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鏡花は二度読むと面白い(かも)

2006年12月20日

 蘭郁二郎〜早過ぎたかもしれない作家〜

海野十三と並ぶ、戦前SFの大家、蘭郁二郎の作品が公開された。少しばかり、彼の作品の魅力を伝えて見たい。内容のネタバレを含むので、気になる方は読まないように。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。

海野十三のSFは、工学的なアイデアが中心だと思う。新発明、または新技術がもたらす未来を描こうとしているように思う(金博士シリーズとかね)。一方、蘭郁二郎のSFは、理学的、それも生物学の系統のアイデアが多い。「植物人間」は、新井素子の「グリーンレクイエム」と同じアイデアだし、「火星の魔術師」は、染色体レベルとはいえ、遺伝子改造がネタ。そして、取り扱っているテーマも、「地図にない島」では、フィリップ・K・ディックに通じるようなアイデンティティの喪失など現代的でもある。海野十三、蘭郁二郎ともにSFとは異なるミステリも書いているが、その色合いも少し違う。

 と、真面目な話はここまで。SFと言えば「美女」ということで、海野十三と蘭郁二郎の「美女/美少女」を比べてみよう。

海野十三は10作品がヒット。148作品が公開されているから10%以下。またその内容も、

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「おお、なんと貴女(あなた)は、美女であることよ! 紹介状なんか見なくとも宜(よろ)しい。さあ、早く入った、入った」
海野十三「遊星植民説」
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となんか投げやりである。
一方、蘭郁二郎は、公開15作品中でも、「美少女」で5作品がヒット。そして、以下にその箇所を引用するが、なかなかこだわりの感じられる描写である(一部未公開を含む)。

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 すると、丁度その時、温室のドアを排して、一人の女性が這入って来た。
 途端に、この温室に、パッと花が咲いたように幻覚したほど、美しい女性であった。
 あたりが南国的な雰囲気にあったせいか、その美少女の色鮮やかな原色の紅と黄と青との大胆な洋装が、いかにもしっくりと合って、銀座などで相当行き交う美少女には見馴れていた筈の私が、はあっと眼を見張った位であった。断髪であった、それが又美しかった。濡れたような瞳であった、それが亦美しかった。
蘭郁二郎「脳波操縦士」
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 彼女は相変らず無言だった。而も彼女はひどく美しいのだ。それは全く予期もしていなかった山の中で、ひょっくり逢ったという特別な条件ばかりでなしに、たしかに都会の中に混ぜ込んでも、くっきりと一際目立つに違いないと思われるほど、彼女は美しいのだ。それは決してのしかかって来みようなアクティヴな美しさではなかったけれど、丁度その彼女の纏っている聊か流行おくれなワンピースの碧羅が、しっくりと吸い附くように似合うような、静かな柔かな美しさであった。
 川島はいままで、これほどに緑の服の似合う少女を見たことがなかった。同時に、これほどまでに胸を搏つ美しさにも逢ったことがなかった。
蘭郁二郎「植物人間」
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 紺碧《こんぺき》の海に対し、渚にはまるで毒茸《どくたけ》の園生《そのう》のように、強烈な色彩をもったシーショアパラソル、そして、テントが処《ところ》せまきまでにぶちまかれる。そこには、その園生の精のような溌剌《はつらつ》とした美少女の群れが、まる一年、陽の目も見なかった貴重な肢体を、今、惜気もなく露出《ろしゅつ》し、思い思いの大胆な色とデザインの海水着をまとうて、熱砂《ねっさ》の上に、踊り狂うのである。
 ——なんと自由な肢体であろう。
(中略)
 長い間の、うるさい着物から開放された少女たちの肢体がこんなにまで逞《たくま》しくも、のびのびとしているのか、ということは、こと新らしく鷺太郎の眼を奪った。
 なんという見事な四肢であろう。まだ陽に焼けぬ、白絹《しらぎぬ》のようなクリーム色、或《あるい》は早くも小麦色に焼けたもの、それらの皮膚は、弾々《だんだん》とした健康を含んで、しなやかに伸び、羚羊《かもしか》のように躍動していた。そして又、ぴったりと身についた水着からは、滾《こぼ》れるような魅惑の線が、すべり落ちている……。
 或は笑いさざめき乍《なが》ら、或は高く小手をかざしながら、ぽかんと佇立《つった》った鷺太郎の前を馳抜《かけぬ》ける時の、美少女の群の中からは、確かに磯の香ではない、甘い、仄かな、乙女のかおりが、彼の鼻腔につきささる——。
蘭郁二郎「鱗粉」
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 それは、今押した呼鈴の響きに応じて、奥のドアーを排して現われた少女の、その余りの美しさから来る驚きであった。この燻《くす》んだようなバー・オパールの雰囲気とは凡そ正反対な、俗にいう眼の覚めるような美少女がまるで手品のように忽然と現われたのである。呼鈴を押したのだから誰かが現われることはあたりまえなのだが、その少女があまりにも私の好みを備えすぎていたせいか、ふと手品を連想したほどであった。
蘭郁二郎「白金神経の少女」
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とこれだけ引用しただけでも、この作家は、美人でも美女でもない「美少女」が好きなのだ、とわかる。登場する謎の美少女、これだけで、作品が面白くなるのであろう。他にも、妹が登場すると、何故か、皆美少女だったりする。

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 村田がいいかけた時に、ボックスの蔭になって見えなかったけれど、其処から、すらりとした美少女があらわれたので、口を噤《つぐ》んでしまった。
 なんかというと、鼻の下ばかり擦《こす》っている喜村には、過ぎた妹だった。
蘭郁二郎「睡魔」
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 この、異様な火星の果実に取りかこまれた中の一軒家に思いもかけなかった少女が、しとやかにお茶を運んで来てくれたからである。——それは、さっきから妙なものばかり見つけていたせいか、水際だった美しさに、突然ぶつかった感じだった。
「いらっしゃいませ、どうぞごゆっくり」
「はあ、どうも……、突然|上《あが》りまして」
「いいえ、兄はいつも退屈しておりますから、きっと無理にお誘いしたのでございましょう。今日は、丁度菊も咲きましたし……」
蘭郁二郎「火星の魔術師」
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 また、この作家は、フェティシズムにも傾倒していたようだ。引用してみよう。

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 しかし、そんな思い出の中で、タッタ一つ、寺田自身も、
(こいつは傑作だ!)
 と思ったのがあった。それは、水木が町の絵葉書屋から、色々な女優のプロマイドを買集めて来て、それを切抜いたり、重ね合せり、複写したりして、口は東活の冬島京子、眼は東邦プロの春沢美子、耳は……、というように多くの女優の顔の中から、特徴のある部分だけを採って、それで一枚の美人写真を、頗る巧妙に造上げたものだった。
 水木は、それをわざわざ教科書の間に忍ばせて来て、
(おい、これ誰だか知ってるかい……)
 ともったい[#「もったい」に傍点]振って見せびらかし、「通」自慢の級友たちが、頭をひねっているのを見て、手をうって喜んでいた水木の姿。又、それを洵吉自身も一寸覗き込んで、その余りに整った、創造された美人の顔に、思わずゾッとして冷めたさを感じたことを、今、アリアリと偲い浮べるのであった——。
蘭郁二郎「魔像」
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コラージュ写真ですね。まだこの辺はいいのですが、これが嵩じると、、、(この先は、公開後に読んでください)。また、もっとダイレクトに、

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 煙のように、淡く飛び去った幼ない思い出の中に、今でも網膜に焼付けられた、一つの絵があります。——それは小学校の校庭でした。
 女生徒の体操の時間で、肋木《ろくぼく》につかまった生徒達が、教師の号令で、跼《かが》んだり起きたりしています。二階の窓ぎわにいた景岡秀三郎が、フト、その一|群《むれ》に、眼をやった時でした。
 音もない風が、梢から転び落ちると、恰度《ちょうど》跼み込んだ女生徒のスカートを、ひらりと[#「ひらりと」に傍点]反《かえ》したのです。ハッとした秀三郎は、僅かの間でしたが、眼頭《めがしら》の熱くなるのを感じました。
 今、こうして瞼を閉じても、その搗《つ》きたてのお餅のようなふっくり[#「ふっくり」に傍点]とした太腿へ、真黒なガーターが、力強く喰込んでいるその美しさに、吾れ知らず鼓動が高まるのです。
 長ずるに従って、次第に瞼の裏には、様々な美しい肉体の粋が、あるいはくびれ[#「くびれ」に傍点]、或はすんなり[#「すんなり」に傍点]と伸びて、数を増し、追っても、払っても、なよなよと蠢めき、薄く瞼を閉じるとそれらは、青空一杯に、白い雲となるのでした。
 斯《こ》うした景岡の眼には、自然の草木はなんらの美をも齋らしませんでした。そして肉体の探窮美にのみ、胸を搏《う》たれるのです。
 その美への憧れは、案外急速に実現されました、というのは、景岡が大学を出て間もなく、僅かの間に、続いて両親を亡い、それと同時に、少なからぬ遺産を受継いだからです。
 そして、美の探窮場として、建てられたのが景岡浴場でした——。
      ×
 従って、景岡浴場というものが、どんな構造になっていたか、大体御想像がつかれる事と思います。
蘭郁二郎「足の裏」
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のような作品もあります。どんな構造の風呂屋か、想像してみましょう。他にも、ツンデレというよりも小悪魔タイプの「葉子」という少女が出て来る「夢鬼」などもあります。

1944年、31歳で亡くなってしまった蘭郁二郎。その作品は、今から考えても(いろいろな)新しい魅力に満ちている。もっと長生きしてくれたら、日本SFも違った方向に進んでいたかもしれないと思う。

★この文章を書いた人→門田裕志★こんな時間に→2006年12月20日 07:10 ★トラックバック




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