2004年01月31日

 うっふんPTゲルスパへゆく

獣使いさんは、敵をあやつる事ができるジョブなんですが、その時に
ピンクのハートマークとうっふんっていう声がするのです。

というわけで、今日の日記は、ゲルスパに獣使いさんたちとお出かけした時の事です。

そもそも、なんでゲルスパに獣使いさんたちといったかというと・・・

イレースっていう魔法があるんですが、これは競売で買うと百万ギルもする魔法です。
とてもじゃないけど購入できないわたしは、噂を信じて40BCにいってきました。
40BCっていうのは、ジュノの港の物陰にたっているおじさんが、獣人印章40個と
ひきかえにくれるオーブを使ってはいる特殊なエリアのことです。

ここでの戦いに勝つとイレースという魔法を落とすことがあるときいたのです。

そしてその必勝法というのが、獣使いさん5人に白1人という構成だそうで.....
かくして、獣使いをしている友人とそのまた友人を含めて、5人とわたしで、
サンドリア王国に隣接する、ゲルスパの砦の、そのまた奥で、戦ったのでした。

ufun.jpg

小さく左下にいるのがわたし、ピンクのハートをとびちらして子分ウサギをあやつり
親分うさぎ(白うさぎ)に向かわせます。

ぶじ戦闘がおわると、宝箱が出現して、その中には宝石や魔法などか入っているのです。
わたしの印章からは、召喚魔法と黒魔法がでてあとは、ちょっと高級な木材と宝石でした。
がっかりして、温泉に使って次回の英気をやしなう私たちでした....。

kemonoaf.jpg

湯上がりに....後ろで、もこもこな洋服をきているのがお友達のガルカという種族の
獣使いのおにーさんです。

がんばって印章ためて再チャレンジしょうっと決意もあらたに思うのでした。

★この文章を書いた人→らんむろ・さてぃ★こんな時間に→20:30

2004年01月26日

 新仮名遣いと旧仮名遣い:どっちがわかりやすい?

本日公開の折口信夫「水の女」は、新字旧仮名新字新仮名が同時に公開されている。まれびとプロジェクトでは、少し事情があって、底本を変更したために、二つのファイルが出来てしまったのだ。その事情を記しておきたい。

まず、まれびとプロジェクトでは、「古代研究」中央公論新社を底本として、折口作品を登録しようと考えた。入手しやすいのが、その選択理由であった。そして、入力作業を進め、「水の女」「最古日本の女性生活の根柢」に関しては校正まで進めた。

そこで、私が余計なことに気付いたのである。底本の編集方針を、付録としてつけられた巻頭のエッセイの後にあったため見逃していたのだ。編集方針には、「問題のある表現に関してはその部分を削除する」と記されていた。さすがに、これは底本として問題があるのではないかと考えた(「水の女」「最古日本の女性生活の根柢」には削除部分はないことは確認してある)。

「古代研究」の親本である「折口信夫全集」中央公論社(新字旧仮名)には、このような編集方針は記されていない。よって、ここから全ての底本を「折口信夫全集」(新字旧仮名)に変更した。校正まで進めていた「水の女」「最古日本の女性生活の根柢」に関しては、そのまま作業を進め、さらに全集底本の新字旧仮名のファイルも作成することにした。その結果、本日のような新字旧仮名、新字新仮名ファイルの同時公開となった。「最古日本の女性生活の根柢」も、新字旧仮名、新字新仮名のファイルが同時に公開される予定である(1月29日公開予定)。

そこで、改めて新字新仮名と新字旧仮名のファイルを比較することになったのだが、そこで気付いたことがあるので、記しておく。例としては、「翁の発生」をまずあげよう。

新字旧仮名版
おきな[#「おきな」に傍線]・おみな[#「おみな」に傍線](媼)の古義は、邑国の神事の宿老《トネ》の上位にある者を言うたらしい。おきな[#「おきな」に傍線]・おみな[#「おみな」に傍線]に対して、をぐな[#「をぐな」に傍線]・をみな[#「をみな」に傍線]のある事を思ひ併せると、大(お)・小(を)の差別が、き(く)・み(む)の上につけられてゐる事が知れます。

ここで登場する「おみな」「をみな」は、新仮名にしてしまえば「おみな」になってしまう。「大(お)・小(を)の差別」という箇所も新仮名にしたらわかりにくいだろう。

また、「妣が国へ・常世へ」の一部を例にあげよう。

新字旧仮名版
そこり[#「そこり」に傍点]に揺るゝなごりには、既に業《スデ》に、波の穂うつ明日《アス》の兆しを浮べて居るではないか。

新字新仮名版では、「既に業《スデ》に」が「すでにすでに」となっていて、意味がよくわかならなくなっている。

このように、新仮名に比べて旧仮名は情報が詰っているように感じられる。特に国語、言語学、言葉を扱った文献を新仮名にしてしまう(そして漢字を無闇に開く)のは、問題なのではないだろうか。この点からも、「折口信夫全集」を底本としたのはよかったのではないか、と考えている。少なくとも、「水の女」「最古日本の女性生活の根柢」の2作品に関しては、新字旧仮名、新字新仮名の二つのファイルが公開される(「最古日本の女性生活の根柢」は1月29日公開予定)。読み比べてみていただければ、その違いがわかるはずである。

★この文章を書いた人→門田裕志★こんな時間に→14:02コメント (4)

2004年01月23日

 日本語であそぼう

こいつは春から縁起がいいわい〜

と、我が家では毎朝8時、pay per viewであれば、この分だけは、はらうのにと
おもいつつ、きっちり10分間、3チャンネルをつけています。

子供番組ってひとくくりにされるけど、昔のカリキュラマシーンや、ウゴウゴルーガや
ポンキッキーズ(←いまはちょっと×)を見てきました。

一度ごらんくださいまし。楽しいです。けっこうフレーズが頭にこびりついてしまいます。

いろは歌をラップ風、ハワイアン風などにしてみたり、童謡や有名作家の一節を
カルタにしたもの、家族で、あれ、これ誰の作品だっけ?とう〜んとうめき、
10分後、今日の名文というところで、誰々作というのがわかり、あ、そうだったよぉ。
と、朝からちょっとした頭の体操している気分です。

じゅげむなどがはやったのは、この番組の影響だといわれていますね。
一時期カルタだけWEBにあったのですが、いまはみあたらず
UrLを紹介できませんが、朝のひととき、おすすめな、ことば の番組です。

★この文章を書いた人→らんむろ・さてぃ★こんな時間に→08:17コメント (9)

2004年01月13日

 冬の朝

—けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだー

「春と修羅」

宮沢賢治作「春と修羅」—「無声慟哭」—「永訣の朝」の有名な書き出しである。病で明日という日がない妹とし子が、兄である賢治に、いつも使っている茶碗に雪をいれて取ってきてくれとせがむ。雪が食べたいとせがむ。兄は、茶碗を片手に外へ飛び出す。

死んでいくもの、生きているものそれぞれの時間を賢治は輪切りにする。私は、妹のことを抜きにして、この詩を読んだ場合、いつも下記の4行で止る。

この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ

私は、雪国で生まれ育った。雪が降る朝の空は、決して美しいものではない。大抵、濃淡をつけた灰色の空である。そこから白い雪は降る。積もった雪に雪は降る。窓際に張り付いて、無言でそれを見つめる幼児の瞳、漆黒の鏡に不揃いの雪が降る。青みがかった白い部分を避けるようにして幼児の黒い瞳に映る雪を見ていた。同時に私はこの詩を思い浮かべていた。きっととし子の、死にいく人だけが持つ澄み切った瞳にも雪が降っていたのではないかと。
明日もまた幼児の瞳に雪は降るのだろう。しかしとし子の瞳に降ることはない。

★この文章を書いた人→ten★こんな時間に→08:52コメント (1)

2004年01月12日

 青空文庫の作業と読書

「本を読む」ことは、趣味の人も趣味でない人も、程度の差こそあれ、行うと思う。早く読む人もあり、ゆっくり読む人もいるだろう。研究のために読む人もいるし、娯楽のために読む人もいる。「読書」のスタイルは様々だろう。青空文庫の工作員として、青空文庫の作業と読書について、ちょっと書いてみたい。

本を読む速度は、人によって違うだろう。私は早い方だと思う。早く本を読み過ぎて怒られた、そして努めてゆっくり読むようになった、という話が新井素子のエッセイにあったが、早く本を読み過ぎると、残るものも少ないのかもしれない。また、繰り返し繰り返し同じ本を読む人もいるし、再読はしないという人もいるだろう。私はむしろ、後者に近い。趣味のために読んでいる人と、研究のために読んでいる人は、読み方の丁寧さも違うかもしれない。

一般に、ゆっくりと繰り返し読む読み方が、研究には必要なのではないだろうか。私は文学者ではないので、わからないが、メモをとっていたりもするかもしれない。例え、研究のためであっても、最初は、メモなんかとらず、通して読むのだろうと思う(違うかもしれないが)。そうした後に、じっくりと再読すると思う。

切れ切れに書いたが、私の読書スタイルは、早読、再読なし(何冊かは再読するが)、である。そんな私だからかもしれないが、青空文庫の作業は、実は新鮮な読書体験だった。

どういうことかというと、入力にせよ、校正にせよ、青空文庫の作業は、一文字一文字をしっかりと読むことになる。読書とはいえないペースかもしれない。筋ではなく文字を追う、のである。それだからこその普通の読書とは違う新鮮な発見がいろいろとあった。そして、作業の最後には、必ず素読みがある。ここでようやく、普通の読書になるのである。つまり、じっくりと読んで、それから普通に読むことになる。これは、趣味の読書とも研究のための読書とも違うスタイルなのだ。

例えば、泉鏡花ならば、その筋ではない日本語の美しさに改めて気付いた。使っている文字(多分、言葉ではなく)に鏡花のスタイルを感じたりしていた。まれびとプロジェクトの時には、素人ながら、折口のモチーフが少し見えてきたように感じた。高柳さんとのこのaozora blogでの対談も、そんな変な(?)読み方をしていたからこそ、気付いたことが多いと思う。

入力にせよ、校正にせよ、まだまだ作業をしたい作品はたくさんある。これからも、そんな濃密で普通では味わえない読書体験を出来ると思うと、少しうれしい。そんな気持ちを言葉にしたくて筆を取ってみた次第である。

★この文章を書いた人→門田裕志★こんな時間に→23:10

2004年01月10日

 RSSリーダーのすすめ

大野裕さんが、青空文庫の「新着情報」と「そらもよう」をRSS化してくれました。毎朝9時に自動的にその日の最新情報を生成してくれます。

http://topaz.ecis.nagoya-u.ac.jp/~yohno/aozora/whatsnew.rdf

です。作品名、作家名、入力者名、校正者名、公開日、およびその作品の図書カードへのリンクが、最新30項目ここに記述されています。

で、RSSとは何だ! ということになるとは思うんですが、これはつまり、そのホームページの最新情報の要約を、ある決まったフォーマット(これをRSS【Rich Site Summary】という)で出力しておこうというものなんです。つまり、ニュースでいうところのヘッドラインのようなものが、ゴテゴテのグラフィック無しに簡潔に書かれてあるファイルなんです。それが出力してあれば、RSSリーダーと呼ばれるアプリケーションでそのRSSを拾ってきて、概略だけをざっと見て、興味のある項目だけそのホームページへジャンプする、ということができるんです。ホームページって、グラフィックに凝っていたりすると表示が重く、目的の情報の階層が深かったりすると、重い上にクリックする回数がやたらと多くなってしまう。やっと辿り着いたら、何だこれだけか! なんて失望することはすごく多い。でも、RSSファイルだけならば、めちゃくちゃに軽い。RSSリーダーで、ぽんぽん、さくさく、項目だけを追うことができる。まあ、もちろん、最新情報だけのことなんだけれど。

そこで、大野さんの作った青空文庫・新着情報RSSをどう使うかというと、それをRSSリーダーで覗いてみて、おい、また宮本百合子かよ、と思ったらそれは無視して、興味のある作家のものがアップされたら青空文庫本体に飛んで行く、というようにすればいい。しかし、青空文庫のホームページはそんなに重いものでもないので、直接行けば良いような気がしないでもないけど、RSSの入門として、この青空文庫RSSはとてもすっきりしているので、ちょっと試してみるのには最適です。今後、もし青空文庫RSSで効果があるとすると、いろんな趣向のRSSが出力されていれば好いのかもしれない。「新青年」系とか、「時代小説」系とか、「プロレタレア文学」系とか、自分の好きなジャンルの作品がアップされた時だけ教えてくれるようなRSSが。

じゃあ、実際にRSSリーダーを使って見ましょう。

RSSリーダーはいろいろあるんですが、英語のものより日本語のもののほうが良いということで、
http://www.itmedia.co.jp/news/0311/28/nj00_rss02.html
の、トップで紹介されている「NewsGlue」体験版を試しに使ってみる。それは、ここからダウンロードできる。「体験版」とはいいながら、14日間の無料体験期間が過ぎても最低限の機能はそのまま使えるらしい。でも、キーワードフィルタ機能が使えないのはちょっと痛いかも。とはいえ、そのために3000円を払うのはちょっとためらうような。

それで、早速インストールしようとすると、Microsoft .NET Framework 1.1が入っていないとか古いとかどうとか言われてしまう。家のXPは、自動更新で頻繁にアップグレードをしているはずなんだけどなあ、と思いながら、OKボタンを押していくと、勝手にMicrosoft .NET Frameworkを1.1にしてくれた。

やっと、無事起動。以下のような画面が出る。

NewsGlue

この「NewsGlue」には、もうすでにいくつかの項目が登録されてある。左側のフィールドにある「NewsGlue標準リスト」を開き、「ニュース」→「新聞・ポータル」と開いていけば、朝日、読売、毎日の項目が見えてくる。例えば、毎日新聞の「Mainichi INTERACTIVE」をクリックすれば、上記のキャプチャー図のように右上にヘッドライン、そのヘッドラインの項目をクリックすれば、右下のフィールドにそのままそのホームページが現れる。

ただ、この機能だけでは、星の数ほどあるホームページの中から自分が欲しい情報だけを選りすぐる、といわけにはいかない。そこで、キーワードフィルタ、という機能を使ってみる。サッカー好きの私は、数ある各国リーグの中でも、イングランドのプレミア・リーグが好きなんです。そこで「キーワードフィルタの追加」で「プレミアリーグ」と入れてみる。

NewsGlue

あれれ、1個しか出て来ない。もっとキーワードを入れないと引っかからないみたい。「プレミアリーグ マンチェスター アーセナル チェルシー 稲本 ニステルロイ アブラモビッチ」というようにスペース区切りで。

まあ、サッカーはどうでもいいです。青空文庫です。「ニュースの追加」で、先程の大野さんのRSSアドレスを入れてみます。

NewsGlue

名前を「青空文庫新着情報」とでも。URLに「http://topaz.ecis.nagoya-u.ac.jp/~yohno/aozora/whatsnew.rdf」を。

NewsGlue

上記のキャプチャー図のように、左側に「青空文庫新着情報」というコーナーができるので、そこをクリック。右上に、青空文庫に新規登録された作品名、及びそらもようの新規記事名が最新30項目表示されます。その項目をクリックすると、今度は直接ホームページが表示されるわけではなく、簡潔なテキスト情報だけが右下に出ます。そこに青空文庫本体へのリンク情報が書かれてあるので、それをクリックすると上記のキャプチャー図のようにRSSリーダー内に図書カードが表示されます。その中のリンクをクリックすればもちろんダウンロードも出来るし、XHTMLの表示もできます。

もう一つ、「glucose」というRSSリーダーを試してみました。まだベータ版だけれど、トラックバックされている先のページがすぐわかるのが便利です。それと、デスクトップに電光掲示板みたいに、RSSの情報を流せるのが面白いです。

glucose

大野裕さんとメールで話していて、青空文庫本体もblog化されて、登録作品ごと、その作品の解説や書評や、書評とまでいかなくても感想が書かれてあるページのトラックバック一覧があればいいんじゃない? なんて話になりました。でも、人気作品に100個もトラックバックが付いたら、それはそれで見る気がなくなるんだけど。

日本でのRSS発信はまだまだです。でも、どんどんそれが浸透して行くんじゃないかと期待してます。まあ、増えれば増えたで、結局はごった煮状態になってしまうんだけど。ミシュランみたいに、サイトのランク付けが必要なのかな?

※いままで紹介したRSSリーダーはWindows用だったけど、Macの人はNetNewsWireをどうぞ。
※ちなみにaozora blogのRSSは「http://www.siesta.co.jp/aozora/index.rdf」です。

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2004年01月07日

 ヴァナ日記2

新年あけましておめでとう、ございました。

kadomatu.jpg

あけましておめでとうございます。というか、ございました。

わたしの暮らすヴァナディールにもなぜかクリスマスやら正月やらやってくるのです。
それは地球の暮らしにあわせたタイミングでどうやら起きるようです。
ヴァナのカレンダーとは別に地球の時間にもあわせているようなのです。

そういえば、昨年の秋から日本からでなく海外、アメリカやらフランスやら
イタリアやら日本のゲームファンはおおいようで、最近は英語で
突然テレポートしてくれよとか、レイズしてくんない?とか
もう、失礼しちゃうたら。そんな言葉の暴力(?)にもまけず
カルチャーギャップを感じつつもまた今年一年楽しく遊ぼうと思います。
今年の目標 釣りスキルを60にすること(現在30です。とほほ)

昨年末から回線が絶不調てあそべずに、日記を綴るのがこんな間延び
してしまったこと反省しつつ、今年はもちょっと真面目に日記を
かこうとおもうのです。ですが、行き当たりばったりなわたし。
(沖縄の島豆腐くらいの固い決意なので...サポートよろしくね)

★この文章を書いた人→らんむろ・さてぃ★こんな時間に→19:08コメント (1)

2004年01月05日

 水牛だより1月5日

片岡義男さんの詩のコーナー「メントール・ユーカリプト」を作りました。片岡さんと水牛から2004年のお年玉です。

片岡さんの詩にはメントール・ユーカリプトを嗅いだときの、あのス〜ッとする、香りでもあり風でもあるような感じがあります。片岡さんと日本語の距離なのか。使われていることばは抽象の度合いが高く、これ以上ないというほどに単純に見えますが、イメージは単純ではありません。

片岡さんの小説やエッセイをずっとリアルタイムで読んできました。すべてを読んだわけではないけれど、これはと思うものを読むと、かならずそのときのわたし自身と世界のありようにピッタリきてしまう。そうであるからこそ、読みつづけてきたのだと思います。
片岡さんの著作のタイトルは「ぼくのホームページ」を。緻密に集められたタイトルを見ていると、ここからすべてのテキストが読めるようになる日を夢みてしまいます。

CD「水牛楽団」の中に「フジムラ・ストア」というハワイの歌が収録されています。ハワイアンとしかいいようのないメロディーに80年代の開発反対のメッセージがこめられた、とてもラブリーな歌なので、どんなときも上機嫌でうたったものでした。片岡さんが水牛に貸してくださったLPから、ほぼそのままコピーして、といっても、楽器はハワイアンのものは何ひとつ使わずにレパートリーにしたものです。

それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)

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2004年01月01日

 水牛だより1月1日

あけましておめでとうございます。

水牛は4年目、青空文庫は8年目(かな?)、それぞれの春をむかえたことになります。はじめたころは続けることが最大の目的でしたが、続いた結果バックナンバーやら登録作品やら、たくさんのテキストがたまってきました。それらを必要とする切実な人はだまっていてもアクセスしてくれることでしょう。が、それだけではなんだかもったいない。デジタルのみにこだわることなく、たくさんのデータをうもれさせずに読んでもらう工夫があってもいいと思います。
そんなことを考えていたら、「本とコンピュータ」2003冬号に「オンデマンド移動図書館」の記事を見つけて、感慨深く読みました。それはブルースター・カールさんの主宰する「インターネット・アーカイヴ」のひとつのこころみです。ラップトップコンピュータ、カラープリンタ、裁断機、製本機、そしてパラボラアンテナを積んだミニバンを「book mobile」と名づけ、各地を移動するのです。事務所のサーバーに蓄積されたデジタルテキストデータは本の版下の状態でダウンロードできるようになっているので、これだけの装備があれば、どこでも本がつくれるわけです。今はこども用が中心のようですが、読みたい本のデータをプリントし、紙を自分で折って縁を裁断して本にするらしい。教育もかねているのかもしれません。
青空文庫のデータを使った100円ショップの100円文庫もおもしろい試みですけれど、技術そのものを自分たちの手にするほうが楽しいにちがいありません。ことしはそのような一歩を踏み出してみたいと思っています。

「水牛のように」を2004年1月号に更新しました。
初登場の鎌田慧さんは月刊誌「水牛」時代の編集委員のひとりでした。むかしのなかまをこうして迎えるのもいいものです。あたらしい年のお年だまのよう。「敗残兵」というのは半分冗談、半分本気かな、と思います。鎌田さんが進歩主義者以外のものになるとは到底信じることができませんから。
12月は佐藤真紀さんの名前を何度か新聞で見ました。しゃべっているところはテレビで見ましたが、たしかに胸の平和バッチは見えませんでしたね。
“Close your eyes and listen”はピアソラの曲のタイトルだそうですが、ことばや音だけでなく、ことばにならないものや音にならないものにも目をとじて耳をかたむけるようにと言われているような気がします。

「水牛の本棚」は藤本和子「喉をつまらせている女たち」です。
「女たちの同時代——北米黒人女性作家選」第三巻「死ぬことを考えた黒い女たちのために」(ヌトザケ・シャンゲ、藤本和子訳)について。
「死ぬことを考えた黒い女たちのために」は20の詩がならんでいますが、それは読むだけのものではなく、演じるためのものです。なりたちや上演の経緯についての文章がはじめに置かれていて、そこにシャンゲはこんなことを書いています。
「ソノマはほんとによろこびと昂奮にみちていた。やがてわたしはそこからサン・フランシスコまで六十マイルの道を通って、レイモンド・ソーヤーとエド・モック、そしてハリフについてダンスを習うようになった。女の頭と心を知ることによって、わたしはダンスを通して、それまでに想像もしていなかったほどの深さをもって自らの肉体を発見することができた。わたしの太腿と臀部の民族性を受けいれると、こんどは女としてのわたしの声、詩人としてのわたしの声にいついても、ずっと明確に理解できるようになったのだ。空間を動くことにある自由と、知られざるものながらも、たえず目ざすことのできる完璧さをわたしの汗に要求すること、これはわたしにとって詩だった。おそらく生まれてはじめて、わたしの肉体と心が重なったのだ。女性学によって、わたしが女たちの伝統と責務について深く理解するようになったように、レイモンド・ソーヤーやエド・モックによって明らかにされたダンスは、アフリカ的なるもののすべて、わずかでも方言的であるすべての言葉、顰っ面、気取ったような歩き振り、あくびをすると弓なりにそる背中など、それらはすべてわたしのものだと断固として主張した。わたしは黒い女(カラード・ガール)の肉体をもつことの無意識の知識を、意識的な日常性に連結させた。」
この本を読んだあとでヌトザケ・シャンゲの朗読のカセットテープを聴いたことがあります。彼女のことを何も知らなくても、深くて少しかすれた声をきくと、彼女が黒人だということがすぐわかるのは、こうしたわけだったのです。

日本語の「死ぬことを考えた黒い女たちのために」はすでに絶版ですが、英語版(原語)は手に入ります。
ハードカバーペーパーバック

「水牛通信電子化計画」は1986年9月号を公開しました。
黒テントの山元清多がモンゴルをおとずれた話を、平野甲賀、田川律、佐藤信、津野海太郎の四人がわいわいと聞いていて、おもしろい。「ぼくらはヒツジを動物と思ってるけど、モンゴルの人たちはちがうみたいなんだよね。草とヒツジっていうのは、ほとんどつながってるものなんだね。」とか、「ひとつには、あそこはフンの世界なのよ。草原のいたるところに、家畜のフンがある。だから、ああ、気持がいい! って寝ころぶと、からだがフンだらけになっちゃう。あとニガヨモギというアブサンをつくる有毒な草が一面にはえてて、そのハッカにちかいような、かろやかな、ほろにがい香りが草原をつつんでる。家畜のフンとニガヨモギの香り——それが草原の世界なんだよ。」とか、「ジンギスカン帝国の痕跡だって、なんにも残ってないもんね。あんなとこから、どうして全ユーラシア大陸を制覇したような人物がでたんだろう? 結局、制覇というものの質がちがうんだろうな。ただダーッと行っちゃう。そこにとどまって宮殿や神社仏閣をつくるなんてことはしない。」とか。

それではまた! (八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)

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