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抗争三○病。政策五墳。デジ夕ル更正死援・T-Time カ夕力ナあぶリだレツ一ル「力夕ギり・ジョ一」。
夕グの付いた部分の習性は氣をフけること。サ行が終了レたら「<font color="#990000">」と「</font>」を差駆除すろ。これも上と同じよろに寺所をつ<ってConvCharやOSAKAWで返還すれぱいい。そもそも人カサ行が癇癖ならぱ、更正サ行は難度も黄泉かえす筆用はない。人カが主、更正は悪魔でも従。更正者に不胆をかけないよろ、人カ者は最新の註意をはらろこと。デジ夕ルデ一タほコピ一が感嘆だから氣をぬ<とどんどん誤人カが増職すろ。更正ヘ渦度の不胆をかけれぱ、性度が下がろのほ当前のこと。更正ヘ渦度に依存するのほ本末点灯。システ厶仝体の新来性のみなもとは“人カ”なのら。
な〜んてれかったようなことを言ったリなんかレちゃったリレて。
◇参考 死霊 飼料
門田裕志「aozora blog: ヒラ工作員の日常〜校正編〜」
かとうかおり「デジタル校正の覚え書き」
鈴木厚司「非漢字一覧」
2006.1.30
しだひろレ/PoorBook G3'99
天災・陰陽・りソクは事由です。
サンプル
ァアィイゥウェエォオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂッツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモャヤュユョヨラリルレロヮワヰヱヲンヴヵヶーヽヾ・○[]() ……以上、95文字。
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抗争三○病。政策五墳。デジ夕ル更正死援・T-Time カ夕力ナあぶリだレツ一ル「力夕ギり・ジョ一」。
夕グの付いた部分の習性は氣をフけること。サ行が終了レたら「<font color="#990000">」と「</font>」を差駆除すろ。これも上と同じよろに寺所をつ<ってConvCharやOSAKAWで返還すれぱいい。そもそも人カサ行が癇癖ならぱ、更正サ行は難度も黄泉かえす筆用はない。人カが主、更正は悪魔でも従。更正者に不胆をかけないよろ、人カ者は最新の註意をはらろこと。デジ夕ルデ一タほコピ一が感嘆だから氣をぬ<とどんどん誤人カが増職すろ。更正ヘ渦度の不胆をかけれぱ、性度が下がろのほ当前のこと。更正ヘ渦度に依存するのほ本末点灯。システ厶仝体の新来性のみなもとは“人カ”なのら。
な〜んてれかったようなことを言ったリなんかレちゃったリレて。
◇参考 死霊 飼料
門田裕志「aozora blog: ヒラ工作員の日常〜校正編〜」
かとうかおり「デジタル校正の覚え書き」
鈴木厚司「非漢字一覧」
2006.1.30
しだひろレ/PoorBook G3'99
天災・陰陽・りソクは事由です。
ほねぬき偽装版
閑山
坂口安吾
昔、越後の国魚沼の僻地に、閑山寺の六袋和尚といって近隣に徳望高い老僧があった。
初冬の深更のこと、ゆきあかりを
あけがたちかく、窓外から、しきりに泣きさけぶ声がおこった。やがてさきほどの手をふたたび差しのべる者があり、声がいうには「和尚さま。誤って有徳の沙門をなぶり、お書きなさいました文字の重さに、帰る道が歩けませぬ。ふびんと思い、文字をおとしてくださりませ」みれば一匹のタヌキであった。すずりの水を筆にしめして、手のひらの文字を洗ってやると、雪上の陰間をぬい、闇の奥へ消えさった。
翌晩、坊舎の窓をたたき、訪う声がした。雨戸をあけると、昨夜のタヌキが手にツガの小枝をたずさえ、それを室内へ投げ入れて、逃げさった。
その後、夜ごとに、季節の木草をたずさえて、窓をおとずれるならいとなった。おいおいじっこんをかさねてこころおきなく物を言う間柄となるうちに、独居の和尚の不便をあんじて、なにくれと小用に立ち働くようになり、いつとなくその高風に感じ入ってみずから小坊主に姿をかえ、側近につかえることとなった。
このタヌキは通称を団九郎といい、眷族では名の知れた一匹であったそうな。ほどなく経文をそらんじて諷経に唱和し、また作法をおぼえて朝夜の座禅にくわわり、あえて三十棒を怖れなかった。
六袋和尚は和歌俳諧をよくし、また、おりにふれて仏像、菩薩像、羅漢像などをきざんだ。その羅漢像、居士像などには狗狸に類似の面相もあったというが、おそらく偶然の所産であって、団九郎に関係はなかったのだろう。
いつとなく、団九郎も彫像のざんまいを知った。木材をさがしもとめ、和尚の熟睡をまって
六袋和尚は六日さきんじておのれの死期を予知した。諸般のことをととのえ、辞世の句もなく、特別の言葉もなく、あたかも前栽へ逍遥に立つ人のように入寂した。
参禅の三摩地をあじわい、諷経念誦の法悦を知っていたので、和尚の
新らたな住持は弁兆といった。彼は単純な酒徒であった。先住の高風にくらべれば百難あったが、彼もまた一生
弁兆は食膳の吟味に心をくばり、一汁の風味にもあれこれと工夫を命じた。団九郎の座禅諷経をふうじて、山陰へ木の芽をとらせに走らせ、また、しばしばソバを打たせた。一酔をもとめてのちは、肩をもませて、やがて
一夕、雲水の僧に変じて、団九郎は山門をくぐった。おりから弁兆は小坊主の無断不在をかこちながら、酒食のしたくに余念もなかった。
雲水の僧は身のたけ六尺有余、筋骨隆々として、手足は古木のようであった。両眼はたいまつのごとくに燃え、両ほおは岩かたまりのごとく、鼻孔は風をふき、口はアラナワをよりあわせたようであった。
雲水の僧は
「
酒糟
弁兆はとっくりをおとし、さて、臍下丹田に力をこめて、まず大喝一番これに応じた。
と、雲水の僧は、やおらかたえのいろりの上へ半身をかがめた。左手に右の衣そでをおさめて、
「
酒糟の漢よく仏法を食うやいかに」
雲水の僧はにじりよって、まっかなおきを弁兆の鼻先へつきつけた。弁兆に二喝を発する勇気がなかった。おもわず色をうしなって、飛びのいていた。
「這の略虚頭の漢(いんちきやろうめ)!」
雲水の僧はやにわにおどりかかって、弁兆の口中へおきをねじこむところであった。弁兆は飛鳥のごとくに身をひるがえして逃げていた。そのまま逐電して、ふたたびゆくえは知れなかった。
雲水の僧は住持となった。人よんで呑火和尚といった。すなわち団九郎ダヌキであった。
村に久次というしれものがあった。大青道心の座禅三昧をおかしがり、法話のつどいのある夕辺、
はたして和尚は、開口一番、放屁の誘惑にろうばいした。臍下丹田に力をこめれば、放屁の音量を大にするばかりであり、丹田の力をぬけば、心気転倒してなすところを失うばかりであった。
「しばらく誦経いたそう」
和尚は腹痛をおさえてやおら立ちあがり、木魚の前に端座した。
釈迦牟尼成道の時にも降魔のことがあった。正法にはかならず障害のあるもの。放屁をおさえようとして四苦八苦するのもまだ法を会得すること遠きがゆえであり、放屁の漏出にろうばいしてなすところを忘れるのもまだ全機透脱して大自在を得る
それにつけても、俗人の済度しがたいことをなげいて、人里から一里ばかり山奥にいおりをむすび、遁世して禅定三昧に没入した。
冬がきて、いなか役者の一行がこの草庵を通りかかった。
雪国の農夫たちは冬ごとにそのふるさとのなりわいをうしない、雪どけのころまで他郷へかせぎにでかけるのが昔からのならいであった。部落によって、あるいは灘伊丹の酒男、あるいは江戸の奉公とさまざまであるが、ところによっては、越後獅子の部落もあり、村まわりの神楽狂言しばいなどを伝承するところもあった。もとより正業は農であるが、副業もまたおおむね世襲で、現今もなおこのあたりには冬ごとにしばいを巡業する部落がある。丈あまりの雪上に舞台を設へ、観客もまた雪原にムシロをしき、持参の重箱をひらいて酒をのみながら見物する。木戸としてとくに規定の金額がないから、金銭を支払う者ははなはだまれで、通例米みそ野菜酒などを木戸銭にかえ、一族ひきつれて観覧にあつまる。演者はただひたすらにしばいを楽しむというふうで、寒気厳烈の雪原とはいえさながらに春風駘蕩、「三年さきに勘平の男前の若い衆はどうなすったね。女の子が夢中になったものだったが、たっしゃかね」「あの野郎はかかあをもらって、今年は休ましてもらいますだとの」などいう会話が幕の間に舞台の上下で交わされる。座長とみえる老爺など終生水のみ百姓の見るからに武骨そのものの骨柄であるが、たくみに女形をしこなして優美哀切をきわめ、涙のそでをしぼらせること、いつの年も変りがないということである。
おりから一行のひとりに病人ができた。通りかかった草庵をこれさいわいに無心して病人をかつぎいれたが、翌日も、また翌日も、はかばかしくいかない。先をいそぐ旅のこととて、ひとりのつきそいを置き残して一座の者は立ち去った。
病人は暮方から熱が高まり、夜は悪夢にうなされてうわごとを言い、しばしば水をもとめた。あけがたにようやく寝しずまるのが例であった。つきそいの男は和尚に祈祷を懇願した。同村の某がおなじような高熱に悩んだとき、真言の僧に祈祷をうけ、
摩耶底連
「拙僧はさような法力を会得した生きぼとけではござらぬ」と和尚は答えた。「見られるとおり俗世間をのがれ、一念解脱を発起した鈍根の青道心でござる。死生を大悟し、即心即仏非心非仏にいたらんことを欲しながら、妄想つきず、見透するところはなはだあさはかな、一尿床の鬼子(寝小便たれ小僧)とはすなわちこの坊主がこと。加持祈祷は思いもより申さぬ」と受けつける気配もなかった。
病人は日ごとにおとろえ、すでに起居も不自由であった。しきりにふるさとの土を恋しがり、また人びとをなつかしんだ。その音声も日を経るごとに力なく、つきそいの友の嘆きを深くさせるのみだった。彼はしつように和尚の祈祷を懇願した。
「定命はこれ定命でござる。いっさい空と観じ、雑念あっては、成仏なり申さぬぞ」
和尚のこたえは、いつもながら、それだけだった。そばに瀕死の病人もなきがごとく、ひねもす禅定三昧であった。そのおおいなる
さりとて病状は一途に悪化をたどるばかりで、人力のほどこす術も見えないので、つきそいの男は、ひまあるたびに、座禅三昧の和尚のひざをゆさぶって、法力のこころみを懇請するほかに知恵のうかぶゆとりはなかった。ゆさぶるひざの手ごたえは太根をはった大松の木のコブかと思われるばかり、なかなか微動をゆりだすことも絶望にみえるありさまであった。
「生者は必滅のならい。執着して、いたずらに往生の素懐を乱さるるな」
和尚は俗人の執念を厭悪するもののごとく、ときに不興をあらわして、言った。そうして、ひざをゆさぶられても、半眼をひらこうとすらしなかった。
しかし、和尚の顔色も、病者の悪化にきそいたって、日に日に光沢をうしない、そのたくましげな全身に、なんとなくおとろえの気がただよった。
春がきて、巡業の一行がふたたび草庵へもどったとき、すでに病人は臨終を待つばかりであった。人びとは不幸な友のまくら頭に凝坐して、悲嘆にくれたが、もとより人の思いによって消える命がとりもどせようものではなかった。
草庵の裏山に眺望ひらけた中腹の平地をさがしもとめて、涙ながらに友のなきがらをほうむった。回向、引導も型のごとくにとりおこなったが、和尚の顔色はますますすぐれず、土気色のむくみをあらわし、眉間の憂悶はかくしもあえず、全身衰微の色深く、歩く足にも力失せがちなありさまがただならなかった。
一座の長が進みでて、一様ならぬ長逗留の不始末をわび、回向の労を深謝したとき、和尚が言った。
「されば、善根、回向は比丘のつとめ。ましてこの身は見られるごとく世をすてた沙門、お礼のことはひらにいり申さぬ。ただ、お言葉ゆえ、所望いたしてよろしいものなら、なにとぞ、一念発起の心根をあわれみ、塵労断ちがたい鈍根の青道心にいたわりをよせたまいて、俗世の風が解脱の障擬とならぬよう、なるべく早う拙僧ひとりにさせてくだされたい」
語る言葉にも力なく息苦しげであった。
人びとはにわかに興ざめ、遺品などとりまとめるにも心せかせて、いとまをつげたが、それを待つ間ももどかしげな和尚のようすに、ほとほと厭気さすばかりであった。
人びとがものの三、四十間も歩いたころ、うしろにふしぎな大音響がわきおこった。低く全山の地肌をはいわたる幅のひろいその音響を耳にしたとき、すでに人びとのふむ足はみずから七、八寸あまり宙にうき、丹田に力のかぎりこめてみても、音の自然に消え絶えるまで、ふたたび土をふむことができなかった。
おどろいて、草庵の方をふりかえると、和尚は柱にすがりつき、呼吸はあらあらしくその肩をふるわせていた。
ふたたび大音響を耳にしたとき、和尚の法衣は天にむかって駈けさるがごとく、すそは高々と空間に張りひろがり、人びとの足は自然に踏む土をうしなって、ふたたび宙に浮いていた。
あるとき、和尚に依頼の筋があって、草庵をたずねた村人があった。
訪うまでもなく、座禅三昧の和尚のすがたが、まる見えであった。
「おたのみ申します」
と、訪客は和尚のうしろすがたにむかって、つつしみ深く訪いをつうじた。趺座の和尚に微動もなく、返事もなかった。四たび、五たび、訪客はしだいに声を高らかにして、おなじ訪いをくりかえしたが、さながら木像にものいうごとく、さらに手ごたえの気配がなかった。
さて、所在もなさに見まわせば、すでに屋根はかたむいて、ところどころにすきまをつくり、また大空ののぞけて見えるあなもあった。雨の降る日は傘さしてもまにあうまいと思いやられるのもことわり、畳はすでにコケむすばかりのありさまであった。長虫はところを得てはいまわり、また
訪客は縁先ににじりよった。
「もし、和尚さま」
首をつきいれて、三たび、四たびくりかえしたが、声のつうじた様子もなかった。
たまりかねて、ぬれ縁へ片ひざをつき、はいこむばかりの姿勢となって、片腕をのばして和尚の背中をゆすろうとした。
「もし。和尚さま」
やにわに彼はもんどり打って、土の上にころがっていた。彼はそのとき、今のさっき目に見たことが、いかように工夫しても、のみこみかねるありさまであった。
うしろ向きのすがたではあるが、不興げなかげが顔をかすめて走ったかと想像された一瞬間、たしかに和尚のすがたがむくむくとふくれて、部屋いっぱいにひろがったのを認めたはずであったのである。
腰骨のいたみもうち忘れて、訪客はふもとをさして逃げかえった。
ある年、行暮れた旅人が、破れほうけた草庵を認めて立ち入り、旅寝の夢をむすんだ。
すでにすむ人のすがたはなく、壁はおち、はめ板ははずれて、夜風は身にしみてふきわたり、床のすきまに雑草がのびて、風吹くたびにその首をふった。
深更、旅人はふとわが耳を疑りながら、目をさました。そのいる場所にすぐ近く、人びとのざわめきの声がするのであった。それは遠くひろびろと笑いどよめく音にもきこえ、またすぐ近くあまたの人が声をころして笑いさざめく音にもきこえた。
旅人は音する方へにじりよった。壁のあなを手さぐりにして、ひそかにのぞいた。そうして、そこに、わが眼をうたぐる光景を見た。
そこは広大な伽藍であった。どのあたりからさしてくる光ともわからないが、かすかにただよう明るさによっては、奥の深さ、天井の高さが、どの程度とも知りようがない。さて、広大な伽藍いっぱい、無数の小坊主がひざつきまじえてうごめいていた。ひとりは人のそでをひき、ひとりはわが口を両手におさえ、ひとりはおのれの頭をたたき、またひとりは脾腹をおさえ百態のかぎりをつくして、ののしり、笑いさざめいていた。
やがてもっとも奥手の方に、ひとりの小坊主が立ちあがった。左右の手におのおの小枝をにぎり、その両肩へ小枝をかつごう姿勢をとって、両ひじをはり、一声高くこう歌った。
「花もなくて」
うたいながら、へっぴり腰もおもしろく、飛びたつように身も軽くひと舞いした。
「あらはずかしや。はずかしや」
小坊主は節おもしろく歌いたてて、両手の小枝を高々と頭上にささげ、きりきりと舞った。と、舞いおわり、ヒョイとシリをもちあげて、一足ぽんとけりながら、放屁をもらした。
村人が寄りつどい、草庵を取りこわしたところ、仏壇の下にあたった縁下に、大きな獣骨を発見した。片てのひらの白骨に朱の花の字がしみついていた。
村人はあわれんで塚を立て、周囲にあまたの桜樹を植えた。これを花塚とよんだそうだが、春めぐり桜に花の開くごとに、塚のまわりの山々のみは嵐をよび、終夜悲しげに風声がさけびかわして、一夜に花をちらしたということである。この花塚がどのあたりやら、いまは古老も知らないそうな。
底本:「坂口安吾全集 02」筑摩書房
1999(平成11)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文体 第一巻第二号」
1938(昭和13)年12月1日発行
初出:「文体 第一巻第二号」
1938(昭和13)年12月1日発行
入力:tatsuki
校正:今井忠夫
2005年12月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアのみなさんです。
踊る出羽三山
相場の神様
本間
相場の神様、投機の神様、出羽の天狗の異名がある。まるで見てきたかのようにものをいうのは、いまにはじまったことでなし。ろくすっぽ知らないのですが、そこはいつものひらきなおり。タイムリーなのでこの人物について調べてみることにしました。
一七一七年(享保二)生まれ。酒田の大富豪、本間家初代の五男。二代目をついだ長兄が晩年病気がちだったため、宗久三十五才のとき家業をひきうける。商売を手広くひろげ、米相場で巨利を博す(『新編 庄内人名辞典』より)。酒田の本間さまについてはいまさら説明するまでもなく、大東亜戦争終結後の食糧難とインフレーションのさなか、GHQが日本再生の皮切りに選んだのが国内第一の大地主、本間家でした。昭和二〇年十二月マーク・ゲインが酒田へ訪れて調査し、その後、農地解放政策がはじまる。
頼朝軍が奥州平泉へ攻め入ったさい、藤原秀衡の妹とも後妻ともいう
本間家は、もとは
本間家歴代当主のなかでおそらくもっとも有名なのは、庄内浜の砂丘地で大規模な植林事業を成功させた
光丘は幼少のとき、地元の修験・覚寿院賢秀のもとで経史を学ぶ。天台宗(『酒田の本間家』)とも真言宗(『人名辞典』)とも説がある。賢秀は神道・仏道のほか儒学にも長じて、寺子屋をいとなんだ。
かたや
当時の
偽装や風説の流布・横流し・買い占め・企業買収など、もとより当時からおりこみずみのこと。いまさら性善・性悪などちゃんちゃらおかしい。物と物を交換することをおぼえたときから経済がはじまり、交換・交流・物の取り引きがつづくかぎり経済はどこまでもつづく。男女のあいだでも、師弟のあいだでも、友人関係のあいだでも、医師と患者のあいだでも、被害者と加害者のあいだでも。宗教のあいだでも、ネットごしのあいだでも、ボランティアのあいだでも。
極端なはなし、人類が絶滅しても経済は残る。動物の個体どうしの取り引き、群れどうしの取り引き、異種間の取り引き、生態系間の取り引き。現代経済は中間流通と中間搾取を代行・カムフラージュするための合法的・合意的システムにすぎない。
さて、宗久が活躍したのは江戸中期ですので、幕末まではしばし(五、六十年ほど)間があります。にもかかわらず、相場の神様のはなしを挿入することにしたのは、二つほど理由があります。ひとつは、宗久が座頭連判貸しなるものを創始したこと。もうひとつは、庄内藩江戸藩邸の御用をつとめるかたわら、寛永寺に出入りして輪王寺宮に仕えたということです。『人名辞典』によると、そののち罪があって職を辞するとある。『──本間家』でも、なんらかの罪におとしいれられて投獄されたとある。大名貸しをはじめて巨万の富をつくるのはその後だったらしい。
座頭連判貸し。
辞典をみると
いわば当時の公認巨大金融システムといっていい。寺社や富豪が座頭に元金を貸す。座頭は庶民へ金を貸す。庶民は座頭へ借金と利息を返す。座頭は寺社や富豪へ元金と利息を返す。そのときの
座頭、幕末、とくれば勝海舟。
勝海舟。曽祖父は越後国三島郡長鳥村(現・新潟県柏崎市)出身の米山検校(盲人・銀一、山上氏)といい、盲目の身でありながら江戸へ出て高利貸しで巨万の富を得た。その後旗本男谷家の株を買い子の平蔵に継がせ男谷検校をなのった。男谷平蔵の三男が麟太郎(海舟)の父・小吉である(ウィキペディアより)。
本間家。座頭。金貸し。
さて、相場の神様、
本間
*1:酒田は『義経記』巻七にあらわれ、一六〇三年(慶長三)最上
*2:光丘は「みつおか」とも読む。砂防植林の距離・幅は要確認。
*3:勝新太郎『検校』『座頭市』シリーズは、子母沢寛『ふところ手帖』収録の短編作品にヒントを得て創作されたもの(ウィキペディアより)。勝新太郎の自伝(あるいは雑誌『別冊太陽・勝新太郎特集』)でもたしかそう書いてあった。
*4:諸藩は幕末まで借金返済に苦慮することになる(要確認)。長州萩藩はとうてい返済できなくて、引き倒すには戦争をするしか手段がなかった、とどこかで読んだ記憶があるがさだかではない。奇跡的に財政再建を成功させた数少ない例として、備中松山藩・板倉
◇参考
『新編 庄内人名辞典』1986.11.
『山形県の歴史散歩』1993.2.
『山形県の地名』平凡社
『酒田の本間家』佐藤三郎 中央書院1972.8.
2006.1.21 あほぉー。勝麟太郎、107回目の命日でしたか。
2006.1.23
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンクは自由です。
取引全面停止版
夢の国
宮原晃一郎
一
雪の降る日でした。
「アア/\/\」
吉ちゃんは大きな口をあけて、アクビをしました。ふとだれやら自分を呼ぶ声がしますから、ふりかえってみますと、暗いかたすみに、白いおヒゲの長くたれたおじいさんが、コウモリがさを手にもって、立っておりました。
「ぼくを呼んだのは、あなたですか。」
吉ちゃんはふしぎそうにききました。
「ああわしが呼んだ、おまえはたいへん勉強するね、すこし休まないか、おもしろいものを見せてあげるよ。」
吉ちゃんは変なおじいさんだ。いったいどこから、いつ来たのだろうと思いました。けれどもぜんぜん見知らぬ人でもないようでした。
「ああそうそう。」
と、吉ちゃんはそのとき不意に思いつきました。
「あなたは去年のクリスマスに、青年会館に出ていらした、サンタ・クロースですね。」
おじいさんは、にっこり笑いました。
「似ているかもしれないが、ちがうよ。わたしはねえ、オレ・リユク・ウイという名さ。」
「へえ、やはり西洋人ですね。」
「いや、西洋人でもなければ、
「夢の国? そんな国がありますか。」
「あるとも/\、わしの名はそれに
「ええありがとう、でもこんなに雪がふっちゃ、外は
「いいえ、外へ出なくてもいいのだよ、ただそこへ
オレ・リユク・ウイのおじいさんは、そういって、手にもったこうもりがさをひろげて、吉ちゃんの頭の上にさしかけました。
それはキレイなふしぎな絵をかいた傘でした。子どもの顔をした花やら、人間のようにあるく動物やら、まだみたこともない形や色をしたものが、たくさんにかいてありました。しかも、それが活動写真のように、動くのでした。
「これが夢の国ですか。変なところですねえ。日本とはまるでちがっている。」
吉ちゃんがいいますと、オレ・リユク・ウイは、
「日本のようなところもあるよ。そこが見たければ、つれていってあげるよ。ちょっと眼をつぶりなさい。」
と、いいました。
二
「ああ本当にふしぎ々々々。」
と、
「おじいさんここはどこ? ええ? 浅草の観音様?」
「さあ、そうかもしれない。夢の国のところの名はむずかしいから、言わないでおこう。」
「あれ、あすこに石の鳥居がみえますよ。けれども
「うん、そんなものはない、けれどもね、ひとつおまえに言っておくことがある。それはおまえにどっさりおみやげをやろうということだ。しかし、わしのいうとおりにしなければいけないよ。いいか、あの鳥居が三つあるから、そのうちの一番目のでも二番目のでも、そこにあったものは、おまえがとってもいい。けれどもそんなものは本当に、おまえのためにならんから、ほしくてもとらないで、三番目の鳥居に行ってから、はじめて取るのだよ。それではわしはここでしっけいする。日本へ帰るのはわけはない。おみやげさえ取れば、あとはひとりでかえれるから。」
オレ・リユク・ウイはそう言ったかと思うと、ふとそのすがたを消してしまいました。
一番目の鳥居にきてみますと、はたして、そこにひとつの豆自動車がありました。けれどもその自動車は、あたりまえの形をしていませんで、前の方が竜の首になって、乗るところはちょうどその背中にあたるところでした。そして金と銀とで全体ができて、いろいろの宝石、ダイヤモンド、ルビー、
「おや、めずらしい自動車だなあ。」
吉ちゃんはおもわず、足をそこに止めて、見とれております。
「ぼくもこんな自動車がひとつほしいな。」
おじいさんの言ったことなんか忘れて、吉ちゃんは、ほしいと思いました。すると、すぐに、
「さあさあお取んなさい/\/\/\、お取りになれば、あなたのものですよ。だれもなんとも言いはしませんよ。」
と、竜の首になっているところが、ふいに口をききました。
吉ちゃんはビックリしました。
「おや、ふしぎな自動車だ、物をいうのねえ。」
「ええ、この国のものは、なんでも物をいいますよ。」
「そうかね。——うん、ぼく欲しいね、この自動車が——。それでもオレ・リユク・ウイのおじいさんが、一番目の鳥居のものは、取っちゃいけないっていいつけたから……」
「なあに、あのおじいさんの言うことなんかあてになりゃしません。はやくお取んなさい。まあ乗ってごらんなさい、わたしは一時間に千里はしりますよ。」
「千里! 一時間に? うん、じゃ乗ってみよう。でもぼくのものにするんじゃないよ。でないとおじいさんに知れると悪いから。」
「ただ乗るだけですか。」
と、自動車の竜は、ちょっと首をかしげました。
「困りましたなあ。そして乗ってしまったら、あとはおいてけぼりにされるんですか。」
「だって外にもっといいおみやげがあるから、オレ・リユク・ウイのおじいさんが、取っちゃあいけないといったもの。」
「ではしかたがありません。あなたが
「どのくらいあるの、遠いってのは。」
「十里あります。だからお乗りなさい。」
「でも、ハンドルがないじゃないか。」
「ハハハ」
と、自動車は笑いました。
「この国じゃハンドルなんて、めんどくさいバカげたものはありません。あなたが乗りさえなされは、自動車はひとりでに、どこへでもあなたのお好きなところへ行きます。飛行機のように空にでものぼります。」
吉ちゃんはそのいうとおりに自動車にのりますと、自動車はふわりと宙に浮いて、またたくうちに、二番目の鳥居の前にとまりました。
三
第二の鳥居には
「ああよくきてくれたね、君のくるのをまっていたのだ。」
と、声をかけました。
「おや、君はぼくを知っているのかい。そして君は人形じゃないか。どうしてそんなに物が言えるの。」
「ハハハ」
と、人形は笑いました。
「この国じゃなんでも物を言って、なんでもひとりで動くのだよ。そんなことをきいているよっかも、はやくこの服を着てくれたまえ。ぼくこまっているんだ。」
吉ちゃんは首を横にふりました。
「そんなおいはぎなんかぼくできない。それにオレ・リユク・ウイのおじいさんが、二番目の鳥居のも、取っちゃいけないと言ったんだもの。」
「あのおじいさんの言うことなんか、あてになるものかね。いいからぼくがあげるというのだ。おいはぎじゃない。どうか取ってくれたまえ。」
吉ちゃんも、洋服がとうから欲しかったのでした。けれども吉ちゃんの
「ではねえ、ぼくに貸してくれたまえ。きたないけれど、そのあいだぼくのきものを着ていてねえ……三番目の鳥居に行くまででいいのだよ。おみやげができたら、ぼくすぐに
「ああいいとも/\。さあさあ着たまえ、着たまえ。」
人形はさっさとりっぱな洋服をぬいで、吉ちゃんにわたしました。そして裸になったまま、吉ちゃんの着物なんか着ないで、そのままよたよたといってしまいました。
「まあおかしな人形だ。さむくはないかしら。」
「いいえ。」
と、そばから竜の豆自動車が口を出しました。
「この国じゃ、さむいことも、暑いこともないのです。もっともあなたのような外国人は別ですがね。外国人だとそんなこともあります。けれどもそうなると、すぐその国へ追い出されて、もういちどオレ・リユク・ウイのおじいさんが、むかいにこないうちは二度とここへこられません。さあ、そんなことはどうでもいいです。はやくお乗りなさい。三番目の鳥居に行きましょう。」
三番目の鳥居は木のボロボロにくさった小さな鳥居でした。吉ちゃんはがっかりしました。
「なんだ、こんな汚ない、ちいぽけな鳥居か。おまけにおみやげになるような
「だから
と、竜の豆自動車は申しました。
「あのおじいさんのいうことなんか、あてになりゃしませんよ……
「本当だね、じゃ帰ろう。」
吉ちゃんは自動車にのりかけると、
「もしもし。」
と、よびかけるものがありました。見ると、鳥居の根にポケットの中に入れるぐらいの、ススけた大黒様がありました。
「吉坊/\、おまえわしを忘れちゃいけないよ。わしをひろっていかなければいけないよ。」
大黒様は、かなりはっきりした声で申しました。吉ちゃんは頭を
「あなたは汚ないね。取ったら、手がよごれるでしょう。」
「よごれたってかまわない。わしをポケットに入れなさい。」
吉ちゃんはこまって、竜の豆自動車にききました。
「どうだろう。大黒様をつれて行ったものだろうか。」
「さあ、どうでも。」
と、自動車はいいました。
「あなたのお心まかせです。けれどもこの大黒様は、もう千年も年を
「そう、じゃしかたがない、つれて行こう。」
吉ちゃんが大黒様をひろって、ポケットにいれると、手にも服にも真っ黒にススがつきましたから、いやな顔をして、はらっていると、大黒様はそっと頭をのぞけて、ニコニコ笑い、
「そんなことを気にしなさるな。いまにもっといいものをあげるから、それよっかも、おまえはだいじなものをひろわない。あれ、あすこにおしゃもじが落ちている。あれがたいへんな宝だ。はやく、ここへ持ってきなさい。」
そのおしゃもじは、いっぽうは焼けこげになっている汚ないものでした。吉ちゃんは、バカらしいとは思いましたが、なんでも知っている大黒様のいいつけですから、しかたがないから、ひろって別のポケットにいれました。
「さあ、こんどはちっと、遠くへ行こう。」
と、大黒様はいいました。
「おい自動車、一万里の速力になって、千里さきへ行ってくれ。」
「へい、
自動車は、目にもとまらぬ速さで、プーンと空をとびました。
四
千里さきは妙な国でした。
そこでは、みんな人でも物でもさかさまになっていました。両足を天にあげて、もがもがさしてくるしそうなのです。そして人はくちぐちに、
「ああくるしい/\、助けてくれ/\。」
と、いっていました。
「どうしたんでしょう、大黒さん、なぜあんなにさかさまになって歩くんでしょう。」
「ここか。」
と、大黒様が申しました。
「ここは鏡の市というところさ。やはり夢の国のうちなんだよ。だがね、ここでひとつおもしろいことをして遊ぼう。あのさかさまの人や物を、ひっくりかえしてみよう。おまえあのおしゃもじを持っているね。」
「ええ、ここにあります。」
「それをだして、焼けていない方を前へ向けて、クウル、クリイル、ケーレとじゅもんをとなえるのだ。いいか、やってみなさい。」
吉ちゃんはそのとおりにしますと、ふしぎ/\、音もしないで、ピョコリと、人でも物でもみなあたりまえになりました。するとそこいらにいた人たちが、うようよと自動車のまわりへ集まってきました。
「ありがとうございます/\。あなたのおかげでみんなが、ちゃんとなって助かりました。あなたは神さまでございます。」
ひとり々々ペコペコとお礼をいいます。そのうちにひとりのりっぱな服を着た人が、その中から進み出て、ていねいにおじぎをいたしました。
「
大黒様はポケットの中から、行くといいなさいと、すすめますから、吉ちゃんも、では行きましょうといって、その男に案内さして市長のうちへ行きました。
市長のうちはたいへんりっぱな、大きなお城でした。けれどもふしぎなことには、なんだかゴタゴタしていて、吉ちゃんをうっちゃらかしたままだれも出て来ません。
「大黒様。」
と、吉ちゃんはもうなんでも大黒様にききさえすればわかると思っています。
「どうしたのでしょうね、このさわぎは。それに、お客さまのぼくを、だれもかまってくれないじゃありませんか。」
「うん、これか。」
と、大黒様は申しました。
「これはいつもあることなんだ、世界がひっくりかえったときには。——いまにわかるよ。」
言っているうちに、りっぱな服に、左の腕に黒い布をまいた人が出てきました。その顔は
「
と、その人はていねいにおじぎをして申しました。
「あなたのおかげで、
「はあ、そうですか……なるほど、あなたの顔はあおいですよ。いったいどんなことがおこったのですか。」
と、吉ちゃんはもったいらしく大人ぶって言いました。
「ええそれはあなたに申しかねますが、実のところ、
吉ちゃんがなにかいおうとすると、大黒様がポケットの中から小さな声で、
「そんなことなら、ぼくがすぐよくしてあげますといいなさい。」
と、すすめました。
「そうですか、ええと、ではぼくがよくしてあげましょう。」
と、吉ちゃんはえらそうにいいましたので、市長はたいへん
「ではちょっとみんなこの
と、いいつけました。
みんなが去ってしまうと、大黒様がまたいいました。
「またそのおしゃもじの焼けない方で、娘の顔を
吉ちゃんがそのとおりにしますと、娘はすぐよみがえりました。
五
そこで市長は
それはこんなキレイな人たちが、前のように、さかさまになったら、どんなものだろうか。どんな顔をするだろうかということでした。よく子どもはマタのあいだから、さかさまに世界を見るものです。吉ちゃんはマタのあいだからではなく、ちゃんとしたまま、世界のさかさまになったのを見たくてしかたがなくなりました。そこで、大黒様にはないしょで、そっと、例のおしゃもじを出し、こんどは前とは反対に、焼けこげた方をすこし向けてみますと、はたして考えたとおり、舟がゆれるようにみんながいっぽうへかたむきました。
「うん、これはおもしろいぞ。やあ変な顔をしている。そらもとへかえしてやるぞ。」
吉ちゃんがおしゃもじの焼けない方を向けると、またみんなが元気よく、おどったり、はねたりします。こげた方を向けると、みなかたむいて、心配そうな顔になる。吉ちゃんはおもしろがって、おしゃもじをヒョイヒョイ向けかえているうち、ふと手に力が入りすぎて、焼けた方を向けますと、さあたいへん、部屋も人もみんなちゅうがえりをして、それといっしょに吉ちゃんもすてんとひっくりかえりました。ビックリして目がさめると、吉ちゃんは自分のつくえに頭をつけて、ねむっていたことがわかりました。
底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「日本文芸童話集 上」興文社・文藝春秋社
1927(昭和2)年10月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
1923(大正12)年4月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアのみなさんです。
偽造工作版
牧野さんの死
坂口安吾
牧野さんの自殺の真相は彼の生涯の文章がもっともよく語っている。牧野さんの文学は自殺を約束したところの・自殺と一身同体の・文学だった。
牧野さんは理屈の言えない人で、自分の血族と血族にあらざる者とを常にただ次のような言葉によって区別していた。「あれはほんとの蒼ざめた悲しさのわかる人だよ」牧野さんがぼくの小説をほめる言葉「ねえ、ほんとに、なんともいえない蒼ざめた君のすがたがあの中にあるんだよ」彼が私にいまにもすがりつきそうな情熱に燃えて語るとき、それは「蒼ざめた悲しさ」について語るときのほかになかった。「ゲーテはたいへんな大ボラ吹きだ。なんにも知らないくせに学者ぶった顔をしようとひどい苦労をしてよ、わははははは。あいつはたいへんなスケベじじいだ!」
牧野さんは貧乏だったが、使いきれない分量の収入があるならとにかく、純文学の最大の流行作家ていどの収入なら、おそらくおなじていどに貧乏だったにちがいない。彼は宰相になろうとか人心をたかめようという野心や理想はなかったが(作家のうちでもっともなかった)しかし、「貧乏でなければならなかった」。牧野さんは人生を夢にかえた作家である。彼の最大の夢は文学であり、われわれにとって人生とよばれるものが彼にとっては文学の従者となり、そのための特殊の設計をうけなければならなくなる。彼自身はいっぱし人生を生きていた気で、じつは彼の文学を生き、特殊の設計をうけた人生をしかもみずからは気づかずして生きていた。彼の自殺すら、みずからは気づかざる「自己の文学」に「復帰」した使徒の行為であったのだろう。彼の文学が設計した人生によれば、彼は貧困でなければならず、けれども明るくなければならない。そこで彼はある日銀座で泥酔し女房へのみやげには陸上競技のなげやりを買い、これをかつい高らかに
おなじように、彼は「スケベでなければならず(ゲーテのように)女房にかくれあだな女によこしまな思いをよせなければならず」、しかし彼は人にゆるされたもっとも高度の純潔をもった紳士であった。彼がつねに愛用した言葉をかりれば、ラ・マンチャの紳士のように、紳士であった。
設計しすぎた人生のために同時代の友人をうしない、多感な青年ばかりが彼の親友になった。同時代の人といえば歌舞伎座の鈴木君ぐらいのもので、そのほかの友人群にぼく以上の年配の人はほとんどない。中戸川吉二氏と絶交のてんまつなぞというものは珍中の珍で、なんでも深夜泥酔のあげく、牧野さんは数名の青年をひきい中戸川氏をたたきおこしたものらしい。その翌日わたしのところへ牧野さんから電話がきて、すぐ遊びにきてくれないかというのでかけつけると、彼はひどく
バイロンはきわめて稚気愛すべき名誉心をもった男で、あるとき人が彼をルッソーに比較した。ところがロード・バイロンはルッソーが下男の子どもであるという一点において彼と同等に論ぜられることがひどくふきげんだったという。ことほどさように自己に
わたしは近年牧野さんと文学上の見解を異にしあまり往来しなかった。わたしは詩人から小説家になった。すくなくとも、なろうとしていた。わたしたちは詩と小説の食いちがいで会えばかならず
私がはじめて牧野さんを知ったのは二十六歳の夏で、そのとき牧野さんは三十六だった。その春わたしは自分のやっていた「青い馬」という同人雑誌に「風博士」というのを書いた。わたしはかようなファルスがひとつの文学であることを確信はしていたが、日本に先例のすくない作品であり世評もわるく自己の文学上の信念に疑惑すらいだきはじめていた。ところが文藝春秋で牧野さんがこの作品を激賞した。わたしはむしろあぜんとしたばかりで、自分の信念にひびのはいったわたしは牧野さんをたずねる勇気も手紙を書く元気もなく、とにかく自分をたてなおすつもりで「黒谷村」というのを書いたが、新聞の文芸時評で牧野さんはふたたび「黒谷村」を激賞してくれ、同時に遊びにこないかという地図入りの手紙(この地図のデタラメさったらない、道の方向がぜんぜん逆であった)をくれた。そのときはじめて牧野さんにあったわけだが、当時彼は大森山王に一戸をかまえ、ちょうど春陽堂から「文科」の発刊される時で、わたしは初対面の日「文科」に長編を連載するよう
わたしの知るかぎりでは文科時代が牧野さんの一番飲み歩いた時代で、わたしたちのほかに河上徹太郎・中島健蔵・佐藤正彰・三好達治そのほか嘉村礒多がときどき加わりひとこともしゃべらずすみにすわっていたりした。酒もまた牧野さんの人生の一設計で、彼は「飲み助でなければならなかった」けれども、飲み仲間ではだれよりも酒に弱く、酒がときどききらいですらあった。
そのころも牧野さんの神経衰弱がはじまっていた。牧野さんの神経衰弱は奥さんのヒステリーをともなうのが例で、ふだんはストア派の牧野さんが神経衰弱になると小説を創るにも苦吟するようになり、したがってかれの人生の設計を深刻化し立体化する必要にせまられる。彼は女に「もてたかった」し、また「もてなければならなかった」。そして「あだ心をもやさなければならなかった」。文学の苦吟が深まると、彼は奥さんの前ですら「しばいができなくなり」むしろけっして大胆に恋愛をしたり情婦をつくったりすることのできない彼は、内心の欲念をあたかもげんに実行しつつあるかのようなしばいすらしなければならなくなる。彼は意識上にとどまる欲念すらあざむくことができないのである。彼の文学が意識上に夢の人生を設計しつづけたことを思えば、意識上の姦淫が実人生に混線し混乱するどあいは、俗世間の大悲劇にそうとうする錯雑をきわめた難問に匹敵したかもしれないのだ。
当時牧野さんはあたかも某婦人(かりにA婦人とよぶ)と恋愛があるかのようにその人生を仮構してしまった。もちろん「恋愛したかった」のも事実であろうが、奥さんをすててまで恋愛に没頭できる人ではなく、彼は奥さんを愛していた。むしろただひとりの味方であると信じていた。彼のばあい、恋愛はできる「はずがない」のである。こんなことは退屈の生むちょっとしたイタズラにすぎないので、はたから見ているわたしたちにはなんでもないことなのだ。しかし神経衰弱になると奥さんもヒステリーになる、あらそいのあげく牧野さんは暴力をふるう、ますます奥さんのヒステリーも強まるという状態で、余波をくらって悪い
当時牧野さんは泉岳寺付近へ越したばかりで小学二年生だったむすこ英雄君の学校のことで苦労していた。これからも転々住所をかえることはわかっているから(彼は書けなくなるとひっこしをした)ひっこしても転校の必要のない学校へ入学させたいという。私が暁星学校をすすめると牧野夫妻も賛成だったが、かんじんの夫婦が反目の最中で神経をとがらしているから手がつけられない。牧野さんは狂人のような目つきをしてふきげんにおしだまっているというありさまで、私もついしゃくにさわってそのころさかんにケンカをしつづけ、ひところは神経的な不和を生じた。牧野家へ足をふみいれるのもユウウツしごくで不愉快だったが、ほったらかしてはおけないのでいやいやながら英雄君をひきまわしてとにかく暁星へ入学させてしまったのである。金がかかるといってこぼしていたが、一風かわった私学の風習が牧野さんの趣味にかなった様子で、あの学校の父兄の中では「牧野さん」(彼はときどき自分に敬称をつけて呼んだ。むしろ愛称というべきで、こういう点でも彼は完全に自己に
横須賀ではイガグリ頭にしてしまった。兵隊の生活を見ているうちに同化されてやったらしいが、飲み屋へ行くと中尉にはまちがわれるが、どうしても大尉にはまちがえられぬと笑っていた。これも彼の設計された人生であろう。
東京へうつった報らせで私がおとずれたのは去年の十一月のはじめであった。牧野さんは睡眠中で、出てきた奥さんがまたひどい神経衰弱でなぐられどおしだとうったえた。何とかいうめんどくさい名前の催眠剤をいちいちていねいに
今年になって三度会ったが、わたしの会っているうちは昔とまったく変らない牧野さんであったのである。
こんどの夫婦別居のことが自殺の原因のようにおおげさな問題になり、新聞では奥さんがひどくわるものになっているが、これはたしかに不公平だ。第一に、なんといっても自殺の真の根幹をなすところは彼の生涯の文章がもっとも明白に語るとおり、彼の一生の文学が自殺を約束された、自殺と一身同体の、文学だったと見なければならない。
一八五五年一月二十五日パリでひとりの牧野さんが首をくくって死んだ。ゲラル・ド・ネル※[#濁点つきカタカナワ、1-7-82]ルがそれである。彼の絶筆となった小説はオレリア(別名・夢と人生)で、「夢は第二の人生である——」という書きだしにはじまる彼の生と知性との宿命的な分裂をうたった傑作だが、テオフィル・ゴーチェによれば、ネル※[#濁点つきカタカナワ、1-7-82]ルの死は「夢が人生を殺した」のであった。牧野さんまたしかり。ふたりはともにゲーテの熱読者であったのは奇縁だが、牧野さんはおそらくネル※[#濁点つきカタカナワ、1-7-82]ルの名前すら知らずに死んだ。
その深夜ネル※[#濁点つきカタカナワ、1-7-82]ルは泥酔していきつけの飲み屋をたたいた。飲みたりなかったらしい。飲み屋は店をとじたところだったので、ネル※[#濁点つきカタカナワ、1-7-82]ルにねばられるのがいやだつたから戸をあけようとしなかった。「ええ、ままよ」そんなことをつぶやいて彼の
牧野夫妻の別居の原因というのはじつはたあいもないことなのだ。とくに私にはそれをいう権利がある。ひとむかし前の夫婦げんかにぐあいの悪いくぢをひいたわたしは、今回の夫婦げんかに公平な裁判官でありうるのだ。
例のとおりの牧野さんの仮構された恋愛から出発する。相手をB婦人と名づける。(宇野女史ではない)牧野さんが二年たっぷりほとんど小説の書けないことは前にも言った。われわれがふつうそうであるように、心にもない小説を書きなぐることが、あの人にはできなかった。夢の混乱がはじまり、例の意識上の姦淫が実人生の問題になってきた。すべては文学の道具で、たとい肉体上の姦淫がおこなわれたにせよ、それによって夫婦関係が不純になるような深刻なものではなかったのである。それに牧野さんは最近インポテンツの傾向がしだいに強くなっていた。そのことをわたしは彼にもらされて知っていたが、おそらくそんなことも原因して、奥さんはあたかも彼とB女史とふかい関係ができたために疎外されているように解釈したのではないだろうか? わたしたちの眼からみれば牧野さんの愛妻ぶりは天下の範とするにたり、また奥さんの貞淑さも天下の範とするにたり、とうてい第三者、ことに女性の介入を許さぬものがわかっていたから、ときどき牧野さんが、「スケベでなければならぬ」時があっても、この模範的な夫妻に最後の問題が起きようなぞとは考えなかった。
牧野さんは気の弱い人でともだちにワガママもいえなかった。わがままいっぱいにふるまえたのはただ奥さんの前だけで、これを悪い例でいえば、夢と生のくいちがいを腕力に表現してうっぷんをはらすことのできたのもゆいいつの味方とたのむ奥さんなればこそであったが(これは皮肉でない)これをおぎなってあまりあるだけの愛妻のための精神的苦労(たとい物質的にまで具現することはまれであったといえ)はわれわれの眼によくわかった。むしろ痛々しくもあった。
B婦人の問題なぞも牧野さんの神経衰弱とそれにともなう奥さんのヒステリーがおさまりさえすれば自然あとかたもなく消えてしまうことなのだが、あいにく悪い事件が起きた。ひとむかし前のぼくの役割を引きうけるはめになった某が、痴話げんかに深入りしすぎたのである。こういうことは感傷上の問題でひじょうに偶発的な性質をおびているから、大きな問題にしてはいけない。奥さんと某の失踪という事件が起きた。失踪といっても恋愛とかかけおちというばあいとちがう。ユウウツしごくでたまらないから、ついずるずるべったり活動でも見てすごしていたということとまったくおなじ感傷的なできごとで、姦淫の要素はみじんもないし、奥さんの性格から、こういう事件のなんでもなさはきわめて明瞭にわかるのである。むしろこれが問題になって彼女ははじめてあわてたろう。牧野さんの神経衰弱、奥さんのヒステリーという悪い条件の時でなかったら、奥さんと某とふたりきりでたとい温泉へ行ったにしてもけっして問題にならないだけの習慣もあり間柄でもあったのだ。じっさいの悪徳はなにも犯していないにせよ、牧野さんの精神にひびく影響を考えたら、まず理知ふんべつある男子なるところの某の方でじゅうぶん注意すべきであった。
世人がこの問題を重大に見ているとすればそれは誤解で、牧野さん自身がこの問題を軽視していた。いちどはたしかにまいったろうが、ふたりの潔白は信じきっていた。牧野さんはむしろ自分とB婦人とのあらぬ誤解が奥さんをこうまで錯乱させたことをはじて、単身小田原へかえったのである。牧野さんは奥さんにも小田原へ帰ってもらいたかった。
奥さんは某との失踪が世間の問題になったので、しかし自分は潔白だから、自分の潔白を強めるためにも、こんどの行動の責任を牧野信一の姦淫に負わすべきだと考えついたのであろう、ますます牧野さんをにくんだ「ふり」をして小田原へ帰らなかった。このさいとしてはいかにも女らしい手口をもちいたわけで、おそらくそれでいいのではないかとわたしは考えている。これだけの理由で奥さんを悪妻というのはあたらない。牧野さんが信じたように、そして、牧野さんが信じていたがゆえに、われわれはむしろ彼女を良妻と呼んでいいのだろうと思うのである。牧野さんの奥さんは小田原の牧野さんの母堂と仲がわるかったが、これとて牧野さんが母堂と不和だったから、しかたがなかった。
こんなことはじっさいどうでもいいことだ。これが死をはやめたことにはなっても、自殺の根底はこれではない。彼の夢が彼の「人生を殺した」のだ。
それにしても小田原へひきあげてからの牧野さんの神経衰弱はひどかったらしい。いったい牧野さんはわたしたちと話をしても、死や、いわんや自殺について、かつて語ったためしがない。牧野さんにしてみれば、生きることの難さにくらべて死ほど容易な、それゆえいやな、妖怪じみたやつはなかったのだろう。生きることには値打ちがあるが、死には一文の値打ちもない。語る値打ちもなかったのだ。わたしたちが死をうんぬんすると彼はあらわに不興な渋っつらをつくったのである。
その牧野さんが小田原へひきあげてからは(三月のおわりだ)毎日死についてのみ語ったという。牧野さんの小田原の住宅のとなりに古いなじみの瀬戸一弥君が住んでいるが、毎日瀬戸君をたずねて、死の話をする。孤独になると、死ぬ方法だけしか頭にうかんでこないという。とつぜん手ぬぐいで自分の首をしめ、これでも死ねるとひとりごとをもらしている——すべてがふだんの牧野さんに想像もできぬ錯乱だった。彼は小田原へ越したことをだれにも知らさなかった。小田原の友人たちにすら、瀬戸君以外にはぜったいに知らさなかった。そのくせ孤独がもっともくるしく、なんとかして孤独をまぎらすために毎日瀬戸君をたずね、いったん家へかえったと思うとたちまちまた話しこみにもどってくる、そういうことを日に何度となくくりかえしていたそうだ。
何分神経衰弱がひどく原稿が書けないので催眠薬を買うこづかいがない。母堂に催眠薬を買ってくれと再々たのんだが、もしものことがあるのをおそれて(牧野さんの設計した人生流にいえば、ひどい
東京へ行ってぜひ奥さんをつれてきてくれと瀬戸君に懇願し、とつぜん母堂の肩に手をかけて、たのむからあれをよびよせてくれとさけんだりしたという。死の一週間前英雄君も暁星が休みになったので小田原へ遊びにきた。そのときのオヤジのよろこびようといったらなかったそうだ。そのくせ奥さんへの気がねからか、とつぜん翌日東京へもどしてしまった——
死ぬ前日梅焼酎を一升のんだ。
自殺の日、あいにく瀬戸君がるすだった。もし瀬戸君がいたら、気がまぎれて死ななかったろう。小田原へきて以来、牧野さんは一番たまらないのがたそがれだと言っていたそうだ。夜になればいくらかおちつくという。それは私も思いあたる。ボードレエルにもそういう詩があったようだ。たそがれの狂気のような寂寥は孤独人のもっともたえられぬ地獄の入口のような気がする。牧野さんはまた、こんなことも瀬戸君にかたった。自分の今一番ほしいのはすなおな若い女のともだちだ、と。女中であってすらいい。しかし商売女ではいけない、と。
五時がきた。例のたそがれが近づいたのだ。母堂が海岸へ散歩にでかけようとした。その二時間ほど前、牧野さんはピンポン台にひもを張り首をいれて自殺のマネをやっていたそうだ。牧野さんはとつぜん母堂にすがりついて、どうか出かけないでくれ、おれをひとりにしないでくれと懇願した。しかし母堂は海岸へ散歩にでかけた。
帰ってきたのが五時半ころで、牧野さんのすがたが見えない。台所で女中が夕飯のしたくをしていたのだが、牧野さんが納戸へはいった姿は気づかなかったのである。女中が部屋々々をさがしたあげく、納戸で英雄君のへこ帯をはり縊死した彼を見いだした。
だれの責任でもなかったのだ。牧野さん自身すら。「夢が人生を殺した」のだ。それがほんとの真相なのだ。よしんば死をはやめた多少の事件があるにしても、彼のごとき純粋な死にかぎってそれはまったく問題にならぬ。彼の死は暗い事件ですらない。彼の文学と死の必然的なそして純粋な関係を見るなら、自殺は牧野さんの祭典だったかもしれない。わたしはそう思った。なぜって彼の死ほど
牧野さんはわたしたちと酒をのむと、自分ひとりまっさきに
「ええ、ままよ」おそらく彼はそうつぶやいたにちがいない。「
へこ帯の中へ首をつき込む時、もしなにかつぶやいたことがあるとすれば、それだけのつぶやきしか私には考えられない。彼は自分につかれとおして死んだのだ。私にはその明るさしかわからない。
わたしはお通夜の夜、小田原の街で酔いながら谷丹三にむかって牧野さんの悪たれ口をたたいた。「死んだっておどろくもんか! しかしあいつを死にやすくしたひとつの理由は、彼の最近のインポテンツの傾向だよ」谷丹三も賛成した。そしてわたしは敬愛する詩人の一生の祝典のためにカンパイすることのほかに考えられるものがなかった。それはわたしの強がりではない。わたしは彼の純粋さには徹頭徹尾敗北だ。とてもわたしは死ねないのだ。
(付記) しんみりと重々しく書きつらねる気持ちにならないので、(なんべんも書きだしたのをみんなやぶって)すこし飲み一気に書きまくった。文章がひじょうに雑なことだけわかる。しかしいっていることは、わたしの今のほんとのものだけ思いつくとおり書きなぐったのだ。もっと書かなければならないのだ。しかし今はそれにふさわしくないわたしの状態だ(これは牧野さんの死に関係がない)。もっと気持ちがおちついたら、牧野さんに関するそしてわたしの思想生活にからみつき生きているあらゆることをみんな書こう。だいたいわたしは夫婦関係のことを書きすぎた。こんなことはどうでもいいのだ。彼の死と文学(夢)との結びつく部分に一番多く語らなければならないものがあるのだが、いまはわたしの状態がそれを語るにふさわしくないこと、およびゴシップ的な世評で彼の死がけがされてはいけないという思いがあってか、ついそのことをしゃべりすぎずにいられなかったようである。
底本:「坂口安吾全集 02」筑摩書房
1999(平成11)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「作品 第七巻第五号」
1936(昭和11)年5月1日発行
初出:「作品 第七巻第五号」
1936(昭和11)年5月1日発行
入力:tatsuki
校正:今井忠夫
2005年12月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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タコです。
正月だから、風博士に章魚博士だとです。
タコです。
腹がすくと、じぶんの足でも食べるとです。
タコです。
泣きながら、吸いつかせてもらったことがあるとです。
タコです。
これでも、悪魔のつもりだとです。
タコです。
たまたま、かぜはかせといっしょに乗っていたとです。
腕十字。ハッスル、ハッスル。
タコです、タコです、タコです……
タコの頭にはちまき巻いて、きゅーっとしめたら、しまらない♪
電線に鳥インフルエンザ。おっとっとっと。あいの子リーだ。
伝説のワン・ナイト・カーニバル。ラブ・マシーン。
おくさん、エロリスト、マイアヒ、ペコリナイト、山川です。
格闘技はフィクションだ。口パク・カラオケはドキュメンタリーだ。
ニートか、一級建築士か。それが問題だ。
HG(HaGe)レーザープリンタ、ふぉー。
陀落せよ。
by むてきんぐ@タツノコ
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捏造工作版風博士
坂口安吾
諸君は、東京市某町某番地なる風博士の邸宅をごぞんじであろうか? ごぞんじない。それはたいへん残念である。そして諸君は偉大なる風博士をごぞんじであろうか? ない。ああ。では諸君は遺書だけが発見されて、偉大なる風博士じたいは
風博士の遺書
諸君、彼はハゲあたまである。しかり、彼はハゲあたまである。ハゲあたま以外のなにものでも、だんじてこれあるはずはない。彼はカツラをもって之の
諸君、余をさして
諸君、彼は余の憎むべき論敵である。たんなる論敵であるか? いやいやいな。千辺いな。余の生活のすべてにおいて彼はまた余の憎むべきかたきである。じつに憎むべきであるか? しかりじつに憎むべきである! 諸君、彼の教養たるやあさはかしごくでありますぞ。かりに諸君、聡明なること世界地図のごとき諸君よ、諸君は学識深遠なるタコの存在を認容することができるであろうか? いやいやいな、万辺いな。余はここに
諸君は南欧の小部落バスクを認識せらるるであろうか? もしも諸君がフランス、スペイン両国の国境をなすピレネー山脈をさまようならば、諸君は山中に散在する小部落バスクに
さて諸君、彼の悪徳を列挙するは余のはなはだ不本意とするところである。なんとなれば、その犯行は奇想天外にして識者の常識をがえんぜしめず、むしろ余に対して誣告の誹を発せしむるうらみあるからである。たとえば諸君、
賢明にして正大なること太平洋のごとき諸君よ。諸君はこの悲痛なる
ここにおいてか諸君、余はふんぜん
しかるに諸君、ああ諸君、おお諸君、余は敗北したのである。悪略神のごとしとはこれか。ああタコはクセモノの中のクセモノである。だれかよく彼の深謀遠慮を予測しうるであろうか。翌日彼のハゲあたまはふたたびカツラに隠されていたのである。じつに諸君、彼はひそかに別のカツラを貯蔵していたのである。余は負けたり矣。刀折れ矢尽きたり矣。余の力をもってして、彼の悪略におよばざることすでに明白なり矣。諸氏よ、だれ人かよくタコを
諸君は偉大なる同博士の遺書を読んで、どんなにふかい感動をもよおされたであろうか? そしてどんなにはげしい怒りをおぼえられたであろうか? ぼくにはよくお察しすることができるのである。偉大なる風博士はかくて自殺したのである。しかり、偉大なる風博士ははたして死んだのである。きわめて不可解な方法によって、そして
偉大なる博士ははなはだあわて者であったのである。たとえば今、部屋の西南端にあたる長イスに腰かけて一冊の書に読みふけっていると仮定するのである。次の瞬間に、偉大なる博士は東北端のひじかけイスにうもれて、じつにあわただしくページをくっているのである。また偉大なる博士は水を飲むばあいに、とつじょコップをのみこんでいるのである。諸君はそのとき、じつにあわただしい後悔といっしょにたそがれに似た沈黙がこの書斎にとじこももるのを認められるに相違ない。したがって、このあわただしい風潮は、この部屋にあるすべての物質を感化せしめずにおかなかったのである。たとえば、時計はいそがしく十三時を打ち、礼節正しい来客がもじもじして腰を下そうとしない時にイスははげしいかんしゃくをならし、物体の描く陰影はとつじょ太陽にむかって走り出すのである。すべてこれらのろうばいはきわめて直線的な突風を描いて交錯するために、部屋のなかには何本もの飛ぶ矢に似た真空が
さて、事件のおこった日は、ちょうど偉大なる博士の結婚式にそうとうしていた。花嫁は当年十七歳のたいへん美しい少女であった。偉大なる博士が彼の女に目をつけたのはさすがに偉大なる見識といわねばならない。なんとなればこの少女は、街頭に立って花を売りながら、三日というもの一本の花も売れなかったにかかわらず、主として雲をながめ、ときたまネオンサインをながめたにすぎぬほど悲劇に対してむじゃきであった。偉大なる博士ならびに偉大なる博士などの描く旋風に対照して、これほどふさわしい少女はまれにしか見あたらないのである。ぼくはこの幸福な結婚式を祝福して牧師の役をつとめ、同時に食卓給仕人となる約束であった。ぼくはぼくの書斎に祭壇をつくり花嫁とむきあせに端座して偉大なる博士の来場をまちかまえていたのである。そのうちに夜があけはなれたのである。さすがに花嫁はおどろくような軽率はしなかったけれど、ぼくは内心おだやかではなかったのである。もしも偉大なる博士はまちがえてほかの人に結婚を申しこんでいるのかもしれない。そしてそのときどんな恥をかいて、地球一面にあわただしい旋風をまきおこすかもしれないのである。ぼくは花嫁に理由をのべ、自動車をいそがせて恩師の書斎へかけつけた。そしてぼくは深く安心したのである。そのとき偉大なる博士は西南端の長イスにうもれて
「先生約束の時間がすぎました」
ぼくはなるべく偉大なる博士をおどかさないように、とくに静粛なポーズをとって口上をのべたのであるが、結果においてそれは偉大なる博士をおびやかすにじゅうぶんであった。なぜなら偉大なる博士は色はあせていたけれど燕尾服を身にまとい、そのうえひざがしらにはシルクハットをのせて、たいへんりっぱなチューリップを胸のボタンにはさんでいたからである。つまり偉大なる博士は深く結婚式を期待し、同時に深く結婚式を失念したに相違ないいろいろの条件を明示していた。
「POPOPO!」
偉大なる博士はシルクハットをかぶりなおしたのである。そして数秒の間うたがわしげにぼくの顔をみつめていたが、やがて失念していたものをありありと思いだした深い感動があらわれたのであった。
「TATATATATAH!」
すでにその瞬間、ぼくはするどいさけび声をきいたのみで、偉大なる博士のすがたはけとばされたトビラのむこう側に見失っていた。ぼくはびっくりして追跡したのである。そして奇跡のおこったのはすなわちちょうどこの瞬間であった。偉大なる博士のすがたはとつぜん消えうせたのである。
諸君、開いた形跡のない戸口から、人間はぜったいに出入りしがたいものである。したがって偉大なる博士は外へ出なかったに相違ないのである。そして偉大なる博士は邸宅の内部にもいなかったのである。ぼくは階段のとちゅうに凝縮して、まだ響き残っているそのあわただしいあしおとを耳にしながら、ただ一陣の突風が階段の下に舞い狂うのを見たのみであった。
諸君、偉大なる博士は風となったのである。はたして風となったか? しかり、風となったのである。なんとなればそのすがたが消えうせたではないか。すがた見えざるは之すなわち風であるか? しかり、之すなわち風である。なんとなれば姿が見えないではないか。これ風以外のなにものでもありえない。風である。しかり風である風である風である。諸氏はなお、この明白なる事実をうたぐるのであろうか。それはたいへん残念である。それではぼくは、さらにうごかすべからざる科学的根拠をつけくわえよう。この日、かの憎むべきタコ博士は、あたかもこのおなじ瞬間において、インフルエンザに犯されたのである。
底本:「坂口安吾全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年12月4日第1刷発行
1989(平成元)年12月25日第2刷発行
底本の親本:「黒谷村」竹村書房
1935(昭和10)年6月25日発行
初出:「あおい馬 第二号」岩波書店
1931(昭和6)年6月1日発行
入力:砂場清隆
校正:伊藤時也
2005年11月19日作成
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