には畦畔《くろ》にも短《みじか》い草《くさ》が生《は》えて居《ゐ》て土《つち》の黒《くろ》い部分《ぶぶん》が何處《どこ》にも見《み》えなく成《な》る。自然《しぜん》は始《はじ》めて自己《じこ》の滿足《まんぞく》を得《え》た樣《やう》にからりと快《こゝろ》よい空《そら》を拭《ぬぐ》うて暑《あつ》い日《ひ》の光《ひかり》を投《な》げ掛《か》ける。青田《あをた》の畦畔《くろ》には處々《しよ/\》に萱草《くわんさう》が開《ひら》いて、田《た》の草《くさ》を掻《か》くとては村落《むら》の少女《むすめ》が赤《あか》い帶《おび》を暑《あつ》い日《ひ》に燃《も》やさない日《ひ》でも、萎《しぼ》んでは開《ひら》いて朱杯《しゆはい》の如《ごと》く點々《てん/\》と耕地《かうち》を彩《いろど》るのである。百姓《ひやくしやう》は忙《いそが》しい田植《たうゑ》が畢《をは》れば何處《どこ》の家《いへ》でも秋《あき》の收穫《しうくわく》を待《ま》つ準備《じゆんび》が全《まつた》く施《ほどこ》されたので、各自《かくじ》の勞《らう》を劬《ねぎら》ふ爲《ため》に相當《さうたう》な饗應《もてなし》が行《おこな》はれるのである。其《それ》が早苗振《さなぶり》である。  勘次《かんじ》とおつぎは南《みなみ》の早苗振《さなぶり》の日《ひ》に傭《やと》はれて行《い》つて居《ゐ》た。勘次《かんじ》の家《いへ》から南《みなみ》へ行《ゆ》く小徑《こみち》を挾《はさ》んだ桑畑《くはばたけ》は刈取《かりと》つてから草《くさ》の生《は》えた位《くらゐ》に枝《えだ》が立《た》ち始《はじ》めて居《ゐ》た。桑《くは》の間《あひだ》には馬鈴薯《じやがいも》が茂《しげ》つて花《はな》を持《も》つて居《ゐ》た。南《みなみ》の家《いへ》では少《すこ》しばかり養蠶《やうさん》をしたので百姓《ひやくしやう》の仕事《しごと》が凡《すべ》て手後《ておく》れに成《な》つたのであつた。村落《むら》の大抵《たいてい》が田植《たうゑ》を畢《をは》り掛《か》けたので慌《あわ》てゝ大勢《おほぜい》の手《て》を傭《やと》うた。其《そ》の日《ひ》は晴《は》れて心持《こゝろもち》がよかつたのと、一|同《どう》が非常《ひじやう》な奮發《ふんぱつ》をしたのとで仕事《しごと》は日《ひ》の高《たか》い内《うち》に濟《す》んだ。南《みなみ》の女房《にようばう》は仕事《しごと》の見極《みきは》めがついたのでおつぎを連《つ》れて、其《その》晩《ばん》の惣菜《そうざい》の用意《ようい》をする爲《ため》に一|足《あし》先《さき》へ田《た》から歸《かへ》つた。女房《にようばう》は忙《いそが》しい思《おも》ひをしながら麥《むぎ》を熬《い》つて香煎《かうせん》も篩《ふる》つて置《お》いた。  田植《たうゑ》の同勢《どうぜい》は股引《もゝひき》穿《は》いた儘《まゝ》泥《どろ》の足《あし》をずつと堀《ほり》の水《みづ》に立《た》てゝ、股引《もゝひき》の紺地《こんぢ》がはつきりと成《な》るまで兩手《りやうて》でごし/\と扱《しご》いた。溶《と》けた泥《どろ》が煙《けぶり》の如《ごと》く水《みづ》を濁《にご》らしてずん/\と流《なが》される。さうしてから其《そ》の股引《もゝひき》を脱《ぬ》いでざぶ/\と洗《あら》ふ者《もの》も有《あ》つた。彼等《かれら》が歸《かへ》つて家《いへ》の内《うち》は急《きふ》にがや/\と賑《にぎや》かに成《な》つた。裏戸口《うらとぐち》の※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》の下《した》に据《す》ゑられた風呂《ふろ》には牛《うし》が舌《した》を出《だ》して鼻《はな》を舐《な》めづつて居《ゐ》る樣《やう》な焔《ほのほ》が煙《けぶり》と共《とも》にべろ/\と立《た》つて燻《いぶ》りつゝ燃《も》えて居《ゐ》る。傭《やと》はれて來《き》た女房等《にようばうら》の一人《ひとり》が蓋《ふた》をとつてがら/\と掻《か》き廻《まは》して、それから復《ま》た火吹竹《ひふきだけ》でふう/\と吹《ふ》いた。焔《ほのほ》の赤《あか》い舌《した》がべろ/\と長《なが》く立《た》つた。  再《ふたゝ》び蓋《ふた》をとつた時《とき》には掃除《さうぢ》の足《た》らぬ風呂桶《ふろをけ》のなかには前夜《ぜんや》の垢《あか》が一|杯《ぱい》に浮《う》いて居《ゐ》た。其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》ことには關《かま》はずに田植《たうゑ》の同勢《どうぜい》はずん/\と這入《はひ》つた。彼等《かれら》は殆《ほと》んど只《たゞ》手拭《てぬぐひ》でぼちや/\と身體《からだ》をこすつて出《で》た。足《あし》の爪先《つまさき》に詰《つ》まつた泥《どろ》を落《おと》すことさへ仕《し》なかつた。 「燻《けぶ》つてえのそつちへおん出《だ》さなくつちや仕《し》やうねえや」風呂《ふろ》から出《で》た儘《まゝ》拭《ぬぐ》ひもせぬ足《あし》に下駄《げた》を穿《は》いて裸《はだか》の臀《しり》を他人《たにん》に向《む》けて立《た》つた一|人《にん》が後《うしろ》を顧《かへり》みていつた。 「なあに管《かま》あねえ」後《あと》から目《め》を蹙《しか》めながら一人《ひとり》が首筋《くびすぢ》まで沈《しづ》んだ。それから風呂桶《ふろをけ》へ腰《こし》を掛《か》けてごし/\と洗《あら》ひながら 「此《こ》りや燻《けぶ》つてえ」と復《また》沈《しづ》んだ儘《まゝ》ごし/\と垢《あか》を落《おと》して居《ゐ》たが 「あゝ善《え》え處《とこ》だ、よう、おつぎ、少《ちつ》と此處《ここ》まで來《き》てくんねえか」といつた。彼《かれ》は百姓《ひやくしやう》の間《あひだ》には馬《うま》を曳《ひ》いて歩《ある》く村落《むら》の博勞《ばくらう》であつた。 「どうしたもんだんべ、兼《かね》さん等《ら》自分《じぶん》で這入《へえ》んのに燻《けむ》つたけりや、おん出《だ》してからへえつたら善《よ》かんべなあ、それに怎的《どう》したもんだ一同《みんな》居《ゐ》て、水汲《みずく》みに來《き》たものなんぞ使《つか》あねえたつてよかんべなあ」おつぎは輕《かる》く窘《たしな》める樣《やう》にいつて二つの手桶《てをけ》をそつと置《お》いて、燻《いぶ》つて居《ゐ》る薪《たきゞ》を出《だ》して遣《や》つた。 「おつぎに掻《か》ん出《だ》して貰《もら》あんでなくつちや厭《や》だつちから俺《お》ら管《かま》あねえんだな、そんでなけりや幾《いく》らでも出《だ》して遣《や》らざらによ」側《そば》から直《すぐ》にいつた。 「燻《けぶ》つてえの無《な》く成《な》つたら酷《ひど》く晴々《せい/\》してへえつてる樣《やう》ぢやなくなつた。俺《お》ら莫迦《ばか》な目《め》に逢《あ》つちやつたえ」兼《かね》博勞《ばくらう》はがぶりと風呂《ふろ》の音《おと》をさせて立《たち》ながらいつた。 「どうしたもんだ、他人《ひと》のこと使《つか》つて小憎《こにく》らしいこと、そんなこと云《い》ふとおつけて遣《や》つから」おつぎは燻《いぶ》つた薪《たきゞ》を兼《かね》博勞《ばくらう》の近《ちか》くへ出《だ》した。兼《かね》博勞《ばくらう》は慌《あわ》てゝ 「謝罪《あやま》つた/\」とずつと身《み》を引《ひ》いた。おつぎが手桶《てをけ》の側《そば》へ戻《もど》つたら 「ああ、おつぎ/\少《ちつ》と待《ま》つてゝくろえ、俺《お》れえゝ物《もの》出《だ》すから」兼《かね》博勞《ばくらう》は口速《くちばや》に喚《よ》び掛《か》けた。 「おゝ厭《や》なこつた、要《え》らねえよ」おつぎは少《すこ》し身《み》を屈《かが》めて手桶《てをけ》の柄《え》を攫《つか》んで其《そ》の儘《まゝ》身《み》を延《のば》すと手桶《てをけ》の底《そこ》が三|寸《ずん》ばかり地《ち》を離《はな》れた。 「えゝ、此《こ》れ出《だ》すべつちのに」兼《かね》博勞《ばくらう》は後《あと》から投《な》げた。それは梢《こずゑ》から風呂《ふろ》の中《なか》へ落《お》ちた蔕《へた》のない青《あを》い※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》であつた。※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》は手桶《てをけ》の水《みづ》へぽたりと落《お》ちて、水《みづ》のとばちりが少《すこ》しおつぎの足《あし》へ掛《かゝ》つた。 「憎《にく》らしいことまあ、惡戯《いたづら》ばかし仕《し》て」おつぎは嫣然《にこり》として後《うしろ》を見《み》た。 「後《うしろ》見《み》せえすりやそんでえゝんだ」と風呂《ふろ》の側《そば》に居《ゐ》た一人《ひとり》がいつた。 「俺《お》ら其《そ》の雀班《そばつかす》見《み》せえすりや氣《き》が濟《す》んでんだよ」兼《かね》博勞《ばくらう》は後《あと》に跟《つ》いていつた。 「何程《なんぼ》すれつからしなんだんべ兼《かね》さんは、他人《ひと》のこと本當《ほんたう》に」とおつぎは手桶《てをけ》を置《お》いて水《みづ》に泛《うか》んだ青《あを》い※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》を兼《かね》博勞《ばくらう》へ投《な》げた。 「兼《かね》さんすつかり惚《ほれ》られつちやつた」と風呂桶《ふろをけ》の傍《そば》からいつた。おつぎは顏《かほ》を赧《あか》くして慌《あわたゞ》しく手桶《てをけ》を持《も》つて遁《に》げた。一|杯《ぱい》に汲《く》んだ手桶《てをけ》の水《みづ》が少《すこ》し波立《なみだ》つて滾《こぼ》れた。風呂桶《ふろをけ》の傍《そば》では四十五十に成《な》る百姓《ひやくしやう》も居《ゐ》て一同《みんな》が愉快相《ゆくわいさう》にどよめいた。おつぎが手桶《てをけ》を持《も》つた時《とき》勘次《かんじ》は裏戸《うらど》の垣根口《かきねぐち》にひよつこりと出《で》た。彼《かれ》は衣物《きもの》を換《か》へに桑畑《くはばたけ》の小徑《こみち》を越《こ》えて自分《じぶん》の家《うち》へ行《い》つたのであつた。彼《かれ》は風呂《ふろ》の側《そば》の騷《さわ》ぎをちらと耳《みゝ》にしてそれからおつぎの後姿《うしろすがた》を目《め》にしたので怪訝《けげん》な容子《ようす》をして庭《には》にはひつて來《き》た。一|同《どう》は打合《うちあは》せた樣《やう》に默《もく》して畢《しま》つた。  落《お》ち掛《か》けた日《ひ》が少時《しばし》竹藪《たけやぶ》を透《とほ》して濕《しめ》つた土《つち》に射《さ》し掛《か》けて、それから井戸《ゐど》を圍《かこ》んだ井桁《ゐげた》に※[#「くさかんむり/(さんずい+位)」、第3水準1-91-13]《のぞ》んで陰氣《いんき》に茂《しげ》つた山梔子《くちなし》の花《はな》を際立《はきだ》つて白《しろ》くした。暫《しばら》くして青《あを》い煙《けむり》の滿《み》ちた家《いへ》の内《うち》には心《しん》も切《き》らぬランプが釣《つ》るされて、板《いた》の間《ま》には一|同《どう》ぞろつと胡坐《あぐら》を掻《か》いて丸《まる》い坐《ざ》が形《かたち》づくられた。  此《これ》も傭《やと》はれて來《き》た若《わか》い女房等《にようばうら》は竈《かまど》の前《まへ》に立《た》つて内《うち》の女房《にようばう》とおつぎとに手《て》を藉《か》して居《ゐ》た。徳利《とくり》が三四|本《ほん》膳《ぜん》の前《まへ》に運《はこ》ばれた。 「お蔭《かげ》でどうも捗《はか》行《ゆ》きあんした。どうぞゆつくり行《や》つておくんなせえ」亭主《ていしゆ》は改《あらた》まつて挨拶《あいさつ》した。 「はい」と一|同《どう》が時儀《じぎ》をした。各自《かくじ》の膳《ぜん》の隅《すみ》へ一つ宛《づゝ》渡《わた》された茶呑茶碗《ちやのみぢやわん》へ酒《さけ》が注《つ》がれようとした時《とき》 「あれ待《ま》つてゝくんねえか」と内《うち》の女房《にようばう》が慌《あわ》てゝいつた。 「おとつゝあん、お竈樣《かまさま》忘《わす》れたつけべな」女房《にようばう》は竈《かまど》から飯《めし》の釜《かま》を卸《おろ》して布巾《ふきん》を手《て》にした儘《まゝ》いつた。 「さうだつけな、ほんに」亭主《ていしゆ》はいきなり一|本《ぽん》の徳利《とくり》を手《て》にして土間《どま》へおりた。竈《かまど》の上《うへ》の煤《すゝ》けた小《ちひ》さな神棚《かみだな》へは田《た》から提《さ》げて來《き》た一|把《は》の苗《なへ》が載《の》せてあつた。彼《かれ》は其《その》苗束《なへたば》へ徳利《とくり》から少《すこ》し酒《さけ》を注《つ》いだ。 「酒《さけ》そつちの方《はう》へたんと掛《か》けねえで貰《も》れえてえな」兼《かね》博勞《ばくらう》はけろりとした容子《ようす》をして戯談《じやうだん》をいつた。 「酒《さけ》飮《の》む者《も》な、さうだに惜《を》しいもんだんべか」おつぎはこつそりいつた。 「そんだつて酒《さけ》つちや人《ひと》の口《くち》さ入《せ》える樣《やう》に出來《でき》てんだから、それ證據《しようこ》にや俺《お》らが口《くち》さ入《せ》えりやすぐ利《き》くから見《み》ろえ」兼《かね》博勞《ばくらう》はいつた。亭主《ていしゆ》は又《また》苗束《なへたば》へ香煎《かうせん》を少《すこ》し振《ふ》り掛《か》けた。それは稻《いね》の花《はな》に模擬《なぞら》つたので、稻《いね》の花《はな》が一|杯《ぱい》に開《ひら》く樣《やう》との縁起《えんぎ》であつた。兼《かね》博勞《ばくらう》は其《そ》れを見《み》て急《きふ》に土間《どま》へ下《お》りて行《い》つた。 「どうれ、おめえ等《ら》饂飩粉《うどんこな》少《ちつ》と持《も》つて來《き》て見《み》せえ、一ツ爪尻《つまじり》でえゝんだ、おゝえ持《も》つて來《こ》うな、おつぎでもえゝや、よう」と兼《かね》博勞《ばくらう》は促《うなが》した。 「どうしたもんだ、大威張《おほえばり》して」おつぎは呟《つぶや》きながら内《うち》の女房《にようばう》に聞《き》いて小麥粉《こむぎこ》を一|捉《つか》み出《だ》して遣《や》つた。 「さうら此《こ》れ掛《か》けて、此《こ》れが晩稻《おくいね》の花《はな》だ」兼《かね》博勞《ばくらう》は手《て》にした小麥粉《こむぎこ》を悉《こと/″\》く掛《か》けて畢《しま》つた。苗束《なへたば》は少《すこ》し白《しろ》く成《な》つた。 「何處《どこ》にもさういに掛《か》けるもな有《あ》んめえな」女房《にようばう》の一人《ひとり》が見《み》て居《ゐ》ていつた。 「俺《お》ら晩稻《おくいね》作《つく》んだから、役場《やくば》の奴等《やつら》作《つく》つちやなんねえなんちつたつて、俺《お》ら見《み》てえな、うつかりすつと乳《ちゝ》ツ岸《ぎし》までへえるやうな深《ふか》ん坊《ばう》の冷《ひ》えつ處《とこ》ぢやどうしたつて晩稻《おくいね》でなくつちや穫《と》れるもんぢやねえな、それから俺《お》れ役場《やくば》で役人《やくにん》が講釋《かうしやく》すつから深《ふか》ん坊《ばう》ぢや斯《か》うだつち噺《はなし》したら、はつきり惡《わ》りいたあ云《ゆ》はねえんだから、夫《それ》から俺《お》れ糞《くそ》攫《つか》んで見《み》ねえ奴《やつ》ぢや駄目《だめ》だつちんだ」彼《かれ》は笑《わら》ひながら獨《ひと》り饒舌《しやべ》つた。 「根性《こんじやう》捩《ねぢ》れてつからだあ、晩稻《おくいね》は作《つく》んなつちのに」女房《にようばう》の一人《ひとり》が又《また》いつた。 「俺《お》れか、いやどうも捩《ねぢ》れてんにもなんにも」兼《かね》博勞《ばくらう》はいつて 「そうれ見《み》ろえ、稻《いね》へ白《しれ》え花《はな》が咲《さ》えたぞ、白坊主《しろばうず》の花《はな》だこりや」彼《かれ》は手《て》に附《つ》いた粉《こ》を能《よ》く叩《たゝ》いた。 「厭《や》だよ、白坊主《しろばうず》ツち稻《いね》はあんめえな」女房《にようばう》が又《また》いつた。 「そんでも俺《お》ら勘次《かんじ》さんに聞《き》いたぞ」彼《かれ》は少《すこ》し首《くび》をすくめながら聲《こゑ》を低《ひく》めていつた。袂《たもと》で口《くち》を抑《おさ》へて女房等《にようばうら》は笑《わらひ》を殺《ころ》した。兼《かね》博勞《ばくらう》は態《わざ》と笑《わらひ》を嚥《の》んで再《ふたゝ》び板《いた》の間《ま》に胡坐《あぐら》を掻《か》いた。  勘次《かんじ》は小《ちひ》さな時分《じぶん》から侮《あなど》られて能《よ》く泣《な》かされた。彼《かれ》は恐《おそ》ろしい泣蟲《なきむし》であつた。彼《かれ》は何時《いつ》の間《ま》にか燗鍋《かんなべ》といふ綽名《あだな》を附《つ》けられた。彼《かれ》は心《こゝろ》に幾《いく》ら其《そ》れを嫌《きら》つたか知《し》れない。卅|越《こ》えて四十に成《な》つても彼《かれ》は鍋《なべ》といふのが酷《ひど》く厭《いや》であつた。村落《むら》ではそれを知《し》らぬ者《もの》はない。或《ある》時《とき》惡戯好《いたづらずき》な兼《かね》博勞《ばくらう》が勘次《かんじ》の刈《かつ》て居《ゐ》る稻《いね》を、此《これ》は何《なん》だえと聞《き》いた。態《わざ》と聞《き》いたのであつた。其《そ》れは鍋割《なべわ》れとも、それから芒《のげ》が白《しろ》いので白芒《しらのげ》とも云《い》ふのであつたが勘次《かんじ》は 「此《これ》は白坊主《しろばうず》」とそつけなくいつた。彼《かれ》は鍋《なべ》といふのが厭《いや》でさういつたのである。兼《かね》博勞《ばくらう》はうまく或《ある》物《もの》を攫《とら》へた樣《やう》に得意《とくい》に成《な》つて村落中《むらぢゆう》へ響《ひゞ》かせた。口《くち》の惡《わる》い百姓等《ひやくしやうら》は勘次《かんじ》がおつぎを連《つ》れて田《た》へ出《で》て居《ゐ》るのを見《み》て 「白坊主等《しろばうずら》夫婦《ふうふ》して耕《うな》つてら」抔《など》と放言《はうげん》することすらあるのであつた。  茶碗《ちやわん》には一|杯《ぱい》づつ酒《さけ》が注《つ》がれた。一|同《どう》はしをらしく茶碗《ちやわん》を口《くち》に當《あ》てた。 「恁《こ》んな物《もの》でよけりや、夥多《みつしら》やつておくんなせえ、まあだ後《あと》にも有《あ》りやんすから」内《うち》の女房《にようばう》は鹽《しほ》で煮《に》たかと思《おも》ふ樣《やう》な白《しろ》つぽい馬鈴薯《じやがたらいも》の大《おほ》きな皿《さら》を膳《ぜん》へ乘《の》せて二處《ふたとこ》へ置《お》いた。忽《たちま》ち一|杯《ぱい》を干《ほ》して獻酬《とりやり》が始《はじ》まつた。注《つ》がれるものは茶碗《ちやわん》の手《て》を擧《あ》げて相手《あひて》が持《もつ》てる徳利《とくり》の口《くち》へ手《て》を掛《か》けて酒《さけ》の滾《こぼ》れるのを防《ふせ》いだ。酒《さけ》が始《はじ》まつてから皆《みな》が妙《めう》に鹿爪《しかつめ》らしく居《ゐ》ずまひを改《あらた》めた。 「さあ、何卒《どうぞ》ずん/\干《ほ》しておくんなせえね」亭主《ていしゆ》は促《うなが》した。 「はい」挨拶《あいさつ》が又《また》口々《くち/″\》に出《で》た。  此《こ》の頃《ごろ》では不廉《ふれん》な酒《さけ》は容易《ようい》に席上《せきじやう》へは運《はこ》ばれなく成《な》つて居《ゐ》たので隨《したが》つて他人《たにん》の買《か》つたのでも皆《みな》控《ひか》へ目《め》にする樣《やう》に成《な》つて居《ゐ》た。南《みなみ》では養蠶《やうさん》の結果《けつくわ》が好《よ》かつたのと少《すこ》しばかり餘《あま》つた桑《くは》が意外《いぐわい》な相場《さうば》で飛《と》んだのとで、一|圓《ゑん》ばかりの酒《さけ》を奮發《ふんぱつ》したのであつた。其《そ》の晩《ばん》の料理《れうり》に使《つか》ふ醤油《しやうゆ》が要《い》るので兩方《りやうはう》を兼《か》ねて亭主《ていしゆ》は晝餐休《ひるやす》みの時刻《じこく》に天秤《てんびん》擔《かつ》いで鬼怒川《きぬがは》を渡《わた》つた。村落《むら》の店《みせ》では買《か》はずに直接《ちよくせつ》酒藏《さかぐら》へ行《い》つたので酒《さけ》は白鳥徳利《はくてうどくり》の肩《かた》まで屆《とゞ》いて居《ゐ》た。  各自《かくじ》の平生《へいぜい》渇《かつ》して居《ゐ》る口《くち》には酒《さけ》は非常《ひじやう》に佳味《うま》く感《かん》ずると共《とも》に、其《そ》の痲痺《まひ》する力《ちから》に對《たい》する抵抗力《ていかうりよく》が衰《おとろ》へて居《ゐ》るので徳利《とくり》が一|本《ぽん》づつ倒《たふ》されて次《つき》の徳利《とくり》に手《て》が掛《かゝ》つたと思《おも》ふ頃《ころ》板《いた》の間《ま》では一|同《どう》のたしなみが亂《みだ》れて威勢《ゐせい》が出《で》た。 「おめえ、さういに自分《じぶん》の處《とこれ》えばかし置《お》かねえで干《ほ》せな」と弱《よわ》い者《もの》の處《ところ》へ杯《さかづき》を聚《あつ》めて困《こま》るのを見《み》ようとさへする樣《やう》に成《な》つた。勘次《かんじ》は獨《ひと》り側《そば》なる徳利《とくり》を引《ひ》きつけて幾抔《いくはい》か傾《かたむ》けて他人《ひと》よりも先《さき》に小鬢《こびん》の筋《すぢ》が膨《ふく》れて居《ゐ》た。 「俺《お》ら、鉋《かんな》の持《も》たねえ大工《でえく》だ、鑿《のみ》一|方《ぽう》つちんだから」といつて勘次《かんじ》は相手《あひて》もないのに態《わざ》とらしい笑《わら》ひやうをして女房等《にようばうら》の居《ゐ》る方《はう》を見《み》た。彼《かれ》は俛《た》れ相《さう》に成《な》る首《くび》を起《おこ》して數々《しば/\》見《み》ることを反覆《くりかへ》した。おつぎは後《うしろ》の方《はう》へ隱《かく》れて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は箸《はし》を一|本《ぽん》持《も》つて危險《あぶな》い物《もの》にでも觸《さは》るやうに平椀《ひらわん》の馬鈴薯《じやがたらいも》を其《その》先《さき》へ刺《さ》しては一|杯《ぱい》に口《くち》を開《あ》いて頬張《ほゝば》つた。平椀《ひらわん》には牛蒡《ごばう》と馬鈴薯《じやがたらいも》とが堆《うづたか》く盛《も》られて油揚《あぶらあげ》が一|枚《まい》載《の》せてある。 「箆棒《べらぼう》に大《え》かく成《な》つたつけな、此《こ》の馬鈴薯《じやがいも》はなあ」一人《ひとり》がいつた。 「此《こ》んでも桑《くは》の間《あひだ》さ作《つく》つたんだが、思《おも》ひの外《ほか》だつけのさ」亭主《ていしゆ》は自慢《じまん》らしくそれでも態《わざ》と聲《こゑ》を落《おと》していつた。 「桑《くは》の間《あひだ》でかう出來《でき》つかな、そりやさうと何處《どこ》さ作《つく》つたんでえまあ」 「裏《うら》の垣根外《くねそと》さ、土《つち》はかたで赤《あか》つぽうろくだが、掃溜《はきだめ》みつしら掘《ほ》つ込《こ》んで置《お》いた處《ところ》だから、其《そ》れが出《で》たと見《め》えんのさ、思《おも》ひの外《ほか》土地《とち》は嫌《きら》あねえもんだよ、此《こ》んなもんでも作《つく》つちや桑《くは》にや惡《わる》かんべが」 「大丈夫《だいぢやうぶ》だとも、馬鈴薯《じやがいも》が大《え》かく成《な》る樣《やう》ぢや其《その》肥料《こやし》は桑《くは》も吸《す》ふから、いや桑《くは》の根《ね》つ子《こ》の遠《とほ》くへ踏《ふ》ん出《だ》すんぢや魂消《たまげ》たもんだから、目《め》も有《あ》りもしねえのに肥料《こやし》の方《はう》へ眞直《まつすぐ》にずうつと來《く》つかんな」 「此《こ》れでどの位《くれえ》殖《ふ》えるものだと思《おも》つたら一ツ株《かぶ》で一|升《しよう》位《ぐれえ》づゝも起《おこ》せるよ」亭主《ていしゆ》がいへば 「うむ、さうかな、さうすつと割《わり》の善《え》えもんだな」各自《てんで》にさういつて居《ゐ》ると 「能《よ》く牛蒡《ごぼう》は保《も》たせたつけな」といふものがあつた。 「なあに、踏《ふ》ん固《がた》める處《ところ》へ活《い》けてせえ置《お》けば大丈夫《でえぢやうぶ》なものさ、俺《お》ら家《ぢ》や田植《たうゑ》迄《まで》は有《あ》るやうに庭《には》へ埋《う》めて置《お》くのよ」亭主《ていしゆ》は自分《じぶん》も椀《わん》の牛蒡《ごぼう》を挾《はさ》んでいつた。 「さうだが、俺《お》ら家《ぢ》なんぞぢや、それまでにや無《な》く成《な》つちまあから一|度《ど》でもさういに活《い》けて置《お》いたことあねえな」と一人《ひとり》がいへば 「俺《お》らなんざ、腹《はら》さ藏《しま》つて置《お》くから盜《と》られつこなしだ」兼《かね》博勞《ばくらう》は口《くち》を出《だ》した。 「牛蒡《ごばう》もうつかりして繩《なは》で縛《しば》つて活《い》けちや、其處《そこ》から腐《くさ》れがへえつて酷《ひで》えもんだな、藁《わら》は餘《よ》つ程《ぽど》嫌《きれ》えだと見《め》えんのさな」勘次《かんじ》は横合《よこあひ》からいつた。 「どうしたかよ」疑《うたが》ひの聲《こゑ》が發《はつ》せられた。 「どうしたかなもんぢやねえ、俺《お》ら家《ぢ》で行《や》つたこと有《あ》んだもの」彼《かれ》は相手《あひて》に壓《あつ》せられた樣《やう》に聲《こゑ》を低《ひく》めて 「なあおつう、さうだな」と身體《からだ》を横《よこ》に向《む》けていつた。板《いた》の間《ま》と土間《どま》との界《さかひ》に立《た》つて居《ゐ》る柱《はしら》の陰《かげ》にランプの光《ひかり》から身《み》を避《さ》けるやうにして一|座《ざ》の獻酬《けんしう》を見《み》て居《ゐ》た女房等《にようばうら》の手《て》が俄《にはか》におつぎの臀《しり》をつゝいて 「おつうとそれ、返辭《へんじ》するもんだ」小聲《こごゑ》でいつて微《かすか》に笑《わら》つた。勘次《かんじ》は怪訝《けげん》な容子《ようす》をして柱《はしら》の陰《かげ》を凝然《ぢつ》と見《み》て目《め》を蹙《しか》めた。 「おつぎは居《ゐ》るよおめえ、さういに見《み》ねえでも」柱《はしら》の陰《かげ》からいつて私語《さゞめ》いた。勘次《かんじ》は板《いた》の間《ま》の端《はし》に近《ちか》く居《ゐ》たのであるが膳《ぜん》を越《こ》えて身體《からだ》をぐつと前《まへ》へ延《の》ばしては徳利《とくり》を動《うご》かして空《から》に成《な》つたのは女房等《にようばうら》へ渡《わた》して何處《どこ》となしに心《こゝろ》を配《くば》る樣《やう》にそわ/\として居《ゐ》る。 「はてな、懷《ふとこれ》え入《せ》えた筈《はず》だつけが」と兼《かね》博勞《ばくらう》は懷《ふところ》から周圍《あたり》を探《さが》して側《そば》へ落《お》ちた小《ちひ》さな紙包《かみづゝみ》を手《て》にして 「こうれ、うめえ物《もの》見《み》ろえまあ」といつて開《あ》けて見《み》ると一|寸《すん》ばかりの蟷螂《かまきり》が斧《をの》を擡《もた》げてちよろちよろと歩《ある》き出《だ》した。 「へゝえ、此《こ》ん畜生奴《ちきしよめ》こんでも怒《おこ》つてらあ」兼《かね》博勞《ばくらう》はちよいと蟷螂《かまきり》をつゝいて見《み》て獨《ひと》り興《きよう》がつて笑《わら》つた。 「どうしたもんだんべ大《え》けえ姿《なり》して」と女房《にようばう》は皆《みな》笑《わら》つた。 「あれ俺《お》ら知《し》つてら」おつぎの傍《そば》に居《ゐ》た與吉《よきち》は兼《かね》博勞《ばくらう》の側《そば》へ行《い》つて 「鴉《からす》のきんたまから出《で》んだぞこら」といつた。 「汝《わ》ツ等《ら》知《し》りもしねえで」勘次《かんじ》は與吉《よきち》を甘《あま》やかす樣《やう》にしていつた。 「そんだつて俺《お》ら見《み》た、笹《さゝ》つ葉《ぱ》の枝《えだ》にくつゝいてた處《ところ》から出《で》たんだ」與吉《よきち》は蟷螂《かまきり》を弄《いぢ》りながらいつた。 「勘次《かんじ》さん駄目《だめ》だよ、學校《がくこ》へ遣《や》つちや半年《はんとし》たあ云《ゆ》はんねえから、下手《へた》んすつと今《いま》の子奴等《こめら》にや遣《や》り込《こ》められつちやからおとつゝあ此《こ》れ知《し》つてつかなんちあれたつて、困《こま》らなどうもなあ」側《そば》からいつたので勘次《かんじ》は有繋《さすが》に嫣然《にこり》とした。  白鳥徳利《はくてうどくり》の口《くち》が底《そこ》よりも低《ひく》く成《な》つた時《とき》一|座《ざ》の間《あひだ》には馬《うま》の噺《はなし》が出《で》た。馬《うま》といふ奴《やつ》はあの身體《からだ》で酒《さけ》の二|杯《はい》も口《くち》へ入《いれ》てやると忽《たちま》ちにどろんとして駻馬《かんば》でも靜《しづか》に成《な》る、博勞《ばくらう》は以前《いぜん》はさうして惡《わる》い馬《うま》を嵌《は》め込《こ》んだものである。現在《いま》でもそんなことで油斷《ゆだん》は成《な》らぬ、村落《むら》が貧乏《びんばふ》したから荷車《にぐるま》ばかり殖《ふ》えて馬《うま》が減《へ》つて畢《しま》つたが荷車《にぐるま》の檢査《けんさ》に行《い》つて見《み》て驚《おどろ》いた抔《など》といふことや、朝鮮牛《てうせんうし》が大分《だいぶ》輸入《ゆにふ》されたが狗《いね》ころの樣《やう》な身體《からだ》で割合《わりあひ》に不廉《たか》いからどうしたものだか抔《など》といふことが際限《さいげん》もなくがや/\と大聲《おほごゑ》で呶鳴《どな》り合《あ》うた。 「博勞《ばくらう》なんちい奴等《やつら》は泥棒根性《どろぼうこんじやう》無《な》くつちや出來《でき》ね商賣《しやうべえ》だな、嘘《ちく》らつぽう打《ぶ》んぬいて、兼等《かねら》汝《わ》りや、俺《お》れことせえおつ嵌《ぱ》める積《つもり》しやがつて」兼《かね》博勞《ばくらう》の向側《むかうがは》から戯談《じようだん》らしい調子《てうし》でいふと 「箆棒《べらぼう》、おつ嵌《ぱ》めんなもんぢやねえ、それ厭《や》だら錢《ぜに》出《だ》せよ錢《ぜに》、なあ、錢《ぜに》出《だ》さねえ積《つもり》すんのが泥棒《どろぼう》より太《ふて》えんだな、西《にし》のおとつゝあ等《ら》躊躇逡巡《しつゝくむつゝく》だから、かたで」 「そんだから見《み》ろえ、博勞《ばくらう》で藏《くら》建《た》てた奴《やつ》あ有《あ》りやしねえ、罰《ばち》たかつてつから」 「どうした、そんだが此間《こねえだ》の白《しろ》は善《よ》かつたんべ、彼《あ》れさ打《ぶ》てな、あゝ西《にし》のおとつゝあ、白《しろ》ぢや徴發《ちようはつ》はさんねえぞ」 「えゝから、それよりか、そんなに不廉《たけ》えこと云《ゆ》はねえで、なあ、米《こめ》一|俵《ぺう》打《ぶ》つべえぢやねえか」 「徒勞《だめ》だよそんぢや、あんでも六錢の横薦《よこゞも》乘《の》つけて曳《ひ》いて來《き》たんだぞ、血統證《けつとうしよう》まで有《あ》んぞ、あゝ、彼《あ》の手《て》はねえぞ」 「何《な》んでえ汝《われ》がまた、牡馬《をんま》と牝馬《めんま》だけの血統證《けつとうしよう》だんべ、そんなもの何《なん》に成《な》るもんぢやねえ、俺《お》れ知《し》らねえと思《おも》つて、俺《お》ら白河《しらかは》の市《いち》で聞《き》いてらあ」 「博勞《ばくらう》うまく練《ね》れねえ樣《やう》だな、ようしそんぢや俺《お》れ一つ打《ぶ》つてやんべ」二人《ふたり》が戯談交《じやうだんまじ》りに劇《はげ》しく惡口《あくこう》を云《い》つて居《ゐ》るとふと側《そば》から凭《か》ういつた。 「そんぢや、それ干《ほ》せな、兼《かね》さんもそれ」彼《かれ》は二人《ふたり》の茶碗《ちやわん》を自分《じぶん》の手《て》で交換《かうくわん》させて、それを兩方《りやうはう》へ渡《わた》して酒《さけ》を注《つ》いだ。 「どうだえ、博勞《ばくらう》うまく打《ぶ》てたんべ、どつちも依怙贔負《えこひいき》なしつち處《とこ》だ」相手《あひて》は得意《とくい》に成《な》つて云《い》つた。 「こつちのおとつゝあ、幾《いく》つだつけな、少《ち》つと白《しろ》く成《な》つたな」突然《とつぜん》一人《ひとり》が呶鳴《どな》つた。 「さうよな」亭主《ていしゆ》は頭髮《あたま》に手《て》を當《あ》てゝいつた時《とき》 「おめえ、俺《お》ら家《ぢ》のおとつゝあもどうしてか酷《ひど》く白《しろ》く成《な》つたんだが、斯《こ》んで年齡《とし》はさういにとつちや居《ゐ》ねえんだぞ」其處《そこ》へ小《ちひ》さな子《こ》を抱《だ》いて坐《すわ》つた内《うち》の女房《にようばう》が微笑《びせう》しながらいつた。 「俺《お》れと同年齡《おねえどし》だよ」獨《ひと》りぼつちに成《な》つて居《ゐ》た勘次《かんじ》は横《よこ》から口《くち》を挾《はさ》んだ。 「どうだかよ」 「なあに、どうだかなもんぢやねえ」  勘次《かんじ》は口《くち》を角《つの》のやうにしていつた。 「本當《ほんたう》にさうなんだよおめえ」女房《にようばう》は側《そば》からいつた。 「そんぢや勘次《かんじ》さんおめえ幾《いく》つでえ」相手《あひて》は乘地《のりぢ》になつて聞《き》いた。 「さうよ、俺《お》らこつちのおとつゝあと同年齡《おねえどし》だつけな」彼《かれ》は自身《じしん》の創意《さうい》ではなくて何處《どこ》かで聞《き》いた記憶《きおく》を其《そ》の儘《まゝ》反覆《はんぷく》してさうして戯談《じやうだん》を敢《あへ》てした。 「えゝ箆棒《べらぼう》な」と相手《あひて》はいつて畢《しま》つた。内《うち》の女房《にようばう》は兩方《りやうはう》の頭髮《あたま》を熟《つく/″\》と見《み》て 「そんだが勘次《かんじ》さんは本當《ほんたう》に若《わ》けえな。俺《お》ら家《ぢ》のおとつゝあ等《ら》たあ、たえした違《ちげ》えだな」といつた。 「勘次《かんじ》さん等《ら》まあだ十七だな」兼《かね》博勞《ばくらう》は直《すぐ》に後《あと》を跟《つ》いていつた。女房等《にようばうら》は復《ま》た竊《ひそか》に袂《たもと》で口《くち》を掩《おほ》うた。兼《かね》博勞《ばくらう》が顧《かへり》みた時《とき》女房等《にようばうら》は割《わ》つた燭奴《つけぎ》の先《さき》を突《つ》つ掛《か》けては香煎《かうせん》を口《くち》へ含《ふく》んで面倒《めんだう》に嘗《な》めて居《ゐ》たのであつた。 「香煎《かうせん》嘗《な》めんのにや、笑《わら》つちやいかねえつちけぞ、おめえ等《ら》」兼《かね》博勞《ばくらう》はいつた。先刻《さつき》から笑《わら》ふ癖《くせ》のついてた女房等《にようばうら》は一|時《じ》にぷつと吹出《ふきだ》して粉《こな》が其處《そこ》らに散《ち》つた。乾燥《かんさう》して居《ゐ》る粉《こな》の爲《ため》に咽《む》せて女房等《にようばうら》は頻《しき》りに咳《せき》をした。彼等《かれら》は驅《か》けおりて手桶《てをけ》の水《みづ》をがぶりと飮《の》んで漸《やうや》く胸《むね》を落附《おちつ》けた。 「おゝ、酷《ひで》え目《め》に逢《あ》つた。粉鼻《こなはな》の方《はう》さへえつて鼻《はな》つん/\して仕《し》やうありやしねえや、本當《ほんたう》に兼《かね》さんは人《ひと》が惡《わ》りいや、なんぼ憎《にく》らしいか知《し》れやしねえ、其處《そこ》らに薪雜棒《まきざつぽう》でも有《あ》れば打《ぶ》つ飛《と》ばして遣《や》りてえ樣《やう》だ」涙《なみだ》の目《め》を拭《ぬぐ》つて恨《うら》めしげに女房等《にようばうら》は云《い》ふのであつた。 「そんだから俺《お》れ、笑《わら》つちやえかねえつて云《ゆ》つたんだな、それ聽《き》かねえから」兼《かね》博勞《ばくらう》は態《わざ》と平然《へいぜん》として云《い》つた、恁《か》うしてがみ/\いふ聲《こゑ》が錯雜《こぐらか》つた時《とき》 「博勞《ばくらう》さん一つやつゝけつかな」兼《かね》博勞《ばくらう》は一|聲《こゑ》殊《こと》に大《おほ》きく呶鳴《どな》つたと思《おも》つたら茶碗《ちやわん》の酒《さけ》を一|口《くち》にぐつと干《ほ》して兩手《りやうて》に茶碗《ちやわん》を伏《ふ》せて、板《いた》の間《ま》にぱか/\ぱか/\と蹄《ひづめ》に傚《なら》うて拍子《ひやうし》取《と》つた響《ひゞき》を立《た》てながら 「三春《みはる》から白河《しらかは》の方《はう》へこんでも横薦《よこごも》乘《の》つけたの繋《つな》いで曳《ひ》いて來《く》つ處《とこ》らえゝかんな、能《よ》く聞《き》いて見《み》せえ、此《こ》の手《て》にや行《い》かねえぞ」彼《かれ》は其《そ》の自慢《じまん》の下《した》から 「どう/\どうよ、ほうい、ほいとう」 と馬《うま》への掛聲《かけごゑ》を尤《もつと》もらしくした。茶碗《ちやわん》の拍子《ひやうし》に連《つ》れて一|同《どう》はぴつたり靜《しづ》かに成《な》つた。 「はあえゝえゝえゝ」とぼうと太《ふと》い聲《こゑ》で唄《うた》ひ出《だ》して 「枯芝《かれしば》あえにいゝゝゝゝえゝ、はあえ、止《とま》るうえ、てふ/\のおゝゝゝゝえ、はあ、ありや氣《き》があゝゝゝゝえ、え、はあ知《し》れえゝぬうよおうゝゝ」と彼《かれ》は眼《め》を瞑《つぶ》つて少《すこ》し上向《うはむき》に首《くび》を傾《かたむ》けて一|杯《ぱい》の聲《こゑ》を絞《しぼ》つて極《きは》めて悠長《いうちやう》にさうして句《く》の續《つゞ》きを 「えゝ傍《そば》にえゝ、菜種《なたね》えのおゝゝゝゝえ、えゝ花《はな》があえ、あゝえるうゝゝゝゝえゝ、ほういほい」と唄《うた》ひ畢《をは》つた時《とき》顏《かほ》が殊更《ことさら》に赤《あか》く成《な》つて汗《あせ》が吊《つ》るしランプに光《ひか》つて見《み》えた。彼《かれ》は手《て》でぐるりと拭《ぬぐ》つた。 「箆棒《べらぼう》に迂遠《まだる》つけえ唄《うた》だな、此《こ》の夜《よ》の短《みじ》けえのに眠《ねむ》つたく成《な》つちやあな」側《そば》から惡口《あくこう》を吐《つ》いた。 「えゝから西《にし》のおとつゝあ、耳糞《みゝくそ》ほじくつて聞《き》いてろえ」兼《かね》博勞《ばくらう》はいつて 「はあえゝえゝ、えゝ朝《あさ》のうゝゝえゝえ、はあ出掛《でがけ》えにいゝゝゝゝえ」と又《また》唄《うた》ひ出《だ》した。 「朝《あさ》の出掛《でがけ》にどの山《やま》見《み》ても雲《くも》の掛《かゝ》らぬ山《やま》はない」と唄《うた》つて茶碗《ちやわん》を動《うご》かしては 「ぱか/\ぱか/\となあ斯《か》う、廿三|坂《さか》越《こ》えて引《ひ》く處《とこ》だぜ、畜生《ちきしやう》あばさけんなえ」と彼《かれ》は更《さら》に 「ひゝいん」と馬《うま》の啼《な》き聲《ごゑ》をしてそれから 「廿三|坂《さか》か、白河《しらかは》のこつちだ、畢《しめえ》の坂《さか》が箆棒《べらぼう》に長《なが》くつてな」といつて又《また》 「はあえゝえゝえゝ」と左《さ》も氣《き》の乘《の》つたらしく 「奧《おく》の博勞《ばくらう》さん何處《どこ》で夜《よ》が明《あ》けた、廿三|坂《さか》七つ目《め》で」と愉快《ゆくわい》な聲《こゑ》で唄《うた》つた。 「夜引《よびき》すつ時《とき》にや人間《にんげん》も眠《ねむ》つたく成《な》りや馬《うま》も眠《ねむ》つたく成《な》つてな、石坂《いしざか》だから畜生等《ちきしやうら》がくたり/\はあ、なんぼにも歩《ある》かねえな、そん時《とき》にや、おうい一つどうだね遣《や》つゝけちやあと許《ばかり》でなあ、博勞等《ばくらうら》ぞろ/\繼《つなが》つて來《く》んだから、峯《みね》の方《はう》でも谷底《たにそこ》の方《はう》でも一|度《ど》に大變《たいへん》だあ、さうすつと駒《こま》つ子奴等《こめら》ひゝんなんてあばさけてぱか/\ぱか/\と斯《か》う運《はこ》びが違《ちが》つて來《く》らな、皆《みんな》おつかげばかし喰《く》つ附《つ》いてたの引《ひ》つ放《ぱな》して來《く》んだから足《あし》が不揃《ふぞろ》ひだなどうしても、それに坂《さか》が急《きふ》だつちと倒旋毛《さかさつむじ》おつ立《た》てる樣《やう》だから畜生《ちきしやう》なんぼにも足《あし》が出《で》ねえな、其奴《そいつ》へ合《あは》せて唄《うた》あんだからゆつくり行《や》んなくつちやなんねえな」兼《かね》博勞《ばくらう》は帶《おび》を解《と》いて裸《はだか》に成《な》つて衣物《きもの》を後《うしろ》へ投《なげ》た。帶《おび》は一重《ひとへ》で左《ひだり》の腰骨《こしぼね》の處《ところ》でだらりと結《むす》んであつた。兩方《りやうはう》の端《はし》が赤《あか》い切《きれ》で縁《ふち》をとつてある。粗《あら》い棒縞《ぼうじま》の染拔《そめぬき》でそれは馬《うま》の飾《かざ》りの鉢卷《はちまき》に用《もち》ひる布片《きれ》であつた。 「此處《ここ》らの馬《うま》だつて見《み》ろえ、博勞節《ばくらうぶし》門《かど》ツ先《つあき》でやつたつ位《くれえ》厩《まや》ん中《なか》で畜生《ちきしやう》身體《からだ》ゆさぶつて大騷《おほさわ》ぎだな」彼《かれ》は獨《ひと》りで酒席《しゆせき》を賑《にぎは》した。彼《かれ》はさうして土《つち》のやうな汗《あせ》と埃《ほこり》とで染《そ》まつた手拭《てぬぐひ》で首筋《くびすぢ》から身體《からだ》一|杯《ぱい》に拭《ぬぐ》つた。それから 「おゝ痒《かい》い」とぴしやり手《て》で蚊《か》を叩《たゝ》いた。彼《かれ》の唄《うた》に連《つれ》て各自《めいめい》が更《さら》に唄《うた》つた。皆《みな》箸《はし》で茶碗《ちやわん》を叩《たゝ》いて拍子《ひやうし》を合《あは》せた。さういふ騷《さわ》ぎに成《な》つてから酒《さけ》は減《へ》らなかつた。勘次《かんじ》は獨《ひと》りで唄《うた》ふこともなく絶《た》えず何物《なにもの》かを探《さが》すやうな目《め》で土間《どま》のあたりをきよろ/\と見《み》て居《ゐ》たが 「おつう」と唐突《だしぬけ》に喚《よ》んだ。彼《かれ》は勢《いきほ》ひよく喚《よ》んで見《み》て自分《じぶん》で拍子拔《ひやうしぬけ》した樣《やう》にして居《ゐ》たが 「此《こ》れさ馬鈴薯《じやがいも》でもくんねえか」と椀《わん》をづうつと出《だ》した。 「どうしたもんだおとつゝあは、お平《ひら》の盛換《もりけ》えするもな有《あ》んめえな、馬鈴薯《じやがいも》は前《めえ》に幾《いく》らでも有《あ》んのに」おつぎは更《さら》に窘《たしな》めるやうに 「おとつゝあは酩酊《よつぱら》つたつてそんなに顛倒《ぐれ》なけりやよかつぺなあ」と獨《ひと》り呟《つぶや》いた。 「云《ゆ》つて見《み》たのよ」勘次《かんじ》は態《わざ》と笑《わら》つて椀《わん》を膳《ぜん》へ置《お》いた。 「おつか樣等《さまら》もこつちへ來《こ》うな、一杯《いつぺえ》やれな」彼《かれ》は更《さら》に板《いた》の間《ま》の隅《すみ》の方《はう》に居《ゐ》る女房等《にようばうら》にいつた。 「ほんに仲間入《なかまいり》したらよかつぺ」内《うち》の女房《にようばう》もいつた。若《わか》い女房等《にようばうら》は仲間《なかま》には成《な》らなかつた。さうして唯《たゞ》笑《わら》つて居《ゐ》た。唄《うた》ひ騷《さわ》ぐ聲《こゑ》に凡《すべ》てが心《こゝろ》を奪《と》られて居《ゐ》ると 「汝《わ》りや梅《うめ》噛《かじ》つたんべ、學校《がつこ》の先生《せんせい》げ※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、213-12]《ねえ》訴《えつ》けてやつから、腹《はら》痛《いた》くつたつて我慢《がまん》してるもんだ」  おつぎは眠《ねむ》い眼《め》をこすりながらしく/\泣《な》いて居《ゐ》る與吉《よきち》を横《よこ》にして背中《せなか》を叩《たゝ》いては撫《いたは》りながらいつた。 「どうしたんだあ、腹《はら》痛《いて》えのか毒消《どくけ》しでも呑《の》ませて見《み》つか、俺《お》らもはあ、梅《うめ》だの李《すもんも》だの成熟《でき》ちやびや/\すんだよ、出《で》て行《や》んだから云《ゆ》つたつて聽《き》かねえしなあ」内《うち》の女房《にようばう》はすや/\と眠《ねむ》つた膝《ひざ》の子《こ》の蚊《か》を追《お》ひながらいつた。 「汝《わ》れ梅《うめ》なんぞ噛《か》じつて、おとつゝあ腹《はら》抉《ゑぐ》り拔《ぬ》いてやつから待《ま》つてろ」勘次《かんじ》は疾《とう》から澁《しぶ》つて居《ゐ》た舌《した》でいつた。 「そんなこと云《ゆ》はねえつたつて泣《な》いてんのに何《なん》だつぺな、おとつゝあ」おつぎは勘次《かんじ》を叱《しか》つた。勘次《かんじ》は口《くち》を嵌《つぐ》んで箸《はし》の先《さき》へ馬鈴薯《じやがいも》を刺《さ》した。與吉《よきち》は瞼《まぶた》が弛《ゆる》んでいつか輕《かる》い鼾《いびき》を掻《か》いた。 「さあ、お飯《まんま》だえ」唄《うた》も騷《さわ》ぎも止《や》んで一|同《どう》の口《くち》から俄《にはか》に催促《さいそく》が出《で》た。女房等《にようばうら》は皆《みな》で給仕《きふじ》をした。内《うち》の女房《にようばう》は 「おつぎも身體《からだ》みつしりして來《き》たなあ、女《をんな》も廿《はたち》と成《な》つちや役《やく》に立《た》つなあ」とおつぎを見《み》ていつた。勘次《かんじ》は茶碗《ちやわん》から少《すこ》し飯粒《めしつぶ》を零《こぼ》しては危險《あぶな》い手《て》つきで箸《はし》を持《も》つた儘《まゝ》指《ゆび》の先《さき》で抓《つま》んで口《くち》へ持《も》つて行《い》つた。 「おとつゝあ、さういに零《こぼ》しちや駄目《だめ》だな」おつぎは勘次《かんじ》の茶碗《ちやわん》へ手《て》を添《そ》へた。 「勘次《かんじ》さん」と内《うち》の女房《にようばう》は喚《よ》び掛《か》けた。勘次《かんじ》が目《め》を蹙《しか》めて見《み》た時《とき》 「勘次《かんじ》さん、はあおつぎこたあ出《だ》しても善《よ》かねえけえ」女房《にようばう》はいつた。 「嫁《よめ》になんざ出《だ》せねえよ、今《いま》ん處《ところ》俺《お》れ困《こま》つから」勘次《かんじ》はそつけなくいつた。 「不自由《ふじいう》な處《ところ》ありや出《だ》して、自分《じぶん》でも引《ひ》つ込《こ》むのよ」兼《かね》博勞《ばくらう》は遠慮《ゑんりよ》なくいつた。 「俺《お》らそんな噺《はなし》や聽《き》かねえ、貰《もら》ひたけりや幾《いく》らでも有《あ》らあ」勘次《かんじ》は斥《しりぞ》けた。 「そんだつておめえ、そつちこつち口《くち》掛《か》けて置《お》かねえぢや、直《ぢき》年齡《とし》ばかしとらせつちやつて仕《し》やうねえぞ、俺《お》らも一人《ひとり》出《だ》したがおめえ容易《ようい》ぢやねえよ、さうだかうだ云《ゆ》はれねえ内《うち》だぞおめえ」女房《にようばう》はいつた。 「えゝよ卅まで獨《ひと》りぢや置《お》かねえから此《こ》れげはいまに聟《むこ》とんだから」勘次《かんじ》は喧嘩《けんくわ》でもする樣《やう》な容子《ようす》で硬《こは》ばつた舌《した》でいつた。女房《にようばう》は默《だま》つて口《くち》の邊《あたり》に冷《ひやゝ》かな笑《ゑみ》を含《ふく》んで膝《ひざ》をそつと動《うご》かしてぐつすり眠《ねむ》りこけた自分《じぶん》の子《こ》を見《み》た。 「どうしたえ、儘《まゝ》よ/\でもやんねえか勘次《かんじ》さん。まゝにならぬとお鉢《はち》を投《な》げりや其處《そこ》らあたりは飯《まゝ》だらけだあ、過多《げえ》に六《むづ》かしいこと云《い》ふなえ」兼《かね》博勞《ばくらう》は米《こめ》の飯《めし》を掻《か》つ込《こ》みながらいつた。腹《はら》を一|杯《ぱい》に膨《ふく》らませた一|座《ざ》は 「どうも御馳走樣《ごつゝおさま》でがした」と義理《ぎり》を述《の》べて土間《どま》の下駄《げた》をがら/\掻《か》き探《さぐ》つてがや/\騷《さわ》ぎながら歸《かへ》り掛《か》けた。 「おつう、よきこと起《おこ》せ」勘次《かんじ》はさういつて自分《じぶん》も一《ひと》つに蹣跚《よろ》けながら立《た》つた。おつぎは與吉《よきち》の身體《からだ》を劇《はげ》しく動《うご》かしたが熟睡《じゆくすゐ》して畢《しま》つたので容易《ようい》に目《め》を開《ひら》かなかつた。與吉《よきち》は草履《ざうり》を穿《は》くにもおつぎの心《こゝろ》を苛立《いらだ》たせた。 「おつう」と劇《はげ》しく喚《よ》ぶ勘次《かんじ》の聲《こゑ》が裏《うら》の垣根《かきね》の外《そと》から聞《きこ》えた。さうすると又《また》 「何《なに》してけつかんだ」と勘次《かんじ》は裏戸口《うらとぐち》から一|同《どう》を驚《おどろ》かして呶鳴《どな》つた。 「勘次《かんじ》さん與吉《よきち》こと起《おこ》してた處《とこ》なんだよ」内《うち》の女房《にようばう》は分疏《いひわけ》してやつた。 「汝《わ》りや何時《いつ》でもさうだ、ぐづ/\してやがつて」勘次《かんじ》は猶《なほ》も憤《いきどほ》つていつた。 「待《ま》つてれば善《え》えんだなおとつゝあ、洗《あら》ひまでも仕《し》ねえのにどうしたもんだ」酒席《しゆせき》の趾《あと》を見《み》ておつぎは呟《つぶや》いた。 「管《かま》あねえで歸《けえ》れよ、おとつゝあ酩酊《よつぱら》つてんだから」女房《にようばう》はおつぎの意《い》を汲《く》んでやつた。後《あと》では亂雜《らんざつ》に散《ち》らかした道具《だうぐ》の始末《しまつ》をしながら女房等《にようばうら》はいつた。 「勘次《かんじ》さんが心持《こゝろもち》も分《わか》んねえな」 「幾《いく》ら嚊《かゝあ》の嫉妬《やきもち》燒《や》くもんでも、あゝえもなあねえな」 「あゝえのが何《なん》かの生《うま》れ變《かは》りつちんでも有《あ》んべな、可怖《おつかね》えやうだよ本當《ほんたう》にな」 「近頃《ちかごろ》それに何《なん》ぢやねえけえ、あら程《ほど》欲《ほ》しがつたのに後妻《あと》貰《もら》あべえたあ、云《ゆ》はねえんぢやねえけえ」孰《いづ》れの心《こゝろ》にも口《くち》にはいはなくて了解《れうかい》されて居《ゐ》る或《ある》物《もの》を少《すこ》しづつ現《あらは》さうとして有繋《さすが》に躊躇《ちうちよ》する樣《やう》にして噺合《はなしあ》うた。勘次等《かんじら》三|人《にん》が出《で》て垣根《かきね》の外《そと》へ行《い》つたと思《おも》ふ頃《ころ》、椀《わん》を拭《ふ》いて居《ゐ》た一人《ひとり》が慌《あわた》だしく立《た》つて外《そと》へ出《で》た。暫《しばら》くして歸《かへ》つて來《く》るといきなり 「どうしたものだおめえは、他人《ひと》の後《あと》なんぞ尾行《つ》けて行《い》つて、罪《つみ》だから見《み》ろよ」一人《ひとり》がいつた。 「さうぢやねえよ、有撃《まさか》おめえ、他人《ひと》のこと俺《おれ》だつて」分疏《いひわけ》した。 「そんぢや何《なん》に行《い》つたんだ」 「小便《せうべん》垂《た》つたく成《な》つたからよ」軈《やが》て抑《おさ》へ切《き》れぬ笑《わら》ひが顏《かほ》に浮《う》かんで 「そんだから過多《げえ》に飮《の》むなつちんだ、なんておつぎに怒《おこ》られ/\行《い》んけわ」といつた。 「そうれおめえ、罪《つみ》だよ」遠慮《ゑんりよ》もなく皆《みな》どつと笑《わら》つた。  夜《よ》は深《ふ》けて居《ゐ》た。きろ/\きろ/\と風船玉《ふうせんだま》を擦《こす》り合《あは》せる樣《やう》な蛙《かへる》の聲《こゑ》が錯雜《さくざつ》して聞《きこ》えて居《ゐ》た。          十五  霜《しも》が竊《ひそか》に地《ち》を掩《おほ》うた。  晩秋《ばんしう》の冴《さ》えた空氣《くうき》は地上《ちじやう》の凡《すべ》てを乾燥《かんさう》せしめる。思《おも》ひの儘《まゝ》に枝葉《えだは》を擴《ひろ》げた獨活《うど》の實《み》へ目白《めじろ》の聚《あつま》つて鳴《な》くのが愉快《ゆくわい》らしくもあれど、何《なん》となく忙《いそが》しげであつて、それも少時《しばし》の間《ま》に何處《どこ》でも草木《さうもく》の葉《は》が硬《こは》ばつたり傷《きず》ついたりして一|切《さい》が只《たゞ》がさ/\と混雜《こんざつ》して畢《しま》つた。さういふ處《ところ》へ季節《きせつ》の冬《ふゆ》は厭《いや》でも行《ゆ》き渡《わた》らねばならないのであるがそれでも暖《あたゝ》かい日《ひ》があつたり、冷《つめ》たい日《ひ》があつたりして冬《ふゆ》は只管《ひたすら》躊躇《ちうちよ》しつゝ地上《ちじやう》に沈《しづ》まうとした。さうして霜《しも》を一|度《ど》偃《は》はせて見《み》た。凡《すべ》ての草木《さうもく》は更《さら》に慌《あわ》てた。地味《ぢみ》な常磐木《ときはぎ》を除《のぞ》いた外《ほか》に皆《みな》次《つぎ》の春《はる》の用意《ようい》の出來《でき》るまでは凄《すご》い姿《すがた》に成《な》つてまでも凝然《ぢつ》としがみついて居《ゐ》る。冬《ふゆ》は復《ま》た霜《しも》を偃《は》はせて見《み》た。恐《おそ》ろしく潔癖《けつぺき》な霜《しも》は其《そ》の見窄《みすぼ》らしい草木《さうもく》の葉《は》を地上《ちじやう》に躪《にじ》りつけた。人間《にんげん》の手《て》を藉《か》りたものは田《た》でも畑《はた》でも人間《にんげん》の手《て》を藉《か》りて到處《いたるところ》をからりとさせる。其《そ》の時《とき》畑《はた》には刷毛《はけ》の先《さき》でかすつた樣《やう》に麥《むぎ》や小麥《こむぎ》で仄《ほのか》に青味《あをみ》を保《たも》つて居《ゐ》る。それから冬《ふゆ》は又《また》百姓《ひやくしやう》をして寂《さび》しい外《そと》から專《もつぱ》ら内《うち》に力《ちから》を致《いた》させる。百姓等《ひやくしやうら》は忙《いそが》しく藁《わら》で俵《たわら》を編《あ》んで米《こめ》を入《い》れて春《はる》以來《いらい》の報酬《はうしう》を目前《もくぜん》に積《つ》んで娯《よろこ》ぶのである。  彼等《かれら》の間《あひだ》には恁《か》ういふ時《とき》に、さうして冬《ふゆ》が本當《ほんたう》にまだ彼等《かれら》の上《うへ》に泣《な》いて見《み》せない内《うち》に相《あひ》前後《ぜんご》して何處《どこ》の村落《むら》にも「まち」が來《く》るのである。其《そ》れは村落毎《むらごと》に建《た》てられてある社《やしろ》の祭《まつり》のことである。貧乏《びんばふ》な勘次《かんじ》の村落《むら》でも以前《いぜん》からの慣例《くわんれい》で村落《むら》に相應《さうおう》した方法《はうはふ》を以《もつ》て祭《まつり》が行《おこな》はれた。  當日《たうじつ》は白《しろ》い狩衣《かりぎぬ》の神官《しんくわん》が獨《ひとり》で氏子《うぢこ》の總代《そうだい》といふのが四五|人《にん》、極《きま》りの惡相《わるさう》な容子《ようす》で後《あと》へ跟《つい》て馬場先《ばゞさき》を進《すゝ》んで行《い》つた。一|人《にん》は農具《のうぐ》の箕《み》を持《も》つて居《ゐ》る。總代等《そうだいら》はそれでも羽織袴《はおりはかま》の姿《すがた》であるが一人《ひとり》でも滿足《まんぞく》に袴《はかま》の紐《ひも》を結《むす》んだのはない。更《さら》に其《そ》の後《あと》から鏡《かゞみ》を拔《ぬ》いた四|斗樽《とだる》を馬《うま》の荷繩《になは》に括《くゝ》つて太《ふと》い棒《ぼう》で擔《かつ》いで跟《つ》いた。四|斗樽《とだる》には濁《にご》つたやうな甘酒《あまざけ》がだぶ/\と動《うご》いて居《ゐ》る。神官《しんくわん》の白《しろ》い指貫《さしぬき》の袴《はかま》には泥《どろ》の跳《は》ねた趾《あと》も見《み》えて隨分《ずゐぶん》汚《よご》れて居《ゐ》た。神官《しんくわん》は埃《ほこり》だらけな板《いた》の間《ま》へ漸《やうや》く蓙《ござ》を敷《し》いた狹《せま》い拜殿《はいでん》へ坐《すわ》つて榊《さかき》の小《ちひ》さな枝《えだ》をいぢつて、それから卓《しよく》の供物《くもつ》を恰好《かつかう》よくして居《ゐ》る間《ま》に總代等《そうだいら》は箕《み》へ入《い》れて行《い》つた注連繩《しめなは》を樅《もみ》の木《き》から樅《もみ》の木《き》へ引《ひ》つ張《ぱ》つて末社《まつしや》の飾《かざり》をした。  村落《むら》の者《もの》は段々《だん/\》に器量《きりやう》相當《さうたう》な晴衣《はれぎ》を着《き》て神社《じんじや》の前《まへ》に聚《あつま》つた。目《め》に立《た》つのは猶且《やつぱり》女《をんな》の子《こ》で、疎末《そまつ》な手織木綿《ておりもめん》であつてもメリンスの帶《おび》と前垂《まへだれ》とが彼等《かれら》を十|分《ぶん》に粧《よそほ》うて居《ゐ》る。十位《とをぐらゐ》の子《こ》でもそれから廿《はたち》に成《な》るものでも皆《みな》前垂《まへだれ》を掛《か》けて居《ゐ》る。前垂《まへだれ》がなければ彼等《かれら》の姿《すがた》は索寞《さくばく》として畢《しま》はねば成《な》らぬ。彼等《かれら》は足《あし》に合《あ》はぬ不恰好《ぶかつかう》な皺《しわ》の寄《よ》つた白《しろ》い足袋《たび》を穿《は》いて居《ゐ》る。遠國《ゑんごく》の山《やま》から切《き》り出《だ》すのだといふ模擬《まがひ》の重《おも》い臺《だい》へゴム製《せい》の表《おもて》を打《う》つた下駄《げた》を突《つ》つ掛《か》けて居《ゐ》るものもある。彼等《かれら》は其《そ》の年齡《ねんれい》に應《おう》じて三|人《にん》五|人《にん》と互《たがひ》に手《て》を曳《ひ》きながら垣根《かきね》の側《そば》や辻《つじ》の角《かど》に立《た》つて居《ゐ》ては思《おも》ひ出《だ》した時《とき》に其處《そこ》ら此處《ここ》らと移《うつ》つて歩《ある》くのである。彼等《かれら》は只《たゞ》朋輩《ほうばい》と共《とも》に立《た》つて居《ゐ》ることより外《ほか》に「まち」というても別《べつ》に目的《もくてき》もなければ娯樂《ごらく》もないのである。其《そ》れで彼等《かれら》は少《すこ》しでも異《ことな》つた出來事《できごと》を見逃《みのが》すことを敢《あへ》てしないのである。  神官《しんくわん》は小《ちひ》さな筑波蜜柑《つくばみかん》だの駄菓子《だぐわし》だの鯣《するめ》だのを少《すこ》しばかりづつ供《そな》へた卓《しよく》の前《まへ》に坐《すわ》つて祝詞《のつと》を上《あ》げた。其《そ》れは大《おほ》きな厚《あつ》い紙《かみ》へ書《か》いたので、それを更《さら》に紙《かみ》へ包《つゝ》んだのであつた。包紙《つゝみがみ》は幾度《いくたび》か懷《ふところ》へ出《だ》し入《い》れしたと見《み》えて痛《いた》く擦《す》れて汚《よご》れて居《ゐ》る。祝詞《のつと》は極《きは》めて短文《たんぶん》であつた。神官《しんくわん》はそれを極《きは》めて悠長《いうちやう》に聲《こゑ》を張《は》り上《あ》げて讀《よ》んだがそれでも幾《いく》らも時間《じかん》が要《い》らなかつた。  それが一|枚《まい》あれば何處《どこ》の神社《じんじや》へ行《い》つても役《やく》に立《た》てゝ居《ゐ》るものと見《み》えて短《みじか》い文中《ぶんちう》に讀上《よみあ》ぐべき神社《じんじや》の名《な》は書《か》いてなくて何郡《なにごほり》何村《なにむら》何神社《なにじんじや》といふ文字《もじ》で埋《うづ》めてある。神官《しんくわん》は其處《そこ》に讀《よ》み至《いた》ると當日《たうじつ》の神社《じんじや》を只《たゞ》口《くち》の先《さき》でいふのである。有繋《さすが》に彼《かれ》は間違《まちが》ふことなしに讀《よ》み退《の》けた。神官《しんくわん》が卓《しよく》の横手《よこて》へ座《ざ》を換《かへ》て一寸《ちよつと》笏《しやく》で指圖《さしづ》をすると氏子《うぢこ》の總代等《そうだいら》が順次《じゆんじ》に榊《さかき》の小枝《こえだ》の玉串《たまくし》を持《も》つて卓《しよく》の前《まへ》に出《で》て其《そ》の玉串《たまくし》を捧《さゝ》げて拍手《はくしゆ》した。彼等《かれら》は只《たゞ》怖《お》づ/\して拍手《はくしゆ》も鳴《な》らなかつた。立《た》ちながら袴《はかま》の裾《すそ》を踏《ふ》んで蹌踉《よろ》けては驚《おどろ》いた容子《ようす》をして周圍《あたり》を見《み》るのもあつた。恁《か》ういふ作法《さはふ》をも見物《けんぶつ》の凡《すべ》ては左《さ》も熱心《ねつしん》らしい態度《たいど》で拜殿《はいでん》に迫《せま》つて見《み》て居《ゐ》た。  おつぎも與吉《よきち》の手《て》を執《と》つて群集《ぐんしふ》に交《まじ》つて立《た》つて居《ゐ》た。勘次《かんじ》も其處《そこ》に在《あ》つたのであるが然《しか》し彼《かれ》はずつと後《うしろ》の樅《もみ》の木陰《こかげ》にぽつさりとして居《ゐ》たのであつた。簡單《かんたん》乍《なが》ら一|日《にち》の式《しき》が畢《をは》つた時《とき》四|斗樽《とだる》の甘酒《あまざけ》が柄杓《ひしやく》で汲出《くみだ》して周圍《しうゐ》に立《た》つて居《ゐ》る人々《ひと/″\》に與《あた》へられた。主《しゆ》として子供等《こどもら》が先《さき》を爭《あらそ》うて其《その》大《おほ》きな茶碗《ちやわん》を換《か》へた。彼等《かれら》は寧《むし》ろ自分《じぶん》の家《うち》で造《つく》つたものゝ方《はう》が佳味《うま》いにも拘《かゝわ》らず大勢《おほぜい》と共《とも》に騷《さわ》ぐのが愉快《ゆくわい》なので、水許《みづばか》りのやうな甘酒《あまざけ》を幾杯《いくはい》も傾《かたむ》けるのである。當日《たうじつ》からでは數日前《すうじつぜん》に當番《たうばん》の者《もの》が村落中《むらぢう》を歩《ある》いて二|合《がふ》づゝでも三|合《がふ》づゝでも白米《はくまい》を貰《もら》つて、夜《よ》になれば當番《たうばん》の者等《ものら》は集《あつま》つた白米《はくまい》で晩餐《ばんさん》の飯《めし》を十|分《ぶん》に焚《た》いて其《その》他《た》は悉《ことごと》く甘酒《あまざけ》に造《つく》り込《こ》む。甘酒《あまざけ》は時間《じかん》が短《みじか》いのと麹《かうぢ》が少《すくな》いのとで熱《あつ》い湯《ゆ》で造《つく》り込《こ》むのが例《れい》である。それだから忽《たちま》ちに甘《あま》く成《な》るけれども亦《また》忽《たちま》ちに酸味《さんみ》を帶《お》びて來《く》る。彼等《かれら》は當日《たうじつ》の前夜《ぜんや》に口見《くちみ》だといつて近隣《きんりん》の者等《ものら》が寄《よ》つてたかつて、鍋《なべ》で幾杯《いくはい》となく沸《わか》しては飮《の》むので夥《したゝ》か減《へ》らして畢《しま》つて、それへ一|杯《ぱい》に水《みづ》を注《さ》して置《お》くのである。  子供等《こどもら》の間《あひだ》に交《まじ》つて與吉《よきち》も互《たがひ》の身體《からだ》を掻《か》き分《わ》ける樣《やう》にして飮《の》んだ。村落《むら》の者《もの》が飮《の》んでる後《うしろ》から木陰《こかげ》に佇《たゝず》んで居《ゐ》た乞食《こじき》がぞろ/\と來《き》て曲物《まげもの》の小鉢《こばち》を出《だ》して要求《えうきう》した。 「よき、それえゝ加減《かげん》にするもんだよ汝《わ》りや」おつぎはまだ茶碗《ちやわん》を放《はな》さない與吉《よきち》の手《て》を曳《ひ》いた。 「待《ま》つてろ汝《わ》ツ等《ら》、さうだにさはり出《で》ねえで、小穢《こぎたね》え」 「此奴等《こねやつら》、汝《わ》ツ等《ら》げ呉《く》れはぐつたこた有《あ》りやしねえ、それにさうだに騷《さわ》ぎやがつて、五月繩《うるせ》え奴等《やつら》だ待《ま》つてるもんだ」 「そうれお前等《めえら》注《つ》えで遣《や》んのにそんな小鉢《こばち》なんぞ桶《をけ》の上《うへ》さ突出《つんだ》させちや畢《を》へねえな、それだらだら垂《た》ツらあ、柄杓《ひしやく》そつちへおん出《だ》して行《や》るもんだ」  下駄《げた》を穿《は》いて立《た》つた氏子《うぢこ》の總代等《そうだいら》が乞食《こじき》を叱《しか》つたり當番《たうばん》に注意《ちうい》したりした。神官等《しんくわんら》が石《いし》の華表《とりゐ》を出《で》て行《い》つた後《のち》は暫《しばら》くして人《ひと》も散《ち》つて、華表《とりゐ》の傍《そば》には大《おほ》きな文字《もじ》を表《あら》はした白木綿《しろもめん》の幟旗《のぼりばた》が高《たか》く突《つ》つ立《た》つてばさ/\と鳴《な》つて居《ゐ》た。散亂《さんらん》した人々《ひと/″\》は其《そ》の癖《くせ》の其處《そこ》にぼつゝり此處《ここ》にぼつゝりと固《かた》まつて立《た》つてるのであつた。  暫《しばら》くして短《みじか》い日《ひ》が傾《かたむ》いた。社《やしろ》の森《もり》を包《つゝ》んで時雨《しぐれ》の雲《くも》が東《ひがし》の空《そら》一|杯《ぱい》に擴《ひろ》がつた。濃厚《のうこう》な鼠色《ねずみいろ》の雲《くも》は凄《すご》く人《ひと》に迫《せま》つて來《く》るやうで、然《しか》もくつきりと森《もり》を浮《う》かした。かつと横《よこ》に射《さ》し掛《かけ》る日《ひ》の光《ひかり》が其《そ》の凄《すご》い雲《くも》の色《いろ》を稍《やゝ》和《やはら》げて天鵞絨《びろうど》のやうな滑《なめら》かな感《かん》じを與《あた》へた。更《さら》にくすんだ赭《あか》い欅《けやき》の梢《こずゑ》にも微妙《びめう》な色彩《しきさい》を發揮《はつき》せしめて、殊《こと》に其《そ》の間《あひだ》に交《まじ》つた槭《もみぢ》の大樹《たいじゆ》は此《これ》も冴《さ》えない梢《こずゑ》に日《ひ》は全力《ぜんりよく》を傾注《けいちゆう》して驚《おどろ》くべき莊嚴《さうごん》で且《か》つ鮮麗《せんれい》な光《ひかり》を放射《はうしや》せしめた。時雨《しぐれ》の雲《くも》に映《えい》ずる槭《もみぢ》の梢《こずゑ》は確然《かくぜん》と浮《う》き上《あが》つて居《ゐ》ながら天鵞絨《びろうど》の地《ぢ》に深《ふか》く浸《し》み込《こ》んで居《ゐ》る樣《やう》にも見《み》えた。其《そ》の前《まへ》に空《そら》を支《さゝ》へて立《た》つた二|條《でう》の白《しろ》い柱《はしら》は幟旗《のぼりばた》であつた。幟旗《のぼりばた》は止《や》まずばた/\と飜《ひるがへ》つた。更《さら》に俄《にはか》にごつと立《た》つた風《かぜ》に森《もり》の梢《こずゑ》の葉《は》は散亂《さんらん》して鮮《あざや》かな光《ひかり》を保《たも》ちながら空中《くうちう》に閃《ひらめ》いた。數分時《すうふんじ》の後《のち》世間《せけん》は忽《たちま》ちに暗澹《あんたん》たる光《ひかり》に包《つゝ》まれて時雨《しぐれ》がざあと來《き》た。村落《むら》の何處《どこ》にも晴衣《はれぎ》の姿《すがた》を見《み》なく成《な》つた。おつぎは與吉《よきち》を連《つ》れて疾《とつ》くに歸《かへ》つて居《ゐ》たのであつた。  夜《よる》に成《な》つて雨《あめ》が歇《や》んだ。  村落《むら》の者《もの》は段々《だん/\》に瞽女《ごぜ》の泊《とま》つた小店《こみせ》の近《ちか》くへ集《あつ》まつて戸口《とぐち》に近《ちか》く立《た》つた。戸《と》は悉《こと/″\》く開放《あけはな》つて障子《しやうじ》も外《はづ》してある。瞽女《ごぜ》は各自《かくじ》に晩餐《ばんさん》を求《もと》めて去《さ》つた後《あと》であつた。瞽女《ごぜ》は村落《むら》から村落《むら》の「まち」を渡《わた》つて歩《ある》いて毎年《まいねん》泊《と》めて貰《もら》ふ宿《やど》に就《つい》てそれから村落中《むらぢう》を戸毎《こごと》に唄《うた》うて歩《ある》く間《あひだ》に、處々《ところ/″\》で一人分《いちにんぶん》づゝの晩餐《ばんさん》の馳走《ちそう》を承諾《しようだく》して貰《もら》つて置《お》く。それで彼等《かれら》は夜《よる》の時刻《じこく》が來《く》ると、目明《めあき》の手曳《てびき》がだんだんと其《そ》の家々《いへ/\》に配《くば》つて歩《ある》く。さうしては復《ま》た手曳《てびき》がそれを集《あつ》めて打《う》ち連《つ》れて歸《かへ》つて來《く》る。目《め》の不自由《ふじいう》な彼等《かれら》は漸《やうや》くのことで自分《じぶん》の求《もと》める家《いへ》に就《つ》いても板《いた》の間《ま》の端《はし》などにぽつさりとして膳《ぜん》の運《はこ》ばれるのを待《ま》つて居《ゐ》るので一|同《どう》の腹《はら》が滿《み》たされて再《ふたゝ》び杖《つゑ》に縋《すが》るまでには面倒《めんだう》な時間《じかん》を要《えう》するのである。  小店《こみせ》の座敷《ざしき》には瞽女《ごぜ》の大《おほ》きな荷物《にもつ》と袋《ふくろ》へ入《い》れた三味線《さみせん》とが置《お》いてあつて淋《さび》しく見《み》えて居《ゐ》た。只《たゞ》一人《ひとり》の巫女《くちよせ》が彼等《かれら》に特有《とくいう》の態度《たいど》を保《たも》つて正座《しやうざ》を張《は》つて、其《そ》の何時《いつ》でも放《はな》さない荷物《にもつ》を前《まへ》へ置《お》いてしやんと坐《すわ》つて居《ゐ》るのであつた。表《おもて》には村落《むら》の者《もの》が漸《やうや》く殖《ふ》えて土間《どま》から座敷《ざしき》へ上《あが》る者《もの》もあつた。彼等《かれら》は理由《わけ》もなしに只《たゞ》騷《さわ》ぎはじめた。彼等《かれら》は沼邊《ぬまべ》の葦《あし》のやうに集《あつま》れば互《たがひ》に只《たゞ》ざわ/\と騷《さわ》ぐのである。巫女《くちよせ》はかなりの婆《ばあ》さんであつたので、白粉《おしろい》つけた瞽女等《ごぜら》に向《むか》つて揶揄《からか》ふ樣《やう》な言辭《ことば》は彼等《かれら》の間《あひだ》には發《はつ》せられなかつた。 「どうしたえ、口寄《くちよせ》一《ひと》つやつて見《み》ねえかえ」大勢《おほぜい》の中《うち》から切《き》り出《だ》したものがあつた。葦《あし》の葉末《はずゑ》が微風《びふう》にも靡《なび》けられる樣《やう》に此《この》一|語《ご》の爲《ため》に皆《みな》ぞよ/\と復《また》騷《さわ》いだ。群集《ぐんしふ》の中《うち》にはおつぎも交《まじ》つて居《ゐ》た。若《わか》い衆等《しゆら》は先刻《さつき》からそれに注目《ちうもく》して居《ゐ》たが 「どうした、彼奴等《あいつら》こと寄《よ》せてんべぢやねえか」 「おつぎこと出《だ》してんべぢやねえか」彼等《かれら》はひそ/\と竊《ひそか》に喋《しめ》し合《あは》せた。 「寄《よ》せてんべえと」群集《ぐんしふ》の後《うしろ》の方《はう》から呶鳴《どな》つた。 「そんぢや此方《こつち》へ出《で》さつせえな」店《みせ》の女房《にようばう》はいつた。群集《ぐんしふ》は一|時《じ》に威勢《ゐせい》がついて巫女《くちよせ》の膝《ひざ》近《ちか》くまでぎつしりと座敷《ざしき》を塞《ふさ》いだ。勘次《かんじ》もおつぎも座敷《ざしき》に窮屈《きうくつ》な居《ゐ》ずまひをして居《ゐ》た。店《みせ》の女房《にようばう》は少《すこ》し剥《は》げた塗盆《ぬりぼん》へ水《みづ》を一|杯《ぱい》に汲《く》んだ飯茶碗《めしぢやわん》を載《の》せて 「ちつとおめえ等《ら》退《しや》つてくんねえか」といひながら人々《ひと/″\》の間《あひだ》を足探《あしさぐ》りに歩《ある》いて巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんの前《まへ》へ置《お》いた。 「そんぢや誰《だれ》だんべ、寄《よ》せんな」女房《にようばう》は立《た》つた儘《まゝ》一|同《どう》を見廻《みまは》して嫣然《にこり》としていつた。それでも暫《しばら》くは凡《すべ》てが口《くち》を緘《つぐ》んで居《ゐ》た。巫女《くせよせ》の婆《ばあ》さんは箱《はこ》を包《つゝ》んだ荷物《にもつ》を其《その》儘《まゝ》自分《じぶん》の膝《ひざ》へ引《ひ》きつけて待《ま》つて居《ゐ》る。 「俺《お》れやんべ、そんぢや」若《わか》い衆《しゆ》の一人《ひとり》が婆《ばあ》さんの前《まへ》へ出《で》て 「俺《お》ら生口《いきぐち》寄《よ》せて見《み》てえんだが、幾《いく》らだんべ一口《ひとくち》は」 「五|錢《せん》づゝでさ」巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんは落付《おちつ》いていつた。 「此《こ》ら只《たゞ》默《だま》つてゝえゝんだつけかな」といふと 「えゝんだよそんで、自分《じぶん》の思《おも》つてたの出《で》て來《く》んだから」 「かんぜん撚《より》拵《こせ》えて水《みづ》掻《か》ん廻《まあ》せば、えゝんだよ」側《そば》から巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんのいふのも待《ま》たずに口《くち》を出《だ》した。 「三|度《と》でえゝんだつけかな」婆《ばあ》さんの前《まへ》へ坐《すわ》つた一人《ひとり》は後《うしろ》の方《はう》を向《む》いていつて彼《かれ》は不器用《ぶきよう》な紙捻《こより》を拵《こしら》へて其《そ》の先《さき》を茶碗《ちやわん》の水《みづ》へ浸《ひた》して三|度《ど》丁寧《ていねい》に掻《か》き廻《まは》して其《そ》の儘《まゝ》紙捻《こより》を水《みづ》に浸《ひた》して置《お》いた。 「見《み》ろよ、近頃《ちかごろ》薩張《さつぱり》來《き》てくんねえが、俺《お》れこと厭《や》にでも成《な》つたんぢやねえかなんて出《で》つから」と店《みせ》の女房《にようばう》は戯談《ぜうだん》を交《まじ》へた。  巫女《くちよせ》は暫《しばら》く手《て》を合《あは》せて口《くち》の中《なか》で何《なに》か念《ねん》じて居《ゐ》たが風呂敷包《ふろしきづゝみ》の儘《まゝ》箱《はこ》へ兩肘《りやうひぢ》を突《つ》いて段々《だん/\》に諸國《しよこく》の神々《かみ/″\》の名《な》を喚《よ》んで、一|座《ざ》に聚《あつ》めるといふ意味《いみ》を熟練《じゆくれん》したいひ方《かた》で調子《てうし》をとつていつた。がや/\と騷《さわ》いで居《ゐ》た家《いへ》の内外《ないぐわい》は共《とも》にひつそりと成《な》つた。 「行々子《よしきり》土用《どよう》へ入《へ》えつた見《み》てえに、ぴつたりしつちやつたな」と呶鳴《どな》つたものがあつた。漸《やうや》く靜《しづ》まつた群集《ぐんしふ》は少時《しばし》どよめいた。然《しか》し直《すぐ》に復《ま》た靜《しづ》まつた。 「白紙《しらがみ》手頼《たよ》り水《みづ》手頼《たよ》り、紙捻《こより》手頼《たよ》りにい……」と巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんの聲《こゑ》は前齒《まへば》が少《すこ》し缺《か》けて居《ゐ》る爲《ため》に句切《くきり》が稍《やゝ》不明《ふめい》であるがそれでも澁滯《じふたい》することなくずん/\と句《く》を逐《お》うて行《い》つた。斜《なゝめ》に茶碗《ちやわん》の水《みづ》に立《た》つた紙捻《こより》がだん/\に水《みづ》を吸《す》うて點頭《うなづ》いた樣《やう》にくたりと成《な》つた。 「どうせよ一つにや成《な》れぬ身《み》を、別《わか》れたいとは思《おも》へども……」と一|同《どう》の耳《みゝ》に響《ひゞ》いた時《とき》「出《で》た/\」と靜《しづ》まつて居《ゐ》た群集《ぐんしふ》の中《なか》から聲《こゑ》が發《はつ》せられた。巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんは突《つい》て居《ゐ》る肘《ひぢ》を少《すこ》し動《うご》かして乘地《のりぢ》に成《な》つた。 「俺《お》れが我《わ》が身《み》というたとて、自由自儘《じいうじまゝ》に成《な》るならば、今日《けふ》の巫女《あづさ》も要《い》るまいにい……」婆《ばあ》さんは同《おな》じやうな句《く》を反覆《くりかへ》した。 「出《で》た處《ところ》でまつと饒舌《しやべ》らせろえ」と一人《ひとり》が更《さら》に紙捻《こより》を持《も》つて水《みづ》を掻《か》き廻《まは》した。 「かんぜん捻《より》くた/\して云《い》ふこと聽《き》かねえや」いひながら彼《かれ》は手《て》を止《や》めた。 「俺《お》れがよ心《こゝろ》はこうなれど、怒《おこ》るまえぞえ見棄《みす》てまえ、互《たがひ》に顏《かほ》も合《あは》せたら、言辭《ことば》も掛《か》けてくだされよう……」巫女《くちよせ》は時々《とき/″\》調子《てうし》を張《は》り上《あ》げていつた。 「さうださうだ、そんでなくつちやおとつゝあ泣《な》くぞ」群集《ぐんしふ》の後《うしろ》から呶鳴《どな》つた。群集《ぐんしふ》は少時《しばし》復《ま》たどよめいたが一|句《く》でも巫女《くちよせ》のいふことを聞《き》き外《はづ》すまいとして靜《しづ》まつた。巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんの姿勢《しせい》が箱《はこ》を離《はな》れて以前《いぜん》に復《ふく》した時《とき》抑壓《よくあつ》されたやうに成《な》つて居《ゐ》た凡《すべ》てが俄《にはか》にがや/\と騷《さわ》ぎ出《だ》した。彼等《かれら》は絶《た》えず勘次《かんじ》とおつぎとに對《たい》して冷笑《れいせう》を浴《あび》せ拂《か》けてゐるのであつたが、然《しか》しそれを知《し》らぬ二人《ふたり》は只《たゞ》凝然《ぢつ》として居《ゐ》た。凡《すべ》てが騷《さわ》ぐ間《あひだ》に在《あ》つてさうして居《ゐ》る二人《ふたり》の容子《ようす》は態《わざ》とらしく見《み》えるまで際立《きわだ》つて居《ゐ》た。巫女《くちよせ》の唱《とな》へたことだけでは惡戯《いたづら》な若《わか》い衆《しゆ》の意志《こゝろ》も知《し》らない二人《ふたり》には自分等《じぶんら》がいはれて居《ゐ》ることゝは心《こゝろ》づく筈《はず》がなかつたのである。  群集《ぐんしふ》の後《うしろ》の方《はう》からの俄《にはか》な騷《さわ》ぎが内側《うちがは》に及《およ》んだ。晩餐《ばんさん》を濟《す》まして瞽女《ごぜ》が手《て》を曳《ひ》き連《つ》れて來《き》た處《ところ》なのである。それを若《わか》い衆《しゆ》が揶揄半分《からかひはんぶん》に道《みち》を開《ひら》いてやらうとしては遣《や》るまいとして騷《さわ》いだのであつた。瞽女《ごぜ》は危險相《あぶなさう》にして漸《やうや》く座敷《ざしき》へ上《あが》つた時《とき》 「目《め》も見《め》えねえのにさうだに押廻《おしまは》すなえ」瞽女《ごぜ》の後《あと》に跟《つ》いて座敷《ざしき》の端《はし》まで割込《わりこ》んで來《き》た近所《きんじよ》の爺《ぢい》さんさんがいつた。若《わか》い衆等《しゆら》は只《たゞ》 「ほうい/\」と假聲《こわいろ》で囃《はや》した。爺《ぢい》さんは勘次《かんじ》が側《そば》に居《ゐ》たのを見《み》つけて 「なあ、勘次《かんじ》さん、こんで若《わけ》えものゝ處《ところ》がえゝかんな」といひ掛《か》けた。外《そと》では再《ふたゝ》び囃《はや》し立《た》てゝ騷《さわ》いだ。白《しろ》い手拭《てぬぐひ》を髷《まげ》の後《うしろ》が少《すこ》し現《あら》はれた瞽女被《ごぜかぶ》りにして居《ゐ》る瞽女《ごぜ》が殖《ふ》えたので座敷《ざしき》は俄《にはか》に生《いき》たやうに成《な》つた。瞽女《ごぜ》は一《ひと》つに固《かた》まつて成《な》るべくランプの明《あか》るい光《ひかり》を避《さ》けようとして居《ゐ》る。其《そ》の態度《たいど》を心憎《こゝろにく》く思《おも》ふ若《わか》い衆《しゆ》が 「俺《お》ら其《そ》の手拭《てぬげ》被《かぶ》つてこつち向《む》いてる姐樣《あねさま》こと寄《よ》せて見《み》てえもんだな」立《た》ち塞《ふさ》がつた陰《かげ》から瞽女《ごぜ》の一人《ひとり》へ揶揄《からか》つていつたものがある。 「何《な》んちいか寄《よ》せて見《み》せえ」先刻《さつき》の爺《ぢい》さんはいつた。彼《かれ》の顏《かほ》には痘痕《あばた》を深《ふか》く印《いん》して居《ゐ》る。 「どうした寄《よ》せて見《み》んのか、そんだら俺《お》れかんぜん捻《より》拵《こせ》えてやつかれえ」爺《ぢい》さんが更《さら》にいつた時《とき》返辭《へんじ》がなかつた。 「えゝ、情《なさけ》ねえ奴等《やつら》だな」爺《ぢい》さんは捻《よ》り掛《かけ》た紙《かみ》を棄《す》てた。店先《みせさき》の駄菓子《だぐわし》を入《い》れた店臺《みせだい》をがた/\と動《うご》かす者《もの》があつた。 「菓子《くわし》なんぞまた盜《と》つちや畢《を》へねえぞ、うむ、そつちの方《はう》の酒樽《さかだる》ん處《とこ》にも立《た》つてゝ飮《の》み口《ぐち》でも引《ひ》つこ拔《ぬ》かねえで貰《もら》あべえぞ、みんな」と痘痕《あばた》の爺《ぢい》さんは獨《ひと》り乘地《のりぢ》に成《な》つていふのであつた。 「さうぢやねえんだよ、店臺《みせでえ》自分《じぶん》で歩《ある》き出《だ》し始《はじ》まつたから俺《お》れ抑《つか》めえた處《とこ》なんだよ」 「えゝからガラスでもおつ缺《か》かねえやうにしろえ、此方《こつち》のおつかさまに怒《おこ》られつから」 「そんでも店臺《みせでえ》は四つ足《あし》へ何《なに》か穿《は》いてら、土鍋《どなべ》に片口《かたくち》に皿《さら》だ、どれも/\能《よ》く打《ぶ》つ缺《か》けてらあ」 「何處《どこ》らか歩《ある》いて來《き》たと見《み》えて足《あし》埃《ほこり》だらけだと」二三|人《にん》の聲《こゑ》で戯談《ぜうだん》を返《かへ》した。家《いへ》の内外《うちそと》のむつとした空氣《くうき》が益《ます/\》ざわついた。店臺《みせだい》へは暑《あつ》い頃《ころ》には蟻《あり》の襲《おそ》ふのを厭《いと》うて四つの足《あし》へ皿《さら》や丼《どんぶり》の類《るゐ》を穿《は》かせて始終《しじう》水《みづ》を湛《たゝ》へて置《お》くことを怠《おこた》らないのであつた。 「どうれ、誰《だれ》も寄《よ》せねえけりや俺《お》れでも寄《よ》せてんべかえ」後《うしろ》の方《はう》から一人《ひとり》進《すゝ》んで來《き》たものがあつた。 「只《たゞ》ぢや駄目《だめ》だぞ」痘痕《あばた》の爺《ぢい》さんは直《す》ぐに要《い》らぬことをいつた。 「そんぢや困《こま》つたなあ、おめえどうした婆《ばあ》さまこと死口《しにぐち》でも寄《よ》せて見《み》ねえか」 「俺《お》ら厭《や》だよ、待《ま》つてつから早《はや》く來《き》てくろなんて云《ゆ》はれた日《ひ》にや縁起《えんぎ》でもねえから」爺《ぢい》さんは爪《つめ》で頭《あたま》を掻《か》いた。 「酷《ひど》くおめえ近頃《ちかごろ》ぽさ/\しつちやつてんだな、あゝだ婆《ばゞあ》でも焦《こが》れてる所爲《せゐ》ぢやあんめえ、頭髮《あたま》まで拔《ぬけ》た樣《やう》だな」剽輕《へうきん》な相手《あひて》は爺《ぢい》さんの頭《あたま》へ手《て》を掛《かけ》てゆさ/\と動《うご》かした。乘地《のりぢ》に成《な》つて居《ゐ》た爺《ぢい》さんは少《すこ》し白《しろ》い膜《まく》を以《もつ》て掩《おほ》はれた樣《やう》な眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つて稍《やゝ》辟易《へきえき》した。 「大豆打《でえづぶち》にかつ轉《ころ》がつた見《み》てえに面中《つらぢう》穴《めど》だらけにしてなあ」剽輕《へうきん》な相手《あひて》は益《ます/\》惡口《あくこう》を逞《たくま》しくした。群衆《ぐんしふ》は一聲《ひとこゑ》の畢《をは》る毎《ごと》に笑《わら》ひどよめいた。 「篦棒《べらぼう》、さうだ軟《やつ》けえ面《つら》で風《かぜ》吹《ふ》く處《とこ》歩《ある》けるもんぢやねえ」爺《ぢい》さんはむきに成《な》つていつた。 「どうした赤《あけ》え手拭《てねげ》被《かぶ》らせらつたんべえ」 「俺《お》らさうだ手拭《てねげ》なんざあ被《かぶ》つたこたねえよ」 「そんでも疱瘡神《はうそうがみ》は赤《あけ》え手拭《てねげ》好《す》きだつちげな」 「そんだつて俺《お》ら被《かぶ》んねえよ」痘痕《あばた》の爺《ぢい》さんはすつかり悄《しを》れて畢《しま》つた。群集《ぐんしふ》は皆《みな》腹《はら》を抱《かゝ》へた。 「どうれ、俺《お》ら歸《けえ》つて牛蒡《ごぼう》でも拵《こせ》えべえ、明日《あした》天秤棒《てんびんぼう》檐《かつ》いで出《で》る支障《さはり》にならあ」剽輕《へうきん》な相手《あひて》は思《おも》ひ出《だ》したやうにいつた。 「どうせ、おめえ等《ら》やうに紺屋《こんや》の弟子《でし》見《み》てえな手足《てあし》の者《も》な牛蒡《ごばう》でも檐《かつ》いで歩《ある》くのにや丁度《ちやうど》よかんべ」復讎《ふくしう》でも仕得《しえ》たやうな容子《ようす》で爺《ぢい》さんはいつた。 「資本《もとで》の二|兩《りやう》二|分《ぶ》位《ぐれえ》でこんで餓鬼奴等《がきめら》までにや四五|人《にん》も命《いのち》繋《つな》いで行《い》くのにや赤《あけ》え手拭《てねげ》でも被《かぶ》つてる樣《やう》な放心《うつかり》した料簡《れうけん》ぢや居《ゐ》らんねえかんな」彼《かれ》は復《ま》た爺《ぢい》さんの頭《あたま》へ手《て》を掛《か》けていつてついと行《い》つて畢《しま》つた。後《あと》では波《なみ》が巖《いは》に打《う》ちつける樣《やう》に暫《しば》らく騷《さわ》いだ。若《わか》い女《をんな》は皆《みな》十|分《ぶん》笑《わら》つて、又《また》痘痕《あばた》の爺《ぢい》さんを熟々《つく/″\》と見《み》ては思《おも》ひ出《だ》して袂《たもと》で口《くち》を掩《おほ》うた。到頭《たうとう》極《きま》り惡相《わるさう》にして爺《ぢい》さんも去《さ》つて畢《しま》つた。 「此《こ》の箱《はこ》ん中《なか》にや何《なん》だね入《へ》えつてんなあ、人形坊《にんぎやうばう》だつて本當《ほんたう》かね」前《まへ》の方《はう》に居《ゐ》た若《わか》い衆《しゆ》が巫女《くちよせ》の荷物《にもつ》へ手《て》を掛《かけ》ていつた。 「なあに今《いま》ぢや幣束《へいそく》だとよ」と他《た》の者《もの》がいつた。 「此《こ》ら見《み》せらんねえんでさ、此《こ》れ見《み》られつと何程《なんぼ》寄《よ》せて見《み》ても當《あた》んなくなつちやつてね、自分《じぶん》で居《ゐ》ねえ間《ま》に見《み》らつても屹度《きつと》知《し》れんでさ」婆《ばあ》さんは風呂敷《ふろしき》を捲《まく》り掛《かけ》た若《わか》い衆《しゆ》の手《て》をそつと拂《はら》つていつた。さうすると 「見《み》せらんねえよ、其《そ》れが種《たね》だから」呶鳴《どな》つたものがあつた。  さういふ騷《さわ》ぎをして居《ゐ》る間《ま》に幾度《いくど》かもぢ/\と身體《からだ》を動《うご》かして居《ゐ》た勘次《かんじ》は思《おも》ひ切《き》つて婆《ばあ》さんの前《まへ》へ進《すゝ》んだ。 「わしげ一つ寄《よ》せて見《み》ておくんなせえ、死口《しにぐち》でがさ」 「そんぢや笹《さゝ》つ葉《ぱ》折《を》つちよつて來《き》ておくんなせえ」巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんはいつた。 「此方《こつち》で折《を》つちよつて遣《や》んべ」と勘次《かんじ》が立《た》ち掛《かけ》た時《とき》後《うしろ》の方《はう》で呶鳴《どな》つた。暫《しばら》くして小《ちひ》さな竹《たけ》の葉《は》が手《て》から手《て》へ傳《つた》へられて茶碗《ちやわん》の水《みづ》の中《なか》に置《お》かれた。一|同《どう》は再《ふたゝ》び靜《しづ》まつた。勘次《かんじ》は竹《たけ》の葉《は》を以《もつ》て茶碗《ちやわん》の水《みづ》を三|度《ど》掻《か》き廻《まは》してそつと手《て》を放《はな》した。ランプの光《ひかり》に竹《たけ》の葉《は》は水《みづ》から出《で》た部分《ぶぶん》は青《あを》く、水《みづ》に沒《ぼつ》した部分《ぶぶん》は水銀《すゐぎん》のやうに白《しろ》く光《ひか》つた。巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんは先刻《さつき》と同《おな》じく箱《はこ》へ肱《ひぢ》を突《つ》いて 「能《よ》く喚《よ》び出《だ》してくれたぞよう……」と極《きま》つたやうな句《く》を反覆《くりかへ》しつゝまだ十|分《ぶん》の意味《いみ》を成《な》さないのに勘次《かんじ》は整然《ちやん》と坐《すわ》つた膝《ひざ》へ兩手《りやうて》を棒《ぼう》のやうに突《つ》いてぐつたりと頭《かしら》を俛《た》れた。おつぎもしをらしく俯向《うつむ》いた。島田《しまだ》に結《ゆ》うたおつぎの頭髮《かみ》が明《あ》かるいランプに光《ひか》つた。おつぎは特《とく》に勘次《かんじ》に許《ゆる》されて未明《みめい》に鬼怒川《きぬがは》の渡《わたし》を越《こ》えて朋輩同志《ほうばいどうし》と共《とも》に髮結《かみゆひ》の許《もと》へ行《い》つたのであつた。髷《まげ》には油《あぶら》が能《よ》く乘《の》つて居《ゐ》て上手《じやうず》掛《か》けた金房《きんぶさ》が少《すこ》しざらりとして動搖《ゆらめ》いた。巫女《くちよせ》が漸次《ぜんじ》に句《く》を逐《お》うて行《ゆ》くうちに 「姿《すがた》隱《かく》れて出《で》て見《み》れば、何《なに》知《し》るまいと思《おも》だろが、俺《お》れは其《そ》の身《み》の處《ところ》へは、日日《ひにち》毎日《まいにち》ついてるぞ、雨《あめ》は降《ふ》らねど箕《みの》に成《な》り、笠《かさ》に成《な》りてよ……」と巫女《くちよせ》の聲《こゑ》は前齒《まへば》の少《すこ》し缺《か》けたにも拘《かゝは》らず、一つには一|同《どう》がひつそりとして咳拂《せきばらひ》をもせぬ故《せい》であらうが極《きは》めて明瞭《めいれう》に聞《き》きとられた。 「一|度《ど》ならず、二|度《ど》三|度《ど》、不思議《ふしぎ》打《ぶ》たせて知《し》らせたに……」婆《ばあ》さんの聲《こゑ》が次《つい》で響《ひゞ》いた。勘次《かんじ》もおつぎも只《たゞ》凝然《ぢつ》として居《ゐ》るのみである。 「俺《お》れが達者《たつしや》で居《ゐ》るならば……」といふ句《く》が讀《よ》まれたと思《おも》ふと軈《やが》て 「呉《く》れるよ程《ほど》の心《こゝろ》なら、ほんに苦勞《くろ》でも大儀《たいぎ》でも、蕾《つぼみ》の花《はな》を散《ち》らさずに、どうか咲《さ》かせてくだされよう……」熟練《じゆくれん》した聲《こゑ》の調子《てうし》が、さうでなくても興味《きようみ》を持《も》つて居《ゐ》る一|同《どう》の耳《みゝ》にしみじみと響《ひゞ》いた。 「鴉《からす》の鳴《な》かない日《ひ》はあれど、草葉《くさば》の陰《かげ》で……」婆《ばあ》さんが自分《じぶん》の聲《こゑ》に乘《の》つて來《き》た時《とき》勘次《かんじ》はぼろ/\と涙《なみだ》を零《こぼ》した。おつぎもそつと涙《なみだ》を拭《ぬぐ》つた。 「ほんの假座《かりざ》のことなれば、此《こ》れにて俺《お》れは歸《かへ》るぞよう……」それから又《また》 「鴉《からす》の鳴《な》きがそでなくもう……」と反覆《くりかへ》しつゝ巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんの聲《こゑ》は輕《かる》く引《ひ》いてそつと拔《ぬ》いたやうに止《や》んだ。 「俺《お》れ濟《す》まねえ」勘次《かんじ》はぽつさりといつて又《また》涙《なみだ》を横《よこ》に拭《ぬぐ》つた。 「本當《ほんたう》に出《で》たんだよ、可怖《おつかね》えやうだな」其處《そこ》に居《ゐ》た若《わか》い女房《にようばう》はしみ/″\といつた。それから續《つゞ》いて他《た》の二三|人《にん》が身《み》の上《うへ》やら生口《いきぐち》やらを寄《よ》せた。さうして座敷《ざしき》の隅《すみ》に居《ゐ》た瞽女《ごぜ》が代《かは》つて三味線《さみせん》の袋《ふくろ》をすつと扱《こ》きおろした時《とき》巫女《くちよせ》は荷物《にもつ》の箱《はこ》を脊負《しよ》つて自分《じぶん》の泊《とま》つた宿《やど》へ歸《かへ》つて行《い》つた。  三味線《さみせん》の撥《ばち》が一|度《ど》絃《いと》に觸《ふ》れるとしんみりとした座敷《ざしき》が急《きふ》に勢《いきほ》ひづいてランプの光《ひかり》が俄《にはか》に明《あか》るいやうに成《な》つた。勘次《かんじ》はそれを聞《き》くに堪《た》へないで、彼《かれ》は其《そ》の夜《よ》に限《かぎ》つて自分《じぶん》で與吉《よきち》の手《て》を曳《ひ》いて自分《じぶん》の家《うち》へと闇《やみ》の中《なか》へ身《み》を沒《ぼつ》した。若《わか》い衆《しゆう》は三|人《にん》の後姿《うしろすがた》を見《み》て 「蛬《きりぎりす》ぢやねえが、口《くち》鳴《な》らさねえぢや居《ゐ》らんねえな」といつた。 「そんだが、今夜《こんや》はしみ/″\泣《な》いたんぢやねえけ、あんでもお品《しな》さんこた何程《なんぼ》惜《を》しいか知《し》んねえのがだかんな」 「今《いま》だつて其《その》噺《はなし》すつと幾《いく》らでもしてんだかんな」 「そんだがよ、先刻《さつき》見《み》てえに泣《な》いてんのに惡口《わるくち》なんぞいふな罪《つみ》だよなあ」と若《わか》い女房等《にようばうら》はそれでもしんみりといつた。  其《そ》の夜《よ》から暫《しばら》くの間《あひだ》勘次《かんじ》は以前《いぜん》とは異《かは》つておつぎを獨《ひと》り放《はな》して出《だ》すことが有《あ》る樣《やう》に成《な》つた。さうかと思《おも》つて居《ゐ》る内《うち》に村落中《むらぢう》が復《ま》た勘次《かんじ》のおつぎに對《たい》する態度《たいど》の全《まつた》く以前《いぜん》に還《かへ》つたことを認《みと》めずには居《ゐ》られなくなつた。村落《むら》の目《め》は勢《いきほ》ひ嫉妬《しつと》と猜忌《さいぎ》とそれから新《あらた》に起《おこ》つた事件《じけん》に對《たい》するやうな興味《きようみ》とを以《もつ》て勘次《かんじ》の上《うへ》に注《そゝ》がれねばならなかつた。          十六  勘次《かんじ》は殆《ほと》んど事毎《ことごと》に冷笑《れいせう》の眼《まなこ》を以《もつ》て見《み》られて居《ゐ》るのであつたが然《しか》しそれが厭《いや》な感情《かんじやう》を彼《かれ》に與《あた》へるよりも、彼《かれ》は彼《かれ》の懷《ふところ》に幾分《いくぶん》の餘裕《よゆう》を生《しやう》じて來《き》たことが凡《すべ》ての不滿《ふまん》を償《つぐな》うて猶《なほ》餘《あまり》あることであつた。お品《しな》がまだ生《い》きて居《ゐ》る頃《ころ》隣《となり》の主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんに向《むか》つて 「お内儀《かみ》さん等《ら》何《なん》にも心配《しんぺえ》なんざ無《な》くつて晴々《せい/\》として居《え》んでござんせうね」お品《しな》はつく/″\といつたことがある。 「何故《なぜ》そんなこといふんだい」内儀《かみ》さんは怪《あや》しんで聞《き》いたら 「そんでもお内儀《かみ》さん等《ら》喰《た》べる心配《しんぺえ》なんざちつともねえんだから、わたしやさうだと思《おも》つてせえ」お品《しな》はいつた。内儀《かみ》さんは成程《なるほど》さういふ心持《こゝろもち》で居《ゐ》るのかと、それから種々《いろ/\》と身分《みぶん》相應《さうおう》な苦勞《くらう》の止《や》まぬことを噺《はなし》て聞《き》かせると 「さうでござんせうかねお内儀《かみ》さん、わたし等《ら》また明《あ》けても暮《く》れても無《ね》え足《た》んねえの心配《しんぺえ》ばかしゝてんだから、さういことねえ人《ひと》は心配《しんぺえ》なんちやねえんだとばかし思《おも》つてたんでござんすよ、ねえ本當《ほんたう》に」お品《しな》は感《かん》に堪《た》へたやうにいつたのであつた。お品《しな》がそれ程《ほど》苦勞《くらう》した米※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、234-7]《べいこく》の問題《もんだい》が其《そ》の死後《しご》四五|年間《ねんかん》の惨憺《さんたん》たる境遇《きやうぐう》から漸《やうや》く解決《かいけつ》が告《つ》げられようとしたのである。彼《かれ》は毎年《まいねん》冬《ふゆ》からまだ草木《さうもく》の萌《も》え出《だ》さぬ春《はる》までの内《うち》に彼等《かれら》にしては驚《おどろ》くべき巨額《きよがく》の四五十|圓《ゑん》を贏《か》ち得《う》るのであつた。其《そ》れは古《ふる》い創痍《さうい》の穴《あな》に投《とう》ぜられるにしても彼《かれ》は土間《どま》の鷄《にはとり》の塒《とや》の下《した》に三|人《にん》が安心《あんしん》して居《ゐ》るだけの食料《しよくれう》を求《もと》めて置《お》くことが出來《でき》る樣《やう》に成《な》つた。おつぎは二十《はたち》の聲《こゑ》を聞《き》いて與吉《よきち》は學校《がくかう》へ出《で》る樣《やう》に成《な》つた。彼《かれ》は絶《た》えず或《ある》物《もの》を探《さが》すやうな然《しか》も隱蔽《いんぺい》した心裏《しんり》の或《ある》物《もの》を知《し》られまいといふやうな、不見目《みじめ》な容貌《ようばう》を村落《むら》の内《うち》に曝《さら》す必要《ひつえう》が漸《やうや》く減《げん》じて來《き》た。彼《かれ》は段々《だん/\》彼等《かれら》の伴侶《なかま》に向《むか》つて以前《いぜん》の如《ごと》くこせ/\と徒《いたづ》らに遠慮《ゑんりよ》した態度《たいど》がなくなつた。彼《かれ》は村落《むら》の凡《すべ》てに向《むか》つて拂《はら》つた恐怖《きようふ》の念《ねん》を悉《ことごと》く東隣《ひがしどなり》の家族《かぞく》にのみ捧《さゝ》げて畢《しま》つた。  其《そ》の間《あひだ》彼《かれ》と卯平《うへい》とは只《たゞ》一|回《くわい》逢《あ》つたのみである。卯平《うへい》はお品《しな》が三|年目《ねんめ》の盆《ぼん》にふいと來《き》てふいと立《た》つたのである。卯平《うへい》は八十に近《ちか》く成《な》つて居《ゐ》ながら恐《おそ》ろしい岩疊《がんでふ》な身體《からだ》が髮《かみ》は白《しろ》く且《かつ》少《すくな》く成《な》つたが肌膚《はだ》には潤澤《じゆんたく》があつた。卯平《うへい》は夜《よる》は火《ひ》の番《ばん》をしても暑《あつ》い日《ひ》には庭《には》の草※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《くさむしり》をしたり、他《た》の藏々《くら/″\》への使《つか》ひに行《い》つたり、幾分《いくぶん》の忙《いそが》しさを感《かん》じても、使《つか》ひに行《ゆ》けば屹度《きつと》茶菓子《ちやぐわし》を包《つゝ》まれたり、手拭《てぬぐひ》を貰《もら》つたり、それから主人《しゆじん》からは給料《きふれう》以外《いぐわい》の賞與《しやうよ》があつたりするので少《すこ》し堅固《けんご》にすれば、懷《ふところ》には小錢《こぜに》を蓄《たくは》へて置《お》くことも出來《でき》るのであつたが彼《かれ》は能《よ》くコツプ酒《ざけ》を傾《かたむ》けたので彼《かれ》の懷《ふところ》は決《けつ》して餘裕《よゆう》を存《そん》しては居《ゐ》なかつた。野田《のだ》は郷里《きやうり》からは比較的《ひかくてき》近《ちか》いので醤油藏《しやうゆぐら》が段々《だん/\》發達《はつたつ》して行《ゆ》くに連《つ》れて傭《やと》はれて行《ゆ》く壯丁《わかもの》が殖《ふ》えて來《き》た。郷里《きやうり》では傭人《やとひにん》の給料《きふれう》が暴騰《ばうとう》して來《き》た程《ほど》どの村落《むら》からも壯丁《わかもの》が行《い》つた。其《そ》れが頻《しき》りに交代《かうたい》されるので、卯平《うへい》は一|度《ど》しか郷里《きやうり》の土《つち》を踏《ふ》まなくても種々《しゆ/″\》の變化《へんくわ》を耳《みゝ》にした。彼《かれ》は一|番《ばん》おつぎのことが念頭《ねんとう》に浮《うか》ぶ。十七の秋《あき》に見《み》たおつぎの姿《すがた》がお品《しな》に能《よ》くも似《に》て居《ゐ》たことを思《おも》ひ出《だ》しては、他人《ひと》の噂《うはさ》も聞《き》いて見《み》て時々《とき/″\》は逢《あ》つても見《み》たい心持《こゝろもち》がした。然《しか》しお品《しな》が死《し》んだ時《とき》野田《のだ》への立《た》ち際《ぎは》がよくなかつたことを彼自身《かれじしん》の心《こゝろ》にも悔《く》ゆる處《ところ》があつたので強《し》ひて厭《いや》な勘次《かんじ》へ挨拶《あいさつ》をして一時《いつとき》なりとも肩身《かたみ》を狹《せま》くせねばならないのを厭《いと》うて遂《つひ》憶劫《おくくふ》に成《な》るのであつた。年齡《とし》を積《つ》むに從《したが》つて短《みじか》く感《かん》ずる月日《つきひ》がさういふ間《あひだ》に循環《じゆんくわん》して、くすんで見《み》えることの多《おほ》い江戸川《えどがは》の水《みづ》を往復《わうふく》する通運丸《つううんまる》の牛《うし》が吼《ほ》えるやうな汽笛《きてき》も身《み》に沁《し》みて、冬《ふゆ》の寒《さむ》さが酷《ひど》くなると以前《いぜん》からの癖《くせ》で腰《こし》に疼痛《いたみ》を感《かん》ずることがあつた。藏《くら》の傭人《やとひにん》の爲《ため》に抱《かゝ》へてある醫者《いしや》に見《み》て貰《もら》つても、老病《らうびやう》だから藥《くすり》を飮《の》んで見《み》た處《ところ》で、さう效驗《きゝめ》が見《み》えるのではないがそれでも、飮《の》みたけりや飮《の》むが善《い》いといふのみで別段《べつだん》身《み》に沁《し》みていつてくれるのでもない。卯平《うへい》は幾《いく》ら飮《の》んでも自分《じぶん》の懷《ふところ》が痛《いた》まないのだからと思《おも》つて見《み》ても醫者《いしや》のいふ通《とほ》りどうもはき/\としないので晝間《ひるま》は成《な》るべく蒲團《ふとん》にくるまる樣《やう》にして居《ゐ》た。  卯平《うへい》は年末《ねんまつ》の出代《でがはり》の季節《きせつ》になれば其《そ》の持病《ぢびやう》を苦《く》にして、奉公《ほうこう》もどうしたものかと悲觀《ひくわん》することもあるが、我慢《がまん》をすれば凌《しの》げるので遂《つひ》居据《ゐすわ》りに成《な》つて居《ゐ》るうちに何時《いつ》でも春《はる》の季節《きせつ》に還《かへ》つて、郊外《かうぐわい》に際涯《さいがい》もなく植《うゑ》られた桃《もゝ》の花《はな》が一|杯《ぱい》に赤《あか》くなると其《そ》の木陰《こかげ》の麥《むぎ》が青《あを》く地《ち》を掩《おほ》うて、江戸川《えどがは》の水《みづ》を溯《さかのぼ》る高瀬船《たかせぶね》の白帆《しらほ》も暖《あたたか》く見《み》えて、大《おほ》きな藏々《くら/″\》の建物《たてもの》が空《むな》しく成《な》る程《ほど》一|切《さい》の傭人《やとひにん》が桃畑《もゝばたけ》に一|日《にち》の愉快《ゆくわい》を竭《つく》すやうになれば病氣《びやうき》もけそりと忘《わす》れるのが例《れい》であつた。  清潔好《きれいずき》な彼《かれ》は命令《めいれい》されるまでもなく、庭《には》にぽつちりでも草《くさ》が見《み》えれば※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《むし》らずには居《ゐ》られない。狹苦《せまくる》しいにしてもきちんとした傭人部屋《やとひにんべや》の周圍《しうゐ》の土《つち》に箒目《はうきめ》を入《い》れて水《みづ》でも打《う》つて見《み》たり、其處《そこ》らで作《つく》る朝顏《あさがほ》の苗《なへ》を貰《もら》つてどんな姿《なり》にも鉢《はち》へ植《うゑ》て見《み》たりして居《ゐ》ると奉公《ほうこう》が辛《つら》くも思《おも》はないのであつた。それも二三|年《ねん》の間《あひだ》で普通《ふつう》の人間《にんげん》ならばもう到底《たうてい》役《やく》にも立《た》たぬ年齡《ねんれい》に達《たつ》して居《ゐ》るので、假令《たとひ》彼《かれ》の境遇《きやうぐう》が安佚《あんいつ》を許《ゆる》さない爲《ため》に恁《か》うして精神的《せいしんてき》に健康《けんかう》が保《たも》たれて居《ゐ》るのだとしても、彼《かれ》の老躯《らうく》は日毎《ひごと》に空腹《くうふく》から來《く》る疲勞《ひらう》を醫《い》する爲《ため》に食料《しよくれう》を攝取《せつしゆ》する僅《わづか》な滿足《まんぞく》が其《そ》の度毎《たびごと》に目先《めさき》の知《し》れてる彼《かれ》を拉《らつ》して其《そ》の行《ゆ》く可《べ》き處《ところ》に導《みちび》いて居《ゐ》るのである。  復《ま》た冬《ふゆ》が來《き》た時《とき》、彼《かれ》は今《いま》までの腰《こし》の痛《いた》みと違《ちが》つた一|種《しゆ》の疾患《しつくわん》を生《しやう》じたやうに感《かん》じた。醫者《いしや》は依然《いぜん》僂痲質斯《レウマチス》なのだといつて、寒《さむ》い夜《よ》に火《ひ》の番《ばん》をして歩《ある》くのは絶對《ぜつたい》に惡《わる》いといふのであつた。それでも彼《かれ》は我慢《がまん》の出來《でき》るだけ務《つと》めた。出代《でがはり》の季節《きせつ》が來《き》た時《とき》彼《かれ》はまた頻《しき》りに惑《まど》うたが、どうも其處《そこ》を立《た》つて畢《しま》ふのが惜《を》しい心持《こゝろもち》もするし、逡巡《しりごみ》して復《ま》た居据《ゐすわ》りになつた。郷里《きやうり》から來《き》たものに聞《き》いて彼《かれ》は勘次《かんじ》が次第《しだい》に順境《じゆんきやう》に赴《おもむ》きつゝあることを知《し》つた。彼《かれ》は心《こゝろ》が復《ま》た動搖《どうえう》して脆《もろ》く成《な》つた心《こゝろ》が酷《ひど》く哀《あはれ》つぽく情《なさけ》なくなつた。然《しか》し長《なが》い間《あひだ》機嫌《きげん》を損《そこ》ね合《あ》うた勘次《かんじ》の許《もと》へ歸《かへ》るのには彼《かれ》は空手《からて》ではならぬといふことを深《ふか》く念《ねん》とした。彼《かれ》は夫《それ》からといふもの成《な》るべくコツプ酒《ざけ》も節制《せつせい》して懷《ふところ》を暖《あたゝ》めようとした。從來《じうらい》彼《かれ》が遠《とほ》く奉公《ほうこう》に出《で》て居《ゐ》て幾《いく》らでも慰藉《ゐしや》の途《みち》を發見《はつけん》して居《ゐ》たのは割合《わりあひ》に暖《あたゝ》かな懷《ふところ》を殆《ほと》んど費《つひや》しつゝあつたからである。それで彼《かれ》は今《いま》さう氣《き》がついて見《み》ても身體《からだ》の養生《やうじやう》をしなくてはならぬといふことが一|方《ぱう》に有《あ》るのでそれが思《おも》ふ程《ほど》にはいかなかつた。さういふ心配《しんぱい》が又《また》春《はる》も暖《あたゝ》かに成《な》つて病氣《びやうき》を忘《わす》れると歸《かへ》ることも其《そ》の儘《まゝ》に消滅《せうめつ》して畢《しま》ふのである。然《しか》しどう我慢《がまん》をして見《み》ても後《あと》幾年《いくねん》も勤《つと》まらないといふことを周圍《しうゐ》の人《ひと》も見《み》て居《ゐ》るのである。殊《こと》に永《なが》い間《あひだ》野田《のだ》へ身上《しんしやう》を持《も》つて近所《きんじよ》の藏《くら》の親方《おやかた》をして居《ゐ》るのが郷里《きやうり》の近《ちか》くから出《で》たので自然《しぜん》知合《しりあひ》であつたが、それが卯平《うへい》に引退《いんたい》を勸《すゝ》めた。彼《かれ》は故郷《こきやう》へ幾年目《いくねんめ》かで行《ゆ》く序《ついで》もあるし、幸《さいは》ひ勘次《かんじ》のことは村落《むら》に居《ゐ》る内《うち》に知《し》つて居《ゐ》たから相談《さうだん》をして來《き》てやらうといつた。卯平《うへい》は近頃《ちかごろ》滅切《めつきり》窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の眼《め》を蹙《しか》めるやうにしながら微《かす》かな笑《ゑみ》を浮《うか》べた。  親方《おやかた》が勘次《かんじ》へ噺《はなし》をした時《とき》 「わしや、なあに、家《うち》のもんだから面倒《めんだう》見《み》ねえた云《ゆ》はねえね」勘次《かんじ》は油《あぶら》の乘《の》らぬ態度《たいど》でいつた。 「勘次《かんじ》さん近頃《ちかごろ》工合《ぐあひ》がえゝといふ噺《はなし》だが」親方《おやかた》も義理《ぎり》一|遍《ぺん》のやうにいふと 「工合《ぐあひ》えゝつちこともねえが、此《こ》んでも命懸《いのちが》けで働《はたれ》えてんだから、他人《ひと》のがにや大《え》けえ錢《ぜね》になるやうにも見《め》えべが、俺《お》らにこんで爺樣《ぢさま》が代《でえ》の借金《しやくきん》拔《ぬ》けねえで居《え》んだからそれせえなけりや泣《な》かねえでも畢《を》へんだよ、そんだがそれでばかり動《いご》き取《と》れねえな」 「そんぢや、其《そ》の時《とき》にや勘次《かんじ》さんも善《い》い理由《わけ》だね」 「そりやさうだが」勘次《かんじ》は何處《どこ》となく拍子《ひやうし》を變《か》へていつた。 「勘次《かんじ》さん等《ら》それでも※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、238-12]類《こくるゐ》はなか/\有《あ》る容子《ようす》だね」突込《つゝこ》んで聞《き》くと 「其《そ》の位《くれえ》なくつちや仕《し》やうねえもの、俺《お》ら此處《ここ》へ來《き》た當座《たうざ》にや病氣《びやうき》ん時《とき》でもからつき挽割麥《ひきわり》ばかしの飯《めし》なんぞおん出《だ》されて、俺《お》ら隨分《ずいぶん》辛《つれ》え目《め》に逢《あ》つたんだよ、こんでさうえこた、忘《わす》らんねえもんだかんな」勘次《かんじ》は到頭《たうとう》要領《えうりやう》を得《え》ない返辭《へんじ》をするのみであつた。  藏《くら》の親方《おやかた》は勘次《かんじ》がどういふ料簡《れうけん》であるといふことは卯平《うへい》へはいはなかつた。假令《たとひ》どうした處《ところ》で勘次《かんじ》の許《もと》へ歸《かへ》らねばならぬことに極《きま》つて居《ゐ》るのだから、それには戸板《といた》へ乘《の》せてやる樣《やう》な病氣《びやうき》の起《おこ》るまで奉公《ほうこう》させて置《お》くよりも、丈夫《ぢやうぶ》なうちに暇《ひま》を取《と》らせて還《かへ》して畢《しま》へば、或《あるひ》は勘次《かんじ》との間《あひだ》も思《おも》つた程《ほど》のこともないだらうと、程《ほど》よいことに卯平《うへい》へ噺《はな》した。卯平《うへい》は固《もと》より親方《おやかた》から家《うち》の容子《ようす》やおつぎの成人《せいじん》したことや、隣近所《となりきんじよ》のことも逐《ちく》一|聞《き》かされた。卯平《うへい》は窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の眼《め》に暖《あたゝ》かな光《ひかり》を湛《たた》へた。  卯平《うへい》は短《みじか》い時間《じかん》であつたが氣《き》がついてから心掛《こゝろが》けたので財布《さいふ》には幾《いく》らかの蓄《たくは》へもあつた。僅《わづか》な衣物《きもの》であるがそれでも煤《すゝ》けたやうに褪《さ》めた風呂敷《ふろしき》に大《おほ》きな包《つゝみ》が二つ出來《でき》た。一つの不用《ふよう》の分《ぶん》は運河《うんが》から鬼怒川《きぬがは》へ通《かよ》ふ高瀬船《たかせぶね》へ頼《たの》んで自分《じぶん》の村落《むら》の河岸《かし》へ揚《あ》げて貰《もら》ふことにして、彼《かれ》は煙草《たばこ》の一|服《ぷく》をも忘《わす》れない樣《やう》に身《み》につけた。彼《かれ》は股引《もゝひき》に草鞋《わらぢ》を穿《は》いて其《そ》の大風呂敷《おほぶろしき》を脊負《せお》つて立《た》つた。麥酒《ビール》の明罎《あきびん》二|本《ほん》へ一|杯《ぱい》の醤油《しやうゆ》を莎草繩《くゞなは》で括《くゝ》つて提《さ》げた。それから彼《かれ》は又《また》煎餅《せんべい》を一|袋《ふくろ》買《か》つた。醤油《しやうゆ》と米《こめ》とが善《よ》いので佳味《うま》い煎餅《せんべい》であつた。彼《かれ》は三つの時《とき》に別《わか》れて五つの秋《あき》に一寸《ちよつと》見《み》た與吉《よきち》がもう八つか九つに成《な》つて居《ゐ》ると恁《か》う數《かぞ》へて見《み》て土産《みやげ》が買《か》ひたく成《な》つたのである。煎餅《せんべい》の袋《ふくろ》は毎日《まいにち》使《つか》つて居《ゐ》た手拭《てぬぐひ》で括《くゝ》つて荷締《にじ》めの紐《ひも》へ縛《しば》りつけた。彼《かれ》は冬《ふゆ》になつてまた起《おこ》りかけた僂痲質斯《レウマチス》を恐《おそ》れて極《きは》めてそろ/\と歩《ほ》を運《はこ》んだ。利根川《とねがは》を渡《わた》つてからは枯木《かれき》の林《はやし》は索寞《さくばく》として連續《れんぞく》しつゝ彼《かれ》を呑《の》んだ。彼《かれ》は處々《ところ/″\》へのつそりと腰《こし》を卸《おろ》して好《す》きな煙草《たばこ》をふかした。荷物《にもつ》を路傍《みちばた》へ卸《おろ》す時《とき》彼《かれ》は屹度《きつと》縛《しば》りつけた手拭《てぬぐひ》の包《つゝみ》へ手《て》を掛《か》けて新聞紙《しんぶんし》の袋《ふくろ》のがさ/\と鳴《な》るのを聞《き》いて安心《あんしん》した。枯木《かれき》の林《はやし》は立《た》ち騰《のぼ》る煙草《たばこ》の煙《けぶり》が根《ね》の切《き》れた儘《まゝ》すつと急《いそ》いで枝《えだ》に絡《から》んで消散《せうさん》するのも隱《かく》さずに空洞《からり》として居《ゐ》る。卯平《うへい》が凝然《ぢつ》として居《ゐ》ると萵雀《あをじ》が忍《しの》び/\に乾《かわ》いた落葉《おちば》を踏《ふ》んで彼《かれ》の近《ちか》くまで來《き》てはすいと枝《えだ》へ飛《と》んだ。彼《かれ》は周圍《しうゐ》には一|切《さい》心《こゝろ》を惹《ひ》かされることもなく袂《たもと》の燐寸《マツチ》へ火《ひ》を點《つ》けては又《また》燐寸《マツチ》を袂《たもと》へ入《いれ》て、さうしてからげつそりと落《お》ちた兩頬《りやうほゝ》の肉《にく》が更《さら》にぴつちりと齒齦《はぐき》に吸《すひ》ついて畢《しま》ふまで徐《ゆる》りと煙草《たばこ》を吸《す》うて、煙管《きせる》をすつと拔《ぬ》いてから又《また》齒齦《はぐき》へ空氣《くうき》を吸《す》うて煙《けぶり》と一つに飮《の》んで畢《しま》つたかと思《おも》ふやうにごくりと唾《つば》を嚥《の》んで、それから煙《けぶり》を吐《は》き出《だ》すのである。彼《かれ》は周圍《しうゐ》が寂《さび》しいとも何《なん》とも思《おも》はなかつた。然《しか》し彼自身《かれじしん》は見《み》るから枯燥《こさう》して憐《あは》れげであつた。彼《かれ》は少《すこ》しきや/\と痛《いた》む腰《こし》を延《のば》して荷物《にもつ》を脊負《せお》つて立《た》つた。捨《す》てた燐寸《マツチ》の燃《も》えさしが道端《みちばた》の枯草《かれくさ》に火《ひ》を點《つ》けて愚弄《ぐろう》するやうな火《ひ》がべろ/\と擴《ひろ》がつても、見向《みむ》かうともせぬ程《ほど》彼《かれ》は懶《ものう》げである。野田《のだ》からは十|里《り》に足《た》らぬ平地《へいち》の道《みち》を鬼怒川《きぬがは》に沿《そ》うた自分《じぶん》の村落《むら》まで來《く》るのに、冬《ふゆ》の短《みじか》い日《ひ》が雜木林《ざふきばやし》の梢《こずゑ》に彼《かれ》を待《ま》たなかつた。彼《かれ》は自分《じぶん》の家《いへ》に着《つ》いた時《とき》は醤油《しやうゆ》を提《さ》げた手《て》が痛《いた》い程《ほど》冷《ひ》えて居《ゐ》た。彼《かれ》は漸《やつと》のことで戸口《とぐち》に立《た》つた。勘次《かんじ》を喚《よ》ばうとして見《み》たら内《うち》はひつそりと闇《くら》い。戸口《とぐち》に手《て》を當《あ》てゝ見《み》たら鍵《かぎ》が掛《かけ》てあつた。 「居《ゐ》たかえ」それでも卯平《うへい》は呶鳴《どな》つて見《み》たが返辭《へんじ》がない。卯平《うへい》は口《くち》の内《うち》で呟《つぶや》いて裏戸口《うらとぐち》へ廻《まは》つて見《み》たら其處《そこ》は内《うち》から掛金《かけがね》が掛《かゝ》つて居《ゐ》る。彼《かれ》はそれでも煙管《きせる》を出《だ》して戸《と》の隙間《すきま》から掛金《かけがね》をぐつと突《つ》いたら栓《せん》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さし》てなかつたので直《すぐ》に外《はづ》れた。彼《かれ》は闇《くら》い閾《しきゐ》を跨《また》いで袂《たもと》の燐寸《マツチ》をすつと點《つ》けた。幾年《いくねん》居《ゐ》なくても勝手《かつて》を知《し》つて居《ゐ》るので彼《かれ》は柱《はしら》へ懸《かけ》てある手《て》ランプを點《つ》けて、取《と》り敢《あへ》ず手足《てあし》を暖《あたゝ》める爲《ため》に麁朶《そだ》をぽち/\と折《を》つて火鉢《ひばち》へ燻《く》べた。煤《すゝ》けた藥罐《やくわん》を五|徳《とく》へ掛《かけ》てそれから彼《かれ》は草鞋《わらぢ》をとつた。乾《かわ》いた道《みち》を歩《ある》いて來《き》たので幾《いく》らも汚《よご》れない足《あし》の底《そこ》を二三|度《ど》づゝ手《て》でこすつて座敷《ざしき》へ上《あが》つた。  勘次《かんじ》は南《みなみ》の風呂《ふろ》へ行《い》つて居《ゐ》た。彼《かれ》は晝《ひる》は寸暇《すんか》をも惜《をし》んで勞働《らうどう》をするので一つには其《そ》れが夜《よ》なべの仕事《しごと》を勵《はげ》み得《え》ない程《ほど》の疲勞《ひらう》を覺《おぼ》えしめて居《ゐ》るのでもあるが、少《すこ》し懷《ふところ》が窮屈《きうくつ》でなくなつてからは長《なが》い夜《よ》の休憇時間《きうけいじかん》には滅多《めつた》に繩《なは》を綯《な》ふこともなく風呂《ふろ》に行《い》つては能《よ》く噺《はなし》をしながら出殼《でがら》の茶《ちや》を啜《すゝ》つた。  其《その》夜《よ》與吉《よきち》は南《みなみ》の女房《にようばう》から薄荷《はくか》の入《はひ》つた駄菓子《だぐわし》を二つばかり貰《もら》つた。裏《うら》の垣根《かきね》から桑畑《くはばたけ》を越《こ》えて歩《ある》きながら與吉《よきち》は菓子《くわし》を舐《しやぶ》つた。 「どれ、俺《おれ》げもちつと出《だし》て見《み》ねえか」おつぎは與吉《よきち》の手《て》から少《すこ》し缺《か》いて自分《じぶん》の口《くち》へ入《い》れた。 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、241-12]《ねえ》は大《え》かくおつ缺《け》えちや厭《や》だぞう」與吉《よきち》は懸念《けねん》していふと 「おゝ薄荷《はくか》だこら、口《くち》ん中《なか》すう/\すら、おとつゝあげも遣《や》つて見《み》ろ」おつぎは又《ま》た菓子《くわし》へ手《て》を掛《か》けようとすると 「えゝから、よきげ嘗《な》めさせろ」勘次《かんじ》はおつぎを制《せい》した。三|人《にん》は他人《ひと》の目《め》が開《あ》いてない闇夜《やみよ》の小徑《こみち》を恁《か》うして自分《じぶん》の庭《には》へ戻《もど》つた。 「どうしたんだんべ、おとつゝあ」おつぎは戸《と》の隙間《すきま》から射《さ》す明《あか》りを見《み》て俄《にはか》に立《た》ち止《どま》つていつた。勘次《かんじ》は竦《すく》んだやうに成《な》つて默《だま》つた。おつぎは戸《と》の隙間《すきま》から覗《のぞ》いて 「爺《ぢい》見《み》てえだな、おとつゝあ」と小聲《こごゑ》で告《つ》げた。それから勘次《かんじ》も覗《のぞ》いて、鍵《かぎ》を外《はづ》して這入《はひ》つた。與吉《よきち》は見識《みし》らぬ爺《ぢい》さんが居《ゐ》るので羞《はに》かんでおつぎの後《うしろ》へ隱《かく》れた。 「爺《ぢい》だ」とおつぎは叫《さけ》んで卯平《うへい》の側《そば》へ寄《よ》つた。 「爺《ぢい》は今日《けふ》來《き》たのか」おつぎの挨拶《あいさつ》に續《つゞ》いて 「おとつゝあ遲《おそ》かつたな」勘次《かんじ》もいつた。 「出《で》だすのもそんなに早《はや》かなかつたつけが、暫《しばら》く歩《ある》きつけねえ所爲《せゐ》かなんぼにも足《あし》が出《で》ねえで、かういに遲《おそ》くなる積《つもり》もなかつたつけが」卯平《うへい》は重《おも》い口《くち》でいつた。 「餘《よ》つ程《ぽど》待《ま》つてゝか爺《ぢい》は」おつぎは麁朶《そだ》を折《を》り足《た》しながらいつた。 「火《ひい》吹《ふ》つたけたばかりよ」卯平《うへい》は其《そ》の窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の眼《め》を蹙《しか》めるるやうにして 「おつうも大《え》かくなつたな、途中《とちう》でなんぞ行逢《いきや》つちや分《わか》んねえな、そんだが汝《わ》りや有繋《まさか》俺《お》れこた忘《わす》れなかつたつけな」 「忘《わす》れめえな爺《ぢい》は」おつぎは卯平《うへい》に對《たい》してこそつぱい一|皮《かは》が間《あひだ》を隔《へだ》てゝ居《ゐ》るやうな感《かん》じがして居《ゐ》ながら、其《そ》の癖《くせ》の甘《あま》えた樣《やう》な舌《した》でいつてちう/\と鳴《な》り出《だ》した藥罐《やくわん》へ手《て》を掛《か》けた。卯平《うへい》はおつぎの挨拶《あいさつ》を今更《いまさら》の如《ごと》くしみ/″\と嬉《うれ》しく感《かん》じた。卯平《うへい》はお品《しな》が死《し》んで三|年目《ねんめ》の盆《ぼん》に來《き》た時《とき》不器用《ぶきよう》な容子《ようす》の彼《かれ》がどうして思《おも》ひついたかおつぎへ花簪《はなかんざし》を一つ買《か》つて來《き》た。十七のおつぎがどれ程《ほど》それを喜《よろこ》んだか知《し》れなかつた。おつぎは決《けつ》してそれを忘《わす》れなかつた。 「爺《ぢい》げお茶《ちや》入《せ》えべえ」おつぎは立《た》つて茶碗《ちやわん》を洗《あら》つた。卯平《うへい》は濃霧《のうむ》に塞《ふさ》がれた森《もり》の中《なか》へ踏込《ふみこ》むやうな一|種《しゆ》の不安《ふあん》を感《かん》じつゝ來《き》たのであつたが、彼《かれ》はおつぎの仕打《しうち》に心《こゝろ》が晴々《せい/\》した。卯平《うへい》は、まだ菓子《くわし》を舐《しやぶ》りながら隱《かく》れるやうにして居《ゐ》る與吉《よきち》を見《み》て 「俺《お》れこと忘《わす》れたんべ此《こ》ら、大《え》かく成《な》つたと思《おも》つて來《き》たつけが本當《ほんたう》に分《わか》んねえ程《ほど》大《え》かく成《な》つたな」寡言《むくち》な卯平《うへい》が此《こ》の夜《よ》は種々《いろ/\》に饒舌《しやべ》つた。 「此《こ》んでも學校《がくかう》へ行《い》くんだもの」おつぎは茶《ちや》を入《い》れながらいつた。 「さうら」と卯平《うへい》は荷物《にもつ》へ縛《しば》りつけた煎餅《せんべい》の包《つゝみ》を與吉《よきち》へ投《な》げ出《だ》してやつた。 「おつう、手拭《てねげ》解《と》えて見《み》ねえか、野田《のだ》でも一|番《ばん》うめえんだから」卯平《うへい》はいつたがおつぎの手《て》が暇《ひま》どれるので自分《じぶん》で手拭《てぬぐひ》を解《と》いて勘次《かんじ》の前《まへ》へ出《だ》して、彼《かれ》は更《さら》に一|枚《まい》をとつて與吉《よきち》へ遣《や》つた。 「よき、それ貰《もら》あもんだ。爺《ぢい》呉《く》れるつちのに」おつぎは茶碗《ちやわん》を卯平《うへい》と勘次《かんじ》との前《まへ》へ据《す》ゑつゝいつた。 「こつちへ上《あが》つて貰《もら》あもんだ」勘次《かんじ》もいつた。土間《どま》に立《た》つて居《ゐ》た與吉《よきち》はそつと草履《ざうり》を脱《ぬ》いで危險相《あぶなさう》に手《て》を出《だ》して取《とつ》た。さうして直《す》ぐに偸《ぬす》むやうに噛《か》んだ。 「遠《とほ》くの方《はう》のがんだぞ、汝《われ》うまかんべ」おつぎは自分《じぶん》も一|枚《まい》を噛《かじ》り乍《なが》らいつた。 「うまかねえやそんなに」與吉《よきち》はおつぎの袂《たもと》へ隱《かく》れるやうにしていつた。甘味《あまみ》の強《つよ》い菓子《くわし》を噛《か》んだ口《くち》に、さうして醤油《しやうゆ》の味《あぢ》を區別《くべつ》するまで發達《はつたつ》した舌《した》を持《も》たない與吉《よきち》は卯平《うへい》が遠《とほ》く齎《もたら》したと聞《き》かせられた程《ほど》には感《かん》じなかつたのである。 「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》こといふもんぢやねえ、そんだら※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、244-8]《ねえ》げよこしつちめえ」おつぎは小《ちひ》さな聲《こゑ》でいつて尻目《しりめ》に掛《か》けた。與吉《よきち》はさういひ乍《なが》ら手《て》にした丈《だけ》はぽり/\と噛《か》んだ。乾燥《かんさう》した響《ひゞき》が三|人《にん》の口《くち》に鳴《な》つた。  卯平《うへい》は幾杯《いくはい》も只《たゞ》茶《ちや》を啜《すゝ》つた。壯健《たつしや》だといつても彼《かれ》は齒《は》がげつそりと落《お》ちて軟《やはら》かな物《もの》でなければ噛《か》めなくなつて居《ゐ》た。卯平《うへい》は又《また》おつぎへ醤油《しやうゆ》の罎《びん》を出《だ》して 「俺《お》れ持《も》つて來《く》ればなんぼでも譯《わけ》ねえんだが荷物《にもつ》があるもんだから、此《こ》れつ切《きり》しか持《も》つちや來《き》ねえつちやつた、此《こ》んでも俺《お》ら藏《くら》ぢや此《この》上《うへ》はねえんだ、炊事《かしき》は汝《われ》すんだんべから、汝《われ》そつちへ藏《しま》つて置《お》けな」 「大變《たえへん》だつけな爺《ぢい》、荷物《にもつ》あんのになあ、此《こ》れだけぢや暫《しば》らくあんべよ」おつぎは罎《びん》を柱《はしら》の傍《そば》へ置《お》いた。 「荷物《にもつ》はさうでもねえが、身體《からだ》利《き》かねえでな、どうも」卯平《うへい》は煙管《きせる》を噛《か》んだ。 「爺《ぢい》はどうしたつぺ、お飯《まんま》たべたんべか」おつぎは敢《あへ》ていひ掛《か》けるといふ態度《たいど》でもなく勘次《かんじ》に向《むか》つていつた。 「おらどつちでもえゝや」卯平《うへい》は少《すこ》し遠慮《ゑんりよ》を交《まじ》へていつた。 「どつちでもえゝつて腹《はら》減《へ》つちやしやうあんめえな」おつぎは茶碗《ちやわん》と箸《はし》とを棚《たな》から卸《おろ》した。 「菜《な》つ葉《ぱ》の漬《つけ》たなどうしたんべ」おつぎは顧《かへり》みて聞《き》いた。 「俺《お》ら要《い》らねえや、齒《は》悪《わる》くなつちやつて噛《か》まんねえから」 「そんぢや細《こま》かく刻《きざ》んだらどうしたんべ」おつぎはとん/\と庖丁《はうちやう》を使《つか》つた。 「お汁《つけ》まあ、ちつとも身《み》なんざねえや、よき汝《われ》みんな芋《いも》すくつちやつたな」  おつぎは鍋葢《なべぶた》をとつていつた。 「お汁《つけ》も何《なに》も要《い》らねえから一|杯《ぺえ》掻《か》つ込《こ》んべ」卯平《うへい》は遲緩《もどか》し相《さう》にいつた。 「そんぢや此《この》醤油《しやうゆ》掛《か》けてんべな」おつぎは卯平《うへい》の前《まへ》に膳《ぜん》を据《す》ゑて罎《びん》の醤油《しやうゆ》を菜漬《なづけ》へ掛《か》けた。 「それ、底《そこ》の方《はう》へ廻《まは》つて零《こぼ》れらな」勘次《かんじ》は先刻《さつき》から、怒《おこ》つたやうな羞《はに》かんだやうな、何《なん》だか落付《おちつき》の惡《わる》い手持《てもち》のない顏《かほ》をして、却《かへつ》て自分《じぶん》をば凝然《ぢいつ》と見《み》もせぬ卯平《うへい》の目《め》から外《そ》れるやうに、餘所《よそ》を見《み》ては又《また》ちらと卯平《うへい》を見《み》つゝあつたが此《この》時《とき》おつぎの手許《てもと》へ嘴《くちばし》を容《い》れた。其《そ》の時《とき》醤油《しやうゆ》がごつと出《で》て菜漬《なづけ》が漂《たゞよ》ふばかりに成《な》つた。 「そうれ見《み》ろ」勘次《かんじ》はそつけなくいつた。おつぎが罎《びん》を再《ふたゝ》び柱《はしら》の傍《そば》へ置《お》くと、 「まだ其處《そこ》で引《ひ》つくるけえしちや大變《たえへん》だぞ、戸棚《とだな》へでも入《せ》えて置《お》け」勘次《かんじ》は復《ま》た注意《ちうい》した。卯平《うへい》は藥罐《やくわん》の湯《ゆ》を注《つ》いで三|杯《ばい》を喫《きつ》した。僅《わづか》に醤油《しやうゆ》の味《あぢ》のみが數年來《すうねんらい》の彼《かれ》の舌《した》に好味《かうみ》たるを失《うしな》はなかつたが、挽割麥《ひきわりむぎ》の勝《か》つた粗剛《こは》い飯《めし》は齒齦《はぐき》が到底《たうてい》それを咀嚼《そしやく》し能《あた》はぬのでこそつぱい儘《まゝ》に嚥《の》み下《くだ》した。おつぎが膳《ぜん》を引《ひ》かうとすると 「其《そ》の醤油《しやうゆ》は打棄《うつちや》らねえで大事《でえじ》にして置《お》け」勘次《かんじ》は小皿《こざら》の數滴《すうてき》を惜《をし》んだ。 「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》こと云《ゆ》はねえつたつて打棄《うつちや》るもなあんめえな」おつぎは干渉《かんせふ》に過《す》ぎた勘次《かんじ》の注意《ちうい》が厭《いや》だと思《おも》ふよりも、偶《たま/\》逢《あ》つた卯平《うへい》の側《そば》でいはれるのが極《きま》りが惡《わる》いので喉《のど》の底《そこ》で呟《つぶや》いた。 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、246-11]《ねえ》今《いま》一|枚《めえ》くんねえか」與吉《よきち》は流《なが》し元《もと》に手《て》を動《うご》かして居《ゐ》るおつぎへ極《きは》めて小《ちひ》さな聲《こゑ》で請求《せいきう》した。 「汝《わ》りや、そつから佳味《うま》かねえなんていふもんぢやねえ、直《す》ぐ欲《ほ》しくなる癖《くせ》に」おつぎはこつそり叱《しか》つた。 「そうら汝《われ》げ買《か》つて來《き》たんだ、欲《ほ》しけりや幾《いく》らでも持《も》つてけ」卯平《うへい》は不器用《ぶきよう》ないひ方《かた》をしながら煎餅《せんべい》をとつて遣《や》つた。與吉《よきち》はそれでも窪《くぼ》んだ目《め》を蹙《しが》めて居《ゐ》る卯平《うへい》がまだこそつぱくて指《ゆび》の先《さき》で下唇《したくちびる》を口《くち》の中《なか》へ押《お》し込《こ》むやうにしながら額越《ひたひご》しに卯平《うへい》を見《み》た。          十七  次《つぎ》の朝《あさ》與吉《よきち》はまだ皆《みな》の膳《ぜん》の据《す》ゑられぬうちから學校《がくかう》へ行《ゆ》くとては騷《さわ》いだ。村落《むら》の生徒等《せいとら》は登校《とうかう》の早《はや》いことを教師《けうし》から只《たゞ》一|言《ごん》でも褒《ほ》められて見《み》たいので、慌《あわ》てなくても善《い》いのに汁《しる》も煮立《にた》たぬうちから強請《せが》むのである。與吉《よきち》は此《こ》れで毎朝《まいあさ》おつぎから五月蝿《うるさ》がられて居《ゐ》た。與吉《よきち》は風呂敷包《ふろしきづゝみ》を脊負《せお》つておつぎに辨當《べんたう》を包《つゝ》んで貰《もら》ひながら 「煎餅《せんべい》くんねえか」と要求《えいきう》した。 「まださうだこと、そんだから汝《われ》げは見《み》せらんねえつちんだ、爺《ぢい》に怒《おこ》られつから見《み》ろ」おつぎは叱《しか》つて顧《かへり》みなかつた。勘次《かんじ》は其《そ》の時《とき》外《そと》の壁際《かべぎは》に積《つ》んだ木《き》の根《ね》をぱかり/\と割《わ》つて居《ゐ》た。卯平《うへい》は一|日《にち》歩《ある》いた草臥《くたびれ》が酷《ひど》く出《で》たやうでもあるし、又《また》自分《じぶん》の村落《むら》へ歸《かへ》つたので心《こゝろ》が悠長《のんびり》とした樣《やう》でもあるし、それに此《こ》の數年來《すうねんらい》は火《ひ》の番《ばん》の癖《くせ》で朝《あさ》はゆつくりとして居《ゐ》るのが例《れい》であつたので、彼《かれ》は其《そ》の時《とき》蒲團《ふとん》の中《なか》に凝然《ぢつ》と目《め》を開《あ》いておつぎの働《はたら》いて居《ゐ》るのを見《み》て居《ゐ》たが 「欲《ほ》しいつちんだら出《だ》して遣《や》れえ」彼《かれ》はいつた。おつぎは戸棚《とだな》から煎餅《せんべい》を一|枚《まい》出《だ》して與吉《よきち》へ渡《わた》した。與吉《よきち》はすつと奪《うば》ふ樣《やう》にして取《と》つた。 「しらばつくれて」おつぎは斜《なゝめ》に脊負《せお》つた書藉《しよせき》の上《うへ》から與吉《よきち》をぱたと叩《たゝ》いた。與吉《よきち》は霜《しも》の白《しろ》く掩《おほう》た庭《には》を小《ちひ》さな下駄《げた》でから/\と鳴《な》らしながら遁《に》げるやうに駈《か》けて行《い》つた。卯平《うへい》は窪《くぼ》んだ目《め》を蹙《しが》めて一|種《しゆ》の暖《あたゝ》かな表情《へうじやう》を示《しめ》して與吉《よきち》の後姿《うしろすがた》を見《み》た。勘次《かんじ》は割《わ》つた薪《まき》を草刈籠《くさかりかご》へ入《い》れて竈《かまど》の前《まへ》へ置《お》いて朝餉《あさげ》の膳《ぜん》に向《むか》つて、一|碗《わん》を盛《も》つた。おつぎは氣《き》がついた樣《やう》に 「爺《ぢい》こと起《おこ》すべか」といつて勘次《かんじ》が返辭《へんじ》せぬ内《うち》に 「爺《ぢい》、お飯《まんま》出來《でき》たよ」卯平《うへい》を喚《よ》んだ。 「先《さき》やつてくろえ」卯平《うへい》はさういつて暫《しばら》く經《た》つてから蒲團《ふとん》を出《で》て井戸端《ゐどばた》へ行《い》つた。卯平《うへい》は幾年目《いくねんめ》かで冷《つめ》たい水《みづ》で顏《かほ》を洗《あら》つた。彼《かれ》は近來《きんらい》にない晨起《はやお》きをしたので、霜《しも》の白《しろ》い庭《には》に立《た》つて硬《こは》ばつた足《あし》の爪先《つまさき》が痛《いた》くなる程《ほど》冷《つめ》たいのを感《かん》じた。火鉢《ひばち》の側《そば》へ坐《すわ》つても煙草《たばこ》の火《ひ》もないので彼《かれ》は自分《じぶん》で竈《かまど》の下《した》の燃《も》えさしを灰《はひ》の儘《まゝ》とつた。おつぎは勘次《かんじ》が煙草《たばこ》を吸《す》はないので一寸《ちよつと》煙草《たばこ》の火《ひ》をとることにまでは心附《こゝろづ》かなかつた。野田《のだ》では始終《しじう》かん/\と堅炭《かたずみ》を熾《おこ》して湯《ゆ》は幾《いく》らでも沸《たぎ》つて夜《よる》でも室内《しつない》に火氣《くわき》の去《さ》ることはないのである。卯平《うへい》は後《おく》れて箸《はし》を執《と》つたが、飯《めし》は暖《あたゝ》かいといふ迄《まで》で大釜《おほがま》で炊《た》いた樣《やう》に程《ほど》よい軟《やはら》かさを保《たも》つては居《ゐ》ないし、汁《しる》も其《そ》の舌《した》に酷《ひど》くこそつぱく且《かつ》不味《まづ》かつた。彼《かれ》は味噌《みそ》には分量《ぶんりやう》を増《ま》す爲《ため》に醤油粕《しやうゆかす》が掻《か》き交《ま》ぜてあることを知《し》つた。勘次《かんじ》は鍬《くは》を執《と》つて立《た》つた。彼《かれ》は毎日《まいにち》唐鍬《たうぐは》を持《も》つて出《で》て居《ゐ》るのであつたが此《こ》の日《ひ》はおつぎを連《つ》れて麥畑《むぎばたけ》の冬墾《ふゆばり》に出《で》るのであつた。卯平《うへい》は獨《ひとり》で※[#「煢−冖」、第4水準2-79-80]然《ぽさり》と残《のこ》された。丈夫《ぢやうぶ》な建物《たてもの》に箒《はうき》を入《い》れて清潔《せいけつ》に住《す》んで來《き》た彼《かれ》は天井《てんじやう》もない屋根裏《やねうら》から煤《すゝ》が垂《た》れてさうして雨戸《あまど》を開《あ》けてない薄闇《うすくら》い家《いへ》の内《うち》に凝然《ぢつ》としては妙《めう》に心《こゝろ》が滅入《めい》つた。毎日《まいにち》朝《あさ》から尻切襦袢《しりきりじゆばん》一つで熱湯《ねつたう》の桶《をけ》を右《みぎ》の手《て》で肩《かた》に支《さゝ》へては駈《か》け歩《ある》く威勢《ゐせい》の善《い》い壯丁《わかもの》の間《あひだ》に交《まじ》つて唄《うた》の聲《こゑ》を聞《きい》て居《ゐ》たのに、一つには草臥《くたびれ》も出《で》た爲《ため》でもあるが僅《わづか》一|日《にち》の隔《へだて》で彼《かれ》は俄《にはか》に年齡《とし》をとつた程《ほど》げつそりと窶《やつ》れたやうな心持《こゝろもち》に成《な》つた。皆《みな》の夜具《やぐ》は只《たゞ》壁際《かべぎは》に端《はし》を捲《ま》くつた儘《まゝ》で突《つ》きつけてある。卯平《うへい》は其處《そこ》を凝然《ぢつ》と見《み》た。箱枕《はこまくら》の括《くゝ》りは紙《かみ》で包《つゝ》んでないばかりでなく、切地《きれぢ》の縞目《しまめ》も分《わか》らぬ程《ほど》汚《きた》なく脂肪《あぶら》に染《そま》つて居《ゐ》る。土間《どま》の壁際《かべぎは》に吊《つ》つた竹籃《たけかご》の塒《とや》には鷄《にはとり》の糞《ふん》が一|杯《ぱい》に溜《たま》つたと見《み》えて異臭《いしう》が鼻《はな》を衝《つ》いた。卯平《うへい》は天性《ね》が清潔好《きれいずき》であつたが、百姓《ひやくしやう》の生活《せいくわつ》をして、それに非常《ひじやう》な貧乏《びんばふ》から什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》にしても穢《きた》ない物《もの》の間《あひだ》に起臥《きぐわ》せねばならぬので彼《かれ》も野田《のだ》へ行《ゆ》くまではそれをも別段《べつだん》苦《く》にはしなかつたのであるが、假令《たとひ》幾年《いくねん》でも清潔《せいけつ》な住《すま》ひをした彼《かれ》は天性《てんせい》を助長《じよちやう》して一|種《しゆ》の習慣《しふくわん》を養《やしな》つた。彼《かれ》が家《いへ》に歸《かへ》つたのはお品《しな》が死《し》んだ時《とき》でも、それから三|年目《ねんめ》の盆《ぼん》の時《とき》でも家《いへ》は空洞《からり》と清潔《きれい》に成《な》つて居《ゐ》てそれほど汚穢《むさ》い感《かん》じは與《あた》へられなかつた。彼《かれ》は今《いま》熾《さかん》な暑《あつ》い日《ひ》を仰《あふ》いだ目《め》を放《はな》つて俄《にはか》に物陰《ものかげ》を探《さが》さうとするものゝやうに酷《ひど》く勝手《かつて》が違《ちが》つたのである。  彼《かれ》は暫《しばら》く好《すき》な煙草《たばこ》に屈託《くつたく》して居《ゐ》たが漸《やうや》く日《ひ》が暖《あたゝか》く成《な》り掛《か》けたので、稀《まれ》に生存《せいぞん》して居《ゐ》る往年《わうねん》の朋輩《ほうばい》や近所《きんじよ》への義理《ぎり》かた/″\顏《かほ》を出《だ》す積《つもり》で外《そと》へ出《で》た。勘次《かんじ》とおつぎとが晝餐《ひる》に歸《かへ》つて來《き》た時《とき》に卯平《うへい》は居《ゐ》なかつた。彼《かれ》は夜《よる》に成《な》つてのつそりと戸口《とぐち》に立《た》つた。勘次《かんじ》が庭《には》へ出《で》ようとして大戸《おほど》をがらりと開《あ》けた時《とき》卯平《うへい》と衝突《つきあた》り相《さう》に成《な》つた。勘次《かんじ》は足《あし》もとにずる/\と横《よこた》はつた蛇《へび》を見《み》つけた刹那《せつな》の如《ごと》く悚然《ぞつ》として退去《すさ》つた。  卯平《うへい》は缺《か》けた齒齦《はぐき》で煙管《きせる》を横《よこ》に噛《か》んでは脣《くちびる》をぎつと締《し》めると口《くち》が芒《すゝき》で裂《さ》いた樣《やう》に見《み》えた。老衰《らうすゐ》してから餘計《よけい》にのつそりした卯平《うへい》の身體《からだ》は、それでも以前《いぜん》のがつしりした骨格《ほねぐみ》が聳《そび》えて側《そば》に居《ゐ》る勘次《かんじ》を異樣《いやう》に壓《あつ》した。卯平《うへい》は五六|日《にち》の間《あひだ》毎日《まいにち》唯《たゞ》ぶら/\と出《で》ては黄昏近《たそがれちか》くかそれでなければ夜《よる》に成《な》つて歸《かへ》つた。勘次《かんじ》は毎日《まいにち》唐鍬《たうぐは》持《も》つて林《はやし》へ出《で》た。おつぎは半纏《はんてん》を引掛《ひつか》けて針《はり》の師匠《しゝやう》へ通《かよ》つた。おつぎはもう幾年《いくねん》といふ永《なが》い間《あひだ》のことではあるが、それでも極《きま》つた月日《つきひ》を繼續《けいぞく》して針仕事《はりしごと》を勵《はげ》む餘裕《よゆう》がなく漸《やうや》く手《て》についたかと思《おも》ふと途中《とちう》を切《き》つたり止《や》めたりするので思《おも》ふ樣《やう》な上達《じやうたつ》はなかつた。おつぎは暇《ひま》を偸《ぬす》んでは一|生懸命《しやうけんめい》で針《はり》を執《と》つた。卯平《うへい》がのつそりとして箸《はし》を持《も》つのは毎朝《まいあさ》こせ/\と忙《いそが》しい勘次《かんじ》が草鞋《わらぢ》を穿《はい》て出《で》ようとする時《とき》である。おつぎは卯平《うへい》の爲《ため》に火鉢《ひばち》へ※[#「火+畏」、第3水準1-87-57]《おき》を活《い》けてやつたり、お鉢《はち》を側《そば》へ供《そな》へたりするので幾《いく》らか時間《じかん》が後《おく》れる。さうすると勘次《かんじ》は擔《かつ》いだ唐鍬《たうぐは》をどさりと置《お》いたり、閾《しきゐ》を出《で》たり這入《はひ》つたり、唯《たゞ》忸怩《もぢ/\》として居《ゐ》ては、口《くち》に出《だ》せない或《ある》物《もの》を包《つゝ》むやうな恐《おそ》ろしい權幕《けんまく》でおつぎを見《み》る、勘次《かんじ》はそれでも慊《あきた》らないでおつぎの姿《すがた》が戸口《とぐち》を出《で》るまでは庭《には》に立《た》つて居《ゐ》ることもある。勘次《かんじ》は毎朝《まいあさ》出《で》て行《ゆ》く方面《はうめん》が異《ことな》つて居《ゐ》るにも拘《かゝは》らず、同時《どうじ》に立《た》つて行《ゆ》くのを見《み》なければ心《こゝろ》が濟《す》まないのであつた。毎朝《まいあさ》さうするので 「おとつゝあは行《い》けな、爺《ぢい》こと見《み》てやんなくつちや成《な》んめえな」おつぎは竊《ひそか》に勘次《かんじ》を窘《たしな》めていふことがある。勘次《かんじ》は恐《おそ》ろしい權幕《けんまく》で凝然《ぢつ》と立《た》つた儘《まゝ》おつぎを睨《にら》んでさうして卯平《うへい》をちらと一|瞥《べつ》しては、卯平《うへい》の目《め》を憚《はゞか》る樣《やう》にしてさつさと唐鍬《たうぐは》を擔《かつ》いで出《で》て行《ゆ》く。卯平《うへい》は自分《じぶん》の爲《ため》におつぎが遲《おそ》く成《な》る時《とき》には 「俺《お》ら自分《じぶん》でやつから汝《わ》りや構《かま》あねえで行《い》けよ」おつぎを促《うなが》し立《た》てた。卯平《うへい》は當座《たうざ》の内《うち》は其處《そこ》ら此處《ここ》らへ行《い》つては自分《じぶん》からは求《もと》めないでも、暫《しばら》く遭《あ》はなかつた間柄《あひだがら》で、短《みじか》い日《ひ》の落《お》ちるのも知《し》らずに噺《はなし》をしては百姓《ひやくしやう》相當《さうたう》な不味《まづ》い馳走《ちそう》に成《な》るのであつたが、段々《だん/\》互《たがひ》に珍《めづ》らしくなくなつてからは彼《かれ》は餘《あま》り外《そと》へも出《で》ないで※[#「煢−冖」、第4水準2-79-80]然《ぽつさり》として好《す》きな煙草《たばこ》にのみ屈託《くつたく》した。彼《かれ》は晝飯《ひるめし》といふと殊《こと》に冷《つめ》たい粗剛《こは》い飯《めし》を厭《いと》うて箸《はし》を執《と》るのが辛《つら》いやうでもあつた。其《そ》れで彼《かれ》は時々《とき/″\》村落《むら》の店《みせ》へ行《い》つて豆腐《とうふ》の一|丁位《ちやうぐらゐ》に腹《はら》を塞《ふさ》げた。皿《さら》の豆腐《とうふ》を隅《すみ》から箸《はし》で拗切《ちぎ》つて見《み》ては餘《あま》りに冷《つめた》いので、腰《こし》の痛《いた》みを思《おも》ひ出《だ》して小《ちひ》さな鍋《なべ》を借《か》りて暖《あたゝ》めた。さうしては遂《つひ》一|杯《ぱい》の酒《さけ》が欲《ほし》くなつて其處《そこ》でむつゝりと時間《じかん》を潰《つぶ》した。豆腐《とうふ》は彼《かれ》の齒齦《はぐき》に最《もつと》も適當《てきたう》した食料《しよくれう》であつた。  卯平《うへい》は身體《からだ》が惡《わる》く成《な》つてから僅《わづか》の間《あひだ》でも覺悟《かくご》をしたので幾《いく》らでも財布《さいふ》には蓄《たくは》へが出來《でき》て居《ゐ》た。彼《かれ》は何程《なにほど》節約《せつやく》しても遂《つひ》にじり/\と減《へつ》て行《ゆ》くのみである財布《さいふ》に縋《すが》つて、芒《すゝき》で裂《さ》いた樣《やう》に閉《と》ぢた其《そ》の口《くち》に何《なん》でも噛《か》み殺《ころ》して居《ゐ》るのだといふ容子《やうす》をして其《その》日《ひ》々々と刻《きざ》んで過《すご》した。彼《かれ》は一|日《にち》凝然《ぢつ》として冷《つめ》たい火鉢《ひばち》の前《まへ》に胡坐《あぐら》を掻《か》いて居《ゐ》ることもあつた  與吉《よきち》は學校《がくかう》から歸《かへ》つてひつそりとした家《いへ》に只《たゞ》卯平《うへい》がむつゝりとして居《ゐ》るのを見《み》ると威勢《ゐせい》よく駈《か》けて來《き》たのも悄《しよ》げて風呂敷包《ふろしきづゝみ》の書籍《しよせき》をばたりと座敷《ざしき》へ投《な》げて庭《には》へ出《で》て畢《しま》ふ。卯平《うへい》は 「よき、待《ま》つてろ、そら」と財布《さいふ》から面倒《めんだう》に五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》を拾《ひろ》ひ出《だ》して投《なげ》てやる。與吉《よきち》は戸《と》の陰《かげ》に居《ゐ》ては忸怩《もぢ/\》して容易《ようい》に取《と》らないで然《しか》も欲《ほ》し相《さう》に筵《むしろ》の上《うへ》の銅貨《どうくわ》を見《み》る。卯平《うへい》はさうすると又《また》のつそりと懶《ものう》げに身體《からだ》を戸口《とぐち》まで動《うご》かして與吉《よきち》の手《て》に渡《わた》してやる。與吉《よきち》は一|散《さん》に駈《か》けて菓子《くわし》を求《もと》めに行《ゆ》く。卯平《うへい》の窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の眼《め》が後《あと》で獨《ひとり》蹙《しが》んだやうに成《な》るのである。  卯平《うへい》が村落《むら》の店《みせ》に懶《ものう》い身體《からだ》を据《す》ゑて煙草《たばこ》を吹《ふ》かして居《ゐ》る處《ところ》へ與吉《よきち》は行合《いきあは》せることがあつても遠《とほ》くの方《はう》から卯平《うへい》を見《み》て居《ゐ》て、近《ちか》づきもしないが去《さ》らうともしないで居《ゐ》る。卯平《うへい》は屹度《きつと》ガラス戸《ど》を立《たて》て店臺《みせだい》から自分《じぶん》で菓子《くわし》をとつてやる。それでも與吉《よきち》は菓子《くわし》を噛《か》ぢりながら側《そば》へは寄《よ》らうともしなかつた。 「與吉《よきち》らたえしたもんだな、始終《とほして》もらつてな」店《みせ》の女房《にようばう》がいふのを聞《き》くのは與吉《よきち》よりも寧《むし》ろ卯平《うへい》が心《こゝろ》に滿足《まんぞく》を感《かん》ずるのであつた。然《しか》し與吉《よきち》は恁《か》うして段々《だん/\》卯平《うへい》に近《ちか》づいて學校《がくかう》から歸《かへ》つたといつては 「爺《ぢい》」といつて戸口《とぐち》に立《た》つやうに成《な》つた。遂《つひ》には彼《かれ》は 「爺《ぢい》くんねえか」と上《あが》り框《がまち》に胸《むね》を持《も》たせて、ばた/\と下駄《げた》で土間《どま》を叩《たゝ》きながら卯平《うへい》に錢《ぜに》を請《こ》ふやうに成《な》つた。それでも彼《かれ》は錢《ぜに》とは明白地《あからさま》にはいはない。 「汝《わ》りや、何《なに》くろつちんでえ」むつゝりした卯平《うへい》が態《わざ》とかう聞《き》くと 「呉《く》んねえか、買《か》あんだから」與吉《よきち》は又《また》ぼんやりと然《しか》も熱心《ねつしん》に要求《えうきう》する。其《その》態度《たいど》を卯平《うへい》は只《たゞ》快《こゝろ》よく思《おも》ふのであつた。  與吉《よきち》が懷《なづ》くまでには日數《ひかず》が經《た》つた。卯平《うへい》は勘次《かんじ》との間《あひだ》は豫期《よき》して居《ゐ》た如《ごと》く冷《ひやゝ》がではあつたが、丁度《ちやうど》落付《おちつ》かない藁屑《わらくづ》を足《あし》で掻《か》つ拂《ぱ》いては鷄《にはとり》が到頭《たうとう》其《そ》の巣《す》を作《つく》るやうに、彼《かれ》は互《たがひ》にこそつぱい勘次《かんじ》の側《そば》に幾分《いくぶん》づゝでも身《み》も心《こゝろ》も落付《おちつけ》ねばならなく餘儀《よぎ》なくされた。さうして彼《かれ》は自分《じぶん》の定《さだ》まつた家《いへ》其《そ》の物《もの》は假令《たとひ》どうであらうとも、心《こゝろ》の一|部《ぶ》には遠慮《ゑんりよ》から離《はな》れた餘裕《よゆう》が生《しやう》じて來《き》て彼《かれ》は僅《わづか》に五六|日《にち》と思《おも》ふ内《うち》に卅|日《にち》以上《いじやう》を經過《けいくわ》して畢《しま》つたのであつた。其《そ》の間《あひだ》彼《かれ》は只《たゞ》の一|度《ど》でも軟《やはら》かな飯《めし》を快《こゝろ》よく嚥《の》み下《くだ》したことがない、勞働者《らうどうしや》の多《おほ》く貪《むさぼ》らねばならぬ強健《きやうけん》なる胃《ゐ》は到底《たうてい》軟《やはらか》な物《もの》に堪《た》へ得《う》る處《ところ》ではない。齒《は》に硬《こは》く感《かん》ずる物《もの》でなければ食事《しよくじ》から食事《しよくじ》までの間《あひだ》を保《たも》ち能《あた》はぬ程《ほど》忽《たちま》ちに空腹《くうふく》を感《かん》じて畢《しま》ふからである。隨《したが》つて孰《いづ》れの家庭《かてい》に在《あ》つても老者《らうしや》と壯者《さうしや》との間《あひだ》には此《こ》の點《てん》の調和《てうわ》が難事《なんじ》である。然《しか》し卯平《うへい》は老衰《らうすゐ》の身《み》を漸《やうや》くのことで投《な》げ掛《か》けた心《こゝろ》の底《そこ》に蟠《わだかま》つた遠慮《ゑんりよ》と性來《せいらい》の寡言《むくち》とで、自分《じぶん》から要求《えうきう》することは寸毫《すんがう》もなかつた。彼《かれ》は只《たゞ》空腹《くうふく》を凌《しの》ぐ爲《ため》に日毎《ひごと》に不味《まづ》い口《くち》を強《し》ひて動《うご》かしつゝあるのである。疎惡《そあく》な食料《しよくれう》は少時《せうじ》からおつぎの目《め》にも口《くち》にも熟《じゆく》して居《ゐ》るので、其處《そこ》には何《なん》の心《こゝろ》も附《つ》かなかつた。不味相《まづさう》な容子《ようす》をして箸《はし》を執《と》るのは卯平《うへい》が凡《すべ》ての場合《ばあひ》を通《つう》じての状態《じやうたい》なので、おつぎの目《め》には格別《かくべつ》の注意《ちうい》を起《おこ》さしむべき動機《どうき》が一《ひと》つも捉《とら》へられなかつた。恁《か》うしておつぎは卯平《うへい》に向《むか》つて彼《かれ》が幾分《いくぶん》づゝでも餘計《よけい》に滿足《まんぞく》し得《う》る程度《ていど》にまで心《こゝろ》を竭《つく》すことが、善意《ぜんい》を以《もつ》てしても寧《むし》ろ冷淡《れいたん》であるが如《ごと》く見《み》えねばならなかつた。然《しか》し卯平《うへい》は決《けつ》して衷心《ちうしん》からおつぎを憎《にく》まなかつた。卯平《うへい》は時々《とき/″\》外《そと》へ出《で》ては豆腐《とうふ》を喫《きつ》して自分《じぶん》の膳《ぜん》の箸《はし》を執《と》らぬことはあるのであつたが、それでも勘次《かんじ》は三|人《にん》のみが家族《かぞく》であつた時《とき》よりも※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、254-8]物《こくもつ》の減少《げんせう》する量《りやう》が殖《ふ》えて來《き》たことを忽《たちま》ちに目《め》に止《と》めた。何《ど》れ程《ほど》大《おほ》きな身體《からだ》でも卯平《うへい》は八十に近《ちか》い老衰者《らうすゐしや》である。一日《いちにち》の食料《しよくれう》がどれ程《ほど》要《い》るかそれは知《し》れたものである。それでも勘次《かんじ》は從來《これまで》よりも餘計《よけい》に費《つひ》やさねばならぬ※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、254-10]物《こくもつ》に就《つ》いて彼《かれ》の淺猿《さも》しい心《こゝろ》が到底《たうてい》騷《さわ》がされねばならなかつた。勘次《かんじ》は卯平《うへい》の居《ゐ》ぬ時《とき》にはそれとはなく獨《ひと》りぶつ/\と呟《つぶや》くことがあつた。與吉《よきち》はそれを聞《き》いて居《ゐ》た。彼《かれ》は、火鉢《ひばち》の前《まへ》に凝然《ぢつ》として居《ゐ》ては座敷《ざしき》へ上《あが》る鷄《にはとり》をしい/\と逐《お》ひつつむつゝりとして居《ゐ》る卯平《うへい》に小《ちひ》さな銅貨《どうくわ》を貰《もら》つては、それを口《くち》へ入《い》れたり座敷《ざしき》へ落《おと》したりしながら卯平《うへい》へ種々《いろ/\》なことを饒舌《しやべ》つて聞《き》かせた。 「爺《ぢい》」と喚《よ》び掛《か》けて彼《かれ》は或《あ》る日《ひ》斯《か》ういつた。 「爺《ぢい》來《き》てから米《こめ》しつかり減《へ》つてしやうねえつて云《ゆ》つたぞう」 「うむ」卯平《うへい》は口《くち》に銜《くは》へた煙管《きせる》を徐《おもむ》ろに手《て》に取《と》つて 「おとつゝあでもあんべ」卯平《うへい》はげつそりといつた。 「おとつゝあ、何遍《なんべん》も云《ゆ》つたんだわ」卯平《うへい》は又《また》煙管《きせる》を噛《か》んで手《て》が少《すこ》し顫《ふる》へた。 「云《ゆ》はざらに」と卯平《うへい》は凝然《ぢつ》と目《め》を蹙《しか》めつゝ少《すこ》し壤《こは》れた壁《かべ》の一|方《ぱう》を睨《ね》めつゝいつた。  霜解《しもどけ》の庭《には》を掻《か》き立《た》てゝ居《ゐ》た鷄《とり》がくるりと指《ゆび》を捲《ま》いては足《あし》を擧《あ》げて驚《おどろ》いた樣《やう》に周圍《あたり》を見《み》て、又《また》足《あし》を踏《ふ》みつけ/\のつそり歩《ある》いて戸口《とぐち》の閾《しきゐ》へ暫《しばら》く乘《の》つてずつと延《の》ばした首《くび》を少《すこ》し傾《かたむ》けて卯平《うへい》を見《み》てついと座敷《ざしき》へ立《た》つた。卯平《うへい》はいきなり煙管《きせる》を叩《たゝ》きつけた。鷄《とり》は慌《あわ》てゝ座敷《ざしき》の筵《むしろ》へ泥《どろ》を落《おと》して閾《しきゐ》の外《そと》に脚《あし》を突《つ》き出《だ》した儘《まゝ》暫《しばら》く轉《ころ》がつて居《ゐ》たが、遂《つひ》には蹌跟《よろ》け/\鳴《な》き騷《さわ》ぎつゝ遠《とほ》く遁《にげ》た。白《しろ》い毛《け》が拔《ぬ》けて其處《そこ》ら中《ぢう》に夥《おびたゞ》しく散亂《さんらん》した。煙管《きせる》は鷄《とり》から更《さら》に強《つよ》く戸口《とぐち》の閾《しきゐ》を打《う》つて庭《には》の土《つち》に止《とま》つた。 「爺《ぢい》とつてやんべか」暫《しばら》くして與吉《よきち》は卯平《うへい》の顏《かほ》を覗《のぞ》くやうにしていつた。 「よこせ」卯平《うへい》は暫《しばら》く經《た》つてからむつゝりとして舌《した》を鳴《な》らしながらいつた。 「さあ」與吉《よきち》の出《だ》した煙管《きせる》を卯平《うへい》は拭《ふ》きもせずに口《くち》へ銜《くは》へた。暫《しばら》くしてから卯平《うへい》は苦《にが》い顏《かほ》をしてぢより/\とこそつぱい口《くち》の泥《どろ》をぴよつと吐《は》き出《だ》してそれから口《くち》を衣物《きもの》でこすつた。彼《かれ》は又《また》煙草《たばこ》を吸《す》ひつけようとしては羅宇《らう》に罅《ひゞ》が入《い》つたのを知《し》つた。彼《かれ》はくた/\に成《な》つた紙《かみ》を袂《たもと》から探《さぐ》り出《だ》してそれを睡《つば》で濡《ぬ》らして極《きは》めて面倒《めんだう》にぐる/\と其《そ》の罅《ひゞ》を捲《ま》いた。卯平《うへい》はそれからふいと出《で》て夜《よる》まで歸《かへ》らなかつた。勘次《かんじ》は鷄《とり》の拔毛《ぬけげ》を見《み》て鼬《いたち》が出《で》たのではないかといふ懸念《けねん》を懷《いだ》いて其處《そこ》ら中《ぢう》を隈《くま》なく見《み》た。鷄《とり》は他《ほか》の鷄《とり》が悉《こと/″\》く塒《とや》に就《つ》いても歸《かへ》らなかつた。鼬《いたち》は一|羽《は》殺《ころ》せば必《かなら》ず復《また》他《ほか》を襲《おそ》ふので勘次《かんじ》は少《すくな》からず其《そ》の心《こゝろ》を騷《さわ》がしたのであつた。 「爺《ぢい》打《ぶ》つとばしたんだわ」與吉《よきち》は勘次《かんじ》へいつた。 「どうしてだ」勘次《かんじ》は驚《おどろ》いた眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つて慌《あわ》てゝ聞《き》いた。 「座敷《ざしき》へ上《あが》つたら煙管《きせる》打《ぶ》つゝけたんだ。そんで俺《お》れ煙管《きせる》とつてやつたんだ」勘次《かんじ》は餌料《ゑさ》を撒《ま》いて鷄《とり》を聚《あつ》めて見《み》た。一|旦《たん》塒《とや》に就《つ》いた鷄《とり》が餌料《ゑさ》を見《み》てはみんな籃《かご》からばさ/\と飛《と》びおりてこツこツと鳴《な》きながら爪《つめ》で掻《か》つ拂《ぱ》き/\爭《あらそ》うて啄《つゝ》いた。勘次《かんじ》は遂《つひ》に鷄《とり》の數《かず》の不足《ふそく》して居《ゐ》ることを確《たしか》めざるを得《え》なかつた。卯平《うへい》は例《れい》の如《ごと》く豆腐《とうふ》でコツプ酒《ざけ》を傾《かたむ》けて來《き》て晩餐《ばんさん》を欲《ほつ》しなかつた。彼《かれ》の皺《しわ》深《ふか》く刻《きざ》んだ頬《ほゝ》にほんのりと赤味《あかみ》を帶《お》びて居《ゐ》た。彼《かれ》は火鉢《ひばち》の前《まへ》に胡坐《あぐら》を掻《か》いた儘《まゝ》一|言《ごん》もいはない。おつぎが甘《あま》えた舌《した》でいつても返辭《へんじ》もしなかつた。勘次《かんじ》も卯平《うへい》の側《そば》を退去《すさ》つて只《たゞ》恐《おそ》ろしく僻《ひが》んだ容子《ようす》をして居《ゐ》た。おつぎも遂《つひ》にいはなかつた。與吉《よきち》は只《たゞ》ぐつすりと眠《ねむ》つて居《ゐ》た。  驚怖《きやうふ》の餘《あま》り物陰《ものかげ》に凝然《ぢつ》と潜伏《せんぷく》して居《ゐ》た鷄《とり》は次《つぎ》の朝《あさ》漸《やうや》く他《た》の鷄《とり》の群《むれ》に交《まじ》つて歩《ある》いたけれど幾《いく》らかまだ跛足《びつこ》曳《ひ》いて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は態《わざ》と卯平《うへい》へ見《み》せつける樣《やう》に其《そ》の夜《よ》塒《とや》に就《つ》いた時《とき》其《そ》の鷄《とり》を籠《かご》に伏《ふ》せて、戸口《とぐち》の庭葢《にはぶた》の上《うへ》に三|日《か》も四|日《か》も置《お》いたのであつた。卯平《うへい》は捲《ま》きつけた紙《かみ》へ煙脂《やに》の浸《し》みた煙管《きせる》をぢう/\と鳴《な》らしながら難《むづ》かしい顏《かほ》が暫《しばら》く解《と》けなかつた。  卯平《うへい》は清潔好《きれいずき》なのでむつゝりとしながら獨《ひとり》で居《ゐ》る時《とき》には草箒《くさばうき》で土間《どま》の軒《のき》の下《した》を掃《は》いては鷄《とり》が足《あし》の爪《つめ》で掻《か》き亂《みだ》した庭葢《にはぶた》の周圍《あたり》をも掃《は》きつけて置《お》いた。彼《かれ》は座敷《ざしき》の内《うち》も掃除《さうぢ》をして毎朝《まいあさ》蒲團《ふとん》を整然《ちやん》と始末《しまつ》する樣《やう》に寡言《むくち》な口《くち》からおつぎに吩咐《いひつ》けた。清潔《きれい》に成《な》ることは勘次《かんじ》も惡《わる》いことには思《おも》はなかつたが、幾《いく》らもない家財道具《かざいだうぐ》へ少《すこ》しでも手《て》を掛《か》けられるのが懷《ふところ》でも探《さぐ》られる樣《やう》に勘次《かんじ》には何《なん》となく不安《ふあん》の念《ねん》が起《おこ》されるのであつた。勘次《かんじ》の目《め》には卯平《うへい》が能《よ》く村落《むら》の店《みせ》に行《ゆ》くのは贅澤《ぜいたく》な老人《としより》である樣《やう》に僻《ひが》んで見《み》える廉《かど》もあつた。只《たゞ》さうして居《ゐ》る間《うち》に舊暦《きうれき》の年末《ねんまつ》が近《ちか》づいて何處《どこ》の家《うち》でも小麥《こむぎ》や蕎麥《そば》の粉《こ》を挽《ひ》いた。  卯平《うへい》は時々《とき/″\》は東隣《ひがしとなり》の門《もん》をも潜《くゞ》つた。主人夫婦《しゆじんふうふ》は丈夫《ぢやうぶ》だといつても窶《やつ》れた卯平《うへい》を見《み》ると憐《あは》れになつて 「身體《からだ》はどうしたえ」と能《よ》く聞《き》いた。 「えゝ、今分《いまぶん》ぢや、さうだに惡《わ》りいつちこともねえが」と卯平《うへい》はいつも煮《に》え切《き》らぬいひ方《かた》をして、其《そ》れを聞《き》かれることを有繋《さすが》に心《こゝろ》の内《うち》に悦《よろこ》んで窪《くぼ》んだ目《め》を蹙《しか》める樣《やう》にした。 「それでも勘次《かんじ》は能《よ》くするかえ」内儀《かみ》さんが聞《き》けば 「ありや、はあ、以前《めえかた》つからあゝゆんだから」卯平《うへい》はぶすりといふのである。 「おつぎはどうだえ」 「ありやあそれ、勘次《かんじ》たあ違《ちが》あから、何《なん》ちつても有繋《まさか》赤《あか》ん坊《ばう》ん時《とき》つからのがだから」 「節挽《せちびき》はたんとした容子《ようす》かえそれでも」 「えゝ、おつうこと連《つ》れてつて、南《みなみ》で挽《ひ》くなあ挽《ひ》いたやうだが、桶《をけ》さ入《せ》えた儘《まゝ》で蓋《ふた》したつ切《きり》藏《しま》つて置《お》くから、わしやどのつ位《くれえ》あるもんだか見《み》もしねえが」 「勘次《かんじ》は軟《やはら》かい物《もの》でも少《すこ》しは拵《こしら》えてくれるかね」 「えゝ、毎日《まいんち》同士《どうし》にたべちや居《ゐ》んだがなあに齒《は》せえ丈夫《ぢやうぶ》なら粗剛《こうえ》つたつて管《かま》やしねえが」 「それぢや蕎麥粉《そばこ》でも少《すこ》し遣《や》らうかね蕎麥掻《そばがき》でも拵《こしら》へてたべた方《はう》が善《い》いよ、蕎麥《そば》に打《う》つちや冷《ひ》えるが蕎麥掻《そばがき》は暖《あつた》まるといふからね」内儀《かみ》さんは木綿《もめん》で作《つく》つた袋《ふくろ》へ蕎麥粉《そばこ》を二|升《しやう》ばかり入《い》れて 「勘次《かんじ》も泣《な》きだから、それでも今《いま》に生計《くらし》もだん/\善《よ》くなんだらうから、さうすりや惡《わる》くばかりもすまいよ、どうも昔《むかし》から合性《あひしやう》が惡《わる》いんだからね、まあ年齡《とし》とつたら仕方《しかた》がないから我慢《がまん》して居《ゐ》るんだよ、餘《あんま》り酷《ひど》けりや他人《ひと》が共々《とも/″\》見《み》ちや居《ゐ》ないから、それだが勘次《かんじ》も有繋《まさか》それ程《ほど》でもないんだらうしね」内儀《かみ》さんは慰《なぐさ》めていつた。卯平《うへい》は蕎麥粉《そばこ》を大事《だいじ》にして、勘次《かんじ》が開墾《かいこん》に出《で》た後《あと》で藥罐《やくわん》の湯《ゆ》を沸《わか》しては蕎麥掻《そばがき》を拵《こしら》へてたべた。其《そ》の頃《ころ》は彼《かれ》の提《さ》げて來《き》た二|罎《びん》の醤油《しやうゆ》はもう無《な》くなつて居《ゐ》た。彼《かれ》は其《そ》の減《へ》つて行《ゆ》くのを更《さら》に惜《おし》いとは思《おも》はなかつたが、然《しか》し彼《かれ》は自分《じぶん》が居《ゐ》る内《うち》は容易《ようい》に罎《びん》の分量《ぶんりやう》が減《へ》らないのに、一|日《にち》餘處《よそ》へ行《い》つて居《ゐ》た日《ひ》は滅切《めつきり》と少《すくな》くなつて居《ゐ》るのを或《ある》時《とき》ふと發見《はつけん》して少《すこ》し不快《ふくわい》に且《かつ》變《へん》に思《おも》ひつゝあつた。繩《なは》で括《くゝ》つた別《べつ》の罎《びん》の底《そこ》の方《はう》に醤油《しやうゆ》が少《すこ》しあつた。卯平《うへい》はそれでも其《そ》れを見《み》つけて漸《やうや》く蕎麥掻《そばがき》の味《あぢ》を補《おぎな》つた。罎《びん》の底《そこ》になつた醤油《しやうゆ》は一|番《ばん》の醤油粕《しやうゆかす》で造《つく》り込《こ》んだ安物《やすもの》で、鹽《しほ》の辛《から》い味《あぢ》が舌《した》を刺戟《しげき》するばかりでなく、苦味《にがみ》さへ加《くは》はつて居《ゐ》る。彼等《かれら》は平生《へいぜい》さういふ醤油《しやうゆ》でも滅多《めつた》に用《もち》ゐないので多量《たりやう》に求《もと》める時《とき》でも十|錢《せん》を越《こ》えないのである。以前《いぜん》の卯平《うへい》であればさういふ味《あぢ》が普通《ふつう》で且《かつ》佳味《うま》く感《かん》ずる筈《はず》なのであるが、數年來《すうねんらい》佳味《うま》い醤油《しやうゆ》を惜氣《をしげ》もなく使用《しよう》して來《き》た口《くち》には恐《おそ》ろしい不味《まづ》さを感《かん》ぜずには居《ゐ》られなかつた。それでも蕎麥掻《そばがき》は身體《からだ》が暖《あたゝ》まる樣《やう》で快《こゝろよ》かつた。彼《かれ》はたべた後《あと》の茶碗《ちやわん》へ沸《たぎ》つた湯《ゆ》を注《つ》いで箸《はし》で茶碗《ちやわん》の内側《うちがは》を落《おと》して其《そ》の儘《まゝ》棚《たな》へ置《お》いた。さうしては彼《かれ》は毎日《まいにち》の仕事《しごと》のやうに外《そと》へ出《で》た。勘次《かんじ》は一|日《にち》の仕事《しごと》を畢《を》へて歸《かへ》つて來《き》ては目敏《めざと》く卯平《うへい》の茶碗《ちやわん》を見《み》て不審《ふしん》に思《おも》つて桶《をけ》の蓋《ふた》をとつて見《み》た。遂《つひ》に彼《かれ》は卯平《うへい》の袋《ふくろ》を發見《はつけん》した。 「おつう、汝《われ》此《こ》の蕎麥《そば》つ粉《こな》出《だ》して遣《や》つたのか」勘次《かんじ》はおつぎに聞《き》いた。 「俺《お》ら出《だ》すめえな」おつぎは何《なに》も解《かい》せぬ容子《ようす》でいつた。 「蕎麥《そば》ツ掻《かき》なんぞにしたつて詰《つま》りやしねえ、碌《ろく》に有《あ》りもしねえ粉《こな》だ」彼《かれ》は呟《つぶや》いた。それから彼《かれ》は又《また》 「此《こ》れも、はあ、有《あ》りやしねえ」醤油《しやうゆ》の罎《びん》を透《すか》して其《それ》から振《ふ》つて見《み》ていつた。 「おとつゝあ、それにやねえのがんだぞ」おつぎは打《う》ち消《け》した。 「えゝから、此《こ》れつ切《きり》ぢやきかねえのがんだから」勘次《かんじ》はおつぎを呶鳴《どな》りつけた。彼《かれ》は更《さら》に袋《ふくろ》の蕎麥粉《そばこ》を桶《をけ》へ明《あ》けて畢《しま》つて猶《なほ》ぶつ/\して居《ゐ》た。手《て》ランプが薄闇《うすぐら》く點《とも》された時《とき》卯平《うへい》はのつそり歸《かへ》つて來《き》た。彼《かれ》は膳《ぜん》に向《むか》はうともしないが火鉢《ひばち》の前《まへ》にどさりと坐《すわ》つた儘《まゝ》、例《れい》の蟠《わだかま》りの有相《ありさう》な容子《ようす》をしては右手《うしゆ》の人《ひと》さし指《ゆび》を掛《か》けてぎつと握《にぎ》つた煙管《きせる》を横《よこ》に噛《か》んで居《ゐ》た。 「おつう、汝《われ》まつと此處《ここ》さ火《ひい》とつてくんねえか」卯平《うへい》はそれだけいつて依然《いぜん》として火《ひ》もない煙管《きせる》を噛《か》んだ。おつぎは麁朶《そだ》を折《を》つて藥罐《やくわん》の下《した》を燃《も》やしてやつた。藥罐《やくわん》が鳴《な》り出《だ》した時《とき》卯平《うへい》は懶《ものう》さ相《さう》な身體《からだ》をゆつさりと起《おこ》して其處《そこ》らを頻《しき》りに探《さが》しはじめた。 「何《なん》でえ爺《ぢい》」おつぎは直《すぐ》に聞《き》いた。 「うむ、袋《ふくろ》よ」卯平《うへい》は極《きは》めて簡單《かんたん》にいつた。 「此《こ》れだんべ爺《ぢい》、蕎麥《そば》つ粉《こな》へえつてたのな、俺《お》らどうしたんだか知《し》んねえから桶《をけ》ん中《なか》さ明《あ》けて置《お》いたつきや、そんぢや爺《ぢい》がんだつけなあそら、どうして袋《ふくろ》さなんぞ入《せ》えてたんでえ爺《ぢい》は」おつぎは事《こと》もなげにいつた。 「蕎麥《そば》ツ掻《かき》でもしたらよかつぺつてお内儀《かみ》さん出《だ》したつけのよ」卯平《うへい》は舊《もと》の位置《ゐち》に坐《すわ》つていつた。 「さうかあ、そんぢや惡《わる》かつたつけな爺《ぢい》そんぢや俺《お》れ今《いま》入《せ》えてやつかんなよ」おつぎは勘次《かんじ》が寢《ね》る壁際《かべぎは》の桶《をけ》から先刻《さつき》のよりは遙《はる》かに多量《たりやう》を袋《ふくろ》へ入《い》れてやつた。さうしておつぎは勘次《かんじ》を尻目《しりめ》で見《み》た。卯平《うへい》は復《ま》た蕎麥掻《そばがき》を拵《こしら》へた。 「俺《お》れ注《つ》いでやつべか爺《ぢい》」火鉢《ひばち》の側《そば》に居《ゐ》た與吉《よきち》は藥罐《やくわん》へ手《て》を掛《か》けた。卯平《うへい》は與吉《よきち》のするが儘《まゝ》に任《まか》せた。卯平《うへい》は比較的《ひかくてき》悠長《いうちやう》に茶碗《ちやわん》を箸《はし》で掻《か》き交《ま》ぜた。 「出來《でき》たかあ」與吉《よきち》は卯平《うへい》の腕《うで》へ小《ちひ》さな手《て》を掛《か》けて覗《のぞ》く樣《やう》にしていつた。 「よき、何《なん》でえ汝《わ》りや、お飯《まんま》くつたばかしで」おつぎは與吉《よきち》を叱《しか》つた。 「汝《われ》も喰《く》へ」卯平《うへい》は蕎麥掻《そばがき》を分《わ》けてやつた。彼《かれ》はさうして更《さら》に後《あと》の一|杯《ぱい》を喫《きつ》して其《その》茶碗《ちやわん》へ湯《ゆ》を汲《く》んで飮《の》んだ。藥罐《やくわん》は輕《かる》くなつた。勘次《かんじ》は冷《つめ》たい手《て》を火《ひ》にも翳《かざ》さないで殊更《ことさら》に遠《とほ》く卯平《うへい》の側《そば》を離《はな》れて蹙《しか》めた酷《ひど》い顏《かほ》に恐怖《きようふ》の相《さう》を表《あら》はして唯《たゞ》凝然《ぢつ》と默《だま》つて居《ゐ》た。冷《つめ》たい三|人《にん》は夜《よる》の温度《をんど》のしん/\と降下《かうか》しつゝあるのを感《かん》じた。          一八  卯平《うへい》は久振《ひさしぶり》で故郷《こきやう》に歳《とし》を迎《むか》へた。彼等《かれら》の家《いへ》の門松《かどまつ》は只《たゞ》短《みじか》い松《まつ》の枝《えだ》と竹《たけ》の枝《えだ》とを小《ちひ》さな杙《くひ》に縛《しば》り付《つ》けて垣根《かきね》の入口《いりくち》に立《た》てたのみである。神棚《かみだな》へは藁《わら》で太《ふと》く綯《な》つた蝦《えび》の形《かたち》を横《よこ》に飾《かざ》つて其處《そこ》にも松《まつ》の短《みじか》い枝《えだ》をつけた。藁《わら》の蝦《えび》は卯平《うへい》が造《つく》つた。彼《かれ》はむつゝりとしながらも軟《やはら》かに藁《わら》を打《う》つて熱心《ねつしん》に手《て》を動《うご》かした。それで歳男《としをとこ》の役《やく》で飾《かざり》は勘次《かんじ》にさせた。煤《すゝ》け切《き》つた棚《たな》に新《あたら》しい藁《わら》の蝦《えび》が活々《いき/\》として見《み》えた。  三ヶ|日《にち》は與吉《よきち》も穢《きたな》い衣物《きもの》を棄《す》てゝ、おつぎも近所《きんじよ》で髮《かみ》を結《ゆ》うて炊事《すゐじ》の時《とき》でも餘所行《よそゆき》の半纏《はんてん》に襷《たすき》を掛《か》けて働《はたら》いた。勘次《かんじ》は三ヶ|日《にち》さへ全然《まる/\》安佚《あんいつ》を貪《むさぼ》つては居《ゐ》なかつた。彼《かれ》は唐鍬《たうぐは》を擔《かつ》いで必《かなら》ず開墾地《かいこんち》へ出《で》たのである。彼《かれ》は次第《しだい》に懷《ふところ》の工合《ぐあひ》が善《よ》く成《な》り掛《か》けたので、今《いま》では其《そ》の勢《いきほ》ひづいた唐鍬《たうぐは》の一|打《うち》は一|打《うち》と自分《じぶん》の蓄《たくは》へを積《つ》んで行《ゆ》く理由《わけ》なので、彼《かれ》は餘念《よねん》もなく極《きは》めて愉快《ゆくわい》に仕事《しごと》に從《したが》つて居《ゐ》るやうに成《な》つたのである。歳《とし》の首《はじめ》といふので有繋《さすが》に彼《かれ》の家《いへ》でも相當《さうたう》に餅《もち》や饂飩《うどん》や蕎麥《そば》が其《そ》の日《ひ》/\の例《れい》に依《よつ》て供《そな》へられた。軟《やはら》かな餅《もち》が卯平《うへい》の齒齦《はぐき》には一|番《ばん》適當《てきたう》して居《ゐ》た。殊《こと》に陸稻《をかぼ》の餅《もち》は足《あし》が弱《よわ》いので、少《すこ》し煮《に》れば直《す》ぐくた/\に溶《と》けようとする。卯平《うへい》には却《かへつ》てそれが善《よ》いので、彼《かれ》はさうして呉《く》れるおつぎを何處《どこ》までも嬉《うれ》しく思《おも》つた。彼《かれ》は只《たゞ》一つでも善《い》いから始終《しじゆう》汁《しる》の中《なか》で必《かなら》ずくつ/\と煮《に》て欲《ほ》しかつた。然《しか》しそれは一同《みんな》で祝《いは》ふ時《とき》のみで、それさへ卯平《うへい》が只獨《ただひとり》ゆつくりと味《あぢは》ふには焙烙《はうろく》に乘《の》せる分量《ぶんりやう》が餘《あま》りに足《た》らなかつた。餅《もち》は四|角《かく》に庖丁《はうちやう》を入《い》れると直《す》ぐに勘次《かんじ》は自分《じぶん》の枕元《まくらもと》の桶《をけ》へ藏《しま》つて無斷《むだん》にはおつぎにさへ出《だ》すことを許容《ゆる》さないのであつた。勘次《かんじ》は假令《たとひ》什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》ことがあつても面《まのあた》り卯平《うへい》に向《むか》つて一|言《ごん》でも呟《つぶや》いたことがないのみでなく、只管《ひたすら》或《ある》物《もの》を隱蔽《いんぺい》しようとするやうな恐怖《きようふ》の状態《じやうたい》を現《あらは》して居《ゐ》ながら、陰《かげ》では爪《つめ》の垢《あか》程《ほど》のことを目《め》に止《とめ》て獨《ひとり》でぶつ/\として居《ゐ》た。勘次《かんじ》は只《たゞ》一|度《ど》おつぎが自分《じぶん》の留守《るす》に卯平《うへい》の爲《ため》に其《そ》の餅《もち》の僅《わづか》を燒《や》いてやつたのをすら發見《はつけん》しておつぎを叱《しか》つた。 「そんだつておとつゝあは、よき欲《ほ》しいつちから出《だ》して俺《お》れと燒《や》いたんだあ、食《く》へたくなつちやしやうあんめえな」おつぎは甘《あま》えた舌《した》で言辭《ことば》は荒《あら》く勘次《かんじ》を窘《たしな》めた。勘次《かんじ》は其《そ》の以上《いじやう》を越《こ》して再《ふたゝ》びおつぎを叱《しか》ることは能《よ》くしなかつた。僅《わづか》な餅《もち》はさういふことで幾《いく》らも減《へ》らないのに時間《じかん》が經《た》つて、寒冷《かんれい》な空氣《くうき》の爲《ため》に陸稻《をかぼ》の特色《とくしよく》を現《あらは》して切口《きりくち》から忽《たちま》ちに罅割《ひゞわ》れになつて堅《かた》く乾燥《かんそう》した。だん/\燒《や》いて膨《ふく》れても外側《そとがは》は齒齦《はぐき》を痛《いた》める程《ほど》硬《こは》ばつて來《き》た。卯平《うへい》は其《そ》の一つさへ滿足《まんぞく》に嚥《の》み下《くだ》さうとするには寧《むし》ろ粗剛《こは》いぼろ/\な飯《めし》よりも容易《ようい》でなかつた。さうなつてからは勘次《かんじ》は竭《つ》きるまで能《よ》く燒《や》いた。卯平《うへい》はむつゝりとして額《ひたひ》に深《ふか》く刻《きざ》んだ大《おほ》きな皺《しわ》を六《むづ》ヶ|敷相《しさう》に動《うご》かしては堅《かた》い餅《もち》を舐《しやぶ》つた。卯平《うへい》の膳《ぜん》には冷《つめ》たく成《な》つた餅《もち》が屹度《きつと》残《のこ》された。腹《はら》を減《へ》らして學校《がくかう》から歸《かへ》つて來《く》る與吉《よきち》が何時《いつ》でもそれを噛《かじ》るのであつた。  勘次《かんじ》は又《また》蕎麥《そば》を打《う》つたことがあつた。彼《かれ》は黄蜀葵《ねり》の粉《こ》を繼《つな》ぎにして打《う》つた。彼《かれ》は又《また》おつぎへ注意《ちうい》をして能《よ》くは茹《う》でさせなかつた。手桶《てをけ》の冷《つめ》たい水《みづ》で曝《さら》した蕎麥《そば》は杉箸《すぎはし》のやうに太《ふと》いのに、黄蜀葵《ねり》の特色《とくしよく》の硬《こは》さと滑《なめ》らかさとで椀《わん》から跳《をど》り出《だ》し相《さう》に成《な》るのであつた。黄蜀葵《ねり》は能《よ》く畑《はたけ》の周圍《まはり》に作《つく》られて短《みじか》い莖《くき》には暑《あつ》い日《ひ》に大《おほ》きな黄色《きいろ》い花《はな》を開《ひら》く。其《そ》の根《ね》を乾燥《かんさう》して粉《こ》にして入《い》れゝば蕎麥《そば》の分量《かさ》が滅切《めつきり》殖《ふ》えるといふので、滿腹《まんぷく》する程度《ていど》に於《おい》ては只管《ひたすら》食料《しよくれう》の少量《せうりやう》なることのみを望《のぞ》んで居《ゐ》る勘次《かんじ》は毎年《まいねん》作《つく》つて屹度《きつと》それを用《もち》ひつゝあつた。  卯平《うへい》の齒齦《はぐき》には蕎麥《そば》が辷《すべ》つて噛《か》めなかつた。 「爺《ぢい》がにや佳味《うま》かあんめえ、おとつゝあはまつと丁寧《ていねい》に打《ぶ》てばえゝのに疎忽敷《そゝつかしい》から」おつぎはどうかすると椀《わん》から落《お》ち相《さう》になる蕎麥《そば》を啜《すゝ》りながら卯平《うへい》の手《て》もとを見《み》ていつた。 「どうせ俺《お》らあ、佳味《うめ》えつたつてさうだに減《へ》る程《ほど》でも食《く》ふべぢやなし、管《かま》やしねえが」卯平《うへい》は皮肉《ひにく》らしい口調《くてう》でいつた。勘次《かんじ》は只《たゞ》默《だま》つてむしや/\と不味相《まづさう》に噛《か》んだ。  恁《か》うして居《ゐ》る間《あひだ》に春《はる》の彼岸《ひがん》が來《き》て日南《ひなた》の垣根《かきね》には耳菜草《みゝなぐさ》や其《その》他《た》の雜草《ざつさう》が勢《いきほひ》よく出《で》だして桑畑《くはばたけ》の畦間《うねま》には冬《ふゆ》を越《こ》した薺《なづな》が線香《せんかう》の樣《やう》な薹《たう》を擡《もた》げて、其《そ》の先《さき》に粉米《こごめ》に似《に》た花《はな》を聚《あつ》めた。そつけない杉《すぎ》の木《き》までが何處《どこ》から枝《えだ》であるやら明瞭《はつきり》とは區別《くべつ》もつかぬ樣《やう》な然《しか》も燒《や》けたかと思《おも》ふ程《ほど》赤《あか》く成《な》つて居《ゐ》る葉先《はさき》にざらりと蕾《つぼみ》が附《つ》いてこつそりと咲《さ》いて畢《しま》つた。淋《さび》しい内《うち》にも春《はる》らしい空氣《くうき》が凡《すべ》ての物《もの》を撼《うご》かした。日《ひ》はまだ南《みなみ》を低《ひく》く渡《わた》りながら暖《あたゝ》かい光《ひかり》を投《な》げる。偶《たまたま》夜《よる》の雨《あめ》が歇《や》んでふうわりと軟《やはら》かな空《そら》が蒼《あを》く割《わ》れて稍《やゝ》昇《のぼ》つた其《その》暖《あたゝ》かな日《ひ》が斜《なゝめ》に射《さ》し掛《か》けると、枯《か》れた桑畑《くはばたけ》から、青《あを》い麥畑《むぎばたけ》から、凡《すべ》てから濕《しめ》つた布《ぬの》を火《ひ》に翳《かざ》したやうに凝《こ》つた水蒸氣《すゐじようき》が見渡《みわた》す限《かぎ》り白《しろ》くほか/\と立《た》ち騰《のぼ》つて低《ひく》く一|帶《たい》に地《ち》を掩《おほ》ふことがあつた。  卯平《うへい》は村落《むら》に歸《かへ》つてから往年《むかし》の伴侶《なかま》の間《あひだ》へ再《ふたゝ》び加《くはゝ》つて念佛衆《ねんぶつしゆう》の一|人《にん》になつた。家《いへ》に在《あ》つては孫《まご》の守《もり》をしたりしてどうしても獨《ひとり》離《はな》れた樣《やう》に成《な》つて居《ゐ》る各自《てんで》が暢氣《のんき》にさうして放埓《はうらつ》なことを云《い》ひ合《あ》うて騷《さわ》ぐので念佛寮《ねんぶつれう》は只《たゞ》愉快《ゆくわい》な場所《ばしよ》であつた。彼岸《ひがん》へ掛《か》けては殊《こと》に毎日《まいにち》愉快《ゆくわい》であつた。何處《どこ》の家《うち》からもそれ相應《さうおう》に佛《ほとけ》へというて供《そな》へる馳走《ちさう》に飽《あ》いて卯平《うへい》は始《はじ》めて滿足《まんぞく》した口《くち》を拭《ぬぐ》ふことが出來《でき》たのであつた。卯平《うへい》は段々《だん/\》時候《じこう》が暖《あたゝ》かく成《な》るに連《つ》れて身體《からだ》ものんびりとして案《あん》じて居《ゐ》た病氣《びやうき》の惱《なや》みも少《すこ》しづつ薄《うす》らいだ。彼《かれ》は手《て》もとの凡《すべ》てが不自由《ふじいう》だらけな生活《せいくわつ》に還《かへ》つて來《き》たとはいふものゝ衰《おとろ》へた身體《からだ》を自分《じぶん》から毎夜《まいよ》苛《いぢ》める樣《やう》に引《ひ》き立《た》てゝ居《ゐ》る奉公《ほうこう》の務《つと》めをして居《ゐ》た當時《たうじ》と比《くら》べて、寧《むし》ろ相《あひ》反《はん》した放縱《はうじう》な日頃《ひごろ》が自然《しぜん》に精神《せいしん》にも肉體《にくたい》にも急激《にはか》な休養《きうやう》を與《あた》へたので彼《かれ》は自分《じぶん》ながら一|時《じ》はげつそりと衰《おとろ》へた樣《やう》にも思《おも》はれて、懶《ものう》さに堪《た》へぬ樣《やう》に成《な》つたがそれでも其《そ》の休養《きうやう》の爲《ため》に幾《いく》らづゝでも持病《ぢびやう》の苦《くる》しみを減《げん》じたので、さういふ理由《わけ》を知《し》らない彼《かれ》は、此《こ》の分《ぶん》では二三|年《ねん》はまだ野田《のだ》に居《ゐ》た方《はう》が増《ま》しであつたと後悔《こうくわい》の念《ねん》が湧《わ》くこともあつた。  季節《きせつ》は雨《あめ》に濕《しめ》つた土《つち》へ稀《まれ》にかつと暑《あつ》い日《ひ》の光《ひかり》が投《な》げられて、日歸《ひがへ》りの空《そら》が強健《きやうけん》な百姓《ひやくしやう》の肌膚《はだ》にさへぞく/\と空氣《くうき》の冷《ひやゝ》かさを感《かん》ぜしめて、更《さら》にじめ/\と霧《きり》のやうな雨《あめ》が斜《なゝめ》に降《ふ》り掛《か》けては軟《やはら》かに首《くび》を擡《もた》げはじめた麥《むぎ》の穗《ほ》の芒《のげ》に微細《びさい》な水球《すゐきう》を宿《やど》して白《しろ》い穗先《ほさき》を更《さら》に白《しろ》くして世間《せけん》が只《たゞ》濕《しめ》つぽく成《な》つたかと思《おも》ふと、又《また》かつと日《ひ》の光《ひかり》が射《さ》して、空洞《からり》と明《あか》るく成《な》つて畑《はたけ》にはしどろに倒《たふ》れ掛《かけ》た豌豆《ゑんどう》の花《はな》も心《こゝろ》よげに首《くび》を擡《もた》げて微笑《びせう》する。さうすると畑《はた》を包《つゝ》む遠《とほ》い近《ちか》い林《はやし》には嫩葉《わかば》の隙間《すきま》から少《すくな》い日《ひ》の光《ひかり》がまた軟《やはら》かなさうして稍《やゝ》深《ふか》い草《くさ》の上《うへ》にぽつり/\と明《あか》るく覗《のぞ》き込《こん》で、松《まつ》の木《き》からはみんみん蝉《ぜみ》の樣《やう》な松蝉《まつぜみ》の聲《こゑ》が擽《くすぐ》つたい程《ほど》人《ひと》の鼓膜《こまく》に輕《かる》く響《ひゞ》いて凡《すべ》ての心《こゝろ》を衝動《しようどう》する。卯平《うへい》も他《た》の百姓《ひやくしやう》に誘《さそ》はれたやうに只《たゞ》其《その》身《み》を凝然《ぢつ》とさせてのみは居《を》られなかつた。他人《ひと》に倍《ばい》して忙《せは》しい勘次《かんじ》がだん/\に減《へ》りつゝある俵《たわら》の内容《ないよう》を苦《く》にして酷《ひど》い目《め》をしつゝ戸口《とぐち》を出入《でいり》するのを卯平《うへい》は見《み》るのが厭《いや》で且《かつ》辛《つら》かつた。それで彼《かれ》は其處《そこ》ら此處《ここ》らと他人《たにん》の仕事《しごと》を求《もと》めて歩《ある》いたのであつた。  卯平《うへい》は見《み》るから不器用《ぶきよう》な容子《ようす》をして居《ゐ》て、恐《おそ》ろしく手先《てさき》の業《わざ》の器用《きよう》な性來《たち》であつた。それで彼《かれ》は仕事《しごと》に出《で》ると成《な》つてからは方々《はう/″\》へ傭《やと》はれて能《よ》く俵《たわら》を編《あ》んだ。麥俵《むぎだわら》もそれから堆肥《つみごえ》を入《い》れて運《はこ》ぶ肥俵《こやしだわら》も編《あ》んだ。ゆつくりと然《しか》も暇《ひま》なく手《て》を動《うご》かしては時々《とき/″\》好《すき》な煙草《たばこ》を吸《す》うて少《すこ》し口《くち》を開《あ》いた儘《まゝ》煙管《きせる》の吸口《すひくち》をこけた頬《ほゝ》に當《あて》て深《ふか》い考《かんが》へにでも惱《なや》んだ樣《やう》に只《たゞ》凝然《ぢつ》として居《ゐ》る。煙《けぶり》は口《くち》から少《すこ》しづゝ漏《も》れて鼻《はな》を傳《つた》ひて騰《あが》る。彼《かれ》は煙《けぶり》が騰《あが》る度《たび》に窪《くぼ》んだ黄色《きいろ》な目《め》を蹙《しが》めるやうにして、心《こゝろ》づいた樣《やう》に吸殼《すひがら》を手《て》の平《ひら》に吹《ふ》くのである。彼《かれ》はかうして極《きは》めて悠長《いうちやう》に手《て》を動《うご》かす樣《やう》でありながら、それでも傭《やと》はれた先《さき》で其《そ》の日《ひ》の扶持《ふち》はして貰《もら》ふので、相應《さうおう》な錢《ぜに》を獲《え》つゝあるのであつた。  卯平《うへい》は夏《なつ》になれば何處《どこ》でも忙《いそが》しい麥扱《むぎこき》や陸稻《をかぼ》の草取《くさとり》に傭《やと》はれた。彼《かれ》は自分《じぶん》の村落《むら》を離《はな》れて五|日《か》も六|日《か》も泊《とま》つて居《ゐ》て歸《かへ》らぬことがある。卯平《うへい》には先《さき》から先《さき》と歩《ある》いて居《ゐ》ることが却《かへつ》て幸《さいは》ひであつた。彼《かれ》は鬼怒川《きぬがは》の高瀬船《たかせぶね》の船頭《せんどう》の衣物《きもの》かと思《おも》ふ樣《やう》な能《よ》くも/\繼《つ》ぎだらけな、それも自分《じぶん》の手《て》で膳《つくろ》つて清潔《きれい》に洗《あら》ひ曝《ざら》した仕事衣《しごとぎ》を裾長《すそなが》に着《き》て、手拭《てぬぐひ》を被《かぶ》つて暑《あつ》い庭《には》に小麥《こむぎ》を叩《たゝ》いて居《ゐ》るのを其處《そこ》此處《ここ》に見《み》ることがある。横《よこ》に轉《ころ》がした臼《うす》を前《まへ》に据《す》ゑて小麥《こむぎ》を攫《つか》んでは穗先《ほさき》を其《そ》の臼《うす》の腹《はら》に叩《たゝ》きつけると種《たね》がぼろ/\と向《むかふ》へ落《お》ちる。のつそりとして悠長《いうちやう》な卯平《うへい》は壯時《さうじ》に熟《じゆく》して居《ゐ》た仕事《しごと》の呼吸《こきふ》で大《おほ》きな手《て》が肩《かた》から打《う》ち下《おろ》す時《とき》、まだ相當《さうたう》に捗《はか》どるのであつた。彼《かれ》は恁《か》うしてぐる/\と傭《やと》はれて歩《ある》きながら綺麗《きれい》な花《はな》が咲《さ》いて居《ゐ》るのを見《み》ると種《たね》を貰《もら》つたり根分《ねわ》けをして貰《もら》つたりして庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》の側《そば》や井戸端《ゐどばた》に近《ちか》く植《う》ゑた。  彼《かれ》は忙《いそが》しい仕事《しごと》が畢《しまひ》になつた時《とき》即《すなは》ち稻刈《いねかり》から稻扱《いねこき》からさうして籾《もみ》すりも濟《す》んで彼《かれ》が得意《とくい》の俵編《たわらあ》みもなくなつて、世間《せけん》がげつそりと寂《さび》しく沈《しづ》んだ時《とき》に彼《かれ》は急《きふ》に勘次《かんじ》と別《べつ》な住《す》まひが仕《し》たくなつた。彼《かれ》は少《すこ》しばかり餘《あま》してあつた蓄《たくは》へから蝕《むしくひ》でも何《なん》でも柱《はしら》になる木《き》やら粟幹《あはがら》やらを求《もと》めて、家《いへ》の横手《よこて》へ小《ちひ》さな二|間《けん》四|方《はう》位《ぐらゐ》な掘立小屋《ほつたてごや》を建《た》てる計畫《けいくわく》をした。彼《かれ》は寒《さむ》い西風《にしかぜ》を厭《いと》うて殆《ほとん》ど勘次《かんじ》の家《うち》と相《あひ》接《せつ》して東脇《ひがしわき》へ建《たて》ようとした。勘次《かんじ》は固《もと》より自分《じぶん》の懷《ふところ》が目《め》に見《み》えて減《へ》るのでもなし、それに就《つい》ては決《けつ》して陰《かげ》で呟《つぶや》くことはなかつた。簡單《かんたん》な普請《ふしん》には大工《だいく》が少《すこ》し鑿《のみ》を使《つか》つた丈《だけ》で其《その》他《た》は近所《きんじよ》の人々《ひと/″\》が手傳《てつだ》つたので仕事《しごと》は只《たゞ》一|日《にち》で畢《をは》つた。長《なが》い嵩張《かさば》つた粟幹《あはがら》で手薄《てうす》く葺《ふ》いた屋根《やね》は此《こ》れも職人《しよくにん》の手《て》を借《か》らなかつた。必要《ひつえう》な繩《なは》は卯平《うへい》が丈夫《ぢやうぶ》に綯《な》つて置《お》いた。それから壁《かべ》を塗《ぬ》るのには間《あひだ》を措《お》いて二三|日《にち》かゝつた。勘次《かんじ》も有繋《さすが》に勞力《らうりよく》を惜《をし》まなかつた。彼《かれ》は粟幹《あはがら》が葺《ふ》き上《あ》げられた次《つ》ぎの日《ひ》から二三|日《にち》近所《きんじよ》の馬《うま》を借《か》りて田《た》の傍《そば》の畑《はたけ》から土《つち》を運搬《つ》けた。畑《はたけ》には其《そ》の時《とき》麥《むぎ》が青《あを》く生《は》えて居《ゐ》たが、それでも持主《もちぬし》は畑《はたけ》が減《へ》るだけ田《た》の面積《めんせき》が増《ま》す理由《わけ》なのと、土《つち》の分量《ぶんりやう》も格別《かくべつ》の事《こと》でないのとで切《き》り取《と》ることを否《いな》まなかつた。庭《には》へ卸《おろ》した土《つち》にはちらり/\と青《あを》い麥《むぎ》の軟《やはら》かな葉《は》が交《まじ》つて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は夕方《ゆふがた》に成《な》つて馬《うま》を返《かへ》しながら、一|日《にち》の餌料《ゑさ》としておつぎに煮《に》させた麥《むぎ》を笊《ざる》へ入《い》れて、それから刻《きざ》んだ藁《わら》も添《そ》へてやつた。勘次《かんじ》は其《そ》の序《ついで》に餘計《よけい》な藁《わら》を切《き》つた。土《つち》は畢《しまひ》の日《ひ》の夕方《ゆふがた》に周圍《しうゐ》に土手《どて》のやうな輪《わ》を拵《こしら》へて其處《そこ》に水《みづ》を打《う》つてはぐちや/\と足《あし》で溲《こ》ねながら刻《きざ》んだ藁《わら》を撒《ま》いては踏《ふ》み込《こ》んでさうして一|晩《ばん》置《お》いた。さういふ間《あひだ》に卯平《うへい》は鉈《なた》で篠《しの》を幾《いく》つかに裂《さ》いて柱《はしら》と柱《はしら》との間《あひだ》へ壁《かべ》の下地《したぢ》に細《こま》かな格子目《かうしめ》を編《あ》んで居《ゐ》た。篠《しの》は東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》から請《こ》うて苦竹《まだけ》に交《まじ》つたのを後《うしろ》の林《はやし》から伐《き》つたのである。次《つぎ》の日《ひ》土《つち》は能《よ》く水《みづ》を引《ひ》いて居《ゐ》て程《ほど》よく溲《こ》ねられた。勘次《かんじ》はおつぎに其《そ》の泥《どろ》を盥《たらひ》へ運《はこ》ばせて置《お》いて不器用《ぶきよう》な手《て》もとで塗《ぬ》つた。卯平《うへい》は猶《なほ》も篠《しの》で編《あ》み残《のこ》した箇所《かしよ》を拵《こしら》へて居《ゐ》た。  塗《ぬ》りたての壁《かべ》は狹苦《せまくる》しい小屋《こや》の内側《うちがは》を濕《しめ》つぽく且《かつ》闇《くら》くした。壁《かべ》の土《つち》の段々《だん/\》に乾《かわ》くのが待遠《まちどほ》で卯平《うへい》は毎日《まいにち》床《ゆか》の上《うへ》の筵《むしろ》に坐《すわ》つて火《ひ》を焚《たい》た。彼《かれ》は近頃《ちかごろ》に成《な》つてから毎日《まいにち》の樣《やう》に林《はやし》を歩《ある》いては麁朶《そだ》を脊負《せお》つて來《き》て折《を》つては焚《た》き折《を》つては焚《た》きして居《ゐ》た。壁《かべ》を塗《ぬ》る時《とき》格子目《かうしめ》から内側《うちがは》へ捲《ま》くれ出《で》た泥《どろ》の一つ/\がだん/\に白《しろ》つぽく乾《かわ》いて明《あか》るく成《な》つた時《とき》勘次《かんじ》は又《また》内側《うちがは》から塗《ぬ》つて捲《まく》れて出《で》た一つ/\を一|帶《たい》に隱《かく》した。卯平《うへい》は掘立小屋《ほつたてごや》を建《た》てるとなつたら勘次《かんじ》が此《こ》れ迄《まで》になく油《あぶら》が乘《の》つた樣《やう》に威勢《ゐせい》よく仕事《しごと》をしてくれるのを何《なん》となく嬉《うれ》しく思《おも》つて見《み》たが、夫《それ》でも仕事《しごと》をしながらしみ/″\口《くち》を利《き》くのでもなければ、毎日《まいにち》膳《ぜん》を竝《なら》べると屹度《きつと》僻《ひが》んだやうな顏《かほ》をされるので、卯平《うへい》は一|日《にち》も速《はや》く別《べつ》に成《な》つて見《み》たい心《こゝろ》から更《さら》に塗《ぬ》つた壁《かべ》の爲《ため》に再《ふたゝ》び闇《くら》くなつた小屋《こや》の明《あか》るく成《な》るのが遲緩《もどか》しさに堪《た》へぬのであつた。卯平《うへい》は狹《せま》いながらにどうにか土間《どま》も拵《こしら》へて其處《そこ》へは自在鍵《じざいかぎ》を一《ひと》つ吊《つる》して蔓《つる》のある鐵瓶《てつびん》を懸《かけ》たり小鍋《こなべ》を掛《か》けたりすることが出來《でき》る樣《やう》にした。彼《かれ》は勘次《かんじ》から幾《いく》らかづゝの米《こめ》や麥《むぎ》を分《わ》けさせて別居《べつきよ》した當座《たうざ》は自分《じぶん》の手《て》で煮焚《にたき》をした。それが却《かへつ》て氣藥《きらく》でさうして少《すこ》しづゝは彼《かれ》の舌《した》に佳味《うま》く感《かん》ずる程度《ていど》の物《もの》を求《もと》めて來《く》ることが出來《でき》た。  然《しか》しさうして居《ゐ》ても寒《さむ》さが非常《ひじやう》に嚴《きび》しい時《とき》は彼《かれ》は只《たゞ》狹苦《せまくる》しい小屋《こや》の中《なか》に麁朶《そだ》を少《すこ》しづつ折《を》り燻《く》べるよりも比較的《ひかくてき》廣《ひろ》い竈《かまど》の前《まへ》で横《よこ》に轉《ころ》がした大籠《おほかご》からがさ/\と木《こ》の葉《は》を掻《か》き出《だ》してぼう/\と焔《ほのほ》を立《た》てゝ暖《あたゝ》まりたい心持《こゝろもち》がするのであつた。それで彼《かれ》は勘次《かんじ》の留守《るす》には竈《かまど》の前《まへ》で悠長《いうちやう》に木《こ》の葉《は》を焚《た》いて顏《かほ》や手足《てあし》の皮《かは》の燒《や》けた樣《やう》に赤《あか》くなるまであたつた。勘次《かんじ》は時々《とき/″\》持《も》ち込《こ》んだ麁朶《そだ》や木《こ》の葉《は》が理由《わけ》もなく減《へ》つて居《ゐ》ることを知《し》つて不快《ふくわい》な感《かん》を懷《いど》いてはこつそりと呟《つぶや》きつゝおつぎに當《あた》るのであつた。  卯平《うへい》は暫《しばら》く隱居《いんきよ》に落付《おちつ》いてからは一|錢《せん》づゝでも懷《ふところ》を拵《こし》らへねばならぬといふ決心《けつしん》から促《うなが》されて、毎日《まいにち》煙管《きせる》を横《よこ》に銜《くは》へては悠長《いうちやう》ではあるが、然《しか》も間斷《かんだん》なく繩《なは》をちより/\と綯《な》つたり、それから草鞋《わらぢ》を作《つく》つたりした。彼《かれ》は原料《げんれう》の藁《わら》を勘次《かんじ》に要求《えうきう》せずに五|錢《せん》か十|錢位《せんぐらゐ》づゝ懷錢《ふところせん》を出《だ》して能《よ》く選《すぐ》つた藁《わら》を其處《そこ》此處《こゝ》で買《か》つて、穗先《ほさき》の處《ところ》を持《もつ》ては肩《かた》から打《ぶ》つ掛《か》けてがさ/\と背負《せお》つて來《く》るのである。藁《わら》の小《ちひ》さな極《きま》つた束《たば》が一|把《は》は大抵《たいてい》一|錢《せん》づゝであつた。其《そ》の一|把《は》の藁《わら》が繩《なは》にすれば二|房半位《ばうはんぐらゐ》で、草鞋《わらぢ》にすれば五|足《そく》は仕上《しあが》るのであつた。それで彼《かれ》の一|日《にち》の仕事《しごと》は繩《なは》ならば二十|房《ばう》の大束《おほたば》が一|把《は》、草鞋《わらぢ》ならば五|足《そく》といふ處《ところ》なので、一|房《ばう》の繩《なは》が七|錢《せん》五|毛《まう》で一|足《そく》の草鞋《わらぢ》が一|錢《せん》五|厘《りん》といふ相場《さうば》だからどつちにしても一|日《にち》熱心《ねつしん》に手《て》を動《うご》かせば彼《かれ》は六七|錢《せん》の儲《まうけ》を獲《え》るのである。卯平《うへい》が求《もと》める副食物《ふくしよくもつ》は一|日《にち》僅《わづか》に二|錢《せん》もあれば十|分《ぶん》なので彼《かれ》は毎日《まいにち》藁《わら》を使《つか》つて居《を》れば四五|錢《せん》づつの剰餘《じようよ》を得《う》る理由《わけ》ではあるが、品物《しなもの》を商《あきな》ひに出《で》る日《ひ》を別《べつ》にしても氣《き》が乘《の》らないといつては朝《あさ》からごろりと轉《ころ》がつて居《ゐ》ることもあるので平均《へいきん》して見《み》ると一|日《にち》が幾《いく》らにも成《な》らないのであつた。然《しか》し其《そ》れ丈《だけ》でさへ卯平《うへい》は始終《しじう》財布《さいふ》の錢《ぜに》の出入《でいり》するのを心丈夫《こゝろぢやうぶ》に思《おも》ふのであつた。  勘次《かんじ》はむつゝりとした卯平《うへい》の戸口《とぐち》を覗《のぞ》いたこともないが、卯平《うへい》が直《すぐ》に來《き》ても來《こ》なくても飯《めし》の出來《でき》た時《とき》に喚《よ》びに行《ゆ》くのはおつぎであつた。卯平《うへい》は熱心《ねつしん》に藁仕事《わらしごと》をする時《とき》は自分《じぶん》で炊事《すゐじ》をするのは時間《じかん》が酷《ひど》く惜《を》しくも成《な》つたり、面倒《めんだう》にも成《な》つたり、唯《たゞ》獨《ひとり》のみで※[#「煢−冖」、第4水準2-79-80]然《ぽつさり》として居《ゐ》ると情《なさけ》なくもなつたりするので、平生《へいぜい》は再《ふたゝ》び一同《みんな》と一|緒《しよ》に箸《はし》を執《と》ることにしたのである。彼《かれ》はおつぎがはき/\と一言《ひとこと》でもいうて呉《く》れる毎《ごと》に其《そ》の僻《ひが》まうとする心《こゝろ》がどれ程《ほど》和《やはら》げられるか知《し》れないのである。彼《かれ》は草鞋《わらぢ》を作《つく》るとて四|筋《すぢ》の竪繩《たてなは》に軟《やはら》かな藁《わら》をうね/\と透《とほ》しては其《そ》の繩《なは》の間《あひだ》に指《ゆび》を入《い》れてぎつと前《まへ》へ引《ひ》き緊《し》める微《かす》かな運動《うんどう》の間《あひだ》にも彼《かれ》は勘次《かんじ》に對《たい》して口《くち》にも擧動《きよどう》にも出《だ》せぬ忌々敷《いま/\し》さが心《こゝろ》の底《そこ》に勃々《むか/\》と首《くび》を擡《もた》げ始《はじ》めることもあるのであつたが、おつぎの言辭《ことば》はいつでも其《そ》の火《ひ》を消《け》し止《と》める一|杯《ぱい》の水《みづ》なのであつた。おつぎはどうかすると目《め》の邊《へん》に在《あ》る雀斑《そばかす》が一|種《しゆ》の嬌態《しな》を作《つく》つて甘《あま》えたやうな口《くち》の利方《きゝかた》をするのであつた。  おつぎは勘次《かんじ》の居《ゐ》ない時《とき》は牝鷄《めんどり》が消魂《けたゝま》しく鳴《な》いて出《で》れば直《す》ぐに塒《とや》を覗《のぞ》いて暖《あたゝ》かい卵《たまご》の一《ひと》つを採《と》つて卯平《うへい》の筵《むしろ》へ轉《ころ》がしてやることもあつた。おつぎは勘次《かんじ》の敏捷《びんせふ》な目《め》を欺《あざむ》くには此《これ》だけの深《ふか》い注意《ちうい》を拂《はら》はなければならなかつた。それも稀《まれ》なことで數《かず》は必《かなら》ず一《ひと》つに限《かぎ》られて居《ゐ》た。然《しか》し卯平《うへい》は其《そ》の僅少《きんせう》な厚意《こうい》に對《たい》して窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の眼《め》を蹙《しが》める樣《やう》にして、洗《あら》ひもせぬ殼《から》の兩端《りやうはし》に小《ちひ》さな穴《あな》を穿《うが》つて啜《すゝ》るのであつた。彼《かれ》はおつぎの意中《いちう》を能《よ》く解《かい》して居《ゐ》るので其《そ》の吸殼《すひがら》は決《けつ》して目《め》につく處《ところ》へは棄《す》てないで細《こま》かに押《お》し揉《も》んで外《そと》へ出《で》る序《ついで》に他人《たにん》の垣根《かきね》の中《なか》などへ放棄《ほう》つた。それからも一つ僻《ひが》まうとする彼《かれ》の心《こゝろ》を爽《さわや》かにするのは與吉《よきち》であつた。疾《とう》から甘《あま》え切《き》つて居《ゐ》る與吉《よきち》は卯平《うへい》の戸口《とぐち》に立《た》ち塞《ふさ》がつては錢《ぜに》を請《こ》うた。狹《せま》い戸口《とぐち》は與吉《よきち》の小《ちひ》さな身體《からだ》でさへ卯平《うへい》の藁《わら》をいぢつて居《ゐ》る手《て》もとを薄闇《うすぐら》くした。卯平《うへい》は藁屑《わらくづ》と一つに投出《なげだ》してある胴亂《どうらん》から五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》を出《だ》してやるのが例《れい》であるが、與吉《よきち》は自分《じぶん》で錢《ぜに》を出《だ》さうとして胴亂《どうらん》の大《おほ》きな金具《かなぐ》が容易《ようい》に開《あ》かないので怒《おこ》つて投《な》げ出《だ》して見《み》たり、卯平《うへい》へ縋《すが》つたりした。卯平《うへい》は態《わざ》と與吉《よきち》に倒《たふ》されて轉《ころ》がることもあつた。  勘次《かんじ》は與吉《よきち》が卯平《うへい》から錢《ぜに》を貰《もら》ふことを知《し》つてから只《たゞ》さへ滅多《めつた》にくれたことのない彼《かれ》は決《けつ》して一|度《ど》も與《あた》へることがなかつた。卯平《うへい》はそれを知《し》つてさへ與吉《よきち》に要求《えうきう》されることが却《かへつ》て彼《かれ》の爲《ため》にはどれ程《ほど》の慰藉《ゐしや》であるか知《し》れないのであつた。卯平《うへい》は悲慘《みじめ》な隱居《いんきよ》に移《うつ》るまでには野田《のだ》から持《も》つて來《き》た少《すこ》し許《ばか》りの蓄《たくは》へは幾《いく》らも財布《さいふ》に残《のこ》つては居《ゐ》なかつた。彼《かれ》は俄《にはか》に思《おも》ひ出《だ》した樣《やう》に一|日《にち》熱心《ねつしん》に仕事《しごと》に屈託《くつたく》して見《み》たり、又《また》勘次《かんじ》に對《たい》する自棄《やけ》から酒《さけ》も飮《の》んで見《み》たりした。酒《さけ》といつても知《し》れた分量《ぶんりやう》であるが、それでも藁《わら》一筋《ひとすぢ》づつを刻《きざ》んで行《ゆ》く仕事《しごと》の儲《まうけ》にのみ手頼《たよ》る彼《かれ》の懷《ふところ》を悲《かな》しくした。卯平《うへい》は其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》果敢《はか》ない仕事《しごと》でも、彼《かれ》の身體《からだ》が滯《とゞこほ》りなく又《また》勘次《かんじ》との間《あひだ》が融和《ゆうわ》されて居《ゐ》るならば彼《かれ》は好《す》きなコツプ酒《ざけ》の一|杯《ぱい》を傾《かたむ》ける序《ついで》に、酒《さけ》を壜《びん》に買《かつ》て勘次《かんじ》に與《あた》へることさへ不自由《ふじいう》を感《かん》じもしなければ、惜《を》しむこともないのであつた。勘次《かんじ》も疲勞《ひらう》した日《ひ》の夕方《ゆふがた》には唐鍬《たうぐは》を村落《むら》の店《みせ》の軒下《のきした》へ卸《おろ》して一|杯《ぱい》を傾《かたむ》けて來《く》るのであるが、嘗《かつ》て自分《じぶん》の家《うち》に運《はこ》んだこともなければ臭《くさ》い息《いき》を吐《は》く間《あひだ》は卯平《うへい》へ顏《かほ》を合《あは》せたこともなかつた。  卯平《うへい》は腰《こし》の疼痛《いたみ》に惱《なや》まされて、餘計《よけい》にかさ/\と乾《から》びて硬《こは》ばつて居《ゐ》る手《て》を動《うご》かし難《がた》くなると彼《かれ》は一|塊《くわい》の※[#「火+畏」、第3水準1-87-57]《おき》もない火鉢《ひばち》を枕元《まくらもと》に置《お》いて凝然《ぢつ》と蒲團《ふとん》を被《かぶ》つた儘《まゝ》である。彼《かれ》はさうでなくても嘗《かつ》てはき/\と口《くち》を利《き》いたこともなく、殊更《ことさら》勘次《かんじ》に對《たい》しては皺《しな》びた顏《かほ》の筋肉《きんにく》を更《さら》に蹙《しが》めて居《ゐ》るので、恁《か》うして凝然《ぢつ》として居《ゐ》ることをも勘次《かんじ》は僂麻質斯《レウマチス》が惱《なや》まして居《ゐ》るのだとは知《し》らないで、寧《むし》ろ老人《らうじん》に通有《つういう》な倦怠《けんたい》に伴《ともな》ふ睡眠《すゐみん》を貪《むさぼ》つて居《ゐ》るのだらう位《ぐらゐ》に見《み》るのであつた。枕元《まくらもと》の火鉢《ひばち》は戸口《とぐち》からでは彼《かれ》の薄《うす》い白髮《しらが》の頭《あたま》を掩《おほ》うて居《ゐ》た。彼《かれ》はさうかと思《おも》ふと起《お》きて一|心《しん》に草鞋《わらぢ》を作《つく》ることがある。彼《かれ》の仕事《しごと》は老衰《らうすゐ》して面倒《めんだう》な樣《やう》であるが、其《そ》の天性《てんせい》の器用《きよう》は失《うしな》はれなかつた。彼《かれ》は五|足《そく》づつを一《ひと》つに束《たば》ねた草鞋《わらぢ》とそれから繩《なは》が一荷物《ひとにもつ》に成《な》ると大風呂敷《おほぶろしき》で脊負《しよ》つて出《で》た。それは大抵《たいてい》暖《あたゝ》かな日《ひ》に限《かぎ》られて居《ゐ》るのであつたが、其《その》時《とき》は彼《かれ》の大《おほ》きな躯幹《からだ》はきりゝと帶《おび》を締《し》めて、股引《もゝひき》の上《うへ》に高《たか》く尻《しり》を端折《はしよ》つてまだ頼母《たのも》しげにがつしりとして見《み》えるのであつた。  卯平《うへい》は斯《か》うして仕事《しごと》をして見《み》たり寐《ね》て見《み》たり、それから自分《じぶん》で小鍋立《こなべだて》をするかと思《おも》へば家族《かぞく》三|人《にん》と共《とも》に膳《ぜん》へ向《むか》つたり、側《そば》から見《み》て居《ゐ》る勘次《かんじ》には氣《き》が知《し》れぬ爺《ぢい》さんであつた。卯平《うへい》は時々《とき/″\》鹽鮭《しほざけ》の一切《ひときれ》を古新聞紙《ふるしんぶんし》の端《はし》へ包《つゝ》んで來《き》ては火鉢《ひばち》へ鐵《てつ》の火箸《ひばし》を渡《わた》して、少《すこ》し燻《いぶ》る麁朶《そだ》の火《ひ》に燒《や》いた。彼《かれ》は危險《あぶな》い手《て》もとで間違《まちが》つて落《おと》しては灰《はひ》にくるまつても口《くち》でふう/\と吹《ふ》いて手《て》でばた/\と叩《たゝ》くのみで洗《あら》ふこともしなかつた。じり/\と白《しろ》く火箸《ひばし》へ燒《や》け附《つ》いた鹽《しほ》が長《なが》く火箸《ひばし》に臭氣《しうき》を止《と》めた。勘次《かんじ》は小屋《こや》で卯平《うへい》が鹽鮭《しほざけ》を燒《や》く臭《にほひ》を嗅《か》いでは一|種《しゆ》の刺戟《しげき》を感《かん》ずると共《とも》に卯平《うへい》を嫉《にく》むやうな不快《ふくわい》の念《ねん》がどうかすると遂《つひ》起《おこ》つた。それだが卯平《うへい》は又《また》獨《ひとり》でむつゝりと蒲團《ふとん》にくるまつて居《ゐ》る時《とき》は父子《おやこ》三|人《にん》の噺《はなし》が能《よ》く聞《きこ》えた。彼《かれ》は自分《じぶん》が一|緒《しよ》に居《ゐ》る時《とき》は互《たがひ》に隔《へだ》てが有相《ありさう》で居《ゐ》て、自分《じぶん》が離《はな》れると俄《にはか》に陸《むつ》まじ相《さう》に笑語《さゝや》くものゝ樣《やう》に彼《かれ》は久《ひさ》しい前《まえ》から思《おも》つて居《ゐ》た。其《それ》を聞《き》くと彼《かれ》は一|種《しゆ》の嫉妬《しつと》を伴《ともな》うた厭《いや》な心持《こゝろもち》に成《な》つて、蒲團《ふとん》を深《ふか》く被《かぶ》つて見《み》ても何《なん》となく耳《みゝ》について、おつぎの一寸《ちよつと》甘《あま》えた樣《やう》な聲《こゑ》や與吉《よきち》の無遠慮《ぶゑんりよ》な無邪氣《むじやき》な聲《こゑ》を聞《き》くと一|方《ぱう》には又《また》彼等《かれら》の家族《かぞく》と一つに成《な》りたいやうな心持《こゝろもち》も起《おこ》るし、彼《かれ》は凝然《ぢつ》と眼《め》を閉《と》ぢて居《ゐ》るので頭《あたま》の中《なか》が餘計《よけい》に紛糾《こぐら》かつて、種々《いろ/\》な状態《じやうたい》が明瞭《はつきり》と目先《めさき》にちらついてしみ/″\と悲《かな》しい樣《やう》に成《な》つて見《み》たりして猶更《なほさら》に僂麻質斯《レウマチス》の疼痛《いたみ》がぢり/\と自分《じぶん》の身體《からだ》を引緊《ひきし》めて畢《しま》ふ樣《やう》にも感《かん》ぜられた。彼《かれ》はさういふ時《とき》おつぎでも與吉《よきち》でも 「爺《ぢい》よう」と喚《よ》んでくれゝばふいと懶《ものう》い首《くび》を擡《もた》げて明《あか》るい白晝《はくちう》の光《ひかり》を見《み》ることによつて何《なん》とも知《し》れぬ嬉《うれ》しさに涙《なみだ》が一|杯《ぱい》に漲《みなぎ》ることもあるのであつた。  おつぎは八釜敷《やかましく》勘次《かんじ》に使《つか》はれて晝《ひる》の間《あひだ》は寸暇《すんか》もなかつた。夜《よ》がひつそりとする頃《ころ》はおつぎは能《よ》く卯平《うへい》の小屋《こや》へ來《き》て惱《なや》んで居《ゐ》る腰《こし》を揉《も》んでやつた。おつぎは卯平《うへい》を勦《いたは》るには幾《いく》ら勘次《かんじ》が八釜敷《やかましく》ても一々|斷《ことわ》りをいうては出《で》なかつた。勘次《かんじ》はおつぎが暫時《しばし》でも居《ゐ》なくなると假令《たとひ》卯平《うへい》の側《そば》に居《ゐ》るとは知《し》つても 「おつう」と例《いつも》のやうに激《はげ》しく呶鳴《どな》つて見《み》るのである。 「此處《こゝ》に居《ゐ》たよ、そんなに喚《よ》ばらなくつたつてえゝから、何《なん》だかおとつゝあは」おつぎの勘次《かんじ》を叱《しか》る聲《こゑ》は軟《やはら》かでさうして明瞭《めいれう》に勘次《かんじ》の耳《みゝ》に響《ひび》いた。勘次《かんじ》は手《て》ランプの光《ひかり》に只《たゞ》目《め》が酷《ひど》く光《ひか》るのみで一|言《ごん》もなく屏息《へいそく》して畢《しま》ふのである。彼《かれ》は又《また》暫《しばら》くして大戸《おほど》をがらりと勢《いきほ》ひよく開《あ》けて出《で》ては又《また》少《すこ》し隙間《すき》を残《のこ》して大戸《おほど》を引《ひ》いて丁度《ちやうど》内《うち》へ還《かへ》つたと見《み》せて、殆《ほと》んど壁《かべ》に接《せつ》した卯平《うへい》の戸口《とぐち》に近《ちか》く立《た》つて見《み》るのである。手《て》ランプも點《つ》けぬ卯平《うへい》の狹《せま》い小屋《こや》の空氣《くうき》は黒《くろ》く悄然《ひつそり》として死《し》んだ樣《やう》である。勘次《かんじ》は拔《ぬ》き足《あし》して戻《もど》つては出來《でき》るだけ靜《しづか》に戸《と》を閉《と》ぢる。非常《ひじやう》に不平《ふへい》な相形《さうぎやう》をして居《ゐ》ても勘次《かんじ》はおつぎが歸《かへ》ると直《すぐ》に機嫌《きげん》が直《なほ》つて 「汝《わ》りやそんなに夜更《よふか》しするもんぢやねえ」と勦《いた》はるやうな窘《たしな》めるやうな調子《てうし》ていつて見《み》るのである。さうすると、 「明日《あした》の障《さは》りにでも成《な》りやしめえし管《かま》あこたあんめえな、おとつゝあは」といつておつぎは勘次《かんじ》を壓《お》しつけて畢《しま》ふのである。  卯平《うへい》はおつぎが看病《かんびやう》に來《く》る時《とき》は大抵《たいてい》 「汝《わ》りやえゝよ」といふのが例《れい》である。彼《かれ》は勘次《かんじ》に遠慮《ゑんりよ》をするのではなくて、おつぎがぶつ/\いはれるのを懸念《けねん》するのであつた。それでも卯平《うへい》は心《こゝろ》竊《ひそか》におつぎを待《ま》ちつゝあつた。彼《かれ》が惱《なや》まされた僂麻質斯《レウマチス》は病氣《びやうき》の性質《せいしつ》として彼《かれ》の頑丈《ぐわんぢやう》な身體《からだ》から其《そ》の生命《せいめい》を奪《うば》ひ去《さ》るまでに力《ちから》を逞《たくま》しくすることはなく、起《おこ》つたり和《やはら》いだりして彼《かれ》が歸《かへ》つてから二|度目《どめ》の冬《ふゆ》も一日々々《いちにち/\》と短《みじか》い日《ひ》を刻《きざ》んで行《い》つた。  狹苦《せまくる》しい掘立小屋《ほつたてごや》は彼《かれ》が當初《はじめ》に思《おも》ひ込《こ》んだ程《ほど》彼《かれ》の爲《ため》に幸《さいはひ》な處《ところ》ではなかつた。          一九 「おゝ暑《あつ》え/\、なんち暑《あつ》えこつたかな」おつたは前駒《まへこま》の下駄《げた》を引《ひ》き擦《ず》つて 「おや/\まあ能《よ》く斯《か》うなあ、何處《どこ》にも草《くさ》だら一《ひと》つなくつて、見《み》ても晴々《せえ/\》とする樣《やう》だ」と態《わざ》とらしい樣《やう》にいつて庭《には》に立《た》つた。さうしてから 「たんと穫《と》れべえなこんぢや、幹《から》ばかしでもたえした出來《でき》だな」といつて勘次《かんじ》に近《ちか》く歩《ほ》を運《はこ》んだ。勘次《かんじ》は庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》の陰《かげ》へ二《ふた》つの臼《うす》を横《よこ》に轉《ころ》がしておつぎと二人《ふたり》で夏蕎麥《なつそば》を打《う》つて居《ゐ》た。夏蕎麥《なつそば》は小麥《こむぎ》でも打《う》つ樣《やう》に一《ひと》つ攫《つか》んでは肩《かた》から背負《せお》ふやうにして臼《うす》の腹《はら》へ叩《たゝ》きつけると三|稜形《りようけい》の種子《み》がまだ少《すこ》し青《あを》い葉《は》と共《とも》に落《お》ちて殆《ほとん》ど直射《ちよくしや》する日光《につくわう》を遮《さへぎ》つて居《ゐ》る栗《くり》の木《き》の陰《かげ》から遠《とほ》ざかつて遙《はるか》に先《さき》の方《はう》まで轉《ころ》がつて行《ゆ》く。小麥《こむぎ》と違《ちが》つて濕《しめ》つぽい夏蕎麥《なつそば》は幹《から》がくた/\として幾度《いくど》も叩《たゝ》きつけねばなか/\落《お》ちない。それでも種子《み》は不規則《ふきそく》な成熟《せいじゆく》をして居《ゐ》るので、まだ青《あを》いのはどうしてもしがみ附《つ》いて居《ゐ》る。二人《ふたり》は藁《わら》で縛《くゝ》つた大《おほ》きな束《たば》を解《と》いては粘《ねば》つた物《もの》でも引《ひ》き剥《はが》す樣《やう》に攫《つか》み取《と》つて熱心《ねつしん》に忙《せは》しく臼《うす》の腹《はら》へ叩《たゝ》きつけた。庭《には》は卯平《うへい》が始終《しじゆ》草《くさ》を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《むし》つて掃除《さうぢ》してあるのに、蕎麥《そば》を打《う》つ前《まへ》に一|旦《たん》丁寧《ていねい》に箒《はうき》が渡《わた》つたので見《み》るから清潔《せいけつ》に成《な》つて居《ゐ》たのである。勘次《かんじ》は暑《あつ》いので紺《こん》の襦袢《じゆばん》も腰《こし》のあたりへだらりとこかして、焦《こげ》たやうな肌膚《はだ》をさらけ出《だ》して居《ゐ》る。彼《かれ》は更《さら》に栗《くり》の木《き》の茂《しげ》つた葉《は》の間《あひだ》から針《はり》の先《さき》で突《つ》くやうにぽちり/\と洩《も》れて射《さ》す光《ひかり》を避《さ》けて例《いつ》もの如《ごと》く藺草《ゐぐさ》の編笠《あみがさ》を被《かぶ》つて、麻《あさ》の紐《ひも》を顎《あご》でぎつと結《むす》んである。毎日《まいにち》必《かなら》ず汗《あせ》でぐつしりと濕《しめ》るので、其《そ》の強靱《きやうじん》な纎維《せんゐ》の力《ちから》が脆《もろ》く成《な》つて、秋《あき》の冷《つめ》たい季節《きせつ》までにはどうしても中途《ちうと》で一|度《ど》は換《か》へねばならぬと勘次《かんじ》が自慢《じまん》して居《ゐ》る紐《ひも》は埃《ほこり》が加《くは》はつて汚《よご》れて居《ゐ》た。勘次《かんじ》はおつたの姿《すがた》をちらりと垣根《かきね》の入口《いりぐち》に見《み》た時《とき》不快《ふくわい》な目《め》を蹙《しが》めて知《し》らぬ容子《ようす》を粧《よそほ》ひながら只管《ひたすら》蕎麥《そば》の幹《から》に力《ちから》を注《そゝ》いだのであつた。おつたは稍《やゝ》褐色《ちやいろ》に腿《さ》めた毛繻子《けじゆす》の洋傘《かうもり》を肩《かた》に打《ぶ》つ掛《か》けた儘《まゝ》其處《そこ》らに零《こぼ》れた蕎麥《そば》の種子《み》を蹂《ふ》まぬ樣《やう》に注意《ちうい》しつゝ勘次《かんじ》の横手《よこて》へ立《た》ち止《どま》つた。おつたは幾年《いくねん》か以前《まへ》の仕立《したて》と見《み》える滅多《めつた》にない大形《おほがた》の鳴海絞《なるみしぼ》りの浴衣《ゆかた》を片肌脱《かたはだぬぎ》にして左《ひだり》の袖口《そでぐち》がだらりと膝《ひざ》の下《した》まで垂《た》れて居《ゐ》る。裾《すそ》は片隅《かたすみ》を端折《はしよ》つて外《そと》から帶《おび》へ挾《はさ》んだ。勘次《かんじ》は何處《どこ》までも知《し》らぬ容子《ようす》を保《たも》つことは出來《でき》なかつた。彼《かれ》はおつたの態《わざ》とらしい聲《こゑ》も聞《き》かず、又《また》近《ちか》く立《た》つた其《そ》の姿《すがた》を眼《め》に映《うつ》さない譯《わけ》には行《ゆ》かなかつた。彼《かれ》は蕎麥《そば》を攫《つか》むのを止《や》めておつたの方《はう》を向《む》いた。彼《かれ》は蹙《しが》めて居《ゐ》た顏《かほ》に少《すこ》し極《きま》りの惡相《わるさう》な一|種《しゆ》の表情《へうじやう》を浮《うか》べた。 「何《なん》でえ※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、277-15]等《あねら》」勘次《かんじ》は無意識《むいしき》にさういつた。彼《かれ》の胸《むね》のあたりに湧《わ》き出《いづ》る汗《あせ》は、僅《わづか》に曲折《きよくせつ》をなしつゝ幾筋《いくすぢ》かの流《なが》るゝ途《みち》を作《つく》つて居《ゐ》る。其處《そこ》には蕎麥《そば》の幹《から》から知《し》られぬ程《ほど》づつ立《た》つ埃《ほこり》が付《つ》いて濕《しめ》つて居《ゐ》る。ぢり/\と汗腺《かんせん》から搾《しぼ》れ出《いづ》る汗《あせ》が其《そ》の趾《あと》つけられた流《なが》れの途《みち》を絶《た》たないで其處《そこ》だけ蕎麥《そば》の埃《ほこり》を洗《あら》ひ去《さ》つて居《ゐ》る。彼《かれ》はおつたの前《まへ》に其《そ》の暑相《あつさう》な身《み》を向《む》けた。 「どうしたつちこともねえがなよ、俺《お》らこつちの方《はう》通《とほ》つたもんだから一寸《ちよつくら》踏《ふ》ん掛《がゝ》つて見《み》た處《ところ》さ」おつたは何《なに》か理由《わけ》の有相《ありさう》な口吻《くちつき》で輕《かる》くいつた。 「俺《お》ら暫《しばら》くこつちへも來《き》なかつたつけが、此《こ》らおつぎぢやあんめえか、大層《たえそ》えゝ娘《むすめ》に成《な》つちやつたなあ、尤《もつと》もはあ恁《か》うい手合《てえ》はちつと見《み》ねえでちや分《わか》んなく成《な》んな直《すぐ》だかんな、其《そ》の割《わり》にしちや俺《お》ら見《み》てえなもな年齡《とし》はとんねえものさな」おつたは立《た》つた儘《まゝ》獨語《ひとりごと》の樣《やう》に、さうして少《すこ》し張合《はりあひ》のない樣《やう》に、何《なに》か噺《はなし》の端緒《いとぐち》でも求《もと》めたいといふ容子《ようす》で栗《くり》の木《き》の梢《こずゑ》からだらりと垂《たれ》てる南瓜《たうなす》の臀《しり》を見上《みあ》げながらいつた。  おつぎは此《こ》の時《とき》菅笠《すげがさ》の端《はし》へ一寸《ちよつと》手《て》を掛《か》けておつたへ腰《こし》を屈《かゞ》めた。おつぎは白《しろ》い襦袢《じゆばん》の襟《えり》を覗《のぞ》かせて、單衣《ひとへ》の胸《むね》をきちんと合《あは》せて、さうして襷《たすき》と手刺《てさし》とで身《み》を堅《かた》めて、暑《あつ》いのにも拘《かゝは》らず女《をんな》の節制《たしなみ》を失《うしな》はなかつた。おつぎは蕎麥《そば》の手《て》を放《はな》して小走《こばし》りに驅《か》けて行《い》つた。菅笠《すげがさ》をとつてだらりと被《かぶ》つた手拭《てぬぐひ》を外《はづ》した時《とき》少《すこ》し亂《みだ》れた髮《かみ》がぐつしやりと汗《あせ》に濡《ぬ》れてげつそりと衰《おとろ》へたものゝ樣《やう》に覺《おぼ》えた。おつたは開《ひら》いた儘《まゝ》の洋傘《かうもり》を栗《くり》の木《き》の側《そば》へ仰向《あふむけ》に置《お》いて默《だま》つて井戸端《ゐどばた》へ行《い》つて手水盥《てうづだらひ》に一|杯《ぱい》の水《みづ》を汲《く》んだ。 「冷《つめ》たくつて本當《ほんと》に晴々《せえ/\》とえゝ水《みづ》ぢやねえか、俺《お》ら方《ほ》の井戸《ゐど》見《み》てえに柄杓《ひしやく》で汲《く》み出《だ》すやうなんぢや、ぼか/\ぬるまつたくつて」おつたは復《ま》た獨語《ひとりごと》をいつた。勘次《かんじ》は側《そば》を去《さ》つたおつたを棄《す》てゝ、然《しか》も氣《き》の乘《の》らぬ樣《やう》に又《また》蕎麥《そば》を臼《うす》へ打《う》ちつけ始《はじ》めた。おつたは汗沁《あせじ》みた手拭《てぬぐひ》を頻《しき》りにごし/\と揉《も》み出《だ》して首筋《くびすぢ》のあたりから一|帶《たい》に幾度《いくたび》となく拭《ぬぐ》つて手水盥《てうづだらひ》の水《みづ》を換《か》へた。暫《しばら》くして家《うち》の廂《ひさし》からは青《あを》い煙《けぶり》が偃《た》つてだん/\に薄《うす》い煙《けぶり》が後《あと》から/\と暑《あつ》い日《ひ》に消散《せうさん》した。 「おとつゝあ、お茶《ちや》沸《わ》いたぞ」おつぎは戸口《とぐち》へ出《で》て小聲《こごゑ》で勘次《かんじ》へ告《つ》げた。 「うむ」勘次《かんじ》は喉《のど》の底《そこ》でいつて 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、279-9]《あね》、お茶《ちや》沸《わ》いたとう」彼《かれ》は又《また》ぶすりといつて蕎麥《そば》の手《て》を止《や》めなかつた。 「お茶《ちや》おあがんなせえね」おつぎは勘次《かんじ》の尾《しり》に跟《つ》いて少《すこ》し聲高《こわだか》にいつた。おつたはぎりつと絞《しぼ》つた手拭《てぬぐひ》を開《ひら》いてばた/\と叩《たゝ》いた。井戸端《ゐどばた》にぼつさりと茂《しげ》りながら日中《につちう》の暑《あつ》さにぐつたりと葉《は》が萎《しを》れて居《ゐ》る鳳仙花《ほうせんくわ》の、やつと縋《すが》つて居《ゐ》る花《はな》が手拭《てぬぐひ》の端《はし》に觸《ふ》れてぼろつと落《お》ちた。側《そば》には長大《ちやうだい》な向日葵《ひまわり》が寧《むし》ろ毒々《どく/\》しい程《ほど》一|杯《ぱい》に開《ひら》いて周圍《しうゐ》に誇《ほこ》つて居《ゐ》る。草夾竹桃《くさけふちくたう》の花《はな》がもさ/\と茂《しげ》つた儘《まま》向日葵《ひまわり》の側《そば》に列《れつ》をなして居《ゐ》る 「能《よ》くまあかういに作《つく》つたつけな、俺《お》らもはあ、好《す》きは好《す》きだが自分《じぶん》ぢやそつちだこつちだで作《つく》れねえもんだ、此《こ》れまあ朝《あさ》つぱら凉《すゞ》しい内《うち》に見《み》たらどら程《ほど》えゝこつたかよ」おつたは濕《しめ》つた手拭《てぬぐひ》を幾《いく》つかに折《を》つて手《て》に攫《つか》んだ儘《まゝ》、栗《くり》の木《き》の側《そば》に置《お》いた洋傘《かうもり》を窄《つぼ》めてゆつくりと家《うち》へ這入《はひ》つた。おつぎは茶《ちや》を沸《わか》す火《ひ》の爲《ため》に汗《あせ》が更《さら》に湧《わ》いたのを手拭《てぬぐひ》でふいて、それから亂《みだ》れた髮《かみ》に櫛《くし》を入《いれ》て更《さら》に丁寧《ていねい》に手拭《てぬぐひ》を被《かぶ》つてさうしておつたを喚《よ》んだのであつた。おつたは何處《どこ》か落付《おちつ》かぬ容子《ようす》で洋傘《かうもり》も外《そと》の壁際《かべぎは》に立《た》て掛《かけ》て閾《しきゐ》を跨《また》いだ。 「お暑《あつ》うござんすねどうも」おつぎは襷《たすき》をとつて時儀《じぎ》を述《の》べながらおつたへ茶《ちや》を侑《すゝ》めた。三|人《にん》は暫《しばら》く沈默《ちんもく》して居《ゐ》た。  東隣《ひがしどなり》の庭《には》からは大勢《おほぜい》が揃《そろ》つて連枷《ふるぢ》で麥《むぎ》を打《う》つて居《ゐ》る響《ひゞき》が、森《もり》を透《とほ》して夫《それ》からどろり/\と地《ち》を搖《ゆす》つて聞《きこ》えた。自分等《じぶんら》が立《た》てる響《ひゞき》に誘《さそ》はれて騷《さわ》ぐ彼等《かれら》の極《きま》つた囃《はやし》の聲《こゑ》が「ほうい/\」と一人《ひとり》の口《くち》からさうして段々《だん/\》と各自《めいめい》の口《くち》から一|齊《せい》に迸《ほとばし》つて愉快相《ゆくわいさう》に聞《きこ》えた。三|人《にん》の耳《みゝ》は同《おな》じく誘《さそ》はれた樣《やう》に一|種《しゆ》の調子《てうし》を持《も》つた隣《となり》の庭《には》の響《ひゞき》に耳《みゝ》を傾《かたむ》けつゝ沈默《ちんもく》の時間《じかん》を繼續《けいぞく》した。おつたは茶柱《ちやばしら》の立《た》つた茶碗《ちやわん》の中《なか》を見《み》てそれから一寸《ちよつと》嫣然《につこり》として見《み》たり、庭《には》の方《はう》を見《み》たりして居《ゐ》た。おつたが庭《には》を見《み》ると勘次《かんじ》は幾年《いくねん》も遭《あ》はなかつた※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、280-13]《あね》の容子《ようす》を有繋《さすが》にしみ/″\と見《み》るのであつた。おつたは五十を幾《いく》つも越《こ》えて居《ゐ》る。小柄《こがら》な少《すこ》しくり/\と丸《まる》みを持《も》つた顏《かほ》は、年齡程《としほど》には見《み》えないにしても漸《やうや》く深《ふか》い皺《しわ》が刻《きざ》んで居《ゐ》るのに、髮《かみ》は恐《おそ》ろしくつや/\として居《ゐ》る。おつたは髮《かみ》を染《そ》めて居《ゐ》た。然《しか》し藥《くすり》の力《ちから》は肌膚《はだ》を透《とほ》して其《そ》の下《した》にまで及《およ》ぼすことは出來《でき》なかつた。髮《かみ》は染《そ》めてから暫《しばら》く經《た》つたと見《み》えて一|帶《たい》に肌膚《はだ》についた僅《わづか》の部分《ぶぶん》が髮《かみ》の凡《すべ》てをそつくり突《つ》き扛《あ》げた樣《やう》に仄《ほの》かに白《しろ》く見《み》えて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は只《たゞ》響《ひゞき》を立《た》てながら容易《ようい》に冷《さ》めぬ熱《あつ》い茶碗《ちやわん》を啜《すゝ》つた。おつぎも幾年《いくねん》か逢《あ》はぬ伯母《をば》の人《ひと》なづこい樣《やう》で理由《わけ》の分《わか》らぬ樣《やう》な容子《ようす》を偸《ぬす》み視《み》た。 「夏蕎麥《なつそば》でもとれんなかうい鹽梅《あんべえ》ぢや粒《つぶ》も大《えけ》え樣《やう》だな」おつたは庭《には》を見《み》た儘《まゝ》復《ま》た第《だい》一に目《め》に觸《ふ》れる蕎麥《そば》に就《つい》ていつた。此方《こちら》へ向《む》いて居《ゐ》る二《ふた》つの臼《うす》の腹《はら》が、まだ先《さき》の軟《やはら》かな夏蕎麥《なつそば》の莖《くき》で薄青《うすあを》く染《そ》まつたのが見《み》えて居《ゐ》る。 「馬鹿《ばか》に降《ふ》つてばかし居《ゐ》た所爲《せゐ》か幹《から》ばかし延《の》びつちやつて、そんだがとれねえ方《はう》でもあんめえが、夏蕎麥《なつそば》とれる樣《やう》ぢや世柄《よがら》よくねえつちから、恁《こ》んなもなどうでもえゝやうなもんだが」勘次《かんじ》のいひ方《かた》はこそつぱかつた。庭《には》の油蝉《あぶらぜみ》が暑《あつ》くなれば暑《あつ》くなる程《ほど》酷《ひど》くぢり/\と熬《い》りつけるのみで、閑寂《しづか》な村落《むら》の端《はし》に偶《たま/\》遭《あ》うた※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、281-11]弟《きやうだい》はかうして只《たゞ》餘所々々《よそ/\》しく相對《あひたい》した。 「本當《ほんと》に俺《お》ら先刻《さつき》からさう思《おも》つてんだが立派《りつぱ》な花《はな》ぢやねえかな」おつたは庭先《にはさき》の草花《くさばな》に復《ま》た噺《はなし》を繼《つ》いだ。 「うむ、そんだが碌《ろく》に有《あ》りもしねえ肥料《こやし》ばかし使《つか》あれて」 「おめえ植《う》ゑたんぢやねえのか」 「なあに爺樣《ぢいさま》そつちこつちから持《も》つて來《き》て植《う》ゑたてたのよ、去年《きよねん》はそんでも其處《そこ》らへ玉蜀黍位《たうもろこしぐれえ》作《つく》れたつけが、此《こ》れ、邪魔《じやま》だとも云《い》はんねえしなあ」 「俺《お》ら暫《しばら》く來《き》ねえから知《し》らなかつたつけが、そんでも野田《のだ》から引《ひ》つこんでか」 「うむ、はあ二|年《ねん》に成《な》らえ」 「餘《よ》つ程《ぽど》の年齡《とし》だつぺが丈夫《ぢやうぶ》けえそんでも」 「丈夫《ぢやうぶ》なこたあ、魂消《たまげ》る程《ほど》丈夫《ぢやうぶ》だが何《なん》でも自分《じぶん》の好《す》きなら働《はたら》く容子《ようす》で、其處《そこ》らほうつき歩《ある》いちや小遣錢位《こづけえぜねぐれえ》はとつてんだな鹽梅《あんべえ》しきが」 「そんぢや忙《いそが》しい時《とき》にやちつたあ手傳《てつだ》つて貰《もら》へてよかんべな」 「なんだら一つ手傳《てつだ》あなんちや有《あ》りやしめえし、それからはあ、此方《こつち》も頼《たの》んもしねえが」 「尤《もつと》もさういへば壯《さかり》の頃《ころ》でも俺《お》らあ知《し》つてからは仕事《しごと》は上手《じやうず》で行《や》ると出《だ》しちやみつしら行《や》る樣《やう》だつけが、好《す》きぢやねえ鹽梅《あんべえ》だつけのさな」 「其《そ》れ處《どこ》ぢやねえや、俺《お》らと一|緒《しよ》に居《ゐ》んのせえ厭《や》なんだんべが、別々《べつ/\》に成《な》つちやつたな、つまんねえ、餘計《よけい》な錢《ぜね》なんぞ遣《つか》つて、俺《お》らだつて大《えけ》えこと手間《てま》打《ぶ》つこんだな、なあに俺《お》ら爺樣《ぢいさま》せえちつと其《その》積《つもり》で行《や》つて呉《く》れせえすりや、幾《いく》らでも面倒《めんだう》見《み》るつちつてんだが、如何《どう》いふ料簡《れうけん》のもんだか俺《お》らがにや分《わか》んねえが」 「そんぢや、此《こ》の側《そば》な小屋《こや》ぢやあんめえ、俺《お》ら先刻《さつき》見《み》た時《とき》や肥料小屋《こやしごや》だとばかし思《おも》つてたな、本當《ほんと》にかうだ處《とこ》へ醉狂《すゐきやう》な噺《はなし》よな、なんでも世《よ》を渡《わた》しちや誰《たれ》でも同《おな》じこと相續人《さうぞくにん》の氣味《きあぢ》惡《わる》くしねえ樣《やう》にやんなくつちや畢《を》へねえよ、そんだがそれも性分《しやうぶん》でなあ、他《ほか》からぢやしやうねえものよ」 「俺《お》らだつてこんで一人《ひとり》殖《ふ》えちや殖《ふ》えた丈《だけ》に麥米《むぎこめ》の心配《しんぺえ》からして掛《かゝ》んなくつちやなんねえんだから、其《そ》の積《つもり》で居《ゐ》てくんなくつちや、此《こ》んで心持《こゝろもち》ぢや餘《あんま》り面白《おもしろ》かねえかんな、毎日《まいにち》苦蟲《にがむし》喰《く》つ潰《ちや》したやうな面《つら》つきばかしされたんぢや厭《や》んなつちまあぞ、本當《ほんたう》に」 「そりやさうにも何《なん》にもよ、他人《たにん》でせえこんで軟《やつ》けえ言辭《ことば》でも掛《か》けられつと、後《あと》ぢや欲《ほ》しく成《な》るやうな物《もの》でも出《だ》す料簡《れうけん》にもなるもんだかんなあ」おつたは斯《か》ういひながら先刻《さつき》から※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《とり》の塒《とや》の下《した》に在《あ》る二|俵《へう》の俵《たわら》へ目《め》を注《そゝ》いで居《ゐ》た。 「そんだがおめえもたえした働《はたら》きだと見《め》えんな、かうえに俵《たわら》までちやんとして、大概《てえげえ》な百姓《ひやくしやう》ぢやおめえ此《この》手《て》にや行《い》かねえぞ、俺《お》ら世辭《つや》いふわけぢやねえが」  勘次《かんじ》は漸《やうや》く噺《はなし》に吊《つ》り込《こ》まれた樣《やう》に此《こ》の時《とき》微笑《びせう》を洩《も》らして 「俺《お》らも今《いま》んなつてからぢやこれ、噺《はなし》するやうなもんだが一《ひと》しきりや泣《な》いたかんな本當《ほんたう》に、こんでも此《こ》の位《くらえ》にすんにやゝつとこせえだぞ」といつた。 「おつぎも働《はたら》け相《さう》だな、きり/\としてなあ、先刻《さつき》俺《お》ら蕎麥《そば》打《ぶ》つてんの見《み》てゝも心持《こゝろもち》えゝ樣《やう》だつけよ、仕事《しごと》はなんでも身拵《みごしれ》えのえゝもんでなくつちやなあ、此《こ》れもおめえが仕込《しこみ》の所爲《せゐ》だんべが」おつたはさういつて又《また》 「そりやさうとおつかさまに其儘《そつくり》だなあ」と側《そば》に居《ゐ》たおつぎに目《め》を移《うつ》した。おつぎはそれを聞《き》くと共《とも》に身《み》を避《さ》ける樣《やう》に手桶《てをけ》を持《も》つて庭《には》へ出《で》た。 「俺《お》らもこんで嚊《かゝあ》に死《し》なれた當座《たうざ》にや此《こ》れも役《やく》に立《た》たねえから泣《な》きぬいたよ」勘次《かんじ》は俄《にはか》にしんみりとしていつた。おつたはお品《しな》のことが勘次《かんじ》の口《くち》から出《で》た時《とき》微《かす》かに苦笑《くせう》して 「ほんに、俺《お》ら彼《あ》ん時《とき》にや來《き》ねえつちやつたつけが、遠《とほ》くの方《はう》へ行《い》つてたもんだから、おめえにやはあ惡《わる》く思《おも》はれべえたあ思《おも》つてたのよ」おつたは漸《やうや》くのことで然《しか》も表面《へうめん》は事《こと》もなげにいつて畢《しま》つた。 「俺《お》ら先刻《さつき》から見《み》てんだが道具《だうぐ》は能《よ》く大事《でえじ》にすつと見《み》えて鎌《かま》なんぞでも光《ひか》つてつことなあ、それに能《よ》くかう三日月姿《みかづきなり》に減《へ》らせたもんだな、研《と》ぎ方《かた》も餘《よ》つ程《ぽど》氣《き》をつけなくつちやかうは出來《でき》ねえな、道具《だうぐ》も斯《か》うすりや何時《いつ》までゝも使《つか》へて廉《やす》えものさな」おつたは少《すこ》し慌《あわ》てた樣《やう》に然《しか》も成《な》るべく落附《おちつ》かうと勉《つと》めつゝ噺《はなし》を外《そら》した。 「唐鍬《たうぐは》もたえしたもんぢやねえかな」おつたは態《わざ》と唐鍬《たうぐは》の側《そば》に立《た》つた。 「うむ、そんでも俺《お》らが見《み》てえなゝ、滅多《めつた》持《も》つてるもなねえかんな」 「どうすんでえこんな大《えけ》えの、引《ひ》つ立《た》てるばかしでも大變《たえへん》なやうぢやねえけ」 「そんだつて※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、285-2]《あね》は此《こ》れ見《み》ろな」勘次《かんじ》は掌《てのひら》をおつたの前《まへ》へ出《だ》した。百姓《ひやくしやう》にしては比較的《ひかくてき》小《ちひ》さな手《て》は腫《は》れたかと思《おも》ふ程《ほど》ぽつりと膨《ふく》れて、どれ程《ほど》樫《かし》の柄《え》を攫《つか》んでも決《けつ》して肉刺《まめ》を生《しやう》ずべき手《て》でないことを明《あきら》かに示《しめ》して居《ゐ》る。 「此《こ》んだから知《し》らねえもな俺《お》れ手懷《てぶところ》してつと、如何《どう》したんでえなんて聞《き》くから俺《お》らかういに腫《はれ》つちやつて痛《いた》くつてしやうねえんだなんて、そろうつと出《だ》して見《み》せつと、成《な》る程《ほど》こりや痛《いた》かんべえなんて魂消《たまげ》らあな、唐鍬《たうぐは》なんざ錢《ぜね》出《だ》しせえすりや幾《いく》らでも有《あ》んが、此《こ》の手《て》つ平《ぴら》はねえぞ、二|年《ねん》三|年《ねん》唐鍬《たうぐは》持《も》つたんぢや恁《か》うは成《な》んねえかんな、俺《お》らがな唐鍬《たうぐは》の柄《え》さすつかりくつゝいちやつたんだから、こんで毎年《まいとし》四五|反歩位《たんぶりぐれえ》は打開墾《ぶちおこ》すんだから」勘次《かんじ》は蹙《しが》めた顏《かほ》の筋《すぢ》がゆるんだ樣《やう》になつておつたの前《まへ》に誇《ほこ》つた。 「旦那《だんな》の山林開墾《やまおこ》しちやうめえのよ、場所《ばしよ》によつちや陸稻《をかぼ》も作《つく》れるし、俺《お》らこんでも三四|反歩《たんぶり》づつは作《つく》つてんだが、今年《ことし》はえゝ鹽梅《あんべえ》な降《ふ》りだから大丈夫《だえぢよぶ》だたあ思《おも》つてんのよ、どうえもんだか以前《めえかた》は陸稻《をかぼ》つちとはあ、とれねえ樣《やう》なもんだつけがな」 「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》に作《つく》つちや大層《たえそ》なもんぢやねえかな」おつたは驚《おどろ》いたやうにいつた。 「陸稻《をかぼ》も地《ぢ》が珍《めづ》らしい内《うち》は出來《でき》るもんだわ、穗《ほ》の出《で》た割《わり》にや分《ぶ》は拔《ぬ》けねえが、そんでも開墾《おこ》したばかしにや草《くさ》は出《で》ねえから手間《てま》が要《え》らねえしな、それに肥料《こやし》つちやなんぼもしねえんだから、尤《もつと》も三|年《ねん》も作《つく》つちや其《そ》の手《て》にや行《い》かねえが、其《そ》ん時《とき》や以前《もと》の山林《やま》になんだから可怖《おつかね》えこともなんにもねえのよ」 「餘《よ》つ程《ぽど》とれべえな、三四|反歩《たんぶり》も作《つく》つちやなあ」 「こんで穗《ほ》の出際《でぎは》に雨《あめ》でもえゝ鹽梅《あんべえ》なら、反《たん》で四|俵《へう》なんざどうしてもとれべと思《おも》つてんのよ」 「陸稻《をかぼ》とも云《い》はんねえもんだな、以前《めえかた》と違《ちが》つて今《いま》の時世《ときよ》ぢやさうだからこんで場所《ばしよ》によつちや、百姓《ひやくしやう》にもたえした起《お》き轉《ころ》びがあるのよなあ、俺《お》ら方《はう》見《み》てえに洪水《みづ》で持《も》つてかれてばかし居《ゐ》つ處《とこ》も有《あ》んのに山林《やま》んなかで米《こめ》とれるなんて」 「さうよ、此處《こゝ》らは洪水《みづ》の心配《しんぺえ》はさうだにしねえでもえゝ處《とこ》だかんな」勘次《かんじ》は從來《これまで》其《そ》の間《あひだ》がどうであつたにしても偶然《ぐうぜん》逢《あ》つたおつたに對《たい》してだん/\噺《はな》して居《ゐ》るうちには同《おな》じ乳房《ちぶさ》に縋《すが》つた骨肉《こつにく》の關係《くわんけい》が彼《かれ》の淺猿《さも》しい心《こゝろ》の底《そこ》を披瀝《ひら》いてそれを陰蔽《いんぺい》するのには餘《あま》りに彼《かれ》を放心《うつかり》とさせたのであつた。 「おつう、彼《あ》の薤《らつきやう》でも出《だ》して見《み》せえ、土用前《どようめえ》に採《と》つて直《す》ぐ漬《つけ》たんだから、はあよかんべえ」  勘次《かんじ》は快《こゝろ》よくおつぎに命《めい》じた。おつぎは古《ふる》い醤油樽《しやうゆだる》から白漬《しろづけ》の薤《らつきやう》を片口《かたくち》へ出《だ》しておつたの側《そば》へ侑《すゝ》めた。勘次《かんじ》は一つ撮《つま》んでかり/\と噛《かじ》つた。少《すこ》し丸《まる》みがかつた頬《ほゝ》に絶《たえ》ず微笑《びせう》を含《ふく》んで勘次《かんじ》のいふことを聞《き》いて居《ゐ》たおつたは何《なに》か更《さら》にいはうとして一寸《ちよつと》躊躇《ちうちよ》しつゝある容子《ようす》が見《み》えた。勘次《かんじ》もおつぎもそれは知《し》らなかつた。おつたは一|杯《ぱい》に注《つ》いである茶碗《ちやわん》へ又《また》茶《ちや》を注《つ》がうとして俄《にはか》に止《や》めた。おつたは茶碗《ちやわん》をぐつと嚥《の》み干《ほ》した。 「こんで同胞《きやうでえ》のえゝ噺《はなし》聞《き》くな惡《わる》かねえもんだよ、有繋《まさか》自分《じぶん》ばかしよくつて他《ほか》の同胞《きやうでえ》にや管《かま》あねえつちいものもねえかんな」といつて庭《には》の便所《べんじよ》へ立《た》つてそれから再《ふたゝ》び上《あが》り框《がまち》に腰《こし》を卸《おろ》した。 「俺《お》らおめえにちつと相談《さうだん》に乘《の》つて貰《もれ》えてえと思《おも》ふこと有《あ》つて來《き》たんだつけがなよ」おつたは態《わざ》と改《あらた》まつた容子《ようす》でなくいひ掛《か》けた。 「何《なん》だんべ」勘次《かんじ》はふつと彼《かれ》の平生《へいぜい》に還《かへ》らうとして例《いつも》の不安《ふあん》らしい目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つておつたを見《み》た。 「なあにたえしたこつちやねえが、盲目《めくら》の野郎《やらう》げ嫁《よめ》世話《せわ》されるもんだからどうしたもんだんべかと思《おも》つてよ」 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、287-11]《あね》貰《もら》へたけりや他人《ひと》にや管《かま》あこたあ有《あ》んめえな」勘次《かんじ》はおつたがゆつくりといふのが畢《をは》らぬのにそつけなくいつた。 「さう云《ゆ》つちめえばさうだがなよ、そんだつて同胞《きやうでえ》に一噺《ひとはなし》もねえなんて後《あと》で文句《もんく》云《ゆ》はれても、默《だま》つてちやおめえ口《くち》が開《あ》けめえな、そんだから俺《お》らおめえげ耳打《みゝうち》して置《お》くべと思《おも》つたんだな」 「俺《お》ら何《なに》も不服《ふふく》いふ席《せき》はねえな」勘次《かんじ》は少《すこ》し安心《あんしん》したらしく、恁《か》う輕《かる》くいひ退《の》けた。 「そんだらえゝがなよ、彼《あ》れもはあ廿七に成《なる》んだから俺《お》らもこんでまあ心配《しんぺえ》はしてたんだが、自分《じぶん》でもそれ無《ね》え足《た》んねえの心配《しんぺえ》が絶《た》えねえもんだから、思《おも》つちや居《ゐ》ても手《て》が出《で》ねえのよ、自分《じぶん》の餓鬼《がき》のことおめえ全然《まるつきり》どうなつても管《かま》あねえたあ思《おも》へねえよこんで」勘次《かんじ》は足《あし》の先《さき》で土間《どま》の土《つち》を擦《こす》りながら默《だま》つておつたのいふのを聞《き》いた。 「彼《あれ》もそれ中途《ちうと》で盲目《めくら》に成《な》つたんだから、それまでに働《はたら》いて身體《からだ》は成熟《でき》てるしおめえも知《し》つてる通《とほ》りあんで居《ゐ》て仕事《しごと》も出來《でき》るしするもんだから、難有《ありがて》えことに不具《かたわ》でも嫁《よめ》世話《せわ》すべつちいものもあるやうな譯《わけ》さなあ、何《なん》でも人間《にんげん》は働《はたら》き次第《しでえ》だよ、おめえだつて働《はたら》くんでばかり他人《ひと》にや好《よ》く云《ゆ》はれてべえぢやねえけえ、そんで俺《お》れも其《そ》の女《をんな》は見《み》たが、女《をんな》はそれ惡《わ》りいがな、そんだつて盲目《めくら》だもの目鼻立《めはなだち》見《み》べえぢやなし、心底《しんてえ》せえよけりやえゝと思《おも》つてな」おつたは頻《しき》りに勘次《かんじ》の衷心《ちうしん》からの同意《どうい》を得《え》ようとした。 「そりやよかんべなそんぢや」勘次《かんじ》は只《たゞ》簡單《かんたん》にさういつた。 「そんで娵《よめ》持《も》たせるにしても折角《せつかく》こつちに居《ゐ》て働《はたら》いてんだから俺《お》ら自分《じぶん》の處《とこ》へは連《つ》れて行《ゆ》く譯《わけ》にや行《い》かねえと思《おも》つてな何《なん》ちつてもそれ、知《しつ》てつ處《とこ》でなくつちや盲目《めくら》だから面倒《めんだう》見《み》てくれるつち人《ひと》もあんめえしなあ、それから俺《お》ら其處《そこ》んとこも心配《しんぺえ》して居《ゐ》たんだが、丁度《ちやうど》此《この》村落《むら》にえゝ鹽梅《あんべえ》貸《か》してもえゝつち家《うち》有《あ》るつちもんだから、序《ついで》だと思《おも》つて見《み》て來《き》たが、此處《こゝ》からぢやあつちの方《はう》のそれ知《し》つてべえ仕切《しき》つて貸《か》すつちんだから、俺《お》ら其處《そこ》さ入《え》れてえと思《おも》つて、おそこそ聞《き》いて見《み》たんだが借《か》りんのにや保證人《ほしようにん》無《な》くつちや駄目《だめ》だつちから、近《ちか》くぢやあるしおめえに保證《ほしよう》に立《た》つて貰《もれ》えてえと思《おも》つてな」 「厭《や》だよ俺《お》らそんなこと」勘次《かんじ》は慌《あわ》てたやうにいつた。 「そんぢや仕《し》やうねえな、どうしてだんべなまた、折角《せつかく》彼《あれ》が身《み》も堅《かた》まんだからさうして呉《く》れゝばえゝんだがな」おつたはがつかり投《な》げ掛《か》けた態度《たいど》でいつた。 「箆棒《べらぼう》、家賃《やちん》でも滯《とゞこほ》つた日《ひ》にや、俺《お》れ辨償《まよ》はなくつちや成《な》りやすめえし、それこさあ俺《お》らが身上《しんしやう》なんざ潰《つぶ》れても間《ま》にやえやしねえ、厭《や》だにもなんにも」 「そんなこと云《ゆ》つたつておめえ、彼《あれ》だつて獨《ひとり》でゝも居《ゐ》んぢやなし持《も》つもの持《も》つて働《はたら》くのに三十|錢《せん》や五十|錢《せん》の家賃《やちん》の拂《はら》へねえことも有《あ》んめえな、それも何《なん》ならおめえ一月《ひとつき》でも二月《ふたつき》でも見試《みため》して、そん時《とき》見込《みこみ》なけりや身拔《みぬけ》しても管《かま》えやしねえな」 「そんでも厭《や》だよ、俺《お》らさうい噺《はなし》ぢや聞《き》きたくもねえ」勘次《かんじ》は素氣《すげ》なくいつてすいと庭《には》へ立《た》つて復《ま》た夏蕎麥《なつそば》へ手《て》を掛《か》けた。 「酷《ひど》く忙《いそが》しいこつたな」おつたは口《くち》を引《ひ》き締《し》めて勘次《かんじ》の後姿《うしろすがた》を見《み》た。 「忙《いそが》しいとも田《た》の草《くさ》もまあだ掻《か》きやしねえんだ、土用《どよう》になつてからだつて幾《いく》らも照《て》りやしめえし、降《ふ》つてばかし居《ゐ》つから見《み》ろうあれ、隣《となり》の旦那等《だんなたち》だつて今頃《いまごろ》麥《むぎ》打《ぶ》つてる騷《さわ》ぎだあ、百姓《ひやくしやう》は此《こ》の頃《ごろ》の時節《じせつ》に餘計《よけい》な暇《ひま》なんざねえから」勘次《かんじ》は呟《つぶや》くやうにいつた。  隣《となり》の庭《には》では先刻《さつき》よりも更《さら》に勢《いきほひ》がついた樣《やう》に連枷《ふるぢ》の響《ひゞき》が囃《はやし》の聲《こゑ》を伴《ともな》ひつゝ森《もり》を洩《も》れて聞《きこ》えた。 「うむ、たえした挨拶《あいさつ》だな、俺《お》らまた※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、290-4]弟《きやうでえ》つちやさうえもんぢやあんめえと思《おも》つてたんだつけな」おつたは少《すこ》し勃然《むつ》とした容子《ようす》を見《み》せた。 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、290-6]等《あねら》が云《い》ふこと聽《き》いたつ位《くれえ》どんなことされつか分《わか》んねえから」勘次《かんじ》は自棄《やけ》に蕎麥《そば》の幹《から》を打《う》ちつけ/\しつゝいつた。彼《かれ》は而《さう》して一目《ひとめ》もおつたを見《み》なかつた。 「什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》ことするつて俺《お》ら泥棒《どろぼう》はしねえぞ、勘次《かんじ》」其《そ》の切《き》れた目尻《めじり》に一|種《しゆ》の凄味《すごみ》を持《も》つておつたが立《た》つた時《とき》、卯平《うへい》はのつそりと戸口《とぐち》に大《おほ》きな躯幹《からだ》を運《はこ》ばせた。  卯平《うへい》はおつたを見《み》て例《いつも》の如《ごと》く窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の目《め》を蹙《しが》める樣《やう》にした。 「おやこつちのおとつゝあん、暫《しばら》くでがしたねどうも、御機嫌《ごきげん》よろしがすね」おつたはそら/″\しい程《ほど》打《う》つて變《かは》つた調子《てうし》でいつた。 「まあこつちへでも來《き》さつせえね」卯平《うへい》は隱居《いんきよ》へおつたを導《みちび》いた。 「俺《お》らいま外《ほか》から歸《けえ》つて來《き》たばかしだが、何《なん》でがすね」卯平《うへい》はぶすりと聞《き》いた。 「ほんにはあ、他人《ひと》にや聞《き》かせたくもねえこつたがねえ、わしもそれ盲目《めくら》の野郎《やらう》が一人《ひとり》あんだが、これ三十|近《ちか》くにもなるものをねえ、只《たゞ》打棄《うつちや》つても置《お》けねえから嫁《よめ》とらせべと思《おも》つて、えゝ鹽梅《あんべえ》のがそれ口《くち》掛《かゝ》つたもんだから勘次《かんじ》げも一|噺《はなし》すべと思《おも》つて來《き》た處《ところ》なのさ、わしもこんで義理《ぎり》は缺《か》くの厭《や》だかんね」 「さうしたら此《こ》の村落《むら》にえゝ鹽梅《あんべえ》の家《うち》あるもんだから借《か》りて身上《しんしやう》持《も》たせべと思《おも》つて保證《ほしよう》に立《た》つてくろつちつた處《ところ》がたえした挨拶《あいさつ》なのさ、三十|錢《せん》か五十|錢《せん》の家賃《やちん》をねえ、不便《ふびん》だんべぢやねえかねえ不具《かたわ》の甥《おひ》つ子《こ》のことをねえ、保證《ほしよう》に立《た》つた位《くれえ》身上《しんしやう》潰《つぶ》れるつち挨拶《あいさつ》なのさ、ねえこれ、年齡《とし》とつちやこつちのおとつゝあん先《さき》も短《みじ》けえのに心底《しんてえ》のえゝものでなくつちや、萬一《まさか》の時《とき》が心配《しんぺえ》だからねえ、後《あと》の者《もの》の厄介《やくけえ》に成《な》りてえつちな皆《みんな》おんなじだんべぢやねえか、ねえこつちのおとつゝあんさうでがせう、そんでそれ娵《よめ》つちのが心底《しんてえ》のえゝ女《をんな》だつちんだからわしも欲《ほ》しいのさ本當《ほんたう》の噺《はなし》がねえ、さう云《ゆ》つちや我慾《がよく》の樣《やう》だがおんなじもんなら軟《やつ》けえ言辭《ことば》でも掛《か》けてくれる嫁《よめ》でなくつちやねえ、さうぢやあんめえかね」おつたは狹《せま》い戸口《とぐち》に立《た》つた儘《まゝ》洋傘《かさ》の先《さき》で土《つち》へ穴《あな》を穿《うが》ちながら勘次《かんじ》の方《はう》をぢろつと見《み》つゝいきり立《た》つていつた。 「そりや、はあ、さうだが」只《たゞ》此《これ》だけいつて寡言《むくち》な卯平《うへい》は自分《じぶん》の意《い》を得《え》たといふ樣《やう》に始終《しじう》窪《くぼ》んだ目《め》を蹙《しが》めて手《て》からは煙管《きせる》を放《はな》さなかつた。勘次《かんじ》は庭《には》から偸《ぬす》むやうに視《み》ては卯平《うへい》がおつたへ威勢《ゐせい》をつけて居《ゐ》るやうに思《おも》つた。彼《かれ》は解《と》いて打《う》つて更《さら》に藁《わら》で括《くゝ》つた蕎麥《そば》の束《たば》をどさりと遠《とほ》くへ擲《はふ》つた。葉《は》が更《さら》にぐつたりと萎《しを》れた鳳仙花《ほうせんくわ》の枝《えだ》がすかりと裂《さけ》て先《さき》が地《ち》についた。 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、292-2]等《あねら》、大層《たえそ》なこと云《ゆ》つたつて、老人《としより》の面倒《めんだう》見《み》たゝ云《ゆ》へめえ」勘次《かんじ》はぶつ/\と獨語《どくご》した。おつたの耳《みゝ》にも微《かす》かにそれが聞《きこ》えた。おつたは屹《きつ》と見《み》た。 「おとつゝあ默《だま》つてるもんだ」おつぎは輕《かる》く勘次《かんじ》を制《せい》して 「お晝餐《ひる》だぞはあ」とおつぎは更《さら》に勘次《かんじ》へ注意《ちうい》した。 「そんぢやこつちのおとつゝあん、お八釜敷《やかまし》がした、わしや歸《けえ》りませうはあ、一|刻《こく》も居《ゐ》ちや邪魔《じやま》でがせうから、こつちのおとつゝあんも邪魔《じやま》に成《な》んねえ方《はう》がようがすよねえ」おつたは洋傘《かさ》を開《ひら》いて 「岡目《をかめ》でも知《し》れまさあねえ、假令《たとひ》どうでも俵《たはら》まで持《も》つてられて、辨償《まよ》つて見《み》た處《ところ》で三十|錢《せん》か五十|錢《せん》のことだんべぢやねえか、出來《でき》るも出來《でき》ねえもあるもんぢやねえ」とおつたは忌々敷《いま/\し》さに其《そ》の口《くち》を止《と》めなかつた。 「お晝餐《ひる》はどうでがすね」おつぎはそれでも怖《お》づ/\おつたへいつた。 「俺《お》ら、はあ要《え》らねえともね」おつたは蕎麥《そば》の種子《み》の一|杯《ぱい》に散《ち》らけた庭《には》を遠慮《ゑんりよ》もなく一|直線《ちよくせん》に不駄《げた》の跡《あと》をつけた。 「勘次等《かんじら》、親子《おやこ》仲《なか》よくつてよかんべ、世間《せけん》の聞《きこ》えも立派《りつぱ》だあ、親身《しんみ》のもなあ、お蔭《かげ》で肩身《かたみ》が廣《ひろ》くつてえゝや」おつたは庭《には》の出口《でぐち》から一寸《ちよつと》顧《かへり》みていつた。さうしてさつさと行《い》つて畢《しま》つた。隣《となり》の庭《には》の麥打《むぎうち》の連中《れんぢう》は、靜《しづ》かになつたこちらの庭《には》を嘲《あざけ》るやうに騷《さわ》いでは又《また》騷《さわ》ぐのが聞《きこ》えた。勘次《かんじ》は只《ただ》力《ちから》を極《きは》めて蕎麥《そば》の幹《から》を打《う》つて遂《つひ》に一|言《ごん》も吐《は》かなかつた。おつぎは垣根《かきね》の上《うへ》に浮《うか》んだおつたの洋傘《かさ》が見《み》えなくなるまで暫《しばら》くぽつさりとして庭《には》に立《たつ》た。卯平《うへい》は煙管《きせる》を噛《か》んだ儘《まゝ》凝然《ぢつ》として默《だま》つて居《ゐ》た。卯平《うへい》は暫《しばら》くして鳳仙花《ほうせんくわ》の折《を》れたのを見《み》つけて井戸端《ゐどばた》へ立《た》つた。彼《かれ》はいきなり蕎麥幹《そばがら》の束《たば》を大《おほ》きな足《あし》で蹴《け》つた。彼《かれ》は更《さら》に短《みじか》い竹《たけ》の棒《ぼう》を持《も》つて行《い》つてきつと力《ちから》を極《き》めて地《ち》に突《つ》き透《とほ》した。垂《た》れた鳳仙花《ほうせんくわ》の枝《えだ》は竹《たけ》の杖《つゑ》に縛《しば》りつけようとして手《て》を觸《ふ》れたらぽろりと莖《くき》から離《はな》れて畢《しま》つた。卯平《うへい》は忌々敷相《いまいましさう》に打棄《うつちや》つた。卯平《うへい》がのつそりと大《おほ》きな躯幹《からだ》を立《た》てた傍《そば》に向日葵《ひまはり》は悉《ことごと》く日《ひ》に背《そむ》いて昂然《かうぜん》として立《た》つて居《ゐ》る。向日葵《ひまはり》は蕾《つぼみ》が非常《ひじやう》に膨《ふく》れて黄色《きいろ》に成《な》つてから卯平《うへい》が植《う》ゑたのであつた。其《そ》の時《とき》はもう蕾《つぼみ》はどうしても日《ひ》のいふこと聽《き》いて動《うが》かないので、暑《あつ》いさうして乾燥《かんさう》の烈《はげ》しい日《ひ》がそれを憎《にく》んで硬《こは》い下葉《したば》をがさ/\に枯《か》らした。それでも強《つよ》い莖《くき》はすつと立《た》つて、大抵《たいてい》はがつかりと暑《あつ》さに打《う》たれて居《ゐ》る草木《さうもく》の間《あひだ》に誇《ほこ》つたやうに見《み》えた。其《そ》の一|杯《ぱい》に開《ひら》いた皿《さら》の樣《やう》な花《はな》が庭先《にはさき》からいつでも冷《ひやゝ》かな三|人《にん》を嘲《あざけ》るものゝやうに見《み》えるのであつた。  竹《たけ》の棒《ぼう》はぎつと突《つ》き透《とほ》した儘《まゝ》いつまでも空《むな》しく鳳仙花《ほうせんくわ》の傍《そば》に立《た》つて居《ゐ》た。          二〇  秋《あき》だ。  孰《いづ》れの梢《こずゑ》も繁茂《はんも》する力《ちから》が其《そ》の極度《きよくど》に達《たつ》して其處《そこ》に凋落《てうらく》の俤《おもかげ》が微《かす》かに浮《うか》んだ。毎日《まいにち》透徹《とうてつ》した空《そら》をぢり/\と軋《きし》りながら高熱《かうねつ》を放射《はうしや》しつゝあつた日《ひ》も餘《あま》りに長《なが》い晝《ひる》の時間《じかん》に倦《う》まうとして、空《そら》からさうして地上《ちじやう》の凡《すべ》てが漸《やうや》く變調《へんてう》を呈《てい》した。心《こゝろ》もとなげな雲《くも》が簇々《むら/\》と南《みなみ》から駈《か》け走《はし》つて、其《その》度《たび》毎《ごと》に驟雨《しうう》をざあと斜《なゝめ》に注《そゝ》ぐ。雨《あめ》は畑《はた》の乾《かわ》いた土《つち》にまぶれて、軈《やが》て飛沫《しぶき》を作物《さくもつ》の下葉《したば》に蹴《け》つて、更《さら》に濁水《だくすゐ》が白《しろ》い泡《あわ》を乘《の》せつゝ低《ひく》きを求《もと》めて去《さ》つた。それも僅《わづか》に桑《くは》の木《き》へ絡《から》んだ晝顏《ひるがほ》の花《はな》に一|杯《ぱい》の量《りやう》を注《そゝ》いでは慌《あわ》てゝ疾驅《しつく》しつゝからりと熱《ねつ》した空《そら》が拭《ぬぐ》はれることも有《あ》るのであるが、驟雨《しうう》は後《あと》から後《あと》からと驅《か》つて來《く》るので曉《あかつき》の白《しら》まぬうちから麥《むぎ》を搗《つ》いて庭《には》一|杯《ぱい》に筵《むしろ》を干《ほし》た百姓《ひやくしやう》をどうかすると五月蠅《うるさ》く苛《いぢ》めた。土地《とち》でいふ其《そ》の降《ふ》つ掛《か》けは一|日《にち》で止《や》まねば三|日《か》とか五|日《か》とか必《かなら》ず奇數《きすう》の日《ひ》で畢《をは》つた。降《ふ》つ掛《か》けが來《き》てから瓜畑《うりばたけ》は悉《ことごと》く蔓《つる》も葉《は》も俄《にはか》にがら/\に枯《か》れて悲慘《みじめ》に成《な》つて畢《しま》つた。極《きは》めてそつと然《しか》も騷《さわ》がし相《さう》に動《うご》く雲《くも》が高《たか》く低《ひく》く反對《はんたい》の方向《はうかう》に交叉《かうさ》しつゝあるのを見《み》ると共《とも》に、枯燥《こさう》しかけた草木《くさき》の葉《は》が相《あひ》觸《ふ》れ相《あひ》打《う》つてはだん/\と破《やぶ》れつゝざわ/\と悲《かな》しげな響《ひゞき》を立《た》てゝ鳴《な》つた。凄《すご》い程《ほど》冴《さ》えた夜《よる》の空《そら》は忙《いそが》しげな雲《くも》が月《つき》を呑《の》んで直《すぐ》に後《うしろ》へ吐《は》き出《だ》し/\走《はし》つた。月《つき》は反對《はんたい》に遁《に》げつゝ走《はし》つた。秋風《あきかぜ》だ。櫟《くぬぎ》や楢《なら》や雜木《ざふき》や凡《すべ》てが節制《たしなみ》を失《うしな》つて悉《ことごと》く裏葉《うらは》も肌膚《はだ》も隱《かく》す隙《すき》がなくざあつと吹《ふ》かれて只《たゞ》騷《さわ》いだ。夜《よる》は寂《さび》しさに凡《すべ》ての梢《こずゑ》が相《あひ》耳語《さゝや》きつゝ餘計《よけい》に騷《さわ》いだ。まだ暑《あつ》い空氣《くうき》を冷《つめ》たくしつゝ豪雨《がうう》が更《さら》に幾日《いくにち》か草木《くさき》の葉《は》を苛《いぢ》めては降《ふ》つて/\又《また》降《ふ》つた。例年《れいねん》の如《ごと》き季節《きせつ》の洪水《こうずゐ》が残酷《ざんこく》に河川《かせん》の沿岸《えんがん》を舐《ねぶ》つた。洪水《こうずゐ》の去《さ》つた後《あと》は、丁度《ちやうど》過激《くわげき》な精神《せいしん》の疲勞《ひらう》から俄《にはか》に老衰《らうすゐ》した者《もの》の如《ごと》く、半死《はんし》の状態《じやうたい》を呈《てい》した草木《さうもく》は皆《みな》白髮《はくはつ》に變《へん》じて其《そ》の力《ちから》ない葉先《はさき》を秋風《あきかぜ》に吹《ふ》き靡《なび》かされた。鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》に繁茂《はんも》した篠《しの》の根《ね》に纏《まつ》はつて居《ゐ》る短《みじか》い鴨跖草《つゆぐさ》も葉《は》から莖《くき》から泥《どろ》に塗《まみ》れて居《ゐ》ながら尚《なほ》生命《せいめい》を保《たも》ちつゝ日毎《ひごと》に憐《あは》れげな花《はな》をつけた。※[#「虫+車」、第3水準1-91-55]《こほろぎ》が滅入《めい》る樣《やう》に其《そ》の蔭《かげ》に鳴《な》いた。空《そら》を遙《はるか》に飛《と》んだ椋鳥《むくどり》の群《むれ》が幾《いく》つかに分《わか》れて、地上《ちじやう》に低《ひく》く騷《さわ》いでは梢《こずゑ》を求《もと》めてぎい/\と鳴《な》きつゝ落付《おちつ》かなかつた。到《いた》る處《ところ》荒《あ》れた藪《やぶ》の端《はし》や土手《どて》の瘠《や》せた篠《しの》の梢《こずゑ》に乘《の》り掛《かゝ》つて、之《これ》を噛《か》めば齒《は》がこぼれるといはれて居《ゐ》る毒《どく》な仙人草《せんにんさう》が其《そ》の手《て》を幾《いく》らでも延《のば》して思《おも》ひ切《き》つて蟠《わだかま》つた蔓《つる》が白《しろ》い花《はな》を一|杯《ぱい》につけて、さうして活々《いき/\》としたものは自分《じぶん》のみであることを誇《ほこ》るものゝ如《ごと》く、秋風《あきかぜ》に吹《ふ》かれつゝ白《しろ》い布《ぬの》の樣《やう》にふは/\と動《うご》いた。  勘次《かんじ》の村落《むら》は臺地《だいち》であるのと鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》が篠《しの》の密生《みつせい》した根《ね》の力《ちから》を以《もつ》て僅《わづか》ながら崩壤《ほうくわい》する土《つち》を引《ひ》き止《と》めたので損害《そんがい》が輕《かる》く濟《す》んだ。それでも幾日《いくにち》か降《ふ》り續《つゞ》いた雨《あめ》が水《みづ》を蓄《たくは》へて低《ひく》い畑《はた》は暫《しばら》く乾《かわ》くことがなかつた。田《た》も其《そ》の水《みづ》の爲《ため》に浸《ひた》つた箇所《かしよ》が少《すくな》くなかつた。勘次《かんじ》は日《ひ》となく夜《よ》となく田畑《たはた》を歩《ある》いて只管《ひたすら》心《こゝろ》を惱《なや》ましたが、漸《やうや》く自分《じぶん》の田畑《たはた》の作物《さくもつ》が僅《わづか》な損害《そんがい》に畢《をは》つたことを慥《たしか》めた時《とき》は彼《かれ》は激甚《げきじん》な被害地《ひがいち》の状况《じやうきやう》を傳聞《でんぶん》して自分《じぶん》の寧《むし》ろ幸《さいはひ》であつたことを竊《ひそか》に悦《よろこ》んだ。彼《かれ》が大豆《だいづ》を引《ひ》いて庭《には》に運《はこ》んだ頃《ころ》はまだ暑《あつ》い日《ひ》が落付《おちつ》いて毬《いが》の割《わ》れ始《はじ》めた栗《くり》の木《き》の梢《こずゑ》から庭《には》をぢり/\と照《てら》して居《ゐ》た。根《ね》が幾日《いくにち》もぐつしりと水《みづ》に浸《ひた》つてた大豆《だいづ》は黄色味《きいろみ》の勝《か》つた褐色《ちやいろ》の莢《さや》も幹《から》も泥《どろ》で汚《よご》れた樣《やう》に黒《くろ》ずんで居《ゐ》た。  大豆《だいづ》を引《ひ》いたのはそれでも稀《まれ》な晴天《せいてん》であつたので「いひ返《がへ》し」に來《く》る筈《はず》に成《な》つて居《ゐ》た南《みなみ》の女房《にようばう》を頼《たの》んだ。彼等《かれら》は相互《さうご》の便宜上《べんぎじやう》手間《てま》の交換《かうくわん》をするのであるが、彼等《かれら》はそれを「いひどり」というて居《ゐ》る。それで其《そ》の借《か》りた手間《てま》を返《かへ》すのがいひがへしである。大豆《だいづ》は庭《には》に運《はこ》ぶと共《とも》に一攫《ひとつか》みにしては根《ね》を上《うへ》にして先《さき》を丸《まる》く開《あ》いて互《たがひ》の幹《みき》が支柱《しちう》に成《な》るやうにして庭《には》一|杯《ぱい》に立《た》てゝ干《ほ》した。煙草《たばこ》を一|服《ぷく》吸《す》ふだけの時間《じかん》に、成熟《せいじゆく》しきつた大豆《だいづ》は漸《やうや》くぱち/\と輕《かる》い快《こゝろよ》い響《ひゞき》を立《た》てつゝ爆《は》ぜ始《はじ》めた。大豆《だいづ》は悉《ことごと》く庭《には》の土《つち》に倒《たふ》された。三|人《にん》は連枷《ふるぢ》を執《と》つて端《はし》からだん/\と幹《から》を打《う》つた。おつぎと南《みなみ》の女房《にようばう》とは相《あひ》竝《なら》んで勘次《かんじ》に對《たい》して交互《かうご》に打《う》ち卸《おろ》す連枷《ふるぢ》がどさり/\と庭《には》の土《つち》を打《う》つと硬《こは》ばつた大豆《だいづ》の幹《から》はしやりゝ/\と乾燥《かんさう》した輕《かる》い響《ひゞき》を交《まじ》へてくすんだ穢《きたな》い莢《さや》が白《しろ》く割《わ》れて薄青《うすあを》いつやゝかな豆《まめ》の粒《つぶ》が威勢《ゐせい》よく跳《は》ね出《だ》してみんな幹《から》の下《した》に潜《もぐ》り込《こ》んで畢《しま》ふ。三|人《にん》が一|遍《ぺん》大豆《だいづ》の幹《から》を踏《ふ》んで渡《わた》つたら幹《から》がぐつと落付《おちつ》いた。  おつぎは晝餐《ひる》の支度《したく》の茶《ちや》を沸《わか》した。三|人《にん》は食事《しよくじ》の後《あと》の口《くち》を鳴《な》らしながら戸口《とぐち》に出《で》てそれから栗《くり》の木《き》の陰《かげ》に暫《しばら》く蹲《うづく》まつた儘《まゝ》憩《いこ》うて居《ゐ》た。 「おや/\まあ、こつちの方《はう》はえゝこつたなあ、大豆《でえづ》でもかうだにとれて」おつたは小柄《こがら》な身體《からだ》を割合《わりあひ》に大股《おほまた》に運《はこ》んで妙《めう》な足拍手《あしびやうし》を取《と》りつゝ這入《はひ》つて來《き》た。勘次《かんじ》はちらと見《み》て栗《くり》の木《き》の幹《みき》を後《うしろ》にした儘《まゝ》俯向《うつむ》いて畢《しま》つた。おつたは更《さら》に介意《かいい》ないやうな態度《たいど》でずつと戸口《とぐち》へ行《い》つて、斜《なゝめ》に肩《かた》へ掛《か》けた風呂敷包《ふろしきづゝみ》をおろした。 「おゝ重《おも》たかつた」と少《すこ》し汗《あせ》ばんだ額《ひたひ》を手拭《てぬぐひ》でふきながら洋傘《かうもり》を仰向《あふむけ》に戸口《とぐち》へ置《お》いて、洋傘《かうもり》の中《なか》へ其《そ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を置《お》いた。南《みなみ》の女房《にようばう》はおつたを見《み》て立《た》つた。 「おやまあ、暫《しば》らくでがしたね」とおつたは、先《さき》に世辭《せじ》をいうた。 「さういへばまあ、あつちの方《はう》は酷《ひで》え洪水《みづ》だつち噺《はなし》だつけがどうでござんしたね」女房《にようばう》は手拭《てぬぐひ》をとつていつた。 「噺《はなし》の外《ほか》でがさどうも、彼此《かれこ》れはあ、小卅日《こさんじいんち》にも成《な》んべが、まあだかたでどつちから手《てえ》つけてえゝか分《わか》んねえんでがさどうもはあ、わし等《ら》方《はう》見《み》てえに洪水《みづ》ばかし出《で》たんぢや、居《ゐ》んのも厭《や》んなつちまあやうなのせ本當《ほんたう》に、さう云《ゆ》つてもこつちの方《はう》はようがすね」おつたは相手《あひて》を見《み》つけて力《ちから》を得《え》たやうにいつた。 「此《こ》んでもまさか、此《こ》の村落《むら》だつて隨分《ずいぶん》かぶつた處《ところ》も有《あ》んだから全然《まるつきり》なんともねえつちこともねえがねえ」南《みなみ》の女房《にようばう》は聲《こゑ》を低《ひく》くしていつた。 「そんでも此處《こゝ》らぢや居《ゐ》る處《とこ》にや支障《さはり》ねえんだからなんちつても諦《あきら》めはようがさね、わし等《ら》方《はう》なんぞぢや、土手《どて》へ筵圍《むしろがこ》ひしてやつとこせ凌《しの》いだものなんぼ有《あ》つたかせ、土手《どて》に居《ゐ》ても雨《あめ》せえなけりやえゝが、降《ふ》られちや酷《ひで》えつち噺《はなし》でがしたよ、そんでもまあわし等《らあ》、家《うち》に居《え》られんな居《え》られたんだからまあ同《おな》じにもようがしたのせ、そんでも床《ゆか》の上《うへ》へ四|斗樽《とだる》かう倒《さかさ》にして置《お》えてね、其《その》上《うへ》へ板《いた》渡《わた》してやつとまあ居通《ゐとほ》しあんしたがね、煮燒《にやき》すんのもやつとこせで、隣近所《となりきんじよ》は有《あ》つたつて往《い》つたり來《き》たりすんぢやなし、何程《なんぼ》心細《こゝろぼせ》えか分《わか》んねえもんですよ、尤《もつと》もこれ、死《し》ぬ者《もの》せえあんだから斯《か》うして居《え》られんな難有《ありがて》え樣《やう》なもんぢやあるが、そんでも四|斗樽《とだる》の太《ふて》え箍《たが》ん處《ところ》むぐつた時《とき》や、夜《よる》横《よこ》に成《な》つて見《み》たつて直《ぢき》耳《みゝ》の側《そば》でさら/\つとかう水《みづ》が動《うご》いてんだから、放心《うつかり》眠《ねむ》つたらそつくり持《も》つてかれつかどうだか分《わか》んねえと思《おも》つてね、ぼつちりともはあ云《ゆ》はんねえで居《ゐ》たのせえ、  それから板《いた》の端《はじ》ん處《とこ》からそろつと手《てえ》出《だ》して見《み》つと宵《よひ》の口《くち》にやさうでもねえのがひやつと手《て》の先《さき》が直《す》ぐ水《みづ》へ觸《さあ》つた時《とき》にや悚然《ぞつ》とする樣《やう》でがしたよ、それからはあ船《ふね》は枕元《まくらもと》へ繋《つな》いでたんだが、本當《ほんたう》に枕元《まくらもと》なのせえ、みんなして凝《こゞ》つて狹《せめ》えつたつて窮屈《きうくつ》だつてやつと居《ゐ》る丈《だけ》なんだから、天井《てんじやう》へは頭《あたま》打《ぶ》つゝかり相《さう》で生命《いのち》でも何《なん》でも蹙《ちゞ》めらつる樣《やう》なおもひでさ、そんでもまあ到頭《たうとう》遁《に》げもしねえで居《ゐ》らつたんだから、家《うち》でも持《も》つてかれたものからぢや運《うん》がえゝのせえ、まあ晝間《ひるま》はなんちつても方々《はう/″\》見《め》えてえゝが、夜《よる》がなんぼにも小凄《こすご》くつてねえ」おつたは自分《じぶん》の怖《おそ》ろしかつた經驗《けいけん》を聞《き》いてくれるのを悦《よろこ》ぶやうに語《かた》り續《つゞ》けるのであつた。 「そんでまあ、それもえゝが蛙《けえる》だの蛇《へび》だのが來《き》てね、蛙《けえる》はなんだが蛇《へび》がなんぼにも厭《いや》ではあ、棒《ぼう》で引《ひ》つ掛《か》けて遠《とほ》くの方《はう》へ打《ぶ》ん投《な》げて見《み》ても、執念深《しふねんぶけ》えつちのか又《また》ぞよ/\泳《およ》いで來《き》て、それも夜《よる》がねえ萬一《もしも》のことが有《あ》つちやと思《おも》ふもんだから明《あか》り點《つ》けてたんだが其《そ》の所爲《せゐ》か餘計《よけい》に來《く》る樣《やう》で、薄《うす》つ闇《くれ》え明《あか》りだからぢつき側《そば》へ來《き》てからでなくつちや分《わか》んねえし、首《くび》擡《もちや》げてんの見《み》ちや本當《ほんたう》に厭《や》でねえ」おつたは幾《いく》らいつても竭《つ》きない當時《たうじ》を髣髴《はうふつ》せしめようとする容子《ようす》でいつた。  栗《くり》の木《き》の陰《かげ》に居《ゐ》た勘次《かんじ》はだん/\と幾《いく》らづゝでも洪水《こうずゐ》の噺《はなし》に興味《きようみ》を感《かん》じても來《き》たし、それから假令《たとひ》どうでも尋《たづ》ねて來《き》た※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、299-10]《あね》に挨拶《あいさつ》もせぬのは他人《たにん》の手前《てまへ》が許容《ゆる》さないので漸《やうや》く立《た》つて 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、299-11]等《あねら》も隨分《ずゐぶん》ひでえ目《め》に遭《あつ》たんだな」彼《かれ》はいひながら家《いへ》の内《うち》へおつたを導《みちび》いた。大豆《だいづ》の埃《ほこり》を厭《いと》うて雨戸《あまど》は閉《し》め切《き》つてあつたので、大戸《おほど》を一|杯《ぱい》に開《あ》けても内《うち》は少《すこ》し闇《くら》く且《かつ》暑《あつ》かつた。おつぎは先頃《さきごろ》の樣《やう》に直《すぐ》に竈《かまど》を焚《た》いて柄杓《ひしやく》で二三|杯《ばい》の水《みづ》を茶釜《ちやがま》へ注《さ》した。 「なんちつても、かうえ豆《まめ》とれるなんておめえ等《ら》方《はう》はえゝのよなあ、俺《お》ら方《はう》ぢや土手《どて》の近《ちか》くで手《て》の有《あ》るもなあ、田《た》の畦豆《くろまめ》引《ひ》つこ拔《ぬ》えて土手《どて》の中《ちう》ツ腹《ぱら》へ干《ほ》しちや見《み》た樣《やう》だが、まあだなんちつても莢《さや》が本當《ほんたう》に膨《ふく》れねえんだから、ほんの豆《まめ》の形《かたち》したつち位《くれえ》なもんだべな、そりやさうと此《こ》の豆《まめ》はえゝ豆《まめ》だな、甘相《うまさう》でなあ」おつたは閾《しきゐ》を跨《また》いで手先《てさき》の豆《まめ》を少《すこ》し攫《つか》んで見《み》ていつた。それからおつたは洋傘《かさ》と一つに置《お》いた先刻《さつき》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を持《も》ち込《こ》んでさうして又《また》臀《しり》を据《す》ゑた。 「水《みづ》ん中《なか》に居《ゐ》ちや仕事《しごと》するにも仕事《しごと》はなしさなあ、それからみんな棒《ぼう》の先《さき》へ鈎《はり》くつゝけて魚釣《さかなつ》りしたのよ、庭《には》で幾《いく》らでも鮒《ふな》釣《つ》れるつちんだから知《し》らねえものが見《み》ちや酷《ひど》く困《こま》んねえ奴等《やつら》だと思《おも》ふ位《くれえ》なもんだんべのさ」おつたは一|杯《ぱい》の茶《ちや》を啜《すゝ》つて喉《のど》を濕《うるほ》した。おつぎも南《みなみ》の女房《にようばう》も眼《め》を据《す》ゑて默《だま》つて聞《き》いて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は六《むづ》ヶ|敷《しい》顏《かほ》をして居《ゐ》ながらも熱心《ねつしん》に聞《き》いた。 「後《あと》が酷《ひど》くつてな、縁《えん》の下《した》でも何《なん》でも泥《えごみ》が一|杯《ぺえ》で、そえつあゝ掻《か》ん出《だ》せばえゝんだが床板《ゆかいた》が白《しら》つ黴《かび》に成《な》つちやつて此《こ》れがまだなか/\干《ひ》ねえから疊《たゝみ》なんざ何時《いつ》敷《し》つ込《こ》めるもんだか分《わか》んねえのさ、そんでまた田《た》でも畑《はたけ》でも引《ひ》つ被《かぶ》つた處《とこ》は水《みづ》干《ひ》てから腐《くさ》つてるもんだから其《そ》の臭《くせ》えことが又《また》噺《はなし》にやなんねえや、俺《お》ら作物《さくもつ》ばかし困《こま》んだと思《おも》つたら、畑《はたけ》の桐《きり》の木《き》でも樫《かし》の木《き》でも今《いま》ん成《な》つてからぼろ/\葉々《はつぱ》が落《おつ》こつちやつて可怖《おつかね》えもんだよ」おつたはいひながら風呂敷《ふろしき》を解《と》いた。やまと煮《に》と書《か》いた牛肉《ぎうにく》の鑵詰《くわんづめ》が三|本《ぼん》と菓子《くわし》でもあるかと思《おも》ふ小《ちひ》さな紙包《かみづゝみ》の堅《かた》めた食鹽《しよくえん》の四つ五つとが出《で》た。 「此《こ》れなあ、そんでも難有《ありがて》えことに、水浸《みづびたし》に成《な》つた家《いへ》さは役場《やくば》から一軒毎《えつけんごめら》に下《さ》げ渡《わた》しになつたんだよ、俺《お》らまたこつちの家《うち》なんぞぢやどうえ鹽梅《あんべえ》だと思《おも》つて暫《しばら》く外《ほか》へも出《で》たことねえもんだから出《で》ても見《み》てえし、かうえ物《もの》自分《じぶん》でばかし口《くち》開《あ》けつちやあのも何《なん》だと思《おも》つて持《もつ》て來《き》て見《み》たのよ、俺《お》ら一《ひと》つ手《てえ》つけて見《み》たが何程《なんぼ》えゝ味《あぢ》のもんだか知《し》んねえや」おつたは空《から》になつたかなり大《おほ》きな風呂敷《ふろしき》を幾《いく》つかに折《を》つた。 「おゝえや、たえしたもんだね、此《こ》れ鹽《しほ》だんべけまあ、見《み》てえたつて見《み》らつるもんぢやねえよ、かうえ物《もの》あねえ、能《よ》くまあ持《も》つて來《き》て勘次《かんじ》さん此《こ》ら大變《たいへん》だ」  南《みなみ》の女房《にようばう》は食鹽《しよくえん》の一|箇《こ》を手《て》にして見《み》ながら羨《うらや》ましげにいつた。おつぎも珍《めづ》らし相《さう》にして南《みなみ》の女房《にようばう》の手《て》を覗《のぞ》いた。勘次《かんじ》も白《しろ》い食鹽《しよくえん》を爪《つめ》の先《さき》で少《すこ》しとつて口《くち》へ入《いれ》た。 「鹽辛《しよつぺ》えやまさか」彼《かれ》は嫣然《につこり》とし乍《なが》ら 「おつう、此《こ》れ藏《しま》つて置《お》け、そんぢや」 といつて更《さら》に 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、301-11]等《あねら》も酷《ひど》かんべ野《の》らは」と彼《かれ》はおつたの染《そ》めつゝあつた髮《かみ》が、交《まじ》つた白髮《しらが》をほんのりと見《み》せるまでに藥《くすり》の褪《さ》めて穢《きた》なく成《なつ》つたのを見《み》つゝいつた。 「米《こめ》でも何《なん》でも一粒《ひとつぶ》もとれやしねえのよ」おつたはぽさりとした樣《やう》にいつた。 「汁《しん》の身《み》なんざそんでも、どうにか出來《でき》んのか」 「どうしてよおめえ、青《あを》えもな土手《どて》の草《くさ》ばかしだつて云《ゆ》つてる位《くれえ》だもの、今日《けふ》が今日《けふ》困《こま》つてんだな」 「そんぢや、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、302-2]《あね》げ茄子《なす》か南瓜《たうなす》でもやんべかなあ」勘次《かんじ》は同情《どうじやう》が小《すこ》し動《うご》いたやうにいつた。 「おやそんぢや俺《お》ら家《ぢ》でも葱《ねぎ》の少《すこ》しもあげあんせう」南《みなみ》の女房《にようばう》はいつて桑畑《くはばたけ》の小徑《こみち》を小走《こばし》りに駈《か》けて行《い》つた。 「おとつゝあ、それもなんだが、さうえに持《も》てやしめえし、米《こめ》でも少《すこ》しやつたらよかんべな、どうせ少《すこ》し經《た》つと陸稻《をかぼ》刈《か》れんだもの」おつぎは口《くち》を添《そ》へた。 「うむさうだなあ」と勘次《かんじ》は南京米《ナンキンまい》の袋《ふくろ》へ米《こめ》を五|升《しよう》ばかり、もう痩《や》せて居《ゐ》る俵《たわら》から量《はか》り出《だ》した。 「挽割麥《ひきわり》もやつたらよかんべな」おつぎは又《また》いつた。 「此《こ》れさ交《ま》ぜてえゝけ」勘次《かんじ》はおつたを顧《かへり》みていつた。 「うむ、一|緒《しよ》にしてくろ」とおつたは軟《やはら》かにいつた。勘次《かんじ》は二《ふた》つを等半《とうはん》に交《ま》ぜてそれから又《また》大《おほ》きな南瓜《たうなす》を三《み》つばかり土間《どま》へ竝《なら》べた。 「そんぢや大層《たえそ》厄介《やつけえ》掛《か》けて濟《す》まねえな、そんぢや俺《お》ら米《こめ》ばかし脊負《しよ》つてつて明日《あした》でも又《また》南瓜《たうなす》はとりに來《く》るとすべえよ、そんぢや此《こ》ら、米《こめ》大變《たいへん》だから俺《お》れが風呂敷《ふろしき》ぢやちつと小《ち》つちえんだが大《え》かえの有《あ》れば貸《か》してくんねえか」おつたはおつぎへいひ掛《か》けた。 「俺《お》ら家《ぢ》にやねえが、爺《ぢい》がな有《あ》つたつけな、おとつゝあ」さういつておつぎは小走《こばし》りに卯平《うへい》の小屋《こや》へ行《い》つた。先刻《さつき》まで見《み》えなかつた卯平《うへい》が何處《どこ》から歸《かへ》つて來《き》たかむつゝりとして獨《ひとり》で煙管《きせる》を噛《かん》で居《ゐ》た。 「爺《ぢい》居《ゐ》たんだな、俺《おら》居《ゐ》ねえけりや默《だま》つて借《か》りてくべと思《おも》つたんだつけが、明日《あした》まで伯母《をば》さん大《え》かえ風呂敷《ふろしき》要《え》るつちから貸《か》してくんねえか、米《こめ》脊負《しよ》つて行《え》くんだから」おつぎは突然《だしぬけ》にいつた。 「うむ」と卯平《うへい》は不器用《ぶきよう》に風呂敷《ふろしき》を出《だ》してさうしておつぎの後《うしろ》からおつたの側《そば》へのつそりと來《き》て立《た》つた。 「此《こ》れまあ、勘次等《かんじら》にも濟《す》まねえつちつてつ處《ところ》さ、わし等《ら》も洪水《みづ》でねえ」おつたは風呂敷《ふろしき》で南京米《なんきんまい》の袋《ふくろ》をきりつと包《つゝ》んだ。 「そんぢや此《こ》の南瓜《たうなす》も俺《お》れ貰《もら》つてえゝんだな、馬鹿《ばか》に大《え》けえ南瓜《たうなす》ぢやねえかな、明日《あした》まで置《お》いてくろうな」おつたは始終《しよつちう》笑顏《えがほ》を作《つく》つて居《ゐ》る處《ところ》へ南《みなみ》の女房《にようばう》は葱《ねぎ》を一束《ひとたば》藁《わら》でくるんだのを抱《かゝ》へて來《き》た。 「どうも濟《す》みませんねこら」おつたは勘次《かんじ》を見《み》て 「どうしたもんだ、たえした葱《ねぎ》ぢやねえか、本當《ほんたう》に濟《す》まねえな、そんぢや此《こ》れも明日《あした》までとつて置《お》いてくろうな」と更《さら》に又《また》臀《しり》を据《す》ゑて一|杯《ぱい》の茶《ちや》を啜《すゝ》つた。 「おやツ、此《こ》の栗《くり》は笑《ゑ》んでんだなはあ」庭先《にはさき》の栗《くり》の梢《こずゑ》に始《はじ》めて目《め》をつけた樣《やう》におつたはいつた。 「此間《こねえだ》からなんでさ、ちつとばかしだが落《お》ちたの有《あ》りあんさ」おつぎは小笊《こざる》の底《そこ》の粒栗《つぶぐり》を出《だ》して 「あつちになけりや持《も》つてつたらようござんせう、大豆《でえづ》もこれ打《ぶ》つた處《ところ》なら持《も》つてくとえゝんでがしたがね」おつぎは快《こゝろよ》くいつた。 「さうだな、そんぢや貰《もら》つて行《え》くかな」おつたは手拭《てぬぐひ》の兩端《りやうはし》へ栗《くり》を括《くゝ》つた。 「こつちのおとつゝあん、此《こ》れわし役場《やくば》から下《さが》つたの持《も》つて來《き》て見《み》たんだが一つ分《わ》けて貰《もら》つたらようがせう、滅多《めつた》ねえ味《あぢ》のもんだから」おつぎが先刻《さつき》藏《しま》ふことを勘次《かんじ》に促《うなが》されてもおつたの手前《てまへ》を憚《はゞか》つた樣《やう》にして其《そ》の儘《まゝ》にして置《お》いた牛肉《ぎうにく》の鑵詰《くわんづめ》の一つをおつたは卯平《うへい》へやつた。卯平《うへい》は窪《くぼ》んだ目《め》を蹙《しか》めるやうにした。勘次《かんじ》は放心《うつかり》した自分《じぶん》の懷《ふところ》の物《もの》を奪《うば》はれた程《ほど》の驚愕《きやうがく》と不快《ふくわい》との目《め》を以《もつ》て卯平《うへい》とおつたとを見《み》た。おつたは重相《おもさう》な風呂敷包《ふろしきづゝみ》をうんと脊負《しよ》つて胸《むね》の結《むす》び目《め》へ兩手《りやうて》を掛《か》けて包《つゝみ》の据《すわ》りを好《よ》くする爲《ため》に二三|度《ど》搖《ゆす》つた。 「そんぢや明日《あした》またお目《め》にかゝりあんせう」おつたは一|同《どう》へ挨拶《あいさつ》して 「此《こ》りやよかつた、本當《ほんたう》にまあ」聞《きこ》えよがしに獨語《どくご》しながらおつたは庭《には》から垣根《かきね》を出《で》た。勘次《かんじ》は自分《じぶん》の側《そば》に牛鑵《ぎうくわん》を手《て》にして立《た》つた卯平《うへい》を改《あらた》めて更《さら》に不快《ふくわい》な目《め》を以《もつ》て凝視《ぎようし》しながら、彼《かれ》の心《こゝろ》の裡《うち》には惜《を》しかつたといふ念慮《ねんりよ》が何《なん》といふことはなしに只《たゞ》ふいと湧《わ》いたのであつた。 「袋《ふくろ》は明日《あした》持《も》つて來《き》てくんなくつちや畢《を》へねえぞ」と勘次《かんじ》はおつたの後《あと》から追《お》ひ掛《か》けるやうにしていつた。  おつたは垣根《かきね》に添《そ》うて後《うしろ》の林《はやし》の側《そば》から田圃《たんぼ》へ出《で》た。道端《みちばた》の竹《たけ》の梢《こずゑ》には何處《どこ》までも偃《は》うて一|杯《ぱい》に乘《の》り掛《かゝ》らねば止《や》むまいとする毒《どく》なせんにん草《さう》がくつきりと白《しろ》く誇《ほこ》つて居《ゐ》る。小《ちひ》さな身體《からだ》でありながら少《すこ》し鋭《するど》い嘴《くちばし》を持《も》つたばかりに、果敢《はか》ない雀《すゞめ》や頬白《ほゝじろ》の前《まへ》にのみ威力《ゐりよく》を逞《たくま》しくする鵙《もず》が小《ちひ》さな勝利者《しようりしや》の聲《こゑ》を放《はな》つてきい/\と際《きは》どく何處《どこ》かの木《き》の天邊《てつぺん》で鳴《な》いて居《ゐ》た。  其《そ》の夜《よ》勘次《かんじ》の家《いへ》には突然《とつぜん》一|同《どう》を驚愕《きやうがく》せしめた事件《じけん》が起《おこ》つた。それは事《こと》もなく濟《す》んでさうして餘《あま》りに滑稽《こつけい》な分子《ぶんし》を交《まじ》へて居《ゐ》た。與吉《よきち》は其《そ》の日《ひ》の夕方《ゆふがた》、紙《かみ》へ包《つゝ》んだ食鹽《しよくえん》を一《ひと》つ盜《ぬす》んだ。彼《かれ》は從來《じうらい》見《み》たことのない綺麗《きれい》な菓子《くわし》を發見《はつけん》したと思《おも》つて心《こゝろ》が躍《をど》つた。それでも彼《かれ》は其《そ》の半分《はんぶん》を割《わ》つていきなり嚥《の》み下《くだ》した。彼《かれ》は喉《のど》がぢり/\と焦《こ》げつく程《ほど》非常《ひじやう》な苦惱《くなう》を感《かん》じた。勘次《かんじ》もおつぎも只《たゞ》慌《あわ》てた。勘次《かんじ》は其《そ》の原因《げんいん》を知《し》つて 「汝《わ》りや馬鹿《ばか》だな本當《ほんたう》に、何《なん》ち馬鹿《ばか》だんべなあ」と叱《しか》つて見《み》るだけであつた。勘次《かんじ》が餘《あま》りに叱《しか》るので 「そんなに怒《おこ》つたつて癒《なほ》るめえな、おとつゝあは」と遂《つひ》にはおつぎが勘次《かんじ》を叱《しか》つた。與吉《よきち》は只《たゞ》苦《くる》しんで胸《むね》を掻《か》き※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《むし》る樣《やう》にしつゝ顛《ころ》がつて泣《な》いた。卯平《うへい》は騷《さわ》ぎを聞《き》いてのつそりと來《き》た。 「水《みづ》飮《の》ませて見《み》ろ」彼《かれ》は慌《あわ》てるといふことを知《し》らぬものゝ如《ごと》く一|言《ごん》いつた。おつぎは直《すぐ》に柄杓《ひしやく》で水《みづ》を汲《く》んだ。與吉《よきち》は幾《いく》らでも柄《え》に縋《すが》つて飮《の》んだ。 「※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》納豆《なつとう》くつたつて死《し》なねえ内《うち》に水《みづ》飮《の》ませりや何《なん》ともねんだもの、水《みづ》飮《の》ませりやそんなに騷《さわ》ぐにやあたらねえ」卯平《うへい》はいつて自分《じぶん》でも又《また》飮《の》ませた。與吉《よきち》の枕元《まくらもと》に三|人《にん》は徹宵《よつぴて》眠《ねむ》らなかつた。恐《おそ》ろしく多量《たりやう》の水《みづ》を飮《の》んだ與吉《よきち》は遂《つひ》にすや/\と眠《ねむ》つた。さうして翌朝《よくあさ》けそ/\と癒《なほ》つて驅《か》け出《だ》したのであつた。  次《つぎ》の日《ひ》おつたは復《また》來《き》た。おつたは自分《じぶん》が無意識《むいしき》に種《たね》を蒔《ま》いた昨夜《さくや》の騷《さわ》ぎを知《し》つてる筈《はず》がないので、昨日《きのふ》の如《ごと》く威勢《ゐせい》がよかつた。勘次《かんじ》は睡眠《すゐみん》の不足《ふそく》から更《さら》に餘計《よけい》に不快《ふくわい》の目《め》を蹙《しか》めた。自分《じぶん》の風呂敷《ふろしき》へ軒《のき》の下《した》に竝《なら》べてある三つの南瓜《たうなす》を包《つゝ》まうとしておつたは 「俺《お》れが南瓜《たうなす》は此《こ》れだつけかな」と不審相《ふしんさう》にいつた。 「それだんべな」勘次《かんじ》は漸《やうや》くこれだけいつた。淺猿《さも》しい彼《かれ》はおつたへやつた南瓜《たうなす》を換《か》へて置《お》いたのであつた。 「どうしたつけ、昨日《きのふ》の豆《まめ》はそんでもたんと收穫《と》れた割合《わりえゝ》だつけが」おつたが謎《なぞ》のやうにいつても勘次《かんじ》は更《さら》にはき/\といはなかつた。おつたも不快《ふくわい》な容子《ようす》をしながら南瓜《たうなす》と葱《ねぎ》とを脊負《しよ》つて別《べつ》に口《くち》を利《き》くでもなく、只《たゞ》卯平《うへい》と二言《ふたこと》三言《みこと》いつてもうどうでも好《い》いといふ態度《たいど》で出《で》て行《い》つた。勘次《かんじ》はつく/″\と中間《ちうかん》の痛《いた》く痩《や》せて括《くび》れた俵《たわら》を見《み》た。  財貨《ざいくわ》によつて物質的《ぶつしつてき》の滿足《まんぞく》を自分《じぶん》の暖《あたゝ》かな懷《ふところ》に感《かん》じた時《とき》凡《すべ》ては此《こ》れを失《うしな》ふまいとする恐怖《きようふ》から絶《た》えず其《その》心《こゝろ》を騷《さわ》がせつゝあるやうに、無盡藏《むじんざう》な自然《しぜん》の懷《ふところ》から財貨《ざいくわ》が百姓《ひやくしやう》の手《て》に必《かなら》ず一|度《ど》與《あた》へられる秋《あき》の季節《きせつ》に成《な》れば、其《そ》の財貨《ざいくわ》を保《たも》つた田《た》や畑《はたけ》の穗先《ほさき》が之《これ》を嫉《ねた》む一|部《ぶ》の自然現象《しぜんげんしやう》に對《たい》して常《つね》に戰慄《せんりつ》しつゝ且《かつ》泣《な》いた。二百十|日《か》から廿|日《か》の間《あひだ》に渡《わた》つての暴風《ばうふう》は懸念《けねん》した程《ほど》のことはなく、只《たゞ》秋《あき》の空《そら》は六かし相《さう》に低《ひく》く成《な》つて棒《ぼう》のやうな雲《くも》へ煙《けぶり》の樣《やう》な雲《くも》がぽつり/\と纏《まつは》つて居《ゐ》る日《ひ》が續《つゞ》いて二三|日《にち》晝《ひる》から夜《よる》へ掛《か》けてぼか/\と暖《あたゝ》かい空《から》つ風《かぜ》が思《おも》ひ切《き》り吹《ふ》いた。小松《こまつ》や櫟《くぬぎ》の林《はやし》に交《まじ》つて、之《これ》に觸《ふ》れゝば人《ひと》の肌膚《はだへ》に血《ち》を見《み》せる程《ほど》の硬《こは》い意地《いぢ》の惡《わる》い葉《は》を持《も》つた芒《すゝき》までが、さうしなければ目《め》にも立《た》たないのに態々《わざ/\》と薄赤《うすあか》い軟《やはら》かな穗先《ほさき》を高《たか》くさし扛《あ》げて、他《ひと》一|倍《ばい》に騷《さわ》いだ。暫《しばら》くして秋《あき》は眩《まぶし》い程《ほど》冴《さ》えた空《そら》を見《み》せた。畑《はたけ》には晝《ひる》が餘計《よけい》に明《あか》るい程《ほど》黄褐色《くわうかつしよく》に成熟《せいじゆく》した陸稻《をかぼ》が一|杯《ぱい》に首肯《うなづ》いた。蕎麥《そば》は爽《さわや》かで且《か》つ細《ほそ》く強《つよ》い秋雨《あきさめ》がしと/\と洗《あら》つて秋風《あきかぜ》がそれを乾《かわ》かした。洗《あら》つては乾《かわか》し/\屡《しば/\》それが反覆《はんぷく》されてだん/\に薄青《うすあを》く、さうして闇《やみ》の夜《よ》をさへ明《あかる》くする程《ほど》純白《じゆんぱく》に曝《さら》された。臺地《だいち》の畑《はたけ》は黄白《くわうはく》相《あひ》交《まじ》つて地勢《ちせい》の儘《まゝ》になだらかに起伏《きふく》して鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》に近《ちか》く向方《むかう》へ低《ひく》くこけて居《ゐ》る。さういふ畑《はたけ》の周圍《まはり》に立《たつ》て居《ゐ》る蜀黍《もろこし》は強《つよ》い莖《くき》がすつくりと穗《ほ》を支《さゝへ》て、それが疎《まば》らな垣根《かきね》のやうに連《つらな》つて畑《はたけ》から畑《はたけ》を繼《つな》いでは幾《いく》十|度《ど》の屈折《くつせつ》をなしつゝ段々《だん/\》に短《みぢか》くなつて此《こ》れも鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》に近《ちか》く竭《つ》きる。土手《どて》の篠《しの》の高《たか》さに見《み》える蜀黍《もろこし》は南風《なんぷう》を受《う》けて、さし扛《あ》げた手《て》の如《ごと》き形《かたち》をなしては先《さき》から先《さき》へと動《うご》いて、其《そ》の手《て》が溯《さかのぼ》る白帆《しらほ》を靜《しづ》かに上流《じやうりう》へ押《お》し進《すゝ》めて居《ゐ》る。さうしては又《また》其《そ》の疎《まば》らな垣根《かきね》は長《なが》い短《みじか》いによつて遠《とほ》くの林《はやし》の梢《こずゑ》や冴《さ》えた山々《やま/\》の頂《いたゞき》を撫《な》でゝ居《ゐ》る。爽《さわや》かな秋《あき》は斯《か》くしてからりと展開《てんかい》した。  然《しか》し勘次《かんじ》の作《つく》つた陸稻《をかぼ》はかういふ畑《はたけ》ではなく、梢《こずゑ》の荒《すさ》んだ雜木林《ざふきばやし》の間《あひだ》のみであつた。彼《か》の開墾地《かいこんち》へは周圍《しうゐ》に隱《かく》れる場所《ばしよ》が有《あ》る所爲《せゐ》か、村落《むら》の何處《どこ》にも俄《にはか》に其《その》聲《こゑ》を聞《き》かなくなつた雀《すゞめ》が群《ぐん》をなして日毎《ひごと》に襲《おそ》うた。彼《かれ》はそれでも根《こん》よく白《しろ》い瓦斯絲《ガスいと》を縱横《じゆうわう》に畑《はたけ》の上《うへ》に引《ひ》つ張《ぱ》つてひら/\と燭奴《つけぎ》を吊《つ》つて威《おど》して見《み》た。それでも狡獪《かうくわい》な雀《すゞめ》の爲《ため》に籾《もみ》のまだ堅《かた》まらないで甘《あま》い液汁《しる》の如《ごと》き状態《じやうたい》をなして居《ゐ》る内《うち》から小《ちひ》さな嘴《くちばし》で噛《か》んで夥《したゝ》かに籾殼《もみがら》が滾《こぼ》された。彼《かれ》は空《から》つ風《かぜ》が障《さは》つたとは思《おも》つて居《ゐ》ても、長《なが》い幹《から》を刈《か》り倒《たふ》した時《とき》はそれでも熱心《ねつしん》で且《かつ》愉快《ゆくわい》であつたが、然《しか》し乾燥《かんさう》して米《こめ》にした時《とき》には彼《かれ》は夏《なつ》の頃《ころ》の豫想《よさう》と非常《ひじやう》な相違《さうゐ》であることを確《たしか》めて落膽《らくたん》せざるを得《え》なかつた。  彼《かれ》の淺猿《さも》しい心《こゝろ》が僅《わづか》な米《こめ》や麥《むぎ》を※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、308-10]《あね》なるものゝおつたに騙《だま》して取《と》られたかと思《おも》ひ出《だ》しては暫《しばら》くの間《あひだ》忌々敷《いま/\し》さに堪《た》へなかつた。彼《かれ》は勢《いきほ》ひ何《なに》かに當《あた》り散《ち》らさうとするのにおつぎと與吉《よきち》とに對《たい》しては餘《あま》りに深《ふか》い親《した》しみを有《も》つて居《ゐ》た。斯《か》うして彼《かれ》の卯平《うへい》に對《たい》する憎惡《ぞうを》の念《ねん》が彼《かれ》の心《こゝろ》へ錐《きり》を穿《うが》つて更《さら》に釘《くぎ》を以《もつ》て確然《しつか》と打《う》ちつけられたのであつた。          二一  勘次《かんじ》が走《はし》つて鬼怒川《きぬがは》の岸《きし》に立《た》つた時《とき》は霧《きり》が一|杯《ぱい》に降《お》りて、水《みづ》は彼《かれ》の足許《あしもと》から二三|間《げん》先《さき》が見《み》えるのみであつた。岸《きし》には船《ふね》が繋《つな》いでなかつた。彼《かれ》は焦慮《あせ》つて例《いつも》するやうに大聲《おほごゑ》出《だ》して對岸《むかう》へ行《い》つた筈《はず》の船《ふね》を喚《よ》んだ。「おうえ」と應《おう》ずる聲《こゑ》が水《みづ》を渉《わた》つて強《つよ》く然《し》かも近《ちか》く聞《きこ》えた。勘次《かんじ》は其《そ》の聲《こゑ》に壓《あつ》せられて默《だま》つた。直《す》ぐに舳《へさき》が薄《うす》く霧《きり》の中《なか》から見《み》えた。勘次《かんじ》は殆《ほと》んど咽《むせ》ぶやうな霧《きり》に包《つゝ》まれて船《ふね》に立《た》つた。處々《ところ/″\》さら/\と微《かす》かに響《ひゞき》を傳《つた》ひて船《ふね》の底《そこ》が支《さゝ》へられようとする。初秋《しよしう》の洪水《こうずゐ》以來《いらい》河《かは》の中央《ちうあう》には大《おほ》きな洲《す》が堆積《たいせき》されたので、船《ふね》は其《そ》の周圍《しうゐ》を偃《は》うて遠《とほ》く彎曲《わんきよく》を描《ゑが》かねば成《な》らぬ。勘次《かんじ》は目《め》を掩《おほ》はれたやうで心細《こゝろぼそ》い霧《きり》の中《なか》に、其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》ことで著《いちじる》しく延長《えんちやう》された水路《すゐろ》を辿《たど》つて居《ゐ》ながら、悠然《ゆつくり》として鈍《にぶ》い棹《さを》の立《た》てやうをするのに心《こゝろ》を焦慮《あせ》らせて 「どうしたんべ、入《へえ》つちや越《こ》せめえか」船頭《せんどう》の方《はう》を向《む》いて彼《かれ》はいつた。 「ぶく/\やりたけりや入《へえ》つた方《はう》がえゝや」船頭《せんどう》はそつけなくいつて徐《おもむ》ろに棹《さを》を立《た》てる。船底《ふなぞこ》が觸《さは》つて立《た》つて居《ゐ》る身體《からだ》がぐらりと後《うしろ》へ倒《たふ》れ相《さう》に成《な》つた。勘次《かんじ》は船頭《せんどう》が態《わざ》と自分《じぶん》を突《つ》きのめしたものゝやうに感《かん》じて酷《ひど》く手頼《たより》ない心持《こゝろもち》がした。彼《かれ》は凝然《ぢつ》と屈《かゞ》んで船頭《せんどう》の操《あやつ》る儘《まゝ》に任《まか》せた。中央《ちうあう》の大《おほ》きな洲《す》から續《つゞ》く淺瀬《あさせ》に支《さゝ》へられて船《ふね》は例《いつも》の處《ところ》へは着《つ》けられなく成《な》つて居《ゐ》る。只《たゞ》一人《ひとり》の乘客《じようかく》である勘次《かんじ》は船頭《せんどう》の勝手《かつて》な處《ところ》へおろされたやうに思《おも》つた。河楊《かはやなぎ》が痩《や》せて、赤《あか》い實《み》を隱《かく》した枸杞《くこ》の枝《えだ》がぽつさりと垂《た》れて、大《おほ》きな蓼《たで》の葉《は》が黄色《きいろ》くなつて居《ゐ》る岸《きし》へ船《ふね》はがさりと舳《へさき》を突《つ》つ込《こ》んだのである。それでも其處《そこ》にはもう幾度《いくたび》か船《ふね》がつけられたと見《み》えて足趾《あしあと》らしいのが階段《かいだん》のやうに形《かたち》づけられてある。勘次《かんじ》は河楊《かはやなぎ》の枝《えだ》に手《て》を掛《か》けて他人《ひと》の足趾《あしあと》を踏《ふ》んだ。枝《えだ》や葉《は》がざら/\と彼《かれ》の蓙《ござ》に觸《ふ》れて鳴《な》つた。彼《かれ》は三足目《みあしめ》に岸《きし》に立《た》つた。岸《きし》は畑《はたけ》で、洪水《こうずゐ》が齎《もたら》した灰《はひ》に似《に》てる泥《えごみ》が一|杯《ぱい》に乾《かわ》いて大《おほ》きな龜裂《きれつ》を生《しやう》じて居《ゐ》る。周圍《しうゐ》の蜀黍《もろこし》が穗《ほ》を伐《き》られた儘《まゝ》、少《すこ》し遠《とほ》くはぼんやりとして此《こ》れも霧《きり》の中《なか》に悄然《ぽつさり》と立《た》つて居《ゐ》る。勘次《かんじ》が顧《ふりかへ》つた時《とき》、彼《かれ》を打棄《うつちや》つた船《ふね》は沈《しづ》んだ霧《きり》に隔《へだ》てられて見《み》えなかつた。彼《かれ》は蜀黍《もろこし》の幹《から》に添《そ》うて足趾《あしあと》に從《したが》つて遙《はるか》に土手《どて》の往來《わうらい》へ出《で》た。霧《きり》が一|遍《ぺん》に晴《は》れた。彼《かれ》は何《なに》かに騙《だま》された後《あと》のやうに空洞《からり》とした周圍《しうゐ》をぐるりと見廻《みまは》さない譯《わけ》にはいかなかつた。彼《かれ》は沿岸《えんがん》の洪水後《こうずゐじ》の變化《へんくわ》に驚愕《おどろき》の目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つた。偶然《ひよつと》彼《かれ》は俄《にはか》に透明《とうめい》に成《な》つた空氣《くうき》の中《なか》から驅《かけ》つて來《き》て網膜《まうまく》の底《そこ》にひつゝいたものゝやうにぽつちりと一つ目《め》についたものがある。それは遠《とほ》い上流《じやうりう》に繋《かゝ》つて居《ゐ》る小《ちひ》さな船《ふね》であつた。  其處《そこ》には數本《すうほん》の竹竿《たけざを》が立《た》てられてあるのも同時《どうじ》に彼《かれ》の目《め》に入《い》つた。彼《かれ》は直《す》ぐにそれが鮭捕船《さけとりぶね》であることを知《し》つた。漁夫《ぎよふ》は鮭《さけ》が深夜《しんや》に網《あみ》に懸《かゝ》るのを待《ま》ちつゝ、假令《たとひ》連夜《れんや》に渡《わた》つてそれが空《むな》しからうともぽつちりとさへ眠《ねむ》ることなく、又《また》獲物《えもの》が鋭《するど》く水《みづ》を切《き》つて進《すゝ》んで來《く》るのを彼等《かれら》の敏捷《びんせふ》な目《め》が闇夜《あんや》にも必《かなら》ず逸《いつ》することなく、接近《せつきん》した一|刹那《せつな》彼等《かれら》は水中《すゐちう》に躍《をど》つて機敏《きびん》に網《あみ》を以《もつ》て獲物《えもの》を卷《ま》くのである。彼等《かれら》は夜《よ》が明《あ》けると銀《ぎん》の如《ごと》く光《ひか》つて居《ゐ》る獲物《えもの》が一|尾《ぴ》でも船《ふね》に在《あ》ればそれを青竹《あをだけ》の葉《は》に包《つゝ》んで威勢《ゐせい》よく擔《かつ》いで出《で》る。さもなければ怜悧《りこう》な鮭《さけ》が澱《よど》みに隱《かく》れて動《うご》かぬ白晝《ひる》の間《あひだ》のみぐつたりと疲《つか》れた身體《からだ》に僅《わづか》に一|睡《すい》を偸《ぬす》むに過《す》ぎないので、朝《あさ》の明《あか》るく白《しろ》い水《みづ》にさへ凝然《ぢつ》と其《そ》の目《め》を放《はな》たないのである。孰《いづ》れにしても小《ちひ》さな船《ふね》は今《いま》冷《つめ》たい朝《あさ》の靜《しづ》けさを保《たもつ》て居《ゐ》るのである。只《たゞ》遙《はるか》に隔《へだ》つた村落《むら》の木立《こだち》の梢《こずゑ》から騰《のぼ》る炊煙《すゐえん》が冴《さ》えた冷《つめ》たい空《そら》に吸《す》ひこまれて居《ゐ》るのみで、其《そ》の小《ちひ》さな船《ふね》が中心點《ちうしんてん》をなして勘次《かんじ》の目《め》には一つも動《うご》く物《もの》を見《み》なかつた。彼《かれ》は暫《しばら》く又《また》凝然《ぢつ》として上流《じやうりう》の小船《こぶね》を見《み》て居《ゐ》た。彼《かれ》は氣《き》がついた時《とき》土手《どて》を一|散《さん》に北《きた》へ急《いそ》いだ。土手《どて》は軈《やが》て水田《すゐでん》に添《そ》うてうね/\と遠《とほ》く走《はし》つて居《ゐ》る。土手《どて》の道幅《みちはゞ》が狹《せま》くなつた。それは刈《か》られてぐつしやりと濕《しめ》つて居《ゐ》る稻《いね》が土手《どて》の芝《しば》の上《うへ》一|杯《ぱい》に干《ほ》されてあつたからである。稻《いね》はぼつ/\と簇《むらが》つて居《ゐ》る野茨《のばら》の株《かぶ》を除《のぞ》いて悉《こと/″\》く擴《ひろ》げられてある。野茨《のばら》の葉《は》はもう落《お》ちて畢《しま》つて、小《ちひ》さな枝《えだ》の先《さき》には赤《あか》いつやゝかな實《み》が一つづゝ翳《かざ》されて居《ゐ》る。草刈《くさかり》の鎌《かま》を遁《のが》れて確乎《しつか》と其《その》株《かぶ》の根《ね》に縋《すが》つた嫁菜《よめな》の花《はな》が刺立《とげだ》つた枝《えだ》に倚《よ》り掛《かゝ》りながらしつとりと朝《あさ》の濕《うるほ》ひを帶《おび》て居《ゐ》る。濡《ぬ》れた稻《いね》の臭《にほひ》が勘次《かんじ》の鼻《はな》を衝《つ》いた。螽《いなご》がぱら/\と足《あし》の響《ひゞき》に連《つ》れて稻《いね》を渉《わた》つて遁《にげ》た。彼《かれ》は其《その》干《ほ》された稻《いね》の穗先《ほさき》を攫《つか》んで籾《もみ》の幾粒《いくつぶ》かを手《て》に扱《しご》いて見《み》た。彼《かれ》は更《さら》に其《その》籾粒《もみつぶ》を齒《は》で噛《か》んで見《み》た。彼《かれ》は夫《それ》から又《また》一|散《さん》に走《はし》つた。彼《かれ》は少《すこ》しの間《ま》に酷《ひど》く暇《ひま》どつたやうに感《かん》じた。足《あし》には脚絆《きやはん》と草鞋《わらぢ》とを穿《はい》て背《せ》には蓙《ござ》を負《お》うて居《ゐ》る。蓙《ござ》は終《た》えず彼《かれ》の背後《はいご》にがさ/\と鳴《な》つて其《そ》の耳《みゝ》を騷《さわ》がした。彼《かれ》は遂《つひ》に土手《どて》から折《を》れて東《ひがし》へ/\と走《はし》つた。  村落《むら》がぽつり/\と木立《こだち》を形《かたど》つて居《ゐ》る外《ほか》には一|帶《たい》に只《たゞ》連續《れんぞく》して居《ゐ》る水田《すゐでん》を貫《つらぬ》いて道《みち》は遙《はるか》に遠《とほ》く、ひつゝいたやうな臺地《だいち》の林《はやし》を望《のぞ》んで一|直線《ちよくせん》である。彼《かれ》は嘗《かつ》て其處《そこ》を歩《ある》いたことはあつた。然《しか》し彼《かれ》の知《し》つてるのは幾屈曲《いくくつきよく》をなして居《ゐ》た當時《たうじ》である。彼《かれ》は何時《いつ》の間《ま》にか極端《きよくたん》に人工的《じんこうてき》の整理《せいり》を施《ほどこ》された耕地《かうち》に驚愕《おどろき》の目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つた。彼《かれ》は溝渠《こうきよ》の井然《せいぜん》として居《ゐ》るのに見惚《みと》れて畢《しま》つた。  日《ひ》は漸《やうや》く朝《あさ》を離《はな》れて空《そら》に居据《ゐすわ》つた。凡《すべ》ての物《もの》が明《あか》るい光《ひかり》を添《そ》へた。然《しか》しながら周圍《しうゐ》の何處《いづこ》にも活々《いき/\》した緑《みどり》は絶《た》えて目《め》に映《うつ》らなかつた。まだ幾《いく》らも刈《か》られてない田《た》は、黄褐色《くわうかつしよく》の明《あか》るい光《ひかり》を反射《はんしや》して、處々《しよ/\》の畑《はたけ》に仕《あ》る桑《くは》も、霜《しも》に逢《あ》ふまではと梢《こずゑ》の小《ちひ》さな軟《やはら》かな葉《は》の四五|枚《まい》が潤《うるほ》ひを有《も》つて居《ゐ》るのみである。ぽつ/\と簇《むらが》つた村落《むら》の木立《こだち》の孰《いづ》れも悉《こと/″\》く赭《あか》いくすんだ葉《は》を以《もつ》て掩《おほ》はれて居《ゐ》る。さうして低《ひく》く相《あひ》接《せつ》して居《ゐ》る木立《こだち》との間《あひだ》に截然《くつきり》と強《つよ》い線《せん》を描《ゑが》いて空《そら》は憎《にく》い程《ほど》冴《さえ》て居《ゐ》る。さうだ。凡《すべ》ての植物《しよくぶつ》が有《も》つて居《ゐ》る緑素《りよくそ》は悉皆《みんな》空《そら》が持《も》つて居《ゐ》るのだ。春《はる》になると空《そら》はそれを雨《あめ》に溶解《ようかい》して撒《ま》いてやるのだ。それだから濕《うるほ》うた枝《えだ》はどれでも青《あを》く彩《いろど》られねばならぬ筈《はず》である。それだから幾度《いくたび》百姓《ひやくしやう》の手《て》が耕《たがや》さうとも其《そ》の土《つち》を乾燥《かんさう》して濡《ぬ》らさぬ工夫《くふう》を立《たて》ない限《かぎ》りは、思《おも》はぬ處《ところ》にぽつり/\と草《くさ》の葉《は》が青《あを》く出《で》て、雨《あめ》が降《ふ》れば降《ふ》る程《ほど》何處《どこ》でも一|杯《ぱい》に其《そ》の草《くさ》の葉《は》が濃《こ》く成《な》つて行《ゆ》かねばならぬ筈《はず》である。それを晩秋《ばんしう》の空《そら》が悉皆《みんな》持《も》ち去《さ》るので滅切《めつきり》と冴《さ》える反對《はんたい》に草木《くさき》は凡《すべ》てが乾燥《かんさう》したりくすんだりして畢《しま》ふのに相違《さうゐ》ないのである。  明《あか》るい日《ひ》は全《まつた》く晝《ひる》に成《な》つた。處々《ところ/″\》の島《しま》のやうな畑《はたけ》の縁《へり》から田《た》へ偃《は》ひ掛《かゝ》つて居《ゐ》る料理菊《れうりぎく》の黄《き》な花《はな》が就中《なかでも》一|番《ばん》強《つよ》く日光《につくわう》を反射《はんしや》して近《ちか》いよりは遠《とほ》い程《ほど》快《こゝろ》よく鮮《あざや》かに見《み》えて居《ゐ》る。勘次《かんじ》は始終《しよつちう》手拭《てぬぐひ》を以《もつ》て捲《ま》いた右手《めて》の肘《ひぢ》を抱《かゝ》へるやうにして伏目《ふしめ》に歩《ある》いた。道《みち》に添《そ》うて狹《せま》い堀《ほり》の淺《あさ》い水《みづ》に彼《かれ》の目《め》が放《はな》たれた。がら/\に荒《すさ》んだ狼把草《たうこぎ》やゑぐがぽつ/\と水《みづ》に浸《ひた》つて居《ゐ》る。蒼《あを》い空《そら》は淺《あさ》い水《みづ》の底《そこ》から遙《はる》かに深《ふか》く遠《とほ》く光《ひか》つた。さうして何處《どこ》からか迷《まよ》ひ出《だ》して落付《おちつ》く場所《ばしよ》を見出《みいだ》し兼《か》ねて困《こま》つて居《ゐ》るやうな白《しろ》い雲《くも》が映《うつ》つて、勘次《かんじ》が走《はし》れば走《はし》る程《ほど》先《さき》へ/\と移《うつ》つた。勘次《かんじ》はそれを凝視《みつ》めて行《ゆ》くと何《なん》だか頭腦《あたま》がぐら/\するやうに感《かん》ぜられた。彼《かれ》は昨夜《ゆふべ》は眠《ねむ》らなかつた。彼《かれ》の自分《じぶん》獨《ひとり》で噛《か》み殺《ころ》して居《ゐ》ねばならぬ忌々敷《いま/\し》さが頭腦《あたま》を刺戟《しげき》した。彼《かれ》は只管《ひたすら》肘《ひぢ》の瘡痍《きず》の實際《じつさい》よりも幾倍《いくばい》遙《はるか》に重《おも》く他人《ひと》には見《み》せたい一|種《しゆ》の解《わか》らぬ心持《こゝろもち》を有《も》つて居《ゐ》た。寸暇《すんか》をも惜《をし》んだ彼《かれ》の心《こゝろ》は從來《これまで》になく、自分《じぶん》の損失《そんしつ》を顧《かへり》みる餘裕《よゆう》を有《も》たぬ程《ほど》惑亂《わくらん》し溷濁《こんだく》して居《ゐ》た。白晝《ひる》の日《ひ》は横頬《よこほゝ》に暑《あつ》い程《ほど》に射《さ》し掛《か》けたが周圍《あたり》は依然《やつぱり》冷《つめ》たかつた。堀《ほり》の淺《あさ》い水《みづ》には此《こ》れも冷《つめ》たげに凝然《ぢつ》と身《み》を沈《しづ》めた蛙《かへる》が默《だま》つて彼《かれ》を見《み》て居《ゐ》た。遠《とほ》い田圃《たんぼ》を彼《かれ》は前後《ぜんご》に只《たゞ》一人《ひとり》の行人《かうじん》であつた。遙《はるか》にぽつり/\と見《み》える稻刈《いねかり》の百姓《ひやくしやう》は※[#「煢−冖」、第4水準2-79-80]然《ぽつさり》とした彼《かれ》の目《め》から隱《かく》れようとする樣《やう》に悉皆《みんな》ずつと低《ひく》く身《み》を屈《かゞ》めて居《ゐ》る。明《あか》るい光《ひかり》に滿《み》ちた田圃《たんぼ》を其《そ》の惑亂《わくらん》し溷濁《こんだく》した心《こゝろ》を懷《いだ》いて寂《さび》しく歩數《あゆみ》を積《つ》んで行《ゆ》く彼《かれ》は、玻璃器《はりき》の水《みづ》を日《ひ》に翳《かざ》して發見《はつけん》した一|點《てん》の塵芥《ごみ》であつた。  勘次《かんじ》は田圃《たんぼ》が竭《つ》きた時《とき》村落《むら》を過《す》ぎて臺地《だいち》へ出《で》た。村落《むら》の垣根《かきね》には稻《いね》を掛《か》けて居《ゐ》る人々《ひとびと》があつた。道《みち》行《ゆ》く人《ひと》を見《み》たがる癖《くせ》の彼等《かれら》は皆《みな》忙《いそが》しげな勘次《かんじ》を見《み》た。勘次《かんじ》は他人《ひと》が自分《じぶん》を見《み》ることを知《し》つた時《とき》肘《ひぢ》を復《ま》た叮嚀《ていねい》に抱《だ》いた。臺地《だいち》には林《はやし》の間《あひだ》に陰氣《いんき》な畑《はたけ》が開墾《かいこん》されてあつた。彼《かれ》は開墾地《かいこんち》の土質《どしつ》と作物《さくもつ》とを非常《ひじやう》な注意《ちうい》で見《み》た。又《また》村落《むら》があつて廣《ひろ》い畑《はたけ》が展開《てんかい》した。畑《はたけ》は陸稻《をかぼ》を刈《か》つた儘《まゝ》の處《ところ》が幾《いく》らもあつた。彼《かれ》は陸稻《をかぼ》の刈株《かりかぶ》を叮嚀《ていねい》に草鞋《わらぢ》の先《さき》で蹂《ふ》んで見《み》た。百姓《ひやくしやう》がちらほらと動《うご》いて麥《むぎ》を蒔《ま》くべき土《つち》が清潔《せいけつ》に耕《たがや》されつゝある。畑《はたけ》の黒《くろ》い土《つち》は彼等《かれら》の技巧《ぎかう》を發揮《はつき》して叮嚀《ていねい》に耕《たがや》されゝば日《ひ》がまだそれを乾《ほ》さない内《うち》は只《たゞ》清潔《せいけつ》で快《こゝろ》よい感《かん》じを見《み》る人《ひと》の心《こゝろ》に與《あた》へるのである。  さういふ村落《むら》を包《つゝ》んで其處《そこ》にも雜木林《ざふきばやし》が一|帶《たい》に赭《あか》くなつて居《ゐ》る。他《た》に先立《さきだ》つて際《きは》どく燃《も》えるやうになつた白膠木《ぬるで》の葉《は》が黒《くろ》い土《つち》と遠《とほ》く相《あひ》映《えい》じて居《ゐ》る。勘次《かんじ》は自分《じぶん》の麥《むぎ》を蒔《ま》くべき畑《はたけ》の用意《ようい》がまだ十|分《ぶん》でないことを思《おも》つた。彼《かれ》は前年《ぜんねん》寒《さむ》さが急《きふ》に襲《おそ》うた時《とき》、種《たね》蒔《ま》く日《ひ》が僅《わづか》に二日《ふつか》の相違《さうゐ》で後《おく》れた麥《むぎ》の意外《いぐわい》に收穫《しうくわく》の減少《げんせう》した苦《にが》い經驗《けいけん》を忘《わす》れ去《さ》ることが出來《でき》なかつた。彼《かれ》は標準《へうじゆん》として教《をし》へられた其《そ》の日《ひ》を外《はづ》すことなく麥《むぎ》は蒔《ま》かねばならぬものと覺悟《かくご》をして居《ゐ》るのである。それと共《とも》に一|日《にち》でも斯《か》うして時間《じかん》を空費《くうひ》する自分《じぶん》の瘡痍《きず》に就《つ》いて彼《かれ》は深《ふか》く悲《かな》しんだ。然《しか》しそれで居《ゐ》ながら彼《かれ》は悲痛《ひつう》から來《く》る憤懣《ふんまん》の情《じやう》が、只《たゞ》其《その》瘡痍《きず》を何人《なんぴと》にも實際《じつさい》以上《いじやう》に重《おも》く見《み》せもし見《み》られもしたい果敢《はか》ない念慮《ねんりよ》を湧《わ》かしむることより外《ほか》に何物《なにもの》をも有《も》たなかつた。彼《かれ》は殆《ほと》んど絶對《ぜつたい》に同情《どうじやう》と慰藉《ゐしや》とに渇《かつ》して居《ゐ》たのである。  畑《はたけ》の黒《くろ》い土《つち》にはぽつ/\と大根《だいこん》の葉《は》が繁《しげ》つて居《ゐ》る。周圍《しうゐ》に冴《さ》えた青《あを》い物《もの》は大根《だいこん》の葉《は》のみである。大根《だいこん》の葉《は》は、一|旦《たん》地上《ちじやう》の緑《みどり》を奪《うば》うて透徹《とうてつ》した空《そら》が其《そ》の濃厚《のうこう》な緑《みどり》を沈澱《ちんでん》させて地上《ちじやう》に置《お》いた結晶體《けつしやうたい》でなければならぬ。晩秋《ばんしう》の氣《き》は只管《ひたすら》に沈《しづ》まうとのみして居《ゐ》る。生殖作用《せいしよくさよう》を畢《をは》つた凡《すべ》ての作物《さくもつ》の穗先《ほさき》は悉皆《みんな》もう俛首《うなだ》れて居《ゐ》る。蟲《むし》の聲《こゑ》も地《ち》に沁《し》み入《い》らうとして居《ゐ》る。獨《ひと》り爽《さわや》かな緑《みどり》を與《あた》へられた大根《だいこん》の葉《は》も、幾《いく》ら成長《せいちやう》しても強《つよ》く引《ひ》き締《し》める晩秋《ばんしう》の氣《き》を受《う》けて地《ち》にひつゝくやうにして漸《やつ》と斜《なゝめ》に廣《ひろ》がるのみで、毫《すこし》でも高《たか》く立《た》ち昇《のぼ》ることを許容《ゆる》されて居《を》らぬ。恁《か》うして畑《はたけ》の土《つち》は只《たゞ》冷《つめ》たく凍《こほ》るのを待《ま》つて居《ゐ》るのである。  勘次《かんじ》は漸《やうや》く整骨醫《せいこつい》の門《もん》に達《たつ》した。整骨醫《せいこつい》の家《いへ》はがら竹《たけ》の垣根《かきね》に珊瑚樹《さんごじゆ》の大木《たいぼく》が掩《おほ》ひかぶさつて陰氣《いんき》に見《み》えて居《ゐ》た。戸板《といた》を三|角形《かくけい》に合《あは》せて駕籠《かご》のやうに拵《こしら》へたのが垣根《かきね》の内《うち》に置《お》かれてあつた。誰《たれ》か重《おも》い怪我人《けがにん》が運《はこ》ばれたのだと勘次《かんじ》は直《す》ぐに悟《さと》つてさうして何《なん》だか悚然《ぞつ》とした。彼《かれ》は業々《げふ/\》しい自分《じぶん》の扮裝《いでたち》に恥《は》ぢて躊躇《ちうちよ》しつゝ案内《あんない》を請《こ》うた。ぽつさりとして玄關《げんくわん》に待《ま》つて居《ゐ》るのは悉皆《みんな》怪我人《けがにん》ばかりである。首《くび》から白《しろ》い布片《きれ》を吊《つ》つて此《こ》れも白《しろ》く繃帶《ほうたい》した手《て》を持《も》たせたものもあつた。其處《そこ》に蒼《あを》い顏《かほ》をしてぐつたりと横《よこた》はつて居《ゐ》るものもあつた。勘次《かんじ》は怪我人《けがにん》の後《うしろ》に隱《かく》れるやうにして自分《じぶん》の番《ばん》になるのを待《ま》ちながら周邊《あたり》が何《なん》となく藥臭《くすりくさ》くて恐《おそ》ろしいやうな感《かん》じに囚《とら》はれた。醫者《いしや》は一人《ひとり》の患部《くわんぶ》を軟《やはら》かに柔《も》んでやつて居《ゐ》たが勘次《かんじ》をちらと見《み》た。勘次《かんじ》は何《なん》だか睨《にら》まれたやうに感《かん》じた。醫者《いしや》は爼板《まないた》のやうな板《いた》の上《うへ》に黄褐色《くわうかつしよく》な粉藥《こぐすり》を少《すこ》し出《だ》して、白《しろ》い糊《のり》と煉《ね》り合《あは》せて、罎《びん》の酒《さけ》のやうな液體《えきたい》でそれを緩《ゆる》めてそれから長《なが》い鋏《はさみ》で白紙《はくし》を刻《きざ》んで、眞鍮《しんちう》の箆《へら》で其《その》藥《くすり》を紙《かみ》へ塗抹《ぬ》つて患部《くわんぶ》へ貼《は》つてやつた。怪我人等《けがにんら》は只《たゞ》凝然《ぢつ》として醫者《いしや》の熟練《じゆくれん》した手《て》もとを凝視《ぎようし》した。勘次《かんじ》は他人《ひと》の後《うしろ》から爪立《つまだて》をした。二三|人《にん》小《ちひ》さな療治《れうぢ》が濟《す》んで十二三の男《をとこ》の子《こ》が仕事衣《しごとぎ》の儘《まゝ》な二十四五の百姓《ひやくしやう》に負《お》はれて醫者《いしや》の前《まへ》に据《す》ゑられた。醫者《いしや》は縁側《えんがは》の明《あか》るみへ座蒲團《ざぶとん》を敷《し》いて出《で》た。怪我人《けがにん》は醫者《いしや》の前《まへ》へ出《で》ると恐怖《きようふ》に襲《おそ》はれたやうに俄《にはか》に鳴咽《をえつ》した。醫者《いしや》は横《よこ》に膨《ふく》れた大《おほき》な身體《からだ》でゆつたりと胡坐《あぐら》をかいた儘《まゝ》怪我人《けがにん》の左《ひだり》の手《て》を捲《まく》つて見《み》た。怪我人《けがにん》の上膊《じやうはく》が挫折《ざせつ》してぶらりと垂《た》れて居《ゐ》た。醫者《いしや》は怪我人《けがにん》の患部《くわんぶ》に手《て》を觸《ふ》れて見《み》て 「お前《まへ》そつち持《も》つて」と簡單《かんたん》に顎《あご》で百姓《ひやくしやう》へ指圖《さしづ》した。百姓《ひやくしやう》は怖《お》づ/\怪我人《けがにん》の後《うしろ》へ廻《まは》つて蒼《あを》い顏《かほ》をして抱《だ》いた。 「えゝか、ぎつと抱《だ》いてるんだぞ」醫者《いしや》は足《あし》を怪我人《けがにん》の腹部《ふくぶ》に當《あ》てゝ兩手《りやうて》に挫折《ざせつ》した手《て》を持《も》つて曳《ひ》かうとした。怪我人《けがにん》は恐《おそ》ろしさにわつと聲《こゑ》を放《はな》つて泣《な》いた。醫者《いしや》は手《て》を止《と》めた。 「お前《まへ》兄貴《あにき》だな、そんぢやえゝ、徒勞《むだ》だ」と抱《だ》いた手《て》を放《はな》たしめた。百姓《ひやくしやう》は骨肉《こつにく》の勦《いたは》りが泣《な》き號《さけ》ぶ子《こ》をぎつと力《ちから》を籠《こ》めて曳《ひ》かせない。そんな思《おも》ひきつた手段《しゆだん》に加《くは》はることは出來《でき》ないのであつた。百姓《ひやくしやう》は泣《な》けば泣《な》く程《ほど》手《て》を緩《ゆる》めた。醫者《いしや》はそれで徒勞《むだ》だといつた。百姓《ひやくしやう》は只《たゞ》蒼《あを》い顏《かほ》をしてぼつとして居《ゐ》るのみであつた。  醫者《いしや》は更《さら》に家族《かぞく》に命《めい》じて近所《きんじよ》の壯者《わかもの》を喚《よ》びにやつた。 「木《き》から落《おつこ》つたな」醫者《いしや》は百姓《ひやくしやう》に聞《き》いた。 「えゝ、わしやはあ、どうしてえゝもんだか分《わか》んねえから畑《はたけ》耕《うな》つてた儘《まゝ》衣物《きもの》も着《き》ねえで斯《か》うして負《おぶ》つて來《き》たんだが」と百姓《ひやくしやう》はいつて、それから 「わし※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》さ登《のぼ》んな見《み》てたんだつけが、落《おつこ》つたから驅《か》けてつて見《み》たら、目《めえ》引《ひ》つゝけつちやつて、そんでも暫《しばら》く經《た》つたら泣《な》き出《だ》したんでわし抱《だ》き起《おこ》して手《て》へ觸《さは》つたら、痛《い》てえ/\つちから捲《まく》つて見《み》たら、斯《か》うぶらんと成《な》つたつ切《きり》でわしもはあ、魂消《たまげ》つちやつて」百姓《ひやくしやう》は只管《ひたすら》に慌《あわ》てゝいつた。 「本當《ほんたう》に此處《こゝ》へ來《き》て居《ゐ》ちや毎日《まいんち》のやうに木《き》から落《おつこ》つたつち怪我人《けがにん》が來《く》んだよまあ、椎《しひ》の木《き》から落《おつこ》つたの栗《くり》の木《き》から落《おつこ》つたのつて、子供《こども》の怪我《けが》は大概《てえげえ》さうなんだから、男《をとこ》つ子《こ》持《も》つちや心配《しんぺえ》さねえ、そんだがこれ、怪我《けが》つちや過《えゝまち》だから、わし等《ら》も下駄《げた》穿《は》きながらひよえつと轉《ころ》がつた丈《だけ》で手《て》つ首《くび》折《をつちよ》れたんだなんて」と側《そば》に居《ゐ》た婆《ばあ》さんがいつた。 「わし等《ら》がも毎日《まいんち》のやうに※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》さ登《のぼ》つてゝ木登《きのぼ》りは上手《じやうず》なんだから、それも雨《あめ》でも降《ふ》つたばかしならつる/\して足《あし》引《ひ》つ掛《かゝ》んねえもんだが雨《あめ》は降《ふ》んねえし、そんなこたねえ筈《はず》なんだが、攫《つかま》つてた枝《えだ》ん處《とこ》に蛇《へび》居《ゐ》たとかつて慌《あわ》くつておりべと思《おも》つたつちんだから、いつでもはあ枝《えだ》なんざがさがさやつて天邊《てつぺん》の方《はう》で呶鳴《どな》つたりなにつかしてたんだつけが、かさあつちのが酷《ひど》く變《へん》な音《おと》だと思《おも》つて見《み》る内《うち》にや落《おつこち》んな早《は》えゝもんで、困《こま》つたこと出來《でき》たのせ」百姓《ひやくしやう》は乘地《のりぢ》になつていひ續《つゞ》けた。勘次《かんじ》は恐怖《きようふ》の目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つて耳《みゝ》を傾《かたむ》けた。 「※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》さ蛇《へび》があがるやうぢや雨《あめ》でもまた降《ふ》らなけりやえゝが、百姓《ひやくしやう》にや大事《でえじ》な處《ところ》なんだからまあ、ちつと續《つゞ》けさせてえもんだが」側《そば》から又《また》一人《ひとり》の怪我人《けがにん》が口《くち》を添《そ》へた。勘次《かんじ》は又《また》其《そ》の噺《はなし》を聞《き》きながら定《さだ》まりない天候《てんこう》の變化《へんくわ》を案《あん》じた。  軈《やが》て近所《きんじよ》の壯者《わかもの》が來《き》て以前《いぜん》の如《ごと》く怪我人《けがにん》を懷《だ》いた。醫者《いしや》は先刻《さつき》のやうにして怪我《けが》人の恐怖《きようふ》した顏《かほ》を見《み》ながら口《くち》を締《し》めてぎつと其《そ》の手《て》を曳《ひ》いた。怪我人《けがにん》の手《て》はぼぎつと恐《おそ》ろしい音《おと》を立《たて》た。怪我人《けがにん》は只《たゞ》泣《な》き號《さけ》んだ。 「よし/\癒《なほ》つちやつた」醫者《いしや》は手《て》を放《はな》つて、太《ふと》い軟《やは》らか相《さう》な指《ゆび》の腹《はら》で暫《しばら》く揉《も》むやうにしてそれから藥《くすり》を塗《ぬ》つた紙《かみ》を一|杯《ぱい》に貼《は》つて燭奴《つけぎ》のやうな薄《うす》い木《き》の板《いた》を當《あ》てゝぐるりと繃帶《ほうたい》を施《ほどこ》した。 「どのつ位《くれえ》で癒《なほ》つたもんでござんせうね、先生《せんせい》さん」百姓《ひやくしやう》は懸念《けねん》らしく聞《き》いた。 「さう直《す》ぐにや癒《なほ》らねえな」醫者《いしや》は無愛想《ぶあいそ》にいつた。百姓《ひやくしやう》は依然《いぜん》として蒼《あを》い顏《かほ》をしながら怪我人《けがにん》を脊負《しよ》つて歸《かへ》つて行《い》つた。それから二三|人《にん》の療治《れうぢ》が濟《す》んで勘次《かんじ》の番《ばん》に成《な》つた。 「此《こ》りや大層《たいそう》大事《だいじ》にしてあるな」醫者《いしや》は穢《きたな》い手拭《てぬぐひ》をとつて勘次《かんじ》の肘《ひぢ》を見《み》た。鐵《てつ》の火箸《ひばし》で打《う》つた趾《あと》が指《ゆび》の如《ごと》くほのかに膨《ふく》れて居《ゐ》た。 「どうしたんだえ此《こ》ら、夫婦喧嘩《ふうふげんくわ》でもしたか」醫者《いしや》は毎日《まいにち》百姓《ひやくしやう》を相手《あひて》にして碎《くだ》けて交際《つきあ》ふ習慣《しふくわん》がついて居《ゐ》るので、どつしりと大《おほ》きな身體《からだ》からかういふ戯談《じようだん》も出《で》るのであつた。 「なあにわしやはあ、嚊《かゝあ》に死《し》なれてから七八|年《ねん》にもなんでがすから」勘次《かんじ》は少《すこ》し苦笑《くせう》していつた。 「さうか、そんぢや誰《だれ》に打《ぶ》たれたえ、まあだ壯《さかり》だからそんでも何處《どこ》へか拵《こしら》えたかえ」輕微《けいび》な瘡痍《きず》を餘《あま》りに大袈裟《おほげさ》に包《つゝ》んだ勘次《かんじ》の容子《ようす》を心《こゝろ》から冷笑《れいせう》することを禁《きん》じなかつた醫者《いしや》はかう揶揄《からか》ひながら口髭《くちひげ》を捻《ひね》つた。 「先生《せんせい》さん戯談《じやうだん》いつて、なあにわしや爺樣《ぢいさま》に打《ぶ》たれたんでさ」勘次《かんじ》は只管《ひたすら》に醫者《いしや》の前《まへ》に追求《つゐきう》の壓迫《あつぱく》から遁《のが》れようとするやうにいつた。  醫者《いしや》はそれからはもう默《だま》つて藥《くすり》を貼《は》つて形《かた》ばかりの繃帶《ほうたい》をした。 「先生《せんせい》さん、わしやまあだ來《き》なくつちやなりあんすめえか」勘次《かんじ》は懸念《けねん》らしい目《め》を以《もつ》て聞《き》いた。 「此《こ》の藥《くすり》をやるから、自分《じぶん》で貼《は》つた方《はう》がえゝ、此《こ》れで癒《なほ》るから」と醫者《いしや》は一袋《ひとふくろ》の藥《くすり》を與《あた》へた。勘次《かんじ》は一|度《ど》整骨醫《せいこつい》の門《もん》を潜《くゞ》つてからは、世間《せけん》には這※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《こんな》に怪我人《けがにん》の數《かず》が有《あ》るものだらうかと絶《た》えず驚愕《おどろき》と恐怖《おそれ》との念《ねん》に壓《あつ》せられて居《ゐ》たが、珊瑚樹《さんごじゆ》の繁茂《はんも》した木蔭《こかげ》から竹《たけ》の垣根《かきね》を往來《わうらい》へ出《で》た時《とき》彼《かれ》は身《み》も心《こゝろ》も俄《にはか》に輕《かる》くなつたことを感《かん》じた。彼《かれ》は小《ちひ》さな怪我人《けがにん》から聯想《れんさう》して此《こ》れも毎日《まいにち》庭《には》の木《き》を覘《ねら》つて居《ゐ》る與吉《よきち》を憂《うれ》へ出《だ》した。彼《かれ》は脚力《きやくりよく》の及《およ》ぶ限《かぎ》り歸途《きと》を急《いそ》いだ。彼《かれ》は行《ゆ》く/\午前《ごぜん》に見《み》て暫《しばら》く忘《わす》れて居《ゐ》た百姓《ひやくしやう》の活動《くわつどう》を再《ふたゝ》び目前《もくぜん》に見《み》せ付《つけ》られて隱《かく》れて居《ゐ》た憤懣《ふんまん》の情《じやう》が復《ま》た勃々《むか/\》と首《くび》を擡《もた》げた。彼《かれ》は自分《じぶん》の瘡痍《きず》が輕《かる》く醫者《いしや》から宣告《せんこく》された時《とき》は何《なん》となく安心《あんしん》されたのであつたが、然《しか》し又《また》漸次《だんだん》道程《みちのり》を運《はこ》びつゝ種々《いろいろ》な雜念《ざふねん》が湧《わ》くに連《つ》れて、失望《しつばう》と不滿足《ふまんぞく》を心《こゝろ》に懷《いだ》きはじめた。彼《かれ》は家《いへ》に歸《かへ》つた後《のち》瘡痍《きず》を重《おも》く見《み》せ掛《か》けようとするのには醫者《いしや》の診斷《しんだん》が寸毫《すんがう》も彼《かれ》に味方《みかた》して居《ゐ》なかつたからである。  彼《かれ》の家《いへ》に歸《かへ》つたのは日《ひ》が西《にし》に連《つらな》つた雜木林《ざふきばやし》の上《うへ》に傾《かたむ》かうとした頃《ころ》であつた。彼《かれ》は只《たゞ》其《その》儘《まゝ》に自分《じぶん》の怪我《けが》と其《その》事實《じじつ》とを掩《おほ》うて置《お》くのが残《のこ》り惜《をし》い心持《こゝろもち》がした。それで彼《かれ》は其《そ》の足《あし》で直《すぐ》に南《みなみ》の家《いへ》へ行《い》つた。脚絆《きやはん》と草鞋《わらぢ》とで身《み》を堅《かた》めた勘次《かんじ》の容子《ようす》を不審《ふしん》に思《おも》つた南《みなみ》の亭主《ていしゆ》へ勘次《かんじ》は突然《とつぜん》訴《うつた》へるやうにいつた。 「俺《お》ら、爺樣《ぢいさま》に鐵火箸《かなひばし》で打《ぶ》つ飛《と》ばさつて、骨接《ほねつぎ》へ行《い》つて來《き》た處《とこ》だが、忙《いそが》し處《ところ》酷《ひで》え目《め》に逢《あ》つちやつた」勘次《かんじ》はそれでも口《くち》が澁《しぶ》つて思《おも》ふ樣《やう》にいへなかつた。南《みなみ》の亭主《ていしゆ》は態々《わざ/\》來《き》て噺《はなし》をされては棄《す》てゝ顧《かへり》みぬことも出來《でき》なかつた。 「どうしたつちんでえまあ、勘次《かんじ》さん」幾《いく》らか態《わざ》とらしく驚《おどろ》いたやうに聞《き》いた。 「昨日《きのふ》の日暮《ひぐれ》に俺《お》れ野《の》らから歸《けえ》つて來《き》たら爺樣《ぢさま》※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》げ餌料《ゑさ》撒《ま》えてやつてつから見《み》たら、米《こめ》交《ま》ぜて置《お》いた食稻《けしね》の方《ほう》掻《か》ん出《だ》して撤《ま》いてんぢやねえけ、夫《それ》から俺《お》らもそれ遣《や》つたんぢや畢《をへ》ねつちつたな、※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》げやんなそつちに別《べつ》にして有《あ》んだから撒《ま》いてやんだらそつちのがにして呉《く》ろつちつたのよ、※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》げなんざ勿體《もつてい》ねえな、さうしたらいきなり鐵火箸《かなひばし》で俺《お》れこと打《ぶ》つ飛《と》ばして、汝《わ》りや俺《おれ》げ食《く》はせんのせえ惜《をし》いつ位《くれえ》だから※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》げやつてせえ其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》こと云《ゆ》へやがんだんべなんて、※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《お》ら放心《うつかり》してたもんだから逃《に》げ間《ま》にやあねえで、此《こ》れかうえに怪我《けが》しつちやつたな、今《いま》蒔物《まきもの》の忙《いそが》しい處《ところ》へ打《ぶ》つ込《こ》んで、何處《どこ》までも癒《なほ》んねえやうでもしやうねえから朝《あさ》つ稼《かせ》ぎに骨接《ほねつぎ》へ行《え》つたんだが、遠《とほ》いのにそれに行《え》つて見《み》つと怪我人《けがにん》が來《き》て居《ゐ》てちよつくらぢやねえもんだから、隨分《ずいぶん》急《えそ》えだ積《つもり》だつけがこんなに遲《おそ》くなつちやつて、何《なん》ちつても日《ひ》は短《みじか》くなつたかんな、さう云《ゆ》つても怪我人《けがにん》ちや有《あ》るもんだな、」勘次《かんじ》は漸《やうや》くさうして仔細《しさい》に事《こと》の顛末《てんまつ》を打《う》ち明《あ》けた。 「そんだが怪我《けが》は大變《たいへん》なこたねえのか」南《みなみ》の亭主《ていしゆ》はそれも義理《ぎり》だといふやうに聞《き》いた。 「うむ」と勘次《かんじ》はいひ淀《よど》んだ。南《みなみ》の亭主《ていしゆ》は其《そ》の理由《わけ》を覺《さと》ることは出來《でき》ないのみでなく、其《そ》のいひ澱《よど》んだことを不審《ふしん》に思《おも》ふ心《こゝろ》さへ起《おこ》さぬ程《ほど》放心《うつかり》と聞《き》いて居《ゐ》た。 「そんで爺樣《ぢさま》はどうしたつちんでえ」南《みなみ》の亭主《ていしゆ》はそれから先《さき》を聞《き》いた。 「俺《お》ら朝《あさ》つぱら出掛《でかけ》つちやつてまあだ行逢《えきや》えもしねえから、どうするつちんだか分《わか》んねえが、どうせ甘《うめ》え面付《つらつき》もしちや居《え》らんめえな、此《こ》んで怪我《けが》なんぞさせてえゝ心持《こゝろもち》ぢやあんめえな、さうぢやねえけ」勘次《かんじ》はだん/\勢《いきほ》ひがついていつた。 「そんぢや噺《はなし》はどうゆ姿《なり》にもして置《お》かなくつちやしやうあんめえな、俺《お》れまあ噺《はなし》はして見《み》つから、どつちがどうのかうのつちつたつて仕《し》やうねえし、まさかおめえ手越《てごし》したな爺樣《ぢさま》だつちつたつて、親《おや》のこと謝罪《あやま》れつちことも云《ゆ》はんねえから何氣《なにげ》なしのことにして押《お》つゝけべぢやねえか、なあ」南《みなみ》の亭主《ていしゆ》はさういつて卯平《うへい》の狹《せま》い戸口《とぐち》に立《た》つて居《ゐ》た。 「こつちのおとつゝあん、わしも此《こ》れ變《へん》な噺《はなし》だが勘次《かんじ》さんに頼《たの》まれたやうな形《かたち》でまあ來《き》たんだがね、昨日《きのふ》の日暮《ひくれ》とかにそれ、そつちこつち仕《し》たつちことだつけが、勘次《かんじ》さんもそんなに惡《わ》りい心持《こゝろもち》で云《ゆ》つたんでもねえ鹽梅《あんべえ》だし、まあ手《てえ》ついて謝罪《あやま》らせんの何《なん》だのつちことでなく、此《こ》ら其《そ》の場《ば》限《かぎ》りとして仲善《なかよ》くやつて貰《もれ》えてえんだがどうしたもんだんべね、腹《はらあ》立《た》たせんなこら惡《わ》りいかも知《し》んねえが、親子《おやこ》と成《な》つてゝ此《こ》れ、ちつとのことで後《あと》で考《かんげ》へて見《み》ちやつまんねえもんだから、なあこつちのおとつゝあん」仲裁者《ちうさいしや》は軟《やはら》かにさうして然《しか》も厭《いや》といはれぬやうに打《う》ち解《と》けて突《つ》つ込《こ》んだ。 「なあに俺《お》らあどうもかうもねえんだが、彼《あ》の野郎奴《やらうめ》はあ、何《なん》ぢやねえ、俺《お》れこと邪魔《じやま》なんだから、俺《お》らあ俺《お》れだと思《おも》つてつから管《かま》やしねえが、俺《お》れげ食《く》はせる物《もの》惜《を》しくつて仕《し》やうねえんだから、俺《お》れ家《うち》の物《もの》一粒《ひとつぶ》でも減《へ》らさねえやうに外《ほか》に行《い》つてりやえゝんだんべが、俺《お》れえそれから、俺《お》れことさうだに厭《や》なんだら自分《じぶん》で何處《どこ》さでもけつかつた方《はう》がえゝ、厭《や》だら後《あと》から來《き》た者《もの》出《で》ろつち氣《き》なんだから」卯平《うへい》は銜《くは》へた煙管《きせる》を少《すこ》し顫《ふる》へる手《て》に持《も》つて途切《とぎ》れながら漸《やうや》く此《こ》れだけいつた。 「そりちこつちのおとつゝあんさうだがな、先刻《さつき》もいふ通《とほ》り腹《はら》も立《た》つべえが親子《おやこ》となつて見《み》りや此《こ》れ、えゝことも有《あ》るもんだからなあ、さう云《ゆ》はねえでそれ、わしげ任《まか》せて不承《ふしよう》しさつせえね」南《みなみ》の亭主《ていしゆ》は只《たゞ》反覆《くりかへ》していつた。 「斯《か》うだこた此《こ》れ、默《だま》つてりや隣近所《となりきんじよ》でも分《わか》んねえもんだが勘次等《かんじら》えゝ暫《しばら》く味噌《みそ》せえ無《な》くして置《お》くんだから、一杓子《ひとつちやくし》も有《あ》りやしねえんだ。去年《きよねん》の暮《くれ》にや味噌《みそ》搗《つ》くつちんで俺《お》ら働《はたれ》えた錢《ぜね》で鹽《しほ》迄《まで》買《か》つたんだな、俺《お》れも硬《こえ》え物《も》な噛《か》めねえから味噌《みそ》なくつちや仕《し》やうねえな、俺《お》ら壯《さかり》の頃《ころ》つから味噌《みそ》は好《す》きで味噌《みそ》なくつちやなんぼにも身體《からだ》に力《ちから》つかねえで困《こま》り/\したんだから、麥麹《むぎつかうぢ》は鹽《しほ》まで切《き》つて有《あ》んだから豆《まめ》せえ煮《に》りや直《ぢき》なのに、それ今《いま》んなつたつて搗《つ》くべぢやなし、なんでも俺《お》れ死《し》ねばえゝ位《ぐれえ》にして待《ま》つてんだんべが、此《こ》れ、味噌《みそ》なんざ搗《つ》いたからつてさう直《す》ぐに手《てえ》つけらつるもんぢやなし、俺《お》ら明日《あす》が日《ひ》にも死《し》ぬかどうだか分《わか》りやしねえが、そんでも自分《じぶん》の見《み》てつ處《ところ》で搗《つ》きせえすりや明日《あした》死《し》ぬにしたつて心持《こゝろもち》やえゝから」卯平《うへい》は獨《ひと》り呟《つぶや》くやうにしてそれから 「あん時《とき》搗《つき》せえすりや今頃《いまご》ら食《く》へば食《く》へんのに」と彼《かれ》は其《その》癖《くせ》の舌《した》を鳴《な》らした。 「俺《お》れ小忌々敷《こえめえましい》から打《ぶ》つ飛《と》ばしてやつたに」卯平《うへい》は暫《しばら》く措《お》いて又《また》少《すこ》し聲《こゑ》に力《ちから》を入《い》れていつた。 「さうかね、俺《お》らそんなこた知《し》らなかつたつけが、さうえこた幾《いく》ら懇意《こんい》だ近所《きんじよ》だつちつたつて一々《いち/\》他人《ひと》の飯臺《はんだい》まで蓋《ふた》とつちや見《み》られねえから俺《お》らも知《し》らねえでたな、そんぢやそらまあ、味噌《みそ》でも何《なん》でもさうえ理由《わけ》ぢやこつちのおとつゝあん好《す》きなやうに搗《つ》かせることにしてな、大豆《でえづ》はそれとつたしすつから行《や》る積《つもり》にせえなりや譯《わけ》ねえ噺《はなし》だな、さうしてこつちのおとつゝあん胸《むね》撫《な》でさつせえ、俺《お》れ惡《わ》りいこた云《ゆ》はねえから、なあこつちのおとつゝあん、そつちだこつちだやつちや誰《だれ》よりも子奴等《こめら》可哀想《かあいさう》だから、それに同《おな》じもんぢや東《ひがし》の旦那等《だんなら》が耳《みゝ》へは入《い》れたくねえから、さうしさつせえよなあ」南《みなみ》の亭主《ていしゆ》はさういつて心《こゝろ》では段々《だん/\》に臀《しり》ごみするのであつた。卯平《うへい》は再《ふたゝ》び煙管《きせる》を口《くち》にして沈默《ちんもく》した。南《みなみ》の亭主《ていしゆ》は勘次《かんじ》を卯平《うへい》の狹《せま》い戸口《とぐち》に導《みちび》いた。勘次《かんじ》は平常《いつも》ならば自分《じぶん》の心《こゝろ》から決《けつ》して形式的《けいしきてき》な和睦《わぼく》を希望《きばう》しなかつた筈《はず》である。彼《かれ》は反目《はんもく》して居《ゐ》るだけならば久《ひさ》しく馴《な》れて居《ゐ》た。然《しか》し彼《かれ》は從來《じゆうらい》嘗《かつ》てなかつた卯平《うへい》の行爲《かうゐ》に始《はじ》めて恐怖心《きようふしん》を懷《いだ》いたのであつた。 「そんぢやねえおとつゝあん、お互《たげえ》に斯《か》う根《ね》に持《も》たねえことにしてね、勘次《かんじ》さんおめえも忙《いそが》しくつて手《てえ》つけねえでたかも知《し》んねえが、麹《かうぢ》も鹽《しほ》まで切《き》つて有《あ》るつちんだから、後《あと》は豆《まめ》※[#「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52]《に》るだけのことだし、味噌《みそ》は搗《つ》くことにしてな、斯《か》うえゝ鹽梅《あんべえ》にしてくれさつせえね、先刻《さつき》もいふ通《とほ》りそつちだこつちだねえやうにしなくちやねえ、こつちのおとつゝあん」南《みなみ》の亭主《ていしゆ》は二人《ふたり》を見較《みくら》べるやうにしていつた。勘次《かんじ》は卯平《うへい》の前《まへ》へ出《で》ては只《たゞ》首《くび》を俛《うなだ》れた。卯平《うへい》は凝然《ぢつ》と横《よこ》を向《む》いて勘次《かんじ》をちらりとも見《み》なかつた。彼《かれ》は從來《これまで》とは容子《ようす》が幾分《いくぶん》違《ちが》つて居《ゐ》た。彼《かれ》は其《そ》の癖《くせ》の舌《した》を鳴《な》らして居《ゐ》たが 「畜生奴《ちきしやうめ》」と只《たゞ》一言《ひとこと》いつた。さうして又《また》暫《しばら》く間《あひだ》を措《お》いて 「畜生《ちきしやう》つちはれんの口惜《くや》しけりや、口惜《くや》しいちつて見《み》た方《はう》がえゝ、原因《もと》はつちへば己奴《うの》が手出《てだ》しすんのが惡《わ》りいんだから」と低《ひく》く然《しか》も鋭《するど》く彼《かれ》は呟《つぶや》いて、芒《すゝき》で裂《さ》いたやうに口《くち》をぎつと閉《と》ぢて畢《しま》つた。勘次《かんじ》は刈《か》られた草《くさ》の如《ごと》く悄然《せうぜん》とした。 「こつちのおとつゝあん、そんぢや仕《し》やうねえよ、先刻《さつき》も俺《お》れそつから不承《ふしよう》してくろうつて堅《かた》しく云《ゆ》つたんだつけな、そんぢや俺《お》れも困《こま》つから其處《そこ》はお互《たげえ》にかう物《もの》は云《ゆ》はねえことにしてやつてくんなくつちやなあ」と南《みなみ》の亭主《ていしゆ》は一|旦《たん》橋渡《はしわた》しをすれば後《あと》は再《ふたゝ》びどうならうともそれは又《また》其《そ》の時《とき》だといふ心《こゝろ》から其處《そこ》は加《い》い加減《かげん》に繕《つくろ》うて遁《にげ》るやうに歸《かへ》つた。彼《かれ》はどちらからも依頼《いらい》された仲裁人《ちうさいにん》ではなかつた。彼等《かれら》は漸次《しば/\》家族《かぞく》の間《あひだ》の殊《こと》に夫婦《ふうふ》の爭《あらそ》ひに深入《ふかいり》して却《かへつ》て雙方《さうはう》から恨《うら》まれるやうな損《そん》な立場《たちば》に嵌《はま》つた經驗《けいけん》があるので、壞《こは》れた茶碗《ちやわん》をそつと合《あは》せるだけの手數《てすう》で巧《たくみ》に身《み》を引《ひ》く方法《はうはふ》と機會《きくわい》とを知《し》つて居《ゐ》た。黄昏《たそがれ》が彼《かれ》に其《そ》の機會《きくわい》を與《あた》へた。  勘次《かんじ》は彼《かれ》の輕微《けいび》な瘡痍《きず》を假令《たとひ》表面《へうめん》だけでも好《い》いから思《おも》ひ切《き》つて重《おも》く見《み》てさうして彼《かれ》に同情《どうじやう》の言葉《ことば》を惜《をし》まないものを求《もと》めたが、彼《かれ》には些少《すこし》でも其《その》顛末《てんまつ》を聞《き》いてくれべきものは醫者《いしや》と南《みなみ》の亭主《ていしゆ》とより外《ほか》はなかつた。然《しか》し餘《あま》りに能《よ》く瘡痍《きず》其《その》物《もの》の性質《せいしつ》を識別《しきべつ》した醫者《いしや》は、彼《かれ》に其《その》果敢《はか》ない心《こゝろ》を訴《うつた》へる餘裕《よゆう》を與《あた》へずに彼《かれ》を頭《あたま》から壓《おさへ》る樣《やう》に揶揄《からか》うた。彼《かれ》は其處《そこ》に何物《なにもの》をも得《え》ないで遁《にげ》るやうに珊瑚樹《さんごじゆ》の木蔭《こかげ》を出《で》た。南《みなみ》の亭主《ていしゆ》も殊更《ことさら》に彼《かれ》に同情《どうじやう》して慰藉《ゐしや》の言辭《ことば》を惜《をし》まぬ程《ほど》其《その》心《こゝろ》が動《うご》かされなかつたのみでなく、彼《かれ》は寧《むし》ろ仲裁者《ちうさいしや》の地位《ちゐ》に立《た》たねば成《な》らぬことに幾分《いくぶん》の迷惑《めいわく》を感《かん》じた。勘次《かんじ》は決《けつ》して仲裁《ちうさい》を依頼《いらい》しなかつた。彼《かれ》は只《たゞ》自分《じぶん》の調子《てうし》に乘《の》つて噺《はなし》をしてくれることに滿足《まんぞく》を求《もと》めようとしたのみであつた。然《しか》しそれは悉《こと/″\》く徒勞《むだ》であつた。勘次《かんじ》は羞恥《しうち》と恐怖《きようふ》と憤懣《ふんまん》との情《じやう》を沸《わか》したが夫《それ》でも薄弱《はくじやく》な彼《かれ》は、それを僻《ひが》んだ目《め》に表現《へうげん》して逢《あ》ふ人《ひと》毎《ごと》に同情《どうじやう》してくれと強《し》ふるが如《ごと》く見《み》えるのみであつた。百姓《ひやくしやう》の凡《すべ》ては彼《かれ》の心《こゝろ》を推測《すゐそく》する程《ほど》鋭敏《えいびん》な目《め》を有《も》つて居《ゐ》なかつた。彼《かれ》は自棄《やけ》に態《わざ》と繃帶《ほうたい》の手《て》を抱《だ》いて數日間《すうじつかん》ぶら/\と遊《あそ》んで居《ゐ》た。忙《いそが》しい麥蒔《むぎまき》の季節《きせつ》が迫《せま》つて百姓《ひやくしやう》は悉《こと/″\》く畑《はたけ》へ出《で》て居《ゐ》るので晝間《ひるま》は彼《かれ》の相手《あひて》になるものがなかつたのみでなく、今《いま》に働《はたら》かずには居《を》られぬからと陰《かげ》で冷笑《れいせう》を浴《あ》びせて居《ゐ》るのであつた。此《こ》の季節《きせつ》を空《むね》しく費《つひや》すことが一|日《にち》でも非常《ひじやう》な損失《そんしつ》であるといふ見易《みやす》い利害《りがい》の打算《ださん》から彼《かれ》は到頭《たうとう》打《う》ち負《まか》されて復《また》一|所懸命《しよけんめい》に勞働《らうどう》に從事《じうじ》した。彼《かれ》はもう卯平《うへい》と一言《ひとこと》も口《くち》を利《き》かなくなつた。寡言《むくち》なむつゝりとした卯平《うへい》は固《もと》より勘次《かんじ》を顧《かへり》みようともしなかつた。おつぎはそれを心《こゝろ》に苦《くる》しんで見《み》たがそれは到底《たうてい》及《およ》ばぬことであつた。村落《むら》の内《うち》には卯平《うへい》との衝突《しようとつ》がぱつと又《また》傳播《でんぱ》された。然《しか》しそれは分別《ふんべつ》ある壯年《さうねん》の間《あひだ》にのみ解釋《かいしやく》し記憶《きおく》された。其《そ》の事件《じけん》の内容《ないよう》は勘次《かんじ》のおつぎに對《たい》する行爲《かうゐ》を猜忌《さいぎ》と嫉妬《しつと》との目《め》を以《もつ》て臆測《おくそく》を逞《たくま》しくするやうに興味《きようみ》を彼等《かれら》に與《あた》へなかつた。誰《だれ》も自分《じぶん》から彼等《かれら》の間《あひだ》に嘴《くちばし》を容《い》れようとはしない。遠《とほ》い以前《いぜん》から紛糾《こゞら》けて來《き》た互《たがひ》の感情《かんじやう》に根《ね》ざした事件《じけん》がどんな些少《させう》なことであらうとも、決《けつ》して快《こゝろ》よく解決《かいけつ》される筈《はず》でないことを知《し》つて居《ゐ》る人々《ひとびと》は幾《いく》ら愚《おろか》でも自《みづか》ら好《この》んで其《そ》の難局《なんきよく》に當《あた》らうとはしないのであつた。          二二  拂曉《よあけ》の光《ひかり》はまだ行《ゆ》き渡《わた》らぬ。薄《うす》い蒲團《ふとん》にくるまつて居《ゐ》る百姓等《ひやくしやうら》の肌膚《はだ》には寒冷《かんれい》の氣《き》がしみ/″\と透《とほ》つて、睡眠《ねむり》に落《お》ちて居《ゐ》ながら、凡《すべ》てが顎《あご》を掩《おほ》ふまでは無意識《むいしき》に蒲團《ふとん》の端《はし》を引《ひ》いてもぢ/\と動《うご》く頃《ころ》であつた。かん/\と凍《こほ》つて鳴《な》る鉦《かね》の音《ね》が沈《しづ》んだ村落《むら》の空氣《くうき》に響《ひゞ》き渡《わた》つた。希望《きばう》と娯樂《ごらく》とに唆《そゝの》かされて待《ま》つて居《ゐ》た老人等《としよりら》は悉皆《みんな》、其《そ》の左《ひだり》の手《て》に提《さ》げて撞木《しゆもく》で叩《たゝ》いて居《ゐ》る鉦《かね》の響《ひびき》を後《おく》れるな急《いそ》げ/\と耳《みゝ》に聞《き》いた。老人《としより》は何處《どこ》の家《うち》からも一|齊《もい》に念佛寮《ねんぶつれう》を指《さ》して集《あつま》つた。彼等《かれら》は孰《いづ》れも、まだぐつすりと眠《ねむ》つて居《ゐ》る家族《かぞく》の者《もの》には竊《そつ》と支度《したく》をして、動《うご》けぬ程《ほど》褞袍《どてら》を襲《かさ》ねて節制《だらし》なく紐《ひも》を締《し》めて、表《おもて》の戸《と》を開《あ》けるとひやりとする曉《あけ》近《ちか》い外氣《ぐわいき》に白《しろ》い息《いき》を吹《ふ》きながら、大《おほ》きな塊《かたまり》が轉《ころ》がつて行《ゆ》くやうに其《そ》の姿《すがた》を運《はこ》んだ。彼等《かれら》は外《そと》の壁際《かべぎは》から麁朶《そだ》の一|把《は》を持《も》つて行《ゆ》く者《もの》も有《あ》つた。舊暦《きうれき》の二|月《ぐわつ》の半《なかば》に成《な》ると例年《れいねん》の如《ごと》く念佛《ねんぶつ》の集《あつま》りが有《あ》るのである。彼等《かれら》はそれが日輪《にちりん》に對《たい》する報謝《はうしや》を意味《いみ》して居《ゐ》るのでお天念佛《てんねんぶつ》というて居《ゐ》る。彼等《かれら》の口《くち》からさうして村落《むら》の一|般《ぱん》から訛《なま》つて「おで念佛《ねんぶつ》」と喚《よ》ばれた。先驅《さきがけ》の光《ひかり》が各自《てんで》の顏《かほ》を微明《ほのあか》るくして日《ひ》が地平線上《ちへいせんじやう》に其《そ》の輪郭《りんくわく》の一|端《たん》を現《あら》はさうとする時間《じかん》を誤《あやま》らずに彼等《かれら》は揃《そろ》つて念佛《ねんぶつ》を唱《とな》へる筈《はず》なので、まだ凡《すべ》てが夜《よ》の眠《ねむり》から離《はな》れぬ内《うち》に皆悉《みんな》口《くち》を嗽《すゝ》いで待《ま》つて居《ゐ》ねばならぬのである。念佛衆《ねんぶつしう》の内《うち》には選《えら》ばれて法願《ほふぐわん》と喚《よ》ばれて居《ゐ》る二人《ふたり》ばかりの爺《ぢい》さんが、難《むづ》かしくもない萬事《ばんじ》の世話《せわ》をした。法願《ほうぐわん》は凍《こほ》り相《さう》な手《て》に鉦《かね》を提《さ》げてちらほらと大《おほき》な塊《かたまり》のやうな姿《すがた》が動《うご》いて來《く》るまでは力《ちから》の限《かぎ》り辻《つじ》に立《た》つてかん/\と叩《たゝ》くのである。念佛寮《ねんぶつれう》の雨戸《あまど》は空洞《からり》と開《あ》け放《はな》たれて、殊更《ことさら》に身《み》に沁《し》む寒《さむ》さに圍爐裏《ゐろり》には麁朶《そだ》の火《ひ》が焔《ほのほ》を立《た》てた。蔓《つる》のある煤《すゝ》けた鐵瓶《てつびん》が自在鍵《じざいかぎ》から低《ひく》く垂《た》れて焔《ほのほ》を臀《しり》で抑《おさ》へた。ぐるりと圍《かこ》んだ老人《としより》の不恰好《ぶかくかう》な姿《すがた》を火《ひ》は明瞭《はつきり》と見《み》せた。軈《やが》て二|番※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《ばんどり》が遠《とほ》く近《ちか》く鳴《な》いて時間《じかん》が來《き》た。法願《ほふぐわん》は閾《しきゐ》の側《そば》に太鼓《たいこ》を据《す》ゑて、其《そ》の後《うしろ》へ段々《だん/\》と一|同《どう》が坐《すわ》つて一|齊《せい》に聲《こゑ》を合《あは》せた。横《よこ》に据《す》ゑた太鼓《たいこ》を兩手《りやうて》に持《も》つた二|本《ほん》の撥《ばち》が兩方《りやうはう》から交互《かうご》に打《う》つて悠長《いうちやう》な鈍《にぶ》い響《ひゞき》を立《た》てた。撥《ばち》に合《あは》せる一|同《どう》の聲《こゑ》は皺《しな》びて痩《や》せた喉《のど》から出《で》る濁《にご》つた聲《こゑ》であつた。雜然《ざつぜん》たる其《そ》の聲《こゑ》が波《なみ》の如《ごと》く沈《しづ》んで復《ま》た起《おこ》つた。太鼓《たいこ》の撥《ばち》は強《つよ》く打《う》ち輕《かる》く打《う》ち、更《さら》に赤《あか》く塗《ぬ》つた胴《どう》をそつと打《う》つて、さうして又《また》だらり/\と強《つよ》く輕《かる》く打《う》つことを反覆《はんぷく》した。念佛《ねんぶつ》が畢《をは》るまでには段々《だん/\》と遠《とほ》い近《ちか》い木立《こだち》の輪郭《りんくわく》がくつきりとして青《あを》い蜜柑《みかん》の皮《かは》が日《ひ》に當《あた》つた部分《ぶぶん》から少《すこ》しづゝ彩《いろど》られて行《ゆ》くやうに東《ひがし》の空《そら》が薄《うす》く黄色《きいろ》に染《そま》つて段々《だん/\》にそれが濃《こ》く成《な》つて、さうして寒冷《ひやゝか》なうちにもほつかりと暖味《あたゝかみ》を持《も》つたやうに明《あか》るく成《な》つた。念佛《ねんぶつ》の濁《にご》つた聲《こゑ》も明《あか》るく響《ひゞ》いた。地上《ちじやう》を掩《おほ》うた霜《しも》が滅切《めつきり》と白《しろ》く見《み》えて寮《れう》の庭《には》に立《た》てられた天棚《てんだな》の粧飾《かざり》の赤《あか》や青《あを》の紙《かみ》が明瞭《はつきり》として來《き》た。中心《ちうしん》に一|本《ぽん》の青竹《あをだけ》が立《た》てられて其《そ》の先端《せんたん》は青《あを》と赤《あか》と黄《き》との襲《かさ》ねた色紙《いろがみ》で包《つゝ》んである。其《そ》の周圍《しうゐ》には此《こ》れも四|本《ほん》の青竹《あをだけ》が立《た》てられてそれには繩《なは》が張《は》つてある。繩《なは》には注連《しめ》のやうに刻《きざ》んだ其《そ》の赤《あか》や青《あを》や黄《き》の紙《かみ》が一|杯《ぱい》にひら/\と吊《つ》られてある。彼等《かれら》は昨日《きのふ》の内《うち》に一|切《さい》の粧飾《かざり》をして※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》の鳴《な》くのを待《ま》つたのである。其《その》天棚《てんだな》は以前《もと》は立派《りつぱ》な木《き》の柱《はしら》を丁度《ちやうど》小《ちひ》さな家《いへ》の棟上《むねあ》げでもしたやうな形《かたち》に組《く》まれたのであつた。現今《いま》ではそれが無《な》く成《な》つたといふのは、一|度《ど》此《こ》の地《ち》を襲《おそ》うた暴風《ばうふう》の爲《ため》に、厚《あつ》い草葺《くさぶき》の念佛寮《ねんぶつれう》はごつしやりと潰《つぶ》された。其《そ》の時《とき》は幾多《いくた》の民家《みんか》が猶且《やつぱり》非常《ひじやう》な慘害《さんがい》を蒙《かうむ》つて、村落《むら》の凡《すべ》ては自分《じぶん》の凌《しの》ぎが漸《やつ》とのことであつたので、殆《ほと》んど無用《むよう》である寮《れう》の再建《さいこん》を顧《かへり》みるものはなかつた。さういふ間《あひだ》に他人《たにん》の林《はやし》に鉈《なた》を入《い》れねば薪《たきゞ》が獲《え》られぬ貧乏《びんばふ》な百姓等《ひやくしやうら》がこそ/\と寮《れう》の木材《もくざい》を引《ひ》いた。漸《やつ》とのことで現今《いま》の寮《れう》が以前《いぜん》の幾分《いくぶん》の一の大《おほ》きさに再建《さいこん》されるまでには其《そ》の棚《たな》も無残《むざん》な鋸《のこぎり》の齒《は》に掛《かゝ》つて居《ゐ》たのである。それでも、老人等《としよりら》は念佛《ねんぶつ》の復活《ふくくわつ》したことに十|分《ぶん》の感謝《かんしや》と滿足《まんぞく》とを有《も》つた。彼等《かれら》はそこに老後《らうご》に於《お》ける無上《むじやう》の娯樂《ごらく》と慰藉《ゐしや》とを發見《はつけん》しつゝあるのである。  太鼓《たいこ》が撥《ばち》と共《とも》にぽつさりと置《お》かれて悉皆《みんな》窮屈《きうくつ》な圍爐裏《ゐろり》の邊《あたり》に聚《あつま》つた。寮《れう》の内《うち》も明《あか》るく成《な》つて立《た》ち騰《のぼ》る焔《ほのほ》の光《ひかり》が稍《やゝ》消《け》されて來《き》た。近所《きんじよ》の百姓《ひやくしやう》の雨戸《あまど》を開《あ》ける音《おと》が性急《せいきふ》にがたぴしと聞《きこ》えた。庭《には》へおりた※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》が欠伸《あくび》でもするやうに身體《からだ》を反《そ》らしながら、放心《うつかり》して居《ゐ》てまだ鳴《な》き足《た》らなかつたといふ容子《ようす》をして喉《のど》の痛《いた》い程《ほど》鳴《な》くのが聞《きこ》えた。何處《どこ》の家《いへ》にも青《あを》い煙《けぶり》が廂《ひさし》を偃《は》うて騰《のぼ》つた。  老人等《としよりら》は一先《ひとまづ》自分《じぶん》の家《いへ》に歸《かへ》つた。卯平《うへい》も隣《となり》の森《もり》の陰翳《かげ》が一|杯《ぱい》に掩《おほ》うて居《ゐ》る狹《せま》い庭《には》に立《た》つた時《とき》は、勘次《かんじ》はおつぎを連《つ》れて開墾地《かいこんち》へ出《で》た後《あと》であつた。卯平《うへい》は庭《には》に立《た》つた儘《まゝ》、空虚《から》になつてさうして雨戸《あまど》が閉《とざ》してある勘次《かんじ》の家《いへ》を凝然《ぢつ》と見《み》た。家《いへ》は窶《やつ》れて居《ゐ》る。然《しか》しながら假令《たとひ》どうでも噺聲《はなしごゑ》が聞《きこ》えて青《あを》い煙《けぶり》が立《た》つて居《ゐ》れば、僅《わづか》でも血《ち》が循環《めぐ》つて居《ゐ》るものゝやうに活《い》きて見《み》えるのであるが、靜寂《ひつそり》と人氣《ひとけ》のなくなつた時《とき》は頽廢《たいはい》しつゝある其《その》建物《たてもの》の何處《どこ》にも生命《いのち》が保《たも》たれて居《ゐ》るとは見《み》られぬ程《ほど》悲《かな》しげであつた。卯平《うへい》が薄闇《うすぐら》い庭《には》の霜《しも》に下駄《げた》の趾《あと》をつけて出《で》てから間《ま》もなく勘次《かんじ》は褥《しとね》を蹴《け》つて竈《かまど》に火《ひ》を點《つけ》た。それからおつぎが朝餐《あさげ》の膳《ぜん》を据《す》ゑる迄《まで》には勘次《かんじ》はきりゝと仕事衣《しごとぎ》に換《かへ》て寒《さむ》さに少《すこ》し顫《ふる》へて居《ゐ》た。おつぎも箸《はし》を執《と》る時《とき》は股引《もゝひき》の端《はし》を藁《わら》で括《くゝ》つて置《お》いた。勘次《かんじ》は開墾《かいこん》の土地《とち》が年々《ねんねん》遠《とほ》くへ進《すゝ》んで行《い》つて、現在《いま》では例年《いつも》の面積《めんせき》では廣過《ひろすぎ》て居《ゐ》たことを心《こゝろ》づいたので、彼《かれ》は少《すこ》しの油斷《ゆだん》も出來《でき》なくなつた。彼《かれ》は毎日《まいにち》のやうにおつぎを連《つれ》て、唐鍬《たうぐは》で切《き》り起《おこ》した土《つち》の塊《かたまり》を萬能《まんのう》の背《せ》で叩《たゝ》いては解《ほぐ》して平坦《たひら》にならさせつゝあつたのである。  卯平《うへい》は先《ま》づ勘次《かんじ》の戸口《とぐち》に近《ちか》づいた。表《おもて》の大戸《おほど》には錠《ぢやう》がおろしてあつた。鍵《かぎ》は固《もと》より勘次《かんじ》の腰《こし》を離《はな》れないことを知《し》つて卯平《うへい》は手《て》も掛《か》けて見《み》なかつた。彼《かれ》は又《また》裏戸《うらど》の口《くち》へ行《い》つて見《み》たが、掛金《かけがね》には栓《せん》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》したと見《み》えて動《うご》かなかつた。卯平《うへい》はそれから懷手《ふところで》をした儘《まゝ》其《そ》の癖《くせ》の舌《した》を鳴《な》らしながら悠長《いうちやう》に自分《じぶん》の狹《せま》い戸口《とぐち》に立《た》つた。内《うち》は只《たゞ》陰氣《いんき》で出《で》る時《とき》に端《はし》を捲《まく》つた夜具《やぐ》も冷《つめ》たく成《な》つて居《ゐ》た。彼《かれ》は漸《やうや》く火鉢《ひばち》に麁朶《そだ》を燻《くべ》た。彼《かれ》は側《そば》に重箱《ぢゆうばこ》と小鍋《こなべ》とが置《お》かれてあるのを見《み》た。蓋《ふた》をとつたら重箱《ぢゆうばこ》には飯《めし》があつた。蓋《ふた》の裏《うら》には少《すこ》し濕《うるほ》ひを持《も》つて居《ゐ》た。其《そ》の朝《あさ》おつぎは知《し》らずに喚《よ》んだのであつたが、卯平《うへい》は居《ゐ》なかつた。それでおつぎは出《で》る時《とき》飯《めし》と汁《しる》とを卯平《うへい》の小屋《こや》へ置《お》いて行《い》つたのである。卯平《うへい》は兎《と》に角《かく》おつぎに喚《よ》ばれて毎朝《まいあさ》暖《あたゝ》かい飯《めし》と熱《あつ》い汁《しる》とに腹《はら》を拵《こしら》へつゝあつたのである。彼《かれ》は其《そ》の朝《あさ》は褞袍《どてら》を着《き》ても夜《よ》のまだ明《あ》けない内《うち》からの騷《さわ》ぎなので身體《からだ》が冷《ひ》えて居《ゐ》た。夫《それ》で彼《かれ》は家《うち》に歸《かへ》つたならば汁《しる》はどうでも、飯臺《はんだい》の中《なか》はまだ十|分《ぶん》に暖氣《だんき》を保《たも》つて居《ゐ》るだらうといふ希望《きばう》を懷《いだ》いて、戸《と》の開《あ》かないことにまでは思《おも》ひ至《いた》らなかつた。重箱《ぢゆうばこ》はもう冷《ひ》えて畢《しま》つた。彼《かれ》は仕方《しかた》なしに小鍋《こなべ》を火鉢《ひばち》へ掛《か》けた。彼《かれ》は微《かす》かに白《しろ》い水蒸氣《ゆげ》が鍋《なべ》から立《た》ち始《はじ》めた時《とき》お玉杓子《たまじやくし》で掻《か》き立《た》てゝ吸《す》つて見《み》たが猶且《やつぱり》冷《つめ》たかつた。彼《かれ》は復《ま》た火鉢《ひばち》へ麁朶《そだ》を足《た》して重箱《ぢゆうばこ》の飯《めし》を鍋《なべ》へ入《い》れた。火鉢《ひばち》の割合《わりあひ》には大《おほ》きな鍋《なべ》に頬《ほゝ》が觸《さは》るばかりにしてふう/\と火《ひ》を吹《ふ》いた。鍋《なべ》のぐず/\と濁《にご》つた聲《こゑ》を立《た》てゝ居《ゐ》る間《あひだ》彼《かれ》は皺《しな》びた大《おほ》きな手《て》を火《ひ》に翳《かざ》しながら目《め》を蹙《しか》めて居《ゐ》た。彼《かれ》は凝然《ぢつ》と遠《とほ》くへ自分《じぶん》の心《こゝろ》を放《はな》つたやうにぽうつとして居《ゐ》ては復《また》思《おも》ひ出《だ》したやうに麁朶《そだ》をぽち/\と折《を》つて燻《く》べた。  彼《かれ》は例年《いつ》になく身體《からだ》の窶《やつ》れが見《み》えた。かさ/\と乾燥《かんさう》した肌膚《はだへ》が一|般《ぱん》の老衰者《らうすゐしや》に通有《つういう》な哀《あは》れさを見《み》せて居《ゐ》るばかりでなく、其《その》大《おほ》きな身體《からだ》は肉《にく》が落《おち》てげつそりと肩《かた》がこけた。彼《かれ》は身體《からだ》の窶《やつ》れを自分《じぶん》でも知《し》つた。彼《かれ》は此《この》一|年《ねん》の間《あひだ》に持病《ぢびやう》の僂麻質斯《レウマチス》が執念《しふね》く骨《ほね》の何處《どこ》かを蝕《は》みつゝあるやうに感《かん》じた。暑《あつ》い季節《きせつ》になれば必《かなら》ず其《そ》の勢《いきほ》ひを潜《ひそ》めた持病《ぢびやう》が彼《かれ》を忘《わす》れて去《さ》らなかつた。  鍋《なべ》の中《なか》は少《すこ》しぷんと焦《こげ》つく臭《にほひ》がした。彼《かれ》はお玉杓子《たまじやくし》で掻《か》き立《た》てた。鍋《なべ》の底《そこ》は手《て》を動《うご》かす毎《ごと》にぢり/\と鳴《な》つた。彼《かれ》は僅《わづか》に熱《あつ》い雜炊《ざふすゐ》が食道《しよくだう》を通過《つうくわ》して胃《ゐ》に落《お》ちつく時《とき》ほかりと感《かん》じた。さうして箸《はし》を措《を》いた後《のち》漸《やうや》く身體《からだ》に快《こゝろ》よい暖氣《だんき》の加《くは》はつたことを知《し》つた。少量《せうりやう》の水《みづ》を注《つい》だ鐵瓶《てつびん》の沸《わ》くのを彼《かれ》は復《また》凝然《ぢつ》として待《ま》つた。彼《かれ》は先刻《さつき》からどうかすると手《て》もとを探《さぐ》るやうにして煙草入《たばこいれ》を膝《ひざ》にした。煙草入《たばこいれ》は虚空《から》であつた。彼《かれ》は自分《じぶん》の體力《たいりよく》が滅切《めつきり》と減《へつ》て仕事《しごと》をするのに手《て》が利《き》かなくなつて、小遣錢《こづかひせん》の不足《ふそく》を感《かん》じた時《とき》、自棄《やけ》に成《な》つた心《こゝろ》から斷然《だんぜん》其《その》噛《か》む程《ほど》好《すき》な煙草《たばこ》を廢《よ》さうとした。彼《かれ》は悲慘《みじめ》な自分《じぶん》を自分《じぶん》が苛《いぢ》めてやるやうな心持《こゝろもち》を一|方《ぱう》には有《も》つた。一|方《ぱう》には又《また》無智《むち》な彼等《かれら》の伴侶《なかま》が能《よ》くするやうに彼《かれ》は持病《ぢびやう》の平癒《へいゆ》を佛《ほとけ》に祈《いの》つたのでもあつた。それが明日《あす》からといふ日《ひ》に彼《かれ》は其《その》残《のこ》つた煙草《たばこ》を殆《ほとん》ど一|日《にち》喫《す》ひ續《つゞ》けた。煙草入《たばこいれ》の叺《かます》を倒《さかさ》にして爪先《つまさき》でぱた/\と彈《はじ》いて少《すこ》しの粉《こ》でさへ餘《あま》さなかつた。其《その》後《のち》手《て》についた癖《くせ》が何《なに》かにつけては煙管《きせる》を掴《つか》ませるので、止《や》めたことを彼《かれ》は心《こゝろ》に悔《く》いることもあつた。然《しか》し彼《かれ》は又《また》直《すぐ》に佛《ほとけ》に對《たい》しての誓約《せいやく》を破《やぶ》ることに非常《ひじやう》な恐怖《きようふ》を懷《いだ》いた。彼《かれ》はどうしても斷念《だんねん》せねばならぬ心《こゝろ》の苦《くる》しみを紛《まぎ》らす爲《ため》に蕗《ふき》の葉《は》や桑《くは》の葉《は》を干《ほ》して煙管《きせる》の火皿《ひざら》につめて見《み》たが、どれでも煙草《たばこ》のやうにしつとりとした一|種《しゆ》の潤《うるほ》ひが火《ひ》の足《あし》を引止《ひきと》めるやうな力《ちから》はなくて一|度《ど》吸《す》へば直《すぐ》に灰《はひ》になつて、煙脂《やに》で塞《ふさ》がらうとして居《ゐ》る羅宇《らう》の空隙《くうげき》を透《とほ》して煙《けぶり》が口《くち》に滿《み》ちる時《とき》はつんとした厭《いや》な刺戟《しげき》を鼻《はな》に感《かん》ずるのであつた。葡萄《ぶだう》の葉《は》を他人《ひと》に勸《すゝ》められて見《み》たが、此《こ》れも到底《たうてい》彼《かれ》の嗜好《しかう》を欺《あざむ》くことは出來《でき》なかつた。彼《かれ》は煙管《きせる》を手《て》にすることが慾念《よくねん》を忘《わす》れ得《う》る方法《はうはふ》でないことを知《し》つて、彼《かれ》は丁度《ちやうど》他人《たにん》に對《たい》する或《ある》憤懣《ふんまん》の情《じやう》から當《あ》てつけに自分《じぶん》の愛兒《あいじ》を夥《したゝ》かに打《う》ち据《す》ゑる者《もの》のやうに羅宇《らう》を踏《ふ》み潰《つぶ》した。然《しか》しそれを誰《たれ》も見《み》ては居《ゐ》なかつた。それでも彼《かれ》は空虚《から》な煙草入《たばこいれ》を放《はな》すに忍《しの》びない心持《こゝろもち》がした。彼《かれ》は僅《わづか》な小遣錢《こづかひせん》を入《い》れて始終《しじう》腰《こし》につけた。此《こ》れも空虚《から》に成《な》つてはくた/\として力《ちから》のない革《かは》の筒《つゝ》には潰《つぶ》れた儘《まゝ》の煙管《きせる》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》して居《ゐ》た。彼《かれ》は暫《しばら》くさうして居《ゐ》たがどうかしては忘《わす》れて癖《くせ》づけられた手先《てさき》が不用《ふよう》な煙草入《たばこいれ》を探《さぐ》らせるのであつた。  日《ひ》は漸《やうや》く庭《には》の霜《しも》を溶《とか》して射《さ》し掛《か》けた。彼《かれ》は不快《ふくわい》な朝《あさ》を目《め》に蹙《しか》めた復《ま》たぽつさりと念佛寮《ねんぶつれう》へ窶《やつ》れた身《み》を運《はこ》んだ。彼《かれ》は田圃《たんぼ》の側《そば》へおりて小徑《こみち》を行《い》つた。道筋《みちすぢ》には處々《ところ/″\》離《はな》れ離《ばな》れな家《いへ》の隙間《すきま》に小《ちひ》さな麥畑《むぎばたけ》があつた。麥畑《むぎばたけ》の畝《うね》は大抵《たいてい》東西《とうざい》に形《かたち》づけられてあつた。遠《とほ》くから南《みなみ》へ廻《まは》らうとして居《ゐ》る日《ひ》は思《おも》ひの外《ほか》に暖《あたゝ》かい光《ひかり》で一|帶《たい》に霜《しも》を溶《と》かしたので、何處《どこ》でも水《みづ》を打《う》つたやうな濕《うるほ》ひを持《も》つて居《ゐ》た。然《しか》し薄《うす》い日《ひ》の光《ひかり》は畑《はたけ》の畝《うね》が形《かたち》づくつて居《ゐ》る長《なが》い小山《こやま》の頂點《ちやうてん》を越《こ》えて幾《いく》らも其《そ》の力《ちから》を及《およ》ぼさなかつた。どの畝《うね》でも其《その》陰《かげ》は依然《いぜん》として白《しろ》かつた。卯平《うへい》は田圃《たんぼ》に從《つ》いて北側《きたがは》の道《みち》を歩《ある》いたので彼《かれ》の目《め》には悉《こと/″\》く夜明《よあけ》の如《ごと》き白《しろ》い冷《つめ》たい霜《しも》を以《もつ》て掩《おほ》はれて居《ゐ》る畑《はたけ》のみが映《うつ》つた。  午後《ごご》から村落《むら》のどの家《いへ》からも風呂敷包《ふろしきづゝみ》の飯《めし》つぎや重箱《ぢゆうばこ》が寮《れう》へ運《はこ》ばれた。老人等《としよりら》は皆《みな》夫《それ》を埃《ほこり》だらけな佛壇《ぶつだん》の前《まへ》に供《そな》へた。穢《きたな》い風呂敷包《ふろしきづゝみ》が小山《こやま》の如《ごと》く積《つ》まれた時《とき》念佛《ねんぶつ》の太鼓《たいこ》が復《また》鳴《な》つた。それから庭《には》に聚《あつま》つた子供等《こどもら》の前《まへ》に其《そ》の飯《めし》つぎや重箱《ぢゆうばこ》の供物《くもつ》が分與《ぶんよ》された。念佛衆《ねんぶつしゆう》はそれから更《さら》に酒《さけ》を飮《の》んで各自《てんで》に重箱《ぢゆうばこ》や飯《めし》つぎを箸《はし》でつゝいて近頃《ちかごろ》にない口腹《こうふく》の慾《よく》を充《み》たしめた。獨《ひとり》卯平《うへい》は杯《さかづき》を手《て》にしなかつた。彼《かれ》は他《た》の老人《としより》に先立《さきだ》つて自分《じぶん》の家《うち》の重箱《ぢゆうばこ》を持《も》つてぽさ/\と歸《かへ》つた。大抵《たいてい》の家《うち》では米《こめ》の菱餅《ひしもち》を出《だ》すのが常例《じやうれい》であるが勘次《かんじ》にはさういふ暇《ひま》がないのでおつぎは僅《わづか》に小豆飯《あづきめし》を炊《たい》て重箱《ぢゆうばこ》を持《もつ》て行《い》つたのであつた。凡《すべ》ての老人《としより》が殆《ほとん》ど狂《きやう》するばかりに騷《さわ》ぐ二日《ふつか》の其《その》一|日《にち》が卯平《うへい》には不快《ふくわい》でさうして無意味《むいみ》に費《つひや》された。彼《かれ》は夜《よ》になつてから 「爺《ぢい》、今朝《けさ》のお飯《まんま》冷《つめ》たく成《な》つたつけべ俺《お》ら忘《わす》れて喚《よ》ばりに行《え》つたのがよ、さうしたら爺《ぢい》は疾《とつく》に居《え》ねえのがんだもの、そんでも先刻《さつき》はがや/\一|杯《ぺえ》居《え》るやうだつけがあつちぢや甘《うめ》え物《もの》あつて爺等《ぢいら》とつ返《けえ》しとつたんべなあ」とおつぎが少《すこ》し甘《あま》えたやうにいつたことを彼《かれ》は有繋《さすが》に憎《にく》いと思《おも》つては聞《き》かなかつた。          二三  念佛《ねんぶつ》は次《つぎ》の日《ひ》も同一《どういつ》に反覆《はんぷく》された。午後《ごご》になつて村落《むら》のどの家《いへ》からも復《ま》た風呂敷包《ふろしきづゝみ》が運《はこ》ばれた。子供等《こどもら》は學校《がくかう》から歸《かへ》つて風呂數包《ふろしきづゝみ》を脊負《しよ》つたのも、乳呑兒《ちのみご》を帶《おび》で括《くゝ》つたのも大抵《たいてい》は寮《れう》の庭《には》へ集《あつま》つた。 「さあそんぢや又《また》、みんな上《あが》れ」と婆《ばあ》さん等《ら》がいふと閾際《しきゐぎは》に迫《せま》つて待《ま》つて居《ゐ》た子供等《こどもら》は爭《あらそ》うて席《せき》をとつた。彼等《かれら》は今日《けふ》も狹《せま》い寮《れう》の内側《うちがは》にぎつしりと膝《ひざ》を窄《すぼ》めて坐《すわ》つた。四五|人《にん》の婆《ばあ》さん等《ら》は佛壇《ぶつだん》の前《まへ》に積《つ》まれてあつた風呂敷包《ふろしきづゝみ》を解《と》きながらひそ/″\と耳語《さゝや》いた。 「此《こ》りや何《なん》だと思《おも》つたら、鮨《すし》だよ」と一人《ひとり》の婆《ばあ》さんがいへば 「そんぢや、そつちへ別《べつ》にして置《お》けよおめえ」 「そんぢやこつちのがも別《べつ》にして置《お》くべよ、なあ」婆《ばあ》さん等《ら》は頗《すこぶ》る慌《あわ》てたやうに手《て》もと忙《せは》しく三つ四つの風呂敷包《ふろしきづゝみ》をそつと佛壇《ぶつだん》へ隱《かく》した。さうして居《ゐ》る内《うち》に他《ほか》の婆《ばあ》さん等《ら》は 「みんな、おとなしく仕《し》なくつちや、呉《く》んねえぞ」 「さうだに洟《はな》垂《た》らしてるものげはやんねえことにすべえ」口々《くち/″\》に揶揄《からか》つた。子供等《こどもら》は一|齊《せい》に洟《はな》を啜《すゝ》つてさうして衣物《きもの》で横《よこ》に拭《ぬぐ》つた。白《しろ》い紙《かみ》が一|枚《まい》づつ子供等《こどもら》の前《まへ》に擴《ひろ》げられた。 「子奴等《こめら》こと云《ゆ》つて、手洟《てばな》なんぞかんだ手《て》ぢや引《ひ》かねえで呉《く》ろえ、おめえ等《ら》も勿體《もつてえ》ねえから」婆《ばあ》さん等《ら》が飯《めし》つぎを左《ひだり》の手《て》に抱《かゝ》へて立《た》つた時《とき》、かう圍爐裏《ゐろり》の側《そば》から呶鳴《どな》つた。彼《かれ》は小柄《こがら》な爺《ぢい》さんで一寸《ちよつと》婆《ばあ》さん等《ら》を顧《かへり》みて微笑《びせう》しながらいつたのである。彼《かれ》は喉《のど》へ二|重《ぢゆう》にした珠數《じゆず》を卷《ま》いて居《ゐ》た。彼《かれ》の聲《こゑ》は恐《おそ》ろしく大《おほ》きかつた。婆《ばあ》さん等《ら》は 「はい/\、そんぢや手《て》でも洗《あら》ひますべよ」といつたり 「俺《お》らおめえ、手洟《てばな》はかまねえよ」といつたりがら/\と騷《さわ》ぎながら、笑《わら》ひ私語《さゝや》きつゝ、濡《ぬ》れた手《て》を前掛《まへかけ》で拭《ふ》いて再《ふたゝ》び飯《めし》つぎを抱《かゝ》へた。婆《ばあ》さん等《ら》は箸《はし》の先《さき》で少《すこ》しづつ、飯《めし》つぎの物《もの》を突《つ》つ掛《か》けて其《そ》の擴《ひろ》げられた紙《かみ》へ置《お》きつゝ、端《はし》からぐるりと廻《まは》つて行《ゆ》く。紙《かみ》は子供等《こどもら》の數《かず》の外《ほか》にも敷《し》かれてあつた。それは空虚《から》になつた飯《めし》つぎを返《かへ》す時《とき》に其《そ》の中《なか》へ入《い》れてやる爲《ため》であつた。飯《めし》つぎには大抵《たいてい》菱餅《ひしもち》と小豆飯《あづきめし》とが入《い》れられてあつた。小豆飯《あづきめし》はどれも/\米《こめ》が能《よ》く搗《つ》けてないのでくすんでさうして腹《はら》の裂《さ》けた小豆《あづき》が粉《こ》を吐《は》いて餘計《よけい》に粘氣《ねばりけ》のないぼろ/\な飯《めし》になつて居《ゐ》た。それでも飯《めし》つぎの異《ことな》る毎《ごと》に小豆飯《あづきめし》の赤《あか》さが幾《いく》らかづつ變《かは》つて居《ゐ》た。子供等《こどもら》は變《かは》つた小豆飯《あづきめし》が一箸々々《ひとはし/\》と殖《ふ》えて行《ゆ》くのが嬉《うれ》しくて、外《そと》へ轉《ころ》がつたのは慌《あわ》てゝ手《て》でとつて紙《かみ》へ載《の》せた。小豆飯《あづきめし》は昨日《きのふ》に異《ことな》つたことはなかつたが、菱餅《ひしもち》は昨日《きのふ》のやうに米《こめ》のではなくてどれでも粟《あは》ばかりであつた。子供等《こどもら》は大小《だいせう》異《ことな》つた粟《あは》の菱餅《ひしもち》が一つは一つと紙《かみ》の上《うへ》に分量《ぶんりやう》を増《ま》して積《つ》まれるのを樂《たの》しげにして、自分《じぶん》の紙《かみ》から兩方《りやうはう》の隣《となり》の紙《かみ》から遠《とほ》くの方《はう》から、それから一つ/\に屈《かゞ》んで箸《はし》を動《うご》かして居《ゐ》る婆《ばあ》さん等《ら》の忙《せは》しい手《て》もとに目《め》を奪《と》られるのであつた。婆《ばあ》さん等《ら》はそは/\としつゝ狹《せま》いので互《たがひ》に衝突《つきあた》つては騷《さわ》ぎながら、自分《じぶん》の家《いへ》に居《ゐ》る時《とき》のやうな節制《たしなみ》が少《すこ》しも保《たも》たれて居《ゐ》なかつた。 「さあ、汝《わ》つ等《ら》此《こ》れつきりだ」婆《ばあ》さん等《ら》が空虚《から》になつた最後《さいご》の飯《めし》つぎの底《そこ》を叩《たゝ》いて腰《こし》を伸《の》ばした時《とき》、子供等《こどもら》は危《あぶ》な相《さう》な手《て》で漸《やうや》く紙《かみ》を包《つゝ》んで、がた/\と先《さき》を爭《あらそ》うて立《た》つた。下駄《げた》を遠《とほ》くへ跳《は》ね飛《と》ばされたり、轉《ころが》つたり、紙包《かみづゝみ》の餅《もち》を落《おと》したりして泣《な》く聲《こゑ》が相《あひ》交《まじ》つた。彼等《かれら》は庭《には》へおりてから徐《おもむ》ろに其《そ》の紙《かみ》を開《ひら》いて小豆飯《あづきめし》を手《て》で抓《つま》んで喫《た》べた。紙《かみ》にくつゝいた小豆飯《あづきめし》を彼等《かれら》は齒《は》で噛《かじ》るやうにしてとつた。破《やぶ》れた紙《かみ》を棄《す》てゝ菱餅《ひしもち》を懷《ふところ》へ入《い》れるものもあつた。庭《には》にはそつちにもこつちにも棄《す》てられた紙《かみ》が白《しろ》く亂《みだ》れて散《ち》らばつて居《ゐ》た。  老人等《としよりら》は圍爐裏《ゐろり》に絶《た》えず薪《たきぎ》を燻《く》べながら酒《さけ》を沸《わか》し始《はじ》めた。村落《むら》のどの家《うち》からか今日《けふ》も念佛衆《ねんぶつしう》へというて供《そな》へられた二|升樽《しようだる》を圍爐裏《ゐろり》の側《そば》へ引《ひ》きつけて、臀《しり》の煤《すゝ》けた土瓶《どびん》へごぼ/\と注《つ》いで自在鍵《じざいかぎ》へ掛《か》けた。外《そと》が餘《あま》りに寒《さむ》いからといふので念佛《ねんぶつ》が濟《す》んでから誰《たれ》かゞ雨戸《あまど》を二三|枚《まい》引《ひ》いたので寮《れう》の内《うち》は薄闇《うすぐら》くなつて居《ゐ》た。佛壇《ぶつだん》の前《まへ》には婆《ばあ》さんが三四|人《にん》でひそ/″\と額《ひたひ》を鳩《あつ》めて居《ゐ》る。 「此《こ》の婆奴等《ばゝあめら》、そつちの方《はう》で偸嘴《ぬすみぐひ》してねえで、佳味《うめ》え物《もの》有《あ》つたら此方《こつち》へ持《も》つて來《こ》う」先刻《さつき》の首《くび》へ珠數《じゆず》を卷《ま》いた小柄《こがら》な爺《ぢい》さんが呶鳴《どな》つた。 「盜《ぬす》んだつち譯《わけ》ぢやねえが、蓋《ふた》とつて見《み》た處《ところ》なんだよ」さういつて婆《ばあ》さん等《ら》は風呂敷《ふろしき》の四隅《よすみ》を掴《つか》んで圍爐裏《ゐろり》の側《そば》へ持《も》つて來《き》た。飯《めし》つぎには干瓢《かんぺう》を帶《おび》にした稻荷鮨《いなりずし》が少《すこ》し白《しろ》い腹《はら》を見《み》せてそつくりと積《つ》まれてあつた。鮨《すし》は少《すこ》し減《へ》つて居《ゐ》た。 「獨《ひとり》でせしめちやえかねえから」爺《ぢい》さんは戲談《じようだん》らしくいつた。 「獨《ひとり》ぢやあんめえな、かうやつて三|人《にん》も四人《よつたり》も居《ゐ》たんだものなあ」 「さうだとも、此《こ》の位《くれえ》俺《お》らげよこしたつて本當《ほんたう》にすりやえゝんだよ、なあ、俺《お》らなんざ上《あが》つた酒《さけ》だつてさうだに飮《の》むべぢやなし」婆《ばあ》さん等《ら》は抗辯《かうべん》するやうにいつた。悉皆《みんな》が一《ひと》つ/\と鮨《すし》を撮《つま》んだ。 「そりやさうと、酒《さけ》どうしたえ」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんはひよつと自在鍵《じざいかぎ》の儘《まゝ》土瓶《どびん》を手《て》もとへ引《ひき》つけて、底《そこ》へ手《て》を當《あ》てゝ見《み》た。 「放心《うつかり》してゝ此《こ》ら※[#「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52]立《にた》ツちやあ處《とこ》だつけ」と急《いそ》いで土瓶《どびん》を外《はづ》して 「俺《お》らさうだ鮨《すし》なんざ自分《じぶん》ぢや一《ひと》つでも欲《ほ》しかねえんだから、さうだ物《もの》で滿腹《はらくち》くしたつ位《くれえ》酒《さけ》からツき甘《うま》くなくしつちやあから、」爺《ぢい》さんは土瓶《どびん》を疊《たゝみ》の上《うへ》へ置《お》いていつた。悉皆《みんな》がずらりと座《ざ》を作《つく》つた。茶呑茶碗《ちやのみぢやわん》が一《ひと》つ/\に置《お》かれて、何處《どこ》からか供《そな》へられた芋《いも》や牛蒡《ごばう》や人參《にんじん》や其《そ》の他《た》の野菜《やさい》の煮〆《にしめ》が重箱《ぢゆうばこ》の儘《まゝ》置《お》かれた。其處《そこ》には膳《ぜん》も臺《だい》も何《なに》もなかつた。土瓶《どびん》の酒《さけ》が徳利《とくり》へ移《うつ》されて土瓶《どびん》は再《ふたゝ》び自在鍵《じざいかぎ》へ吊《つる》された。二|度目《どめ》の酒《さけ》が茶碗《ちやわん》へ注《つ》がれた時《とき》 「此《こ》ら駄目《だめ》だ、焦臭《こげくさ》くしツちやつた、酒《さけ》沸《わか》すのにや畢《を》へねえどうも氣《き》をつけなくつちや、酒《さけ》と茶《ちや》はちつとでも臭味《くさみ》移《うつ》らさんだから」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは茶碗《ちやわん》を口《くち》へ當《あ》てゝ左《さ》も憤慨《ふんがい》に堪《た》へぬものゝやうにいつた。 「なあに、土瓶《どびん》だつて二|度目《どめ》のが少《すこ》しに仕《し》ねえで、先刻《さつき》のがより餘計《よけい》なツ位《くれえ》注《つ》ぎせえすりや大丈夫《だいぢようぶ》なんだが、それさうでねえと周圍《まあり》がそれ焦《こ》びつから」と側《そば》から直《す》ぐに口《くち》が出《で》た。 「そんぢや、今度《こんだ》澤山《しつかり》入《せ》えびやな、俺《お》ら碌《ろく》に飮《の》んもしねえで、怒《おこ》られちやつまんねえな」土瓶《どびん》を手《て》にした婆《ばあ》さんは笑《わら》ひながらいつた。 「本當《ほんたう》にすりや、一|遍《ぺん》毎《ごと》に土瓶《どびん》の中《なか》水《みづ》でゆすがなくつちや駄目《だめ》なんだがな」 「そつから、はあ、鐵瓶《てつびん》の中《なか》さ徳利《とつくり》おしこめばえゝんだな、さうすりやどうだもかうだもねえんだな」 「折角《せつかく》甘《うめ》え酒《さけ》臺《でえ》なしにして可惜物《あつたらもん》だな、此《こ》らこんで餘程《よつぽど》えゝ酒《さけ》だぞ」抔《など》といふ聲《こゑ》が雜然《ざつぜん》として聞《きこ》えた。 「鐵瓶《てつびん》ぢや徳利《とつくり》一|本《ぽん》づつしかへえんねえから面倒臭《めんだうくさ》かんべと思《おも》つてよ」と婆《ばあ》さんはいひながら、一|旦《たん》沸《たぎ》つた鐵瓶《てつびん》を懸《か》けた。樽《たる》が空虚《から》になつて悉皆《みんな》飮《の》む者《もの》は銘酊《よつぱら》つてがや/\と只《たゞ》騷《さわ》いだ。  卯平《うへい》は圍爐裏《ゐろり》の側《そば》を離《はな》れずにむつゝりとして杯《さかづき》をとらぬ婆《ばあ》さん等《ら》と火《ひ》にあたりながら、煙管《きせる》を持《も》たぬ所在《しよざい》なさに麁朶《そだ》の先《さき》を折《を》つて其《その》癖《くせ》の舌《した》を鳴《な》らしつゝ齒齦《はぐき》をつゝいて居《ゐ》た。彼《かれ》は悉皆《みんな》が騷《さわ》いで居《ゐ》る間《ま》に自分《じぶん》の腹《はら》に足《た》りるだけの鮨《すし》や惚菜《そうざい》やらを箸《はし》に挾《はさ》んで杯《さかづき》へは手《て》を觸《ふ》れようとしなかつた。老人等《としよりら》は自分《じぶん》の騷《さわ》ぐ方《はう》にばかり心《こゝろ》を奪《うば》はれて卯平《うへい》のことはそつちのけにした儘《まゝ》であつた。卯平《うへい》はそれでも種々《いろいろ》な百姓料理《ひやくしやうれうり》の鹽辛《しほから》い重箱《ぢゆうばこ》へ箸《はし》をつけて近頃《ちかごろ》になく快《こゝろ》よかつた。彼《かれ》は腹《はら》に一|杯《ぱい》になる迄《まで》には、缺《か》けた齒齦《はぐき》で噛《か》んで嚥下《のみくだ》して、更《さら》に次《つぎ》の箸《はし》が口《くち》まで來《く》る其《そ》の悠長《いうちやう》な手《て》の運動《うんどう》が待遠《まちどほ》で口腔《こうかう》の粘膜《ねんまく》からは自然《しぜん》に薄《うす》い水《みづ》のやうな唾液《つば》の湧《わ》いて出《で》るのを抑《おさ》へることが出來《でき》ない程《ほど》であつた。  威勢《ゐせい》よく成《な》つた老人等《としよりら》は赤《あか》い胴《どう》の太鼓《たいこ》を首筋《くびすぢ》から胸《むね》へ吊《つ》つて、だらり/\と叩《たゝ》いて先《さき》に立《た》つと足《あし》もと手《て》もと節制《だらし》なくなつた凡《すべ》てが後《あと》から/\と、殊《こと》に婆《ばあ》さん等《ら》は騷《さわ》ぎながら跟《つい》て出《で》る。軒端《のきば》から青竹《あをだけ》の棚《たな》に添《そ》うて敷《し》いてある筵《むしろ》を渡《わた》つて徐《おもむろ》に廻《まは》る。彼等《かれら》はそれをお山廻《やままは》りといふのである。相互《さうご》に踉蹌《よろ》けながら踊《をどり》とも何《なん》ともつかぬ剽輕《へうきん》な手足《てあし》の動《うご》かしやうをして、蓄《たくは》へて置《お》いた一|年中《ねんぢう》の笑《わらひ》を一|時《じ》に吐《は》き出《だ》したかと思《おも》ふ程《ほど》の聲《こゑ》を放《はな》つて止《と》めどもなくどよめいた。遂《つひ》には列《れつ》が亂《みだ》れて互《たがひ》に衝突《しようとつ》しては足《あし》を踏《ふ》んだり踏《ふ》まれたりして、一人《ひとり》が倒《たふ》れゝば後《あと》から/\と折重《をりかさな》つて一《ひと》しきり同《おな》じ處《ところ》に止《と》まつてはがや/\と騷《さわ》いだ。彼等《かれら》は殆《ほとん》ど冷却《れいきやく》しようとしつゝある肉體《にくたい》の孰《いづ》れの部分《ぶぶん》かに失《うしな》はれんとしてほつちりと其《その》俤《おもかげ》を止《と》めて居《ゐ》た青春《せいしゆん》の血液《けつえき》の一|滴《てき》が俄《にはか》に沸《わ》いて彼等《かれら》の全體《ぜんたい》を支配《しはい》し且《かつ》活動《くわつどう》せしめたかと思《おも》ふやうに、枯燥《こさう》しつゝある彼等《かれら》の顏《かほ》にはどれでも華《はな》やかな紅《べに》を潮《さ》して居《ゐ》る。彼等《かれら》は全《まつた》く節制《たしなみ》を失《うしな》つて居《を》る。彼等《かれら》は平生《へいぜい》家族《かぞく》に交《まじ》つて、其《その》老衰《らうすゐ》の身《み》がどうしても自然《しぜん》に壯者《さうしや》の間《あひだ》に疎外《そぐわい》されつゝ、各自《かくじ》は寧《むし》ろ無意識《むいしき》でありながら然《しか》も鬱屈《うつくつ》して懶《ものう》い月日《つきひ》を過《すご》しつゝある時《とき》に、例年《れいねん》の定《さだ》めである念佛《ねんぶつ》の日《ひ》はさういふ凡《すべ》てを放《はな》つ自由境《じいうきやう》である。彼等《かれら》は其處《そこ》に些《すこし》の遠慮《ゑんりよ》をも有《も》つて居《を》らぬ。彼等《かれら》は冬季《とうき》の間《あひだ》を長《なが》い夜《よ》の眠《ねむ》りに飽《あ》きつゝ寒《さむ》さに苛《いぢ》められて居《ゐ》た苦《くる》しさを、もう空《そら》の何處《どこ》にか其《そ》の勢《いきほ》ひを潜《ひそ》めて躊躇《ちうちよ》して居《ゐ》る筈《はず》の春《はる》に先立《さきだ》つて一|度《ど》に取返《とりかへ》さうとするものゝ如《ごと》く騷《さわ》いで/\又《また》騷《さわ》ぐのである。酒《さけ》が其處《そこ》に火《ひ》を點《てん》じた。庭《には》の四|本《ほん》の青竹《あをだけ》に長《は》つた繩《なは》の赤《あか》や青《あを》や黄《き》の刻《きざ》んだ注連《しめ》がひら/\と動《うご》きながら老人等《としよりら》と一《ひと》つに私語《さゝや》くやうに見《み》えた。日《ひ》は陽氣《やうき》な庭《には》へ一|杯《ぱい》に暖《あたゝ》かな光《ひかり》を投《なげ》た。庭《には》には子供等《こどもら》や村落《むら》の者《もの》がぞろつと立《たつ》て此《この》騷《さわ》ぎを笑《わら》つて見《み》て居《ゐ》た。其《その》邊《へん》には難《むづ》かし相《さう》なものは一《ひと》つも見《み》られなかつた。彼等《かれら》を包《つゝ》んだ軟《やはら》かな空氣《くうき》が春《はる》の徴候《きざし》でなければならなかつた。  然《しか》しながら卯平《うへい》は只《たゞ》獨《ひと》り其《その》群《むれ》に加《くは》はらなかつた。老人等《としよりら》の勢《いきほ》ひがごつと庭《には》に移《うつ》つた時《とき》寮《れう》の内《うち》は其《そ》の騷《さわ》ぎの聲《こゑ》が一|杯《ぱい》に襲《おそ》ひ來《き》て喧《やかま》しいにも拘《かゝは》らず寂《さび》しかつた。圍爐裏《ゐろり》の火《ひ》も灰《はひ》が白《しろ》く掩《おほ》うて滅切《めつきり》と衰《おとろ》へた。卯平《うへい》は凝然《ぢつ》と腕《うで》を拱《こまね》いた儘《まゝ》眼《め》を蹙《しか》めて燃《も》え退《の》いた薪《まき》をすら突《つ》き出《だ》さうとしなかつた。彼《かれ》には庭《には》の節制《だらし》のない騷《さわ》ぎの聲《こゑ》が其《そ》の耳《みゝ》を支配《しはい》するよりも遠《とほ》く且《かつ》遙《はるか》な闇《やみ》に何物《なにもの》をか搜《さが》さうとしつゝあるやうに只《たゞ》惘然《ばうぜん》として居《ゐ》るのであつた。與吉《よきち》は紙包《かみづゝ》みの小豆飯《あづきめし》を盡《つく》して暫《しば》らく庭《には》の騷《さわ》ぎを見《み》て居《ゐ》たが寮《れう》の内《うち》に※[#「煢−冖」、第4水準2-79-80]然《ぽつさり》として居《ゐ》る卯平《うへい》を見出《みいだ》して圍爐裏《ゐろり》に近《ちか》く迫《せま》つた。 「爺《ぢい》くんねえか」と彼《かれ》は又《また》何時《いつ》ものやうに卯平《うへい》に甘《あま》えた。卯平《うへい》は其《その》聲《こゑ》を聞《き》いても暫《しばら》く蹙《しが》んだ儘《まゝ》で居《ゐ》た。  立春《りつしゆん》の日《ひ》を過《す》ぎてから、却《かへつ》て黄昏《たそがれ》の果敢《はか》ない薄《うす》い光《ひかり》の空《そら》に吹《ふ》き落《お》ちる筈《はず》の西風《にしかぜ》が何《なに》を憤《いか》つてか吹《ふ》いて/\吹《ふ》き捲《まく》つて、夜《よ》に渡《わた》つても幾日《いくにち》か止《や》まぬ程《ほど》な稀有《けう》な現象《げんしやう》に伴《ともな》うて、鬼怒川《きぬがは》の淺瀬《あさせ》が氷《こほり》に閉《とざ》されて、軈《やが》て氷《こほり》の塊《かたまり》が流《なが》れたといふ噂《うはさ》が立《た》つたことがあつた。卯平《うへい》はそれと共《とも》に其《そ》の乾燥《かんさう》した肌膚《はだ》が餘計《よけい》に荒《あ》れて寒冷《かんれい》の氣《き》が骨《ほね》に徹《てつ》したかと思《おも》ふと俄《にはか》に手《て》の自由《じいう》を失《うしな》つて來《き》たやうに自覺《じかく》した。彼《かれ》は繩《なは》を綯《な》ふにも草鞋《わらぢ》を作《つく》るにも、其《それ》が或《ある》凝塊《しこり》が凡《すべ》ての筋肉《きんにく》の作用《さよう》を阻害《そがい》して居《ゐ》るやうで各部《かくぶ》に疼痛《とうつう》をさへ感《かん》ずるのであつた。器用《きよう》な彼《かれ》の手先《てさき》が彼自身《かれじしん》の物《もの》ではなくなつた。彼《かれ》は與吉《よきち》が狹《せま》い戸口《とぐち》に立《た》つ毎《ごと》に心《こゝろ》から迎《むか》へる以前《いぜん》の卯平《うへい》ではなくなつて居《ゐ》た。それでも彼《かれ》は與吉《よきち》を愛《あい》して居《ゐ》た。 「明日《あした》にしろ」と彼《かれ》は簡單《かんたん》に拒絶《きよぜつ》してさうしてそれつきりいはないことが有《あ》るやうになつた。與吉《よきち》は屡《しば/\》さういはれて悄然《せうぜん》として居《ゐ》るのを、卯平《うへい》は凝視《みつ》めて餘計《よけい》に目《め》を蹙《しか》めつゝあるのであつた。さういふことが幾度《いくたび》か幾日《いくにち》か反覆《くりかへ》された後《のち》卯平《うへい》は與吉《よきち》へ一|錢《せん》の銅貨《どうくわ》を與《あた》へた。從來《これまで》に倍《ばい》して居《ゐ》るのと殆《ほとん》ど復《また》拒絶《きよぜつ》されるのではないかといふ懸念《けねん》を懷《いだ》きつゝある與吉《よきち》は何時《いつ》でも其《それ》に非常《ひじやう》な滿足《まんぞく》を表《あら》はした。其《その》容子《ようす》を見《み》る卯平《うへい》は勢《いきほ》ひ心《こゝろ》が動《うご》かされた。  自分《じぶん》の老衰者《らうすゐしや》であることを知《し》つた時《とき》諦《あきら》めのない凡《すべ》ては、動《と》もすれば互《たがひ》に餘命《よめい》の幾何《いくばく》もない果敢《はか》なさを語《かた》り合《あ》うて、それが戲談《じようだん》いうて笑語《さゞめ》く時《とき》にさへ絶《た》えず反覆《くりかへ》されて、各自《かくじ》が痛切《つうせつ》に感《かん》ずる程度《ていど》の相違《さうゐ》はあるにしても、死《し》の問題《もんだい》に苦《くる》しめられて居《ゐ》るのは事實《じじつ》である。卯平《うへい》の心《こゝろ》にも同《おな》じく死《し》の觀念《くわんねん》が止《や》まず往來《わうらい》した。  彼《かれ》は其《その》手先《てさき》の自由《じいう》を失《うしな》うた時《とき》自棄《やけ》の心《こゝろ》から彼《かれ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を解《と》いた。野田《のだ》に居《ゐ》た頃《ころ》主人《しゆじん》や又《また》は主人《しゆじん》の用《よう》での出先《でさき》から貰《もら》つた幾筋《いくすぢ》の手拭《てぬぐひ》を繼《つ》ぎ合《あは》せて拵《こしら》へた浴衣《ゆかた》を出《だ》した。清潔好《きれいずき》な彼《かれ》には派手《はで》な手拭《てぬぐひ》の模樣《もやう》が當時《たうじ》矜《ほこり》の一《ひと》つであつた。彼《かれ》はもう自分《じぶん》の心《こゝろ》を苛《いぢ》めてやるやうな心持《こゝろもち》で目欲《めぼ》しい物《もの》を漸次《だん/\》に質入《しちいれ》した。彼《かれ》は眼前《がんぜん》に氷《こほり》が閉《と》ぢては毎日《まいにち》暖《あたゝか》い日《ひ》の光《ひかり》に溶解《ようかい》されるのを見《み》て居《ゐ》た。彼《かれ》にはそれが只《たゞ》さういふ現象《げんしやう》としてのみ眼《め》に映《うつ》つた。彼《かれ》は自由《じいう》を失《うしな》うた其《その》手先《てさき》が暖《あたゝか》い春《はる》の日《ひ》が積《つも》つて漸次《だん/\》に和《やは》らげられるであらうといふ微《かす》かな希望《のぞみ》をさへ起《おこ》さぬ程《ほど》身《み》も心《こゝろ》も僻《ひが》んでさうして苦《くる》しんだ。彼《かれ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》から獲《え》つゝあつた金錢《きんせん》は些少《すこし》のものであつたが、それは時《とき》として彼《かれ》の硬《こは》ばつた舌《した》に適《てき》した食料《しよくれう》の或《ある》物《もの》を求《もと》める外《ほか》に一|部分《ぶぶん》は與吉《よきち》の小《ちひ》さな手《て》に落《おと》されるのであつた。果敢《はか》ない煙草入《たばこいれ》の叺《かます》の中《なか》を懸念《けねん》するやうに彼《かれ》は數次《しばしば》覗《のぞ》いた。陰鬱《いんうつ》な狹《せま》い小屋《こや》の中《なか》で覗《のぞ》く叺《かます》の底《そこ》は闇《くら》かつた。僅《わづ》かに交《まじ》つた小《ちひ》さな白《しろ》い銀貨《ぎんくわ》が見《み》る度《たび》に彼《かれ》の心《こゝろ》に幾《いく》らかの光《ひかり》を與《あた》へた。彼《かれ》が什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《どんな》に惜《をし》んでも叺《かます》の中《なか》の減《へ》つて行《ゆ》くのを防《ふせ》ぐことは出來《でき》ない。然《しか》も寡言《むくち》な彼《かれ》は徒《いたづ》らに自分《じぶん》獨《ひとり》が噛《か》みしめて、絶《た》えず只《たゞ》憔悴《せうすゐ》しつゝ沈鬱《ちんうつ》の状態《じやうたい》を持續《ぢぞく》した。彼《かれ》は其《その》状態《じやうたい》を保《たも》つて念佛寮《ねんぶつれう》の圍爐裏《ゐろり》にどつかと懶《ものう》い身體《からだ》を据《す》ゑて居《ゐ》た。  庭《には》の騷《さわ》ぎは止《や》んで疾風《しつぷう》の襲《おそ》うた如《ごと》く寮《れう》の内《うち》は復《また》雜然《ざつぜん》として卯平《うへい》を圍《かこ》んだ沈鬱《ちんうつ》な空氣《くうき》を攪亂《かくらん》した。軈《やが》て老人等《としよりら》が互《たがひ》の懷錢《ふところせん》を出《だ》し合《あ》うた二|升樽《しやうだる》が運《はこ》ばれて酒《さけ》が又《また》沸《わか》された。酒《さけ》の座《ざ》は圍爐裏《ゐろり》に近《ちか》く形《かたちづく》られた。其《そ》の時《とき》まだ與吉《よきち》は去《さ》らなかつた。卯平《うへい》は默《だま》つて五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》を投《な》げた。側《そば》に居《ゐ》た一人《ひとり》の老人《としより》がそれを拾《ひろ》はうとして見《み》せると與吉《よきち》は兩方《りやうはう》の手《て》を掛《かけ》てそれから身《み》を以《もつ》て俺《おほ》うた。彼《かれ》はそれを堅《かた》く掴《つか》んで 「爺《ぢい》、いま一《ひと》つくんねえか」と更《さら》に強請《せが》んだ。彼《かれ》は五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》を大事《だいじ》にした。然《しか》し彼《かれ》は暫《しばら》く一|錢《せん》の銅貨《どうくわ》に訓《な》れて居《ゐ》たので心《こゝろ》に僅《わづか》な不足《ふそく》を感《かん》じたのであつた。卯平《うへい》は口《くち》を緘《つぐ》んで居《ゐ》る。 「汝《わ》りや、さうだこと云《い》ふんぢやねえ、先刻《さつき》あゝだに何《なにつ》か貰《もら》つて要《い》るもんか、まつと欲《ほ》しいなんちへば俺《お》れ腹《はら》掻裂《かつツ》えて小豆飯《あづきめし》掻出《かんだ》してやつから、汝《わ》りや口《くち》ばかし動《いご》かしてつから見《み》ろうそれ、鴉《からす》に灸《きう》据《す》ゑらツてら」と先刻《さつき》の首《くび》へ數珠《ずゝ》を卷《ま》いた爺《ぢい》さんががみ/\といつた。與吉《よきち》は羞《はにか》んだやうにして五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》で脣《くちびる》をこすりながら立《た》つて居《ゐ》た。彼《かれ》の口《くち》の兩端《りやうはし》には鴉《からす》の灸《きう》といはれて居《ゐ》る瘡《かさ》が出來《でき》て泥《どろ》でもくつゝけたやうになつて居《ゐ》た。 「汝《わ》りや錢《ぜね》欲《ほ》しけりやおとつゝあに貰《もら》へ」爺《ぢい》さんは又《また》呶鳴《どな》つた。 「そんだつて駄目《だめ》だあ、おとつゝあ等《ら》呉《く》れやしめえし」與吉《よきち》は漸《やつ》といつた。 「おとつゝあ聾《つんぼ》だから聞《きけ》えねんだ、おとつゝあ呉《く》ろうつと俺《お》れ見《み》てえに呶鳴《どな》つて見《み》ろ、そんでなけれ耳《みゝ》引張《ひツぱつ》てやれ」 「そんだつて厭《や》だあ俺《お》ら、おとつゝあに打《ぶ》つ飛《と》ばされつから」 「えゝから行《え》けはあ、汝等《わつら》見《み》てえな餓鬼奴等《がきめら》ごや/\來《き》ちや五月蠅《うるさ》くつて仕《し》やうねえから」與吉《よきち》は悄々《しを/\》と立《た》つた。 「さうら」と卯平《うへい》は後《あと》から五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》を庭《には》へ投《な》げてやつた。  さうして居《ゐ》る間《ま》に二|度目《どめ》の酒《さけ》に與《あづか》らぬ婆《ばあ》さん等《ら》は表《おもて》の雨戸《あまど》を更《さら》に二三|枚《まい》引《ひい》て餘計《よけい》に薄闇《うすぐら》く成《な》つた佛壇《ぶつだん》の前《まへ》に凝集《こゞ》つた。何時《いつ》の間《ま》にか念佛衆《ねんぶつしゆう》以外《いぐわい》の村落《むら》の女房《にようばう》も加《くは》はつて十|人《にん》ばかりに成《な》つた。彼等《かれら》は外《そと》からの人目《ひとめ》を雨戸《あまど》に避《さ》けて其《そ》の唯一《ゆゐいつ》の娯樂《ごらく》とされてある寶引《はうびき》をしようといふのであつた。疊《たゝみ》には八|本《ほん》の紺《こん》の寶引絲《はうびきいと》がざらりと投《な》げ出《だ》された。彼等《かれら》はそれを絲《いと》と喚《よ》んで居《ゐ》るけれども、機《はた》を織《お》つて切《き》り放《はな》した最後《さいご》の絲《いと》の端《はし》を繩《なは》のやうに綯《な》つた綱《つな》である。婆《ばあ》さん等《ら》は圓《まる》い座《ざ》を作《つく》つて銘々《めい/\》の前《まへ》へ二|錢《せん》づつの錢《ぜに》を置《お》いた。親《おや》に成《な》つた一人《ひとり》が八|本《ほん》の綱《つな》の本《もと》を掴《つか》んで一|度《ど》ぎつと指《ゆび》へ絡《から》んでばらりと投《な》げ出《だ》すと、悉皆《みんな》が一《ひと》つづゝ掴《つか》んで此《こ》れも其《そ》の端《はし》を指《ゆび》へぎりつと絡《から》んで一|度《ど》に引《ひ》くと七|本《ほん》の綱《つな》が空《むな》しくすつとこける。只《たゞ》一|本《ぽん》の綱《つな》の臀《しり》には彼等《かれら》のいふ「どツぺ」が附《つ》いて居《ゐ》てそれがどさりと疊《たゝみ》を打《う》つて一人《ひとり》の手《て》もとへ引《ひ》かれる。どつぺは一|厘錢《りんせん》を三|寸《ずん》ばかりの厚《あつ》さに穴《あな》を透《とほ》してぎつと括《くゝ》つた錘《おもり》である。一|厘錢《りんせん》は黄銅《くわうどう》の地色《ぢいろ》がぴか/\と光《ひか》るまで摩擦《まさつ》されてあつた。どつぺを引《ひ》いたのが更《さら》に親《おや》になつて一|度《ど》毎《ごと》にどつぺは解《と》いて他《た》の綱《つな》へつける。さうすると婆《ばあ》さん等《ら》は思案《しあん》しつゝ然《しか》も速《すみや》かに綱《つな》の一《ひと》つを抓《つま》んでは放《はな》したり又《また》抓《つま》んだり極《きは》めて忙《いそが》しげに其《そ》の手《て》を動《うご》かす。彼等《かれら》は丁度《ちやうど》※[#「鬥<亀」、第3水準1-94-30]《くじ》を引《ひ》くやうに屹度《きつと》一《ひと》つは當《あた》る筈《はず》のどつぺを悉皆《みんな》が心《こゝろ》あてに掴《つか》んで引《ひ》くのである。一|度《ど》毎《ごと》に失望《しつばう》と滿足《まんぞく》とが悉皆《みんな》の顏《かほ》にそれからそれと移《うつ》つて行《ゆ》く。  綱《つな》をぎつと束《つか》ねて引《ひ》かせる手《て》もとや、一《ひと》つづゝに思案《しあん》しながら然《しか》も掴《つか》んだら威勢《ゐせい》よくすいと引《ひ》く手《て》もとは彼等《かれら》が硬《こは》ばつた手《て》でありながら熟練《じゆくれん》してさうして敏捷《びんせふ》に運動《うんどう》する。綱《つな》の周圍《しうゐ》から悉皆《みんな》の形《かたち》づくつて居《ゐ》る輪《わ》が縮《ちゞ》まるやうにして、一《ひと》つ掴《つか》んでは又《また》其《そ》の輪《わ》が擴《ひろ》がるやうにしつゝ引《ひ》く容子《ようす》は大勢《おほぜい》が一《ひと》つの紐《ひも》を打《う》つて居《ゐ》るやうな形《かたち》にも見《み》えた。彼等《かれら》は忙《いそが》しく手《て》を動《うご》かして居《ゐ》ると共《とも》に聲《こゑ》を殺《ころ》してひそ/\と然《し》かも力《ちから》を入《い》れて笑語《さゞめ》いた。彼等《かれら》は戸外《こぐわい》の聞《きこ》えを憚《はばか》らぬならば興味《きようみ》に乘《じよう》じて放膽《はうたん》に騷《さわ》ぐ筈《はず》でなければならぬ。各自《かくじ》の前《まへ》に在《あ》る錢《ぜに》はどつぺを引《ひ》き當《あ》てた者《もの》の手《て》に一《ひと》つづゝ引《ひ》き去《さ》られて誰《たれ》の前《まへ》にも全《まつた》くなくなつた時《とき》又《また》更《さら》に置《お》かれるのである。彼等《かれら》はそれに熱中《ねつちう》して全《まつた》く他《た》を忘《わす》れて居《ゐ》る。寶引《はうびき》にも酒《さけ》にも加《くは》はらぬ老人等《としよりら》は棚《たな》の周圍《しうゐ》を廻《まは》つてからは歸《かへ》つたものも有《あ》つて寮《れう》には幾《いく》らか人數《にんず》も減《へ》つて居《ゐ》たが、圍爐裏《ゐろり》の邊《ほとり》は醉《ゑひ》が加《くは》はつて寶引《はうびき》の群《むれ》に行《ゆ》かぬ婆《ばあ》さん等《ら》は酒《さけ》の好《す》きな孰《ど》れも威勢《ゐせい》のいゝものばかりであつた。 「なあおめえ、こんで俺《お》らも若《わ》けえ時《とき》にや面白《おもしろ》えのがんだよなあ」と爺《ぢい》さんの肩《かた》へ靠《もた》れ掛《かゝ》るものもあつた。 「篦棒《べらぼう》、以前《めえかた》のことなんぞ、外聞《げえぶん》惡《わ》りい、俺《お》らなんざこんで隨分《ずゐぶん》無鐵砲《がしよき》なこたあしたが、こんで女《をんな》にや煎《え》れねえつちやつたから」と首《くび》に珠數《じゆず》を卷《ま》いた爺《ぢい》さんが側《そば》でそれを見《み》て居《ゐ》て呶鳴《どな》つた。 「おめえ、怒《おこ》んなくつてもえゝやな、酒《さけ》の座敷《ざしき》ぢや其《それ》つ位《くれえ》なこた仕方《しかた》あんめえな」と叱《しか》られた婆《ばあ》さんは右《みぎ》の手《て》を上《うへ》から左《ひだり》の手《て》の平《ひら》へ打《う》ちつけて、大聲《おほごゑ》を立《た》てゝ笑《わら》ひながら 「どうしたんでえまあ一|杯《ぺえ》やらつせえね」と婆《ばあ》さんは更《さら》に卯平《うへい》へ茶碗《ちやわん》を突《つ》きつけた。卯平《うへい》は一|杯《ぱい》をも口《くち》へ銜《ふく》まぬのに先刻《さつき》から只《たゞ》凝然《ぢつ》として、騷《さわ》ぎを聞《き》くでもなく聞《き》かぬでもない容子《ようす》をして胡坐《あぐら》をかいて居《ゐ》た。二|度目《どめ》の酒《さけ》は幾《いく》らか腹《はら》に餘計《よけい》であつた老人等《としよりら》はもう卯平《うへい》を見遁《みのが》しては置《お》かなかつたのである。 「俺《お》ら暫《しばら》くやんねえから」卯平《うへい》はそつけなくいつて其《そ》の癖《くせ》の舌《した》を鳴《な》らした。 「何《なん》でまた飮《の》まねえんだ、さうだにしんねりむつゝりしてねえで、ちつた威勢《えせい》つけて見《み》るもんだ、そうれ」と先刻《さつき》からの爺《ぢい》さんは茶碗《ちやわん》を突《つ》きつけた。卯平《うへい》は復《ま》た舌《した》を鳴《な》らして、唾《つば》をぐつと嚥《の》んだ。 「俺《お》らはあ、暫《しばら》くやんねえから、煙草《たばこ》は身體《からだ》の工合《ぐえゝ》惡《わ》りいから斷《た》つたんだから何《なん》だが、酒《さけ》は此《こ》れ錢《ぜね》は稼《かせ》げねえし、ちつとでも飮《の》めば又《また》飮《の》みたくなつから廢《や》めつちやつたな、酒《さけ》もはあ以前《めえかた》た違《ちが》つて一|杯《ぺえ》幾《いく》らつちんだから錢《ぜね》くんのむやうで」彼《かれ》はぶすりとして然《しか》も力《ちから》のない聲《こゑ》を投《な》げ掛《か》けるやうにしていつた。 「さうだこと云《や》あねえで、そら來《き》たつとかう手《てえ》つんだすもんだ、倦怠《まだるつこ》くつて仕《し》やうねえ此等《こツら》がな」先刻《さつき》の爺《ぢい》さんは又《また》一|杯《ぱい》をぐつと干《ほ》して呶鳴《どな》つた。 「さうだよ、飮《の》まつせえよおめえ、めでゝえ酒《さけ》だから、威勢《えせえ》つければおめえ身體《からだ》の工合《ぐえゝ》だつてちつと位《ぐれえ》なら癒《なほ》つちやあよ」婆《ばあ》さん等《ら》は又《また》侑《すゝ》めた。 「此《こ》の人《ひと》も勘次《かんじ》どんにや善《よ》くさんねえごつさら、困《こま》つたもんさな、そんだつておめえさうえもな仕《し》やうねえから、さうえにくよくよしねえ方《はう》がえゝよ」他《た》の婆《ばあ》さんもいつた。 「身體《からだ》の工合《ぐえゝ》惡《わ》りいなんて、さうだ料簡《れうけん》だから卯平等《うへいら》仕《し》やうねえ、此等《こツら》ようまづだなんて、ようまづなんち病氣《びやうき》は腹《はら》の蟲《むし》から出《で》んだから、なあに譯《わき》あねえだよ、蛇《へび》でかう扱《こ》きおろすんだ、えゝか、俺《お》れこすつてやつから、いや本當《ほんたう》だよ俺《お》らがなんざあ」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは非常《ひじやう》な勢《いきほ》ひでいつた。  首《くび》の珠數《じゆず》は彼《かれ》の聲《こゑ》が喉《のど》を膨脹《ばうちやう》させるので其《その》度《たび》毎《ごと》に少《すこ》しづゝ動《うご》いた。 「俺《お》ら蛇《へび》は嫌《きれ》えだから」卯平《うへい》は苦《くる》し相《さう》にいつた。 「蛇《へび》嫌《きれ》えだと、さうだ大《えけ》え姿《なり》してあばさけたこといふなえ、俺《お》らなんざ蛇《へび》でも毛蟲《けむし》でも可怖《おつかね》えなんちやねえだから、かうえゝか、斯《か》うだぞ」といひながら爺《ぢい》さんは後向《うしろむき》に立《た》つて、十|分《ぶん》に酩酊《よつぱら》つた足《あし》を大股《おほまた》に踏《ふ》んで、肌《はだ》を脱《ぬ》いだ兩方《りやうはう》の手《て》をぎつと握《にぎ》つて、手拭《てぬぐひ》で背中《せなか》を擦《こす》るやうな形《かたち》をして見《み》せた。 「俺《お》らようまづぢや八九|年《ねん》も惱《なや》んだんだが、蛇《へび》でこすればえゝつちから、此《こ》ら甘《うめ》えこと聞《きい》たと思《おも》つてな、大《えけ》え青大將《あをだいしやう》ぶらんと※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》からぶらさがつたから竹竿《たけざを》で掻《か》き落《おと》すべと思《おも》つたら、俺《お》ら家《ぢ》の婆奴等《ばゝめら》構《かま》あななんて云《ゆ》つけが、えゝから汝等《わツら》默《だま》つて見《み》てろ、なんてそれから俺《おれ》ぐうつと頭《あたま》ふん掴《づか》めえて、斯《か》う俺《お》れ背中《せなか》こすつたな、大《えけ》え青大將《あをだいしやう》だから畜生《ちきしやう》縮《ちゞま》つて屈曲《えんぢぐんぢ》した時《とき》や引《ひ》つ掛《かゝ》つて仲々《なかなか》動《いご》かねえだ、それからうゝんと引《ひ》き伸《のば》しちやこすつたな、さうしたら斯《か》う塊《かたまり》ごりつ/\とこけんの知《し》れたつけな、さうしたらなあにけろりよ」  彼《かれ》は一|同《どう》へ向《む》けた背中《せなか》へ手《て》を廻《まは》して 「此處《こゝ》らんとこに塊《かたまり》有《あつ》たのがだが、それつきり何處《どこ》さか行《い》つちやつたな、それから俺《お》れはあ、ようまづなんざ譯《わき》あねえつちつてんだ」彼《かれ》の手先《てさき》が脊椎《せきずゐ》に近《ちか》く觸《ふ》れた。 「おゝえやまあ、大《えけ》え灸《きう》の痕《あと》ぢやねえけえ」と一人《ひとり》の婆《ばあ》さんが驚《おどろ》いていつた。 「俺《お》らがな此《こ》んで三百|挺《ちやう》一|遍《ぺん》に火《ひい》點《つ》けたんだから、俺《お》らがむしやらなこと大好《だえすき》のがんだから、いや本當《ほんたう》だよ、俺《お》ら恁《こ》んで腹疫病《はらやくびやう》くつゝいた時《とき》だつて到頭《たうとう》寢《ね》ねえつちやつたかんな、今《いま》ぢや教《をさ》つてつから餓鬼奴等《がきめら》まで赤《せき》れえ病《びやう》だなんて知《し》つてんが、俺《お》ら壯《さかり》の頃《ころ》あ何《なん》でも疫病《やくびやう》と覺《おべ》えてたのがんだから、なあ卯平《うへい》、此《こ》ツ等《ら》もそん時《とき》やつたから知《し》つてらな、俺《お》ら一日《いちんち》に十六|度《ど》手水場《てうづば》へ行《い》つたの一|等《とう》だつけが、なあに病氣《びやうき》なんぞにや負《ま》けらツるもんかつちんだから、其《そ》ん時《とき》にや村落中《むらぢう》かたではあ、みんなごろ/\してんで俺《お》ればかり藥箱《くすりばこ》持《も》つて醫者《いしや》の送迎《おくりむけ》えしたな、隣近所《となりきんじよ》一軒毎《えつけんごめら》役《やく》にや立《た》たねえだから、いや本當《ほんたう》だよ、俺《お》ら十五|日《んち》下痢《くだ》つて癒《なほ》つたが俺《お》ら強《つよ》かつたかんな、いや強《つえ》えとも全《まつた》く、なあにツちんで俺《お》れ毎日《まいんち》酒《さけ》ぴん飮《の》んだな、酒《さけ》飮《の》んぢや惡《わり》いなんて醫者《いしや》なんちや駄目《だめ》だなかたで、檳榔樹《びんらうじゆ》とか何《なん》とかだなんてちつとばかしづゝ、削《けづ》つた藥《くすり》なんぞ倦怠《まだるつこ》くつて仕《し》やうねえから、當藥《たうやく》煎《せん》じ出《だ》して氣日《まいんち》俺《お》れ片口《かたくち》で五|杯《へえ》づゝも飮《の》んだな、五|合《がふ》位《ぐれえ》へえつけべが、俺《お》ら呼吸《えき》つかずだ、なあに呼吸《えき》ついちや苦《にが》くつて仕《し》やうねえだよ」と彼《かれ》は穢《きたな》い手拭《てぬぐひ》で顏《かほ》の汗《あせ》を一|度《ど》ふいた。彼《かれ》は七十を越《こ》えても髮《かみ》はまだ幾《いく》らも白《しろ》くなかつた。彼《かれ》は石《いし》の塊《かたまり》を投《な》げ出《だ》したやうな堅《かた》い身體《からだ》に力《ちから》を入《い》れて獨《ひと》り威勢《ゐぜい》づいた。 「俺《お》らそれから五|百匁《ひやくめ》位《ぐれえ》な軍鷄雜種《しやもおとし》一|羽《ぱ》引《ひ》つ縊《くゝ》つて一|遍《ぺん》に食《く》つちまつたな、さうしたら熱《ねつ》出《で》た」彼《かれ》は俄《にはか》に聲《こゑ》を低《ひく》くしたが、更《さら》に以前《いぜん》に還《かへ》つて 「熱《ねつ》は出《で》たがそれで俺《お》れぐつと身體《からだ》にや力《ちから》つけつちやつたな、其《そ》の所爲《せゐ》だな十五|日《んち》で癒《なほ》つたな、そんだから俺《お》ら直《す》ぐに麥《むぎ》の八|斗《と》はずん/\搗《つ》けたな、俺《お》らこんで體格《なり》はちつちえが強《つを》かつたな、俺《お》らがな無垢《むく》に強《つえ》えのがだから、いや本當《ほんたう》だよ、卯平等《うへいら》も仕事《しごと》ぢや強《つを》かつたが、そりや強《つえ》えとも、そんだが此《こ》ら根性《こんじやう》やくざだから、疫病《やくびやう》くつゝいて太儀《こは》くつて仕《し》やうねえなんて、それから俺《お》れ、確乎《しつかり》しろツちへばどうも下痢《くだ》つちや力《ちから》拔《ぬ》けて仕《し》やうねえ、うん/\なんて唸《うな》つて、そんだがあん時《とき》にや嚊《かゝあ》は可哀相《かはいさう》なことしたな世間《せけん》の奴等《やつら》卯平《うへい》は嚊《かゝあ》に崇《とつつか》れべえなんちから心配《しんぺえ》すんなつて俺《お》れ云《ゆ》つたんだな、そんだが此《こ》ら根性《こんじやう》ねえから、俺《お》ら心配《しんぺえ》するもな大嫌《だえきれえ》だ、それ、心配《しんぺえ》しねえで一|杯《ぺえ》引《ひ》つ掛《か》けろつちんだ」爺《ぢい》さんは幾《いく》らでも乘地《のりぢ》になつてまくしかけた。 「さうだよおめえ、酒《さけ》の座敷《ざしき》でむつゝりしてるもな有《あ》るもんぢやねえ」 「婆《ばあ》さまの手《て》だつておめえ酒《さけ》ぢや酩酊《よつぱら》あからやつて見《み》さつせえよ」婆《ばあ》さん等《ら》は側《そば》から交互《たがひ》に杯《さかづき》を侑《すゝ》めた。彼等《かれら》は情《なさけ》なげな卯平《うへい》を慰《なぐさ》めようとするよりも、獨《ひとり》むつゝりとして居《ゐ》る彼《かれ》を伴侶《なかま》に引《ひ》つ込《こ》まうといふのと、變《かは》つて居《ゐ》る彼《かれ》の容子《ようす》に對《たい》して揶揄《からか》つても見《み》たいからとであつた。 「俺《お》ら錢《ぜね》出《だ》しもしねえで、他人《ひと》の酒《さけ》なんぞ」卯平《うへい》は口《くち》が粘《ねば》つて舌《した》が硬《こは》ばつたやうにいつた。 「おめえ管《かま》あもんぢやねえな、其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》こと」婆《ばあ》さん等《ら》は又《また》いつた。 「酒代《さかで》足《た》んなけりや、こつちの方《はう》に寺錢《てらせん》出來《でき》てるよおめえ等《ら》」寶引《はうびき》の仲間《なかま》がこちらを顧《かへり》みていつた。 「要《え》らねえともそんな錢《ぜね》なんざ、俺《お》ら博奕《ばくち》なんざ何《なん》でも嫌《きれ》えだから」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは直《すぐ》に呶鳴《どな》つた。 「俺《お》らはあ錢《ぜね》も有《あ》りもしねえで」卯平《うへい》は他人《ひと》の騷《さわ》ぎに釣《つ》り込《こ》まれようとするよりも、自分《じぶん》の心裏《しんり》の或《ある》物《もの》を漸《やつ》とのこと吐《は》き出《だ》さうとするやうに呟《つぶや》いた。 「又《また》さうだこつたから仕《し》やうねえ、勘次等《かんじら》懷工合《ふところぐえゝ》えゝつちんだから、要《え》らば何《なん》でも、汝《わ》れよこせつと斯《か》ういふんだ。管《かま》あねえから奪取《ふんだく》つてやれ、俺《お》らだらさうだ、いや本當《ほんたう》だとも、聟《むこ》なんぞに威張《えば》られてるなんちこと有《あ》るもんか、卯平等《うへいら》根性《こんじよう》薄弱《やくざ》だから仕《し》やうねえ」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは髮《かみ》を一|杯《ぱい》に汗《あせ》で濕《うるほ》した。 「威張《えば》らツる理由《わけ》ぢやねえが、俺《お》ら俺《お》れでやんべと思《おも》つてんだから」卯平《うへい》は自分《じぶん》を庇護《ひご》するやうにいつた。 「聟《むこ》なんぞ、承知《しようち》するもんぢやねえ、あゝだ泥棒野郎《どろぼうやらう》、俺《お》ら嫌《きれ》えだ、畑《はたけ》でも田《た》でも油斷《ゆだん》なんねえから」 「そんだが、今《いま》ぢや懷《ふところ》ちつたえゝ所爲《せえ》か盜《と》るな盜《と》んねえよ」 「なあに俺《お》れ、蜀黍《もろこし》伐《き》つた時《とき》にや勘辨《かんべん》しめえと思《おも》つたんだつけがお内儀《かみ》さんに來《き》らツたから我慢《がまん》したんだ、俺《お》れ卯平《うへい》だら槍《やり》で突《つ》つ刺《ぶ》してやんだ、いや俺《お》れにや本當《ほんたう》に行《や》られつとも、俺《お》ら家族《うち》の奴等《やつら》げなんざぐづ/\は云《や》あせねえだ、俺《お》ら家《ぢ》ぢや元日《ぐわんじつ》にや闇《くれ》えに起《お》きて、蓑《みの》着《き》て、圍爐裏端《ゐろりばた》で芋《いも》燒《や》えてくふ縁起《えんぎ》なんだが、俺《お》ら家《ぢ》の奴等《やつら》外聞《げえぶん》惡《わり》いから厭《や》だなんて吐《ぬ》かしやがつから、俺《お》れ、何《なん》だとう汝《わ》ツ等《ら》、厭《や》だつちんだら厭《や》だつて今《いま》一|遍《ぺん》云《ゆ》つて見《み》ろ、俺《お》れ目玉《めだま》の黒《くれ》え内《うち》やさうはえがねえぞつちんだから、いや本當《ほんたう》に俺《お》ら聽《き》かねえだから」彼《かれ》は髮《かみ》が餘計《よけい》に濕《うるほ》ひを増《ま》して悉皆《みんな》の耳《みゝ》の底《そこ》に徹《とほ》る程《ほど》呶鳴《どな》つて見《み》せた。 「おめえ見《み》てえにさうは行《い》かねえよ、他人《たにん》は」卯平《うへい》はぽさりといつた。 「本當《ほんたう》におめえ見《み》てえなもなねえよ、若《わ》けえ時《とき》から毎晩《まいばん》酩酊《よつぱら》つちや後夜《ごや》が鷄《とり》でも構《かま》あねえ馬《うま》曳《ひい》て歸《けえ》つちや戸《と》の割《わ》れる程《ほど》叩《たゝ》いて、さうしちや馬《うま》の裾湯《すそゆ》沸《わ》えてねえつて云《ゆ》つちや家族《うち》の者《もの》こと追《お》ひ出《だ》してなあ、百姓《ひやくしやう》はおめえ夜中《よなか》まで眠《ねむ》んねえで待《ま》つちや居《ゐ》らんねえな、そんだがおめえも相續人《さうぞくにん》善《よ》く出來《でき》て仕合《しあはせ》だよなあ」側《そば》に居《ゐ》て先刻《さつき》から聞《き》いて居《ゐ》た婆《ばあ》さんの一人《ひとり》がいつた。其《そ》の服裝《なり》は他《た》の老人等《としよりら》とは異《ちが》つて居《ゐ》た。 「俺《お》れにや打《ぶ》ち出《だ》されつとも、此《こ》んで俺《お》ら力《ちから》は強《つを》かつたかんな、仕事《しごと》ぢや卯平《うへい》も強《つを》かつたが、かうだ大《えけ》え體格《なり》して相撲《すまふ》ぢや俺《お》れにやかたでぺた/\だ。俺《お》らやあつち内《うち》にや打《ぶ》ん投《な》げつちやあだから、あゝ、俺《お》ら腕《うで》ばかしぢやねえ、そらつ位《くれえ》だから齒《は》も強《つえ》えだよ、俺《お》ら麥打《むぎぶち》ん時《とき》唐箕《たうみ》立《た》てゝちや半夏桃《はんげもゝ》貰《もら》つたの、ひよえつと口《くち》さ入《せ》えたつきり、核《たね》までがり/\噛《かぢ》つちやつたな、奇態《きたい》だよそんだが桃《もゝ》噛《かぢ》つてつと鼻《はな》ん中《なか》さ埃《ほこり》へえんねえかんな、俺《お》れが齒《は》ぢや誰《た》れでも魂消《たまげ》んだから眞鍮《しんちう》の煙管《きせる》なんざ、銜《くうえ》えてぎり/\つとかう手《て》ツ平《ぴら》でぶん廻《まあ》すとぽろうつと噛《か》み切《き》れちやあのがんだから、そんだから今《いま》でも、かうれ、此《こ》の通《とほ》りだ」爺《ぢい》さんはぎり/\と齒《は》を噛《か》み合《あは》せて見《み》せた。 「俺《お》らそれから、喧嘩《けんくわ》ぢや負《ま》けたこたねえだよ、野郎《やらう》何《なん》だつち内《うち》にや打《ぶ》つ張《ぱ》るか、掻《か》つ轉《ころが》すかだな、ごろり轉《ころ》がつた處《ところ》爪先《つまさき》と踵《くびす》持《も》つてかうぐる/\引《ひ》ん廻《まあ》すとどうだ大《えけ》え野郎《やらう》でも起《お》きらんねえだよ、から笑止《をか》しくつて仕《し》やうねえな、えゝか、斯《か》う、かうやんだよ、あゝ、俺《お》ら本當《ほんたう》に強《つえ》えのがんだよ、それ卯平等《うへいら》駄目《だめ》だな後《うしろ》の方《はう》にばかし隱《かく》れてゝからつき」と爺《ぢい》さんは少《すこ》し座《ざ》を退《さが》つて兩手《りやうて》を以《もつ》て喧嘩《けんくわ》の相手《あひて》を苛《いぢ》めるやうな容子《ようす》をして見《み》せた。 「そんだが俺《お》れ旦那《だんな》に云《や》あれてから、家族《うち》の奴等《やつら》ことも怒《おこ》んねえはあ、俺《お》れうめえ處《とこ》見《み》られつちやつたな、いや云《や》あれちや勿體《もつてえ》ながす、本當《ほんたう》に勿體《もつてえ》ねえだよ、お婆《ばあ》さん」爺《ぢい》さんは首《くび》を俛《たれ》て滅切《めつきり》靜《しづ》かになつていつた。さうして彼《かれ》は茶碗《ちやわん》の酒《さけ》をだら/\と零《こぼ》しながらに一口《ひとくち》に嚥《の》んだ。  此《こ》の時《とき》外《そと》から女房《にようばう》が一人《ひとり》忙《せは》しく來《き》た。女房《にようばう》は佛壇《ぶつだん》の前《まへ》へ行《い》つて 「駐在所《ちうざいしよ》來《き》たよ」悉皆《みんな》の中《なか》へ首《くび》を突《つ》き入《い》れるやうにして竊《そつ》と語《かた》つた。悉皆《みんな》は頻《しき》りに輸※[#「羸」の「羊」に代えて「果」、354-14]《かちまけ》にのみ心《こゝろ》を奪《うば》はれて居《ゐ》た。彼等《かれら》の顏《かほ》はにこ/\としたり又《また》は暫《しばら》くどつぺを掴《つか》まぬものは難《むづ》かしくなつた目《め》を蹙《しが》めたり口《くち》をむぐ/\と動《うご》かしたりして自分《じぶん》は一|向《かう》それを知《し》らないのであつた。彼等《かれら》の各自《めい/\》が持《も》つて居《ゐ》る種々《いろ/\》な隱《かく》れた性情《せいじやう》が薄闇《うすぐら》い室《しつ》の内《うち》にこつそりと思《おも》ひ切《き》つて表現《へうげん》されて居《ゐ》た。女房《はようばう》の言辭《ことば》は悉皆《みんな》の顏《かほ》を唯《たゞ》驚愕《おどろき》の表情《へうじやう》を以《もつ》て掩《おほ》はしめた。一|度《ど》に女房《にようばう》を見《み》た彼等《かれら》には其《そ》の時《とき》まで私語《さゞめ》き合《あ》うた俤《おもかげ》がちつともなかつた。彼等《かれら》は慌《あわ》てゝ寶引絲《はうびきいと》も懷《ふところ》へ隱《かく》して知《し》らぬ容子《ようす》を粧《よそほ》うて圍爐裏《ゐろり》の側《そば》へ集《あつま》つた。 「こつちの方《はう》酷《ひど》く威勢《えせい》えゝから俺《お》らも仲間入《なかまいり》させてもらえてもんだ」寶引《はうびき》の婆《ばあ》さん等《ら》はいつた。 「此《こ》の婆等《ばゝあら》寄《よ》れば觸《さあ》れば博奕《ばくち》なんぞする氣《き》にばかし成《な》つて」爺《ぢい》さんは依然《いぜん》として惡口《わるくち》を止《や》めなかつた。 「かうだ婆等《ばゞあら》だつてさうだに荷厄介《にやつけえ》にしねえでくろよ、こんで俺《お》ら家《ぢ》ぢやまあだ俺《お》れなくつちや闇《くらやみ》だよおめえ、嫁《よめ》があの仕掛《しかけ》だもの」婆《ばあ》さんは更《さら》に 「俺《お》らあ仲間《なかま》も寺錢《てらせん》で後《あと》買《か》あから、獨《ひとり》でむつゝりしてねえで一《ひと》つやらつせえね」と卯平《うへい》へ杯《さかづき》を侑《すゝ》めた。一|同《どう》の威勢《ゐせい》が漸次《しだい》に卯平《うへい》の心《こゝろ》を惹《ひ》き立《た》てゝ到頭《たうとう》彼《かれ》の大《おほ》きな手《て》に茶碗《ちやわん》を執《と》らせた。婆《ばあ》さん等《ら》の袂《たもと》が觸《ふ》れて輕《かる》く成《な》つてた徳利《とくり》が倒《たふ》された。婆《ばあ》さん等《ら》は慌《あわ》てゝ手拭《てぬぐひ》でふかうとした。小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは突然《いきなり》疊《たゝみ》へ口《くち》をつけてすう/\と呼吸《いき》もつかずに酒《さけ》を啜《すゝ》つてそれから強《つよ》い咳《せき》をして、ざら/\に成《な》つた口《くち》の埃《ほこり》を手拭《てぬぐひ》でこすつた。 「婆等《ばゝあら》勿體《もつてえ》ねえことすつから仕《し》やうねえ、いや勿體《もつてえ》ねえとも米《こめ》の油《あぶら》だからこんで、それ證據《しようこ》にや酒《さけ》飮《の》んだ明日《あした》ぢや面《つら》洗《あら》あ時《とき》つる/\すつ處《とこ》奇態《きてえ》だな、何《なん》でも人間《にんげん》は油《あぶら》吹《ふ》き出《だ》すやうだら身體《からだ》は大丈夫《だえぢやうぶ》だから、卯平《うへい》そうれ一|杯《ぺえ》飮《の》め」爺《ぢい》さんは又《また》口《くち》を手拭《てぬぐひ》でこすりつゝいつた。 「畜生《ちきしやう》だからあゝだ野郎《やらう》は、畜生《ちきしやう》とおんなじだから」爺《ぢい》さんは小《ちひ》さな頭《あたま》の濕《うるほ》ひを又《また》すつと手拭《てぬぐひ》でふいた。 「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57]《そんな》におめえ、畜生《ちきしやう》だなんて、手《て》もとも見《み》もしねえで」と先刻《さつき》の服裝《みなり》の好《い》い婆《ばあ》さんが窘《たしな》めるやうにいつた。 「いやツ、お婆《ばあ》さん、手《て》もと見《み》ねえつたつてさうに極《きま》つてんだから、いや本當《ほんたう》だよ。俺《お》ら嘘《ちく》いふな嫌《きれ》えだから、そんだがあの阿魔《あま》もづう/\しい阿魔《あま》だ、此間《こねえだ》なんざおつかこた思《おも》ひ出《だ》さねえかつちつたら、思《おも》ひ出《だ》さねえなんて吐《ぬ》かしやがつて」爺《ぢい》さんは又《また》乘地《のりぢ》に成《な》つた。 「ありやあそれ、俺《お》れがにやえゝんだよ、隨分《ずゐぶん》辛《つれ》え目《め》に逢《あ》つたから、お袋《ふくろ》こと思《ま》あねえこたねえが、悉皆《みんな》揶揄《からけ》え/\したからそんでさうだこといふやうん成《な》つたんだな、有繋《まさか》あれだつて困《こま》つちや居《ゐ》んだから、何《なん》ちつたつてあれにや罪《つみや》あねえよ」最後《さいご》の一|句《く》をすつと低《ひく》くいつて彼《かれ》は漸《やうや》く茶碗《ちやわん》の底《そこ》を干《ほ》した。 「勘次《かんじ》も辛《つら》かつたんべが、俺《お》らも品《しな》に死《し》なつた時《とき》にや泣《ね》えたよ、あれこた三《みつ》つの時《とき》ツから育《そだ》ツたんだから」卯平《うへい》は又《また》情《なさけ》なげな舌《した》がもう硬《こは》ばつて畢《しま》つた。 「ほんにおめえもお品《しな》さんに死《なく》ならつたのが不運《くされ》だつけのさな、そんだがおめえ長命《ながいき》したゞけええんだよ」婆《ばあ》さん等《ら》は口々《くちぐち》に慰《なぐさ》めつゝいつた。 「手足《てあし》も利《き》かなくなつちやつて錢《ぜね》はとれずはあ、野田《のだ》で拵《こせ》えた單衣物《ひてえもの》もなくしつちやつたな、どうせ此《こ》れ、來年《らいねん》の夏《なつ》まで生《い》きてられつか何《ど》うだか分《わか》りやすめえし、管《かま》あねえな」卯平《うへい》は口《たゞ》獨《ひと》りで呟《つぶ》やくやうにぶすりといつた。彼《かれ》は殆《ほと》んど其《そ》の舌《した》が味《あぢ》を感《かん》ぜぬであらうと思《おも》ふやうに只《たゞ》茶碗《ちやわん》の酒《さけ》を傾《かたむ》けるのみであつた。 「そんだが娘《むすめ》も年頃《としごろ》來《き》てんのに遣《や》るとかとるとかしねえぢや可哀相《かあいさう》だよなあ」婆《ばあ》さん等《ら》の口《くち》はそれからそれと竭《つ》きなかつた。酒《さけ》に勢《いきほ》ひつけられた婆《ばあ》さん等《ら》は何《なに》かの穿鑿《せんさく》をせねば氣《き》が濟《す》まないのであつた。 「どうするこつたか自分《じぶん》の子供《こども》でもありやすめえし、俺《お》らがにや分《わか》んねえな」卯平《うへい》は何處《どこ》までも乾《からび》たいひやうである。 「そんだがよ、噺《はな》してやつとえゝんだな、出《だ》すと極《きま》りや幾《いく》らでも口《くち》は有《あ》らな」 「徒勞《むだ》だよおめえ、誰《だれ》がいふことだつて聽《き》く苦勞《くらう》はねえんだから」婆《ばあ》さん等《ら》は互《たがひ》に勝手《かつて》なことをがや/\と語《かた》り續《つゞ》けた。 「そんぢや隣《となり》の旦那《だんな》にでもようく噺《はな》してもらつたら聽《き》くかも知《し》んねえぞ、それより外《ほか》あねえぞおめえ」婆《ばあ》さんの一人《ひとり》が卯平《うへい》に向《むか》つていつた。 「さうすりやはあ、お互《たげえ》にえゝ鹽梅《あんべえ》で疵《きず》もつかねえんだから、俺《お》れもさうは思《おも》つちや居《ゐ》んだが、此《こ》れ、いふのもをかしなもんで」卯平《うへい》の頬《ほゝ》には稍《やゝ》紅《べに》を潮《さ》して彼《かれ》は婆《ばあ》さんにいはれたことが嬉《うれ》し相《さう》に見《み》えるのであつた。 「なあに、さうだもかうだも有《あ》るもんか、えゝから、さうだ奴等《やつら》打《ぶ》つ飛《と》ばしてやれ」暫《しばら》く默《だま》つて居《ゐ》た先刻《さつき》の爺《ぢい》さんは小柄《こがら》な身體《からだ》を堅《かた》めて又《また》呶鳴《どな》つた。 「うむ、なあに俺《お》れもそれから去年《きよねん》の秋《あき》は火箸《ひばし》で打《ぶ》つ飛《と》ばしてやつたな」卯平《うへい》は斯《か》ういつて彼《かれ》にしては著《いちじ》るしく元氣《げんき》を恢復《くわいふく》して居《ゐ》た。 「さうだとも、錢《ぜね》でも何《なん》でも呉《く》んなけりや、よこせつちばえゝんだ、錢《ぜね》ねえなんちへば米《こめ》でも麥《むぎ》でも奪取《ふんだく》つてやれ」爺《ぢい》さんは周圍《あたり》へ唾《つば》を飛《と》ばした。 「それでも俺《お》れ打《ぶ》つ飛《と》ばしてから質《しち》の流《なが》れだなんち味噌《みそ》一|樽《たる》買《か》つたな、麩味噌《ふすまみそ》で佳味《うま》かねえが今《いま》ぢやそんでもお汁《つけ》は吸《す》へるこた吸《す》へんのよ」卯平《うへい》は自分《じぶん》の手柄《てがら》でも語《かた》るやうないひ方《かた》であつた。 「食料《くひもの》措《を》しがるなんち業《ごふ》つくばりもねえもんぢやねえか、本當《ほんたう》に罰《ばち》つたかりだから、俺《お》らだら生《い》かしちや置《お》かねえ、いや全《まつた》くだよ、親《おや》のげ食《か》あせんの惜《をし》いなんち野郎《やらう》は突《つ》つ刺《ぷ》したつて申《まを》し開《ひら》き立《た》つとも、俺《お》らだら立派《りつぱ》に立《た》てゝ見《み》せらな、卯平《うへい》確乎《しつかり》しろ、俺《お》らだら勘次等《かんじら》位《ぐれえ》なゝ又《また》うんち目《め》に逢《あ》あせらな、いや本當《ほんたう》に俺《お》れに掛《かゝ》つちや酷《ひで》えかんなこんで」爺《ぢい》さんは激《はげ》しくさうして例《れい》の自慢《じまん》をいひ續《つゞ》けた。 「さうだこと云《ゆ》つたつておめえ、以前《めえかた》から他人《ひと》のこと切《き》つたこともねえ癖《くせ》に」側《そば》から服裝《みなり》の好《い》い婆《ばあ》さんが貶《くさ》していつた。 「そんだが、此《こ》の年齡《とし》になつて懲役《ちようえき》に行《え》ぐな厭《や》よ俺《お》れも」爺《ぢい》さんはずつと垂《た》れた頭《あたま》を手《て》で抑《おさ》へて笑《わら》ひこけた。婆《ばあ》さん等《ら》もどつと哄笑《どよめ》いた。 「勘次等《かんじら》、そん時《とき》から俺《お》れた口《くち》も利《き》かねえや」卯平《うへい》は他人《ひと》には頓着《とんぢやく》なしにかういつて其《そ》の舌《した》を鳴《な》らして唾《つば》を嚥《の》んだ。 「口《くち》利《き》かねえ、そんだら口《くち》兩方《りやうはう》へふん裂《ぜ》えてやれ、さあ利《き》くか利《き》かねえかと斯《か》うだ」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは自分《じぶん》の口《くち》を兩手《りやうて》の指《ゆび》でぐつと擴《ひろ》げていつた、圍爐裏《ゐろり》の邊《あたり》は暫《しばら》く騷《さわ》ぎが止《や》まなかつた。卯平《うへい》の心《こゝろ》も假令《たとひ》一|時的《じてき》でも周圍《しうゐ》の刺戟《しげき》から幾分《いくぶん》の力《ちから》を添《そへ》られて或《ある》勢《いきほ》ひを恢復《くわいふく》したのであつた。 「確乎《しつかり》しろえ、えゝから」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは別《わか》れる時《とき》復《また》呶鳴《どな》つた。卯平《うへい》の足《あし》もとは稍《やゝ》力《ちから》づいて見《み》えて居《ゐ》た。  卯平《うへい》は念佛寮《ねんぶつれう》から歸《かへ》つて來《き》た時《とき》どかりと火鉢《ひばち》の前《まへ》に坐《すわ》つた。彼《かれ》は勢《いきほ》ひづけられて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は例《れい》の如《ごと》く遠《とほ》ざかつた。 「おつう、米《こめ》と挽割麥《ひきわり》出《だ》せ」卯平《うへい》は座《ざ》に就《つ》くと突然《とつぜん》かういつた。 「夥多《みつしら》出《だ》せ」間《あひだ》を措《お》いて又《また》いつた。 「何《なに》すんでえ、爺《ぢい》は」おつぎはそれを輕《かる》く受《うけ》て斯《か》ういつた。卯平《うへい》は目《め》を蹙《しが》めた。彼《かれ》は闇夜《あんや》にずんずんと運《はこ》んだ足《あし》が急《きふ》に窪《くぼ》みを踏《ふ》んでがくりと調子《てうし》が狂《くる》つたやうな容子《ようす》であつた。 「明日《あした》、要《え》れば出《だ》してやんびやな、爺等《ぢいら》どうせ夜《よる》なんぞ要《え》りやすめえしなあ」おつぎは又《また》賺《すか》すやうにいつた。卯平《うへい》はもう反覆《くりかへ》していはなかつた。彼《かれ》は只《たゞ》其《その》癖《くせ》の舌《した》を鳴《な》らしてごくりと唾《つば》を嚥《の》むのみであつた。次《つぎ》の朝《あさ》に成《な》つて酒氣《しゆき》が悉《こと/″\》く彼《かれ》の身體《からだ》から發散《はつさん》し盡《つく》したら彼《かれ》は平生《へいぜい》の卯平《うへい》であつた。          二四  卯平《うへい》は決《けつ》して惡人《あくにん》ではなかつた。彼《かれ》は性來《せいらい》嚴疊《がんでふ》で大《おほ》きな身體《からだ》であつたけれど、其《そ》の蹙《しか》めたやうな目《め》には不斷《ふだん》に何處《どこ》か軟《やはら》かな光《ひかり》を有《も》つて居《ゐ》るやうで、思《おも》ひ切《き》つてせねば成《な》らぬ事件《じけん》に出逢《であ》うても二|度《ど》や三|度《ど》は逡巡《しりごみ》するのがどうかといへば彼《かれ》の癖《くせ》の一つであつた。ぶすりと膠《にべ》ない容子《ようす》でも表面《へうめん》に現《あらは》れたよりも暖《あたゝ》かで、女《をんな》に脆《もろ》い處《ところ》さへあるのであつた。彼《かれ》が盛年《さかり》の頃《ころ》に他人《たにん》の目《め》についたのは、自分自身《じぶんじしん》の仕事《しごと》には餘《あま》り精《せい》を出《だ》さないやうに見《み》えることであつた。大概《たいがい》のことでは一|向《かう》に騷《さわ》がぬやうな彼《かれ》の容子《ようす》が外《ほか》からではさうらしくも見《み》えるのであつた。も一つは服裝《ふくさう》を決《けつ》して崩《くず》さぬことであつた。彼《かれ》は他人《たにん》に傭《やと》はれて居《ゐ》ながら、草刈《くさかり》にでも出《で》る時《とき》は手拭《てぬぐひ》と紺《こん》の單衣《ひとへもの》と三|尺帶《じやくおび》とを風呂敷《ふろしき》に包《つゝ》んで馬《うま》の荷鞍《にぐら》に括《くゝ》つた。其《その》頃《ころ》は草《くさ》というては悉皆《みんな》薙倒《なぎたふ》して麁朶《そだ》でも縛《しば》るやうに中央《ちうあう》を束《つか》ねて馬《うま》に積《つ》むのであつた。雜木林《ざふきばやし》の間《あひだ》に馬《うま》を繋《つな》いだ儘《まゝ》で彼《かれ》は衣物《きもの》を改《あらた》めてあてどもなくぶらつくのが好《す》きであつた。それでも彼《かれ》の強健《きやうけん》な鍛練《たんれん》された腕《うで》は定《さだ》められた一|人分《にんぶん》の仕事《しごと》を果《はた》すのは日《ひ》が稍《やゝ》傾《かたぶ》いてからでも強《あなが》ち難事《なんじ》ではないのであつた。此《こ》の二つの外《ほか》には別段《べつだん》此《こ》れというて數《かぞ》へる程《ほど》他人《たにん》の記憶《きおく》にも残《のこ》つて居《ゐ》なかつた。それでも彼《かれ》の大《おほ》きな躰躯《からだ》と性來《せいらい》の器用《きよう》とは主人《しゆじん》をして比較的《ひかくてき》餘計《よけい》な給料《きふれう》を惜《をし》ませなかつた。彼《かれ》は其《そ》の奉公《ほうこう》して獲《え》た給料《きふれう》を自分《じぶん》の身《み》に費《つひや》して其《そ》の頃《ころ》では餘所目《よそめ》には疑《うたが》はれる年頃《としごろ》の卅|近《ぢか》くまで獨身《どくしん》の生活《せいくわつ》を繼續《けいぞく》した。其《その》間《あひだ》に彼《かれ》は黴毒《ばいどく》を病《や》んだ。一|時《じ》はぶら/\と懶相《だるさう》な蒼《あを》い顏《かほ》もして居《ゐ》たが、病氣《びやうき》は暫《しばら》くして忘《わす》れたやうに其《そ》の強健《きやうけん》な身體《からだ》の何處《どこ》にか潜伏《せんぷく》して畢《しま》つた。彼《かれ》は勿論《もちろん》それを癒《なほ》つたことゝ思《おも》つて居《ゐ》た。其《そ》の内《うち》に彼《かれ》は娶《よめ》をとつて小《ちひ》さな世帶《しよたい》を持《も》つて稼《かせ》ぐことになつた。娶《よめ》は間《ま》もなく懷姙《くわいにん》したが胎兒《たいじ》は死《し》んでさうして腐敗《ふはい》して出《で》た。自分《じぶん》も他人《ひと》も瘡《かさ》ツ子《こ》だといつた。二三|人《にん》生《うま》れたがどれも發育《はついく》しなかつた。それでも幼兒《えうじ》の死《し》ぬのは瘡《かさ》ツ子《こ》だからといふのみで病毒《びやうどく》の慘害《さんがい》を知《し》る筈《はず》もなく隨《したが》つて怖《おそ》れる筈《はず》もなかつた。お品《しな》の母《はゝ》は非常《ひじやう》な貧乏《びんばふ》な寡婦《ごけ》で、足《あし》が立《た》つか立《た》たぬのお品《しな》を懷《ふところ》にして悲慘《みじめ》な生活《せいくわつ》をして居《ゐ》た。それを卯平《うへい》は心《こゝろ》から哀憐《あはれみ》の情《じやう》を以《もつ》て見《み》て居《ゐ》た。お品《しな》の母《はゝ》は百姓《ひやくしやう》としては格別《かくべつ》の働《はたら》きを有《も》たなかつたから、寡婦《ごけ》として獨立《どくりつ》して行《ゆ》くには非常《ひじやう》な困難《こんなん》でなければ成《な》らぬだけ身體《からだ》の何處《どこ》にか軟《やはら》かな容子《ようす》があつて、清潔好《きれいずき》な卯平《うへい》の心《こゝろ》を惹《ひ》いた。何處《どこ》か人懷《ひとなつ》こい處《ところ》があつて只管《ひたすら》に他人《たにん》の同情《どうじやう》に渇《かつ》して居《ゐ》たお品《しな》の母《はゝ》の何物《なにもの》をか求《もと》めるやうな態度《たいど》が漸《やうや》く二人《ふたり》を近《ちか》づけた。  其《そ》の頃《ころ》彼《かれ》の女房《にようばう》は長《なが》い間《あひだ》病氣《びやうき》に惱《なや》まされて居《ゐ》た。病氣《びやうき》は遂《つひ》に恢復《くわいふく》しなかつた。女房《にようばう》は或《ある》年《とし》復《ま》た姙娠《にんしん》して臨月《りんげつ》が近《ちか》くなつたら、どうしたものか數日《すうじつ》の中《うち》に腹部《ふくぶ》が膨脹《ばうちやう》して一|夜《や》の内《うち》にもそれがずん/\と目《め》に見《み》える。女房《にようばう》は横臥《わうぐわ》することも其《そ》の苦痛《くつう》に堪《た》へないで、積《つ》んだ蒲團《ふとん》に倚《よ》り掛《かゝ》つて僅《わづか》に切《せつ》ない呼吸《いき》をついて居《ゐ》た。胎兒《たいじ》を泛《う》かしめた水《みづ》が餘計《よけい》に溜《たま》つたのである。其《そ》の頃《ころ》は醫者《いしや》の手《て》でさへそれをどうすることも出來《でき》なかつた。加之《それのみでなく》彼《かれ》は醫者《いしや》を聘《よ》ぶことが億劫《おつくふ》で、大事《だいじ》な生命《いのち》といふことを考《かんが》へることさへ心《こゝろ》に暇《いとま》を持《も》たなかつた。僥倖《げうかう》にも卵膜《らんまく》を膨脹《ばうちやう》させた液體《みづ》が自分《じぶん》から逃《に》げ去《さ》る途《みち》を求《もと》めて其《そ》の包圍《はうゐ》を破《やぶ》つた。數升《すうしよう》の液體《みづ》が迸《ほとばし》つて、驚《おどろ》いて横《よこた》へた身《み》を蒲團《ふとん》の上《うへ》に浮《う》かさうとした。それと共《とも》に安住《あんぢう》の場所《ばしよ》を失《うしな》うた胎兒《たいじ》は自然《しぜん》に母體《ぼたい》を離《はな》れて出《で》ねばならなかつた。胎兒《たいじ》は勿論《もちろん》死《し》んでさうして手《て》を出《だ》した。其《そ》の時《とき》女房《にようばう》は非常《ひじやう》に疲憊《ひはい》して居《ゐ》たが、我慢《がまん》をするからといつたばかりに卯平《うへい》はぐつと力《ちから》を入《い》れて引《ひ》き出《だ》した。彼《かれ》の惡意《あくい》を有《も》たぬ手《て》が斯《かく》の如《ごと》く残酷《ざんこく》に働《はたら》かされたのは、夫婦《ふうふ》の間《あひだ》には僅《わづか》でも他人《たにん》の手《て》を藉《か》ることに金錢上《きんせんじやう》の恐怖《おそれ》を懷《いだ》かしめられたからであつた。女房《にようばう》はそれでも死《し》なゝかつた。然《しか》し殆《ほと》んど想像《さうざう》されなかつた疼痛《とうつう》が滿身《まんしん》に沁《し》み渡《わた》つた。軈《やが》て非常《ひじやう》な發熱《はつねつ》が伴《ともな》つた。それからといふものは三|年《ねん》も臥《ふせ》つた儘《まゝ》で季節《きせつ》が暖《あたゝ》かに成《な》れば稀《まれ》には蒲團《ふとん》からずり出《だ》して僅《わづか》に杖《つゑ》に縋《すが》つては軟《やはら》かな春《はる》の日《ひ》をさへ刺戟《しげき》に堪《た》へぬやうに眩《まぶ》しがつて居《ゐ》た。  お品《しな》の母《はゝ》との關係《くわんけい》が餘計《よけい》な告口《つげぐち》から女房《にようばう》の耳《みゝ》に入《はひ》つた。其《そ》の頃《ころ》暑《あつ》さに向《む》いて居《ゐ》た所爲《せゐ》でもあつたが女房《にようばう》はそれを苦《く》にし始《はじ》めてからがつかりと窶《やつ》れたやうに見《み》えた。女房《にようばう》が死《し》んだ時《とき》は卯平《うへい》は枕元《まくらもと》に居《ゐ》なかつた。村落《むら》には赤痢《せきり》が發生《はつせい》した。豫防《よばう》の注意《ちうい》も何《なに》もない彼等《かれら》は互《たがひ》に葬儀《さうぎ》に喚《よ》び合《あ》うて少《すこ》しの懸念《けねん》もなしに飮食《いんしよく》をしたので病氣《びやうき》は非常《ひじやう》な勢《いきほ》ひで蔓延《まんえん》したのであつた。卯平《うへい》も患者《くわんじや》の一|人《にん》でさうしてお品《しな》の家《いへ》に惱《なや》んで居《ゐ》た。お品《しな》の母《はゝ》の懇切《こんせつ》な介抱《かいはう》から彼《かれ》は救《すく》はれた。彼《かれ》はどうしても瀕死《ひんし》の女房《にようばう》の傍《かたはら》に病躯《びやうく》を運《はこ》ぶことが出來《でき》なかつた。其《そ》の窶《やつ》れた目《め》の憂《うれ》へるのを彼《かれ》は見《み》るに忍《しの》びなかつたからである。彼《かれ》のさういふ意志《いし》は長《なが》い月日《つきひ》の病苦《びやうく》に嘖《さいな》まれて僻《ひが》んだ女房《にようばう》の心《こゝろ》に通《つう》ずる理由《わけ》がなかつた。さうして女房《にようばう》は激烈《げきれつ》な神經痛《しんけいつう》を訴《うつた》へつゝ死《し》んだ。卯平《うへい》は有繋《さすが》に泣《な》いた。葬式《さうしき》は姻戚《みより》と近所《きんじよ》とで營《いとな》んだが、卯平《うへい》も漸《やつ》と杖《つゑ》に縋《すが》つて行《い》つた。  其《そ》の秋《あき》の盆《ぼん》には赤痢《せきり》の騷《さわ》ぎも沈《しづ》んで新《あたら》しい佛《ほとけ》の數《かず》が殖《ふ》えて居《ゐ》た。墓地《ぼち》には掘《ほ》り上《あ》げた赤《あか》い土《つち》の小《ちひ》さな塚《つか》が幾《いく》つも疎末《そまつ》な棺臺《くわんだい》を載《の》せて居《ゐ》た。大抵《たいてい》は赤痢《せきり》に罹《かゝ》つて漸《やうや》く身體《からだ》に力《ちから》がついたばかりの人々《ひと/″\》が例年《れいねん》の如《ごと》く草刈鎌《くさかりがま》を持《も》つて六|日《か》の日《ひ》の夕刻《ゆふこく》に墓薙《はかなぎ》というて出《で》た。墓《はか》の邊《ほとり》は生《はえ》るに任《まか》せた草《くさ》が刈拂《かりはら》はれて見《み》るから清潔《せいけつ》に成《な》つた。中央《ちうあう》に青竹《あをだけ》の線香立《せんかうたて》が杙《くひ》のやうに立《た》てられて、石碑《せきひ》の前《まへ》には一《ひと》つづゝ青竹《あをだけ》の簀《す》の子《こ》のやうな小《ちひ》さな棚《たな》が作《つく》られた。卯平《うへい》も墓薙《はかなぎ》の群《むれ》に加《くは》はつた。彼《かれ》のまだ力《ちから》ない手《て》に持《も》つた鎌《かま》の刄先《はさき》が女房《にようばう》の棺臺《くわんだい》の下《した》を覗《のぞ》いてからりと渡《わた》つた時《とき》彼《かれ》は悚然《ぞつ》として手《て》を引《ひ》いた。蛇《へび》が身體《からだ》の後半《こうはん》を彼《かれ》の足《あし》もとに現《あらは》して白《しろ》い腹《はら》を見《み》せた。鎌《かま》の刄先《はさき》が蛇《へび》を切《き》つたのである。蛇《へび》は暫《しばら》く凝然《ぢつ》として居《ゐ》て極《きは》めて徐《おもむ》ろに棺臺《くわんだい》の下《した》に隱《かく》れた。卯平《うへい》の顏《かほ》は黄昏《たそがれ》の光《ひかり》に蒼《あを》かつた。彼《かれ》はそれから他出《たしゆつ》することも稀《まれ》になつた。恢復《くわいふく》しかけた病後《びやうご》の疲勞《ひらう》が夜《よる》は粘《ねば》るやうな汗《あせ》を分泌《ぶんぴ》させた。それから八|日目《かめ》に村落《むら》の者《もの》が佛《ほとけ》を迎《むか》へに提灯《ちやうちん》持《も》つて行《い》つた時《とき》は刈《か》り拂《はら》はれた草《くさ》が暑《あつ》いといつても秋《あき》らしくなつた日《ひ》に其《そ》の生殖作用《せいしよくさよう》を急《いそ》がうとして聳然《すつくり》と首《くび》を擡《もた》げて居《ゐ》た。村落《むら》の人々《ひとびと》は好奇心《かうきしん》に驅《か》られて怖《お》づ/\も棺臺《くわんだい》をそつと揚《あ》げて見《み》た。蛇《へび》は依然《いぜん》としてだらりと横《よこ》たはつた儘《まゝ》であつた。人々《ひとびと》は※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つた目《め》を見合《みあは》せた。村落《むら》の者《もの》が去《さ》つた後《あと》には小《ちひ》さな青竹《あをだけ》の線香立《せんかうたて》からそこらの石碑《せきひ》の前《まへ》からぢり/\と身《み》を燒《や》いて行《ゆ》く火《ひ》に苦《くるし》んで悶《もだ》えるやうに煙《けぶり》はうねりながら立《た》ち騰《のぼ》つて寂寥《せきれう》たる黄昏《たそがれ》の光《ひかり》の中《なか》に彷徨《さまよ》うた。それから又《また》四|日目《かめ》に佛《ほとけ》を送《おく》つて村落《むら》の者《もの》は黄昏《たそがれ》の墓地《ぼち》に落《お》ち合《あ》うた。蛇《へび》は猶且《やつぱり》棺臺《くわんだい》の陰《かげ》を去《さ》らなかつた。蛇《へび》は自由《じいう》に匍匐《はらば》ふには餘《あま》りに瘡痍《きず》が大《おほ》きかつた。反《そ》り返《かへ》つた唇《くちびる》のやうに膨《ふく》れた肉《にく》は埃《ほこり》に塗《まみ》れて黒《くろ》く變《へん》じて居《ゐ》た。棺臺《くわんだい》を透《す》かして人《ひと》が之《これ》を覗《うかゞ》へば恐怖《おそれ》を懷《いだ》いて少《すこ》しづゝのたくるのであつた。女房《にようばう》が出《で》たのだといつて村落《むら》の者《もの》は減《へ》らず口《ぐち》を叩《たゝ》いた。暫《しばら》くしてお品《しな》の母《はゝ》の耳《みゝ》へも蛇《へび》の噂《うはさ》が傳《つた》はつた。それからといふものお品《しな》の母《はゝ》は一|夜《や》でも卯平《うへい》を自分《じぶん》の家《うち》から放《はな》さない。三《みつ》つに成《な》つて居《ゐ》たお品《しな》が卯平《うへい》を慕《した》うて確乎《しつか》と其《そ》の家《うち》に引《ひ》き留《と》めたのはそれから間《ま》もないことである。蛇《へび》の噺《はなし》は何時《いつ》の間《ま》にか消滅《せうめつ》した。それは悉皆《みんな》が互《たがひ》に心《こゝろ》に記憶《きおく》を反覆《くりかへ》して快《こゝろ》よしとする程《ほど》彼等《かれら》を憎《にく》んでは居《ゐ》なかつたからである。其《その》後《のち》長《なが》い歳月《としつき》を經《へ》てお品《しな》の母《はゝ》が死《し》んだ時《とき》以前《いぜん》の噺《はなし》を見《み》たり聞《き》いたりして居《ゐ》た者《もの》の間《あひだ》にのみ僅《わづか》に記憶《きおく》が喚《よ》び返《かへ》された。お品《しな》の母《はゝ》は腰《こし》に病氣《びやうき》を持《も》つて居《ゐ》た。卯平《うへい》は自分《じぶん》の手《て》から作《つく》つた罪《つみ》といふものは殆《ほと》んど見《み》られなかつた。唯《たゞ》彼《かれ》は盛年《さかり》の頃《ころ》は他《た》の傭人等《やとひにんら》と共《とも》に能《よ》く猫《ねこ》を殺《ころ》して喫《た》べてた。尤《もつと》も其《その》頃《ころ》は猫《ねこ》でも犬《いぬ》でも飼主《かひぬし》を離《はな》れて※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》を狙《ねら》ふのが彷徨《うろつ》いた。彼等《かれら》は罠《わな》を掛《か》けてそれを待《ま》つた。然《しか》し大抵《たいてい》の家々《いへ/\》では※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》でさへ家《いへ》の内《うち》では煮《に》るのを許容《ゆる》さないので、後《うしろ》の庭《には》へ竹《たけ》で三|本《ぼん》の脚《あし》を作《つく》つてそれへ鍋蔓《なべつる》を掛《か》けた程《ほど》であつたから、猫《ねこ》を殺《ころ》すことが恐《おそ》ろしい罪惡《ざいあく》のやうに見《み》られたのであつた。猫《ねこ》は辛《から》い鹽鮭《しほざけ》を與《あた》へれば腰《こし》が利《き》かない病氣《びやうき》に罹《かゝ》ると一|般《ぱん》にいはれて居《ゐ》るので卯平《うへい》が腰《こし》を惱《なや》んで居《ゐ》るのを稀《まれ》には猫《ねこ》の祟《たゝり》だと戯談《じようだん》にいふものもあつた。それでもさういふ噂《うはさ》は擴《ひろ》がらなかつた。彼《かれ》は憎惡《ぞうを》と嫉妬《しつと》とを村落《むら》の誰《たれ》からも買《か》はなかつた。憎惡《ぞうを》も嫉妬《しつと》もない其處《そこ》に故意《わざ》と惡評《あくひやう》を生《う》み出《だ》す程《ほど》百姓《ひやくしやう》は邪心《じやしん》を有《も》つて居《ゐ》なかつた。村落《むら》の西端《せいたん》に僻在《へきざい》して居《ゐ》る彼《かれ》には興味《きようみ》を以《もつ》て見《み》させる一《ひと》つの條件《でうけん》も具《そな》へて居《ゐ》なかつた。只《たゞ》むつゝりとして他人《たにん》に訴《うつた》へることも求《もと》めることもない彼《かれ》は一|切《さい》村落《むら》との交渉《かうせふ》がなかつた。彼《かれ》の一|身《しん》の有無《うむ》は少《すこ》しも村落《むら》の爲《ため》には輕重《けいちよう》する處《ところ》がなかつた。          二五  初冬《しよとう》の梢《こずゑ》に慌《あわたゞ》しく渡《わた》つてそれから暫《しばら》く騷《さわ》いだ儘《まゝ》其《そ》の後《のち》は礑《はた》と忘《わす》れて居《ゐ》て稀《まれ》に思《おも》ひ出《だ》したやうに枯木《かれき》の枝《えだ》を泣《な》かせた西風《にしかぜ》が、雜木林《ざふきばやし》の梢《こずゑ》に白《しろ》く連《つらな》つて居《ゐ》る西《にし》の遠《とほ》い山々《やま/\》の彼方《かなた》に横臥《ね》て居《ゐ》たのが俄《にはか》に自分《じぶん》の威力《ゐりよく》を逞《たくま》しくすべき冬《ふゆ》の季節《きせつ》が自分《じぶん》を棄《す》てゝ去《さ》つたのに氣《き》がついて、吹《ふ》くだけ吹《ふ》かねば止《や》められない其《そ》の特性《とくせい》を發揮《はつき》して毎日《まいにち》其《そ》の特有《もちまへ》な力《ちから》が輕鬆《けいしよう》な土《つち》を空《そら》に捲《ま》いた。  其《そ》の日《ひ》も拂曉《あけがた》から空《そら》が餘《あま》りにからりとして鈍《にぶ》い軟《やはら》かな光《ひかり》を有《も》たなかつた。毎日《まいにち》吹《ふ》き捲《ま》くる疾風《しつぷう》が其《そ》の遠《とほ》い西山《せいざん》の氷雪《ひようせつ》を含《ふく》んで微細《びさい》に地上《ちじやう》を掩《おほ》うて撒布《さんぷ》したかと思《おも》ふやうに霜《しも》が白《しろ》く凝《こ》つて居《ゐ》た。  勘次《かんじ》は平生《いつも》の如《ごと》くおつぎを連《つ》れて開墾地《かいこんち》へ出《で》た。おつぎは半纏《はんてん》を後《うしろ》へふはりと掛《か》けた儘《まゝ》手《て》も通《とほ》さないで、肩《かた》へは襷《たすき》を斜《なゝめ》に掛《か》けて萬能《まんのう》を擔《かつ》いで居《ゐ》た。白《しろ》い手拭《てぬぐひ》とそれから手拭《てぬぐひ》の外《そと》に少《すこ》し覗《のぞ》いた後《おく》れ毛《げ》の歩《ある》く度《たび》にふら/\と動《うご》くのもしみ/″\と冷《つめ》た相《さう》であつた。草木《さうもく》及《およ》び地上《ちじやう》の霜《しも》に瞬《まばた》きしながら横《よこ》にさうして斜《なゝめ》に射《さ》し掛《か》ける日《ひ》に遠《とほ》い西《にし》の山々《やま/\》の雪《ゆき》が一頻《ひとしきり》光《ひか》つた。凡《すべ》てを通《つう》じて褐色《かつしよく》の光《ひかり》で包《つゝ》まれた。其《そ》の遠《とほ》く連《つらな》つた山々《やま/\》の頂巓《いたゞき》にはぽつり/\と大小《だいせう》の簇雲《むらくも》が凝《こ》つた儘《まゝ》に掻《か》き亂《みだ》されて暫《しばら》く動《うご》かなかつた。遂《つひ》にはそれが一つに成《な》つて山々《やま/\》の所在《しよざい》を暗《くら》まして、其《そ》の末端《まつたん》が油煙《ゆえん》の如《ごと》く空《そら》に向《むか》つて消散《せうさん》しつゝあるやうに見《み》え始《はじ》めた。其處《そこ》には毎日《まいにち》必《かなら》ず喧※[#「囂」の「頁」に代えて「臣」、第4水準2-4-46]《けんがう》な跫音《あしおと》が人《ひと》の鼓膜《こまく》を騷《さわ》がしつゝある其《そ》の巨人《きよじん》の群集《ぐんじゆ》が、其《そ》の目《め》からは悲慘《みじめ》な地上《ちじやう》の凡《すべ》てを苛《いぢ》めて爪先《つまさき》に蹴飛《けと》ばさうとして、山々《やま/\》の彼方《かなた》から出立《しゆつたつ》したのだ。其《そ》の驚《おどろ》くべき迅速《じんそく》な脚《あし》が空間《くうかん》を一|直線《ちよくせん》に、さうして僅《わづか》な障害物《しやうがいぶつ》であるべき梢《こずゑ》の凡《すべ》てを壓《お》しつけ壓《お》しつけ林《はやし》を越《こ》えて疾驅《しつく》して來《く》るのは今《いま》もう直《すぐ》である。竹《たけ》を伐《き》つて束《つか》ねたやうに寸隙《すんげき》もなく簇《むら》がつて居《ゐ》る其《そ》の爪先《つまさき》に蹴《け》られては怖《おび》えに怖《おび》えた草木《さうもく》は皆《みな》聲《こゑ》を放《はな》つて泣《な》くのである。さうしてもう泣《な》かねば成《な》らぬ時間《じかん》が迫《せま》つて居《ゐ》る。  勘次《かんじ》は霜《しも》白《しろ》い自分《じぶん》の庭《には》を往來《わうらい》へ出《で》ると無器用《ぶきよう》な櫟《くぬぎ》の林《はやし》が彼《かれ》の行《ゆ》くべき方《かた》に從《したが》つて道《みち》に沿《そ》うて連《つらな》つて居《ゐ》る。彼《か》の破《やぶ》れて、毎日《まいにち》打《う》ちつける疾風《しつぷう》の爲《た》めに傾《かた》むけられた笹《さゝ》の垣根《かきね》には、狹《せま》い往來《わうらい》を越《こ》えて櫟《くぬぎ》の落葉《おちば》が熊手《くまで》で掻《か》いたやうに聚《あつま》つて且《か》つ連《つらな》つて居《ゐ》る。凡《およ》そ櫟《くぬぎ》の木《き》程《ほど》頑健《ぐわんけん》な木《き》は他《た》に有《あ》るまい。乾燥《かんさう》した冬枯《ふゆがれ》の草《くさ》や落葉《おちば》に煙草《たばこ》の吸殼《すひがら》が誤《あやま》つて火《ひ》を點《てん》じて、それが熾《さかん》に林《はやし》を燒《や》き拂《はら》うても澁《しぶ》の強《つよ》い、表面《へうめん》が山葵《わさび》おろしのやうな櫟《くぬぎ》の皮《かは》は、黒《くろ》い火傷《やけど》を幹《みき》一|杯《ぱい》に止《とゞ》めても、他《た》の針葉樹《しんえふじゆ》に見《み》るやうではなく、春《はる》の雨《あめ》が數次《しば/\》軟《やはら》かに濕《うるほ》せば遂《つひ》にはこそつぱい皮《かは》の何處《どこ》からか白《しろ》つぽい芽《め》を吹《ふ》いて、粗剛《そがう》な厚《あつ》い皮《かは》の圍《かこ》みから遁《のが》れて爽快《さうくわい》な呼吸《こきふ》を仕始《しはじ》めたことを悦《よろこ》ぶやうにずん/\と伸長《しんちやう》して、遂《つひ》には伐《き》つても/\、猶且《やつぱり》ずん/\と骨立《ほねだ》つて幹《みき》が更《さら》に形《かたち》づくられる程《ほど》旺盛《わうせい》な活力《くわつりよく》を恢復《くわいふく》するのである。彼等《かれら》はさういふ特性《とくせい》を有《も》つて居《ゐ》ながら了解《れうかい》し難《がた》い程《ほど》臆病《おくびやう》である。黄色《きいろ》な光《ひかり》が快《こゝろ》よく鮮《あざや》かに滿《み》ちて居《ゐ》る晩秋《ばんしう》の水《みづ》のやうな淡《あは》い霜《しも》が竊《ひそか》におりる以前《いぜん》から其《そ》の葉《は》は悉《こと/″\》くくる/\と其《そ》の周圍《しうゐ》が捲《まく》れ始《はじ》めて、他《た》の雜木《ざふき》は其《そ》の葉《は》をからりと落《おと》して其《そ》の梢《こずゑ》よりも遙《はるか》に低《ひく》く垂《た》れて居《ゐ》る西《にし》の空《そら》の明《あか》るい入日《いりひ》を透《すか》して見《み》せるやうに疎《まばら》に成《な》るのに、確乎《しつか》としがみついて離《はな》れない。彼等《かれら》は漸《やうや》く樹相《じゆさう》を形《かたち》づくると共《とも》に鋸《のこぎり》の齒《は》が残酷《ざんこく》に渡《わた》つて少《すこ》しでも餘裕《よゆう》を與《あた》へられないのである。それで彼等《かれら》の間《あひだ》には自然《しぜん》に只《たゞ》恐怖《きようふ》する性質《せいしつ》のみが助長《じよちやう》されたのであるかも知《し》れない。それだから既《すで》に薪《たきぎ》に伐《き》るべき時期《じき》を過《すご》して、大木《たいぼく》の相《さう》を具《そな》へて團栗《どんぐり》が其《そ》の淺《あさ》い皿《さら》に載《の》せられるやうに成《な》れば、枯葉《かれは》は潔《いさぎよ》く散《ち》り敷《し》いてからりと爽《さわや》かに樹相《じゆさう》を見《み》せるのである。丁度《ちやうど》それは子孫《しそん》の繁殖《はんしよく》と自己《じこ》の防禦《ばうぎよ》との必要《ひつえう》を全《まつた》く忘《わす》れさせられた梨《なし》の接木《つぎき》が、大《おほ》きな刺《とげ》を幹《みき》にも枝《えだ》にも持《も》たなく成《な》つたやうに、恐怖《おそれ》が彼等《かれら》を去《さ》つたのである。  然《しか》しながら林《はやし》の櫟《くぬぎ》は幾《いく》ら遠《とほ》く根《ね》を伸《のば》して迅速《じんそく》な生長《せいちやう》を遂《と》げようとしても、冷《ひやゝ》かな秋《あき》が冬《ふゆ》を地上《ちじやう》に導《みちび》くのである。彼等《かれら》は其《そ》の冬《ふゆ》の季節《きせつ》に於《おい》て生命《せいめい》を保《たも》つて行《ゆ》くのには凡《すべ》ての機能《きのう》を停止《ていし》して引《ひ》き緊《しま》らねば成《な》らぬ。それでなければ彼等《かれら》は氷雪《ひようせつ》の爲《ため》に枯死《こし》せねばならぬ。其《その》季節《きせつ》に彼等《かれら》の最後《さいご》の運命《うんめい》である薪《まき》や炭《すみ》に伐《き》られるやうに一|番《ばん》適當《てきたう》した組織《そしき》に變化《へんくわ》することを餘儀《よぎ》なくされるのである。彼等《かれら》はそれから其《そ》の貴重《きちよう》な呼吸器《こきふき》であつた枯葉《かれは》を一|枚《まい》でも枝《えだ》から放《はな》すまいとし又《また》離《はな》れまいとして居《ゐ》る。生育《せいいく》の機能《きのう》が停止《ていし》されると共《とも》に粘着力《ねんちやくりよく》を失《うしな》ふべき筈《はず》の葉柄《えふへい》が確乎《しつかり》と保《たも》たれてある。そこで乾燥《かんさう》した枯葉《かれは》は少《すこ》しのことにさへ相《あひ》倚《よ》つてさや/\と互《たがひ》に恐怖《きやうふ》を耳語《さゝや》くのである。然《しか》し樹木《じゆもく》が吸收《きふしう》して獲《え》た物質《ぶつしつ》の一|部《ぶ》を地《つち》及《およ》び空氣《くうき》に還元《くわんげん》せしめようとして凡《すべ》ての葉《は》を梢《こずゑ》から奪《うば》つて、到《いた》る處《ところ》空濶《くうくわつ》で且《かつ》簡單《かんたん》にすることを好《この》む冬《ふゆ》の目《め》には、櫟《くぬぎ》の枯葉《かれは》は錯雜《さくざつ》し、溷濁《こんだく》して見《み》えねばならぬ。それで巨人《きよじん》を載《の》せた西風《にしかぜ》が其《その》爪先《つまさき》にそれを蹴飛《けと》ばさうとしても、恐《おそ》ろしく執念深《しふねんぶか》い枯葉《かれは》は泣《な》いてさうして其《そ》の力《ちから》を保《たも》たうとする。偶《たまたま》力《ちから》が足《た》りないで吹《ふ》き散《ち》らされたのは、さういふ時《とき》に非常《ひじやう》に便利《べんり》なやうに捲《ま》いてあるので、どんな陰《かげ》でも其《そ》の身《み》を託《たく》する場所《ばしよ》を求《もと》めてころ/\と轉《ころ》がつて行《い》つては、自分《じぶん》の伴侶《なかま》が一つに相《あひ》倚《よ》り相《あひ》抱《いだ》いて微風《びふう》にさへ絶《た》えず響《ひゞき》を立《た》てゝ戰慄《せんりつ》しつゝあるのである。  勘次《かんじ》は斯《か》ういふ櫟《くぬぎ》の木《き》を植《う》ゑて林《はやし》を造《つく》るべき土地《とち》の開墾《かいこん》をする爲《ため》にもう幾年《いくねん》といふ間《あひだ》雇《やと》はれて其《そ》の力《ちから》を竭《つく》した。彼《かれ》は漸《やうや》く林相《りんさう》を形《かたち》づくつて來《き》た櫟林《くぬぎばやし》に沿《そ》うて田圃《たんぼ》を越《こ》えて走《はし》つた。田圃《たんぼ》の鴫《しぎ》が何《なに》に驚《おどろ》いたかきゝと鳴《な》いて、刈株《かりかぶ》を掠《かす》めるやうにして慌《あわ》てゝ飛《とん》で行《いつ》た。さうして後《のち》は白《しろ》く閉《とざ》した氷《こほり》が時々《ときどき》ぴり/\と鳴《なつ》てしやり/\と壞《こは》れるのみで只《たゞ》靜《しづ》かであつた。田圃《たんぼ》を透《とほ》して林《はやし》の間《あひだ》から見《み》える其《その》遠《とほ》い山々《やま/\》の雲《くも》は稍《やゝ》薄《うす》くなつて空《そら》を濁《にご》して居《ゐ》た。軈《やが》て雜木林《ざふきばやし》の枝頭《えださき》が少《すこ》し動《うご》いたと思《おも》つたらごうつといふ響《ひゞき》が勘次《かんじ》の耳《みゝ》に鳴《な》つた。巨人《きよじん》の脚《あし》が逼《せま》つたのである。彼《かれ》はむつと思《おも》はず呼吸《こきふ》が切迫《せつぱく》した。  毎日《まいにち》吹《ふ》き渡《わた》る西風《にしかぜ》は乾燥《かんさう》しつゝある凡《すべ》ての物《もの》を更《さら》に乾燥《かんさう》させねば止《や》まない。雨《あめ》が稀《まれ》にしんみりと降《ふ》つても西風《にしかぜ》は朝《あさ》から一|日《にち》青《あを》い常緑木《ときはぎ》の葉《は》をも泥《どろ》の中《なか》へ拗切《ちぎ》つて撒布《まきち》らす程《ほど》吹《ふ》き募《つの》れば、それだけで土《つち》はもう殆《ほと》んど乾《かわ》かされるのである。土《つち》が保有《ほいう》すべき水分《すゐぶん》がそれ程《ほど》蒸發《じようはつ》し盡《つく》しても其《そ》の吹《ふ》き渡《わた》る間《あひだ》は西風《にしかぜ》は決《けつ》して空《そら》に一|滴《てき》の雨《あめ》さへ催《もよほ》させぬ。それでも有繋《さすが》に深《ふか》く水《みづ》を藏《ざう》して居《ゐ》る土《つち》は垢《あか》の如《ごと》き表皮《へうひ》のみを掻《か》き拂《はら》つて行《ゆ》く疾風《しつぷう》の爲《ため》には容易《ようい》に其《そ》の力《ちから》を失《うしな》はないで、夜《よ》が更《ふ》ければ幾《いく》らでも空氣中《くうきちう》に保《たも》たれた水分《すゐぶん》を微細《びさい》に結晶《けつしやう》させて一|杯《ぱい》に白《しろ》く引《ひ》きつける。土《つち》が徹宵《よつぴて》さういふ作用《さよう》を營《いとな》んだばかりに、日《ひ》は拂曉《あけがた》の空《そら》から横《よこ》にさうして斜《なゝめ》に其《そ》の霜《しも》を解《と》かして、西風《にしかぜ》は直《たゞち》にそれを乾《かわ》かして残酷《ざんこく》に表土《へうど》の埃《ほこり》を空中《くうちう》に吹《ふ》き捲《ま》くる。其《そ》の力《ちから》が烈《はげ》しい程《ほど》拂曉《ふつげう》の霜《しも》が白《しろ》く、其《そ》れが白《しろ》い程《ほど》亂《みだ》れて飛《と》ぶ鴉《からす》の如《ごと》き簇雲《むらくも》を遠《とほ》い西山《せいざん》の頂巓《いたゞき》に伴《ともな》うて疾風《しつぷう》は驅《かけ》るのである。兩方《りやうはう》が疲憊《ひはい》して勢《いきほひ》を消耗《せうまう》する季節《きせつ》の變化《へんくわ》を見《み》るまでは其《そ》の爭《あらそ》ひは止《や》むことがない。  其《そ》の日《ひ》も埃《ほこり》が天《てん》を焦《こが》して立《た》つた。其《そ》の埃《ほこり》は黄褐色《くわうかつしよく》で霧《きり》の如《ごと》く地上《ちじやう》の凡《すべ》てを掩《おほ》ひ且《か》つ包《つゝ》んだ。雜木林《ざふきばやし》は一|齊《せい》に斜《なゝめ》に傾《かたぶ》かうとして梢《こずゑ》は彎曲《わんきよく》を描《ゑが》いた。樹木《じゆもく》は皆《みな》互《たがひ》に泣《な》いて囁《さゝや》きながら、幾《いく》らか日《ひ》の明《あか》るさをも妨《さまた》げて居《ゐ》る其《そ》の濃霧《のうむ》から遁《のが》れようとするやうに間斷《かんだん》なく騷《さわ》いだ。霧《きり》は悲慘《みじめ》な凡《すべ》ての物《もの》を互《たがひ》に知《し》らせまいとして吹《ふ》き立《た》ち/\數《すう》十|間《けん》の距離《きより》に於《おい》ては其《そ》の物體《ぶつたい》の形状《けいじやう》をも明《あきら》かに示《しめ》さない。雜木林《ざふきばやし》の樹木《じゆもく》は開墾地《かいこんち》の周圍《しうゐ》にも混亂《こんらん》した。然《しか》し勘次《かんじ》が目《め》を放《はな》つて居《ゐ》るのは足《あし》の爪先《つまさき》二三|尺《じやく》の、今《いま》唐鍬《たうぐは》を以《もつ》て伐去《きりさ》つて遙《はるか》に後《うしろ》へ引《ひ》いてそつと棄《す》てた趾《あと》の一|點《てん》である。埃《ほこり》は土《つち》に幾《いく》らでも濕《うるほ》ひを持《も》つた彼《かれ》の足《あし》もとからは立《た》たなかつた。おつぎは勘次《かんじ》が起《おこ》した塊《かたまり》を一つ/\に萬能《まんのう》の脊《せ》で叩《たゝ》いてさらりと解《ほぐ》して平《たひら》にならして居《ゐ》る。輕鬆《けいしよう》な土《つち》から凝集《こゞ》つて居《ゐ》た塊《かたまり》は解《ほぐ》せば直《すぐ》に吹《ふ》き拂《はら》はれた。おつぎは當面《まとも》に埃《ほこり》を受《う》けるのには遠《とほ》く吹《ふ》きつける土砂《どしや》が頬《ほゝ》を走《はし》つて不快《ふくわい》であつた。手拭《てぬぐひ》の端《はし》を捲《ま》くつて沿《あ》びせる埃《ほこり》の爲《ため》に髮《かみ》の毛《け》の荒《あ》れるのを酷《ひど》く嫌《きら》つた。それでも其《その》手《て》もとは疎略《そりやく》ではなかつた。勘次《かんじ》は矢立《やたて》の如《ごと》き硬直《かうちよく》な身體《からだ》を伸長《しんちやう》し屈曲《くつきよく》させて一|歩《ぽ》/\と運《はこ》んだ。彼《かれ》は周圍《しうゐ》に無數《むすう》な樹木《じゆもく》の泣《な》いて囁《さゝや》くのを耳《みゝ》に入《い》れなかつた。加之《それのみでなく》彼《かれ》は自分《じぶん》の耳朶《みゝたぶら》に鳴《な》るさへ心《こゝろ》づかぬ程《ほど》懸命《けんめい》に唐鍬《たうぐは》を打《う》つた。彼《かれ》は滿身《まんしん》に汗《あせ》して居《ゐ》た。  卯平《うへい》は暇《ひま》を惜《を》しがる勘次《かんじ》が唐鍬《たうぐは》を執《とつ》て出《で》た時《とき》朝餉《あさげ》の後《あと》の口《くち》を五月蠅《うるさ》く鳴《な》らしながら火鉢《ひばち》の前《まへ》にどつかりと坐《すわ》つて居《ゐ》た。破《やぶ》れた草葺《くさぶき》の家《いへ》をゆさぶつて西風《にしかぜ》がごうつと打《う》ちつけて來《き》た時《とき》には火鉢《ひばち》の※[#「火+畏」、第3水準1-87-57]《おき》はまだ白《しろ》く灰《はひ》の皮《かは》を被《かぶ》つて暖《あたゝ》かゝつた。天井《てんじやう》もない屋根裏《やねうら》から煤《すゝ》が微《かす》かにさら/\と散《ち》つて、時々《ときどき》ぽつりと凝集《こゞ》つた儘《まゝ》に落《お》ちた。喬木《けうぼく》が遮《さへぎ》り立《た》つて其《そ》の梢《こずゑ》に蒼《あを》い空《そら》を見《み》せて居《ゐ》る庭《には》へすら疾風《しつぷう》の驚《おどろ》くべき周到《しうたう》な手《て》が袋《ふくろ》の口《くち》を解《と》いて倒《さかさ》にしたやうに埃《ほこり》が滿《み》ちてさら/\と沈《しづ》んだ。一|日《にち》さうして止《と》め處《ど》もなく駈《か》つて行《ゆ》く巨人《きよじん》の爪先《つまさき》には此《こ》の平坦《へいたん》な田《た》や畑《はた》や山林《さんりん》の間《あひだ》に介在《かいざい》して居《ゐ》る各《かく》村落《そんらく》の茅屋《あばらや》は悉《こと/″\》く落葉《おちば》を擡《もた》げて出《で》た茸《きのこ》のやうな小《ちひ》さな悲慘《みじめ》な物《もの》でなければならなかつた。各自《かくじ》の直上《ちよくじやう》を中心點《ちうしんてん》にして空《そら》に弧《こ》を描《ゑが》いた其《そ》の輪郭外《りんくわくぐわい》の横《よこ》にそれから斜《なゝめ》に見《み》える廣《ひろ》く且《か》つ遠《とほ》い空《そら》は黄褐色《くわうかつしよく》な霧《きり》の如《ごと》き埃《ほこり》の爲《ため》に只《たゞ》※[#「火+稻のつくり」、第4水準2-79-88]《ほのほ》に燒《や》かれたやうである。卯平《うへい》は自分《じぶん》の小屋《こや》に身《み》を窄《すぼ》めた。暫《しばら》く彼《か》の火鉢《ひばち》から立《た》つて、狹《せま》い壁《かべ》から壁《かべ》に衡突《ぶつか》つて彷徨《さまよ》ひ出《で》た薄《うす》い煙《けぶり》が疾風《しつぷう》の爲《ため》に直《す》ぐにごうつと蹴散《けち》らされて畢《しま》つた。狹《せま》い小屋《こや》の内《うち》はそれから復《ま》た沈《しづ》んだ。卯平《うへい》は少《すこ》し開《ひら》いた戸口《とぐち》から其《そ》の小《ちひ》さく蹙《しが》めた目《め》で外《そと》を見《み》た。狹《せま》い庭《には》の先《さき》に紙捻《こより》を植《う》ゑたやうな桑畑《くはばたけ》の乾燥《かんさう》しきつた輕鬆《けいしよう》な土《つち》が黄褐色《くわうかつしよく》な霧《きり》の中《なか》へ吹《ふ》つ立《た》つて行《ゆ》くのが見《み》える。さうして南《みなみ》の家《うち》は極《きは》めてぼんやりとして其《そ》の形態《けいたい》が現《あら》はれて又《また》隱《かく》れた。栗《くり》の木《き》の側《そば》に木《き》の枝《えだ》を杙《くひ》に打《う》つて拵《こしら》へた鍵《かぎ》の手《て》へ引《ひ》つ掛《か》けた桔槹《はねつるべ》が、ごうつと吹《ふ》く毎《ごと》にぐらり/\と動《うご》いて釣瓶《つるべ》が外《はづ》れ相《さう》にしては外《はづ》れまいとして爭《あらそ》うて騷《さわ》いで居《ゐ》る。卯平《うへい》は彼《かの》ぼんやりした心《こゝろ》が其處《そこ》へ繋《つな》がれたやうに釣瓶《つるべ》を凝視《ぎようし》した。彼《かれ》は暫《しばら》くしてから庭《には》に立《た》つた。彼《かれ》は其《その》癖《くせ》の舌《した》を鳴《な》らしながら釣瓶《つるべ》へ手《て》を掛《か》けた。釣瓶《つるべ》の底《そこ》には僅《わづか》に保《たも》たれた水《みづ》に埃《ほこり》が浸《ひた》されて沈《しづ》んで居《ゐ》た。外側《そとがは》は青《あを》い苔《こけ》の儘《まゝ》に乾燥《かんさう》して居《ゐ》た。彼《かれ》は鍵《かぎ》の手《て》の杙《くひ》を兩手《りやうて》に持《も》つて其《その》大《おほ》きな身體《からだ》の重量《ぢうりやう》を加《くは》へて竪《たて》に壓《おさ》へて見《み》た。小《ちひ》さな杙《くひ》は毎日《まいにち》水《みづ》の爲《ため》に軟《やはら》かにされて居《ゐ》る土《つち》へぐつと深《ふか》くはひつた。鍵《かぎ》の手《て》は深《ふか》く釣瓶《つるべ》の内側《うちがは》を覗《のぞ》いて居《ゐ》たので先刻《さつき》よりも確乎《しつか》と釣瓶《つるべ》を引《ひ》き止《と》めた。彼《かれ》はそれから狹《せま》い戸口《とぐち》をぴたりと閉《とざ》して枯燥《こさう》した手足《てあし》を穢《きたな》い蒲團《ふとん》に包《つゝ》んでごろりと横《よこ》に成《な》つた。  午餐《ひる》に勘次《かんじ》が戻《もど》つて、復《また》口中《こうちう》の粗剛《こは》い飯粒《めしつぶ》を噛《か》みながら走《はし》つた後《あと》へ與吉《よきち》は鼻緒《はなを》の緩《ゆる》んだ下駄《げた》をから/\と引《ひ》きずつて學校《がくかう》から歸《かへ》つて來《き》た。足袋《たび》も穿《は》かぬ足《あし》の甲《かふ》が鮫《さめ》の皮《かは》のやうにばり/\と皹《ひゞ》だらけに成《な》つて居《ゐ》る。彼《かれ》はまだ冷《さ》め切《き》らぬ茶釜《ちやがま》の湯《ゆ》を汲《く》んで頻《しき》りに飯《めし》を掻込《かつこ》んだ。粘膜《ねんまく》のやうに赤《あか》く濕《うるほ》ひを持《も》つた二つの道筋《みちすぢ》を傳《つた》ひて冷《つめ》たく垂《た》れた洟《はな》を彼《かれ》は啜《すゝ》りながら、箸《はし》を横《よこ》に持《も》ち換《か》へて汁椀《しるわん》の鹽辛《しほから》い干納豆《ほしなつとう》を抓《つま》んで口《くち》へ入《い》れたり茶碗《ちやわん》の中《なか》へ撒《ま》いたりして幾杯《いくはい》かの飯《めし》を盛《も》つた。飯粒《めしつぶ》は茶碗《ちやわん》から彼《かれ》の胸《むね》を傳《つた》ひて土間《どま》へぼろ/\と落《お》ちた。彼《かれ》は土間《どま》に立《た》つた儘《まゝ》喫《た》べて居《ゐ》た。彼《かれ》は飯粒《めしつぶ》の少《すこ》し底《そこ》に残《のこ》つた茶碗《ちやわん》を膳《ぜん》の上《うへ》に轉《ころ》がしてばたりと飯臺《はんだい》の蓋《ふた》をした。卯平《うへい》は横臥《わうぐわ》した儘《まゝ》でおつぎが喚《よ》んだ時《とき》に來《こ》なかつた。おつぎが再《ふたゝ》び聲《こゑ》を掛《か》けて開墾地《かいこんち》へ出《で》てからも彼《かれ》は暫《しばら》く懶《ものう》い身體《からだ》を蒲團《ふとん》から起《おこ》さなかつた。彼《かれ》がふと思《おも》ひ出《だ》したやうに狹《せま》い戸口《とぐち》を開《あ》けて明《あか》るい外《そと》の埃《ほこり》に目《め》を蹙《しが》めて出《で》て行《い》つた時《とき》與吉《よきち》は慌《あわたゞ》しく飯臺《はんだい》の蓋《ふた》をした處《ところ》であつた。 「汝《わ》りや、今日《けふ》はどうしてさうえに早《はえ》えんでえ」卯平《うへい》は太《ふと》い低《ひく》い聲《こゑ》で聞《き》いた。 「あゝ」と與吉《よきち》は脣《くちびる》を反《そ》らして洟《はな》を啜《すゝ》りながら 「先生《せんせい》そんでも、明日《あした》は日曜《にちえう》だから此《こ》れつ切《きり》で歸《けえ》つてもえゝつちつたんだ」 「午餐《おまんま》くつたか」卯平《うへい》はのつそりと飯臺《はんだい》の側《そば》に近《ちか》づいた。 「汝《わ》りや、爺《ぢい》が膳《ぜん》さかうだに滾《こぼ》して」と彼《かれ》は先刻《さつき》よりも低《ひく》い聲《こゑ》で 「おとつゝあに見《み》らつたら怒《おこ》られつから」斯《か》ういつて又《また》 「汝《わ》ツ等《ら》おとつゝあは怒《おこ》りつ坊《ぽ》だから」と沈《しづ》んで呟《つぶや》くやうにいつた。彼《かれ》は膳《ぜん》の上《うへ》に散《ち》つて居《ゐ》る飯粒《めしつぶ》を一つ/\に撮《つま》んで、それから干納豆《ほしなつとう》は此《こ》れも一つ/\に汁椀《しるわん》の中《なか》へ入《い》れた。汁椀《しるわん》は手《て》に取《と》つて、椀《わん》の腹《はら》を左《ひだり》の手《て》に輕《かる》く打《う》ちつけるやうにして納豆《なつとう》を平《たひら》にした。おつぎは午餐《ひる》から開墾地《かいこんち》へ出《で》る時《とき》、菜《さい》にする干納豆《ほしなつとう》を汁椀《しるわん》へ入《いれ》て彼《かれ》の爲《ため》に膳《ぜん》を据《す》ゑて行《い》つたのである。與吉《よきち》は遠慮《ゑんりよ》もなく其《そ》の膳《ぜん》に向《むか》つたのである。卯平《うへい》は飯臺《はんだい》の蓋《ふた》を開《あ》けて見《み》たが暖味《あたゝかみ》がないので彼《かれ》は躊躇《ちうちよ》した。茶釜《ちやがま》の蓋《ふた》をとつて見《み》たが、蓋《ふた》の裏《うら》からはだら/\と滴《したゝ》りが垂《た》れて僅《わづ》かに水蒸氣《ゆげ》が立《た》つた。茶釜《ちやがま》は冷《さ》めて居《ゐ》たのである。それ程《ほど》に空腹《くうふく》を感《かん》ぜぬ彼《かれ》は箸《はし》を執《と》るのが厭《いや》になつた。彼《かれ》は身體《からだ》が非常《ひじやう》に冷《ひ》えて居《ゐ》ることを知《し》つた。それに右《みぎ》の手《て》が肩《かた》のあたりで硬《こは》ばつたやうで動《うご》かしやうによつてはきや/\と疼痛《いたみ》を覺《おぼ》えた。彼《かれ》は病氣《びやうき》が其處《そこ》に聚《あつま》つたのではないかと思《おも》つた。それが睡眠中《すゐみんちう》の身體《からだ》の置《お》きやうで一|時《じ》の變調《へんてう》を來《きた》したのだかどうだか分《わか》らないにも拘《かゝ》はらず、彼《かれ》は唯《たゞ》病氣《びやうき》故《ゆゑ》だと極《き》めて畢《しま》つた。極《き》めたといふよりも彼《かれ》の果敢《はか》ない僻《ひが》んだ心《こゝろ》にはさう判斷《はんだん》するより外《ほか》何《なに》もなかつたのである。彼《かれ》の心《こゝろ》は只管《ひたすら》自分《じぶん》を悲慘《みじめ》な方面《はうめん》に解釋《かいしやく》して居《を》ればそれで濟《す》んで居《ゐ》るのであつた。彼《かれ》の窶《やつ》れた身體《からだ》から其《そ》の手《て》が酷《ひど》く自由《じいう》を失《うしな》つたやうに感《かん》ぜられた。手《て》は輕《かる》く痺《しび》れたやうになつて居《ゐ》た。彼《かれ》は冷《ひ》えた身體《からだ》に暖氣《だんき》を欲《ほつ》して、茶釜《ちやがま》を掛《か》けた竈《かまど》の前《まへ》に懶《だる》い身體《からだ》を据《す》ゑて蹲裾《うづくま》つた。彼《かれ》は更《さ》らに熱《あつ》い茶《ちや》の一|杯《ぱい》が飮《の》みたかつたのである。彼《かれ》は竈《かまど》の底《そこ》にしつとりと落《お》ちついた灰《はひ》に接近《せつきん》して手《て》を翳《かざ》して見《み》た。まだ軟《やはら》かに白《しろ》い灰《はひ》は微《かすか》に暖《あたた》かゝつた。彼《かれ》はそれから大籠《おほかご》の落葉《おちば》を攫《つか》み出《だ》して茶釜《ちやがま》の下《した》に突込《つゝこ》んだ。與吉《よきち》も側《そば》から小《ちひ》さな手《て》で攫《つか》んで投《な》げた。卯平《うへい》の足《あし》もとには灰《はひ》を掩《おほ》うて落葉《おちば》が散亂《さんらん》した。落葉《おちば》は卯平《うへい》の衣物《きもの》にも止《とま》つた。卯平《うへい》は竹《たけ》の火箸《ひばし》の光《さき》で落葉《おちば》を少《すこ》し透《すか》すやうにして灰《はひ》を掻《か》き立《た》てゝ見《み》ても火《ひ》はもうぽつちりともなかつたのである。彼《かれ》はそれから燐寸《マツチ》を深《さが》して見《み》たが何處《どこ》にも見出《みいだ》されなかつた。彼《かれ》は自分《じぶん》の燐寸《マツチ》を探《さが》しに狹《せま》い戸口《とぐち》へ與吉《よきち》をやらうとした。與吉《よきち》は甘《あま》えて否《いな》んだ。彼《かれ》はどうしても懶《だる》い身體《からだ》を運《はこ》ばねばならなかつた。  卯平《うへい》の手《て》もとは餘程《よほど》狂《くる》つて居《ゐ》た。彼《かれ》はすつと燐寸《マツチ》を擦《す》つたが其《そ》の火《ひ》は手《て》が落葉《おちば》に達《たつ》するまでには微《かす》かな煙《けぶり》を立《た》てゝ消《き》えた。燐寸《マツチ》はさうして五六|本《ぽん》棄《す》てられた。與吉《よきち》は其《そ》の不自由《ふじいう》な手《て》から燐寸《マツチ》を奪《うば》ふやうにして火《ひ》を點《つ》けて見《み》た。卯平《うへい》は與吉《よきち》のする儘《まゝ》にして、丸太《まるた》の端《はし》を切《き》り放《はな》した腰掛《こしかけ》に身體《からだ》を据《す》ゑて其《そ》の窶《やつ》れた軟《やはら》かな目《め》を蹙《しか》めて居《ゐ》た。慌《あわ》てた與吉《よきち》の手《て》は其《そ》の軸木《ぢくぎ》の先《さき》から徒《いたづ》らに毛《け》のやうな煙《けぶり》を立《た》てるのみであつた。彼《かれ》は焦躁《じ》れて卯平《うへい》の足《あし》もとの灰《はひ》へ燐寸《マツチ》の箱《はこ》を投《な》げた。箱《はこ》はからりと鳴《な》つた。箱《はこ》の底《そこ》はもう見《み》えて居《ゐ》たのである。卯平《うへい》は目《め》を蹙《しか》めた儘《まゝ》燐寸《マツチ》をとつて復《また》すつと擦《す》つて、ゆつくりと軸木《ぢくぎ》を倒《さかさ》にして其《そ》の白《しろ》い軸木《ぢくぎ》を包《つゝ》んで燃《も》え昇《のぼ》らうとする小《ちひ》さな火《ひ》を枯燥《こさう》した大《おほ》きな手《て》で包《つゝ》んで、大事相《だいじさう》に覗《のぞ》いた。それが復《また》二三|度《ど》反覆《くりかへ》された。手《て》の内側《うちがは》がぼんやりとしてそれから段々《だん/\》に明《あか》るく成《な》つて火《ひ》は漸《やうや》く保《たも》たれた。茶釜《ちやがま》の底《そこ》に觸《ふ》れるばかりに突込《つゝこ》まれた落葉《おちば》には斯《か》うして火《ひ》が點《つ》けられた。落葉《おちば》には灰際《はひぎは》から其《そ》の外側《そとがは》を傳《つた》ひて火《ひ》がべろ/\と渡《わた》つた。卯平《うへい》は不自由《ふじいう》な手《て》の火箸《ひばし》で落葉《おちば》を透《すか》した。火《ひ》は迅速《じんそく》に其《そ》の生命《せいめい》を恢復《くわいふく》した。彼等《かれら》の爲《ため》に平生《へいぜい》殆《ほと》んど半《なかば》以上《いじやう》を無駄《むだ》に使《つか》はれて居《ゐ》る焔《ほのほ》が竈《かまど》の口《くち》から捲《まく》れて立《た》つた。然《しか》し其《そ》の餘計《よけい》に洩《も》れて出《いづ》る焔《ほのほ》が彼《かれ》の自由《じいう》を失《うしな》うて凍《こほ》らうとして居《ゐ》る手《て》を暖《あたゝ》めた。彼《かれ》は横《よこ》に轉《ころ》がした大籠《おほかご》からかさ/\と掻《か》き出《だ》しては燃《も》え易《やす》い落葉《おちば》を間斷《かんだん》なく足《た》した。  與吉《よきち》は卯平《うへい》の側《そば》から斜《なゝめ》に手《て》を出《だ》して居《ゐ》た。卯平《うへい》は與吉《よきち》の小《ちひ》さな足《あし》の甲《かふ》へそつと手《て》を觸《ふ》れて見《み》た。手《て》も足《あし》も孰《どつち》もざら/\とこそつぱかつた。與吉《よきち》は斜《なゝめ》に身《み》を置《お》くのが少《すこ》し窮屈《きうくつ》であつたのと、叱言《こごと》がなければ唯《たゞ》惡戲《いたづら》をして見《み》たいのとで側《そば》な竈《かまど》の口《くち》へ別《べつ》に自分《じぶん》で落葉《おちば》の火《ひ》を點《つ》けた。針金《はりがね》のやうな火《ひ》をちらりと持《も》つた落葉《おちば》の一《ひと》ひら/\が煙《けぶり》と共《とも》に輕《かる》く騰《のぼ》つた。落葉《おちば》は直《す》ぐに白《しろ》い灰《はひ》に化《な》つて更《さら》に幾《いく》つかに分《わか》れて與吉《よきち》の頭髮《かみ》から卯平《うへい》の白髮《かみ》に散《ち》つた。煙《けぶり》の中《なか》には其《そ》の白《しろ》い灰《はひ》が後《あと》から/\と立《たつ》て落《お》ちた。與吉《よきち》はいつも彼等《かれら》の伴侶《なかま》と共《とも》に路傍《みちばた》の枯芝《かれしば》に火《ひ》を點《てん》じて、それが黒《くろ》い趾《あと》を残《のこ》してめろめろと燃《も》え擴《ひろ》がるのを見《み》るのが愉快《ゆくわい》でならなかつた。彼《かれ》は又《また》火《ひ》が野茨《のいばら》の株《かぶ》に燃《も》え移《うつ》つて、其處《そこ》に茂《しげ》つた茅萱《ちがや》を燒《や》いて焔《ほのほ》が一|條《でう》の柱《はしら》を立《た》てると、喜悦《よろこび》と驚愕《おどろき》との錯雜《さくざつ》した聲《こゑ》を放《はな》つて痛快《つうくわい》に叫《さけ》びながら、遂《つひ》には其處《そこ》に恐怖《おそれ》が加《くは》はれば棒《ぼう》で叩《たゝ》いたり土塊《つちくれ》を擲《はふ》つたり、又《また》は自分等《じぶんら》の衣物《きもの》をとつてぱさり/\と叩《たゝ》いたりして其《その》火《ひ》を消《け》すことに力《つと》めるのであつた。迅速《じんそく》で且《かつ》壯快《さうくわい》な變化《へんくわ》を目前《もくぜん》に見《み》せる火《ひ》が彼等《かれら》の惡戲好《いたづらずき》な心《こゝろ》をどれ程《ほど》誘導《そゝ》つたか知《し》れない。彼《かれ》は落葉《おちば》を攫《つか》んでは竈《かまど》の口《くち》に投《とう》じてぼうぼうと燃《も》えあがる焔《ほのほ》に手《て》を翳《かざ》した。茶釜《ちやがま》がちう/\と少《すこ》し響《ひゞき》を立《た》てゝ鳴《な》り出《だ》した時《とき》卯平《うへい》は乾《ひから》びたやうに感《かん》じて居《ゐ》た喉《のど》を濕《うるほ》さうとして懶《だる》い臀《しり》を少《すこ》し起《おこ》して膳《ぜん》の上《うへ》の茶碗《ちやわん》へ手《て》を伸《のば》した。自由《じいう》を缺《か》いて居《ゐ》た手《て》が、爪先《つまさき》で持《も》つた茶碗《ちやわん》をころりと落《おと》させた。茶碗《ちやわん》の底《そこ》に冷《つめ》たく成《な》つて居《ゐ》た少《すこ》しの水《みづ》が土間《どま》へぽつちりと落《お》ちてはねた。飯粒《めしつぶ》が共《とも》に散《ち》らばつた。彼《かれ》は又《また》悠長《いうちやう》に茶碗《ちやわん》をとつて汚《よご》れた部分《ぶゞん》を手《て》でこすつて、更《さら》に茶釜《ちやがま》の熱湯《ねつたう》を注《そゝ》いで足《あし》もとの灰《はひ》へ傾《ま》けた。蓋《ふた》をとつたのでほう/\と威勢《ゐせい》よく立《た》つて居《ゐ》る水蒸氣《ゆげ》がちら/\と白《しろ》く立《た》つて落《お》ちる灰《はひ》を吸《す》うた。彼《かれ》は漸《やうや》くにして柄杓《ひしやく》の手《て》を放《はな》つて再《ふたゝ》び茶釜《ちやがま》の蓋《ふた》をした時《とき》俄《にはか》にぼうつと立《た》つた焔《ほのほ》の聲《こゑ》を聞《き》いた。彼《かれ》が思《おも》はず後《うしろ》を見《み》た時《とき》與吉《よきち》の驚愕《きやうがく》から發《はつ》せられた泣《な》き聲《ごゑ》が耳《みゝ》を打《う》つた。熾《さかん》な火《ひ》の柱《はしら》が近《ちか》く目《め》を掩《おほ》うて立《た》つて居《ゐ》た。彼《かれ》は又《また》直《すぐ》に激《はげ》しい熱度《ねつど》を顏《かほ》一|杯《ぱい》に感《かん》じた。火《ひ》はどうした機會《はずみ》か横《よこ》に轉《ころ》がした大籠《おほかご》の落葉《おちば》に移《うつ》つて居《ゐ》たのである。與吉《よきち》は初《はじ》め野外《やぐわい》の惡戲《あくぎ》に用《もち》ゐた手段《しゆだん》を以《もつ》て其《そ》の火《ひ》を叩《たゝ》いて消《け》さうとし又《また》掻《か》き出《だ》さうとした。乾燥《かんさう》した落葉《おちば》は迅速《じんそく》に火《ひ》を誘導《いうだう》して彼《かれ》の横頬《よこほゝ》を舐《ねぶ》つて、彼《かれ》は思《おも》はず聲《こゑ》を放《はな》つたのである。卯平《うへい》は慌《あわ》てて再《ふたゝ》び茶碗《ちやわん》を落《おと》した。彼《かれ》は突然《いきなり》與吉《よきち》を傍《かたはら》に掻《か》き退《の》けた。彼《かれ》はさうして無意識《むいしき》に火《ひ》に成《な》つた落葉《おちば》を掻《か》き出《だ》さうとして、自由《じいう》を失《うしな》うた手《て》の鈍《のろ》い運動《うんどう》が其《そ》の火《ひ》を消《け》すに何《なん》の功果《こうくわ》もなかつた。彼《かれ》は焔《ほのほ》の儘《まゝ》に輕《かる》い落葉《おちば》の籠《かご》を庭《には》へ投《な》げればよかつたのである。疾風《しつぷう》は必《かなら》ず其《そ》の落葉《おちば》を散亂《さんらん》せしめて、火《ひ》は遠《とほ》く燃《も》えながら走《はし》るにしても、片々《へんぺん》たる落葉《おちば》は廣《ひろ》い區域《くゐき》に悉《ことごと》く其《そ》の俤《おもかげ》をも止《とゞ》めないで消滅《せうめつ》して畢《しま》はねば成《な》らぬのであつた。然《しか》しながら慌《あわ》てた卯平《うへい》の手《て》は此《かく》の如《ごと》き簡單《かんたん》で且《かつ》最良《さいりやう》である方法《はうはふ》を執《と》る暇《ひま》がなかつた。火《ひ》は復《また》怒《いか》つて彼《かれ》の頬《ほゝ》を舐《ねぶ》り彼《かれ》の手《て》を燒《や》いた。彼《かれ》の目《め》は昏《くら》んだ。一|時《じ》に激《げき》した落葉《おちば》の火《ひ》はそれが久《ひさ》しく持續《ぢぞく》されなくても老衰《らうすゐ》した卯平《うへい》の心《こゝろ》を奪《うば》ふには餘《あま》りあつた。卯平《うへい》の視力《しりよく》が再《ふたゝ》び恢復《くわいふく》した時《とき》には火《ひ》は既《すで》に天井《てんじやう》の梁《はり》に積《つ》んだ藁束《わらたば》の、亂《みだ》れて覗《のぞ》いて居《ゐ》る穗先《ほさき》を傳《つた》ひて昇《のぼ》つた。火《ひ》は乾燥《かんさう》した藁束《わらたば》の周圍《しうゐ》を舐《ねぶ》つて、更《さら》に其《その》焔《ほのほ》が薄闇《うすぐら》い家《いへ》の内《うち》から遁《のが》れようとして屋根裏《やねうら》を偃《は》うた。それが迅速《じんそく》な火《ひ》の力《ちから》の瞬間《しゆんかん》の活動《くわつどう》であつた。舐《ねぶ》つた火《ひ》は更《さら》に此《こ》れを噛《か》んでずた/\に崩壞《ほうくわい》した藁束《わらたば》は其《そ》の火《ひ》を保《たも》つた儘《まゝ》既《すで》に其《そ》の勢《いきほ》ひを沈《しづ》めた落葉《おちば》の上《うへ》にばら/\と亂《みだ》れ落《おち》て其處《そこ》に復《ま》た火勢《くわせい》が恢復《くわいふく》された。惘然《ばうぜん》として自失《じしつ》して居《ゐ》た卯平《うへい》は藁《わら》の火《ひ》を浴《あ》びた。彼《かれ》は慌《あわ》てゝ戸口《とぐち》へ遁《に》げ出《だ》した時《とき》火《ひ》は既《すで》に赤《あか》い天井《てんじやう》を造《つく》つて居《ゐ》た。煙《けぶり》は四|方《はう》から檐《のき》を傳《つた》ひてむく/\と奔《はし》つて居《ゐ》た。蛇《へび》の舌《した》の如《ごと》くべろ/\と焔《ほのほ》が吐《は》き出《だ》された。吹《ふ》き募《つの》つて居《ゐ》る疾風《しつぷう》は直《す》ぐに其《その》赤《あか》い舌《した》を吹《ふ》き拗切《ちぎ》らうとした。後《あと》から/\と勢力《せいりよく》を加《くは》へて吐《は》き出《だ》す煙《けぶり》や焔《ほのほ》は穗《ほ》の如《ごと》く壓《お》し靡《なび》かされた。  火《ひ》は瞬間《しゆんかん》に處々《ところ/″\》落《お》ち窪《くぼ》んで窶《やつ》れた屋根《やね》を全《まつた》く包《つゝ》んで畢《しま》つた。卯平《うへい》は數分時《すうふんじ》の前《まへ》に豫期《よき》しなかつた此《こ》の變事《へんじ》を意識《いしき》した時《とき》殆《ほと》んど喪心《さうしん》して庭《には》に倒《たふ》れた。土塊《どくわい》の如《ごと》く動《うご》かぬ彼《かれ》の身體《からだ》からは憐《あはれ》に微《かす》かな煙《けぶり》が立《た》つて地《ち》を偃《は》うて消《き》えた。藁《わら》の火《ひ》を沿《あ》びた時《とき》其《そ》の火《ひ》が襤褸《ぼろ》な彼《かれ》の衣物《きもの》を焦《こが》したのである。然《しか》し其《そ》の火《ひ》は灸《きう》の如《ごと》き跡《あと》をぽつ/\と止《とゞ》めたのみで衣物《きもの》の心部《しんぶ》は深《ふか》く噛《か》まなかつた。埃《ほこり》は彼《かれ》を越《こ》えて走《はし》つた。與吉《よきち》は火傷《やけど》の疼痛《とうつう》を訴《うつた》へて獨《ひとり》悲《かな》しく泣《な》いた。  疾風《しつぷう》は其《そ》の威力《ゐりよく》を遮《さへぎ》つて包《つゝ》んだ焔《ほのほ》を掻《か》き退《の》けようとして其《その》餘力《よりよく》が屋根《やね》の葺草《ふきぐさ》を吹《ふ》き捲《まく》つた。火《ひ》は直《たゞち》に其《そ》の空隙《くうげき》に噛《か》み入《い》つて益《ます/\》其處《そこ》に力《ちから》を逞《たくま》しくした。聳然《すつくり》と空《そら》に奔騰《ほんたう》しようとする焔《ほのほ》を横《よこ》に壓《お》しつけ/\疾風《しつぷう》は遂《つひ》に塊《かたまり》の如《ごと》き火《ひ》の子《こ》を攫《つか》んで投《な》げた。其《そ》の礫《つぶて》はゆらり/\とのみ動《うご》いて居《ゐ》る東隣《ひがしどなり》の森《もり》の木《き》がふはりと受《う》けて遮斷《しやだん》した。只《たゞ》一|部《ぶ》、三|角測量臺《かくそくりやうだい》の見通《みとほ》しに障《さは》る爲《ため》に切《き》り拂《はら》はれた空隙《すき》がそれを導《みちび》いた。火《ひ》の子《こ》は東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》の屋根《やね》の一|角《かく》にどさりと止《とま》つた。勘次《かんじ》の家《いへ》を包《つゝ》んだ火《ひ》は屋根裏《やねうら》の煤竹《すゝたけ》を一|時《じ》に爆破《ばくは》させて小銃《せうじう》の如《ごと》き響《ひゞき》を立《た》てた。其《そ》の響《ひゞき》は近所《きんじよ》の耳《みゝ》を驚《おどろ》かした。其《そ》の人々《ひと/″\》が驅《か》けつけた時《とき》は棟《むね》はどさりと落《お》ちて、疾風《しつぷう》の力《ちから》を凌《しの》いで空中《くうちう》遙《はるか》に焔《ほのほ》を揚《あ》げた。其《そ》の時《とき》は既《すで》に東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》の家《いへ》を火《ひ》がべろ/\と甞《な》めつゝあつたのである。村落《むら》の者《もの》が萬能《まんのう》や鳶口《とびぐち》を持《も》つて集《あつ》まつた時《とき》は火《ひ》は凄《すさ》まじい勢《いきほ》ひを持《も》つて居《ゐ》た。それでも大《おほ》きな建物《たてもの》を燒盡《せうじん》するには時間《じかん》を要《えう》した。其《そ》の間《あひだ》に村落《むら》の者《もの》は手當《てあた》り次第《しだい》に家財《かざい》を持《も》つて其《そ》れを安全《あんぜん》の地位《ちゐ》に移《うつ》した。其《そ》の點《てん》に於《おい》て白晝《はくちう》の動作《どうさ》は敏活《びんくわつ》で且《か》つ容易《ようい》であつた。家財道具《かざいだうぐ》が門《もん》の外《そと》に運《はこ》ばれた時《とき》火勢《くわせい》は既《すで》に凡《すべ》ての物《もの》の近《ちか》づくことを許容《ゆる》さなかつた。家《いへ》を圍《かこ》んで東《ひがし》にも杉《すぎ》の喬木《けうぼく》が立《た》つて居《ゐ》た。森《もり》の梢《こずゑ》の上《うへ》に遙《はるか》に立《た》ち騰《のぼ》らうとして次第《しだい》に其《そ》の勢《いきほ》ひを加《くは》へる焔《ほのほ》を、疾風《しつぷう》はぐるりと包《つゝ》んだ喬木《けうぼく》の梢《こずゑ》からごうつと壓《お》しつけ壓《お》しつけ吹《ふ》き落《お》ちた。焔《ほのほ》は斜《なゝめ》にさうして傾《かたむ》きつゝ、群集《ぐんしふ》の耳《みゝ》には疾風《しつぷう》の響《ひゞき》を奪《うば》つて轟々《ぐわう/\》と鳴《な》り續《つづ》いた。吹《ふ》き落《おと》す疾風《しつぷう》に抵抗《ていこう》して其《そ》の力《ちから》を逞《たくま》しくしようとする焔《ほのほ》は深《ふか》く木材《もくざい》の心部《しんぶ》にまで確乎《しつか》と爪《つめ》を引《ひ》つ掛《か》けた。さうして其《そ》の焔《ほのほ》は近《ちか》く聳《そび》えた杉《すぎ》の梢《こずゑ》から枝《えだ》へ掛《か》けて爪先《つまさき》で引《ひ》つ掻《か》いた。其《そ》の度《たび》に杉《すぎ》は針葉樹《しんえふじゆ》の特色《とくしよく》を現《あらは》して樹脂《やに》多《おほ》い葉《は》がばり/\と凄《すさま》じく鳴《な》つて燒《や》けた。屋根裏《やねうら》の竹《たけ》が爆破《ばくは》した。消防《せうばう》の群集《ぐんしふ》は殆《ほと》んど皮膚《ひふ》を燒《や》かれるやうな熱《あつ》さを怖《おそ》れて段々《だん/\》遠《とほ》ざかつた。小《ちひ》さな喞筒《ポンプ》は其《その》熾《さかん》な焔《ほのほ》の前《まへ》に只《ただ》一|條《でう》の細《ほそ》い短《みじか》い彎曲《わんきよく》した白《しろ》い線《せん》を描《ゑが》くのみで何《なん》の功果《こうくわ》も見《み》えなかつた。他《た》の村落《むら》の人々《ひと/″\》が聞《き》き傳《つた》へて田圃《たんぼ》や林《はやし》を越《こ》えて、其《そ》の間《あひだ》に各自《かくじ》の體力《たいりよく》を消耗《せうまう》しつゝ驅《か》けつけるまでには大《おほ》きな棟《むね》は熱火《ねつくわ》を四|方《はう》に煽《あふ》つて落《お》ちた。疾風《しつぷう》の力《ちから》が此《こ》れを壓《お》しつけて、周圍《しうゐ》の喬木《けうぼく》の梢《こずゑ》が他《た》と隔《へだ》てゝ白晝《はくちう》の力《ちから》が其《そ》の光《ひかり》を奪《うば》はうとして居《ゐ》るので、空《そら》に立《た》つて見《み》えるのは遠《とほ》いやうで且《か》つ近《ちか》いやうで一|種《しゆ》の凄慘《せいさん》な氣《き》を含《ふく》んだ煙《けぶり》である。それでも喬木《けうぼく》の梢《こずゑ》の上《うへ》に火《ひ》は壓迫《あつぱく》に苦《くるし》んで居《ゐ》るやうに稀《まれ》に立《た》ち騰《のぼ》つては又《また》壓《おし》つけられた。徒勞《むだ》である喞筒《ポンプ》へ群集《ぐんしふ》は水《みづ》を汲《く》むのに近所《きんじよ》の有《あら》ゆる井戸《ゐど》は皆《みな》釣瓶《つるべ》が屆《とゞ》かなくなつた。群集《ぐんしふ》は唯《たゞ》囂々《がう/\》として混亂《こんらん》した響《ひゞき》の中《なか》に騷擾《さうぜう》を極《きは》めた。火《ひ》の力《ちから》は此《かく》の如《ごと》くにして周圍《しうゐ》の村落《そんらく》をも一つに吸收《きふしう》した。然《しか》しながら、其《そ》の群集《ぐんしふ》は勘次《かんじ》の庭《には》を顧《かへり》みようとはしなかつた。  黄褐色《くわうかつしよく》の霧《きり》を以《もつ》て四|圍《ゐ》を塞《ふさ》がれつゝ只管《ひたすら》に其《そ》の唐鍬《たうぐは》を打《う》つて居《ゐ》た勘次《かんじ》は田圃《たんぼ》を渡《わた》つて林《はやし》を越《こ》えて遠《とほ》く行《い》つて居《ゐ》た。彼《かれ》は此《こ》の凶事《きようじ》を知《し》る理由《わけ》がなかつた。開墾地《かいこんち》に近《ちか》い小徑《こみち》を走《はし》つて行《ゆ》く人《ひと》の慌《あわたゞ》しい容子《ようす》を見咎《みとが》めて彼《かれ》は始《はじ》めて其《その》火《ひ》を知《し》つた。それが東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》の家《いへ》に起《おこ》つたことを聞《き》かされて彼《かれ》はおつぎを促《うなが》して立《た》つた。彼《かれ》は疾驅《しつく》しようとして、其《そ》の確乎《しつか》と身《み》を据《す》ゑた位置《ゐち》から一|歩《ぽ》を踏《ふ》み出《だ》した時《とき》、じやりつと其《その》爪先《つまさき》を打《う》つて財布《さいふ》が落《お》ちた。彼《かれ》が顧《かへり》みた時《とき》財布《さいふ》は二三|歩《ぽ》後《うしろ》に發見《はつけん》された。彼《かれ》は簡單《かんたん》な三|尺帶《じやくおび》を解《と》いて、ぎりつと其處《そこ》に大《おほ》きな塊《かたまり》のやうな結《むす》び目《め》を作《つく》つて其《そ》の財布《さいふ》を包《つゝ》んだ。  彼《かれ》は殆《ほとん》ど其《そ》の脚力《きやくりよく》の及《およ》ぶ限《かぎ》り走《はし》つた。彼《かれ》はおつぎが後《うしろ》に續《つゞ》かぬことを顧慮《こりよ》する暇《いとま》もなかつた。彼《かれ》は其《そ》の主人《しゆじん》を懷《おも》つたのである。勘次《かんじ》は後《うしろ》の田圃《たんぼ》へ出《で》た時《とき》霧《きり》の如《ごと》き埃《ほこり》を隔《へだ》てゝ主人《しゆじん》の家《いへ》の森《もり》から騰《のぼ》る熾《さかん》な煙《けぶり》を見《み》て今更《いまさら》の如《ごと》く恐怖《きようふ》した。彼《かれ》は又《また》ふと自分《じぶん》の後《うしろ》の林《はやし》に少《すこ》し見《み》えて居《ゐ》た自分《じぶん》の家《いへ》の棟《むね》が見《み》えないのに其《その》心《こゝろ》を騷《さわ》がせた。毫《がう》も其《そ》の力《ちから》を落《おと》さぬ疾風《しつぷう》は雜木《ざふき》に交《まじ》つた竹《たけ》の梢《こずゑ》を低《ひく》くさうして更《さら》に低《ひく》く吹靡《ふきなび》けて居《を》れど棟《むね》はどうしても見《み》えなかつた。彼《かれ》は又《また》煙《けぶり》が絲《いと》の如《ごと》く然《しか》も凄《すさま》じく自分《じぶん》の林《はやし》の邊《あたり》から立《たつ》ては壓《お》しつけられるのを見《み》た。彼《かれ》が自分《じぶん》の庭《には》に立《た》つた時《とき》は、古《ふる》い煤《すゝ》だらけの疎末《そまつ》な建築《けんちく》は燒盡《やきつく》して主要《しゆえう》の木材《もくざい》が僅《わづか》に焔《ほのほ》を吐《は》いて立《た》つて居《ゐ》る。火《ひ》は尚《な》ほ執念《しふね》く木材《もくざい》の心部《しんぶ》を噛《か》んで居《ゐ》る。何物《なにもの》をも吹《ふ》き拂《はら》はねば止《や》むまいとする疾風《しつぷう》は、赤《あか》い※[#「火+畏」、第3水準1-87-57]《おき》を包《つゝ》む白《しろ》い灰《はひ》を寸時《すんじ》の猶豫《いうよ》をも與《あた》へないで吹《ふ》き捲《まく》つた。心部《しんぶ》を噛《か》まれつゝある木材《もくざい》は赤《あか》い齒《は》を喰《く》ひしばつたやうな無數《むすう》の罅《ひゞ》が火《ひ》と煙《けぶり》とを吐《は》いて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は殆《ほと》んど惘然《ばうぜん》として此《こ》の急激《きふげき》な變化《へんくわ》を見《み》た。彼《かれ》は足《あし》もとが踉蹌《よろけ》る程《ほど》疾風《しつぷう》の手《て》に突《つ》かれた。彼《かれ》は庭《には》に立《た》つて泣《な》いて居《ゐ》る與吉《よきち》を見《み》た。與吉《よきち》の横頬《よこほゝ》に印《いん》した火傷《やけど》が彼《かれ》の惑亂《わくらん》した心《こゝろ》を騷《さわ》がせた。勘次《かんじ》は又《また》其《そ》の側《そば》に目《め》を瞑《つぶ》つて後向《うしろむき》に成《な》つて居《ゐ》る卯平《うへい》を見《み》た。卯平《うへい》は何時《いつ》の間《ま》に誰《たれ》がさうしたのか筵《むしろ》の上《うへ》に横《よこ》たへられてあつた。彼《かれ》は少《すくな》い白髮《しらが》を薙《な》ぎ拂《はら》つて燒《や》いた火傷《やけど》のあたりを手《て》で掩《お》うて居《ゐ》た。 「汝《わ》りやどうしたんだ」勘次《かんじ》は忙《せわ》しく聞《き》いた。 「木《き》の葉《は》へ火《ひい》くつゝえたんだ」與吉《よきち》は咽《むせ》び入《い》りながらいつた。 「汝《われ》でも惡戲《いたづら》したんぢやねえか」勘次《かんじ》は遲緩《もどか》しげに烈《はげ》しく追求《つゐきう》した。 「俺《お》ら爺《ぢい》と火《ひい》あたつてたんだ、さうしたらくつゝかつたんだ」さういつて與吉《よきち》は俄《にはか》に聲《こゑ》を放《はな》つて泣《な》いた。彼《かれ》は何《なん》の爲《ため》にさう悲《かな》しくなつたのか寧《むし》ろ頑是《ぐわんぜ》ない彼自身《かれじしん》には分《わか》らなかつた。彼《かれ》は只《たゞ》涙《なみだ》がこみあげて止《と》め處《ど》もなく悲《かな》しくさうしてしみ/″\と泣《な》き續《つゞ》けた。勘次《かんじ》はそれを聞《き》いた瞬間《しゆんかん》肩《かた》の唐鍬《たうぐは》を轉《ころ》がしてぶつりと土《つち》を打《う》つた。唐鍬《たうぐは》の刄先《はさき》は卯平《うへい》の頭《あたま》に近《ちか》く筵《むしろ》の一|端《たん》を掠《かす》つて深《ふか》く土《つち》に立《た》つた。彼《かれ》はそれから燒盡《やきつく》して一|杯《ぱい》の※[#「火+畏」、第3水準1-87-57]《おき》になつた自分《じぶん》の家《うち》に近《ちか》く駈《か》け寄《よ》つた。彼《かれ》は火《ひ》の恐《おそ》ろしい熱度《ねつど》を感《かん》じて少時《しばし》躊躇《ちうちよ》して立《た》つた。後《うしろ》の林《はやし》の稍《やゝ》俛首《うなだ》れた竹《たけ》の外側《そとがは》がぐるりと燒《や》かれて變色《へんしよく》して居《ゐ》たのが彼《かれ》の目《め》に映《えい》じた。それと共《とも》に彼《かれ》は隣《となり》の森《もり》の中《なか》の群集《ぐんしふ》の囂々《がう/\》と騷《さわ》ぐのを耳《みゝ》にして自分《じぶん》が今《いま》何《なん》の爲《ため》に疾走《しつそう》して來《き》たかを心《こゝろ》づいた。然《しか》し彼《かれ》はもう其《そ》の群集《ぐんしふ》の間《あひだ》に交《まじ》つて主人《しゆじん》の災厄《さいやく》に赴《おもむ》く心《こゝろ》は起《おこ》らなかつた。彼《かれ》は其《そ》の群集《ぐんしふ》の聲《こゑ》を聞《き》いて、自《みづか》ら意識《いしき》しない壓迫《あつぱく》を感《かん》じた。彼《かれ》は酷《ひど》く自分《じぶん》の哀《あはれ》つぽい悲慘《みじめ》な姿《すがた》を泣《な》きたくなつた。彼《かれ》は疾走《しつそう》した後《あと》の異常《いじやう》な疲勞《ひらう》を感《かん》じた。彼《かれ》は自分《じぶん》の燒趾《やけあと》を掻《か》き立《た》てようとするのに鳶口《とびぐち》も萬能《まんのう》も皆《みな》其《その》火《ひ》の中《なか》に包《つゝ》まれて畢《しま》つて居《ゐ》た。彼《かれ》は空手《からて》であつた。唐鍬《たうぐは》を執《と》つて彼《かれ》は再《ふたゝ》び熱《あつ》い火《ひ》の側《そば》に立《た》つた。熱《あつ》さに堪《た》へぬ火《ひ》の側《そば》を彼《かれ》は飛《と》び退《すさ》つて又《また》立《た》つた。彼《かれ》は其《そ》の刃先《はさき》の鈍《にぶ》く成《な》るのを思《おも》ふ暇《いとま》もなく唐鍬《たうぐは》で、また立《た》つて居《ゐ》る木材《もくざい》を引《ひ》つ掛《か》けて倒《たふ》さうとした。  おつぎは後《おく》れて漸《やうや》く垣根《かきね》の入口《いりくち》に立《た》つた。おつぎはもう自分《じぶん》の家《うち》が無《な》いことを知《し》つた。貧窮《ひんきう》な生活《せいくわつ》の間《あひだ》から數年來《すうねんらい》漸《やうや》く蓄《たくは》へた衣類《いるゐ》の數點《すうてん》が既《すで》に其《そ》の一|片《ぺん》をも止《とゞ》めないことを知《し》つてさうして心《こゝろ》に悲《かな》しんだ。汗《あせ》がびつしりと髮《かみ》の生際《はえぎは》を浸《ひた》して疲憊《ひはい》した身體《からだ》をおつぎは少時《しばし》惘然《ぼんやり》と庭《には》に立《た》てた。  おつぎはそれから又《また》泣《な》いて居《ゐ》る與吉《よきち》と死骸《しがい》の如《ごと》く横《よこた》はつて居《ゐ》る卯平《うへい》とを見《み》た。おつぎは萬能《まんのう》を置《お》いて與吉《よきち》の火傷《やけど》した頭部《とうぶ》をそつと抱《いだ》いた。與吉《よきち》は復《また》涙《なみだ》がこみあげて咽《むせ》びながらしみ/″\と悲《かな》しげに泣《な》いた。其《そ》の聲《こゑ》は聞《き》くものを只《たゞ》泣《な》きたくさせた。疲《つか》れたおつぎの目《め》にはふつと涙《なみだ》が泛《うか》んだ。おつぎは又《また》手《て》で抑《おさ》へた卯平《うへい》の頭部《とうぶ》に疑《うたが》ひの目《め》を注《そゝ》いで、二|人《にん》の悲《かな》しむべき記念《かたみ》におもひ至《いた》つた。おつぎは其《そ》の原因《げんいん》を追求《つゐきう》して聞《き》かうとはしなかつた。おつぎはしみ/″\と與吉《よきち》を心《こゝろ》に勦《いたは》つて更《さら》に、「爺《ぢい》」と卯平《うへい》の蓆《むしろ》に近《ちか》づいてそつと膝《ひざ》をついた。平生《いつも》のおつぎは勘次《かんじ》との間《あひだ》を繋《つな》がうとする苦心《くしん》からの甘《あま》えた言辭《ことば》が卯平《うへい》の心《こゝろ》に投《とう》ずるのであつた。現在《いま》おつぎの心裏《しんり》には何《なん》の理窟《りくつ》もなかつた。只《たゞ》しみ/″\と悲《かな》しい痛《いた》はしい心《こゝろ》からの言辭《ことば》が自然《しぜん》に其《そ》の口《くち》から出《で》るのであつた。おつぎは未《ま》だ燃《も》えてる火《ひ》を忘《わす》れたやうに卯平《うへい》を越《こ》えて覗《のぞ》いた。卯平《うへい》はおつぎの聲《こゑ》が耳《みゝ》に入《はひ》つたので後《うしろ》を向《む》かうとして僅《わづか》に目《め》を開《あ》いた。地《ち》を掠《かす》つて走《はし》りつゝある埃《ほこり》が彼《かれ》の頬《ほゝ》を打《う》つて彼《かれ》の横《よこ》たへた身體《からだ》を越《こ》えた。彼《かれ》は直《すぐ》に以前《もと》の如《ごと》く目《め》を閉《と》ぢた。 「爺《ぢい》も火傷《やけど》したのか」おつぎは靜《しづか》にいつて卯平《うへい》の手《て》をそつと退《の》けて左《ひだり》の横頬《よこほゝ》に印《いん》した火傷《やけど》を見《み》た。 「痛《え》てえか、そんでもたえしたこともねえから心配《しんぺえ》すんなよ」おつぎは火《ひ》に薙《な》ぎ拂《はら》はれた穢《きたな》い卯平《うへい》の白髮《しらが》へそつと手《て》を當《あて》た。卯平《うへい》はおつぎのする儘《まゝ》に任《まか》せて少《すこ》し口《くち》を動《うご》かすやうであつたが、又《また》ごつと吹《ふ》きつける疾風《しつぷう》に妨《さまた》げられた。おつぎは隣《となり》の庭《には》の騷擾《さうぜう》を聞《き》いた。然《しか》も其《その》種々《いろ/\》な叫《さけ》びの錯雜《さくざつ》して聞《きこ》える聲《こゑ》が自分《じぶん》の心部《むね》から或《ある》物《もの》を引《ひ》つ攫《つか》んで行《ゆ》くやうで、自然《しぜん》にそれへ耳《みゝ》を澄《すま》すと何《なん》だか遣《や》る瀬《せ》のないやうな果敢《はか》なさを感《かん》じて涙《なみだ》が落《お》ちた。涙《なみだ》は卯平《うへい》の白髮《しらが》に滴《したゝ》つた。おつぎが心《こゝろ》づいた時《とき》勘次《かんじ》は徒《いたづ》らにさうして發作的《ほつさてき》に汗《あせ》を垂《た》らして動《うご》いて居《ゐ》るのを見《み》た。おつぎの心《こゝろ》も屹《きつ》として未《ま》だ燃《も》えつゝある火《ひ》に移《うつ》つた。おつぎは俄《にはか》に自分《じぶん》の萬能《まんのう》を執《と》つて勘次《かんじ》の手《て》に攫《つか》ませた。勘次《かんじ》は始《はじ》めて心《こゝろ》づいて、熱《ねつ》した唐鍬《たうぐは》を冷《ひや》さうとして井戸端《ゐどばた》へ走《はし》つた。鍵《かぎ》の手《て》を離《はな》れた釣瓶《つるべ》は高《たか》く空中《くうちう》に浮《うか》んでゆつくりと大《おほ》きく動《うご》いて居《ゐ》た。彼《かれ》は流《なが》し尻《じり》にずぶりと唐鍬《たうぐは》を投《とう》じて又《また》萬能《まんのう》を執《と》つた。  一|日《にち》吹《ふ》いた疾風《しつぷう》が礑《はた》と其《そ》の力《ちから》を落《おと》したら、日《ひ》が西《にし》の空《そら》の土手《どて》のやうな雲《くも》の端《はし》に近《ちか》く据《すわ》つて漸次《だん/\》に沒却《ぼつきやく》しつゝ瞬《またゝ》いた。其《そ》の一|瞬時《しゆんじ》強烈《きやうれつ》な光《ひかり》が横《よこ》に東《ひがし》の森《もり》の喬木《けうぼく》を錆《さび》た橙色《だい/″\いろ》に染《そ》めて、更《さら》に其《そ》の光《ひかり》は隙間《すきま》を遠《とほ》くずつと手《て》を伸《のば》した。冷《つめ》たく且《かつ》薄闇《うすぐら》く成《な》るに從《したが》つて燒趾《やけあと》の火《ひ》が周圍《しうゐ》を明《あか》るくした。隣《となり》の火《ひ》はほんのりと空《そら》をぼかした。隣《となり》の庭《には》には自分《じぶん》の村落《むら》から他《た》の村落《むら》から手桶《てをけ》や飯臺《はんだい》へ入《い》れた握《にぎ》り飯《めし》が數多《かずおほ》く運《はこ》ばれた。消防《せうばう》に力《ちから》を竭《つく》した群集《ぐんしふ》は白《しろ》い握飯《にぎりめし》を貪《むさぼ》つた。群集《ぐんしふ》は更《さら》に時分《じぶん》を見計《みはか》らつてはぐら/\と柱《はしら》を突《つ》き倒《たふ》さうとした。丈夫《ちやうぶ》な柱《はしら》はまだ火勢《くわせい》があたりを遠《とほ》ざけて確乎《しつか》と立《た》つて居《ゐ》た。他《た》の村落《むら》の人々《ひと/″\》は漸次《だんだん》に歸《かへ》り去《さ》つた。自村《むら》の人々《ひと/″\》は交代《かうたい》に残《のこ》つて熾《さかん》な火《ひ》の番《ばん》をした。歸《かへ》り行《ゆ》く人々《ひと/″\》が其《そ》の序《ついで》に勘次《かんじ》の庭《には》に挨拶《あいさつ》に立《た》つたのみで、南《みなみ》の家《いへ》から笊《ざる》へ入《い》れた握飯《にぎりめし》が來《き》た丈《だけ》であつた。彼《かれ》はそれでも其《そ》の爲《ため》に空腹《くうふく》を遁《のが》れた。隣《となり》の主人《しゆじん》からは暫《しばら》くして其《そ》の集《あつま》つた握《にぎ》り飯《めし》の手桶《てをけ》を二つ三つ持《も》たせてよこした。夜《よ》に成《な》つてから近所《きんじよ》の者《もの》の手《て》で卯平《うへい》は念佛寮《ねんぶつれう》へ運《はこ》ばれた。勘次《かんじ》は卯平《うへい》を乘《の》せた荷車《にぐるま》を曳《ひ》いた。彼《かれ》はそれから隣《となり》の主人《しゆじん》へ挨拶《あいさつ》に出《で》たが、自分《じぶん》の喉《のど》の底《そこ》で物《もの》をいうて逃《に》げるやうに歸《かへ》つた。彼《かれ》は其《そ》の夜《よ》は三|人《にん》が凍《こほ》つた空《そら》を戴《いたゞ》いて燒趾《やけあと》の火氣《くわき》を手頼《たよ》りに明《あ》かした。卯平《うへい》を横《よこた》へた筵《むしろ》は誰《たれ》も取《と》りには來《こ》なかつた。筵《むしろ》は三|人《にん》に席《せき》を與《あた》へた。勘次《かんじ》は失火《しつくわ》に就《つ》いて與吉《よきち》から要領《えうりやう》を得《え》なかつた。然《しか》しながら彼《かれ》の悲憤《ひふん》に堪《た》へぬ心《こゝろ》が嘖《さいな》まうとするには與吉《よきち》の泣《な》いて止《や》まぬ火傷《やけど》がそれを抑《おさ》へつけた。勘次《かんじ》は疲《つか》れた。          二六  夜《よ》が深《ふ》けるに隨《したが》つて霜《しも》は三|人《にん》の周圍《しうゐ》に密接《みつせつ》して凝《こ》らうとしつゝ火《ひ》の力《ちから》をすら壓《お》しつけた。彼等《かれら》は冷《さ》めて行《ゆ》く火《ひ》に段々《だん/\》と筵《むしろ》を近《ちか》づけた。勘次《かんじ》もおつぎも薄《うす》い仕事衣《しごとぎ》にしん/\と凍《こほ》る霜《しも》の冷《つめ》たさと、ぢり/\と焦《こが》すやうな火《ひ》の熱《あつ》さとを同時《どうじ》に感《かん》じた。與吉《よきち》は火傷《やけど》へ夜《よ》の冷《つめ》たさが沁《し》みた。さうかといつて火《ひ》に當《あた》らうとするのには猶且《やつぱり》火傷《やけど》の疼痛《いたみ》を加《くは》へるだけであつた。彼《かれ》は思出《おもひだ》したやうに泣《な》いては又《また》泣《な》いた。遂《つひ》には泣《な》き疲《つか》れてしく/\と只《たゞ》聲《こゑ》を呑《の》んだ。それが却《かへつ》て勘次《かんじ》とおつぎの心《こゝろ》を掻《か》き亂《みだ》した。疲《つか》れた二人《ふたり》はうと/\としながら到頭《たうとう》眠《ねむ》ることが出來《でき》なかつた。  燒趾《やけあと》に横《よこた》はつた梁《はり》や柱《はしら》からまだ微《かす》かな煙《けぶり》を立《た》てつゝ次《つぎ》の日《ひ》は明《あ》けた。勘次《かんじ》はおつぎを相手《あひて》に灰燼《くわいじん》を掻《か》き集《あつ》めることに一|日《にち》を費《つひや》した。手桶《てをけ》の冷《つめ》たい握飯《にぎりめし》が手頼《たより》ない三|人《にん》の口《くち》を糊《こ》した。勘次《かんじ》は炭《すみ》のやうに成《な》つた痩《や》せた柱《はしら》や梁《はり》を垣根《かきね》の側《そば》に積《つ》んだ。彼《かれ》は其《そ》の新《あたら》しい手桶《てをけ》へ水《みづ》を汲《く》んでまだ火《ひ》の有《あ》り相《さう》な梁《はり》や柱《はしら》へばしやりと其《そ》の水《みづ》を掛《か》けた。彼《かれ》は灰《はひ》を掻《か》き集《あつ》めて處々《ところどころ》圓錘形《ゑんすゐけい》の小山《こやま》を作《つく》つた。彼《かれ》は灰燼《くわいじん》の中《なか》から鍋《なべ》や釜《かま》や鐵瓶《てつびん》や其《そ》の他《た》の器物《きぶつ》をだん/\と萬能《まんのう》の先《さき》から掻《か》き出《だ》した。鐵製《てつせい》の器物《きぶつ》は其《そ》の形《かたち》を保《たも》つて居《ゐ》ても悉皆《みんな》幾年《いくねん》も使《つか》はずに捨《すて》てあつたものゝやうに變《かは》つて居《ゐ》た。彼《かれ》はそれをそつと大事《だいじ》に傍《そば》へ聚《あつ》めた。茶碗《ちやわん》や皿《さら》や凡《すべ》ての陶磁器《たうじき》は熱火《ねつくわ》に割《は》ねて畢《しま》つて一つでも役《やく》に立《た》つものはなかつた。勘次《かんじ》は赤《あか》く燒《や》けた土《つち》を草鞋《わらぢ》の底《そこ》で段々《だん/\》に掻《か》つ拂《ば》かうとした時《とき》、黒《くろ》く焦《こ》げたやうな或《ある》物《もの》が草鞋《わらぢ》の先《さき》に掛《かゝ》つた。燒《や》けて變色《へんしよく》した銅貨《どうくわ》の少《すこ》し凝《こゞ》つたやうになつたのが足《あし》に觸《ふ》れてぞろりと離《はな》れた。彼《かれ》は周圍《しうゐ》にひよつと目《め》を放《はな》つた。彼《かれ》の目《め》に入《い》るものは此《これ》も一|心《しん》に灰《はひ》の始末《しまつ》をして居《ゐ》るおつぎの外《ほか》にはなかつた。彼《かれ》は銅貨《どうくわ》を竊《そつ》と竹《たけ》の林《はやし》の側《そば》へ持《も》つて行《い》つた。彼《かれ》はぎりつと縛《しば》つた三|尺帶《じやくおび》を解《と》いて、財布《さいふ》を括《くゝ》つた結《むす》び目《め》に齒《は》を掛《か》けて漸《やうや》く其《その》財布《さいふ》を取《と》り出《だ》した。燒《や》けた銅貨《どうくわ》を彼《かれ》は財布《さいふ》へ投《な》げ込《こ》んで復《ま》たぎりつと腰《こし》へ括《くゝ》つた。彼《かれ》はさうして再《ふたゝ》びきよろ/\と周圍《ぐるり》を見《み》た。勘次《かんじ》は幾《いく》つかの小山《こやま》を形《かたち》づくつた灰《はひ》へ藁《わら》や粟幹《あはがら》でしつかと蓋《ふた》をした。彼《かれ》はそれを田《た》や畑《はた》へ持《も》ち出《だ》さうとしたので、雨《あめ》に打《う》たせぬ工夫《くふう》である。其《そ》の藁《わら》や粟幹《あはがら》は近所《きんじよ》の手《て》から與《あた》へられた。彼《かれ》は住居《すまゐ》を失《うしな》つた第《だい》二|日目《かめ》に始《はじ》めて近隣《きんりん》の交誼《かうぎ》を知《し》つた。南《みなみ》の女房《にようばう》は古《ふる》い藥鑵《やくわん》と茶碗《ちやわん》とを持《も》つて來《き》てくれた。勘次《かんじ》は平生《へいぜい》何《なん》とも思《おも》はなかつた此《こ》れ等《ら》の器物《きぶつ》にしみ/″\と便利《べんり》を感《かん》じた。彼《かれ》は藥鑵《やくわん》のまだ熱《あつ》い湯《ゆ》を茶碗《ちやわん》に注《つ》いで彼等《かれら》の身《み》を落《お》ちつける唯《たゞ》一|枚《まい》の筵《むしろ》の端《はし》に憩《いこ》うた。俄《にはか》に空洞《からり》とした燒趾《やけあと》を限《かぎ》つて立《た》つて居《ゐ》る後《うしろ》の林《はやし》の竹《たけ》は外側《そとがは》がぐるりと枯《か》れて、焦《こ》げた枝《えだ》が青《あを》い枝《えだ》を掩《おほ》うて幹《みき》は火《ひ》の近《ちか》かつた部分《ぶゞん》は油《あぶら》を吹《ふ》いてきら/\と滑《なめら》かに變《かは》つて居《ゐ》た。  東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》の庭《には》には此《こ》の日《ひ》も村落《むら》の者《もの》が大勢《おほぜい》集《あつ》まつて大《おほ》きな燒趾《やけあと》の始末《しまつ》に忙殺《ばうさつ》された。それで其《その》人々《ひと/″\》は勘次《かんじ》の庭《には》に手《て》を藉《か》さうとはしなかつた。彼等《かれら》は隣《となり》の主人《しゆじん》に對《たい》して平素《へいそ》に報《むく》いようとするよりも將來《しやうらい》を怖《おそ》れて居《ゐ》る。彼等《かれら》は皆《みな》齊《ひと》しく靜《しづ》かに落《おち》ついた白晝《はくちう》の庭《には》に立《たつ》ことが其《そ》の家族《かぞく》の目《め》に觸《ふ》れ易《やす》いことを知《し》つて居《ゐ》るのである。勘次《かんじ》は疲《つか》れた身體《からだ》を其《そ》の日《ひ》も餘念《よねん》なく使役《しえき》した。其《そ》の夜《よ》は三|人《にん》が空《そら》を戴《いたゞ》いて狹《せま》い筵《むしろ》に明《あか》すのには、僅《わづか》でも其《その》身體《からだ》を暖《あたゝ》める火《ひ》は消滅《せうめつ》して居《ゐ》たのである。三|人《にん》は其《その》夜《よ》南《みなみ》の家《いへ》に導《みちび》かれた。勘次《かんじ》もおつぎも汗《あせ》と灰《はひ》と埃《ほこり》とに汚《よご》れた身體《からだ》を風呂《ふろ》に洗《あら》ひ落《おと》した。快《こゝろ》よかつた其《その》風呂《ふろ》が氣盡《きづく》しな他人《たにん》の家《いへ》に彼等《かれら》をぐつすりと熟睡《じゆくすゐ》させて二|日間《かかん》の疲勞《ひらう》を忘《わす》れさせようとした。  與吉《よきち》の横頬《よこほゝ》は皮膚《ひふ》が僅《わづか》に水疱《すゐはう》を生《しやう》じて膨《ふく》れて居《ゐ》た。彼《かれ》は其《そ》の日《ひ》の機嫌《きげん》が惡《わる》かつた。南《みなみ》の女房《にようばう》は其《そ》の水疱《すゐはう》に頭髮《あたま》へつける胡麻《ごま》の油《あぶら》を塗《ぬ》つてやつた。  勘次《かんじ》は燒木杙《やけぼつくひ》を地《ち》に建《た》てゝ彼《かれ》に第《だい》一の要件《えうけん》たる假《かり》の住居《すまゐ》を造《つく》つた。近所《きんじよ》から聚《あつ》めた粟幹《あはがら》の僅少《きんせう》な材料《ざいれう》が葺草《ふきぐさ》であつた。それは漸《やつ》と雨《あめ》の洩《も》るか洩《も》らないだけの薄《うす》い葺方《ふきかた》であつた。固《もと》より壁《かべ》を塗《ぬ》る暇《ひま》はない。そこらこゝらの林《はやし》の間《あひだ》に刈《か》り残《のこ》された萱《かや》や篠《しの》を刈《か》つて來《き》て、乏《とぼ》しい藁《わら》と交《ま》ぜて垣根《かきね》でも結《ゆ》ふやうにそれを内外《うちそと》から裂《さ》いた竹《たけ》を當《あ》てゝぎつと締《し》めた。彼《かれ》は南《みなみ》の家《いへ》から借《か》りた鋸《のこぎり》で大小《だいせう》の燒木杙《やけぼつくひ》を挽切《ひつき》つた。遂《しまひ》に彼《かれ》は後《うしろ》から燒《や》けた竹《たけ》を伐《き》つて來《き》て簀《す》の子《こ》のやうに横《よこた》へて低《ひく》い床《ゆか》を造《つく》つた。竹《たけ》を伐《き》つた鉈《なた》も彼《かれ》の所有《もの》ではなかつた。彼《かれ》の熱火《ねつくわ》に燒《や》かれて獨《ひとり》で冷《さ》めた鉈《なた》も鎌《かま》も凡《すべ》ての刄物《はもの》はもう役《やく》には立《た》たなかつた。彼《かれ》の手《て》に完全《くわんぜん》に保《たも》たれたものは彼《かれ》が自分《じぶん》の手《て》を恃《たの》んで居《ゐ》る唐鍬《たうぐは》のみである。彼《かれ》は此《こ》の壁《かべ》もない小屋《こや》を造《つく》る爲《ため》に二|日《か》ばかりの間《あひだ》は毫《すこし》も他《た》を顧《かへり》みる暇《いとま》がなかつた程《ほど》心《こゝろ》が忙《いそが》しかつた。彼《かれ》の悲慘《みじめ》な狹《せま》い小屋《こや》には藥鑵《やくわん》と茶碗《ちやわん》とそれから火事《くわじ》の夕方《ゆふがた》に隣《となり》の主人《しゆじん》がよこした新《あたら》しい手桶《てをけ》とのみで、夜《よる》の身《み》を横《よこた》へるのに一|枚《まい》の蒲團《ふとん》もなかつた。砥石《といし》を掛《か》けて磨《みが》かねば使用《しよう》に堪《た》へぬ鍋《なべ》や釜《かま》は彼《かれ》の更《さら》に狹《せま》い土間《どま》に徒《いたづ》らに場所《ばしよ》を塞《ふさ》げて居《ゐ》た。其《そ》の土間《どま》にはまだ簡單《かんたん》な圍爐裏《ゐろり》さへなくて、彼《かれ》は火《ひ》を焚《た》くのに三|本脚《ぼんあし》の竹《たけ》を立《た》てゝそれへ藥鑵《やくわん》を掛《か》けた。  おつぎは只《たゞ》勘次《かんじ》の仕事《しごと》を幇《たす》けて居《ゐ》た。然《しか》し其《そ》の間《あひだ》にも念佛寮《ねんぶつれう》へ運《はこ》ばれた卯平《うへい》を忘《わす》れては居《ゐ》なかつた。おつぎは火事《くわじ》の次《つぎ》の日《ひ》に勘次《かんじ》へは默《だま》つて念佛寮《ねんぶつれう》を覗《のぞ》いて見《み》た。おつぎは卯平《うへい》へ目《め》に見《み》えた心盡《こゝろづくし》をするのに何《なん》の方法《はうはふ》も見出《みいだ》し得《え》なかつた。おつぎの懷《ふところ》には一|錢《せん》もないのである。おつぎは手桶《てをけ》の底《そこ》の凍《こほ》つた握飯《にぎりめし》を燒趾《やけあと》の炭《すみ》に火《ひ》を起《おこ》して狐色《きつねいろ》に燒《や》いてそれを二つ三つ前垂《まへだれ》にくるんで行《い》つて見《み》た。おつぎはこつそりと覗《のぞ》くやうにして見《み》た。卯平《うへい》は誰《たれ》がさうしてくれたか唯《たゞ》一人《ひとり》で蒲團《ふとん》にゆつくりとくるまつて居《ゐ》た。枕元《まくらもと》には小《ちひ》さな鍋《なべ》と膳《ぜん》とが置《お》かれて、膳《ぜん》には茶碗《ちやわん》が伏《ふ》せてある。汁椀《しるわん》は此《こ》れも小皿《こざら》を掩《おほ》うて伏《ふ》せてある。卯平《うへい》は窶《やつ》れた蒼《あを》い顏《かほ》をこちらへ向《む》けて居《ゐ》た。彼《かれ》は眠《ねむ》つて居《ゐ》た。おつぎはすや/\と聞《きこ》える呼吸《いき》に凝然《ぢつ》と耳《みゝ》を澄《すま》した。おつぎはそれから枕元《まくらもと》の鍋蓋《なべぶた》をとつて見《み》た。鍋《なべ》の底《そこ》には白《しろ》いどろりとした米《こめ》の粥《かゆ》があつた。汁椀《しるわん》をとつて見《み》たら小皿《こざら》には醤《ひしほ》が少《すこ》し乘《の》せてあつた。卯平《うへい》は冷《さ》めた白粥《しろがゆ》へまだ一口《ひとくち》も箸《はし》をつけた容子《ようす》がない。おつぎは燒《や》いた握飯《にぎりめし》を一つ枕元《まくらもと》にそつと置《お》いて遁《に》げるやうに歸《かへ》つて來《き》た。老人《としより》の敏《さと》い目《め》が到頭《たうとう》開《ひら》かなかつた。卯平《うへい》は疲《つか》れた心《こゝろ》が靜《しづ》まつて漸《やうや》く熟睡《じゆくすゐ》した處《ところ》なのであつた。  掘立小屋《ほつたてごや》が出來《でき》てから勘次《かんじ》はそれでも近所《きんじよ》で鍋《なべ》や釜《かま》や其《そ》の他《た》の日用品《にちようひん》を少《すこ》しは貰《もら》つたり借《か》りたりして使《つか》つた。おつぎは其《そ》の間《あひだ》一|心《しん》に燒《や》けた鍋釜《なべかま》を砥石《といし》でこすつた。竹《たけ》の床《とこ》へ數《し》く筵《むしろ》が三四|枚《まい》、此《これ》も近所《きんじよ》で古《ふる》いのを一|枚《まい》位《ぐらゐ》づつ呉《く》れた。さうしてから漸《やうや》く蒲團《ふとん》が運《はこ》ばれた。それは彼《かれ》がぎつしりと腰《こし》に括《くゝ》つた財布《さいふ》の力《ちから》であつた。米《こめ》や麥《むぎ》や味噌《みそ》がそれでどうにか工夫《くふう》が出來《でき》た。彼《かれ》は斯《か》うして命《いのち》を繼《つな》ぐ方法《はうはふ》が漸《やつ》と立《た》つた。二三|日《にち》過《す》ぎて與吉《よきち》の火傷《やけど》は水疱《すゐはう》が破《やぶ》れて死《し》んだ皮膚《ひふ》の下《した》が少《すこ》し糜爛《びらん》し掛《か》けた。勘次《かんじ》は心《こゝろ》から漸《やうや》く其《そ》の瘡痍《きず》を勦《いたは》つた。彼《かれ》は平生《いつも》になくそれを放任《うつちや》つて置《お》けば生涯《しやうがい》の畸形《かたわ》に成《な》りはしないかといふ憂《うれひ》をすら懷《いだ》いた。さうして彼《かれ》は鬼怒川《きぬがは》を越《こ》えて醫者《いしや》の許《もと》に與吉《よきち》を連《つ》れて走《はし》つた。醫者《いしや》は微笑《びせう》を含《ふく》んだ儘《まゝ》白《しろ》いどろりとした藥《くすり》を陶製《たうせい》の板《いた》の上《うへ》で練《ね》つて、それをこつてりとガーゼに塗《ぬ》つて、火傷《やけど》を掩《おほ》うてべたりと貼《はつ》てぐる/\と白《しろ》い繃帶《ほうたい》を施《ほどこ》した。手先《てさき》の火傷《やけど》は横頬《よこほゝ》のやうな疼痛《いたみ》も瘡痍《きず》もなかつたが醫者《いしや》は其處《そこ》にもざつと繃帶《ほうたい》をした。與吉《よきち》は目《め》ばかり出《だ》して大袈裟《おほげさ》な姿《すがた》に成《な》つて歸《かへ》つて來《き》た。  與吉《よきち》は繃帶《ほうたい》をしてから疼痛《いたみ》もとれた。繃帶《ほうたい》は又《また》直接《ちよくせつ》他《た》の物《もの》との摩擦《まさつ》を防《ふせ》いで、彼《かれ》に快《こゝろ》よく村落《むら》の内《うち》を彷徨《さまよ》はせた。繃帶《ほうたい》が乾《かわ》いて居《を》れば五六|日《にち》は棄《す》てゝ置《お》いても好《い》いが、液汁《みづ》が浸《し》み出《だ》すやうならば明日《あす》にも直《すぐ》に來《く》るやうにと醫者《いしや》はいつたのであるが、液汁《みづ》は幸《さいは》ひにぱつちりと點《てん》を打《う》つたのみで別段《べつだん》擴《ひろ》がりもしなかつた。  おつぎは燒趾《やけあと》の始末《しまつ》の忙《せは》しい間《あひだ》にも時々《とき/″\》卯平《うへい》を見《み》た。然《しか》し卯平《うへい》を慰《なぐさ》めるに一|錢《せん》の蓄《たくは》へもないおつぎは猶且《やつぱり》何《なん》の方法《はうはふ》も手段《しゆだん》も見出《みいだ》し得《え》なかつたのである。  おつぎは勘次《かんじ》が漸《やうや》くにして求《もと》めた僅《わづか》な米《こめ》を竊《そつ》と前垂《まへだれ》に隱《かく》して持《も》つて行《い》つた。米《こめ》には挽割麥《ひきわり》が交《まじ》つて居《ゐ》る。おつぎは決《けつ》して卯平《うへい》を滿足《まんぞく》させ得《う》ることとは思《おも》はなかつたが、彼《かれ》が喫《た》べて見《み》ようといへば粥《かゆ》にでも炊《た》いてやらうと思《おも》つたのである。然《しか》しおつぎが恥《は》ぢつゝそれでも餘儀《よぎ》なく隱《かく》して持《も》つて行《い》つた米《こめ》の必要《ひつえう》はなかつた。念佛《ねんぶつ》の伴侶《なかま》が交互《かはりがはり》に少《すこ》しづゝの食料《しよくれう》を持《も》つて來《き》てくれるのを卯平《うへい》は屹度《きつと》餘《あま》して居《ゐ》た。 「爺《ぢい》、そんでもちつた鹽梅《あんべえ》よくなつたやうだが、痛《いた》かねえけえ」おつぎは毎度《いつも》のやうに反覆《くりかへ》して聞《き》いた。言辭《ことば》は軟《やはら》かでさうして潤《うる》んで居《ゐ》た。卯平《うへい》の火傷《やけど》へも油《あぶら》が塗《ぬ》られてあつた。水疱《すゐはう》はいつか破《やぶ》れて糜爛《びらん》した患部《くわんぶ》を、油《あぶら》は見《み》るから厭《いと》はしく且《か》つ穢《きたな》くして居《ゐ》た。死《し》んだ細胞《さいぼう》の下《した》から鮮《あざや》かに赤《あか》く見《み》え始《はじ》めた肉芽《にくげ》は外部《ぐわいぶ》の刺戟《しげき》に對《たい》して少《すこ》しの抵抗力《ていかうりよく》も持《も》つて居《ゐ》ない細胞《さいぼう》の集《あつま》りである。朝夕《あさゆふ》の冷《つめ》たさすら其《そ》の過敏《くわびん》な神經《しんけい》を刺戟《しげき》した。卯平《うへい》は何時《いつ》でも右《みぎ》の横頬《よこほゝ》を上《うへ》にして居《ゐ》る外《ほか》はなかつた。 「さうだにかゝんなくつても癒《なほ》んべなあ」おつぎは、油《あぶら》が穢《きたな》くした火傷《やけど》を凝然《ぢつ》と見《み》て居《ゐ》ると自然《しぜん》に目《め》が蹙《しが》められて、寧《むし》ろ自分《じぶん》の瘡痍《きず》の經過《けいくわ》でも聞《き》くやうに卯平《うへい》の枕《まくら》へ口《くち》をつけていつた。 「うむ」と卯平《うへい》の低《ひく》く響《ひゞ》く聲《こゑ》が決《けつ》して其《そ》の言辭《ことば》のやうな簡單《かんたん》な意味《いみ》のものではなかつた。 「そんでもどうにか家《うち》も拵《こせ》えたから、爺《ぢい》ことも連《つ》れてくべよなあ」おつぎの聲《こゑ》は漸次《ぜんじ》に潤《うる》んで低《ひく》くなつた。卯平《うへい》はそれでもおつぎの聲《こゑ》を聞《き》くと目《め》を瞑《つぶ》つた儘《まゝ》、殆《ほとん》ど明瞭《はつきり》とは見《み》られぬやうな微《かす》かな笑《わら》ひが泛《うか》ぶのであつた。 「どうえの建《た》てゝえ」卯平《うへい》は有繋《さすが》に聞《き》きたかつた。 「どうえのつて爺《ぢい》は、燒《や》けた柱《はしら》掘立《ほつた》てたのよ、そんだから壁《かべ》も塗《ぬ》んねえのよ」 「そんぢや、藁《わら》か萱《かや》でおツ塞《ぷて》えたんでもあんびや」 「うむ、さうだあ、そんだから觸《さあ》つとがさ/\すんだよ」斯《か》ういつておつぎの聲《こゑ》は少《すこ》し明瞭《はつきり》として來《き》た。おつぎは羞《はぢ》を含《ふく》んだ容子《ようす》を作《つく》つた。卯平《うへい》は悲慘《みじめ》な燒小屋《やけごや》を思《おも》ふと、自分《じぶん》が與吉《よきち》と共《とも》に失錯《しくじ》つたことが自分《じぶん》を苦《くるし》めて酷《ひど》く辛《つら》かつた。彼《かれ》は俄《にはか》に目《め》を蹙《しか》めた。 「痛《いて》えのか」おつぎは目敏《めざと》くそれを見《み》て心《こゝろ》もとなげにいつた。おつぎは窶《やつ》れて沈《しづ》んだ卯平《うへい》の側《そば》に居《ゐ》ると、遂《つひ》自分《じぶん》も沈《しづ》んで畢《しま》つて只《たゞ》凝然《ぢつ》と悚《すく》んだやうに成《な》つて居《ゐ》るより外《ほか》はなかつた。それでもおつぎは長《なが》い時間《じかん》をさうして空《むな》しく費《つひや》すことは許容《ゆる》されなかつた。 「又《また》來《く》つかんな」とおつぎは沈《しづ》んだ聲《こゑ》でいつて出《で》て行《ゆ》くのを、後《あと》で卯平《うへい》の眥《めじり》からは涙《なみだ》が少《すこ》し洩《も》れて、其《そ》の小《ちひ》さな玉《たま》が暫《しばら》く窶《やつ》れた皺《しわ》に引掛《ひつかゝ》つてさうしてほろりと枕《まくら》に落《お》ちるのであつた。  勘次《かんじ》は一|度《ど》も念佛寮《ねんぶつれう》を顧《かへり》みなかつた。五六|日《にち》過《す》ぎて與吉《よきち》は復《ま》た醫者《いしや》へ連《つ》れられた。醫者《いしや》は穢《きたな》く成《な》つた繃帶《ほうたい》を解《と》いてどろりとした白《しろ》い藥《くすり》を復《ま》た陶製《たうせい》の板《いた》で練《ね》つて貼《は》つた。先頃《さきごろ》のよりも濃《こ》くして貼《は》つたからもう此《こ》れで遠《とほ》い道程《みちのり》を態々《わざ/\》來《こ》なくても此《こ》れを時々《とき/″\》貼《は》つてやれば自然《しぜん》に乾《かわ》いて畢《しま》ふだらうと、其《そ》の白《しろ》い藥《くすり》とそれからガーゼとを袋《ふくろ》へ入《い》れてくれた。與吉《よきち》は俄《にはか》に勢《いきほ》ひづいた。彼《かれ》は時々《とき/″\》卯平《うへい》の側《そば》へも行《い》つた。卯平《うへい》は横臥《わうぐわ》した目《め》に與吉《よきち》の繃帶《ほうたい》を見《み》て其《そ》の心《こゝろ》を痛《いた》めた。  或《ある》日《ひ》與吉《よきち》が行《い》つた時《とき》、先頃《さきごろ》念佛《ねんぶつ》の時《とき》に卯平《うへい》へ酒《さけ》を侑《すゝ》めた小柄《こがら》な爺《ぢい》さんが枕元《まくらもと》に居《ゐ》た。 「おめえ、さうだに力《ちから》落《おと》すなよ、此《こ》らつ位《くれえ》な火傷《やけど》なんぞどうするもんぢやねえ、俺《お》れ癒《なほ》してやつから、どうした彼《あ》ん時《とき》からぢや痛《いた》かあんめえ、彼《あ》の禁厭《まじねえ》で火《ひ》しめしせえすりや奇態《きてえ》だから」さういつて爺《ぢい》さんは佛壇《ぶつだん》の隅《すみ》に置《お》いた燈明皿《とうみやうざら》を出《だ》して其《そ》の油《あぶら》を火傷《やけど》へ塗《ぬ》つた。卯平《うへい》は其《そ》の爲《す》る儘《まゝ》に任《まか》せて動《うご》かなかつた。 「力《ちから》落《おと》しちや駄目《だめ》だから、俺《お》らなんざこんな處《ところ》ぢやねえ、こつちな腕《うで》、馬《うま》に咬《かま》つた時《とき》にや、自分《じぶん》で見《み》ちやえかねえつて云《ゆ》はつたつけが、そんでも俺《お》れ自分《じぶん》で手拭《てねげ》の端《はし》斯《か》う齒《は》で咥《くえ》えてぎいゝつと縛《しば》つて、さうして俺《お》ら馬《うま》曳《ひ》いて來《き》たな、汗《あせ》は豆粒《まめつぶ》位《ぐれえ》なのぼろ/\垂《た》れつけがそんでも到頭《たうとう》我慢《がまん》しつちやつた、何《なん》でも力《ちから》落《おと》しせえしなけりや癒《なほ》んな直《すぐ》だから、年《とし》寄《よ》つちや癒《なほ》りが面倒《めんだう》だの何《なん》だのつてそんなこたあねえから」爺《ぢい》さんは只管《ひたすら》卯平《うへい》の元氣《げんき》を引立《ひきた》てようとした。 「俺《お》らそんだが、さうえ怪我《けが》しても馬《うま》は憎《にく》かねえのよ、馬《うま》に煎《え》れんのが癖《くせ》でひゝんと騷《さわ》いだ處《ところ》俺《お》れ手《てえ》横《よこ》さ出《だ》して抑《おさ》えたもんだから畜生《ちきしやう》見界《みさけえ》もなく噛《かぢ》ツたんだからなあ」と彼《かれ》は酒《さけ》を飮《の》んでは居《ゐ》なかつたので聲《こゑ》は低《ひく》かつたが、それでも漸々《だん/\》に勢《いきほ》ひを加《くは》へて居《ゐ》た。 「俺《お》ら白《しれ》え藥《くすり》貼《は》つたんだぞ」與吉《よきち》は先刻《さつき》から油《あぶら》を塗《ぬ》つた卯平《うへい》の瘡痍《きず》に目《め》を注《そゝ》いで居《ゐ》てかう突然《とつぜん》にいつた。 「なあに、さうだ物《もん》なんざ貼《は》んねえツたつて汝《わ》ツ等《ら》がよりやこつちの方《はう》が早《はや》く癒《なほ》つから」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは暫《しばら》く手《て》もとへ置《お》いた油《あぶら》の皿《さら》を再《ふたゝ》び佛壇《ぶつだん》の隅《すみ》へ藏《しま》つた。 「そんでも俺《お》れこたはあ、來《き》なくつても癒《なほ》つからえゝつて藥《くすり》よこしたんだぞ」與吉《よきち》は少《すこ》し間《あひだ》を隔《へだ》てゝ怖《お》づ/\いつた。 「癒《なほ》るもんかえ、汝等《わツら》が」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは揶揄《からか》ふやうにして呶鳴《どな》つた。 「癒《なほ》らあえ、そんだつて痛《いた》かねえ俺《お》ツ等《ら》」與吉《よきち》は驚《おどろ》いたやうにいつた。 「其《そ》の白《しれ》え藥《くすり》だツちのよこしたのか」卯平《うへい》は微《かす》かな聲《こゑ》で聞《き》いた。 「さうなんだわ」 「汝《わ》りや、それ※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、394-15]《ねえ》にでも貼《は》つてもらあのか」 「俺《お》ら貼《は》んねえ」 「そんぢや藥《くすり》はどうしたんでえ、汝《わ》りやあ」 「おとつゝあ持《も》つてんだから俺《お》ら知《し》んねえ」與吉《よきち》は上《あが》り框《がまち》に胸《むね》を持《も》たせて下駄《げた》の爪先《つまさき》で土間《どま》の土《つち》を叩《たゝ》きながら卯平《うへい》と斯《か》うして數語《すうご》を交換《かうくわん》した時《とき》 「えゝからそんな藥《くすり》なんぞのこと構《かめ》えたてんなえ、此《こ》れで癒《なほ》つから」と小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは傍《そば》から打《う》ち消《け》した。 「乞食野郎奴《こちきやらうめ》、汝《わ》ツ等《ら》が親爺《おやぢ》は見《み》やがれ、汝《われ》こた醫者《いしや》さ連《つ》れてく錢《ぜに》持《も》つてけつかつて、此處《ここ》さは一|度《ど》でも來《き》やがんねえ畜生《ちきしやう》だから、見《み》ろう。其《そ》のツ位《くれえ》だから罰《ばち》當《あた》つて丸燒《まるやけ》に成《な》つちやあんだ」と爺《ぢい》さんは更《さら》に獨《ひとり》憤《いきどほ》つた語勢《ごせい》を以《もつ》ていつた。 「おとつゝあは爺《ぢい》に燒《や》かつたツちツてんだあ」與吉《よきち》は勢《いきほ》ひに壓《あつ》せられて羞《はにか》むやうにしながら漸《やつ》といつた。 「汝等《わツら》親爺奴《おやぢめ》云《ゆ》つたのか」爺《ぢい》さんは更《さら》に 「汝《わ》りや何《なん》ちつたそんで」と呶鳴《どな》つた。與吉《よきち》は悄《しを》れて暫《しばら》く沈默《ちんもく》した。 「俺《お》ら火《ひい》あたつてたら木《き》の葉《は》さくつゝえたんだつて云《ゆ》つたんだあ」 「さう云《ゆ》はつても仕方《しかた》ねえよ」與吉《よきち》のいひ畢《をは》らぬ内《うち》に卯平《うへい》は言辭《ことば》を挾《はさ》んだ。 「箆棒《べらぼう》、つん燃《も》したくつて、つん燃《も》すもの有《あ》るもんか」爺《ぢい》さんは少《すこ》し激《げき》して 「過失《えゝまち》だもの後《あと》で何《なん》ちつたつて仕《し》やうあるもんぢやねえ」と獨《ひとり》で力《りき》んだ。 「そんでも氣《き》の毒《どく》で來《き》らんめえつて云《ゆ》つたあ」與吉《よきち》はぽさりといつた。稍《やゝ》大《おほ》きく成《な》つた彼《かれ》は呶鳴《どな》る爺《ぢい》さんの前《まへ》に恐怖《おそれ》を懷《いだ》いたが又《また》壓《おさ》へられることに微《かす》かな反抗力《はんかうりよく》を持《も》つて居《ゐ》た。 「爺《ぢい》こと來《き》らんめえつて云《ゆ》つたのか、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、396-5]《ねえ》も云《ゆ》つたのかあ」 「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、396-6]《ねえ》は云《ゆ》はねえ、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、396-6]《ねえ》爺《ぢい》が處《とこ》さ行《え》ぐつちとおとつゝあ怒《おこ》んだ、さうしたら※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」、396-6]《ねえ》に怒《おこ》らつたんだあ」與吉《よきち》は自分《じぶん》の心《こゝろ》に少《すこ》しの隔《へだ》てをも有《いう》して居《を》らぬ卯平《うへい》の前《まへ》に知《し》つてることを矜《ほこ》るやうにいつた。 「汝《われ》こた怒《おこ》んねえのか」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは與吉《よきち》の隱《かく》さぬ言辭《ことば》に少《すこ》し力《りき》んだ勢《いきほ》ひが拔《ぬ》けたやうになつて斯《か》ういつた。 「俺《お》れこた怒《おこ》んねえ、俺《お》ら怒《おこ》つたつ位《くれえ》遁《に》げつちやあから」與吉《よきち》のいふのを聞《き》いて爺《ぢい》さんの憤《いか》りは和《やはら》げられた。卯平《うへい》は蒼《あを》い顏《かほ》をして凝然《ぢつ》と瞑《つぶ》つた目《め》を蹙《しが》めて聞《き》いて居《ゐ》た。圍爐裏《ゐろり》には麁朶《そだ》の一|枝《えだ》も燻《く》べてなかつた。三|人《にん》は暫《しばら》くぽさりとした。 「爺《ぢい》くんねえか」與吉《よきち》は危《あやぶ》むやうにいつた。 「汝《わ》りや何《なに》欲《ほ》しいつちんだ」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは底力《そこぢから》の有《あ》る聲《こゑ》を低《ひく》くしていつた。 「俺《お》ら一錢《ひやく》もねえから」と卯平《うへい》はこそつぱい或《ある》物《もの》が喉《のど》へ支《つか》へたやうにごつくりと唾《つば》を嚥《の》んだ。彼《かれ》の目《め》の皺《しわ》が餘計《よけい》にぎつと緊《しま》つた。 「俺《お》らまあだ、ちつた有《あ》つたんだつけが、煙草入《たぶこれ》と同志《どうし》に燒《や》えつちやつたから」彼《かれ》はぽさりと投《な》げ出《だ》していつた。 「煙草入《たぶこれ》は燒《や》けたつて錢《ぜね》だら灰《へえ》掻掃《かつぱ》けば有《あ》る筈《はず》だ、外《ほか》に盜《と》る奴《や》ざ有《あ》りやすめえし」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんの目《め》は光《ひか》つた。 「なあに分《わか》んねえよ、おつう等《ら》毎日《まいんち》來《き》てゝも其《そ》の噺《はなし》やねえんだから、俺《お》らどうせ癒《なほ》つか何《なん》だか分《わか》りやすめえし、要《え》らねえな」 「なあに、俺《お》れ聞《き》いて見《み》なくつちやなんねえ、出《だ》すも出《だ》さねえも有《あ》るもんか」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは呟《つぶや》いて 「行《え》けはあ、汝《わ》りや大《え》けえ姿《なり》して、呉《く》ろうの何《なん》だのつて」と與吉《よきち》を呶鳴《どな》りつけた。與吉《よきち》は悄々《すご/\》と出《で》て行《い》つた。卯平《うへい》は少《すこ》し目《め》を開《ひら》いて與吉《よきち》の後姿《うしろすがた》を見《み》た。涙《なみだ》が止《と》めどもなく出《で》た。彼《かれ》はそれを拭《ぬぐ》はうともしなかつた。          二七  其《そ》の夜《よ》温度《をんど》が著《いちじ》るしく下降《かかう》した。季節《きせつ》は彼岸《ひがん》も過《す》ぎて四|月《ぐわつ》に入《はひ》つて居《ゐ》るのであるが、寒《さむ》さは地《ち》に凝《こ》りついたやうに離《はな》れなかつた。夜半《やはん》に卯平《うへい》はのつそりと起《お》きて圍爐裏《ゐろり》に麁朶《そだ》を燻《く》べた。ちろちろと鐵瓶《てつびん》の尻《しり》から燃《も》えのぼる火《ひ》は周圍《しうゐ》の闇《やみ》に包《つゝ》まれながら窶《やつ》れた卯平《うへい》の顏《かほ》にほの明《あか》るい光《ひかり》を添《そ》へた。彼《かれ》は勢《いきほ》ひない焔《ほのほ》の前《まへ》に目《め》を瞑《つぶ》つた儘《まゝ》只《たゞ》沈鬱《ちんうつ》の状態《じやうたい》を保《たも》つた。彼《かれ》は殆《ほと》んど動《うご》かぬやうにして棄《す》てゝ置《お》けばすつと深《ふか》く沈《しづ》んで畢《しま》つたやうに冷《さ》めて行《ゆ》く火《ひ》へぽちり/\と麁朶《そだ》を足《た》して居《ゐ》た。彼《かれ》は暫《しばら》く自失《じしつ》したやうにして居《ゐ》て麁朶《そだ》の火《ひ》が周圍《しうゐ》の闇《やみ》に壓《お》しつけられようとして僅《わづか》に其《そ》の勢《いきほ》ひを保《たも》つた時《とき》彼《かれ》はすつと立《た》ち上《あが》つた。彼《かれ》の糜爛《びらん》した横頬《よこほゝ》はもう火《ひ》の氓《ほろ》びようとして居《ゐ》る薄明《うすあか》りにぼんやりとした。火《ひ》はげつそりと落《お》ちて彼《かれ》の姿《すがた》が消《き》え入《い》らうとした。彼《かれ》は戸《と》を開《あ》けて踉蹌《よろ》けながら出《で》た。寒《さむ》い風《かぜ》が冷《つめ》たい刄《やいば》を浴《あ》びせた。卯平《うへい》は悚然《ぞつ》とした。  勘次等《かんじら》三|人《にん》は其《そ》の夜《よ》も凝集《こご》つて薄《うす》い蒲團《ふとん》にくるまつた。勘次《かんじ》は足《あし》に非常《ひじやう》な冷《つめ》たさを感《かん》じて、うと/\として居《ゐ》た眠《ねむり》から醒《さ》めた。手足《てあし》を伸《のば》せば括《くゝ》りつけた萱《かや》や篠《しの》の葉《は》に觸《ふ》れてかさ/\と鳴《な》る程《ほど》狹《せま》い室内《しつない》を、寒《さむ》さは束《たば》ねた松葉《まつば》の先《さき》でつゝくやうに徹宵《よつぴて》其《その》隙間《すきま》を狙《ねら》つて止《や》まなかつた。勘次《かんじ》は目《め》が冴《さ》えて畢《しま》つた。彼《かれ》は北《きた》に枕《まくら》して居《ゐ》た。後《うしろ》の林《はやし》が性急《せいきふ》に騷《さわ》いでは又《また》靜《しづ》まつてさうしてざわ/\と鳴《な》つた。北風《きたかぜ》が立《た》つたのだ。低《ひく》い粟幹《あはがら》の屋根《やね》から其《その》括《くゝ》りつけた萱《かや》や篠《しの》の葉《は》には冴《さ》えた耳《みゝ》に漸《やつ》と聞《きゝ》とれるやうなさら/\と微《かす》かに何《なに》かを打《う》ちつけるやうな響《ひゞき》が止《や》まない。漸次《だん/\》に其《そ》の響《ひゞき》を消滅《せうめつ》して、隙間《すきま》を求《もと》めて侵入《しんにふ》する寒《さむ》さの度《ど》が加《くは》はつた。何處《どこ》かで凍《こほつ》てた土《つち》へ響《ひゞ》くやうな※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》の聲《こゑ》が疳走《かんばし》つて聞《きこ》えると夜《よる》は檐《のき》の隙間《すきま》から明《あか》るくなつた。勘次《かんじ》はおつぎを起《おこ》した。彼《かれ》は夜《よ》が明《あ》ければ蒲團《ふとん》に堅《かた》くなつて居《ゐ》るよりも火《ひ》にあたつた方《はう》が遙《はるか》によかつた。彼《かれ》は明《あ》けるのを待遠《まちどほ》にして居《ゐ》た。おつぎは外《そと》へ出《で》ようとした。外《そと》は意外《いぐわい》に積《つも》り掛《か》けた雪《ゆき》が白《しろ》かつた。更《さら》に積《つも》りつゝある大粒《おほつぶ》な雪《ゆき》が北《きた》から斜《なゝめ》に空間《くうかん》を掻亂《かきみだ》して飛《と》んで居《ゐ》る。おつぎは少時《しばし》立《た》ち悚《すく》んだ。大粒《おほつぶ》な雪《ゆき》を投《な》げつゝ吹《ふ》き落《お》ちる北風《きたかぜ》がごつと寒《さむ》さを煽《あふ》つた。勘次《かんじ》は狹《せま》い土間《どま》に掻《か》き集《あつ》めてあつた落葉《おちば》や麁朶《そだ》に火《ひ》を點《つ》けた。烟《けぶり》は低《ひく》い檐《のき》を偃《は》つて、ぐる/\と空間《くうかん》が廻轉《くわいてん》するやうに見《み》えつゝ飛《と》び散《ち》る忙《せは》しい雪《ゆき》の爲《ため》に遁《に》げ行《ゆ》く道《みち》を妨《さまた》げられたやうに低《ひく》く彷徨《さまよ》うて行《ゆ》く。おつぎは外側《そとがは》に置《お》いた手桶《てをけ》を執《と》つた。北風《きたかぜ》の吹《ふ》きつける雪《ゆき》は一《ひと》つの手桶《てをけ》を半分《はんぶん》白《しろ》くして居《ゐ》た。おつぎは低《ひく》い檐《のき》の下《した》を一|歩《ぽ》踏《ふ》み出《だ》したら、北風《きたかぜ》は待《ま》つて居《ゐ》たといふやうに、其《そ》の亂《みだ》れた髮《かみ》の毛《け》を吹《ふ》き捲《まく》つて、大粒《おほつぶ》な雪《ゆき》が爭《あらそ》つて首筋《くびすぢ》へ群《むらが》り落《おち》て瞬間《しゆんかん》に消《き》えた。さうして又《また》衣物《きもの》の上《うへ》に輕《かる》く軟《やはら》かに止《とま》つた。おつぎは釣瓶《つるべ》の竹竿《たけざを》が北《きた》から打《うち》つける雪《ゆき》の爲《ため》に竪《たて》に一條《ひとすぢ》の白《しろ》い線《せん》を描《ゑが》きつゝあるのを見《み》た。ちら/\と目《め》を昏《くらま》すやうな雪《ゆき》の中《なか》に樹木《じゆもく》は悉皆《みんな》純白《じゆんぱく》な柱《はしら》を立《たて》て、釣瓶《つるべ》の縁《ふち》は白《しろ》い丸《まる》い輪《わ》を描《ゑが》いて居《ゐ》る。おつぎは竹竿《たけざを》へ手《て》を掛《か》けると輕《かる》い軟《やはら》かな雪《ゆき》はさらりと轉《こ》けて落《お》ちた。おつぎは一|杯《ぱい》を汲《く》んでひよつと顧《ふりかへ》つた時《とき》後《うしろ》の竹《たけ》の林《はやし》が強《つよ》い北風《きたかぜ》に首筋《くびすぢ》を壓《お》しつけては雪《ゆき》を攫《つか》んでぱあつと投《な》げつけられながら力《ちから》の限《かぎり》は爭《あらそ》はうとして苦悶《もが》いて居《ゐ》るのを見《み》た。おつぎは見《み》るなと吹《ふ》きつける北風《きたかぜ》を當面《まとも》に受《う》けて呼吸《いき》がむつとつまるやうに感《かん》じてふと横手《よこて》を向《む》いた。少《すこ》し離《はな》れた※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》の下《した》におつぎは吸《す》ひつけられたやうに疑《うたが》ひの目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つた。おつぎは釣瓶《つるべ》を放《はな》して少《すこ》し※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》の下《した》に近《ちか》づいた。 「おとつゝあ」とおつぎは底《そこ》の粘《ねば》る草履《ざうり》を捨《す》てゝ激《はげ》しく呼《よ》んで驅《か》け込《こ》んだ。 「大變《たえへん》だよ、おとつゝあ」と今度《こんど》は少《すこ》し聲《こゑ》を殺《ころ》すやうにして勘次《かんじ》を促《うなが》した。勘次《かんじ》は怪訝《けげん》な鋭《するど》い目《め》を以《もつ》ておつぎを見《み》た。 「よう、おとつゝあ」おつぎの節制《たしなみ》を失《うしな》つた慌《あわたゞ》しさが勘次《かんじ》を庭《には》に走《はし》らせた。勘次《かんじ》は戰慄《せんりつ》した。※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》の下《した》には冷《つめ》たい卯平《うへい》が横《よこ》たはつて居《ゐ》たのである。其《その》大《おほ》きな體躯《からだ》は少《すこ》し※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》に倚《よ》り掛《かゝ》りながら、胸《むね》から脚部《きやくぶ》へ斑《まだら》に雪《ゆき》を浴《あ》びて居《ゐ》た。荒繩《あらなは》が彼《かれ》の手《て》を轉《こ》けて横《よこ》に體躯《からだ》を超《こ》えて居《ゐ》た。 「爺《ぢい》」とおつぎは其《そ》の耳《みゝ》に口《くち》を當《あ》てゝ呶鳴《どな》つた。冷《つめ》たい卯平《うへい》はぐつたりと俛首《うなだ》れた儘《まゝ》である。少《すこ》し傾《かし》げた彼《かれ》の横頬《よこほゝ》に糜爛《びらん》した火傷《やけど》が勘次《かんじ》を悚然《ぞつ》とさせた。勘次《かんじ》は夜《よる》荷車《にぐるま》で運《はこ》んだ後《のち》卯平《うへい》を見《み》るのは始《はじ》めてゞあつた 「おとつゝあは、どうしたつちんだんべな」おつぎは勘次《かんじ》を叱《しか》つて、卯平《うへい》の身體《からだ》を起《おこ》しながら白《しろ》く掛《かゝ》つた雪《ゆき》を手《て》で拂《はら》つた。勘次《かんじ》は怖《お》づ/\手《て》を藉《か》した。卯平《うへい》の力《ちから》ない身體《からだ》は漸《やうや》く二人《ふたり》の手《て》で運《はこ》ばれた。勘次《かんじ》は簀《す》の子《こ》の上《うへ》の筵《むしろ》に横《よこた》へて、喪心《さうしん》したやうに惘然《ばうぜん》として立《た》つた。彼《かれ》は復《ま》た卯平《うへい》の糜爛《びらん》した火傷《やけど》を見《み》た。彼《かれ》は何《なに》を思《おも》つたか忙《いそが》しく雪《ゆき》を蹴立《けた》てゝ、桑畑《くはばたけ》の間《あひだ》を過《す》ぎて南《みなみ》の家《いへ》に走《はし》つた。一|旦《たん》開《あ》けて又《また》そつと閉《とざ》した表《おもて》の戸口《とぐち》から突然《とつぜん》に 「起《お》きめえか」と彼《かれ》は激《はげ》しく呶鳴《どな》つた。彼《かれ》は褞袍《どてら》を着《き》て竈《かまど》の前《まへ》に火《ひ》を焚《た》いて居《ゐ》る女房《にようばう》を見《み》た。 「何《なん》でえ」と亭主《ていしゆ》の驚《おどろ》いていふ聲《こゑ》が近《ちか》く聞《きこ》えた。勘次《かんじ》も驚《おどろ》いて上《あが》り框《がまち》の蒲團《ふとん》から首《くび》を擡《もた》げた亭主《ていしゆ》を見《み》た。 「大變《たえへん》なこと出來《でき》たよ、俺《お》ら家《ぢ》の」と勘次《かんじ》はこそつぱい喉《のど》から漸《やうや》くそれだけを吐《は》き出《だ》した。 「來《き》てくんねえか」と彼《かれ》は簡單《かんたん》にさういつて、思《おも》ひ出《だ》したやうに又《また》雪《ゆき》を蹴《け》つて走《はし》つた。慌《あわ》てた彼《かれ》は閾《しきゐ》も跨《またが》なかつた。南《みなみ》の家《いへ》の亭主《ていしゆ》は勘次《かんじ》の容子《ようす》を見《み》て尋常《じんじやう》でないことを知《し》つた。然《しか》しながら彼《かれ》は極《きは》めて不判明《ふはんめい》な事件《じけん》に赴《おもむ》くには、直《たゞち》に起《おこ》る多少《たせう》の懸念《けねん》が吹《ふ》き捲《まく》る雪《ゆき》に逆《さから》つて、蓑《みの》も笠《かさ》も持《も》たずに走《はし》つて行《ゆ》く程《ほど》慌《あわ》てさせる譯《わけ》には行《ゆ》かなかつた。彼《かれ》は土間《どま》に轉《ころ》がつた下駄《げた》を探《さが》した。非常《ひじやう》な勢《いきほ》ひで積《つも》らうとする雪《ゆき》は、庭《には》から庭《には》を繼《つ》ぐ桑畑《くはばたけ》の間《あひだ》に下駄《げた》の運《はこ》びを鈍《にぶ》くした。彼《かれ》が勘次《かんじ》の小屋《こや》を覗《のぞ》いた時《とき》は低《ひく》く且《かつ》狹《せま》い入口《いりぐち》を自分《じぶん》の身體《からだ》が塞《ふさ》いで内《うち》を薄闇《うすぐら》くした。外《そと》の白《しろ》い雪《ゆき》を見《み》た彼《かれ》の目《め》が暫《しばら》く昏《くら》んだ。彼《かれ》は只《たゞ》勘次《かんじ》が與吉《よきち》を叱《しか》る聲《こゑ》を耳《みゝ》の傍《そば》で聞《き》いた。  勘次《かんじ》が歸《かへ》つた時《とき》卯平《うへい》は横《よこた》へた儘《まゝ》であつた。淺《あさ》く掛《かゝ》つて居《ゐ》た雪《ゆき》が溶《と》けて卯平《うへい》の褞袍《どてら》が少《すこ》し濡《ぬ》れて居《ゐ》た。彼《かれ》は復《ま》た糜爛《びらん》した火傷《やけど》を見《み》ると共《とも》に、卯平《うへい》の懷《ふところ》へ手《て》を入《い》れて居《ゐ》るおつぎを見《み》た。 「おとつゝあ、暖《ぬくて》えんだよ」おつぎはいつて又《また》 「呼吸《いき》つえてんだよ」他《た》を憚《はゞか》るものゝやうに低《ひく》く聲《こゑ》を殺《ころ》していつた。勘次《かんじ》は勢《いきほ》ひづいた。彼《かれ》は突然《とつぜん》與吉《よきち》を起《おこ》した。蒲團《ふとん》を捲《まく》つて與吉《よきち》の腕《うで》を引《ひ》いた。與吉《よきち》は例《いつも》にない苛酷《かこく》な扱《あつか》ひに驚《おどろ》いてまだ眠《ねむ》い目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つた。 「急《かせ》えて、それ、衣物《きもの》」と勘次《かんじ》は只《たゞ》おろ/\して居《ゐ》る與吉《よきち》を叱《しか》りつけた。 「そんぢやまあよかつた。何《なに》しても蒲團《ふとん》へ寢《ね》かせた方《はう》がえゝな、暖《ぬくと》まりせえすりや段々《だん/\》よくなつぺから」南《みなみ》の亭主《ていしゆ》は數分時《すうふんじ》の前《まへ》から二人《ふたり》を衷心《ちうしん》より狼狽《らうばい》せしめた事件《じけん》の簡單《かんたん》な説明《せつめい》を聞《き》いた時《とき》いつた。 「衣物《きもの》濡《ぬ》れたやうだな、脱《ぬが》せたらよかつぺ、それに酷《ひど》く汚《よご》れつちやつたな」亭主《ていしゆ》はいつて捲《まく》つた蒲團《ふとん》へ手《て》を當《あて》て見《み》た。 「此《こ》ら暖《ぬくと》くつてえゝ鹽梅《あんべえ》だ、冷《ひえ》させちやえかねえ」彼《かれ》は掛蒲團《かけぶとん》をとつぷり蓋《ふた》した。 「さうだな衣物《きもの》は焙《あぶ》る間《えゝだ》仕《し》やうねえなそんぢや褞袍《どてら》でも俺《お》ら家《ぢ》から持《も》つて來《く》つとえゝな、此《こ》の蒲團《ふとん》だけぢや暖《ぬくと》まれめえこら」彼《かれ》は少《すこ》し權威《けんゐ》を有《も》つた態度《たいど》でいつた。狹《せま》い小屋《こや》の焚火《たきび》は消《き》えて居《ゐ》た。怪訝《けゞん》な容子《ようす》をして遠《とほ》ざかつて居《ゐ》た與吉《よきち》が落葉《おちば》を足《た》して暫《しばら》く燻《くす》ぶらした。 「汝《われ》また、それ、おつう見《み》てやれ」勘次《かんじ》は與吉《よきち》に注意《ちうい》の言葉《ことば》を殘《のこ》して驅《か》け出《だ》して行《い》つた。 「蒲團《ふとん》も持《も》てらば持《も》つて來《き》た方《はう》がえゝな」南《みなみ》の亭主《ていしゆ》の聲《こゑ》は段々《だん/\》に大粒《おほつぶ》に成《な》つて飛《と》んで居《ゐ》る雪《ゆき》の亂《みだ》れの中《なか》に消《き》え行《ゆ》く勘次《かんじ》の後《あと》から追《お》ひ掛《か》けた。  勘次《かんじ》は二人《ふたり》を加《くは》へて勢《いきほ》ひづけられた手《て》を敏活《びんくわつ》に動《うご》かして、まだ暖《あたゝ》まつて居《ゐ》る蒲團《ふとん》へそつと卯平《うへい》を横《よこた》へた。卯平《うへい》の冷《つめ》たい身體《からだ》には、落葉《おちば》の火《ひ》でおつぎが焙《あぶ》つた褞袍《どてら》と夫《それ》から餘計《よけい》な蒲團《ふとん》とが蔽《おほ》はれた。卯平《うへい》の微《かす》かな呼吸《いき》が段々《だん/\》と恢復《くわいふく》して來《く》る。勘次《かんじ》はどん/\と落葉《おちば》や麁朶《そだ》を焚《た》いた。彼《かれ》は其《そ》の時《とき》雪《ゆき》の林《はやし》に燃料《ねんれう》を探《さが》すことの困難《こんなん》なことを顧慮《こりよ》する遑《いとま》さへ有《も》たなかつたのである。  午後《ごゝ》になつて此《こ》の例年《れいねん》にない雪《ゆき》も歇《や》んだ。空《そら》が左《さ》もがつかりしたやうにぼんやりした。おつぎが騷《さわ》いだ心《こゝろ》も靜《しづ》まつて又《また》水《みづ》を汲《く》みに出《で》た時《とき》、釣瓶《つるべ》の底《そこ》は重《おも》く成《な》つて抑《おさ》へた鍵《かぎ》の手《て》から外《はづ》れようとして居《ゐ》た。後《うしろ》の竹《たけ》の林《はやし》はべつたりと俛首《うなだ》れた。冬《ふゆ》のやうにさら/\と潔《いさぎよ》い落《おち》やうはしないで、濕《うるほ》ひを持《も》つた雪《ゆき》は竹《たけ》の梢《こずゑ》をぎつと攫《つか》んで放《はな》すまいとして居《ゐ》る。竹《たけ》は苦《くる》しい呼吸《いき》をするやうに小《ちひ》さな枝《えだ》が一《ひと》つづゝぴらり/\と動《うご》いて其《そ》の壓迫《あつぱく》から遁《のが》れようと力《つと》めつゝある。北《きた》から見《み》れば白《しろ》い柱《はしら》であつた樹木《じゆもく》の幹《みき》も悉皆《みんな》以前《いぜん》の姿《すがた》に成《な》らうとしてずん/\と雪《ゆき》を轉《ころ》がした。庭《には》から先《さき》の桑畑《くはばた》は唯《たゞ》一|杯《ぱい》に白《しろ》い。地上《ちじやう》數寸《すすん》の深《ふか》さに雪《ゆき》は積《つも》つて居《ゐ》た。桑畑《くはばた》の端《はし》の方《はう》に薹《とう》に立《た》つた菜種《なたね》の少《すこ》し黄色《きいろ》く膨《ふく》れた蕾《つぼみ》は聳然《すつくり》と其《その》雪《ゆき》から伸《の》び上《あが》つて居《ゐ》る。其處《そこ》らには枯《か》れた蓬《よもぎ》もぽつり/\と白《しろ》い褥《しとね》に上體《じやうたい》を擡《もた》げた。頬白《ほゝじろ》か何《なに》かゞ菜種《なたね》の花《はな》や枯蓬《かれよもぎ》の陰《かげ》の淺《あさ》い雪《ゆき》に短《みじか》い臑《すね》を立《た》てゝ見《み》たいのか桑《くは》の枝《えだ》をしなやかに蹴《け》つて活溌《くわつぱつ》に飛《と》びおりた。さうして又《また》枝《えだ》に移《うつ》つた。  後《うしろ》の田圃《たんぼ》では、水《みづ》こけの惡《わる》い田《た》には降《ふ》つてる内《うち》から雪《ゆき》は溶《と》けつゝあつたので、畦畔《くろ》が殊更《ことさら》に白《しろ》い線《せん》を描《ゑが》いて目《め》に立《たつ》た。其處《そこ》にも堀《ほり》の邊《ほとり》の赤《あか》い實《み》の錆《さ》びた野茨《のばら》の枝《えだ》に堅《たて》に成《な》つたり横《よこ》に成《な》つたりして、ずん/\と消《き》え行《ゆ》く雪《ゆき》を悦《よろこ》ぶやうに頬白《ほゝじろ》がちよん/\と渡《わた》つた。夕方《ゆふがた》には田圃《たんぼ》の白《しろ》い線《せん》も途切《とぎ》れ/\に成《な》つた。何處《どこ》の梢《こずゑ》も白《しろ》い物《もの》を止《とゞ》めないで疲《つか》れたやうに濡《ぬれ》て居《ゐ》た。雪《ゆき》は悉《こと/″\》く土《つち》に落《おち》ついて畢《しま》つた。其《その》落《おち》ついた雪《ゆき》を突《つ》き扛《あ》げて何處《どこ》の屋根《やね》でも白《しろ》い大《おほ》きな塊《かたまり》のやうに見《み》えた。枯木《かれき》の間《あひだ》には殊更《ことさら》それが明瞭《はつきり》と目《め》に立《た》つた。黄昏《たそがれ》の煙《けぶり》が蒼《あを》く割《わ》れた空《そら》へ吸《す》はれて靜《しづ》かな日《ひ》は暮《く》れた。  卯平《うへい》はすや/\と呼吸《こきふ》を恢復《くわいふく》した儘《まゝ》で口《くち》は利《き》かない。ぴしや/\と飛沫《しぶき》の泥《どろ》を蹴《け》りつゝ粟幹《あはがら》の檐《のき》からも雪《ゆき》の解《と》けて滴《したゝ》る勢《いきほ》ひのいゝ雨垂《あまだれ》が止《や》まないで夜《よる》に成《な》つた。其《そ》の夜《よ》南《みなみ》の女房《にようばう》は蒲團《ふとん》を二|枚《まい》肩《かた》に掛《か》けて持《も》つて來《き》た。一《ひと》つには義理《ぎり》が濟《す》まぬといふので卯平《うへい》の容子《ようす》を見《み》に來《き》たのである。其《そ》れは二|度目《どめ》であつた。手《て》ランプもない闇《くら》い小屋《こや》の内《うち》に暫《しばら》く語《かた》つて女房《にようばう》が去《さ》つた後《のち》、與吉《よきち》は卯平《うへい》の裾《すそ》へ潜《もぐ》らせた。おつぎは其《そ》の一|枚《まい》の蒲團《ふとん》を掛《か》けて卯平《うへい》に添《そ》うて身《み》を横《よこ》たへた。勘次《かんじ》は土間《どま》へ筵《むしろ》を敷《し》いて他《た》の一|枚《まい》の蒲團《ふとん》を被《かぶ》つてくる/\と身《み》を屈《かゞ》めた。彼《かれ》は足《あし》を伸《の》ばした儘《まゝ》上體《じやうたい》を擡《もた》げて一|度《ど》闇《くら》い床《ゆか》の上《うへ》を見《み》た。ぴしや/\と落《お》ちる涓滴《したゝり》が暫《しばら》く彼《かれ》の耳《みゝ》の底《そこ》を打《う》つた。  次《つぎ》の日《ひ》は朝《あさ》からきら/\と照《て》つた。暖《あたゝ》かい日光《につくわう》は勘次《かんじ》の土間《どま》まで偃《は》つた。地上《ちじやう》は凡《すべ》て軟《やはら》かな熱度《ねつど》を以《もつ》て蒸《む》された。物陰《ものかげ》に一|夜《や》保《たも》つてゆつくりした雪《ゆき》が慌《あわ》てゝ溶《と》けた。土《つち》がしつとりとして落《お》ちつけられた。  卯平《うへい》は目《め》を開《ひら》いた。彼《かれ》は不審相《ふしんさう》にあたりを見《み》た。執念《しふね》く土《つち》にひつゝいて居《ゐ》た冬《ふゆ》が、蒸《む》されるやうな暖《あたゝ》かさに居《ゐ》たゝまらなく成《な》つて倉皇《そゝくさ》と遁《に》げ去《さ》つた後《あと》へ一|遍《ぺん》に來《き》た春《はる》の光《ひかり》の中《なか》に彼《かれ》は意識《いしき》を恢復《くわいふく》した。彼《かれ》は寒《さむ》さが骨《ほね》に徹《てつ》する其《そ》の夜《よ》のことを明瞭《めいれう》に頭《あたま》に泛《うか》べて判斷《はんだん》するのには氣候《きこう》の變化《へんくわ》が餘《あま》りに急激《きふげき》であつた。彼《かれ》は其《そ》の間《あひだ》人事不省《じんじふせい》の幾時間《いくじかん》を經過《けいくわ》した。  彼《かれ》は與吉《よきち》の無意識《むいしき》な告口《つげぐち》から酷《ひど》く悲《かな》しく果敢《はか》なくなつて後《あと》で獨《ひとり》で泣《な》いた。憤怒《ふんぬ》の情《じやう》を燃《もや》すのには彼《かれ》は餘《あまり》に彼《つか》れて居《ゐ》た。然《しか》し自分《じぶん》でも其《そ》の時《とき》、自分《じぶん》の身《み》に變事《へんじ》の起《おこ》らうとすることは毫《すこし》も豫期《よき》して居《ゐ》なかつた。彼《かれ》は圍爐裏《ゐろり》の側《そば》で、夜《よる》の寧《むし》ろ冷《つめた》い火《ひ》にあたりながらふと氣《き》が變《かは》つてついと庭《には》へ出《で》た。彼《かれ》は何《なに》かゞ足《あし》に纏《まつは》つたのを知《し》つた。手《て》に取《と》つて見《み》たらそれは荒繩《あらなは》であつた。彼《かれ》はそれからどうしたのか明瞭《めいれう》に描《ゑが》いて見《み》ようとするには頭腦《づなう》が餘《あま》りにぼんやりと疲《つか》れて居《ゐ》た。  彼《かれ》は勘次《かんじ》の庭《には》に立《た》つた。彼《かれ》は荒繩《あらなは》が手《て》に在《あ》つたことを心《こゝろ》づいた時《とき》、※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》の低《ひく》い枝《えだ》にそれを引掛《ひつか》けようとして投《な》げた。彼《かれ》の不自由《ふじいう》な手《て》は暗夜《あんや》に其《そ》の目的《もくてき》を遂《と》げさせなかつた。彼《かれ》は幾度《いくたび》投《な》げても徒勞《むだ》であつた。身《み》を切《き》るやうな北風《きたかぜ》が田圃《たんぼ》を渡《わた》つて、それを隔《へだ》てようとする後《うしろ》の林《はやし》をごうつと壓《おさ》へては吹《ふ》き落《お》ちて、彼《かれ》の手《て》の運動《うんどう》を全《まつた》く鈍《にぶ》くして畢《しま》つた。軈《やが》て後《うしろ》の林《はやし》の梢《こずゑ》から斜《なゝめ》に雪《ゆき》が吹《ふ》きおろして來《き》た。卯平《うへい》は少時《しばらく》躊躇《ちうちよ》して※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》の木《き》の根《ね》に其《そ》の疲《つか》れた身《み》を倚《よ》せた。暫《しばら》くして彼《かれ》は雪《ゆき》が冷《つめ》たく自分《じぶん》の懷《ふところ》に溶《とけ》て不愉快《ふゆくわい》に流《なが》れるのを知《し》つた。彼《かれ》はそれから身體《からだ》が固《かた》まるやうに思《おも》ひながら、疎《あら》い白髮《しらが》の梳《くしけづ》られるのをも、微《かすか》に感覺《かんかく》を有《いう》した。※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《にはとり》の聲《こゑ》が耳《みゝ》に遠《とほ》く聞《きこ》えて消滅《せうめつ》するのを知《し》つた。彼《かれ》は遂《つひ》にうと/\と成《な》つて畢《しま》つた。更《さら》に數《すう》十|分間《ぷんかん》其《そ》の儘《まゝ》に忘《わす》られて居《ゐ》たならば彼《かれ》は其《そ》の時《とき》自分《じぶん》が欲《ほつ》したやうに冷《つめ》たい骸《むくろ》から蘇生《よみがへ》らなかつたかも知《し》れなかつた。勘次《かんじ》の冴《さ》えた目《め》が隙間《すきま》から射《さ》す白《しろ》い雪《ゆき》の光《ひかり》に欺《あざむ》かれておつぎを水汲《みづく》みに出《だ》した。さうして卯平《うへい》は救《すく》はれたのである。 「爺《ぢい》どうした、心持《こゝろもち》惡《わる》かねえか、はあ」とおつぎは卯平《うへい》が周圍《あたり》を見《み》た時《とき》耳《みゝ》へ口《くち》を當《あ》てゝいつた。 「動《いご》かねえでろ爺《ぢい》、喰《た》べてえ物《もの》でもねえか」おつぎは復《ま》た軟《やはら》かにいつた。卯平《うへい》は只《たゞ》點頭《うなづ》いた。 「おとつゝあ、そんでもちつた確乎《しつかり》してか」勘次《かんじ》は其《そ》の尾《を》に跟《つ》いて聞《き》いた。ほつと息《いき》をついたやうな容子《ようす》は勘次《かんじ》の衷心《ちうしん》からの悦《よろこ》びであつた。 「おとつゝあ、火傷《やけど》は痛《えて》えけまあだ」勘次《かんじ》は直《すぐ》に後《あと》の言辭《ことば》を續《つゞ》けた。 「枕《まくら》はおつゝけらんねえな」卯平《うへい》は軟《やはら》かな目《め》を蹙《しが》めるやうにした。  勘次《かんじ》はふいと駈《か》け出《だ》して暫《しばら》く經《た》つて歸《かへ》つて來《き》た時《とき》には手《て》に白《しろ》い曝木綿《さらしもめん》の古新聞紙《ふるしんぶんがみ》の切端《きれはし》に包《つゝ》んだのを持《も》つて居《ゐ》た。彼《かれ》はそれを四つに裂《さ》いて、醫者《いしや》がしたやうに白《しろ》い練藥《ねりぐすり》を腿《もゝ》の上《うへ》でガーゼへ塗《ぬ》つて、卯平《うへい》の横頬《よこほゝ》へ貼《は》つた曝木綿《さらしもめん》でぐる/\と卷《ま》いた。彼《かれ》は與吉《よきち》にさへ白《しろ》い藥《くすり》を惜《を》しんで醫者《いしや》から貰《もら》つた儘《まゝ》藏《しま》つて置《お》いたのであつた。卯平《うへい》は凝然《ぢつ》として勘次《かんじ》の爲《す》る儘《まゝ》に任《まか》せた。不器用《ぶきよう》な少《すこ》し動《うご》けば轉《こ》け相《さう》な繃帶《ほうたい》であつたが夫《それ》でも勘次《かんじ》の目《め》には心丈夫《こゝろじやうぶ》であつた。彼《かれ》は自分《じぶん》の恐怖《おそれ》を誘《さそ》うた瘡痍《きず》が白《しろ》い快《こゝろ》よい布《ぬの》を以《もつ》て掩《おほ》ひ隱《かく》されたのと、自分《じぶん》の爲《す》べき仕事《しごと》を果《はた》し得《え》たやうに感《かん》ぜられるのとで心《こゝろ》が俄《にはか》に輕《かる》くすが/\しくなつた。卯平《うへい》もどうなることか確《しか》とは分《わか》らぬながら心《こゝろ》の内《うち》では悦《よろこ》んだ。  勘次《かんじ》は又《また》何處《どこ》へか出《で》た。彼《かれ》は只《たゞ》心《こゝろ》がそは/\として容易《たやす》くは落《おち》つかなかつた。  軟《やはら》かな春《はる》の光《ひかり》は情《なさけ》を含《ふく》んだ目《め》を瞬《またゝ》きしながら彼《かれ》の狹《せま》い小屋《こや》をこまやかに萱《かや》や篠《しの》の隙間《すきま》から覗《のぞ》いて卯平《うへい》の裾《すそ》にも偃《は》つた。卯平《うへい》は暫《しばら》く目《め》を瞑《つぶ》つた儘《まゝ》で居《ゐ》たが復《ま》たぱつちりと目《め》を開《あ》いた。側《そば》にはおつぎが坐《すわ》つて居《ゐ》た。 「おつう」と卯平《うへい》は低《ひく》い聲《こゑ》で喚《よ》んだ。 「何《なん》でえ」おつぎは又《また》耳《みゝ》へ口《くち》を當《あ》てた。卯平《うへい》は右《みぎ》の手《て》を出《だ》して蒲團《ふとん》の上《うへ》へ伸《のば》して 「熱《あつ》ぼつてえから一|枚《めえ》とつてくんねえか」力《ちから》ない縋《すが》るやうな聲《こゑ》でいつた。 「本當《ほんたう》に暖《ぬくと》く成《な》つたんだよなあ日輪《おてんとさま》まで酷《ひど》く眩《まちつ》ぽくなつたやうなんだよ」おつぎは例《れい》の少《すこ》し甘《あま》えるやうな口吻《くちつき》で一|枚《まい》の掛蒲團《かけぶとん》をとつた。 「此《こ》の蒲團《ふとん》は板《いた》ツ端《ぱち》見《み》てえなんだよなあ、此《こ》れとつた方《はう》が爺《ぢい》は輕《かる》く成《な》つてよかつぺなほんに、さう云《ゆ》つても暖《ぬくと》くなるつちやえゝもんだよ、俺《お》ら作日等《きのふら》見《み》てえぢやどうすべと思《おも》つたつきや」おつぎは掛蒲團《かけぶとん》を四《よ》つにして卯平《うへい》の裾《すそ》へ置《お》いた。 「彼岸《ひがん》過《す》ぎて斯《か》うだことつちや俺《お》ら覺《おべ》えてからだつで滅多《めつた》にやねえこつたから此《こ》れから暖《ぬくと》く成《な》るばかしだな、麥《むぎ》も一日毎《いちんちごめら》に腰《こし》引《ひ》つ立《た》たな」卯平《うへい》は稍《やゝ》快《こゝろ》よげにいつた。 「俺《お》ら家《ぢ》の麥《むぎ》は今《いま》ん處《ところ》ぢや村落《むら》でも惡《わる》かねえんだぞ、俺《お》らそんだが先《せん》の頃《こ》ら畑《はたけ》耕《うな》あな厭《や》だつけな本當《ほんたう》に、おとつゝあにや深《ふか》く耕《うな》へ、深《ふか》く耕《うな》あねえぢや肥料《こやし》したつて役《やく》にや立《た》たねえからなんて怒《おこ》られてなあ」 「うむ、畑《はたき》や深《ふか》くなくつちや收穫《と》んねえものよそら、俺《お》らあ壯《さかり》の頃《ころ》にや此間《こねえだ》のやうに淺《あさ》く耕《うな》あもんだた思《ま》あねえのがんだから、現在《いま》ぢやはあ、悉皆《みんな》利口《りこう》んなつてつから俺《お》らがにや分《わか》んねえが」 「深《ふか》く耕《うな》つちや逆旋毛《さかさつむじ》立《た》てる見《み》てえで行《や》りつけねえぢやなんぼ大儀《こえ》えかよなあ、そんだが俺《お》ら今《いま》ぢや、汝《われ》の方《はう》が俺《お》れより深《ふけ》えつ位《くれえ》だなんておとつゝあにや云《ゆ》はれんのよ」 「大儀《こえ》えにもよそら、そんでも汝《わ》りや能《よ》くやんな、以前《めえかた》は女《をんな》に三|年《ねん》作《つく》らせちや畑《はたけ》は出來《でき》なくなるつちつた位《くれえ》だ」 「そつから俺《お》ら幾《いく》らも耕《うな》えねえんだよ此《こ》の頃《ご》らそんでもさうだに大儀《こえ》えた思《おも》はなくなつたがな俺《お》らも」おつぎがいふのを卯平《うへい》は又《また》軟《やはら》かに目《め》を蹙《しが》めるやうにして聞《き》きながら、輕《かる》く成《な》つた掛蒲團《かけぶとん》を足《あし》の先《さき》で裾《すそ》の方《はう》へこかして少《すこ》し身動《みうご》きをした。おつぎは其《そ》の時《とき》ちらと出《だ》した卯平《うへい》の手《て》を始《はじ》めて氣《き》がついたやうに 「爺《ぢい》は手《て》も痛《えた》くしてんだつけな、そんぢや先刻《さつき》藥《くすり》貼《は》つて貰《もら》あとこだつけな」おつぎは卯平《うへい》の手先《てさき》を手《て》にして見《み》た。 「こつちはそれ程《ほ》だひどかねえやそんでもなあ」おつぎは安心《あんしん》したやうにそつと手《て》を放《はな》した。  勘次《かんじ》は忙《いそが》しげな容子《ようす》をして歸《かへ》つた。彼《かれ》は蒲團《ふとん》を二三|枚《まい》疊《たゝ》んだ儘《まゝ》帶《おび》で脊負《しよ》つて來《き》た。 「どうしてえおとつゝあ、昨夜《ゆんべ》はそんでも寒《さむ》かなかつたつけゝえ」彼《かれ》は荷物《にもつ》を卯平《うへい》の裾《すそ》の方《はう》へ卸《おろ》して胸《むね》で結《むす》んだ帶《おび》を解《と》きながらいつた。 「熱《あつ》ぼつてえつて今《いま》蒲團《ふとん》一|枚《めえ》とつた處《ところ》なんだよ」おつぎは横合《よこあひ》からいつた。 「うむ、さうだ、此《こ》の蒲團《ふとん》は返《けえ》さなくつちやなんねえから」勘次《かんじ》は獨語《どくご》して 「どうしたおとつゝあ、藥《くすり》貼《は》つてちつたよかねえけ」彼《かれ》は復《また》白《しろ》い曝木綿《さらしもめん》を見《み》ていつた。 「うむ、枕《まくら》おつゝかるやうに成《な》つたからえゝこたえゝに」卯平《うへい》のいふのを聞《きい》て勘次《かんじ》は幾《いく》らか矜《ほこり》を以《もつ》て又《また》白《しろ》い木綿《もめん》を見《み》た。 「おとつゝあ、喫《た》べてえ物《もの》でもねえけえ、俺《お》ら明日《あした》川向《かはむかう》さ行《い》つて來《く》べと思《おも》ふんだ」勘次《かんじ》はまだ幾《いく》らか心《こゝろ》に蟠《わだかま》りがあるといふよりも、こそつぱい處《ところ》が取《と》れ切《き》らないやうで然《しか》も力《つと》めて機嫌《きげん》をとるやうな容子《ようす》であつた。 「うむ」と卯平《うへい》はいつて唾《つばき》をぐつと嚥《の》んだ。 「格別《かくべつ》はあ、喫《た》べてえつち物《もの》もねえが」彼《かれ》の目《め》には又《また》改《あらた》めて軟《やはら》かな光《ひかり》を有《も》つた。 「そんぢやおとつゝあ水飴《みづあめ》でも買《か》つて來《き》てやつたらよかつぺな、與吉《よき》げ隱《かく》して置《お》けば何《なん》でも有《あ》んめえな」おつぎは更《さら》に卯平《うへい》を顧《かへり》みて 「なあ爺《ぢゝ》、其《そ》の方《はう》がよかつぺ」といひ掛《か》けた。卯平《うへい》は其《そ》の蹙《しが》めるやうな目《め》で微《かす》かに點頭《うなづ》いた。 「おとつゝあ、どうせ茶漬茶碗《ちやづけぢやわん》も要《え》つから茶碗《ちやわん》買《か》つてそれさ水飴《みづあめ》入《せ》えて繩《なは》で縛《しば》つて來《こ》う、さうすつとえゝや」 「さうでも何《なん》でもすびやな」 「それに、明日《あした》行《い》つたら又《また》藥《くすり》貰《もら》つて來《こ》う、爺《ぢい》が手《て》さも貼《は》つてやんなくつちや仕《し》やうねえぞ」 「俺《お》ら云《ゆ》はんねえでも藥《くすり》は氣《きい》ついてたのよ」勘次《かんじ》はおつぎのいふのを迎《むか》へて聞《き》いた。彼《かれ》の三|尺帶《じやくおび》には其《そ》の時《とき》もぎつと括《くゝ》つた塊《かたまり》があつた。其《その》財布《さいふ》の僅《わづか》な蓄《たくは》へは此《この》數日間《すじつかん》にどれ程《ほど》彼《かれ》を救《すく》つたか知《し》れなかつた。彼《かれ》はまだ幾《いく》らかの日用品《にちようひん》を求《もと》める餘力《よりよく》を有《いう》して居《ゐ》た。彼《かれ》は開墾《かいこん》の賃錢《ちんせん》を手《て》にすることが出來《でき》ればといふ望《のぞ》みが十|分《ぶん》にあつた。只《たゞ》彼《かれ》は目下《いま》其《そ》の幾部分《いくぶぶん》でも要求《えうきう》することが、自分《じぶん》の火《ひ》が燒《や》いた其《そ》の主人《しゆじん》の家《うち》に對《たい》して迚《とて》も口《くち》にするだけの勇氣《ゆうき》が起《おこ》されなかつたのである。          二八  勘次《かんじ》は午餐過《ひるすぎ》になつて復《ま》た外《そと》に出《で》た。紛糾《こぐら》かつた心《こゝろ》を持《も》つて彼《かれ》は少《すこ》し俛首《うなだ》れつつ歩《ある》いた。暖《あたゝ》かな光《ひかり》は畑《はたけ》の土《つち》の處々《ところ/″\》さらりと乾《かわ》かし始《はじ》めた。殊更《ことさら》がつかりしたやうにしをたれた櫟《くぬぎ》の枯葉《かれは》もからからに成《な》つた。凡《すべ》ての樹木《じゆもく》は勢《いきほひ》づいて居《ゐ》た。村落《むら》の處々《ところ/″\》にはまだ少《すこ》し舌《した》を出《だ》し掛《か》けたやうな白《しろ》い辛夷《こぶし》が、俄《にはか》にぽつと開《ひら》いて蒼《あを》い空《そら》にほか/\と泛《うか》んで竹《たけ》の梢《こずゑ》を拔《ぬ》け出《だ》して居《ゐ》た。只《たゞ》蒿雀《あをじ》は冬《ふゆ》も春《はる》も辨《わきま》へぬやうに、暖《あたゝ》かい日南《ひなた》から隱氣《いんき》な竹《たけ》の林《はやし》を求《もと》めて低《ひく》い小枝《こえだ》を渡《わた》つて下手《へた》な鳴《な》きやうをして、さうして猶且《やつぱり》日南《ひなた》へ出《で》て土《つち》をぴよん/\と跳《は》ねた。凡《すべ》ての心《こゝろ》は暖《あたゝ》かな光《ひかり》の中《なか》に融《と》けて畢《しま》はねばならなかつた。  勘次《かんじ》は依然《いぜん》として俛首《うなだ》れた儘《まゝ》遂《つひ》に隣《となり》の主人《しゆじん》の門《もん》を潜《くゞ》つた。燒趾《やけあと》は礎《いしずゑ》を止《とゞ》めて清潔《きれい》に掻《か》き拂《はら》はれてあつた。中央《ちうあう》の大《おほ》きかつた建物《たてもの》を失《うしな》つて庭《には》は喬木《けうぼく》に圍《かこ》まれて居《ゐ》る。赭《あか》く燒《や》けた杉《すぎ》の木《き》を控《ひか》へてからりとした庭《には》は、赤土《あかつち》の斷崖《だんがい》の底《そこ》に沈《しづ》んだやうに見《み》える。蒼《あを》い空《そら》を限《かぎ》つて立《た》つた喬木《けうぼく》の梢《こずゑ》が更《さら》に高《たか》く感《かん》ぜられた。勘次《かんじ》は怕《おそ》ろしい異常《いじやう》な感《かん》じに壓《あつ》せられた。隣《となり》の主人《しゆじん》の家族《かぞく》は長屋門《ながやもん》の一|部《ぶ》に疊《たゝみ》を敷《し》いて假《かり》の住居《すまゐ》を形《かたち》づくつて居《ゐ》た。主人夫婦《しゆじんふうふ》は勘次《かんじ》の目《め》からは有繋《さすが》に災厄《さいやく》の後《あと》の亂《みだ》れた容子《ようす》が少《すこ》しも發見《はつけん》されなかつた。主人夫婦《しゆじんふうふ》の曇《くも》らぬ顏《かほ》が只管《ひたすら》恐怖《きようふ》に囚《とら》へられた勘次《かんじ》の首《くび》を擡《もた》げしめた。殊《こと》に内儀《かみ》さんの迎《むか》へて聞《き》く態度《たいど》が、彼《かれ》のいひたかつた幾部分《いくぶぶん》を漸《やうや》くに打《う》ち明《あ》けしめた。 「お内儀《かみ》さん、こら運《うん》の惡《わり》い者《も》な仕《し》やうありあんせんね」彼《かれ》は憐《あは》れに聲《こゑ》を投《な》げ掛《か》けた。彼《かれ》の災厄《さいやく》の後《のち》にしみ/″\と斯《か》ういふことを聞《き》いてくれる者《もの》は内儀《かみ》さんの外《ほか》にはまだなかつたのである。 「そんだが此《こ》れお内儀《かみ》さん等《らあ》家《ぢ》からなんぞ見《み》た日《ひ》にや爪《つめ》の垢《あか》だからわし等《ら》なんざ辛《つれ》えも悲《かな》しいもねえ噺《はなし》なんだが」彼《かれ》は自分《じぶん》の不運《ふうん》を訴《うつた》へるのに、自分《じぶん》一|身《しん》のことより外《ほか》は何物《なにもの》も其《そ》の心《こゝろ》に往來《わうらい》しては居《ゐ》なかつた。彼《かれ》はふと自分《じぶん》の火《ひ》が燒《や》いたことを思《おも》つた時《とき》、酷《ひど》く自分《じぶん》のことのみをいつて畢《しま》つたのが濟《す》まないやうな心持《こゝろもち》がしてならなかつた。 「まあ惜《を》しいといへば紙《かみ》一|枚《まい》でも何《なん》だが、これ、家《うち》は直《す》ぐにも建《た》てれば建《た》つんだが、樹《き》が惜《を》しいことをしたつて云《ゆ》つてるのさ、それだが此《こ》れもそんなことを云《ゆ》つたつて仕方《しかた》がないがね」内儀《かみ》さんは聳然《すつくり》と立《たつ》ては居《ゐ》るが到底《たうてい》枯死《こし》すべき運命《うんめい》を持《も》つて居《ゐ》る喬木《けうぼく》の數本《すうほん》を端近《はしぢか》に見上《みあげ》ていつた。遠《とほ》く落《お》ち掛《か》けた日《ひ》が劃然《かつきり》と其《そ》の梢《こずゑ》に光《ひか》つた。勘次《かんじ》の顏《かほ》は蒼《あを》くなつてぐつたりと頭《あたま》を垂《た》れた。彼《かれ》は暫《しばら》く沈默《ちんもく》を保《たも》つた。 「どうしたね、私《わたし》も氣《き》のつかないことをして居《ゐ》たが、お前《まへ》も丸燒《まるやけ》で仕《し》やうあるまいが少《すこ》しは錢《ぜに》でも持《も》つて行《い》くかね」内儀《かみ》さんは勘次《かんじ》の心《こゝろ》を推察《すゐさつ》したやうにいつた。 「へえ」勘次《かんじ》の首《くび》は更《さら》に俛《うなだ》れた。彼《かれ》の目《め》は潤《うる》んだ。 「わしもはあ、そんならなんぼ助《たすか》るかも知《し》れあんせんが、お内儀《かみ》さん處《とこ》ささう云《ゆ》つて來《く》る譯《わけ》にも行《え》がねえで」と勘次《かんじ》は亂《みだ》れた頭髮《かみ》へ手《て》を當《あ》てゝ媚《こ》びるやうな容子《ようす》をしていつた。 「それだがお前《まへ》にやる位《くらゐ》ならどうにか成《な》るから心配《しんぱい》しなくつても好《い》いよ」 「わしも此《こ》れ、罰《ばち》當《あた》つたんでがせう、さう思《おも》ふより外《ほか》有《あ》りあんせんから」勘次《かんじ》は暫《しばら》く間《あひだ》を措《お》いて 「わしも嚊《かゝあ》こと因果《いんぐわ》見《み》せて罪《つみ》作《つく》つたの惡《わ》りいんでがせう」彼《かれ》の聲《こゑ》は沈《しづ》んだ。 「お内儀《かみ》さん、わしどんな形《なり》にか家《うち》も建《た》てなくつちやなんねえから、そん時《とき》や家族《うち》の極《きま》りもつけべと思《おも》つてんですが、お内儀《かみ》さん又《また》わしこと面倒《めんだう》見《み》ておくんなせえ、わし等《ら》野郎《やらう》も其《その》内《うち》はあ大《えか》く成《な》つて來《く》つから學校《がくかう》もあとちつとにして百姓《ひやくしやう》みつしら仕込《しこ》むべと思《おも》つてんでがすがね」 「さうかえ」内儀《かみ》さんは慰《なぐさ》めるやうにいつた。 「お内儀《かみ》さん親不孝《おやふかう》だなんちな、親《おや》が警察《けいさつ》へでも願《ねが》つて出《で》なけりや巡査《じゆんさ》ばかしぢやどうすることも出來《でき》ねえもんでござんせうかね」勘次《かんじ》は先刻《さつき》からの噺《はなし》の内《うち》にも何《なん》だか後《うしろ》から物《もの》に襲《おそ》はれるやうな容子《ようす》が止《や》まなかつたが遂《つひ》に斯《か》ういつた。 「さうさね、巡査《じゆんさ》だつて無闇《むやみ》にどうかするといふこともないんだらうと思《おも》ふやうだがね」内儀《かみ》さんは意外《いぐわい》な面持《おももち》でいつた。 「此《こ》れからはあ、わしも爺樣《ぢいさま》こと面倒《めんだう》見《み》べと思《おも》ふんでがすがね、今《いま》ツからでもお内儀《かみ》さん間合《まにやあ》ねえこたありあんすめえね」 「さうだよ、老人《としより》なんていふものは少《すこ》しの加減《かげん》なんだから、まあ心配《しんぱい》させないやうにした方《はう》が好《い》いよ、さういつちや何《なん》だが後《あと》幾《いく》らも生《い》きるんぢやなしねえ」 「へえさうでがすよ、昨日等《きのふら》ツからちつと柔《やつけ》え言辭《ことば》掛《か》けつとうるしがつて居《ゐ》んですから、それからわし野郎《やらう》げ貰《もら》つて來《き》た火傷《やけど》の藥《くすり》も貼《は》つてやつたんでさ、藥《くすり》足《た》んなく成《な》つちやつたから醫者樣《いしやさま》さ行《い》つて來《く》べと思《おも》つたつけが、今日《けふ》は午後《ひるすぎ》で居《ゐ》めえと思《おも》ふから明日《あした》にすべと思《おも》つて止《や》めたのせ、明日《あした》行《い》つたら水飴《みづあめ》でも買《か》つて來《き》てやれなんておつうも云《い》ふもんでがすからね」 「火傷《やけど》したなんて聞《き》いたつけがそれでも家《うち》へ連《つ》れて來《き》てかね」 「へえ」勘次《かんじ》は其《そ》の佛曉《あけがた》のことをどうしてか内儀《かみ》さんがまだ知《し》らぬらしいのでほつと息《いき》をついたが又《また》自分《じぶん》から恥《は》ぢて、簡單《かんたん》に瞹昧《あいまい》に斯《か》ういつた。 「お内儀《かみ》さん、こうちつとでもよくねえ錢《ぜに》へえつちや末始終《すゑしじう》はどうしてもえゝこたありあんすめえね」勘次《かんじ》は更《さら》にまた酷《ひど》く懸念《けねん》らしい容子《ようす》をして突然《とつぜん》に聞《き》いた。 「さうさねえ」内儀《かみ》さんは勘次《かんじ》の心持《こゝろもち》が明瞭《はつきり》とは分《わか》らないので氣《き》の乘《の》らぬやうにいつた。 「そんだがお内儀《かみ》さんさうえ錢《ぜに》は自分《じぶん》のげ役《やく》に立《た》てせえしなけりやどうしても違《ちげ》えあんすべえね」勘次《かんじ》は内儀《かみ》さんに分《わか》つても分《わか》らなくても、そんなことを考《かんが》へる餘裕《よゆう》がなかつた。彼《かれ》は只《たゞ》自分《じぶん》の心配《しんぱい》だけを底《そこ》から蓋《ふた》から打《ぶ》ち傾《ま》けて畢《しま》はねば堪《た》へられなかつたのである。 「さうだが、それもどういふ筋《すぢ》の錢《ぜに》だか分《わか》らないがそりや使《つか》つちやいかないんだらうさね」 「そんぢやお内儀《かみ》さん他人《ひと》の錢《ぜに》なくしたのなんぞ發見《めつ》けても知《し》らねえ容子《ふり》なんぞして、後《あと》で遣《や》んな盜《と》つた見《み》てえで變《をかし》な時《とき》や、何《なん》でかで落《おつ》ことした丈《だけ》の物《もの》でもやればそれでも違《ちげ》えあんすべね」勘次《かんじ》は少《すこ》し自分《じぶん》のいふことの内容《ないよう》を打《う》ち明《あ》けるやうにいつた。 「默《だま》つて居《ゐ》ればそれつ切《きり》なんだが」彼《かれ》は獨《ひとり》喉《のど》の底《そこ》でいつた。 「そりやそんなことしないで發見《みつ》けた物《もの》なら其儘《そつくり》返《かへ》すのが本當《ほんたう》だよ」内儀《かみ》さんは聲《こゑ》は低《ひく》かつたがきつぱりいつた。勘次《かんじ》の惑《まど》うた心《こゝろ》の底《そこ》にはそれがびりゝと強《つよ》く響《ひゞ》いた。 「そんぢやお内儀《かみ》さんそれ返《けえ》して又《また》其《そ》の外《ほか》にも何《なん》とかしたら冥利《みやうり》の惡《わ》りいやうなことも有《あ》りあんすめえな」彼《かれ》は情《なさけ》なげな目《め》で内儀《かみ》さんをちらりと見《み》ていつた。 「そんなこた仕《し》なくつたつて何《なに》もよかりさうなもんだね」内儀《かみ》さんは勘次《かんじ》の餘《あま》りに懸念《けねん》らしい容子《ようす》に疾《とう》から心《こゝろ》づいたことがあつた。内儀《かみ》さんは暫《しばら》く聞《き》かなかつた彼《かれ》の盜癖《たうへき》に思《おも》ひ至《いた》つた。然《しか》し彼《かれ》が自分《じぶん》から甚《はなは》だしく悔《く》いつゝあるらしいのを心《こゝろ》に確《たしか》めて強《し》ひては追求《つゐきう》しようといふ念慮《ねんりよ》も起《おこ》し得《え》なかつた。勘次《かんじ》は只《たゞ》不便《ふびん》に見《み》えた。内儀《かみ》さんはふと思《おも》ひ出《だ》して少《すこ》しばかりの銀貨《ぎんくわ》を勘次《かんじ》の側《そば》へ竝《なら》べて 「そりやさうと、お前《まへ》も家族《うち》の極《きま》りをつける積《つもり》だつていふんだが、まあどうする積《つもり》なんだね」と靜《しづか》に聞《き》いた。 「さうでござんすね」勘次《かんじ》はぐつたりと俛首《うなだ》れて言辭《ことば》の尻《しり》が聞《き》きとれぬ程《ほど》であつた。深《ふか》い憂《うれひ》が顏面《かほ》の皺《しわ》に強《つよ》く刻《きざ》んだ。 「わしも此《こ》れ……」と彼《かれ》は微《かす》かにいつたのみで沈默《ちんもく》を續《つゞ》けた。彼《かれ》は内儀《かみ》さんの前《まへ》にどうしても述《のべ》なければならないことに其《その》心《こゝろ》が惑亂《わくらん》した。彼《かれ》はぽうつとして目《め》が昏《くら》まうとした。遠《とほ》く喚《よ》ぶやうで然《しか》も近《ちか》い聲《こゑ》の爲《ため》に彼《かれ》が我《われ》に返《かへ》つた時《とき》 「それぢやお前《まへ》、まあ此《この》錢《ぜに》を藏《しま》つたらどうだね」と内儀《かみ》さんが促《うなが》したのであつた。衷心《ちうしん》から困《こま》つたやうな彼《かれ》に向《むか》つて内儀《かみ》さんはもう追求《つゐきう》する力《ちから》を有《もた》なかつた。 「誠《まこと》にどうもお内儀《かみ》さん」彼《かれ》は財布《さいふ》を帶《おび》から解《と》いて出《だ》した時《とき》酷《ひど》く減《へ》つて畢《しま》つたやうに感《かん》じて、其《そ》の財布《さいふ》を外《そと》から一寸《ちよつと》見《み》て首《くび》を傾《かたぶ》けた。彼《かれ》は又《また》財布《さいふ》の底《そこ》の錢《ぜに》を攫《つか》み出《だ》して見《み》た。燒趾《やけあと》の灰《はひ》から出《で》て青銅《せいどう》のやうに變《かは》つた銅貨《どうくわ》はぽつ/\と燒《や》けた皮《かは》を殘《のこ》して鮮《あざや》かな地質《ぢしつ》が剥《む》けて居《ゐ》た。彼《かれ》はそれを目《め》に近《ちか》づけて暫《しばら》く凝然《ぢつ》と見入《みい》つた。彼《かれ》は心《こゝろ》づいた時《とき》俄《にはか》に怖《おそ》れたやうに内儀《かみ》さんを顧《ふりかへ》つてじやらりと其《そ》の錢《ぜに》を財布《さいふ》の底《そこ》へ落《おと》した。(完) 底本:「長塚節名作選 一」春陽堂書店    1987(昭和62)年8月20日発行 底本の親本:「土」春陽堂    1912(明治45)年5月15日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※『管《かま》あこたあ有《あ》んめえな」勘次《かんじ》はおつたが』は底本では『管《かま》あこたあ有《あ》んめえな勘次《かんじ》はおつ」たが』となっていますが、底本に付されていた正誤表によって改めました。 ※ルビ抜けは底本通りにしました。 ※底本には数多くの誤植が疑われる箇所や、新字・旧字の混在がありますが、編集者の方針「初版本を底本とし、長塚家所蔵の新聞切り抜きにある修訂本文をもって校合した。」を尊重し、ファイル作成にあたっては、上記編集部の正誤表による修正以外は、完全に底本通りとしました。また校異の類も一切付けませんでした。 なお、仮名遣いや新字・旧字の混在(「わらぢ」と「わらじ」、「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1-85-57]のつくり」]」と「姉」等)以外で誤植を疑った箇所は以下の通りです。1912(明治45)年5月15日春陽堂発行の「土」(参照したのは1974(昭和49)年1月1日近代文学館発行の復刻本)では「【】」の中の矢印の後ろの形になっていました。 ○p13-12自分《じふん》の【じふん→じぶん】 ○p16-14遺《や》つた。【遺→遣】 ○p17-8一燻《いとく》べ【いとく→ひとく】 ○p17-13頻《ほゝ》【頻→頬】 ○p24-7灸《あぶ》つて【灸→炙】 ○p27-15遙《はろか》に【はろか→はるか】 ○p27-15手拭《てねぐひ》【てねぐひ→てぬぐひ】 ○p28-1村《なら》【なら→むら】 ○p31-14おうつ【→おつう】 ○p35-11擔《かつ》いて【いて→いで】 ○p38-11地《ち》べた【ち→ぢ】 ○p44-4喰《そ》の【喰→其】 ○p44-9釘附《くきづけ》【くき→くぎ】 ○p49-10喚《よ》んた【た→だ】 ○p50-12取《と》り取《あへ》ず【取《あへ》→敢《あへ》】 ○p57-1死《し》んちまあなんて【ち→ぢ】 ○p60-13音信《おどづれ》【ど→と】 ○p62-7ばんやりとして【ば→ぼ】 ○p81-5一|且《たん》【且→旦】 ○p95-15冬懇《ふゆばり》【懇→墾】 ○p102-13峙《そばた》てゝ【そばた→そばだ】 ○p106-15逡巡《ぐつ/\》【ぐつ→ぐづ】 ○p119-8上《のば》つたのである。【ば→ぼ】 ○p123-5一|方《ぼう》には【ばう→ぱう】 ○p125-1暮《あつ》い【暮→暑】 ○p138-11到頭《たう/\》【たう/\→たうとう】 ○p157-3有繋《まさが》【まさが→まさか】 ○p157-8積《つむり》【つむり→つもり】 ○p157-14何《なん》だが【だが→だか】 ○p162-1、p162-2破壤《はくわい》【壤→壞】 ○p162-4快《こゝよ》よい【こゝよ→こゝろ】 ○p164-14猶旦《やつぱり》【旦→且】 ○p166-4默託《もくきよ》【託→許】 ○p168-7疊《た々み》【々→ゝ】 ○p171-2、p193-11、p203-10次《つき》【つき→つぎ】 ○p172-7※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《もき》らせる【もき→もぎ】 ○p174-1簟笥《たんす》【簟→箪】 ○p175-7氣遺《きづか》ふ【遺→遣】 ○p176-13、p187-2、p221-7五月繩《うるさ》い【繩→蠅】 ○p178-1そつちからもこつらからも【こつら→こつち】 ○p182-3沒《く》まれた。【沒→汲】 ○p183-2掛《かけ》けた。【《かけ》→《か》】 ○p185-13出《て》たがんだから【《て》→《で》】 ○p192-15忌々敷《いま/\しく》くても【《いま/\しく》→《いま/\し》】 ○p195-1、p195-3麥《むき》【き→ぎ】 ○p195-3跟《あと》【跟→趾】 ○p195-10限《かき》り【かき→かぎ》】 ○p203-13幾抔《いくはい》【抔→杯】 ○p207-9狗《いね》ころ【ね→ぬ】 ○p217-3有撃《まさか》【撃→繋】 ○p225-1三|度《と》【と→ど】 ○p225-11句切《くきり》【き→ぎ】 ○p226-10拂《か》けて【拂→掛】 ○p227-9手拭《てぬげ》【ぬ→ね】 ○p229-10、p229-12檐《かつ》いで【檐→擔】 ○p237-4、p239-14僂痲質斯《レウマチス》【痲→麻】 ○p248-1書藉《しよせき》【藉→籍】 ○p253-7冷《ひやゝ》が【が→か】 ○p255-5壤《こは》れた【壤→壞】 ○p256-1睡《つば》【睡→唾】 ○p267-2膳《つくろ》つて【膳→繕】 ○p269-8氣藥《きらく》【藥→樂】 ○p269-14懷《いど》いては【いど→いだ】 ○p274-2陸《むつ》まじ相【陸→睦】 ○p275-8調子《てうし》て【》て→》で】 ○p277-1始終《しじゆ》【しじゆ→しじう】 ○p293-10動《うが》かないので【うが→うご】 ○p295-13崩壤《ほうくわい》【壤→壞】 ○p301-12成《なつ》つた【《なつ》→《な》】 ○p302-2小《すこ》し【小→少】 ○p310-9洪水後《こうずゐじ》【じ→ご】 ○p312-1終《た》えず【終→絶】 ○p312-9仕《あ》る【仕→在】 ○p316-9鳴咽《をえつ》【鳴→嗚】 ○p325-10加《い》い加減【加《い》→好《い》】 ○p326-11空《むね》しく【むね→むな】 ○p327-10一|齊《もい》に【もい→せい】 ○p340-3惚菜《そうざい》【惚→惣】 ○p341-8長《は》つた【長→張】 ○p344-8俺《おほ》うた。【俺→掩】 ○p344-11訓《な》れて【訓→馴】 ○p350-10氣日《まいんち》【氣→毎】 ○p350-13威勢《ゐぜい》【ゐぜい→ゐせい】 ○p351-6崇《とつつか》れ【崇→祟】 ○p354-14輸※[#「羸」の「羊」に代えて「果」、354-14]《かちまけ》【※[#「羸」の「羊」に代えて「果」]→贏】 ○p355-2女房《はようばう》【は→に】 ○p357-5口《たゞ》獨《ひと》りで【口→只】 ○p358-14措《を》しがる【措→惜】 ○p371-4沿《あ》びせる、p378-14沿《あ》びた【沿→浴】 ○p374-13蹲裾《うづくま》つた。【裾→踞】 ○p375-2火箸《ひばし》の光《さき》で【光→先】 ○p375-3深《さが》して【深→探】 ○p382-2掩《お》うて【お→おほ】 ○p385-4丈夫《ちやうぶ》な【ち→ぢ】 ○p387-1掻《か》つ拂《ば》かう【ば→ぱ】 ○p395-7乞食野郎奴《こちきやらうめ》【ち→じ】 ○p405-7彼《つか》れて【彼→疲】 ○p407-14作日等《きのふら》【作→昨】 ○p408-1覺《おべ》えてからだつで【だつで→だつて】 ○p414-9佛曉《あけがた》【佛→拂】 入力:町野修三 校正:小林繁雄 2004年11月7日作成 2005年6月8日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。