多民族国家で生きるということ
先日フランス料理店でロシア料理を食べてきた。フランス料理店のシェフの友人であるロシア人シェフが腕を振るった一日だった。ソ連時代、グルジア(現グルジア共和国)で生まれ、今は、ロシアのペテルブルグでレストランシェフをしているということであった。三十代かと思われるそのシェフは、ロシア民謡が奏でるアップライトピアノの上に胸から乗せることができる上背に、エプロンの紐を後ろで結ぶほどの腹周りがあった。(普通コックさんのエプロンの紐は、胴を一回りし、前で結んでいると思う)黒い髪に太い眉、黒い淵の眼鏡をかけ、目じりがちょっと上がり気味の大きい黒い瞳を持っていた。肉厚の小鼻の張った、精悍な顔立ちの人であった。
通訳の若いロシア女性は、金髪に灰色の瞳で、小顏の中央にある鼻は高く、長かった。なんといってもシェフの影にすっぽり隠れそうな細身の女性であった。髪の色も目の色も全く異なるロシア人コンビが日本人のテーブルの間を廻る。
最初の挨拶で、店の日本人シェフが言った。「本日は、ロシア料理というより多民族国家の料理を味わってください。以前召し上がったロシア料理と全く違うとお思いになっても、他民族国家ですから、ご理解ください。シェフと通訳がみなさんのテーブルを廻りますから、何でもお話ください」
前菜でキャビアが出たり、ボルシチがスープ仕立てだったり、向かいの席の友人と食が進み、話が弾んだ。
最後は、もちろんロシア紅茶で締める。私は、これを一番楽しみにしてきた。
ガラスのコップに入った濃い紅茶の底に杏の実が沈んでいる。金属製の装飾を施した器の中にすっぽりそのコップは入っているのだ。金属製の持ち手に紅茶の熱が優しく伝わる。
紅茶の香りに包まれるようにして杏の香りがする。
今までロシア人に紅茶のもてなしを受けて、イギリスの紅茶と全く変らない、紅茶だけのときもあった、ジャムを入れるということもあった、しかし杏が入っているものが私は一番好きだった。ロシアの紅茶を飲むということから離れて久しいので、あの杏の紅茶が懐かしかった。ぜひ飲みたかった。
ところが、イギリス式の何も入れない、希望者には砂糖をという紅茶であった。私は、仕方がないと思いながらも、香りの乏しい紅茶を口にした。
そこへシェフと通訳の女性が私たちのテーブルで立ち止まった。
「紅茶の中に杏がはいったものがロシアにありますよね」と私は言った。
すると通訳の女性は、即座に否定した。
「そんなものありません。聞いたこともありません。今召し上がっていらっしゃるのが、ロシアの紅茶です。ジャムを入れることはあります」
私は下がらなかった。
「いえ、あるんです。私、飲んだことあるのです。杏の実のとてもいい香りの素敵な紅茶です」と言い張った。
彼女は、そういう私を横目でみて、私の言ったことを仕方がなささそうに通訳した。
シェフは大きく肯いていた。そして振る首が小刻みになってきたかと思うと、私を見詰める黒い瞳が少しずつ静に潤んだ。眼鏡の奧が、潤んできた。私からちょっと目を放したかと思うと、遠くを見詰め、そして私に戻した。優しい目を私から放すことなく、その厚い唇を開いた。
「それは私の故郷の紅茶です。貴方があの紅茶を知っていて下さって私はほんとうに嬉しいです」と言った。
通訳の女性も笑顔を見せた。
彼は、一瞬のセンチメンタルに酔ったのだろう。大きな身体が感じた小さな感動だったのだろう、杏の紅茶と変らない温かでほのかな甘さがそこにはあった。
テーブルを離れ、大きな背中を見せる彼にペテルブルグの自分の店でも杏の紅茶を出したいのではないだろうかとふと思った。
多民族国家において、人口の比率の多い民族に照準を合わせることが利潤追求ということなのだろう。それが多民族国家の中で生活をするということなのかもしれない。
ということは、何かを忘れるということなのだろう。しかし失うということではないと思った。
ペテルブルグの彼の店に行くことがあったら、彼の故郷の紅茶を特別に作って飲ませてもらおうと約束するのを忘れたことに私は気付いた。
★この文章を書いた人→ten★こんな時間に→2004年02月17日 14:03