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先日、現役大学生のA君とひとつのフルーツパフェを分けて食べるという貴重で胸がキューンとなるような素敵な経験をした。
普通フルーツパフェというと三角錘のガラスの器にぎっしりフレークやカステラなどを土台に、色とりどりのアイスクリームと生クリームが「層」を作っていて、フルーツが元気よく立って器の淵を彩っているというものだろう。それの大型バージョンも喫茶店やパーラーのショーウインドウでみるようになった。高さは何センチあるのだろうか、二人の間においたらお互い顔が見えなくなってしまうほどの大きなパフェである。あれは二人でしんみりと食べるというものではない。三人以上でワイワイ騒ぎながら食べるものなのだろうと思う。
私たちが入った店にはそういった派手なパフェはなかった。向かい合って座る私たちは、お互いの目と目を見つめあうより、お互い、メニューのフルーツパフェの写真を見つめあっていた。写真のフルーツパフェは、ガラスの器ではない、陶器である。日本風の器だった。ちょっと大きめなので、一人で食べるには、ちょっと量が多すぎるが二人でなら食べられるかもしれない。選んでも店員さんが通りかかってくれるまで、お互い静かに文学について論じ合っていた。日本の近代文学ではロシア文学の役割が大きいという話を中断して、A君は店員さんに注文をした。店員は、A君と私の顔をちらりと見てから伝票に書き込んだ。
「少しお待ちください」と男性店員は確かに言ったのだ。
「少し」というのはどのくらいをさすのだろう。私たちは、明治の文学の話をしてから大正時代の文学へ進んだが、パフェはこない。私の、瞬時に立てたにわか予定ではパフェを食べながら大正デモクラシと文学のことを話すことになっていたのだが。
「遅いね」と私が言うとA君は頷いた。「きっと今頃クリームをホイップしているのよ」と言ってもA君は頷いた。そこで頷いてもらっては困る、今頃ホイップしているようではいつになったら運ばれるのやら・・と思ったが、A君が頷いてくれなかったら誰が頷いてくれる。周りを見回してもパフェを頼んだのは私たちだけのようであった。
文学の話に戻る。大正時代を過ぎ、芥川龍之介がこの世を去った。まだパフェはこない。こないパフェの写真を見つめる。平成の文学の話になってもこのパフェはこないのではないのだろうかとちらりと思ったとき、別の店員さんが通りかかったので、
「すいません。パフェを頼んだのですが」と私は言った。
「はい、もう少しお待ちください」とまた「少し」が付いていた。
今回の「少し」は先の「少し」をカバーした。昭和初期の文学の話をしているとパフェは運ばれてきた。写真通りである。気をきかせてくれたのか、それともそういうことになっていたのか、アイスクリーム用の四角のスプーンが二つついていた。フルーツパフェを人と分けて食べる、それも男性と食べるのは初めてである。
ウキウキしながら、そのパフェを真上から見た。全体が灰色で紺色の葉の模様がついている陶器の器は、広口で深かった。こじんまりとした和風の煮物が似合う入れ物だった。つまり入れ物の中には空間があり、目でも楽しむ純日本風の器である。そういう純和風の器に、ぎっしりと洋風のクリームと果物が詰まっている。ホイップクリームの幾重にも並んだ波間に半球のアイスクリーム二つが浮んでいる。そのアイスクリームの周りを黄桃やりんごのフルーツが元気よく立って器を彩っていた。中がどんな「層」になっているのかわからない。それは好奇心がわく。ガラスのパフェにはない好奇心だ。A君の目が離れないし、私の目も離れない。もちろんパフェからである。
「わあ・・おいしそう!」と常套句を言ってスプーンを持ったまではよかったが、はたと私の手は器の上で止った。アイスクリームが二つという事は、もちろん一つずつだということだ。そのアイスクリームとアイスクリームの間にスプーンで線を引いて、そっちはA君の陣地、こっちは私の陣地と陣地取りをすべきなのだろうか・・それが「分けて食べる」ということなのだろうか・・どうもそれは味気ない。映画にでてくるようなシチュエーションだったら線など引かないのだろうと、私は勝手に想像した。パフェ一つで百年の恋も醒めそうである。そうかといって、私はどこまで食べていいのかわからない。わからないが、アイスクリームを攻略しなければ先を食べられないのだから、まずアイスクリームにスプーンを入れようと一口食べた。A君も一口食べた。お互いの笑みがパフェの上で交差した。
さて、次はどういったペースでスプーンを動かしたらいいのだろうか、あまり頻繁にスプーンを動かす事も憚られた。私はA君の手許をじっとみた。ゆっくりと自然に動いている。
抵抗というか戸惑いというかじれったいような感情と今まで味わった事の無いちょっと甘い感激とがパフェのごとく私の中で「層」を作った。その「層」を「層」でなくしたいがために、全体をスプーンでかき混ぜたい気持ちになった。全体をかき混ぜることはちょっとA君に嫌われそうなので、手前半分、自分の陣地だけスプーンを縦にしてかき混ぜた。下からフレークがでてきた、プリンもでてきた。
「ほら、見て、プリンがでてきたわ」と言うとA君は「うん」とだけ答えた。「かき混ぜる」ことをしたかったと同時に、下層が何でできているかを彼より先に暴いて見せたかったのだ。彼のゆっくりと自然な動作のリズムを壊してみたかったのだ。私の幼稚な行為に、年下の彼は、小さな優しい目を細めてアイスクリームを食べた。そのとき、私の脳裏に、手品師がタネを暴露しようとする客に「夢を奪わないで下さい」と言ったという話が浮んだ。A君に悪いことをしたと思った。きっと彼は彼のペースと方法で下の層へスプーンをすすませていき、自分で何があるのかを楽しみたかったのだろうと思う。一度も器の中でお互いのスプーンが触れ合うというタイミングの良さがなかった。私は彼に合わせてあげることが出来なかったのだ。少し心がひりっとした。
そのお詫びに一個しかないチェリーはA君に譲ることにした。「チェリーも半分する?」と言えばよかったか・・・
結局、文学の話は昭和時代に留まり、平成までいかなかった。次回、A君とパフェを食べることがあれば、昭和時代の文学の話からしようと思う。
どうもこんにちは、大久保ゆうです。電子テクスト研究会なんてやってます。
先日、富田さんが「「著作権法改正要望事項」に対する意見募集」で紹介なさっていた、パブリックコメントの件。もう明日が〆切当日ですが、いろいろあって最後に出来上がったものを、ここにパブリッシュしておきます。
もし著作権法の保護期間が延長されなくて、今まで通り青空文庫の活動が続けられるようであれば、新しく著作権切れになる作品を探すための参考にしてみて下さい。あ、あとこの表に出てくる「フランケンシュタイン」はもう手に入れました。みなさん、公開される日を楽しみにしててください!
文化庁長官官房著作権課法規係御中
1.(私の本名が書いてます)
2.(私の住所電話番号が書いてます)
3.(106)および(107)について
私は、京都大学で著作権の失効した文芸作品や学術文献を電子的なテキストファイルにし、アーカイヴ化する活動をしている者です。その立場から、少しでも検討の参考になればと思い、資料をまとめて提出します。
「5.保護期間」の資料2-2を見る限り、(106)特に著作権法第51条第2項について、著作権保護機関の20年延長の要望を出しているのは、主に音楽に関係する諸団体と見受けられます。主張内容は、単に欧米追従型であり、根拠に乏しいという感は否めませんが、経済戦略の観点からは、必ずしもうなずけないものではないと思っております。
しかし、いささか気になるのは、主張内容いかんというよりも、この(106)(107)に関して要望を出す団体としての、妥当性です。その音楽関連諸団体は、果たしてどこまで、実際の経済的あるいは文化的な利害に左右される位置にあるのでしょうか。たとえ、この団体に現在、著作者であり創作者である人々がかかわっているとしても、保護期間の延長によって経済的な利害をこうむるのは、その人々が死んだあとの話で、あくまでも遠い将来の話です。もちろん、未来の利害を考えることも重要ですが、保護延長するかしないかによって、より切迫した形で、あるいはより実際的な形で、利害をこうむる人々(資産)がいる(ある)ことを考えると、別の観点からも考慮しなければならないのではないか、と思います。
そのより切迫した当事者(物)として考えるべきは、諸団体ではなく、実際にこの数年あるいは十数年のうちに、著作権が失効することになっている著作物およびその著作権継承者ではないでしょうか。今回準備されている著作権法改正によって、たとえば著作物にとっては、もう20年保護されるのか又は公共に資されるのか、一方、著作権継承者にとっては、継続的に利益を得られるのか又は得られないのか、ということが、近しい現実として迫っていることは明白です。
このことより、著作権失効のボーダーライン近くにある著作物が、現在どれだけの商品価値を持っていて市場に流通しているのか、どれだけが市場あるいは公共に流通せず、有効に活用されないままであるのか、ということを調査することは、たいへん有意義なことであると思います。
当研究会では、インターネット図書館「青空文庫」に参加して、絶版文献を中心にアーカイヴ化を進めていますが、その活動には当該著作物の著作権を調べることが必須であります。そして今回は、その過程で調べられた、著作権失効ボーダーライン上の著作物と、その流通状況を、必ずしも厳密な調査に基づくものではありませんが、参考として提出したく思います。
【凡例】
☆著作者名 没年(西暦) 著作分野
「書籍名」発行所、発行年、定価(円)
書店入手の可不可、京都府立図書館所蔵有無、大津市立図書館所蔵有無
・著作者の抽出は、『著作権台帳・第23版』(社)日本著作権協議会監修,1995.10、日本近代文学館編『日本近代文学大事典』講談社,1992.2.28、『増補改訂・新潮日本文学辞典』新潮社,1988.1.20、または国会図書館のデータベースなどによりました。
・没年は、来年1月1日に著作権の失効する1954年より、2007年に失効する1956年までの著作者を対象としました。
・書籍名のに抽出は、国会図書館のデータベースより新しいものから3つ、それ以外に代表作がある場合、文庫化されている場合などは、別に加えました。また新しい書籍の多い、あるいは全集の存在する著作者はこの限りではありません。
・書店入手に関しては、AMAZON.CO.JP、bk1、紀伊国屋書店、丸善、旭屋書店の在庫検索を行いました。
・京都府立図書館は、都市型の大図書館の例として、大津市立図書館は地方型の中図書館の例として、当研究会の近隣にあることから選んだものであり、現在どれだけ公共的に使用することができるかを参考に供するものです。
・古書店での販売状況に関しては、一品物が多いことから、公共利用とは遠いところにあると考え、今回の資料には掲載しませんでした。
【本資料】
☆香取秀真 1954 詩歌・彫刻
「日本金工史」藤森書店、1982、6000
店:不可、京図:なし、大図:なし
「金工史談」国書刊行会、1976、29600
店:1社在庫・3社取寄扱、京図:別本あり、大図:なし
「鋳物日記/明治文学全集57」筑摩書房、1975、3200
店:不可、京図:あり、大図:なし
「香取秀真全歌集」中央公論社、1956、
店:不可、京図:なし、大図:なし
☆岸田国士 1954 戯曲・翻訳
「にんじん(ルナール作)」河出書房新社、1995、800(および岩波文庫、1976、588)
店:あり、京図:あり、大図:あり
「岸田国士全集」岩波書店、1989-1992、1冊4400
店:2社一部可・1社取寄扱、京図:あり、大図:なし
☆赤川武助 1954 少年小説
「僕の戦場日記/少年小説大系第10巻」三一書房、1990、7004
店:2社取寄扱、京図:あり、大図:あり
「源吾旅日記」国書刊行会、1985、2700
店:絶版、京図:なし、大図:なし
「少年密林王」光文社、1955、不明
店:不可、京図:なし、大図:なし
☆岡田三郎 1954 文学
「岡田三郎三篇」EDI、2002、2500
店:2社取寄扱、京図:なし、大図:なし
「編年体大正文学全集(うち2編所収)」ゆまに書房、2001、
店:2社在庫・3社取寄扱、京図:あり、大図:あり
「物質の弾道」ゆまに書房、2000、7140
店:1社取寄扱、京図:なし、大図:なし
☆幸田成友 1954 日本史
「江戸と大阪」冨山房、1995、1400
店:5社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「書誌学の話」青裳堂書店、1979、6800
店:不可、京図:あり、大図:なし
「大塩平八郎」中央公論社(文庫)、1977、280
店:不可、京図:別本あり、大図:なし
「幸田成友著作集」中央公論社、1971-1974、3600
店:不可、京図:なし、大図:あり
☆前田普羅 1954 詩歌
「渓谷を出づる人の言葉」能登印刷出版部、1994、2900
店:3社取寄扱、京図:なし、大図:なし
「雪山」ふらんす堂、1992、1260
店:3社在庫・1社取寄扱、京図:なし、大図:なし
「現代俳句大系(1,6,8巻に所収)」角川書店、1981、2400
店:不可、京図:なし、大図:あり
☆寒川鼠骨 1954 詩歌
「子規庵要記」六法出版社、2002、1890
店:1社絶版扱・1社取寄扱、京図:なし、大図:なし
「正岡子規の世界」六法出版社、2000、3675
店:3社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「明治文学全集57」筑摩書房、1975、3200
店:不可、京図:なし、大図:あり
☆宍戸儀一 1954 翻訳
「フランケンシュタイン(シェリー作)」日本出版協同、1953、不明
店:不可、京図:なし、大図:なし
「象徴主義の文学(シモンズ作)」白水社、1937、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
「ピーター・パン(バリ作)」小山書店、1936、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
☆竹友藻風 1954 詩歌・翻訳
「世界童話大系(4,17巻担当)」名著普及会、1989、10500&21000
店:3社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「竹友藻風選集」南雲堂、1982、26250
店:2社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「天路歴程」岩波文庫、1991復刊、581
店:不可、京図:あり、大図:なし
(その他戦前にルバイヤット、神曲の翻訳あるもいずれも京図のみ)
☆吉沢義則 1954 国文学
「源語釈泉」&「源氏随攷」クレス出版、1997、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
「源氏物語」国書刊行会・筑摩書房・平凡社、1971,1965,1952
店:不可、京図:あり、大図:なし
(戦後、その国文学研究書の多くが復刊されているが、いずれも京図のみ)
☆相馬愛蔵 1954 商売論
「相馬愛蔵・黒光著作集」郷土出版社、1996、1732
店:2社在庫・3社取寄扱、京図:底本あり、大図:あり
☆太田水穂 1955 詩歌
「太田水穂全集(復刊)」本の友社、1999、144900(set)
店:2社取寄扱、京図:原本あり、大図:なし
「太田水穂全歌集」短歌新聞社、1984、7000
店:不可、京図:あり、大図:なし
「日本の詩歌7」中央公論社、1979&2003(オンデマンド版)、1470&5565
店:オンデマンド、京図:あり、大図:あり
☆登張竹風 1955 評論・随筆
「明治文学全集40」筑摩書房、1967、3990
店:不可、京図:なし、大図:あり
「ツァラトゥストラー」羽田書店、1950、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
「大独日辞典」大倉書店、1933、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
(多数あるはずの評論・随筆は戦後、筑摩刊をのぞいて一度もまとめられていない)
☆坂口安吾 1955 文学
「坂口安吾全集」筑摩書房、1998-2000、10395
店:可、京図:あり、大図:なし
(その他、現在でも多くの本が刊行され、入手可である)
☆下村湖人 1955 文学・中国古典
「論語物語」各社
店:可、京図:あり、大図:あり
「次郎物語」各社
店:可、京図:あり、大図:あり
「下村湖人全集」国土社&池田書店、1975-1976&1965、不明
店:不可、京図:あり(池田版)、大図:なし
☆恩地孝四郎 1955 詩歌・版画
「抽象の表情」&「装本の使命」阿部出版、1992、7136&6627
店:5社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「恩地孝四郎詩集」六興出版、1977、2500
店:不可、京図:あり、大図:なし
(画集は含めず)
☆豊島与志雄 1955 文学・翻訳
「レ・ミゼラブル」岩波文庫、1995、840
店:可、京図:あり、大図:あり
「千一夜物語」岩波文庫、1988、735
店:可、京図:あり、大図:あり
「ジャン・クリストフ」岩波文庫、1986、798
店:可、京図:あり、大図:あり
「豊島与志雄童話作品集」銀貨社、1999-2000、1500
店:1社在庫・4社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「豊島与志雄著作集」未来社、1965-1967、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
☆眞杉静枝 1955 文学
「戦後の出発と女性文学(2,3,5,7,8,9,14巻に作品所収)」ゆまに書房、2003、11000
店:5社取寄扱、京図:なし、大図:なし
「〈戦時下〉の女性文学(4,12,14巻に作品所収)」ゆまに書房、2002、11000
店:5社取寄扱、京図:なし、大図:なし
「近代女性作家精選集(17,18,44に作品所収)」ゆまに書房、1999-2000、10000
店:5社取寄扱、京図:あり、大図:なし
☆宮武外骨 1955 評論・雑筆
「明治奇聞」&「卑猥風俗辞典」&「面白半分」&「滑稽漫画館」河出文庫、1995-1997、600前後
店:2社在庫・3社取寄扱、京図:あり、大図:あり
「宮武外骨此中にあり」ゆまに書房、1995、225293
店:5社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「宮武外骨著作集」河出書房新社、1994、1冊20000
店:1社取寄扱、京図:なし、大図:あり
☆南川潤 1955 文学
「群馬文学全集第16巻(1編のみ所収)」群馬県立土屋文明記念文学館、2000、
店:不可、京図:あり、大図:なし
(1956年以後、本の復刊はなく、その作品の多くが入手困難。京図に3冊のみ。国会図書館データによると、彼の著作の入った本は、1956年以前には37冊刊行されている。)
☆百田宗治 1955 詩歌・児童文学
「日本の詩歌13」中央公論社、1979&2003、1470&5565
店:オンデマンド、京図:なし、大図:あり
「にれの町」金の星社、1985、1365
店:2社取寄扱、京図:あり、大図:あり
(児童文学分野の個人選集・全集はなく、多くが埋もれている)
☆赤松克麿 1955 社会学
「日本労働運動発達史」日本図書センター、2002、不明
店:不可、京図:なし、大図:なし
「近代日本思想大系35」筑摩書房、1974、1800
店:不可、京図:なし、大図:あり
「日本社会運動史」岩波新書、1952、150
店:不可、京図:あり、大図:なし
☆辻善之助 1955 仏教史
「新編明治維新神仏分離資料」名著出版、2001、8500
店:オンデマンド、京図:あり、大図:なし
「鹿苑日録」続群書類従完成会、1991-1992、10500
店:2社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「日本仏教史」岩波書店、1991-1992、6000前後
店:1社取寄扱・4社不可、京図:あり、大図:あり
「田沼時代」岩波文庫、1980、735
店:不可、京図:あり、大図:あり
「日本文化史」春秋社、1955、1000
店:不可、京図:あり、大図:あり
☆戸田貞三 1955 社会学
「家族構成」新泉社、2001、4725
店:2社在庫・3社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「戸田貞三著作集」大空社、1993、16020
店:3社取寄扱、京図:あり、大図:あり
☆羽田亨 1955 西洋史
「西洋文明史概論・西域文化史」平凡社東洋文庫、1992、2940
店:2社取寄扱、京図:あり、大図:あり
「羽田博士史学論文集」同朋舎、1975、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
「満和辞典」国書刊行会、1972、5000
店:不可、京図:原本あり、大図:なし
☆保科孝一 1955 日本語学
「日本口語法」勉誠出版、2001、7350
店:3社取寄扱、京図:なし、大図:なし
「新辞林」清文堂書店、1953、不明
店:不可、京図:なし、大図:なし
(その他、死の直前まで日本語に関する本を精力的に出版しているが、その後の復刊はほとんどない)
☆服部達 1956 評論・翻訳
「幽霊の死(アリンガム作)」ハヤカワポケットミステリ、1993、1020
店:3社取寄扱、京図:あり、大図:あり
「現代日本文学大系96」筑摩書房、1973、920
店:不可、京図:あり、大図:なし
「われらにとって美は存在するか」審美社、1968、890
店:不可、京図:あり、大図:なし
☆小金井喜美子 1956 随筆
「森鴎外の系族」&「鴎外の思い出」岩波文庫、1999&2001、798&693
店:2社在庫・1社取寄扱&1社取寄扱、京図:あり、大図:なし
☆日野草城 1956 詩歌
「日野草城句集」角川書店、2001、2730
店:1社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「昨日の花」&「新月」邑書林、1997&1991、945&1938
店:1社在庫・3社取寄扱、京図:なし&あり、大図:なし
「日野草城全句集」沖積舎、1996、14700
店:2社取寄扱、京図:あり、大図:なし
☆服部之総 1956 日本史
「新選組読本(1編所収)」光文社、2003、940
店:可、京図:、大図:あり
「黒船前後」岩波文庫、2003、735
店:1社在庫、京図:あり、大図:あり
「明治維新のはなし・近代日本のなりたち」青木書店、1990、1890
店:2社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「服部之総全集」福村書店、1973-1976、2000前後
店:1社取寄扱、京図:あり、大図:なし
☆高村光太郎 1956 詩歌
「高村光太郎詩集」各社
店:可、京図:あり、大図:あり
「高村光太郎全集」筑摩書房、1994-1998、
店:不可、京図:あり、大図:あり
「愛の時(ヴェルハアラン作)」アムリタ書房、1986、
店:不可、京図:あり、大図:なし
☆関口泰 1956 教育学・法律・随筆
「公民教育論」日本図書センター、2000、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
「日本随筆紀行9(1編のみ)」作品社、1986、不明
店:不可、京図:、大図:あり
「関口泰文集」関口泰文集刊行会、1958、不明
店:不可、京図:なし、大図:なし
(ほとんどの研究書・随筆集が戦前刊行で、復刊なし)
☆吉田絃二郎 1956 文学・児童文学・翻訳
「タゴールの詩と言葉(タゴール作)」ゆまに書房、2004、3360
店:オンデマンド、京図:原本あり、大図:なし
「吉田絃二郎全集」新潮社、1931-1934、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
(著作は戦後、各種アンソロジーに採録され、図書館で読める。)
☆松本たかし 1956 詩歌
「現代一〇〇名句集(句集として所収)」東京四季出版、2004、2501
店:取寄扱、京図:なし、大図:なし
「現代俳句大系(2,3,9巻所収)」角川書店、1981、不明
店:不可、京図:なし、大図:あり
「たかし全集」笛発行所、1965-1968、1000
店:不可、京図:なし、大図:なし
☆佐藤垢石 1956 釣り
「つり人ノベルズ(7,8,9,11)」つり人社、1992-1993、998
店:可、京図:原本あり、大図:1冊あり
「釣の本」アテネ書房、1986、2243
店:1社取寄扱、京図:あり、大図:あり
「垢石釣游記」二見書房、1977、不明
店:不可、京図:なし、大図:あり
☆邦枝完二 1956 時代小説
「邦枝完二集」リブリオ出版、1998、3780
店:1社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「お伝地獄」講談社大衆文芸館、1996、877
店:不可、京図:あり、大図:なし
「大衆文学大系13」講談社、1972、2800
店:不可、京図:なし、大図:なし
(全集はなし。アンソロジー収録がいくつかある)
☆加藤武雄 1956 文学・児童文学
「少年小説大系(24,27巻所収)」三一書房、1993-1996、8000
店:不可、京図:あり、大図:あり
「里見八犬伝(馬琴作)」偕成社、1983、714
店:不可、京図:あり、大図:あり
(近年はアンソロジー収録がいくつかあるのみ。1946から没年まで77冊の本を出しており、東方社刊がもっとも多い。)
☆会津八一 1956 詩歌
「日本の詩歌11」中央公論新社、2003、5565
店:オンデマンド、京図:あり、大図:あり
「自註鹿鳴集」新潮社、2002、3045
店:オンデマンド、京図:あり、大図:なし
「会津八一全集」中央公論社、1982-1984、8185
店:1社在庫・4社取寄扱、京図:あり、大図:なし
☆石川三四郎 1956 社会運動
「石川三四郎選集」黒色戦線社、1977-1933、7350
店:2社取寄扱、京図:なし、大図:なし
「石川三四郎著作集」青土社、1977-1979、4000前後
店:不可、京図:あり、大図:あり
☆池田亀鑑 1956 国文学・随筆
「源氏物語入門」文元社、2004、3045
店:オンデマンド、京図:原本あり、大図:原本あり
「古典学入門」岩波文庫、1991、630
店:2社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「日本随筆紀行16」作品社、1986、不明
店:不可、京図:あり、大図:あり
「源氏物語大成」中央公論社、1984-1985、6933
店:1社在庫・2社取寄扱、京図:あり、大図:あり
「池田亀鑑選集」至文社、1968、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
「伊勢物語」学燈文庫、1966、407
店:可、京図:なし、大図:なし
「紫式部日記」&「枕草子」岩波文庫、1962&1964、315&798
店:可、京図:あり、大図:あり
(随筆は近年復刊されていない)
☆早川孝太郎 1956 民俗学
「早川孝太郎全集」未来社、1971-2003
店:1社在庫・4社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「花祭」岩崎美術社、1966、2940
店:1社在庫・4社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「猪・鹿・狸」講談社学術文庫、1979、546
店:不可、京図:別本あり、大図:あり
☆尾高朝雄 1956 法学
「民主主義の法律原理」有斐閣、1997、6825
店:1社在庫・3社取寄扱、京図:原本あり、大図:なし
「法学概論」有斐閣、1984、2100
店:3社在庫・2社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「法」勁草書房、1997、1365
店:5社取寄扱、京図:なし、大図:なし
(著作集はない)
☆秦豊吉(丸木砂土) 1956 翻訳・随筆
「西部戦線異常なし(レマルク作)」新潮文庫、1983、660
店:可、京図:あり、大図:あり
「殿方は金髪がお好き(ルース作)」奢都館、1982、不明
店:不可、京図:あり、大図:あり
(多くの翻訳と、丸木砂土名義の好色文学・随筆・演劇のほぼすべては、本人の死後復刊されていない)
☆柏熊達生 1956 翻訳
「イタリア語常用6000語」大学書林、1990、1995
店:2社在庫・3社取寄扱、京図:あり、大図:なし
「デカメロン(ボッカチオ作)」ちくま文庫、1987-1988、903
店:不可、京図:なし、大図:あり
「ピノッキオ(コッローディ作)」筑摩書房、1963、不明
店:不可、京図:あり、大図:なし
「イタリヤ語入門」研究社、1948、不明
店:不可、京図:なし、大図:なし
(近年、戦前のマイナーな翻訳の復刻版が三冊ほど出ている。戦前・戦後すぐには翻訳多数。)
☆森村豊 1956 英文学
「幻想を追う女(ハーディ作)」岩波文庫、1993、530
店:不可、京図:あり、大図:なし
「研究社英米文学評伝叢書76」研究社、1980、不明
店:不可、京図:なし、大図:なし
「英語発達史」千城書店、1954、不明
店:不可、京図:なし、大図:なし
「黒猫(ポー作)」岩波文庫、1950、不明
店:不可、京図:なし、大図:なし
☆須藤鐘一 1956 児童文学・翻訳
「編年体大正文学全集第7巻(大正7年)」ゆまに書房、2001、
店:1社取寄扱、京図:あり、大図:あり
「女難懺悔」本の友社、1998、
店:不可、京図:なし、大図:なし
「祭の日 : 他 須藤鐘一作品集」島根国語国文会、1993、1200
店:2社取寄扱、京図:なし、大図:なし
(1947年以降の出版は上記みっつのみ。戦前に著作多し。)
−−−−以上−−−−
駅前の繁華街近くに、大手生命保険会社が数社入っている10階建てのビルがある。その地階に300人ほど収容のホールがある。300の席、半分ほど埋った状態で、「秋・朗読の夕べ」は行われた。「秋・朗読の夕べ」というのは、知人が主宰する朗読教室の一年に一回の発表会である。唯一男性である60代の知人は、40代から70代までの女性だけの生徒さん、12人の中央で恥かしそうにステージに立っていた。
去年もこの会場で発表会はあった。樋口一葉の「うらむらさき」を小柄の痩せた和服姿の婦人が、緩急をつけ、緩急に思いを込めて、明治の女性の悲哀を代弁されたのには感動した。余韻を引きずって会場を後にした私は、先生である知人を捕まえてその由を述べた。知人は、私の話に肯きながら「一葉よりあんたは、書いているかね?」と言った。それまで会う度に、電話で話す機会がある度に、そして年賀状の最後の行に、彼は私に「書いているか?」と問い掛け続けてくれた。事情があって書くことと離れていた私は、数年来首を横に振り続けていた。
それでも今年は、少しずつだけど書いているのですよ。と、agさんにaozora blogに声をかけていただいいることを彼に伝えたかった。私が書いているのなら、読むからと言ってくれることはわかっていたが、PCなど無縁の人である。さてどうしたものかと。どうしたものかを抱えつつ、「私はaozora blogというところで書いています。」と暑中見舞いに書き添えた。
暑中見舞いから残暑見舞いを受け取る頃に、電話があり、「どうしたら作品が読めますか?」と彼は切り出した。切り出された私は、目の前の動かないプリンターを見ながら「印刷して送ります」とお調子者となって言ってしまった。私は書いて居るということを伝えたかった。「送ってくださいね」と言って電話は切れるまでには時間はかからなかった。私は、すかさず再び受話器を持って、別の友達に早口で言った。「プリンター貸して!」
この一年、aozora blogで書いてものを「四季」「闇」「人」と三つに分けた中に無理やり押し込んで、それぞれに数篇ずつ印刷して送った。
受け取った彼から、折り返し電話があり、世に数多本がでているが、読むことに向いている文章と不向きの文章がある。だからどうなるかわからないが、今年の発表会で採用させてもらうかも知れないと言ってきた。文章を朗読したものを聞く、または拙作を朗読されるということが始めてではないので、彼の言いたい事は十分わかっている。朗読に向いている文章が必ずしも内容があるとは限らないし、朗読に向いていないから内容がお粗末ということではない。耳障りのよい言葉で紡いだ文章というものがあるのだ。向田邦子さんの文章などは、内容も言葉も両方そろった代表と考えていい。放送作家だけあって、朗読者の人にも読み易いという。
また語り手の解釈仕方によって、文章の印象ががらりと変わることも経験済みだった。耳から入る自分の言葉の粗が目立ち、自己嫌悪に陥ることも経験済みだった。
残暑見舞いが過ぎ、「秋・朗読の夕べ」の招待葉書が来た。葉書の下の方に「闇夜をTさんが読みますから」と書いてあった。もちろん私は、彼の生徒さんをステージからみるだけで、Tさんはどの方なのか知らない。
そのTさんがステージに立った。50代初めだろうか、白地に茶色の花模様のブラウスに、膝下丈の茶色のスカートをはいてステージの真ん中に立った。
読んだのは「五月の闇夜」
真上の照明と斜め上からの照明、そして足元の照明、それらが、スカートの太いバイアス模様で交差した。交差を解くようにして、Tさんはマイクに近づいた。Tさんの声はかすかに震えていた。声が上ずりそうになるのを押さえるように本に目をやり、緊張で手許が震えるのを押さえるようにまっすぐ前を向いて続けた。私はTさんと同じ位心臓がドキドキしていた。ドキドキするだけではない、朗読するTさんに考えもつかないようなことが私を襲うのだ。私には、文章の粗、全てが私に返ってくる。あそこが変だ。前の表現と後の表現は合っていない・・など朗読になったら必ずやってくる自己嫌悪の中で話が流れていくのを聞いている。
終りの方へ話が流れていくに従ってTさんの声がかすかに湿っていった。私の文章に湿り気を彼女は感じたのだった。それを聞いていると、小学4年生当時の私は、もっと正直に母の前で泣いてもよかったのかもしれないという思いが浮んでは消えた。
Tさんが読み終えて拍手をもらったとき、Tさんはほっとした顔をした。私もほっとした。「五月の闇夜」を書くのに、どのくらい時間がかかっただろう。憶えていなかった。書くことにどれだけ時間がかかろうが、目で読めば3分もかからない。3分もかからないものを彼女は12分かけて読んだ。私は12分かけて聞いた。差し引き9分には、朗読してもらえる幸せが詰まっている。
芥川の「蜜柑」から坪田穣治の「きつねとぶどう」の童話まで新旧取り入れた作品11編をそれぞれの方々が思いおもいに読み終えた。予定より20分ほど早く朗読会は終了した。通路にいた先生である知人に言った。「Tさんに何も言わずに帰ります。その方がいいでしょう。書いた人はどんな人かと思っていらして。」
建物を出ようとしたとき、数年ぶりに会ったという人が私の肩を叩いて言った。「『闇夜』、良かったわね。咳払い一つ無かったわね。会場がピーンと張り詰めるってあの状態をいうのよね」彼女もまたPCに縁がなかった。私が作者であることを知らない。私は彼女の言葉に黙って肯いた。作者より語り手の真摯な気持ちが伝わってきたのねと言おうとしたが、今日は朗読会なのだから作者は一切黙っているべきなのだ。
ジャンパーの襟を立てた人とぶつかった。秋の夜の繁華街、誰も私の幸せなど知るよしもなかった。そう思うと思わず笑ってしまった。
2004年9月27日、法務省は戸籍法施行規則を改正し、人名用漢字に新たに488字を加え、あわせて、これまで「当分の間…用いることができる」と条件付きで使用を認めてきた旧字体などの異体字205字を、正式な人名用漢字に格上げしました。
これによって、人名用漢字は計983字となり、名前に使用できる漢字は、常用漢字の1945字とあわせて、2928字に広がりました。
人名用漢字を、大幅にふやしたことに加えて、今回の改正は、「一つの字種に対しては、標準とすべき一つの字体を示す」という、これまでの字体選定の基本方針を見直したようにみえる点でも、特徴的です。
改正条項の表現からは、常用漢字表、人名用漢字においてこれまで保たれてきた漢字の秩序付けが、改正後も維持されているのだろうかという点に、疑問が生じます。
続きを、「人名用漢字 2004年9月27日改正から生じる疑問」におきます。
関連資料の在りかを、以下にリストアップしておきます。
▼2004年9月27日に改正改正された「戸籍法施行規則」
「官報 平成16年9月27日 号外第213号」に改正内容が記載されています。
「法令データ提供システム」には、10月12日時点ではまだ、9月27日の改正内容は反映されていません。
http://law.e-gov.go.jp/fs/cgi-bin/strsearch.cgi
▼改正に至るまでの「法制審議会人名用漢字部会」の論議
「審議会情報」の「人名用漢字部会」から、たどれます。
http://www.moj.go.jp/SHINGI/index.html
▼「人名用漢字 2004年9月27日改正」
「官報 平成16年9月27日 号外第213号」をテキスト化したものを、以下においておきます。
http://attic.neophilia.co.jp/gate/jinmeiyo_2004_9_27.zip
▼「表外漢字字体表」
以下で参照できます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/kokugo/toushin/001218c.htm
※皆さんは今回の改正の内容を、どう評価されるでしょうか?
ブログ対応青空文庫とは、図書カードにトラックバックできるようなものです。まだ計画中です。
ということで、実際にブログやってる方でなにかアイデアとか希望があったらトラックバックしてみてください。(^-^)/
これは「2004年09月11日図書カードの進化系」の続きなので、そちらにお願いします。
ブログは、日記風webというかホームページ2.0というか、デザインと文章が分離していて管理しやすいページのことですが、これにトラックバックという機能が付いています。他の人のブログについて自分のブログに感想などを書いたら、トラックバックを使ってネタ元のブログに「ここを読んだぜ!」とお知らせの逆リンク(自分のブログ記事へのリンク)を貼り付けることができます。通常ブログ同士で行うので、トラックバックと書かれたリンクをたどると話題の参照をたどれます。
それは自分で見てもらうとして、青空文庫でブログ対応というのは、作品に対して(作家でもいいけど)トラックバック出来るようにして、それをまとめてみて感想文リンク集みたいな感じにすることを考えています。実際に見てもらった方がわかり易いですかね。青空文庫にはまだないので、私が青空文庫にも使えるなあと思ったCNET.Japanを見てみましょう。ここはニュース記事がブログ対応になっています。
例えば、『S・バルマー:「iPodのなかには違法コピーがいっぱい」』の記事の最初に「Trackback(xx)」というのがあるのでクリックしてみます。
CNET Japan●S・バルマー:「iPodのなかには違法コピーがいっぱい」
そうするとこの記事を読んで、ブログになにか書いた人(現在15人)の記事のリストが出てきます。それぞれクリックするといろんな人のブログが読めます。おお、これを図書カードにつけりゃ、昔いってた「図書カードに感想掲示板をつける」が実現できるではないか。何か読んだらブログに感想をかいて図書カードに貼り付けておく(トラックバック)といろんな人の感想が読めるようになるなあ。
まあそういうことです。
ちなみに上のCNETではブログ形式のコラム(コラム風ブログか?)もあります。
CNET Japan Blog
そういえばこういうのは goo HotWired にもあるな。
HotWired blog
記事がトラックバックをうけつけるのはネット時代のジャーナリズムって感じ?
その他のブログ/トラックバックで遊ぼう。なサイトも紹介してみます。
日本沈没地図
県別にトラックバックを行い、過疎地域がわかる(^^;
BlogPeople トラックバック・ピープル
同じ話題にトラックバックしてリンク集を作るって感じでしょうか。図書館についてブログに書いたら「図書館の人々」にトラック爆
ラブリー困ったさんコンテスト
さらに懸賞に応募するにもブログが必要な時代(^^;
で、青空文庫ですが(^^;、全部の図書カードにトラックバックできるようにしてほしい。とか、作家ごとにトラックバックできるといいとか、そらもようにトラックバックしたいとか、なにか希望があればいまのうちにトラックバックをどうぞ。
2004-10-10 可能性と不確実性『競馬』織田作之助
2004.10.05 誰もが長生きしたいと思うが、年をとりたいとは思わない
2004年10月03日 デジタル図書館の夢
2004.09.26 銀河鉄道の夜
2004年09月25日 スラッシュドット・ジャパン:ネットで「本」を読みますか?
2004年09月25日 ザウルスで読書
2004年09月20日 英語熱.
September 19, 2004 鹿踊り
September 15, 2004 最近の心境
2004-9- 9 青空文庫でひまつぶし
2004-09-07 T's ChangeLog
2004年09月06日探求書入荷しました。
2004.09.01 秋だなぁ
2004年09月01日 馬鹿ですねぇ…
追記2004-10-11
検索したら多村栄輝さんのデンシボンオアダイ2004年06月07日の「青空文庫がトラックバック可能になったら」に
TrackBackにもいずれ対応するんじゃないかと思う。
文化庁は、「今後の著作権制度の改善に向けた検討の参考とするため」として、今年8月、関連団体に法改正に関する要望を募集しました。
その際、さまざまな団体から寄せられた、保護期間延長の求めを、以下で参照できます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/013/04093001/002.htm
文化審議会著作権分科会法制問題小委員会は、これらの意見を参考にしながら、「優先して対応すべき著作権法上の検討課題の抽出・整理を進めている」とのこと。
この作業に、幅広い国民の意見を反映させたいとして、意見の募集が行われることになりました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2004/04100601.htm
著作権法は、第一条にその目的とするところを掲げています。
大きな目標は、「文化の発展に寄与すること」。
それを実現する手段として、「著作者等の権利の保護を図」る。ただしその際、「文化的な所産の公正な利用に留意」するのだと、法の基本的な立脚点が説明されています。
「権利の保護」と「公正な利用の促進」は、共に欠かすことのできない、社会を育てる二本柱だろうと、私も思います。
ただし、関連団体から大波のように寄せられている期間延長の求めがそのまま受け入れられてしまえば、天秤は大きく「権利の保護」の側に傾き、インターネットという環境を得てはじめて実のあるものとなった「公正な利用の促進」は、大きく後退してしまうでしょう。
青空文庫が仰ぐ「空」は、著しく小さなものとなってしまいます。
過去から連綿と続く文化の大河の中で、積み重ねられたものに育まれ、先人に繰り返しに学んではじめて、人は「創造」に至るのではないでしょうか。
その成果物を、死後、一定期間を過ぎたところでもう一度文化の大河に戻し、次の世代がよりたやすく実りを享受できるようにする。
そうすることで、新たな創造の芽もまた、育んでいく。
過去からの賜り物に、あらたな何かを付け加え、しっかりと未来へ受け渡していくためのこうした道筋を、保護期間の延長は狭めてしまうでしょう。
私はそう考えるので、保護期間の延長には反対する旨の意見を、提出しようと思います。
私たちは今、社会の基本設計に関わる、重大な選択を迫られているようです。
あなたは、著作権の保護期間の延長について、どうお考えでしょうか?
—————————————————————————————————————————
「著作権法改正要望のパブリックコメントを提出する」というサイトが、開かれています。
http://publiccomment.seesaa.net/article/766410.html
辞書追加文字数/ファイル文字数×100=誤変換率(%)
変換率=100−誤変換率(%)
サンプル
内藤湖南「維新史の資料について」
329文字/5073文字×100=6.5%(誤変換率)
100−6.5%=93.5%(変換率)
変換率がコンスタントに95%をこえてくれるようであれば、まあまあ使えますかね。逆に誤変換率が1割あるようだと……前途多難ですなー(^^)。下の内藤湖南「維新史の資料について」は一部抜粋です。
変換ミスはごようしゃ。転載・引用・リンクは自由です。
2004.10.6
しだ/PoorBook G3'99
現代表記おきかえ版 維新史の資料について 内藤湖南 いずれの世でも革命のさいはかならず陰謀がこれにともなう。したがってこれに関する記録も多くは当時の陰謀からでた結果の記録であって信用しがたいものであることは、古来しばしば※見るところである。しかしある時期を経過するとそのときの陰謀に与かつた人びとの多くはなくなり、自然に観察が公平になるのと、従来の記録に反対の材料を発見して史実を一変することがある。どうかするとシナなどのような国では朝代のかわり目のみならず、おなじ朝代の間にあっても陰謀簒奪などのおこなわれた後では、ときとして右の順序をくりかえすことがある。 たとえば明の永楽帝が建文帝の位をうばったいわゆる靖難の役については、明の実録は建文一朝を認めないで、前代の洪武の年号をのばして書いておって、これを革除と称している。しかるに永楽帝のひまごかやしゃごの代くらいになって、建文帝が靖難の役に死なないで僧侶になってのがれたのがあらわれてきた。それをおわりには明の宮中に呼びかえして僧体のままで一生をやすらかに送らしめたという話があって、当時の信用すべき歴史家もその事をあきらかに認めている。清朝で明史をつくった時はその説をとらないで、建文帝は靖難の役に死んだものときめたのであるが、明代では一般にそうは信じなかった。 それはどちらが事実だかわからないとしても、ともかくいちじるしい事変ののちにはいろいろな歴史上の疑問が生じて、後に判断に苦しむようなことができてくる。しかしこれは多くは事変のしずまった時に、いろいろ陰謀などの跡をおおわんがために、勝利をしめたいっぽうの材料だけをとって記録とするからおきるところの結果であって、もしほかのいっぽうすなわち敗者の材料をはやくあつめておくならば、あいまいな疑問が生ずるということが比較的少なくなる。今日のごとく歴史がひとつの学問として考えられ、その真相をあらわすことがひとつの神聖な仕事として考えられる時代にあっては、ことにこの用意が必要であって、一時の順逆などという考えは、神聖な史実の前にはきわめて微力なものであると考えなければならぬ。 以上のごとき見地からわが維新史を観察すると、そこにいろいろな問題が生じてくるであろうと思う。今日の維新史料編纂局というものはいかなる方針でいかなる材料を収集しているかしらぬが、最初藩閥思想のもっとも強かった井上侯が主宰しており、その委員と称する人物は多く維新以後の藩閥方であった人びとであるところから見ると、はたして勝利者にべんぎな方法で作られていないということを断言し得るかどうかと思う。げんに維新前後の殉難者の待遇というようなものも、すこぶる公平を欠いているではないかと思うことがある。 戊辰の歳の革命戦争でまけたものは降服した結果となったから、そのときならびにそののちひきつづき勝ったものがとったところの態度に対してはさらになんらの苦情をもいわなかった。そののち数度の大赦特赦などがあって賊名などはのぞかれ、徳川慶喜公さえものちには公爵に列せられたけれども、維新の時に薩長に反対して戦死し、もしくは敗北の責を負うて死をたまわったものなどは、贈位の恩典によくしていない。これはもちろんとるにたらない順逆論であるけれども、とにかくこれとおなじ筆法をその三四年前すなわち元治元年に京都におこった事変に比較してみたならば、はなはだ矛盾しているということがわかる。 元治元年の騒動は長州そのほかの兵士が禁闕にむかって発砲し、それが会津薩摩の兵にやぶられ、あるいは戦死しあるいは自殺し、その統率者であった長州三家老は、翌年幕府の長州征伐に対して服罪して自殺した。これらも当時の順逆からいえばあきらかに賊名を受くべきもので、しかもその服罪のしかたは維新のさいの東北諸藩の家老などと同様であるにかかわらず、これらの人びとはすでに贈位の恩典によくしている。維新のさい勝利者がべんぎのためにした一時の処置は、べつに今日からとがめる必要はないけれども、維新以後五十年もたった今日、当時の騒乱はみなたんに意見の相違で、勝ったものもまけたものも朝廷に対して反乱をくわだてる意思がなかったということが明白になった以上は、その薩長であると反薩長であるとを問わず同一の待遇をあたえるべきであると思う。 | 青空文庫オリジナル版(原文) 維新史の資料に就て 内藤湖南 いづれの世でも革命の際は必ず陰謀がこれに伴ふ。從つてこれに關する記録も多くは當時の陰謀から出た結果の記録であつて信用し難いものであることは、古來屡※見る所である。然し或時期を經過すると其時の陰謀に與かつた人々の多くは亡くなり、自然に觀察が公平になるのと、從來の記録に反對の材料を發見して史實を一變することがある。どうかすると支那等の樣な國では朝代の替り目のみならず、同じ朝代の間にあつても陰謀簒奪などの行はれた後では、時として右の順序を繰返すことがある。 例へば明の永樂帝が建文帝の位を奪つた所謂靖難の役に就いては、明の實録は建文一朝を認めないで、前代の洪武の年號を延ばして書いて居つて、これを革除と稱して居る。然るに永樂帝の曾孫か玄孫の代くらゐになつて、建文帝が靖難の役に死なゝいで僧侶になつて逃れたのが現れて來た。それを終りには明の宮中に呼びかへして僧體の儘で一生を安らかに送らしめたといふ話があつて、當時の信用すべき歴史家も其事を明かに認めてゐる。清朝で明史を作つた時は其説を採らないで、建文帝は靖難の役に死んだものと極めたのであるが、明代では一般にさうは信じなかつた。 それはどちらが事實だか判らないとしても、兎も角著しい事變の後にはいろ/\な歴史上の疑問が生じて、後に判斷に苦しむ樣な事が出來てくる。然しこれは多くは事變の鎭まつた時に、いろ/\陰謀等の跡を蔽はんが爲めに、勝利を占めた一方の材料だけを採つて記録とするから起る所の結果であつて、若し他の一方即ち敗者の材料を早く集めておくならば、曖昧な疑問が生ずるといふことが比較的少くなる。今日の如く歴史が一つの學問として考へられ、其の眞相を現すことが一つの神聖な仕事として考へられる時代にあつては、殊にこの用意が必要であつて、一時の順逆などゝいふ考へは、神聖な史實の前には極めて微力なものであると考へなければならぬ。 以上の如き見地から我維新史を觀察すると、そこにいろ/\な問題が生じて來るであらうと思ふ。今日の維新史料編纂局といふものは如何なる方針で如何なる材料を蒐集してゐるか知らぬが、最初藩閥思想の最も強かつた井上侯が主宰して居り、その委員と稱する人物は多く維新以後の藩閥方であつた人々であるところから見ると、果して勝利者に便宜な方法で作られて居ないといふことを斷言し得るかどうかと思ふ。現に維新前後の殉難者の待遇といふ樣なものも、頗る公平を缺いて居るではないかと思ふ事がある。 戊辰の歳の革命戰爭で敗けたものは降服した結果となつたから、其時並に其後引續き勝つたものが執つたところの態度に對しては更に何等の苦情をも言はなかつた。其後數度の大赦特赦等があつて賊名などは除かれ、徳川慶喜公さへも後には公爵に列せられたけれども、維新の時に薩長に反對して戰死し、若しくは敗北の責を負うて死を賜つたものなどは、贈位の恩典に浴して居ない。これは勿論取るに足らない順逆論であるけれども、兎に角これと同じ筆法を其の三四年前即ち元治元年に京都に起つた事變に比較して見たならば、甚だ矛盾して居るといふことがわかる。 元治元年の騷動は長州其他の兵士が禁闕に向つて發砲し、それが會津薩摩の兵に破られ、或は戰死し或は自殺し、其統率者であつた長州三家老は、翌年幕府の長州征伐に對して服罪して自殺した。是等も當時の順逆からいへば明かに賊名を受くべきもので、而もその服罪の仕方は維新の際の東北諸藩の家老等と同樣であるにかゝはらず、これ等の人々は既に贈位の恩典に浴して居る。維新の際勝利者が便宜の爲めにした一時の處置は、別に今日から咎める必要はないけれども、維新以後五十年もたつた今日、當時の騷亂は皆單に意見の相違で、勝つたものも敗けたものも朝廷に對して叛亂を企てる意思がなかつたといふことが明白になつた以上は、其の薩長であると反薩長であるとを問はず同一の待遇を與へるべきであると思ふ。 |
沖縄・琉球編
「沖縄・琉球」をキーワードに青空文庫を検索した結果です(2004年9月30日現在)。ほんとうは没年順・出版順にならべたいところですが、これからの課題にしておきます。
水牛6枚目のCD「まぎれ野へ 木村迪夫自作詩朗読」を発売しました。100ページほどの自家製詩集付きです。
まぎれ野とは木村迪夫さんが生まれてからずっと暮らしている山形県の牧野村のことです。農業の村の歳時記と、木村さんのおかあさん、おばあさんのかたったことば。「いまもこの村に澄語はない」というまぎれ野のことばのひびきをぜひ聞いてください。
水牛楽団のレパートリーのひとつだった「祖母のうた」は、この朗読にもはいっている木村さんの詩です。「ふたりのこどもをくににあげ/のこりしかぞくはなきぐらし …… にほんのひのまる/なだてあかい/おらがむすこの ちであかい」
牧野の木村さんのお宅で録音したのはことしのはじめ、まだ雪のあるころでしたから、発売までにずいぶん時間がかかりました。読まれている詩をなんとか本にしたくて、どのようにするのがいいのかと考えているうちに春が過ぎ、そしてめぐりあったのが四釜裕子さん考案の「糸だけ製本」でした。四釜さんも詩人であることと関係あるのでしょうか、この製本方法は詩集にぴったり。しかもデジタルテキストとレイアウトソフトと紙とプリンタと糸と、これだけあれば、自分の手を使って、誰にでもできる方法です。タイトル文字は平野甲賀さんの書き文字でありながら、フォントとして誰でも使える「コウガグロテスク」をはじめて使いました。できあがったのは本というかたち、でもデジタルの世界に足を踏み入れなければ決してめぐりあわなかったやり方の成果です。
手作りの製本というと、ルリユールのように、自分だけの大切な一冊の本を作り上げるイメージが強いのですが、あまり趣味的にならず、素材や綴じかたのこだわりを少しひろげれば、自分以外のひとに手渡していける軽やかなものにできるはずだと思ってきました。「まぎれ野へ」詩集、というよりはブックレットというほうがふさわしいかもしれませんが、木村さんの詩と朗読に寄り添うものになってくれているといいなと思います。
「水牛のように」を2004年10月号に更新しました。
というわけで、製本の師匠とあおぐ四釜裕子さんが、製本について書いてくださることに。どんな製本が登場するのか、楽しみです。
読書の秋だからか、今月は盛りだくさんです。小泉英政さんの「循環だより」といっしょに届いた「島にんじん」は沖縄のもので黄色のにんじん。甘くておいしい。水をもらえずに育った野菜は野菜じたいに含まれている水分もすくないらしく、しっかりとしているのが特徴で、できるだけ調理せず、そのまま食べるのが一番です。いわば野菜のお刺身ですね。
タイのバンド「カラワン」が結成30周年記念をむかえて、日本にやってきます。
10月30日から11月9日まで、東京、大和市、松本市、島根県大社町、広島市、大阪府豊能町、高槻市、京都市などをまわります。タイの民主化をになった歌の魅力にぜひふれてください。詳しくは今回も彼らを呼んでくれた豊田勇造さんのサイトのスケジュールをごらんください。
東京でのコンサートは10月30日(土)新大久保「R'sアートコート」で午後5時から。また29日には「歓迎会&カラワンの30年を語る会」が早稲田奉仕園「50人ホール」で午後6時30分から。問い合わせは白石さんへどうぞ。電話は090-2302-4908、メールはshiratlk@jcom.home.ne.jpです。
それではまた!(八巻美恵)