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駅前の繁華街近くに、大手生命保険会社が数社入っている10階建てのビルがある。その地階に300人ほど収容のホールがある。300の席、半分ほど埋った状態で、「秋・朗読の夕べ」は行われた。「秋・朗読の夕べ」というのは、知人が主宰する朗読教室の一年に一回の発表会である。唯一男性である60代の知人は、40代から70代までの女性だけの生徒さん、12人の中央で恥かしそうにステージに立っていた。
去年もこの会場で発表会はあった。樋口一葉の「うらむらさき」を小柄の痩せた和服姿の婦人が、緩急をつけ、緩急に思いを込めて、明治の女性の悲哀を代弁されたのには感動した。余韻を引きずって会場を後にした私は、先生である知人を捕まえてその由を述べた。知人は、私の話に肯きながら「一葉よりあんたは、書いているかね?」と言った。それまで会う度に、電話で話す機会がある度に、そして年賀状の最後の行に、彼は私に「書いているか?」と問い掛け続けてくれた。事情があって書くことと離れていた私は、数年来首を横に振り続けていた。
それでも今年は、少しずつだけど書いているのですよ。と、agさんにaozora blogに声をかけていただいいることを彼に伝えたかった。私が書いているのなら、読むからと言ってくれることはわかっていたが、PCなど無縁の人である。さてどうしたものかと。どうしたものかを抱えつつ、「私はaozora blogというところで書いています。」と暑中見舞いに書き添えた。
暑中見舞いから残暑見舞いを受け取る頃に、電話があり、「どうしたら作品が読めますか?」と彼は切り出した。切り出された私は、目の前の動かないプリンターを見ながら「印刷して送ります」とお調子者となって言ってしまった。私は書いて居るということを伝えたかった。「送ってくださいね」と言って電話は切れるまでには時間はかからなかった。私は、すかさず再び受話器を持って、別の友達に早口で言った。「プリンター貸して!」
この一年、aozora blogで書いてものを「四季」「闇」「人」と三つに分けた中に無理やり押し込んで、それぞれに数篇ずつ印刷して送った。
受け取った彼から、折り返し電話があり、世に数多本がでているが、読むことに向いている文章と不向きの文章がある。だからどうなるかわからないが、今年の発表会で採用させてもらうかも知れないと言ってきた。文章を朗読したものを聞く、または拙作を朗読されるということが始めてではないので、彼の言いたい事は十分わかっている。朗読に向いている文章が必ずしも内容があるとは限らないし、朗読に向いていないから内容がお粗末ということではない。耳障りのよい言葉で紡いだ文章というものがあるのだ。向田邦子さんの文章などは、内容も言葉も両方そろった代表と考えていい。放送作家だけあって、朗読者の人にも読み易いという。
また語り手の解釈仕方によって、文章の印象ががらりと変わることも経験済みだった。耳から入る自分の言葉の粗が目立ち、自己嫌悪に陥ることも経験済みだった。
残暑見舞いが過ぎ、「秋・朗読の夕べ」の招待葉書が来た。葉書の下の方に「闇夜をTさんが読みますから」と書いてあった。もちろん私は、彼の生徒さんをステージからみるだけで、Tさんはどの方なのか知らない。
そのTさんがステージに立った。50代初めだろうか、白地に茶色の花模様のブラウスに、膝下丈の茶色のスカートをはいてステージの真ん中に立った。
読んだのは「五月の闇夜」
真上の照明と斜め上からの照明、そして足元の照明、それらが、スカートの太いバイアス模様で交差した。交差を解くようにして、Tさんはマイクに近づいた。Tさんの声はかすかに震えていた。声が上ずりそうになるのを押さえるように本に目をやり、緊張で手許が震えるのを押さえるようにまっすぐ前を向いて続けた。私はTさんと同じ位心臓がドキドキしていた。ドキドキするだけではない、朗読するTさんに考えもつかないようなことが私を襲うのだ。私には、文章の粗、全てが私に返ってくる。あそこが変だ。前の表現と後の表現は合っていない・・など朗読になったら必ずやってくる自己嫌悪の中で話が流れていくのを聞いている。
終りの方へ話が流れていくに従ってTさんの声がかすかに湿っていった。私の文章に湿り気を彼女は感じたのだった。それを聞いていると、小学4年生当時の私は、もっと正直に母の前で泣いてもよかったのかもしれないという思いが浮んでは消えた。
Tさんが読み終えて拍手をもらったとき、Tさんはほっとした顔をした。私もほっとした。「五月の闇夜」を書くのに、どのくらい時間がかかっただろう。憶えていなかった。書くことにどれだけ時間がかかろうが、目で読めば3分もかからない。3分もかからないものを彼女は12分かけて読んだ。私は12分かけて聞いた。差し引き9分には、朗読してもらえる幸せが詰まっている。
芥川の「蜜柑」から坪田穣治の「きつねとぶどう」の童話まで新旧取り入れた作品11編をそれぞれの方々が思いおもいに読み終えた。予定より20分ほど早く朗読会は終了した。通路にいた先生である知人に言った。「Tさんに何も言わずに帰ります。その方がいいでしょう。書いた人はどんな人かと思っていらして。」
建物を出ようとしたとき、数年ぶりに会ったという人が私の肩を叩いて言った。「『闇夜』、良かったわね。咳払い一つ無かったわね。会場がピーンと張り詰めるってあの状態をいうのよね」彼女もまたPCに縁がなかった。私が作者であることを知らない。私は彼女の言葉に黙って肯いた。作者より語り手の真摯な気持ちが伝わってきたのねと言おうとしたが、今日は朗読会なのだから作者は一切黙っているべきなのだ。
ジャンパーの襟を立てた人とぶつかった。秋の夜の繁華街、誰も私の幸せなど知るよしもなかった。そう思うと思わず笑ってしまった。
★この文章を書いた人→ten★こんな時間に→2004年10月17日 19:37 ★トラックバック
家に風呂があるのに銭湯へいく変わり者です。
きっと子供の頃銭湯へ通った性で小さな湯船が寒々と感じるのだろうな。
父はトラック野郎で休みも無く夜明けには家を出て私達が寝てから帰ることが多かった。だから銭湯も母と姉妹の4人連れで歩いた。貧しい生活だったけれど楽しかった。ただひとつ哀しい記憶は、銭湯の帰り吹雪になってバスを待っていた。やっとバスが来たときは髪が凍っていた。その頃バスは幼児は無料だったが、そのバスは有料だった。たった5円だった。でも・・あの時の母とバスガイドのお姉さんの顔は忘れられない。たった1円でも大切なんだとたった1円でも哀しいことが起きるとバスの中で温まりながら考えていた。
Posted by: M at 2004年10月18日 00:49そうそう、Mさん、
知人に渡した原稿の中にもちろん「子供が死ぬこと」Mさんへのお便りも渡したのですよ。PCすら触れたこともない人へblogの説明という難題を私にはできません。PCは知らなくても、知人は文章だけで判断しますから。
「Mさんへの手紙ですか、これもいいが、前後の関係が必要だからなあ・・」と言っておりました。
12話ほどを送ったのです。どんな基準で選んだのかはわかりません。長さ、読みやすさなど、朗読する人だけがわかるものなのでしょうね。
私は、このaozora blogを1冊の月刊誌のようなものだと考えています。毎月発行する青空文庫の月刊誌です。月刊誌というのは、メインの記事を目当てに本を買うのですが、載っている短いエッセイを読んで考えさせられたり、ほっとしたりメインの記事から一時だけ離れることができます。blogは、PC上ですから、夜中に読む人が多いと思うのです。仕事から帰ってきてからということですね。そういう人たちが私の書くものでほんの一時ホッとできればいいなあと思っています。私の書くものが、一杯の紅茶となればいいなあと思ってaozorablogと向き合っています。
Posted by: ten at 2004年10月19日 13:35はい、tenさんの文には読み手を構えさせたりする所がないので好きです。肩肘張ったりカッコつけたりすると疲れてしまう。そんな時も必要だけれど、一杯の紅茶を味わう時間も必要と感じています。一杯の紅茶の味さえ気にせずに流し込む生活は哀しい・・・。
朗読は難しい面があります。聞き手は初見で事柄と感情と背景や人間性を聞き取ることになるから。そして、音自体にリズムや色合いがあるものだから。
tenさんの言葉には、人を引き付けるものがあります。だから私もREを付けたくなる。逆に、Reするのを拒否されている様な文を書く人も居るし、実際に他人が口を挟むな!という人もいる。それぞれ尊重したいと思っていますが、自分は人と人の繋がりが大切なことと思えるので時々しゃしゃり出てしまう性格です。
不特定多数の人が読むblogですから、拙い文を記するのは恥ずかしいのですが、素敵な文や人柄には敬意を表するべきと思います。そして素敵な事がもっともっと沢山になることを願っています。
Posted by: M at 2004年10月20日 00:05Mさん
ありがとうございます。
Posted by: ten at 2004年10月20日 13:01大人の女性ですね。
お礼の気持ちを素直にさらりと言える女性は大人だなあと感じます。
大人になるということは難しいですね。自分らしくあろうとする疲れますね。でも後悔したくないから、やせ我慢でも不器用でも真っ直ぐに生きたいと思っています。
子狐の手袋のように温もりのある人間でいたいですね。
Posted by: M at 2004年10月23日 00:20