ヒラ工作員の日常〜入力編〜
五月の闇夜

2004年05月09日

 電子書籍

富田 もし世に言われている電子書籍、あのボイジャーが推進しているようなものがですね、たかだか紙の本が電子ファイルになって、スクリーンで読めるだとか、1冊のこういうのに10冊入るだとか100冊入るだとか、それだけのことだったら、電子出版なんてものに何の意味がある? ありますか? こんなわざわざ高い機械をつかってパソコン使わないと読めない、さらに、すばらしい解像度かもしれないけど追加の5万円ぐらいする機器を買ったり、そんなものを買ってやるよりも紙の本で十分のような気がします。

富田 けれど、紙の本をささえる出版社、書き手がいて出版者がいて、印刷所がいて書販があって図書館があって、そういう枠組みではささえられない、ほんとにタダで公開できる、さまざまにファイルを利用できる、そういう枠組みをつくる、その突破口が電子書籍・電子出版によってひらけるのだったら、はじめて電子書籍にはわずかな存在理由がある。そういうものがやれるのであれば、紙の本でできなかったこういうことが手がかりをあたえてくれるのであれば、それだったら、電子書籍というものにはひょっとしたら可能性があるかもしれない。そう思います。



以上は、ブックフェアの富田さんの講演からの一部引用です。講演のいちばんおしまいの部分です。たももさんの公開録音を打ち起こしました。

・メジャー/マイナーをこえること
・既存の流通形態をこえられること
・無償公開
・再利用・再生産

電子書籍からちょっとはなれます。
デジカメはいまやまったくあたりまえのものになりましたが、その特徴の一つが、失敗をおそれずに何枚でも撮影ができること。気に入らなければモニタで確認して撮りなおせる。そうやって撮影してたまったデータは、CDへ焼き込むなり、好きなものだけを選んでプリントすることができます。

その結果、ぼくのばあいどういうようなことがおこったかというと、いますぐプリントするまでもない写真データがたまりにたまった。捨てるにはもったいない。けれどもわざわざプリントするのはめんどい。ウェブや電子本に加工するのもちょっと手間。必要ならば画像のカタログソフトで確認できるのだから。ノートパソコンなら茶の間にでも友達の家にでも持っていって見せられる。だからプリントするのは、せいぜいひとにプレゼントするものくらいでかまわない。そのほうがプリントのコストや手間もかからない。

そうはいっても不満が残った。パソコンのモニタはけして小さくはないのだけれど、大勢で見るには不服だからです。正面で操作しなければならないし、裏からは見れない。そこで、ちょっと試してみて予想以上にうまくいったのがテレビへの画像出力です。2000年前後から発売されたノートPCには、プレゼンなどのためにSビデオ出力端子があります。それを家庭用テレビへつなぐ。そして、写真のスライドショーをスタートさせた、というわけです。

パソコンのモニタにくらべたらさすがテレビ。数メートルはなれたところから見るくらいでちょうどいい。しかも、みんな席を移動することもない。けれどすぐに気がつくのが、音声がなくてさびしいということ。4才の甥っ子は「どうしてテレビから声が出ないの?」とたいへん不思議がります。写真のスライドなのだから無音なのはいうまでもなくあたりまえのことなのですが、この「どうして?」という問いかけは大きな意味のある問いかけです。

ここで、2つのことをさらに試してみました。パソコンの音声出力端子からテレビの音声入力端子へラインをつないで、スライドと同時に好きな音楽CDを再生させること。そしてもうひとつが、スライド画像と音声をテレビのほうでビデオ録画することです。

どうして長々とこんなことを説明したのかというと、このスライドビデオ作成の一件と、富田さんの電子書籍に関するメッセージ、まったくの直感なのですが期せずして共通するところがある、と思えたからです。本格的な動画の取り込みや編集はとうてい不可能なパソコンでも、ひょうたんから駒で、デジカメのスライドビデオをつくることができました。電子書籍とデジカメのスライドビデオ……。

青空文庫のみなさん、ほんとうに「本が好き」なだけなのでしょうか?(^^) 富田さんもたしか、ギターやってらしたそうですよね? たしか『パソコン創世記』では自分でビデオ撮影もなさったとか?



2004.5.9
しだ/PoorBook G3'99
転載・引用・リンクは自由です。

★この文章を書いた人→PoorBook G3'99★こんな時間に→2004年05月09日 03:33 ★トラックバック


 コメント

「好きなこと」には、本を読んだり映画を観たり、という受動的な楽しみと、電子本を作ったりビデオを撮影したり、という能動的な楽しみの両方があって、両方をバランス良く楽しんでいると、さらに楽しみが拡がるのではないかと思います。音楽を聴くのも演奏するのも好き、というのも、そのひとつですよね。いまだにカラオケが衰えないのも、音楽を手軽に、能動的に楽しめるからなのでしょう。

パソコンというのは、受動と能動の両方が楽しめる機械です。パソコンで動くものは全て、使うことも作ることもできます。本も、ウェブページもしかり。プログラムだって作れます。私はもともと、モノを作ることが好きなので、パソコンは性に合ってるのだろうと思っています。

本というものを受動的に読むだけなら、おそらく、紙の本に勝るものはないでしょう。電源も要らないし、落としても壊れないし、ソフトとハードが一体化していて、別々に準備する必要もない。そこから電子本に一歩踏み出すには、誰かが用意してくれるものを楽しむだけでは物足りないという、ちょっとした「能動性」が必要なのかもしれません。そのあたり、大久保さんの「手段としての電子本」につながっていく要素ですね。

ちなみに、富田さんは、ギターだけでなく、歌も歌ったりしていますよ。(「本の未来」収録CD-ROMより)

Posted by: LUNA CAT at 2004年05月09日 09:11

>富田さんもたしか、ギターやってらしたそうですよね?

>ちなみに、富田さんは、ギターだけでなく、歌も歌ったりしていますよ

段々正体が明らかになっていく冨田倫生であった。「青空文庫」世話役は仮の姿で、本職は歌手だったとか・・

ついでに作詞作曲もなさるとか??

今度ぜひコンサートを。

「青空文庫」の世話役の方は音楽好きの方が多いようですね。

私は・・・・

音楽を聴いて、読書はできません・・

音楽を聴いて、映画をみていますが、

聴いていないのも同じなので入場料を半分返して欲しい。

音楽を聴いて、買い物をする(スーパーに流れるBGM)と歌詞に惹かれて必ず買い忘れをします。

カラオケへ行ってもマイクを持ちません。画面に流れる歌詞をじっと見つめているので、カラオケをでたら喉ではなく、目が痛いです。これってやっぱり能動的なのでしょうか?

Posted by: ten at 2004年05月09日 09:39

> 富田さんは、ギターだけでなく、歌も歌ったりしていますよ。(「本の未来」収録CD-ROMより)

「本の未来」を読むとき、CD-ROMは読むのにじゃまなので、ビニールケースごと剥がして、そのまま中身を見ないで長いあいだ放置していました。

ある日、机の上を掃除しているとそのCD-ROMが出てきたため、ためしにパソコンで中身をのぞいてみたところ、「本の未来」という書物の本当の正体が分かりました。

この本については、おまけに見えるCD-ROMの方が本当の中身で、製本された書籍の方は、ブックレットとかライナーノーツ(?)のような意味あいのものだったんですね。

CD-ROMの中には、もちろん「本の未来」本文のテキストも収録されています。

でも重要なのは、それ以外に、いろいろなものをつめこんだアルバム(写真や音楽など)が収録されているというところ。

'90年代初頭に登場した(コンピュータ)マルチメディアという手法は、'90年代なかばインターネットという大津波に飲み込まれ、現在、それはさまざまなウェブサイトを土壌に花を咲かせています。

'95年インターネット普及のはじまり以降の展開は、なんだか人が夢をみる時間を追い越すような速さだったなぁ・・・

Posted by: (尚) at 2004年05月09日 14:59

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