2006年06月29日

 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ「あのときの王子くん」7 大久保ゆう訳

 五日め、またヒツジのおかげで、この王子くんにまつわるなぞが、ひとつあきらかになった。その子は、なんのまえおきもなく、いきなりきいてきたんだ。ずっとひとりで、うーんとなやんでいたことが、とけたみたいに。

「ヒツジがちいさな木を食べるんなら、花も食べるのかな?」

「ヒツジは目に入ったものみんな食べるよ。」

「花にトゲがあっても?」

「ああ。花にトゲがあっても。」

「じゃあ、トゲはなんのためにあるの?」

 わからなかった。そのときぼくは、エンジンのかたくしまったネジを外そうと、もう手いっぱいだった。しかも気が気でなかった。どうも、てひどくやられたらしいということがわかってきたし、さいあく、のみ水がなくなることもあるって、ほんとにおもえてきたからだ。

「トゲはなんのためにあるの?」

 この王子くん、しつもんをいちどはじめたら、ぜったいおやめにならない。ぼくは、ネジでいらいらしていたから、いいかげんにへんじをした。

「トゲなんて、なんのやくにも立たないよ、たんに花がいじわるしたいんだろ!」

「えっ!」

 すると、だんまりしてから、その子はうらめしそうにつっかかってきた。

「ウソだ! 花はかよわくて、むじゃきなんだ! どうにかして、ほっとしたいだけなんだ! トゲがあるから、あぶないんだぞって、おもいたいだけなんだ……」

 ぼくは、なにもいわなかった。かたわらで、こうかんがえていた。「このネジがてこでもうごかないんなら、いっそ、かなづちでふっとばしてやる。」でも、この王子くんは、またぼくのかんがえをじゃまなさった。

「きみは、ほんとにきみは花が……」

「やめろ! やめてくれ! 知るもんか! いいかげんにいっただけだ。ぼくには、ちゃんとやらなきゃいけないことがあるんだよ!」

 その子は、ぼくをぽかんと見た。

「ちゃんとやらなきゃ!?」

 その子はぼくを見つめた。エンジンに手をかけ、指はふるいグリスで黒くよごれて、ぶかっこうなおきものの上にかがんでいる、そんなぼくのことを。

「おとなのひとみたいな、しゃべりかた!」

 ぼくはちょっとはずかしくなった。でも、ようしゃなくことばがつづく。

「きみはとりちがえてる……みんないっしょくたにしてる!」

 その子は、ほんきでおこっていた。こがね色のかみの毛が、風になびいていた。

「まっ赤なおじさんのいる星があったんだけど、そのひとは花のにおいもかがないし、星もながめない。ひとをすきになったこともなくて、たし算のほかはなんにもしたことがないんだ。いちにちじゅう、きみみたいに、くりかえすんだ。『わたしは、ちゃんとしたにんげんだ! ちゃんとしたにんげんなんだ!』それで、はなをたかくする。でもそんなの、にんげんじゃない、そんなの、キノコだ!」

「な、なに?」

「キノコ!」

 この王子くん、すっかりごりっぷくだ。

「百万年まえから、花はトゲをもってる。百万年まえから、ヒツジはそんな花でも食べてしまう。だったらどうして、それをちゃんとわかろうとしちゃいけないわけ? なんで、ものすごくがんばってまで、そのなんのやくにも立たないトゲを、じぶんのものにしたのかって。ヒツジと花のけんかは、だいじじゃないの? ふとった赤いおじさんのたし算のほうがちゃんとしてて、だいじだっていうの? たったひとつしかない花、ぼくの星のほかにはどこにもない、ぼくだけの花が、ぼくにはあって、それに、ちいさなヒツジがいっぴきいるだけで、花を食べつくしちゃうこともあるって、しかも、じぶんのしてることもわからずに、朝ふっとやっちゃうことがあるってわかってたとしても、それでもそれが、だいじじゃないっていうの?」

 その子はまっ赤になって、しゃべりつづける。

「だれかが、二百万の星のなかにもふたつとない、どれかいちりんの花をすきになったんなら、そのひとはきっと、星空をながめるだけでしあわせになれる。『あのどこかに、ぼくの花がある……』っておもえるから。でも、もしこのヒツジが、あの花を食べたら、そのひとにとっては、まるで、星ぜんぶが、いきなりなくなったみたいなんだ! だから、それはだいじじゃないっていうの、ねえ!」

 その子は、もうなにもいえなかった。いきなり、わあっと泣きだした。夜がおちて、ぼくはどうぐを手ばなした。なんだか、どうでもよくなった。エンジンのことも、ネジのことも、のどのかわきも、死ぬことさえも。ひとつの星、ひとつのわくせい、ぼくのいばしょ——このちきゅうの上に、ひとりの気ままな王子くんが、いじらしく立っている。ぼくはその子をだきしめ、ゆっくりとあやした。その子にいった。「きみのすきな花は、なにもあぶなくなんかない……ヒツジにくちわをかいてあげる、きみのヒツジに……花をまもるものもかいてあげる……あと……」どういっていいのか、ぼくにはよくわからなかった。じぶんは、なんてぶきようなんだろうとおもった。どうやったら、この子と心がかようのか、ぼくにはわからない……すごくふしぎなところだ、なみだのくにって。

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2006年06月28日

 【入力/校正】電子翻刻の落とし穴

青空文庫で底本からのファイル作成を続けていくうちに、「これは意識しないとみつからない」と思われる、難物の存在に気付きました。
「電子翻刻の落とし穴」とでも呼ぶべきそれらを、以下にリストアップします。

なお、こうしたものについては、点検グループが意識してチェックするようにしています。
「ここまでできないと、入力や校正はできない」といった話では、けっしてありません。

ただ、難物情報も、力を合わせて進めてきた青空文庫の作業の成果。
これも共有できればと言う意図で、ここに示します。

▼非漢字グループ

●平仮名「へぺべ」と片仮名「ヘペベ」

上の見出しの平仮名と片仮名、あなたには見分けがつきますか?

形の似た別の字が紛れ込みやすい OCR によるファイルで、最後まで生き残る可能性が高いのが、このパターンです。

片仮名の「ヘ」と「ペ」と「ベ」、平仮名の「へ」と「ぺ」と「べ」をそれぞれ単独で検索していくのが、もっとも単純なチェック法です。

正規表現に対応したエディターを使えば、片仮名の「ヘペベ」、平仮名の「へぺべ」をまとめてチェックできます。
「[]」に片仮名の「ヘペベ」を入れた「[ヘペベ]」で検索すると、このうちのいずれかにヒットしたところで、とまります。
片仮名のチェックが終わったら、数が多くなって大変ですが、平仮名の「[へぺべ]」でもやってみてください。

正規表現では、「[]」の中に複数の文字を入れて、一度の流れで、検索していくことができます。
「[青空文庫]」とすれば、「青」と「空」と「文」と「庫」、それぞれの文字を、同時並行で検索できるわけです。

では、ここに県名リストがあるとして、これを「山[形梨口]県」で検索すると?

▼漢字グループ

●「壼」と「壺」

左右の文字は、同じ形に表示されていませんか?
区別がつかなければ、サイズをあげてみてください。

大きくすると、左側の下は「亞」となっているのがわかるでしょう。
一方右側の下は、「亞」の一画目が欠けています。

左側は、「第2水準1-52-71 」の「コン」。
角川書店「新字源」によれば、その意は「1宮中の道。へやを連絡する通路。2おく(奥)(参考)壺(こ)は別字。」とあります。

一方右側が、「第2水準1-52-68」の「コ/つぼ」です。
底本に出てくる両者に似通った字は、まずこちらと思って間違いがありません。
(青空文庫で作業したものの中では、平野万里「晶子鑑賞」で唯一、底本に「壼(コン)」が使われていました。ただこれも、「壺(つぼ)」にあらためて注記が妥当なのかも知れません。)

点検グループは2005年12月にこの問題に気づき、公開済みファイルを洗い直して、16作品に生じていた誤りを正しました。
それまでは、まったくのフリーパスでした。

●「臈」と「※[#「藹」の「言」に代えて「月」」

「臈」の部首はにくづきで、この字は「臘」の異体字です。
角川書店「新字源」には、「臘」は「1まつりの名。冬至ののち、第三の戌(いぬ)の日に行い、神々や祖先をまつる。2年のくれ。陰暦十二月の別名。3僧侶(そうりょ)が得度してからの年数。」とあります。

一方「※[#「藹」の「言」に代えて「月」」は、くさかんむりで、「臈」と包摂ではありません。

年功を積んだ「じょうろう」、年功の足りない「げろう」などの「ろう」は、「※[#「藹」の「言」に代えて「月」」です。
底本でくさかんむりの形で入っているこの字は、「※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]」と外字注記するのが正解です。

このメモを準備している過程で、「じょうろう」「げろう」の「ろう」に関しては、公開済みファイルのいっせい見直しを、行っていないことに気付きました。
時間をつくって、追々修正していきます。

[注意]秀英太明朝は、包摂規準の範囲内で、いわゆる康熙字典体寄りに字体をデザインするという珍しい特徴を備えています。
それゆえ、気にする必要のない底本との微妙な字体差が目につかなくなり、青空文庫の校正には適しています。
ただし、「臈」に関しては、秀英太明朝はこれを、「※[#「藹」の「言」に代えて「月」」につくる、誤りを犯しています。
そのため、秀英太明朝でみると「じょうろう」「げろう」に紛れ込んだ「臈」はチェックできません。

●「挿」と「※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている]」

当用漢字にはなかった「挿」が、この字体で常用漢字表に入りました。
以降は、「挿」が新字で「插」が旧字という関係になりました。

それ以前は、「插」が正字。
加えて、「挿」と、「插」のつくりの縦棒が下に突き抜けた二種類の異体字が、ともに印刷で使われていました。

この「※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている」は、「挿」と包摂ではありません。
底本に問題の形で入っている字は、「※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]」と外字注記するのが正解です。

[注意]「※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている」は、常用漢字制定以前の底本で使われている可能性が高く、旧字ファイルをつくる際には特に、意識しておきたいものの一つです。両者は「新旧」の関係にはないけれど、校閲君のチェック対象文字に加えて注意喚起した方が良さそうです。

●「廻」と「※[#「廴+囘」」

「廻」の異体字に、「※[#「廴+囘」」があります。

「回」と「囘」は包摂されませんから、古い底本で使われている「廴+囘」は、「※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]」と外字注記するするのが正解です。

[注意]これも「新旧」ではないけれど、旧字ファイルで入れ替わりが生じやすいので、校閲君のチェック対象文字に加えた方が良さそうです。「落とし穴」と呼ぶほど、見つけにくいものではありませんが、校閲君追加候補繋がりということで、記載しておきます。

★この文章を書いた人→富田倫生★こんな時間に→10:56コメント (12)トラックバック

2006年06月25日

 もう一つの著作権の話 〜保護期間70年延長に向きあって〜

編集者やフリーライター、出版社の営業マンや書店人などを中心に、神保町界隈で2ヵ月に1回、「みみの会」という会合が開かれています。その「みみの会」の第77回会合に、青空文庫にも著作がアップされている白田秀彰さんが登場します。おもに保護期間70年延長に関連して、著作権についてのお話しが聞けるのではないかと思っています。プラス、富田倫生さんも登場し、著作権に関するふたりの丁々発止のやりとりが展開されるのではないかと期待しています。

この会合は、誰でも参加可能ですので、もしご興味のある方は以下のところを覗いてみてやってください。

ゲスト:白田秀彰氏(法政大学社会学部助教授)
日 時:7月7日(金)午後7時〜午後9時(受付は午後6時半〜)
場 所:九段社会教育会館4階 第1集会室
    千代田区九段南1−5−10
最寄駅:地下鉄東西線、半蔵門線、都営新宿線
    九段駅下車 6番出口
地 図:九段社会教育会館のホームページアドレス
   http://manabi.city.chiyoda.tokyo.jp/shisetsu/kudan.html
会 費:1000円

http://d.hatena.ne.jp/miminokai/20060624

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2006年06月22日

 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ「あのときの王子くん」6 大久保ゆう訳

 ねえ、王子くん。こんなふうに、ちょっとずつわかってきたんだ。きみがさみしく、ささやかに生きてきたって。ずっときみには、おだやかな夕ぐれしか、いやされるものがなかった。このことをはじめて知ったのは、四日めのあさ、そのとき、きみはぼくにいった。

「夕ぐれが大すきなんだ。夕ぐれを見にいこう……」

「でも、またなきゃ……」

「なにをまつの?」

「夕ぐれをまつんだよ。」

 とてもびっくりしてから、きみはじぶんをわらったのかな。こういったよね。

「てっきりまだ、ぼくんちだとおもってた!」

 なるほど。ごぞんじのとおり、アメリカでまひるのときは、フランスでは夕ぐれ。だからあっというまにフランスへいけたら、夕ぐれが見られるってことになる。でもあいにく、フランスはめちゃくちゃとおい。だけど、きみの星では、てくてくとイスをもってあるけば、それでいい。そうやってきみは、いつでも見たいときに、くれゆくお日さまを見ていたんだ。

「一日に、四四回も夕ぐれを見たことがあるよ!」

 といった少しあとに、きみはこうつけくわえた。

「そうなんだ……ひとはすっごくせつなくなると、夕ぐれがこいしくなるんだ……」

「その四四回ながめた日は、じゃあすっごくせつなかったの?」

 だけどこの王子くんは、へんじをなさらなかった。

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2006年06月15日

 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ「あのときの王子くん」5 大久保ゆう訳

 日に日にだんだんわかってきた。どんな星で、なぜそこを出るようになって、どういうたびをしてきたのか。どれも、とりとめなくしゃべっていて、なんとなくそういう話になったんだけど。そんなふうにして、三日めはバオバブのこわい話をきくことになった。このときもヒツジがきっかけだった。この王子くんはふかいなやみでもあるみたいに、ふいにきいてきたんだ。

「ねえ、ほんとなの、ヒツジがちいさな木を食べるっていうのは。」

「ああ、ほんとだよ。」

「そう! よかった!」

 ヒツジがちいさな木を食べるってことが、どうしてそんなにだいじなのか、ぼくにはわからなかった。でも王子くんはそのままつづける。

「じゃあ、バオバブも食べる?」

 ぼくはこの王子くんにおしえてさしあげた。バオバブっていうのはちいさな木じゃなくて、きょうかいのたてものぐらい大きな木で、そこにゾウのむれをつれてきても、たった一本のバオバブも食べきれやしないんだ、って。

 ゾウのむれっていうのを、王子くんはおもしろがって、

「ゾウの上に、またゾウをのせなきゃ……」

 といいつつも、いうことはしっかりいいかえしてきた。

「バオバブも大きくなるまえ、もとは小さいよね。」

「なるほど! でも、どうしてヒツジにちいさなバオバブを食べてほしいの?」

 するとこういうへんじがかえってきた。「え! わかんないの!」あたりまえだといわんばかりだった。ひとりでずいぶんあたまをつかったけど、ようやくどういうことなのかなっとくできた。

 つまり、王子くんの星も、ほかの星もみんなそうなんだけど、いい草とわるい草がある。とすると、いい草の生えるいいタネと、わるい草のわるいタネがあるわけだ。でもタネは目に見えない。土のなかでひっそりねむっている。おきてもいいかなって気になると、のびていって、まずはお日さまにむかって、むじゃきでかわいいそのめを、おずおずと出していくんだ。ハツカダイコンやバラのめなら、生えたままにすればいい。でもわるい草や花になると、見つけしだいすぐ、ひっこぬかないといけない。そして、王子くんの星には、おそろしいタネがあったんだ……それがバオバブのタネ。そいつのために、星のじめんのなかは、めちゃくちゃになった。しかも、たった一本のバオバブでも、手おくれになると、もうどうやってもとりのぞけない。星じゅうにはびこって、根っこで星にあなをあけてしまう。それで、もしその星がちいさくて、そこがびっしりバオバブだらけになってしまえば、星はばくはつしてしまうんだ。

「きっちりしてるかどうかだよ。」というのは、またべつのときの、王子くんのおことば。「あさ、じぶんのみだしなみがおわったら、星のみだしなみもていねいにすること。ちいさいときはまぎらわしいけど、バラじゃないってわかったじてんで、バオバブをこまめにひきぬくようにすること。やらなきゃいけないのは、めんどうといえばめんどうだけど、かんたんといえばかんたんなんだよね。」

 またある日には、ひとつ、子どもたちがずっとわすれないような、りっぱな絵をかいてみないかと、ぼくにもちかけてきた。その子はいうんだ。「いつかたびに出たとき、やくに立つよ。やらなきゃいけないことを、のばしのばしにしてると、ときどきぐあいのわるいことがあるよね。それがバオバブだったら、ぜったいひどいことになる。こんな星があるんだ、そこにはなまけものがすんでて、ちいさな木を三本ほうっておいたんだけど……」

 というわけで、ぼくは王子くんのおおせのまま、ここにその星をかいた。えらそうにいうのはきらいなんだけど、バオバブがあぶないってことはぜんぜん知られてないし、ひとつの星にいて、そういうことをかるくかんがえていると、めちゃくちゃきけんなことになる。だから、めずらしく、おもいきっていうことにする。いくよ、「子どものみなさん、バオバブに気をつけること!」これは、ぼくの友だちのためでもある。そのひとたちはずっとまえから、すぐそばにきけんがあるのに気がついてない。だからぼくは、ここにこの絵をかかなきゃいけない。ここでいましめるだけのねうちがある。そう、みんなはこんなことをふしぎにおもうかもしれない。「どうしてこの本には、こういう大きくてりっぱな絵が、バオバブの絵だけなんですか?」こたえはとってもかんたん。やってみたけど、うまくいかなかった。バオバブをかいたときは、ただもう、すぐにやらなきゃって、いっしょうけんめいだったんだ。

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2006年06月08日

 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ「あのときの王子くん」4 大久保ゆう訳

 こうして、だいじなことがもうひとつわかった。なんと、その子のすむ星は、いっけんのいえよりもちょっと大きいだけなんだ!

 といっても、大げさにいうほどのことでもない。ごぞんじのとおり、ちきゅう、もくせい、かせい、きんせいみたいに名まえのある大きな星のほかに、ぼうえんきょうでもたまにしか見えないちいさなものも、そのなん百ばいとある。たとえばそういったものがひとつ、てんもん学しゃに見つかると、ばんごうでよばれることになる。〈しょうわくせい325〉というかんじで。

 ちゃんとしたわけがあって、王子くんおすまいの星は、しょうわくせいB612だと、ぼくはおもう。前にも、一九〇九年に、ぼうえんきょうをのぞいていたトルコのてんもん学しゃが、その星を見つけている。

 それで、こくさいてんもん学かいぎ、というところで、見つけたことをきちんとはっぴょうしたんだけど、みにつけているふくのせいで、しんじてもらえなかった。おとなのひとって、いつもこんなふうだ。

 さいわい、しょうわくせいB612のうわさをききつけた、ときのこうていが、みんなにヨーロッパふうのふくをきないと死けいだぞ、というおふれを出した。一九二〇年にそのひとは、おじょうひんなめしもので、はっぴょうをやりなおした。するとこんどは、どこのだれもがうんうんとうなずいた。

 こうやって、しょうわくせいB612のことをいちいちいったり、ばんごうのはなしをしたりするのは、おとなのためなんだ。おとなのひとは、すうじが大すきだ。このひとたちに、あたらしい友だちができたよといっても、なかみのあることはなにひとつきいてこないだろう。つまり、「その子のこえってどんなこえ? すきなあそびはなんなの? チョウチョはあつめてる?」とはいわずに、「その子いくつ? なんにんきょうだい? たいじゅうは? お父さんはどれだけかせぐの?」とかきいてくる。

 それでわかったつもりなんだ。おとなのひとに、「すっごいいえ見たよ、ばら色のレンガでね、まどのそばにゼラニウムがあってね、やねの上にもハトがたくさん……」といったところで、そのひとたちは、ちっともそのいえのことをおもいえがけない。こういわなくちゃ。「十まんフランのいえを見ました。」すると「おおすばらしい!」とかいうから。

 だから、ぼくがそのひとたちに、「あのときの王子くんがいたっていいきれるのは、あの子にはみりょくがあって、わらって、ヒツジをおねだりしたからだ。ヒツジをねだったんだから、その子がいたっていいきれるじゃないか。」とかいっても、なにいってるの、と子どもあつかいされてしまう! でもこういったらどうだろう。「あの子のすむ星は、しょうわくせいB612だ。」そうしたらなっとくして、もんくのひとつもいわないだろう。おとなってこんなもんだ。うらんじゃいけない。おとなのひとに、子どもはひろい心をもたなくちゃ。

 でももちろん、ぼくたちは生きることがなんなのかよくわかっているから、そう、ばんごうなんて気にしないよね! できるなら、このおはなしを、ぼくはおとぎばなしふうにはじめたかった。こういえたらよかったのに。

「むかし、気ままな王子くんが、じぶんよりちょっと大きめの星にすんでいました。その子は友だちがほしくて……」生きるってことをよくわかっているひとには、こっちのほうが、ずっともっともらしいとおもう。

 というのも、ぼくの本を、あまりかるがるしくよんでほしくないんだ。このおもいでをはなすのは、とてもしんどいことだ。六年まえ、あのぼうやはヒツジといっしょにいなくなってしまった。ここにかこうとするのは、わすれたくないからだ。友だちをわすれるのはつらい。どこでもいつでもだれでも、友だちがいるわけではない。ぼくも、いつ、すうじの大すきなおとなのひとになってしまうともかぎらない。だからそのためにも、ぼくはえのぐとえんぴつをひとケース、ひさしぶりにかった。この年でまた絵をかくことにした。さいごに絵をかいたのは、なかの見えないボアとなかの見えるボアをやってみた、六さいのときだ。あたりまえだけど、なるべくそっくりに、あの子のすがたをかくつもりだ。うまくかけるじしんなんて、まったくない。ひとつかけても、もうひとつはぜんぜんだめだとか。大きさもちょっとまちがってるとか。王子くんがものすごくでかかったり、ものすごくちっちゃかったり。ふくの色もまよってしまう。そうやってあれやこれや、うまくいったりいかなかったりしながら、がんばった。もっとだいじな、こまかいところもまちがってるとおもう。でもできればおおめに見てほしい。ぼくの友だちは、ひとつもはっきりしたことをいわなかった。あの子はぼくを、にたものどうしだとおもっていたのかもしれない。でもあいにく、ぼくはハコのなかにヒツジを見ることができない。ひょっとすると、ぼくもちょっとおとなのひとなのかもしれない。きっと年をとったんだ。

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2006年06月01日

 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ「あのときの王子くん」3 大久保ゆう訳

 その子がどこから来たのか、なかなかわからなかった。まさに気ままな王子くん、たくさんものをきいてくるわりには、こっちのことにはちっとも耳をかさない。たまたま口からでたことばから、ちょっとずつ見えてきたんだ。たとえば、ぼくのひこうきをはじめて目にしたとき(ちなみにぼくのひこうきの絵はかかない、ややこしすぎるから)、その子はこうきいてきた。

「このおきもの、なに?」

「これはおきものじゃない。とぶんだ。ひこうきだよ。ぼくのひこうき。」

 ぼくはとぶ、これがいえて、かなりとくいげだった。すると、その子は大きなこえでいった。

「へえ! きみ、空からおっこちたんだ!」

「うん。」と、ぼくはばつがわるそうにいった。

「ぷっ! へんなの……!」

 この気まま王子があまりにからからとわらうので、ぼくはほんとにむかついた。ひどい目にあったんだから、ちゃんとしたあつかいをされたかった。それから、その子はこうつづけた。

「なあんだ、きみも空から来たんだ! どの星にいるの?」

 ふと、その子のひみつにふれたような気がして、ぼくはとっさにききかえした。

「それって、きみはどこかべつの星から来たってこと?」

 でも、その子はこたえなかった。ぼくのひこうきを見ながら、そっとくびをふった。

「うーん、これだと、あんまりとおくからは来てないか……」

 その子はしばらくひとりで、あれこれとぼんやりかんがえていた。そのあとポケットからぼくのヒツジをとりだして、そのたからものをくいいるようにじっと見つめた。

 

 みんなわかってくれるとおもうけど、その子がちょっとにおわせた〈べつの星〉のことが、ぼくはすごく気になった。もっとくわしく知ろうとおもった。

「ぼうやはどこから来たの? 〈ぼくんち〉ってどこ? ヒツジをどこにもっていくの?」

 その子はこたえにつまって、ぼくにこういうことをいった。

「よかった、きみがハコをくれて。よる、おうちがわりになるよね。」

「そうだね。かわいがるんなら、ひるま、つないでおくためのロープをあげるよ。それと、ながいぼうも。」

 でもこのおせっかいは、王子くんのお気にめさなかったみたいだ。

「つなぐ? そんなへんなかんがえ!」

「でもつないでおかないと、どこかに行っちゃって、なくしちゃうよ。」

 このぼうやは、またからからとわらいだした。

「でも、どこへ行くっていうの!」

「どこへでも。まっすぐまえとか……」

 すると、こんどはこの王子くん、おもいつめたようすで、こうおっしゃる。

「だいじょうぶ、ものすごおくちいさいから、ぼくんち。」

 それから、どことなくかなしげに、こういいそえた。

「まっすぐまえにすすんでも、あんまりとおくへは行けない……」

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 水牛だより6月1日

5月28日の午後、港大尋さんとがやがやの公演「がやがやremix ちょっと名前を食べてみると」を見ました。いっしょになにかをしながらそれぞれがそのひとそのものであるとしか言いようのない魅力。「がやがや」というグループの名前はその魅力をすっきりと伝えていて、その証拠にがやがや度は客席にもしだいにまんえん、盛大な笑い声や話し声もきこえてきました。「悩ましい 狂おしい わたしはわたしをもてあます」と歌う「てぃだ」は恋の歌のようですが、がやがやのひとたちの歌は、21世紀を生きていれば、恋にかぎらずいろんなところで「悩ましい 狂おしい わたしはわたしをもてあます」のだよなあと、しみじみ感じさせてくれるのでした。

がやがやの楽しさがまだ体に残っている帰り道、この春に知り合いになった女性のことを思いだしました。彼女はずっと入院暮らしをしています。入院暮らしということばがあるのかどうか疑問ですが、1月に手術をしてからずっと退院することができないままなのですから、やはり入院暮らしというのがふさわしいと思います。半年たっても退院の見込みが立たないため、彼女は借りていた部屋を追い出されました。家具などは処分してしまい、着替えや身の回りのものだけは紙の袋に入れて、ベッドの脇に置いてあります。そして郊外にあるホスピスのベッドがあくのを待っています。スタバじゃなくてドトールが好き、という彼女のために、病院の中にある喫茶店でいれたてのコーヒーをテイクアウトして、彼女の部屋に持っていき、それを飲みながらちょっとおしゃべりをします。

もうだいぶ前のことですが、『弱くある自由へ』という本を読みました。例によって、内容はほとんど忘れてしまったけれど、タイトルは忘れられません。28日は、弱くある自由というのがよくわかった、そんな一日でした。

「水牛のように」を2006年6月号に更新しました。
インドネシアのソロ(スラカルタ)に滞在中の冨岡三智さんから地震の報告が届きました。神々の怒りがおさまりますように。
スラチャイは文学賞を受賞したようです。すごい!
がやがやの当事者がわの報告を小島希里さんが書いています。がやがや的ですね。

最後にお知らせを2つ。
●高橋悠治piano×笠井叡dance「透明迷宮——色を纏って」
(音楽はバッハ「フーガの技法」初期本全曲)
 くねりのたうつ色 と ちぎれとぶメロディー(高橋悠治)
 色と音とカタチのブラックホール(笠井叡)
6月25日(日)17.00
6月30日(金)、7月7日(金)、21日(金)20.00 
前売・予約3,000円 当日3,500円
4回連続券(10席限定、要予約)10,000円
セッションハウス
mail@session-house.net
tel. 03-3266-0461 fax 03-3266-0772

●辺見庸講演会「憲法改悪にどこまでも反対する」
6月24日(土)開演午後6時30分
大阪市中央公会堂(中之島公会堂)当日1200円(前売り1000円)
詳細やメッセージは主催の辺見庸講演会実行委員会をごらんください。

★この文章を書いた人→八巻美恵★こんな時間に→01:08コメント (0)トラックバック