2005年03月27日

 ウインタースポーツ

 去年はスキー体験を書いた。今年は、スケートのことを書こう。

 小学校六年生のころ、「親戚のおねえさん、おにいさんにスケートに連れて行ってもらった。」・・と書くことは、なんら珍しいことではない。次に「最初、転んでばかりいたけど、滑られるようになったので、楽しかったです」と書けば、先生に「よかったね」の評価がもらえるだろう。
 確かに私は楽しかった覚えがある。生まれて初めて氷の上に立ったのだから・・しかし連れて行った人の努力は並大抵のものではなく、それも報われなかった。
 たいてい30分もリンクの上を歩いたり、転んだりしながらもやっていれば、滑ることができるようになるというのが、私を連れて行った人たちの常識だった。それが、どうやってでも滑られない。立つことで精一杯で、リンクの周りの手すりを両手を使って伝い歩いていた。インストラクターのように親戚の者は両手を持ってくれたり、抱きかかえるようにして中央に連れて行ってくれ、滑ってくれたりしたが、一向に前に進まない。以後、スケートに関しては、親戚から声がかからなくなった。
 中学生のとき、クラスの数人で、スケートに行くからと誘ってもらった。その中にちょっとあこがれていた男子学生もいて、友達が手を握れるよと不純な動機を一言つけた。できないなら、彼に教えてもらえばいいではないかとも言ってくれたが、パスした。
 東京で学生生活最後の頃だったから、今ごろだったと思う。雪国育ちは、スケートもできるという間違った常識の元、関東育ちの人たちが声をかけてくれた。それも富士○○○ランドへ行くという。夜、新宿を出て、夜中に滑り、次の日遊園地で遊んで帰ってくる一泊二日のバスコースだった。スケートはできないから嫌だが、富士山が見たかった。富士山を見たことがなかったのだ。
「私、滑られないのよ」と私は言った。
「私もできないのよ。大丈夫よ」と友達は言った。
 大丈夫ではないのだ、貴女のできないと私のできないは違うのだ・・・と言おうとしたが、富士山が見たい。
 結局その夜新宿の駅前に集合し、私を含めて三人だったと思う。夜中の何時だったか、スケート場に着いた時、寒くてコートの襟を立て、手を腕の中に引っ込め・・・
 早速スケート靴を借りて、リンクへ。滑られない三人組みだから、私は後の二人にすがるわけにはいかないので、リンクの縁にしがみついていた。後の二人は、インストラクターの人だろう、腕章をつけた人にリードしてもらい、段々リンクの真ん中へ行った。他の腕章をつけた人が、私の手をもってくれたが・・・その人もあきらめた。なぜ私は滑ることができないか・・左右の体重移動ができないのである。体が棒のように立ったままなのだ。
 結局私は、スケート靴を脱いで、休憩室にずっといた。一人で滑ることができるようになった後の二人が教えてあげるから、滑らない?熱気で頬を紅潮させて言ってくれたが、寒さで震え、体力もなく、黙って首を横に振った。
 朝、食事をしてから、バスは、私たちを遊園地に運んでくれた。遊園地で、私たちは、まず観覧車に乗ろうということになった。私たちが乗った観覧車が、どのくらい上がったところだっただろうか、一人があっと叫んだ。観覧車の丸い窓の向こうに富士山である。小さい時から何かにつけ写真でみた富士山そのままの姿である。
 衣の裾をなだらかに広げ、雪の帽子を自慢げに青い空に突き出している。
「頭を雲の上にだし・・」と観覧車の中で三人で合唱した。
 スケートができるようになった二人と、富士山を見ることができた私だから、満足で帰宅したことに間違いはない。

★この文章を書いた人→ten★こんな時間に→16:04コメント (3)トラックバック

2005年03月26日

 勘違い大全集

その5

 先日このblogにも書いたように、体調が悪く伏せっていた。そのとき、私の携帯にH子さんからメールが入った。

 H子さんは、共通の知人であるアメリカ人夫妻の夫に来週の集まりはどうするのかと携帯のメールで訊いた。そしたら、以下の英文が返ってきた。

My wife is leaving me. She is going to another country.

 これを読んだH子さんは、心配になった。アメリカ人である彼の元を、日本人の奥さんが去っていったのではないのか?奥さんが出ていって、他の国へ行ったのではないか・・・
それとも他の国の人と駆け落ちしたとか・・
あんなに仲が良かった夫婦が離婚するなど、人間不信に陥りそうだとH子さん、はじめ離婚解釈派は悩んだ。

 この英文を読んで、私は心配になった。映画だったか、本だったかわすれたが、アメリカ人の夫が、妻を亡くしたとき、これと同じ台詞だったように思う。婉曲だが、なんと洒落た台詞だろうと思った覚えがある。ということは、彼の奥さんT子さんが亡くなったということか・・と私、一人死亡説派を築こうとしていた。

 私の解釈を訊いて余計心配になったH子さんは、どんな返事が返ってくるのかはらはらしながらも勇気を振り絞って再度メールを送った。

What is your wife happened?

数日後H子さんの携帯のメール着信音が鳴った。

”こんにちは、T子です。来週はちょっと友達と旅行へ行っているので、出席できません。夫の英文で、ご心配をおかけしました・・・”


その6

 最近創作料理店というのが大流行である。私の住む地方都市の郊外にもぼつぼつできている。レトロだったり、無国籍風だったり、豪奢だったり、それぞれ個性豊かな外観をしている。
 その中の一軒へ友達とランチを食べにでかけた。建物は大きくないが、中は中国の高級料理店をイメージし、食事だけではなく、中国の陶器や雑貨も売られていた。
 丸顔で、笑うとえくぼのでる店員さんが、なぜかアオザイ風の衣装で、私たちにメニューを持ってきた。メニューもわかりやすく、写真つきのメニューである。友達と額を合わせて、ああでもないこうでもないと迷った末、それぞれ注文した。
 友達の方は、セットメニューだった。私は単品だった。ということは、友達の方にデザートとコーヒーがついてくる。食べた後、お腹がいっぱいだったので、デザートはうらやましいとは思わなかったが、コーヒーが飲みたかった。コーヒーは好きではないので、コーヒーというより飲み物が飲みたかった。先の店員さんに言うと、メニューを持ってきてくれた。
 メニューの飲み物には写真がない。いくら創作料理でもコーヒーは、コーヒーであり、紅茶は、紅茶であろう。好きな紅茶をみていくと、「紅茶(レモン・ミルク)」「ダージリン紅茶」「アールグレイ紅茶」「サーロン茶」とある。最後の「サーロン茶」が対面からメニューをみている友達も正面からメニューを見ている私も気になった。
「サーロン茶ってなにかしら?」と私が言うと、
「そうね。聞いたことないわね。紅茶は原産地の名前がつくからね」と彼女は答えた。
「スリランカかインドの方にサーロンっていうところがあるのかな・・・それにしてもステーキみたいな名前ね。」
「それは、サーロインでしょう。」
「サーロインもサーロンも似たようなものじゃん。サーロインは人の名前よね。でもサーロンという人も場所も聞いたことないわねえ」と大雑把に私が言うと、
「隠れた名産地かもしれないし、頼んでみれば?」と彼女は私の代わりに英断を下した。
 それもそうである。茶とつくもので、飲めないものはないだろうと私は先の店員さんを呼んだ。
「サーロン茶をください」と私は、メニューを返しながら言った。
 店員さんは、丸顔でつぶらな可愛い目でじっと私の顔を見た。その目の中は、訝しげで、好奇心いっぱいの光で弾けている。
「すいません、そのようなものは、当店にございません」
「え?でも・・」と私はメニューを開いて、堂々と「サーロン茶」を指差した。
「ウーロン茶ですが・・」

 メニューの地模様が悪さをして、”ウ”が”サ”に見えたのだった・・・

ちなみに私は、順当な考えに戻して、普通の紅茶を頼んだ。

つづく・・

★この文章を書いた人→ten★こんな時間に→11:08コメント (1)トラックバック

2005年03月23日

 Mt.Gassan(月山)と天童・舞鶴山

2005年3月21日 快晴。
気温10度前後あるものの、風がつよく冷たい。

mt.jpg

チャンスかもしれないと思い、舞鶴山へ登ってみました。ようやく平地にクロッカスや梅の花がちらほら。桜のつぼみはまだかたそう。人間将棋会場の北側に展望台があり、そこからの撮影です。北西方向。手前が天童市街。右の山頂がゴツゴツしてるのが葉山(はやま)。ひだり奥のすらっとした白い山が月山(がっさん)です。庄内へ行くためには、葉山の右側をぐるっと迂回するか、月山のひだり肩のあたりを越えていくことになります。右のルートが羽州街道。ひだりのルートが六十里越街道。葉山の手前には紅花で有名な河北・谷地があり、月山の手前には寒河江・慈恩寺があります。内陸から海へ出るためには、羽州街道か六十里越街道を使わなければいけなかった。逆に、庄内や秋田から参勤交代などのさいにも、この2つの街道が利用されました。

芭蕉、西行、イザベラ・バード(Isabella L. Bird)、茂吉、井上円了、岡本太郎、菅江真澄、ブルノー・タウト、沢庵、古川古松軒、賢治、陸奥宗光、明治天皇、義経……。いろんなひとが山形をたちよったさいに、そのとき天気がよければこの風景、月山と葉山をながめているはずなのですが。奥の細道や曾良日記を読んでいないのですが、はたして月山に登る前に、芭蕉や曾良はこの月山のすがたを見たものだろうか……イザベラ・バードはどうだったろうか……そんなことを考えずにいられません。この土地に住むものにとって、見なれた光景ではあるものの、いざ写真に撮ろうとすると、なかなかこれが。雪の日、雨の日、くもりの日には姿をおがめないので、いいところ、年に100日、200日あるかどうか。天童や山形がいい天気でも、月山周辺は気温が低いこともあってくもりやすいし、天気の悪くなるときは西側(月山の方向)から悪くなりやすい。

天童、舞鶴山。
あらためて感じたのは、みごとなアカマツ林でした。おそらく植樹だろうけれども、本数といい、幹の太さといい。細いものもあるし、とんでもない太さのものがゾクゾクあるわけではないのですが。太平洋戦争中、かなり伐採しただろうけれども。山の北側と西側には展望台が用意されているのですが、山形方面をみわたせるはずの南側に、いい見晴らし場所がないものか探しまわったあげく、アカマツ林や山頂の墓地に。ウソやシジュウカラが何かついばんでると思ったら、ウメの木がありました。まもなく咲きそうなつぼみがいっぱい。ただ、今年の雪に痛められたのか、太い枝が折れて下を向いてました。あまりに枝つきがよすぎて、たくさんの雪が積もりすぎてしまったような。

木の根元はすでに地面が見えていましたが、おどろいたことにウサギのフンを見つけました。来る途中ずっと雪の上に足跡がないかどうか見てたのですが見つけられなかった。きっといないのだろうとおもってたところでした。飼いウサギが野生化したと考えたほうがいいのか、それとも、もともとの野生種なのか。わかりませんが。

sagi01.jpg

sagi02.jpg

こちらはまちがいなく野生種だと思うのですが、天童市街で白サギを撮影したものです。なんか杉の木のてっぺんででかいモノがふわりふわり飛びはねてる、とふしぎにおもってちかよってみると……はじめて見ました。純白な白サギ。7羽。なんか花札の絵柄みたいな構図ですが(^^)、合成ではありません。アオサギなら、しばしば見かけたことがあったのですが。最上川あたりでエサの小魚が豊富なのかもしれない。舞鶴、という名称はあるものの、天童で鶴を見たことはありません。けれども今回サギを見たことでがぜん、あながち、鶴がじっさいに飛んでいてもふしぎじゃないかもしれないと考えなおしました。



2005.3.19 宮本輝・錦三郎、和解
2005.3.20 福岡・佐賀、震度6弱、NEC、Vリーグ優勝

2005.3.23
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンクは自由です。

★この文章を書いた人→PoorBook G3'99★こんな時間に→02:29コメント (0)トラックバック

2005年03月20日

 襲名披露 口上

3・3 に、中村勘九郎から勘三郎にと襲名披露公演が
ありました。当日、就職活動で近くへいった私は、幕見で
口上のみ見て参りました。

勘三郎さん17代目は生で舞台で拝見したことはありません。
今回記念で、DVDが発売され、購入して拝見しました。
すごい方です。ギネスブックにものるくらい、男役も
女役もこなすのです。

18代目は、きっと歌舞伎を伝統芸能のすばらしさと、
日本の演劇世界を大きくかえていくような気がします。
勘三郎の世界と彼のもつ、舞台に対する愛が日本の舞台を
演劇を支えてくれるかなぁとおもうのです。

歌舞伎になれてないかたもいらっしゃると思います。

もし、都内におすまいでしたら、4月は午前の部
(全日程完売につき席は変えないので、幕見を試してください)

1)午前の部、はやめにお昼をたべるなりして、並びましょう。
12:54〜ですので、おそらく12時くらいには、並ばれるのを
お勧めします。

2演目の、京鹿子娘道成寺(道行から押し戻しまで)を勘三郎と
団十郎と芝かんさんがおやりになります。
幕見料金は、1200円です。
芝かんさんの舞台は素敵です。(ilove芝かんさん)
そうして、2時19分におわります。

そのまま、午後の部の、毛抜き(団十郎のお家芸)18番です。
ここから、口上までつづきで、幕見すれば、席にすわって
見ることができるとおもいます。

午後の部は、イヤホンガイドを借りることをお勧めします。
保証金1000円と借り料500円で、お芝居の邪魔にならない
程度に解説をしてくれます。

1)毛抜きは、1200円
2)口上 800円です。
口上の終了時間は、18時18分に始まり18時43分に終わります。

口上だけを見る場合は、席はなく立ち見になると思います。
口上だけなら、イヤホンガイドはいりませんが、音が聞こえやすいと
おもいます。4月の口上には、謹慎が解けた七之助もでます。

あとは、5月の夜の部は、野田秀樹作、衣装ひびのこづえで
野田版研辰の討たれをやるのですが、これがとても楽しい舞台です。
チケットの発売は、4・15です。

ネットオークションにでるチケットは買いません。
役者にお金が渡るわけではないからです。演じる人、舞台で裏方
を努めている人にお金を払いたいのです。

今回襲名披露なので、一等席が2万円と高いので、
私は、3階A席の6500円をねらおうとおもっていますが、
どうなるかなー。どきどき。がんばって、5月の夜の部はチケットを
買いたいなって思ってます。

よい機会なので、お勧めしまーす。

★この文章を書いた人→らんむろ・さてぃ★こんな時間に→13:11コメント (2)トラックバック

2005年03月19日

 私の行方不明説或いは死亡説

 今週の月曜日から体調を崩して寝込んでいた。「読書blog-ちへいせん」の16日は、うにさんに無断で「本日休業」の札を提げた。
 そしたらいろいろな方々に励ましのコメントを頂いた。やはり私は一人で生きているのではない、多くの人に支えられているのだと実感した。ありがとうございました。

 みんなの励ましのコメントがついていることなど知る由もない私は、布団の中で本を開く力もなく、テレビの音を聞きながらぼんやり天井を見ていた。テレビの中は卒業式の話題で盛り上がっている。そういえば・・と思い出した。
 私は同窓会というものが嫌いで出席したことは無い。正確にいえば、ずいぶん前に高校時代のものに一回だけ出たことがある。どうもあの団体で「懐かしい」コールを交わすのは、苦手である。息苦しくなってしまう。それほど立派な行いをしていなかったからだろうが。
 ところが世の中には、義理と人情に厚い人がいるもので、小学校から始まって同窓会の類を欠かしたことがないという。私の高校時代の友人である。彼女を通して同級生の情報が入るから、尚のこと出席する気が私にはないのだろう。
 ある年の夏、高校時代のクラス会があった。前回のクラス会より年月の間が開いたらしい。彼女は、開催通知の届いていない私に声をかけたがあっさりと断られ、一人ででかけた。
 担任を囲んだ会の宴もたけなわのころ、幹事の同級生が彼女に私のことを知っているかと訊いた。知っていると言えば、なぜ私がこなかったのかということになり、都合があったのだといえば、何の都合かということになり・・と彼女らしい気の回し方でどう答えようかと思っていたら、あいにく幹事の彼の方から話を続けてくれた。彼は、私宛に、卒業名簿の住所を元に同窓会の通知を出したら配達不能で戻ってきた。卒業名簿の電話番号にかけても不通である。一緒に幹事をした者の誰に訊いても知らないという。幹事仲間内で私の話題になり、そういえば、高校時代あいつ(私のこと)は身体が丈夫でなかった。入院生活を送っていた。また入院しているのではないのか?それよりも、そもそも生きているのか?ということになった。
「どうなの?知っている?」と彼に尋ねられ、
「tenは生きている。」と彼女は言い切って、しばらく間をおいてから、続けた。「いつだったか街で会ったよ。それまでは確かに生きていたよ」
 すると幹事として目を輝かせて「そうか、住所と電話番号を知っているのなら教えて欲しい」と彼は言った。
 彼女は、また最初の問答に戻った。住所を知っているのなら、なぜ連絡をしなかったと言われそうだ・・と考えた挙句、答えた。
「ごめんなさい。知らないわ。彼女引っ越したのよ。きっとそうよ。なんなら行方不明にしておいたら・・」
 というわけで、私の死亡説は免れたが、高校時代の同窓名簿には行方不明になっているらしい。

★この文章を書いた人→ten★こんな時間に→09:38コメント (1)トラックバック

2005年03月16日

 与謝野晶子の歌で読む「源氏物語」

与謝野晶子訳の源氏物語が全て公開されました。公開記念ということで、各作品の冒頭に与謝野晶子が掲げた歌を集めてみました(ルビは除いてあります)。要約された源氏物語の世界をお楽しみください。図書カードへのリンクもはってあります。

01 桐壺
紫のかがやく花と日の光思ひあはざることわりもなし

02 帚木
中川の皐月の水に人似たりかたればむせびよればわななく

03 空蝉
うつせみのわがうすごろも風流男に馴れてぬるやとあぢきなきころ

04 夕顔
うき夜半の悪夢と共になつかしきゆめもあとなく消えにけるかな

05 若紫
春の野のうらわか草に親しみていとおほどかに恋もなりぬる

06 末摘花
皮ごろも上に着たれば我妹子は聞くことのみな身に沁まぬらし

07 紅葉賀
青海の波しづかなるさまを舞ふ若き心は下に鳴れども

08 花宴
春の夜のもやにそひたる月ならん手枕かしぬ我が仮ぶしに

09 葵
恨めしと人を目におくこともこそ身のおとろへにほかならぬかな

10 榊
五十鈴川神のさかひへのがれきぬおもひあがりしひとの身のはて

11 花散里
橘も恋のうれひも散りかへば香をなつかしみほととぎす鳴く

12 須磨
人恋ふる涙をわすれ大海へ引かれ行くべき身かと思ひぬ

13 明石
わりなくもわかれがたしとしら玉の涙をながす琴のいとかな

14 澪標
みをつくし逢はんと祈るみてぐらもわれのみ神にたてまつるらん

15 蓬生
道もなき蓬をわけて君ぞこし誰にもまさる身のここちする

16 関屋
逢坂は関の清水も恋人のあつき涙もながるるところ

17 絵合
あひがたきいつきのみことおもひてきさらに遥かになりゆくものを

18 松風
あぢきなき松の風かな泣けばなき小琴をとればおなじ音を弾く

19 薄雲
さくら散る春の夕のうすぐもの涙となりて落つる心地に

20 朝顔
みづからはあるかなきかのあさがほと言ひなす人の忘られぬかな

21 乙女
雁なくやつらをはなれてただ一つ初恋をする少年のごと

22 玉鬘
火のくににおひいでたれば言ふことの皆恥づかしく頬の染まるかな

23 初音
若やかにうぐひすぞ啼く初春の衣くばられし一人のやうに

24 胡蝶
盛りなる御代の后に金の蝶しろがねの鳥花たてまつる

25 蛍
身にしみて物を思へと夏の夜の蛍ほのかに青引きてとぶ

26 常夏
露置きてくれなゐいとど深けれどおもひ悩めるなでしこの花

27 篝火
大きなるまゆみのもとに美しくかがり火もえて涼風ぞ吹く

28 野分
けざやかにめでたき人ぞ在ましたる野分が開くる絵巻のおくに

29 行幸
雪ちるや日よりかしこくめでたさも上なき君の玉のおん輿

30 藤袴
むらさきのふぢばかまをば見よといふ二人泣きたきここち覚えて

31 真木柱
こひしさも悲しきことも知らぬなり真木の柱にならまほしけれ

32 梅が枝
天地に春新しく来たりけり光源氏のみむすめのため

33 藤のうら葉
ふぢばなのもとの根ざしは知らねども枝をかはせる白と紫

34 若菜(上)
たちまちに知らぬ花さくおぼつかな天よりこしをうたがはねども

35 若菜(下)
二ごころたれ先づもちてさびしくも悲しき世をば作り初めけん

36 柏木
死ぬる日を罪むくいなど言ふきはの涙に似ざる火のしづくおつ

37 横笛
亡き人の手なれの笛に寄りもこし夢のゆくへの寒き夜半かな

38 鈴虫
すずむしは釈迦牟尼仏のおん弟子の君のためにと秋を浄むる

39 夕霧一
つま戸より清き男の出づるころ後夜の律師のまう上るころ

40 夕霧二
帰りこし都の家に音無しの滝はおちねど涙流るる

41 御法
なほ春のましろき花と見ゆれどもともに死ぬまで悲しかりけり

42 まぼろし
大空の日の光さへつくる世のやうやく近きここちこそすれ

43 雲隠れ
かきくらす涙か雲かしらねどもひかり見せねばかかぬ一章

44 匂宮
春の日の光の名残花ぞのに匂ひ薫ると思ほゆるかな

45 紅梅
うぐひすも問はば問へかし紅梅の花のあるじはのどやかに待つ

46 竹河
姫たちは常少女にて春ごとに花あらそひをくり返せかし

47 橋姫
しめやかにこころの濡れぬ川霧の立ちまふ家はあはれなるかな

48 椎が本
朝の月涙のごとくましろけれ御寺の鐘の水渡る時

49 総角
心をば火の思ひもて焼かましと願ひき身をば煙にぞする

50 早蕨
早蕨の歌を法師す君に似ずよき言葉をば知らぬめでたさ

51 宿り木
あふけなく大御むすめをいにしへの人に似よとも思ひけるかな

52 東屋
ありし世の霧来て袖を濡らしけりわりなけれども宇治近づけば

53 浮舟
何よりも危ふきものとかねて見し小舟の中にみづからを置く

54 蜻蛉
ひと時は目に見しものをかげろふのあるかなきかを知らぬはかなき

55 手習
ほど近き法の御山をたのみたる女郎花かと見ゆるなりけれ

56 夢の浮橋
明けくれに昔こひしきこころもて生くる世もはたゆめのうきはし

★この文章を書いた人→門田裕志★こんな時間に→00:00コメント (9)トラックバック

2005年03月09日

 山の神・女人禁制・血

山形県内で有名な活火山といえは、鳥海山と蔵王です。

『山形県の地名』(平凡社)によると、鳥海山は810年頃、870年頃、939年、1801年、19xx年の5回。蔵王は1230年、1350年頃、1xxx年、1794年、1939年の5回噴火している。月山・湯殿山・葉山なども分類上は火山になるらしいですが、噴火した記録は歴史にありません。朝日連峰や飯豊連峰は、海底だったところが隆起してできた山岳なので火山ではないといいます。ひんぱんに噴火をくりかえしてきた鳥海山や蔵王は、おそれうやまれる荒ぶる神という性格づけがなさた。それに対して噴火をしたことのない月山などは、おとなしくしとやかで清楚な神という対照的な位置づけがなされてきた。月山が死の山であるとするなら、鳥海山は生の山であると森敦は書いてます。ただし、火山であるなしにかかわらず、高い山は多量の積雪をたくわえ、夏までかれることなく水をめぐみ続けてくれる豊饒の神・母なる存在であることにかわりはありません。

それにくわえて食糧や衣料・燃料もあたえてくれた。居住するにも、平地より凹凸のある山地のほうが雨や風雪をしのぎやすかった。敵からの侵入を防ぐのにも小高い丘のほうがつごうがよかった。また、民俗学的には一般的に、日本人は死ぬとまず身近でなじみのある小高い丘へたましいとなって漂い、しばらくしてから、もっと高い山へとのぼって昇天するのだといいます。身近な人たちのたましいは山へと帰っていく。したがって高い山は神聖なものとみなされた。もっともこれは日本人にかぎったことではなく、朝鮮やインドなどにも同様の思想がみられるという。

山あるいは海を(あるいは地球を)、生み出す存在、はぐくむ存在、母なる存在として女性にみたてる。そのことじたいはきわめてイメージしやすい。それでは、聖なる母・女性、聖なる山の神であるはずの山がなぜ女人禁制なのか。どういうわけで女人禁制になったのか。女人禁制の意味……これがいまひとつ不可解に思われます。古代、女性であっても卑弥呼や推古天皇など重要な位置についた例はあります。天照大神も女性。巫女として女性を神聖視していた。それなのに。どう考えていいのか。いまひとつ納得しかねる。今回はそのための考察・メモ書きです。

1.山の神は女性だから。
  だから、同じ女性がくるのを嫉妬し嫌うから。
2.女性はけがれたものだから。
  女性は血を流す。血は不浄であり、それを山の神は嫌うから。
3.修行・修練をするのに、異性はさまたげになるから。
  異性への煩悩は、修行のじゃまになるから。

このへんがよく理由としてあげられます。それをやぶって女性が山へ足を踏み入れると、天気が悪くなるとか、ケガをするとか、たたりが起きるとかいわれてきた。1と2は、女性を聖視したうえで蔑視する。「血」を聖視したうえで蔑視する。聖から蔑のへ逆転現象。聖ゆえの蔑。聖なるゆえに蔑するというのは不可解ではあるけれどもそういう現象は少なくありません。政治家や医師や教師なども一般に聖職ともいわれますが、逆にうらまれたりねたまれたり卑《いや》しまれたりさげすまれたりすることがよくあります。ただ、1も2も具体的理由とはいえません。それにくらべると3はわかりやすい。山岳信仰だけでなく、仏教でも男僧の寺院と女僧の尼寺があるし、キリスト教にも男性修道院・女性修道院の区別があります。

3はわかりやすい。だけれど、ならばなぜ菩薩像や如来像や弁天像など、あれほどエロチックにふくよかなのだろうか。女性的、あるいは両性的。禁欲的に日々修行し手を合わせる対象として、あの偶像のフォームは必須なのだろうか。一般の民衆へありがたみをあたえるのに、あの形が適していたというのだろうか。また、仏僧どうしの同性愛の偏向をどう考えるか。異性を排除したから同性を求めたのか。それとも、同性を求めたから異性を排除したかったのか。仏僧にかぎらず、近代軍隊のなかでも武士集団の中でも同性への偏向は少なからずあったともいわれるが。稚児愛。儒教が女性蔑視の思想をすすめたともいわれるが。

血。
シンボルとしての血。
2004年、アテネオリンピック。日本選手団において女性の参加数が男性の数をうわまわった。オリンピックはもとより、元来スポーツは戦争の代替行為であったと考えられる。戦争では一般的に男性が兵士となった。身体能力的にまさっていた男性が兵士として選抜されやすかった。スポーツで女性がより活躍できるようになったのは、時代が戦争の難をのがれている好ましい傾向だともいえます。古代のオリンピックは、参加できるのも観衆も男性のみに限られていたらしい。今日、平和だからこそ、より多くの女性がスポーツへ参加できるようになった。蔑視ということよりも、身体がより戦闘行為に適しているかどうかが重要だったはず。運動能力にくわえて、女性には種族が将来にわたって繁栄するための役割があったから、あらそいに加わることは望まれなかった。出産をになう役割・殺戮をになう役割の分担。

古代、治世の中心は呪術的にも軍事的にも天皇や貴族でした。ところが時代がくだるにつれ、職業としての武装集団が力をたくわえはじめ、周辺各地で武家集団が台頭してくるようになる。とりわけ関東に武士の集団が生まれる。呪術に依存していたころは女性が巫女として崇拝をうけていてもなんら問題はない。生命の神秘、誕生の神秘、民族繁栄、豊饒のありがたみということで女性をたてまつることに大きな意味があった。それが武士の時代、戦闘の時代にうつると、身体的能力に優位な男性上位の傾向が高まりやすかったことが考えられる。親から子へ、主人から従者へ戦闘の技術やこころがまえが相伝され、生活様式、生活習慣、価値概念の転換がそのころありえた。武家社会と山伏の関係は、考える以上に密接だったのかもしれない。武家の男女観が、山岳修験へもおよんだ可能性。

戦闘行為と同様、修験においても、女性の身体的困難が考慮されたゆえに女人禁制が根づいたことが考えられます。女性同伴の修行は、女性本人にも困難なばあいがあっただろうし、同伴男性も敬遠したかもしれない。おもいやりとしての女人禁制。一方的かもしれないけれど。ただしこのばあい、女性のみの修験団体が登場してもよかったはずです。また、苦労すること・困難こそが修行だとすれば、女性同伴のほうが考えようによっては修行らしいといえなくもない。前述したように、女人禁制の思想が生まれる背景に戦闘社会があったとするならば、儒教や山岳修験にかぎらず当時の宗教はいずれも、その影響を受けたとも考えられます。殺生を禁じる宗教。殺生に強く関与する宗教。殺生をはげしく懺悔《ざんげ》するための宗教。殺生からのがれられない社会・時代。なおのこと苦悩からの救済手段が求められた……

山岳修験だけでなく、狩猟でも女性の参加はタブーだったといいます。狩猟のために女性が山へ入ることが禁じられていた。前述したのと同様、身体的能力が理由の一つであったことは考えやすい。どんなに男まさりで狩りが好きで得意だとしても、集団行動でおこなわれる狩猟のばあい、女性の参加は敬遠されてきた可能性がある。かりに女性に依存した狩猟グループが組織されたとすると、その女性が参加できないばあいやムリをして参加して途中で体調がすぐれないばあい、団体行動としての狩猟に支障をきたしたことが想像できます。

狩猟では、ときとして子連れの親子を狩ってしまうこともあっただろう。狩人《かりうど》の書いた本を読むと、子連れの親子は狩ってはならないというルールがしばしば出てきます。倫理的と考えるよりも、メスは生かしておけばまた繁殖してくれる=獲物が増えてくれるという考えがあったと思います。ただし、それでもときには子連れであることに気がつかず殺めてしまったこともあったかもしれない。腹をさいてから子どもがやどっていたことに気がつくこともあっただろう。そういうばあい男性であっても後あじの悪いはずで。女性ならばなおのこと。とりわけ当人の出産とのむすびづけが避けられなくなる。無事な出産ですめばいいが、そうでないばあい、人間の想像性はそのときの狩りとの関連づけをしてしまいやすい。迷信と笑ってふきとばすには重い体験であったはずです。

血が理由と考えられるものに、動物の嗅覚もあげられます。たとえ人間は鈍感であっても、けものの嗅覚は比較にならない。人が見つける前に気づかれてしまいかねない。えものに逃げられてしまう。また、逃げられるだけでなく襲《おそ》われた可能性も考えられます。オオカミ。今でこそ死滅してしまったけれども、山に入ることは、狼と遭遇しおそわれる危険が高かったのではないか。肉食動物はとりわけ弱いものや傷ついたものをねらっておそうといいます。オオカミ、大神。神の使い。

おそわれるついでに。山賊など。
僧侶が武器を携帯することはなかったが、山伏は山道を切り開くにも危害にそなえるためにも短刀を持ち歩くことが常だったらしいです。その点でも、修験者は武士に近かった。また、祭りのときによく裏で博打《ばくち》打ちがおこなわれたらしい。山中での修行がすむと、精進落しと称して近くの岡町・遊女屋へ出かけたともいいます。山伏そのものがいかがわしく汚《けが》らわしい存在だったとまではいいませんが、山伏の周辺には、かたぎとは異なる世界がしばしばくっついていた気配があります。はたして女人禁制とどちらが先か、どちらが後か。

これも血に関係するといえますが、修験のさかんな山岳地帯にはよく温泉がわいています。温泉源やわき水を神聖なものとしてあがめていることがよくあります。山形には全市町村に温泉がある。温泉は体のこわばりをほぐし、身体をあたため血行をうながす。傷口をいやし肌をなめらかにする。温泉のお湯を飲むことを「飲泉」というそうです。ただし、それゆえに注意が必要となる。とりわけ妊婦。妊娠の初期と出産直前には温泉はひかえるべきという。かつて出羽や陸奥の一帯は、温泉地であると同時に金や鉄の産地でもありました。鉱山から流れ出るお湯は、ときとして母胎や胎児に危険なばあいもありえたかもしれない。山岳修験の周辺には奇形にまつわる伝承をときおり見聞します。製鉄技術とともに氏族の守り神をまつり伝えたとも聞きますが。現代は、理由づけがより明快になったので不要な心配はなくなりましたが。それが不明だった当時は……近づかないことが賢明だったといえたかもしれない。

と思いつくままに。
どうして女人禁制をとりあげたかというと、登場人物のリストアップをしていたのですがこれが男性ばっかりで。山伏のはなしなのであたりまえなのですが。関連する女性はごく少数。それはそれで事実なんだろうけれども、物語的にはやはり女性がほしいわけで。できたらおばあちゃんではなくてピチピチどころ。ヒロイン、花がほしいわけで。……これもまた女性蔑視でしょうか(^^;)



2005.2. NHK・朝日、フジ・ライブドア問題
2005.3.5 第4次イラク復興支援部隊、全員無事帰国
2005.3.5 加藤条治・清水宏保、トリノ五輪内定

2005.3.9
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンクは自由です。

★この文章を書いた人→PoorBook G3'99★こんな時間に→01:56コメント (7)トラックバック

2005年03月08日

 「テキスト版の注記をどう書くか」のBloodhound.Exploit.24感染疑惑

「テキスト版の注記をどう書くか」(http://attic.neophilia.co.jp/aozora/task/annotation/)に、Bloodhound.Exploit.24感染の疑いが生じました。
いったん公開を中止し、確認と対処の後、公開を再開しました。

2005年3月7日午後4時7分に、以下のお知らせを頂戴しました。

「テキスト版の注記をどう書くか」(http://attic.neophilia.co.jp/aozora/task/annotation/)の「●外字に関する注記」を開こうとした際、Windows用のNorton AntiVirus(ウイルス定義ファイルは、Symantec AntiVirus Corporate Edition 3.6. rev.32)から、「ウイルス名: Bloodhound.Exploit.24」が検出されたと警告された。

同日、5時45分、当該ページの公開を中止し、確認と対処にあたりました。

対処したものの確認をお願いしたところ、ご報告いただいた方も含め、最新のウイルス定義ファイル(Symantec AntiVirus Corporate Edition 3.6. rev.32)を利用されているWindowsユーザーお二人から、「Bloodhound.Exploit.24」検出の警告が出なくなったとのご報告をいただいたので、2005年3月8日午後、「テキスト版の注記をどう書くか」の公開を、上記URLで再開しました。

【確認と対処作業の実際】

ご指摘を受けて、公開を中止し、Macintosh用のNorton AntiVirus 7.0.2、同バージョン用の最新ウイルス定義ファイル(05.3.1)でチェックしましたが、「Bloodhound.Exploit.24」を含め、問題は指摘されませんでした。

当該のページの一式を、Windows用Norton AntiVirus(ウイルス定義ファイルは、Symantec AntiVirus Corporate Edition 3.6. rev.32)でチェックしてくださるようお願いしたところ、以下のpng画像が「Bloodhound.Exploit.24」に感染しているとされたとのこと。

1_86_86.png
1_92_56.png
1_14_84.png
1_92_80.png
1_88_85.png
0212_2529.png
gaiji002.png

いったんNorton AntiVirusを止め、これらを画像ツールで開いて上書き保存したところ、「Bloodhound.Exploit.24」の感染警告はでなくなったと。

そこで、感染警告がでなくなったファイルで従来のものを上書きし、テスト用の場所においてお二人にアクセスしていただき、「Bloodhound.Exploit.24」の感染警告がでなくなったことを確認し、従来のURLに移して、公開を再開した次第です。

この間、Macintosh用のNorton AntiVirus 7.0.2(ウイルス定義ファイル(05.3.1))は、どの段階のpng画像に対しても、「Bloodhound.Exploit.24」感染の警告を発しませんでした。

【何が起こったか?】

Windows版Norton AntiVirusで、「Bloodhound.Exploit.24」の感染警告が出たpng画像ファイルの最終修正日は何れも、2002年5月27日でした。

シマンテック社によれば、「Bloodhound.Exploit.24」の発見日は、2005年02月06日 (米国時間)とのこと。(http://www.symantec.com/region/jp/avcenter/venc/data/jp-bloodhound.exploit.24.html

2002年5月27日最終修正のファイルに対して、2005年02月06日に発見されたウイルスの警告がでること。
Macintosh用のNorton AntiVirusでは、当該のファイルに対して問題の指摘がなされないことに疑問を持ちました。

同様の疑問が、以下で示されています。
http://totalgaming.stardock.com/forums.asp?MID=1&CMID=201&AID=65258

以下でも、「2/6付けの定義ファイルから私のページの一部のpng画像がBloodhound.Exploit.24 のウィルスであると認定されるようになってしまった」との指摘がみられます。
http://www.asahi-net.or.jp/~FV6N-TNSK/gates/column236.html

※確認と対処にあたっては、小林徹さん、大野裕さんのご協力を得ました。ありがとうございまいます。

★この文章を書いた人→富田倫生★こんな時間に→15:55コメント (4)トラックバック

2005年03月03日

 あらそいについて

両義性、死生観、……ときて次にくるのは「あらそい」です。
みなさんのなかで、手錠をかけられたことのある人っているでしょうか?

ぼくはあります。 本物の手錠。両手にかけられてみると、想像以上にズッシリしていました。1キロまではなくても、700グラムくらいはあったんじゃないかと思います。なるほど、手錠ってこんなにがんじょうなんだなあと妙に納得しました。じつはストーカーやってて盗撮がバレてつかまったことがありまして。というのはウソですが。運悪く会社の上司が自己啓発セミナー野郎で、しつこい勧誘を断ったら、いいがかりをつけてリストラされてしまって。はらいせに、暗い夜道にうしろからブスリとやってしまいました。というのもウソですが。

小学1年のときの遠足で近くの警察署に訪問し、クラスを代表して本物の手錠をかけてもらったことがありました。かけられた瞬間、ひやっとつめたくて、しかもズッシリと重い。テレビの刑事ドラマなどでよく見なれていたものの、なるほどと。ズッシリ感は説得力ありました。「あれ? カギわすれちゃった」とかいって担当の警官がもどってくるまで2、3分手錠をかけられたままに。非日常的な体験。ほかにも、救急車に台車ごと乗せてもらってた友だちがいたなぁ、なんてことをひさしぶりに思い出しました。

あらそいというテーマで個人的な体験をいろいろ思い出していたのですが、たわいもないものもあれば、ちょっとなまなましいものもあったり、どうも自己言及するのはむずかしいです。客観的に書こうとするほどけっこうむずかしい。書いても読んでも楽しい内容になりそうにない。気がすすまないのはなんとなくアンフェアーな気もするし。なので、リアルなケンカばなしはやめておきます。

みなさんのなかで、けんかをしたことのない人っているでしょうか?

手錠をかけられた人は少ないとしても、けんかをしたことのないひとって、かなり稀じゃないかと思うのですが。いままでぼくからいちばん被害をこうむったのは、まちがいなくひとつ年下のいもうとだったろうと思います。しょっちゅうけんかしてた。けれど、けんかしながらもいちおう気をつかった。手加減。男の兄弟のいるともだちがすごくうらやましかった。あまりじゃらけてくるのがわずらわしくて、つい、けとばす足に力がはいったことがありました。それがもろ妹の腹に入ってしまって。瞬間、しまったと思いましたね。

兄弟げんか、親子げんか、ともだち同士、くちげんか、つかみあい、なげあい、かげぐち、いじわる、なかまはずれ……べつに、髪をひっぱったり物を投げつけたり、ほうちょうを持ち出さないまでも。「けんかはいけない」「あらそいごとはいけない」「和をもって尊しとすべし」とよくいわれながらも、なぜ、けんかやあらそいごとをするのだろう。なぜやめられないのだろう。すべてが狂気のせいだとは思えない。受験戦争とか交通戦争とか、比喩的な戦争・あらそいもあります。法廷論争や国会論争、労使紛争、歳末商戦、就職戦線、市場競争。「あらそいはいけないことだ」というのはまちがっている、という意見もあります。あらそいは必要悪である。むしろ、あらそうことはいいことだ、あらそうことこそ生物の本質だ、あらそうことこそ人間社会の常態だ、という意見もあります。

人間の歴史はあらそいの歴史だ、などともよくいわれます。たしかにいつの時代もさまざまな紛争・内乱・侵略・犯罪などのあらそいがありました。歴史をふりかえると、古今東西いつの世も人類はあらそいをつづけてきたように見えます。事実そうかもしれません。しかしいっぽうで、それはデフォルメされた歴史観だと思います。平和な状態にくらべると、あらそいは認知されやすく書き残されやすい。ぼくたちの見ている歴史は、意図的であろうとそうでなかろうと、そうやって極端に誇張された記述のはずです。



yam_map.gif

さて、そろそろ、地図がほしいなあと思ったのでつくってみました。下絵のトレースではなくフリーハンドなので、こまかい位置関係などごようしゃのほど。書きこめばいくらでも書き込めてしまうけれども煩雑になってしまうのでおおまかなところだけ。今回は現行の行政区分として、山形県が庄内・最上・村山・置賜(おきたま)の4つの地域に大別できるということだけ。やまがたには4つの顔がある、と言いかえできる。やまがたという名前のとおり山だらけです。地域の境も県の境も1000〜2000m級の山地や山脈ばかり。

出羽三山(でわさんざん)というと、庄内・最上・村山の三地域が交わる、ほぼ県の中央に月山(がっさん)があって、そのすぐわきに湯殿山(ゆどのさん)があります。羽黒山(はぐろさん)はその北西、30キロぐらい。かつては湯殿山のかわりに、東にみえる葉山、あるいは秋田県ざかいの鳥海山をいれて出羽三山と称した時代があったらしい。

いまぼくが住んでいる天童からは、月山や葉山が北西にきれいにならんで見えます。とくに初夏、葉山は5・6月まで、月山は7月まで残雪がよく見れます。ちなみに天童からは、となりの宮城県仙台駅まで車でおよそ1時間。新庄までも1時間弱。米沢までも1時間弱。天童から直線コースで庄内へ行こうとすると、中間に月山や湯殿山などの位置する山岳ルート(国道112号)をつかっても2時間近くかかる。ワインディングロードと数000m級トンネルが数本。ドライブ好きにはもってこいのルートですが、免許取りたての女性ドライバーは、ちょっと敬遠しがちという。

山形の山岳修験といえば、出羽三山だけでなく、天童市と山形市のさかいに山寺立石寺や上山のすぐそばの蔵王連峰なども有名です。斎藤茂吉の出身地は上山市金瓶(かなかめ)という地区で、山形市寄りになります。茂吉にとって蔵王は前庭みたいなもの。天童・山形・上山から見て月山はいいとして、湯殿山は月山と同化して見えません。羽黒山はいうにおよばず。地域によって葉山や蔵王などのほうがより身近であることがわかるとおもいます。逆にぼくの出身地は月山と朝日連峰の中間に位置しています。山形出身というとよく蔵王スキーとか樹氷のことが話題に出るのですが、じつは、いままで一度も蔵王ですべったことがありません。樹氷も実物を見たことがありません。先年ようやく夏の蔵王に出かけてお釜を見てきましたが。もっとちかくに安いスキー場がたくさんあったので。さっぱり自慢になりませんけど。

さて江戸時代、庄内地域はほぼそのまま庄内藩でした。置賜地域もほぼそのまま米沢上杉藩でした。最上地域もほぼそのまま新庄戸沢藩でした。おおざっぱですが、そう考えていいと思います。ところがそれにくらべてめんどうで複雑なのが村山地域。豊臣秀吉が天下をとったころ、伊達政宗のおじにあたる最上義光(もがみ・よしあき)が山形出羽地域をほぼ統一していた。ところが義光の次の代には最上家は断絶してしまいます。その後、山形藩にも上山藩にも中央から徳川家直参の鳥居家が入る。のちのち天童には織田信長直系の織田家が入る。そのほか長瀞(ながとろ)藩や幕府直轄領や天領や寺社領がこまごまと複雑に入りくむ。置賜や庄内から日本史上のヒーローが誕生したのにくらべて、村山地域は歴史もあり文化もありながらヒーローが生み出せなかったのには、そういうひとつになりにくかった近隣同士の対抗意識があったものとも考えられる。

そういう地域ごとの独立性・対抗意識は、ひとつ村山地域内部だけの問題だけでなく、庄内・最上・村山・置賜という4つの地域のつながりにもあてはまります。明治以降、鉄道でつながり送電線でつながり交通網の拡大で、つながりは増したし時間的距離もせばまりましたが。4つの地域を長くわけ隔てていた地理的な条件は、文化的な差・言語的な差・慣習的な差として少なからず今もある。経済活動のなわばり意識としても。

そういうやまがたの4面性……をむりやりひとつにしたのは、明治という時代なわけですが。この4つの地域をまるでひとつにつながるようにむすびつけているものが、はるか昔から2つありました。そのひとつが最上川です。置賜で生まれた最上川の流れは、朝日連峰や月山を迂回するように、なおかつそこから流れそそぐ大量の雪どけ水をひとまとめにして、4つの地域をうるおしてきました。最上川なくして、米どころ山形も果物王国やまがたもなかった。そして最上川とならんでもうひとつ、古代から4つの地域をつないできたと考えられるのが、出羽三山です。



ものがたりをするうえで、「あらそいは悪だ」というきめつけはおこないません。かといって「すべてのあらそいを肯定する」つもりもありませんし「あらそいこそ社会の常態である」と開きなおるつもりもありません。「ひととひとがつきあいをつづけようとするかぎり、あらそいの種がはらまれている」「社会あるところにあらそいあり」というスタンスが、出羽三山を物語るスタートになります。



2005.3.1
ひゃあー、栗ちゃんに遭遇! あくしゅしてもらたー。ぽっ。アテネの2倍も3倍もパワーアップして、北京で暴れてくれるの期待してるよー(どうしよう、この右手 !?)
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンクは自由です。

★この文章を書いた人→PoorBook G3'99★こんな時間に→03:53コメント (0)トラックバック

2005年03月01日

 水牛だより3月1日

昨年誕生した出版社「アメーバブックス」(編集長は山川健一さん)から五月に出版される片岡義男さんの短編小説集『物のかたちのバラッド』の編集を担当しています。

2002年に「水牛楽団」のCDを作ったとき、片岡さんにも1枚お送りしました。収録した「フジムラ・ストア」は片岡さんがおしえてくれた曲だったからです。しばらくして、津野海太郎さんと3人で食事をする機会がありました。藤井貞和さんの自作詩朗読のCD「パンダくるな」の録音をひかえていたわたしは、そのとき片岡さんの声や話す調子をしみじみ味わいながら、片岡さんの詩の朗読のCDも作ろう! と勝手に決心したのでした。「パンダくるな」のようにCD1枚のなかに、朗読と詩のテキストと写真のスライドショーを入れることを考えついて、電子出版の魅力全開だと思ったものです。片岡さんはこのアイデアには賛成してくださって、でもモノとしての詩集もぜひつくりたいとおっしゃいました。水牛に片岡さんの詩のコーナー「メントール・ユーカリプト」ができあがったのは、こうした話のつづきの出来事です。近い将来のいつの日か朗読のCDをつくるためのものでもあると、わたし自身はそうとらえているのですが、どうなるでしょうか。朗読はあまり気がすすまないと最近の片岡さんは言っています。

「アメーバブックス」から出る片岡さんの本の最初の予定は詩集だったので、わたしはその編集者として抜擢(!)されたのでした。本は詩集から短編小説集に変更になりましたが、片岡さんの編集者としてそのまま居座り、本文のDTPやブログ「今日という昔」にまで手をひろげてしまいました。ブログでは片岡さんの書き下ろし小説「もう痛くない彼女」の連載もはじめました。ふしぎな小説です。ぜひ読んでください。

「水牛のように」を2005年3月号に更新しました。
佐藤真紀さんの原稿はヨルダンから届きました。佐藤さんもそのひとりであるらしい「おやじ」たち、おかあさんを亡くしたファートマちゃんをよろしくね。森下ヒバリさんはバンコクから。タイはマンゴーのおいしい季節だそうです。いいなあ。スラチャイの「子守唄」の息子は、さすがにあの父の血をひく子、家出などしたりもしたけれど、むずかしい年ごろを越えて、この前会ったときは落ち着いてやさしい青年になっていました。おとなになるっていいことだと彼を見て思ったものです。
次の更新は4月1日。この日は御喜美江さんのリサイタルの日でもあり、CD「水牛のように」の発売日でもあります。完成まで、まだまだたくさんの行程があるので、ちょっと不安もきざす日々です。

●江村夏樹さんのプリペアドピアノコンサートのお知らせ
 ジョン・ケージ「ソナタとインタリュード」全曲
 3月9日(水) 19時半開場 20時開演
 渋谷 公園通りクラシックス tel 03(3464)2701
 予約 2500円 当日 3000円 学割 1000円(要学生証)
 予約・お問い合わせは太鼓堂、またはティコ・ディコへ。

それではまた!(八巻美恵)

★この文章を書いた人→八巻美恵★こんな時間に→00:41コメント (3)トラックバック