「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」第一回シンポジウムに関する雑感(5): aozora blog 発信
「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」を見ての疑問

2006年12月18日

 あの時、のみ込んだもの(結局、はいたけど。)

大久保ゆうさんの、「『著作権保護期間の延長問題を考える国民会議』第一回シンポジウムに関する雑感(2): aozora blog 発信」で紹介していただいたとおり、パネルディスカッションでの私の発言に対し、フロアーから疑念が呈せられました。
答えようとしたところ、司会ご担当に抑えられて続けられず、「後で話しましょう」と呼びかけて、引き下がりました。

シンポジウム終了後、お話ししたことは、二点です。

▼答えたこと1 「青空文庫が想定する『みんなの範囲』」

私の発言に対するご理解に、大きな違和感はありませんでした。
ただ、多少のニュアンスの違いはあるかと思い、補足点も含めて、まず私自身の言葉で、次のように言い直しました。

青空文庫は、私たちみんなで使えるものにしていこうと思って始めた。
けれど、今になって振り返れば、その時想定できていた「みんな」には、いろいろな形で読書に不自由を感じている人は、入っていなかった。
工夫次第で「みんな」の幅を広くとることができることは、青空文庫の経験を通して、あとから、少しずつ理解していった。

著作権の保護期間が延長されれば、「みんな」が自由に利用できる作品は、20年分古いものに限定される。
それは望ましくないと私は考えており、そのことはこれまでどおり、主張し続ける。
そう発言する今、思い描いている「みんな」には、視覚に差し障りのある人や、紙の本を保持できなかったり、ページをめくれなかったりする人も入っている。

▼答えたこと2 「『みんなの範囲』を広げる本のデザイン」

青空文庫を呼びかけたものは、ある電子本(エキスパンドブック)の支持者だった。
なめらかさを加えた文字を縦に組み、ページをめくる仕立てには、読みやすさを感じた。人がこれまで親しんできた本の形を画面上に再現するのは、本を電子化する上で、賢明な手法と感じた。

ただ、音声読み上げや、使われている文字を分析するためのデータ・プール、翻訳用原文データ、さまざまな電子機器での本文表示など、当初念頭においていなかった使われ方を知ったり、体験したりする内に、提供するファイルの選択によって、「みんなの範囲」を広げられることに気付いた。
電子本は、晴眼者にとっては有効なインターフェイスだ。けれど、これをテキスト・アーカイブの中心に置く「みんなのファイル」の本体と考えるのは、適当ではない。コンピュータ処理に広く門戸を開いた、テキスト、HTMLこそ、核に据えた方がよい。

そうすれば、たとえば目が見えないとか、本が持てないといった条件を、特別扱いしないですむ可能性が出てくる。
ファイルという器に、文章が収めてある。そこから目の見える人は、気に入ったビュワーを使い、字形の連なりとして作品を取り出せばよい。大きい文字の必要な人は、大きな文字で。見えない人は、音声で。
呼びかけた者の電子本に対する固定観念はなかなか切り替わらなかったけれど、使う人の実際の選択や、青空文庫の活動に後から加わった人の批判を受けて、本のデザイン・イメージを、「個々の読み手が抱える条件を、特別扱いしないですむ」ものに変更していった。
それが実行できたからこそ、青空文庫の「みんな」の枠は広がっていったのだと思う。

テキスト・アーカイブに置くファイルは、「商品としての魅力や売り上げ」といったものからは超然としていられる。だからこそ、呼びかけ人は足を引っ張ったけれど、基本ファイルを、見た目の良くないものに、自覚的に、遅すぎないタイミングで変更できた。
ただ、電子出版業界においては今まさに、晴眼者のみに相手を絞った従来型の発想と、幅広い読み方を提供できるものに自分たちの商品を変更しようとする発想とがぶつかっている。
ボイジャーは、「電子かたりべ」と連動させて、「T-Time」に音声読み上げ機能を追加した。電子本を、視覚障害者、高齢者にも活用してもらおうとする提案だ。

ただ、これに対しては、同社の電子本を採用している出版者側の一部に、賛成しない人たちがいる。自社で抱える、朗読カセットやCDのビジネスを損なうのではないかとの懸念。作者に、読み上げに対する了解を求めて回る手間などが、しり込みの理由という。自分のたずさわっている本のビジネスというものは、これだ、これでよいという固定観念が、本のイメージを広げる試みにとまどいを見せているのだと思う。

ただ、「個々の条件を、特別扱いしないですむ」という点は、本を電子化する根拠の、大きな要素だ。
紙の本作りも、今では、電子ファイルを使って進められている。「テキストこそ本体」と発想を切り替え、晴眼者には紙の本や電子本で、読書障害者にはテキストや、開かれた電子本でと組み立て直すことは、難しい話ではない。

福祉という観点から、進めるべきことは確実にあると思う。
そこを充実させることが重要だということは、誰の否定するところでもない。
ただ、物事のあり方、作り方を、「個別の条件を特別扱いしないですむ」よう、切り替えることも大切だろう。
青空文庫が、より広い「みんなのもの」に近づいていく過程で、私はそう教えられた気がする。

最後の落ちまで、はっきり言えたわけではありませんが、大略以上のようなことを、しどろもどろ、話しました。
気が付くと、野口さんが羽交い締めにして、前のめりになる私を抑えていてくれました。

★この文章を書いた人→富田倫生★こんな時間に→2006年12月18日 16:51 ★トラックバック




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