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えっと、らんむろです。まぁ、ごぶさたしておりました。FFの世界をちらりんと。
紹介するページですので、いろんなキャラクターを紹介します。
お友達なので、名前が表示されないようにしてあります。

えっと、ネタをバラスようでもうしわけありません。ゲームが開始してほぼ5年たって、
まぁ、いいかなぁと。おもって公開しちゃいます。
FF11では、試練(苦しいです。本当に)がいくつかあります。
私がはじめた初期の頃は、日本の人、まれにマニアックなまじめな香港の人が
いたりする程度でしたですから、意思の疎通も楽に。あれやこれやおしゃべりしながら
楽しかったんですが、いまは正式にヨーロッパ、アメリカでも発売され、
スペイン語、フランス語、イタリア語、英語、なぜか中国語(これは別途書きます)が
氾濫しております。
タブをつかうと。〔モンスター〕〔外〕〔気をつけてください。〕等。この〔〕の中が
英語で表示されているようです。
そういうわけで、LV18でとるサポートジョブクエストが、試練その1です。
理由:日本語で一緒に、組める人がいません。上記のタブで変換するような方式で
外国の方と組むことになります。
いや、英語いやだようー。という人で、今からはじめたいよという人がは、
できればお友達に紹介してもらうと、同じLVになってPTをくめるような帽子が
もらえたりするのでなんとかなりそうなのですが。
次の試練は、LV20になると、チョコボにのるクエストを受けることができます。
ジュノという町へ移動する途中には、2回ほど、がしっ。となぐられると確実に
死にます。でも、がんばってたどり着くわけですが。
ここからLVあげの日々に、LV23あたりが面白いとおもうのですが、ドラゴン退治!
初めの山場です。
ここで、カザムという島へいけるキーアイテムをついでにとってしまうと
いいのですが、この鍵がでません。いらないときはでます。
これをヴァナの法則(勝手に筆者命名)と呼んでます。
LV30くらいで、エクストラジョブと呼ばれる新しいジョブが選べるように
なりますが、またこれも、クエストです。
暗黒騎士、侍、忍者、召喚士、竜騎士、ナイト、詩人、獣使い、狩人を
クエストによってそのジョブになることができるのです。
次の試練としては、LV50でやってくる限界1LV55でやってくる限界2
LV60くらいまでにAF と呼ばれる、職業専用服をとるということも必要に
なってきます。
で、この写真は、友人の白魔導士の猫さんが、ミッションで、ドラゴンの
次の山場である、闇の王と対決する寸前にとったそうです。
のん気なやつです。
わーいツーショットだよー。とメールで送ってきました。
先日、青空文庫の全体会議(年1回やってます)にいったら、最近更新されないねーと
いわれてしまい、読者いないとおもってたのですが、書いてみました。
長くなってしまったので、中国問題については別に記載することにします。
先日「読書blogーすいへいせん」で「世話役が推すこの一冊」と題して特集を組んだ。その折、 富田さんが、芥川龍之介の「後世」を取り上げていた。
彼の原稿が私のPCに届いた翌日のことだった。工学を専攻するロシアの青年とチャットをしていて、日本文学の話になった。青年は、日本の作家の名前を数人挙げた。W村上、島田雅彦と並んで彼が書いたのは、pюноскэ Акутагава りゅうのすけ あくたがわ である。青年は、名前を知っているが、読んだことはないのだそうだ。
ーわたしの作品の飜譯を機會にそれ等の天才たちの作品もロシア人諸君に知られるとしたらば、それは恐らくはわたし一人の喜びだけではありますまい。この文章は簡單です。しかしあなたがたのナタアシアやソオニアに我々の※[#「姉」の正字、「」の「木」に代えて「女」、374-10]妹を感じてゐる一人の日本人の書いたものです。どうかさう思つて讀んで下さい。ー
芥川は、今でもロシアの大地に生きている。なぜ生きていられたのか。答えは、PCのフォルダにある富田さんの原稿の一節より。
ー人の世を貫いて流れる文化の大河のひとしずくとなり、後世との出会いを待つといった大望となると、意識の表にはなかなかのせにくい。
芥川ほどの人にしてはじめて、それもごくごく控えめに語って、どうにか格好が付く。
だが、書く人の胸の奥の底にはしばしば、そんな奇跡に憧れる冷たい炎が、本人も意識することなく燃えている。ー
今回は、引用の多い文章になった。最後に一行だけ私の思いを吐露しよう。
いつの日か、ドストエフスキーに会いにいくことが長い間持っている夢だ。そのときロシア語の芥川にも会ってこよう。
青空文庫のテキストの、ある一つの形態。
それは、紙の本にもどること。

「水牛のように」で“製本、かい摘まみましては”を執筆している四釜裕子さんが、青空文庫のテキストを使って製本してくれました。以下はその製本の流れ。
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まずはPageMakerというソフトを使って青空文庫のテキストを丁合い印刷します。丁合い印刷とは、間に余白(ノドという)を置いて、2ページと15ページを印刷します。そしてその裏側、つまり2ページの裏に1ページ、15ページの裏に16ページを印刷します。次は4ページと13ページ。その裏が3ページと14ページ。このページの割り振りはPageMakerが自動的に行ってくれます。 →詳しくはこちらの工程3をごらんください。 |
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そのプリントアウトしたものを16ページごとに束ねて、糸がかりのための穴を4つ開けます。そしてそこに糸を通していきます。 →詳しくはこちらの工程6をごらんください。 |
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背を木工用ボンドで固め、補強のため紙を貼ります。 →詳しくはこちらの工程7、工程8をごらんください。 |
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最後に表紙をくるみます。左側は、横光利一『機械』の初版本(の復刻本)。カラーコピーなどで、それに似せて表紙を作ります。 |
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できあがり。今回は自分で作った訳ではないので、今度なにか作ってみます。作り始めると、絶対に面白いはず。 |
1.インターネット前史
アメリカ国防総省の小さな部局、高等研究計画局(ARPA)。その中の情報処理技術室に1965年、ロバート・テイラーという男がやってくる。当時のコンピュータ界はこの技術室から資金を提供されて、それぞれの場所でそれぞれのシステムで独自に研究が行われていた。たとえば主なものをあげてみると、大学ではMIT、ハーバード、スタンフォード、カリフォルニア(バークレー&ロサンゼルス)、カーネギー・メロン、イリノイ、ユタ。研究所ではスタンフォード、リンカーン、ランド。企業ではボルト・バーネック&ニューマン。
66年、室長となったテイラーは、このばらばらの研究拠点をどうにかひとつにつなぎ、よりよい発展が望めないかと考えていた。このネットワークの構想こそ、インターネットの前身アーパネットである。69年、カリフォルニア州で4つのコンピュータをつなぐ実験が行われ、さまざまな試行錯誤を経て、2年後には先ほどあげた拠点をすべて含んだ、15ノード・23地点のコンピュータがネットワークに接続された。それはちょうど、アメリカ建国200周年を5年後にひかえた年のことだった。
2.コンピュータと青年
1971年、イリノイの夏はとにかく暑かった。
暑いと人間やる気が起こらない。おまけに環境が悪いとなるとなおさら。仕事だって宿題だって手につかない。イリノイ大学の学生、マイケル・スターン・ハートも同じ考えだったらしい。どこへ行っても宿題がはかどらない。寮も図書館も研究室もさわがしくてやってられない。そんな彼が、友人がオペレータをやっている、明るく静かで空調も完備されたコンピュータ・ルームに転がり込んだのも、自然な話だった。
当時のコンピュータというのはとんでもなく高価でとんでもなく巨大でやっぱり熱を出す。まさに《計算機》と呼ぶにふさわしい代物で、立派な部屋にでんと構え、丁重に温度管理されていた。もちろん高額なものがそうたくさんあるわけではないので、研究者たちはみんな計算したいものを持参してコンピュータ・ルームにやってきては、専門的な知識を持っているオペレータに計算機を操作してもらう。たまたま計算機の使用が混んでいるときには行列ができる(人orプログラムの)。人が次々とやってきてオペレータにお願いしていくことからか、コンピュータ・ルームは《祈祷室》の様相を呈し、オペレータは《僧侶》然とした存在になってくる。
マイケル・ハートはそんな光景を見ながら、コンピュータのそばで宿題をこなしていくうち、自然と自分の周りにあるものの使い方を覚えていった。もちろん、父親がシェイクスピア学者という肩書きには似合わず、当時出始めた電子機器にはまっていたことや、母親が数学教育学の教授であったことも素地としてあったかもしれない。けれどもともかく、彼は誰にも気づかれないうちにコンピュータを身体で理解していった。
ある日、コンピュータ・ルームはとても忙しかった。その日も彼は部屋に入り浸っていたが、そこを仕切る3人のオペレータはものすごい量の仕事で完全に手がふさがっていた。そこへ、常連となっている研究者が、プログラムを手にあわてて部屋にやってきた。
「急ぎで、これを実行してほしいんだけど。」
もちろん、3人のオペレータは忙しく手がつけられない。普通なら待ってもらうか、もう一度あとで来て、ということになる。けれども本当に急がなければならなかったらしく、それを察した彼は、友人であるオペレータにこう言ってみた。
「おれが、このプログラム走らせてもいい?」
すると3人のオペレータはものすごい顔をして驚いた。
「おまえ、動かし方知ってるのか!?」
そこで彼は、紙に読込と実行の手順を書いた。オペレータたちはそれを見て、
「それでいい、やってみろ。」
プログラムは見事実行された。その日から、マイケル・ハートはコンピュータ・ルームの《非公式》オペレータとなった。
3.プロジェクト・グーテンベルクの誕生
彼はオペレータのひとりから権限を借りて作業をすることになった。そうして非公式に続けていたが、7月3日、夜はふけ、そろそろ深夜勤務の時間になる頃——
「マイケル、おまえに正式なアカウントをやるよ。」
と、権限を借りていたオペレータが彼に言った。ただ、そのアカウントをドルに換算したときの価値を聞いて、彼は心臓が飛び出るくらい驚いた。
「1億ドル!?」
しかも、もし1億ドル分使い切ったら、また補充してくれるという。途方もない話に唖然としながら、その高価なコンピュータを何に使えばいいのかと、周りのオペレータに聞いてみても、
「いいんだ、好きにたわむれとけ。」
なんて返事をされる始末。そこで、その価値に見合う利用方法を彼はひとりで考え始めた。
——プログラム? たしかに FORTRAN なら扱えるけれど、別にたいしたプログラムなんか組めないし、作ったところで遠い将来まで使われるかどうかわからない。それじゃあ価値のムダ遣いだ。できるなら、このコンピュータでもってずっと先まで意味のあるようなことをしたい……
彼はそれから1時間半くらい悩みに悩んだ。
——何に使おうか、できたら、人の役に立つことを。軍事目的とか、金もうけはダメだ。うーん。
そして最終的に行き着いたのが、「利用価値のある文献をコンピュータに入力し、ネットにつながったコンピュータからなら誰でもアクセスして利用できるようにする」というアイデアだった。
当時ネット上で読めるモノといったら、だいたいがコンピュータが壊れたらどうすればいいとか、修理屋の連絡先とか、トラブルシューティングの類ばかりだった。そこに何かしらの読むに値するモノを入れようと思ったのである。その頃はまだネットはたかだか100人の研究者が使うきりだが、彼はのちのちこのネットは大きく成長して、全世界の人々のもとへと広がるという確信があった。そうすれば入力したモノは遠い先々まで有効に活用される。
彼は早速作業に取りかかった。文章を入れるとしたら何を入れよう。アメリカはちょうど建国200年に向けてムードが高まり、いたるところで独立宣言を印刷したものが出回っていた。彼もたまたまその日、独立宣言のコピーを1枚持っていた。
——よし、これを入力しよう。
そうしてそれから1日で入力・校正を終え、利用者への手引きも用意した。
プロジェクト・グーテンベルクの始まりだった。
4.インターネット以後
その後プロジェクト・グーテンベルクはこつこつとそのテクストの数を増やしていった。1つだったものが10に20に50に100に。いまでは16000の電子テクストがそこにあり、世界中の誰もがネットワークにつなぎさえすれば望んだときに人種・性別・階級を問わずそれを手にすることができる。
マイケル・ハートはこう言う。
「電子テクストは、空気以外にして世界で初めて、望めば誰でも手に入るものとして現れたんだ。」
今では、プロジェクト・グーテンベルクと同じような趣旨のサイトが世界中にある。色々列挙してみると——
アフガニスタン
アルメニア
イタリア
エスペラント
オランダ
スウェーデン
セルビア
タミル語
デンマーク
ドイツ
ハンガリー
フランス
ポーランド
ラテン語文献
(できるだけ色んな言語のものを並べようとしたら、やはり言葉の意味がわからないので中身の確認がいまいちできていません、ご了承あれ)
筆者が昔からお世話になってるアーカイヴで行くと、
もちろん青空文庫もたくさんあるアーカイヴのひとつ。
現在、マイケル・ハートのホームページに行くと、初期プロジェクト・グーテンベルクのトップを飾っていた「無知と文盲の鉄格子を打ち破れ」と書いた本人の画像とともに、こんな言葉が書いてあった。
「昨日の自分がやったことを見て、今日もまだすごいって思えたら、それはまだまだ明日への目標が小さい、ってことだね」
と言われても、1971年7月4日に彼が始めたことは、果てしなくすごいことだったと、私は思う。
6月の中旬、水牛レーベル次のCDのために、2日間かけてシューベルトの「冬の旅」を録音しました。歌うのは黒テントの斎藤晴彦、ピアノは高橋悠治です。このふたりの組み合わせですから、やはりふつうのクラシック演奏というわけにはいきません。水牛楽団のコンサートで、ショパンのポロネーズやモーツアルトのトルコ行進曲、ベートーベンのアパッショナータにあわせて歌う斎藤さんを覚えていらっしゃるかたもあると思います。わたしはあれ以来これらの曲をきくたびに、斎藤さんが歌ったことばの一部が浮かんでくるありさま。今度の「冬の旅」は日本語版です。ミュラーのもとの詩に忠実に斎藤晴彦、高橋悠治、山元清多、平野甲賀、田川律の5人が訳しました。日本語で聞くと考えている以上によくわかるのは、あたりまえとはいえ、どこか不思議な気がします。発売は11月、東京をはじめ、松本、北海道などで公演の予定もあり。文字通りの冬の旅、となりそうです。詳細をお知らせできるまで、心のどこかに留めておいてください。斎藤さん自身はこんなふうに書いています。
「水牛のように」を2005年7月号に更新しました。
森下ヒバリさんがアジアのごはんのことを書いてくれることになりました。ビーフン炒め煮はおいしそう。ハチクはないけど、ちがう具をいれて作ってみよう。カラワンの「ノーマイ(たけのこ)」はなつかしい歌です。森から戻ってきたばかりのモンコンがはじめて東京に来る前に送ってくれたテープの中にこの歌も入っていたからです。食べ物に苦労した森の生活のこともずいぶん聞きました。カクメイを助けてくれたのはたけのこと味の素。塩と味の素を入れたお湯で、食べられそうなものは何でも煮て食べたと。
杉山さんちのぼうやが大きくなったら、今月のお父さんの原稿はぜひ読んでもらいたいものだと思います。手製本の師匠と仰ぐ四釜さんに交差式ルリユールを教えてもらって、ちいさな本にしておこうかな。
ひとの不幸をよろこぶ趣味はないけれど、御喜さんの不幸な体験、おじいさんのゴホン、には思わず笑ってしまいました。
7月13日発売のCDのお知らせです。
「yuji takahashi」(ATAK006) 2200円。以下は制作者による宣伝文です。
高橋悠治、12年振りの電子音楽によるフルアルバム。1963-2005、42年間の集大成!
電子音楽作品によるフルアルバムとしては「翳り(1993)」以来12年ぶりとなる本作は、ライブでのみ発表されてきた2000年以降の最新作から'95年の傑作「雲輪舌260795(1995)」、'89年に発表されたカフカのテクストによる作曲者自身の朗読とコンピュータシステムによる「それとライラックを日向に(1989)」、1963年に作曲された電子音楽の処女作にして幻の音源とされていた自身25歳(!)のテープ音楽「TIME」(真鍋博のアニメーション作品に提供した日本最初期の電子音楽作品)といった異なる時代の傑作を網羅した、最新作にして集大成、問題作にして最高傑作と言える豪華な内容です。
詳しくはATAKへどうぞ。
それではまた!(八巻美恵)
子どもが犯罪をおかしたり殺人をおかしたりするのはなぜか。
子ども。児童。青少年。若者。若年者。青年。童子。わらべ。『子どもの脳があぶない』と現代社会へ警告する研究者もいます。そのいっぽうで、子どもは古来、無邪気であるゆえに大人以上に残酷だという意見も聞きます。ハーメルンの笛吹き男は、若者・青年としてよく描かれています。さらわれる子どもたちとさほど年齢が変わらない。サルでも犬でも鳥類でも、動物の本能として“群れる”という現象はめずらしくありません。群れることが安全を保証したり、快適さをもたらしてくれたり、
生まれた直後、なにはともあれ、身辺の動いているものをしたってついてゆこうとする。善悪・正否は関係ない。とくにかくけなげについていってみる。判断思考が未熟だったり自我が未発達な段階では、それもまた合理的な行動です。親の数に対して子どもの数が多いばあい、しばしば年長の子どもが年下の子どものめんどうをみるという行為もみられます。正確な意味での面倒を見る、世話をする、というわけでは必ずしもない。単に相手をする、放置しない、かまってやるということにすぎないのかもしれませんが。親にとっては子どものめんどうから開放されるので、エサを探しにいったりナワバリに入りこもうとするゴロツキや天敵を警戒することに専念できます。年長の子どもにとっても、子育てを疑似体験することはのちのち役に立つ。
同年齢の子どもたちをあつめて、少し年長の者がその世話をする。
ところが集団のほうは、個人のそういった
集団が集団として団結心をたしかめあう方法は大別すると2つになります。ひとつは対外的に集団の力を表現・誇示するという方法。そしてもうひとつは、集団の内部にあえて「はぐれもの」を用意して
集団と個人。集団と集団。
集団のなかから個人がはじきだされるばあい、しばしばうらみや怒りが表出します。もしくは集団や個人の深層に蓄積します。個人に問題があるかどうかはさほど問題ではありません。個人であるかぎり、ほかの人となにかかにか異なっていて当然だからです。どこにでも差異のタネはころがっているからです。極言すれば、だれでもはじきだされうるともいえます。(自分が)「集団からはじきだされるかもしれない」と予期した瞬間、もしくは「はじきだされた」と感じた瞬間、新しい関係が生まれます。集団と個人のネガティブな関係性です。集団からみればとりたてていうまでもないことであり、うとましいことであり、めざわりなことであり、ふれたくないことであり、深く考えたくない事柄です。
はじきだす側が暴力的なばあい。
はじきだされる側が暴力的なばあい。
つい100年前までは、身のまわりにあるもの=凶器になりえるものもそれなりに限られていました。クワやカマ、ナタや出刃、フォークやナイフくらいでしょうか。しいていえるとすれば、便利な道具をつくって便利な社会をつくればつくるほど、人間は身のまわりを危険なものだらけにしてしまった。自動車を利用した犯罪、携帯電話を利用した犯罪、ネットを利用した犯罪……。この流れを変えるのは、かなりむずかしい。テロリスト・ゲリラなどというと自分たちとまったく無関係と思いがちだけれども、さくらんぼどろぼうにせよオレオレIT詐欺にせよ、けっこう身近なところに寝食していらっしゃる。
一説によれば、
童子。わらべ。鬼。あやし。
昔話のなかには、若い娘が化け物にさらわれるという話がしばしば見かけられます。また、目玉をくりぬくとかはらわたをえぐり取るとか頭からガリガリ食べるとか生き血を吸うとか脳みそは美味だとか年寄りの肉は固くてクサイけれど若いこどもの肉はうまいとか、そういうエグい表現がよく出てきます。毒をもるという話もよくあります。年取ってモウロクした親を山に捨てるという話もよくあります。神隠しにあって帰ってこなかったという話もある。
話が語り伝えられているということは、話の発端となるなんらかの事件がかつてあったことが想像できます。一言一句同じということではなくて、話をイマジネーションできるくらいの事件、という意味です。それからその事件が当時もそれなりにインパクトのある出来事だったというふうに考えていいと思います。めずらしくなければ物語る必要もべつにないからです。そして、時代が変わっても語り伝えられてきたということは、めずらしい事件ではあるけれども風化できないメッセージがそこにあるとも受けとれます。作者や語り部は過去に題材をとりながらも、現代を、もしくは自分自身を語っていると深読みしてみるのもいい。
さて、子どもが犯罪をおかしたり殺人をおかしたりするのはなぜか。
おとなが犯罪をおかしたり殺人をおかしたりするのだから、子どもがおかしたってふしぎじゃないともいえます。子どもとおとなに明確な境界などないからです。おとなにとって犯罪をおかしやすい社会だから子どもでもできる。子どもが
2005.6.29 香川 夜間断水
2005.7.1
しだひろし/PoorBook G3'99
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