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なんだか前口上ばかり長くて、なかなか物語りに入れなくなったような。
まわりみちついでにいましばし。
ふたたび、死にそうな思いをしたことについて。
「踊る弘法大師」のなかで書きましたが、そのことについてもうちょっと。思い出しましたが2年ほどまえ、どうしようもなくて病院へ行ったことがありました。腰の裏側から右太ももにかけて激痛がおそい、寝ても立ってもいられない、痛みで夜もまったく眠れない、日に日に痛みが増すばかりという症状におそわれました。ぎっくり腰でもない。
こどものころ、足首をねんざしてギプスをはめ、松葉づえをついて学校へかよったことがあります。それ以来、病院へはいつも人の見舞いばかりでした。ところが今回ばかりは原因不明の尋常じゃない痛みにどうすることもできなくて。しかも、なんか足のつけ根に黒いアズキ大のカサブタが4つ5つ出来ている。ひたいにも。さらに、わきばらから足のすねまで虫さされのような赤い点々がいくつも。
なんじゃぁ、こりゃあ? でした。
じぶんでも怖くなった。ほんと。もしかしてこのまま下半身不随になるんじゃないかとマジで思った。とにかく痛みが尋常じゃない。眠れないのだ。いっそ死んだほうがラクだと思うほど。わけのわからない痛みというのは怖い。どう対処すればいいのかわからないのだ。こころあたりはあるにはありました。症状があらわれる直前、山仕事の手伝いに行ったことです。里地からさほど離れているわけではないけれど、野ネズミが出る、カモシカが出る、マムシが出るというような里山。カモシカが体を木にこすってダニ落としをすると聞いていたので、もしやそういったダニの一種だろうか? と疑いました。ちょうど虫さされに似た赤いブツブツだったので。初夏なので油断して肌を露出してました。でも、たかがダニくらいでこんなに痛むだろうか……。虫さされと違って皮膚の表面がかゆいというもんじゃなく、筋肉とか骨に近い深いところがズキンズキンと絶え間なく響くように痛む。そこでふと思いうかんだのがツツガムシ。まさかと思いながらも半信半疑にネットでツツガムシを検索。すると……解説文とともに、なんか見なれたような黒いカサブタの写真が。それも足のつけ根に。
ソケイブ? と看護士さんがすっとんきょうな声をあげてました。驚喜に近い声だったような気がするのですが。それはともかく。どうやら医療業界用語では、足のつけ根からイチモツにかけての部分を鼠径部《そけいぶ》と言うらしい。血液検査の結果、1週間後ツツガムシ疑惑は晴れました。それでも痛みはおさまらないので、皮膚専門の病院へ紹介状を書いてもらって行くことに。すると、うら若き女医さんはいともかんたんに「あ、これツヅラゴじゃない?」とのたまわく。それから、やさしい看護士さんがツヅラゴ(帯状疱瘡)についてプリントを使って解説。軟膏をヌリヌリ。ふつうこどものころ経験する水ぼうそうは、症状が消えたあともウイルスは体内に潜伏しているらしい。ところがそのウイルスがなんらかのきっかけ(ストレスとか、生活習慣の変化とか、睡眠不足とか)で働き出すことがある。それを帯状疱瘡と(方言でツヅラゴとも)いうらしい。はじめて聞いた。
発症するひともいれば、発症しない人もいる。痛みが消える人もいれば、ずっと痛みが残る人もいる。体の表面に帯状にポツポツがあらわれるひともいれば、体の内部に症状が出るひともいるという。ぼくのばあい、およそひと月で痛みは弱まり、ほぼ完治してくれました。後日談。その年の暮れあたりだったでしょうか。皇太子妃雅子さまが、同じく帯状疱瘡で体調をくずされたと。ひとごとのように思えませんでした。ちなみに人にうつる心配はないらしい。ただ、生まれたての赤ん坊には接触しないこと。半年間は献血もペケ。
さて帯状疱瘡がテーマというわけではなくて。
なんていうか、人間社会のなかにいると「恐ろしい」とか「怖い」とかいうような経験は、幸か不幸かあまりありません。震災などの自然災害に遭遇したこともぼくはありません。自動車事故なども見かけたことはあっても体験したことはない。周囲の多くのひとたちもおおかた理性的ですから、ある程度なにをするかはおおざっぱであっても予測がつきます。おおざっぱながら予期できるから、そんなに驚くことはない。恐ろしい、怖いということもあまり感じない。
ところが、自然はそうはいかない。
昨年、ロイヤルストレートフラッシュのように天災が続きましたが、自然《nature》は人間のように手加減がない。ようしゃがない。情状酌量も恩情もない。公平にわけへだてなく、ぼくたちを恐怖におとしいれる。現代技術で押さえこめればその恐怖を感じることなく日常をすごせるわけだけれども、それをこえておしよせる自然は……。現代医療が押さえこむことに成功している病気やウイルスもあれば、そうでないものもある。現代社会が押さえこむことに成功している狂気もあれば、そうでないものもある。理性《reason》と無縁な存在が自然だ。
寝不足だったり、疲れていたり、空腹だったり、準備体操不足だったりすると、波乗りをしているときに、それがモロじぶんにかえってきます。確実に。波はぼくの体調や事情など配慮してくれません。手がかじかんでいようが、足がつっていようが、くりかえしくりかえし押しよせます。無謀につっこめば無惨にのみこまれ、巻かれ、海中へ押し込まれ、もみかえされ、天地が不明になり、しこたま海水を飲み、押し流される。まったく情け容赦ない。冬の雪山も同様です。ハーフパイプの中、ジャンプしたはいいが、そのまま急転落下。受け身をとれぬまま横腹からアイスバーンの上へ落ちる。頭も打つ。呼吸のできなくなる胸痛。やっとのおもいで立ち上がる。めまい。おう吐感。だれも悪いわけじゃない。当然の結果がじぶんへかえってくるまでのこと。
この恐怖感とか、体の痛みとか、そういう人間社会では排除されがちな。そういう苦痛から逃れるための現代社会なわけだけれども。だから日々の生活のなかでそういうものを感じる機会はきわめてまれになる。あえてそういうものを求めないと、なかなか体感できない。ところが皮肉にもそういう恐怖感や苦痛こそ「生」を実感できるもってこいの手がかりなのだ。快楽や歓喜以上に。生を感じることができるのは死を直感して、その裏返しとして一体としてある「生」なわけだ。
……というこのあたり、ものがたりに盛りこみたいネタのひとつなわけです。ネタというより作品をささえる柱の一本かもしれない。前回の両義性うんぬんとともに。哲学とか宗教とかいうと、ややもするとあたまでっかちな話になりやすい。ところが、仏教のなかでも山岳修験とか山伏とかいわれるものは、体を酷使してそのことを体得しようとしている。こっけいなほど。かたちはちがうけれど禅宗にもそういった部分があるかもしれない。書物を読むだけでは体感できない、皮膚の毛穴や五臓六腑や感覚器官や足の裏や尻の穴などなど全細胞総動員で、たどりつける、とぎすまされる、遠い記憶からふたたび思い起こせる感覚。そんなことを考えると現代も修験のさかんだった当時も、ひとの悩んでることは似たりよったりだったような気がおおいにしてくる。それもまたおかしからずや。
2005.2.18
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンクは自由です。
ライブドアがニッポン放送株を取得して、ITとマスメディアとの融合が話題になっているんだけど、そんなこと、まだまだフツーの人々にはまったく関係のない話だ。それはパソコンという奴がまったくもって難しすぎて、とても一般人には手に負えないシロモノなんだからだと思う。いくらパソコンにテレビ録画機能が付いたって、そんなの操作が難しくって誰も使いやしない。やっぱり、パソコンがテレビに近付くという方向性ではなくて、DVDレコーダーがパソコンの機能を一部有するようになる方向性が正しい進化の道だと思う。
自分の持っている東芝のDVDレコーダーは、いちおう、インターネットに接続できるようになっている。でもそれは、動画などをダウンロードするためじゃなくて、録画予約や、情報の書き込みなどのためについているだけだ。もちろんEPG(Electric Program Guide:電子番組表)が使えるようになっただけで、めちゃくちゃ便利になったんだけど、やっぱりそこにある動画(たとえばこんなところ)をダウンロードしてきて再生したい。
ゆくゆくは光ファイバーが張り巡らされて、DVDレコーダーのインターネット接続も当たり前になって、いまのDVDソフトぐらいのクオリティの映画がダウンロード購入できるようになるんだろうけど。TSUTAYAオンラインなんてのが出来て、一泊二日でデータが自動消去されるようなしくみが出来て、レンタルも家からの接続で借りられるようになるんだろうなあ。
そうした場合に、やっぱり気になるのが画面操作のインターフェース。SONYのDVDレコーダー“PSX”に付いている“XMB(クロスメディアバー)”なんてのは見た目カッコイイけど、使った感じはどうなんだろう。たとえ1000チャンネルあっても、くるくるぽんで簡単に目的の映画を探し当てられると嬉しいんだけど。
ライブドアには今後、DVDレコーダーを作っている会社を買ってもらって、この、くるくるぽん、を作ってもらいたいなあ。
たんなるスケベならまだいいものの、説教くさいスケベとなると、これはいけない。説教をしてる自覚がないままに、他人にああしろこうしろなどといいはじめたら、とりわけ要注意。わが身を三省。
さて、「過去を振り返る、そんな感じですかね?」というコメントをいただいて、なるほど、そういう受けとりかたがすなおかもしれないと思いました。個人的には、前回の文章(「オリジナリティについて」)を書いた目的は、なんらかの共感をもっていただけたらと思ってのことでした。マンガやイラストを描くのが好きな人はもちろん、詩でも小説でも音楽活動でも、創作にたずさわったことのある人なら多くのひとがピンと感じてもらえそうなテーマ。かといって創作活動や表現活動をしているひとだけの問題というわけでもなく、すべてのひとに共通するかもしれないテーマ。
どうして共感してもらいたかったかというと、前回の文章のなかでもちょっとふれましたが、ぼくがうまれそだった山形、この地域を舞台にしたものがたりをこれから数回にわたってしていきたいと思っています。ところがそれは、ぼくにとって身近で興味ある題材ではあっても、すべてのひとにとってそうであるわけではありません。むしろ興味ないひとのほうが多くてあたりまえです。さらにいうと、出羽三山という宗教的かつ歴史的(=現代的でない)なテーマをとりあつかっていきます。現代人の「ぼくたち」にとって、宗教も歴史もまたちょっと縁遠い題材なわけです。身近でない、実感がわかない、興味がもてない、親しみがない。唐突に、山形だ出羽三山だといわれてもちょっとついていけない。
そういう反応があたりまえだと思うのです。事実、すでに数回にわたって出羽三山をとりあげ、ちょっとした文を書いてみましたが、「このテーマについてたいへん興味がある」という反応は、いただいたコメントからは見受けられませんでした。ポジティブに考えれば、大勢の読者が声をひそめてワクワク心待ちにしてくれてる。ネガティブに考えれば、出羽三山などどうでもいい、関係ない、興味ない、うざい、だれも読んじゃいない。
歴史的な題材であっても、ぼくたちは共感できる例をたくさん持っています。坂本竜馬しかり、信長・秀吉・家康しかり、義経しかり、釈迦やイエス、ピカソ、ガンジー、チャップリン、ケネディー、ブルース・リー、ジェームス・ディーン。ではでは、山形を舞台にしたメジャーな最近の作品といえば。近年、山田洋次監督や恩地監督などなどありがたいほど映画のロケ地として採用してくれてますが。だがしかし、山形といったらなんといっても『おしん』をあげないわけにはいかない。橋田先生と小林綾子ちゃんは名誉県民どころじゃない。国民栄誉賞あげてもいいくらい。20年たったいまなお人気おとろえず。伝説的国民的テレビ作品。では、おしんちゃん以外のビッグネームとなると、米沢出身の伊達政宗とか上杉鷹山あたりでしょうか。
文学界、といってもひとくちにいえませんが、どうなんだろう。ひいき目でみるせいでしょうか。山形出身作家の多いこと。かりに、これから作家になるためには同郷のすべての作家のすべての作品を読まなければならない、などというルールがあるとしたら。おそろしいことです。この地を舞台にした作品となるとだいぶ候補がせばまりますが。ではでは、そのなかで、宗教とりわけ出羽三山や山寺など山岳修験をあつかったものというと……。
藤沢周平さんならもしかすると、と思ったので書店の本だなをざっとながめると、予想どおり『春秋山伏記』という作品があるのをみつけました。エッセイにも六部なんとかというのがありました。佐藤賢一さんは西欧の中世が専門だし、阿部さんは現代だし。御大・井上ひさしは……かぞえるほどしか読んでいないので参考になりませんが、直接山形の修験をあつかった作品をぼくは知りません。けれども、直接宗教をあつかっているわけではないけれど『吉里吉里人』『國語元年』そして『薮原検校』、そんなところがあたまをかすめます。
司馬遼太郎『街道をゆく』シリーズのなかに、山形を舞台にした作品として『羽州街道』編があります。米沢・高畠・上山・山形・天童あたりまでだったような。新庄・最上地域や庄内地域はざんねんながら。藤沢さんに気がねしたとか、そういうわけじゃないと思うんだけれど。司馬さんは出羽三山に興味がなかったか、といえば答えはNO。司馬さんはしばしば作品のなかで宗教観についてふれています。前述の『空海──』以外にも幕末ものでも儒教や仏教を取りあげたり、『街道をゆく・愛蘭土紀行』でもカトリック・プロテスタントやケルト文化などに言及しています。で、たしか『空海──』のなかで、出羽三山うんぬんと書いていたような記憶があります。あまり多くを書いてはいませんでしたが、文面からすると興味がないどころか、むしろかなり関心があるのではないかと感じました。出羽三山について書くならば、紙数をさいて独立した作品を書きたいという意志がもしかするとあったのでは、というのが推測です。『街道をゆく』シリーズの総索引辞典をみつけたのでためしに出羽三山で引いてみたところ皆無でしたが。
司馬さんや藤沢さんがなにを書いていようと、興味ない人はやはり興味ないわけですけれども。そういうわけで、出羽三山を舞台にしたものがたりというのはちょっとリスクがありすぎます。導入部として2つ3つ身近な思い出ばなしをしてはみたものの、それで読者が親近感をもってくれたとはまだ考えにくい。そこでおもいつきに振ってみたのが、オリジナリティとかアイデンティティとかパーソナリティとかいわれる話題だったわけです。多かれ少なかれすべての人は、それまでのなんやかやの経歴のうえに現在なんやかやしているわけで。これならば、比較的興味がもてるのではないかと。
それでは、現代人と宗教とはどういうかかわりがあるだろう、とか、現代の日本人と宗教との関係は、とか、現代世界と仏教やキリスト教やイスラム教の関係は、とかいうような、深くて悩ましい問題については直接はふれません。個人的な興味がそのあたりにあるのは事実ですし、ものがたりの核心はそのあたりとシンクロさせるつもりですが。直接あつかうにはリアルすぎてそれでいて抽象的すぎます。9.11やイラク、オウム事件など現代社会と宗教の関係性を言及しているひとは少なくないし、一神教と多神教のちがいなどを指摘するひともいますが。
昨年、紀州の熊野三山や高野山が世界遺産に登録されました。和歌山・三重・奈良近辺ならずとも、読者のみなさんのなかにも関心あるひとたちがいるかもしれません。対抗意識というわけではないと思うのですが、山形では出羽三山を世界遺産に、という機運が高まりつつあります。じゃあ、出羽三山なり熊野三山のなにがそんなに貴重なのか。なにがそんなにほかの地域と異なるのか。古くて歴史があるとそれほど価値があるのか。歴史と自然が残っていると価値があるのか。まるでいいことずくめのようにもてはやされているけれども、ほんとうにそれだけだったのか、というひねくれた見方だってできるはずです。ややもすると、お国自慢、被害者意識、謙譲の美徳、自然と歴史の賛美のようなところでおちついてしまいやすい。ですが直感的には、大いなる両義性だったと思うわけです。いろんなものがここから生まれた。たいへんすぐれたもの、役にたつものも生まれたかもしれない。と同時に、それ以外のものも生んだのではないか。とまあ、こんなかんじです。
2005.2.13
転載・引用・リンクは自由です。
しだひろし/PoorBook G3'99
アカウントという問題があります、カップルで当初彼がゲームをして
はじめは、ふーんって感じだったのですが、なんとなくここまで
きてしまった今どっちも、キャラを消すということはできません。
アカウントを二つ用意して一緒に始めればよかったのですが
始めた頃はそんなほどじゃなかったというのがいたいところです。

パートナーの彼が、材料をあつめ友人たちに頼み合成でつくってくれた
お花の髪飾りを、今年は私が失業して収入も減ったことですし、二人の生活で
手一杯だから、リアルプレゼントあげられないからねと。ああ、もう働けないのかな?
このまま、なのかなぁとおもいつつ、違法行為をしてまで働きたくないし、
そういう上に、ああいう大手企業が成り立つのも今回の事でよぉく身にしみて
でも、めげずにがんばるのです。
青空文庫は、生活の糧を得るためではないの。
心の糧をえるために、わたしのやれる範囲のことでやってるのです。
とまぁ。妙にりきんでみたりしちゃったりしてー。って、現代っ子からちょっと
年食ってる現代っ子言葉で、失礼しました。
スクエアさん、おねがい、アカウント二つあるからキャラわけっこしてぇぇ
(悲痛な叫び)
こういうオンラインゲームの消費者運動ってあるのだろうか。しらべてみよっと。
「賀茂川の水、双六の賽、山法師、これぞ我が心にかなわぬもの」と豪語したのは、白河上皇であるが、それにパソコンを加えたいのは私である。
一昨年秋、「私のパソコン遍歴」で書いたように、先の二代目にワインを飲ませて急性アルコール中毒で他界させてしまった。その悲しみを一心に引き受けてくれたのは、今の三代目であった。日々私の乱暴な扱いに文句も言わず仕えてくれた。といいたいが、先代たち、二台がしないことをしてくれた。我が家に来て、3か月目にいきなり働くことを拒否して、勝手に動かなくなってしまった。そんなストライキを起こし、困ったときは、サポートセンターに尋ねてくれとマニュアルに書いてあるから、正直者の私は、もちろんフリーダイヤルで電話した。サポートセンターのおにいさんは、リストアしなければならないといとも簡単に言った。だから簡単にすばやくできるものだと思った。そしてリストアという言葉さえ知らない私に向かっておにいさんがやさしい口調で言うには、
「FAXで詳しいマニュアルを送ります。付属のリストア用のCDがあるでしょう。それを使って出荷時の状態に戻してください。そのCDは、あなたのような人のためにあるのです」
なんと親切なことか、私のためにCDはあるのだという。それから4年。1年に2回はストライキを起こした。最初、リストアとは手早くできないものだと知って、驚いたが、私は、次第にリストアにかかる3時間という時間の感覚に慣れていき、マニュアルなしでもできるようになった。段々リストアの女王に近づいていく。
昨年の秋ごろだろうか、私が終了をクリックしても、ごねたマシンは、画面が黒くなってから、未練がましくディスプレイの隅に白いカーソルをぽつんと残した。だから電源から終了する。いやいや終了されても、健気にマシンは私に仕えていた。
先々週からマシンが少しずつ少しずつ、ディスプレイの画面が明るくなったり、暗くなったりして、作業中も勝手な行動をとり始めた。勝手に終了してみたり、勝手に固まったりした。また私は女王の貫禄をまた示すべきか・・
とうとう今週の半ば、作業をしている私に向かって牙をむき、フリーズし,再起動しても白い画面にショートカットが出てきた。ショートカットをクリックしても開かない。開かないのならショートカットよ出てくるな!
結局、私は、女王の貫禄でリストアを決断した。3時間延々とアイスクリームを食べながら、ジュースを飲みながら、初期化のパーセントの数字をにらみ、青い帯の勢いをにらみしている。そんな私の姿を鏡のように映し続けたディスプレイが青い壁紙となり、壁紙の奥から軽やかに音楽がなる。「女王様の決断は正しかった、はい、無事終わりました」とマシンは教えてくれる。しかし不安定だろうから作業ができるかどうかわからない。”すいへいせん”のうにさんに迷惑がかかるから、まずメールで一切を知らせなければならない。モデムのケーブルを入れようとHDDの後ろに回ったとき、私は、思わずひきつり、そして笑ってしまった。
モデムのケーブルをいれたままリストアしたのである。今からはずしても無駄としりつつ、USBを外した。そして再度入れてみた。あんなに仲がよかったHDDとモデムはお互いそっぼを向いている。コンセントを抜いてリセットしてもそっぽを向いている。
私みたいなのがいるから、サポートセンターのおにいさんが「モデムもプリンターもみんな抜いてからリストアをするのですよ」と何度も言ったっけ。しつこいくらいに。4年前に私の性格を見越していたおにいさんに拍手か?
モデムとHDDの仲を引き裂いたのは私だから、また仲直りをさせねばならない。次の日、三時間かけて、今度はポップコーンを食べながら、リストアをした。もちろん事前にモデムのケーブルを抜くことを今度はわすれなかった。
リストア成功。モデムを認識してくれ、無事生存を伝えようとしたら、もちろんアドレスがメールソフトから消えていた。四苦八苦していたころ私にメールを書いてくれた人がいたので、そこからアドレスを拾っていくことにした。
ところで女王卑弥呼は、占い師でもあったという。女王というのは未知を予見しなければならないのだ。リストア騒動の数日前からメールでOさんと食事会のことで盛り上がっていた。最後の返事の末文に私は「パソコンの寿命がないかもしれない」と書き添え、送信をクリックし、メールソフトを閉じた途端、パソコンは動かなくなったのだ・・
今度こそは、このパソコンに引退してもらうことにする。新しいパソコンが手元にくるまで、1)ソフトは一切インストールしない。2)複数の画面を開くような作業をしないと私は決心した。それでもやはり終了時に終了してくれないことがあり、不安定である。近日中に新しいパソコンはくるはずになっているが、諸事情により日付が不確かなので、それまで私は、女王からパソコンの執事となってご機嫌伺いをしながらキーボードに向かうことにする。
★リストア・・パソコンを出荷時の状態に戻すこと。
2月1日は、プロ野球のキャンプイン。ことしは楽天とソフトバンクの話題がにぎやかで、いつもとは少し雰囲気の違う初日だったようだ。わが地元の広島も、インターネットでキャンプの生中継をスタートした。IT企業であるはずのソフトバンクは、設備が間に合わずに生中継を断念し、録画を流すのだそうだ。なぜか広島が一番乗りになったネット中継は、なかなか好評であるらしい。
日本の話題もさることながら、大リーグの話題も相変わらずにぎやかだ。マイナー契約でスタートした野茂投手の話題は、中でも注目の的になっている。ニュースでも取り上げられ、「あと4勝で日米通算200勝というような投手なのに、マイナー契約からスタートという、野球にかける心意気はすごい」などと言われていた。
野茂投手が大リーグで活躍したおかげで、日本人選手が大挙してアメリカ球界に押しかけていく時代になり、野茂投手は先駆者と呼ばれるようになった。しかし、27年前の1978年、ひっそりと単身渡米して、3Aのチームでプレーしていた、サイドスローの日本人投手のことは、いまだにほとんど知られていないのだろう。
小川邦和投手については、1978年にアメリカに行ったことよりも、尾道商業時代、ジャンボ尾崎と甲子園の決勝で投げ合って敗れたことのほうが、おそらく人々の記憶には残っているに違いない。早稲田大学に進学し、社会人野球に進み、巨人に入団。退団してアメリカに渡り、3Aでプレー。帰国して1981年に広島に入団。3年後、ふたたび退団してメキシカンリーグに入団。といったような現役時代のことを今も記憶しているのは、おそらく一部のファンだけなのだろうと思う。
その「一部のファン」である私にとっては、アメリカといえばクニさん、なのである。たしかに、野球の世界は勝ってナンボの世界なのだから、メジャーリーグで活躍する野茂投手は、掛け値なしに偉大な存在であり、アメリカに渡る日本人投手たちの希望の星であることには間違いはない。とはいえ、野茂投手よりも十数年前に、注目も浴びず、華やかな話題にも縁遠いところで、マイペースで黙々とプレーしていた日本人投手がいたことを知っていて、誇りに思っているファンも、確かに存在しているのだ。人が知っていようといまいと、自分が野球をしたいから、どこにでも行ってプレーする。先発も中継ぎも抑えも、投げろと言われればいつでも投げる。そんな個性的な選手は、今も昔も、ざらにはいない。
そのクニさんは、メキシコから帰ってきても野球にかける心意気は変わらず、野球評論家をしていたかと思えばロッテのコーチになり、マスターズリーグでプレーし、いまは大リーグは大リーグでも、パイレーツのスカウトをしているらしい。いまだに、どこかに落ち着くということをしない人だ。そして私も、いまだに、そういうクニさんのファンであり続けている。広島入団以来だから、ファン歴24年になってしまった。
プロ野球キャンプインの2月1日は、小川邦和投手の、ことし58歳の誕生日でもある。
世はブログに人気があつまっています。はじめにテンプレートさえ(できれば助っ人の手を借りて)つくってしまえば、レイアウトを気にせずに、原稿さえ書けばいいのですし、ファイルの管理もHTML よりずっとラクであることは、じっさいに使ってみると身にしみてよくわかります。
たくさんの書き手がいる「水牛のように」も、書き手ごとのブログの集合体のようなもの、にすることはできるし、そのほうが今を感じさせるかもしれないと思います。でもそうしてしまうと、たがいの関係性の質が変わってしまうとも思うのです。もうしばらくは、あいまいさをじゅうぶんに持って、ひとが出会える空間としての「水牛」のままでいよう。そんなことを考えたのは、1月22日におこなった木村迪夫さんの『まぎれ野へ』の出版記念朗読会が、「水牛のように」を現実の土曜日の午後に移したような、ふしぎな魅力にあふれた集まりになったからです。声に出して読まれ語られ歌われて、耳から入ってくることばは、詩人たちのたたずまいとともに、あの日あの時の空間をみたし、こころに残る全体として機能したのでした。
「水牛のように」を2005年2月号に更新しました。
巻上公一さんの「目に鳩」はメールマガジン「マキブリ」最新号から。巻上さんとそっくりのかわいい坊やとの会話(?)がかわいらしくて、転載をお願いしました。
スラチャイが企画、制作、販売までひとりでやったという自主制作のCDの話。「何部売れないともとがとれない」とか、「どうして売れないのか」とかいう制作会社の損得勘定とつきあう必要がなくてとてもしあわせで自由につくった、というところに強く同感です。
自主制作だからといって、採算がとれなくていいというわけではないし、売れなくてもいいというわけじゃない。もちろん売れてほしいと願います。それをだれかの損得勘定から言われるのはどこかおかしいということです。
4月1日発売予定のCD「水牛のように」のファーストエディットが出来上がり、はじめて全体を通して聴きました。アイディアがかたちになってゆくときの「しあわせで自由」な瞬間です。オーストラリアの詩人ウェンディー・プサードが「水牛楽団の歌」という詩を書いて送ってくれたのが1981年だったと記憶しています。この詩がそもそもの発端であるなら、CDができるまでに24年という時間が必要だったことになります。この間のことは、きっと御喜さんが来月書いてくれるはず。幸福なCDの誕生のために、さて、これから作業を開始しなければ。
それではまた!(八巻美恵)