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スウェーデンのイングマール・ベルイマン監督(1918〜)の父親は牧師さんだったという。その牧師さんの息子が作った《神の不在三部作》というのは、「鏡の中にある如く」(1961)「冬の光」(1963)「沈黙」(1962)である。これら以前に製作した「野いちご」をベルイマンの一押しにする人は多い。多いが、私は、この3部作の方が好きである。この3作品のうち「沈黙」(TYSTNADEN)ついて「ベルイマンを読むー人間の精神の冬を視つめる人」(フィルムアート社)を参考に書いてみる。
1)沈黙
話の筋は1)のサイトで読んでもらえばわかるので、あえて書かないことにする。で、ここでは、「沈黙」を見たときの戸惑いを書いてみる。
もちろんリアルタイムではみていない。数年前にビデオで見たのである。何度、巻き戻しー再生を繰り返しただろう。観た後の、この不快感は何だ?好き嫌いという範疇の感情ではなかった。色々な映画を観てきたが、嫌いなら嫌いではっきりしていた。どこどこがどういうふうに嫌だと。また好き嫌いということではなく、難解な映画で一度に理解できない場面があったりする。わからない箇所があると気持が悪いので、何度も映画館に足を運ぶなり、テープを巻き戻して私なりに理解してきた。そしてすっきりして、次の映画に向う。しかしこの映画は違った。妹アンナの息子、子供の視線でカメラがところどころ走る。低く冷徹な視線が大人の世界というより虚飾を剥ぎ取った人間を映し出す、そのカメラワークが私の心をキャッチして離さなかった。だから嫌いではないということだけははっきりしていた。嫌いではないだけに一層不快なのである。何が不快なのか・・台詞や演技の不明箇所ならもう一度その箇所を集中的に観ることによって、解決できる。この映画の場合、どこをもう一度観たらいいのかわからないのである。それが何度か巻き戻した後に気付いた。題名を見たとき、はたと気付いた。不快の原因がわかった。「沈黙」という題名が付く理由がわからなかったのである。どこがどう沈黙なのか。この映画における沈黙とはどういうことなのか。沈黙=静かな状態と思い込んでいる、既成概念に囚われている私にはわからなかった。
既成の“沈黙”ということではないのだとしたら、何を持って“沈黙”というのだろうか。自己と他者の繋がり、それが切れている場合、それぞれからみたら「沈黙」というのだろうとやっと私は気付いたのだ。だからこの映画には下記に書いたようにA、B二つの沈黙が流れている。
1) のサイトの解説を参照にする。
A・・「著述業の独身女性エステル(チューリン)は妹アンナ(リンドブロム)とその息子ヨハンと共に汽車で旅行中、身体の不調を訴え、見知らぬ町に降りる。」
見知らぬ土地であるということは、自分たちの言語が全く通じない。こちらが一生懸命に話しても理解を得ることができない。それは沈黙していることと同じである。
「あんたと一緒にいるのは素敵なことね。お互いに理解しあわないなんて、ほんとうにすばらしいわ」とアンナは行きずりの男にセックスの後話し掛ける。
B・・「優等生でみなのお気に入りの姉、豊かな肉体を持ち行動的な妹……。」
この姉妹の間に会話はできる。できるが考え方や立場が違うので、お互い理解できないのである。理解しようと勤めればつとめるほど距離が広がっていくのである。これもまた沈黙とおなじことである。
数年前は、この映画を観て、不快感から疑問がわいてきて、何度も巻き戻しを繰り返し、やっと氷解したところで、たまたま本屋にあった「ベルイマンを読むー人間の精神の冬を視つめる人」(フィルムアート社)を買って読んだとき、自分のこの映画の見方が著者と懸け離れてはいなかったと思ったものだった。《神の不在三部作》であるのだが、ベルイマンにおける“神”の位置が私にはつかめないし、宗教に関することはわからないので、私は言及をしない。
2) TYSTNADEN
このサイトの写真で奧にいる金髪の女性が姉を演じたイングリット・チュ−リヒン(192ー〜2004年)は、ルキノ・ヴィスコンティ監督「地獄に落ちた勇者ども」のヘルムート・バーガーの美しい母親役だった。
妹を演じたグンネル・リンドブロムやビビ・アンデーションなど、ベルイマンの映画を飾った華たちである。
華といえば、スウェーデンが生んだ大輪イングリット・バーグマンの遺作「秋のソナタ」はこのベルイマンの監督作品だった。イングリット・バーグマンは既に癌に冒されたいたらしい。母役のバーグマンと娘役のリブ・ウルマンは、母と娘の葛藤を見事に描ききった。バーグマンは、故郷の言葉の作品で人生の幕を引いたようだ。その「秋のソナタ」については、また後日書いてみたいと思う。
私が好きなベルイマン監督作品は「沈黙の島」という作品です。
確か1960年代後半の作品で、マックス・フォン・シドーが主演していました。
日本では劇場未公開でテレビの深夜枠でのみ放映されていたはずです。
私はこれを知人が録画していたライブラリーで見ることが出来ました。小さな島で暮らしはじめた男を巡る小さな小さな映画でした。けれど、ベルイマンの人と人との関係を見据える視線がとても確かに見えたことを覚えています。
ベルイマンのDVDボックスの米国版には収録されているようなのですが、なぜか日本版から外されています。私も地上波の吹き替え版でしか見たことがなく、おそらくカットされている版だと思うので、字幕ノーカット版で見たいと切望しています。
Posted by: 植松眞人 at 2004年07月22日 21:42もちろん私は未見です。
「沈黙の島」は、"En Passion"(1969)という原題ですね。
ベルイマン映画にこの人を欠かしてはならないというマックス・フォン・シドー。彼自身になって役を説明するという変った手法のようですね。後は、ベルイマン映画の華、ビビ・アンデション、リブ・ウルマンですね。
「ベルイマンを読むー人間の精神の冬を視つめる人」(フィルムアート社)よりこの作品に関して、映画という芸術に関してベルイマンが語っています。
「芸術品を作り出す時は、完全に近いものを表現しようと力の限りをつくし、それから結局、どういうつもりであったか自分自身に納得させることにつとめるわけです。これはおおくの場合、救いようのない仕事です。」
植松さんがご指摘のように”人と人との関係を見据える視線がとても確かに見えたこと”、これは私もそう思います。
Posted by: ten at 2004年07月23日 09:31