早すぎたヒーロー
2月1日は、プロ野球のキャンプイン。ことしは楽天とソフトバンクの話題がにぎやかで、いつもとは少し雰囲気の違う初日だったようだ。わが地元の広島も、インターネットでキャンプの生中継をスタートした。IT企業であるはずのソフトバンクは、設備が間に合わずに生中継を断念し、録画を流すのだそうだ。なぜか広島が一番乗りになったネット中継は、なかなか好評であるらしい。
日本の話題もさることながら、大リーグの話題も相変わらずにぎやかだ。マイナー契約でスタートした野茂投手の話題は、中でも注目の的になっている。ニュースでも取り上げられ、「あと4勝で日米通算200勝というような投手なのに、マイナー契約からスタートという、野球にかける心意気はすごい」などと言われていた。
野茂投手が大リーグで活躍したおかげで、日本人選手が大挙してアメリカ球界に押しかけていく時代になり、野茂投手は先駆者と呼ばれるようになった。しかし、27年前の1978年、ひっそりと単身渡米して、3Aのチームでプレーしていた、サイドスローの日本人投手のことは、いまだにほとんど知られていないのだろう。
小川邦和投手については、1978年にアメリカに行ったことよりも、尾道商業時代、ジャンボ尾崎と甲子園の決勝で投げ合って敗れたことのほうが、おそらく人々の記憶には残っているに違いない。早稲田大学に進学し、社会人野球に進み、巨人に入団。退団してアメリカに渡り、3Aでプレー。帰国して1981年に広島に入団。3年後、ふたたび退団してメキシカンリーグに入団。といったような現役時代のことを今も記憶しているのは、おそらく一部のファンだけなのだろうと思う。
その「一部のファン」である私にとっては、アメリカといえばクニさん、なのである。たしかに、野球の世界は勝ってナンボの世界なのだから、メジャーリーグで活躍する野茂投手は、掛け値なしに偉大な存在であり、アメリカに渡る日本人投手たちの希望の星であることには間違いはない。とはいえ、野茂投手よりも十数年前に、注目も浴びず、華やかな話題にも縁遠いところで、マイペースで黙々とプレーしていた日本人投手がいたことを知っていて、誇りに思っているファンも、確かに存在しているのだ。人が知っていようといまいと、自分が野球をしたいから、どこにでも行ってプレーする。先発も中継ぎも抑えも、投げろと言われればいつでも投げる。そんな個性的な選手は、今も昔も、ざらにはいない。
そのクニさんは、メキシコから帰ってきても野球にかける心意気は変わらず、野球評論家をしていたかと思えばロッテのコーチになり、マスターズリーグでプレーし、いまは大リーグは大リーグでも、パイレーツのスカウトをしているらしい。いまだに、どこかに落ち着くということをしない人だ。そして私も、いまだに、そういうクニさんのファンであり続けている。広島入団以来だから、ファン歴24年になってしまった。
プロ野球キャンプインの2月1日は、小川邦和投手の、ことし58歳の誕生日でもある。
★この文章を書いた人→LUNA CAT★こんな時間に→2005年02月01日 22:44
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