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2006年9月は、67作品のファイルが公開された。主なニュースとしては、関連16団体から、著作権保護期間「死後70年」を求める共同声明が発表されたことがあげられる。
【主なニュース】
著作権関連の16団体が、共同で「著作権保護期間を70年に」という声明を出した(詳しくは、ここ)。発言に対して細かなツッコミを入れるのは、すでに多くのブログでされているから、ひとつだけコメントするにとどめる。「著作権保護期間」と書くと、実は内容が曖昧である。著作権には、著作人格権と著作財産権があって、著作人格権の保護期間は永遠である。著作財産権の保護期間が死後50年となっている。つまり、著作物そのものは永遠に、改造、変造などからは守られているのだ。たとえ、どれだけの時間が経過しようと、著作物は著者の意図の通りに公開されることが、権利として保証されている。死後50年で終了するのは、著作物の利用に関する財産権のみ、なのだ。ここを混ぜて考えてしまうと、「保護期間」終了後に、粗悪なコピーが出回るとか、という暴論へとつながる(「保護」が著作権全てにかかっているように誤解させる)。つまり、著作財産権が短くても長くても、著作物を尊重する姿勢に変化はないのである。「著作権」の議論で、この二つの側面をごっちゃにしているものが多いのではないか、と思う。
【公開作品】
2006年9月には、67作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。
もっとも多くの作品が公開されたのは、寺田寅彦で21作品(「雑感」、「夏の小半日」、「物質とエネルギー」、「物理学実験の教授について」、「物理学の応用について」、「言葉の不思議」、「文学の中の科学的要素」、「方則について」、「漫画と科学」、「耳と目」、「話の種」、「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」、「帝展を見ざるの記」、「中村彝氏の追憶」、「二科会その他」、「二科会展覧会雑感」、「二科狂想行進曲」、「二科展院展急行瞥見」、「アインシュタイン」、「夕凪と夕風」、「レーリー卿(Lord Rayleigh)」)が公開された。寺田寅彦の随筆もこれで267が公開されたことになる。ほとんどの随筆をカバーしていることになる。
次に多くの作品が公開されたのは、織田作之助で8作品(「勝負師」、「鬼」、「郷愁」、「中毒」、「土足のままの文学」、「文学的饒舌」、「道なき道」、「吉岡芳兼様へ」)。「勝負師」は、同じ日に、坂口安吾「勝負師」が公開されている。
宮沢賢治が5作品(「〔雨ニモマケズ〕」、「月夜のでんしんばしらの軍歌」、「農民芸術の興隆」、「花巻農学校精神歌」、「めぐりの歌」)、公開されている。「農民芸術の興隆」以外は、詩である。「めぐりの歌」は、裕木奈江が歌っているのを聞いたことがある。
オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」(小川亮作訳)がついに公開された。「ルバイヤート」は、フィッツジェラルド訳からの翻訳が幾つかあるが、原典からの翻訳はこれが初めてである。フィッツジェラルド訳、及びその日本語訳も素晴らしい作品に仕上がっているが、やはり原典からの翻訳は一味違う。
世界紀行文学全集からは、野上豊一郎「パラティーノ」、「パリの地下牢」が公開された。どちらも、「西洋見学」からの作品である。野上豊一郎は、能の講義のためにイギリスへと向い、その途中でヨーロッパ各地を見て回った、その見聞録である。時期は、ちょうど第二次世界大戦前。野上は、各地の歴史を踏まえた上で、的確にして簡潔な各地の印象を残している。
三田村鳶魚の作品が初登録された。「中里介山の『大菩薩峠』」、「話に聞いた近藤勇」の2作品。小説中の細かい間違いを細かく指摘している。うろおぼえで申し訳ないが、林不忘は、こういった批評をあまり評価していなかったそうだ。小説としての面白さとは、あまり関係がない、ということだと思う。
初公開の作家が、今月は多かった。三田村鳶魚の他に、饗庭篁村「良夜」、西尾正「陳情書」、知里幸恵「日記」、違星北斗「北斗帖」、清沢満之「我信念」、寺島柾史「怪奇人造島」が、それぞれ初公開である。
日本の名随筆からは、「書斎」から北原白秋「書斎と星」、「時」から鷹野つぎ「時」、「秋」から島崎藤村「秋草」、田畑修一郎「盆踊り」、がそれぞれ公開されている。
「海底軍艦」で、有名な押川春浪の「月世界競争探検」が公開されている。
他には、楠山正雄が3作品(「一寸法師」、「一本のわら」、「瘤とり」)、桑原隲蔵が2作品(「紙の歴史」、「支那人間に於ける食人肉の風習」)、牧逸馬が2作品(「アリゾナの女虎」、「チャアリイは何処にいる」)、牧野信一が2作品(「木枯の吹くころ」、「病状」)、梶井基次郎が1作品(「檸檬」)、夢野久作が1作品(「近世快人伝」)、小林多喜二が1作品(「防雪林」)、石原莞爾が1作品(「新日本の進路 石原莞爾将軍の遺書」)、十一谷義三郎が1作品(「静物」)、狩野亨吉が1作品(「天津教古文書の批判」)、水谷まさるが1作品(「歌時計 童謡集」)、公開された。
最後になりましたが、入力してくださった方々、校正してくださった方々に感謝いたします。また、みなさんのお気に入りを、コメント欄で紹介してもらえると、うれしいです。
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★この文章を書いた人→門田裕志★こんな時間に→2006年10月02日 02:38 ★トラックバック桑原隲蔵「支那人間に於ける食人肉の風習」。これは、人が人を食う風習(Cannibalism)について、中国での事例を歴史的に紹介する。また、動機・理由別に述べる。飢餓の極限状態、人心の荒廃、迷信などによるが、この野蛮行為の歴史は人類全体の教訓として読むべきである、と思う。
この文章は、読むのに少し骨が折れる。読むのが大変だけど、知見を広め、蒙を啓くことは間違いない。
最後に、一部分を読んだだけとか、題名だけを見ただけで、「中国人は」とか「支那人は」とかの、議論をされないことを切に願う。
Posted by: はまなか at 2006年10月02日 07:07「星めぐりの歌」、水牛楽団も歌ってました。
Posted by: ちゃまが at 2006年10月03日 18:58「星めぐりの歌」、裕木奈江が歌っていましたか。
わたしは水牛楽団で聞きました。
Posted by: ちゃまが at 2006年10月03日 19:44詩として発表されたものを、歌詞として使うことはままあるようです。島崎藤村の詩を小林旭が歌っていました(「惜別の唄」)。
Posted by: 門田裕志 at 2006年10月20日 22:28