![]() |
私は、幼い頃から北海道犬、秋田犬と、大型犬に触れあってきたからか、どうもチワワのような外国産の小型犬が散歩をして居るのを見ると、お腹の中には電池がはいっているのではないかと疑ってしまう。・・
今は住宅事情で大型犬は飼えないので、日本犬の中の柴犬(シバは小さいという意味だという)を飼っている。
試しにペットショップへ行って、ガラスの向うの仔犬を観察していただくとわかるが、ガラスに貼ってあるその犬種の成犬の姿とその仔犬の色や顔つきが同じ場合が、外来種は多い。親と子の外見は相似の関係に思える。ペットショップは、生れて1ヶ月半位からの仔犬がいる。
その頃の柴犬というのは、親が赤茶色でも、子供はこげ茶色の毛を持ちコロコロしている。附録でついているような耳は、倒れていたり、愛くるしい丸い目で遠慮がちに世の中を見て居る。口から顎まですっぽりと黒い毛のカバーがかけてあるようだ。その顎から胸、そして腹にかけて、灰色の軟らかい毛で覆われている。その姿は、熊の子か、と言ってもどこか納得する部分がある。
ところが3ヶ月をすぎるころから、耳がピンと立ち、生活の音を聞き分けようとする。愛くるしい丸い目は、段々横に拡がっていき、アーモンド型の目で世の中を見据えるようになる。口が大きくなるに随って、黒いカバーは徐々に外れ、段々白くなり、最後は鼻の上に数センチだけうっすら黒い部分が微かに残る。胸から腹までの純白の毛を見てくれといわんばかりに、腹をみせて撫ぜてくれとせがむ。身体全体の丸みが削げていくと、筋肉がつく、特にまえ足の付け根と後ろ足の腿の筋肉は発達する。本来は、野山を走り回り狩をするために必要な筋肉である。その大切な筋肉を初め、全身の筋肉を覆っている毛が、朝陽で金色に輝くようになる。こげ茶色の毛の下に隠れて、いまかいまかと待ちくたびれていた赤身がかった茶色の毛が表面にでてくるのだ。
或朝、突然犬がそうなっているのではない。徐々に少しずつ大人の姿になっていくのだ。半年で成犬である。
地方によって違うのかも知れないが知り合いの柴犬好きの人が話してくれた事を書いてみる。
柴犬愛好者の世界では、そういった犬の成長を「化ける」というのだそうだ。そもそも生れて1ヶ月くらいの幼犬で、好ましいと思われるものは、正面からみて、タヌキで、横からみてキツネの顏なのだそうだ。正面から見たら、丸みを帯びた輪郭で、丸い目をしている。また横から見たら、鼻が突き出ていて、口が一文字に切れていて、切れ長の目をして居るということである。成犬になったとき、必ずタヌキがキツネに似て居るのだという。タヌキかキツネに化けるのだという。どちらに化けたかが重要なのだという。
では、犬がなぜタヌキにならなければならないのか、キツネにならなければならないのか。以下は私の推察である。
元々柴犬というのは、猟犬である。猟師に従い山の中を走り回っていた。犬の中にタヌキとキツネのもつ其々の要素を生れたばかりの犬から見てとっていたのだと思う。人間の生活の潤いは、彼等の出来如何に掛かっていた。だから優秀な狩猟犬を作り出そうとした。猟師が犬にみていたのは、猟師が犬に要求していたのは、タヌキの貪欲とキツネの知恵なのだろう。貪欲に獲物を追いかけ、知恵をもってして獲物を追い詰める犬が理想だったのだろう。しかし完璧な犬はいない、だからどちらの顏をしているかによって、その犬の性質を見極めようとしたのではないだろうか。
1ヶ月半でわが家にきた時は、確かに前からみたら、タヌキで、横からみたらキツネに見えた。知り合いは、どちらに化けるか楽しみだとにこにこして幼犬だった彼を抱いたものだった。ではどちらに化けたのだろう大人になった犬の顏をしみじみみてみる。わからない。本を読む私の足元で寝そべっているのが何よりも好きな彼は、タヌキ顏の犬でもなければ、キツネ顏の犬でもない、どうみても犬顏の犬であると私は思うのだが。
って、書いてみたものの。ううむ。何をかこうかなぁ。
最近みた芝居とこれからみる芝居の話しをコーナー特設の機会に
書き留めておきます。
野田秀樹さんが劇壇を解散して、幾年月。
ロンドンに留学したらしい。
そんでもって帰国、第一段のキルに面喰らった私。
しばらくは、お芝居みるのやめようとおもった。
しかし、そんな折り友人から、ちなたの家の近所でやっているからみない?と
パンドラの箱という芝居のチケットが届いた。ううむ。高い。
しかし、時は12月。ボーナスもでたし、ま、すこし贅沢。とばかりに
劇場へ足を運んだ。
その年は、外務官僚から賤業的パンダ主婦になってしまった女性の
世継ぎができただとか、できないだとかいってる騒動の日、この芝居をみた。
この芝居は女帝を亡き者にしようとする話。といえば、すごいぶっちゃけた
あらすじになりますのですが、興味をもたれた方は以下のURLを御参照ください。
で、ここでお芝居なんてみないよって言う人に簡単に説明すると。
お芝居の劇場って一年先から決まっているのです。で、つまるところ
このお芝居は、マスコミが騒動している前から準備されていたわけです。
時代が芝居についてきた?そんな幻想がふと頭をよぎります。
その次は、湾岸戦争(息子の方の)が起きた年。
オイル
偶然でしょう。きっと。けれども何か不思議だなぁとおもいながらも。
面白いなって思うのです。
今は、あまりたくさんお芝居をみないけれども。芝居というのは
別の空間でそれを見事に演出してくれる作品であれば、払った
お金も納得がいくのです。小旅行をした気分になるのです。
次は、ダムウェイターをみる予定です。
あ、でも失業中の身なので、遊んでるのもねぇ。というわけで。いつかまた。
他の演劇好きな人がブログしてくれるといいのですが。
先日フランス料理店でロシア料理を食べてきた。フランス料理店のシェフの友人であるロシア人シェフが腕を振るった一日だった。ソ連時代、グルジア(現グルジア共和国)で生まれ、今は、ロシアのペテルブルグでレストランシェフをしているということであった。三十代かと思われるそのシェフは、ロシア民謡が奏でるアップライトピアノの上に胸から乗せることができる上背に、エプロンの紐を後ろで結ぶほどの腹周りがあった。(普通コックさんのエプロンの紐は、胴を一回りし、前で結んでいると思う)黒い髪に太い眉、黒い淵の眼鏡をかけ、目じりがちょっと上がり気味の大きい黒い瞳を持っていた。肉厚の小鼻の張った、精悍な顔立ちの人であった。
通訳の若いロシア女性は、金髪に灰色の瞳で、小顏の中央にある鼻は高く、長かった。なんといってもシェフの影にすっぽり隠れそうな細身の女性であった。髪の色も目の色も全く異なるロシア人コンビが日本人のテーブルの間を廻る。
最初の挨拶で、店の日本人シェフが言った。「本日は、ロシア料理というより多民族国家の料理を味わってください。以前召し上がったロシア料理と全く違うとお思いになっても、他民族国家ですから、ご理解ください。シェフと通訳がみなさんのテーブルを廻りますから、何でもお話ください」
前菜でキャビアが出たり、ボルシチがスープ仕立てだったり、向かいの席の友人と食が進み、話が弾んだ。
最後は、もちろんロシア紅茶で締める。私は、これを一番楽しみにしてきた。
ガラスのコップに入った濃い紅茶の底に杏の実が沈んでいる。金属製の装飾を施した器の中にすっぽりそのコップは入っているのだ。金属製の持ち手に紅茶の熱が優しく伝わる。
紅茶の香りに包まれるようにして杏の香りがする。
今までロシア人に紅茶のもてなしを受けて、イギリスの紅茶と全く変らない、紅茶だけのときもあった、ジャムを入れるということもあった、しかし杏が入っているものが私は一番好きだった。ロシアの紅茶を飲むということから離れて久しいので、あの杏の紅茶が懐かしかった。ぜひ飲みたかった。
ところが、イギリス式の何も入れない、希望者には砂糖をという紅茶であった。私は、仕方がないと思いながらも、香りの乏しい紅茶を口にした。
そこへシェフと通訳の女性が私たちのテーブルで立ち止まった。
「紅茶の中に杏がはいったものがロシアにありますよね」と私は言った。
すると通訳の女性は、即座に否定した。
「そんなものありません。聞いたこともありません。今召し上がっていらっしゃるのが、ロシアの紅茶です。ジャムを入れることはあります」
私は下がらなかった。
「いえ、あるんです。私、飲んだことあるのです。杏の実のとてもいい香りの素敵な紅茶です」と言い張った。
彼女は、そういう私を横目でみて、私の言ったことを仕方がなささそうに通訳した。
シェフは大きく肯いていた。そして振る首が小刻みになってきたかと思うと、私を見詰める黒い瞳が少しずつ静に潤んだ。眼鏡の奧が、潤んできた。私からちょっと目を放したかと思うと、遠くを見詰め、そして私に戻した。優しい目を私から放すことなく、その厚い唇を開いた。
「それは私の故郷の紅茶です。貴方があの紅茶を知っていて下さって私はほんとうに嬉しいです」と言った。
通訳の女性も笑顔を見せた。
彼は、一瞬のセンチメンタルに酔ったのだろう。大きな身体が感じた小さな感動だったのだろう、杏の紅茶と変らない温かでほのかな甘さがそこにはあった。
テーブルを離れ、大きな背中を見せる彼にペテルブルグの自分の店でも杏の紅茶を出したいのではないだろうかとふと思った。
多民族国家において、人口の比率の多い民族に照準を合わせることが利潤追求ということなのだろう。それが多民族国家の中で生活をするということなのかもしれない。
ということは、何かを忘れるということなのだろう。しかし失うということではないと思った。
ペテルブルグの彼の店に行くことがあったら、彼の故郷の紅茶を特別に作って飲ませてもらおうと約束するのを忘れたことに私は気付いた。
ten さん、体験談どうもありがとうございました。
たかだか10年前は、パソコン派よりもワープロ派のほうが主流だったんですよね。それがなんと、ワープロ全滅になるなんて当時はまったく思いませんでした。きっと、住み分けするだろうと予想してたんですけど。おそろしいもんです。
ところでみなさんにも試してもらいたいのですが、「和紙」と「プリント」をキーワードにネットを検索してみると、越前和紙の杉原さんのサイト(http://www.washiya.com/)や、エプソンのピエゾグラフ(http://www.piezograph-lab.jp/)などのページがでてきます。和紙の印刷利用というと、卒業証書とか名刺とか酒ビンのラベルとか(^^)考えられますが、ネット上の情報は想像していたよりも“はるかに少ない”という印象をうけました。もっと、たくさんの情報(成功したとか、あるいは失敗したとか)があってもいいはず、と思ったんです。
和紙印刷に興味のある人は決して少なくないはず、というのが私の想像です。ten さんや ag さんのように、機会があればやってみたいと考えてるひともかなりいるんじゃないかと。ならば、これはもうわたしがやるしかないと(^^)。プロの写真家やデザイナーのかたたちがすでに少なからず挑戦していらっしゃいますから、オリジナルなアイデアというわけにはいきませんが。アマチュアによる挑戦とその報告レポートならみなさんに提供できる……かも、なんて。
(そんなかんじで、気が向いたらつづきます)
http://www.hanochi.jp/
ひさびさに映画をみました。あらすじとかそういうことは↑のURL をみてもらうとして。
ひさしぶりに会った友人とこの映画を見に行ったのですが。
昔、本で読んだ複合汚染よりも映像化された方が、衝撃が大きかったのと同じに
今回も原作をおぎなうような、追加効果がついたような作品なのではないかと
思うのです。
これってネタをばらしちゃうことになるのだろうか?
空白の二日間
犯人の所持品からの邪推で翻弄される警察上層部と
思惑はあれど、正面からこの事件に向かっていこうとする人達の対比
同僚や部下から信頼の厚い元刑事
アルツハイマーで壊れていくその妻
その妻の介護の為に、指導員という転属をし、介護生活と
仕事を両立していた主人公。
愛しているからこそ殺した。
奇しくも、殺された妻の姉を演じた樹木希林さんのひとこと、妹は恨んで
いないとおもいます。には、私は理解できるような気持ちがします。
すっごく、プライバシーな話しになってしまうけれども。
だれしも祖父が祖母が病気になり、元気で自分を可愛がってくれたという思い出と、
小さくなって箱にはいって、焼かれて煙りになってしまうということに死を
意識した事はあるのではないでしょうか?
いま、私自信、病気になっています。はじめは鬱かな?って思っていました。
対人恐怖症のような(年上の男性という、へんてこな)とにかく、恐い
頭が真っ白になる。文字を読んでも理解できない。理解できるのにできない
うごけない。
毎日が、肩書きのない平社員のまま中間管理職のように後輩達から選択をせまられ
そうだんされ、たよられ、かろうじて維持していられた気持ちが、ちょっとした
人事異動で、簡単に壊れました。
クリニックに通ってみました。
専門の先生と話すとすっきりするのです、そうして私は仕事をやめる決心がついたのです。
けれど、あのまま、仕事を続けていたら私は壊れていたのではないかなと思うのです。
壊れる前に、幸せだな、って思えるうちに、自分が自分である内に死にたい、そういう
ふと、一瞬リアルに戻る、本作品の妻の気持ちが、私には理解できるのです。
そうして、けれども、もしこの状況が私ではなく、母か兄弟であったら頼まれたら、
私は殺せるでしょうか?夫なら?
自分が壊れていく不安感 自分であるうちに死にたい、死ねない、殺して
叫ぶ、妻の原田美枝子さんが印章深く残ります。
守りたいものはなんだろう、自分とはなんだろう。魂ってなんだろう。
命ってなんだろう、生きていくってなんだろう。
深く深く考えていかないといけないテーマだなぁと思うのでした。
半落ちしてます。この文章、いつか続きがかけるといいのですが。
東芝が海外で発売しているPocket PC2003搭載のデバイス「Toshiba e800」は、ついにVGA表示になったようです。そのことがeblogblogで紹介されてます。詳しいレビューはこちらをどうぞ。早速日本語環境にして、ブンコビューワを動かしている写真が見られます。
まだまだ問題はあるけど、PDAで文字を読む環境は徐々に整えられつつあるという感じです。SONYのPEG-TH55もなかなか良さそうだし。
山形県には、現在、手漉き和紙をつくっているところが4か所あります。
PowerBook G3 とデジカメとプリンターを購入したのは4年ほど前になりますが、そのころからあたためていたアイデアがあります。地元産の手漉き和紙をつかって、地元のまつりや風景・野仏・文化財・建物の写真をプリントすることです。
普通紙やインクジェット紙にあきたらず、ザラ紙や習字用半紙を試してみたことからはなしは始まります。古ぼけた風合いとか、安っぽい質感がほしかったからです。ただし、当初は手漉き和紙を使おうとは考えもしませんでした。第一に表面が毛羽立ちすぎてるから、プリンターにかけるには絶対不向きだと思いこんでいたからです。そして第二に、手漉き和紙は高価すぎるからです。ざれ事で使うには、安い物ではありませんから。
(以下、気が向いたらつづきます)
私は、雪国で生まれ、育ったが、ウインタースポーツと名のつくものは、何もできない。私の運動神経の鈍さを知っているので、誰も大それたことは言わない。スケート、スキーは元より、スノーボードなど遥かとおい存在である。
ところが地元のゲレンデなるところに一度だけ行ったことがある。それも中国、四国、九州の出身の人たちと。彼等4人はスキーができる、中にはカナダまでスキーをしに行く人がいた。できないのは、地元の私だけであった・・・
みんな一様に、私ができないといったのは、謙遜だと思ったらしい、上手く滑ることができないだけだろうと。まずスキーウエアを持っていないとの事実から、少しずつ感づいてきたらしい。まあそれでも、ボーゲンぐらいはできるだろうと。
地元の友達にスキーウエアを一式借りた。借り物を身に付けて私は張り切ってでかけた。道中、車の中で、一度もゲレンデなどに行ったことがないから、何もできないのだと、力説した。「地元なのに?」という刺すような眼差しを受けながらも、何度も繰り返した。信じてくれたので、私は助かった。それで広島出身の友達が、私についてくれることになった。冬になるとスキー場巡りをしているような人である。
ゲレンデに着いて、スキーの履き方が分らない。友達は、丁寧に教えてくれた。
まずは、ゲレンデの隅っこでスキーを「ハ」の字にする練習から始まった。「上手い、上手い」と言ってくれる。
かに歩きの練習して、傾斜のあるところへ行き、「ハ」の字で滑ってくる。友達が受け止めてくれる。という練習をしていた。ふと遠くを見たらリフトが様々な色のスキーウエアを運んでいた。あのリフトというものに乗ってみたい。快晴なので上はさぞ景色はいいだろうと。
「リフトに乗ってみたい」と私は言った。
「リフトに乗れるくらい上手になろうね」
上手な人しかリフトに乗れないのか・・しかし・・
リフトは、下から上へだけ行く乗り物ではない、上から下へ来るから上へいけるのではないか。だから上でチケットを買って、上から乗ってくればいいではないかと私は言った。
友達は、それには何も答えずに、
「私、そのリフトに乗って上から滑ってくるから、ここら辺で練習していてね」とだけ言ってさっさとリフトに乗りに行った。
私は先生の教えを守り、かに歩きで斜面を登り、「ハ」の字で滑ってみた。少し滑ったところで、私ははたと気付いた。一人で止ることができないのだった。体重をかけて倒れるようにするのだと言ったがなかな上手く出来ないので、彼女が体で受け止めていてくれたのだった。私は、何度か倒れようとしたが、加速に負けてしまう。
「キャー!」とか「ギャ−!」とか、「どいてええ!」とか、わめくだけわめいて、男女ペアの間を割っていき、ぶつかりそうな人たちにはよけてもらい、とうとう一番下まで行った。ガラス張りのレストランの前に規則正しく立てかけてあったスキーやストックをバタバタと倒してようやく私は転ぶ事ができたのである。倒したものを元に戻そうとしていたら、見知らぬ人からありがたい言葉を頂いた。「もういいですよ。持ち主の殆どはレストランの中から貴女をみていたでしょうから、みんな故意で倒したとは思いませんよ」
残念ながら人間の男女に好かれないが、なぜか犬の男女?には好かれる。いつも、公園で、愛犬のガールフレンドのシェルティとコギ−種などは、彼?目当てではなく、私に突進してくる。私は1匹1匹の顎から頭にかけて撫ぜてやる。それでもまつわりつくので、うちの犬のリードも入れて、3本を捌く。それぞれ喧嘩をさせないようにするためには、リードの長さを長、中、短と持つ。
4歳の我が愛犬が、8か月で“公園デビュー”した公園であり、いつも仲間が集う公園は、今の時期誰も来ない。児童公園と小学校のグラウンドのような広い運動場が隣接している。運動場では、雪が、大人の膝上まであり、それを今朝から誰も踏みしめていないのである。足跡一つない運動場の入り口で、愛犬と私は、顏を見合わせた。彼は、私を見て「二ッ!」と笑った。周りに全く人の気配がないことを確認して、リードを放してやった。
雪は、体高40センチの柴犬がすくっと立った以上にある。だから彼は、跳ねた。沈むまいと茶色のゴム毬となって跳ねた。一直線に跳ねた。彼の後を行く私は、長靴の中に入る雪に僅かな後悔をしたが、彼の弾む肢体にそれはすぐに消し飛んだ。
私と彼の距離は、段々広がっていく。私は心の中で叫ぶ「待って」と。その声が聞こえたように彼は後ろを振り返る。そしてぴたりと止る。ぴんと立った耳で、私の長靴の、雪を掻き分ける音をじっと聞き、自分との距離を測る。真っ黒の鼻は、雪の匂いを、運動場の面積を感じ取る。狼の名残を思わせる一文字に切れた口元はしっかり閉じている。舵取りの巻尾が動かない。前足で踏ん張り、後ろ足をちょっと後へ引いている。私が2、3メートルぐらいの近さになると、安心した彼はゴム毬に変身し、再び雪の中を跳ねる。
再び段々広がっていく距離に私は、「ストップ!」と大きな声で号令をかける。慣性の法則を無視するように、ぴたりと鞠である彼は止る。そして私を待つ。
まれびとプロジェクトは、数多くの折口信夫作品のテキスト版、XHTML版を年頭に公開することを目的としていた。さらに、「死者の書」(旧字旧仮名)に関しては、TTZ版を作成し、1月17日に公開できた。TTZ版の作成には、通常のまれびとプロジェクトメンバ—以外にも参加してもらった。今回は、「死者の書」(旧字旧仮名)TTZ版の完成に力を寄せてくださった方々のコメントをまとめて、掲載したい。
「死者の書」(旧字旧仮名)図書カ—ド

まずは、プロジェクトの代表であり、牽引役である高柳さんから、
—————————————————————————————
去年の春、まれびとプロジェクトで釋迢空作「死者の書」を公開しようと決めた。
と同時に私は直感した。
この「死者の書」をTTZにしたらきっと面白い物ができるだろうと。私の直感に何人を巻き込んだことか・・
みなさま、ありがとうございました。(高柳典子)
—————————————————————————————
続いて、「製本」を担当して頂いたLUNA CATさんから、
—————————————————————————————
「死者の書」ttz版で、製本作業、つまりttz化の作業を担当した。
紙の書籍でもそうなのだと思うのだが、製本というのは、紙の束、あるいはベタ打ちのテキストファイルが、本と呼ばれるものになる瞬間である。突飛なたとえだけれど、たとえばセ—タ—を編んでいて、前身頃、後ろ身頃、袖…と、次第にかたちになってきていても、バラバラの状態のものをセ—タ—とは言わない。セ—タ—と呼ばれるのは、身頃と袖をとじつけ、襟ぐりのゴム編みを付けた状態のものである。本というのもそれと同じで、表紙をつけたり、閲覧ソフト用のファイルを作ったりした状態のものを、ふつう本と呼んでいる。デジタルテキストならば、公開した時点で出版と呼べるのだけれど、「本」と名のつくものは、HTMLとかttzとか、読みやすいかたちに整えたものを指しているように思う。そういった意味での「製本」なのである。
青空文庫の公開作品から、これまでにも時々、ttzとして製本したものを作っていたのだが、絵の才能がない人間がブックデザイナ—兼製本係をやっているので、すべてデジタルでできるものに限られていた。アナログで描かれた題字や挿絵を取り込んだ本は、「死者の書」が初めてだ。
ひとりで作業していれば、全ては、その人間の守備範囲におさまってしまう。「死者の書」は、参加者が、それぞれの守備範囲を持ち寄ってできあがった。ひとりでは味わうことのできない、貴重な経験だったと思う。今後も、青空の周りから、こういうコラボレ—ションが登場すれば、青空文庫から生まれる「本」が増えていく。そこには、さらに広々とした空が拡がるのではないだろうかと、ひそかに期待している。(LC)
—————————————————————————————
そして、挿絵と題字を担当していただいた高野まきさんから、
—————————————————————————————
やるべきこととやるべきことの隙間の時間に「死者の書」ttz版を見たときには、一瞬違う世界に迷い込んだようになりました。
時の流れが止まったように感じました。
最後のペ—ジを見たときの感動は忘れ難いものであります。(高野まき)
—————————————————————————————
校正担当の、小林さん、多羅尾さんからは、「パス」とのこと。校正担当の小林さん、多羅尾さんのお力がなければ、プロジェクトそのものが動かなかったであろうことを思うと、コメントがないのは残念ですが、仕方ありません。最後に、入力担当の私、門田からのコメントで締めさせていただきます。
—————————————————————————————
「死者の書」は中公文庫版で読んでいた。高柳さんから、「旧字旧仮名、しかも釈迢空名義の角川書店版」を底本にしようと提案されて、さてと近くの図書館を捜してみた。すると、なんと、昭和22年の本が書庫にあるではないか。書庫から出してもらって手に取った時の感動は忘れられない。
この本は書庫におさまってからどれだけの人に読まれたのだろう。そして、このままならば、釈迢空名義の「死者の書」はこれから人に読まれることはないだろう。そんなことを思っていた。
青空文庫に電子化テキストとして登録すれば、多くの人の目に触れやすくなる。そして、TTZ版ならば、オリジナルの本と変わらない読書体験が出来るだろう。そんなことを考えながら、入力していた。
図書館の書庫にはまだまだたくさんの本が眠っている。青空文庫に登録することで、こういった本の再生が出来ればいいな、と考えはじめたきっかけが、この「死者の書」であったことは間違いがないだろう。
多くの人の力を合わせて出来た「死者の書」TTZ版がたくさんの人に読まれることを祈って。(門田裕志)
—————————————————————————————
青空文庫の工作員としての作業は基本的には孤独なものである。作業している作品を通して、誰かとつながっているのだけれど、それを実感することはむずかしいからだ。そういう意味でも、まれびとプロジェクトのような共同作業がこれから幾つも生まれてくることを願いたい。一度でも、こういう共同作業をすると、孤独な作業に戻っても、その作業が誰かとつながっていることがはっきりとわかるから。
友人のミスラという種族のシーフさんからお手紙と
ふわふわの毛皮が何枚か届きました。

わたしが、LV15くらいの頃、砂丘で他の国の人と一緒に経験値をかせいでレベルあげを
する為に、バストゥーク(わたしの国)から何日も歩いて(まだチョコボの免許も
とれなかったので)向かっていると、遠くから、ずしん、ずしんという、地響きが
してきます。
すると、それは、みんながでか羊と呼んでいる、羊のモンスターなのです。
この高原には、羊のモンスターがいるのですが、サイズはこれにくらべて
小さくて、戦えるのですが、このでか羊があらわれると、もうだめです。
LV15程度の頃は、もう、ただ、逃げ回るだけなのです。
お友達のミスラさんは、前に一緒にPTを組んだことがあって、お友達登録を
しておいたのです。だから、こんな写真つきのメールも届いたのです。
日本語の本や原稿のなかに英語の文章がそのまま引用されたり、参考文献としてあげられたりして、英語の混じるものがふえてきました。編集のしごとをしていて、英語の表記について疑問をかんじたときに助けてくれるのが、Chigago Manual of Style というぶあつい本。英語の書き方ならたいていのことはこれでわかります。日本語にもこのようなマニュアルがあるといいと思いつづけてきましたが、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の共同研究プロジェクトとして、芝野耕司さんたちが取り組んでくれることになったと知りました。「みずたまり」に芝野さんご自身が書いています。3年後には「日本語正書法」が手にできそう。うれしいな。
「水牛のように」を2004年2月号に更新しました。
「人間の鎖」の大野裕さんは青空文庫をたがやすなかまのひとりです。青空文庫の目的にそって、それぞれが作業をつみかさねているうちに、それぞれのひとの持っている、性格とまではいえない、ちょっとした特徴というようなものが見えてきます。大野さんのメールの最後に、"Be the change you wish to see in the world." -- Mahatma Gandhi とあるのを見ると、それはまっすぐに「人間の鎖」につながっているように見えます。
冨岡三智さんの「心をとらえるもの」を読むと、ふるいもののなかにこそ、あたらしいものの芽があることをあらためて知らされます。「人に見せる意識のない舞踊は、人の目を魅きつけようとするどんなパフォーマンスよりも、かえって見る者の心をとらえる」とは、なんと魅力的な思想でしょう。なにであれ、表現の専門家にとっては、なかなか到達するのがむつかしそうですが、これが舞踊家冨岡さんのめざすところなのです。
「水牛の本棚」は藤本和子「新たなる沈黙に声を」です。
「女たちの同時代——北米黒人女性作家選」第四巻「強き性、お前の名は」(ミシェル・ウォレス、矢島翠訳)について。
日本語の「強き性、お前の名はに」はすでに絶版ですが、英語版(原語)は手に入ります。
ハードカバー
「強き性、お前の名は」はミシェル・ウォレスの最初の著作ですが、以後もいくつかの作品を書いていて、作家として健在なようす。アマゾンで検索した結果です。
「水牛通信電子化計画」は1986年10月号を公開しました。
「なまえがかわるとき」というへんな座談会があり、如月小春、楠原理枝子、志沢小夜子、津野海太郎、平野公子、八巻美恵があれこれ、おもに姓名の姓のほうについてしゃべっています。このメンバーの中には、あれから結婚したひと、離婚したひと、そして「如月小春という名前にして人格がかわった」のに、若くして死んでしまったひともいます。20年ちかくたった今、このテーマではおもしろい座談会はできないな、と感慨をおぼえます。
それではまた! (八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)