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ある年の3月24日、私は生まれて初めてパーティへ行った。場所は、赤坂のPホテル。
風の冷たい日だった。
その一ヶ月前に招待状を受け取っていた私は、着ていくものを持っていないし、想像するだけだが、晴れやかな場所は疲れる場所のような気がして、欠席に丸をつけようと思っていた。ところが、私の部屋の棚の上に無造作に置かれたその招待状を友達がみつけて、私に行かないのかと訊いた。郷里で一人で働いて仕送りをしてくれている母に、ドレスを買うからお金を送ってとはいえなかった。それを彼女に言うと、
「あんたの友達で服飾デザイナー志望が目の前にいるでしょう」といい、「そのかわり上手に着こなしてね」と笑顔で言った。思いがけない友達の言葉に、私は彼女の手をとって飛び跳ねた。
服飾メーカーに勤める服飾デザイナー志望者は、イメージをスケッチして、私にみせた。かざりもない、ウエストにベルトがあるだけのシンプルに裾まで線が落ちているワンピースドレスだった。シンプルなデザインほど着こなしが難しいのだから、上手く着てねと念を押した。
採寸をして、人間の身体を分解したらこうなるのかと納得させてくれるように身頃のパターンを起していった。一緒に浅草の織物問屋へ生地を買いに行った。ピンクのサテンの生地を買った。ボタンやファスナーも。
仮縫いで着てみた。ちょっと丈が長かった。袖も長かった。こうやって着せてもらっているうちは良いが、時間がたつにつれ、着て居る自信がなくなっていくのだろうと思った。と思いながらもモデルになったような気分だった。
それから1週間もしないうちに出来上がった。私はハンガーにかけて、クリーニングで貰ったビニールをかけて丁寧に洋服ダンスにしまった。当日まで何度も着てみた。そして鏡の前で色々な、しなを作ってみた。どれも様にならない。しかしここまできて、友達にパーティに行かないと言えない。
パーティの前日、その洋服を持って、別の友達の家に泊まった。髪を綺麗にしてくれることになっているからだ。看護学校に通う美容師志望の友達だった。枕が変ったらただでさえ眠られないのに、ドレスの裾を踏んだら・・とか色々失敗することを考えた。
そんな失敗をいくつ想像しようが、朝は来る。睡眠不足の腫れた目で鏡台の前に座った。一緒に泊まってくれた美術大学へ通う画家志望の友達が、メイクをしてくれた。なぜ彼女がしたのか今だにわからない。画布に絵をかくことも顏に化粧を塗ることも大して差がないのか・・それが終わると部屋の持ち主である看護学校に通う美容師志望の友達がブラシを片手に鏡越しに私を見た。「看護婦を止めて、やっぱ美容師になるかな」と一人ごちりながら、私の肩甲骨まであった長い髪を横から丁寧に細かく編み込んでドレスに合うように結っていった。
洋服を着た。服飾デザイナー志望、画家の志望、美容師志望の看護学校生と彼等の合作の完成である。中味である私は作家志望だった。
胸にミンクの毛皮のグレーのブローチをつけた。そして黒いトレンチコートを羽織り、ドレスの裾をちょっと持って気取って、グレーのハイヒールを履いた。片手にちいさなバックを持って、みんなが駅まで見送ってくれた。改札口でみんなの心配そうな視線を感じながら、私は普段の私ではないと思い込んで電車に乗った。電車と地下鉄を乗りついでいかなければならななかった。
会場に着いて、受付で記帳をした。知り合い、友達が何人か声をかけてくれた。振袖の人、ドレスの人、みんな華やかである。座が賑やかになるにつれ、私は壁にはりついていた。性分がそうさせたというのもあるが、会場に入る前から少しずつ感じていた足の痛みが酷くなってとうとう動けなくなったのである。スニーカーでのびのびと育った足だった。先が細くなっているヒールなど拷問を与えているようなものだった。バイトをして溜めて買ったヒールである。あの時は履けたのに。歩いてもみたのに。とうとう私はヒールを脱いで、ヒールの上に足を置いた。満足そうな足をこれからどうしようと思った。パーティの最後まで、私は、じっと座っていた。上手に着こなしてねと言った友達の声を思い出したが、着こなしそのものが不要だったようなものだ。普段のしゃれっ気のない私を知っている人が、ドレスや髪型を褒めてくれ、テーブルまで誘ってくれたりしたのだが、ひたすらじっとしていた。
ひたすらじっとしていても帰らねばならないのだ。私は何事もなかったように、最後の乾杯でグラスを上げた。そしてそれを飲み干すと、知人と会場を出た。私は用事があるから急ぐと言って、先にPホテルをでた。まず地下鉄の駅まで歩かなければならなかった。足が泣いていた。私は、ヒールを兩手に持った。舗装されていても細かい石などが足の裏に刺さる。足の裏は身体で一番鈍感な場所なのだと心の中で繰り返した。繰り返しても痛いものはいたいのである。痛いが胸を張った。思いっきり胸を張った。失恋して行き場を失った少女のような姿に見られることだけは避けたいと思った。行き交う人はほとんど気がつかなかった。いや気がついていても知らん顔だったのかもしれない。
地下鉄と電車の中は、ヒールの上に足を置いた。ヒールの甲に血が着いていた。足の裏の出血場所をみたかったが、さすがに列車の中では気が引けた。駅から着替えのおいてある友達のアパートまではヒールの足を引きずった。駅から5分というはずが、何倍にも感じられたのはいうまでもない。アパートの外階段を裸足で上り、部屋の玄關で、ヒールを両手に安堵した私は叫んだ。
「ただいま!足を拭くのにタオルを貸して」と。
ストッキングが破れ、足の裏から血を流し、髪を振り乱し、ヒールを持って立っている私を見て、デザイナー志望、画家志望、美容師志望は、三人一列に並んでぽかんとしていた。、
あれから何年たったか・・デザイナーにも画家にも美容師にも友達はいない。みんなそれぞれ別の道へ行った。もちろん私も。
あれからいろいろなパーティへ行った。私の足は、ヒールで泣くことはなくなった。なくなったが、あのときの赤坂を胸を張って裸足で歩いた自分は、記憶の中に潜ってしまったということは確かである。
こういう話大好きです。情景が目に浮かびますね。
Posted by: asiathai at 2004年04月06日 20:55