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まだ続くのか、と訊かれたら、まだ続きました、と答えるしかなくて、でも今回で終わるのでご勘弁下さい、と言葉を続ける。今回は前2回の総括にしたいと思います。
「手段としての電子本」
今、色んな人たちが「デンシボン・ザ・ガジェット」なるものに踊らされているところを見ると、富田さんはやはりすごいと思わずにはいられない。富田さんはその著書「本の未来」にあるように、電子本をずっと「手段」(言い換えるなら「ツール」)として見つめ続けてきている。
電子本があれば、何が出来るのか。こいつには、どんな可能性があるのか。この生まれたてのかわいい電子本ちゃんは、いったいどんな子なのだろう。
たぶん、そういうことを全部わかった上で、青空文庫を始めた。あらためて言う必要なんてないのかもしれないけれど、この富田倫生という人はすごい人だ。(こういうふうに、富田ファンはいたるところにいる。先にレポートを書いてくれたJukiさんもそうだし、それにトラックバックした多村栄輝さんもそうだ。私もそう。)
かく言う私も、数年前、電子本というガジェットに踊らされていた。けれどもあるとき、ふと自分がダンスしていることに気が付いて、電子本くんに対してまったく失礼な態度をとっていたんだな、というふうに思った。自分のことを書くのはなんだかあれだけれど、そういうことに気づいて、電子本を手段として取り戻す過程を、二年くらい前に「緑茶の頃合−T-Timeといっしょに−」という短い文章にして書いた。これはポシブル堂に行くと今でも読める。
そのポシブル堂の田辺浩昭さんと、24日の夜、青空文庫のオフ会でお会いした。田辺さんは予想通りの熱い魂を持っている方で、二人ともお酒が入っていたのだけれど、とても熱い話をした。その中に、こんな言葉があった。
「世の中には、もったいない本がたくさんあるんですよ。」
もったいない? それはいったいどういう本であろうか。ということを田辺さんに訊いてみると、こういうことらしい。
もったいない本というのは、いわゆる地方で自費出版されるようなもののことで、読む人が読んだらとても面白い本であったり、あるいは市場には乗せられないけれど、とても貴重なことを書き記しているようなもののことを差すらしい。たとえば郷土資料であったり、廃線になった鉄道路線の記録だったり、自分史であったり、どこかの研究同人誌であったり。そういったものは自費出版されても、百冊とか二百冊くらい刷って、あとは知り合いに配ったり、図書館に寄贈したり、新聞に告知して連絡があった人に贈呈したり、そんな感じで終わる。
そんな小さな範囲で終わる本は、とてももったいない、と田辺さんは言う。
「どうしてお金を出してまでして、自分の書いたものをそんな小さな範囲で終わらせるんでしょう。みんなに読んでもらいたいのなら、電子本で出せば、もっと多くの人に読んでもらえるのに。」
そう言う田辺さんの眼はとてもせつなそうで、心底、電子本が世の中に広まってほしいと思っておられることが、ひしひしと伝った。この話を聞いて、私はもっともだと思った。
電子本は、もっと手段として欲されるべきだ。
けれども、みんな「電子本という手段」を知らないのである。知らないから、思いつくこともなくて、あるいは電子本というガジェットは知っていても、そういう手段があるということは知らない。だから、電子本では自分の本を出さない。
なんてもったいないことだろう。
私が友人と電子本サイトを始めたのも、ひとつには電子本という手段があるということを知ってほしかったからだ。富田さんの言葉を借りるのなら、「電子ガリ版」という手段が、T-Timeというものによって用意されているのだということを。
それでも人はまだ電子本のことを知らなくて、本は小さく終わる。そして地下へゆく。
悲しすぎる!
となったところで、もうそろそろ今回の一連のレポートのまとめをしてみたい。私が今回の上京でわかったことは、以下の通りだ。(といっても、再確認できた、ということかもしれない。色んな人がすでに気づいていることで、私が偉そうに言えることでもない。)
「多くの人々にとって、電子本はいまだガジェットとして認識されている。電子本は、その幻影を脱ぎ去らなければならない。あるいは、これまで以上に多くの人の手によりながら、その呪縛を解き放ってゆかなければならない。もっと、その可能性を、その姿を伝えなければならない。」
私は少しでもそのお手伝いをしようと、前に書いた「緑茶の頃合」を書き足している。もともとこれはT-Timeを知っている人に向けて書いたものだから、電子本というガジェットとしての出会いの部分は欠けているし、またその後の展開も書かれていない。私の書くものだから、基本的には面白くないものができるかもしれないけれど、ないよりはましだと思って書いている。
なんか本末転倒だけれど、本屋の出版関連のコーナーとか、あるいはパソコン関連書籍の並んでいるところに、「あなたにもできる! 電子出版」とか「1万円からはじめる電子出版」とか「電子本があなたの想いを届ける」というようなハウツーものおよび啓蒙書が置かれてくると、電子本という手段を知る人はもっと多くなるのだろうなぁ。
富田倫生「本の未来」(アスキー出版)が出てからもう7年。この本も、もう手に入らないのだろうか? もうそろそろ、「こんにちは! ぼく電子本です! みんなよろしく!」みたいな本がもう一度出たりはしないのだろうか。手段としての電子本を見つめた本が。
アマゾンを検索してみると、色々と出てくるけれど、みんなビジネスがらみだし。(もしかすると私が知らないだけで、もうそんな本が出ているのかもしれない。だったら何も問題はなくて、私はただその本をおすすめすればいいわけで。)
知と美を、もう一度自由にすることの出来る電子本。そして潤沢な知と美に触れた人は、またさらに新しい知と美を生産することが出来るのだろう。
知と美を自由にする土台は、ネットワーク。ツールは、広義の電子本(T-Timeやblogなど)やその他もろもろのメディア。そして思想は、クリエイティヴ・コモンズ(およびパブリック・ドメイン)。よくよく考えてみると、もうみんな、すごい人達によって用意されているわけだ。あとは人が動くだけ。そうすれば、知と美が世界中を駆けめぐる時代がやってくるんだ。
ああ、早くそんな時代が来ないかなぁ。
考えるだけで、わくわくする。
★この文章を書いた人→大久保ゆう★こんな時間に→2004年05月04日 12:52 ★トラックバック悲しいかな・・電子本を理解していない人が私の周りにも沢山いるのですね。その中から、発行部数や装丁にもよりますが、うん百万円をかけて自費出版した人が本を送ってきます。中には出版記念パーティをする人もいます。そういう人の殆どは、電子本を知らないのです。知っていても、紙の本が上だという既成概念から外れることができないのですね。
私は、紙で本を出す資金もないし、家にダンボールに詰まっている自分の本にため息をつくのも嫌です。電子であれ、何でもいいので、読んでくださる人がいれば。特にここaozora blogは居心地がいいので。・・ここに書いたものが纏った数になったらエッセイ本の電子本にして、田辺さんのところに置いてもらうな・・
誰もダウンロードしてくれなかったりして・・・
Posted by: ten at 2004年05月04日 21:26きっとダウンロードしてくれますよ!
電子本を出していて感じたのは、思っているよりも人は読んでくれる、ということです。たとえば、10人ダウンロードしてくれると、私は「10人も!」と喜んでしまいます。自分の知っている10人よりも、自分の知らない10人の方がうれしいので、私はやっぱり電子本が好きです。
Posted by: 大久保ゆう at 2004年05月04日 22:12電子本に限らず、パソコンというもの自体、いうまでもなく「手段」にすぎないのだけれど、そこのところから認識がズレている人々が、世の中には多いのだろうと思います。世間一般の初心者用パソコン書籍は、いまだにパソコン自体を目的化しているものがけっこう多いんですよね。「これであなたもパソコンができる」「パソコン入門」「10日でパソコンが使える」etc.、etc.
「メールのやりとりをする」とか「報告書を作る」とか「プレゼン資料を作る」とか「年賀状を書く」というのが目的であって、パソコンはその手段にすぎないわけですが、「何となく、パソコンくらい使えなきゃ」と感じているらしい多くの初心者が、「パソコンを使う」という、漠然とした入り口から入ってくるようです。「年賀状を書きたいからパソコンを使う」ではなくて、「何となくパソコンを買ってしまったから年賀状でも書かなきゃ」なんですね。
電子書籍に対するスタンスも、それと似ているんじゃないでしょうか。まず「電子書籍」という、漠然としたものがあり、それを「使ってみる」といったような。本来は「本を出したい」→「どんな手段があるのか」→「紙の本ならこんな感じ、電子本ならこんな感じ」→「では、電子本にしよう」といった流れが自然なのだろうと思うのだけれど、いまのところ「電子本を出してみようか」→「何を材料にしようか」みたいな流れが多いように思います。
「パソコン買ったけど何に使おうか」→「とりあえずパソコンの入門書を買ってきて読む」→「年賀状でも書こうか」という流れが一段落して、パソコンを手段として認識する人が増えれば、電子本も手段として認識される段階に到達するのではないかと期待しています。まだもう少し時間がかかるかもしれませんね。
Posted by: LUNA CAT at 2004年05月05日 01:38なるほど、まだパソコンそのものがそんな状態なんですね。(よくよく考えてみると、私と同世代の人たちの中でも、パソコンはちゃんとツールとして認識されているかどうかと聞かれたら、不安になります。)
となると、認識が広がるまでにまだ10年くらい必要だったりして……
Posted by: 大久保ゆう at 2004年05月05日 12:34あるとき欲しい外国の作家の作品があって、何気なく友人にメールで書いたら、「貴女は、紙の本でなければ嫌なのですか?HTMLで公開されています」と返事がきました。確かに某サイトにその作家の作品が公開されていました。そのときその友人の意識の中には、電子本も根付いているのだなと思ったものでした。。
パソコンを読書ツールと言う前に、パソコンというものは、興味がある人とない人にはっきり分かれますよね。興味があるからといって、読書に使うとは限りません。実際私の知人でもパソコンを自分で組み立てたものを使うという人がいますが、電子本というと何のことか知りません。
計算や文章つくりの手段であっても読書の手段として根付くまでには時間がかかるのでしょうね。時間もかかるが人口として増やすにはどうしたらいいのでしょうね。有効策がないままジレンマに陥っているのが電子本の世界ではないかと素人の私は思ったりします。
Posted by: ten at 2004年05月05日 15:51電子的な本の観念もじわじわと広がってきているのでしょうか。もう数年後には、普通になっている、なんてことも、今の世の中ではありそうですしね。
個人的には、パソコンってやっぱり得体の知れないもので、何に使えるか最初から未知数のまま存在している、っていう感じがします。そこがパソコンを作った人のすごいところですが、とりあえずやりようによっては何でもできるものを作っておいて、世間に放り投げたら、たくさん使い方が出て来た、ということでしょうか。パソコンには一応説明書がついていますが、本当の使い方は自分で見いださなきゃならないのですよね、きっと。なので、電子本を知らない人が多いというのは、パソコンの使い方の一つとして、まだ電子本が多くの人に発見されていないということで。そういう意味では、当たり前なのかなぁ、と思います。
ジレンマ……もしかして、私も含めて、焦りすぎなのかもしれませんね。電子本に関しては。
Posted by: 大久保ゆう at 2004年05月07日 21:56