祝!1周年記念・夏の午後
去年の夏に書いた「夏の夜」に始まって、「秋の午後」「冬の朝」「春の午後」と四季をベースに短文のエッセイを書いてきました。題材は青空文庫に収録作品より抜粋してきました。季節を一巡して、aozora blogは一周年を迎えたということなのだと今改めて思った次第です。
最初このパスワードを頂いたとき、私はPCにまつわる青空文庫のことなど書く力はないし、どうしようと悩みました。不器用な私は、自分の文章を書くことしか知らないので、逆に他の方が書かないことを書くことにしようと勝手に決めました。
さて今回は「夏の午後」。丁度季節が一巡したので、祖母と私の話に戻ります。
題材は『樹木とその葉』「桃の実」若山牧水作より。
—私は惶てゝ一つの桃に齒をあてた。大口に噛み缺かれた桃の頭は、實に滴る樣な鮮かな紅ゐの色をしてゐた。全く打ち續けてその汁を啜り取る樣に私は口をつけた。—
『樹木とその葉』「桃の実」若山牧水
亡き祖母は、毎年夏になると風呂敷包みを抱えて私の家へ来た。真夏の午後の太陽の下、自宅近くの果物屋へ寄り、バスに乗る。バスを降りてから、身体の弱かった祖母は何度も立ち止まり、他所の家の軒先にしゃがみ込み、休みやすみして私の足で10分の道を何倍もかかって歩いてきた。首からタオルを下げて、垂れる汗を拭きながら。
私の小学校から帰ってくる時間を祖母はじっと居間で待っていた。帰ってきた私を呼び寄せると、祖母は、風呂敷の結び目を解いた。解き放された桃の、水蜜の香りが高い湿度に絡みついた。濃紺の風呂敷に整然と水密が6個並ぶ。水密の整列から私の視線の離れることがないのをみた祖母は弾む声で「食べろ。これ、みんな、お前のものだ。食べろ」と言った。私が迷っていると、祖母は白い紙を剥がし、一番赤く熟したものを一つ手に取った。
両掌で水密を包む。指先に軽く力をいれてみる。指先の痕がつく。それを確かめると桃の頭に爪を立て、皮を一気に剥く。皮は軽やかに実から離れていく。
呼吸器の弱かった私は、呼吸器に細かい毛が付着すると大変なことになるので、若山牧水のような丸齧りはできなかった。できなかったが、温い水密の頭から食べて、その汁を啜り取るように口をつける私を、祖母が顔中皺だらけにして、心から嬉しそうに見ていたのである。
一つひとつ薄い紙に包まれている高級な水蜜。祖母が内職をして蓄えたお金で私だけの為に求められた水蜜。それが祖母の密かな唯一の楽しみ。そんな祖母に答えることを私は知っていた。どんな食べものよりも美味しそうに食べた、そして種だけになっても口の中で遊んでいた。しかし口の中で隅々まで広がる水密の甘さに僅かな人間の悲しみの味がすることも知っていた。浄瑠璃を語ることが好きで、不幸な主人公に自分を重ねることしか知らない祖母の悲しい味がした。
今でも水密の入っている包みを開くと祖母の汗の臭いがする。
★この文章を書いた人→ten★こんな時間に→2004年06月25日 21:18
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