2003年07月28日

 忙中閑報

最近、若者があまり本を読まないので、閑な時に本を読む猫がふえているとか。とてもいい傾向ではないかと思います。青空新聞の調査によると、猫の平均的な読書量は月1〜2冊で、圧倒的に時代物がトップで、次に推理もの、恋愛ものと続き、ビジネスものはまるで読まれていないようです。まだ子猫に絵本を読んでやる親猫はいないとのことです。

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2003年07月27日

 村社会

私は地方でも県庁所在地に住んでいる。山間部に住んでいる友達の話。

10年ほど前東京から山間部の村へお嫁に来たA子さん。周囲の人たちのぬくもりで心細さは、次第に消えていった。しかし、日々過ごすうち彼女には、どうしても理解不可能なことがあった。夫の両親が留守の間、近所の茶のみ友達が、茶の間で茶を飲んでいる。菓子まで食べている。最初その光景をみたとき、「泥棒」と言っていいのかどうか迷った。顔見知りである。言うわけにもいかないと判断した。かといって、他人の家で、主もいないのに勝手に上がりこんで、茶を飲み、菓子まで食べている。葛藤で立ちすくむ彼女をみたその人は、二人が留守だったから上がって茶を飲んでいるが、「あんたも、どう?」と勧められたそうな。その後両親が留守だろうが、どうだろうが、自分の家のような顔でみんなは、入ってくる。誰一人玄関で「こんにちは」という人がいないことに気づいた。ある日A子さんは、夫の両親に疑問を疑問として尋ねてみた。彼らは、なぜそれが疑問なのかわからなかったそうである。
今では、もう慣れ、自分の家のお茶を他人に勧められて、一緒に話し込むこともあるそうな。

B君の家は村で、一軒の酒屋である。酒屋をやっているのは、彼の祖父母である。
祖母がでかけていて、祖父だけが留守番をしていた。昼食後の心地よさに勝てずに祖父は昼寝を決め込んだ。そこへお客さん、といっても近所の人であるが、酒を買いに来た。何度呼んでも出てこない。声は大きくなるがまだでてこない。で、その客はどうしたか?自分で、一升瓶の酒を奥から出してきて、自分で熨斗をかけた。そしてやおらそこらの広告の裏に一筆書いた。「今度、お金を払いにくる ○○より」

ところでA子さんB君のところには、Yahoo BBが届いている。
県庁所在地である筈の私のところは「予定がない」となぜか断られている。

★この文章を書いた人→ten★こんな時間に→10:32コメント (0)

2003年07月25日

 帰ってきたはせがわくん

「はせがわくんきらいや」が創作えほん新人賞を受賞したのは、1976年のこと。ことしで、27年になる。
その間、3度の絶版に遭遇し、1998年に最後の絶版になってから5年。1999年には「本のかたちをしていなくても、内容を伝えていけるなら」と、絵はがきセットも発売された。
その「はせがわくん」が、7月20日、学校の夏休みと足並みを揃えて、帰ってきた。

2001年に復刊ドットコムでリクエストの投票がはじまったとき、こういったかたちでの復刊に対して、長谷川さん自身は、必ずしも意欲的ではなかった。御自身の掲示板に「ともかく慎重に経過を見守りたい」といったようなことを書き込んでおられたと記憶している。何度も望みをかけ、何度も裏切りに遭った経験を思えば、懐疑的になるのも無理はないかもしれない。いつも「ちゃんとめんどうを見ますから」と言われて預けた我が子が、そのたびに虐待され、心身ともにぼろぼろになって突き返されてきたのだから。そんな紆余曲折を経て帰ってきた「はせがわくん」は、幸いなことに、担当編集者の熱意に支えられ、作者の長谷川さんが「これまでに出した中でも、決定版」と太鼓判を押すほどの出来映えとなったようだ。
印象的だったのは、4月の交渉開始後、交渉のたびに復刊ドットコムから送られてくる経過メールに、ひとつの作品を本のかたちで残していくことに対する、かつてない興奮が感じられたことだ。「リクエストが規定数に達したから出版する」といったビジネスライクな報告ではなく、「本がよみがえる過程に立ち会っています。わくわくします!」という声が聞こえてくるようだった。
復刊リクエストというのは、ひとつの手段にすぎない。淡々と復刊され、投票者たちが黙々と購入し、ひっそりと販売完了する本もある。「はせがわくん」は、たぶんそうではない。新しい読者に出会い、新たな道を歩み始めるに違いない。

本は、読者を得て、生を得る。
紙であれデジタルであれ、本が読者に出会うことは、本が生きることだ。
青空文庫でも、長谷川集平さんの作品を、いくつか読むことができる。エキスパンドブックを読むことのできる環境があれば、電子本の珠玉とも言える「夜の三角形」を、ぜひとも読んでみてほしい。ページをめくる瞬間に、本が生を得て、いきいきと輝くのが見えるだろう。

★この文章を書いた人→LUNA CAT★こんな時間に→23:53コメント (0)

 青空文庫未来予想図

青空文庫の基本は、著作権の切れた作品、または著者が公開を許した作品をアーカイブとして数多く揃えて行くことにある。この点については、テキストの入力方法に異論があろうと、青空文庫はしょぼいなあ、と言われても、どんな辛辣な攻撃を受けても揺るぎない。ひとつひとつ着実に作品を積み上げていくことこそ青空文庫だ。

では今後、青空文庫はどのように発展させるべきなのか。いや、このままでいいんだよ、このままでじゅうぶん……なのかもしれない。でも、ちょっと目を離している間に、ホームページの閲覧方法が変わってしまっているかもしれない。そうなってくると由々しき事態だ。青空文庫も変わらざるを得なくなってくる。

現状での青空文庫閲覧方法は、ほとんどの人がWebブラウザーからやってくるはずだ。一度つけたブックマークから。googleで検索してから。他サイトのリンク集から。しかし、果たして、このようなホームページの閲覧方法、ずっとこのままなんだろうか。こんなに情報が氾濫しているのに、このままでいいんだろうか。

最近、各サイトがblogと連動して、RSSにてサイト情報を公開する動きが出て来た(RSSについてはhttp://www.hotwired.co.jp/webmonkey/2003/26/index3a.htmlを参照)。これは何を意味するかというと、まずはgoogleなどの検索エンジンが、手早く最新情報を拾えるようになる。そして、他サイトのRSSを自分のサイトに取り込むことができるようになる。さらに、RSSリーダーソフトを使って、Webブラウザを使わずに情報収集をすることがてきるようになる。

RSSリーダーソフトを使って情報を集めるのは、新しいホームページ閲覧方法? 青空文庫の更新情報もRSSリーダーソフトを使って閲覧するようになる?

とりあえず、RSSリーダーソフトを使ってみよう。そうすれば、どんなもんだか様子が掴めるはずだ。私はMacなので、NetNewsWireというものを使ってみる。

NetNewsWire

立ち上げると、こんな感じのウィンドウが出てくる。左側のフィールドが、RSSを出しているお気に入りのサイト一覧。一覧の中のサイト名をクリックすると、右上にそのサイトのタイトル一覧(ヘッドライン)が出る。さらにそのタイトルをクリックすると、右下にその概要が出てくる。この右下の概要の部分は、RSSの作り方によって情報の出方が違う。概要だけの場合もあるし、全文出ている場合もあるし、コメント、グラフィック付きの場合もある。

これ、何が便利なのかというと、このようにRSSを出している自分のお気に入りサイトを登録しておけば、このアプリケーションを立ち上げたときに、一気に最新情報を拾ってきてくれる。そのヘッドラインだけをざっと閲覧して、興味のありそうなタイトルのものだけそのサイトに行けばいい。昔のパソコン通信(ニフティとかPC-VANとか)で、お気に入りのフォーラムを巡回してくれるソフトがあったが、雰囲気はそんな感じ。

青空文庫も更新情報をRSSで出せば、このようなRSSリーダーソフトが拾ってくれる。でも、それだけじゃ何だかつまらない。一歩踏み込んで、すべての図書カードがRSSのような決まった仕様のXMLで発信されていれば、もしかすると、もっと楽しいことができるんじゃないかなあ、と思う。

図書カードに記載されている情報量はそんなに多いものじゃない。それに、更新される部分があるとすると、新規登録作品の新たな図書カードと、誤植修正などでファイル(現在ではテキスト・ファイルとXHTMLファイル)を更新した登録済み作品の図書カードだけ。特に、この登録済み作品のファイルを更新させた場合は、現状では、なかなか情報を掴みづらい。もし図書カードをXMLで出せば、このような細かな更新情報も逐一手元にやってくるようになる。その作品が、すでにダウンロードしてある作品であれば、最新のファイルにすぐさま差し替えることができる。

つまり、わざわざ青空文庫へ行って、今日の登録作品は何かなあ、自分が過去にダウンロードした作品が更新されているかなあ、とあちこちクリックする必要がなくなる。朝一番で、RSSリーダーソフトを立ち上げるだけでOKになる。ファイルのダウンロードも、その場所の情報がXMLで出ていれば、リーダーソフトでクリックするだけで、テキストファイルのダウンロード、XHTMLのWebブラウザでの表示もできてしまう。まったくWebの青空文庫に行く必要がなくなる。

さらにもっと考えてしまうと、このRSSリーダーソフトを青空文庫専用に作ってしまうのだ。インデックスを自分で作りあげることができたり、他のRSSを出している文学サイトと連動させることができたり。国会図書館がRSSを出せば、同じ作品で、電子テキストは青空文庫、版づらの画像は国会図書館、というように比較ができたり。

もちろん、現状のWeb上にある青空文庫は、ずっとこのまま更新を続けていくことになるのでしょう。そちらでの使い勝手に何の問題もなければ、今まで通りWebを閲覧していけばいい。でも、ホームページ全体がRSSを発信するようになれば、Webというものの区画整理が推し進められるような気がする。何がどこにあって、どんな情報を発信しているのか、というようなことが簡単に把握できるようになる。となると、IEやNetscapeでの今まで通りのWeb閲覧にも変化が訪れることになるのかもしれない。どうなるかまだまだ分からない部分が多いのだが、Webがこんなごちゃごちゃのままで良い訳がない、とは誰もが思っていることだ。

★この文章を書いた人→ag★こんな時間に→21:30コメント (2)トラックバック

2003年07月22日

 音楽に夫婦関係を持ち込むな

 リンダ・トンプソンが初来日して、ライブツアーを行う。このことを知ったのは、意外にも青空文庫にぶら下がっている掲示板、みずたまりでのことだった。招聘元であるトムズキャビンの主、麻田浩による書き込みだった。
 そういえば、麻田さんとはかれこれ3年会っていない。リンダ・トンプソンのライブは、もちろん未体験である。あれやこれや考えているうちに、どうしてもライブが観たくなった。おまけに、前売りは売れ行き不振というではないか。


 リンダ・トンプソンは、もともとは夫君であったギタリスト&シンガーのリチャード・トンプソンとのデュオで知られるようになった人である。リチャードは英国のいわゆるエレクトリック・トラッド系に属する人で、夫婦で活動するようになってからの音楽も、トラッドそのものではないが、その延長上にある陰影の濃いものだ。あいにく僕は必ずしも忠実なトラッド・ファンではないから、そんな陰影の濃さが生きたオリジナルのほうに好ましさを覚える。
 手元にあるCDは『Shoot Out The Lights』1枚きりだが、デュオ・デビュー作『I Want To See The Bright Lights Tonight』と並んで、彼らのベスト・アルバムの1つに数えていいだろう。音楽全体をコントロールしているのはリチャードのギターとアレンジだが、リンダの穏やかでデリカシーに満ちた歌がことさらに素晴らしい。リリースは1982年だが、いま聴いても古びた感じは全くない。
 ところが、このアルバムは、実は彼らの最後のアルバムとなった。リリース直後だったろうか、二人が離婚してしまったからである。その原因については、情報にうとく、芸能レポーター的素養にも乏しい僕には見当もつかない。
 しかし、持論がある。
 2年前だったろうか、友人に誘われて、荻窪までジャズを聴きに行った。トランペット+リズム・セクションというごく標準的な1ホーン編成のグループだったが、リーダーはピアノの女性。弦をひっかいたりといった昔懐かしい「前衛風」のパフォーマンスを観ることができたが、拡散しっぱなしの音楽という印象だった。
 終わって、感想を聞かれた。僕は言った、トランペットをクビにすべきだ。答えは「そりゃ無理だ、ピアノとトランペットは夫婦だもの」。がっかりして、「そうか」とだけ言った。
 だが、いまならこう言うだろう。私生活は私生活でいい、しかしけじめをつけよ。そうして、その本意は、
「音楽に夫婦関係を持ち込むな」
 これだ。
 リンダ&リチャードにも同じことがあてはまる、そんな気がする。そう、「性格の不一致」などといいかえられることの多い、夫婦間の基本的な問題。それがデュオを割った。夫婦でデュオなど、よほどのことがない限り継続は無理なのではないか。

 麻田浩さんがみずたまりに書き込むことになったのは、おそらくはネット検索でひっかかったからだろうと想像する。そうして、ひっかかる対象は青空文庫にはただ1つしかない。秋野平『ロック、70年代』の終わり近く、「耕す音楽、実りの歌」と題された章の「3」のアルバム紹介である。
 秋野平は書いた。
「アメリカでも評価された点がミソで、これは80年代のアメリカには“旬(しゅん)”を超えた価値をもつアルバムが、いかに少なかったかの傍証でもあろう。ポジティヴな音楽を好む米国人も、10年間のアルバムを見渡したとき、さすがに日本人ほど夜盲症ではなかったわけだ。つまり、それほど80年代の日本で一般化した「明るい」と「暗い」の価値基準は、対音楽だけでなく感性の全般を歪めたと思う。」
 「夜盲症」とはどういうことか? 「価値基準」とはどういうことか?
 さらに読もう。
「このアルバムが発表されたのは82年。ちょうどそのころ、日本の若い人の間では『明るい』か『暗い』かで、物事すべてを判断するのが流行だった。当然明るいのが○で暗いのは×なのだが、その価値観の基本は現在も変わってはいない」
 そうして、秋野平は書く。
「彼の音楽を聴き、“暗い”の一言で拒絶できる人は、明るさにのみ反応すべくつくられたロボットのようなものだ」
 ひるがえって、いま2003年。時代は相変わらず「ロボット」のそれである。いや、これが書かれた91年にも増してひどくなっているかもしれない。
 「ヘイセイのニッポン」とは、いったい何であるのか。

 秋野平は、松平維秋と僕との共同のペンネームで、いってみれば僕はその半身である。ただし、いうまでもないことだが、上記の一文は松平が書いた。
 リンダのライブ情報を得てすぐにトムズキャビンのサイトにアクセスすると、そこには麻田さん自身によるコメントがあった。「大昔、松平維秋とした約束がこれで果たせる」という意味のことが書かれていた。
 僕は胸が熱くなった。日頃はクールなふりをして、やってくれるじゃないか、麻田さん。このロボットだらけのニッポンに、陰影の濃い歌と音楽をぶつけてくれ。
 その後、初日のはずだった午後にリンダが喉の不調を訴えるという突発事があって、公演はすべてキャンセルされた。だが、彼女は秋に再来日することを望んでいるという。
 そのときを待とう。

★この文章を書いた人→浜野智★こんな時間に→23:37コメント (4)

2003年07月21日

 『ジャズへの愛着』再読

 久しぶり、本当に久しぶりで立花実『ジャズへの愛着』を読む。この前読んだのは青空文庫に登録した頃だから、6年は確実にたっている勘定になる。
 ところが、何度読んでも、立ち止まるのは実はいつも同じ箇所だ。
「芸術家は、どんな役割りを引受けねばならないだろうか。『私は媒介具にすぎない』(ジャン・ジュネ)という状態に身を置かねばならない。ジョンもこのジュネの言葉を強く肯定するだろう。ジョンは彼の仲間たち、すなわち、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズの音に注意深く聴き入るだけでなく、インドのシタール奏者ラヴィ・シャンカール、更には名もない、中国の笛吹きや、アフリカのコンゴのドラマーにも聴き耳を立てる」
 これが書かれたのは1964年、「ワールド・ミュージック」などという言葉も概念もまだなかった時期のことである。「ジョン」とはジョン・コルトレーンのことだが、立花さんがコルトレーン・ジャズに聴き取ったものの深さと広がりがまさにここにある。

 書籍版の『ジャズへの愛着』が世に出たのは1970年である。原稿の選定と整理・集成は年長の友人であったUの協力を得ながら私がした。「無惨だな」という思いがずっとつきまとった。立花さんが故郷仙台の広瀬川への入水自殺という、周囲にいた人間にとっては到底予測しがたい最期を迎えたということのショックが、尾を引いていたからかもしれない。しかし、いくら読んでも、「無惨だな」という思いは消えなかった。
 何が、どう「無惨」なのか。私にとって立花さんは「師匠」であり、禅の老師、ヒンドゥーのグールーにも等しい存在だった。週に何度も会って、いろいろなことを教わった。私は精神と感性を全開にして、彼の言葉を聞いた。それは素晴らしい経験だった。いま振り返っても、それはこの世に生まれてきてよかったなと心から感ずることのできる出来事の1つである。
 ところが、残された文章をいくら読んでも、そうした実感は得られなかった。立花さんはいまも続く雑誌『スイング・ジャーナル』の編集部にいた人である。しかし、編集部内では冷遇されていた。いや、そう言いきってしまうのは正確ではないかもしれない。が、本人の日頃の言動のはしばしからそう感じられた。
 さらにいえば、残された文章のほとんどがおよそ断片的なものばかりだったことに、そのことは端的に現れている。まだ同人誌レベルだった『ジャズ批評』誌をほとんど唯一の例外として、立花さんにとっての発表の場は『スイング・ジャーナル』しかなかった。それなのに、雑誌が提供したのはせいぜいが1ページから数ページ程度の限られたスペース。論を尽くすにはあまりにも不十分であって、「無惨」の印象をぬぐうことはどうしてもできない。
 しかし、そうでありつつ、私がいまもなお『ジャズへの愛着』にうたれずにいないのは、半端な形で終わった文章のそこここに「立花さんならではの眼」を感ずるからである。「ジャズ馬鹿」とでもいいたくなるようなマニアックな書き手ばかりが目立った時代に、立花さんには何よりもまず視野の広さがあった。ニューオーリンズ時代からのジャズ史への目配りがきちんとできていると同時に、現代音楽を含めたヨーロッパ音楽や民族音楽への造詣が深く、さらには同時代のフォーク・ソングやロック・ミュージックにも積極的な関心を寄せていた。
 「教養の程度」などということを言いたいのではない。私は、ジョーン・バエズのコンサートの素晴らしさを氏の口から直接聞かされた。客足の絶えた夜のジャズ喫茶でボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の世界に案内されたこともある。軸足はあくまでもジャズに置きつつ、立花さんの探求心は旺盛だった。最初に引いた一節からは、そんな氏の肉声がいまも聞こえてくる。

『ジャズへの愛着』を読んでいると、思いはいつのまにか1960年代へとさかのぼっていく。それも、書籍版に収録された文章の多くが書かれた60年代前半ではない。いまとなっては記憶はとぎれとぎれだが、よみがえってくるのは60年代後半という時代だ。
 ジョン・コルトレーンの急逝が、前年の来日公演の衝撃がまだ生々しかった67年。それにもましてジャズ喫茶でつながれたわれわれには大きなショックとなった立花さんの自死が68年。振り返ってみれば、私はそのときから「糸の切れた凧」になった気がする。
 60年代後半を一言でくくるとすれば、最もふさわしいのは「混沌」だろう。政治も文学も音楽も美術もいろいろな流れが錯綜し、ぶつかり合い、飛び散った。そこで生きる一人一人もまたそうだった。
 死後平岡正明によって「音の形而上学」と揶揄されることになる、いささか神秘的に過ぎたかもしれない立花語のくびきから離れると、私はにわか観念左翼少年(成人式は過ぎていたが、成熟の度合いは少年のそれだった)になり、あちこちの小さな労組の闘争の支援やら大学の一室で秘密裏に開かれる集会やらに足繁く出かけた。機動隊に追われて間一髪で逃れたり、下駄履きでアジるよど号前の田宮高麿に遭遇したのはその頃である。
 とりわけ記憶に鮮やかなのが、69年10月21日の国際反戦デー。その夜、私は新宿にいた。新宿は文字通りの騒乱状態だった。学生と労働者をたたきのめしにかかった機動隊に向け、多くの野次馬が路上から石つぶてを投げた。気づくと、自分もまたその一人になっていた。
 興奮に目を血走らせて路上から路上へと走り回ったにわか観念左翼少年はその虚弱さがゆえに疲れ果て、やがてピットインにしけこんでジャズのライブとともに深まる夜をやり過ごすことになるのだが、そのピットインに夜遅く逃げ込んできた左翼学生たちが店のスタッフに追い返されたと聞いたのは、その翌日である。ジャズの時代は終わった。何の脈絡もなく、私は不意にそう思った。
 それから34年。いまや高級趣味人たちの玩具と化したジャズの現状を見たとしたら、立花さんはどんな顔をするだろうか。いつも子供のような好奇心で輝いていたあの眼に暗い影がさすだろうか。それとも、「名詞としての」ジャズにはこだわらず、「動詞としての」ジャズを追った氏のことだ、音楽が輝く時をあくことなくさらにまた別の分野に探求しようとするだろうか。
 私にはわからない。わからないけれど、かつて立花さんがコルトレーン・コンボに見た「各人が主従の関係ではなく全く平等な立場で、能力を充分出しきる」理想の関係への思いがゆらぐことはなかっただろうと思う。そうして、ときに「音楽雑感」にある次の一節を独語しながら、あくまでも未来を志向し、飄々と生きていくのではないかと思う。
「なにごとも、要するに自分の利益を先行することなしにやってゆきたいものだ。それ以外に道はない。動機がエゴイズムに発した(あらゆる)行為は、いずれにせよ害毒をしかもたらさないからだ。時間がそれを教えてくれる。誰もが誰にも依存せず誰もが誰とも共感し誰かが誰かと結びつき誰もが誰という相手こそ主体なのだと知りうるように。ボブ・ディランいわく。It's just one big world of songs.」

★この文章を書いた人→浜野智★こんな時間に→00:00コメント (2)

2003年07月20日

 夏の夜

「実際この線香花火の一本の燃え方には、「序破急」があり「起承転結」があり、詩があり音楽がある。」
寺田寅彦の『備忘録』の「線香花火」一節である。

その「転結」に近づくとやたらと振り回したくなったものだ。指に張り付いた線香花火の持ち手をぐるぐる回して、残像を楽しみ、そのルビー色の球を払い落とそうとした。球は、落とされまいと弱弱しく火花を弾いてみせるのだが、私は潔く落ちるのが見たかった。だから「転結」まで待てずに、ちょっと大き目の球のとき、「序破急」の「破」の時でも振り回した。残像から飛び出した球は、運良く、私の思うとおりに落下する。実に潔く赤い球が落下し消える。その瞬間だけが面白いのであって、中途半端な残骸を持つ私は、祖母に必ず叱られた。「最後まで花火は見てやるのものだ」と。しかしそういった力を与えなくても、自然にぽとりと落ちるときがある。それは悲しかった。そんなとき祖母と一緒にため息をついた。

線香花火が無くなって、燃え滓をかき集める祖母を尻目に、私は、叢に青白い球を見つけた。露が月の光を受けているわけではないことを確かめて、そっと掌に乗せる。もぞもぞする掌をそっと閉じる。指の間からその青白い光が漏れる。私は掌を緩める。するとその青白い球は、腕に向って上がってこようとする。やおら立ち上がった祖母が、私の腕に悪いものがついているといわんばかりに、それを手で払いのけた。青白い球は、足元の草に潔く落下した。「蛍を捕まえても明日になったら死んどるから、逃がそう」と言った。この球は落下しても消えることはなかった。

★この文章を書いた人→ten★こんな時間に→09:42コメント (0)

2003年07月19日

 恋愛の起源

身近に動物を飼ったことのある方なら賛成してもらえそうだが、彼・彼女らの行動を眺めていると、喜怒哀楽や感情の機微に関して、連中はほとんど人間と変わらないのではないか、そう思わされることがしばしばある。犬や猫が想像妊娠をすることは良く知られているし、猫ともなれば、自分自身の魅力をしっかりと心得ていて、目をつけた相手を実に巧みに誘惑してみたりと、飼い主の人間でさえ舌を巻くような恋の駆け引き上手な者だっている。
人間が身近に飼っている動物だから連中も人間に似た行動をするのだろう、というのは実は人間の思いあがりで、動物行動学者のローレンツ博士に言わせると、私たちが人間らしいと思いこんでいる行動は、実のところ、その多くが人間の中に残っている動物的な遺産なのだという。

「ソロモンの指環」(コンラート・ローレンツ著 ハヤカワ文庫)によると、特定の相手の個性をみとめ、互いの個人的なきずなにより配偶者をえらび子育てをする動物は、どうやら宝石魚という魚にまでさかのぼることができるらしい。
この魚は夫婦で子どもの世話をし、子どもたちも密集した群れをつくり親のあとをついて泳ぐという。また、夫婦は子育てが終わったのちも、かたいむすびつきを保って一緒にいるという行動もみられるのだそうだ。
そういった夫婦のきずなを観察するため、博士はつぎのような実験をおこなったという。
雌雄のまじった宝石魚の若ものを何匹か飼育し、その中からできあがった二組のカップルを選び出し、それぞれ別の水槽に移す。両者の夫婦が産卵をすませ子育てを始めたころをみはからい、互いの配偶者をとりかえてしまう。するとどうなるのか?

話をわかりやすくするため、とりあえず4匹の魚におぼえやすい名前をつけておくことにしよう。まず、1つめのカップルは美子と秀夫、2つめのカップルをドド子とノビ太ということにする。
宝石魚は適齢期になると婚姻色という派手な色彩があらわれ、オスであればそれに斑紋が加わるので、雌雄は一目でわかるという。

飼育していた魚のうち、最初に婚姻色があらわれたのはオスの秀夫とメスの美子で、この2匹は思春期をむかえると、たちまち恋におちカップルになったという。
次に婚姻色があらわれたのはノビ太だった。ノビ太は結婚の準備のため自分の巣穴をつくると、さかんに美子をさそいプロポーズするようになる。しかし美子にはすでに秀夫という婚約者がいるため、ノビ太のさそいには応じようとしない。また、婚約者の秀夫はそんなノビ太の行動を目にすると、怒りをあらわにし彼を激しく攻撃する。
しかし、そういった三匹の関係がつづくうち、まもなくドド子にも婚姻色があらわれ適齢期をむかえるようになった。当然、ノビ太にもドド子という新しい相手ができたことで、この二組のカップルはうまくまとまりそうに見えた。
ところが、ノビ太はドド子には目もくれず、あいかわらず美子にプロポーズを続けるのみならず、ドド子もノビ太などには気にもとめず、秀夫ばかりを追いまわすという困った事態になってしまった。
秀夫が自分の巣のほうにいくと、ドド子は彼に誘われたものと思いこみあとをついていく。すると、それを見たフィアンセの美子が立ちはだかり彼女を激しく攻撃する。秀夫も自分のなわばりに他人が入ってきたのだから、ドド子を激しく攻撃してよさそうなものだが、フィアンセに加勢はするものの、美子の勢いに比較すると、どうもその態度は消極的なものだったらしい。

こんな状態に困った博士は、ノビ太とドド子を別の水槽に移すことにした。その結果は、博士の語るところによれば次のようになる。
「それぞれが懸命に、しかし報われることなく追いもとめていた愛の対象からひきはなされると、さすがに彼らもただちに相手の存在を意識した」
こうやって二組のカップルが無事に(でもないが)誕生したわけだ。
数日後、双方のカップルが産卵を終え子育てを始めると、いよいよ博士は互いの配偶者(メス)を入れ換える実験をおこなうことにした。

ノビ太のところへ、ドド子に代わり美子がやってくると、彼は美子を妻としてただちに受け入れたという。博士の観察によると、ノビ太はどうも妻が交換されたことに気づいているようすで、前よりも情熱的な激しさをもって子育ての仕事をこなすようになったそうだ。一方、美子のほうは子育てに夢中のようで、夫がノビ太に代わったことにはどうやら無関心なようすらしい。
かわって秀夫のところでは、美子の代わりにドド子がやってくると、秀夫は猛烈に彼女を拒絶し、いそいそと近寄り子どものめんどうをみようとうする彼女を、彼は激しく攻撃するという。それは放っておくとドド子が瀕死の重傷を負いかねないほどで、博士はあわてて彼女を秀夫の水槽から救いだしたそうだ。

これはどういうことなのか?
上の実験結果について、博士は次のように語っている。
「前よりも美しいメス、つまり以前から彼が求めてやまなかったメスを手に入れたほうの魚は、この交換にすっかり満足した。だが美しい妻をとりあげられ、前には拒んでいたメスとすりかえられた魚のほうは、明らかに腹を立ててしまったのだ。おもしろいことに、このメスにたいする彼の攻撃は、以前彼女を正妻の面前で攻撃したときよりも、はるかにはげしいものであった!」

最後に、「新明解国語辞典4版」(三省堂)から有名な項目を引いてこの話を終えることにしよう。

【恋愛】 特定の異性に特別の愛情を抱いて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。

★この文章を書いた人→(尚)★こんな時間に→01:26コメント (0)トラックバック

2003年07月16日

 匿名P2P

ZDNet P2Pは善か悪か——RIAA対Freenet開発者の「舌戦」

Freenetは、Winnyと同じような匿名ユーザーのP2Pが出来る暗号化ネットワーク。私はどっちも使ったことないのですが……これを使えば匿名でデマを流したり、誹謗中傷したり、著作権侵害してもつかまらないというわけ。なんと迷惑な!

世界の平和と安全のために全人間を監視するべきか。

言論と通信の自由を守るために匿名技術を許すべきか。

ハイテクによって誰でもグレー領域に踏み込めるようになってくると、その中で新しい境界を設定しなければいけなくなるわけで、その中の1トピック。他には——脳死とか、遺伝子治療とか、沢山ありますなあ。

これまで
  白 / (このあたりはあまり起きない)灰色 / 黒

これから
  白        / 灰色 /         黒

しかしたぶん
  白 / 灰色 /                黒

権利者の主張はそのまま認められる傾向にある(ような気がする)ので、あやしげな部分は全部違法ということにされそうな。これを適切なところに設定するために、あなたも裁判官を目指そう!(をい、そこは「どんどん議論しよう」だろ^^;)

私の予想としては、Freenetが広がり、しかし青天井はまずいということで違法なものを排除する免疫ソフトが動くようになり、すると人間が違法の源泉と認知され、人間排除のシステムskynetが生まれて、人間抹消ロボットが作られるのだ(笑)。

★この文章を書いた人→もりみつじゅんじ★こんな時間に→01:35コメント (0)トラックバック

2003年07月15日

 「ピアノ」から連想するいくつかの事柄

 高橋悠治『音楽の反方法論序説』は、音楽の周辺で生きてきた者、少し言い方を変えれば音楽を通して人間や社会や世界をつかまえようとしてきた者にとっては青空文庫中最重要のテキストである。しかし、3カ月おきに雑誌に連載されたものの集成であり、全体は21編ながらもその期間は5年にわたっていて、しかも青空文庫発足初期の登録作品であるから、ひょっとすると古びているかもしれないという思いがあった。それで再読してみると、そんなことはない。2003年7月の現時点でも、ここに述べられていることのほとんどは動かない。ただし、これはオマージュではない。

 この論考全体の重要な要素の1つであるコンピュータをとってみても、パソコンに象徴される市場の様相、つまりは処理速度や価格は大いに変化したが、データ処理の流れや操作は基本的にそのまま。「停滞している」というしかない。コンピュータで最重要なのは「インタフェース」だが、ここでも停滞が目立っている。最も危機的なのは、商業レベルでの競争は激しさを増す一方なのに、インタフェースを変革しようという動きが見られないことだ。
 人が何事か「論」をものするのは、自分が生きている時代と社会を変革したいという意志に基づく。「論」が運動に結ばれ、現実の変化によって乗り越えられることこそが、その目標となる。それなのに、『音楽の反方法論序説』をめぐる現実は、微動だにしていないという形容があてはまる。これは作品にとっての不幸だ。この作品が時代と社会の変化によって、さっさと陳腐化し無意味化すること。著者の願いは何よりもそこにあったはずである。

 コンピュータのことを考えると、「ピアノ」に行き着く。ピアノは楽器の歴史におけるコンピュータである。ピアノほどのダイナミックレンジをもつ楽器は、ほかにない。音域の広さもオーケストラに匹敵する。コンピュータは万能に近いシミュレーションマシンだが、ピアノもまた音楽のダイナミクスをほぼ完璧にシミュレートする。コンサートホールをたった1人で支配できるようにし、「音楽の場」にドラスティックな変化をもたらした楽器。それがピアノだ。
 半面、「融通がきかない」面を持つ楽器である点も、コンピュータに似ている。
 『音楽の反方法論序説』にも、著者がピアニストなのだから当然ではあるが、「ピアノ」という章がある。章というよりは、断章というべきか。
 そうして、いわく。
「鍵盤は何と言っても、ヨーロッパの偉大な発明だった。
オルガンがパンパイプとちがうのは、
あるいは、チェンバロがツィンバロンとちがうのは、
口や撥をたくさんの管や弦のあいだに走らせるかわりに、
指がちいさな板の上を左右に往復すればいいということだ」
 ピアノが「偉大な発明」でありえたのは、「叩けば音が出る」という操作の単純さと鍵盤の1つ1つから「正しくチューニングされた正確な音が出る」ということの組み合わせにある。音というのはそもそもが空気の波であって、とらえがたいものだし、定量化が難しくて、曖昧模糊とした存在。それを均質に配置された鍵盤システムへのアナロジーとして完成させたのが、鍵盤楽器のゴールとなったピアノなのだ。
 あいにく、こちらは歴史に不案内である。いや、歴史にもというべきか。ともかく、ベートーヴェンが愛用したというピアノを間近で見て、そのちゃちいことに驚愕したというのが、歴史的ピアノに関する精一杯の知識。しかし、ピアノが徐々に正確さを増していくのを実体験した当時の音楽家たちは、当方とは比べものにならないほど「驚愕」したに相違ない。
 何よりもピアノは「平均律そのもの」である。本質的に曖昧模糊とした音は無数の音程を獲得することができるのだが、ピアノにあっては、それらはキーとキーとのほとんど無に近い隙間におしこめられ、沈黙させられる。これほど堅固なシステムを持つ楽器もまたない。
 しかし、見方を1つ変えると、その「堅固なシステム」は「がみがみおやじのお説教」の部類に等しい不自由さでもある。事実、ピアニストも続けて書いている。
「もちろん不便さもある。
音の高さが固定され、音の途中で変えられないこと。
音の出し方が一種類に限られ、音色が均質であること。」
 コンピュータがインタフェースの貧弱さゆえに膨大な学習コストの蓄積を招いたように、ピアノもまたさまざまな学習システムを生んだ。バイエル1つ見れば、それは明らかだろう。固定されたシステムは、そこにたどり着くための数々の便法をよびこむ。例えば、便法のたらちねとしてのソナチネ。Microsoft社の面倒なインタフェースは20世紀に始まったわけではない。
 しかし、一方でキーとキーとの隙間に押し込まれた音程、ゆらぎそのものである不安定な音程は、ときに悲鳴を上げ、ヘルプ!の声を発するのだ。それが聞こえるのは、非ヨーロッパ音楽あるいは亜ヨーロッパ音楽になじんだ人たちである。
 1つの光景が思い浮かぶ。自分で企画したくせに記憶はすでにおぼろだが、1960年代後半に東京・神田神保町の岩波ホールで開かれた「ジャズ音楽講座」。その最終日、ジャズ・ピアニストの山下洋輔がその少し前までの闘病中にものした「ブルーノート研究」の報告をした。あとにライブが予定されていて、かたわらにはピアノがあった。報告の末尾近くで彼は言った。「典型的なヨーロッパ音楽の楽器であるピアノでは、ブルーノートを含むブルースフレーズを弾くことはできない。だから、歴代のジャズ・ピアニストたちは鍵盤から鍵盤へ指を滑らせるなど、ブルーノートに聞こえる工夫をしてきたのだ」
 最後に、彼は突然にピアノを指さし、決定的な一言を放った。
「このがさつな楽器め!」

★この文章を書いた人→浜野智★こんな時間に→22:36コメント (0)

 音楽・映像配信特許

WiredNewsあらゆる音楽・映像配信技術で特許を主張する企業——最初の標的はネットポルノ業界

「わが社は、ストリーミングとダウンロードに必要な技術の特許をすべて所有している」

ひゃ〜。あらゆる形態のデータ送信の基盤だそうな。テキストデータが含まれていたら全てのWebから使用料を取れたのに残念なことです。

いや、まあ、当然のことでも特許をとっておくと後でボロモウケできるかも。すごいぞ特許!
ってゆーか、誰も参照してない特許を、広まった後から主張するのは止めて欲しいよなあ。
早く期限切れになりますように。

★この文章を書いた人→もりみつじゅんじ★こんな時間に→00:55コメント (0)トラックバック

2003年07月14日

 迷惑ユーザー(匿名)

HotWired Japan「インターネットの法と慣習」第2回 匿名発言について
今回は、ネットワーク上における「自力救済・制裁」について、迷惑ユーザーはどのような基準で有罪か、罰則はどうするか、というような事例を募集中。しかしこれはネット上だけの話なのかなあ? こういうのは匿名のことが多く、それだと制裁不可能な気がするんだけど。

つまり匿名は悪なので、法律や技術により匿名を禁止しなければいけないということか。なるほど(^^;

ところで本文に

「……エロ・グロ情報や、ワレズものを共有することは楽しいことかもしれない。でも、それらが、私たちの自由を支えている究極的な根幹を汚しつづけている……」
とあるのですが、ワレズはともかく、エロ・グロ情報って何?
ラリーフリント?

★この文章を書いた人→もりみつじゅんじ★こんな時間に→00:25コメント (2)トラックバック

2003年07月10日

 blogって何?

ここのところ、ごく普通の生活をしているのに、次から次へと新しいコトバが耳に飛び込んでくる。こんな新しいものが開発されました、とか、こんな新しいものが流行です、とか、こんな新しい動きが起こってます、とか。そしていつの間にか、そのコトバが昔から使われていたように、何の説明もなしに誰もが口にするようになる。さあ、出遅れた私は、そのコトバが相手の口から発せられた時にどう対処するか? もちろん知っていますよ、と涼しい顔をしながら頭はフル回転。語られている話しの内容から判断して、だぶんこういう意味だろうと賭けに出る。でも、やっぱり自信が無いのでちょっとぼやかして、「○○って結局、コロンブスの卵的な発想で、そんなに目新しいものでもないよね」なんて探りを入れてみたりする。すぐに相手の顔色を伺う。すぐさま返事がくれば成功だ! 相手の顔色が雲って返答に窮していたら失敗! ドキドキものだ。どうして「○○って何?」って素直に聞けないんだろう? 変なところでプライドを持っちゃうんだよねえ。

それでblog(ブログ)って何だ? さっぱりわからない。周りはいつの間にか「ブログ」「ブロッグ」「ブロッガー」って騒いでいる。さらに輪をかけて「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」がどうのこうのと言い出した。さらに「トラックバック」「RSS・RDFメタデータ」などと怒濤の攻撃。こんなコトバを聞いて、カッカッとテンション上がっちゃうとパニクるので、ここは落ち着いて、頂上烏龍茶でも飲んで気分を静める。ひとつひとつこんがらがった神経繊維の結び目をほどいていく。

blogとは基本的に、インターネット上に日々上がってくるニュースなどに自分なりの感想を述べて、そのサイトにリンクをはる日記サイト的なものを総称して言うらしい。Web log(ウェッブ・ログ)の略だ。

どんな感じかというと、こんな感じ?

●雅楽多最終出口
http://www2.plala.or.jp/gutti/

いや、こんなのが本格的なblog?

●GIZMODO
http://www.gizmodo.com/

2ちゃんねる関係の2ch-blogもある。

●食べたものを淡々と記録するよ
http://culture.2log.net/itadaki/

こういうサイトを作る上で、ちまちまHTMLを手で書いていってもいい。それはそれで一つのblogだ。でも、それじゃあめんどくさいので、ちょっとCGIプログラムを勉強して、もっと楽にネットへ書き込めるようにしてみたりする。これもblogだ。さらに、もっと勉強してデータベース化してみる。ネットにアップする記事を、タイトル、リード、本文、日付、執筆者、ジャンル、キーワードなどに分けたりして、きっちりと構造化してみたりする。だいぶ手の込んだblogだ。

だけど、ちまちまHTMLを書きたくないし、かといってプログラムも勉強したくない。もっと簡単にblogができないかなあ、ということで登場したのが、MovableType(ムーバブル・タイプ)などのblog生成ソフトだ。文章をWeb上から簡単にポストできるし、カテゴリーやキーワードを決めておけば勝手に分類してくれる。何の知識がなくても手の込んだblogができてしまう。ただし、CGIプログラムが置けるサーバが必要です。インストールもちょっぴり大変。でもそんなのはできる人に頼んじゃえばいい。

この「aozora blog」もMovableTypeというフリー・ソフトを使っています。ホームページのデザインを決めるテンプレートを作って、カテゴリーなどを決めてしまえば、あとはポンポン文章をポストするだけ。ポストした文章は、自由に直すこともできるし、ポストした日付の変更などもできる。カテゴリーの変更もできるし、削除することとも簡単。後付けでカテゴリーを増やすことも、記事がたまってきたら執筆者別に分けることもできる。他に、誰がリンクしているかわかる「トラックバック」という機能や、RSSやRSDなどのXML(※)に書き出す機能なんかもあるのだけど、こういう機能がなければblogとは呼べない、ということでもないらしい。blogであるためには、これとこれとこの機能が必要、というふうに規格化されているわけじゃないようだ。MovableTypeを使う人が増えれば、MovableTypeこそがblogなんてことになってしまうのかもしれないのだけど。

※XML
独自にタグを定義することができるマークアップ言語。例えば、青空文庫のテキストに、青空文庫独自のタグを決めて、<大見出し></大見出し>、<小見出し></小見出し>、<本文></本文>、<インデント></インデント>なんてものを付けていけば、これはこれでいっぱしのXMLだ。青空文庫仕様XML。XMLに関しては以下のサイトも参照してみてください。http://www.necsoft.com/solution/xml/menu1.html

それで、MovableTypeを使えば、blogはだいたいこんな感じになる。

●みらのさんのページ
http://rebecca.ac/milano/mt/

●ひらたさんのページ
http://uva.jp/dh/mt/

こういう感じのデザインのホームページを見たら、おっ、MovableTypeを使っているな! と思ってもらえれば間違いない。

で、結局blogとは何か? ということなんだけど、何なんだかまだよくわからない。なんとなく、やりたい放題だったインターネット上のホームページを規則正しく整理する、ってことになるんじゃないかと思うんだけど、そんな奇麗事を言っているのではないかもしれない。でも、いくら検索エンジンががんばったって、現在の情報更新の早さには追いつけないわけだから、すべてのホームページからXMLで更新情報が発信されていれば、それはそれで素晴らしい世の中になるかもしれないのだけれど。

まずは、どんな感じにblogが転んでいくのか、じっくり眺めモード。

★この文章を書いた人→ag★こんな時間に→20:28コメント (3)トラックバック

2003年07月09日

 三篇の詩の話

カルチャー教室の詩の講座の講師を、2月に降板した。理由は色々あるが、3年も続けたからもういいだろうという自分勝手な思いと、同じ人間が講師を続けることに疑問を覚えたからだ。詩集を出しているわけではない、ただ県内で一番大きな詩人の団体に長年所属しているから、公共の講座の講師に指名されたに過ぎない。月1回で、詩の会員3人がローテーションを組んで講師をしている。

40代から80代までの生徒さん、20名の詩への情熱に絆され、導かれて過ごしたが、そういったことより詩の話の合間に交わされる雑談が魅力的だった。他愛もないことである、日常という言葉で括ってしまえば、それで終わってしまう。しかしそこに見え隠れするものをそれを逃すまいと私は、キャッチしたつもりなので、折をみてここで書いてみたいと思う。
しかし今日は、私が、最後の講座で使った3編の詩の話をしたいと思う。これらを選んだのにはわけがある。最後に一番オーソドックスなものを、それもオーソドックスだが、私と密接だったものに纏わる話を皆さんにさせて頂いた。

雨ニモマケズ
宮沢賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ

小学校高学年だったと思う、宮沢賢治の詩集を開いていてこの詩を読んだとき、
この詩はなぜカタカナなのか?では、ひらがなだったどうだろうか?詩の持つ説得力に欠ける。なぜ欠けるのだろうか?そのとき、表現の方法ということに気づいたのだと今でも思う。

汚れつちまつた悲しみに……
中原中也

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

思春期に何度読んだだろう。その度に、「汚れた悲しみに 今日も小雪が降りかかる」のではないのだと思った。「つちまつた」という言葉にひりひりとする思春期の感性がある。

小景異情
室生犀星
その二

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれ異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや

学生の頃何度も口ずさんだ。口ずさむことによって、自分には故郷があるのだと思っていた、口ずさむことによって、帰ることを拒む勇気を奮い起こそうとしていた。
ところで、先日Hさんとメールでこの詩の話をしていたら、彼の高校時代の国語の先生が、
「この詩は、故郷にいるときに読んだ詩か、離れた故郷を読んだ詩か?」と質問したそうである。
正解は・・・・文学に正解はない。正解はないが、犀星が、故郷金沢で読んだ詩だと言われている。犀星の生育歴等から話をしなければならないので、割愛するが、失意の中で帰ってきた犀星の悔恨の詩だといわれている。
因みにHさんは、離れた故郷を読んだ詩だと答えたそうである。当時私は、もちろん知っていながらもHさんと同じ気持ちで口ずさんでいた。

★この文章を書いた人→ten★こんな時間に→13:51コメント (1)

2003年07月08日

 芥川龍之介『大川の水』について

青空文庫は、大川の水の匂いがする。そう思うのは、青空文庫のおかげでこの小品にであうことができたからだ。私自身の思い出と大川の水、そして芥川龍之介と青空文庫は、ここでは一直線に結ばれている。

誰にでもふるさとがあり、そこに自分をつなぐ香りがあり、いつまでもわすれることのない刷りこまれた記憶をたもっている。ふとなにかの拍子に一切の記憶があふれだし収拾もつかない想いのはてに人を引きずり込む。しばしとりとめもない世界にまどろんで、醒めかかったおりにたちこめている匂いに気づく。大川つまり隅田川は、私の思い出の中にも流れている。

私は昭和21年9月に東京で生まれた。記録によれば東京府麹町区ということになっているのだが、ふるさとは本所亀沢町だった。21年といえば終戦の翌年のことであり東京はまだ焼け野原、前年3月10日の大空襲でふるさとのわが家は罹災し住む家を失った。

必死のおもいで家を建て直し一家は再びそこに戻る。『大川の水』冒頭にある横網は亀沢町に隣接するブロックであり、終戦直後のひとときもの心ついた私もまた通り過したあたりだった。

大川には水上バスという乗り合い汽船が走っていた。たまにではあったが浅草へ連れて行ってもらうときに利用した。船着場は両国橋のたもと近くにあったと記憶している。そこに近づくとはしゃぎまわる子どもの手をぎゅっと締めて、母が背丈以上もある堤防のコンクリートに身を寄せたことがあった。

「ここにうずくまっていた……」

空襲のさなか、逃げまどう母は火焔風と火の粉を避けて、そこにいた自分を思い起こしていた。突然の沈黙と母の視線のさきにある剥き出しのコンクリートの色が底知れぬ不安を私にかきたてた。

またあるときのこと、新大橋近くにあった親戚の薬舗に行った。私はよろこび勇んで橋へ飛び出していった。川風を体中にあびて橋の真ん中に差しかかったとき、眼下の水に吸い込まれたいような衝動を感じた。川面は不連続な凹凸をくりかえし、おいでおいでするような模様の魅力を伝えている。欄干の格子の間からそっと顔をつきだして、さえぎるもののない川面を直下にみつめていた。深い緑のなかからこみ上げてくるような、まぎれもない大川の匂いを限りなく吸った。

瞬間ギョっとした、首が格子からはずれない……どうしてもはずれない。意味もなく時が過ぎ去っていく感じがする。直下の深緑を切り裂くように船が過ぎる。声をあげよかあげまいか、背後を自転車が過ぎていく。あとの静寂、川以外なにものもなし。

どうして外れたのかは思い出せない。たわいもない拍子で挟まっていたのかもしれない。子ども心にしては大変な時間、私は大川を見ていた。

この水の匂いこのきらめきは、ふるさとの川独特のもののように語られはするが、だれにでもある思い出に流れるものではないだろうか。家を焼かれた思い出はわが家の不幸であったが、それはまた誰にでも不可避についてまわる不幸の一つにすぎない。残念なことに不幸もまた特別ではなく普遍に我らに降りそそぐものでもあることなのだ。

だからこそ、そこを糸口としてお互いがつながりあえるきっかけともなりうるとおもいたい。『大川の水』に端を発し、来し方行く末、世界の果てまでも想いを馳せることは可能じゃないのか。

芥川龍之介『大川の水』図書カード
芥川龍之介『大川の水』ドットブック立ち読み版
※「T-Time Plug」については、こちらをごらんください。

★この文章を書いた人→萩野正昭★こんな時間に→08:05コメント (2)トラックバック

2003年07月07日

 答の半分

知るといふのは知るに至つたといふその最初の一点に止るものでなくてやはり対象とともに幅を増して行き、その個性を獲得してそれが我々自身の人間も作る。(吉田健一)

大英帝国の有閑貴族、かのバジル・ウォーレス卿にはルイという10歳ほどの召使いがいる。ルイはフランス人の孤児。たったひとりの身寄りの叔父に売られてイギリスまでやってきた。人買いに折檻されているところを通りがかったバジルに助けられ、それ以来バジルの屋敷を自分の住処ときめている。この少年に英語をおしえるために、バジルはいろいろな話をしてやる。ゲール語からバイキングの船の話をして、サケの川下りの途中で、ルイはとうとう眠ってしまう、という具合。好奇心を刺激されたルイはついに少しずつ本を読むようになり、好奇心はますます大きくなっていくのだった。こうなったらもうとまらない。夜更けまで本を読んでいるので昼間いねむりをしてしまうルイにバジルは言う。「わかった! 気がすむまで調べなさい。ただし毎週一回やすみをやるから夜更かしはいっさいダメだ。書庫の鍵をあげよう。足りなければ図書館に行くといい。おまえが知りたいと思う答の半分は本の中にある」ルイ「半分だけ……? 残りの半分の答は?」「それはまだ誰も知らない」「いつになったら全部の答が出るんですか?」「さあ……どうかな。何かがわかるとまた新しい謎が出てくるし——」「じゃあいつまでたっても半分しかわからないんですね」「わからない事のほうが人間の知識なんだよ。わかりきった事になんか誰もわくわくしないからね。世界は謎に満ちているんだ」

ルイと同じ10歳のころ、家の近くの本屋で岩波文庫の棚の前に立ち、それがすべてこれから自分で読めるものなのだということを発見した。古ぼけた本棚がかがやいて見えるほどのカルチャーショックだった。それからは何度もその本屋に通い、こどもの本のコーナーには見向きもせず、文庫本を端からとってぱらぱらと見ることに専念した。小さな文字のものもあったし、大きめのものもあった。漢字が多くて黒々したページのものは、読むのがたいへんそうだと思ったり。立ち読みという高級なことはまだできないから、せいぜいページのようすを観察したのだった。岩波文庫の背表紙に印刷された★印ひとつが50円という値段をあらわしていたと記憶している。小学生の財政状態では星ひとつのものしか買えなかった。吟味に吟味をかさねてはじめて買ったのはシュティフターの『水晶』。自分の手の中に世界があるという感じがたまらなくて、何度も読んだ。

こうしてわたしがちいさな本屋で世界を発見したころ、世の中は高度経済成長にむかって動いていた。近所の商店街の個人商店だったその本屋は、当然のようにとりこわされてビルになり、そのビルの中にもはや本屋はなかった。「『丸善』の時代」で、広島の丸善が閉店しそのあとに安売り専門のドラッグストアが開店したことを知った。ひとびとの関心がとうとう本を読むことから自分の肉体のケアに移ってしまったのだろうか。高度経済成長の果てはこういうことだったのかもしれない。

それでも電車の中で本を読んでいるひとの多さにはいつもおどろいてしまう。たいていは文庫本だが、重そうな単行本を読んでいるひとだって少なくない。そして数日前のこと、ついにケイタイで読書しているひとを見た。画面は縦書きだった。何を読んでいるのか聞きたいと思ったが、さすがにそれはできなかった。

★この文章を書いた人→八巻美恵★こんな時間に→22:14コメント (1)トラックバック

 大川の水

青空文庫は、ご存じのとおり、いくつかの例外を除けば「1作品1ファイル」を基本に構成されている。このことには功罪両面あると思うが、個人的には「功」の代表として、芥川の『大川の水』に出合えたということがある。青空文庫がなければ、この小品にめぐりあうことはなかった可能性が強い。
大川のちっぽけな支流ではあるが、自分自身もまた大川の水に近いところで育ったので、「大川の水が流れるところ」を書いた。ボイジャーの萩野さんいうところの「泥の河ごっこ」ではあるのだが。

★この文章を書いた人→浜野智★こんな時間に→00:12コメント (0)

 「丸善」の時代

「書店の近代 本が輝いていた時代」(小田光雄著、平凡社新書、平凡社)を読んだ。
書名のとおり、江戸末期から昭和に至る書店の近代史を、いくつかの観点から述べたものなのだが、象徴的に登場するのが「丸善」である。「近代書店としての丸善」で成り立ちを示し、「尾崎紅葉と丸善」「芥川龍之介と丸善」「梶井基次郎と京都丸善」「丸善の店員だった佐多稲子」で各作家とのかかわりに言及して、全25章のうち、5章が「丸善」に費されている。1998年まで生きた佐多稲子は別として、尾崎紅葉、芥川龍之介、梶井基次郎といえば、青空文庫でおなじみの顔ぶれだ。章の名前には出てこないが、丸善といえば内田魯庵の名も欠かすわけにはいくまい。青空文庫に収録されている著作権切れの作家たちが活躍した時代は、他のさまざまなものと同様、日本の書店が「近代」を歩んだ時代と重なっている。そして、その象徴が「丸善」だったというわけだ。
そんなことを考えながら本を読んでいると、青空文庫に登場する「丸善」が気になってくる。早速、トップページにあるgoogleの検索窓で「丸善」を検索してみよう。

検索結果を見ると、いきなり丸善が焼けた話だ(「内田魯庵 灰燼十万巻(丸善炎上の記)」)。「近代書店としての丸善」では、内田魯庵と丸善とのかかわりが述べられているが、章の末尾で、この火事が登場する。1909(明治42)年12月に焼けた丸善は、翌年に再建され、有名な赤煉瓦の建物に変わった。
寺田寅彦は、「丸善と三越」で、「昔の丸善の旧式なお店(たな)ふうの建物が改築されて今の堂々たる赤煉瓦(あかれんが)に変わったのはいつごろであったか思い出せない。たぶん自分が二年ばかり東京にいなかった間の事であろうと思う。」と述べ、昔の暗い丸善のほうがよかった、と懐かしむ。「灰燼十万巻」の火災は、寺田寅彦が1909年3月から1911年6月にかけてドイツに留学している間のできごとであったらしい。科学の研究をしていた寺田にとって、洋書は欠かせない情報源であっただろう。「病室の花」によれば、彼がポインセチアという植物名の綴りを知ったのは、丸善から取り寄せた「近世美術」であったとのことだ。
丸善は、当時から、書籍だけでなく文房具も扱っている。内田魯庵からもらった万年筆で原稿を書いているのは夏目漱石だ(「余と万年筆」「文士の生活」)。宮本百合子の登場人物も、丸善で万年筆を買っている(「帆」)。寺田寅彦によれば、小泉八雲も丸善で売っていたインクで絵を描いたとのこと(「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」)。
「或阿呆の一生」「歯車」に登場する丸善の風景は、前述の「芥川龍之介と丸善」にも取り上げられている。「が、僕等は丸善のある為に多少彼等の魂を知つてゐることは確かである。」という「文芸的な、余りに文芸的な」の記述は、丸善が「世界への窓」であったことを示している。丸善という書店が、当時の「インターネット」だったわけだ。
「四五日おきに送り来る丸善よりの新刊の/本の頁(ページ)を切りかけて、」(「石川啄木詩集」)とうたう石川啄木は、西洋の雰囲気にひたりたいがために、とぼしい懐から洋書を買っては、また売り払うといったことを繰り返していたらしい。

ちょっと検索窓で検索してみただけでも、文士たちの背景に、丸善という通奏低音が常に鳴り響いていたのがよくわかる。ほんの30年か40年くらい前には、そういった時代につながる空気が、まだそれと感じられるくらいに残っていた。丸善炎上の頃に生まれた人々は、やっと還暦を迎える程度の年齢だったのだ。当時の子供たちにとって、それは歴史上のできごとではなく、自分たちと直接つながった祖父母の時代のことだった。

オンライン書店で海外の書籍を簡単に購入できる時代、広島の丸善は、2002年6月、40年にわたる歴史を閉じてしまった。広島で最古の老舗だったという積善館も、2003年4月29日、116年の歴史を閉じた。広島丸善があった場所に開店したのは、安売り専門のドラッグストアである。積善館の跡地は、携帯電話のショップになった。携帯電話よりもドラッグストアのほうがやりきれない気分になるのは、騒々しい音楽や呼び込みのテープが流れ、扱う品物があまりにも即物的だからかもしれない。

丸善のような「象徴」が、もはや存在しなくなってから久しい。近い将来、ベストセラー以外の新刊書籍はオンライン書店でなければ手に入らず、著作権が消滅するほど古い作品は、ネット上でしか読めない時代がやってくるのかもしれない。そういった時代に生まれた文学は、50年後、100年後に、どんな言葉で語られるのだろうか。

★この文章を書いた人→LUNA CAT★こんな時間に→00:08コメント (14)

 aozora blog発信!

青空文庫は、この7月7日で7年目に突入することになる。青空文庫が実際に動き出したのは、1997年の9月に入ってからだったように記憶するのだが、富田さんが書いた「青空文庫の提案」の掲載期日を7月7日にしたことから、この七夕の日をいわば青空文庫の創立記念日と考えるようになった。

この6年間に青空文庫もいろいろな事を経験して来た。清々しい爽やかな感動から、先人、慣習、判例が無いための戸惑い、苦しみ、混乱まで、次から次へと怒濤のように襲いかかってきては返す刀で振り払ってきた。おそらくこんな経験は、いまだかつて誰も経験したことがないに違いない。当初は、そんな修羅場を情熱だけでクリアしていたのが、それも段々と立ちゆかなくなり、ある程度機械的にならざるを得なくなって行った。現在でもまだまだ問題点は多々あるが、作品をアップするという作業に於いてはシステマティックな安定期にシフトしつつあると思う。しかし、システマティックであるがゆえ、無味乾燥な部分もだいぶ増えてしまった。そんな無味乾燥な部分を救うにはどうしたらいいのだろうと考えあぐねた結果がこの「aozora blog」だ。

blogというシステムは、基本的には日記サイトやニュースサイト向けのシステムなのだが、そんな枠にとらわれることなく、青空文庫に関連して、何かまったく違うことがやれるのではないかと思い始めたのがこの「aozora blog」を立ち上げたきっかけだ。青空文庫という厖大なアーカイブのかたまりを訪ね歩くヒッチハイク・ガイドみたいなものがやれるのではないのかと。

よく「みずたまり」に「青空文庫には作品がいっぱいあるけど、どこから読み始めればいいの?」という質問が寄せられる。そんな問いに対して、質問者の嗜好、パーソナリティがわからずに直接的な答えを導き出すことは難しい。しかし、そんな問いに対して、この「aozora blog」にはその答えを導き出すためのキーワードがたくさん埋め込まれているから自分で探索してその答えを導き出してみて、と言えるようなサイトができたらと思う。

また、blogはいろんな可能性を秘めている。もし、青空文庫本体がblog化できれば、このaozora blogとの相互情報交換が可能だし、例えば和井府清十郎さんが運営している「綺堂事物」などがblog化されれば、インターネットのようなあやふやなリンク関係から一歩踏み込んだ、いわば青空文庫グループのようなものが形成できるのではないかと考えている。

とはいえ、blogなんて一つのムーブメントで、いつかは廃れて他の大きなムーブメントに吸収されてしまったりするかもしれない。するかもしれないのだが、一つの救いは、このMovableTypeのblogは同時にXML化することができる。XMLになるのならば、いろんなものへの転換がスムーズに行えるし、オンデマンド出版や電子出版への変換も容易になってくる。今まで、結びつきそうで結びつかなかった、ホームページと出版との関係もおぼろげながら見えてくる。

今の時代、時の流れはさらに加速し、流行の期間はさらに短くなってきている。そんな時代にも不変であるものは存在し、青空文庫の運動もその一つであることに疑う余地はない。例え今の青空文庫がなくなっても他の誰かがまた興すだろうし、その人たちが倒れてもまた誰かが立ち向かうだろう。そんな不変なものを見据えつつ、このaozora blogを発信させようと思う。

★この文章を書いた人→ag★こんな時間に→00:06コメント (0)トラックバック