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それまで、ぼくはずっとひとりぼっちだった。だれともうちとけられないまま、六年まえ、ちょっとおかしくなって、サハラさばくに下りた。ぼくのエンジンのなかで、なにかがこわれていた。ぼくには、みてくれるひとも、おきゃくさんもいなかったから、なおすのはむずかしいけど、ぜんぶひとりでなんとかやってみることにした。それでぼくのいのちがきまってしまう。のみ水は、たった七日ぶんしかなかった。
一日めの夜、ぼくはすなの上でねむった。ひとのすむところは、はるかかなただった。海のどまんなか、いかだでさまよっているひとよりも、もっとさみしかった。だから、ぼくがびっくりしたのも、みんなわかってくれるとおもう。じつは、あさ日がのぼるころ、ぼくは、ふしぎなかわいいこえでおこされたんだ。
「ごめんください……ヒツジの絵をかいて!」
「えっ?」
「ぼくにヒツジの絵をかいて……」
かみなりにうたれたみたいに、ぼくはとびおきた。目をごしごしこすって、ぱっちりあけた。すると、へんてこりんなおとこの子がひとり、おもいつめたようすで、ぼくのことをじっと見ていた。あとになって、この子のすがたを、わりとうまく絵にかいてみた。でもきっとぼくの絵は、ほんもののみりょくにはかなわない。ぼくがわるいんじゃない。六さいのとき、おとなのせいで絵かきのゆめをあきらめちゃったから、それからずっと絵にふれたことがないんだ。なかの見えないボアの絵と、なかの見えるボアの絵があるだけ。

それはともかく、いきなり人が出てきて、ぼくは目をまるくした。なにせ人のすむところのはるかかなたにいたんだから。でも、おとこの子はみちをさがしているようには見えなかった。へとへとにも、はらぺこにも、のどがからからにも、びくびくしているようにも見えなかった。ひとのすむところのはるかかなた、さばくのどまんなかで、まい子になっている、そんなかんじはどこにもなかった。
やっとのことで、ぼくはその子にこえをかけた。
「えっと……ここでなにをしてるの?」
すると、その子はちゃんとつたえようと、ゆっくりとくりかえした。
「ごめんください……ヒツジの絵をかいて……」
ものすごくふしぎなのに、だからやってしまうことってある。それでなんだかよくわからないけれど、ひとのすむところのはるかかなたで死ぬかもしれないのに、ぼくはポケットから一まいのかみとペンをとりだした。でもそういえば、ぼくはちりやれきし、さんすうやこくごぐらいしかならっていないわけなので、ぼくはそのおとこの子に(ちょっとしょんぼりしながら)絵ごころがないんだ、というと、その子はこうこたえた。
「だいじょうぶ。ぼくにヒツジの絵をかいて。」
ヒツジをかいたことがなかったから、やっぱり、ぼくのかけるふたつの絵のうち、ひとつをその子にかいてみせた。なかの見えないボアだった。そのあと、おとこの子のことばをきいて、ぼくはほんとうにびっくりした。
「ちがうよ! ボアのなかのゾウなんてほしくない。ボアはとってもあぶないし、ゾウなんてでっかくてじゃまだよ。ぼくんち、すごくちいさいんだ。ヒツジがいい。ぼくにヒツジをかいて。」
なので、ぼくはかいた。

それで、その子は絵をじっとみつめた。
「ちがう! これもう、びょうきじゃないの。もういっかい。」
ぼくはかいてみた。

ぼうやは、しょうがないなあというふうにわらった。
「見てよ……これ、ヒツジじゃない。オヒツジだ。ツノがあるもん……」
ぼくはまた絵をかきなおした。

だけど、まえのとおなじで、だめだといわれた。
「これ、よぼよぼだよ。ほしいのは長生きするヒツジ。」
もうがまんできなかった。はやくエンジンをばらばらにしていきたかったから、さっとこういう絵をかいた。

ぼくはいってやった。
「ハコ、ね。きみのほしいヒツジはこのなか。」
ところがなんと、この絵を見て、ぼくのちいさなしんさいんくんは目をきらきらさせたんだ。
「そう、ぼくはこういうのがほしかったんだ! このヒツジ、草いっぱいいるかなあ?」
「なんで?」
「だって、ぼくんち、すごくちいさいんだもん……」
「きっとへいきだよ。あげたのは、すごくちいさなヒツジだから。」
その子は、かおを絵にちかづけた。
「そんなにちいさくないよ……あ! ねむっちゃった……」
ぼくがあのときの王子くんと出会ったのは、こういうわけなんだ。
2006.5.21(日)
天童高校演劇部
第33回定期公演
天童市民文化会館にて
何 も に っ 自 で 何 し う し い の
で 人 頼 て 分 は も よ と な 女 子。
そ な 女 前 黒 く の 団 ・ ・ ?
ん 彼 の に づ め 集 が ・ !
妖 さ う の 団 来 訳 は 体
し 漂 こ 集 が た と 一 ?
正味五十分。演出と
オープニング、リアル・フェイス。と同時に逆光のまま、青から赤への色彩の反転。黒スーツでのダンス。静から動へのテンポがいい。ダンサーの表情はバックからの光でいっさい見えない。まるで影が踊っているかのよう。センスの鋭さとポップ感をオープニングでみごとに
「Devil or Angel ?」というタイトルにまず興味を持った。立看板で公演のことを知った。舞台演劇にも学生演劇にもこれといって思い入れがあるわけでない。ただ関心があった。昨年冬にも、同校演劇部の公演をラストの十分だけ見た。県の演劇最優秀賞を得た作品らしいが、あまり共感できないまま幕が下りてしまった。それから半年。主要メンバーはおそらく当時と同じだろう。それが今回は、もののみごとにはじけている。いいほうにはじけた。
黒服、グラサン、マシンガンのいでたちの悪ぶった
タイトルに暗示されていたとおり、この逆転の設定がまずたまらない。存在の二義性。それが女子高生らしいポップでライトな世界観のうちに展開する。恋愛……彼女らにとってそれがリアルな問題であり、それ以上・それ以外のリアルな問題など、いらないし、考えたくないし、かまってなんかいられない。それが彼女たちの誠実さ。ライバルが登場するわけでもなく、彼氏もついに登場しない。神妙なおももちで国内外の社会状況を語りはじめれば、それはそれで真剣さをよそおうことも不可能じゃない。マシンガンに迷彩服でも組合わせれば、それだけでさらにイメージやメッセージは勝手にふくらんでくれるだろう。けれども、彼女たちの意図はそこにはない。そういう展開を拒否し、恋愛をめぐるはなしに終始する。あるのは、うちなる葛藤。そのいさぎよさがもっとも正しい。
天使と悪魔が主人公を惑わすという設定は、とうに使い古されたものにちがいないし、それらの逆転構造もすでにデビルマンなどに現れている。いつもはのび太をいじめる悪役に徹しているジャイアンとスネ夫も、年に一度、劇場作品中でだけは、のび太の危機に手助けをするというふうに役割の
この作品のオリジナル性は、
主人公との関係でいえば、つねに主人公は一人であること。
立て看の写真を取りそこなった。
ダヴィンチ・コードのようにメディアがこぞって話題としたがるものの対極として、手作りの立看板と口伝えの呼びこみだけの、地元新聞にすら載らないライブの学生演劇があって、その一度きりの上演に観客二百人がつどう。舞台下手のセットに、裸の樹が一本立っている。枝ぶりが妙になまめかしく、妖しげでエロティック。脚本・演出F。
2006.5.24
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンク・翻訳・朗読は自由です。
ぼくが六つのとき、よんだ本にすばらしい絵があった。『ぜんぶほんとのはなし』というなまえの、しぜんのままの森について書かれた本で、そこに、ボアという大きなヘビがケモノをまるのみしようとするところがえがかれていたんだ。だいたいこういう絵だった。

「ボアというヘビは、えものをかまずにまるのみします。そのあとはじっとおやすみして、六か月かけて、おなかのなかでとかします。」と本には書かれていた。
そこでぼくは、ジャングルではこんなこともおこるんじゃないか、とわくわくして、いろいろかんがえてみた。それから色えんぴつで、じぶんなりの絵をはじめてかいてやった。さくひんばんごう1。それはこんなかんじ。

ぼくはこのけっさくを大人のひとに見せて、こわいでしょ、ときいてまわった。
でもみんな、「どうして、ぼうしがこわいの?」っていうんだ。
この絵は、ぼうしなんかじゃなかった。ボアがゾウをおなかのなかでとかしている絵だった。だから、ぼくはボアのなかみをかいて、大人のひとにもちゃんとわかるようにした。あのひとたちは、いつもはっきりしてないとだめなんだ。さくひんばんごう2はこんなかんじ。

大人のひとは、ボアの絵なんてなかが見えても見えなくてもどうでもいい、とにかく、ちりやれきし、さんすうやこくごのべんきょうをしなさいと、ぼくにいいつけた。というわけで、ぼくは六さいで絵かきになるゆめをあきらめた。さくひんばんごう1と2がだめだったから、めげてしまったんだ。大人のひとはじぶんではまったくなんにもわからないから、子どもはくたびれてしまう。いつもいつもはっきりさせなきゃいけなくて。
それでぼくはしぶしぶべつのしごとにきめて、ひこうきのそうじゅうをおぼえた。せかいじゅうをちょっととびまわった。ちりをべんきょうして、とてもよかったとおもう。ひとめで中国なのかアリゾナなのかがわかるから、夜なかにとんでまよったとき、おかげでかなりたすかった。
こうしてぼくは生きてきて、ちゃんとしたひとたちともいろいろ出会ってきた。大人のひとのなかでくらしてきた。ちかくでも見られた。でもそれでなにかいいことがわかったわけでもなかった。
すこしかしこそうな人を見つけると、ぼくはいつも、とっておきのさくひんばんごう1を見せてみることにしていた。ほんとうのことがわかるひとなのか知りたかったから。でもかえってくるのは、きまって「ぼうしだね。」って。そういうひとには、ボアのことも、しぜんの森のことも、星のこともしゃべらない。むこうに合わせて、トランプやゴルフ、せいじやネクタイのことをしゃべる。すると大人のひとは、ものごとがはっきりわかっているひととおちかづきになれて、とてもうれしそうだった。

レオン・ウェルトに
子どものみなさん、ゆるしてください。ぼくはこの本をひとりの大人のひとにささげます。でもちゃんとしたわけがあるのです。その大人のひとは、ぼくのせかいでいちばんの友だちなんです。それにそのひとはなんでもわかるひとで、子どもの本もわかります。しかも、そのひとはいまフランスにいて、さむいなか、おなかをへらしてくるしんでいます。心のささえがいるのです。まだいいわけがほしいのなら、このひともまえは子どもだったので、ぼくはその子どもにこの本をささげることにします。大人はだれでも、もとは子どもですよね。(みんな、そのことをわすれますけど。)じゃあ、ささげるひとをこう書きなおしましょう。
(かわいい少年だったころの)
レオン・ウェルトに
あのときの王子くん
Le Petit Prince
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery
大久保ゆう訳
aozora blog 版まえがき
『星の王子さま』という邦題でよく知られる "Le Petit Prince" の作者、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが亡くなってから、六十数年の月日が流れました。彼は飛行機で基地をたったまま消息を絶ちましたが、そのあと出版されたこの本は、今にいたるまで世界中の人々から愛されるたぐいまれな本となりました。
これまで日本では、岩波書店が独占翻訳権を有しており、訳者である内藤濯の繊細な筆遣いもあって、この本はたいへん親しまれてきました。そのため、もうすぐサン=テグジュペリの日本国内における著作権が失効されるということがわかると、さまざまな出版社がその翻訳に乗り出しました。どういった翻訳者がこの作品に挑むのか、著作権が切れる前から話題となり、結果として2005年にはたくさんの訳書が出版され、人々の手に渡りました。この〈新訳ラッシュ〉とも呼ばれる現象が一段落して、2006年5月現在、以前からある岩波書店の訳も含めて12冊もの翻訳が出ています。これだけ種類が出ると、それぞれ採算が取れているのかどうか心配にもなりますが、翻訳が自由になったおかげで、さまざまな翻訳を、自らの楽しみ方に合わせて選べるようになりました。
けれどもよく考えてみると、フランス語原典の活用は自由になりましたが、日本語訳というテクストは自由にはなっていません。依然としてそれらは売り物であって、インターネットでの使用は制限されています。許可なく朗読してインターネット上で配信することはできませんし、許可なく本にすることもできません。自由であるが自由ではない、そんな状況です。
その一方、日本語以外のヴァージョンはどうかといいますと、もちろん何ヶ国語かの訳がフリーな状態でインターネット上に公開されています。筆者の確認した範囲ですと、まず原典であるフランス語があちこちで公開されています。また、原典と同時に発表されたキャサリン・ウッド[訳]の英語版もかなり見つけることができます(著作権はまだ切れていないような気もするのですが、どうなのでしょう)。そのほか、スペイン語・韓国語もあり、またセルビア語のものも見つけることができました。ただし、それぞれのテクストには質に大きなばらつきが見られました。スペルの間違いがあったり、挿絵がそろっていないものなどありますが、中でもいささか問題なのは、グーテンベルク・オーストラリアのものです。ごらんになった方はわかると思いますが、挿絵の状態がたいへんひどく、見るに堪えません。もう少し良心的な仕事をお願いしたいものです。
同じように良心的な話を考えてみますと、それはこの〈新訳ラッシュ〉で刊行された一連の日本語訳にも当てはまります。それぞれの訳を詳細に調べてみると、さすがに売り物になる翻訳の水準を下回っているようなものもありました。実によく練られた文章の稲垣直樹[訳]や、良質の直訳である山崎庸一郎[訳]などを見ると、翻訳自由になって本当に良かったと思います。けれども、一部の訳書はもっと批判されてしかるべきです。といっても、その翻訳を出した人を批判するわけではありません。翻訳のできるできないというのは、単にスキルの問題です。翻訳の技術があるかないかです。単に技術を磨くための練習や訓練、あるいは翻訳への意識が足りないという意味であって、その人の人格や知識やらとはまったく関係がありません。技術がなくてできないというのは、まったく仕方のないことだと思います。もちろん、かくいう筆者もたいして技術があるわけではありません。いつも翻訳のことを考える、一介の翻訳研究者に過ぎません。このように翻訳の技が未熟なものは、日々クンフーを積むばかりなのでしょう。
個人的な感覚を言わせてもらえれば、インターネット上で練習をしたり、人に出さないところで訓練するというのは、まったく問題のないことだと思います。たとえどれだけひどくても、「がんばれ!」あるいは「一緒にがんばりましょう!」というようなエールをかけたくなります。しかし、ここにビジネスが絡んでくると、ちょっと話は変わってくるのではないでしょうか。やはり商品として未熟なもの、中途半端なものを売って、それで利益を得るというのは、どうなんでしょう。もうちょっと意識的であってほしい、と思わずにはいられません。
この翻訳は、筆者のそのような感覚から生まれ出たものです。しばらく翻訳をしようかしまいか悩んでいたのですが、そんなとき、朗読ポッドキャスティングをなさっている声優の佐々木健さんから「自由に使える星の王子さまの翻訳ありませんか」と尋ねられ、「よし、やろう」と覚悟を決めました。
かの内藤濯[訳]は、その訳者本人が何度か言及されているように、まさに〈朗読〉のために作られた翻訳でした。内藤さんは「まず声の言葉あっての文字の言葉である」という言語観を持っておられて、〈言葉の呼吸〉や〈いのちある言葉〉を重要視しておられました。『星の王子さま』という作品の〈ねうち〉は「声を通して読む」ことにあるとお考えになっていたようです。実際、あの翻訳は口述で作られていて(健康上の理由もあったようです)、原文と訳文を比べながら、できるだけリズムに注意していくども推敲されています。詠む対象とひとつになるというのが、内藤さんが文芸作品に挑む際に用いる〈哲学〉であり、その意味では、あの翻訳は内藤さんの身体からダイナミックに吐き出された翻訳だったように思います。
筆者がこれからお送りする翻訳も、佐々木さんという読む人がそこにいらっしゃる以上、何よりも読むテクストとして、語るテクストとして織っていこうと思います。その意味では、内藤さんに挑戦することになるのですが、これはとうてい勝てるとも思えない勝負なのでしょう。でも、今ある実力をすべて振り絞って、頑張ろうと思います。
なお、最後にこの翻訳について、テクストとしてのコメントを付します。タイトルの『あのときの王子くん』は、今までの『星の王子さま』とはあえて別のタイトルを取りました。それはこの『星の王子さま』というタイトルをつけた内藤さんに敬意をもって挑戦する意味でも、別のタイトルを付けなければならないでしょう。それとは別に、翻訳者としての姿勢や考え方もこの選択に関係してくるのですが、それはこの blog での連載が終わった後に、書くことにしましょう。底本はインターネット上にあるテクスト、とりわけ『「星の王子さま」総覧』で公開されているレイナル&ヒッチコック初版から起こされたテクストを使いました。本当は、挿絵もレイナル&ヒッチコック初版から取りたいのですが、残念ながら筆者はその現物を持っていません。挿絵も文章と同じように著作権が切れているのですが、初版の挿絵は公開されていないようです。そのため、インターネット上にある各ヴァージョンの『Le Petit Prince』からできるだけ綺麗なものを選んだつもりですが、不満は依然として残ります。そういった意味では、これを読んでいただく人にとって「ご了承あれ」とは決して言えないのが、翻訳者としての良心の言葉です。
2006年5月3日 訳者
(2006/8/5 追記。
使用している挿絵を、レイナル&ヒッチコック社刊行の初版第一刷からのものに差し替えました。この経緯については、「あとがき」にて記すことにします。初版をご提供下さった方のご厚意に感謝し、さらに「あのときの王子くん」完成に向けて、翻訳に邁進する次第です。どうもありがとうございました。)
勝 海舟と日蓮宗
まず訂正。前回「慶喜、輪王寺宮、覚王院義観、三人は寛永寺境内の桜を見たはず」と書きましたが、輪王寺宮(
子母沢 寛『勝海舟』全巻、とばし読みですが目を通してみました。ついひきこまれて熟読しそうになりましたが。読みながらちょっと考えました。どこまで
海舟に関しては、高く評価する声があるいっぽうで、慶喜同様、腹に一物持っており食えないとする評価をしばしば目にします。江戸無血開城なども、どうも西郷とかなり前々からうちあわせていたんじゃないかとうたがいたくなるほど。海舟は嫌いだとはっきりいうひともいる。竜馬のほれ込むくらいだから、それほどにうつわのひろい人物だと思いたい。芝居くさい人間というのもべつにきらいじゃない。おそらく慶喜や海舟や西郷のような負性をおったトリックスターが出現しないことには、幕末の戦乱は収拾がつかなかった。
杉
咸臨丸のなかで海舟が経を唱えているシーンがある。艦長役をつとめる海舟が、洋行の途中でお経を唱えているというアンバランス。幕臣きっての開明派であり、神仏などへへんと鼻で笑っていそうなイメージとの大きなギャップ。いままでの海舟像から大きくかけはなれている。おかしみを感じるとともに、しばらく先に読み進めなかった。固定観念の変更をよぎなくされた場面です。
海舟、
作品中、海舟と法華にまつわるエピソードはこの場面しか見あたりません。おそらく真実にもとづいているのだろう。海舟には、禅の人というイメージがたしかにある。表面的な江戸っ子気質の裏側に、寒風の中、きたえられたようなきびしさが同時にある。それにしても、こういうことをこういう場面でちらりとだけ語る子母沢 寛のやり口がにくい。当時、法華宗・日蓮宗徒であるとはどういう意味を持っていたのだろう。そもそも江戸の武士たちの
幕末には日蓮宗はあまり目立った動きがない。神仏分離・廃仏毀釈で修験道がねらいうちされた観が強い。神道・儒学・修験道が真正面から三つどもえでがっぷり四つに組んでいる。それにくらべると、日蓮宗にかぎらず、浄土宗や浄土真宗・臨済宗・曹洞宗はその他大勢のエキストラのような、かすんだ存在に見えてしまう。
それが明治の後期、大正・昭和になると、日蓮宗の放つ意味はそんな
二〇〇五年夏。NHKの放送によると、比叡山に太平洋戦争末期、特攻隊用カタパルト基地の建設計画があったという。比叡山の僧侶自身がそのことを語っていました。封印され続けてきた真実。
なにがいいたいかというと、日蓮宗にせよ比叡山の天台宗にせよ、太平洋戦争と無縁でなかったであろうという事実です。無縁どころか、満州事変へと「リード」したこと、戦意を鼓舞し戦線へ送り出したこと、特攻隊へ荷担したこと、そして、その真実をみずからの口で語るのに六十年を有したということ。そこにいたっては宗派の差異は意味をなさない。宗教はいいのがれできない。宗教だけでなく、科学もである。マスメディアも、である。
◇参考資料
子母沢 寛『勝海舟』 新潮文庫
(一)黒船渡来
(二)咸臨丸渡米
(三)長州征伐
(四)大政奉還
(五)江戸開城
(六)明治新政
2006.5.15
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンク・翻訳・朗読は自由です。
一年以上投稿が空きました。ゼファー生です。
ちょっと前に、「こもれび」にテクノラティの事を紹介しました。その事で、富田さんをして「青空文庫早分かり」を改定せしむことになったのは、光栄の至りです。しかしもともと紹介していただいた、うにさんの功とすべきでしょう。
一言で言うと、テクノラティは、ブログの検索エンジンです。「青空文庫」に言及するブログが、以下の URL で時系列にほぼリアルタイムに出てきます。
しかし、この、Aozora Blog がなかなかひっかからないので、僭越とは思いましたが、 テクノラティに「登録」しました。
効果覿面で、Aozora Blog 記事が、先頭になっています。
日本語のテクノラティも、同じデータベースを使っているらしく、同様に反映されますが、本家にしかない機能として、登録時のキーワードを「青空文庫」とすると、それをテーマした Blog として登録され、左メニューにアイコンつきで表示されます。
富田さんも感じられたように「青空文庫」っていろんな読まれ方をしているのですね。キーワードを「aozora bunko」とすると東アジア圏でも広く読まれていることが分かります。今後の発展の土台になれば幸いです。
なお、以下のようなタグをエントリに付ければ、Tag 検索が、本家、日本語サイト共にできます。
司馬遼太郎『街道をゆく』一 長州路
『週刊朝日』昭和46年1〜7月連載
掲載人物一覧(没年順)
生没年,氏名,よみ,出身地・著書・備考など
1126?-1185,二位局,にいのつぼね,平 時子,清盛の妻
1152-1185,平 知盛,たいら ともなり,新中納言、清盛の四男、とももり?
?-1200,梶原景時,かじわら かげとき,軍目付
?-1380,大内弘世,おおうち ひろよ,17世,南北朝の頃、山口に首都をおく
1420-1506?,雪舟等楊,せっしゅう とうよう,益田医光寺の庭を作ったとされる、山口から明へ
1477-1528,大内義興,おおうち よしおき,二十五世,公家になる
1507-1551,大内義隆,おおうち よしたか,義興の子
1506-1552,フランシスコ・ザビエル,Francisco de Xavier,スペイン・バスク、義隆に保護された
1521-1555,陶 晴賢,すえ はるかた,大内家重臣,反乱を起こし大内家没落
1497-1571,毛利元就,もうり もとなり,?-元亀2,陶 晴賢を討滅、大内氏の後継者となる
1533-1597,小早川隆景,こばやかわ たかかげ,毛利元就の第三子、外交担当
1564-1620,アダムス,ウイリアム,William Adams,イギリス船長,漂流,三浦按針
1553-1625,毛利輝元,もうり てるもと,元就の孫,豊臣期、五大老の次席
1666-1728,荻生徂徠,おぎゅう そらい,上総長柄、父は綱吉の侍医
1830-1859,吉田松陰,よしだ しょういん,長州
1815-1860,井伊直弼,いい なおすけ,彦根藩主
1816-1862,吉田東洋,よしだ とうよう,土佐、仕置役
?-1862,塙 次郎,はなわ じろう,国学者
1840-1864,久坂玄瑞,くさか げんずい,長州
1781-1866,山県太華,やまがた たいか,長州周防、明倫館学頭「国史纂論」
1835-1867,坂本竜馬,さかもと りょうま,土佐
1838-1867,中岡慎太郎,なかおか しんたろう,土佐
1839-1867,高杉晋作,たかすぎしんさく,長州
1824-1869,大村益次郎,おおむら ますじろう,周防、陸軍教導学校を創設
1792-1871,大国隆正,おおくに たかまさ,津和野,江戸生まれ、国学者「斥儒仏」
1814-1871,鍋島閑叟,なべしま かんそう,佐賀藩主,直正
1827-1872,山内容堂,やまうち ようどう,土佐藩主、豊信(とよしげ)
1827-1877,西郷隆盛,さいごう たかもり,薩摩
1833-1877,木戸孝允,きど たかよし,桂小五郎,長州
1812-1880,白石正一郎,しらいし しょういちろう,?-明治13,下関,薩摩藩御用商人、赤間宮初代宮司「白石文書」享年69
1837-1891,三条実美,さんじょう さねとみ,太宰府で竜馬と面会
1829-1897,西 周,にし あまね,津和野,蘭学,オランダ留学、経済学・法律学専攻
1823-1901,李 鴻章,り こうしょう,清の宰相,下関講和会議、狙撃
1841-1906,福地桜痴,ふくち おうち,長崎生れ、源一郎、西周とともに軍人勅諭を起草
1852-1906,児玉源太郎,こだま げんたろう,山口、台湾総督
1835-1908,西太后,Xi taihou せいたいこう,清末、エホナラ氏。咸豊帝の妃
1841-1909,伊藤博文,いとう ひろぶみ,俊輔,塙 次郎を斬殺
1849-1912,乃木希典,のぎ まれすけ,長州
1837-1913,徳川慶喜,とくがわ よしのぶ,西周を外交秘書として京都へおく
1835-1915,井上多聞,いのうえ たもん?,長州湯田生まれ,馨(かおる)
1852-1919,寺内正毅,てらうち まさたけ,山口、元帥
1838-1922,山県有朋,やまがた ありとも,長州
1862-1922,森 林太郎,もり りんたろう,津和野出身、鴎外,藩医の長男、十三代
1839-1931,久米邦武,くめ くにたけ,閑叟の小姓,東大日本史教授,佐賀
1879-1946,河上 肇,かわかみ はじめ,周防岩国,経済学
1901-1956,服部之総,はっとり しそう,島根、奈良本の師
1892-1968,子母沢 寛,しもざわ かん,明治25-昭和43,北海道出身、祖父が彰義隊「新選組始末記」
1890?-1969,ホー・チ・ミン,Ho Chi Minh,ベトナム
1901-1975,佐藤栄作,さとう えいさく,山口
1893-1976,毛 沢東,もう たくとう,中国湖南省
1901-1989,志賀義雄,しが よしお,福岡,共産党
,,青木正児,あおき まさる,「奇兵隊の書物」
,,荒尾親成,あらお ちかなり?,神戸市立南蛮美術館元館長
,,伊東甲子太郎,いとう かしたろう,東山高台寺にこもり英語を勉強
,,伊東助太夫,いとう すけだゆう?,馬関阿弥陀寺町商人,藩御用漕問屋
,,伊藤ルイ,いとう るい,助太夫の娘
,,入江九一,いりえ きゅういち?,長州四天王の一人,杉蔵
,,岡 三橋,おか さんきょう,長州,書家
,,香川正矩,かがわ まさのり,吉川家臣「陰徳太平記」編纂
,,風間 完,かざま かん?,画家『花神』
,,亀井家,かめいけ,石見国津和野
,,河上徹太郎,かわかみ てつたろう?,東京生まれ,祖父は周防岩国藩士
,,吉川広家,きっかわ ひろいえ?
,,久保五郎左衛門,くぼ ごろうざえもん?,松陰のおじ,玉木のかわりに塾を運営
,,末川 博,すえかわ ひろし?
,,須田剋太,すだ こくた
,,玉木文之進,たまき ぶんのしん,松陰の叔父,松下村塾をいとなむ
,,妻木田宮,つまき たみや,江戸旗本,稔麿が住み込む
,,時山直八,ときやま なおはち?,奇兵隊,小千谷峠にて戦死
,,所 郁太朗,ところ いくたろう?,美濃,緒方洪庵塾生、蘭方医あがりの浪士
,,長生静夫,ながお しずお?,俊良の祖父
,,長生俊良,ながお としよし?,朝日新聞社大阪編集委員,祖父が奇兵隊
,,奈良本辰也,ならもと たつや?,周防大島,生家は奈良本屋回漕問屋
,,長谷川久三郎,はせがわ くさぶろう?,幕府から軍目付として派遣
,,東久世卿,ひがしくぜきょう
,,福羽幸十郎,ふくば こうじゅうろう?,津和野、美静の父,長谷川を応接
,,福羽美静,ふくば びせい,津和野,国学者,大国隆正の弟子,長州へ出かけ嘆願
,,古川 薫,ふるかわ かおる?,下関在住,歴史家
,,松島剛蔵,まつしま ごうぞう?,藩内佐幕派に殺される
,,松平家,まつだいらけ,石見国浜田
,,耳無し芳一,みみなし ほういち,伝説
,,宮本顕治,みやもと けんじ?
,,森 静男,もり しずお?,林太郎の父、蘭医
,,森澄泰文,もりすみ やすふみ?,町教委文化財保護主事
,,吉田稔麿,よしだ としまろ,長州,沖田総司と戦って死ぬ、享年24
,,吉田智朗,よしだ ともお?,長州,神戸湊川神社宮司,祖父が山口の神主
,,米原綱善,よねはら つなよし?,津和野藩儒,林太郎の師
,,丁汝昌,,清の北洋艦隊司令長官
,,林泰曹,,鎮遠艦長
※ 人名のリンク先は、青空文庫・作者カード。
※ 読み、生没年などは『岩波日本史辞典』『角川世界史辞典』を参照。
※ 読みが確認できないばあいは?をつけた。
2006.5.12
しだひろし/PoorBook G3'99
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2006年4月は、56作品のファイルが公開された。ニュースとしては、「「青空文庫早わかり」の更新」と「「ウィキペディア」と結ぶ」があげられる。
【主なニュース】
「青空文庫早わかり」が更新された。テキストビューワーの紹介など、新たに盛り込まれた項目も多い。そして、作品を読む手がかりの充実を目指し、著者について、作品についてからウィキペディアへのリンクが仕込まれることになった。ウィキペディアと結ぶことで、より使いやすいテキストアーカイブになることを願っている。詳しくは、こちら。
【公開作品】
2006年4月には、56作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。
もっとも多くの作品が公開されたのは岸田国士で14編(「女九歳」、「シャルル・ヴィルドラックについて」、「悩みと死の微笑」、「走るノート」、「ふらんすの芝居」、「「我家の平和」を演出して」、「あの顔あの声」、「劇場と作者」、「『桜の園』の思ひ出と印象」、「春秋座の「父帰る」」、「築地小劇場の旗挙」、「懐かし味気なし」、「武者小路氏のルナアル観」、「訳者より著者へ ——「葡萄畑の葡萄作り」——序」)。大正末から昭和初期に書かれた随筆、評論である。岸田国士の作品も100を越えた。主に随筆、評論ばかりで、有名な翻訳、戯曲はまだ公開されていない(作業中である)。
森鴎外が5編(「そめちがへ」、「最後の一句」、「文づかひ」、「高瀬舟」、「高瀬舟縁起」)、宮原晃一郎が4編(「動く海底」、「怪艦ウルフ号」、「熊捕り競争」、「風変りな決闘」)、折口信夫が5編(「霊魂の話」、「古代生活の研究」、「琉球の宗教」、「髯籠の話」、「若水の話」)、公開されている。
青空文庫編集の小熊秀雄全集が、4編(「小熊秀雄全集-13 詩集(12)その他の詩篇」、「小熊秀雄全集-15 小説」、「小熊秀雄全集-19 美術論・画論」、「小熊秀雄全集-22 火星探険—漫画台本」)、公開されている。「小熊秀雄全集-15 小説」の一部は、分割したファイルも登録されている。
長編では、下村湖人「次郎物語 05 第五部」、坂口安吾「街はふるさと」が公開されている。坂口安吾は「街はふるさと」の作者の言葉を含む、3編(「「街はふるさと」作者の言葉」、「教祖の文学」、「オモチャ箱」)が公開されている。
「日本の名随筆」からは、「怪談」から3編(泉鏡花「妖怪年代記」、岡本綺堂「魚妖」、薄田泣菫「幽霊の芝居見」)、「将棋」から3編(菊池寛「将棋」、関根金次郎「駒台の発案者」「手数将棋」)、が公開されている。泉鏡花は他に「星あかり(新字新仮名)」が公開されている。
「世界紀行文学全集」からは、フランス編から岡本かの子の3編(「街頭 (巴里のある夕)」、「巴里の唄うたい」、「巴里のキャフェ」)が公開されている。「巴里の唄うたい」には、新字旧仮名で公開されている「ダミア」を含んでいる。5月には、ドイツ編からも3編、岡本かの子の作品が公開される予定である。
他には、黒島伝治が1編(「農民文学の問題」)、織田作之助が2編(「可能性の文学」、「道」)、寺田寅彦が1編(「初冬の日記から」)、宮沢賢治が2編(「ペンネンノルデはいまはいないよ 太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ」、「雪渡り」)、西田幾多郎が2編(「アブセンス・オブ・マインド」、「或教授の退職の辞」)、原民喜が1編(「書簡 家族・親族宛」)、公開されている。
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バックナンバーは、こちら。
クリューガーは、『アーティフィッシャル・リアリティ』(一九八三年)のなかで、このリアリティの具体例をいくつもあげている。その一つは、「ヴィデオ・プレイス」と呼ばれるが、これは彼が 一九七〇年に行なった実験で偶然思いついたものだ。そのとき彼は、ギャラリーと大学のコンピ ューター・センターとを結んで「メタプレイ」というデジタル・コミュニケイションの実験を行 なっていた。はじめ彼と同僚は、コンピューター・ディスプレイに映る波形を読みとり、それを 電話でコミュニケイトするパフォーマンスをやっていた。しかし、電話ではうまくコミュニケイトができなかったので、おたがいの場所にヴィデオ・カメラを置き、ディスプレイを指さす映像を双方で見ることができるようにして実験を続けたとき意外なことが起こった。
そのヴィデオ映像は、ギャラリーからの映像と大学のコンピューター・センターからとのものとを合成しており、一つの画面に双方のディスプレイとそれを指さす手が映る。そのため、ヴィデオ・スクリーンだけを見ると、コンピューター・ディスプレイ上の波形映像をはさんで二人の人間が指さしながら議論しているように見える。
意外な出来事は、この映像のなかで、二人の手と手がたまたま触れあったときに起こった。その瞬間、どちらも、無意識に自分の手を引っこめたのである。それは、二人がちょうどテーブルのうえに紙を拡げて話をしていて、たがいの手に触れてしまったときのような反応だった。
生身の手は決して触れあってはいないのに、なぜこのようなことが起こるのか? クリューガーは、これを「ヴィデオ・タッチ」と呼び、ここからヴィデオ装置を使ったセックスの可能性をも引き出すのだが、これを単に幻覚や幻想とみなすのは誤りだろう。すでにわれわれは、「幻影肢」という現象を知っている。これは、事故で腕を失ったようなとき、傷が完治したあとでも、失われた腕の部分がかゆくなったり、痛んだりする現象である。メルロ=ポンティは、ここから、身体性の本質性格を引き出した。「幻影肢」は、その名称とは裏腹に、身体の現実をあらわにしているのである。
つまり、身体とは、皮膚に包まれた肉の塊ではないのであり、むしろそれは、気体や電磁場のように流動的な《場》なのである。従って、それは、肉眼で見えるフィジカルな部分だけにとどまるものではなく、肉眼では見えない部分を含んでおり、条件次第では、狭義の"肉体"から溶け出したり、気化したり、転移したりするのである。
こうした身体性の転移技術は、これまで、有機的細胞の独裁下にあった。肉と肉とのふれあい、微生物やビールスの媒介によって身体性は"肉体"という閉回路を抜け出して世界に拡がる。実際に、ペストは、個々の"肉体"から脱して、ヨーロッパ全土をおおったし、エイズもまた、身体性の転移の一形態である。
「アーティフィッシャル・リアリティ」とは、"オーガニック・リアリティ"(有機的リアリティ)に対するものがあり、電子テクノロジーが有機細胞の転移機能に対して優位に立つということを含意している。が、はたしてそのようなことが可能なのか?
テレビのメロドラマを見て泣くことは、インフルエンザのビールスに感染して風邪をひくのに等しい。それらは、いずれも身体性の転移の初歩的形態である。事故死した者の遺族が泣く姿をテレビで見て涙する場合で言えば、最初に泣く者と、それに"感染"する者とのあいだに同じ文化コードが生成していなければこの転移は起きえない。日本には、悲しいときや失敗したときに笑うという文化があるが、これは、たとえばインド・ヨーロッパ語文化圏では異質であり、そうした文化圏に属する身体とはシンクロナイズしにくい。ビールスの場合も同様だ。同じビールスが必ず同じ病気を起こさせるわけではない。インドで同じ水を飲んでも、永住者は平気なのに、訪間者は下痢をするということがある。身体のコードがちがうからであり、そのコードを得るには慣れが必要だ。病気の感染とは、病に外部から襲われることであるよりも、同時性やシンクロニゼイションの問題である。
その意味では、感覚とは病である。それは、支配的な可能性をもつものに感染し、時代的なリアリティをつくってしまう。"劇的なるもの"とは、所詮、そうした時代的リアリティを発生期の状態で与えるものにすぎない。だから、"劇的なるもの"が緑依する肉体である時代があった。
また、"劇的なるもの"がウソっぼいものである時代もあった。が、いまやそれらは、いずれもジョーク以上のリアリティをもたない。
しかし、重要なことは、メロドラマや風邪のレベルの問題ではない。地球上をメロドラマのテレビ映像で満たすことは決して難しいことではないだろう。すでに地球全体がメロドラマ的な単一の身体生地でおおわれている。それは、ペストやエイズのビールスを全世界にまきちらす程度のことでしかない。これは、断じて"劇"ではない。"劇的なるもの”は、量的なものではなく、質的なものだ。身体性の転移が問題であるとしても、その分子的なミクロな単位が転移すること——電子テクノロジーは、それを"糧依する肉体"やビールスよりもどの程度多様に行なうことができるのかということが問題だ。
パフォーマンス、音楽、ヴィデオ、映画、演劇、そしてその他の芸術活動のなかで、電子映像や電子音のなかに身体的なものを読む電子実験、電子テクノロジーの産物と"肉体"とを混ぜあわせる実験、電子テクノロジーだけで身体性を構成してしまう実験……が進められている。そのなかで、身体性概念は、たとえば現象学が理論的に指摘していたその限界をはるかに越えて、現在とは相当ちがったものになっていくだろう。それは芸術の変革であると同時に"人問"の変革であり、時代はいままさに、そうした転換期にかかわっている。
自分のペースで歩きながら、4歩で口から息を吐き、次の4歩で鼻から息を吸う。かんたんな歩く気功です。5分も歩いているうちに、いろいろな若い緑のかおりのする大気がからだ中に満ちてきます。そうやって歩いて郵便局へ行ったついでに、少し足をのばして、BOOK OFFにも寄ってみます。目的は100円コーナーをくまなく見ること。新刊とはちがうおもしろいものを見つけやすいコーナーだと思うからです。最近のヒットは田辺聖子『人生の甘美なしたたり』。二百数十冊もある著書から作者じしんがあつめたアフォリズムのようなものです。いちばんみじかいのは「良心は悪。」というもの。う〜む、賛成です。「人生は非常時の連続である。」はともかく、そのとなりに並んでいる「人生は非常識の連続である。」には笑ってしまいました。ほんとにその通り。「アフォリズムを〈ある発見〉と訳したらどうだろう。」というのもちゃんとあります。カンペキ!
「水牛のように」を2006年5月号に更新しました。
小島希里さんの連載に登場するグループ「がやがや」の公演があります。Yちゃん、Tさん、K君やI画伯に会えるかな。イワトプロデユース「港大尋の3日間」の3日め、5月28日(日)「がやがやremix ちょっと名前を食べてみると」。出演は港大尋、がやがや(ヴォーカル&ダンス)、花崎攝(うた)。15時開演です。あとの2日は、5月26日港大尋「弾き語りの日 アリストテレスをくすぐってみたい」、27日「ソシエテ・コントル・レタ こんにちわ、シドニー・ベシェ!」。ともに20時開演。会場および詳細は神楽坂のシアターイワトのスケジュールをごらんください。楽しみです。
御喜美江さんはしばらく充電中。そのあいだは彼女のブログを楽しんでください。
佐藤真紀さんのあたらしい著書は『戦火の爪あとに生きる』といいます。これから読みます。
それではまた!