2005年09月28日

 秋の慰安旅行記 その2

「釜ケ崎」

ーカツテ、幾人カノ外来者ガ、案内者ナクシテ、コノ密集地域ノ奥深ク迷ヒ込ミ、ソノママ行先不明トナリシ事ノアリシト聞ク——このやうに、ある大阪地誌に下手な文章で結論されてゐる釜ケ崎は「ガード下」の通称があるやうに、恵美須町市電車庫の南、関西線のガードを起点としてゐるのであるが、さすがその表通は、紀州街道に沿つてゐて皮肉にも住吉堺あたりの物持が自動車で往き来するので、幅広く整理され、今はアスファルトさへ敷かれてゐる。それでも矢張り他の町通と区別されるのは五十何軒もある木賃宿が、その間に煮込屋、安酒場、めし屋、古道具屋、紹介屋なぞを織込んで、陰欝に立列んでゐるのと、一帯に強烈な臭気が——人間の臓物が腐敗して行く臭気が流れてゐることであらうー

 武田麟太郎の作品が好きな私は、この作品も何回か読んでいた。その場へ行けるのだという私の思いも乗せて、地下鉄は走る。動物園前で降り、となりのJR新今宮駅でゼファー生さんと待ち合わせである。ゼファー生さんが、緑の帽子を被っていらっしゃることをみんなに私は伝えた。大阪で一番お世話になろうという彼のお顔を誰も知らなかったのだから。
 ところで天王寺動物園は何で有名だったか・・と私は地下鉄に揺られて、思い出した。五人で話し合ったが、結論はでなかった。(コアラがいたのです・・それを後になって思い出しサイトで確認しました)肝心のコアラが出てこないで、象の記憶力の話で盛り上がって、無事動物園前に到着。動物園前の階段を上がると、ちょっと方向を見失った私たちを代表してうにさんが、側に立っていた緑のキャップを被った方に「新今宮駅はどこですか?」と尋ねた。その方は、左の方を指し示して教えてくださった。私たちは、口々に「今の人緑の帽子被っていらしたわよね」と言いながら歩いた。歩きながら、私は、はたと気づいた。帽子と色をメールで受けたのは私だが、hat かcapであるかを尋ねるのを忘れていた・・
 その方は、地下鉄に乗ってくるという電話連絡を受けて、動物園前に待っていたら、道を尋ねられて、もしやと思い、私たち一行を追って・・・ということで、確かに新今宮駅の入り口で私たちを呼び止めた。そうこうしながらも無事ゼファー生さんにお会いできたというわけである。
 地元大阪にお住まいのあるゼファー生さんを先頭に、私たちは夕暮れの街を歩いた。雨は上がっていた。路上に座り、缶ビール片手に話し込んでいる男たちは、私などより年配者だ。彼らは、そのどんよりした目で、私たちを一瞥すると、また話に戻る。一瞥を与える人は少ない。彼らに、私たちは映っていなかった。風景に馴染まない私たちに、彼らは無視という洗礼を与える。
  武田の言う木賃宿は、ホテルという名前に変わっている。値段はABCDとランクがあるようだが、ホテルによって、値段の大きな差はないように思えた。値段の差のあまりないホテルとホテルの間に、赤提灯の屋台が並び、客を待つ準備に、ハチマキ姿のおにいさん、ノースリーブのワンピース姿のおねえさんたちは余念がない。
 「釜が崎」の話で、武田がこの街を訪れるのは、自分の実家がどうなっているかを見たいからだった。今は娼家になっていた。娼婦?の一人に声をかけられる。
 その武田の家から離れたところになるだろうか、地理が不案内のなのでわからないが、わたしたちの行く手に”門”ガ残っていた。その門の向こうは飛田新地。かつての遊郭の門。門を境に”こちらとあちら”。”苦界”という言葉が活きていた時代の話である。その門を越えたとき、私は妙な気がした。何が妙なのか。”アンバランス”というカタカナがその往来を闊歩する。町並みの”遊郭の名残”とそこに生きる人たちの服装や表情のアンバランス。現代という名の元には、バランスが取れているのだろうが・・
 「十八歳未満お断り」「料理店許可書」の札を下げた店の中央には、茶髪にスリップドレス、もしくはアニメのコスチューム風の二十代?の女性が座る。店先には、年配の女性が団扇を仰いでいる。私たちの列には、無表情だが、中には、笑みをなげかけてくれる子もいた。その笑みの先は、私たち女性でないことは確かで、同行の男性方であろうと私は今でも思っている。
 同じ造りの建物が並ぶ。彼女らは、同じ髪の色、同じ化粧、同じ表情、同じ服装を包む同じ体型に見えた。彼女たちに、個性もなければ、暗さもないとシビアな見方をして私は歩いていた。そういえば、女性の敵は女性であると某作家がテレビで言っていた。けだし名言である。彼女達も列を組んで歩く中から女性である私たちを選んで冷静に観察していたに違いない。
 私たちが向かったのは、「百番」という老舗である。大正時代の遊郭をそのままに残すその二階に席は用意されていた。
 日本料理の食が弾み、文学の話が弾む。お手洗いに、私は立った。極彩色の回廊を歩く。角でお女郎さんと鉢合わせしそうである。そう思うとある作品が、私の脳裏を駆けた。「絶景万国博覧会」小栗虫太郎 。推理話なので、内容をここに書いては興を殺ぐことになる。詳しくは書かないが、老遊女が、毎日遠くに見える観覧車を見ていた。なぜ彼女は観覧車を見ていたか・・観覧車の形から、彼女によみがえったものは??老女の狂った声が聞こえてきそうで、私は足早にみんなの所に戻った。
 ほんのりと酔いが回ったところで、そろそろお開き。二次会は?と、9時を過ぎているのだが、通天閣へ行ってみたいということになり、「じゃりんこチエ」の話にでてくるようなじゃんじゃん横丁を通った。くしかつ、ホルモン屋のほかに、将棋の会所がある。ガラス窓に顔をつけて見学をしている人はなかったが・・
 あいにく、通天閣からの夜景は、終了していた。うにさんは、京都へ帰った。残ったメンバーで話し足りないと、通天閣の下の喫茶店で、お茶の二次会。またわいわい・・
 そこからゼファー生さんに駅まで連れて行っていただき、また電車に乗って、ホテルに着いたのは、11時近くであった。
 女性三名和室、男性一名洋室。もちろん、それぞれの地元のお菓子を持参した私たちは、それから三次会。文学の話。青空文庫の話・・・尽きることのない話題は、明け方の三時まで続いた。T・Mさんの「明日があるからもうねません?」明日って、もうその明日なのだが、彼女の声がなかったらきりのない話で、外は白々とあけていたのだろう・・
 明日は、ゼファー生さんに堺市を案内してもらうことになっている。
 ー続くー
 
 

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 幻想が幻想であること

 長いこと待たされた、会いたい人に会えたときの喜びと同等なのは、見たい映画を見ることができたときであろう。一年越しに会えた映画は、キューバを舞台にした「バスを待ちながら」

 去年うにさんにお会いしたとき、この映画の話をされて、ストーリは知っていたものの見たことがなかった。彼は、この映画のテープを持っているということだったので、貸して欲しいとお願いしていたところ、彼の職場の事情などがからみ、一年越しで、先日の慰安会の折、持ってきてくださった。
 どんなストーリの映画であるかは、映画のサイトのあらすじを見て欲しい。ここでは、この映画を観ての感想を書いてみる。

 キューバが舞台であるから、もちろん終始ラテンのリズム、登場人物は、誰もがみな明るい。ゆえに誰もがみな暗部を持っている。そんな彼らがみた幻想。いつかは、幻想が幻想であることを知らなければならない。どうやってこのストーリの終焉を迎えるのだろうと、はらはらした。オカルト映画をみるより終焉が怖かった。彼らがあまりにも楽しそうなので、”理想郷”は崩壊するのだろうか、しないでほしい。と願いつつ、崩壊の仕方、そして彼らのその後はどうなるのだろうと。 
 で、その理想郷が崩壊する方法だが・・え?どうして?どこからあんたが?と思ってしまう人が、彼らを現実へ引き戻す。・・・と訝りながらも現実へ引き戻す人は、幻想の圏外にいなければならない。そうすると彼しかいないのだろうな・・とも思うのだ。そういった方法はともかく、現実に戻った人々の描き方はよかった。感傷もなく淡々としていて。とても好感がもてた。終わり方もまた、誰が主人公の名前を呼んだのだろう・・と思わせぶりで全てを”遮断”してしまう。
 とにかくバイタリティあふれた人たちが、心を一つにして何かを成し遂げる姿は、観たものの心もほのぼのとさせる。人間、ああいうふうに仲良く生きていけたら、ああいうふうにみんなに囲まれて最後を終えることができたら・・と。しかしその裏にある”現実”に生きることの逞しさも見せ付けることを忘れてはいないからこそ、幻想は幻想でありつづけることができるのだろうと私は思う。

キューバ映画は、「夜になる前に 」(制作はアメリカ)しか知らなかった。どちらもキューバという国。見比べてみるとよいかもしれない

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2005年09月24日

 05:どの作品から読んだらいいのでしょうか。

答え:どの作品から読んでいい、というのが答えです。それでは答えにならないので、幾つか手がかりを記してみましょう。

作品を読む手がかりはいろいろとあると思います。聞いた事のある作家はいませんか? 題名だけでも聞いたことのある作品はありませんか? そんな作家、作品から読み始めてみるのもいいでしょう。新着の作品を毎日読んでゆくのも手です。そこから広げてゆくには、サイトの右上にある検索を利用するのもいいでしょう。どんな読み方でも構わないのです。

また、以下のサイトには、感想、作家/作品を横断しているレビューなどが収録されています。こちらを手がかりにするのもよいでしょう。
aozora blog(bookのカテゴリなどを参照)
読書blog — すいへいせん
十年一覺蒼穹夢

また、収録作品を分野別に分けたリストも利用出来るようになりました。こちらも参考に出来ると思います。
分野別リスト

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 ヒラ工作員の日常〜入力篇補遺〜旧字旧仮名作品の入力は難しいのか?

青空文庫の対象となりうる作品の内で、何か気になる作品を入力したいと思った時に、旧字旧仮名しかないということが結構多いかと思う。さて、旧字旧仮名の作品を入力するのは新字新仮名の作品を入力するよりも面倒だろうか。正直に言って「面倒である」。しかし、既に開発されているいろいろなツールを利用することによって、それほどには「面倒」でもないのである。そのあたりを具体的に書いてみたい。

さて、「「ヒラ工作員の日常〜入力篇〜」にも書いてあるように、現在はスキャナーとOCRを利用して入力を行っている。以下は、旧字旧仮名作品を扱う際の簡単な手順である。その後に詳しい作業を解説する。

1 スキャンする:旧字旧仮名作品の場合、底本の状態によってスキャンおよびOCRの効率が変ってくる。活字があまりよくない(線が太い、ルビが離れていない、など)と3以下の作業が面倒になる。
2 OCRソフトで認識させる:最近のOCRソフトは第二水準の漢字にも対応してきたので、認識率はかなりよくなった。
3 底本を見ながら手直しをする:ここで、入力する時には旧字ではなく新字で行う。一つには旧字を探すのが面倒だからである。この後のステップで新字は旧字へと置き換えることになるので、新字で入力しておいて問題ない。ここで、新字旧字の関係にない字、俗字には注意する必要がある。「蹈」「囘」などである。
4 「校閲くん」を使って置き換えるべき新字を洗い出す。校閲くんの結果を見ながら、一つ一つ置き換えてもよいし、一括変換で置き換えてもよい。
5 「校閲くん」の結果をもとに置き換えた後、もう一度「校閲くん」にかけ、チェックする。必ず見落としているからである。
6 入力者校正の前に、校閲くんには引っかからないけれど、旧字の作品にはよく出てくる文字をチェックする。※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]、※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]などである。
7 入力者校正を行う。「校閲くん」の結果を参考に一括変換をしていると、余計なところ(ファイル冒頭、末尾の記載事項、字下げ、外字注記)の新字を旧字に変換していることがあるので、直しておく。

具体例として、土井晩翠「天地有情」の「序」の作業を挙げておく。底本は「明治文學全集58/筑摩書房」である。

1、2でスキャン、OCRソフトで認識させたところ
「「或は人を天上に揚げ或は天を此土に下す」と詩の理想は即是也。詩は閑人の墜語に非ず、詩は彫虫蒙刻の末技に非ず。既往敏百年間國詩の経歴に關しては余將た何をか日はん。思ふに所謂新躰詩の世に出で、より僅に十餓年、今日共輝態笑ふぺきは自然の数なり。然れども歳月遷り文運進まぱ其不完之を牌來に必すぺからず。詩は國民の精髄なり、大國民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の前途をして多望ならしめば、本邦詩界の前途亦多望ならずんばあらず。本書牧むる所余が新奮の作四十餓篇素より一として詩の名稽を享受するに足るものあらず。只一片の微衷、國詩の襲達に關して繊芥の貢資たるを得ば幸のみ。著者不敏と錐ども自ら暦して詩人と爲すの愚を學ぷものに非ず。東京に於て明治三十二年三月土井林吉」

3で手直しをすると
「「或は人を天上に揚げ或は天を此土に下す」と詩の理想は即是也。詩は閑人の囈語に非ず、詩は彫虫篆刻の末技に非ず。既往数百年間國詩の経歴に關しては余將た何をか曰はん。思ふに所謂新躰詩の世に出でゝより僅に十余年、今日其穉態笑ふべきは自然の数なり。然れども歳月遷り文運進まば其不完之を将來に必すべからず。詩は國民の精髄なり、大國民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の前途をして多望ならしめば、本邦詩界の前途亦多望ならずんばあらず。本書収むる所余が新旧の作四十余篇素より一として詩の名称を享受するに足るものあらず。只一片の微衷、國詩の発達に關して繊芥の貢資たるを得ば幸のみ。著者不敏と雖ども自ら僭して詩人と爲すの愚を學ぷものに非ず。東京に於て明治三十二年三月土井林吉」

4の「校閲くん」のチェック結果は
「「「或は人を天上に揚げ或は天を此土に下す」と詩の理想は即是也。詩は閑人の囈語に非ず、詩は彫▼虫蟲▲篆刻の末技に非ず。既▼往徃▲▼数數▲百年間國詩の▼経經▲歴に關しては▼余餘▲將た何をか曰はん。思ふに所謂新躰詩の世に出でゝより僅に十▼余餘▲年、今日其穉態笑ふべきは自然の▼数數▲なり。然れども歳月遷り文運進まば其不完之を▼将將▲來に必すべからず。詩は國民の精▼髄髓▲なり、大國民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の前途をして多望ならしめば、本邦詩界の前途亦多望ならずんばあらず。本書▼収收▲むる所▼余餘▲が新▼旧舊▲の作四十▼余餘▲篇素より一として詩の名▼称稱▲を享受するに足るものあらず。只一片の微衷、國詩の▼発發▲達に關して▼繊纖纎▲芥の貢資たるを得ば幸のみ。著者不敏と雖ども自ら僭して詩人と爲すの愚を學ぷものに非ず。東京に於て明治三十二年三月土井林吉」」

5で「校閲くん」の結果をもとに直すと
「「或は人を天上に揚げ或は天を此土に下す」と詩の理想は即是也。詩は閑人の囈語に非ず、詩は彫虫篆刻の末技に非ず。既往數百年間國詩の經歴に關しては餘將た何をか曰はん。思ふに所謂新躰詩の世に出でゝより僅に十餘年、今日其穉態笑ふべきは自然の數なり。然れども歳月遷り文運進まば其不完之を将來に必すべからず。詩は國民の精髓なり、大國民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の前途をして多望ならしめば、本邦詩界の前途亦多望ならずんばあらず。本書収むる所餘が新舊の作四十餘篇素より一として詩の名称を享受するに足るものあらず。只一片の微衷、國詩の発達に關して纖芥の貢資たるを得ば幸のみ。著者不敏と雖ども自ら僭して詩人と爲すの愚を學ぷものに非ず。東京に於て明治三十二年三月土井林吉」

さらにもう一度「校閲くん」にかけると
「「或は人を天上に揚げ或は天を此土に下す」と詩の理想は即是也。詩は閑人の囈語に非ず、詩は彫▼虫蟲▲篆刻の末技に非ず。既▼往徃▲數百年間國詩の經歴に關しては餘將た何をか曰はん。思ふに所謂新躰詩の世に出でゝより僅に十餘年、今日其穉態笑ふべきは自然の數なり。然れども歳月遷り文運進まば其不完之を▼将將▲來に必すべからず。詩は國民の精髓なり、大國民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の前途をして多望ならしめば、本邦詩界の前途亦多望ならずんばあらず。本書▼収收▲むる所餘が新舊の作四十餘篇素より一として詩の名▼称稱▲を享受するに足るものあらず。只一片の微衷、國詩の▼発發▲達に關して纖芥の貢資たるを得ば幸のみ。著者不敏と雖ども自ら僭して詩人と爲すの愚を學ぷものに非ず。東京に於て明治三十二年三月土井林吉」

まだ、直すべきところである「将將」「収收」「称稱」「発發」を見落としている。逆に「虫蟲」「往徃」などは底本によって、使ったり使わなかったりする字なので、「校閲くん」でチェックすると残ることになる。さて、以上直すべきところを直すと

「「或は人を天上に揚げ或は天を此土に下す」と詩の理想は即是也。詩は閑人の囈語に非ず、詩は彫虫篆刻の末技に非ず。既往數百年間國詩の經歴に關しては餘將た何をか曰はん。思ふに所謂新躰詩の世に出でゝより僅に十餘年、今日其穉態笑ふべきは自然の數なり。然れども歳月遷り文運進まば其不完之を將來に必すべからず。詩は國民の精髓なり、大國民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の前途をして多望ならしめば、本邦詩界の前途亦多望ならずんばあらず。本書收むる所餘が新舊の作四十餘篇素より一として詩の名稱を享受するに足るものあらず。只一片の微衷、國詩の發達に關して纖芥の貢資たるを得ば幸のみ。著者不敏と雖ども自ら僭して詩人と爲すの愚を學ぷものに非ず。東京に於て明治三十二年三月土井林吉」

となり、これでOKということになる。ここで入力者校正をすると、底本では「余」と「餘」を使い分けているので、修正して

「「或は人を天上に揚げ或は天を此土に下す」と詩の理想は即是也。詩は閑人の囈語に非ず、詩は彫虫篆刻の末技に非ず。既往數百年間國詩の經歴に關しては余將た何をか曰はん。思ふに所謂新躰詩の世に出でゝより僅に十餘年、今日其穉態笑ふべきは自然の數なり。然れども歳月遷り文運進まば其不完之を將來に必すべからず。詩は國民の精髓なり、大國民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の前途をして多望ならしめば、本邦詩界の前途亦多望ならずんばあらず。本書收むる所余が新舊の作四十餘篇素より一として詩の名稱を享受するに足るものあらず。只一片の微衷、國詩の發達に關して纖芥の貢資たるを得ば幸のみ。著者不敏と雖ども自ら僭して詩人と爲すの愚を學ぷものに非ず。東京に於て明治三十二年三月土井林吉」

ということで、ここで入力終了となる(今回は字下げなどの注記は省いた)。新字新仮名の入力の場合には、この「校閲くん」によるチェックの過程がなく、また似て非なる文字に認識されてしまうことも少ないため、直す箇所が少なくて済むところが「面倒でない」と思わせる由縁である。しかし、OCRソフトの認識率もよくなっており、1、2の過程後の素認識ファイルでもかなりの旧字が認識されている。「校閲くん」の利用によって、手間はかかるにしても確実に旧字旧仮名ファイルを作成することは楽になっていると思う。

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2005年09月23日

 秋の慰安旅行記 その1

九月十七日の正午に大阪駅中央口にやってきたのは、うにさん、jukiさん、 M・Jさん、 T・Mさん、そして私である。正午ということは、まず腹ごしらえ。大阪のお隣、京都に住んでいるうにさんを先頭に、ぞろぞろと続く。「読書blogーすいへいせん」の旗を作ってうにさんに持ってもらうのだった・・と我々は、口々に言いながら、いざ、大阪名物お好み焼き屋をみつけろ! ちょっと立ち止まって、旅行雑誌を開いたり、地下街の地図を見たり・・(地図をみることは苦手なので、私は完全におまかせモード)

 大阪弁の集団が私の身体の周りを通り過ぎる。その音に私は、何か落ち着かないもの感じていた。大阪は、厳密にいえば四度目である。その最初、小学生になっていただろうか・・母と私は、母の友人一家と夜行で大阪へ来た。関西のいろいろなところを見て回ったあと、大阪駅から夜行に乗って帰ることになっていた。列車を待つ間、私たちは待合室にいた。そのとき、私より五歳ほど年長の、母の友達の息子さんが、アイスクリームのドライアイスを構内の小さな噴水に一気に投げ込んだ。もちろん煙が天上に届かんばかりに立つ。それをみていた知らないおばさんが、「極楽みたいやな」と言った。「ごくらくみたいやな」という音がなかなか私の耳から消えなかった。ふと外をみると阪急デパート?が聳えていた。あの屋上から飛び降りても極楽にいけるのだろうかと思ったのを今でも覚えている。なぜならば、数日前地元のデパートの屋上から飛び降りた男の話を行きの列車で大人たちがしていたからだった。
 現在、噴水はなかったが、構内をでると阪急デパート?は目の前にあった。あの時の「ごくらくみたいやな」という声が聞こえたように思えて、振り返ったが、もちろん空耳だった。
 我々は、曽根崎の方へでて、運良くお好み焼きの店をみつけ、すぐに席につくことができた。五人、誰一人、かぶることなく、5種類のものを頼み、さて、これからの午後の行動会議。予定通り+ハプニングありということで・・
 まず今晩お世話になるホテルへ、荷物を預かってもらうことにし、それから墓参り(墓石めぐり?)にでかけることにした。
 
 小雨が落ちる。それでも傘を差すほどではない。予定通り墓めぐりのスタート。まず行ったのは、 梶井基次郎の墓である。
 私にとっては長かった出会いである。メールのやり取りを何年も続けていて、やっと会えた人のようだ。「春の企画第一弾 梶井基次郎」を「読書blog-すいへいせん」で三回に亘って特集した私としては、まさに愛しい人に会いにきたようなものだ。(密集する墓の中でなかなかみつけることができなかったし、お花の一本も持ってこなかったので、私の誠実もいい加減なものなのだが・・)
 
ー梶井の作品を一番最初に私が読んだのは、高校生の頃だったと思う。それは「檸檬」でもなければ、「桜の樹の下には」でもない、「冬の日」だった。
 ただただ、驚いた。こんな作家もいたのかと。鋭敏な神経の棲息域に片足を一歩踏み込んだようだった。鋭敏な神経で書かれた芥川とも違う、何が違うのか、言葉だと気がつくのにずいぶん時間がかかった。芥川は、その鋭敏な神経で、話の筋を編んだとすれば、梶井は、その鋭敏な神経で、言葉を紡いだのだと漠然と大人になってから思った。ー(2005.3.25 「読書blog-すいへいせん」の拙文より)

 梶井への思いは、すいへいせんのほか、このaozora blogでも書いてきたし、これからも書くことがあるだろうから、次へいく。梶井が眠る常国寺を出て、雨が少し強くなったり、止んだりした。誰一人傘もささないし、何も言わなかった。そこから「歴史の道」を辿っていく。寺町という風情で、各寺の門前に、自分のところには、だれそれの墓があると標がたっているので、幾度と無く立ち止まる。標の横の説明を読んでは、知っている人物だったり知らない人物だったり、わいわい言いながらの姿は、どうみても私たちは、ひと昔前の修学旅行の生徒である。
 そうやって立ち寄った、あるお寺の茅ふきの立派な門のところで、やはり標をみていると、雨足が早くなった。ちょっと雨宿り。ああ・・この光景は、人数こそ多いが、黒澤明監督の「羅生門」の冒頭、千秋実と志村喬ではないか・・・と私が言うと、M・Jさんがすかさず、「そこの二階に・・・」 二階の死人の仲間入りをしないうちに、すぐに雨も小降りになったことである、次へ行こう。(どこに二階があるのか・・よくわからないが・・)
 事前リサーチをしてきた私以外の人たち(私はぼんやり何もせずに参加しました・・すいません)の地図や資料によると、近くに近松門左衛門の墓と書いてある。
ビルの間にひっそりとあるのだ。
 近松といえば、先ほどお好み焼きを食べた、曽根崎にあったお初天神。「曽根崎心中」作者である。天神の森で心中したことになっている。森などといったのは、いつのことか・・それはさておき、近松の墓の前に、なぜか、賽銭箱がおいてあるので、(教育委員会がお墓の維持と文化向上のために遣うらしい)みんな、一人ずつちゃりんちゃりんといわせる。
 近松が江戸の劇作家なら、江戸のリアリズム作家は、やはり井原西鶴だろう。近松の墓から五分ほど歩いていくと、西鶴が眠る誓願寺 。入るとすぐ左手に武田麟太郎の碑がある。そこの墓地には、監視カメラがあった。西鶴は、世の中を斜めに見つめていた人だから、カメラをみてきゃっきゃっきゃっきゃ、手も振ってみる私たちをみて、「何をやっているんだか・・」とあきれてみているかもしれない
 私たちは、少し文学から外れてみようということになり、渡船に乗ることになった。桜島から天保山まで。渡船
 昔の人にとって、「橋」は今ほどあるわけではない。合戦において、橋は無い方がいい場合が多かっただろう。一般庶民にとって、川は、「渡る」のではなく、「渡してもらう」ものだったのだと思う。他人の力を借りて、”向こう側”へ行くことができたのだ。私たち以上に「川」というものは、特別な意味があった。川の向こうは全く知らない世界だったのだから、川一つ挟んで、方言が違うというところもある。などとつらつらと考えながら船が作る渦を眺めていたら、すぐに着いた。そこは、日本で一番低い山、天保山である。
 遊園地の観覧車がゆっくりと回っていた。観覧車より低い山を私は生まれて初めてみた・・・天保山 桜の木が九月の夕方の風に揺れていたので、四月に来ればそれは見事な景色なのだろうと推察はできた。
 さてこれから我らが向かうは、大阪在住のゼファー生さんの待つ「新今宮駅」。そこは武田麟太郎の「釜が崎」の舞台である。・・続きは次回・・


 

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2005年09月01日

 特集レポート『地域防災計画』

2005年8月22日 天童市役所総務課にて
インタビュアー:しだひろし
回答者:天童市総務課・小川さん



































特集レポート『地域防災計画』


── 天童のばあい市町村広域相互応援協定は? とくに仙台との協定はあるか?
小川
 消防では、全国規模での応援体制があります。また、市も消防も県内市町村と広域相互応援協定を締結している。仙台市との協定はないが、県では現在、隣接県との協定を検討中。山形市は川崎市と協定をむすんでいる。(米沢市の協定は、はっきりわからないので、削りました。)

── 県の防災計画というのは?
小川
 山形県の防災計画は平成16年7月に出した(策定はそれ以前で、「見直し」か「修正」のどちらかになります。)ものが最新である。震災対策編と風水害等対策編になっている。(※図書館にはないが総務課で閲覧可能)
 
── 市民用にわかりやすくまとまったパンフレットは?
小川
 天童市で平成7年度につくったことがあった。現在はない。今年度中作成予定である。2月頃できあがることになる。体裁はおそらくA5、24ページくらい。県の総合的にまとまった全戸配布のパンフはない。

── 協力ボランティア、団体は?
小川
 いまのところない。天童市の近辺に地震災害のボランティアはひとつだけかもしれない。婦人会や社会教育団体等に協力体を依頼する。炊き出しなどでの支援を想定している。

── 県内のマスメディアとの連携は?
小川
 現在は、県経由で災害情報や復旧情報を流してほしいと要請することになっている。防災計画を策定、見直しする防災会議の委員にマスメディアから委員の依頼をしていない。現在、県が中心となり、市町村がマスメディアに広報の依頼ができるように協議している。山形市のばあいはコミュニティFM(ラジオモンスター)との協力体制がある。

── 仙台市営プールで天井パネル落下が起きたが、天童市では安全確認は?
小川
 学校などの体育館は建材がむき出しなのでパネルなど落下するものはない。施設の耐震診断(校舎すべて)には一件あたり350万円程度かかり、優先順位を決めて耐震診断をしていく。市立図書館などの建築物も昭和58年建築されてものなので、57年の建築基準に合致しているため安全だということになる。

── 仙台への国道48号・関山峠、寒河江への村山橋、架橋や陸橋・地下道などルートの安否確認は?
小川
 基本的に県道は県の管轄、国道は国の管轄になる。通行できるかどうかについては、警察や地元からの情報収集のほか、職員が集合する段階で状況のわかるものなど、連絡をやりとりするなかで情報が集まることになる。

── 市内の活断層の調査は?
小川
 (全国の)緊急性の高いと予想される地域が優先的に調査対象となったもので、天童市内はその対象でないことから調査していない。国土地理院で発行する地図にも市内には活断層の表示はない。あるかどうかについては、専門家も不明だと思う。今後の調査予定もない。

── 今月20日の豪雨で市内でも浸水した地域があったが?
小川
 線路沿いなど低地に雨水が集まりやすい。排水の容量を超えた雨量になると発生することになる。

── 戦争時の防空壕はあるか。数・管理は?
小川
 市民の避難用防空壕ではなくて、武器施設としての軍事工場をつくる計画が当時あったということ。管理に関しては、市民と相談がすすんでいる。農作物の保管用に利用しているところもある。歴史的資料として保存利用したいという意見もある。かつて20〜30か所ほどあったが、土砂の堆積により現在入れそうなものが7か所ほどある。進入通路は狭いので大きな工事用車輛などは近寄れない。


* 個人名を出してもかまわないが、私見でないことから、できれば「職員」とか「市」といった表現が望ましい。



インタビューはここまでです。以下は追加質問事項です。

Q1:天童市防災会議の記録は?
情報公開により公開することになる。昨年春に開催した。

Q2:大学・教育機関との連携は?
現在のところ特に考えていない。

Q3:孤立被災地は想定しているか? 衛星電話が不通のばあいは?
防災無線の利用を周知して、利用できるようにしたい。衛星電話は、現在設置していない。

Q4:在住外国人は? 情報伝達はじゅうぶんか?
外国人登録している人は、把握できる。情報伝達は、いろんな国から短期や長期にわたり滞在していることやことばの違いからむずかしい。現在の課題でもある。

Q5:ペットや家畜対策は?
特に考えていない。まずは人命第一。

Q6:文化財保護の対策はじゅうぶんか?
天童市には若松寺が一番大きい文化財だと思うが、十分かといわれるとむずかしい。

Q7:厳冬期の避難所の防寒対策は? 長期にわたるばあいのプライバシー・トイレ対策は?
学校等にある暖房器具の活用や地域から調達するか、レンタル業者や暖房器具を販売する業者から調達することになる。プライバシーについては、パーテーションにより仕切るとかの方法があるが、具体的にどうするかといったことまでは決まっていない。できる限り対応していくしかない。トイレは、応急的に借り入れて対応することになる。

Q8:災害要援護者への対応はじゅうぶんか? 視聴覚障害者への情報支援・人工透析など緊急性の高い医療体制は?
災害要援護者のリストを作成し、優先的に生活の支援を行うことになっている。また、人工透析などの医療に関することは、市内の医療機関を始めとする周辺の医療機関と連携して対応していくことになる。

Q9:観光客が被災に遭遇したばあいの対応は?
最初に避難が重要。その後、生活の支援を行うことになる。

Q10:神戸や新潟への行政視察は?
視察はないが、災害の応急対策に当たる職員を派遣している。派遣した職員から、その都度、そのときの情報や体験を参考にして、少しでも役立てられるようにしている。





2005.8.16 仙台沖地震。天童、震度4。
2005.8.22 天童市役所総務課にてインタビュー。
2005.8.24 小川さんあてにレポート(仮)をメールにて提出。
2005.8.31 小川さんより修正レポートがメールにて到着。

2005.9.1
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンクは自由です。

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 水牛だより9月1日

斎藤晴彦が日本語で歌う「冬の旅」のCDは11月1日に発売します。冬に発売するためには暑いさなかにあれこれ準備しなくてはなりません。コンサートツアーもあるため、月に一度はピアノとあわせたいという斎藤さんがやってきて、「凍った雫が転がり落ちる/泣いていたことも 忘れていた」(「凍った涙」)などと、盛大に西陽の入る部屋で汗をふきふき、寒さにふるえる心を歌います。暑さを逃れた喫茶店でつめたいジンジャーエールを飲みながら、チラシには雪をいっぱい降らせようと平野甲賀さんは言います。季節にぴったりな本も雑誌も音楽も演劇も、準備するのは正反対な季節。冬を想像することはできても、寒さを感じることまではできません。
「冬の旅」については毎月1日の更新に限らず、順次お知らせしていこうと思っています。

「冬の旅」には主人公のそばに犬とカラスが何度も登場します。カラスは棲息している土地の人間の暮らしと密接な関係を持ちすぎているようで、このへんのカラスが遠いところ、たとえば東北や九州のカラスの群に入れられると、まずその土地特有のカラスのことばが理解できず、パニックに陥ってしまうらしいのです。「冬の旅」のカラスはみな暗い。家のあたりのカラスの中にカア〜ではなく、ワッハッハッハッハ、ワッハッハ、とさわいでいるのがいるので、笑子《えみこ》という名を進呈しました。笑子の声を聞く限り、「冬の旅」のカラスたちとは仲良くなれそうにないと思うのでした。

「水牛のように」を2005年9月号に更新しました。
この「水牛だより」はブログなのですが、その形式がもっとも有効なのは中東に限らず日本の中でもでもあちこち移動している佐藤真紀さんのくろよん平和主義かもしれません。ネットにアクセスできれば、どこからでも書き込みができるというのは、強力なことだと思います。でも、どこからでもと言っても、そのどこからでもは世界のなかではまだ限られたところ。佐藤さんはいまチェルノブイリにいて、どうやらつながってはいないないようですね。
冨岡三智さんはインドネシアのスマトラ島リアウに行っています。さきほど届いたインターネットカフェからのメールによれば、原稿を添付して送ろうとしたけれどもどうしてもできないと。う〜む、残念。来月を待ちましょう。
藤井貞和さんの詩による「ふしぎの国から」をききました。いじめられて死んでいったこどものことを歌うこどもの声。おとなになってはじめてわかるそのことの意味。

それでは、また!(八巻美恵)

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