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霊魂の話 II
折口信夫
石成長の話
日本には、古くから石成長の話がある。また
どうして、石のようなものが成長する、と考えたのであろうか。拾うてきた石が、家に帰りつくまでに大きくなったとか、祠にまつったのが一晩の中に大きくなって祠を突き破ったとかいう話が、数かぎりなく諸国にある。古代人はそうした信仰をもった。小さい間は、大きくなると思っているのだろうが、それから後は信仰である。目に見えない事を信ずるのだから、信仰というよりほかに、説明のしようがない。どうしてそんな信仰を持つ様になったか。先生にもすでに説明があったが、ここですこしばかり、わたしの考えを述べてみたい。
神の容れ物としての石
前に、この石成長の話も、たま成長の信仰と関係がある、木や竹の中に入って成長すると考えたたまが、石の中にもはいる、と考えたとのべたが、後世の考えからすると、木や竹ならば、入っても成長するだけの空間があると考えられるが、石のようなものでは、第一はいることもできず、それが大きくなるなどということは、とうてい考えられない事だと思うが、昔はそう信じたので、すなわち、たまがそのなかで成長すると信じたので、成長してある時期がくると、さきのうつぼ・たまご・ひさごのばあいのように、やはり石がわれて神が出てくると考えたのであるが、その石から神が出てくるという話の中間の一部分——石が大きくなるという一部分だけ——が発達してきたので、ついにわれわれには、訣のわからぬ話になってしまったのである。
人や動物が化石したという話も、じつはこの信仰の中間にできたものだと思われる。石の中にたまがはいったとだけを考えると、人が石になった、犬が石になった、と考えるようになる。沖縄には、ことにそうした話が多い。これを逆に考えると、死んで石になったとの考えも出てくる。さよ姫の化石はなしのようなものができてくるのだが、この考えは反対だと思う。
この石が、神の乗り物・容れ物と考えられた例が、だんだんある。石がじっとしていないで、よそからやってくるばあいがある。石にたまがはいるという信仰には、たまがよそからやってきてはいるのと、すでに入ったものが、他界からやってくると考えたのと、このふたつがあったようだ。後者は、海岸にことに多い。古くからあった
おおくにぬしとおおものぬしと
おおなむちとすくなひこなとがひとつものに考えられたには、理由がある。すくなひこなが他界からきた神である事は前にのべたが、おおくにぬしの命が、このすくなひこなをうしなうて、海岸に立ってうれえていると、海原を
日本の神々に、いろいろな名があるのは、一の体に、いろいろなたましいがはいると考えたからで、そのたましいに、それぞれの名があるからだと思う。元は、体はたまの容れ物だと考えた。三輪山のおおものぬしの命は、この神自身は、人格をそなえていない、すなわち、眼に見えない精霊で、おおものぬしのものそのものが示しているように、純化した神ではないのである。それで、おおくにぬし自身ではないが、また、おおくにぬしでもあることになるのである。
漂著石——石移動の信仰
かようにたまだけがやってくる事もあり、それが体にくっつくばあいもあり、さらにこのたまが、石にはいることもあり、石に入ってやってくることもあると考えたので、一夜の中に、常世の波にうちよせられて、こつぜんと石があらわれ、みるみるうちに、大きくなったという信仰はなしが、そこから発生した。石が流れよるなどとは考えられない事だが、たまがよりくるひとつの手段として、こんな方法を考えたのだとみればよい。そこに石移動の信仰も生まれた。柳田先生の生石の話がそれである。
石が大きくなったという話に、石と旅行をした話が付随しているものがある。後世では、熊野へ行ったとき、あるいは伊勢へまいったとき、淡路へ行ったときに、拾うてきた石ということになっているが、これは、巫女のたぐいが、従来あった石成長の話を、諸国にもって歩いた印象が、残ったのだと見られる。
わたしは、おそらくその前に、石そのものがあちこち移動をし、あるくものだという話が、かならず出来ていたのだと思う。それがそうした話に、不審をいだく時代になって、次の携帯してあるく人の話ができたのではなかったろうか。
石こづみの風習
これは、石の中にたまがはいる、と考えた事から生じた、ひとつの風習と考えられるが、石の中に人をつみ込む風習が、古く日本にあったようだ。男子が若者になるためには、成年戒をうけねばならなかった。かれらは、先達にともなわれて山にのぼり、ある期間、山ごもりをしてくるのであるが、その間に、この風習がおこなわれたようだ。修験道の行者仲間には、かなりのちのちまで、この風習が残っていた様で、謡曲の
ただし、山伏し仲間では、これが刑罰としてではなく、復活の儀式としておこなわれた時代があったに相違ない。前にのべた、衣類やフトンにくるまって、たましいが完全に、体にくっつく時期をまった、とおなじ信仰のもので、石のなかには、はいる事ができないために、石を積んだのである。そうすると、生まれかわると信じたのである。
山伏し生活のおこり
いったい山伏しの仕事は、なにからはじまったかというと、あれはがんらい、仏教から出ているのではない。日本の古い神々のおしえが、そうした形をもっていたので、村の若者を山ごもりをさせて、男にすることが、そのひとつであった。この時期が、後の山伏しの精進・行といわれるものであったので、山伏しのこもりに行くのは、すなわち、若者になりに行った風習のなごりである。
この風習は、山伏しを専門にしない者の間にも残った。近年まで、羽後の三山などへ出かけたのが、それである。これは、従来の神道や仏教では、説明のできない事なので、ただ山ごもりのことを考えてみると、山伏しの生活のはじまった、元のすがたがわかると思う。そして、これが宗教化し、毎年、時期をさだめておこなわれている中に、一種の宗教的な形をもつようにもなったのだが、さらにこれが、奈良朝以前からすでにあった、山林仏教の影響をうけて、ついにその一派のように説明せられてきたのである。その山伏しに、石を積んで、人をいれる法式が残っているというのはおもしろい。
二、三年前、三河の山奥へ入って、花祭りという行事を見た。旧暦をもちいたころは霜月におこなわれたが、いまは初春の行事となっている。古い神楽の一部分で、神楽は三日三晩つづいた、その一部分だと説明せられているが、ようするに、村の若者に、成年戒をさずける儀式のなごりと見られるもので、白山というものを作って、若者に行をさせる。人にならせるという、信仰があったのだと思われる。
かように、若者になるためには、石につめたり、山の中に塗りこめたりすることがおこなわれたので、ふつう、山ごもりは、たんなる禁欲生活だと思われているが、じつはその間に、こうして、いちど自然界のものの中に入って来なければならなかった。それをしなければ、人にもなれなかったのである。これは、神のたましいが育つのと、同じことになるので、他界からくるたまをうける形なのであって、そうすることによって、村の聖なる仕事に、与る資格が得られる、と考えたのである。
こういう風に考えてみると、他界からやってくるたまは、たんに石や木や竹のようなものの中にやどるのではなく、人自身が、ものの中に入って、たましいをうけてくるのであった。おかしな考えのようであるが、日本人が、最初から、現実にたましいをもってきていると考えたら、こんな話はできなかったと思われる。すなわち、容れ物があって、たまがよってくる。そうして、人ができ、神ができる、と考えたのであった。
たまとたましいとの区別
たまからたましいに入って見ると、用語例が、さまざまに混乱していて、自分にも、賛成のできないような、矛盾した気持ちで話をしなければならぬが、たまとたましいとは、ならんでいるのだから、これはどうしても、別のものと考えねばならぬ。たましいはたまのひで、すなわち、火光を意味する、と説明した学者があったけれども、それは信じられない説である。すくなくとも、第二義におちた説明だと思われる。やはりじっさいに使うている例から、考えねばならぬと思うが、やまとだましいとか、そのほか、平安朝に書かれた用語例などで見ると、これは知識でなく、力量・才能などの意味につかわれているので、活用する力・生きる力の意をもった、極はたにいえば、常識ということにもなるので、ある学者は、大和魂を常識として説明したが、それまでには考えなくとも、すくなくとも、はたらいている力、ということにはなるのである。
沖縄へ行って見ると、この二者のつかい方が、あきらかにちがう。たまは、われわれのいうたましいのことで、たましいは、才能・技量を意味する。ぶたましぬむん(
そうすると、たまとたましいとの区別は、どこにあるかということになってくるのだが、その説明は、簡単にはできない。とにかく、すくなくとも、たましいというものは、目にみえるひかりをもったもの、尾をひいたものではない。抽象的なもので、体に、はいったり出たりするものがたまだったのであるが、いつかそれが、これを具体的にしめした、すなわち、たまのしんぼるだったところの鉱石や動物の骨などだけが、たまとよばれ、抽象的なものの方は、たましいという言葉で、現されるようになった。たいへんな変化がおこったわけである。
この、たまとたましいとの区別については、いずれ機会を見て、もういちど話をしてみたいと思う。
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
1995(平成7)年4月10日初版発行
初出:「民俗学 第一巻第三号」
1929(昭和4)年9月
※「郷土研究会講演筆記」の記載が底本題名下にあり。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2006年3月20日作成
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