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今月から「水牛だより」が水牛とaozora blogのふたつのサイトで読めるようになります。水牛も3年目になり、バックナンバーがふえてきました。同時におこなっている「水牛通信」の電子化もあります。たくさんのファイルの中から読みたいものをすぐに探すことができて、さらには水牛のワクをこえていけるよう、ブログという仕組みを研究し、取り入れてみたいと思うこのごろ。その手始めのこころみです。水牛でこれを読んでいるかたはaozora blogを、aozora blogで読んでいるかたは水牛を、ぜひ訪ねてみてください。
ではいつものように今月の水牛について。
「水牛のように」を2003年8月号に更新しました。
7月31日朝に帰国した佐藤真紀さんのイラクだよりからはイラクのいまの暑さが伝わってきます。佐藤さんの視線は何にもとらわれることなく、自然なユーモアにあふれています。数え切れないほどのイラク情報ありといえども、こんなにおもしろいものは他にはないと思います。
スラチャイ・ジャンティマトンはタイのバンド、カラワンのリーダーですが、音楽だけでなく、詩や絵もかきます。芸術家というのがぴったりの彼の文章は、ふつうのタイ語とはちがって、彼独自の表現ばかりだと、翻訳者の荘司和子さんは言います。スラチャイの感じていること、イメージしたこと、思っていることを時間をかけて想像して思い描き、そしてそれに合った日本語のトーンや表現をさがす。楽しく、けっこうしあわせな作業だ、と。「こころの中の種々の煩わしさが樹の葉が落ちるようにとれたとき、人はまた新しくなる。」
「水牛の本棚」には数住岸子「音楽と旅と出会いと」を。
タイトルは新聞に連載されたときのもので、ありきたりな感じですが、なかみはありきたりではありません。1997年に45歳で亡くなったバイオリニスト数住岸子さんが録音や印刷という保存方法で残したものはとても少なく、この先一冊の本にまとめられることもなさそうなので、それならだれでも読めるようにしておこうと思ったのです。生前の彼女には実際の年齢とは関係なく、だれよりも年上という感じがありました。まるで明治か大正のころのひとのようだと思ったこともあります。いまという時に順応できずにいる感じは、不自由そうなものとしてわたしの目にうつったのですが、たぶんそれゆえの自由も持っていたにちがいないといまは思います。そんな振幅のおおきさが伝わってくる文章です。
「水牛通信電子化計画」は1986年5月号を公開しました。
当時40代、50代をむかえ、あるいはむかえつつあった編集部ではみんなでひとつのところに住まい働く、という計画が浮上していました。それが水牛倶楽部計画です。全員ふらふらとしていて、企業や組織に属しているひとがいなかったので、年金というようなものに頼ることもできず、もちろんゆたかな貯蓄を持っているひともなく、年をとったら自力相互扶助でいくしかないとでも考えたのでしょう。アイデアだけで実現しなかったのは、だれも真剣ではなかったからか、場所を探すのが困難だったからか、ま、両方ですね。
坂本龍一「教授」の初のコンサート・ツアーの報告もあります。なにやら初々しい。
それではまた!
(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)
★この文章を書いた人→八巻美恵★こんな時間に→2003年08月01日 00:08 ★トラックバック数住岸子「音楽と旅と出会い」の最終回は、何やら胸に迫るものがありますね。
今夜家に帰ったら、久々に響ホールライブのメンデルスゾーンを聴くことにします。
Posted by: 浜野 智 at 2003年08月01日 15:007月のお盆のころ、用事があって数年ぶりに成城学園駅の近くをあるいていたら、前方から数住岸子さんがゆらりと歩いてきた。もえぎ色のパンタロン、同色のシャツの岸子さんは乙姫さまのようだった。8月号水牛に岸子さんの原稿が載っているのを見て、ウーン。
Posted by: 平野公子 at 2003年08月05日 15:26成城大学の学生のころ数住さんにお世話になりました。
亡くなったことを知り図書館のインターネットの前で
涙がとまりませんでした。
僕も44歳になりました。
いただいた陶器のマグをいまでも大事にしてます。
イベントの仕事が終わり次第お墓参りしたいのですが
連絡先を教えていただけないでしょうか?
Posted by: 雨のサティ at 2004年03月30日 08:09若いときに死んだ友だちは、
往き来がままならないすぐ隣の部屋にいるみたいで、
いつも気になります。
雨のサティさま、
岸子さんのお墓の住所はしらべておきますので、
仕事がぶじに終わって、行けるようになったら、メールで連絡をください。
Posted by: 八巻美恵 at 2004年03月30日 19:09