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大久保君が五回に亘って細かく書いてくれたし富田さんがそれにきちんと答えていらっしゃるし、私などがでしゃばって書くことはほとんどないのだけれども、メールに意見を書いたら、大久保君が背中をポンと押してくれたのでこの場に書いてみる気持ちになった。
文学を支えてきたのは、作品を受ける読み手である。読み手の支持がなければ作品は残らない。読み手の多くは、著作権と無縁のところにいる。私は、決してよき読み手でないのだが、会議をみて私の中で素朴な疑問がわいてきたので、そのままを書いてみる。
パネリストの方々に当然なことでもわたしが答えを会議でみつけることができず、しっくりしないことを大きく2つに絞ってみた。
第一の疑問群
A・根本的な疑問としてなぜ70年なのか?
B・欧州が70年で日本が50年という現在の状態で何が不都合なのか?不都合があるのであればそれを教えていただきたいし、不都合ということではなく、三田さんのおっしゃるサン=テグジュペリのような場合、−日本が野蛮だと思われているーそのような海外の作家はどのくらいるのか?わずかだとすれば、そのわずかな作家のために20年延長する必要があるのか?現状ではなぜいけないのか?
C・大きな疑問は、なぜ欧米にあわせなければならないのか?
なぜ延長する必要があるのかという根本理由が、私にはわからない。
第二の疑問疑問
松本零士氏の論より。
作家が身を削って作品に向かっていると言うのは十分理解できる。家族のためにも闘っているのだということも。富田さんが引用した芥川さえ、晩年は、家族どころか身内の不幸に振り回され作品を書かねばならなかったし、金策に走らざるを得なかったと私は記憶する。
そういった苦労を著作権延長で報おうというところが私にはわからない。彼らの苦しみと著作権延長が、残念ながら私の中で結びつかないのだ。
現行の著作権50年で松本氏は仲間の家族に「あと数年で主人の著作権が切れる」と言われたという、もし現在日本が70年だったとして、大先輩の遺族に、「それがあと数年で切れるから」と言われたら・・・
今から70年後の話でもいい。長寿国日本!そのときA氏(=70年後の松本氏)がやはり遺族に同じことを 「うちの主人(父でも母でも・・)の著作権が あと数年で切れる」と 言われたらどうするのか?
A氏は、70年に反対を唱え、90年案を提出するのか?それとも著作権は永久に作家のものとするのか?
永久に作家のものとなったら、どうなるのだろう?どうすればいいのだろう?
最後に松本氏他パネリストの方々の話を聴いて私の脳裡にひとつのことがよぎった。
作家は誰に向かって書いているのだろうかと。