私の「書く」ということ
ヒラ工作員の日常〜入力編〜

2004年05月06日

 未来に本を!

この機会を逃すと感想が書けなくなりそうなので、青空文庫メーリングリストオフ会と富田さんの講演の感想を書いておきます。

今回始めて青空文庫メーリングリストのオフ会に出席し、富田さんそして世話役の方々に初めてお会いし、ブックフェアでの富田さんの講演を聞く事が出来た。感想は一言に尽きる。「皆、書籍が好きなのだなあ」である。

オフ会(午後の部)は、azurの展示会になってしまったようだが、特に議題がある訳でもないのに、皆いろいろのことを話していた。その話題は、決して「文学」でもなく「出版」というものでもなかった。青空文庫の工作員、耕作員の全てが、いわゆる「文学」「出版」に通じている訳でもなく、「文章を書く」ことを目指している訳でもない(と思う)。では、何が工作員、耕作員の共通項なのだろう、と思っていたが、実際にたくさんの方とお会いして、その疑問は氷解した。皆、「本」「書籍」が好きであることが共通項なのだと思った。「本」「書籍」が好きであることと、「文学」が好き、または詳しいことは重ならない。もちろん、「本」「書籍」が好きなことと、「出版」のプロ、または通じていることも重なりはしない。私が勝手に見いだした共通項は、次の日の富田さんの講演を通しても感じられた。

ブックフェアで富田さんの講演を聞いた。印象的だったことは、
1)富田さんが「運営役」と紹介されたことに対して「多くの人の力を束ねる世話役である」と反論されたこと
2)著作権保護の二つの側面を紹介されたこと(文化の大きな流れに著作をゆだねること、多くの著作権関連の書物、文献ではあまり紹介されていない)
3)エキスパンドブックがあってこそ、青空文庫を始めたこと
である。

1)に関しては、最近とみに誤解される人が多い点である。青空文庫は、多くの工作員の力の結実である。運営する人がいる訳ではない。多くの人が出来ることを出来るだけ行ってファイルを作成、公開しているのだ。世話役の方の苦労は確かにあると思うが、その主な役割は、力をある方向に向けることであるのだ。

2)に関しては、改めて富田さんの講演を聞いて、文字の形で残された文化遺産を広く利用出来るようにすることの意義を痛感させられた。

3)の点で、前日のオフ会で見つけた共通項を見いだした気がしたのだ。青空文庫がテキストアーカイブの側面を強めているのが確かなのだが、その中でも今回azurの開発へも協力し、コンピュータ上で読書の未来を考えていることも確かであろう。そして、その原点がエキスパンドブックである。私自身、エキスパンドブックの美しさに惹かれて青空文庫の活動を始めたのである。富田さんは、また紙の本の大変便利な点を強調しておられた。このあたりのお話を聞いていて、「富田さんも本、書籍が好きなのだなあ」と思ったのだ。

繰り返しになるが、青空文庫の工作員のほとんどは、「文学」「印刷」に素人であり、「自分の文章」を発表したい、と思ってもいないだろう(誤解ならすみません)。では、何故、工作員をしているのか。私自身は「未来に本を」と思い、孫や子がいろいろな文章を手軽に読めるようにしてあげたい、と考えて工作員をしている。でも、確かに「本」「書籍」が理屈抜きに好きなのも確かなのだ。本の売り上げや出版点数の統計には詳しくないが、出版された本があっという間に絶版になってしまうことは、実感される。10年前の本も容易には手に入らないのである。こういう状況にあって、「紙の本」が大好きな人たちが、「電子テキスト」に未来を見いだした結果が、青空文庫なのではないかと思う。「紙の本」が大好きでありなあがら、電子テキストを作成するしかないのは矛盾かもしれない。しかし、azurの登場は、そんな人たちにも明るい未来を予感させたのではないか。オフ会では、azurは大人気であった。やはり、皆さん「紙の本」が大好きなのではないだろうか。

★この文章を書いた人→門田裕志★こんな時間に→2004年05月06日 20:36 ★トラックバック


 コメント

「青空文庫」への敬意を込めて「うわづら文庫」をやっております岡島です。 http://www.let.osaka-u.ac.jp/... blogへ書き込むのは初めてなのですが、門田さんに触発されて書きたくなりました。

私も、本が(書物が)好きです。しかし、今の私を見ると人はそれを信じてくれないでしょう。なぜかというと本を切り裂いているからです。なぜ、私はそんなことをするのでしょうか。

数年前、ある図書館での話です。「書庫が狭くなってきたので本を棄てるべきである」という意見が出されました。「時期尚早である。現在webcatなど目録の電子化が進んでおり、これが進めば、あふれている本・希少な本の判断が付けやすくなるであろう。さらには電子化も行われ、本を棄てることによるデメリットを少なくすることもできるであろう」という反対意見。だが、「本の電子化など進むものか。著作権があるではないか。そんなものを待たずにすぐに棄てる本を選ぶべきだ。」と強硬な主張。

その話を聞き、私は、自分で電子化を推し進めねば、と決意したのでした。余所で電子化するのを待っていては行けない。そのためには本を切り裂きもしよう。

背表紙を切り落とせば、ADFを使うことによりスキャニングの手間は大きく減ります。

最初はかなり抵抗がありました。でも次第に慣れて行くのです。津野海太郎氏が、OCRを使ったことによって「書物が溶けて行くように感じた」ということを確か書いていらしたと思うのですが、私の場合は、書籍を裁断してADFにかけて画像にしたとき、それを感じました。

今でも、紙の本が大好きですし、手触りや見た目などから、この本とあの本は仲間だ、などという感覚が重要であることも知っています。それでも、今は無理矢理にでも電子化を進めたいのです。

「一冊の本、もし裁断されずば」

「一人ぐらいはこういう馬鹿が居なきゃ本の電子化はない」(スキャナー仁義)

さて、青空文庫にはAZURが現れましたが、「うわづら文庫」をやっていて、欲しくなるものは、行の再配置をしてくれる画像ビューアーです。縦書きの書物は段組にでもなっていないと横型のモニタとは相性が悪いのですが、これを画面の中に収まるように再配置してくれるビューアがあるとよいのにな、と思うのです。OCRソフトは、斜めのものをまっすくにしたり、縦書き横書きを自動判別したり、段組を見抜いたりしているので、これに何かが加われば出来そうな気が、素人目にはしているのですが。

と、門田さんに触発されて、長く書いてしまいました。

Posted by: 岡島昭浩 at 2004年05月07日 22:31

どうもありがとうございます、岡島さん。

「うわづら文庫」は「青空文庫」の心強い味方だと思っています。たとえば、これから青空文庫では、入力底本を探すという作業がだんだん難しくなっていくような気がします。というのも、有名な作家があらかた作業を終わり、だんだんと歴史の影にかくれた作家や、あるいはたまたま底本が手に入らないために入力から外れてしまった作品、などなど色々理由はありそうですが、そういうふうに底本が手に入らないとき、「うわづらにある!」ということで、誰か新しく入力するかもしれませんし……。

「せめて」が繋ぐ次のステップというのは、とても明るい未来なのではないか、と思っています。

付記:この間、私も初めてOCRにかけるために本をばらしたのですが、やはり最初は悲鳴を上げたくなってしまいました。それにしても、棄てられる本が悲しい。その中には、たくさんの無名の本(いわゆる純文学系ではない本、一般書籍などなど)があるのでしょうね……それらの本をすくいあげて、倉庫でも借りて「青空一時保管庫」みたいなのを作りたいくらいです。もったいない……

Posted by: 大久保ゆう at 2004年05月07日 23:29

あ、どうもありがとう、というのは、岡島さんの作業に対してです。……と言わないと、私が門田さんだと間違われそうなので……(やはり私はそそっかしい)

Posted by: 大久保ゆう at 2004年05月07日 23:31

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