古本供養
古本屋さんの想い出

2003年11月01日

 水牛だより 11月1日

1980年代ころまで東南アジアは文字通り近くて遠いところでした。政治的な状況だけは伝わってくるものの、そこで人びとがどのように暮らし、どのような文化があるのか、ほとんど知らなくても不思議に思わなかったのです。タイの「生きるための歌」のバンド、カラワンのメンバーのモンコンがはじめて東京にやってきて、わが家に滞在したとき、彼が熱いお風呂に入れないことを知ってほんとうにおどろいたものです。暑い国ではお湯でなく水をあびる習慣を知らなかったわけですね。
かつて日本はたくさんの植民地を持っていました。戦前や戦争中には今の日本とはまったく違う土地で育まれたこどもたちもたくさんいたはずです。少年少女だったかれらにとっては暮らしも文化も日々のものであり、植民地は「まぼろしの故郷」となりました。その具体的なお話が今月の「水牛のように」にあります。書いたのはおなじみ地田尚さんです。そういえばわたしの父も樺太の生まれ。そのような親たちのあまり表には出てこない「まぼろしの故郷」をきちんと知りたいと思います。

「水牛のように」を2003年11月号に更新しました。
「まぼろしの故郷」では水牛のことも親しく書かれていてうれしくなりました。「水牛」という名をもつこのサイトですが、水牛そのものが登場したのははじめてだと思います。東南アジアならどこにでも見られた家畜もだんだん少なくなっています。水牛通信をはじめたころ、タイでは日本から輸入される耕運機を「鉄の水牛」と呼んでいたことを思い出します。
初登場の宮木朝子さんは作曲家です。沖永良部で奄美自由大学の同じ「学生」としてともに何日かを過ごしたあと、東京のあるライブで再会したので、あの経験を書いてもらうことにしたのです。島にはサイサイ節という歌があり、お酒が出される席では、どんな小さな集まりでも最後はこの歌で踊っておひらきにすると聞きました。サイとは酒。酒をもっと持っておいでよ、飲んで遊ぼう、こんなにいい気持だもの、80歳まで生きるなら、飲まないより飲んで80になるほうがいいさ、というように、延々と続いていきます。島ではわたしも何度も踊りました。

「水牛の本棚」には藤本和子「過去を名づける」を。
1981年10月からほぼ1年をかけて、「女たちの同時代——北米黒人女性作家選」全7巻が出版されました。藤本さんはその選者で、すべての巻に選者としての解説を寄せています。この選集ではじめて紹介されたトニ・モリスン、アリス・ウォーカー、ゾラ・ニール・ハーストンなどの作品は、その後いろいろな作品が翻訳されて、もうめずらしいものではなくなりました。この選集は新刊としては今はすでに手に入りません。しかし同時代的な直接性をもった藤本さんの解説がこのまま目にふれなくなるのは、藤本さんのためというよりは、書かれたテキストにとってたいへん残念なことだと思います。そこでその解説の部分だけを順に公開していきます。
今月はその第一巻「青い眼がほしい」(トニ・モリスン、大社淑子訳)について。
本編の「青い眼がほしい」はその後早川書房のトニ・モリスンコレクションに入り、文庫にもなりました。

トニ・モリスン「青い眼がほしい」は次のようなものが手に入ります。英語はカセットやCDなど、聞けるものがあるのがうらやましい。「彼ら(黒人)は耳で聞かないと信用しないんじゃないか」とモリスンも言っています。
単行本(翻訳)文庫(翻訳)ハードカバー(英語)ペーパーバック(英語)カセットオーディオCD

「水牛通信電子化計画」は1986年7月号を公開しました。
坂本龍一さんが「僕はフリーのミュージシャン」と宣言しています。あのYMOはなかなかつらいものだったのですね。

今月のお知らせをひとつ。
『云々』の江村夏樹さんのピアノ独奏『ロマンティック!』があります。
 ロス・ケーリ、港大尋、江村夏樹、バルトークの作品(演奏順)
 11月28日(金) 午後6時半開場 7時開演 原宿 アコスタディオにて
 前売3000円 当日3500円
 前売予約、問い合わせ:太鼓堂 taikodo@wild.interq.or.jp             ティコディコ tokidoki@ba.wakwak.com
 太鼓堂の「今後のコンサート情報」に予約フォームのページがあります。
 
 それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)

★この文章を書いた人→八巻美恵★こんな時間に→2003年11月01日 02:22 ★トラックバック


 コメント

班長の文章を読ませて頂いて、藤原ていさんの話を思い出しました。同時代の話です。藤原さんの方は、反対に寒い方、中国北部、満州の話だったと思います。息子さんが、ジフテリアに罹るんですね。それを治すためには当時のお金として千円がいるという話を聞き付けるのですね。現金で二百円(数字に弱いので、違うかも)しかない。ご主人の新田さんが留守の中彼女は必死になって知恵を巡らす。石鹸の中に隠してある新田さんのロンジンの腕時計を売ろうとするのですが、当地にいた日本人は、みんな時計を売るので、ダブついてなかなか思うようなお金で売れない。高熱で苦しみ喘ぐ、このままでは死ぬという我が子を助けるためにどうしたか・・・・足りない現金と時計を持って病院へ子供を抱えていくのですね。朝鮮人の医師だったと思いますが、彼に藤原さんは、床に頭をこすりつけるようにして頼むのです、「わが子を助けてくれ」と。医師は、即座に血清を打つことを決心します。

助かることにはなったが、お金が足りない。それを藤原さんは医師に告げると、医師は、「誰が千円だといいましたか」と。そして「ではロンジンの時計を千円で買います」と言うのですね。足りなくても現金を受け取ればいいのですが、これからの彼女を思ってうけとろうとしないのですね。

藤原さんが何をいいたかったかはあえて書きませんが、この話を私は、朗読会で聞きました。題名は「運命」の中の一節だったと思います。

「話」を聞くという行為、読むという行為以上の力で私たちに迫ってくるものがあります。それについては、いつかここで書いてみたいと思っています。

祖母は話を語るのが好きでしたから、「傾城阿波の鳴門」は今でも語ることができるような気がします。

あら?長すぎるコメントでm(__)m

Posted by: ten at 2003年11月01日 09:14

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