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私にとって、図書館と聞いて思い浮かぶことは、
1 本のあるところ
2 調べものの出来るところ
3 クーラーが効いていて涼しいところ
くらいでしょうか。小さい頃にいた地域の図書館(正確には分館)は、蔵書数が少なく、特に夏(休み)は、3の印象しか残っていなかったりします。3は冗談としても、1、2は図書館というものの本質を捉えていると思います。
では、青空文庫が図書館であるためには、何が必要なのか、ちょっと考えてみます。
まず、小学校、中学校、高校と図書館はなくても図書室はあったでしょう。大学ならほぼ確実に図書館でしょうね。図書室、図書館の本は、ほぼ確実に日本十進分類法(NDC)に従って分類されているでしょう。簡単にその分類を示すと、
000 総記
100 哲学
200 歴史
300 社会科学
400 自然科学
500 工業・技術
600 産業
700 芸術
900 文学
となります。青空文庫の収録作品を見てみると、文学に偏っていて、他の分類の作品はごくわずかですね。分類という観点からすれば、現在の青空文庫は図書館とは呼べないでしょう。青空文庫が図書館と見られるようになるには、多様な作品が収録されることを待つ必要があるのでしょうか。これらの分類の本が全て揃ったら、図書館と呼べるのでしょうか。
ここで、もう一つ考えてみたいと思います。個人の家でも、読書好きの方ならば、この分類の本を一冊ずつくらいは所有していそうです。個人の集めた本は図書館とは呼ばれないでしょう。それは、公に利用できないという問題もあるのですが、たとえ図書館に寄贈されても、「何々文庫」のように呼ばれて、決してその収集本のみで図書館にはならないようです。ここで浮き上がってくるのが、個人の蔵書(private collection)と図書館(public library)の違いです。
図書館は、多くの人に利用され、多様な本を数多く所蔵しています。では、何冊本が集まったら、図書館と呼べるのでしょうか。図書館の規模は図書館ごとに違っています。前に書いたように、青空文庫に10分類の各分野の本が1冊ずつ集まったら図書館なのでしょうか。それとも、10冊? 100冊? こう考えてみると、冊数は問題ではないことに気付くでしょう。
「青空文庫早わかり」には、以下の記載があります。
「著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを、テキストとHTML形式でそろえています。」
ここには、「文学」という言葉は出てきません。青空文庫は、「著作権の消滅」という条件以外には収録作品に関して何も求めていないのです。つまり、青空文庫は多様な著作を収録してゆく可能性があるということです。何冊集まったら図書館、なんて基準はないのですから、青空文庫は図書館(piublic library)と呼んでもかまわないと思います。
一般の図書館は、自ら図書を購入するのではなく、個人からの寄贈を受けることがあります。青空文庫のあり方は、個人の蔵書を電子テキストの形で寄贈してもらうことでる、と言えるでしょう。青空文庫というpuiblic libraryにprivate collectionを集めている、と言い換えることも出来ます。青空工作員のみなさんのprivate collectionの積み重ねが青空文庫というpublic libraryになっているのです。
この話の流れからすれば、青空文庫がpublic libraryに見えるようになる(すでに存在そのものはpublic libraryなのですから)のに必要なことは、もうおわかりでしょう。文学以外のいろいろな作品を集めてゆくことです。京都大学電子テクスト研究会の皆さんは、哲学書の入力、校正に着手されています。童話も増えてきました。私自身、柔道の開祖の嘉納治五郎さんの著作集を図書館で見つけて入力しようかな、と考えています。料理の本、犬の飼い方、手紙の書き方、なんてのもあると面白そうです。
ということで、ある程度極端なことを言えば、青空文庫に必要なのは「脱・文学」の指向なのでしょう。実際の図書館も、文学の棚がやたらと大きいことは確かですから、決して文学の作業が意味がないと言っている訳ではありません。ただ、なんだこりゃ? というテキストが増えてくることで、青空文庫がpublic libraryに見られやすくなると思うのです。
と、ここまで長々と「青空文庫はすでに図書館だと思う」ことを書いてきました。おまけで、あと二つ、「public」ということと「検索」について書いておきます。
public libraryは多くの人が利用できるものです。その点から、考えると青空文庫は、世界のどの図書館よりも素晴らしい図書館でしょう。世界のどこでも、誰でも、閲覧できるのですから。
また上の方で分類について書きましたが、青空文庫にもこのような分類が必要なのでしょうか。おそらく必要ないと思います。あの分類は、目当ての本を効率良く探すためのものです。青空文庫のトップページの右肩にある検索で本の中身まで検索できるのですから、分類は必要ないでしょう。そして、トップページの青空文庫の全文検索は、図書館のレファレンスサービスをも越える可能性があります。現在、みずたまりで進行中の365日青空文庫のようなことを、図書館で尋ねたら(毎日毎日、「○月×日が登場する作品を調べたいのですが」と尋ねたら)、単なる嫌がらせになってしまうでしょう。
最初に書いた1、2の点にもう一度戻りましょう。1に関しては、そのうちどんどん収録作品数は増えてゆくことでしょう。2についても、電子テキスト化していることによって、これまでになかった検索が可能になったということもわかりました。二つの点から考えても、青空文庫はこれまでになかったpublic libraryとなってゆくと思います。
★この文章を書いた人→門田裕志★こんな時間に→2004年07月22日 13:53 ★トラックバック