2004年11月27日

 お風呂で読めるフロンティア文庫

フロンティア文庫水に濡れても大丈夫な本で、フロンティア文庫というものがある。確か、青空文庫のテキストが使われているということで、どなたかが「みずたまり」ででも話題にしていたと思う。でも、そのリンク先を辿っても、そのものの写真があまりにも無いので、いったいどんなものなのかが良くわからなかった。

そんな時に、東京は原宿にあるアシストオンというお店の知り合いから「青空文庫のテキストを使ったフロンティア文庫って知ってます? これがなかなか良いんですよ」というメールを戴いた。「ちょっと買ってみたんで、見に来てくださいよ」というんで早速見させてもらいました。

パッと触った質感は、薄いプラスティックを何枚も束ねた感じのもので、表面はツルツルしている。でも、めくる方のページだけが、つまり偶数ページのほうだけがザラついた質感になっている。これは水に濡れてもめくりやすいように工夫がされているんだと思う。

フロンティア文庫

大きさは普通の文庫と同じくらい。ただ、素材が塩化ビニルなので、若干重く、この原民喜訳「ガリバー旅行記」の場合はページ数があるので、紙の本よりも分厚い。

フロンティア文庫

フォントは、普通の文庫よりも太めの明朝系。ちなみに写真では、暗いところで撮ったのでページの色がセピア調になってしまっているけど、ページのベースは真っ白です。文字の色はもちろん黒です。

フロンティア文庫

ちゃんと奥付には以下の写真のように青空文庫のテキストであることが明記されている。

フロンティア文庫

その場で水をかけてみる実験はできなかったんだけど、単純にプラスティックに水をかけるようなもんらしいです。ただ水が流れ落ちてしまう感じ。

これで値段は735円。まあ、なんとなく手頃な値段ではある。ちょっとお風呂に持ち込んで読んでみたい感じはする。でもやっぱり触ってみないとね。どんなもんだかさっぱりわからない。どこかで実際に触れるといいんだけど。

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2004年11月26日

 勘違い大全集

その1
  先日友達と携帯電話での話。
私「ご主人はどちらへ?」
Y「政界へ」
 そういえばこのご夫婦のうちどちらかの遠縁に議員さんがいらしたので選挙のときは手伝いに借り出され、大変だったという話を聞いたことを思い出し、いよいよご主人も選挙にでるのか。そのために政界へ挨拶にいらしたのだろうと私は思った。
私「そう、大変ね、お金もかかりますね」
Y「保険が利くから一回500円ぐらいよ」
私「・・・・保険が利くのですか??え?保険が??一回500円?」
Y「そうよ。やっているときは痛いけど後が気持いいのだそうよ」
私「確かに心労が大変だといいますからね。後が気持いい、そりゃ通れば気持がいいですよね。じゃあ今ご主人は、東京にいらっしゃるのですよね」
Y「なんで整体をするのに東京までいくの?○○町よ」
私「せ・い・た・い・ね、はい、わかりました。整体ねえ・・それは痛いけど後で気持いいわねえ。はい」

その2
 携帯電話といえば・・
 ある夜携帯電話が鳴った。電話の向うで女性の声は、ロシア語で「今晩は、アンナ」と言った。私がその言語に無知ならば、話はそれで終わったのだ。しかし僅かに習い覚えがあるためにロシア語で答えた。「ちがいます。私はアンナではありません」と言ったら、向うは一言二言言って切れた。また鳴った。「アンナ?」と言うから私はまた否定した。日本人ですよと言おうとしたとき、すかさず向うは「アンナでしょう。」と勝手に決め付け、今度は早口で立て板に水とばかりに流暢なロシア語で何事かを言い続けた。それを遮って、私は「だから違うわ。どこへかけているの?」と言ったら、その言葉で怒りの頂点に達した相手は私には聞き取れないことをものすごい勢いで捲くし立てた。そして勝手に切ってしまった。どうやら私はどうあってもアンナさんであり、そしてそのアンナさんにからかわれていると電話の主は思っているらしい。その後、その電話の主が正しい電話番号でアンナさんと話をすることができたとき、若しくは会ったとき、どうなったのだろうか・・
 
その3
 毎日の犬の散歩。いつも同じ所では犬も飽きるだろうし、確か犬の飼い方の本にかいてあるには、同じ散歩コースでは犬もボケるのだそうだから、犬の脳の活性化のためにもたまには違うコースを行こう。
 冬への準備の暖かな日、私と犬は、いつもの公園と正反対へ向いて行った。隣の町内は新興住宅地である。良く似た外観の洒落た家がブロックごとに整理されて建っている。その中を何度も曲りながら歩いていくとS子さんの家の横手に出た。生垣の向うに小さな池があり、池から芝生が広がっている。芝生に並行するようにして縁側があった。その縁側に女性が立っている。近眼なのに眼鏡を忘れた私は、立っている女性に目を細めて焦点を合わせた。はっきりとしなかったが、S子さんである。何より彼女の家である。道路から覗いたようで嫌だったが、素通りするのはもっと嫌だったので、道路から生垣越しに私はS子さんに向って手を振った。彼女も手を振ってくれた。笑みを浮かべているようだ。彼女と私の距離は10メートル以上はあるだろう、聞えないかと思い、「今、散歩の途中だから、また改めて寄るわね」と私はちょっと大きな声で言った。彼女も「わかったわ。またお茶でも飲みに来てね」と大きな声で答えた。
 そこからまっすぐな道を100メートルほど犬に引っ張られて歩いたとき、対面からS子さんがスーパーの袋を両手にぶら下げ道路の端を歩いて来た。
私は立ち止まって目を細め焦点を合わせた。止って動かない私を犬が首を傾げて見ていた。S子さんは小走りに私に近づくと「どうしたの?」と訊いた。「お茶でも飲んでいく?」と誘ってもくれた。
「あなたの家、あの角の茶色の家よね。池があり芝生があるわよね」と今来た方を向いて訊くと、
「違うわよ。もう一つ向こうの角の茶色の家よ。池があり芝生があるわよ」
 では私に手を振り、お茶に誘ってくれたのは誰なのだろうか?
 
その4
 対面から知人が歩いてくるといえば・・・
 ある日曜日デパートの前を友達とおしゃべりをしながら歩いていた。向うから細身で長身の男性が私達の方向へ歩いて来た。年の頃は三十代初めだろうか、濃紺のスーツに身を包むという表現がぴったりの人で、髮は七三に分け、顔立ちはというと、目が大きく、鼻が高くちょっと日本人離れしていた。こんな地方都市にステキな男性もいるものだと私は思ったが、友達とのおしゃべりに夢中だった。
 その彼の端正な顔立ちが、私達に近づくにつれ崩れた。そしてすれ違いざま、笑顔で軽く頭を下げ「元気?」と古い知己のような親しさで片手を私の肩にふれて去って行った。驚いた私は会釈を返すのがやっとだった。
 友達が「ステキな方ね、どなた?」と私に訊いた。訊かれて私は困った。「知らない人」と正直に答えた。まさか今から駈けて行って彼の背中を叩いて呼び止めて、「どなたでしょうか?」とは訊けない。私は頭の中で、彼に白衣を着せて医者にしてみたり、Gパンを履かせてカジュアルな服装にして友人のご主人方を思い浮かべてみたり、しかしピッタリくる職業も人もいなかった。
 これは数年前の話だが、あれ以来お会いしていないが、未だにあのステキな男性がどなたなのか私は知らない。

つづく・・・

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2004年11月17日

 生没年の西暦/和暦表示

富田さんにおねがいして、1873(明治6)年以前に生まれた人物をリストアップしてもらいました。生没情報の西暦/和暦表示にちょっと疑問をもったからです。きっかけは坂本竜馬の作家別作品リストを見たさいに、

生年: 1835-11-15
没年: 1867-11-15

上記のようになっていたからです。重大なような、ささいなようなことなのですが、西暦年と和暦月日をまぜて表記してるのがヘンだと思ったので。明治期にそれまでの太陰太陽暦から現行の太陽暦への変更があったことは、とりたてていうまでもないことですから、上記のように表示してあってもわからなくもありませんし、暗黙のうちに了解することも可能ですけれども。

生年: 1836-01-03(天保6-11-15)
没年: 1867-12-10(慶応3-11-15)

こんなふうに改めて表記できないものか提案したところ、システム上も表記可能だし、そのように改めるほうが妥当だろうという方向で検討してもらっています。とういうようなわけで、該当データがどのくらいあるのか富田さんに調べていただきました。のべおよそ270件。生没データの確認調査を協力してくださるかたがいらっしゃいましたら「新潮日本人名辞典」「こよみちゃん」などをつかって、どうぞご協力をお願いします。

「1872年以前に関しては、年のみの表記にする」というわりきりかたも、それなりに合理的かも(^^)。

富田さんからいただいたデータをベースに、

1.セルの表示形式を文字列に変更。
2.姓・名を連結。
3.没年順にならびかえ。同一行の削除。

・西洋人がいない?
・生没年不明者(紫式部など)がいない?
・外国籍・帰化人

4.備考欄は、本名・筆名、生没の異説情報だけをのこした。
5.確定したらオレンジ色に変更。



ミスの混入はごようしゃ。
転載・引用・リンクは自由です。

公開:2004.11.17
10数年前『沈黙の艦隊』読むまでは改憲論支持だったなあ……すげえ、サイレントサービス。
しだひろし/PoorBook G3'99

人 名

紀貫之
源信
菅原孝標女
鴨長明
世阿弥元清
世阿彌元清
近松門左衛門
桜田治助
坂本竜馬
成島柳北
森春濤
木村曙
中村敬宇
河竹黙阿弥
北村透谷
仮名垣魯文
末広鉄腸
若松賤子
樋口一葉
森田思軒
与謝野礼厳
與謝野禮嚴
勝海舟
外山ゝ山
外山正一
三遊亭円朝
三遊亭圓朝
大西祝
福沢諭吉
大橋乙羽
飯田武郷
正岡子規
高山樗牛
中島歌子
尾崎紅葉
落合直文
斎藤緑雨
齋藤緑雨
小泉八雲
小幡篤次郎
田口卯吉
福地桜痴
陸羯南
佐原盛純
服部誠一
鳥谷部春汀
那珂通世
三木竹二
荒木古童
荒木竹翁
川上眉山
旗野十一郎
国木田独歩
國木田獨歩
二葉亭四迷
中村秋香
藤岡作太郎
小野湖山
大和田建樹
山田美妙
重野安繹
幸徳秋水
森槐南
高崎正風
田岡嶺雲
関寛
塩井雨江
本居豊頴
幸堂得知
伊藤左千夫
岡倉天心
田中正造
鳥山啓
井上頼圀
横山源之助
角田浩々歌客
海上胤平
榎本破笠
夏目漱石
山路愛山
塚原渋柿園
塚原蓼洲
佐々醒雪
吉田東伍
島村抱月
宮崎三昧
三島中洲
井上円了
箕作元八
須藤南翠
末松謙澄
黒岩涙香
三角錫子
福本日南
原敬
石原和三郎
饗庭篁村
森鴎外
森林太郎
宮崎湖処子
東海散士
池辺義象
原勝郎
杉浦重剛
鍵谷徳三郎
黒田清輝
西村天囚
戸川残花
東儀鉄笛
大町桂月
石橋忍月
内藤鳴雪
淡島寒月
渡辺霞亭
穂積陳重
穗積陳重
藪野椋十
半井桃水
石橋思案
芳賀矢一
志賀重昂
太田玉茗
沢田撫松
福田英子
山田源一郎
小山作之助
村井弦斎
徳冨健次郎
徳冨蘆花
坂口昂
大槻文彦
鳥井素川
四竈訥治
広津柳浪
廣津柳浪
井上勤
三文字屋金平
内田魯庵
斎藤秀三郎
内村鑑三
武信由太郎
田山花袋
石黒行平
桑原隲蔵
桑原隲藏
矢野竜渓
阪正臣
三浦周行
小泉節子
田中王堂
関根正直
岡野知十
田丸卓郎
堺利彦
奥好義
松居松翁
清水紫琴
巌谷小波
新渡戸稲造
片山潜
和田万吉
池田蘆洲
内藤湖南
高村光雲
江見水蔭
松原二十三階堂
坪内逍遥
坪内逍遙
亀高徳平
岡村金太郎
内海弘蔵
高橋是清
池田菊苗
納所弁次郎
永井ひろ
岡倉由三郎
松瀬青々
金子筑水
三矢重松
上田万年
木下尚江
高橋箒庵
瀬川如皐
簡野道明
福沢桃介
浅井洌
後藤宙外
村上鬼城
伊藤痴遊
入沢達吉
岡本綺堂
三上参次
戸川秋骨
戸川明三
佐藤仁之助
山室軍平
清元延寿太夫
馬場孤蝶
小柳司気太
富士川游
鈴木米次郎
鷲尾順敬
前田曙山
井上善次郎
伊原青々園
井上通泰
小川琢治
南方熊楠
石光真清
白鳥庫吉
中村達太郎
石榑千亦
竹内栖鳳
狩野亨吉
歌沢相模
藤島武二
中村不折
三宅花圃
島崎藤村
鈴木梅太郎
岡鬼太郎
徳田秋声
徳田秋聲
松本亦太郎
添田唖蝉坊
高安月郊
金子元臣
市島謙吉
市島春城
大橋新太郎
村上浪六
井上哲次郎
常盤大定
得能文
別所梅之助
藤井乙男
西田幾多郎
松井簡治
杉村楚人冠
堀口九万一
堀口九萬一
渡辺黙禅
三宅雪嶺
谷本富
関根金次郎
梶井久
本田美禅
榊亮三郎
菊池幽芳
幸田露伴
嵯峨の屋お室
矢崎嵯峨の舎
狩野直喜
高神覚昇
牧野伸顕
笹川臨風
斎藤隆夫
竹越三叉
竹越与三郎
竹越與三郎
星野天知
長岡半太郎
朝永三十郎
福井久蔵
三田村鳶魚
土井晩翠
相馬愛蔵
宮武外骨

梅若実
西 暦

870     945
942     1017-06-10
1008
1153     1216
1363     1443
1363     1443
1653     1724
1734     1806
1836-01-03 1867-12-10
1837-03-22 1884-11-30
1819-04-02 1889-11-21
1872-03-03 1890-10-19
1832-05-26 1891-06-07
1816-02-03 1893-01-22
1868-12-29 1894-05-16
1829-01-06 1894-11-08
1849-02-21 1896-02-05
1864-03-01 1896-02-10
1872-05-02 1896-11-23
1861-07-21 1897-11-14
1823-09-13 1898-08-17
1823-09-13 1898-08-17
1823-01-30 1899-01-19
1848-09-27 1900-03-08
1848-09-27 1900-03-08
1839-04-01 1900-08-11
1839-04-01 1900-08-11
1864-08-07 1900-11-02
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1869-06-04 1901-06-01
1829-01-11 1901-08-26
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1867-01-10 1903-10-30
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1867-12-31 1904-04-13
1850-06-27 1904-09-26
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1835     1908
1841     1908
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1823     1908-01-13
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1869     1916
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1872     1921
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1865-10-12 1922-01-04
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1862-02-17 1922-07-09
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1868-04-05 1929-06-29
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1864-06-19 1934-01-24
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1852-02-18 1934-10-10
1869-08-12 1934-11-03
1866-08   1935-02-26
1859-05-22 1935-02-28
1859-05-22 1935-02-28
1872-01-12 1935-06-01
1867-04-10 1935-08-21
1872-03-27 1935-12-05
1854-07-27 1936-02-26
1864     1936-05-03
1865-09-24 1936-05-11
1868-06-15 1936-05-24
1868-02-22 1936-10-31
1869-04-04 1937-01-09
1870-01-10 1937-06-01
1871-11-29 1937-07-17
1867-01-07 1937-10-26
1869-09-08 1937-11-05
1861     1937-12-12
1857     1938-01-17
1865-04-09 1938-02-11
1868-06-25 1938-02-15
1849-10-10 1938-02-27
1866-12-23 1938-06-12
1865-05-17 1938-09-17
1867-02-15 1938-09-25
1865-01-05 1938-11-08
1872-10-15 1939-03-01
1865-09-10 1939-06-07
1870-12-18 1939-07-09
1870-12-18 1939-07-09
1869-05-28 1939-07-24
1872-09-01 1940-03-13
1862-08-13 1940-05-22
1869-11-08 1940-06-22
1870-11-03 1940-07-18
1865-05-11 1940-11-06
1868-02-02 1940-12-28
1868-03-18 1941-01-13
1871-11-21 1941-02-08
1862-08-12 1941-04-05
1870-04-24 1941-07-26
1866-12-21 1941-08-15
1870-05-28 1941-11-15
1867-04-15 1941-12-29
1868     1942
1865-02-04 1942-04-01
1860-11-15 1942-07-28
1869-08-26 1942-08-22
1864     1942-08-23
1865-07-28 1942-12-22
1872-10-17 1943-03-07
1867-09-18 1943-03-19
1866-07-10 1943-06-06
1868-12-23 1943-07-18
1872-03-25 1943-08-22
1872-04-07 1943-09-20
1872-08-01 1943-10-29
1871-12-23 1943-11-18
1871-12-23 1943-11-18
1865-09-15 1943-12-24
1872-11-25 1944-02-08
1869-02-16 1944-02-26
1868-12-01 1944-02-28
1860-02-17 1944-04-21
1860-02-17 1944-04-21
1862-07-29 1944-05-05
1865-11-01 1944-12-01
1855-12-25 1944-12-07
1870     1945
1866-08-27 1945-02-08
1871-12-12 1945-03-01
1868-07-14 1945-05-23
1870-05-19 1945-06-07
1863-05-18 1945-09-26
1872-08-28 1945-10-03
1865-01-28 1945-10-30
1865-01-28 1945-10-30
1870-06-30 1945-11-18
1860-05-19 1945-11-26
1867     1946
1868     1946
1870     1946
1868-05-20 1946-03-29
1872-04-05 1946-08-24
1870-10-27 1947-07-21
1867-08-20 1947-07-30
1863-01-12 1947-10-26
1863-01-12 1947-10-26
1868-02-11 1947-12-13
1804     1948
1861-10-22 1949-01-25
1870-08-07 1949-04-13
1870-09-13 1949-10-07
1865-10-05 1950-01-12
1865-10-05 1950-01-12
1865-10-05 1950-01-12
1862-01-10 1950-09-17
1865-08-18 1950-12-11
1871-02-05 1951-09-18
1867-11-18 1951-10-23
1870-03-17 1952-05-14
1871-10-23 1952-10-19
1870-10-25 1954-02-14
1867-01-18 1955-07-28

1828 9-Jan
和 暦









天保6-11-15 慶応3-11-15

























       
明治36-10-30











































慶応3-01-05 1916-12-09














































































明治3     昭和8-09-05


慶応元     昭和11











元治元      昭和11













































          昭和18

















明治3      昭和20












慶応3-07-23






        昭和24-10-07













本名・筆名、生没年の異説

946年没説あり


生年諸説あり



初代






























































岡倉覚三






本名、虎彦
本名、夏目金之助


塚原渋柿園の、別ペンネーム









本名は周六





本名、林太郎
森鴎外の本名

















本名、渋川柳次郎




1871-1929『著作権台帳 第24版』





徳冨蘆花の本名
本名は健次郎







内田魯庵の、別ペンネーム




















本名は季雄。号、漣山人






1937年8月没『著作権台帳 第24版』







幼名、完二郎








本名、義雄
四世





初代

本名、敬二。別号に狂綺堂

本名、明三
戸川秋骨の本名


五代




















































本名、成行

嵯峨の屋お室と同一人物

















初世 二世の著作権は消滅していない
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2004年11月16日

 香田証生さんのことを考えるために

24歳の香田証生さんが殺害された。もはや彼は、自分が生きているという証を立てることができない。
First Publishing 2004-11-03 03:34:46
Second Publishing 2004-11-07 22:14:15
Third Publishing 2004-11-16 00:52:22 (四ノ宮浩さんの談話追加&再編集)


Liberty Unites
 /日本人旅行者・香田証生さん、人質としてビデオに
「……たくさんの人に警告されていたのに……彼の責任だよ。だからといって、死に値すべきだとは思わないが。(名無し)」
「今イラクに行くだなんて、とんでもない考えだと思う。もし私が彼の父親なら、自殺してしまうよ。それくらい痛ましい。でも、多くの人が止めようとしたにもかかわらず、彼はそこへ行くことを選んだ。私はただ、同じ過ちを誰かが繰り返さないように願うだけだ。(キャロットグラッセ)」
 /人質の殺害予告時間が過ぎ、闇の中の日本
「今、CNNで死体発見の一報を読んだ。純粋にショックを受けている。これまでに、たくさんの人が人質になって、たくさんの人が殺されているけれど、このことは、まだ現実として受け止められていない。彼に冥福を祈り、心から息子のことを嘆き悲しむ彼の家族のためにも、祈りを捧げる。(イットスティッフ)」
「このニュースを聞いて、とてもショックだ。彼と彼の家族に衷心を申し上げる。でも、彼がなぜあんなに危険な国に行きたいと思ったのか、それが不思議だ……(ヤム1128)」
「なるほどイラクに行くなんてたいしたやつだぜ。あいつみたいに、真正直にあんな場所へ行くやつがいるか?……でもな、俺はやつのことを悲しく思うし……家族にも。もし、自分の息子がテレビで、今にも頸を切られようとしてると考えてみろよ……はあ……俺だって、あんな最低野郎になっちまうにちがいない……(名無し)」
 /日本人人質殺害か
「おお神よ、なんということだ……(ケルスター)」
「私はまだ彼が生きているという望みをまだ持っている。もし本当に死んでいるとしたら、彼等は火に油を注いだのだ!(ゲーナンデズ)」
「私たちにできることは、被害者のために祈ることだけだと思う。その私達のできる祈りでさえも、たいしたことはできないけれども……(ジムボーイ22)」
 →返信「平和な時代もあれば、戦争の時代もある。私は暴力の終わりと、アメリカの勝利を祈ろう! こんな悪党どもに同情、慈悲、哀れみの余地はない。もっとも厳格な方法による死に値する。ジハードなんかくそくらえだ! エゼキエル書25:17『心正しき者の歩む道は心悪しき者の利己と暴虐に阻まれる。 愛と善意をもちて暗黒の谷間で弱き者を導くその者に祝福を。彼こそ兄弟を守り迷い子らを救う者なり。我は怒りに充ちた懲罰で大いなる復讐をなす。我が復讐が成される時、汝は名を神であることを知るべし。』(愛国者)」
  →返信1「確かに暴力は終わって欲しい。でも、「もっとも厳格な方法によっ」てはいけない。彼らと同じような悪党になってはいけない。もっとも正しい方法での、勝利を。(エイミーエンジェル)」
  →返信2「あなたのバカさ加減にあきれる。あなたはちゃんと聖書を知らない。君はパルプ・フィクションかなにかでそれを見て引用したんだろう?(訳註:前者のエゼキエル書はパルプ・フィクションの中で使われた、結構有名な偽の引用) 本当に聖書を読んだことある? もしそうだとしたら、君はよくわからなかったんだろうね。聖書のどこを読んでも、イラク戦争とブッシュを非難しているよ。(訳註:こののち再びはいるエゼキエル書の引用は、たぶん偽の引用。面倒なので省略)(レットアスネバーフォゲット)」
「まともな頭を持ってたら、何か理由を見つけてイラクへ行くのをやめるはずじゃないのか? そんなことをするのは、バカだし、自殺行為だ。(K_J_B)」
 →返信「若さゆえの好奇心、不注意も、その理由だ。だが、だからといって、死んでいいという話にはならない。(エイミーエンジェル)」
「あの死体は彼じゃなかったみたいだ。がっしりとした体で、50歳程度、少なくとも死後1週間経過してるらしい。私は彼の生存を望む!(名無し)」
 →返信「新しい死体がバグダッド近郊で発見された。首が添えられていた。当局は香田さんと考えている。誰がこのろくでなしどもを止めようとするんだ?(トウィーティ2)」
「その通りだ。指紋が一致した。(名無し)」
「彼がテロによって殺されたと聞いて、残念に思う。しかし、私の意見では、彼はアメリカ政府に殺されたのでもある。もしあのクソでゲス野郎のブッシュが無数のイラク人たちを殺さなかったら、こんな悲しいことは決して起こったりはしなかったんじゃないのか? 力によって人を殺すのに、正当な理由なんてない。私はあのくそブッシュが嫌いだ。(名無し)」


HAMMORABI
「『また人質が首を切られた!』……私たちは哀悼と同情を、香田さんの家族に捧げる。」
 →返信コメントより
「日本人青年のことを悲しく思う。軽率だったかも知れないが、命を失ってもいいわけではない。……(ドン・コックス)」
「ええ、香田さんのことは本当に悲しいことだ。彼がイラクにいたのは、何かを見つけたいという好奇心でこの国を見に来たためであり、死ぬためではないし、ましてや残弱な方法でそうなりたくて来たわけではない。ご家族は悲痛な思いを抱かれているだろう。彼にご冥福を。(ダイアン)」
「……香田さんのご家族に衷心申し上げる。(クリス、シアトル)」
「日本人と、特に香田さんの家族に、衷心申し上げる。(ボビー、ヴァージニア、USA)」
「香田さんの家族に衷心を……(リープフロッグ)」


☆志葉玲さんのブログ
 /【転載】バグダッドの医師からのメール
「……イスラム教の指導者たちの調整が機能していない状態にあり、事態は最悪です。その原因は、ほとんどの指導者が刑務所に送られ、残りはイラク国外に逃げてしまったことです。だから、イラク国内には、アメリカ軍のための軍隊か、テロリストしかいないんです。……」
「……日本とイラクの良好な関係を維持したいので、日本人殺害事件のことを残念に思っています。イラクの人々を責めないでください。私たちは、あなた方の親愛なる兄弟でありたいのです。日本人の中には、私たちイラク人のことを憎む人がいるだろうと思っています。しかし、私たちは何をすればよいのでしょうか? ……」


Raed in the Middle
 2004/10/29づけで、今回の人質事件についてのコメント。和訳はnofrillsさんの日本語版ページから引用
 /2004年10月29日(金)の記事
「日本の方々への公開書簡
今イラクで起きていることをいかに僕が悲しく思っているかを,みなさんにお伝えしたいと思います。そして,一般のイラク人には,事態に無関係な若い日本人人質の香田さんを見つけるために,あるいは彼を解放するためにできることは,何もないのだということをお知らせしたく思います。
どうかわかってください,一般にイラク人は日本には敬意を抱いています。第2次世界大戦後に国を再建した日本の方々を尊敬しています。あの残虐で非人間的な一般市民に対する核攻撃は,人間の歴史始まって以来,最悪の大量殺人のひとつです。イラク人は日本の文化的体験を信じているし,日本のみなさんがなさってきたこと,今なさっていることから学ぼうとしています。
どうか知っておいてください。僕はこれまで,日本の人々に対して憎悪や敵対心を抱いているイラク人には,まったく会ったことがありません。これらの誘拐事件は,イラク人の多数が抱いている日本の方々への感情を表しているものではありません。僕たちのほとんどは,これらの事件が起こらなかったらよかったのにと願っています。僕たちの文化の関係が,このような暴力的な事件で始まらなければよかったのにと願っています。……(つづきはここ)」


2003年のイラク侵略前後における死者数;集落抽出調査
Mortality before and after the 2003 invasion of Iraq: Cluster sample survey
レス・ロバーツ、リヤド・ラフタ、リチャード・ガレルド、ジャマル・クダイリ、ギルバートバーンハム
『The Lancet 』(ランセット)October 30, 2004所収

「控えめに見積もっても、私たちは、おおよそ100,000人を超える死者、あるいはさらに多くの死者が、2003年のイラク侵略によって生み出されたと推定している。暴力は、(通常発生しうるより:訳者)上乗せで発生した死の大半の原因であり、また同盟軍による空爆は、大半の暴力死の原因である。私たちは、公衆衛生に関する情報の収集が極度の暴力が吹きあふれている時期においても可能であることを明らかにしてきた。私たちの結果はさらに検証されることが必要である。そしてこの結果は、空爆による非戦闘員の殺害を減らすような変革に結び付けられるべきである。」


YOMIURI-ON-LINE 2004/10/28/01:47 読売新聞 「「自分探しの旅」人質・香田さん、理解に苦しむの声も」


日々の泡 October 30, 2004
「人質のひとはどーなったんでしょかね。またぞろ「ああいう莫迦者に血税使うべからず」とか言ってるひとがおりますが莫迦でも助けてあげりゃいいじゃん。機密費とか使い込んでるひとから比べれば全然許容範囲ですけどね。年度末の無駄な道路工事よりよほどマシだし。やっぱ権力とか持ってない一般人だと攻撃しやすいんですかね。反撃の恐れも無いしね。だいたいイラクはもう安全だとか言って自衛隊が出てったんだから大した考え無しにイラク行ったって良いじゃんね。安全なんだから。んでいくら安全だからと言って拉致される時はされるわけでそりゃイラクなんぞに行かずに日本にいても拉致されたりもするわけで。イラクに行くのが危険なことであるというのであれば自衛隊は即刻帰ってこなきゃならんのではなかろーか。」


甘いおやつ 10月29日(金)
「……「自業自得だから」とか「自殺行為だから」という理由で,あたかも「当然の結論」であるかのように「ほっとけ」という意見があるけれど,「自業自得」であろうが「自殺行為」であろうが,それを理由に助けずに放置しておくことは,今の日本で生活しているわたしたちにとって当たり前の道徳,あるいは規範ではない.……」
「……「自殺行為」どころか自殺そのものをしようとして手首を切って血を流している友だちをあなたが見つけたら,「自殺だから」という理由で放置するだろうか?いや,友だちでなくてもかまわない.道を歩いていたら突然上から人間が落ちてきて,血を流して痛がっている.その時,「自殺だから死んで当然」と考え,なにもせずにその場を立ち去ることができるだろうか? 「自業自得」であろうが「自殺行為」であろうが,今まさに命の危険に直面している人がいたら,まず助けようとするのがわたしたちにとって「当たり前」の道徳であり,死にかかっている人を無視できる人はいたとしても,圧倒的少数だろう.「ほっとけ」,「助けなくていい」などと言う人は,自分の友だちが「自殺行為」どころかまさに自殺そのものを試みて,今まさに死にかかっている時に「自殺だから」という理由で目の前で死んでいく友だちを放置しておくことができるかどうか,自問してみればいい.もし,放置できないというのであれば,死ぬ意思もない彼をなぜ放置しておくべきなのか,説明する責任はあなた方にある.……」


梁塵日記 10月30日(土)雨
「……今回の香田証生さんの名前は「生きるための証を求めるため」両親が付けたのだという。それからわかるように、両親は敬虔なキリスト教徒であり、日本聖公会系の直方教会に所属するらしい。日本聖公会はキリスト者として、イラクへの米軍攻撃に反対しており、今年2月にはパレスチナを訪問。イスラエル政府のパレスチナ人弾圧に対しても、きわめて明確にこれを批判している。プロテスタントとカソリックの中間に位置する「中道」の教会を自称しながらも、「正義と平和」への発信を続けている、いわば「行動する教会」といえるだろう。
 聖路加国際病院聖ルカ礼拝堂もその教区の一つ。
 マスコミにリークされている香田さんに関する情報では、「安易な物見遊山」「自分探しのお気楽旅行」と喧伝されているが、彼の母親が言うように、心の優しい若者であり、イラク問題への関心も人一倍あったはず。単に物見遊山でイラクに入ったわけではないだろう。
 政府は香田さんのバックグラウンドにある「聖公会」も十分に承知の上で、情報操作をしたといえる。……」


改善案まにあ October 27, 2004 「【イラク】覚悟しちゃってるのか?香田さん」
「香田さんが「済みません。日本に帰りたいです」と言ってるのが、「捕まっちゃって済みません。先立つ不幸をお許し下さい。せめて遺体だけは日本に送って下さい」って、...言ってるように聞えてしまった...。小泉が譲歩するわけ、ないのは知ってたろう。なぜ、イラクに行ったのかを考えてみた。
24歳だという。おそらく、正義感の強い、純粋な人柄なのだろう。
理屈ではなく、おそらく、イラクへ行かなければならなかったのだ。とにかく、自分の眼でイラクを見なければならないと感じたのではないか。小泉首相を考えれば、捕まれば生きて帰れないのはわかっていても、多分、行かずにはいられなかったのだろう。何となく、そんな気がするのだ。……」


世界旅行者と彼の旅行哲学 2004-11-04 「「週刊文春」と「週刊新潮」の、香田証生くんの記事を読む。」
「香田証生くんは、高校の成績もよかったが、自分から退学した。とにかく、いろんなバイトをして、いろんな経験をしたかった。福祉施設で介護の仕事をしていた。高校時代から、英語を勉強していた。(確かに、僕は彼の英語を聞いて、かなりのレベルだとは思ったんだ)ニュージーランドにワーホリで行って、英語学校に通っていた。しかし、ニュージーランドでは働いてはいなかったようだ。(ワーホリでは、日本人の競争相手も多いし、たいした仕事は見つからない)ワーホリに行く前に、自分で働いて250万円!も貯めていた。将来は米国へ行きたかった。(その英語の勉強で、ニュージーランドへ行った)とにかく身体を鍛えていた。日本国内でも、一人旅が好きだった。記事によると、「イラクに友達がいるので訪ねていく」と言ってた。という感じかな。
新潮は、今は無職であるとか、「自分探しの旅」ということを、キーワードにして、若者を攻撃したかったらしいが、実際に調べてみると、立派な青年なので、記事の中身は、褒めるしかなかったようだね。」


低気温のエクスタシー 2004年11月06日(Sat) 「仏紙ル・モンド「香田氏は“嘘がはびこっている”と言い残してイラク入り」」
「 フランスのリベラル系高級紙「ル・モンド」によると、斬首された香田氏は「イラクで起こっていることを自らの目で見たい」「嘘がはびこっている」とイラク入り直前に語っていたとのこと。これが事実であれば、旅行気分だとか観光目的といった非難は一切成り立たない。
http://www.asyura2.com/0411/war62/msg/459.html
(訳)この事件は日本を動転させたが、メディアは一方で、この若者が世間知らずで、(自衛隊イラク派遣を再度批判されている)政府の警告を無視したと強く非難している。香田青年は、イラクで起こっていることを自らの目で見たい、と言っていた。バグダッド行きのバスに乗る前にアンマンで出会った日本人映画監督に残した最後の言葉は、「嘘がはびこっている」だった。
この最後の言葉は、初耳である。直訳すれば、「人々はたくさんの嘘を語っている」であり、「世の中嘘だらけだ」と訳してもいいと思う。いずれにしても、このような意味の言葉を映画監督(『ルモンド』の記事には名前が引用されていないが、四ノ宮浩さんのことだろう)に言ったという報道は、国内メディアであったのだろうか。私が知らないだけなのか、『ルモンド』の記事が間違っているのか、それとも報道規制が行われたのか。
香田さんが「嘘がはびこっている」と言ったのが事実であれば、旅行気分だとか観光目的といった非難は一切成り立たない。前回同様、政府が世論操作を行ったのか。 」


毎日新聞 2004年10月30日 12時26分 「イラク邦人人質:「遺体確認中」に香田さん家族憔悴」
「香田さんはヨルダンのアンマンで出会った人たちからイラク行きを止められていた。止めた一人の映画監督、四ノ宮浩さん(46)はこの日、「殺害されたとすれば、非常に残念です」と沈んだ声で話した。「イラクに行く」と言う香田さんを「今はまずい」と注意したが、熱意に押された形でバグダッドのホテルを紹介した。だが数日後、このホテルに電話したところ、香田さんが宿泊を断られていたことが分かった。「力ずくでも彼を止めればよかった。反省しています」と語る。
 ただ、香田さんの行動への批判には、誤解に基づくものもあると四ノ宮さんは思う。「彼はただ観光旅行に行ったように言われているが、全く違う。『どうしたら世界は平和になるんでしょうか』などと語る純粋な若者だった。戦争というものを肌で感じて、そこから平和について考えようとしたのだと思う。行動は無謀だったが、真実を知りたいという姿勢を僕は評価したい」と話した。」


四ノ宮浩「わが友となった香田証生くんについて」
「……彼と最後にあった日に、バス停で彼に『本当に大変だったらバクダッドに日本大使館があるから行けば』といったが彼は『いや、迷惑はかけれませんから』と即座に答えた。……」
「『僕はイラクの人々の様子やイラクの状況を、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の体で感じたいんです。危険は承知していますから』」


すべてを疑え!! MAMO's SITE 11-3 ━日録メモ風の更新情報━
「……テロリストどもが、香田さん殺害時のビデオ映像をサイトで公開。サイトにはビデオ画像7枚が掲載され、13か所から同じビデオファイルをダウンロードできるようになっています。映像は3分弱で、星条旗の上に座らされた香田さんの背後に黒ずくめの3人が立ち、メッセージを読み上げた後に斬首。生首を掲げ、顔をアップで撮すという極めて残酷な映像です。なお、香田さんは覚悟を決めたのか、取り乱したりせず、静かな最期でした。……」


法と常識の狭間で考えよう 2004.11.02 「イラク人質事件はなぜ起きたか?」

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2004年11月15日

 この残されし者

 11月も半ばである。これからは鍋料理が美味しくなり、恋しくもなる。友達数人と鍋料理を食べに行った。ボックス席が満員だったので、カウンターの隅を私達は陣取った。カウンターの中をちらりとみると知人の板前さんがいた。Kさんである。私は軽く挨拶をしてから、友達と鍋を箸で突っついていた。そのうち時間がたち、そろそろお開きにしようとしたとき、Kさんが、私にだけにちょっと残ってもらえないだろうか、話がある。もちろん後の料理は何でも自分もちでご馳走するという。こんないい話はないので、私は承諾した。ところがもうお腹がいっぱいになっていたのでお腹に入りそうなのはジュースくらいだった。Kさんはすまなそうに頭を掻いて笑った。そしてテレビをつけてくれた。テレビの中のファルージャでは日本の放送局の特派員が現地レポートをしていた。

 酔いが回った、話に夢中のサラリーマンの客が多かったので、テレビをみている人は少なかった。私は、カウンターの隅で一人テレビを見たり、Kさんはじめ板前さんの客扱いの上手さに感心したりしていた。Kさんは、私の前に来ては、「もう少し待ってもらえないか?閉店まで待ってもらうことはできるだろうか?」と小さな声で言った。
「いいですよ」
「タクシー代金も奢るから」と目じりに皺を寄せて笑って言った。
 退屈するかと思ったが、全く退屈はしなかった、周りの酔い客を観察したり、魚の半身をものさしで計ったように同じ厚さに切っていく板前さんのリズムに感心したり、細工物をするように食物を自由自在に操り盛っていく手許に感動したり好奇心はかなり充たされた。
 お客さんが少しずついなくなり、12時には、暖簾を仕舞い込んだ。Kさんは、突き出しと日本酒を持って横に座ったが、私が飲まないので、烏龍茶でもと進めたが飲み物ももういらなかった。
「あんたは、面白い話を聞くのが好きだろう。きっとこの話をしたらいいのではないかと思ったから、それに誰かに聞いてもらいたいというのもあるし」と言って間をおいた。「10年ほど前の今日の話なんだ。そのころの俺、三十代半ばだったよなあ」とKさんは手酌の酒を一口飲むと語りはじめた。
 Kさんの話というのはこういう話だった。
 その日、店内の忙しさも客の層もいつもと全く変わらない風景だった。そんな中でKさんだけは何かが違うと思った。何が違うのか自分でもわからなかった。何が違うのかわかったのは大分たってからで、食事だけの客が引き上げ、まばらになった客席がアルコール中心の客になったときだった。刺身包丁で刺身を作っていて、ふと顔を上げたときに、何気なくカウンターの隅が目に入った。目に入ったとき、そこに座っていた女性と目が合った。年の頃は六十代初めだろうか、きちんと纏められた髮には幾筋も白い線が走っていた。商売柄彼はにこりとしたが、彼女はにこりともしなかった。硬い表情で彼をじっと見つめていた。彼女は、年配の仲間同士で訪れたようで、今日のようにみんなで鍋を突っついていた。自分がにこりとしてそれを返されないことに意外な感じはなかった。そんな客はいくらでもいる。そうではない。彼女の目の光とでもいおうか、何かが違うのだ。優しいわけでも、厳しいわけでもなかった。強いていえば、懐かしさだったのかもしれないと後からKさんは思った。自分が後を向いたときは背中に感じ、まな板に向いたときは横顔に感じる。からみ付くような、縛られているような視線は、決して気持の良いものではない。落ち着かなかったが口に出すわけにも態度に出すわけにもいかない。
 時間がたつに連れ、入れ替わり立ち替りした赤い顔のカウンターの客もそれぞれ勘定をすまして引き上げていく。その女性のグループも引き上げて行こうとしたとき、「先に帰ってもらえないかしら、ちょっとここの板前さんにお話があるの」というその女性の声がKさんの耳に入った。友達は素直に承知し、彼女一人をカウンターに残し引き上げて行った。「ここの板前さん」というのは自分のことだろう。自分に何の話があるのだろうか。
 12時になった。その日は今日のように客はみんなあっさりと引き上げてくれて、だらだらと居座る客はいなかった。彼女、一人を除いては。
 みんな後片付けを始める。照明が一つひとつと落とされていった。まだ彼女は腰を上げなかった。箸をもって煮物を食べていた。Kさんは声を掛けていいものかどうか片付けをしながら思案していた。そのうち彼女の瞳が潤んできた事に気付いた。どうみても自分をみて涙を流している。三十代半ばのKさんにすれば母親くらいの年齢の女性である。小さな丸顔で丸い鼻と小さな口は愛嬌があった。若い女性なら泣かした覚えがあるが。と真面目に考えていた。この女性の娘さんのことだろうか、身に覚えがあるようなないような。と不謹慎なことが真面目に頭を巡っていたのだ。
 仕方なく照明は彼女の周りだけ残った。そのうち明らかに嗚咽が漏れた。Kさんは思い切ってカウンターの中から声をかけてみた。
「すいませんがもう閉店なんですが、どうかなさいましたか?」
女性はハンカチで目頭を拭いて言った。
「本当にまちがったら、ごめんなさい、おゆるしくださいね。貴方は、○○市の方ではありませんか、お名前はKさんでは?」
 彼は真っ青になった。やはり彼女の娘さんと自分は付き合っていたのだろうか。まさか妊娠したから責任をとれか・・妻の顔を子供顔が浮んだ。ああ・・とため息がでそうになった。それでも今更言い逃れはできないので
「あ、はい。」
「私、Sと申します」
 彼はSという名前の女性を思ったが思いつかなかった。
「Sさん、どちらのSさんですか?」
「××市です。私が生まれたのは○○市でしたが」きょとんとしているKさんに女性は続けた。「驚かれましたでしょう。Sといってもお解かりになりませんよね。Kさんは、○○市で代々続いたK家の本家の方ですよね」と彼女は念を押した。
「あ、はい」
「ご存知ないでしょうか、私の母の姓はSで名前はR子といいます。貴方から数えて3代前のHさんとは・・」
 その話は父親に聞いて知っていた。そこまで聞いてKさんはちょっと安心もしたが、もっと大きな謎を抱えた。それを見越したように彼女は言った。
「先ほど、友人とこの店に入ってから貴方をじっと見ていました。どこかで見た方だと思っていたのですが、最初思い出せませんでした。思い出せないわけです。お会いした事はないのですから。暫くしてはたとわかりました。K家の方だと。他の方が貴方をKさんと言っていましたし。なんといっても写真でみたHさんの生き写しです。おどろきました。それだけなら・・私のお腹にしまっておけるのですが、じっとみていたら、お声をかけてみたくなりましてね。すいません」そういって彼女の頬に涙が静かに伝った。
彼女とKさんを見えない糸で結び付けていた話というのは、特別だといえば特別だが、どこにでもあるといえばどこにでもあるような話である。
 太平洋戦争が終わって数年後、世の中がまだ混乱していた時代。ある冬に寂れた雪深い地方都市で心中事件があった。男は20代半ば過ぎ、女は20代初め。農具などを仕舞っている小屋で男が女の頚動脈を鋭い刃物で切りつけ、息が絶えたの確かめてから、自分もそばの琵琶の木にロープをかけた。
 なぜ二人がそういう状況にならなければならなかったか。心中事件から数年は遡る。男と女は相思相愛だったし、家柄としてもつりあいもとれ、何の障害もなかった。彼らの障害は、なかったのではなくやってきたのだ。男の下に「赤紙」がきて、外地へ。彼の死亡は村中に伝えられた。悲嘆にくれた女は親の進めるまま結婚し、子供もできた。戦争が終わって男は帰るべきところへ帰ってきたのだった。帰るべきところへ帰ってきた男に女は諦めていたものがふつふつと蘇ってくる。男が自分以外の女といっしょになることは信じ難いし許せなかった。一緒になってくれと女は男に迫った。戦争へ行く前ならもちろん迫られることもなく話は済んだ。しかしもう彼女は人の妻であり母である。男は自分の気持を押さえ込んで、何度も女を説得した。女は諦めなかった。女の業が現実を認めなかったのだ。妻であり母であるということは、諦める理由にならない。男は覚悟を決めた。手に手をとってこの地上を逃げ回ることを二人は潔しとしなかった。手に手をとって、黄泉の国へ旅立つ方を選んだのだった。
 その子供というのが、今、Kさんの目の前にいる女性ということだ。女性はまだ乳飲み子だったという。
「顔立ちが母に似ている私は父に疎まれました。父の憎悪の対象でしかなかったのです。酒を飲んであばれる、折檻をうける。とうとう私は家を逃げ出しました。母方の親戚を転々としてなんとか育ちました。つらくてつらくて母の元へ行こうと何度思ったことか。母が尋常な死に方でないと知ったのは大分大きくなってからです。大人になった私は母の妹に全てを教えてもらいました。二十年前、叔母が亡くなったとき、遺品から一枚の兵隊さんの写真がでてきました。裏にHさんの名前がありました。私はその写真をそっと自分のカバンに忍ばせて持ってかえりました。」女性は涙を拭いてKさんをまじまじと穴のあくほどじっと見た。
「その話は親父から聞いた事があります。親父の大叔父にあたる人だったか叔父にあたる人だったか・・・そういう親戚のことにあまり関心がないもので。でもHさんの出征の写真はうちもあります。軍服姿の。はい。軍服姿でした。親父がよく俺に似ていると言っています。そうでしたか・・そうでしたか・・」
 Kさんの祖父や親戚一同と写っているセピア色のHさんの軍服姿を思い出した。親父は晩酌の酔いが回ってくると、自分を捕まえてはHさんに似ているというのが口癖だった。亡くなった祖父にしろ親父にしろみんな同じような顔立ちだと親父に言い返すのが常だった。
「もうその小屋はありませんが、親父の若い時はまだ血潮が小屋のいたるところに飛び散っていたそうです。」
「母の血ですね」と彼女は呟いた。「大人になって人を好きになって、母の気持がわかりました。でも・・・」と言葉は段々濁っていった。Kさんはどう言っていいのかわからず黙っていた。黙っていたのは、何もいえなかったというのもあるが、Hに似ている自分に涙を浮かべるこの女性がいとおしかった。Hが彼女の母親をいとおしかったように。そういえば人をいとおしいという気持は何年ぶりだろうともKさんは思った。
「今の私は、本当はYという姓なのです。孫がいるのですよ。優しい夫と娘夫婦と二人の孫です。幸せってこういうことをいうのでしょうね」彼女はKさんの顔をみて、「貴方にあえて本当によかった。本当によかった・・」と一人何度もごちた。
「お幸せですか。良かったです。本当によかったです」とKさんにも熱いものがこみ上げてきて途切れ途切れに言った。

「あれから十年、その方とは会っていませんが、きっとお孫さんも大きくなり、幸せでいらっしゃるのだと思っています。今あんたが座っているその席ですよ。その方が座っていたのは。あんたが座っていたものだから、話をしてみたくなってねえ」とKさんは言った。
 私は頷いた。テレビの中は相変わらずイラクだった。全世界の人が見飽きた映像、銃を持ったアメリカ兵たちが集団で戦車の周りに立っている。切り替わった映像ではイラク人の集団が爆風に追いかけられて蜘蛛の子を散らし、街を逃げまどっている。それらの映像を鋭利なナイフで切り裂いたように次の映像がでてくる。避難所だろう。一人の女の子が映った。櫛をいれるのを忘れてしまったぼさぼさの髮に真っ黒の大きな瞳の少女だった。ナレーターは語る。お母さんは爆撃でやられ、お父さんはどこへ行ったかわからないと。この残された者も40年後その手に孫を抱いているだろうか。
 板前さんがテレビを消した。私も立ち上がった。「いい話をありがとう」とKさんに言うと照れて、タクシーで送るからちょっと待ってと言ったが私は断った。Kさんはタクシーのお金を私に渡そうとしたがそれも断った。私の瞼に残る少女の残像を抱きしめるようにして店を一人で出た。

 

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2004年11月07日

 難字、求めよ。

テキストのなかで、読みかたに疑問をもった語句です。みずたまりにて、たかしさん、ノンノさんをはじめとしたかたがたから教えていただきました。みなさん、どうもありがとうございます。そのままにしておくのももったないなあと思い、こんなふうにまとめてみました。オレンジ色の語句は未確認の項目です。語句のよみやミスなどに気がつかれたかたは、ぜひ、お知らせください。


ミスの混入はごようしゃ。
転載・引用・リンクは自由です。

公開:2004.11. 7
更新:2004.11.23
平川地一丁目あたり、聞きたいですね。
しだひろし/PoorBook G3'99

語 句   → よ み

で厶います → でございます
とり紊さぬ → とりみださぬ
を惣て   → をすべて
        をそうじて
按ふに   → おさうに
衣褶れ   → きぬずれ
音信れて  → おとず?れて
下司ばる  → げすばる
劃っ    → わっ(≒割)
噛つた   → かじった
柑子    → こうじ、かんし
忌んで   → いんで
欺された  → だまされた
怯懦な   → きょうだな
区到る ??
兄哥    → あにき



猶予らは  → なおわれらは
        (予≒我)
佯り    → いつわり(≒偽)
僵れ    → たおれ(≒倒)
况や    → いわんや
刎出し   → はねだし
恁う    → おもう(≒思)
恁の    → かくのごとしの
慟んだ   → かなし?んだ
 (普通は「慟《なげ》く」と読む字)
懼る    → おそる
捐て    → すて(≒捨)
掉りて   → ふりて(≒振)
摧飛ばむ  → おしとばむ
 (摧《くだ》く)(≒砕)
擱かむ   → おかん(≒置)
棕梠の   → しゅろの
歇みつ   → やみつ(≒止)
泛ぶ    → うかぶ(≒浮)



斯う掛つて → こうかかって
賜びし   → たびし
 「たぶ」というバ行四段動詞です。
抽斗    → ひきだし
比故に   → ころゆえに
 ……逢初たる比故に
 「あいそめたるころゆえに」です。
 「会い始めた頃だから」ということ。
不可い   → いけない?
        まずい?
浮りして  → ふりして?
別つて   → わかって
 「わけていまして」ということ。
方っても  → あたっても
匍ひ下る  → はいさがる?
        はいくだる?
        はらばいさがる?
        はらばいくだる?
哂い    → わらい
嗽ぎ    → すすぎ
嚮を替へ  → むきをかえ
洒亜つく  → しゃあつく?
洒張り   → さっぱり?
淹れて   → いれて
瀉くさい  → がたくさい
瀉海    → がたうみ
        しゃかい?
詈り    → ののしり?


協力:たかしさん
   ノンノ@ムーミン谷さん
   無名さん
語 句   → よ み

覲     → まみゆ
氈     → けむしろ
裙     → もすそ(すそ)
可厭だ   → いやだ
事へる   → つかえる
長閑さ   → のどかさ
獻げたい  → ささげたい
獻げられ  → ささげられ
 献は俗字なので「ささげたい」
發奮む   → はずむ
皈る    → かえる
 歸るとおなじ
瞰下ろし  → み‐おろ・し
 俯瞰(フカン)するの意を込めたものと思われる。
祕さう   → ひそう(秘蔵)?
おつと来い
 → 落つと來い(?)
 私やお前のように落ちぶれたものならば、(凋落したものならば)
 「往って来い」かな?とも思えます。ただし、それならば「いってこい」が正しい読み方です。流転して戻った様かと。
硯々
忽卒    → こっそつ
        にわかに
惨まし
小さはしい
疎しな
日本に若くはない → 〜にしくはない
 意味:かなうものはない
飯章魚   → イイダコ
彼んな事を →  あ・んな事を
 ”あれあんな事を”と”あ”が連なるのを嫌ったと思われる。また、前の文が”迫り來て”とあるので反語として”彼方”を意識したとも思える。
毎々聞かれる → まいまい…
 たびたび。いつも。毎度。
隣つた   → となり・つた
 となり・する【隣する】の過去形と考えられる。
囘宛    → …かいずつ
嫩葉    → わくらば
慘まし
慓へて
冐しながら
艷々    → つやつや
蕭絛    → しょうじょう
大卜
偏した   → へんした
 一方にかたよる。
瑟を鼓せしめ
 
瑟(おおごと)を鼓(こ)せしむ(?)
郁子    → むべ
角ぐ    → つの‐ぐ
角目立つ  → つのめ‐だ・つ
 かどだつ。感情が衝突する。
肯かれる  → うなずかれる
 首肯するの意を込めたと考えられる。
黒鯛    → チンノイオ
須臾    → しばらく、しばし
        たちまち
寸た
草いきれ  → くさ‐いきれ
 夏、日光に強く照らされた草の茂みから起る、むっとする熱気。
草生    → くさおい
走り井   → はしりい
 湧き出て流れている井戸水(広辞苑)
卒な
其者
中っぱら
娘子軍   → じょうしぐん
        ろうしぐん
 女性の率いる軍隊。中国、唐の平陽公主の率いた軍から。
丁と

珍か
陳者    → のぶれば
頓て    → やがて
薄葉
不身持   → ふみもち
 意味:ふしだら
聞道    → きくならく
蒙い    → もうま・い(?)
 本来は、「もう‐まい【蒙昧】知識が開けず、物事の道理に昧(クラ)いこと」だが”知識が開けず”を意としたものと考えられる。
恋ほ
假すに、仮すに → かすに
 意味:仮に与える。「仮すに時日を以ってす」は、時間を与えること。
鉄刀木   → たがやさん
 マメ科 Cassia 属の広葉樹
没法子   → メイファーズ
 仕方がない
慢慢的   → マンマンデー
 ゆっくりと、あくせくしない
距てた   → へだてた
強い飯の  → こわ・い-めしの
行く方なき → ゆく‐かた・なき
途次    → と‐じ
 みちすがら。途中。
突のけ
彼れから以来
訪ふ事も  → おとなうことも
 意味:訪れることも。
免して   → めんして
        ゆるして
 本来は、「めん・ずる【免ずる】」だが”私が惡う御座りました免して免してと”ならば【御免】から(尊敬語の御)を取ったと読む方が良いと思う。しかし、”ゆる・して”と意を汲んで読んだ方が現代的か。
揺つて来る
悽まじき  → すさまじき(悽≒凄)
惶てゝ   → あわてて
 「きょう‐こう【恐惶】」から”かしこむ”様を意したものか。
赧らむ   → あからむ
何誰も
語 句   → よ み

穹     → そら、あめ
鵞     → がちょう若しくは雁
胡蘿葡   → にんじん
支く
手柑のがは
 蜜柑の皮?
退治た   → たいじた、たいじる
 意味:退治する。すっかり食べる。
大蓼    → おほだて
 蓼喰う虫も好きずきの蓼では?
知らず故ら
覗つた
巴丹杏   → はたんきょう
 スモモのこと
      → アメンドウ
        アメンドウス
 アーモンドのこと
秘さう
描かつた
偏したり
啖つて   → くらって
        だん・ず【啖ず】
        食う。くらう。はむ。
 本来は、他サ変なのでこれは誤用だが、「くらつて」を意図したと思う。
洒布に
濺いだ   → そそいだ
瀟洒な   → しょうしゃな
瞻り    → まば・り
 目を見張ってよく見る。
聘する   → へい・する
艱まされ
貽す
遶る

擾され   → わずらわされ
        若しくは、みだされ
手柑    → しゅかん
 みかん。仏手柑でぶしゅかん−かんきつ類
据う    → すう(すえる)
聳かし   → そびやか・し
 聳えるようにする。高く起し立てる。
茘枝    → れいし、ライチ
跣足    → すあし、はだし
        せん‐そく
軋つて   → きし‐つて
 物と物とがこすれ合って音をたてる。
冐しながら
咳き    → しわ‐ぶ・き
 せきをする。しわぶる。(合図の)せきばらいをする。
與かつた  → あずかった

オレンジの部分の読み

それとても行くとも皈るともなく
崕の上に瞰下ろして踏留まる
笑つたが、何を祕さう、唯今の雲行
私やお前のやうなおつと來いならば
折ふし硯々と呼び、書物よむとて有し
なまめかしからで惨ましのさまなり
蕭絛たる小さはしい雨だ
悉皆世上の事に疎しな、母もあの通り
新鮮で美味なること日本に若くはない
胸に迫り來て、あれ彼んな事を
離室とそれに隣つた湯殿とだけが
婀かしからで慘ましのさまなり
サテ、慓へてばかりゐても
喘息發作を冐しながら
大士、大卜、斯う書いてあります
秦王が趙王に瑟を鼓せしめ
この事実は肯かれる
鰡と黒鯛と、
寸た
たんぽぽの光りゆく草生に、
走り井
卒な
其者
中っぱら
殿上後宮の娘子軍のみ、
この膝を丁と叩いて

珍か
薄葉
を買つて貰つて
いまは不身持のため勘当せられて
蒙い
恋ほ
仮すに時日を以てせよ
僅かの田圃を距てた眞前に
正雄の膝を突のけつゝ椽の方へと
貴君には彼れから以來御目にかゝらぬ
正雄は日毎に訪ふ事もならで
私が惡う御座りました免して免してと
斷えず搖つて來るのに氣を配り
恐ろしきほど悽まじき事あり
お醫者樣ひどく惶てゝゐる
何誰も御承知でありませうが
オレンジの部分の読み

氣の弱い鵞の毛に擾され
杖を一つとんと支くと、
手柑のがは
晩もお總菜に鮭を退治た、
よしあしの大蓼、手前商ひまする
情を知らず故らに繪に描いたやうな
失脚を覗つたなら
笑つたが、何を祕さう、唯今の雲行
描かつた
孤立して、偏したり、僻んだり
流丸を啖つて
洗濯女の白い洒布に注ぎ
涙を濺いだことも
という貝は瀟洒な薄黄色の
あれ程艱まされ
後世に貽すといふ
其斷片を遶る不可見の大氣

氣の弱い鵞の毛に擾され
喘息發作を冐しながら
陰謀に與かつた人々
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2004年11月06日

 坂本竜馬と斎藤茂吉

坂本竜馬と斎藤茂吉

船中八策
坂本竜馬


一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
一、有材の公卿・諸侯|及《および》天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
一、外国の交際広く公議を採り、新《あらた》に至当の規約を立つべき事。
一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。
一、海軍宜しく拡張すべき事。
一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
 以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内《うだい》万国に徴するに、之を捨てて他に済時の急務あるべし。苟《いやしく》も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立するも亦敢て難《かた》しとせず。伏《ふし》て願《ねがは》くは公明正大の道理に基《もとづ》き、一大英断を以て天下と更始一新せん。


校正待ち作品 近日公開!
底本:「日本の思想20 幕末思想集」、筑摩書房
   1969(昭和44)年7月5日 初版第1刷発行
   1975(昭和50)年4月15日 初版第4刷発行

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湯殿山 七月二十二日
斎藤茂吉

あまつ日はやうやく低く疲れたるわが子勵まし湯殿へくだる
東谷ふかぶかとして続けれど く消えて殘る雪見ず
登山者は若者多くたちまちに我等追ひ越し見えなくなるも
御月光の険しき谿をくだるとて我も我が子も言たえて居り
うつせみは清くなりつつ神に守られてこの谿くだるいにしへも今も

峰かげに日は隠ろひて行きしころいまだ谷間(たにま)をくだりつつあり
梵字川とどろき落つるまぢかくを目覚めたるごとく下りて行きつ
ほのぐらきゆふまぐれどきわれ等四人(よたり)は神のみ前に近づきゆきつ
ちはやぶる神ゐたまひてみ湯の湧く湯殿の山を語ることなし
ながれ合ふ谿川いくつわたりつつゆふやみの中に入り行きにけり
谿間道いそぎいそぎぬ足もとをあひ警(いま)しめて闇(やみ)の谿中(たになか)


青空文庫未登録
底本:『斎藤茂吉全歌集』

aozora blog「三山參拜初途」斎藤茂吉
aozora blog「三山參拜初途」続 斎藤茂吉

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昭和5年7月21日、岩根澤についた茂吉ら一行は、雷雨のために一泊することになる。翌朝、霧の中を月山めがけて出立する。この節には「三山參拜初途」という題がついているが、これは長男茂太にとって三山初詣であるという意味。茂吉自身はというと、じつはこの2年前の夏にも三山を参拝しているし、明治29年、茂吉が15歳のときにも父親に連れられておとずれているという。

さらにいえば、ぼくの記憶が正しければ、茂吉がはじめて上京する直前に、学校の教師や同級生らと月山を詣でているし、後年、茂太あるいは次男杜夫の子らとともに親子三代で月山へおとずれたこともあるらしい。たびたび登っては名句を生んでいることになる。

おもえば“句”とは、ビジュアルの表現方法のひとつであり、とりわけ茂吉などはそのことに意識的であった。写実。ロング、ズームを巧みにとりまぜ、ハイスピードで、あるいは、流し撮りで。瞬時にピントをあわせトリミングを決定する。表現者茂吉は、高性能携帯カメラ MOKICHI である。歌集は写真集でありパブリッシュでありドキュメンタリーである。




2004.10.20
台風23号の影響で、航海訓練所・練習帆船「海王丸」富山港にて座礁。乗組員167名。うち負傷18名。
2004.10.28
財団法人日本動物愛護協会、新潟県中越地震動物救済仮本部設立。
2004.10.30
チェ・ジウ、新潟県中越地震被災者に1万ドルを寄付。翌一日、イラク・サマワの陸上自衛隊宿営地コンテナを砲弾が貫通。
2004.11.4
陸上自衛隊、第4次イラク復興支援群の編成命令。山形神町駐屯地から350名、福島・郡山両駐屯地から120名、総計約500名の見通し。同日、新潟県「被災動物の支援活動について」発表。海王丸、燃料油抜取作業継続。ヤード(帆桁)の撤去作業開始。

2004.11.6
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンクは自由です。

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2004年11月05日

 雨宿り

 犬を飼って4年半になる。散歩のコースや時間は大抵決まっているので、夕方の公園では毎日大概同じ顔ぶれに会う。犬の顔も人間の顔も。
 公園というのは、児童公園、ゲートボール場、野球など広範囲を使用するグランド場と、3つ隣接している。家からは小学校のグランドの放課後のざわめきを裏から一通り眺めて、坂を下って行く事になる。公園に着くまで15分はかかるだろうか。

 その日の空は、午前中文句なく秋晴れであった。しかし午後から確かに一部暗かった。その斑の暗い雲は、それぞれがまだ遠くにあるように思われ、4時頃でもまだ、洗濯物が家々の軒先にまだひらひらしていた。ゆえに私は、傘も持たずに犬のリードを持った。
 小学校のグランドでは子供達がサッカーをしていた。鉄棒をしている子供たちもいた。その中から一人の女の子が寄ってきた。「かわいい犬だね」と言ってしゃがんで犬を撫でた。単純な飼主である私は嬉しくなって、軽々とした足取りで坂道を歩いた。目の前に児童公園の赤い滑り台が見えたとき、ポツポツと雨が落ちた。そのポツポツで終わるだろうと思っていたら、公園に着いたころには、傘をもって来なかったことを後悔した。私と犬は屋根のある駐輪場に駆け込んだ。
 駐輪場には自転車に乗った小学生の男の子とやはり自転車に乗った青年が観念したように黙って立って雨を見ていた。隣の東屋の休憩場には半円に3人ずつ座る円形のベンチがある。そこはロシアの民話「てぶくろ」状態である。子供連れの親子、ゴムで飛ばす紙グライダが趣味の年配の男性が並んで座り、年配の女性3人が向い側に座り、6人が固まっていた。年配の女性3人というのは、紙グライダの飛ぶ状態をからかっては「かっかっかかか」とTVの水戸黄門顔負けの笑い声を出している、老婆4人組である。私が内心そう呼んでいる。今、一人足りない。いつも「かっかっかかか」は4人の笑いの微妙なズレが輪唱となっているのだ。輪唱はやはり規定通りの人間がいなくては穴があいたようでもの足りない。
 私の心配など知るよしもない人たちである。一人が、「こっち、こっち」と東屋の柵からゲートボール場へ身を乗り出し、手招きをしていた。手招きをしている彼女は、半身が濡れている。4人目の老婆が杖をあわただしく動かして雨の中必死にゲートボール場を横切っている。後の2人も後ろを向き、彼女を見ていた。
 彼女が東屋に入ったとき、座っていた3人のうち一人が向い側に行って彼女の空間を作った。そしたら端にいた小学生低学年くらいの子供がはみ出て立ち上がった。そのときだった。天が大きな雷を鳴らして、もう一段ギアチェンジをしたかと思うと激しい雨が駐輪場の屋根を叩いた。東南アジアのスコールはこういうのをいうのだろうと思う。その音で彼らの会話はかき消されてしまうのだが、途切れ途切れに聞えてくるのは、「嫁が」どうとかしたとか・・とか「じいちゃんが」どうとかしたとか・・昔こんな大雨にあったときどうこうしたという経験談で盛り上がっていた。グライダの男性は黙って聞いていた。
 老婆4人組の話は土砂降りだろうが決まったコースを経なければ次の話に進むということをしないようだった。やっと洗濯物を出してきたという「今」の話になった。
「こんな酷い雨になったねえ。早く止んで欲しいね」と一人が言うと、
「洗濯物を出してきた。嫁がまだ帰ってきていないし」と一人が答えた。
「まあ仕方がない・・また洗うかね 。かっかっかかか・・・」と一人が笑った。
「そうだ、仕方がない。かっかっかかか・・・」と最後の一人が言うとグライダの男性がこう答えた。
「あんたたちのパワーで雨も上る。わははは・・」
「わははは」に負けてはいられないと、「かっかっかかか」の輪唱が雨の中に流れた。
端にいた老婆が立っていた子供を自分に引き寄せて、吹き込む雨から守ろうとした。
「ぼうや、濡れる、もっとばあちゃんの方へ寄って」と彼女は言った。男の子は素直に彼女にぴったりと寄り添った。
「すいません」と向かい座っている子供の母親はもう一人の乳飲み子を抱いて礼を言った。
 グライダの男性の言葉通りかどうか、雨は静かになったかと思うと、すぐに止んだ。陽が差してきた。私は、犬を連れて駐輪場を出た。犬は輝きを取り戻した芝生の臭いを嗅ぎ、児童公園の方へリードを引っ張った。
 児童公園からグランドへ周って行くと、いつもの西側のベンチにいつもの4人が、ナイロンを引いて薄い座布団を引いて座っていた。どうやら彼女達の手押し車の中には、何でも用意されているらしい。ポテトチップスらしきお菓子を片手に、老婆たちは、「かっかっかかか」と輪唱した。彼女達にどれだけ笑われようと、グライダは湿り気の残った空気を切って重そうに飛ぶ。風を捕まえることができなかったのか、情けなく低空飛行し錐もみ状態になりながら落下してしまった。長年勤めた会社を退職してからグライダを飛ばす事にのめり込んだという男性は、慌てて取りに走る。その慌てた格好がよほど面白かった見えて、老婆達は手を叩いて笑う。男性も恥かしそうに白髪頭を掻いたり、躓いてみせたりしておどけた。
 グランドの中央に立った男性は、暫くじっと立っていた。何かを感じているようだった。そして意を決したようにグライダにゴムを掛けた。男性の手から再びグライダが離れた。今度はしっかりと風を捕まえたようだった。老婆達から輪唱は起こらなかった。私も犬のリードを引いて立ち止まってグライダの行き先をみつめた。
 グライダの向うには虹がでていた。

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2004年11月02日

 04: 青空文庫の工作員が参考にすべき文書には、どんなものがあるのでしょうか?

答え:基本的には、「工作員を志願される皆さんへ」と「青空文庫工作員マニュアル」から、必要な文書がリンクされています。ただ、リンクが深くなっている文書などは、探しにくいかもしれません。
作業に関連する文書をピックアップしてみましたので、参考にしてください。

まず、入り口はここから。申し込みのしかたも、この文書の中に書かれています。

 工作員を志願される皆さんへ
 http://www.aozora.gr.jp/guide/kousakuin.html

ここからリンクされている2つの文書に目を通して、公開後のファイルの扱いを確認します。

 青空文庫収録ファイルの取り扱い規準
 http://www.aozora.gr.jp/guide/kijyunn.html

 青空文庫へのリンク規準
 http://www.aozora.gr.jp/guide/linkkijyunn.html

次に、どんな作業をするのか、実作業用のマニュアルで確かめてみましょう。

 青空文庫工作員マニュアル
 http://www.aozora.gr.jp/KOSAKU/MANU_IND.html

青空文庫で公開されているファイルの構造も、確認しておいてください。ファイルの冒頭と末尾には、青空文庫独特の情報が記載されています。

 【テキスト中に現れる記号について】
 http://www.aozora.gr.jp/KOSAKU/txt_chu_kigo.html

 青空文庫収録ファイルへの記載事項
 http://www.aozora.gr.jp/guide/kisai.html

ファイルの扱いと作業のしかたに納得し、参加の意思がかたまったら、いよいよ、作業の申し込みです。
「工作員を志願される皆さんへ」をもういちど参照し、示された手順で、申し込みをしてください。
初参加のときには、「同意します」のメールをお忘れなく。メールをいただかないと、申し込みの受付ができません。

申し込む前に、「作業着手連絡システム」で記入する際の約束ごとを確認しておきましょう。
著者データおよび作品データについては次の文書を参考に、底本データについては「青空文庫収録ファイルへの記載事項」にならって記入します。

 青空文庫における書誌データのとりかた
 http://aozora.gr.jp/metadata_collection/index.html

 青空文庫における「読み」の表記の規準
 http://aozora.gr.jp/metadata_collection/phonetic_notation.html

作業中の疑問点は、まずはマニュアルを参照して、調べてみましょう。
次の文書も、参考になるかもしれません。

 入力ファイルを「テキスト版」に仕上げるために
 http://attic.neophilia.co.jp/aozora/task/textfile_checklist/

 テキスト版の注記をどう書くか
 http://attic.neophilia.co.jp/aozora/task/annotation/

同じ疑問をもった人が、以前に質問しているかもしれません。
情報共有掲示板も、チェックしてみましょう。

 こもれび
 http://hpcgi1.nifty.com/hongming/komorebi/wforum.cgi

旧字旧仮名の底本を現代表記にあらためて入力する場合は、一定のルールがあります。
該当する作品の入力、校正にあたっては、ルールを十分に確認しておいてください。

 旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針
 http://www.aozora.gr.jp/KOSAKU/genndaihyouki.html

はじめての作業の際には、とまどうことも多いものです。
判断のつかない疑問点が発生したら、reception@aoozra.gr.jp宛に、お問い合わせください。

★この文章を書いた人→LUNA CAT★こんな時間に→07:37コメント (1)トラックバック

2004年11月01日

 水牛だより11月1日

10月30日、カラワンの東京でのコンサートに行きました。caravanをタイ語で読むとカラワンなのです。その名のとおりに終わりのない旅を続けて、バンドはことし結成30周年を迎えました。それを記念して、今ではあまりいっしょに演奏することのないオリジナルメンバー4人そろっての来日です。
最初はモンコンの「ピンのうた」でした。ピンはいつもモンコンが弾いている東北タイの三弦の楽器で、彼の娘の名前でもあります。「人生はピンを奏でるようなもの/音色にあわせ弦にあわせて流れていく/この心 この手で 奏でていく/暮らしは音楽とともにある/ピンの音は誠実と平等を伝えるもの……」(作詞ウィサー・カンタップ)

以前紹介したモンコンのCDブックによれば、「『ピンの歌』はリクエストが一番多い歌だ。あちこちのコンサートで「聴いていると元気が出る」とか「歌い手の人生が伝わってくる」とか言われる。歌い手、つまりぼく、は、ピンを弾きながらうたっている。聴いている人ひとりひとりの人生を重ね合わせて意味を感じているんだね。ぼくにとっても『ピンの歌』はメロディはシンプルで美しいし、歌詞がまた人と楽器が共に生きて、社会に正義を求める運動を共有していくという、つまりカラワンのピンの弾き手モンコン・ウトックとピンのはなしなのさ。」
トングランは大きな体に似合わないやさしい声で遺伝子組替に反対する歌をうたいます。微妙にくるっているようなチューニングもそれぞれの歌をひきたてているようで、つくづく魅力というのは不思議なものだと思ったのでした。水牛楽団のバンドマスターだったひとは幸せそうに聞き入って、水牛楽団も続けていればよかったな、などとつぶやいたりする、なにやら特別な夜でした。これからのスケジュールは豊田勇造さんのサイトをどうぞ。近くにお住まいなら、ぜひ聞きにいってください。

「水牛のように」を2004年11月号に更新しました。
自分が読んでみたいと思うひとに書いてくださいとお願いしているうちに、にぎやかになってきました。最初の読者としては、統一感がまったくないところもなかなかいいものだと思います。初登場の石田秀実さんは東洋思想の研究者で作曲家でもあります。最近の著書は『気のコスモロジー 内部観測する身体』(岩波書店)。CDは「神聖な杜の湿り気を運ぶもの 石田秀実作品集」(ALCD-60)。すてきなタイトルです。

水牛の新作CD「まぎれ野へ 木村迪夫自作詩朗読」も引き続きよろしくお願いします。木村さんには詩集以外にも『百姓がまん記』(新宿書房)などの著作があります。そのうち木村さんを招いて朗読会をやろうと計画中です。

11月はピアノをきいてみませんか。コンサートをふたつお知らせします。
●江村夏樹ピアノ独奏2004『ピアニスト』
11月13日(土)7時30分開演
渋谷 公園通りクラシックス tel 03-3464-2701
バルトーク:組曲 作品14/江村夏樹:ファンファーレ集/ヴィラロボス:白いインディアンの踊り/甲斐説宗:ピアノのための音楽/米倉香織:委嘱作品(ピアノと場内音声のための)/ヒンデミット:ピアノ連弾のためのソナタ/ムソルグスキー:展覧会の絵
客演 大須賀かおり(ピアノ)
チケットは太鼓堂、あるいはティコ・ディコで。
●高橋悠治/ゴルトベルク変奏曲
11月22日(月)7時開演
浜離宮朝日ホール tel 03-5541-8710
J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971/J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988
東京以外の公演も予定されています。全公演のお問合せはクリスタル・アーツ03-5210-9071へ。

★この文章を書いた人→八巻美恵★こんな時間に→00:06コメント (0)トラックバック