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「宮沢賢治の作品は、JAZZなんですよ」
数年前の秋の夜の中華料理店で、浜野智さんは、炒め物をつまもうとした箸を止めて、目じりに皺を寄せ優しい口調で、私に言った。宮沢賢治の童話が苦手だと言った私に対しての彼のひとことだった。
「JAZZですか・・」
私は曖昧な言い回しで返したように思う。音楽の知識が皆無、しかも音痴で無知な私は、JAZZとは何か知らなかったのである。アメリカで生まれた音楽だというくらいしか。だからJAZZだといわれても、益々賢治の童話に対して「混迷」を深めてしまうだけであった。
そのお会いした年、私は浜野さんと電子本の仕事をさせて頂いたことが縁だった。と書くと対等に聞こえるが、浜野さんの押しかけ?弟子なのである。HTMLをHTLMとメールに平気に書くような飲み込みの悪い弟子を持って浜野さんは、電子本の作成を教えるのに大変苦労された。それ以来「編集長」若しくは、変換ミスのまま「変酋長」とメールで呼ぶ。
その浜野さんの編集に参加された「風都市伝説」という本が音楽出版社から出た。1970年代に「赤色エレジー」で有名なあがた森魚、南佳孝、山下洋輔トリオ他が在籍していた「風都市」というプロダクションがあった。そのプロダクションは当時の音楽界に新しい風を送り込んだのだという。同じ編集者の北中正和さんのあとがきによれば「優れたアーティストを紹介し、プロディーサー・システムやメディア・ミックスのアイデアを提唱し、日本のポップ・ミュージックの行方を予言した」とある。その予言に関係した人たちが、プロローグをいれて4つのパートで、重なり合った部分も含めて、176の証言をしている。その中に細野晴臣、松任谷正隆、由実夫妻の名前も見える。そういった名前に惹かれるものの、音楽と無縁の私には、ここで書かれて居ることの殆どはわからない。わからないが、もちろん当時の関係者の音楽に対する情熱はわかる。その情熱と、証言として集めて本にしたいという編集者たちの情熱とが絶妙なバランスを保っているという不思議な本である。絶妙なバランスは、どこか芝居じみていて、1970年代を背景にした芝居の台本と置き換えてもいいのではないかと思った。
読んだ人は懐古趣味だというのかもしれない。渋谷の横丁から文京公会堂のステージまで徹底的に浸る懐古趣味というものもまた、それはそれで潔いものだと私は思う。
未だに私は賢治の童話とJAZZというものがはっきりと結び使いつかないでいる。JAZZというものがわからなければならないことだから、きっと一生結びつかないで終わるのではないかと思うが、それもそれでいいのだとも思う。
4月25日の午後、東京国際ブックフェアで聴いた富田さんのお話について、記憶とメモ帳を元に短く書こうと思います。ただし、筆者が青空文庫の工/耕作員であること、且つ富田さんファンであるが故に、偏見が入っているおそれがありますので、その辺ご了承下さい。
始まる直前、六つあるベンチの内三分の一は空席でしたが、はじまってしばらくして後ろを向くと、ベンチは埋まっていて、その後ろに少なくとも20人ほどのお客さんが立ち止まって聴いているのを見ました。
富田さんが立たれた今回の舞台は、いつも以上に他の場所の大音声が響き渡る所です。他の日でも講演者の方々は苦労されていました。(マイクの音声をこちらも上げればすむかもしれないけれど、それはしたくはなかった、と開催者に後でうかがいました。)
でも、他の講演者の方々が奮闘されたように、富田さんも負けなかったのです。大声ではなかったけれど、彼自身が持ち続けた熱意によって、お話がはじまった直後から、聴き手を自分の世界に引きずり込んでしまったように思われます。となりに座っていた方は、いちいちうなずいていました。時々目をつぶって聴いていました。何かを思い出しているかのように。
ちらちらと見た後ろや横のお客さんたちの表情、自分の汗ばんだ両手を感じながらあっという間に一時間が過ぎた時、私は疲れました。おそらく富田さんと聴き手双方からの熱に当てられたからかもしれません。
agさんが一つ前のエントリーにて紹介された講演画像を見て聴いていただければ内容はわかるかと思いますが、自分が何を覚えているのかを下に書き出してみます。人によって記憶がいかに違ってくるのか、というサンプルにもなるかもしれません。
・青空文庫の由来。富田さんの自著『本の未来』(アスキー)の「はじめに」『インターネット快適読書術』(ひつじ書房)の第五章「T-Time試論」、そして青空文庫に関してマスコミで述べられている事をもう一度ここで話されたような。極端に短くまとめるならば、「青空を見るのに何の資格もいらない。」(この言葉を、はじまりと終りにくり返して述べられた記憶がある。)
・登録した電子テキストが、自分達の想像を超えた様々な現場で使われるようになってきた。
・azurとエキスパンドブックの間の4年間の歳月。なぜ4年前に青空文庫はエキスパンドブックの形式を採用するのをやめたのか。そして、なぜazurを共同開発することになったのか。一社独占のファイルの形ではなく、皆で共有できるファイルの形を尊重しつつ、かつ美しくよみやすい表現で読みたいという願いがそこにあった。
・著作権が持つ二つの目的の再認識。先人は青空文庫に先立ち、知識の共有を宣言した。スクリーンに映し出されている岩波茂雄「読書子に寄す」を読み上げた後、「もし岩波茂雄が8年前にいたならば、岩波文庫ではなく青空文庫のような仕組みを作っていただろう。」
ずっと富田さんが握りしめていた右手は、とても汗ばんでいたかもしれないけれど、もしかしたらその手は種子を握りしめているのかもしれない、と今の私は想像しています。
4/24に東京は茗荷谷の「さくら水産」で青空文庫オフ会がありました。そして、4/25に東京国際ブックフェア2004、新潮社・講談社・筑摩書房・NTTソルマーレ・東芝・ボイジャー共同ブースで富田さんの講演がありました。以下に、その様子をちょこっと。


富田さんの講演については、
http://www21.big.or.jp/~tamomo/CompMusPrj/bookfair2004/tomitamitio.htm
を見てみてください。要QuickTime、要ADSLですが。それに、隣のブースのAdobeがうるさい!
遠路はるばるいらっしゃった方、それに富田さん、ご苦労様でした。
斎藤茂吉の短歌は視覚的だ、色彩表現が豊かだ、とはよく言われることで、逆白波、赤光、白き山、赤蜻蛉、つばくらめ、白雲、乳汁の色……とくに、赤の表現が多彩で印象的だ、ということをニヤニヤしながら芳賀徹さんが言ってました。
工作員という表現を使っていて、無味無色だといういいのがれはちょっと無理あるような。もっとも、タケさんの「もっと他の文豪の作品が読みたい」という想いよりも、宮本百合子ファンの静かなる情熱のほうが勝っている、ということはいえそうで。勝ち負けに意味はありませんが。
でも、掲載される作品に偏りを感じるのは、タケさんと同意見です。政治的偏りではなく、趣向的偏りだろうと思いますが。これは思うに、入力マニュアルが極めて精密になったからではないだろうかと、工作員をやりながら時折感じました。決まり事が細密なのはいいことであるいっぽう、完全に理解し実践するには根気と労力が入り、結果からいうと青空の作業をこなせるひと、青空の作業をやってみたいと思う人をふるいにかけてしまっているのではないかと。まったく根拠のない想像にすぎませんが。
作業中一覧を見ると、新旧工作員が入り乱れてますから考えすぎかもしれませんが。工作員が増えて作業作品が増えると、結果、世話役の方々の精神的かつ奉仕的負担が増加するからなのかなあ、などとも。憶測です。
天童舞鶴山は桜が見頃になりました。が、昨夜は天童にも遅雪が降りました。積もり
はしませんでしたが。女子サッカー対北朝鮮戦を観戦しながら、窓の外で桜吹雪の如
く降る雪を見ていて、ふと、沖田総司のことを思い出しました。
たしか、総司の亡くなったのが、今頃の季節だったのではと思ったからです。そこで、司馬遼太郎の『燃えよ剣』をちょっとカンニング。すると、総司の命日は5月30日。で、近藤勇が流山で処刑されたのが4月25日(!)でした。旧暦ではないかと思いますが。
【訂正】近藤勇:慶応4年4月3日、下総流山にて降伏し、25日に板橋にて処刑。『新撰組全隊士録』古賀・鈴木(編)講談社2003.11.より
総司の姉おみつは、病床の彼を見舞ったあと、夫といっしょに庄内へ逃れてきます。
司馬遼太郎は「病気が治ったらわたしも庄内へ行って六十里街道で新政府軍が来るの
を防ぎますよ」と総司に言わせています。
カート・コバーン命日から十年(4月5日)、尾崎豊が十三回忌(4月25日)かあ……
2004.4.25
しだ/PoorBook G3'99
桜も散った頃、ある文学サークルの懇親会の宴もたけなわのころのことである。A氏と私はちょっと疲れたので宴席の隅の方で黙って並んでぼんやり座っていた。喧騒の中の沈黙を破ったのはA氏の方だった。元アナウンサーの彼は、艶のある低音で私の耳元で囁いた。
「なぜB君が、女性にモテるのか、わかりますか」
そのBさんは、2つ程向うのテーブルにいた。その長身を折って床に膝を着いて、年配の女性のグラスにビールを注いでいる。数年前、放送局を退職して奥さんと悠悠自適の生活にはいったAさんにサークルを紹介したのはBさんだった。
噂だけはたくさん耳にするのだが、中年のおじさんの彼がなぜ若い女性にまでモテるのか不思議ではあった。
「それなんですよねえ。なぜ彼は若い女性にもモテるのでしょうね。どうみても中年のおじさんですよね。お腹はでているし、特別見栄えがするタイプだとおもいませんね。まあ、話は面白いし、あのようにフェミニストぶりですからね。あれって天性のものですよね。私にはよくわかりませんが。」と私は答えて、ビールを一口飲んだ。
AさんはBさんから目を離すことなく、煙草に火をつけ、一つ深く吸って吐いた。
「僕たち、何人かで飲みにいくでしょう。するとね。飲み屋で、B君は、これと思った女性の横にいくとね、あの調子で話題豊富に上手に話をするのですね。そして女性がほろ酔いの頃に、女性の耳元で囁くんですよ。『き、君のく、口紅の色、き、綺麗だよ』って吃音風に。するとね、なぜか女性はその気になるのですね。そのタイミングといったら、鮮やかなものですよ。僕は、それができないのですね。職業柄すっきり話さないと気がすまないのですね。だから女性にモテないんですよね」
「そういうもんですか。」
「はい、どうやらそういうものらしいですね」とAさんは言った。
「もちろんそのことばだけで惹かれるというものでもないのでしょう。彼にはいいところが沢山ありますからね。しかし一生懸命に心地よいことばを言ってくれるというところが女性にとってはミソなんでしょうね。あまりにもすんなり言うと真実味がないというか、手馴れた感じに聞こえるのかもしれませんね。ほろ酔いだろうが、女性ってしっかりしている部分がありますから。Aさんのように立て板に水で耳元で囁かれたら、反対にきっと感心してほろ酔いも一気に覚めてしまうのでしょうね」私の話にAさんは苦笑いした。
私たちはBさんに視線を持って行った。グラスにビールを注がれている女性は、一心に彼の目をみて話していた。大学で言語学を教えている堅物で通っている五十代の彼女が頬を赤らめて、恋する少女にみえた。
彼等の向うで若い男女がワルツを踊り始めた。それをみて私は呟いた。
「世の中、男と女しかいませんね」
「はい。世の中男と女しかいませんよ」とAさんは答えた。
「恋愛関係って男と女が五分と五分でしょうかしら?」
「五分と五分ですか・・いや、それはないでしょう。ただ傍目みて分が違うと思っても、本人たちがそう思っている場合がありますよね」
「中上健次の『軽蔑』だったおもうのですが、男と女は五分と五分というフレーズがあったの思い出したものですから」
「貴女らしいですね」とAさんは艶のある低音で言うと自分でビールをグラスに注いだ。
Windowsでazurを使って青空文庫を開くと、まずは本文がMS明朝で表示されます。おそらくMS明朝で満足する人はいないと思うので、ここは好きなフォントに変えてみましょう。ためしに内田明さんが作成されたフリーフォント「XANO明朝」にしてみます。

「XANO明朝」をインストールした後、メニューの「表示」から「書体」を選んで「XANO明朝」を選んでみます。

中里介山の「大菩薩峠 勿来の巻」はこんな感じになります。azurの場合、まずは本文の書体を自分の好きなフォントに変えていきます。そして、文字サイズや行間を自分なりの読みやすい大きさに変えていきます。一度設定すれば、その値が次回起動時の初期設定になります。
と、ボイジャーのT-Timeを知っている人ならばあたりまえの事なのですが、知らない人もまだまだ大勢いると思うので、ここであらためて初歩的なことを書いてみました。
次に、このazurの特徴の一つの、JIS X 0213表示です。MacintoshのOS Xには、ヒラギノというJIS X 0213:2000の字形(20000文字ほど)を持つフォントがあらかじめインストールされています。azurは、このMacintosh OS Xで、JIS X 0213対応のファイルを綺麗に表示してくれます。
青空文庫は「明日の本棚」というコーナーにJIS X 0213対応のテキスト・ファイルを幾つか用意しているので、その中の黒島伝治『武装せる市街』をダウロードしてきてazurで表示してみます。azurはもちろん手元にダウンロードしてきたファイルを表示させることも可能です。

このように第三第四水準の文字を、文字コードとして正しく認識して表示します。ただ、azurの場合、XHTMLのルビタグは正しくルビとして表示するのですが、青空文庫のルビ形式(《》)をルビとして表示しません。また、テキストファイルをazurで開くと改行が認識されないので、その場合はメニューの「表示」から「ソース表示」を選ぶ必要があります。
じゃあWindowsの場合はどうなんだ! ということなんですが、これが微妙に込み入っていて、なんとも難しい問題です。先程の内田さんのXANO明朝がJIS X 0213に対応しているので、まずはそれをインストールしてもらって、Windows98、Meで見て貰えば表示されるようです。azurの動作環境に98、Meが入っていないのが問題なのですが。2000、XPの場合は、どうもOS上の問題がいろいろあって、うまく表示できないようです。こちらはazurのバージョンアップに期待しましょう。
最後に、大野裕さんが現在青空文庫のアップされているXHTMLファイルの外字画像部分をJIS X 0213に変換してくれるcgiを作ってくれました。これだけですと何のことだかさっぱりわからないとは思うので、詳しくは大野さんのblogの方をご覧下さい。先程のテキストをダウンロードしてきて見る方法より、簡単に第三第四水準の文字を見ることができます。図書カードに、このcgiにXHTMLを通すボタンがあるともっと便利かもしれません。
青空文庫と株式会社ボイジャーは、青空文庫の収録作品を、簡単に、読みやすく表示する最適ビュワー「azur(aozora unique reader)」を本日発表しました。その「azur(アジュール)」を早速触ってみました。
「azur」がどんなものであるかというと、今まではWebブラウザーで、横書き、スクロールでしか読めなかった青空文庫を、縦書き、ページめくりで読める、というのが一番の特徴です。
青空文庫のトップページを「azur」で表示すると下のキャプチャー画面のようになります。

使用方法は、Webブラウザーとほとんど変わりありません。青い部分をクリックしていけば、リンク先に飛んで行きます。ただ、大きな違いがあるとすれば、先程もふれましたが、文字が縦書きで表示されるということと、ページめくりでページを読み進めるという部分です。
上のキャプチャーのように青空文庫のトップページが表示されますが、この「公開中 作家別‥ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行」の次のページを表示させたい場合は、スクロールではなく、「スペースキー」または「矢印キー」でページめくりを行います。マウスをページの左端に持っていけばポインタが矢印に変わり、そこでクリックすることによってページめくりをすることもできます。
リンクをたどって、ページめくりをすることにより、各作品の「XHTML版(またはHTML版)」をクリックしてみます。「いますぐXHTML版(またはHTML版)で読む」というリンクがあるので、それをクリックするのも一つの方法です。
例えば折口信夫「貴種誕生と産湯の信仰と」の「XHTML版」を「azur」で表示させてみます。

ご覧の通り、ルビや返り点、傍線、インデントなど、XHTMLタグ(及び青空文庫の拡張タグ)を解釈して、縦書きで読みやすく表示されています。その他の大きな特徴として、青空文庫の入力者注のオン・オフ、JIS X 0213対応(予定)などがあります。その辺りの事は、追って報告します。
おそらく、青空文庫を日々活用している人にとって、手放せなくなるアプリケーションになること請け合いです。定価は2100円(税込み)。発売日がまだ決まっていないんですが、お試し版も用意されるようなので、それを試してみて、もし気に入ったならば是非買ってみてください。今後の青空文庫がどのように発展していくかの一つのキーポイントになると思います。

この「azur」のお試し版が入って、2004年3月31日時点の青空文庫全データ(CD-ROMの容量の関係でエキスパンドブック版は割愛)が入ったCD-ROMが500円で、4/22〜25に東京ビッグサイトで行われる東京国際ブックフェア2004の新潮社・講談社・筑摩書房・NTTソルマーレ・東芝・ボイジャー共同ブース(17-4)で販売されます。「azur」のデモもしているので、是非そちらも覗いてみてください。富田さんの講演もあります!
東京の桜が咲き終わると、甲府あたりではそろそろ桃の花の季節となる。
ネット上で情報を探してみたところ、「桃の花開化情報」というページを見つけた。
今年の桃の花の見ごろは、どうやらこの週末あたりになりそうだ。
河口湖から御坂トンネルを抜けると、甲府までは御坂みち*1と呼ばれる長い下り坂になる。この道をしばらく走り周囲の山が次第にひらけ農村部に入るころになると、あたりには花が満開となった桃畑が広がっている。
桃の畑はこの周辺ばかりではなく、甲府盆地を取り囲むよう東側の斜面に広く点在していて、この時期、甲府の周囲の丘や山は、若葉のあかるい緑とともに、はやかなピンクの生地に彩られることになる。
道の両側に桃畑の広がる場所に車を止め、畑の農道を散策していると、先に毛玉のついた長い竿で桃の花に受粉させている農家の人たちに出合った。
「桃の花を見に来たのですが、このあたりでどこか桃畑を見下ろせるような景色の良い場所はないでしょうか」と訊ねてみたところ、夫婦のように見うけられるおじさんとおばさんは親切に色々なことを教えてくれた。
話によると、花の時期は少し盛りを過ぎていて、花祭りは先週末に終わったとのことだった。
もう少し朝早い時間に来れば、(朝のすんだ空気で)雪をかぶった白峰山*2がきれいに見えるんだけどねえと残念そうに言われ、西のかなたに見える春霞にかすんだ白い峰を眺めつつ、なるほどと思ったりした。
御礼を言い教えてもらった高台にある神社に向かおうとすると、おいしい桃の実がなる季節にまたいらっしゃいと声をかけられた。
町営グラウンドの広い駐車場に車を止め、神社には歩いて行くことにした。古い農家のあいだを抜けるなだらかな坂道をのぼっていくと、里山はまさに春爛漫、さまざまな草や樹木が色とりどりに花を咲かせ、あたりをあかるい春景色に染めている。
空気が良いせいだろうか、それとも農家の人たちが草木の手入れに長けているせいだろうか、いなかではどこも花があざやかで立派に見える。

桃畑をとおる農道を歩き神社のある高台に出ると、遠く甲府の市街地が望めるようになり、あちらこちらの斜面が桃の色に染まり、ところどころ、菜の花畑が小さな黄色を添えている。甲府市街のかなたには、かすんではいるが雪をいただいた白峰山。
少し冷たい春風にあたりながら、やさしい日本の春の風景をしばし堪能した。
*1)「御坂みち」は国道137号線のこと.
*2)「白峰山」は南アルプス北部のピーク北岳,間ノ岳,農鳥岳の三山をいう.
<桃の花情報>
・山梨県東八代郡「一宮町のホームページ」
梶井基次郎は「櫻の樹の下には」屍体が埋まっているという。
—桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。—
午後、川辺の桜の名所に行ってみる。数ヶ月前まで、枯れ枝が妖怪の整列のような姿を川面に曝していたことを桜たちはすっかり忘れてしまい、今はその川面を花びらが優しく触れる。花びらが触れる川面に悲しみを落とす。自分へ向けられるべきものを他人へ向けてしまった怒りへの後悔が悲しみとなる。悲しみが、無数の散った花びらと一緒に流れていく。そうやって昔から川面は、人間の悲しみを引き受けてきた。
川辺の桜の樹には屍体が埋まっている。確かに埋っている。人間の悲しみが流れる川面に触れるためには、末端まで神経が行き渡らなければならない、末端まで花が咲かなければならない。だから栄養のある人間の腐敗が必要なのだ。梶井が感じたように私もやっとそれがわかるときが来たのだ。梶井の書くように、これはやはり信じていいことだ。
誰かが肩を叩いた。誰もいない。柔らかさと僅かな力強さの交じり合った感触が残る。その感触を逃すまいと私は自分の右肩に手を置き、桜の樹の根元を見詰めた。盛り上がった根元の下でゆっくりと人は腐敗している。桜の樹の数だけ人は腐敗している。桜の傍に長居をしてはいけないのだ。桜の養分の正体を知ったからには、長居をしてはいけない。私は橋の欄干を離れた。そして二度と桜を振り返らなかった。肩を叩いて去った梶井も振り返らなかったに違いない。
4月は毎年ブックフェアが開催されるので、その期間中の週末にオフ会をするのが青空文庫のならわしとなっています。水牛はまだ一度もそのような集まりをもったことがありません。やってみたいとは思うものの、タイ、イタリア、ドイツ、インドネシア、などなどに散らばっているので、なかなか実現しません。ウエブ上でながいこと知っているひとに、はじめて会うのはとても興味ぶかい経験なのにね。
「水牛のように」を2004年4月号に更新しました。
御喜美江さんが見に行ったイラクのこどもたちの絵は、2月13日に発売された「おにいちゃん、死んじゃった」という本の原画展でした。谷川俊太郎さんの詩がついています。佐藤真紀さんは「こどもたちはいつもけらけらわらっている」と書いていますが、絵にはどこかによろこびがあり、そして、まよいがありません。
さて、今夜(1日)は御喜美江さんのアコーディオン・ワークス2004「ロシアへ」です。19時から上野の東京文化会館小ホールで。ことしは会場で「たんぽぽ畑3」を売ることができません。でも、4月中にはつくりますので、ご希望のかたはメールでご注文くださるようお願いします。
「水牛の本棚」は藤本和子「衰弱そして再生」です。
「女たちの同時代——北米黒人女性作家選」第6巻「真夜中の鳥たち」(メアリ・ヘレン・ワシントン編)について。9人の作家による15篇の短篇がおさめられています。日本語のものは絶版。もとの英語版(Random House)は手にはいります。
「水牛通信電子化計画」は1986年12月号を公開しました。
1986年4月には東京サミットがおこなわれて、警察官総動員ともいうべき警備体制がしかれていました。そのおまわりさんを酔眼で木製の人形と見まちがえ、殴って、現行犯で逮捕された横堀幸司さんの「はじめて逮捕されました」。警察権力への反感はそうとうなものです。ワープロ筆談の家庭版というのもあります。
ことし最初に発売する水牛のCDは、木村迪夫さんの自作詩朗読です。木村さんは山形県の牧野村で農業をし、詩をかいてきました。水牛楽団の「祖母のうた」は木村さんの詩です。牧野村のおたくで、石油ストーブから出る温風をとりこむ新式(?)こたつにあたりながら朗読の録音をしたのは、まだ雪のあるころでした。完成までもう少しです。
CDや本にして、出版しようとかんがえるのは、それをきいてほしい、読んでほしいと願うからです。たとえば「本」といっても、100円文庫から世界に一冊のルリユールまで、すがたかたちはさまざま。安ければいいというものではないし、豪華であればいいというものでもありません。制約はたくさんあるけれど、音や声、そしてテキストを風とおしよく伝えるかたちをゲットするべく、あれこれかんがえたり、つくってみたり……
それではまた! (八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)