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そういえば安彦良和の作品にも雪が描かれていました。『王道の狗』『虹色のトロツキー』。
霧となるとなかなか思い出せません。そもそも少ないのでしょうか。ちなみに雨のにおいはちょっとわかりません。『ブレード・ランナー』は全編通して雨。スコットランドが舞台の『ブレイブ・ハート』、リュック・ベッソン『ジャンヌ・ダルク』。香港映画の竹林や上海にも霧が
***
霧の都ロンドン。ホームズものにも必ず霧が登場する。霧のなかの石だたみを馬車がかけてゆく。姿のみえないうちにひづめの音が聞こえてくる。ステッキの音。靴音。ビッグベンの鐘の音。露天商の声。19世紀末。ただしロンドンの霧は fog ではなくて smog だったろうという説がある。おそらくそれが正しい。当時、木炭や石炭を燃料とした蒸気機関が爆発的に普及する。熱された***
波乗りをしていて、しだいに霧におおわれたことが何度かあります。まず、水平線が不明瞭になります。近づいてくる波も見えにくくなる。それから周囲が見えなくなる。沖のほうだけでなく、ふりかえっても浜がかすむ。たいていこういう天候のばあい、さほど波質はわるくありません。とりたてて良質の大きな波というわけではないけれど、無風なので海面がさざなみ立っていない。視界がうばわれると、聴覚や触覚がはたらきます。静寂。心ぼそくなるくらい。うしろのほうで波がブレイクする音だけが聞こえる。それから、体がゆっくりと上下にもちあげられたりすうっと落とされる。海水が、なんだか水という気がしなくなる。小高い山のような物体。それが霧のなかを近づいては足の下を通りすぎていく。
宮崎さんの作品には雲につっこむ場面がくりかえし登場します。『もののけ姫』でも山霧につつまれるシーンがある。霧雨。雲影。それが風にのって下手へ流れすぎると、一転して陽差しがもどってくる。映像クリエーターとしては描きたくなるのがよくわかる。ただし、その挑戦は気をつけないと製作側の自己満におちいる。リアルにナチュラルを求めるのであれば、実写を撮影して合成してしまえばいい。どちらかといえばラピュタやトトロや魔女宅のデフォルメした自然描写のほうが成功していた。成功していたイコール、個人的に好きだった。描きこまないリアリズム。
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崔監督の映画を見たことがないと書きましたが、『マークスの山』を思い出しました。ビデオだったかと思います。かんじんな結末が思い出せません。それでも断片的なバイオレンスシーンとともに、名取裕子お姉さまの官能シーンがよみがえりました。和久井映見ちゃんがタイマンはってたような気がしたのですが、どうやらそれは記憶の交錯らしい。そのうちに、あるシーンが記憶によみがえりました。吹雪の場面です。
作品のキーになる場面。ただ、どうもスタジオ撮りらしかった。つくりものっぽい。
『王立宇宙軍』。冒頭、シロツグは雪景色の草原をかける。クライマックスで、氷の破片を散らしながらロケットが打ち上がる。『ホワイト・アウト』。スクリーンで見たら迫力あったかもしれないけれど、ブラウン管で見てしまったせいか排水溝のシーンでこけた。宮崎アニメのなかで雪の情景があったかなと思い出してみるのですが、なかなか思い出せない。おそらく『ハイジ』のなかで、吹雪の中、おじいさんとふたりで小屋にこもってチーズを煮るシーンがあったにちがいないし、ペータやユキちゃんとソリにのって野を
『ゴーリキー・パーク』という映画もあった。1960年(昭和35)にはトニー・ザイラーが蔵王へ来て『銀嶺の王者』を撮影したという。『シンドラーのリスト』に粉雪の舞うシーンがあった気がする。『バットマン2』。冒頭でペンギン男のおいたちが雪景色のなかで描かれる。『一休さん』。母上さまと手紙をやりとりする雪のシーン。『ゴースト・バスターズ』や『ホーム・アローン』も舞台はたしか冬だった。『HANA-BI』。病弱な妻・岸本加世子を武が旅にさそう(あるいは妻・加世子が武をさそった、だったかもしれない)。ガラにもないけれど、あの雪の情景はなんかほっとして好きだった。
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小学生のころ、雪のにおいがする、といって友だちにバカにされた記憶があります。それまで、だれでも同じように“雪のにおい”をかいでいるものとばかり思っていました。そう思っていたからこそ口にしたのだけれど。バカにされて以来、だれにも話したことがありません。ほんのかすかだけれど鼻の奥のほうでペンキのようなにおいがする。石油ともシンナーともちょっとちがう。白い水彩絵の具がこんなにおいだったかもしれない。
雪の結晶は、中心の核に硫化物など大気のゴミをふくんでいるという。いまなお雪が降ってくると、あのころと同じようにぼくには“雪のにおい”がする。幼いころの幻覚ではないらしい。硫化物のにおいなんだろうか。雪のなにかが、嗅覚のレセプターの形体に合致するのだろうか。残念ながら変なマッシュルームは自宅で栽培しておりませぬが。
ところで正直なはなし、脳裏にある雪の情景といえば、二つの作品にまさるものがない。
ジョン・マクディアナンの『ダイ・ハード』。This is X'mas. 日本企業をおちょくり、テロリストをおちょくり、政治家をおちょくり、マスコミをおちょくり、ミリタリズムを手玉にとっておちょくる。ちょっとくたびれた、かっこよくないおっさんを主人公にしたのがよかった。もしぼくが製作者だったら、『パート2』の主人公はマクレーンの奥さん、『パート3』の主人公は家のお手伝いさん、そして『パート4』の主人公を彼の娘にしただろう。脚本は浦沢直樹がいいかもしれない。Let it snow. let it snow. let it snow...
暗闇のなか、ようしゃなく雪が降る。そのなかを一人のずんぐりした男がランニングをしながらこちらへ向かってくる。パウダースノーではなく、湿気をおびた牡丹雪。津軽三味がけたたましく鳴る。たえまなくふりつもる雪の情景を、雪国では、もさもさふるとか、もっさもっさ積もるといいます。武田鉄也『刑事物語2・りんごの詩』。
このシリーズからは沢口靖子や鈴木保奈美が育っています。九州男児の武田鉄也にあれほど雪景色が似合うとは意外でした。とりわけ「りんごの詩」はほかのシリーズよりも突出した出来だった。
おっさんが好みというわけでなはいんですが、くしくもひげそりあとの青いような、あぶらぎったおっさんの映画が二本ならんでしまった。不覚……。
2005.10.20
しだひろし/PoorBook G3'99
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NHKラジオ第1/ラジオほっとタイム「いきいきホットライン」
「楽しんでいますか? 活字文化を」
──紙の本でないとダメですか? 変わる活字事情──
10月3日(月)ゲスト:松田哲夫(電子書籍会社社長)
二足のわらじ。活字・紙の本を編集したくて筑摩書房に入る。紙の本を出版して30数年になる。本を読むツールがちがうだけ。いろんな読書の機会があると考えれば、たのしみが増える。紙の本と電子の本は敵対するものではない。視聴者からは「紙にかぎる。文学はとくに」「装幀に心ひかれる。本は手でふれるもの」など“紙”派の声が多い。
長期旅行・入院、通勤途上、かならずしも装幀や手触りを必要としない読書もある。読者の想いは大事にしたいが。電子書籍はコンパクト。ちょっとまえの文庫本は文字が小さい。あらゆる本が大活字本になる。内蔵している書棚がある。パソコン経由。いつでも呼び出せる。内蔵メモリで20冊程度。拡張できる。旅先へも本棚ごと持ち運べるようなもの。
「たまった紙の本は始末に困る」。むかしは書蔵・所有するもの。いまはかならずしもそうかぎらない。図書館・レンタル・新古書。本は捨てにくいし整理しづらい。現在、手書き作家は2割くらいではないか。蔵書願望の楽しみはかなえられないかもしれない。
「おちついて読むには紙の本、電子の本ではおちつかない」「紙のほうがらく。目が疲れる、気分が悪くなる」。パソコンで長文は限界がある。専用端末をすすめる。出始めたばかりなのでこれからもっと改良されるはず。基本は紙の表示レベルへ近づけたい。文字組みの美しさ・読みやすさも。それから映像・音声との組み合わせ。成長した本。「携帯の名作には重々しさがない。軽い口調の小説ならいいかも」「音楽ファイル取扱の権利のきびしさ」。コピーガードして配信。あまりきびしくすることで、使い勝手がわるくなる。ころあい。ガチガチに固めなくても利用しやすい方法は改善できると思う。
「印刷本と編集面のちがいは?」基本的にはおなじ。そのさき、利用者がどのように利用するか、それにあわせて中身や編集も変わるかもしれないが。電子化の条件はととのっている。ただしコンテンツは紙の本にくらべて1/100くらい。どっちを選んでもらってかまわない。
「紙の書籍で手に入りにくい本は電子本で購入する」。紙の本はどんどん出版できるが、在庫をかかえられないので絶版になりやすい。電子本はデータをとっておけばいいので絶版の不安がない。「出版より先にウェブ本で発表、紙で出版されたらそれも買う」。紙の本はもういちど読みたいと思ったときに探しにくい。電子書籍のほうが探しやすい。作者自身が朗読している電子書籍もある。目で追いながら聞ける。目が疲れてきたり車の運転最中でも音声で耳から聞く読書ができる。紙の本に近づける→紙の本を超える→紙の本とは別のほうへ。紙の本と電子の本と一体化。教育ツール。
小説読みながら音楽が流れるという楽しみかた。作家・編集者もそれを意図して書き方や内容が変わってくるかもしれない。解説ページ、注釈、検索、人物一覧、しおり機能・ジャンプ。便利な読書が可能。ハンディになってるので寝ながら読める。
「海外で電子辞書は便利」「でも子どもたちには紙の本の手触りをたのしませたい」。紙の本が将来電子の本にとってかわるのではないかという不安。そうはならないだろう。紙でないと表現できない、味が出ない本は残っていくだろう。電子書籍が普及すればするほど、紙の本のよさの再認識がすすむ。「電子書籍はパラパラできないのでは?」電子書籍によっては立ち読みモードもある。わたしたちの築いてきたもの・文化・思考が変わってしまうのではないかという漠然とした危惧・不安。時代によって変わって当然ではないか。書くひとは増えている。文章のレベルは確実に上がっている。書き慣れている。携帯の表現にひきずられていることもあるが。10代の作家の登場。
「おぎないあって相互にのびていくだろうか?」それぞれに進化していくだろう。新しい表現・新しい読者・新しい世界ができていく。「新しいのもが苦手なお年寄りは?」とくに電子出版に移る必要もない。オンデマンド出版もある。操作はひじょうにシンプル。
2005.10.17
要約:しだひろし/PoorBook G3'99
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崔さんの発言にくらべてほかの出席者のコメントがものたりなかった、……そう書きましたが、じゃあ仮に崔さんが2時間の単独講演をやって今回のようなトークができたかといえば、そうはいかなかったんじゃないかと思いなおしました。崔さんからあの発言の数々を引き出すことができたのは、ほかならぬ他の出席者と会場の発言、そして映画祭の蓄積あってのこと。講演の録音を聞きかえしながら、そんなことを思いました。
***
パルチャー、
司会の山根さんは出席者の語りのただようにまかせる。土蔵を改築した会場には、はみださんばかりの観客60名くらいか。60代・70代とおぼしき世代と20代・30代映像作家のクロスオーバー。これもねらいのひとつなのだ。山根さんはシンポジウムの後半を観客席に交じっていた若手監督にふる。在日二世監督。「勉強しろ勉強しろ勉強しろ、で、ぼくたちは勉強がきらいになった」と『Tibet Tibet』の金森。『IDENTITY』の松江。自分をさらけだすのはかまわないが、と言葉をつまらせる『Dear Pyongyang』のヤン。映像も文学もネットも同じように表現することの境界線上で苦悩・もだえている。
おとしまえをつける……映画を撮る。
おとしまえをつけることに年齢は関係ない。
開会式(7日)は600人収容の会場が満杯だった。オープニング上映のときは家族連れと高齢者層が入った。見るものを欲しているということなんだろう。市民も参加したくてうずうずしているのだ。閉会式は木曜夕方ということもあり約500人。クロージング上映のときは200人くらいに減る。招待客たちはおわかれパーティーへ出席するからやむをえまい。ただしそのなかで、審査委員長をつとめあげた崔監督は表彰式を終えたあとも席を立たない。うれしくなる。とことん崔さんらしいケリのつけかただ。
***
思想家、音楽家、事務機器販売経営者、エドワード・サイード。1935年生まれ、2003年没。享年67。映画はサイードを知る人と知らない人を往来しながらパレスチナとイスラエルを撮る。佐藤監督にはかつて映画祭参加作品『阿賀の記憶』『阿賀に生きる』(1992)がある。(追記:『阿賀の記憶』は同監督の2004年の作品。山形映画祭に参加したのは『阿賀に生きる』のほう)
サイードの肖像シーンがきわめて少ない。そのせいもあってなかなか感情移入がむずかしい。サイードを称賛することが映画の目的ではない。それもねらいなのだろう。イギリスとフランスのオリエンタリズムを批判。ポスト・コロニアル。アレッポ。イスラエル。レハセル、移住、根絶やし。
ユダヤ人・パレスチナ人にかぎらず、土地を追い払われ移住を強制され、慣れ親しんだ場所をはなれることになった民族・人種・部族・家族・個人はめずらしくない。みずから望んで故郷をすてることももちろんありえる。
体毛を失った人類。人間がこれだけ地球のすみずみに散らばったのは自然環境のせいではないだろうか、と聞いたことがある。自然災害、地震、津波、洪水、渇水、砂漠化。純水と塩分が手にいれられるのは河川の海岸河口になる。だけれど、河口近辺は川の氾濫や海水の逆流の被害に遭遇しやすい。津波の被害にもあいやすいし地震がおこれば液状化もする。
土地・故郷に固執せず、
2005.10. NHKドラマ『ハルとナツ』オリジナル問題
2005.10.16
しだひろし/PoorBook G3'99
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山形国際ドキュメンタリー映画祭2005
バトルトーク「山形映画祭 仁義なき戦い」
2005.10.9(Sun)【山形・県勤労者福祉センター・22:00-24:00】
最終電車がなくなってしまうなあと思いながらも参加してきました。「特別ゲストに崔洋一監督を迎え、山形のこれまでとこれからについて熱く語る(無料)」と実行委員会発行のデイリー・ニュースにある。メイン会場のはしっこでは毎日、地上デジタル放送の受信実験公開をやっている。夕方17:30から映画編集ドキュメンタリー『カッティング・エッジ』。講演会の時間までそれを見ることにした。
52インチくらいの液晶なのだが、古い型なのだろうか。それともデータそのもののせいだろうか。ちょっとクリアに欠ける。テスト放映ということで音量も落としてある。観覧者はぼくひとり。98分の番組。しかたないのでテレビの正面にすわって閲覧。ハリウッドの人気映画をテキストに、監督や編集者がテクニックや編集秘話を披露。
L.A.コンフィデンシャルの編集……だったろうか。『イングリッシュ・ペイシェント』編集のウォルター・マーチが、自前の編集システムを紹介。スニーカーをはいて立ち姿勢で、右壁面全体に撮影シーンを一カットずつ隙間なくはってある。中央には Mac。ソフトは Final Cut Pro。らしきシステムと特殊キーボード。左に確認用モニタ。※追記:おそらくG4 に OS9。キーを着色。右手前にデスクとコンテ。右後方にカラフルな札を羅列。OS9ということは2時間ものをひとつのファイルであつかえないから作業中は分割しているはず。編集にはそれでかまわない。3Dやエフェクトをかけるならともかく、シンプルでいいなら安定してレスポンスのよい OS9 か。
ネットとNHK『トップランナー』で新海誠(『ほしのこえ』他)の製作システムを見たことがある。
新海誠 Other voices-遠い声-
http://www2.odn.ne.jp/~ccs50140/
新海監督のほうはたしか、ペンタブレットで絵コンテを描いて、それをもとにワンシーンずつ作りこむ。コンテの作成段階でタイミングをはかるはずだから、総計するとおおよその上映時間が出てくる。実写映画でもコンテを精密につくるだろうし、そこからおおよそ全体の尺が出てくるだろうけれども、おもいがけなくいいシーンがとれたり、役者の間合いの取り方しだいで延びてくるはずだ。タランチーノの「迷ったら切れ」というセリフがうなずける。Kill the film。
じつのところ、崔監督の作品を見たことがない。出演した『御法度』も。聞けば崔さんは前回(第3回・1993年)に山形へ来たときはプライベートだったという。今回はメイン・コンペティションの5人の審査員のうちのひとりとして参加。
「仁義なき戦い」というテーマと設定は、おそらく映画祭実行委員会側からの依頼だろう。崔さんも、おちついていながらもちろちろっと、挑発的発言をしかけてくれた。それにくらべると、事務局長・宮沢さんをはじめとした他のパネリストのコメントは仁義なき戦いという主要テーマと意気込みにせまっていただろうかというと、ちょっとものたりなかった気がする。それに気がついたからだろう。客席から「映画祭を盛り上げるために、次回は崔監督、ぜひドキュメンタリー映画を撮って参加してくれ」というもっともな脅迫の声があがる。
これはドキュメンタリーと娯楽映画の確執をつく、いい意見だと思う。崔監督も「俺がドキュメンタリー作るなら『血と骨2』だ」とか「『NANA』が悪いわけじゃあないけれど、映画はそればっかりじゃないだろう」と答える。
ここ最近メジャーでドキュメンタリーといえば、マイケル・ムーア『華氏911』しか世界の記憶にはない。ハリウッドやディズニーや娯楽映画や、それを選ぶ観客のせいかといえばそれも半分はあるかもしれない。けれどあと半分はドキュメンタリー映画そのものの努力不足だろう。ドキュメンタリーがドキュメンタリー自身を語っていない。映画祭が映画祭自身を語っていない。NHKや朝日新聞やメジャーな映画会社や全国系テレビや全国系新聞がじぶん自身では語れないこと、気がつきにくいことを表現できるとしたら、そのひとつはドキュメンタリーということになる。
こびる必要もないし、悪ぶる必要もない、言いたくないことを言う必要もない。責務感にさいなまれる必要もない。虚勢をはる必要もない。楽しめばいいんだと思う。映画祭のボランティア運営に対する意見が崔さんから出た。9回、18年間のあいだに対応がスマートになりすぎていないかという問題提起。対応が固定して妙に落ちついてしまってスタッフからの熱意が伝わってこないという不満感なんじゃないか。
湯水のように資金があるわけでないから、映画祭ができることにはおのずと限界がある。やりたいことも本当はまだまだあるのだろう。18年間、信念をつらぬきとおすっていうのもすごいことだ。目的がぶれてしまってる映画祭が少なくないなかで、映画祭はどこまでいってもそこで提供する映画、イコールそこへつどう映画が宝であり、それで決まるはずだと崔さんは再三語る。
この18年間のあいだにかわったこと。
映画祭初回の年、1989年。中国天安門事件。ベルリンの壁崩壊。ソ連の解体。それから映画撮影・編集のウェアの変化。ドキュメンタリーであれフィクションであれ、文字であれ音声であれ映像であれ、目的はひとびとの記憶……記憶の蓄積。
※ 崔さんの発言とぼく個人の意見が混在していて、誤解をまねくおそれがありますがご了承ください。境界なき仁義なき戦い。
【観客120名くらい】
2005.10.8 パキスタン・インド北部地震21000人
2005.10.10
しだひろし/PoorBook G3'99
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2005.10.7 開催初日。開会式とオープニング作品の上映を見に行く。と、崔洋一氏が来訪、来賓席に腰かける。思いがけないゲストだ。体型はパンダ系というかヒグマ系というか。客寄せヒグマ……いやいや。今回の参加作品ラインナップをみても、アジアへの視点やアジアからの視点を強く意識していることがうかがえる。いいものに、商業もドキュメントもメジャーもインデペンデントも垣根はない。リアルもファンタジックもちょっとした技法の差異にすぎない。
さらに追い打ちをかけられる。完璧にしてやられた。油断してました。山根貞男氏じきじきのオープニング作品解説ときた。純粋に映画鑑賞を楽しむつもりで来たのですが、始まる前から楽しませてくれます。ステージにスクリーンが下りてくる。フィルムが回り始める。
一本めは『肘折物語』(小川伸介 紳介/1992/18分)。映画は小川監督の遺作であり未完の作品。'90年2月の撮影。
ふたつめが『雪国』(石元統吉/1939/38分)。昭和14年の作品。歴史年表を見ると吉川英治の『宮本武蔵』がこの年に完結しています。'37年に川端康成が『雪国』を発表。'41年12月が真珠湾攻撃だから、その直前ということになります。ちなみにテレビの本放送が開始になるのは戦後の'53年。解説の山根氏は時代背景にはあえてふれません。みじかく「日本映画の黄金時代であり、日本ドキュメントフィルムのさきがけ」であり「カメラマンのひとりが在日コリアンの井上莞」であることのみを語る。撮影地はこちらも新庄。
ここで、3つめのショック。
うす暗い冬の家屋の中で、こたつにあたりながら二人の男が会話するシーンがあります。茶飲み話ともインタビューともうけとれる短い場面。ひとりは若い男。顔に見覚えがある。おもわず指ささずにいられないほどの衝撃。間違いかもしれない。けれど間違っていなければ、彼は松田甚次郎だ。
大正生まれのぼくの祖父にとって、甚次郎はヒーローだったらしい。尊敬するひとは? というぼくの質問に祖父は間髪入れず「甚次郎」と答えたことがあります。どれほど彼の影響をうけたのかは、祖父が太平洋戦争終戦後、月山の南麓を60年間開墾し続けた一事をもって推量してもらうことができると思います。
ドキュメント映画はいま、「私映画」というテーマにさしかかっているといいます。私小説・プライベートなノンフィクションはあるけれども、私個人を題材にしてかつ、撮影表現するというのは思いのほかやっかいなものです。組織やマスメディアになればなおのこと
ふたつの作品とも宗教色はほとんどありませんでした。唯一、『肘折──』のなかで、鼓を打ちながら長い雪道を念仏を唱えながら歩く人物のシーンがあったのみ。
薄べにのコスモスが秋の日の、なにげない陽だまりにゆれている……byさだ。会場への道すがら、線路ぞいの田んぼはすでに稲刈りが終わっていました。月山は雲がかかって見えない。まもなく月山も白くなります。月山の残雪っていつごろまで残ってるのだろうと思って、よくよく注意していたのですが今年は9月中ごろまで見えました。その後はめっきり天気がすぐれず確認できていません。昨年はとくに雪が多かった。
山形国際ドキュメンタリー映画祭公式サイト
http://www.city.yamagata.yamagata.jp/yidff/home.html
なお、過去の作品ライブラリーの一部は、
山形国際交流プラザ(ビッグウィング)もしくは
山形市立図書館で閲覧できます。
2005.10.8
しだひろし/PoorBook G3'99
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iPodがHDDタイプだった頃には、全く興味がなかったのだけれど、メモリタイプで小型軽量、しかもカラー液晶と三拍子揃ったので、ついにiPodユーザになってしまった。
azurも早速nano対応したので、何はさておきazurをUpdateして、試しに「こころ」を書き出してみた。
ルビもばっちり付いているし、小さい画面でも、それなりに読める。
画面が小さくて、サムネイルの判読ができにくいため、nanoで読むなら短篇がオススメ。


青空文庫の本を出そうと考えてます。
なぜそんなことを思ったかというと、昨年の東京国際ブックフェアで「azur」の説明したとき、8割方の人たちが青空文庫の存在を知らなかったということがひとつ。そして、著作権の保護期間が70年に伸びようとしているのに、それを世間一般のほとんどの人が知らないということがふたつめ。
東京国際ブックフェアというところは、少なくとも本の好きな人たちが足を運ぶところだと思うんです。ところが、そんな本好きな人たちのほとんどが、コンピュータを持っていない、または持っていても使いこなせていない人たちだったような気がしたんです。
とすると、そんな人たちに向けて青空文庫を知らしめるには本屋でしかない、本を作るしかない、ということを無謀にも考えるにおよび、どうしたら青空文庫の本の企画を通せるかとここ1年ほど苦心してました。
別に、何も知らない幸せな人たちに向けて、わざわざ青空文庫を知らしめる必要もないんじゃないかとちょっとは考えもしたんですが、このような青空文庫の存在を知らなければ、著作権の保護期間へは注意は向かない、それが伸びるということがどういう意味であるのかを理解できない、ということもあるので、ここはやっぱり自分の非力も顧みず、ちょっと本を作ってみようかと思ったわけです。
ただ問題は、青空文庫というものの性質上、そんな殊勝な出版社があるのかということでした。ところが、たまたま知り合った「はる書房」という出版社が作ってあげようと言ってくれたので、なんとかここまでこぎ着けることができました。
執筆は、私、野口が中心となり、八巻さん、はる書房の宮川さん、そして、富田さんには第三章の『「天に積む宝」のふやし方、へらし方』を書いてもらいました。また、工作員の方々には取材などをさせていただいて、いろいろとご協力いただきました。
以下は、その本の内容です。
タイトル:インターネット図書館 青空文庫
〈口絵〉青空文庫の楽しみ方
青空文庫で好きな作品を読んでみよう/プリントアウトして読んでみよう/azurやテキストビュワーで読んでみよう/携帯、PDA、PSPで読んでみよう/自分で製本してみよう
第1章 青空文庫ものがたり?インターネット図書館の開設から今日まで
1 青空文庫誕生前史 始まりは、いつも人の出会い
2 開館した青空文庫 やって来た人のチカラで
3 青空文庫に突きつけられた課題 考えつづけながら、継続していく
4 青空文庫のネットワーク 深まりと広がりは、電子テキストを介して
5 インターネット図書館の未来 国境を越え時を越え、人と人は出会えるか
第2章 青空の本をつくる人びと?青空文庫収録作品と工作員の紹介
1 余が言文一致の由來(二葉亭四迷)/岡島昭浩さんに聞く「デジタル化と共有」
2 機械(横光利一)/かとうかおりさんに聞く「"軽く"参加して…」
3 藍色の蟇(大手拓次)/丹羽倫子さんに聞く「ネットで社会参加」
4 嘘をつく日(水野仙子)/小林徹さんに聞く「作品が面白いから」
5 源氏物語 夕顔(紫式部・与謝野晶子訳)/上田英代さんに聞く「源氏物語を多くの人へ」
6 半七捕物帳 湯屋の二階(岡本綺堂)/小林繁雄さんに聞く「青空文庫の深みへ」
7 やきもの讀本(小野賢一郎)/小野岳史さんに聞く「曾祖父の仕事を後世に」
8 探偵小説アルセーヌ・ルパン(モーリス・ルブラン・婦人文化研究会訳)/大久保ゆうさんに聞く「グループワークを開始」
9 一青年異様の述懐(清水紫琴)/松永正敏さんに聞く「趣味は青空文庫」
10 黒死館殺人事件(小栗虫太郎)/ロクス・ソルスさんに聞く「作品公開目指して」
第3章 「天に積む宝」のふやし方、へらし方?著作権保護期間延長が青空文庫にもたらすもの:富田倫生
1 育ち始めた公有作品テキストの樹
2 著作権制度に用意されていた青空文庫の基礎
3 動き出した著作権保護期間延長で失われるもの
その他、「青空文庫」年表など。
付録 DVD−ROM
・青空文庫全部(エキスパンドブック込み)
・作家別解凍済みテキストファイル
・azurお試し版
・QuickTimeインストーラー(Windowsのみ)
・2004年の国際ブックフェア、ボイジャー・ブースでの富田講演ムービー
予価1500円。11月上旬発売予定。
青空文庫を知らない人には、こんなもんがあるんだということを、
青空文庫を知っている人には、苦心惨憺、苦労したんだなあということが、
少しでも伝われば良いと思ってます。
シューベルトは暗い時代のウィーンで作曲家となり、死ぬまで自分の住まいを持つことなく過ごしました。背が低く太っていてメガネをかけているという「三重苦」(とどこかの本に書いてありました)だったようですが、友人にはめぐまれていたのですね。
「冬の旅」の公演情報をアップしました。東京で初演し、松本、金沢、北海道、岩手県など、主に北へ行きます。公演地はふえる可能性もあります。追加や変更があればその都度更新しますので、ときどきチェックしてください。そしてぜひお出かけください。CDはコンサート会場でも販売します。
1822年、25歳のシューベルトは「わたしの夢」という文章を書いています。その中の一節。「わたしはまた家を出て、遠くの地へと去った。わたしの愛を拒む人たちすべてに無限の愛を抱きながら。わたしはそれから長い年月のあいだ歌をうたって過ごした。わたしが愛をうたおうとすると、それは悲しみになった。そこで悲しみをうたおうとすると、それは愛になった。」
「冬の旅」を作曲する前に書かれたものですが、これは「冬の旅」の世界そのものです。日本語で聞くと、そのことがよくわかります。そしてついつぶやいてしまいます。なぜこんなに暗いの?
「水牛のように」を2005年10月号に更新しました。
人間の剥製やうつくしい解剖学蝋人形。ホットルケンはポルトガル? 金魚はアラブ人のペットである。スマトラ島リアウの州都は石油でうるおっているのだな。イサーンの蒸したもち米はおいしい。タイ語で「おかず」は「ごはんと」と言うのだからやはりごはんがまずあらねばならない。というような10月です。御喜美江さんと四釜裕子さんは今月は充電中です。
それではまた!(八巻美恵)