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SONYビルに行ってソニーのLIBRIe(リブリエ)をさわってきました。はっきり言って、商品としてはとてもイイです。ただ問題なのは、シンプルなテキストが読めない事。読めるのはBBeBフォーマットの電子ブックだけで、それも60日間のレンタル。そりゃないなあ。シンプルなテキストが読めるんだったら、すぐにも買います。それくらい魅力はあります。
とにかくまず目を瞠るのは電子ペーパーの綺麗さ。若干残像が残り、ページめくりの時に全体が黒く反転してしまうけど、それを差し引いても合格点以上。使われているフォントはイワタの中細明朝体だが、その文字の雰囲気はコンピュータやPDAの液晶で見る文字とは明らかに違う。本当に印刷されている文字のよう。
これは欲しい! でもレンタルだけじゃなあ。そのうちBluetoothが付いて、携帯を通じてパケット定額でインターネットにアクセス出来て、電子ペーパーで青空文庫のテキストを読める日が必ずやって来る。それまで待ちます。
詳しい写真は以下を。
http://palmoslove.com/work/feature/news20040324.html
ある年の3月24日、私は生まれて初めてパーティへ行った。場所は、赤坂のPホテル。
風の冷たい日だった。
その一ヶ月前に招待状を受け取っていた私は、着ていくものを持っていないし、想像するだけだが、晴れやかな場所は疲れる場所のような気がして、欠席に丸をつけようと思っていた。ところが、私の部屋の棚の上に無造作に置かれたその招待状を友達がみつけて、私に行かないのかと訊いた。郷里で一人で働いて仕送りをしてくれている母に、ドレスを買うからお金を送ってとはいえなかった。それを彼女に言うと、
「あんたの友達で服飾デザイナー志望が目の前にいるでしょう」といい、「そのかわり上手に着こなしてね」と笑顔で言った。思いがけない友達の言葉に、私は彼女の手をとって飛び跳ねた。
服飾メーカーに勤める服飾デザイナー志望者は、イメージをスケッチして、私にみせた。かざりもない、ウエストにベルトがあるだけのシンプルに裾まで線が落ちているワンピースドレスだった。シンプルなデザインほど着こなしが難しいのだから、上手く着てねと念を押した。
採寸をして、人間の身体を分解したらこうなるのかと納得させてくれるように身頃のパターンを起していった。一緒に浅草の織物問屋へ生地を買いに行った。ピンクのサテンの生地を買った。ボタンやファスナーも。
仮縫いで着てみた。ちょっと丈が長かった。袖も長かった。こうやって着せてもらっているうちは良いが、時間がたつにつれ、着て居る自信がなくなっていくのだろうと思った。と思いながらもモデルになったような気分だった。
それから1週間もしないうちに出来上がった。私はハンガーにかけて、クリーニングで貰ったビニールをかけて丁寧に洋服ダンスにしまった。当日まで何度も着てみた。そして鏡の前で色々な、しなを作ってみた。どれも様にならない。しかしここまできて、友達にパーティに行かないと言えない。
パーティの前日、その洋服を持って、別の友達の家に泊まった。髪を綺麗にしてくれることになっているからだ。看護学校に通う美容師志望の友達だった。枕が変ったらただでさえ眠られないのに、ドレスの裾を踏んだら・・とか色々失敗することを考えた。
そんな失敗をいくつ想像しようが、朝は来る。睡眠不足の腫れた目で鏡台の前に座った。一緒に泊まってくれた美術大学へ通う画家志望の友達が、メイクをしてくれた。なぜ彼女がしたのか今だにわからない。画布に絵をかくことも顏に化粧を塗ることも大して差がないのか・・それが終わると部屋の持ち主である看護学校に通う美容師志望の友達がブラシを片手に鏡越しに私を見た。「看護婦を止めて、やっぱ美容師になるかな」と一人ごちりながら、私の肩甲骨まであった長い髪を横から丁寧に細かく編み込んでドレスに合うように結っていった。
洋服を着た。服飾デザイナー志望、画家の志望、美容師志望の看護学校生と彼等の合作の完成である。中味である私は作家志望だった。
胸にミンクの毛皮のグレーのブローチをつけた。そして黒いトレンチコートを羽織り、ドレスの裾をちょっと持って気取って、グレーのハイヒールを履いた。片手にちいさなバックを持って、みんなが駅まで見送ってくれた。改札口でみんなの心配そうな視線を感じながら、私は普段の私ではないと思い込んで電車に乗った。電車と地下鉄を乗りついでいかなければならななかった。
会場に着いて、受付で記帳をした。知り合い、友達が何人か声をかけてくれた。振袖の人、ドレスの人、みんな華やかである。座が賑やかになるにつれ、私は壁にはりついていた。性分がそうさせたというのもあるが、会場に入る前から少しずつ感じていた足の痛みが酷くなってとうとう動けなくなったのである。スニーカーでのびのびと育った足だった。先が細くなっているヒールなど拷問を与えているようなものだった。バイトをして溜めて買ったヒールである。あの時は履けたのに。歩いてもみたのに。とうとう私はヒールを脱いで、ヒールの上に足を置いた。満足そうな足をこれからどうしようと思った。パーティの最後まで、私は、じっと座っていた。上手に着こなしてねと言った友達の声を思い出したが、着こなしそのものが不要だったようなものだ。普段のしゃれっ気のない私を知っている人が、ドレスや髪型を褒めてくれ、テーブルまで誘ってくれたりしたのだが、ひたすらじっとしていた。
ひたすらじっとしていても帰らねばならないのだ。私は何事もなかったように、最後の乾杯でグラスを上げた。そしてそれを飲み干すと、知人と会場を出た。私は用事があるから急ぐと言って、先にPホテルをでた。まず地下鉄の駅まで歩かなければならなかった。足が泣いていた。私は、ヒールを兩手に持った。舗装されていても細かい石などが足の裏に刺さる。足の裏は身体で一番鈍感な場所なのだと心の中で繰り返した。繰り返しても痛いものはいたいのである。痛いが胸を張った。思いっきり胸を張った。失恋して行き場を失った少女のような姿に見られることだけは避けたいと思った。行き交う人はほとんど気がつかなかった。いや気がついていても知らん顔だったのかもしれない。
地下鉄と電車の中は、ヒールの上に足を置いた。ヒールの甲に血が着いていた。足の裏の出血場所をみたかったが、さすがに列車の中では気が引けた。駅から着替えのおいてある友達のアパートまではヒールの足を引きずった。駅から5分というはずが、何倍にも感じられたのはいうまでもない。アパートの外階段を裸足で上り、部屋の玄關で、ヒールを両手に安堵した私は叫んだ。
「ただいま!足を拭くのにタオルを貸して」と。
ストッキングが破れ、足の裏から血を流し、髪を振り乱し、ヒールを持って立っている私を見て、デザイナー志望、画家志望、美容師志望は、三人一列に並んでぽかんとしていた。、
あれから何年たったか・・デザイナーにも画家にも美容師にも友達はいない。みんなそれぞれ別の道へ行った。もちろん私も。
あれからいろいろなパーティへ行った。私の足は、ヒールで泣くことはなくなった。なくなったが、あのときの赤坂を胸を張って裸足で歩いた自分は、記憶の中に潜ってしまったということは確かである。
2004年3月15日現在、寺田寅彦の作品は150作品公開されている。これらの作品の中には、公開当初、青空文庫編集の随筆集としてまとめられたものがあり、第一巻、第二巻はエキスパンドブックの形になっている。現在は、図書カードのフォーマットを変えた際に各作品を分割することになったので、個々の作品ごとの登録となっている(「作品集」ファイルを分解)。現在の形では随筆集の構成がわかりにくく、そしてどれから読んでいいかわからないかなと思い、作成予定の随筆集の構成を含めて、寺田寅彦の随筆を読む手がかりになるようなガイド(実際は図書カードへのリンク集)を作ってみた。
寺田寅彦随筆集第一巻「自然と生物」には、「どんぐり」「竜舌蘭」「花物語」「芝刈り」「球根」「簔虫と蜘蛛」「ねずみと猫」「子猫」「解かれた象」「からすうりの花と蛾」「藤の実」「とんびと油揚」「あひると猿」が収録されている。追加するのならば、「木蓮」がこの分類に入るだろう。寺田寅彦の自然を見る目は、優しく、そして厳しいものであることがわかると思う。
寺田寅彦随筆集第二巻「科学について」には、「科学者と芸術家」「物理学と感覚」「相対性原理側面観」「怪異考」「比較言語学における統計的研究法の可能性について」「化け物の進化」「ルクレチウスと科学」「火山の名について」「日常身辺の物理的諸問題」「量的と質的と統計的と」「物理学圏外の物理的現象」「ロプ・ノールその他」「鐘に釁る」「自然界の縞模様」「物質群として見た動物群」「感覚と科学」「神話と地球物理学」「科学と文学」「科学者とあたま」「人魂の一つの場合」「疑問と空想」「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」「茶わんの湯」「数学と語学」が収録されている。科学者であり、文章の達者な寺田ならではの随筆が多い。加えるならば、「科学に志す人へ」「変った話」「知と疑い」が挙げられる。研究を志している私は「科学者とあたま」、そして「科学に志す人へ」に大変勇気づけられた。
寺田寅彦随筆集第三巻「俳句と芸術」には、「伊吹山の句について」「浮世絵の曲線」「思い出草」「詩と官能」「青磁のモンタージュ」「「手首」の問題」「俳諧の本質的概論」「俳句の型式とその進化」「俳句の精神」「ラジオ・モンタージュ」「連句雑俎」が収録される予定である。第三巻以降は、まとめられていないので、リンクをたよりに寺田寅彦の俳句観を一気に読んでみるのも面白い。俳句に関しては全集未収録の「天文と俳句」が新規に追加されている。
寺田寅彦随筆集第四巻「映画の楽しみ」には、「映画時代」「生ける人形」「映画芸術」「映画雑感(1)」「映画雑感(3)」「映画雑感(2)」「映画雑感(4)」「映画と生理」「映画の世界像」「映画「マルガ」に現われた動物の闘争」「踊る線条」「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」「ニュース映画と新聞記事」が収録される予定である。未着手ながら、全集には「映画雑感」が(7)まで収録されている。寺田の映画評は的確で具体的であると思う。
寺田寅彦随筆集第五巻「この国の出来事」には、「火事教育」「記録狂時代」「災難雑考」「時事雑感」「ジャーナリズム雑感」「田園雑感」「天災と国防」「電車の混雑について」「日本人の自然観」「函館の大火について」「一つの思考実験」「北氷洋の氷の割れる音」が収録される予定である。科学者の視点から日本の現状へ的確なコメントであるこれらの随筆は現在でもなお通じる内容を含んでいる。余談ながら、「天災は忘れた頃にやってくる」は寺田寅彦作の言葉である。このテーマならば、新規追加分からは、「静岡地震被害見学記」「震災日記より」「颱風雑俎」「断水の日」「津浪と人間」が加えられると思う。
寺田寅彦随筆集第六巻は「雑想集」として42編が収録される予定である。全てを紹介することはやめ、テーマごとにまとめられるものを少し紹介しておく。
寺田寅彦の「もの」や「こと」の回想を扱った作品として、「糸車」「車」「蓄音機」「読書の今昔」「庭の追憶」「祭」「丸善と三越」「野球時代」「わが中学時代の勉強法」が挙げられる。懐古趣味と言われそうだけれど、味のある随筆になっていると思う。また、「人」を回想した作品も多く、「田丸先生の追憶」「夏目漱石先生の追憶」「二十四年前」「B教授の死」「蓑田先生」「亮の追憶」が挙げられる。
意外に多いのが、いろいろな所を旅した際の旅行記である。「雨の上高地」「案内者」「軽井沢」「小浅間」「旅日記から」「先生への通信」「写生紀行」(「新字新仮名」、「旧字旧仮名」)「地図をながめて」「初旅」と日本国内から外国までいろいろな場所での見聞をまとめている。街を歩いた観察記も旅行記と言えるのならば、「カメラをさげて」「神田を散歩して」もその範疇に入るだろう。また、「写生紀行」(「新字新仮名」、「旧字旧仮名」)に記述のある自画像を描く話は「自画像」に収められている。
専門ではないが、健康を取り扱ったものも多い。「鎖骨」「笑い」「厄年と etc.」や病院での話である「病院の夜明けの物音」「病室の花」などである。
寺田寅彦が音楽、音にもその鋭敏な感覚を表した作品として「秋の歌」「物売りの声」「田園雑感」「日本楽器の名称」が挙げられる。
いろいろなテーマの随筆を集めた短文集も多く、「試験管」「自由画稿」「蒸発皿」「破片」「春六題」「備忘録」「藤棚の陰から」「Liber Studiorum」「涼味数題」がある。そして、短文集としては「柿の種」を忘れる訳にはいかないだろう。
これで150作品中127作品を駈け足で紹介した。紹介できなかった作品の中にも面白いものが多い。なお、現在も90作品が作業中である。愉しみは尽きないと思う。
「キル・ビル」と一緒に「ラスト サムライ」を観た。
「キル・ビル」の監督が故意にやっている奇想天外な異国の日本に対し、「ラスト サムライ」の描く明治初期の日本は、中国とチャンポンになってないだけでも、今までのハリウッド映画と比べれば上出来。少なくともこの映画からは、古い日本のたたずまいに対する、小泉八雲のような愛着みたいなものが伝わってくることは確かだ。
異文化・異教徒の他者として描かれた日本人の方が、とかくべったりとした美談に描かれがちな日本映画よりも、冷徹な距離感が感じられ、自分には好ましいものに思われた。
ネット上でこの映画に対するさまざまな発言を読むと、批判的な意見も少なからずあるものの、おおむね好意的な意見が多い。映画のヒットにも、そのことが正直に反映されているように見える。
批判的な意見の多くは、歴史的事実との違いや、ストーリーの展開に無理があることを指摘し、興ざめしたというものが多かった。しかし、物語の破綻はともかくとして、歴史的事実うんぬんを言っていては、この映画は成立しなくなってしまうだろう。
この作品も「ロード・オブ・ザ・リング」と同じニュージーランドで撮影されたというが、空想の世界ということでは、「ラスト サムライ」の日本人の村落も、「ロード・オブ・ザ・リング」のホビット庄も、実は同じファンタジーの世界なのだ。
「明治は遠くなりにけり」とは、すでに戦前言われていたことらしいが、現在、「ラスト サムライ」をみる私たち観客は、日本人というよりも、もはや外国人と同じ目でこの映画を観ていると言っても大げさではないと思う。
ふつうならば、この映画は「ああ、おもしろかった」で済ませる娯楽映画だと思うのだが、どうも、この映画を見た足で書店に向かい武士道関連の本を購入する人が多いらしく、この映画のヒットと連動するように武士道関連の本が店頭に数多くならぶようになったことには、なんとなく違和感を感じてしまう。
そもそも、江戸時代の人口比で言えば、武士は6%にも満たない階級だ。日本人の85%は農民だし、残りが商人や職人そして賤民というのが、封建時代の階層の比率だった。
だから、私たち日本人の祖先の十中八九が農民や町人だったわけだから、ほとんどの人にとって、武士道などは関係のないものであるのが当然なのだ。
「ラスト サムライ」に描かれていたのが、私たちの祖先の姿だと思ったとしたら、それはほとんど誤解と言ってかまわないだろう。
そもそも、江戸時代においても武士道という制度や道徳律は存在しなかったとも言われているし、農業を行う武士などほとんどいなかったというのが、封建時代の本当の姿だったからだ。農民の収穫は4割、厳しいところでは6割が年貢として取りあげられたというのが、封建時代の実態だったという。
『武士道』の著作としてもっとも有名なものは、やはり新渡戸稲造の『武士道』だろう。
この本は、新渡戸がヨーロッパ留学中に西洋人の教授と親しく話を交わしたさい、日本人の宗教や道徳教育について尋ねられ、返答に窮したことが著作のきっかけになったものだという。
だから、この著書は英語で書かれ、副題には「日本の心」と記されている。
この本で新渡戸が強調したかったものは、日本にも西洋のキリスト教に代わる道徳律や教育があるという点だった。そこで彼は、日本人について考えたあげく、武士道というものを持ち出してきたわけだ。
しかし、はたしてこの著書が、本当に日本人の心を説明できているかどうかというと、正直なところ疑問な点が多い。やはり、日本の庶民は、武士道とは違う道徳律で生きていたと私は思うからだ。
もうひとつ有名な武士道の著作は、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一句で有名な『葉隠』だろう。
これは佐賀藩の武士だった山本常朝の談話をもとにしたものだというが、佐賀藩の中では、長いあいだ一部の武士だけが信奉する異端の書だったとも伝えられている。
『葉隠』が広く世に知られるようになったのは、明治時代なかばに入ってからで、一般の人たちが手に取って読めるようになったのは、さらに昭和になり、和辻哲郎校訂の『葉隠』が岩波文庫に入ってからのことだという。
以上からも分かるように、私たちが現在知っている武士道というものは、いずれも近代になってから広く知られるようになった著作だった。
「ラスト サムライ」の冒頭では、明らかに町人あがりと思われる官軍の兵士が、主人公の外人教官(トム・クルーズ)指導のもと、軍事教練を行うシーンがある。
人を殺したことのないその新兵は、「自分を撃ってみろ!」と命令する主人公に、至近距離であるにもかかわらず、かすり傷ひとつ負わすことができない。
封建時代、戦争をして殺し合いを行うのは武士の仕事だった。
ほとんどの一般庶民は、戦争などしたことはなかったし、武士道とも無縁の世界に生きていた。
日本で庶民にも兵役の義務が課せられるようになったのは、近代(明治6年)になってからだ。それまで、この国の一般庶民のほとんどは合戦(いくさ)に参加する必要はなかった。
教官のトム・クルーズを撃てなかった新兵の場面は、そういった当時の事情を象徴している。
「ラスト サムライ」では、サムライの一派と明治政府の対立を描いている。ところが、よく考えてみると、明治政府の要人たちのほとんども、もとは武士だったはずだ。
自分たちの身分を捨てたうえ、同胞ともいえるサムライとも対立する、この明治政府という集団は、いったい何者だったのだろうか?
上の問いの答えは、残念ながら『武士道』の中に見つけることはできない。
おそらく、こういった日本の問題をもっとも詳細に分析した最初の人間は、米国の人類学者ルース・ベネディクトではないかと思う。
彼女の著書のひとつ『菊と刀』には、「ラスト サムライ」のモデルともなった、西郷隆盛の反乱(西南戦争)の話に続け、明治政府が何者であったのかが、次のように説明されている。
あれほど徹底的な、しかも不評判な改革を断行した「政府」は一体誰であったのか。それは特殊な日本の諸制度がすでに封建時代から育成しつつあった、あの日本における下層武士階級と商人階級との「特殊な連合」であった。すなわち、大名の御側用人としてまた家老として政治的手腕を磨き、鉱山業、織物業、厚紙製造などの藩独占事業を経営してきた武士たちと、武士の身分を買い取り、武士階級の中に生産技術の知識を普及させた商人たちとであった。この武士・商人同盟が、明治政府の政策を作成し、その実行を計画した有能で自信に満ちた為政者を、急速に檜舞台へ送り出したのである。
少し分かり難い文章なのでひとこと説明を加えると、要するに、封建社会の中で育った「官僚的な役割を担っていた武士」と「藩の事業を請け負っていた商人」との同盟が、明治政府を担っていた人材の中心であったとベネディクトは述べているのだ。
つまりは、明治維新というのは民主革命ではなかったことを彼女は明確に指摘している。
「ラスト サムライ」を観た多くの日本人が、明治政府に対する、何か言いようのない、嫌悪感や気味の悪さを感じたとすれば、どうやらそのあたりに原因があるのではないだろうか。
<リンク>
松岡正剛の千夜千冊 『葉隠』 『武士道』 : 知・芸・遊のコーディネーター、松岡正剛氏の圧倒的な読書録から『葉隠』,『武士道』の2冊にリンクさせていただいた.
『武士道』 新渡戸稻造著/櫻井鴎村訳 : つくつくぼうし さんが入力した邦訳版『武士道』.
BUSHIDO The Soul of Japan : 英文の原書版『武士道』.
『菊と刀』の勉強 : 『「菊と刀」再発見』の著者、森貞彦氏により再評価されつつあるルース・ベネディクト『菊と刀』のネット版 講座.
マーガレット・ミードとルース・ベネディクト : 若き日のベネディクト女史の写真(表紙)と秘められた人間関係.
今日、木蓮の花を見に行って来たという便りが東京から届いた。その便りで思い出した、私のお粗末な話を書いてみる。
東京生活で初めての3月を迎えた時のことである。スーパーで私は蜜柑だけを20個ほど買った。空いていた時間帯だったので、レジの店員さんが、マチのある紙袋にその蜜柑を丁寧に詰めてくれて、口を2回ほど折り返してくれた。私は、それを両手に大切に抱えて、2階の洋服売り場へ行きたいという友達の後に付いて行った。階段を上がりきった婦人服売り場は、春の色で埋め尽くされていた。ブラウスもセーターもみんな菜の花の黄色、桜のピンクや春の空の水色である。売り場の中心にあるガラスのショーウインドウが人目を惹いた。吊り下げてあれば、手にとるかどうかわからないが、ガラスの中に入っていると、特別な物になってみえたのは、ベビーピンクより少し薄い色の綿セーターである。私は、駆け寄って、しゃがんでガラスの中を覗き込んだ。そのとき、抱えていた紙袋から、蜜柑が一つ出て、床に転がった。それをとろうとした私は、蜜柑の入っている袋を斜めにしたことに気付かなかった。蜜柑は雪崩のように紙袋から飛び出していき、思い思いの春の色をめがけて四方八方に転がった。春の景色の描かれている画布の上から蜜柑色の絵の具を流したように蜜柑は転がっていった。空になってしまった袋を手にしながら私はその光景に見とれた。友達,店員さん,他のお客さんが、笑いながら蜜柑を拾ってくれる姿をみて、間抜けな話だが、やっと自分も拾った。その場で数えている時間は無かったが、紙袋の戻ってきた膨らみに納得し、私は礼を述べ、友達は洋服を見る事なく、そそくさと階下へ降りて行った。
外へ出た。快晴だった。風は冷たかった。私は、蜜柑を転がした恥かしさと友達を初め店員さんに迷惑をかけたことを天秤にかけた。そういったこととは無関係のところにある洋服を見たかった友達のがっかりした様子が混ざり合い下を向いてしまった。木蓮の花びらが幾枚も地面に張り付いているのが下を向く私の目に飛び込んできた。紫色の花びらの裏側を見たとき、ショーウインドウにあったセーターの色だと思った。顏を上げると、細い枝の先端に、赤身がかった紫色の花が水色の春の空に点在するように咲いていた。それは見慣れた風景だった。しかし蜜柑の香りを抱いてその風景をみたのは初めてだった。友達と私は慣れない状況に戸惑った。自ら選んでこの地に来た友達と私だったが、戸惑いは都会というところに僅かな反発を感じさせた。反発は私たちに芽生えようとしていた蟠りの成長を拒んだ。洋服を買えなかったので手ぶらの友達と蜜柑の入った紙袋を抱えた私は、雪が残って居る故郷の話をしながら歩き出した。
水谷修『夜回り先生』(サンクチュアリ出版)
ガーン! いいんだよ。の夜遊び先生にいかん。と言われてしまった……_| ̄|○
これはもう死にたいです。
夜遊びしてます。いいんだよ。
いじめしてます。いいんだよ。
盗みやってます。いいんだよ。
薬やってます。いいんだよ。
殺しやってます。いいんだよ。
戦争やってます。いいんだよ。
夜遊び先生はオレらが何をやっててもいいんだよと許してくれる夜の先生だ。しかしハラキリだけは否定します。テロはともかく、自爆は否定します。武士道のわからんやつだ。あああ、しかし先生に否定されるなんて生きてる価値もない。明治の精神に殉死か(最初に戻る)
(ってゆーか、あんた、もう子供じゃないだろ)ってつっこまれそうな(自爆)
しかし何故夜中に起きてこんなことを書いているんだ>オレ
註:それなりにノンフィクションではありませんが、実在の人物ともかなり関係ありません。
link:
『夜回り先生』(amazon)
夜回り先生Web
エドワード・ズウィック監督『ラストサムライ』(2003)
♪サムラ〜イサムラ〜イズ
また動けなくなって部屋にころがっていたのだったが、アカデミー賞応援なのかラヂオからひっきりなしに流れてくる歌が効いてきて、前のアルバムより気楽な感じだなあと思ったらCD屋さんには行けるような感じで、頑張ってみたらCD屋さんはDVD屋さんに変わってしまっていて、その片隅にCDが並んでいるだけだった。そして当然のように売切れていた。_| ̄|○
♪サプラ〜イサプラ〜イズ
しかも半分以上アニメじゃないか〜しらないのばっかし。いや、そんなことよりサムライの話だ。西南戦争をモデルにトム・クルーズが主役? 西郷どんですか? なんだそりゃ?
もう何ヶ月も昔に観たので、細かいことは忘れました(笑)が、美しくて日本って国にはサムライという変な哲学をもった種族がかっていたのだなあ、なんで死んだらうれしいのかなあ、生態学的な理由もあるのか(サムライが繁殖しすぎるとよくないとか)などなど、明治維新ってなんだろうなあ、なぜに内戦? と興味を引かれるのですが、そうするとなんだかトム・クルーズはじゃまで、もっと日本の状態を描かんか! と思うのでした。監督が日本ファンだけあって、しっかりと描かれているといえばそうなのですが、いまいち「ここが死ぬ場所だ」とかいう気持ちがぼんやりしているような……
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」のサムライ版だというのは確かなんだけど、そういう点でどうもすっきりしないところがあるのだなあ。廃刀令なのに暗殺者は刀持ってるし(笑)、なんか天皇は武士道によろめくし、あ、でもそのせいで近代軍隊をつくるはずが、特攻集団になってしまうことになるのかなあ。なるほど。維新の怨霊を描いた映画だったか。
それでアカデミー賞は取れませんでしたか。残念でしたね。
ちなみにタイトルはNewsweek 2003.12.10号の"Dances With Samurai"の記事をパクりました。
link:
ラストサムライ
ダンス・ウィズ・ウルブズ
フィールズ・ライク・ホーム
つよい風がまいにちのようにふいて、あらあらしい春の到来を感じます。マスクをかけたひとが目立つのは、インフルエンザと花粉のせいでしょうか。わたしはインフルエンザにはやられていないし、花粉には不感症。ときどきくしゃみが止まらなくなるのは、図書館で本棚の前にいるときです。本のアレルギー?
「水牛のように」を2004年3月号に更新しました。
佐藤真紀さんの文体は、こどもたちとつきあっていることと関係がありそうです。どのようなひととつきあうか、それはほんとにだいじなこと。
御喜美江さんのアコーディオン・ワークス2004「ロシアへ」は4月1日(木)19時から、上野の東京文化会館小ホールで。ショスタコーヴィチ、ロシア民謡集、グヴァイドゥーリナ、ストラヴィンスキーなどの曲がならんでいます。全席指定で3500円。お問い合わせは03−3239−5491。
高橋悠治さんの「月光からはじまる」は3月12日(金)19時から、東京浜離宮朝日ホールで。3月14日(日)14時から、札幌Kitaraホールで。ベートーヴェン「月光の曲」、高橋悠治「ボクハソンケイスル」、ショスタコーヴィチ「ヴィオラとピアノのためのソナタ」など。ヴィオラは川崎雅夫さん。4000円。お問い合わせは03−3239−5491。
「水牛の本棚」は藤本和子「衰弱そして再生」です。
「女たちの同時代——北米黒人女性作家選」第五巻「メリディアン」(アリス・ウォーカー、高橋茅香子訳)について。
日本語の「メリディアン」は文庫になっています。現在品切れとなっていますが、絶版ではないので、チェックしてみてください。訳者の高橋茅香子さんのサイトも魅力的でおすすめです。英語版(原語)は各種手に入ります。
ハードカバー/ペーパーバックHarvest 版/ペーパーバックReissue 版
「水牛通信電子化計画」は1986年11月号を公開しました。
一台のワープロにかわるがわる言いたいことをうちこんで、編集会議というのをこころみ、それをそのまま座談会のような原稿にしました。大成功とはいいがたいできばえですが、それでもおもしろいしかけ(?)だったせいか、楽しんではいるようです。「青空文庫へようこそ」というオンデマンド本をつくったときには、編集にかかわったふたりは広島と東京に離れてくらしていたので、メールのやりとりで対談をしたのでした。おたがいを知っていたからこそできたことだったと今では思います。
この号に小泉英政さんの「人とミミズ」という詩が載っています。カラワンの「人と水牛」の替え歌です。小泉さんは有機農法をはじめて、しだいに過激さをまし、ついに循環農場というシステムをあみだすまでになってしまいました。いまは有機農法もさかんですが、それでもビニールハウスをつくったり、土に黒いビニールをかけてあたためたりしています。小泉農場ではいっさいそういうことをしていません。落ち葉の堆肥で野菜はゆっくり育つので、みなこぶりで、とてもおいしいのです。むかしから毎月野菜の箱にはいってくる「みみず物語」をおもしろいと思い、その都度入力したものを集めて、青空文庫に置いたのですが(「みみず物語」と「みみず物語2」の2冊)、それがついに本になりました。タイトルはやはり「みみず物語」(コモンズ)。ワクワク、ドキドキの30年の物語、ぜひ読んでください。小泉さんから送られてきたその本は新聞紙につつんでありました。あのぷちぷちの緩衝剤はプラスチックですからね、小泉さんは使わないのです。
それではまた! (八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)